これで環境相が務まるのか? 

ICRPの定めた放射線被ばく許容量、20mSvは、緊急時、1mSvは平常時である。発がんの確率をもとに、こうした値を決めている。1mSvでは、発がんリスクが大人で1万人に一人となる。子供の場合は、その数倍。

丸川環境相は、1mSvの許容量を「(民主党政権の細野担当大臣が)何の科学的根拠もなく急に言っ(て決め)た」と決めつけた。今日の予算委員会で、この発言を陳謝したらしい。

自民党の若手議員、大分質が落ちているのではないだろうか。このように基礎的なことも知らないで、環境相をしているとは驚きだ。

また、読売新聞がこの値を達成困難な目標で、復興を遅らせている、というのは、あまりに手前勝手な言いぐさではなかろうか。故郷を汚染された人々の目線ではない。

以下、引用~~~

除染基準「根拠ない」…環境相が講演の発言陳謝
2016年2月9日(火)22時14分配信 読売新聞

 9日の衆院予算委員会で、東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う除染の実施基準に関し、丸川環境相が自身の発言を陳謝する場面があった。

 丸川氏は7日、長野県松本市で講演し、国が除染の実施基準を年間被曝ひばく量「1ミリ・シーベルト以下」としていることについて、「どれだけ下げても心配だと言う人たちが騒いだので、その時の細野環境相が何の科学的根拠もなく急に言っ(て決め)た」と述べた。

 予算委では、民主党の緒方林太郎氏が「揶揄やゆするような言い方が被災地の気持ちを害している」と批判。丸川氏は「なぜ1ミリに決めたのか十分に説明し切れていないと(いう趣旨で)言った。誤解を与えたなら、言葉足らずだったことにはおわびしたい」と陳謝した。

 ただ、除染の枠組みを作った民主党政権は元々、国際放射線防護委員会(ICRP)の基準に沿って、年間積算線量が20ミリ・シーベルト未満なら居住可能との見解だった。徹底除染を求める地元の要望を受け、1ミリ・シーベルトとした経緯があり、政府内には「達成困難な目標が今も住民の帰還を阻み、復興を遅らせている」との声もある。

電波を停止させる、という恫喝 

放送事業者にとって、電波停止を行政から言い渡されることは、事業を止めろと言われることだ。医療機関が、保険診療停止を言い渡されることと同じだ。または、それ以上の影響がある。

高市総務相は、「政治的に偏向した内容の放送を続ける場合」電波停止を命じることもありうると述べた。

以下、引用~~~

高市総務相、電波停止に言及 公平欠ける放送に「判断」
朝日新聞デジタル 2月8日(月)23時35分配信

 高市早苗総務相は8日の衆院予算委員会で、放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法4条違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性に言及した。「行政指導しても全く改善されず、公共の電波を使って繰り返される場合、それに対して何の対応もしないと約束するわけにいかない」と述べた。

 民主党の奥野総一郎氏が放送法の規定を引いて「政権に批判的な番組を流しただけで業務停止が起こりうる」などとただしたのに対し、高市氏は「電波法の規定もある」と答弁。電波停止などを定めた電波法76条を念頭に、「法律は法秩序を守る、違反した場合は罰則規定も用意されていることで実効性を担保すると考えている」と強調した。

 そのうえで高市氏は、「私の時に(電波停止を)するとは思わないが、実際に使われるか使われないかは、その時の大臣が判断する」と語った。

 放送法4条は放送の自律を守るための倫理規範とされてきたが、高市氏はNHKの過剰演出問題で、行政指導の根拠とした。この点についても「放送法の規定を順守しない場合は行政指導を行う場合もある」との考えを重ねて示した。

 「政治的な公平性を欠く」の事例については、「国論を二分する政治課題で一方の政治的見解を取り上げず、ことさらに他の見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当時間にわたり繰り返す番組を放送した場合」などと列挙。「不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められるといった極端な場合には、政治的に公平であるということを確保しているとは認められない」とした。

引用終わり~~~

放送法4条は、以下のような条文である。

(国内放送等の放送番組の編集等)
第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

引用終わり~~~

この条文は、規範規定であることを、高市総務相は取り違えている。

政治権力を持つものが、「政治的公平さ」を判断し、処分を下すことはあってはならない。

放送法3条に下記の規定がある。

第三条  放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。

引用終わり~~~

電波法、放送法は、放送の政治的公平性を維持することを目指しつつも、権力の放送内容への干渉を排除する姿勢で貫かれている。総務相には、政治的公平性という観点から、直接放送事業の停止を決める権限はない。電波監理委員会等の検討が、当該事案に対して行われることになっている。

権力を持つ内閣の一員が、放送事業者に向けて、その免許の停止の可能性について言及することは、それだけで、事業者への恫喝になる。放送現場を委縮させる効果がある。高市総務相は、それを狙って、こうした答弁を行ったと考えざるを得ない。権力を傘に着た民主主義への挑戦である。政治家として品位に欠ける。

別に芸能人だからというわけではないが・・・ 

沖縄で結成されたSPEEDというグループの一人、今井絵里子氏が、参議院選挙比例区代表候補として自民党から担がれることになったらしい。

昨年夏には、彼女はネット上で安保法制を批判するような言動をしていた。沖縄出身者として、戦争に異議を唱える発言も繰り返してきた。その彼女が自民党から立候補するというのは、理解に苦しむ。

自民党は、沖縄の島尻安伊子議員(現、沖縄北方担当相)を何とか当選させたいと考えているらしい。島尻議員は、普天間基地の辺野古移転に反対・消費税増税に反対して、前回選挙で自民党から再選したが、その後あっさり宗旨替えをして、移転を推進する立場で政治活動を行っている。島袋議員を沖縄で当選させるための「タマ」として今井氏を利用する魂胆のわけだ。

沖縄の人々は、自民党による自らの扱いを忘れるべきではない。

今井氏擁立の舞台裏について、リテラに述べられている。こちら。

彼女以外にも、自民党は芸能界やスポーツ界から候補者を出すらしい。政治畑以外から政治に進む人がいてもいいとは思うのだが、これまでそうした経歴の政治家できちんとした政治活動をしていると思われる政治家は極めて少ない。選挙に勝つための「コマ」にさせられているのが大半だろう。

こうした構図は、国民の政治への不信を強める。

安倍首相、NSCの画像を公開する 

北朝鮮が弾道ミサイルと思われるロケットを発射した。政府、自衛隊は、あたかも我が国が攻撃されるかのような騒ぎだった。

TBSニュースによると・・・

安倍総理は7日に開催したNSC(国家安全保障会議)の閣僚会合の写真を自身のフェイスブックなどに投稿しました。国の安全保障に関する非公開の会議の写真を公開するのは極めて異例ですが、総理周辺は「国民の不安を払拭するために総理の強い意思で公開に踏み切った」と話していて、政府は国民の動揺を抑えながらアメリカや韓国など関係国と連携して対応していく方針です。(07日17:06)

引用終わり~~~

国民の動揺を抑えるのは結構なことなのだが、まるで戦時下の大本営と、その総司令官という立ち回りではないか。

実際に核戦争になったら、数発の核爆弾搭載ミサイルとともに、通常火薬を積んだミサイルが多数同時に我が国をめがけて飛んでくる。イージス艦の弾道ミサイル防衛、PAC3のような着弾近傍での防衛は役に立たないと言われている。せいぜい数十発の防衛のロケットで狭い範囲を防衛するに過ぎないわけで、長期間にわたって我が国全土を防衛する等不可能なのだ。

北朝鮮のような独裁国家が、暴走をしないように対処をすることが、政治には求められている。核戦争になったら、日本はまず生き残れない。

弾道ミサイル防衛構想も、2002年に米国が反弾道ミサイル条約から脱退してから、政府が莫大な予算をつけ、進展させてきた。だが、防衛と攻撃とが互いを凌駕しようとする際限のない軍拡が、進行している。ミサイル防衛も、宇宙軍拡にまで突き進んでいる。宇宙空間では、核爆発が地上の放射能汚染をすぐにはもたらさないために、核戦争を抑止する閾値が低い、と言われている。きわめて危険な状況が出現し始めている。

この際限のない軍拡は、軍需産業にとっては、またとないビジネスチャンスなのだろう。武器輸出にも熱心な安倍首相であるから、こうした危機の演出は、軍需産業の広告塔としては欠かせないものなのだ。国民が、この演出された危機をどのようにとらえ、また政府の進める軍拡を是とするか否かが問われている。

中間層が、新たなフロンティアになる 

同一労働同一賃金は、非正規雇用の労働者の賃金を、正規雇用の労働者賃金に合わせることかと思いきや、どうもそうではないらしい。これを実現するための法律では、与党の要求によって「職務に応じた待遇の均等の実現」が「均等および均衡の実現」に修正されたからだ。均衡待遇とは、正規雇用と非正規雇用の賃金格差を、正規雇用の賃金を下げることによって実現しようということを意味する。下の雇用条件に合わせることによって、賃金格差を解消する、という雇用側に有利な改訂になる可能性が高い。

非正規雇用で問題なのは、以下に述べるその多さだけでなく、人材派遣業者が動労者を常時雇用する常用型ではなく、派遣の際だけに給与を支払う管理型が多いことだ。これは、人材派遣業者に雇用による負担をせずに済ませる制度であり、非正規雇用労働者にとってはきわめて不利である。こちら

非正規雇用は、毎年増え続け、平成26年度には37%を超えた。非正規雇用の大きなソースは、人材派遣業である。我が国の人材派遣業者数は、諸外国と比べてもダントツに多い。少し古いデータだが、労働政策研究・研修機構が調べた1996・2006年度の比較データがある。同業者数が諸外国に比べて多いだけでなく、その伸びもダントツである。こちら。経済財政諮問会議のメンバーに、人材派遣業の大手パソナの会長たる竹中平蔵氏がおり、彼は「正規雇用をなくしましょう」と堂々と述べている人物である。非正規雇用を推進するのは、経済界・政権が望むところであるわけだ。その理由は、労働形態の多様化などでは決してなく、あくまで人件費の削減により、企業が潤うためであることが明らかである。

TPPが発効したら、グローバリズムが我が国の労働界にも波及し、我が国の労働者に発展途上国の労働条件が科せられることになる。そうでなければ、企業に「競争力」が生まれない、という論理だ。かくて、グローバリズムは、我が国の中間層を搾取することになる。開発途上国という旧来のフロンティアを失い始めた資本主義が、中間層に新たなフロンティアを見出し、そこで利潤を得ようとするわけだ。

暴力団まがい 

建設業者への口利き疑惑の渦中にある、甘利元経済財政担当相。

彼は、2000年代に、原発政策を推進する実務上の立場にあり、東電福島第一原発事故を未然に防げる立場にあった。こちら。実際、深刻事故が起きると、逃げ回り責任を取ろうとしない。

今回の口利き疑惑では、秘書がURと12回面談し、「甘利の顔を立てろ」等と言ったらしい。直接の口利きではなかったとUR側も言っているらしいが、それではとてもすまされない。暴力団の威嚇と同じやり方だ。秘書は、業者とずぶずぶの関係で、接待漬けだったようだ。よもや甘利氏本人は関わっていなかったとしても、甘利氏の「監督責任」は重大であり、また大臣室で金を受け取りながら、領収書も出していない杜撰さが甘利氏にはあった。これほど時代錯誤と思われる政治手法を、政権中枢の政治家であっても取っていたことに愕然とする。

TPPは、いわばグローバル企業が、国境を自由に超えて利潤追求を行えるようにする仕組みづくりだ。基本的に、グローバル企業の「顔を立てる」内容になっている。国民生活に根本的な影響があるはずなのに、国会では、TPPの枠組み作りの議論がなされていない。甘利氏は、その枠組み作りを一手に任されてきた。

その人物が、業者との関係でこれほどルーズだとしたら、グローバル企業と間で表にならぬ形でどれほど「斡旋利得」行為をしているか、想像するだけで、気分が悪くなる。「顔を立てる」だの、右翼上がりのブローカーと会って金を受け取るだの、一国の経済財政政策を担う人物、その秘書が言ったり行ったりすべきことではない。一国の政治が、このような人物とその配下の人間に左右されているとすると、国民にとって大きな不幸だ。

この事件を経て、安倍政権の支持率は全く減る気配がないらしい。マイナス金利導入といった他の出来事に隠れてしまっているのか。一部の政治家、マスコミが、甘利氏は被害者だという擁護論を唱えており、それに騙されているのか。それとも、国民の「民度」がこの程度なのか。この斡旋利得罪の疑いのある政治家の行為が自分たちに関わらないことだと考えているのだろうか。



マイナス金利導入のもつ意味 

日銀が、当座預金の一部にマイナス金利を導入することを決めた。これは、量的金融緩和の効果が表れず、「デフレ」から脱却できないということを、日銀自身が表明したことに他ならない。インフレターゲットの達成は、さらに2年引き伸ばされた。日銀は、いよいよ手詰まりになっている。こちら参照。

マイナス金利の導入は、市場にさらに資金を流し込み、それによって需要を喚起しようということなのだろう。だが、すでに資金は市場にじゃぶじゃぶに出回っている。さらに、高齢化、人口減少、さらに実質賃金の低下によって国内需要は、先細りだ。金利面から金融緩和を行っても、問題は解決しない。それどころか、この金融緩和策は何らかのバブルを引き起こす可能性があり、バブルが破裂する際には、リストラ等によって、一般市民がさらに被害をこうむる。また、未曾有の金融緩和策は、日銀の信任を失墜させ、円が暴落するという事態を招く可能性がある。

水野和夫氏が「資本主義の終焉と歴史の危機」で述べている通り、金利の低下は、資本主義というシステム自体の破たんを意味しているのかもしれない。いくら投資をしても、それに見合うだけの収益が得られなくなっているためだ。彼によると、資本主義は、常に「フロンティア」を求め続け、それによって「成長」を続けてきた。「フロンティア」は、1970年代までは地理的な市場の拡大であり、そこで資源労働力を安価に得ることであった。しかし、1990年代のIT導入による国際金融市場の出現により、市場は「地理的・物理的空間」から「電子・金融空間」に移行した。それはグローバル経済を生み出し、新たなフロンティアを国境で定義される空間ではなく、経済的な中間層に見出した。かくて、グローバル経済のもとに、富の偏在が世界的な規模で起きるようになった、ということだ。

グローバル経済が、成長を錦の御旗にして、世界を席巻している。それが、このとめどない金融緩和をもたらしている。実体経済に必要な資金を大幅に超える資金が、「電子・金融空間」にじゃぶじゃぶに流し込まれている。それが金融市場をきわめて不安定にしている。それによって、犠牲になるのは、各国の中間層である。それを国民は知らされていない。

いつものことながら・・・ 

CWopsのMLの配信を一旦停止とした。例のCWTの結果だけのメールが余りに多い。で、いっそのこと配信停止にしてしまったということだ。MLも関心のない内容であると、目障りなだけだ。

それはさておき、やはりコンテストは、それ自体ラグチュワーだけでなく、ごく普通の交信を楽しむハムを追いやってしまう。コンテストの前後で、普通の交信が聞こえなくなる。コンテストが行われるとなると、その前からオンエアーをしなくなるだろうし、またコンテスト後にはしばらく出なくなる。そうではなくても、普通の交信を楽しむ人々が少なくなってきているのだから、このコンテストによる抑圧効果は結構効いてくる。

先日もJack WA7HJVと話したことだが、近い将来、普通の交信をする相手を見つけるのが、きわめて困難になることだろう。おそらく、クラブのロールコールや、スケジュール交信しか存在しなくなるのではあるまいか。このところ、CQは出しても、2,3回までに制限している・・・続けても相手のいない現実は変わらないから・・・のだが、一昨日、7メガの夕方とても静かなバンドだったので、30、40分CQを出し続けた。だが、コールは一つもなし。

この現象は、以前から記している通り、この数年間に目立つようになってきた。定量的なデータを取っているわけではないし、私個人の感想に過ぎないのだが、普通の交信をする局がめっきり減ったというよりも、居なくなった、というのが率直な感想である。おそらく、JAでは普通の交信をする局のかなりが和文専門になったのだろう。Wでは高齢化か。夜早い時間帯に、夕方7メガに時々出てくる、Tom W6XFも、CQへの応答がないといつもぼやく。そこに、コンテストのインフレーションである。毎週末は、何らかのコンテストが複数!開催され、毎水曜日にはこのCWTが細切れとはいえバンドを席巻する。コンテストによって、普通の交信をする局のactivityが落ちた可能性も十分ある。理由は何であれ、このactivityの低下は、さらにactivity低下をもたらす。悪循環である。

この悪循環を断ち切るとまでは言わないまでも、それを促進するようなイベントを開催するのは、CWクラブには止めてもらいたいものだ。

原子力損害賠償・廃炉等支援機構 

東電は、原子力損害賠償・廃炉等支援機構から莫大な財政支援を受けている。すでに5兆円を越えているこちら

この「支援金」どこまで積み上げられるのか。電力会社・原発関連企業のモラルハザードになっているのではないだろうか。いざというときには、こうした支援を受けられるのだから、原発再稼働をどんどん進めようという経営判断につながっているのではなかろうか。

このお金は結局税金、または電気料金で我々が支払うことになる。

近況 

昨日、眼科を受診した帰り道、少し遠回りをして、以前仕事をしていたころ、帰途毎日のように通ったスーパーマーケットに寄ってみた。ところが、その駐車場は囲いがなされ、建物は真っ暗、看板も取り払われている。廃業したのだろう。今年になって一度買い物に寄っているので、この2,3週間の出来事だったのだろう。

あの大震災の際には、内部はだいぶ壊れたらしく数週間閉店していたが、その後復活した店だった。確かに客の入りはイマイチだったが、コンスタントに客はいたような気がする。患者やその親御さんとも良く行きかった場所だった。このスーパーマーケットで働いていた人たち、特に臨時雇いの方々はどうなったのだろう。昔患者だった子供たちが高校生になり何人もここでバイトをしていた。レジでてきぱきと仕事をする彼らを見るのはうれしかった。近くの別の店は、震災後閉店してしまった。ここで普段買い物をしていた高齢の方々はこれからどうなるのだろうか。数kmの範囲にはスーパーマーケットはない。それほど過疎の地域では決してないのだが、小売業がこの調子で廃業してしまうと、高齢者には生活しにくくなる。

この店の廃業は、世の中ではありふれた出来事の一つかもしれないが、私がかって毎夕のように通った店がなくなる、ということは、多少のショックだった。ここ以外にも、過去20年間にはいくつもひいきにしていた店が閉じている。少し大げさになるが、人生で物事の移ろいやすさを改めて感じる思いだった。だが、考えてみると、自分もその「移ろう存在」であり、ここからいつ失せることになるかも分からないわけだ。そう考えると、移ろいやすさは、まず自分自身にあるということかと、苦笑いせざるを得なかった。

帰り道のわきに、以前にもここに画像をアップした弁天塚古墳がある。きれいに下草がかられ、落葉した樹が数本小型の円形古墳を覆っていた。日差しはまるで春のようだった。ブラームスの弦楽五重奏曲1番や、バッハの管弦楽組曲2番等々を大音量でかけながら、この畑道を突っ走ったものだった。移ろうことと、その思い出と、どうも過去のことばかりだが、年齢のなせることなのだろう。仕方あるまい。

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明日は、ほぼ一年ぶりにピアノトリオの練習だ。