輝かしい時代を終えようとするアマチュア無線 

この週末、中部カリフォルニアのVisaliaでDXconventionが開催されている。ここは、南部と北部の丁度中間地点にあたるということで、開催地になっていると聞いた。facebookでは、さまざまなアイボールの写真がアップされている。DXerとはあまり交流がなくなってしまったが、中には顔見知り、友人もいる。総じて・・・高齢化している(苦笑)。一頃、Visaliaに来ないかとよく声がかかったが、それもあまりなくなってしまった。W6YA Jimと先日会った時にも、それらしいことを言われたが、私の腰が重いことを知って、あまり勧めてこない。7、14メガともに、この週末は、普段にもまして北米はがらんどうの状態。

先日、昔の写真を見ていたら、1988年にカリフォルニアを訪れ、W6CYX Bob宅にお邪魔した時の写真が出てきた。Bobはパーティを開催してくれ、昔懐かしい今は亡きKD6SU John、そしてSteve夫妻が映っていた。Steveは、すでにメラノーマが進展し、るい痩が進み、いかにも大変そうだった。だが、Mantecaからキャンピングカーを引っ張って会いにきてくれたのだ。翌年の春には亡くなったのではあるまいか・・・。今であれば、オプジーボ等で治療ができたであろうに・・・。こうして集まりを開いてくれたBob、それに会いに来てくださった友人たちの厚意を思い、改めて胸が熱くなった。

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左からBob N6EA(彼もSonoraからわざわざ来てくださったのだった・・・忘れていた)、私、Steve、Karen。彼ら以外に、Bob夫妻、JH0FBH、KD6SUとその友人もいたわけで、これだけの大人数のパーティを準備してくれた、Bob夫妻に改めて感謝だ・・・。

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翌朝、Steve夫妻が帰路につく前に、Steveのキャンパーの前で。

QRZ.COMで時々昔の知り合いのコールを検索することがある。Steveの奥様Karen、長男Markがまだ無線をやっているか調べてみた。奥様のコールはヒットせず。Markのコール、KA6NHKは生きていた。でも、ほとんど検索された様子がないので、activeには出ていないのだろう。1984年MantecaにSteveを訪れた際に、目礼だけしたのを覚えている。いつか便りをしてみよう・・・。

かってactiveに出ていた友人たちも、櫛の歯が抜けるように、一人一人と亡くなって行く。それは、私の友人関係だけではなく、アマチュア無線全体にも言えることなのかもしれない。あのVisaliaの楽し気な集まりも、あと10年もすると確実に規模の大幅な縮小、ないし、もしかすると、中止になっているかもしれない。それが時代の流れなのだと改めて思う。大きな設備を使って、短波帯で世界中と交信する楽しみは過去のものになりつつある。

余計なことを一言付け足すと、ありがたいことに(もちろん皮肉・・・)、JARLと当局が、そのあと押しをしてくれている、というわけだ。JARLは、自ら緩慢な自殺行為をしているのが分からんのかね・・・あの新スプリアス規制・・・ま、これがなくても、徐々にアマチュア無線が衰退するのは確実なことだが。

悲しみ・喜びの対比の彼岸にあるもの 

吉田秀和という音楽評論家のことを何度かここで記した。

彼の評論集の一つに「たとえ世界が不条理だったとしても 新 音楽展望 2000-2004」という本がある。

朝日新聞に1971年から寄稿してきた音楽評論のうち、2000年から5年間分をまとめたものだ。このタイトルは、2003年に半世紀近く連れ添ってこられた奥様に先立たれ、世界の不条理に直面した経験から来ているのだったと思う。奥様の死から時間がたち、普段の生活、楽しみ等が戻ってきた。だが、奥様との死別というような不条理と思われることと同様に、そうした日常はやはり故あることではない、という心境に至ったことも彼はどこかで記している。

そうした不条理のなかで生きる上で、音楽が条理の存在を指し示しているように思えた、という心境になった。それで、再び評論の筆を執った、ということだった。音楽が生きる力を与えてくれたという消息だったのだろう。

というのは前置き・・・この評論の最初に、「長調と短調」という題の文章がある。高名な政治学者丸山真男とある集まりで隣り合う。丸山は、吉田にモーツァルトの長調の作品を取り上げ、モーツァルト作品の晴れやかさについて語った。小林秀雄の「走る悲しみ」というフレーズを念頭においてのことだ・・・吉田自身は、この小林のフレーズが気に入らないようで何度か別な評論で批判をしている・・・。丸山のその言葉を受けて、吉田は、音楽において長調と短調が存在し、それらが混然一体となって、悲喜・明暗といった対比の彼岸にある音楽を形作ることを述べている。長調の音楽であっても、悲しみをたたえている作品がある、というのだ。以前、私がバッハの管弦楽組曲2番に抱いた感想そのものだ。対比の彼岸かぁ、言いえて妙な表現だなと改めて感心した。

人生、生きていくと、悲しむべきことと喜ばしいことが隣り合わせ、一体になっていることをしばしば経験する。そうした事情を、音楽は反映しているのかもしれない。

管弦楽組曲のポロネーズ、とくにそのドゥーブルを聴いてみる。優雅に踊るなかに、悲しみの感情が隠されている。あぁ、また流れるようなフルートに合わせてみたいものだ・・・。練習、練習・・・

政府関係者・官僚への記者会見 

財務省福田前事務次官のセクハラ問題について・・・

この女性記者は、何故福田前次官と一対一で会っていたのか?上司は、どうして記者を庇わなかったのか、という発言がネットで見られる。

それに対する解答の一つが、望月衣塑子記者のtweetで明かされている。

「セクハラ被害を訴えたテレ朝記者の上司は、被害を記者から聞いた際、夜のサシ飲みには「もう行かない方がいい」と助言。記者は暫く行くのを止めていたが、森友の公文書改ざん、財務省の虚偽説明が次々と明らかになる中、取材を進めるため電話に応じ、夜の会合へ。その先で一連のセクハラ被害に遭った。」

さらに別な方のtweetでは、

この記者の上司が、報道ステーションの元ディレクターで、古賀茂明氏が反安倍の論陣を張った時に、官邸の中村格と闘い、ついには左遷された人物であることも判明した。

伊藤詩織氏に対する山口某の強姦容疑の問題で山口某の逮捕を直前に取りやめさせた、中村格は、古賀茂明氏の報ステからの降板を働きかけた人物。そのディレクタ―氏が、このセクハラ問題をもみ消そうとするはずがない。むしろ上層部による、このセクハラ問題のもみ消しを心配して、女性記者にアドバイスをしたのではないか、ということだ。望月記者も、この元ディレクタ―はもっとも尊敬する人物の一人と述べている。

だが、それでも、官僚上層部にこうして個別の取材をしなければならないシステム自体にも問題があるのは事実。記者会見で徹底した取材ができれば、女性記者が官僚に呼び出されて酒の相手をするような取材をしなくても済むのではないだろうか。記者クラブが、しっかり取材対象に対峙していないことが問題なのではないか。さらに、マスコミに、女性記者を利用して他社を出し抜こうとするような意図があるとしたら大きな問題だ。

菅官房長官の定例記者会見を時々見るが、あれは酷い。望月記者のような気骨のある記者を除いて、官房長官に食い込む質問をする記者が皆無。そして、官房長官はまともに答える気が全くない。マスコミの背後に国民がいることを、政府関係者、マスコミともにもっと意識してもらわないと、民主主義が成立し難くなる。

官僚を苦しめているのは誰か? 

柳瀬氏、苦しいだろうね。

優秀な官僚を、こんな苦しみにあわせているのは、誰だろうか?

と記したところで、日刊ゲンダイが、柳瀬氏の置かれた状況をよくまとめた記事を載せた。こちら。

やはり、彼は安倍首相を中心とするcronysmに収まり切れなかった人物のようだ・・・だが、自らの官僚としての将来を考えて、安倍首相を庇う発言を参考人として行うことになるのか。それとも、真実を語ることになるのか。

本当のことを話した方が、肩の荷が下りるというものだろうと思うのだが・・・。

この文科省で発見された文書は、彼の「記憶喪失」を癒す効果があるだろうか。

以下、引用~~~

加計問題 内閣府の文科省伝達メールに「柳瀬氏とも面会」

毎日新聞2018年4月20日

林芳正文部科学相は20日の閣議後記者会見で、学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部新設を巡り、愛媛県の職員らが首相官邸を訪れたとされる2015年4月に文科省が内閣府から受け取ったメールを公表した。印刷された形で省内から見つかり、その日に柳瀬唯夫首相秘書官(当時)と面会する予定と記されていた。愛媛県作成の文書に「首相案件」と発言したと記載された柳瀬氏は「記憶の限り会っていない」と面会を否定しているが、文書とメールの日時は一致している。

アルコール摂取量許容値 そして統制経済 

アルコール摂取量と死亡率・疾患罹患率を、60万人弱の大規模な対象に関して調べた研究がLancetに載っている。

http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2818%2930134-X/fulltext

ななめ読みしただけだが、アルコール摂取量が週100gを超すと、用量依存的に死亡率が上がる。そのアルコール摂取量で死亡率の下がる例外の疾患は、心筋梗塞だが、他の疾患による死亡が多くなるため、その効果は相殺される。

この100gというラインは、結構厳しい。350mlのアルコール度数5%のビールを毎日吞むと週122.5gに達する。この値は、世界各国の推奨ラインを下回っている。さらに、アジア人種に多いADH alcohol dehaydrogeneseのヘテロ、ホモを考慮していない。アルコールは、中間代謝産物のaldehydeがDNAを損傷することが知られており、食道がんなどのリスク因子であることが分かっている。アジア人では、これが大きな問題になる。アジア人の場合は、この推奨ラインはもっと下がる可能性がある。

とはいえ、毎夕の晩酌、私の場合350ml缶一個を空けるだけだが、は止められない。せいぜい時に休肝日を作ること、吞む量を増やさぬことを心がけよう。

で、もう一つ怒り心頭なこと(笑)がある。昨年、酒税改正のどさくさに紛れて、ビールの価格が政府主導で高止まりしていること。大体1割は高くなった。酒税は、発泡酒では引き上げられる代わりに、ビールは引き下げられた。で、当然ビールのさらなる値下げが起きるかと思いきや、政府は「町の酒屋さんを守るため」と称して、ビールの安売りを統制した。その結果、ビールの値段は高止まりしている。この値上げは、ビールの売れ行きばかり増えることを、財務省が嫌ったことと、コンビニのように安売りしていない小売業の利益を守ったということなのではないだろうか。大規模店舗の規制改革により、町の酒屋さんなぞもうとっくに絶滅している。

というわけで、この国家統制経済の象徴(笑)に、怒り心頭なのだ。こうしたことを臆面もなく行う、政府・財務省当局は、嘘とセクハラの巣窟になっている。これを怒らずに、何に対して怒るべきだというのか!国民の健康を心配しての政策では決してない!!

安倍首相訪米の結末 

安倍首相の訪米は、北朝鮮問題では蚊帳の外に置かれ、経済通商分野では鉄鋼アルミ関税の免除は、友好国中ただ一国なし、FTAを推し進められたという結末の様子。

あれだけ、トランプに隷従していたが、安倍首相がレイムダック状態であり、日本の米国隷従の姿勢が今後とも続くことを予想し、我が国に強い態度に出たのだろう。

いやはや、安倍首相こそが「国難」である。対米従属路線を歩み続けたら、自衛隊を海外派兵させられ、さらに国の富みを失う。

こちら、「孫崎亨のつぶやき」。

公務員対象訴訟の必要性 

行政の横暴な振る舞いは、政治が正さねばならないとされてきた。だが、異形の政権であったこともあるが、安倍政権は、人事権をもって行政に君臨し、行政を私物化した。政治の問題が行政に反映されたわけだ。

だとすると、市民が直接行政をコントロールする手段を獲得しなければならない。それは、行政を個人レベルで法的に追及する方法だ、というのが井上弁護士の主張なのだろう。

現在の政治による行政の私物化がなくなったとしても、巨大で強固な行政組織が固有の論理で自己主張を始める可能性がある。その主張が誤ったものであり、公的な価値を毀損する場合は、担当行政官を個々に法的に訴えることが必要になる。

行政の無謬性は、誤りであり、行政の誤りは法的な手段で是正されなければならない。

以下、MRICより引用~~~

井上法律事務所所長
弁護士 井上清成

2018年4月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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1.公文書管理や指揮監督・忖度の諸問題

ここのところ国政レベルでは、防衛省や自衛隊、文科省や教育委員会、財務省や地方財務局、厚労省や地方労働局などで、公文書管理の問題や政治と行政の指揮監督・忖度といった諸問題が次から次へと発生し続けていた。政治によって行政がゆがめられたのか、それとも、停滞していた行政を政治が正したのか。さらには、政治と行政の間の指揮監督や忖度の問題なのか、それとも、行政相互の間での指揮監督や忖度の問題なのかなど、多面的な問題提起がなされている。
もちろん、国政レベルだけではない。神奈川県立がんセンター問題を巡る神奈川県庁など、地方自治体においても同様の問題が生じている。

2.行政主導・政治主導から市民主導へ

従来型での論点のとらえ方からすれば、それらの諸問題は、行政主導を是とするのか政治主導を是とするのか、という対立であるとして論ずることになろう。「政治によって行政がゆがめられた」などという言説を肯定するのかどうかの対立と言ってもよい。もちろん、国会や地方議会でいつも争われている通り、主導すべき政治の内容そのもののあり方の問題とも評しえよう。

確かにそれらはそれらとして大切であることは間違いない。しかし、それら行政主導や政治主導だけでは、現代の官僚機構や行政組織を上手くコントロールできなくなっていることだけは、すでに明らかであろう。もちろん、そのような考慮から、マスコミやSNSなどを通じた言論によるコントロールも重要性を増している。
しかし、現代においては、もっと一層、国民や市民による直接的なコントロールをも導入しなければならなくなっているようにも思う。行政主導や政治主導だけでなく、それらから市民主導へ、と言ってよい。

3.市民主導の手法としての公務員対象訴訟

市民主導と言っても、理念や言論だけでは意味が薄いであろう。ここで提示したいのは、市民主導という理念や言論を実現するための一つの強力な手法である。それは、市民個々人が直接に、公務員個々人を対象として、その個人責任(特に、損害賠償責任)を追及する民事訴訟にほかならない。公務員対象訴訟と名付けてもよいであろう。

たとえば、真の責任は政治にある場合もあるだろうし、政治にはない場合もあるかも知れない。しかし、いずれにしても、非違行為を直接に行っているのは行政の公務員個々人である。だからこそ、それら行政や政治へのコントロールは、最低限、直接の実行行為者たる公務員個々人には及ぼすことが必要とされるところであろう。と言うよりも、現代はもうすでに、市民主導で公務員個々人にコントロールを及ぼさない限りは、行政主導と言っても政治主導と言ってもいずれにしても、非違行為を抑制できなくなってしまっているのである。

このような現代の行政状況においては、今までの公務員免責の裁判実務を覆し、今こそ、公務員個々人への損害賠償責任を追及する公務員対象の民事訴訟を是認していくべき時であると思う。
つまり、個々の防衛官僚・文部科学官僚・財務官僚・厚生労働官僚や県副知事らに、民事法的な個人責任を直接に負ってもらうのである。市民主導でこのようにでもしなければ、到底、現在の行政状況は改善できそうにない。

4.命令服従よりも法令遵守が重要

民間の市民社会においては、コンプライアンス(法令遵守)が声高に叫ばれている。従来は、会社の組織論理ばかりが重視され、ともすれば、法令遵守〔ほうれいじゅんしゅ〕はおざなりになってしまっていた。法令遵守は、いわば体裁を繕う程度にしか扱われていないことも多かったのである。現代ではそのような風潮を反省すべく、法令遵守が実質化されつつあると評してよい。
ところが、官僚機構・行政組織は今も、かつての民間の市民社会と同様な状況にある。たとえば、官僚機構・行政組織では、命令服従と法令遵守を秤(はかり)にかければ、命令服従が重たい世界とされてきた。典型的な法理論は、古典的な法律教科書であった田中二郎・行政法中巻257頁の記述であり、「公務員関係の秩序を維持するうえからいって、職務上の上司の発した職務命令は
、一応、適法な命令としての推定のもとに、受命公務員を拘束する力を有するものと解すべきである。

しかし、職務命令に重大かつ明白な瑕疵〔筆者注、かし=きず・欠点のこと〕が存する場合には、その職務命令は、無効と解するほかなく、受命公務員は、自ら職務命令の無効の判断をすることができ、これに服することを要しないのみならず、これに服してはならない。」というものである。少し回りくどい言い方ではあったが、要するに、「公務員は上司の職務命令に重大かつ明白な瑕疵がない限り、これに従う義務を負う」というのであった。つまり、法令を遵守しているかどうかは問わず、命令には(ほぼ)絶対に服従しろ、とのニュアンスで言っているに等しい。しかし、現代では、官僚機構・行政組織も、民間の市民社会におけると同様に、命令服従義務よりも法令遵守義務を重視するように改め、法令遵守を実質化していくべきである。

5.故意の権限濫用に対する公務員の個人責任

行政主導・政治主導のみならず、今後は市民主導が重視されねばならない。市民主導の理念と手法を採用することによって、公文書管理や指揮監督・忖度などの諸問題の解決も同時に図っていくのが合理的であろう。
命令服従の義務よりも法令遵守の義務の方を重視して、市民主導による公務員対象訴訟を肯認し、公務員の個人的な損害賠償責任の追及を可能とすることが、現代の行政状況のゆがみを正すために必要であると思われる。ただし、公務の萎縮まではもたらさないようにするために、過失については今まで通りに免責し、故意の権限濫用のみにその個人責任を限定することが合目的的ではあろう。
今後、神奈川県立がんセンター問題などを契機として、国家公務員についても地方公務員についても、それら公務員の個人責任の総合的な見直しを進めていかなければならない。

卑劣さの上塗り 財務省事務次官セクハラ問題 

この問題は、福田事務次官次官の辞任、その後テレビ朝日が自社の女性記者がセクハラを受けたことを先ほど会見で明らかにして、決着がついた。福田氏は、最後まで記者へのセクハラを認めず、この問題を記事にした新潮社を告訴すると息巻いていた。福田氏の説明は全くの虚偽であることが明らかになったわけだ。

この事件でもっとも重大な問題は、事務次官という権力を有する立場にいる人間が、自らの権力を笠に着て、記者に卑劣なセクハラをしたということだ。セクハラの事実はないと虚偽を主張し、記者に名乗り出るように要求したことも、権力の立場を利用した自己弁護に過ぎなかったわけだ。

財務省は、最初から、テレビ朝日の記者に対するセクハラだと分かっていた。古賀茂明氏が、twitterでそれを述べていた。福田氏、麻生財務大臣は、それを知ったうえで、名乗り出られないことを見越して、名乗り出よと記者に詰め寄ったわけだ。福田氏はセクハラを行い、その上二次的なマウンティングを行った。卑劣さの上塗りである。

麻生大臣は、これらの事情を知っていたはず。彼の責任は重たい。麻生大臣も辞任すべきだろう。

安倍政権の閣僚、官僚はどうしてこうも虚偽の主張を行うのだろうか。やはり首相自らの言動が影響しているのではないか。

以下、引用~~~

次官の疑惑…財務省「被害者は申告を」 セクハラ軽視、深刻

2018年4月18日 朝刊


 財務省が福田淳一次官のセクハラ疑惑を巡って報道各社の女性記者に調査への協力を要請し、麻生太郎財務相が被害申告のない場合のセクハラ認定は難しいと発言したことへの批判が十七日、拡大した。野党にとどまらず、与党幹部や閣僚もこぞって声を上げ、安倍政権の土台を揺るがしている。海外の有力メディアも注視しており、政権の人権感覚が問われる事態になっている。 (生島章弘、我那覇圭)

 政権が直面している森友・加計(かけ)学園や防衛省の日報隠蔽(いんぺい)問題などとは異なり、これまで批判していなかった閣僚や与党幹部からも発言が相次いでいるのが特徴だ。

 十七日も、閣内から女性の野田聖子総務相だけでなく、これまで政権の不祥事などへの言及が少なかった松山政司一億総活躍担当相や小此木八郎国家公安委員長が問題点を指摘。与党では自民党の二階俊博幹事長、橋本聖子参院議員会長、吉田博美参院幹事長、公明党の山口那津男代表が一斉に批判や苦言を口にした。

 セクハラ疑惑に関する野党の合同ヒアリングでは、出席した国会議員から「財務省に真相究明する気はあるのか」「もみ消しではないか」といった質問が相次いだ。ただ、財務省の担当者の回答は歯切れが悪かった。

 福田氏が音声データについて自身の声と認めているのかを問われると、「聴取ではそのようなことは言っていない」と説明。顧問弁護士に調査を委託したのを理由に、財務省として独自に事実関係を確認しない考えも示した。野党側は被害を受けた女性に配慮して、調査協力の要請を撤回するよう求めたが、「双方から事情を聴く必要がある」と応じなかった。希望の党の柚木道義氏は「名乗り出られないと分かって、確信犯でやっている」と語気を強めた。

 世界では各地の女性らが自身の性的被害体験を告発する「#MeToo」(「私も」の意)運動が広がる中、海外メディアも安倍政権内でのセクハラ疑惑を伝え始めている。米紙ウォールストリート・ジャーナルは「(日本では)権力者が性的な違法行為についての主張を真剣に受け止めない」としている。

クーデターを予兆するもの 

自衛隊幹部が、路上でたまたま出会った野党の国会議員を罵倒したという。その執拗さにただならぬものを感じる。

この三佐は、きっと腹に据えかねたものがあったのだろう。恐らく、彼の職場でも同じような思想の持主がいて、自分たちの思いを語り合っていたのではないだろうか。この三佐一人の個人的な思いから出た行動とは思えない。路上で突然罵倒を始めるという、攻撃性にそうしたものを感じる。

彼が述べたという「国民の敵」という言葉は、民進党の小西議員は国民、国家にとって好ましからぬ人物であるから殲滅すべき対象である、というニュアンスを持つ。国民を敵と味方に分断し、敵に対して強い敵愾心を表明したのだ。

自衛隊は、軍事力をもつ実力組織である。その幹部が、上記のような行動に出ることは、きわめて危険なことだ。2・26事件を思い起こす。2・26事件は、当時の政治・軍部の腐敗を正さなければならないという若手将校が、北一輝らの思想のもとに決起し、政府要人・軍人を殺害した事件と言われている。しかし、決起した若手将校の多くは、北の思想を理解しておらず、ただ心情的に決起しただけだった。クーデター後の統治の問題などを詳細に検討した形跡はない。陸軍内部の権力闘争と、若手将校を利用した老獪な軍人がいて、彼らの決起を促した。天皇に認められれば、何とでもなるという極めて心情的、直情的な行動だった。

この罵倒事件を起こした三佐も、自らの行動がどのような影響を及ぼすか、それにどう対処するのかを考えることなく、ただ自らの心情の命ずるままに、罵倒事件を引き起こした。2・26事件でクーデターを引き起こし、権力闘争に利用された若手将校と同じではないか。このような直情径行の自衛官を利用して、クーデターを引き起こそうと画策する自衛隊幹部が出現する可能性が出てきた。日誌問題で、防衛大臣を蚊帳の外におき、日誌を隠蔽した自衛隊幹部が現にいる。自衛隊幹部は、一部の政治家と通じ合っている可能性もある。いずれにせよ、公開された文民統制とはとても言えない状況になっているのは事実。自衛隊が、クーデターを起こす時、彼らは国民に銃口を向けることになる。

実力組織の自衛隊が、政治的に動き出すのは極めて危険な兆候だ。

以下、引用~~~

<議員罵倒>「国民の敵」発言は3佐 防衛相「適正に対処」
4/17(火) 21:34配信 毎日新聞

 防衛省は17日、統合幕僚監部指揮通信システム部の30代の3等空佐が、民進党の小西洋之参院議員と16日夜に国会近くの路上で偶然遭遇した際に、「不適切な発言」を繰り返したと認めた。小西氏によると3佐は「お前は国民の敵だ」と繰り返し罵倒した。河野克俊統合幕僚長が17日、議員会館の小西氏の部屋を訪れて謝罪。小野寺五典防衛相は「適正に対処する」と話し、統幕が処分も検討する。野党は「実力組織の統制に大きな疑問を持たざるを得ない」(希望の党の玉木雄一郎代表)と反発している。

 小西氏が17日の参院外交防衛委員会で明らかにした。小西氏と防衛省によると、3佐は16日午後9時前、帰宅後のランニング中に小西氏と出会った。3佐は「小西だな」と言った後、現職自衛官だと自分から明かして繰り返し罵倒。警備中の複数の警察官が集まった後も「気持ちが悪い」などとののしり続けた。小西氏が「服務規程に反し、処分の対象になる」と撤回を求めたが撤回しないため、同省の人事担当に電話するなどした。3佐は最終的に態度を改め、発言を撤回したという。

 自衛隊法は、隊員に選挙権の行使を除く政治的行為を原則として禁じ、品位を保つ義務も課している。河野氏は記者団に「自衛官が国民の代表である国会議員に暴言と受け取られるような発言をしたのは大問題。極めて遺憾だ」と話した。

 小西氏は国会で自衛隊イラク日報問題などを取り上げ、小野寺氏の管理責任などを追及している。玉木氏は17日の記者会見で、1938年に佐藤賢了陸軍中佐が当時の帝国議会で議員のヤジに「黙れ」と発言したことに触れ、「由々しき問題だ。80年たって非常に嫌な雰囲気が漂ってきた気がする」と指摘。社民党の又市征治党首も会見で「批判的なことを言ったら『非国民』というのと同じだ」と強調した。

 小西氏は記者団に「かつて青年将校が『国民の敵だ』『天誅(てんちゅう)だ』と叫んで政治家を暗殺した。現職の自衛隊幹部が国会議員を国民の敵だと何度も言い放った暴挙は、民主主義において許してはいけない」と語った。【前谷宏、立野将弘】

高齢女性の貧困 

Frontiers blogに、近い将来、我が国の高齢者女性がさらなる貧困に陥ることが記されている。こちら。年金受給者女性の1/4は貧困状態になり、それが単身者であると1/2にまで達する、ということだ。

確かに、年金制度は、戦後すぐに女性は家庭で専業主婦になることを前提に作られた。単身の高齢女性が増えることを想定していなかった。さらに、共働きであっても、女性は圧倒的に非正規雇用である場合が多く、年金の面でハンディキャップを負っている。

そうした女性の多くは、国民年金のみ、ないし無年金で老後を迎えることになる。一部は、生活保護を受給することになるだろう。それは、社会保障コストを飛躍的に増やすことになる。

マクロ経済スライドによって毎年年金額は減らされ続けている。社会保障予算は、削減の格好のターゲットになっている。そして、年金制度のなかでとりわけ劣悪な状況に置かれているのが、単身生活の女性である。

先に紹介した、The Guardian誌の経済格差拡大の記事の内容が、我が国にも生じつつある。富める者はさらに富み、貧しい者はさらに貧しくなる社会だ。

それで良いのだろうか。