カーネギーへの行き方 

一昨日、Bruce K6ZBといつものように7メガで交信。家族のこと、仕事のこと・・・。

そろそろ寝る頃かと訊かれたので、いやチェロに少し触ってから寝ることにするとお答えした。

すると、『カーネギーに行くにはどうしたら良いか知っているか』との質問。

私『・・・分からないな・・・(心の中では、地下鉄かタクシーでとも思ったが・・・)』

彼『練習すること』。勿論、楽器を練習することだそうだ。ニューヨーカーの間では、有名なジョークらしい。

ニューヨーク生まれ、ニューヨーク育ちの彼は、少年時代カーネギーホールでアルバイトをしていたことがあったそうだ。ルビンシュタイン等を身近に観たそうだ・・・。

国交省概算要求 公共事業19%増 道路整備15%増  

国交省概算要求が、ひっそりと報じられている。道路整備費の増額分3500億円弱は、社会保障の減額分をそっくりそのまま飲み込んでしまう金額。道路予算は、単位面積当たりでは、米国の10倍以上らしい。人口が減り始める日本の国土にこれだけの道路が必要になるのか。実際に、どれだけの予算が、道路建設・公共事業に費やされるのか、良く見てゆく必要がある。


以下、引用〜〜〜

国交省概算要求、上限まで積み上げ…公共事業19%増
 国土交通省は27日、2009年度予算の概算要求を発表した。

 全体の公共事業関係費は08年度当初予算比19%増の6兆2629億円とし、概算要求基準(シーリング)の要求枠の上限いっぱいまで積み上げた。

 整備新幹線は、地元自治体の負担などを合わせた総事業費が15%増の3529億円(うち国費は812億円)で、過去最高となった。道路整備費は15%増の2兆3245億円。

(2008年8月27日12時57分 読売新聞)

人生は旅路 

先週末、ハムの集まり「ハムフェア」に顔を出そうかと、仕事を終えて、東京に向けて車を走らせ始めた。しかし、ほどなく、軽いめまい・・・回転性のめまいではなく、dizzyという状態・・・を自覚した。これは無理だと悟り、方向転換をして自宅に向かった。

その状態が、夜まで続いた。ベッドに横たわりながら、これで睡眠に落ち、途中で重たい脳梗塞でもおきて、二度と目が覚めぬこともありうるなとふっと思った。それを考えながら、こころはとても平静だった。そんなことになるはずはないという思い込みがあるのかもしれないが、むしろ死によって、生きることの重さから解放される気持ちが強かったのではないかと思う。死ぬことに対する絶対的な恐怖よりも、死への解放が凌駕したのかもしれない。少なくとも、そのときは・・・。

と言いつつ、その翌日もしっかり目をさまし、またルーテイーンを淡々とこなす毎日が始まっている。

人生は、旅路・・・一所に留まれぬ旅路だということを自分に言い聞かせながら、毎日を過ごしてゆこう。

福島県警・地検の弁解 

「患者の目線で捜査」 異例の逮捕、妥当性を強調 <7>
08/08/20
記事:共同通信社
提供:共同通信社

 「われわれは患者の目線で捜査しているんだ」。産婦人科の加藤克彦(かとう・かつひこ)医師(40)が逮捕、起訴された大野病院事件。医療関係者の間で広がった批判に、当時の捜査幹部は語気を強めた。福島県警や福島地検は捜査の妥当性を繰り返し強調した。

この事件は、患者遺族が告訴した事件ではない。福島県警が、捜査を独自に開始し、加藤医師を逮捕した事件だ。それなのに、地裁判決で無罪になると、「患者の目線」と、あたかも責任を転嫁することを言い出している。福島県警の独自に行ったことであるから、自らがその責任をとるべきだろう。

また、刑事犯の捜査・逮捕は、事実に基づき、法に従って、冷静に行われなければならない。「患者の目線」それ自体、尊重されるべきだが、患者の目線は、往々にして、病と死という不条理により、事実を受け入れられなくなっている。福島県立大野病院で亡くなられた妊婦の父上は、加藤医師を刑事告訴することなく、地域医療改善への提言を立派に行っておられるが、彼のような遺族はむしろ例外のように思える。


 福島県は2005年3月、大野病院の女性死亡が医療ミスだったと公表した。これを端緒に県警は捜査に着手。「事故を警察に届けておらず、証拠隠滅の恐れがある」として翌年、異例の逮捕に踏み切った。

警察に届け出るかどうかは、加藤医師の責任ではなく、院長の管轄事項であったし、今回の判決で医師法21条違反には当たらないとされたこと。それに、事故後も1年間、同じ病院で地域医療に携わってきた加藤医師に、証拠隠滅・逃亡の恐れがどこにあるというのだろうか。福島県警は、この逮捕を行った異常さを、反省すべきである。逮捕に関わった富岡署に対して、この逮捕の功績を表彰した県警本部長は、責任を取るべきである。

 過去にも医療事故で医師が逮捕されたことはあるが、無謀な手術など悪質さが際立つケースがほとんどだった。

 地検は逮捕の理由について「遺体もない状況で、身柄を確保した上で周囲の関係者の話を聞く必要があった」とした。

身柄を確保し、厳しい追及を、外界から遮断された状況で行い、警察・地検の思い描く「自供」をさせ、供述調書を取ることが、逮捕の目的だったのだろう。加藤医師を逮捕する必要は全くなかった。改めて、福島県警には強く抗議する。

 問題となった帝王切開手術。当時の捜査幹部は「周囲のスタッフが『(事前の)準備をした方がいいよ』と心配したのに『大丈夫、大丈夫』と受け入れなかった」と説明した。「専門家に確認し、逮捕の必要性があると判断した」と自信ものぞかせた。

 医療関連の学会の抗議も相次ぎ、冒頭の捜査幹部は戸惑いを隠さなかったが、打ち消すかのように「人が1人亡くなっているんだ」とつぶやいた。

検察側の鑑定人になったのは、卵巣腫瘍が専門で、周産期医療には素人同然で、癒着胎盤の臨床経験が皆無の大学教授だった。周産期医療の専門家は、殆ど例外なく、加藤医師の行った医療が、与えられた医療環境で最善のものであり、刑事告訴されるべき事案ではないと明言している。人一人亡くなることは重たいことだが、警察・検察の行った愚挙は、より多くの患者を生命の危機にさらすことだ。警察・検察は医学的な見解には、謙虚になるべきである。こうした弁解は、もう止めにしてもらいたい。

福島県立大野病院事件控訴がなされぬことを求める署名 

タイトルの署名を求める依頼が、MRICで送られてきた。ここにコピーするので、是非署名をお願いしたい。特に、福島県に在住の方、非医療者の方にお願いしたい。


以下、引用〜〜〜


                          2008年8月25日発行
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Medical Research Information Center (MRIC) メルマガ 臨時 vol 114

       ■□ 大野病院事件判決と署名のお願い □■

                       周産期医療の崩壊をくい止める会
                       佐藤 章
                       (福島県立医科大学産科婦人科学講座 教授)

    今回の記事、転送歓迎します!!
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 周産期医療の崩壊をくい止める会 代表の佐藤 章です。

 8月20日、福島県立大野病院 加藤克彦医師が業務上過失致死、医師法21条違反の罪を問われてきた裁判で、福島地方裁判所により、同医師には過失はなかったとして無罪判決が言い渡されました。このような判決が下されたのは、一重に国民、および医療現場の皆様の御支援のお陰と一同感謝しています。本日は、更にお願いしたき件があり、メールさせていただきました。

 同医師は一審で無罪となったものの、まだ、判決が確定したわけではありません。検察が高裁に控訴する可能性が残されています。しかしながら、本来は刑事事件として立件されるべきではなかったのであり、本件裁判の影響で、萎縮医療、産科医師激減は全国に拡大し、医療を受ける国民全体にとっても大きな不利益となっていることは明らかです。

 そこで、同医師をこれ以上の刑事手続から解放し、本件裁判が全国の医療現場にもたらした混乱を一刻も早く収束させるために、同医師が検察によって控訴されないことが求められます。

 医療現場の正常化と回復を望むことは、医療者、非医療者に共通した希望であり、そのために、同医師の控訴がなされないことを求める署名を集め、法務大臣、検察庁等の関係機関に提出したいと考えています、是非ともこの署名にご協力をお願い申し上げます。署名は以下の方法で受け付けています。

1)ホームページ:
  http://spreadsheets.google.com/viewform?key=pVSu1jKcdiL1dT7HDioKlfA

2)メール:perinate-admin@umin.net
  (氏名、所属、署名賛同の旨を本文にお書きください)


加藤克彦医師を控訴しないことを求める意見書
平成20年8月25日

 福島県立大野病院産科医師加藤克彦氏の行った医療行為に関して、同医師が逮捕、勾留、起訴され、業務上過失致死、医師法違反の罪に問われてきましたが、同医師の行為は、医療者としての適切な判断に基づいた医療行為であり、本来刑事事件として立件されるべき性質のものではありませんでした。

 福島地方裁判所も、同医師に刑事上の過失はなかったとして無罪判決を言い渡しました。

 一方で、本件裁判により、医療現場とりわけ産科医療の現場では、過失ない医療行為によっても不幸な結果が起きた場合に、医師が刑事責任まで問われてしまうことから、萎縮医療の進行、産科医師の激減の悪影響を生じ、医療を受ける国民全体にとっても不利益となっています。

 福島地方検察庁におかれましては、加藤医師の行為が刑事裁判の場で争われるべき性質のものでないこと、加藤医師には何らの過失もなかったと裁判所が判断したことを踏まえ、加藤医師を早期に刑事手続から解放し、本件裁判が全国の医療現場に及ぼした影響の甚大さを認識した上で医療現場の混乱を一刻も早く収束させるためにも、本件において加藤医師を控訴しないとのご決断をしていただきたい次第です。

 上記の趣旨から、医療者 ( )名、非医療者( )名の署名を添えて提出いたします。

以上

村上教授の、モンスター現象についての指摘 

先に取り上げた、村上陽一郎氏の評論。専門性の軽視が、医学内部からも起きているという段には、もろ手を挙げて賛成しかねるが、それ以外の点では、その通り!と思う。さすが村上先生と思わせる明快な指摘だ。

モンスター現象が、医療側を身構え、萎縮させることによって、ひいては、患者さんの側の大きな不利益になることを理解しなければならない。


以下、引用〜〜〜

受益者としての患者の資格 モンスター現象の中で 村上陽一郎(むらかみ・よういちろう) 識者コラム「現論」
08/08/22
記事:共同通信社
提供:共同通信社

 近年、世の中には妖怪(モンスター)が跋扈(ばっこ)している。なかでも、学校と病院での現象が著しいという。いわくモンスターペアレント(親)、いわくモンスターペーシェント(患者)、どちらもMPということになる。

 モンスターペーシェントの場合、治療費の不払いは序の口、入院患者が医師や看護師を殴ったり、甚だしきに至っては、刃物を振り回したりする。ある統計によると、患者に接する際に、何らかの意味で不安を抱いている医療者は60%を超える。自分の生命を預ける医療者に、どうして、そのような敵意や害意を抱き、表すことができるのだろうか。

 これも統計から推定されることだが、そうした行為のなかには、もともとゆすりなどを目的にした暴力団絡みのもの、いわばプロによるものも、確かにある。しかし、言うまでもないが、それはむしろ少数と言える。

 興味深いことに、学校と病院には、一つの共通点がある。学校、つまり教育の現場も、病院、つまり医療の現場も、どちらも、本来ある種の権威の勾配(こうばい)があって初めて成り立つ空間である。教える立場と学ぶ立場、医療を与える立場と受ける立場、そこにはたとえ仮構のものではあっても、専門性を背景にした権威に基づく上下関係があって当然なのである。

 しかし、現代社会にあっては、そうした勾配は、非民主的という名の下に、極力否定される方向で進んできた。

 ▽専門性の軽視

 「友達のような」教師がもてはやされ、医師のパターナリズム(保護者的な姿勢)も常に糾弾されてきた。そのこと自体のなかに含まれる重要なポイントを、否定するつもりはない。しかし、教師や医師の「専門性としての権威」をないがしろにした結果が、モンスターの登場である、という点は、見逃すことができない。

 医療の場合には、このような外側からの要素に加えて、内側にも、専門性の軽視につながる現象が起こっている。かつては、永年の経験を積んだ「名医」でなければ、つかなかったような診断が、検査技術の進歩によって、医師とは名ばかりの国家試験を終えたての若い医者でも、より正確に下せるようになった。

 一方、EBM(科学的証拠に基づいた治療)という考え方の浸透で、治療の規格化、標準化がある程度可能になった。つまり、現在では、病気にもよるが、しかるべき診断が下されれば、しかるべき治療法が、ほぼ自動的に導き出されるような形が整い始めたのである。医師の専門的な経験や知識がものを言う余地が減った、とも言える。

 ▽悪しき権威主義

 もちろん、実際には、そうしたEBMは、確率と統計に基づいて組み立てられる一方で、病気というのは極めて「個人的」、「個別的」な性格を免れ難い。従って、すべてがEBMで片付くはずはない。医療者の幅広い経験と深い知識の専門性が、決定的に必要になる場面は、決して消えてはいないのである。

 だからEBMが専門性の軽視と論理的に直結するはずはないが、それでも、医療の進歩のなかに、専門性の軽視を誘発する要素が含まれていることは、注目に値する。さらに、安易に規格通りの治療で事足れり、とする意識が医師の側に、生まれない保証もない。

 内外からのこうした圧力のなかで、「神の手」などと言われる、少数の外科の名医はともかく、医師や医療者の専門性に対する尊重と敬意が、一般社会のなかで、希薄化しつつあることは、確かなようだ。

 個人的には「ものを言う患者」の増大を、私は否定したくない。医療の世界は、これまで余りにも長い間、医師の権威のカーテンの陰に隠されてきた歴史があるからである。そして、そうした悪(あ)しき権威主義は、少なくとも医療界の一部には、厳然と残っているからである。

 しかし、患者ないしはその周辺の人々が、自分たちの生命を救い、あるいはより良く生きられるために、献身的に努力と研鑽(けんさん)を重ねている医療者に対する、敬意と尊敬の念を失ったら、それは、結局、自分たちの首を絞めていることになる、という意識だけは、患者の資格として、忘れずにおきたいと思う。(東大名誉教授)

  ×  ×  ×

※村上陽一郎氏の略歴

 36年東京生まれ。東大大学院博士課程修了。専門は科学史・科学哲学、科学技術社会学。86年から東大教授。97年に同大名誉教授。95年から08年3月まで国際基督教大教授。同4月からは客員教授。音楽の造詣も深く趣味のチェロはプロ級。著書に「安全学」「安全と安心の科学」など。

東条英機が何故日本の指導者になったのか? 

ブログ「噛みつき評論」の主宰者okadaさんが、東条英機がどうして指導者となったのかという疑問を呈している。8月21日のエントリー。東京裁判で、東条英機は、戦争遂行したことの責任は自分にあるが、それは、やる気のない国民と為政者を信じて行なったことだと責任転嫁をしている、ということだ。こうした無責任な人物が、国の指導者になることになった過程・理由を調べるべきだという提言を、okadaさんはなさっている。

この問題と密接に関わる事実が、NHKスペシャルで放映されていた。満州国の実質的な経営に深く関わった、東条英機等は、アヘン・ヘロインを中国で作り、それを同地で売ることによって、戦争遂行の金を獲得していた、その金を基に、日本の軍部の統御から離れ、満州事変を始めとする軍事的な独走を行なったということらしい。社会福祉事業を行なうという建前の公的な組織を立ち上げ、その組織が、麻薬売買を行い、膨大な利益を得ていたらしい。麻薬売買によって、植民地を支配し拡大しようとする政治手法は、アヘン戦争を始め欧米列強が、それまで取ってきた手法だったが、東条英機等が満州でその手法を用いた時には、麻薬による支配に対する国際社会の批判が強く、国際連盟を脱退せざるを得なくなったということのようだ。

こうした人物が、日本を誤った方向に進ませた。彼が日本の指導者になった経緯を知ることが、同じことを繰り返さぬために必要なことだろう。

加藤先生無罪判決を受けての感想 

警察・法曹界でも、下記の記事のような考え方が主流になれば、状況は良くなるのだろう。だが、今のところ、マスコミ論調も含めて、斑模様であり、医療への理解が乏しい発言も目立つ。この警察庁長官の発言が主流になるように、医療人も根気強く発言し続けなければならない。

検察が控訴するかどうか、固唾を飲んで見守っている。検察が高裁に控訴すれば、問題は長引き、さらに深刻になる。同じような事例に対して、より良い対応ができる医療システムを実現する方向からは、逆の方向に進む。地裁判決の内容を良く吟味して、適切な対応をするように検察には望みたい。

福島県当局は、自らが、この不当逮捕事件を引き起こした当事者だと認識し、責任の所在を明確にし、さらに同様のことを繰り返さぬようにしてもらいたい。県の報告書には法的拘束力はなかったなどと弁解して済む問題ではない。事なかれ主義の無責任体制は、根本的に改めるべきだ。繰り返すが、県当局の責任は重い。

加藤先生は、地域医療で働き続けたいとの意向を表明されている。彼が、スムースに仕事に復帰できるように我々は発言し、行動して行くべきなのだろう。彼にとって、2年半の逮捕・裁判生活の日々は余りにも重かったのだろうと思う。

亡くなられた患者さんご家族には、事実を受け入れ、こころが癒される日が来ることを祈念したい。


以下、引用〜〜〜


医療捜査『慎重適切に』

福島県で04年に帝王切開手術を受けた女性が死亡した事故で業務上過失致死罪などに問われた産婦人科医に無罪判決が出たことを受け、警察庁の吉村博人長官は21日の定例会 見で、『将来を見据えた場合、医療事故の刑事責任の追及は慎重かつ適切に対応していく必要がある』と述べた。

吉村長官は一般論と断った上で、『警察の捜査が結果として(医師の萎縮など)消極的な方向に影響を与えるのはよくない』と語った。

朝日新聞 2008年8月22日(金)付 社会面

福島県立大野病院事件加藤医師へ無罪判決 

今日、上記の判決が、福島地裁で下された。長い裁判を戦い抜いた加藤医師に、こころからお喜び申し上げたい。判決の詳細な内容をまずは読んでから、コメントしたいと思うが、急性期医療に最後の一撃を加えられることが当面なかったことを、素直に喜びたい。

この事件は、胎盤癒着という極めて稀な疾患により、病死された妊婦に対する医療の選択が間違いであるとして、福島県警・地検が、主治医であった加藤医師を逮捕起訴したものだ。

様々なネット上のサイトで問題点が議論されているが、どう考えても刑事事件には馴染まないこの事例が、福島県警・検察によって刑事事件化された原因はいくつかある。

まず、賠償保険支払いを急ぎ、主治医に妊婦の死の責任を負わせた、福島県病院局の報告書が、福島県警・検察をミスリードした。福島県官僚の無責任な対応と、それに呼応して玉虫色の報告書を作り上げた、(当時)福島県立病院の医師の責任は重たい。公的病院では、医療事故に際して、こうした対応をすることが多いらしい。これでは、医師は公的病院での急性期医療には、ことに携わることができなくなる。

第二に、このようなケースは、周産期医療の専門家にこそ鑑定を求めるべきであるのに、福島地検が、周産期医療の専門家ではない産婦人科医(専門は、卵巣腫瘍の由)に、この周産期の深刻なケースの鑑定を求めたことが問題である。それに対して、鑑定医が不適切な鑑定をしたことも追及されるべきだ。裁判中に周産期の複数の専門家が、加藤医師の医療行為に問題がないことを証言したことで、この鑑定にまつわる二重の誤りは明らかだ。福島地検は、恐らく彼等に逮捕起訴の最初の根拠を与えた、上記の福島県病院局の関わる報告書を証拠採用を申請していないらしい。それは、癒着胎盤が子宮前壁にかかっていたという地検の主張と相容れない点が、福島県病院局の関わる報告書にあったからだと言われている。このことだけからも、裁判の場で、医学的な「真実」が明らかにされることはない、地検は彼等が起訴した被告を有罪にすることだけを目的に、医学的に観て珍妙な論陣を張ることが分かる。

医療行為を、与えられた医療資源のもとで全力で行い、その結果が思わしくないものであるからと、医師が刑事被告人にされるのでは、医療行為自体が成立しなくなる。患者となりうる国民の方々に、医療は、社会の基盤となるシステムであり、現在そのシステムが、様々な面で脆弱化されていることを理解してもらいたい。さらに、医療には確実に限界があることを知ってもらいたい。10万件の分娩で、数件、生命を落とされる妊婦の方が現実に存在する。それを減らすべく努力しているが、ゼロにすることは恐らく無理なのだ。医療システムを攻撃し、さらに個々の医療行為を行う医師を訴追することによって、結局大きな痛みを負わされるのは、国民自身なのだ。

検察が、加藤医師を控訴しないことを切実に希望する。これ以上の、裁判は、誰のことも幸せにしない。

権利と義務 

今夜、Bob K6RRと交信して、とても驚かされたことがあった。Bobとは、恐らく1960年代から、記録上は80年代から交信を重ねてきた。90年代から数年前までは、ほとんど彼の信号を聞くことはなかった。が、最近、夕方から夜にかけて、しばしばお目にかkるようになった。いつも、夜遅くまで仕事をしていた、または早朝から仕事だと仰っていたので、何をなさっているのかと思っていたが、数日前、ひょんなことから、彼も医師であることが分かったのだった。

今夜の交信では、まず尋ねようと思っていた、彼の仕事について伺った。10年前まで、自分の診療所を経営していたらしいが、その後は、パートタイムの仕事、主に救急の仕事らしいが、を続けているようだ。彼もすでに79歳。もう引退なさっていて良い年齢なのだが、何故、このように高齢になっても仕事を続けているのだろうかと不思議に思った。実際のところ、とても長時間仕事をされているようなのだ。

彼が仕事を続けねばならない理由は、2年前に51歳の若さで亡くなった奥様が受けた医療に対する借金にあるようだった。彼女は、亡くなる2年前に、カルシノイドに冒され、インターフェロン療法や、度重なる手術で、総額「20億円」の医療費がかかったとのことだった。最後には、肝膿瘍を生じ、不幸にも、その若さで逝去されたとのこと。キューバ出身のとても美しい方だったようだ。

彼の一族は、長寿の家系で、90歳代まで仕事を続けた人間もいるから、と要って、笑っておられたが、79歳で救急の仕事をするのは、尋常なことではない。奥様は、医療保険に入っていたが、十分な保障を得られなかったらしい。

なんと数奇な運命なのだろう・・・と思ったが、このように莫大な医療費がかかることは珍しいことではない、彼女のために出来るだけのことをしたとむしろ自らの人生をあるがままに受け入れておられる様子だ。

今日も、これから14時間連続の仕事だと言い残して、私との交信を終えた。その直後に、Jim W6YAが、私と彼を同時に呼んできた。が、Bobは既にリグの前から居なくなった様子で応答がない。私がJimに応答する。Jimは、現役の歯科医である。Jimは、Bobと50年来の付き合いとのことだった。Bobがロマリンダ大学の医学部に在籍していた頃に、無線で知り合ったらしい。医療を受けるのに「20億円」かかることが実際普通にあることなのかと、Jimに尋ねた。彼も、Bobがそのように語るのを聞いた、実際、様々な高度医療でそれだけのお金が必要になることもあるのだろうとのことだった。週末にBobに会うから、よく尋ねてみると仰っていた。

米国の医療が最先端を行くとして、誉めそやす人々が、わが国にも少なくない。しかし、米国での医療費は、十分な保険に入ることの出来る富裕層以外では、Bobが経験したようなことになるのだろう。個人の自己破産の二番目の理由が、医療費であることがよく分かる事例なのだろうと思った。そうした経験をされている方が、これほど身近にいることが、大きな驚きだった。

話は少し飛ぶが、今日ネットサーフィンをしていて、「医療過誤原告の会」という組織のウェブサイトを見つけた。様々な医療事故に対して民事訴訟を起している方々と弁護士達の集まりらしい。彼等の主張には、医療事故の真相究明・再発防止といったことも挙げられているが、とりわけ関心を惹いたことがあった。彼等には安全な医療を受ける権利がある、病気ではなく、診療行為によって生命を失ったり、障害を負った場合は、それに対する補償を受ける権利がある、ということだ。これは凄まじい主張に思えた。医療の不確実性、生命の有限性という根本的な現実を受け入れず、安全な医療によって良い結果を期待することが当然のこととする主張だ。この肥大した(と私には思える)権利意識が実現するのと同時に、米国での医療の高コストを受け入れることが要求されることを、彼等は知っているのだろうか。これまでと同様に、極めて低廉なコストで、かなり優れた医療を、格差なしに受けることができる医療制度は、崩壊しつつあることを知っているのだろうか。

本当にこれで良いのだろうか・・・。