国会での安保法制についての議論 

国会中継を、どれほどの国民が見ている、聴いているのだろうか。あまり効率的でない議論を長々と行うので、平日日中の国会での議論をリアルタイムで視聴するのは、我々にとって難しい。

それで、国会での議論が終わってから、編集されたニュースを視聴することになる。ところが、ニュースでは、数時間の議論内容を、2,3分に簡略化している。さらに、重要なのは、ここで引用する記事でも分かる通り、野党の質問に政府が答弁し、それで問題は解決したかのような形式になる。議論の結果、問題の所在がさらに深まることが多い。決して、議論で解決などしていない。それなのに、政府の見解で一件落着であるかのような印象を視聴者に与える。これは、世論の誘導操作になるのではなかろうか。

この特別委員会を、できる範囲で視聴して感じたことは、以下の通り。

〇安倍首相は、ていねいな説明を行うと言っているが、ていねいな説明とは、質問に関係のない自説を長々と繰り返すことと誤解している。多くの場合、質問に答えていない。例えば、集団的自衛権行使によって自衛隊が負うリスクについては、「今でも自衛隊はリスクを負って仕事をしている」とか、「三要件があるので、安全性が確保される」とか、ポイントをずらすか、または主観t的な希望的予測を述べるだけだ。

〇安倍首相、中谷大臣に目立つが、基本的な勉強不足が露呈している。武力行使と武器の使用が区別されるかのような答弁、「後方支援」は戦闘行為ではないので危険性がない(または極めて少ない、または安全性を確保できる)といった認識である。もしかしたら、これらのことを理解をしているのかもしれないが、集団的自衛権行使によるリスクについて正面から説明しようとはしない。「後方支援」は、logistics兵站のことであり、米国との改定ガイドラインでも、それが明記され、さらに自衛隊が米軍の指揮下に入ることが明記されている、という。

〇中谷大臣は、出身が防衛大学であり、れっきとした「制服組」出身であることを始めて知った。シビリアンコントロールの観点から、この任用に問題はないのだろうか。

〇安倍首相は、若い質問者、女性の質問者に居丈高である。これほど野次を飛ばす首相がかっていただろうか。下らぬ野次の一つ一つを問題にしても意味がないが、こうした議論の仕方をする首相が、どのような政治手法で国を導こうとしているのか、寒々しい思いである。

やはり国会でどのような討論が行われているのか、我々国民は良く注視する必要がある。この法案の成否が、国の形、国の進む方向を大きく変えるからだ。


以下、引用~~~青文字は、私のコメント

安倍首相「専守防衛は不変」=巻き込まれ型を否定-衆院特別委

2015年5月27日(水)18時52分配信 時事通信

 安倍晋三首相は27日午後の衆院平和安全法制特別委員会で、集団的自衛権の行使を容認する安全保障関連法案について、先制攻撃を排除した「専守防衛」の原則を変更するものではないとの見解を示した。民主党の長妻昭代表代行が「専守防衛の定義が変わったのではないか」とただしたのに対し、「専守防衛の考え方は全く変わりない」と否定した。
 専守防衛は「相手から武力攻撃を受けて初めて防衛力を行使し、その行使の態様も自衛の必要最小限にとどめる」とするもので、日本の安保政策の基本姿勢。安保関連法案では、日本が直接攻撃されていない場合でも「わが国と密接な関係にある他国」が攻撃を受ければ自衛隊が出動し、集団的自衛権を行使できる。首相は答弁で「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険。これを防衛するのが専守防衛だ」と強調した。

新三要件という限定条件が認定されれば、世界中どこにでも「専守防衛」と称して自衛隊を派兵する、というのが政府の方針である。如何なる戦争も、自国防衛のためと称して始められたことを忘れてはならない。この新三要件も抽象的すぎる。日米同盟が、わが国の存立にとって必須のことと判断され、米国の世界戦略に加担することになるのは明らかである。これまでの専守防衛から大きく逸脱することになる。

 維新の党の松野頼久代表は、政府・与党が安保法案成立を急ぐのは、明白な危機が現実に迫っているためかと質問。首相は中国を念頭に「アジア太平洋地域で軍事力を増強している国がある。軍事バランスを保って、相手に隙を見せないために、やっていかないといけない」と説明した。北朝鮮の核・ミサイル開発にも触れ、「安全保障は何か起こってからでは遅い」と理解を求めた。
 維新の党の柿沢未途幹事長は、首相が集団的自衛権に関し「米国の戦争に巻き込まれることは絶対にない」と断言していることを取り上げ説明を求めた。首相は「巻き込まれるとは、わが国の存立に関わりないが米国に言われるままに戦争をすることだ。(武力行使の)新3要件が守られている限り、『巻き込まれ型』はない」と明言した。

安倍首相の考えでは、米国の戦争に、巻きこまれるのではなく、率先して参加するわけだ。何たる詭弁。

 海外で外国軍を後方支援する自衛隊が攻撃を受ける可能性については、「絶対ないわけではない。そのときは一時休止、退避の判断は当然行われなければならない」と述べた。共産党の志位和夫委員長への答弁。 

志位氏の議論がもっとも白熱していたが、ニュースではこの小さな扱い。まず、国際法上、背フガ区別従っている、武器の使用と武力行使には区別がないことを志位氏は明らかにした。また、政府の言う「後方支援」は、日本政府独特の用語であり、国際的には「兵站logistics」を意味する。米国海兵隊のテキストでも、兵站は戦争行為の中心に位置づけられ、敵からの攻撃にさらされる、とはっきり書いてある。また、「後方支援」を行う際には、バグダッドのような主要都市から、前線への輸送が任務となる。安倍首相は、自衛隊が米軍等他国軍の指揮下に入ることはないというが、兵站行動は、戦闘をしている国の軍隊の指揮下に入ることは、軍事上の常識である。また、「後方支援」部隊が攻撃されたら、作戦の一時中止、ないし撤退を行うので、自衛隊員の安全性が確保されるというが、そのようなことはありえない。攻撃されたら、そこで応戦し、戦闘が始まる。

社会保障費の削減は不可避だろうが・・・それと同時にやるべきことがあるのではないか。 

社会保障費の削減は、不可避だろう。が、社会保障費を削減する一方で、法人税減税、公務員給与引き上げを行うのは、おかしいのではないだろうか。また、国会議員の定数削減、政党助成金、歳費の削減も、社会保障費削減とともに行うべきだろう。

また、集団的自衛権行使によって、国の財政破綻が始まる。外国への援助が、安倍政権になってから26兆円に上るという。財政破綻の前の大盤振る舞いということか。

以下、引用~~~

歳出削減「社会保障費が柱」 自民案、20年度財政再建向け

記事:朝日新聞
15/05/27

 自民党の行政改革推進本部(本部長=河野太郎衆院議員)は26日、基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)の2020年度黒字化に向け、社会保障費を減らすことを柱とする総額9・4兆円の歳出削減案をまとめた。

 政府が6月末に出す「経済財政運営の基本方針」(骨太の方針2015)に盛り込ませるよう、まずは党内での意見集約を目指す。

 党内では「財政再建に関する特命委員会」(委員長=稲田朋美政調会長)が財政再建に向けた議論を進めているが、社会保障費のカットに反発が強い。そこで特命委は、反発を恐れない理論派の河野氏に「要求の高いボールを投げてもらいたい」と提言の作成を依頼。これをもとに、特命委で自民党としての最終的な削減案をまとめる考えだ。

 (相原亮)

安保法制 衆院特別委員会 

上記が昨日から始まっているようだが、昨日、NHKは同委員会の中継をしなかったようだ。国の形を変える、この法制についての国会議論をなぜ中継しなかったのだろうか。やはり、国民に知られたくない政府が、NHKに中継するのを止めさせたのではないのか。私は、全部ではなかったが、午後の中継をテレビで観た。ニュースでまとめて2,3分で報じられるのと、内容がかなり違う。時間の許す方は、是非録画してご覧になることをお勧めしたい。

集団的自衛権で自衛隊が海外派兵される際のリスクについての議論が主なテーマだった。

政府は、当初、派遣される自衛隊によって、より多くのリスクが生じることはない、と説明していた様子だが、政府は、それで議論を突破できないとみると、自衛隊の業務は以前からリスクが伴っている、または国民が安全保障環境の悪化で被る「リスク」を考えるべきだ、という論理に変えたようだった。しかし、この政府の論理は、問題からそれていることは明白である。

イラク特措法等により、イラクに派遣された自衛隊員の54名が、覇権終了後に自殺したらしい。イラク派遣との因果関係がすべての例で明らかになったわけではない。が、非戦闘地域への派遣という建前であったサマア、さらにクウェート、バグダッド間の輸送業務では、戦闘と隣り合わせであったらしい。サマアの自衛隊宿営地には14回の砲撃があった。航空自衛隊のクウェート、バグダッド間の輸送業務では、常に地対空ミサイルの攻撃の危険にさらされていた。54名の自殺者は、こうした激しいストレスによって生じたと考えるべきだろう。

自衛隊の紛争地域への派遣は、新3要件が満足された地域だけであり、戦闘地域には派遣されぬ、さらに戦闘が生じたら、現地の判断で、業務を停止し、さらに撤退することも考える、だから、自衛隊員の負うリスクは最小化されている、というのが、政府の見解だ。しかし、新3要件という条件は、極めて抽象的なものであり、いかようにも解釈されうる。さらに、自衛隊は、この法制で集団的自衛権行使のパートナーとする米国の軍隊の指揮下に入る。従って、戦闘状態になったから、すぐに撤退するといったことは現実的に考えられぬ。これまでのPKO活動で派遣された条件よりもはるかに過酷な危険を伴う地域に派遣される可能性が高い。それだけ、自衛隊ンのリスクは増す、ということだ。

そもそも、自衛隊は後方支援を業務とするというが、改定された日米安保ガイドラインでは、この後方支援は、logisticsと規定されている(このガイドライン改定のための拙速な安保法制改定であることが分かる)。logisticsは兵站業務であり、戦闘業務を除くすべての業務を指す。兵站を攻撃することが、戦争作戦の常道とされており、自衛隊が、実際の戦闘に巻き込まれる可能性が極めて高い。政府は、武力行使と、武器の使用とを区別している。前者は、他国への武力侵略を意味し、後者は自衛を含む単なる武器の使用という論理だ。だが、国際政治の上では、両社の区別はない。イラク特措法によりイラクに派遣された自衛隊は、対戦車砲、無反動砲。重機関銃等の重装備を携行したが、この新しい安保法制によって海外に派遣される自衛隊は、さらなる重装備を携行することになる。自衛隊は、実質的に戦闘を行うことになる

安倍首相は、記者会見で、米軍の世界戦略による戦争に巻き込まれることは「絶対に」ないと言い切っていた。だが、集団的自衛権の行使3要件により、その戦争への参加が、わが国の存立を維持するためと判断されれば、そうした戦争に加わることになる、ということだ。日米関係は、わが国の存立にとって不可欠であるとか、中東からの石油を確保することは、わが国の存立にとってどうしても必要なことであるとか、理由づけはいかようにもできるだろう。この安保法制改定が、米国の世界戦略に加担するためのものであることは、安倍首相の詭弁からも明らかである。

そもそも集団的自衛権は、過去大国が第三国でその覇権を維持するために行使されてきたという歴史の現実がある。自衛隊員のリスクが高まり、日本国民にも危険が及ぶ集団徹自衛権行使は、世界平和に寄与する貢献だというのは詭弁なのだ。

これから我が国の将来を担う方々、お子さんを育てている方々、これはあなた方の未来を左右する。是非、注目し、政府の見解の正しさを判断して頂きたい。

二つの交信 

今日は、ひさしぶりに無線を比較的長時間楽しんだ・・・というか、他のことは長時間集中できないのだ。

朝、21メガで旧友のWB6BEE、KF7Eと交信を終えると、Rusty W6OATが呼んでくれた。彼のコールは、昔からなじみがあったのだが、コンテストで何度かお会いした以外は、普通の交信をした記憶がない。Rustyは、最近FOCに加入し、2000番台の初々しいナンバーを送ってくれた。

以前から、彼は、友人たちにFOC加入を勧められてきたのだが、メンバーになると、長時間のラグチューが義務付けられるのかと思い、断ってきた由。ベイエリアに住む彼は、NCDXFの理事を35年間勤め、その会長にも二度就いた由。NCDXFといえば、故Eric Edberg W6DUをご存知かと尋ねた。知っているとも・・・Ericは、彼にとって長い間の友人であり、mentorでもあった、とのことだった。Los Altosの彼の住まいで、DXのこと無線のことを話し合ったことが何度もあったそうだ。

Ericについては、このブログでも何度も取り上げたことがある。笑顔を絶やさず、いつも親切にしてくださった方だった。三度目の訪米時、Merle K6DCを訪ねるために、サンタバーバラまで数時間のドライブを一人でする積りだと言ったら、Ericは、それはまずい、私が連れて行こうと言って、車に乗せてくださり一緒に旅行したこともあった。彼にとっては、腰痛を押しての長旅であった。

Ericの記憶を共有するRustyとお目にかかり、感無量だった。Rustyは、「599 73」以外の交信をしばらくしていないので、CWの腕が大分落ちたと謙遜しておられたが。72歳前後の年齢からすると、かくしゃくとしたキーイングであった。コンテストから、人の気配の感じられるラグチューに少し舵を切ったということなのか。私との交信が三人目のFOCメンバーとの交信だ、カードを是非・・・と言われた。微笑んでしまった。

午後4時過ぎ、7メガに出てみたが、まだ北米は開けていない。日暮れまでまだ2時間以上ある。夏至まで一か月しかないのだから、仕方ない。14メガに上がってCQを出すと、Jim KG0RDが呼んでくれた。数日前にもお目にかかった方である。前回の交信中に、Dave W0FBIの友人と仰っていたので、よろしく伝えてほしいと申し上げたところだった。今日、Daveがどのようにしているか伺った。残念なことに、Daveは、2012年8月に癌のために亡くなったことを知らされた。

Daveのことも以前記したことがあるが、彼は米軍に奉職していた内科医だった。日本にも過去に仕事で滞在したことがある、ということだった。あの大震災・原発事故の直後にDaveにお目にかかり、その時、被災者のこpとを大層気にかけてくださり、奥様ともども日本にやってきて、彼らのために仕事をしたいと仰っていた。その思いやりの気持ちに、対して被災したわけではなかったが、私は大いにこころ動かされるものがあった。すでに70歳を過ぎており、彼の希望が実現することはなかったが、彼のように日本のことを思ってくれた米国のハムが少なからずいたことは忘れるべきではない。

Daveの闘病生活は1年間ほどだったということなので、あの震災のときにはまだ症状は出ていなかったのかもしれない。が、もしかしたら、体調が思わしくなかったのに、震災の惨状を見て、何かをしたいと思ったのかもしれなかった。

奥様は健在でいらっしゃるようなので、是非奥様に感謝の気持ちをお伝え頂きたいとJimに申し上げてお別れした。

また忘れることのできぬ交信をさせていただくことができた。

日本は、地殻・火山活動の活動期に入っている 

今日午後、こちら北関東では、かなりの揺れがあった。

言い古された事実だが、日本は地殻変動、火山活動の活動期に入っている。

日本に壊滅的な被害をもたらしうる地震、火山活動は、その規模にもよるが、首都を襲う地震と、原発近傍の地震、火山活動だろう。

日本が発展途上で、経済的に余裕があれば、多少の被害には対処できるかもしれないが、首都を襲う巨大地震、原発の破壊をもたらす地震、火山活動には、対処しがたいのではないだろうか。

国の安全保障を考えるとき、まず念頭に置くべきはこうした自然災害なのではなかろうか。今後30年間に70%の確率で生じるということは、まず起きると考えておくべきということだ。軍備を増強したり、オリンピックの施設拡充をしたりするために、巨額の国費を費やすのは誤りだ。何時とは言えないが、近い将来、わが国を襲う次の巨大自然災害に備えるべきなのではないか。それをしないと、国家が中から自壊してしまうのではないか。

以下、引用~~~

BPセレクト2014・5・16より 東大地震予知センター長平田教授のインタビュー

「首都直下地震」という名前の地震は存在しない。東京の地下で起きる地震を総称して「首都直下地震」と呼ぶ。文部科学省の公式見解では「南関東でM7クラスの地震が発生する確率は30年以内に70%」。南関東でM7クラスの地震を起こすと言われている地震は、東京湾北部地震のほか全部で18の候補がある。M7クラスの地震は、東京や神奈川などの南関東で平均28.3年に一度起きている。直近では、1987年の千葉県東方沖地震がこれに当たる。今年で25年経つので南関東に地震が起きる可能性は高い。

 小さな地震の発生回数と大規模な地震の発生回数には相関があることが分かっている。東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震発生前の半年間に起きた地震の数は47回。ところが、大地震発生後は343回に膨れ上がった。この数字を基に確率を算定すると、「30年以内に70%」ではなく、「4年以内に70%」と言う数字が出てくる。地震予知に携わる研究者からすれば、「4年以内」と「30年以内」に大きな差はない。どちらにせよ、「明日にも地震が起きる可能性がある」ということだからだ。

 東京では、1923年に関東大震災を引き起こした大正関東地震以来、約90年間大地震が起きていない。東京を大地震が襲わなかったからこそ、高度経済成長期に一気にインフラ投資が進み、経済が花開いた。だが、確率論の観点から言えば「東京は幸運だった」としか言いようがない。いつ東京に地震が襲ってもおかしくない。一人ひとりが地震へ備える必要がある。

ちょっとした怪我と、「閑かなる死」との読後感と 

66回目の誕生日の翌日、ある電気屋さんの駐車場で、転倒した。広い駐車場の真ん中にある車止めに足を取られ、急いでいたためか、身体が一瞬空中を飛ぶようになり、頭頂部からコンクリートの地面にぶつかった。多少出血。いつも患者数の少ないように思えた内科外科の新規開業医を受診した。頭頂部を洗浄してもらい、絆創膏を貼ってもらった。数時間後から、首の痛みが激しくなった。神経学的な欠損症状はなかったので、自宅静養。ようやく少しずつ改選してきたところだ。

ネットの友人にこの顛末を報告すると、皆さんから暖かなお見舞いの言葉を頂いた。それぞれにありがたかったのだが、興味深いことに、お見舞いに添えられた言葉に、いくつかのパターンがあった。一つは、お見舞いだけ。二つ目は、歳を考えろ、年齢を考えて慎重に行動せよというもの。三番目は、どのようにして怪我をしたのか、経過がどうかという気遣いが添えられたもの、四番目は説明したのと違うように受け止めて心配してくれたもの。ありがたく思うと同時に、こうした違いが、各人の個性からくるものだということを感じた。

最近、医療機関にかかることが年に一二度生じるようになった。いつも感じるのだが、患者としての不安、医療機関への期待に応えて頂けぬもどかしさが、正直ある。今回の怪我は大したことはなかったのだが、頭頂部を打ちつけたということは、手で体を支えたとしても、かなりの力が頭にかかった可能性があり(実際、ぶつかった瞬間にごきっと嫌な音がした)、その後に首の症状等が出てくる可能性が高く、それについてみて頂きたかった。が、医師は頭頂部の外傷をちょっと見ただけで、他の診察はなさらなかった。あの時点では、この診察で必要十分だったのかもしれないが、首の症状が出るかもしれぬという説明、さらには神経学的な所見の有無等を見て頂きたかったという気持ちもある。はっきりそれを申し上げなかったのも悪いのだが、なかなか言い出せる雰囲気ではなかった。医師には、患者の症状の背景にある不安と疑問を受け止める余裕が欲しいものだ。他の場合でも、これは良く感じるのだが、これが実現しない背景には、医師患者関係のどこに問題があるのか、または医師の置かれた医療状況がそうさせているのか・・・。今回のたいしたことのない外傷でも感じたのだから、生命にかかわる病気であれば、この疑問はさらに深まるに違いない。

最近、黒柳弥寿雄という外科医の書かれた「閑かなる死」という本を読んでいる。彼が、外科医として経験した、がん告知をした方々の記録と、その時々の感想が綴られている。この本が書かれたからもう四半世紀経つのだが、がん告知、または予後絶対不良の病気の患者さんへの告知にういて、本質的なことは変わっていないだろう。外科手術が患者に対して用をなさなくなったとき、外科医は患者と人間として相対することになる、ということだ。がん告知という医師患者関係の基本的な行為も、患者、家族には、複雑な影響を及ぼす。そこで外科医ができることは、患者の語ることに耳を傾けることだ、というのだ。患者が死に至る過程を科学的な目で冷静に観察しつつ、そのこころに寄り添おうとする意思が、この著者に感じられる。寄り添うと言うことが、とても難しいことであることを嘆きつつも、著者の眼差しは、患者のこころに向かっている。

黒柳氏は1925年生まれとあるので、ご存命だるとするともう90歳。実は、大学オケの後輩でバイオリンを弾いていた、黒柳氏のお嬢様が、この本を10年ほど前に恵与くださったのだ。彼女の父上である黒柳氏は、その当時すでに他界されていたのではなかったか。その当時は、私は、忙しかったこともあり、また医療関係者の内情本の一つか、という程度にしか受け取らず、本棚にしまいこんでいた。だが、この年齢になって、患者さんの気持ちが多少わかるようになり、しっかりと読み返してみると、死という現実に患者とともに対しようとする著者の誠実さにこころ打たれる。少し遅きに失しているが、自分なりに自分の問題として、最後の時の過ごしかたを考えて行きたいものだ。

追補;
患者に寄り添う医療というキャッチフレーズも良く目にするが、実際のところ、医師が患者に寄り添うだけの時間、経済的余裕がなくなっているのが、実状なのではないか、というのが率直な感想だ。黒柳氏は、すぐれた臨床家であり、患者の気持ちに寄り添える人間性を備えた方だったのかもしれないが、医療事情は、彼が医療を行っていた時代と、現では大きく異なる。「医療の生産性向上」という掛け声により、入院期間の短縮がどんどん進められていること等から、それが分かる。医療費削減は、こうした医師患者関係にも大きな影響を及ぼしているのではなかろうか。

新たな「基金」が、医療機関に強制力を及ぼす 

亀田総合病院地域医療学講座と、千葉県の医療行政との軋轢について、小松秀樹氏が
MRICで記している。千葉県のやり方に憤懣やるかたない小松氏の憤りが、良く分かる。

彼の記事のなかで、私の注目を引いたのが、本来医療機関収入になるべき診療報酬の消
費税分を元手に立ち上げられる新たな「基金」に関してである。

要するに医療機関から金を出させて、地域病床の配分、医療機関の機能変更等を
「強制的に」行わせる、行政組織を立ち上げる、ということだ。

県単位で行政の言うことを聞き入れぬ医療機関には、診療報酬上のペナルティを課すという
提言が、財政審から成されたが、それとこの話は、一致する。そのペナルティを課すのが、
この基金の役割なのだ。

これに先立って、国保が、市町村から県単位に移行した。これも、上記の動きと一致する。

行政は、大学医局の人事権をはく奪し、さらに医療機関への強制力を手に入れた。それが、
医療をどのように変えてゆくのか、大きな憂慮を持って見守ることにしよう。こうした「基金」
には、当然行政の天下り等の利権があるのだろう。行政の責任は重大だ。

以下、MRICより当該論文の一部を引用~~~


亀田総合病院地域医療学講座の苦難と千葉県の医療行政(3)


亀田総合病院地域医療学講座プログラムディレクター
小松秀樹

2015年5月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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◆消費税増収分を活用した基金
今回の事例が示すように、県の補助金は有効に使えない。しかし、国は病院の収入を奪って、補助金に振り替えようとしている。
2013年8月に発表された社会保障制度国民会議報告書では、誰にでも必ず訪れる死を前提に、それを忌み嫌うのではなく、穏やかな死を迎えられるよう、社会が個人を支援していくとしている。筆者は、この方向に全面的に賛同するものである。しかし、これを実現するために、厚労省は、一貫して「強制力」を強めようとしている(4、5)。都道府県の権限を強め、「病床機能報告制度」と「地域医療ビジョン」によって、かつての共産圏の統制経済のように、行政は医療の需要と供給量を決めようとしている。一方で、消費税増収分を活用し
た基金を創設した。
病院の購入する物品やサービスに消費税がかかっているにもかかわらず、診療報酬に消費税がかけられていない。消費税率引き上げ分が診療報酬に十分に反映されていないことを合わせると、この基金は、病院の収益の一部を取り上げ、それを、支配の道具に使う制度であり、再投資の判断を経営者から行政が奪い取るものである(6)。

2014年4月の診療報酬改定と消費税率の引き上げで、日本中の医療機関の経営が悪化した。基金として厚労省が配分しても、その金は極めて使いにくい。間に県が入ると無駄にしか使われない。基金は厚労省と県の役人の権限を増やすだけにしかならない。医療に関する知識、技術、環境は大きく変化する。サービス向上のためには、世界を認識し、必要に応じて迅速に自らを変えていく必要がある。しかし、行政組織は権力の暴走を防ぐために、様々な法律上の制約を課されている。しかも、無謬を前提とする。事実の認識に基づいて、安易に改善を図ることは許されていない。
行政が直接サービスを提供すると、サービス向上が望めないばかりか、費用がかさむ。権力を持つが故に、自らを甘やかすからである。千葉県の平成24年度病院事業会計の決算見込みによると、病院事業全体で、収益440億円、費用427億円で13億円の黒字だとしている(http://www.pref.chiba.lg.jp/byouin/pre
ss/2013/24jigyoukessan.html)。しかし、収益の内106億円は負担金・交付金すなわち税金であり、民間と同じ言語を使うとすれば、93億円の赤字となる。民間病院なら1年持たずに倒産する。これを黒字と説明している限り、事実の認識に基づいて改善努力を続けるなどできるはずがない。日本の医療は私的セクターの関与が大きいが故に、比較的小さい費用でサービスが供給されている。

戦争法案が成立する 

戦争法案が、形だけの国会討論を経て、成立しようとしている。

国家存立危機事態と、国会の承認が、集団的自衛権行使の歯止めになると、安倍首相は言う。

が、国家存立危機事態など、抽象的な概念で、どうにでもなる。過去の戦争は自衛のためと称して行われてきた。

国会の承認も、秘密保護法により事態の正確な把握ができないなかで行われるわけで、形式的なものに過ぎない。

これが、戦争法案でなくて何であろうか。

ガイドラインの見直しとともに、これらの法案を考えると、米国の世界戦略に軍事的に加担するための法案であることが明らかだ。安倍首相は、中国の脅威を強調するが、集団的自衛権行使のための諮問会議、法制懇を立ち上げたのが、温家宝首相の来日した丁度その月であったことから分かる通り、中国の脅威の大半は集団的自衛権行使の口実に過ぎない。戦争をする国に、わが国を変貌させようという強い欲求が、安倍首相にはあるのだ。

次に挙げる法案を、三か月弱の期間で国会で審議し、通す積りらしい。国の形を根本的に変える、これら戦争法案を、国民の議論なしに通して良いものだろうか。これから国を担う世代の方々、これらの法案はあなた方とお子さんの世代に、大きな負担、最終的には命の犠牲を要求するものとなる。よくよく考えた方が良い。

「志村建世のブログ」から引用・・・

国際平和支援法案 自衛隊を海外に派遣するための法案で、これまでは個別に法律を作っ て対応してきたものを、恒久法にして使いやすくする。
 以下の法律は、現行法の改定になる。
武力攻撃事態法 集団的自衛権の行使が加わる。
重要影響事態法 周辺事態法の名称を変えて、世界のどこでもよいことにする。
PKO協力法 活動範囲を拡大する。
自衛隊法 在外邦人の救出や米艦防護を任務に加える。
船舶検査法 外国船検査の範囲を拡大。
米軍等行動円滑化法 「等」を加えて米軍以外の他国軍にも適用。
海上輸送規制法 外国軍用品の輸送規制を追加。
捕虜取り扱い法 (こんな法律が出来てたのを知らなかった!) 
特定公共施設利用法 米軍以外の他国軍にも利用させる。
国家安全保障会議(NSC)設置法 審議事項に「存立危機事態」を追加。

家族でアンサンブル参加 

庭仕事と楽器の練習に明け暮れて、いつの間にか一週間このブログからご無沙汰をしてしまった。安保法制のことやら、信州で高齢で亡くなった親戚の方のことや、記したいことはあるのだが、忙しさと、書くモチベーションが下がってしまい、実現できていない。県単位での「医療改革事業」という行政主導のトンでもない、行政の利権のための事業も進められようとしている。

昨日、守谷市の方で立ち上げられたアンサンブルに、家内、娘と三名で三かしてきた。昨夜が初めての練習会。指揮をなさる方が、以前別な地域オケでお世話になった方で、彼からお誘いを受けたのだ。白内障で譜面がよく読めず、さらにフィンガリング(楽器の指使い)を決めてもしばらくすると忘れる、という老化現象そのものが目立ってきたため、一旦はどうしようかと迷ったのだが、彼や集うことになっている方の暖かな雰囲気と、演奏するバッハの管弦楽組曲1番という曲目に惹かれた。さらに、家族に話したら、彼らが乗り気になってくれたことも背中を押してくれた。

仕事を早めに切り上げて帰ってきた家内を乗せ一路294号線を南下。後部座席には、私のチェロ、それにしばらくぶりに娘が弾くバイオリンで満載。294号線を走るのは、2年ぶりくらいか。昔は、まっすぐに南下するこの道を走り、谷和原から常磐道で東京に良く向かったものだ。所々、二車線に拡幅されていたが、周囲の田畑、街並みはあまり変わらず。守谷市内に入り、混雑。守谷駅手前で右折し、目指す公民館へ。駐車場には、自分のアパートからすでにやって来ていた娘が待っていた。三名で練習会場にそっと入ると、すでに練習が始まっていた。

指揮者を囲んで、序曲の中間部分を演奏していた。弦は私達を含めて五名。管も五名で、オーボエ、バスーンそれにフルートがそろっていた。フルートは、第二オーボエのパートを吹いている様子。二、三の方を除いて、以前のオケで顔見知りの方ばかり。指揮者のI先生は、もう50歳台半ばだろうが、昔通りのダンディさである。私たちが加わったことで、予定されていた全員が集まったようで、自己紹介。その後、ほとんど休みなく、全曲を一気に演奏した。この曲は、これまであまり知らなかったのだが、バッハの曲としては、情感の深い部分に訴える要素が少ないように思えた。しかし、やはりバッハである。ハ長調という調性のためもあるかもしれないが、堂々たる風格の舞曲が並ぶ。ところどころで、譜面の見誤りをしたりしたが、大いに楽しめた。演奏に費やすエネルギー量は昔と変わらないのに、こちらのエネルギーが減って来てる。大いに汗をかき、最後には疲労困憊であった。終わってから、I先生にご挨拶。

帰路、途中で、こちらの地域オケに来ていたころいつも寄っていた、「魚平」という寿司屋さんに寄り、三人で遅い夕食を取った。娘、家内ともに楽しんだ様子。とくに家内にとっては、仕事と地域に付き合い以外の社会的な活動はこれまで皆無であったため、大いに刺激になった様子だった。楽器をまだまだ練習しなければならないし、仕事との兼ね合いが難しいが、一緒に通い続けよう。娘も昔は人見知りだったが、積極的にこうした場に出てくるようになり、成長したと改めて感じた。私は、やはり白内障を早く手術すること、さらに楽器の練習にもう少し時間をかけることか。家族でアンサンブルに加わる、この夢がようやく曲がりなりにも実現した。ありがたいことだ。、

老化に伴う独語をするようになったら、無線から引退するということ 

しばらく前から、CQに対するコールは、1、2割。その内、会話的な交信が、1、2割。その内、ちゃんとした会話になるのが、。1、2割。まさに、砂浜で金の砂を探すがごとき状態だ。特に、夕方日の暮れるころ、7メガで北米に向けてCQを出しても、殆ど応答がない。1時間近くCQを出し続けたことが何度かあったが、コールが皆無なので、もう諦めの境地。こちらが、午後9時から10時頃の7メガの方がまだ打率は良い。

それはもう以前から分かっていたことだが、問題は、会話的な交信だが、会話になっていないものが多数あると言うこと。一見会話風の交信の多くは、単にQSLを求めての交信であることが多い。会話にはならない。それはそれで仕方ない。

が、もう一つ、同じカテゴリーに、長々と独語を始める方が結構いる。5分間なんてのはざらで、場合によっては10分近く独演会を聴かされることがある。特に、相手の方について良く分かっていれば、興味をもって聞いていられるのだが、良く知らない方の場合、必ず眠気を催す。実際、意識を失うことがしょっちゅうある。too many topicsとかそれとなく、独語になっていることを申し上げることもあるのだが、それで解決するような相手ではないことが多い。

このような方は、高齢の方に多い。老化が進むと、周囲への活発な関心が薄れてしまうのだろう。その関心を抱き続けるのは、心理的なエネルギーがいるし、ある程度の記憶力、認識能力が必要になる。残念ながら、老化は、そうした能力をそぎ落としてしまうもののようだ。無線でまだ見ぬ友人を作り、彼らと積極的な関わりを持つことが、逆に老化を防ぐことにつながるのかもしれない、とも思うが、残念ながら、そうした事例にはあまりお目にかからない。

会話に持ち込もうと、質問を一つすると、その答えが、また数分間続く。双方向生のやり取りを成立させるのは、難しい。

私も、そう遠くなり将来、モノローグを続けることになるのかもしれない。そうしたら、無線からはキッパリ縁を切ろうと思っている。ただ、問題は、そうした状況になったことを認識できるかどうか、そして会話のない交信になったら、無線から足を洗うという決意を思い出すことができるかどうかである。