「増税」に際しては、「社会保障の充実」と唱えればよい? 

消費税増税分は、すべて社会保障の充実に回すと、安倍首相がはっきり言っていたわけだが?消費税の10%への増税ができないと、社会保障への手当てが十分できない、と言う財務大臣。社会保障の充実といえば、増税が受け入れられると考えているわけだ。国民もバカにされたものだ。

景気の好循環とは、何時になったら実現するのか?

確かに、増税をすることは仕方ないと思うのだが、空前絶後の金融緩和政策を続けて、それで市場の信認を得られるのか?金融緩和によって市場に出回るはずの金は、日銀の東西預金に積み増しされるだけになっているようだが、景気の「回復」等ありうるのかね。安倍首相は、高度経済成長の時代の経済を再び実現すると考えているようだが、現実認識、それにマネタリスト流の考えが甘いのではないのか?

疑問だらけの経済財政政策ではある。


以下、引用~~~


消費税10%先送りは少子化対策「困難に」 麻生財務相

記事:朝日新聞
14/10/20

 麻生太郎財務相は17日、来年10月と法律で定めた消費税率10%への引き上げを見送った場合は、再増税を前提にしている待機児童解消など少子化対策の実行が「極めて困難になる」との見方を示した。来年度予算案に、再増税の影響を和らげる対策を盛り込むことを検討していることも明らかにした。

 衆院財務金融委員会で古川元久氏(民主)の質問に答えた。消費税率5%から10%への引き上げで増える税収(年間14兆円)のうち2・8兆円を子育てや医療など社会保障の充実に回す方針が決まっている。麻生氏は「仮に(税率)8%にとどまった場合、社会保障の充実に振り向けられるのは1・3兆円ぐらいになり、予定した充実案の実行は極めて困難になる」と述べた

 また、再増税の先送りで「政府の財政健全化の意思に疑念を持たれると市場の反応は予測しがたく、(政府としての対応は)極めて困難」と強調し、再増税を前提に「経済の好循環を確かなものにする対策を来年度予算に盛り込むことを鋭意検討中だ」とした。日本銀行の黒田東彦(はるひこ)総裁も「(再増税の)先送りで財政運営に対する市場の信認が失われると、(日銀としても)対応が極めて困難になる」と答弁した。

CONDXの良い21メガで 

今朝の21メガ、北米全体に開けている。東海岸はフラッターはあるが、QSBもなく入感している・・・だが、CQを出しても、あまり応答がない。

W6NLK Tomが呼んでくれた。San Diegoに住む方で、以前紹介した通り、脳腫瘍の加療中である。最近のPETでは、腫瘍内部の壊死と、腫瘍の縮小が認められたとのこと。治癒的ではないが、手術を受ける方向で検討する様子。その際に、ウイルスをベクターにした遺伝子治療を受けられるかどうか、医師の検討結果を待っているとのことだった。小生のブログを奥様が読んで楽しんでくださっている由。詩的な表現と言われるので、下手な英語の散文ですと返事。彼は、交信の初めに、少し遅く打ってくれと要望してこられた。これは実に嬉しいことだ。取れないのに、取れたかのように交信を進められるのは苦痛に近い。取れないならば、そうと、そして遅くしてもらいたいならそのように要望する、これが交信を実りあるものにする秘訣だろう。そのように表明するのは、恥ずかしいと思われるのは良く分かるのだが、実りのあるCW交信を希望している人間からすると、そうした要望は、大歓迎なのだ。Tomとは、彼の病状報告が主だが、いつも印象に残る交信である。

彼との交信を終えて、二三ラバスタをこなしているうちに、バンドが騒がしくなった。CQAPと打っている。アジアパシフィックのスプリントの開幕だ。その後もしばらく粘ったが、交信らしい交信はできず。7メガで二度ほどCQを出すが、誰からも呼ばれず。

CWの楽しさ、意味は、一つには、読み書きと同等のプロセスであることに由来する知的な楽しみにある。これは繰り返し、記してきた。もう一つは、じっくり話をすることによって相手を深く理解することにある。コンテストは、いずれの点でも、対極にある。ビッグコンテスターと言われる人々の大多数は、数年もすると無線から去って行くことが多い。飽きるのだろう。このあたりの事情を、さらにブログや、無線雑誌等への投稿を通じて、発信してゆきたいものだ・・と思いつつ、ついつい後回しになっている 苦笑。コンテスト、パイルごっこだけだと、すぐ飽きる、ということを言い続けなければならない・・・。

マリーゴールドから種を採取 

マリーゴールドは、私のお気に入りの花の一つ。寒さ、暑さに強く、春早い時期から、晩秋まで咲き続けてくれるからだ。鼻の大きさ、色合いもほどほどで、私の地味な庭に丁度合う。家人によると、防虫効果もあるらしい。この画像は、庭の一角に集めたマリーゴールドを真夏に撮ったもの。昨年植えたものから落ちた種で自然に発芽したものと、今年種から育てたものを集めてみた。

003-1_20141018230309525.jpg

大分、枯れかかってきたマリーゴールドを廃棄しようと触れると、花が枯れた部分に種ができているのを見つけた。鼻を育てている方には当たり前のことかもしれないが、花頭の部分に種がびっしり詰まっているのを知り、あっと驚いた。一つ一つの花頭を集めて、中の種を取り出した。

001_201410182303483f0.jpg

種をビニール袋に詰めてみた。このような袋が三つ四つ。冷蔵庫に入れて、来年まで越冬である。来年は、もっと広やかな場所に植えてあげることにしよう。

002_201410182304068ed.jpg

綿々と生命の流れがこうやって続いて行くのだなと改めて感心した。人の声明の流れも同じように、平和に何人にも差別がなくなされてほしいものだ。

原発の国有化問題、電力業界の責任の問題 

昨日のポストに対するmasaさんのコメントへの返答を以下に掲げる;

まず、東電の賠償の問題です。国有化すると、賠償等は全部税金になるではないか、というご意見ですが、では国有化しないままではどうなるでしょうか。原発事故損害賠償機構からの資金で今は賠償しているわけですが、それは各電力会社の電気料金に上乗せされています。当初5兆円までと言われた賠償金額も、東電は、10兆円に達すると示唆しており、同機構への電力会社からの負担金拠出も怪しくなってきています。結局、電気料金への上乗せと、税金の投入になることでしょう。ですから、国有化するかしないかは関係ありません。岩波新書「電気料金はなぜ上がるのか」朝日新聞社経済部をご覧になってください。

>もっとも原発法作った当時、リスクがある原発参入を嫌がる電力業界を天災等による免責条項を入れてねじ伏せ、国主導でこれまで進めてきた原子力政策、

というのはあまりに簡略化し、かつ事実認定の誤りがあるように思えます。1955年の原子力三法を受けて、1957年日本原電が成立し、英国からの原発導入の受け入れ主体となります。その出資比率が、政府20%、民間80%でした。通産省・電力業界が、商用原子炉の利権を握ったのです。吉岡斉著「新盤 原子力の社会史」にその当時の状況、その後、科学技術庁グループと、上記の二者のグループとが車の両輪のようになって、原子力行政・実務を進めたことが記されています。

原発事故の被害の予測は、1960年科学技術庁の委託を受けて、日本原子力産業会議が報告書を提出しています。もっとも大きな被害額の想定は、3兆4300億円、当時の国家予算が、1兆7000億円でした。このように国家が破たんするほど甚大な被害が予測されたのに、電力業界が入っていた事故への保険は1200億円。電力業界は、いやいやながら原発に加担させられたのではなく、自らそこに身を投じ、そこで多大な利益を上げてきたわけです。そして、深刻事故への対処は真剣に取り組んでいなかった、ということです。、無責任極まります。

>原発による利益や地域振興を甘受してきた国民にも責任がある

これは具体的に何を言っておられるのでしょうか。原発のせいで、電気料金がとびきり低廉だったと仰りたいのですか。国民は原発の安全神話を信じ込まされ、さらに深刻事故の際に、どれほどの問題が起きるかを知らされておりませんでした。それにもかかわらず、国民に責任があるというのは、言いがかりというべきでしょう。国民に何らかの責任があるとすれば、原発の危険性について知る努力をしなかったことがありますが、それとて、産官学の強力な安全神話で芽を摘まれていたというのが実態ではないでしょうか。

また、福島の人々は、原発関連交付金を得ていたのだから、自業自得だという議論も良く耳にしますが、原発交付金がどの自治体にどれだけ交付され、それがどのように用いられてきたかということを調べた上で、仰っているのでしょうか。原発交付金の大部分は、原発立地自治体に交付され、その用途は箱もの、それもひも付きの箱もの建設でした。周辺自治体にはほとんど交付されていません。住む場所と、仕事と、さらにコミュニティを奪われた方々が、この交付金で甘い汁を吸った云々の言説を目にした時に、どのように感じられることでしょうか。この問題については、岩波新書「原発を終わらせる」石橋克彦編をご参照ください。

東電は潰さなければいけない 

東電は、原子炉損害賠償・廃炉等支援機構から、資金援助を受けている。こちら。すでに総額4兆円を超えている。東電が自ら語るように、その資金援助がなければ、経営を続けることはできなかった。同機構の資金は、結局、国民が支払う税金と、電気料からなっている。

東電を潰す必要がある。さもないと、深刻事故を起こしても、自ら廃業に追い込まれることはない、だったら、既存の原子炉を使い続けようという発想を、電力会社の経営陣に抱かせることになる。原子炉を稼働する経営上のリスクは以前から分かっていた。それを無視し、原発をどんどん増やし、それにより利益を受け続けてきたのが、電力会社とそれを取り巻く原子力村の組織・人間であった。リスクを冒した経営者には、それなりの責任を取ってもらわなければならない。それが、資本主義の原則ではないのだろうか。

福島第一原発事故当時の東電経営陣は、皆天下りをしているという。

CW上達のために 

CWをマスターし、会話ができるようになるためには、忍耐力が必要だ。アルファベットのコードを記憶することはそれほど時間がかからずにできる。だが、その後、会話の文章を取れるようになるまでに、かなりのトレーニングが必要なのだ。コードは一応とれるが、意味が分からない、というストレスフルな状態がしばらく続く。ここであきらめず続けるかどうかが、カギになる。上達は、階段状に生じるので、何も進歩がないと思える状態で、しばらく我慢強くトレーニングを続けることが必要になる。

この階段状の発達過程のプラトー状態で、我々をストレスに陥らせるのは、意味がとれぬ状態が続くことであり、さらに意味が取れたとしても、それが正解なのかどうか、確認しようがないということだ。ある程度上達すれば、相手とのやり取りで、正解だったのかどうかが分かるようになるが、そこに到達するまでの道のりは簡単ではない。

で、自分が取れたと思える内容の答え合わせをするために、交信を録音することも一つの方法ではなかろうか。今朝、21メガで交信したAndy W9NJYが、我々の最初の交信は8年前でモービルからの運用だった、と言うので、良く記録をとっていると感心した。彼は、モービルからの交信時、レコーダーで録音しておき、日時を音声で入れ、それをログに移すとのことだった。当たり前のことだが、こうして交信を録音することは、ログとしてのチェックだけではなく、交信内容のチェックにも使えるのではないか、と考えた。私自身は、この方法を使ったことはない。すでに、取り入れておられる方もいるのえはなかろうか、大いに利用価値はありそうだ。具体的なメリットとしては

〇内容をチェックできる。復習をすることによって、自分の弱点が分かることだろう。
〇相手の用いた表現、語彙等で分からないもの、CW交信に適切だと思われるものを記録し、自分でも使えるようにする・・・こうして具体的状況で身につけた語彙、表現は、それを用いるべき状況をよく理解でき、長く記憶にとどめることができる。
〇記念になる。

といったことだろうか。

このように交信内容を把握する努力をすることが、会話成立のためにどうしても必要なことだ。昔と違い、今はデジタルリコーダーのように容易に記録録音する機器があるわけだから、それを是非利用すべきだろう。我々の世代が、砂をかむような思いをして、CW交信内容が取れない状態を我慢し続けた状況を経なくて済む、ないし短期間で終えることができる。

当たり前のことかもしれないが、ご参考までに・・・。

追伸すれば、交信相手は、やはりnativeがお勧めだ。ジャパングリッシュでも意味が通じれば良いということも一面の真理なのだが、これから世界相手に無線を楽しむためには、英語のブラッシュアップも、受信練習と並行してすすめておきたいものだ。

エボラが空気感染する可能性 

エボラウイルス感染症(EVD)が、空気感染するということが、病態上、また疫学上示唆されると、ミネソタ大学の研究施設が公表したようだ。米国で、それなりの態勢でEVDの治療に当たっていた医療従事者が二人二次感染を起こしたことが報告されており、彼らは空気感染によるものだったのかもしれない。

もし空気感染を起こすとしても、問題は、何故もっと多数の患者周囲の人間が感染しない(しなかった)のかということ。

不顕性感染のケースがかなりあるという可能性も大きい。インフルエンザに似て、突然変異を起こしやすいので、ある特別な株だけが空気感染を起こす。さらには、免疫応答性の問題として宿主(患者)側に重症化するかどうかを決める因子がある、といった可能性が考えられる。

パニックに陥る必要はないが、問題の進展を注意深く見守る必要がある。西アフリカ諸国への医療上かつ経済的な援助が必要だろう。

空気感染が確かに起きうるとなると、医療上の対応はとても手間がかかることになる。N95マスク・フィルターでは不十分であり、陽圧呼吸装置が必要だと、米国では報道されている。それこそ、普通の医療機関では対応不可である。わが国の行政は、患者・医療機関に、「検体採取提出を義務付ける」というふうに法改正するとしているが、そんなことで良いのか。あまりに楽観的すぎる。一般医療機関の手におえる問題ではない。

エボラウイルス感染症(疑い)患者からの検体採取を強制 

政府は、感染症法を改定し、

「エボラ出血熱など「1類感染症」と次に厳しい措置をとる「2類感染症」と新型インフルエンザについては、血液などの採取と提供を強制できる。」

ようにするらしい。強制する対象は、患者と医療機関である。ネットに流れた情報なので、最終的に確認はしないといけないが、中央省庁が地方自治体、それに医療機関に対して、検体採取を強制することは間違いなさそうだ。

アメリカでは、完全防護の体制でエボラ感染症の患者の治療に当たっていた看護師が、二次感染を起こしたと報じられている。さほどに、この感染症は感染力が強いのだ。

米国では、エボラウイルス感染症の症例が出たら、CDCから専門化チームが時間の単位で駆けつける体制を整えたという。それと、この上から目線で中央から「強制する」やり方と、なんと違うことか。厚生労働省は、この感染は、流行の初期で食い止めることが絶対必要であることが分かっていない。


JH1HDX中島守氏5周忌 

この10月6日が、旧友中島守氏JH1HDXの五回目の命日だった。少し遅くなったが、奥様に連絡をとり、今日お墓詣りに出かけた。我が家から北西の方向に約1時間半ほど車を走らせたところに、彼の家と墓がある。お墓の近くで、奥様と待ち合わせた。大学を卒業なさったお嬢様と一緒にお出でくださった。その地域では有名であろう蕎麦屋さんに連れて行かれ、お昼をご一緒しながら昔話そして近況報告をしあった。

中島氏とは、1980年頃、私が無線にカムバックしてきた頃からの付き合いだ。私は大学病院の寮、彼は借家、お互いに簡単なアンテナとリグで出ていた。21メガのSSBでしょっちゅう話しをした記憶がある。彼が5年前の春、白血病にかかったと突然連絡してくるまで、時々間隔はあいていたが、付き合いは続いていた。一頃は、同じ車で信州・北陸にドライブ旅行にでかけたこともあった。

彼は、経済的に決して裕福ではない家庭に生まれ、東京で働きながら工業高校そして専門学校を出た苦労人だった。かなり強烈な個性の持ち主で、権威的なものにはそれが何であれ、抵抗するところがあった。磊落そうに見えて、感じやすいところもあり、それは別な側面では優しさでもあった。いろいろとお世話になったものだった。

5年前の春、以前このブログで記したような経緯で急性白血病となり、数か月の厳しい闘病生活を経て、帰らぬ人となった。入院されてから、つとめて希望を共有できるように、週に一度はお見舞いにでかけていたが、最後の3週間ほどは、会うに忍びなく足が遠のき、メールでのやり取りだけになってしまった。そのことは今でも申し訳ないことだったと思っている。

中島家にも事件が幾つかあったようだが、皆さん健康を守られてお過ごしの様子だった。小学生の時以来であったお嬢様がお母さんと一緒に登場、立派に成長なさっていた。時間の経ったことを改めて感じた。

その後、近くのお墓にお参りをさせて頂いた。父上と一緒に彼がそこで眠っている。立派なお墓だ。彼が若い時分に立てたもののようだった。毎年訪れようとおもいつつ、無沙汰をしたことを墓前に詫びた・・・こうした不義理を私はどれだけ重ねていることか・・・。これからは機会を見つけて、出かけたいものだ。

お昼を頂いた蕎麦屋の横を流れる湧水。

012-1_20141014225851376.jpg

その上流にあったわさび畑。

019-1_2014101423031131f.jpg


帰り道、久しぶりに例幣使街道を通ってみた。30年前と変わらぬ佇まい。

026-1_201410142301378c2.jpg

冷静な事実の把握と、定まった方向性と 

下記の坪倉医師によるMRICへの投稿、考えさせられる内容だ。私にも問われていることだと思う。分かっていることは、分かっていることとして、分からぬことは分からぬこととして、冷静に受け止めることが大切だ。そうした事実の積み重ねと、自らの価値観・人生観が指し示す方向に進んでゆくことが、大切なのだろう。

以下、引用~~~

「悲劇」を求める取材

この原稿は朝日新聞の医療サイト「アピタル」より転載です。
http://apital.asahi.com/article/fukushima/index.html

南相馬市立総合病院
非常勤内科医 坪倉 正治

2014年10月14日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
---------------------------------------------------------------------
いまの浜通りの状況について、海外へ発信することが非常に難しいと感じています。インターネットの特徴なのでしょうけれど、知りたいと思っている人以外にはなかなか届きません。テレビなどのメディアも、悲しい話やけしからん話など、人間の喜怒哀楽に訴えかけるような内容とリンクする場合には強みがあるのでしょう。それに対して、淡々と事実を伝えるのは苦手(というよりむしろ喜怒哀楽に伴うものにかき消えてしまう。)なことを感じます。もちろん受け手の協力も必要です。

私の勝手な感覚ではありますが、日本でも海外でも、いわゆる専門の先生や医療関係者の間では、住民の方の被曝量などについての話が出ることはほとんどなくなってきたと感じます。学会でこうしたテーマが占める割合も減っています。住民と接している先生についてはそのようなことはありませんが、そうでない先生からは「被曝の検査なんて、まだやってたの?過剰でしょ。人件費と資源の無駄でしょ」といった声さえ聞かれます。確かに、国連やWHOからも線量評価に関する報告書が出ていますし、測定結果もごまんとあります。ただチェックは続けるべきだと思っています。こちらとしてはあまり気にせず、淡々とやっていくだけだと考えています。

そんな一方、海外の方、そしてその知識を映す鏡であるメディアの方からの質問は、なかなか厳しいものが多いです。
とある韓国のテレビスタッフが相馬の病院にやってきて、インタビューをしたいと言ってこられました。植物の写った写真を10枚ほど渡されました。何かと思いきや、「植物が放射線で奇形だらけだと聞いている。人間に関してもそうなんでしょ?」と言い始めました。福島県ではそんな状況には全くないことを伝えますが、明らかに不満そうでした。取材する相手を間違えたという感じ。

オーストリアのテレビは外来の風景を撮影していきました。質問は「南相馬にどうして人が住んでいるんですか?」といった類いの内容でした。事故が起きたのは事実として、いまのこの場所での被曝量がどの程度か、ゆっくりと説明しますが、蔑(さげす)むようにニヤッと笑って終わりました。その表情は忘れません。

ドイツのテレビ局はBabyscanの取材に来ました。この器械が出来た経緯や、小さい子どもからはセシウムがまったく検出されていないことを説明しました。しかし、彼らは「悲劇」を求めているようでした。使いたいコメントを撮りたいのでしょう。繰り返し同じ質問を5回も10回もしてきましたが、相手が求めるコメントをしようもありません。結果、彼らが必要とする悲劇には満たなかったようでした。

こうしたことは、取材を受けたことのある多くの方が経験されていることと思います。まあ確かに、海外のどこかの国で、「こんな問題があったけれども、だいぶ落ち着いてきました」という報道が日本であったとしても、ほとんどの人にとっては記憶に残らないだろうなとも思います。

もちろん、そんな方々ばかりではありません。ちゃんと話を聞いてくださる方がいらっしゃることも確かですし、その様なメディアの方に我々は何度も何度も助けていただきました。

そんな状況の中、やはり可能であれば、地元の方々一人一人が現状をご自分で説明できるようになって欲しいと思っています。学校での知識などがその要です。そして多くの専門の先生方にもいま一度、周囲への発信をぜひ続けて欲しいと願っています。

http://apital.asahi.com/article/fukushima/2014100700004.html

坪倉正治の「内部被曝通信 福島・浜通りから」のバックナンバーがそろっています。
http://apital.asahi.com/article/fukushima/index.html

「アピタル」には、医療を考えるさまざまな題材が詰まっています。
http://apital.asahi.com/