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産科医療補償制度が、脳性麻痺医療訴訟を増やしている 

私自身、臨床から離れたこともあり、産科医療補償制度のことは意識の外になってしまっていた。同制度が、立ち上げ時に、心配された医療訴訟の増加をもたらしている。

この制度は、不幸にして分娩時に脳性麻痺にかかったお子さんを経済的に救うことを目的に作られた制度だ。

だが、その制度が、脳性麻痺の責任を医療機関・医師に求める訴訟を増やしている、というのだ。

脳性麻痺は、1000出生に1から2例、一定の割合で必ず生じる。その内、9割は胎内で生じる、すなわち分娩の問題で生じるのではない。こちら参照。この制度の「原因分析」によって、脳性麻痺訴訟が増えることは、本旨ではないし、脳性麻痺の発症機構からして、医学的に大きな問題を孕む。

この制度を運用する日本医療機能評価機構は、莫大な内部留保を蓄えている。一年で100億円程度余剰金を得ている。ご存知の通り、同機構は、巨大な天下り組織である。

行政が、不適切な医療行政を行い、利権をえる一方、医療はおそらく根拠のない医療訴訟の増加に直面している。

以下、引用~~~

脳性麻痺訴訟の提訴が急増している

この原稿は月刊集中6月末日発売予定号からの転載です。

井上法律事務所所長 
弁護士 井上清成

2018年6月21日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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1.脳性麻痺に関する紛争・訴訟の増加
平成30年(2018年)4月11日、日本記者クラブにおいて、公益社団法人日本産婦人科医会の医療安全部会が、「産科医療補償制度の現状と今後の課題」に関して記者懇談会を行い、その要旨が日本産婦人科医会報5月号に掲載された。目に付いたのが、「紛争・訴訟の減少」という項目である。もちろん、文字通り本当に紛争・訴訟が減少しているのならば、喜ばしい。「紛争・訴訟の減少」の項目では、「近年の産婦人科の訴訟件数の推移は減少傾向にある。産科医療補償制度開始後にはその傾向は顕著であり、10年前に比べて3分の1になっている。本制度の補償対象事例において、本制度とは別に損害賠償請求等がされたのは、補償が決定した2,233件のうち97件(4.3%)にすぎず、このうち訴訟提起事案は51件であった(平成29年12月末における集計)。」などと述べられていた。そのまま記者発表の額面通りの評価でよいのならば誠に喜ばしいことであるけれども、残念ながら、客観
的な動態の数値はそうではない。実際は、産科医療補償制度の補償対象事例となった重度脳性麻痺に関する紛争や訴訟は、近時になって急増しているのである。

2.産科医療補償制度の9年間の推移
確かに、近年の「産婦人科」全体の「訴訟件数」の推移は、減少傾向にあると言ってよい。平成24年(2012年)の年間59件以降、平成29年(2017年)までの5年間は年間56件・60件・50件・52件・54件とほぼ50件台で推移し、低位で安定していた。ほぼ3倍であった平成18年(2006年)の年間161件、ほぼ2倍であった平成19年(2007年)の年間108件の頃とは隔世の感がある。もちろん、訴訟減少の最大の要因は、脳性麻痺のみを対象とする産科医療補償制度のためなどではなく、産科医の逮捕と刑事責任追及が行われた福島県立大野病院事件での無罪判決(平成20年〔2008年〕8月20日福島地裁)の強烈なインパクトのためにほかならない。

さて、それはともかく、ここでの最も重大な問題は、産科医療補償制度のお蔭で、脳性麻痺の紛争(損害賠償請求事案)や訴訟提起事案が果たして本当に減少したのかどうかということであろう。引用した日本産婦人科医会報の「平成29年(2017年)12月末における集計」だけでは、どちらであるとも全くわからない。そこで、平成25年(2013年)時点における資料(平成25年11月27日付け公益財団法人日本医療機能評価機構産科医療補償制度運営委員会「産科医療補償制度見直しに係る報告書」40頁・参考5「紛争の防止・早期解決に係る状況」)と併せて考えることにしよう。
産科医療補償制度は平成21年〔2009年〕に開始したので、平成30年〔2018年〕である本年が制度開始10年目となる。そこで、産科医療補償制度のこれまでの9年間の推移を、前半期(平成21年〔2009年〕~平成25年〔2013年〕。ただし、正確には、統計時点の都合上、平成25年〔2013年〕5月末までの4年5ヶ月間)と後半期(平成26年〔2014年〕~平成29年〔2017年〕12月末まで。ただし、正確には、統計時点の都合上、平成25年〔2013年〕6月1日からの4年7ヶ月間)との2つの時期に分けて見ることとする。

3.後半期は件数2倍・割合3倍に激増
前半期における「産婦人科」すべての「訴訟事件」は合計370件(ただし、ここは丸々5年間の件数)で、そのうち重度脳性麻痺に関する紛争(損害賠償請求事案)は33件で、さらにそのうちの訴訟提起事案は17件であった(平成25年11月27日付けの前掲資料より)。つまり、「重度脳性麻痺に関する訴訟件数」の「産婦人科すべての訴訟件数」における割合は、4.6%である。ところが、後半期における「産婦人科」すべての「訴訟件数」は合計216件(ただし、ここは丸々4年間の件数)で、そのうち重度脳性麻痺に関する紛争(損害賠償請求事案)は64件で、さらにそのうちの訴訟提起事案は34件であった。つまり、「重度脳性麻痺に関する訴訟件数」の「産婦人科すべての訴訟件数」における割合は、15.7%である。 
したがって、後半期は、前半期と比べて、重度脳性麻痺に関する訴訟件数が17件から34件に倍増してしまった。さらに、産婦人科全般に占める重度脳性麻痺の訴訟件数の割合も、4.6%から15.7%へと3倍にも増加しているのである。
前半期と比べて後半期には、産婦人科全般の訴訟件数のみならず全診療科目の訴訟件数も明らかに減少しているにもかかわらず、重度脳性麻痺に関する訴訟提起事案(もちろん、紛争全般も。)だけがひとり全く逆方向に激増してしまった。件数が2倍、割合は3倍にもというのでは、たとえ諸原因による誤差を十分に考慮したとしても、それらだけでは済ませられない。尋常でない増加ぶ
りと評価してよいであろう。
誠に残念なことではあるが、これこそが客観的な数値である。到底、産科医療補償制度関連だけは、「紛争・訴訟の減少」はしていない。

4.産科医療補償制度の現状と今後の課題   
産科医療補償制度は、確かに開始当初の前半期には重度脳性麻痺に関する紛争・訴訟を減少せしめた(と思いたいところではある。ただし、ひいき目に見ないとすると、全診療科目や産婦人科全般の大きなトレンドと並行しただけだとも評しうる)。しかし、いかように捉えようとも、産科医療補償制度が浸透した後半期になって、急激かつ大幅に、紛争・訴訟が増加してしまった。これこそが、産科医療補償制度の現状であり、確かな事実なのである。
そうすると、今後の課題は、「紛争・訴訟の増加」の原因を取り除いて「紛争・訴訟の減少」に転じさせるべく、改善策を講じることにほかならない。
産科医療補償制度が浸透した後半期になってからの「紛争・訴訟の増加」であることからして、最も有力に考えられる原因の筆頭は、やはり「原因分析のあり方」である。現状の「原因分析のあり方」では、その一から十まで「紛争・訴訟の増加」の誘因になっていると考えられもしよう。そうすると、その原因分析の本質は尊重しつつも、諸々の技術的な「あり方」については全面的に改善する方がよい。
丁度良い改善のモデルがある。院内事故調査を中心として、非懲罰性と秘匿性の原理に導かれた「医療事故調査制度」が、まさにそれであろう。全診療科目に普遍的な制度として現に施行されている「医療事故調査制度」を見習って、産科医療補償制度だけに特有な「原因分析のあり方」の現状を改善していくべきである。

医療機能評価機構・医療安全調査機構は自己存続・拡大が目的になっている 

院内自殺は、医療事故ではない。院内自殺を食い止める努力は、医療機関側に求められるが、医療機関が提供する医療によって生じる患者に不利な事象とは言えない。たとえ、それが予測不能であったとしても、根本的に医療機関に責任を負わせることは誤りだ。

医療機能評価機構と、医療安全調査機構は、院内自殺を医療事故として捉えることで、利権を拡大しようとしている。この二つの天下り団体は、医療機能評価、医療安全調査という呼称とは裏腹に、医療機能を貶め、医療安全を危うくする組織でしかない。

こうした天下り団体は、組織の存続・拡大が自己目的化する。

以下、MRICより引用~~~

「自殺は重大医療事故」と発表した医療機能評価機構は即時訂正を
厚労省は、医療安全調査機構の事故調センター指定の取り消しの検討を

現場の医療を守る会代表世話人
坂根Mクリニック 坂根 みち子

2017年9月14日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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医療安全を担うはずの組織が暴走している。

8月28日に、日本医療機能評価機構が「入院患者の自殺は重大な医療事故」と記者会見した(1)。自殺は様々な要因で起きるが医療事故ではない。現在の医療事故の法的な定義に照らしても、医療事故にはあたらない。機構の真意を「忖度すれば」、注意喚起するために善意で発したものかもしれない。しかしながら、法の定義を無視して公表すれば、言葉が一人歩きをするのは目に見えている。その場合、自殺の原因は医療機関の手落ちとされ訴訟を誘発されかねない。悪意のない善意というには、あまりに非常識である。

このような法を逸脱した用語を用いた提言が、傘下の認定病院患者安全推進協議会が出てきた時に、日本医療機能評価機構にはそれを検証する義務がある。今回の問題で、機構にチェックシステムが欠如していることが露呈した。機構はこの事実を厳粛に受け止め、速やかに提言を訂正し、世間に間違ったメッセージを発信した過ちを認めて頂きたい。

今、日本で医療事故を取り扱う組織としては、日本医療機能評価機構と日本医療安全調査機構がある。日本医療機能評価機構は、永年にわたり、ヒヤリ・ハットを含めた広義の医療事故情報を収集し、分析・提言してきた。

これに対し、2014年に改正された医療法では、「加えた医療による」「予期せぬ死」であると管理者が認めたものを医療事故と定義し、すべての医療機関を対象に医療事故調査支援センターに報告するように定めた。日本医療安全調査機構は、そのセンター業務を担っている。それまで広義の医療事故を担ってきた日本医療機能評価機構ではなく、医療安全調査機構が法的に極めて限定して定義された医療事故だけ担うようになったため、制度が複雑化し、無駄な重複が生じていることは、何度も指摘してきた(2)。

「自殺は医療事故」と発表した日本医療機能評価機構よりさらに問題なのは、医療事故調査支援センターの指定を受けている日本医療安全調査機構である。2014年に始まった医療事故調査制度は、全医療機関を対象とした初めての制度のため、今まで日本医療機能評価機構が担ってきた仕事の繰り返しにならないように、報告対象を極めて限定し開始されたものである。ところが、センターが行っていることは、

1.報告対象の拡大推進(3)(4)→報告数は予算とリンクするので、センターへの報告をうながすことは利益相反にあたる。

2.定義に当てはまらない合併症の分析・公表(5)(6)→第1報 中心静脈穿刺合併症 第2報 肺血栓塞栓症 →いずれも予期出来た既知の合併症で、そもそも報告対象ですらない。

日本医療機能評価機構がやってきた医療事故情報収集等事業をベースに考えた時、センターに課せられた仕事は、全医療機関を対象に、今まで指摘されていなかったシステムエラーを発見し、今まで出来ていなかった現場の具体的な医療安全のための改善策を実行させることである。繰り返しはいらない。

残念ながら、医療安全調査機構には日本の医療安全全体を俯瞰して、過去の事業との連続性を考え無駄を省く視点は全くない。
それどころか8月30日のキャリアブレインのニュースによると、機構はセンター調査結果の公表を検討していると言う。

日本医療安全調査機構(高久史麿理事長)は30日、医療事故調査制度を円滑に運営するために設置している「医療事故調査・支援事業運営委員会」を開いた。この中で委員会事務局は、医療機関または遺族が院内事故調査の結果に納得がいかず、医療事故調査・支援センター(センター)に依頼した再調査の結果を、個人情報保護に留意した上で、公開することを提案した(7)。
何度も繰り返し指摘してきたが、この制度は遺族の納得(~紛争解決)のための制度ではなく、今後の医療安全を高めるため、言わば未来の患者のための制度なのである。

センター調査結果の公表は、事故情報を収集分析して、医療現場にフィードバックするという法の趣旨を明らかに逸脱している。この制度のための2017年度の予算は9.8億円に上る。不要な報告を促し、二番煎じの不要な分析に人と予算を費やし、現場の医療安全のために具体的なアクションを起こすのではなく、従来通りの報告書作りに終始し、遺族への対応に拘泥しているセンターは、むしろ医療現場に余分な仕事を増やしている。厚労省は、日本医療安全調査機構のセンターとしての指定を取り消し、日本医療機能評価機構に制度を一本化する必要がある。

2011年に医療事故調査制度が完備したスウェーデンでは、日本のような混乱は起きていない。制度が一本化されていること、センターの仕事は、報告→分析→システムエラーの発見→情報共有→医療現場の改善、というサイクルが徹底しているのである。センターにいる法令系スタッフの仕事は、法に則って行われているかチェックすることである。日本のセンターの法律家はなすべきことを間違えていないだろうか。また、スウェーデンでは、起きてしまった事故に対しては、無過失補償制度が完備していることも制度が上手く回っている大きな要因である。

日本での本質的な問題は、センターの仕事を検証するシステムがないことである。遵法精神に乏しい無駄の多い医療安全団体の存在こそ、検証されるべきである。莫大な税金が使われてる以上、それは厚労省の仕事のはずだが、如何だろうか。

<参考>
(1)「入院患者自殺は重大医療事故」、日本医療機能評価機構が提言
https://www.m3.com/news/iryoishin/553856?dcf_doctor=true&portalId=mailmag&mmp=MD170828&mc.l=243230019&eml=dec73da708e24678ff79160c0fd3035d
https://www.psp-jq.jcqhc.or.jp/post/proposal/3192
(2)坂根 みち子 医療事故調査制度混乱の原因は日医とセンターにあり? これでは管理者が混乱する ? http://medg.jp/mt/?p=7070
(3)医療事故 届け出促進へ 関係機関が統一基準 制度低迷打開  http://mainichi.jp/articles/20161012/ddm/001/040/209000c
(4)“事故調”、係争例もセンター調査の対象に 日本医療安全調査機構、運営委員会で確認 https://www.m3.com/news/iryoishin/499221
(5)日本医療安全調査機構 医療事故の再発防止に向けた提言
第2号 急性肺血栓塞栓症に係る死亡事例の分析
第1号 中心静脈穿刺合併症に係る死亡の分析―第1報―
https://www.medsafe.or.jp/modules/advocacy/index.php?content_id=1
(6)坂根みち子 医療事故調査・支援センターは、医療の「質」の問題に手を出してはいけない http://medg.jp/mt/?p=7586
(7)事故調センター調査の公開を提案 日本医療安全調査機構の運営委員会
https://www.cbnews.jp/news/entry/20170830135742

産科医療事故 

医療事故が起きた時、関与した医療従事者は、大きな自責の念に捕らわれることが多い。そうでなくても、周囲から批判の目に晒される。故意に起こした犯罪的なものでなければ、医療従事者の情報は秘匿されるべきである。それが、医療事故の真相を明らかにし、次の事故を防ぐためになる。2005年WHOのガイドラインにはそのように記されている。こちら。

坂根医師は、下記の記事で、いわば医療従事者の「過失」を追及し、社会的にそれを示す懲罰的な対応をする、日本産婦人科医会と日本医療機能評価機構の問題を論じている。彼女の述べる通り、医療事故当事者の医療従事者は保護されなければならないのは、最初に述べた通りだ。両者が、産科医療の萎縮をもたらし、産科医療を危機に陥らせている、と警鐘を鳴らしている。

ここでは、天下り組織である日本医療機能評価機構の産科補償制度について検討してみたい。

日本医療機能評価機構は、補償金の掛け金と、補償金の差が大きく、莫大な内部留保をため込んでいる。同機構のウェブサイトを見ても、財務状況が公開されていない様子なので、大まかな推測をここでしてみる。

同機構のウェブには、掛け金について以下のように記されている。

『本来必要となる掛金の額は、1分娩あたり24,000円となりますが、本制度の剰余金から1分娩あたり8,000円が充当されるため、分娩機関から支払われる1分娩あたりの掛金は16,000円となります』

4年前に、掛け金が30、000円から16、000円に引き下げられた。内部留保が、おそらく数百億円のオーダーで溜まっていると想像されるが、そのごく一部を掛け金の値引きに宛てているようだ。また、ウェブでは、同機構のこの産科医療補償制度に加入している医療機関が99.9%であると繰り返し述べられている。

年間出生数を大まかに100万人とすると、掛け金の総額は 16、000円/出生一人x100万人/年=160億円/年

一方、補償金を給付するケースはここ数年減少してきている。少子化の進展とともに、補償金給付条件を厳しく出産前後の原因不明の脳性麻痺に限定しているためだろう。平均して200人前後のようだ。補償金は、一人当たり3、000万円(20歳まで分割されて支払われる)である。

補償金総額は 3,000万円/一人x200人/年=60億円/年 

かなり大まかな概算だが、年100億円前後が内部留保としてため込まれている可能性が高い。

これだけの内部留保を保持する特殊法人は、それほどないことだろう。同機構が、医療事故の情報をマスコミに流し、医療事故は医療機関、医師の過失である、という世論を誘導するのは、同機構が存続する理由作りのように思える。これでは、医療事故の本当の原因究明に寄与しないばかりか、医療を萎縮させることによって、国民に大きな損害を与えているということになる。

日本産婦人科医会、日本医療機能評価機構は、医療事故対応を根本的に改めるべきである。

以下、引用~~~

産科医療補償制度と日本産婦人科医会は産科医をリスクにさらしていないか

現場の医療を守る会世話人代表              
つくば市 坂根Mクリニック 坂根 みち子

2017年6月23日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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このところ、産科医療事故の報道が続いている。最初は、2016年12月12日だった。愛知県の産婦人科診療所で3年間に2人の妊産婦死亡があり、日本産婦人科医会が直接指導に乗り出したとの報道で、15日には同会常務理事の石渡勇氏が記者会見を開いた。ネット上では早速診療所の同定とバッシングが始まった。その診療所は、医会より分娩停止を指導され、結局閉院している。

そして、年が明けて2017年4月17日からは、ターゲットが無痛分娩になった。麻酔を使った「無痛分娩」で13人死亡・・厚労省急変対応求める緊急提言というものであった。

読売新聞(yomiDr.)の記事を良く読むと、厚労省の提言ではなく、厚労省の一研究班(池田班)のもので、2010年1月から16年4月までに報告された298人の妊産婦死亡例のうち、無痛分娩を行っていた死亡例が13人(4%)あったというものだった。うち、麻酔が原因でなくなったのは1人。これを「無痛分娩」で13人死亡し、厚労省が緊急提言した、という見出しで出したのだ。

嫌な予感がした。

この後も報道が続く。特に読売新聞のyomiDr.では詳細で持続的な報道が続いた。

5月10日 読売
「無痛分娩」妊産婦死亡など相次ぎ・・・件数や事故状況、実態調査へ
麻酔で出産の痛みを和らげる「無痛分娩」をした妊産婦に死亡を含む重大事故が相次いでいるとして、日本産婦人科医会が実態調査に乗り出した。(中略)医会の石渡勇常務理事は、「無痛分娩そのものが危険なわけではないが、実施には十分な技量と体制整備が必要で、希望者が安全に受けられる仕組みを整えたい」と話している。
5月27日 産経
医療ミスで出産女性が死亡 神戸の産婦人科病院長を刑事告訴 業務上過失致死罪で(以下筆者)この事例では、示談金を支払い後に遺族が刑事告訴している。
5月31日 朝日
「無痛分娩」全国調査へ 妊産婦死亡受け、産婦人科医会
医会の石渡勇常務理事は「人員配置が不足していないかなどを調べた上で、安全対策のマニュアル整備や、安全性を担保する認定制度が必要か検討したい」
6月6日 読売・報知
帝王切開時の麻酔で母子に重度障害・・・報告せず
京都府の産婦人科診療所が昨年、帝王切開で同じ方法の麻酔をして母子が重度障害を負う例があったにもかかわらず、日本産婦人科医会に報告していなかったことがわかった。
6月12日 朝日
無痛分娩の麻酔で母子に障害 京都の医院、別件でも訴訟
この医院では昨年5月にも同じ麻酔方法で母子が重い障害を負っており、日本産婦人科医会が調査を始めている。
(以下筆者)この事例は、産科医療補償制度で有責とされ、原因分析報告書と3000万円の補償金のうち初回の600万円を入手後、9億4千万円の損害賠償を求める訴訟が起こされている。

一体何が起こっているのだろうか。

まず最初に確認しておきたいが、日本の妊産婦死亡率は妊婦10万人あたり4人前後で推移しており、年間死亡数は40人から50人と世界トップクラスの低さを維持している。

筆者は産科については全くの門外漢であるが、医療事故調査制度については多少なりとも関連を持ってきた。そして今回の一連の報道で感じている問題点を3つ挙げる。

1.妊産婦死亡の自主的な報告を集めている日本産婦人科医会が、記者会見をして事故について公表した点。これにより報告した当事者が大きな不利益を被った。

日本産婦人科医会への妊産婦死亡の報告は、今後の医療のために各医療機関から自発的に行われているものである。当然の事ながら報告するからには、WHO医療安全のためのドラフトガイドラインを遵守して、有害事象の報告制度の1丁目1番地、「報告者の秘匿性と非懲罰性が担保され」なければならない。

ところが、日本産婦人科医会の石渡常務理事は記者会見して公表してしまったのである。そして、医療機関、医師情報は、メディアにより詳しく報道拡散され、医療者は世間からバッシングを受け、身内の医療界からも断罪され、さらに遺族からは民事でも刑事でも訴えられている。

この展開は、群大腹腔鏡事件のデジャブのようである。

2.産科には、日本初の無過失補償制度が出来たと聞いていたが、産科医療補償制度が実際には無過失補償制度ではなく、かつ、訴訟を防ぐ制度設計になっていないために、高額の訴訟を誘発してしまった点。

この制度について調べると驚きの連続だった。

産科医療補償制度に申請すると、行った医療の評価が報告書に記載され、それが患者遺族にも渡され、インターネットで公開されている。報告書は、個人が識別出来てしまうような内容が記載されており、新聞報道と併せて誰でも詳細な情報を知り得る。この制度では、事故の当事者である医師が、機構の評価に対して異議申し立てをする機会は与えられていない。報告書を公表する前の確認さえない。そして、過失があったとされた場合は制度で補償されない。つまり自分で支払わなければいけない。さらに支払われた補償金を着手金として訴訟を起こされ、報告書が鑑定書として裁判で使われている。

当事者の産科医には、何とも気の毒としか言いようのない根本的に大きな問題を抱えた制度だと知った。

有害事象が起こってしまった時、患者家族と同様に医療従事者も、精神面、業務面ともに大きな影響を受け、最終行為者は「第2の被害者」と言われており、専門的なサポートを必要とする。それがないと、その後の医療に悪影響を与えると、アメリカのハーバード病院のマニュアルには10年も前から明記してある。ところが、日本では当事者が「第2の被害者になりうる」という認識さえされておらず、産科医療補償制度ではサポートするどころか、当事者を精神的にも金銭的にも社会的にも追いつめ、ベテラン医師の現場からの立ち去りを誘発している。

明らかな人権侵害である。

産科医療補償制度には、日本産婦人科医会の石渡常務理事も深く関わっておられるが、制度の委員に真の医療安全の専門家がいないのではないか。そうでなければ、これほどの欠陥が放置されるわけがない。

3.無痛分娩が危険であるかのような報道がなされた点。

アメリカやフランスでは60~80%を超える無痛分娩だが、日本では数%と極めて少ない。理由の第一は医療資源不足。日本では産科医も麻酔科医も圧倒的に足りず、麻酔を必要とする無痛分娩まで手が回らない。また日本では出産を取り扱う医療機関の規模が小さいところが多く、麻酔科医を置かずに、産科医が麻酔も担当するために、無痛分娩の取り扱いに限界があるのである。医療資源不足は大病院といえども同様だが、それに加え日本では従来「出産は痛みに耐えてこそ」という精神論が幅をきかせており、麻酔科のそろった大きな医療機関でも「痛みを取るため」の無痛分娩に対する優先順位がなかなかあがらないのである。

筆者は、20年前にアメリカで無痛分娩により出産した経験がある。その時は日本のお産事情と比較するために敢えて無痛分娩を選択した。もちろん医療費の高い米国でその時の加入していた保険が出産をカバーしていたから可能であった。無痛と言っても痛みは残る。だが、それまでの出産に比べて1/10程度の苦痛で済んだ。そして計画的に無痛分娩を選択した場合の最大のメリット
は、体力の温存である。1泊2日(今は2泊3日が多いと思われる)で退院して、すぐに上の子供たちを含めた育児が始まるので、出産で疲弊しないで済んだ事は大変有り難かった。

その時入院した病院で読んだ雑誌に、日本の無痛分娩率の低さを取り上げて、日本女性は痛みを感じないのか、という特集記事が組まれていたのを思い出す。もちろん選択肢が与えられていないだけである。それから20年、ようやくその機運が持ち上がってきたところで、今回の一連の報道である。

今回報道された事故では、確かに不幸な転帰となり、改善すべき点はある。だが、いずれの医療機関でもほとんどの分娩はきちんと行われてきたのであり、医師たちは出産と言う奇跡をサポートするために全力を尽くしてきたはずである。世界的に見て少ない医療資源で非常に優れた成績を収めてきたのは誇るべき事実である。今の世界の医療安全の考え方は、「レジリエンス・エンジニア
リング」といって普段上手くやっている事から学び、それを増やすという臨機応変型のシステムが推奨されている。

もちろん、失敗から学び、各医療機関の情報公開や分娩体制の改善がなされる事も必要である。ただし、それらは各医療機関が自ら行うべきものであって、上から目線で指導するものではない。どういったサポートが必要か、各医療機関を訪ねてコミュニケーションを取るところから始めて、ボトムアップしていくのが、本当のサポートである。

確かに、大きな医療機関で複数の産科医と麻酔科医がいて、チームで分娩をサポート出来る体制が理想である。そうはいっても、大野病院事件をきっかけに分娩施設は15%減少したままであり、各地で医師は高齢化し、少子化は進行している。筆者が日本でも無痛分娩という選択肢が増える事を願った20年前から、状況は全く改善していないどころか悪化の一途である。

このような現実を直視せず、日本産婦人科医会は、「報告させ、調査、指導し、分娩中止を勧告」しているのである。そしてこの先は認定制度を作るのであろう。産科医たちはよくもまあ黙ってこれに従うものだ。この数ヶ月であっという間に、医師1人の医療機関で無痛分娩を取り扱うのは許されない、と言う空気になってきたが、そんな無い物ねだりを声高に叫んでも国民が望む医療体制になる前に現場の産科医たちの心が折れてしまうだろう。さらにアメリカ型の高額の訴訟費用に堪え兼ねて分娩から撤退してしまう可能性が高い。

石渡氏のお膝もとの茨城では医師不足が深刻(常時全国ワースト3にランクインされる)で、医師数が全国平均を越えるつくば市でさえ、分娩出来る医療機関は3カ所しかなく、皆出産場所を求めて右往左往している。無痛分娩だろうが、自然分娩だろうが選択肢は多い方が良いのだが、それどころではないのである。

今ある医療資源を有効活用して、どうやってより安全に国民のニーズに応えてくか、絶妙なバランス感覚が必要である。求め過ぎてこれ以上現場を潰してしまったらこの国に未来はない。

2011年、医療事故調査制度と無過失補償制度が完備したスウェーデンでは、医療事故の裁判は激減し、その分野における弁護士の仕事もなくなったが、無駄な争いで国民も医療現場も疲弊する事もなくなった。かの地ではメディアにも守秘義務があり、患者側からだけの一方的な報道はされない。

メディアも日本産婦人科医会もそろそろ学ぶ時期ではなかろうか。

行政による医療の計画経済化 

医療介護は、その対象が社会的弱者なので、根本的に社会主義的な発想・制度設計が必要になる。だが、それを統括する行政が、共産主義の計画経済のような手法を取り、さらに行政の利権をそこにもとめようとし始めると、そうでなくても脆弱な財政・制度基盤に立つ医療介護は極度に疲弊する。社会保障制度として医療介護は機能しなくなる。現在のわが国の医療介護が、そうした状況にあるのではないか、という小松秀樹氏の指摘だ。

地域医療構想は、医療機関が本来得るべき消費税相当分の診療報酬を行政が簒奪することで確保される地域医療介護総合確保基金、そして地域医療の計画を強制的に推進するための地域医療連携推進法人制度によって、医療の計画経済化を進めるものだ。法治ではなく、行政による恣意的な強制、人治が行われる。そこには、腐敗が必然的に生じると小松氏は指摘する。

医学教育、専門医制度、医療機関評価、産科医療補償制度、さらに医療事故調によって、医学教育・医師人事・医療機関評価・医療事故すべての面で、行政が主導権を握って計画統御し、その実施組織を官僚の天下り組織とする体制が構築されてきた。この地域医療構想が、この「行政主導の計画経済医療体制」の集大成となるはず、と行政は読んでいるのだろう。この計画経済体制は、医療を機能しなくさせるだけでなく、国家財政の破綻を早める可能性が高い。

右肩上がりの高度経済成長期が終わり、その最後の花火のようなバブル経済が破裂した時期から、この動きが明らかになってきた。何たる壮大な体系だろうか。医系技官には、これが機能しない、失敗に終わることが予測できないのだろうか。

以下、MRICより引用~~~

計画主義が医療を滅ぼす4 統制医療の矛盾

元亀田総合病院副院長
小松秀樹

2017年4月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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●原理的矛盾

本稿では、医療統制の経済的側面を議論するが、感染症政策の人権侵害と計画経済的統制医療は、いずれも計画主義に基づくものであり、医系技官によって立案・実行されている。

日本の医療統制には二つの原理的矛盾がある。

第一の矛盾は、私的所有をそのままにして、計画経済的手法で統制しようとしていることである。そもそも、統制で、日本のような人口の多い国のサービス提供を制御することは、人間の能力を超えている。旧共産圏の計画経済は、結果の平等を目ざしたが、非効率、専制、特権、腐敗しか生まなかった。ましてや、提供機関の私的所有をそのままにして、統制するなどできることではない。日本の医療機関の私的所有を、国がなし崩し的に奪いにかかっているとみた方が正確かもしれない。日本医師会には、会員のために、医系技官の意図を冷静に分析することを勧める。

日本では、歴史的に病院が私的所有の形で整備されてきた。2013年の社会保障制度改革国民会議報告書(1)は改革が困難であることの理由を強制力の不足に求めた。

公的セクターが相手であれば、政府が強制力をもって改革ができ、現に欧州のいくつかの国では医療ニーズの変化に伴う改革をそうして実現してきた。

日本の場合、国や自治体などの公立の医療施設は全体のわずか14%、病床で22%しかない。ゆえに他国のように病院などが公的所有であれば体系的にできることが、日本ではなかなかできなかったのである。

統制が政策立案者の期待通りの成果をもたらすことはめったにない。例えば、後期高齢者医療制度は天文学的な金を飲み尽くすモンスターになった。子どもの貧困が日本の将来を脅かす大問題になっているが、対策のための予算を確保するのを困難にした。高齢者の多くは何らかの体の不調を有している。医療はめったにその不調を解決できないにもかかわらず、患者はあらゆる不調の解決を医療に期待し、加療の継続を求める。医師は、効果の有無にかかわらず、ガイドラインに掲載された医療を提供し続けることが義務であると、自分自身のみならず、社会にも思いこませた。多剤投与で副作用を生じさせるリスクより、薬剤を投与しないことに伴う些細な軋轢を重視した。診療を厚くすることが、医師の収入を増やすからである。医療費を増やそうという圧力はあっても、医療費を抑制しようとする仕組みが医師、患者双方に組み込まれていなかった。

医系技官による個別指導は、医療費抑制策の一手段である。診療報酬の返還請求や保険医指定取消処分などの不利益処分などにつながる。これまで何人かの医師が、密室での強引で陰湿な攻撃に打ちのめされ、自殺に追い込まれた。強権による医療費抑制策は、恨みをかうだけで抑制効果があったとは思えない。

後期高齢者医療制度は、インセンティブを利用したネガティブ・フィードバックが欠如していたため暴走したのである。

日本の医療費には地域差(2)があり、西日本と北海道で高く、東日本で低い。病床規制制度は、基準病床数の計算方法が現状追認的だったため、本来の目的と逆に地域差を固定した(3)。1970年代に、1県1医大政策が導入された。

その後の高度成長期、地方から東京近郊に人口が移動したことによって、埼玉県、千葉県では人口が倍増し、1医学部当たりの人口が増え、極端な医師不足に陥った(4)。

埼玉県、千葉県の医師不足は統制の失敗による。四国と千葉、埼玉を比較すると、1970年、四国の人口391万に対し医学部数1、千葉は337万に対し1、埼玉は387万に対し0だった。1970年以後の1県1医大政策で、医学部数は四国4、千葉1、埼玉1になった。その後、人口が変化した。2015年、四国は人口387万に対し医学部数4、千葉は622万に対し1、埼玉は727万に対し1になった(防衛医大を除く)。

病床規制が失敗したのは、強制力が不足していたからではなく、実情を無視し、無理な規範を掲げて、強制力を行使し続けたからである。インセンティブによる自動調整メカニズムを、中央統制によって破壊したからである。今後、首都圏では高齢者が急増するので荒廃はさらに進む。

しかも、権力による統制は、権力を持つが故に慎重さを欠く。2014年4月に開院した東千葉メディカルセンターは、赤字が続き、東金市、九十九里町の財政破綻が心配される事態になった(4)。千葉県は、多額の補助金投入を正当化するために、二次医療圏を組み替えて、長径80キロにもなる不自然極まりない二次医療圏を作った。地域の需要を無視して、莫大な投資と多額の維持費を必要とする三次救急病院を設立した。医師一人当たりの収益が少なく、赤字が積み上がっている(5)。千葉県に出向した医系技官による乱暴な施策は、地域にとって有害でしかなかった。

第二の原理的問題は、費用である。医系技官たちは、国民が小さな負担しか容認していないにも関わらず、医療保険ですべての医療を提供しようとしている。被用者保険から、後期高齢者医療と国民健康保険に、強制的に多額の保険料が拠出されている。保険者自治の領域は限りなく小さくなり、保険としての体をなしていない。

日本は世界で最も高齢化が進行している。それにもかかわらず、日本政府の税収入は低い。2017年3月現在の財務省ホームページの記載によれば、2011年の日本政府の租税収入の対GDP比は、OECD34か国中、下から3番目だった。国民負担率は下から7番目だった。国民は消費税率引き上げを嫌い、与野党は2017年4月の消費税率引き上げを延期した。費用が足りないまま、医療のすべてを保険診療で提供しようとすることに無理がある。診療報酬を下げなければ医療保険が支払い不能になる。診療報酬を引き下げれば病院が破綻する。

●強制力の強化

地域医療構想、地域医療介護総合確保基金、地域医療連携推進法人制度により、社会保障制度改革国民会議報告書が述べた強制力強化が実行に移された。個別医療機関の自由な活動の領域が国家によって侵害され、現場の実情に応じた創意工夫が抑制されることになった。「強制力」による失敗を「強制力」を強めることで克服できるとは思えない。

地域医療構想では、構想区域の病床機能ごとの病床数を行政が推計する。西日本では大幅に病床が削減されるはずである。推計された病床が各病院に割り当てられる。割り当てを地域の関係者が一堂に会して決めるが、病院の存続にかかわることについて、当事者同士で合意を形成できるはずがない。実質的に事務局を担当する行政が決めることになる。実行に強制力が伴う。都道府県知事は、「勧告等にも従わない場合には」最終的に「管理者の変更命令等の措置を講ずることができる」(6)。民間病院でも県に逆らえば、院長が首になる。

都道府県に出向した医系技官が、病床配分を通じて、個別医療機関の生死を握ることになる。

レストランの個別料理ごとの1日当たり提供量、調理方法、価格、食材の配分を国が決めて強制すれば、創意工夫と努力が抑制され、レストランの質は低下するしかない。

さらに、消費税増収分を活用した地域医療介護総合確保基金が都道府県に設置された。補助金を都道府県の裁量、すなわち、都道府県に出向した医系技官の裁量で医療・介護施設に配分する。支配に協力的な施設に、地域医療介護総合確保基金が優先的に配分されるだろうことは想像に難くない。医療には消費税を課されていないが、医療機関の購入したものやサービスには消費税が上乗せされている。消費税率引き上げ分が診療報酬に十分に反映されていないことを考え合わせると、この基金は病院の収益の一部を取り上げ、それを、支配の道具に使う制度だと理解される。病院の投資を医系技官が握ることになる。病院独自の経営努力の余地を小さくして、不適切な投資を強いることになる。

現在、国の借金が膨大になり、今後、診療報酬の引き下げは避けられない。当然、病院の財務状況は悪化する。都道府県に出向した医系技官の裁量で多額の補助金を配分するとなれば、病院は、医技官に逆らえない。賄賂が横行しやすくなる。専制と腐敗は避けられない。

地域医療連携推進法人は、地域の医療法人その他の非営利法人を参加法人とし、許可病床のやり取り、医師・看護師等の共同研修、人事交流、患者情報の一元化、キャリアパスの構築、医療機器の共同利用、資金貸付等を業務とする。

これには三つの大きな問題がある。

第一の問題は、恣意的な特権の付与が可能なことである。「地域医療連携推進法人の地域医療連携推進評議会の意見を聴いて行われる場合には、基準病床数に、都道府県知事が地域医療構想の達成の推進に必要と認める数を加えて、当該申請」が許可される(7)。病床数が厳しく制限される中で、行政の恣意で、病床が与えられる可能性があるという。

第二の問題は、外部からの活動の制限範囲が法によって定められておらず、地域医療連携推進法人に対し、恣意的活動制限が可能なことである。重要事項の決定について、地域医療連携推進評議会の意見を聴かなければならないとされている。学識経験者の団体の代表、学識経験者、住民代表等をもって構成されると定められているが、地域の医師会などもこの中に含まれる。また都道府県の医療審議会の意見も聴かなければならない。意見を聴くことが義務付けられているが、意見対立があったときの規定がない。医療審議会は行政の言いなりになることが多い。地域医療連携推進法人に対し、行政の恣意による行動制限が可能になる。罪刑法定主義のない刑法のようなことになる。

第三の問題は、参加法人の自由が制限され、その内容が予見できないことである。参加法人が予算の決定、借入金、重要な資産の処分、事業計画の決定、定款変更、合併、分割、解散などの重要事項を決定するに当たって、あらかじめ、地域医療連携推進法人に意見を求めなければならない。行政が、地域医療連携推進法人の支配を通じて、参加法人を支配できることになる。

全体として、地域医療連携推進法人制度は、特権をあたえることによって参加を促し、かつ、行政が、都道府県や郡市医師会を介して、参加医療機関の活動を恣意的に制限できる制度である。行政と個別医療機関の間に、医療審議会、地域医療連携推進評議会などを介することで見えにくくしているが、実質的に「人の支配」であり、「法の支配」に反するものである。

裁量権

行政官個人の裁量が、個別医療機関の権益に直結する状況は何としても避けなければならない。人による強制より、数字による誘導が優先されるべきである。補助金は可能な限り小さくして、どうしても必要な場合は、数字によって予見できるものに限定すべきである。混合診療や公正なルールに基づく競争を、医療費の削減や医療の地域格差解消に利用することも本気で考えるべきであろう。安易な強制力より、インセンティブの組み合わせを工夫すべきである。計画主義は結果の平等を求める。そのために、強制力を極限まで強めるとどうなるか、中国の大躍進政策や現在の北朝鮮の悲惨な結果に示されている。

文献
1.厚生労働省:社会保障制度改革国民会議報告書. http://www.kantei.go.jp/
jp/singi/kokuminkaigi/pdf/houkokusyo.pdf
2.厚生労働省:医療費の地域差分析.
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryouhoke
n/database/iryomap/index.html
3.小松秀樹:医療格差. 厚生福祉, 6013号, 10-14, 2013年8月27日.
4.小松秀樹:東金市「東千葉メディカルセンターを心配する会」主催講演会」
:市民は市の財政破たんを心配している(1). MRIC by 医療ガバナンス学会.
メールマガジン; Vol.021, 2017年1月30日. http://medg.jp/mt/?p=7290
5.吉田実貴人:東金市「東千葉メディカルセンターを心配する会」主催講演会
」:市民は市の財政破たんを心配している(2). MRIC by 医療ガバナンス学
会. メールマガジン; Vol.022, 2017年1月30日. http://medg.jp/mt/?p=7293

6.厚生労働省:地域医療構想策定ガイドライン.
http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10800000-Iseikyoku/0000088
510.pdf
7.厚生労働省:地域医療連携推進法人制度について. 医政発0217第16号, 2017
年2月17日.

群馬大学医療事故調への批判 

群馬大学医療事故調に対する強烈な皮肉・批判である。医療事故調査は、「責任追及」「処分」「処罰」「報復」「救済補償」から、「医療安全」にパラダイム・シフトした、はずであったが、群馬大学では旧態依然とした医療事故調査が行われた。

その背景に、医学部幹部の自己保身、それに医療事故の「専門家」と称する利権集団の動きがあるようだ。

同じ医療事故を繰り返さないために、という唯一の医療事故調査の目的を、群馬大学医療事故調は放棄した。同じことが他でも行われていなければ良いのだが・・・。

以下、引用~~~

群馬大学医学部附属病院・医療事故調査委員会報告書の功績

一般社団法人全国医師連盟代表理事
中島恒夫

2017年4月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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はじめに
様々な批評が噴出し続けている群馬大学医学部および群馬大学医学部附属病院だが、2016年7月27日に公表された「群馬大学医学部附属病院・医療事故調査委員会報告書」(www.gunma-u.ac.jp/wp-content/uploads/2015/08/H280730jikocho-saishu-a.pdf:2016.7.27)(以下、同報告書)には、実に素晴らしい内容が記されている。その「功績」を賞賛する記事を目にすることが少なく、非常に残念に思う。今回、私があえて触れることで、その功績に日の目があたることを節に願い、筆を執った。

(1)功績1:事故調査委員の選定方法
第6次改正医療法で定められた新しい医療事故調査制度においては、事故調査委員会の中立性が非常に重要であると多くの方々からすでに指摘されている。
すなわち、事故調査委員の選定方法が非常に難しいということである。
しかし、実はそれほど難しくはないことを群馬大学が実践してくれた。同報告書に関わる調査委員に関しても、「群馬大学学長は、第三者のみで構成された中立、公正な再調査が必要と判断し……」と記し、調査委員の中に群馬大学出身者を含めていた(http://www.gunma-u.ac.jp/wp-content/uploads/2015/08/27.8.10jikotyoiin.pdf)。これで中立性の問題がクリアできる。実に簡単である。

(2)功績2:医療事故の定義
同報告書は、医療事故の定義について、あえて別刷り(http://www.gunma-u.ac.jp/wp-content/uploads/2015/08/jikotyo_teigi.pdf)を用意してくれていた。実に丁寧で、わかりやすい。そこに記されている医療事故の定義は、以下のとおりである。

「本委員会で言う医療事故とは、別紙2のとおりである。」
「標記委員会名にも使用している「医療事故」については、平成27年10月1日から施行された改正医療法に基づく医療事故と定義を異にしています。委員会で使用している「医療事故」は、リスクマネージメントマニュアル作成指針などに示されている広義の「医療事故」として使用していることを付記いたします。」
別紙2:http://www.gunma-u.ac.jp/wp-content/uploads/2015/08/jikotyo_teigi.pdf.

第6次改正医療法によって、医療事故調査制度の目的がパラダイム・シフトした。これまでの「責任追及」「処分」「処罰」「報復」「救済補償」から、「医療安全」にパラダイム・シフトした。この変化は非常に重要で、医療安全に理解の無い者にとって、最初にぶつかる大変難しい問題である。なぜなら、医療安全に理解の無い者にとっての拠り所は、「注意喚起」や「確認励行」といった「精神論」や「根性論」であり、そして、すでに失効している「厚生労働省リスクマネージメントスタンダードマニュアル」だからである。
しかし、この難しい問題を群馬大学はいとも簡単にクリアした。それが、上述のような「定義の先付け」という手法である。自分達に都合の良い医療事故調査手法を実施する旨を先に明示しておくだけで、現行法である第6次改正医療法を完全に無視した事故調査を実施することは可能となる。
このような「定義の先付け」という免罪符を得られることは、担当する事故調査委員にとっては何よりの福音である。自分達に都合の良い定義を「断り書き」するだけで、これまでと同様の「責任追及」「処分」「処罰」「報復」を目的とした事故調査手法を堂々と駆使できるいうお墨付きが得られるからである。「医療安全」の対極である「責任追及」「処分」「処罰」「報復」を目的とした前近代的な事故調査を堂々と実践できる。
自分に染みついたスタイルを変えることは、誰にとっても非常に難しい。新しい医療事故調査制度への造詣を深めなければならないというストレスに苦しむ人々も多いだろう。しかし、そのようなストレスに満ちた苦労をする必要がなくなる画期的な手法を、群馬大学は提示してくれた。まさしく、一筋の光明だろう。

(3)功績3:脱法医療事故調査に処罰無し
「医療安全」にパラダイム・シフトした新しい医療事故調査制度を理解することの難しさは、医療事故調査への造詣が非常に深い方々にとっても同様である。このことも同報告書で示された。ちなみに、同報告書に今回携われた事故調査委員の方々はこちら(http://www.gunma-u.ac.jp/wp-content/uploads/2015/08/27.8.10jikotyoiin.pdf)に記されているので、ご確認いただければ
幸いだ。
同報告書に携われた事故調査委員の方々は、これまでにも数多くの医療機関で事故調査委員に就かれている。経験は非常に豊富で、ある意味「プロ」であると一目を置かれる方々だ。忙殺極まる臨床現場の最前線で、片手間で事故調査に携わざるをえない市井の医療従事者とは全く違う。しかし、これらのプロの方々ですら、医療安全を目的とした新しい事故調査制度の経験は無く、「責任
追及」「処分」「処罰」「報復」「救済補償」ばかりをこれまでは主張してこられた。
「医療安全」が目的である新しい医療事故調査制度で最も重要な視点は、「非懲罰性」である。これは、新しい医療事故調査制度の教本でもある「WHOドラフトガイドライン」(WHO Draft Guidelines for Adverse Event Reporting and Learning Systems)に記されている。WHOドラフトガイドラインには、医療事故調査を行う上での重要な7項目が詳しく記されているが、「非懲罰性」が「いの一番」に記されている。
事故調査委員や病院管理者が、医療事故に立ち会った現場の医療従事者に事故の責任追及の矛先を向け、処罰をすることは、医療安全を推進していくための「御法度 第1条」である。悪意を以て医療事故に関係したわけではない医療従事者から、事故発生時の状況や事故発生前の状況を、事故調査委員は聞き出さなければならない。語ってもらう時に責められたり、処分をちらつかされては、誰も口を開かなくなる。その結果、事故の発生要因を知る機会を逸し、医療安全からはどんどんかけ離れてゆく。すなわち、この「非懲罰性」は、「責任追及」「処分」「処罰」「報復」とは真逆のスタンスである。
「非常罰性」という最も大事な視点が事故調査委員から欠落すると、医療従事者の人権を蹂躙することにもなる。証言を強いることは「強要」であり、「自己負罪拒否特権」の侵害となる。
しかし、事故調査委員の方々には安心していただきたい。「非懲罰性」を考慮せずに同報告書を作成したプロの方々は、責任を何ら問われていない。

(4)功績4:組織管理者の身分は安泰
医療事故がシステム・エラーであることは、もはや常識と言えよう。任意の医療事故に関わった職員のヒューマン・エラーを責めても、別の職員が同様の医療事故に遭遇してしまうことは珍しくない。医療産業組織というシステムに不具合が残存しているからである。
このシステム・エラーを改善できる立場にいる者は、その組織の統括責任者である病院管理者でしかいない。すなわち、医療安全を推進すべき最高責任者は病院管理者でしかない。群馬大学医学部附属病院の場合には病院長であり、学部長であり、学長が組織管理者に該当するだろう。
医療安全を推進すべき病院管理者は、高度に複雑化された医療現場の運用システム、物品、機器を改良することに専心しなければならない。なぜなら、「人」は誰でも、容易には変われない。また、「人」を備品のように取り替えてもいけない。「人」を替えるだけで医療事故を再発できるわけではない。システムやモノを改善することで医療事故の再発を初めて推進できる。それが可能な立場に就いているのは、病院管理者だけである。不幸にも医療事故が起きてしまった場合、あるいは医療事故が「再発」してしまった場合、責任追及されるべき対象となるのは、医療事故を起こしうる脆弱なシステムを改善しない組織の責任者である。
群馬大学は、同報告書内で平塚浩士学長のコメント(http://www.gunma-u.ac.jp/wp-content/uploads/2015/08/H280730gakuchocom.pdf)を記されている。

「本学としては、昨年来、附属病院の改善、改革に取組んでおりますが、このたびいただきました報告書の内容を踏まえ、事故の発生要因や対応が遅れた理由を確認するとともに、再発防止に向けたご提言を真摯に受けとめ、更なる改善、改革に早急に取組んで行く所存です」

この非常に強い決意表明を頼もしく感じた方々が何人もいるようだ。就任してから同報告書を受け取るまでの1年4ヶ月間に、平塚学長はいくつもの報告書を手にしてきた。報告書を何通受け取っても一向に改革が実践されなかったにも関わらず、平塚学長の非常に強い決意が同報告書内にも公式発表され、群馬大学学長選考会議の大多数の方は実に頼もしく感じたのだろう。このまとめに
ついては、「国立大学法人群馬大学の次期学長候補者の選考理由と過程について」(http://www.gunma-u.ac.jp/wp-content/uploads/2015/05/gakuchoukouji.pdf)をお読みいただくだけでも容易に理解できる。
そして、システム・エラーを改善しない責任者を「満場一致」で再任する組織が実際に存在した(http://www.gunma-u.ac.jp/wp-content/uploads/2015/05/gakuchoukouji.pdf)。そのような英断が可能であることに私は驚いた。
変革しようという気運がその組織の上層部全体に全く無ければ、組織管理者の身分は、実に安泰だ。

(5)まとめ
新しい医療事故調査制度については、トップに就く者の姿勢、事故調査委員の人選、事故調査手法、事故調査報告書の取り扱いなど、様々な問題が今後も続き、混乱し続けるだろう。なぜなら、医療事故調査制度によって恩恵受けられる様々な者が、利益や報酬を得られる様々な者が、我田引水のような制度利用を自己主張し続けるからだ。
新しい医療事故調査制度はの目的はただ1つだけである。「医療安全」だけである。「責任追及」「処分・処罰」「報復」「救済補償」などは目的ではない。そのことを第6次改正医療法で定めたからだ。「責任追及」「処分・処罰」「報復」「救済補償」に関わる者を排除した「正しい制度利用」が今後は浸透することを、患者になりうる一国民として、切に願う。

医療における行政処分の量産化 

これから仕事を始めようとする若い医師は、災難なことである。医療事故には、すべて責任が問われ、たとえ刑事責任は逃れられても、行政処分は免れないことになるようだ。

井上清成弁護士の論考は以前から何度もここで取り上げている。彼は医療の現状、医療事故の本質に詳しく、適正な見解をそうした問題について表明し続けている。

「官僚主義が医療を荒廃させる」で述べた通り、官僚は、医療システムを支配することを目論んでいる。

医師に対する支配は、教育、研修、専門医制度そして医療事故対応によって、為されることになる。井上弁護士が述べる通り、刑事犯罪として取り扱わぬ代わりに、行政処分を受け入れさせるという方向で、官僚は制度設計をするようだ。これは、医療事故の原因を究明し、減らすこととは逆行する。医療事故は、刑事犯罪化・行政処分化しても原因が明らかにならず、減少することはない。例えば、WHOの医療事故に関するガイドラインにそれが示されている。こちら。

医療事故に対する行政処分数の増加は何をもたらすか。医療制度への影響をどのようにして減らす積りなのか。行政処分を「きめ細かく」行えば、医療費の表面的な削減ができると官僚は読んでいることだろう。地域医療を行う医師を確保するという名目で、この数年間、医師の大量増産を始めた。行政処分が常態化すれば、行政処分でマンパワーが減っても、医療が直ちに立ち行かないということはないという読みではないのだろうか。しかし、行政処分を受けやすい、リスクのある専門に医師が進まなくなることは確実だ。専門性の偏在を、専門医制度でコントロールする積りかもしれないが、うまくゆくだろうか。数の上だけでは、コントロールできたとしても、医師のやる気を削ぐことは間違いない。医療の倫理は、強制によって確立し維持されることはない。医療が倫理的に荒廃する状況が見えてくる。

この医療事故の行政処分化の背景には、官僚の天下り先確保があることは確実だ。行政処分を担当する行政部門の肥大化、行政処分に伴う研修を担当する組織の設立等々、永続的な天下り先が確保されることになる。

医師は、注意義務違反という本来避けえない、行政処分の対象になるエラーに怯えつつ、仕事を続けることになる。ヒューマンエラーの大きな原因である労働環境の問題等は、これまで通り、そのままにされる可能性が高い。

結局、こうした行政の医療支配は、医療を荒廃させ、国民がその負の影響を被ることになる。

以下、MRICより引用~~~

行政処分の量産化への蠢き

この原稿は月刊集中4月号(3月31日発売号)掲載予定です。

井上法律事務所 弁護士
井上清成

2017年3月28日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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1.2016年度医道審医道分科会の現状
厚生労働省医政局医事課の所管の一つに、医師法(歯科医師法)に基づく医師(歯科医師)免許に対する行政処分がある。毎年2回ずつあるのが通例であり、医道審議会医道分科会の答申を受けて、医師(歯科医師)への免許取消・医業(歯科医業)停止・戒告の行政処分を行う。
2016年度は、2016年9月30日と2017年3月3日に行政処分が公表された。9月30日は医師15件、歯科医師15件の計30件。3月3日は医師12件、歯科医師6件の計18件。つまり、2016年度1年間では医師27件、歯科医師21件の合計48件であった。その48件の内訳は、ほとんどが一般犯罪で有罪とされたものである。
そのうちで目を引くのは、診療報酬不正請求17件と医療過誤としての業務上過失致死罪1件であろう。いずれも医業停止3ヶ月とされた。

2.行政処分の量産化
まず、診療報酬不正請求が17件というのは、多すぎる感がしよう。1年間の行政処分件数48件のうち、約35%を占めていて、処分事由としては最多である。現状は、診療報酬不正請求が医政局医事課による行政処分の数量を下支えしていると言ってもよいかも知れない。不吉なことではあるが、今後も増加していきそうに思う。
次に、医療過誤に業務上過失致死傷罪を適用するのは妥当性を欠くことなので、その1件を0件としたいものである。実際、その1件は国立国際医療研究センター病院で起きたレジデントによるウログラフイン誤投与の事案であったが、本来はそのレジデントが刑事被告人になるように導いてしまった病院幹部の運用こそが非難に値しよう。ただ、運用レベルでの改善では限界があるので、法改正をしてでも、医療過誤での業務上過失致死傷罪は廃止して、この理由での行政処分はゼロとしたいところである。
しかしながら、行政処分の量産化という観点からは、一部の厚労医系技官らによって長年にわたって潜かに目論まれているのが、医療過誤の行政処分化である。もしも刑事罰を経ずとも医療過誤を行政処分化することができれば、診療報酬不正請求をはるかに上回る行政処分件数が確保されうるであろう。医療過誤の行政処分化は、行政処分の量産化という政策目標にとって、最もフィットした方策なのである。

3.厚労科研「医療行為と刑事責任」の開始
2017年3月10日、医政局医事課の所管で、厚生労働科学研究として、「医療行為と刑事責任」の研究が開始された。その研究の方向性は、次のようになっていくものと予想されよう。たとえば、「医療行為への刑事責任の追及は、極めて限定すべきである。少なくとも、医療行為への業務上過失致死傷罪の一般的な適用は、除外しなければならない。しかし、無謀な医療という類型、単純ミスという類型には、何らかの限定された責任を問うべきである。無謀な医療には、それに適した故意犯、故意犯と過失犯の結合犯・結果的加重犯、または、重過失限定の過失犯といった選択肢の下で、特別の刑事犯創設の議論を進めるべきであろう。そして、単純ミスに対しては、医療過誤を行政処分化するという条件の下で、刑事犯から除外しうる方向とするべきである。」といった具合いであろうか。
何らかの責任追及は行わねばならないことを大前提とした上で、刑事責任と行政処分のトレードオフを行おうとする考え方と言ってもよい。もともと、医系技官、医療団体幹部、法律家の一部には、そのような考え方に親和性を持つ者がいた。そのため、今回の厚労科学研究でも、そのような考え方が指向されていくことが予想されるのである。

4.行政処分化の参考モデルー第二次試案等
刑事責任と行政処分のトレードオフを行おうとする考え方は、かつて、医療事故調査制度の第二次試案(2007年)・第三次試案(2008年)となって具体化されたことがあった。
たとえば、「診療行為に関連した死亡の死因究明等の在り方に関する試案―第二次試案―」においては、行政処分の在り方については、ズバリと、「行政処分は、委員会の調査報告書を活用し、医道審議会等の既存の仕組みに基づいて行う。」「個人に対する処分のみではなく、医療機関への改善勧告等のシステムエラーに対応する仕組みを設ける。」と明言している。つまり、医療過誤の行政処分化そのものであった。
また、その「第三次試案」も同じであり、「システムエラーの改善の観点から医療機関に対する処分を医療法に創設する。」「医師法や保健師助産師看護師法等に基づく医療従事者個人に対する処分は、医道審議会の意見を聴いて厚生労働大臣が実施している。医療事故がシステムエラーだけでなく個人の注意義務違反等も原因として発生していると認められ、医療機関からの医療の安全を確保するための体制整備に関する計画書の提出等では不十分な場合に限っては、個人に対する処分が必要となる場合もある。その際は、業務の停止を伴う処分よりも、再教育を重視した方向で実施する。」として、行政処分の量産化や医療過誤の行政処分化を指向していたのである。
つまり、医療過誤の行政処分化については、診療報酬不正請求くらいを目途にして件数をほどほどに増やし、かつ、その処分の程度については医業(歯科医業)停止3ヶ月以下か戒告の程度を想定しているものと推測されよう。

5.医療過誤の行政処分化は慎重に
しかしながら、そもそも、行政処分の他の事由とは異なり、医療過誤は刑事責任にも行政責任(行政処分)にもなじまない。今までに行われてきた議論は、医療過誤には本来は刑事責任があることを暗黙の前提としつつ、それと行政処分とをトレードオフすることによって、刑事責任を謙抑的にして行政責任にスライドさせようとする試みであった。しかし、それは、そもそも追及されるべき「責任」があるという前提に呪縛された議論にすぎない。今後の議論は、刑事責任も行政責任もそもそも存在していないことを前提に、議論の再構築をしていくべきなのである。
医療過誤の行政処分化には慎重でなければならない。

官僚主義が医療を荒廃させる 

医療は、医療資源を用いて、社会的弱者の患者を救うという、社会主義的な要素を本質的に持つ。そこに、官僚が関与してくると、悪しき官僚主義が跋扈することになる。下記の論考で、小松秀樹氏が述べている通りだ。官僚主義は、机上で計画を練り上げ、そこに官僚の利権を巧みに組み込み、それをトップダウンで現場に強制する。そのシステムは、硬直しており、現場から情報を吸い上げ、可変する柔軟性を欠く。

実際に、医療システムを官僚主義的に支配するための計画・施策を挙げてみよう。これらすべてに意味がないというわけではないが、多くは、医療・教育現場に人的・経済的な負担をかけている。実施主体には、官僚と学会のボス達が多数天下りしている。

例えば、ここで小松秀樹氏が取り上げている、地域医療構想の原資は、本来医療機関が得られるべき、消費税の負担分(損税)である。医療機関が得るべき収入を、地域医療構想という名のもとに、官僚が「ネコババ」している構図だ。その他にも、日本医療機能評価機構は、その仕事内容の評価がきわめて低いのにかかわらず、100億円以上の内部留保をため込んでいる。これらの計画・施策は、医療・教育を画一化し、硬直化させ、その一方、官僚の多くの天下り先を提供するという意味しかないものが多い。

医療システムをトップダウンで計画し、中央支配を行うための施策・実施主体・対象は、以下の通り。

A計画・施策          
B実施主体(担当官庁・法人)
C対象

A地域医療構想        
B医療介護総合確保促進会議・地域医療推進会議
C医療機関

A医療機能評価        
B日本医療機能評価機構
C医療機関

A産科医療補償制度      
B日本医療機能評価機構
C産科医療機関・産科医師

A医療事故調査制度      
B医療事故調査センター
C医療機関・医師

AOSCE・CBT           
B医療系大学間共用試験実施評価機構
C医学部学生

A新臨床研修制度        
B厚労省
C研修医

A新専門医制度         
B同機構
C研修終了後の若手医師

これ以外にも、恐らくあることだろう。これらはすべてこの20年以内に構想され実現してきたものばかりだ。医学教育から医療現場まで、中央官庁と、その配下の法人による支配が及ぶように設計されている。これらは、医療を困窮化させ、崩壊させる。

以下、引用~~~

計画主義が医療を滅ぼす1 -地域医療構想と計画主義-

元亀田総合病院副院長 小松秀樹

2017年3月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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●地域医療構想
2014年の医療法改正で、「計画主義が医療を滅ぼす4」で述べる地域医療構想、地域医療介護総合確保基金が制度化された。2015年の法改正で、これを補完する地域医療連携推進法人が制度化された。これにより、2013年の社会保障制度改革国民会議報告書以後の、一連の統制強化政策が完成した。個々の医療機関に対する都道府県知事の強制力が強められた。実際には、都道府県に出向した医系技官の権力が強まった。統制により、個々の医療機関独自の活動空間が狭まり、経営努力、創意工夫、活力が奪われる。全体として、日本の医療を形作ってきた医療機関の私的所有が、地域の共有財産として、行政の下に再編成されることになる。はたしてうまくいくものだろうか。「計画主義が医療を滅ぼす」と題するシリーズで、日本の医療政策の根幹にある計画主義について議論したい。

最初に、筆者の立場が、以下のトックビルの懸念を共有するものであることを明らかにしておく。

中央集権は、それがどんなに開化されたものにせよ、また、どんなに賢明なものにせよ、それ独りのうちに大民族の生活のすべての詳細事をかかえこむことはできない。そのようなはたらきは人力を超えているために、中央権力にそんなことができるわけがない。中央権力がその単独の配慮だけで多くのさまざまの指導力をつくり、それをはたらかせようとしても、それは極めて不完全な結
果で満足することになるか、または、無駄な努力をはらって力つきてしまうかいずれかであるにすぎない。(『アメリカの民主政治』, 講談社学術文庫)

●計画主義
個人には個人固有の価値があり、その価値を至高とする個人の活動領域がある。他人の自由を損ねない限り、個人の領域は尊重されなければならない。この考え方は、日本国憲法の基本理念であり、自由主義あるいは個人主義と呼ばれる。しかし、日本の行政には、国家の領域を大きくし、個人固有の活動領域を小さくしようとする宿痾とも言うべき性癖がある。

日本の行政、とくに厚生労働省の医系技官は、戦前、戦後を通じて、計画主義に強い親和性を示してきた。ハイエクによれば、計画主義では、「諸資源を合理的に活用するために、意識的に設計された『青写真』に基づいて、人々のあらゆる活動が中央集権的に統制・組織」される(『隷属への道』, 春秋社)。

計画主義は個人の領域を侵害し、結果として多様性と社会の活力を奪う。共産主義、ファシズムなどは、「社会全体とその全資源を単一の目的へ向けて組織することを欲し、個人それぞれの目的が至高とされる自主独立的分野の存在を否定することにおいて、等しく自由主義や個人主義と一線を画している」。自由主義的計画では、政府は、「各個人の知識やイニシアチブがいかんなく発揮され、それぞれが最も効果的な計画が立てられるような条件を作り出す」。これは自由放任ではない。環境保全のための排水や排ガス規制、公正な取引のルール、雇用に関するルール、労働環境の適正化、社会的弱者救済など法による介入は不可欠である。

専門家と称する人たちの計画は、論理的整合性を重視し、複雑かつ詳細になる傾向がある。個人の行動を細部まで支配しようとする。計画の目的にとらわれ、悪意なしに個人固有の価値を侵害してしまう。専門家が権力を持つと、目的の中に、自身の権益を組み込むようになる。この段階になれば、憲法で明記された個人の領域、すなわち、基本的人権が侵害されるようになる。平等を達成するために、あるいは、自身の権益を確保するために、民衆の恐怖感や偏見を煽ることもためらわない。計画には、さまざまな選択肢についての決定が含まれるが、政治家はこれらの選択肢についての議論には参加できず、官僚や官僚の支配下にある専門家の発言権が大きくなる。結果として、政治家は実質的に専門家に決定権をゆだねざるをえなくなる。

言語を含めて社会制度は、無数の人間が関与する中で、長い時間をかけて自生的に形成されてきた。旧共産圏の国々やナチスドイツは、人為的に社会を設計することを試みたが、無惨に失敗した。社会を人間の設計によって運営することが、人間の能力を超えていたからである。

社会の状況は多様である。ある特定現場の状況に対し、社会には断片的で個人的な知識が大量に存在する。不完全で場合によっては相互に矛盾する知識に基づいて、多様な人間が多様な活動を行ってきた。これらが積み重なって、秩序が形成された。これをハイエクは「自生的秩序」と呼んだ。自生的秩序として、しばしば、市場が念頭に置かれる。それぞれの現場では、自身がもつ知識と情報にしたがって、さまざまな活動が行われている。その中で、価格が決まり、供給量が決まり、新しい製品が供給されることになる。

計画経済の欠陥として、個人の意欲の低下が挙げられることが多い。しかし、それ以上に政策立案者の知識が限られ、思考が単純で一面的だったことが計画経済の失敗に直結した。計画主義は、現場の自由と新たな挑戦を抑制し、社会の進歩を阻害する。詳細で具体的な計画は、抽象的なルールとは異なり、個別活動に対する具体的な強制を含むため、必然的に利権を生む。腐敗は避けがたい。

自生的秩序が成立・維持されるためには、個人の領域の確保とそこでの自由が必要である。自由を保障するのが、「法の支配」である。「法の支配」は「人の支配」に対する概念で、人によるその場その場の恣意的な支配を排除して、あらかじめ定められた法に基づく支配によって自由を確保することを目的とする(高橋和之, 『立憲主義と日本国憲法』, 有斐閣)。

ハイエクは自由を守るために、法の支配を重視した。

法の支配の下では、政府が個人の活動を場当たり的な行動によって圧殺することは防止される。そこでは誰もが知っている「ゲームのルール」の枠内であれば、個人は自由にその目的や欲望を追求することができ、政府権力が意図的にその活動を妨げるようなことはない、と確信できるのである。

「法の支配」においては、政府の活動は、諸資源が活用される際の条件を規定したルールを定めることに限定され、その資源がつかわれる目的に関しては、個人の決定に任される。これに対し、恣意的政治においては、生産手段をどういう特定の目的に使用するかを、政府が指令するのである。(F.A.ハイエク, 『隷属への道』, 春秋社)

グンター・トイブナーは、グローバル化の中で、権力を制限するシステムについて記述した(『システム複合時代の法』, 信山社)。世界に対し、国民国家における憲法は制限規範として無力である。その中で、権力を制限する民間憲法とでも言うべきシステムが、自生的に出現してくる。この本の中で、トイブナー述べた階層型社会の機能不全についての記述は、共産主義や全体主義が失敗したメカニズムの一端をよく説明している。上意下達の命令で行動を制限したままで、現場が実情に対応して生き生きとした活動を展開できるはずがない。現場は多様である。現場の認識も多様であり、政策立案者と同じということはない。進歩は、個別の現場での新たな試みからスタートする。政策立案者からは、未来に向かう新たな営為は生まれない。問題を解決するためには、挑戦することが許されなければならない。

複雑な組織は、決定過程をヒエラルキー化することを通じて冗長性を十分に作りだし―つまり同じ情報を十分に反復させ―、そのことによって決定の不確実性を縮減しようとした。組織の頂点への環境コンタクトの集中によって、環境に関する情報が、組織の存続を危うくするほどに欠乏することになった。組織社会において、公法が鈍重な大組織のヒエラルキー的な調整交渉メカニズムを下支えしそれを変化から規範的に防衛する。(グンター・トイブナー, 『システム複合時代の法』, 信山社)

階層型社会では、権力そのものの在り方が、情報の種類、量、質、流通の方向を徹底して制限するため、システムの作動が致命的に阻害される。計画主義は、情報の獲得とその解釈、それに基づく方針決定を、計画設計者と官僚が独占することを前提としている。インターネットによって、情報が、あらゆる方向に、大量にやり取りされている状況の中で、医系技官の計画主義は陳腐化する
しかない。

新専門医制度の歪み 

欠陥を多く指摘され、一年開始が延期された新専門医制度が、本格的に動き始めようとしている。

下記の論考にある通り、この制度は、後期研修医管理制度である。教育のための制度ではなく、若い医師を管理し、都合よく働かせようとする制度だ。いわば、若い医師のキャリアーを助け、医療の質を向上させるためではなく、この制度を作りあげた官僚、学会・大学・基幹病院幹部のための制度になっている。この制度を作りあげた人々は、医師のキャリアー実現を助け、それによって医療を良くするための制度にすることを拒否し、自分たちの利権を確保することだけを考えている。

こうした硬直した制度は、近い将来、医療の荒廃をもたらし、ついにはそれ自体破綻する。

以下、MRICより引用~~~

後期研修医の視点からみた新専門医制度の欠陥

安城更生病院
副院長/神経内科部長 安藤哲朗

2017年2月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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新専門医制度は専門医機構・学会・大学と医師会・病院団体の綱引きによって物事が決められ、新制度の当事者となる現在の初期研修医、学生、現場の指導医の視点はほとんど顧みられていない。 この稿では当事者の立場から見て、新専門医制度のどこに欠陥があるかを論じる。本来は最も当事者である研修医が意見を述べるべきだが、彼らは学習・研修で多忙であり、十分な情報を持っていない。漠然とした不安を抱きながらも意見を述べることができない状況である。私は、市中病院において20年以上にわたり初期研修医、後期研修医(専攻医)を守り、支援し、教育してきた。若い医師を育てることを天職と考えている指導医であり、日常的に研修医達と意見交換をしているので、指導医の立場から述べるとともに、研修医の立場も代弁して述べる。

1.新専門医制度の実態は「後期研修医管理制度」である。
初期研修のように法律で規定されたものではないものの、初期臨床研修を終えた医師は、「いずれかの基本領域の専門研修を受けることを基本とする」としていることから、これは「後期研修医管理制度」であると理解できる。内容的にも指導医数、症例数などの外形基準の縛りが主体の制度である。プログラムは採用人数に規制が設けられており、また都会では人数がさらに制限されることになる。自分が希望している施設の診療科で働けない可能性が、現在よりも高まるだろう。事情によりどうしてもその地域で働きたい医師は、志望科を変更せざるをえない。

また後期研修を終えた時期の医師は、専門医としての入り口に立った段階であって、国民のイメージする「その領域において深い経験と能力を持つ専門医」とはほど遠い。国民目線から見ると「後期研修終了医」という名前の方が実態に則しているのではないか。

2.後期研修医の身分保障、経済面の配慮がない。
初期研修医には国費が支払われており、ある程度経済的な配慮がされている。しかし後期研修医にはそのような制度はない。少なからぬ大学病院では、十分な給与を支払うことができないであろう。この年代ではすでに家庭を持つ医師が少なくないが、初期研修医よりも給与が少なくなる可能性がある。そうなるとバイトをしなくてはならず、研修に専念できない。また基幹病院から連携病院に所属が変わるときの身分保障や給与がどうなるか、いまだ不透明である。

3.女性医師のキャリア形成への配慮がない。
今後は医学部卒業生の約3割が女性である。後期研修時期の女性医師は結婚し出産・育児をすることが多い年代でもある。産休が6カ月は認められているものの、その後の育児において、状況によっては時短や非常勤などのフレキシブルな勤務ができることが望ましいが、そうするとプログラム制の専門医を取得するキャリアが閉ざされてしまう可能性がある。カリキュラム制よりもプログラム制の方が優れているという強いエビデンスがないならば、柔軟なキャリアを容認して最終的に到達目標に達すればよいとす
べきではないか。

4.医療安全への配慮がない。
医師のローテート制と患者の死亡率は関連があるというエビデンスがある1)。初期臨床医は、単独で診療をしない立場なのでローテートは容認できるが、後期研修医は主治医になる立場なので、不要なローテートはできるだけ減らす方が安全である。
また、施設を移動することは医療安全において大きなリスクを伴う。国立国際医療研究センターの脊髄造影剤の死亡事故は、以前の施設と造影剤の取り出し方法が異なっていたことが要因の一つと考えられている2)。後期研修医の立場からみると、その病院のシステムに慣れておらず、また医療安全管理体制がどのようであるかがわからない。国立国際医療研究センターのように当事者の後期研修医を刑事事件の被告に追い込むような対応をする病院もあるため、安心して診療ができない。また逆に指導医の立場からすると他の施設からローテートしてきた後期研修医が、どこまで任せられる医師であるかがわからない。そのため後期研修医に対しても二重主治医制をとらざるを得ず、医師不足に拍車がかかる。
(坂根医師が指摘しているように、国立国際医療研究センターの脊髄造影剤の死亡事故の際の、同センターの責任者が、この専門医機構の理事長になっている。彼はあの事故の原因究明を行わず、責任をとることもなかった・・・これは間違いだった。彼は日本医療事故調査機構の理事長職にあるようだ。この機構の問題も深刻で、同機構は、係争中の案件にも積極的に関与することに決めたようだ。それは、機構として存続するための自己目的化した在り様であり、専門医機構が医師の教育という観点ではなく、自らの利権拡大を第一に考えている状況とそっくりだ。:ブログ主注)

5.柔軟なキャリア形成を阻害する。
誰がどのような根拠で決めたかわからないが、19の基本領域のいずれかを選ぶように決められて、プログラム制なので途中で進路を変更することが困難になる。従来は、脳外科をやっていて途中から救急医になるとか、整形外科からリハビリ医になるとか、神経内科医から神経病理医になるというキャリアを積む医師が少なくなかった。医師としての経験を積む中で、自分の興味と適性がわかってくる場合があるのである。また、そのような柔軟な進路をとる医師がその領域の幅を広げ、医療を進歩させてきた。進路変更がなければ山中伸弥教授のiPS細胞は生まれなかったかもしれない。
(山中教授は、もともと整形外科医であったが、途中で基礎に進路を変えた。基礎に行かずとも、臨床専門科目間で移動する医師は、多くいる。それが、この新専門医制度ではほぼ不可能になる:ブログ主注)
硬直化した基本領域―subspecialty構造を持つ新専門医制度が始まると、時代の流れによる医療ニーズの変化に合わせた柔軟な対応が取りにくくなる。

6.担当した患者に責任を持って診る態度が涵養されない。
従来は後期研修医の年代は、ある程度責任を持って担当した患者を診る時期であった。地域医療の一端を担って目の前にやってきた患者に対応し、わからないことは調べ先輩に聞いて、飛躍的に医師としての実戦的能力が伸びる時期である。やってきた患者に全力で対応するのを繰り返して、気が付けば3、4年間で多くの経験を積むことになる。そして卒後6年目に専門医試験を受けるこ
とで、自分の経験の足りない領域に気づき、それを補うために勉強して、専門医資格を取ることで専門医として出発点に立つのがこれまでの制度であった。新専門医制度で予定されている施設移動を伴う短期ローテートの方式では、責任を持った診療をする態度は涵養されない。
(大学時代に短期ローテートで回ってくる医師がいたが、3か月はおろか6か月のローテートでも、たいした研修にはならなかった。仕事の概要を学び、人間関係を築くだけでも、その程度の期間はかか
る。:ブログ主注)


新専門医制度になると、内科の場合は70疾患群200症例の主担当医となることを目標とする(終了認定には56疾患群160症例以上)とされているため、「なるべく多くの疾患群を集めるために、一度診た疾患はもう診なくてもよい」、「要領よく疾患群を集めたい」という動機が生じる可能性がある。極端な場合には、外来でフォローできる患者を、後期研修医のために無理やり短期入院させて受け待たせなければならない施設もでてくるかもしれない。地域医療を担う医師のあるべき姿勢を身に着けるのに、新専門医制度はふさわしくない。

これらの制度欠陥を考えると、研修を受ける当事者にデメリットが極めて大きい。ほとんど絶望的ですらある。立ち止まって考えるようにと、制度開始が1年間延期されたが、大きな問題点は何ら解決されていない。多くの医療現場の指導医は、この制度の欠陥に気づいている。そして一部の心ある医師達は反対の声を上げているが、それが専門医機構や学会を大きく動かすまでに至っていない。新専門医制度を設計している人達は、現場感覚が薄れている人達が多いのかもしれない。
(というよりも、自らにとって都合の良い制度にしている、ということなのではなかろうか。:ブログ主注)
私は指導医として、経済的な不安や医療紛争に巻き込まれる心配をできるだけ払拭して、研修医がよい臨床経験を積むことに専念できるような環境を提供したいと思う。しかし新専門医制度により今後はそのようなよい研修環境を提供することが著しく困難になる可能性が高い。若い医師がよい医者に育たないと、日本の医療の未来は暗い。医療の未来は若い医師達の前に開かれているべきである。若い医師達の未来を硬直化した制度で縛るべきではない。当事者の学生、研修医達が、このとんでもない制度の情報を集め、考え、議論して、声をあげるべきである。「私たちは医師として、こういうキャリアを積んでいきたいので、新専門医制度には乗りません」と。かつての学園紛争の時代には、学生達が国家試験をボイコットしてインターン制を廃止に追い込んだ。この絶望的な制度を頓挫させるには、当事者の若者達が声をあげ、行動するしかないと思う。
(こうした歪んだ研修制度によって、結局、医療を受ける国民にしわ寄せが及ぶ。医療のような専門性の高い職種が、倫理的に崩れたときに、国民が得る不利益は計り知れない。:ブログ主注)

文献
1) Denson JL, Jensen A, Saag HS: Association between end-of-rotation r
esident transition in care and mortality among hospitalized patients.
JAMA 316: 2204-2213, 2016  
2) 橋本佳子:医療維新、国立国際医療研究センター、誤投与事故「10の疑問
に回答」Vol.1
https://www.m3.com/news/iryoishin/367013

行政による医療からの簒奪 

緩和病棟ホスピスの定額診療報酬を受ける条件に、日本医療機能評価機構の病院機能評価がまだ続いている。この問題は、以前にも取り上げた。こちら。同機構による病院評価は、行政が病院の様々な「機能」を検定する制度だ。だが、その内実は、ほとんど意味がないことの羅列である。ひどい場合は、スリッパの形状や、ごみ箱の蓋の有無とかを問題にするらしい。もっとも大切な、医療機関従業員の労働環境、労働条件については、おざなりで形式的な評価しかしない。

以前のポストにも記したが、評価を受けるために数百万円規模の金を医療機関が要求され、毎年数十万円、さらに評価基準改定時に新たな受診と同じだけの金が要求され続ける。いわば、医療現場の貴重な収入を、ねこばばしているのだ。その病院機能評価に対する医療機関側の「評価」は右肩下がりで、受診する医療機関も減り続けている、と聞いている。同機構は、産科医療補償制度で百億円単位の内部留保を確保したため、この病院機能評価にはあまり積極的ではない様子。だが、緩和病棟の診療報酬にからみ、この病院機能評価というおかしな制度が「強制」になっていることは、社会的な公正さの点で到底納得が行かないものだ。診療報酬制度のなかで唯一この病院機能評価が強制されている項目である。人生最後の時を患者さんが過ごされる緩和病棟で、金をむしり取るねこばばを行政が行っていることには痛烈な批判がなされるべきだ。

実は、これ以外にも、医療を行政、その天下り組織が「食い物」にしている事例は、どんどん増え続けている。新たな専門医制度もその一つ。実務は学会に丸投げで、事務処理を担当する専門医機構と関連学会に莫大な専門医認定の手数料、更新料が入る。専門医資格が、実質的に勤務医となり仕事を続けるために必要条件になりつつある。医師は、あまり意味のない座学とリポート、そして多額の取得、更新手数料を支払わせられる。専門医取得・更新に多くの時間を割かれ、医師はさらに疲弊し、経済的にも負担を強いられる。これで潤うのは、官僚の天下る専門医機構と学会の幹部たちだ。

医療事故についても、同様の構図が見え隠れする。日本医療安全調査機構・医療事故調査・支援センターは、盛んに医療事故の報告例が少ないとマスコミに垂れ流している。その一方で、同機構は医療事故の原因調査再発防止のみに専念するという原則を逸脱し、医療訴訟事例も積極的に調査する事業を行っている。報告例が少ないと宣伝するのは、報告例数の増加が同機構の収入に結びつくからだ。このブログに後で引用しようと思っているが、同機構のそうした在り方について、坂根みち子医師が痛烈な批判を行っている。

ここでは触れないが、医学教育分野、診療報酬においても、同様の事例がある。

こうした天下り組織による、医療からの簒奪は、結局、医療の窮乏化、貧困化を招き、それによって患者にしわ寄せが及ぶ。

こうした簒奪の構図は、結局のところ、国民生活のいたるところに存在し、負の影響をもたらしている。政治はそれを黙認し、マスコミもほとんど問題にしようとしない。

厚労省官僚個人への裁判 

厚労省官僚、とくに医系技官と呼ばれる官僚は、医療をさまざまな形で支配しようとしている。もしかするとそれが、日本の医療を良くすることになると、彼らは考えているのかもしれない。だが、臨床経験が殆どない彼らが企画、立案することは、医療現場を引きずりまわし滅茶苦茶にすることが多い。SARS・新型インフルエンザ対応、予防接種問題、朝令暮改の診療報酬制度等から、それは明らかだ。小松秀樹医師の言う、統制医療は、失敗の連続だ。

彼らの行政政策は、往々にして、官僚の天下り先確保を最終的な目的としている。日本医療機能評価機構を初めとする様々な特殊法人の設立、さらに薬価を高止まりさせる施策等がそれに当たる。医系技官の臨床経験の乏しさとともに、この天下り先確保が、彼らの行う行政政策策定の根本的動機となっており、それによって失敗が続いている。

現場の医師は、行政に問題があり、それによって不利益、不公正が生じていても、厚労省には逆らえない。彼らは、保険医療機関、保険医の資格はく奪をするだけでなく、最悪の場合医師免許をはく奪する権限を持っているからだ。保険医療機関、保険医の資格を検討する機会は、いくつもあって、医療機関、医師は抵抗することができないようになっている。ここに紹介する小松秀樹医師は、千葉県に出向していた本省官僚によって、補助金支払いをめぐり不適切かつ理不尽な行政対応をされた。彼が、それに抗議すると、官僚側は彼の勤務する医療機関の経営者に、おそらく彼を辞めさせるように声をかけた。官僚のその言葉は、経営者にとって命令に等しいものだったはずだ。結果として、小松秀樹医師は罷免された。官僚の理不尽な振る舞いに対して、小松秀樹医師は、敢然と戦いを挑んでいる。

小松秀樹医師の厚労省官僚との戦いは、以前から何度か取り上げた。彼が、優れた能力と、医療問題に関する深い洞察力を有する医師であるからこそ、こうした官僚相手の裁判を提起できるのかもしれない。医療現場の一般の医師が、容易に実行できることではない。こうした裁判で、厚労省官僚の横暴な振る舞いにブレーキがかかることをぜひ期待したい。この裁判は、横暴な振る舞いをした官僚個人への裁判になっている。これまで個人的な責任を取ることの殆どなかった厚労省官僚の行政面での個人的な責任を問う裁判としての意義がある(輸血製剤によるHIV感染の裁判が、例外の一つだろう)。官僚の瑕疵は、裁判では容易に認められることはないだろう。だが、裁判を提起された事実だけでも意味がある。官僚の無謬性神話への挑戦である。官僚は常に正しく、彼らの意向に従わねば、医療現場の医師にぺナルティが加えられる、という「法治」ではなく「人治」に近い、官僚制の在り方、また官僚が目指す統制医療への、強い異議申し立てである。

この裁判が、厚労省官僚の医療行政をただし、日本の医療をよくすることにつながることを期待して見守りたい。

以下、MRICより引用~~~

医系技官を訴えた理由:統制医療が日本を滅ぼす

元亀田総合病院副院長
小松秀樹

2016年11月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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●公務員個人に対する損害賠償請求
私は、厚労省元結核感染症課長井上肇氏(現在世界保健機関出向中)と千葉県医療整備課長高岡志帆氏を東京地裁に提訴した。第1回口頭弁論が、11月30日午前10時15分、631号法廷で予定されている。多くの方に傍聴していただきたい。
両氏とも本籍は厚労省採用の医系技官だ。公務員が民間人である私の言論を封じるために、医療法人鉄蕉会の経営者に厚労省の内部情報を漏洩して、私を懲戒解雇するよう求めた。2015年9月25日、私は懲戒解雇になり職を失った。言論を抑圧するために、民間医療機関に対して職員の解雇を強要することは、公務員としての活動ではありえない。そこで、国家賠償請求訴訟ではなく、個人の不法行為に対する損害賠償請求訴訟とした。

●経営者は私の言論活動に協力していた
私は、医師だが、十数年来、言論人としても活動してきた。経営者は、今回の事件まで私の言論活動に協力的だった。亀田総合病院亀田信介院長は千葉県医療審議会の専門委員だった。信介氏との議論が、病床規制や東千葉メディカルセンター問題について執筆するきっかけになった。信介氏から千葉県医療審議会に提出された資料を提供された。2013年10月、私は、医療法人鉄蕉会理事長亀田隆明氏の要請で、規制改革推進会議で病床規制の問題点を指摘した。隆明氏は、控除対象外消費税についての私の論考をきっかけに、その是正を求める運動を始めた。

●高岡志帆課長の虚偽通告とその破綻
私は、亀田信介院長の強い要請により、2013年度から3年間の予定で、亀田総合病院地域医療学講座で地域包括ケアに関する映像シリーズ、書籍、規格を作成していた。予算は国の地域医療再生臨時特例交付金から支給されたものだ。2014年度の交付決定通知を受け取っていたが、2015年5月1日、高岡氏らから、予算がなくなったことを理由に、2014年度の予算を削減し、2015年度については事業を中止すると通告された。地域医療再生基金管理運用要領によれば、厚労大臣の承認なしに、都道府県の役人の恣意で事業を中止できない。それ以上に、予算の流用は許されることではない。私は、予算が何に使われたのか、いくら残っているのか厳しく追及した。亀田隆明理事長も怒りを露わにして、自治体病院に出向させている医師を引き揚げると脅迫めいた言葉を口にした。5月15日、隆明氏は、態度を急変させ、私を外して、1対1で県と交渉すると言い始めた。隆明氏は、それまでの経緯、活動内容を知らない。公金が投入されており、外部の映像制作会社、出版社、名だたる専門家が作業に関わっていた。私には個別医療法人を超える責任が生じていた。私が反対すると、隆明氏は、交渉するのではなく、千葉県の不正を高岡氏に伝えるのだと発言を変えた。不正を行った本人に不正だと訴えても意味はない。私は、予算を確保するために、鉄蕉会内部の弁護士と相談の上、「亀田総合病院地域医療学講座の苦難と千葉県の医療行政」をMRIC(メールマガジン)に投稿して千葉県の対応を批判した。2015年5月27日、狙いどおり、高岡氏は虚偽を認め、予算が残っていることを明らかにした。2014年度予算については、決定通り交付されることになったが、2015年度予算について、態度をあいまいにした。まだ流用をあきらめていない。そこで、県を押し込むために「千葉県行
政における虚偽の役割」をMRICに投稿した。出来事をできるだけ正確に再現して、千葉県の対応を批判した。

●言論抑圧と懲戒解雇
2015年6月22日、亀田信介院長に内密の話があると呼び出された。厚労省の職員から私の行政批判を止めさせろ、今後も書かせるようなことがあると、補助金を配分しないと脅されたという。言論抑圧は大問題だ。私は、信介氏との会話の記録を作成し、信介氏に確認を求めたが、修正の要請はなかった。その上で、信介氏には、大変なことになるかもしれないので、相手と接触しないよう忠告した。2015年7月15日、言論抑圧を仕掛けたのが、イノウエハジメカチョウだとの情報を得た。結核感染症課長の井上肇氏ならば、亀田総合病院では有名な名前だ。保健医療担当部長として千葉県に在職していた当時より、亀田隆明理事長と懇意にしていた。当時の厚労省の幹部名簿には、イノウエハジメという課長は他に見当たらなかった。言論抑圧を放置すれば、医系技官の乱暴な支配がさらに強まる。2015年8月17日、私は、知人の厚労省高官に、作成途中の厚労大臣あての、調査と厳正対処を求める文書の原案を送って、手渡す窓口と日時を相談した。2015年9月2日11時18分、高岡医療整備課長から、隆明氏に、メールが送付され
た。
   
すでにお耳に入っているかもしれませんが、別添情報提供させていただきます
。補足のご説明でお電話いたします

メールには、私が作成した厚労大臣あての文書原案と「千葉県行政における虚偽の役割」が一つのPDFにまとめられて添付されていた。十数分後、隆明氏は、別の人物に電話で状況を説明した後、メールをそのまま転送した。隆明氏は、私を9月中に懲戒解雇すると語ったという。2015年9月14日、懲戒手続きが開始された。弁明の機会付与通知書には「メール、メールマガジン、記者会見等、手段の如何を問わず、厚生労働省及び千葉県に対する一切の非難行為を厳に慎むことを命じます」と書かれていた。処分通知書は、「貴殿は、職務上及び管理上の指示命令に反し、亀田総合病院副院長の名において、厚生労働省に、2015年9月3日付け厚生労働大臣宛書面を提出し、同省職員の実名をあげ、調査と厳正対処を求める旨の申し入れを行った(懲戒処分原因事実3)」と締めくくられていた。大臣あて文書の記載内容に異議を唱えることなく、記載内容を前提に、公務員の不正について調査と対処を要請したことが、懲戒処分の理由として記載されていた。申し入れ書は、公益通報に相当し、秘密にされるべきものだ。これを理由にした懲戒解雇などあってはならない。

計画経済は複雑多様化した世界に対応できないばかりか、専制、腐敗を招くと私は、計画経済的な医療統制を批判しつづけてきた。これが言論抑圧の背景にある。上意下達のヒエラルキー的な統制は、組織の頂点しか、環境を認識してそれに対応することができないため、医療の営為を画一化し、硬直的にする。統制は、医療が複雑多様化している中で、失敗を繰り返してきた。計画経済は、行政が強大な権限を持つため、専制を招く。腐敗と非効率は避けられない。旧共産圏では、現場の活力を奪い、製品やサービスの質と量の低下を招いた。計画経済を運営することは人間の能力を超えている。  

●統制医療の大失敗:首都圏の医療・介護供給不足
明治以後、日本では医学部の配置が西日本に偏っていた。1970年以後の1県1医大政策でこの格差が広がった。例えば、四国(1970年人口390万人)の医学部数は1から4に増えたが、千葉県(1970年人口337万人)は1のままだった。1985年の病床規制導入後、入院診療への新規参入が抑制され、許可病床が既得権になった。許可病床数を決めるための基準病床数の計算方法が現状追認的だったため、医療提供量の西高東低の地域差が固定された。高度成長期、団塊世代を中心に、首都圏近郊への人口集中が進み地域差がさらに拡大した。2015年、四国4県の人口は385万人に減少したが、千葉県の人口は622万人まで増加した。千葉県では、看護師が極端に不足しているため、許可病床のすべてが開床できるわけではない。医療格差が団塊世代の高齢化で急速に拡大しつつある。2015年、団塊世代全員が65歳以上になった。2025年には75歳以上になる。65歳から74歳までの要介護認定率は4%だが、75歳以上では30%になる。2030年、首都圏で75歳以上の高齢者人口は、2010年の約2倍になる。都市部を中心に医療・介護サービス、とくに介護サービスの深刻な供給不足が予想されている。東京では75歳以上の高齢者の28%が独居だ。首都圏では、行き場を失った要介護者があふれることになる。

●失敗挽回の大方針は「強制力」の強化
医系技官は、高齢者の急増に対応するために、中央統制をさらに強める動きにでた。2013年8月の社会保障制度改革国民会議報告書は、「強制力」のさらなる強化を提案した。国会審議を経て「強制力」が法制化された。統制は、現場の状況に応じた多様な努力を抑圧する。強制力を強化するとどうなるか、旧ソ連で証明済みだ。限界まで強化されるとどうなるか、北朝鮮を見ればよく分かる。

●医系技官の権力拡大
地域医療構想では、構想区域の医療の需要を行政が推計し、各病院の病床機能ごとの病床数を実質的に行政が決める。計画経済そのものだ。実行に強制力が伴う。都道府県知事は、「勧告等にも従わない場合には」最終的に「管理者の変更命令等の措置を講ずることができる」(地域医療構想策定ガイドライン)。都道府県に出向した医系技官が、病床配分を通じて、個別医療機関の生死を握ることになる。専制と腐敗が生じやすい。さらに、消費税増収分を活用した地域医療介護総合確保基金が、都道府県に設置された。補助金を、都道府県の裁量、すなわち、都道府県に出向した医系技官の裁量で医療・介護施設に配分する。医療には消費税が課されていないが、医療機関の購入したものやサービスには消費税が上乗せされている。消費税率引き上げ分が診療報酬に十分に反映されていないことを考え合わせると、この基金は病院の収益の一部を取り上げ、それを、支配の道具に使う制度だと理解される。病院の投資を医系技官が握ることになる。病院独自の経営努力の余地を小さくする。 行政主導の投資は無駄が多い。補助金をできるだけ少なくして、診療報酬に回すのが健全だ。どうしても必要な補助金は、裁量権を持つ医系技官が決めるのではなく、数字で示される指標で自動的に金額が決められる方法を考案する必要がある。配分する側に裁量権があり、配分される側に経済的余裕がなければ、支配-被支配関係が生じ、民主主義が破壊される

●統制医療ミクロの失敗:東千葉メディカルセンターの巨額赤字とその責任
東千葉メディカルセンターの設立と運営に補助金を集中的に投下するために、千葉県は、二次医療圏を恣意的に変更して、山武・長生・夷隅医療圏を作った。長径80キロの細長いゲリマンダー医療圏だ。東千葉メディカルセンターは、2014年に開院したが、医療人材不足とずさんな計画のため巨額の赤字が続き、東金市の財政を危うくしている。 
夷隅郡市2市2町の住民の医療のために使われるべき補助金が、東千葉メディカルセンターに投入された。夷隅郡市の住民は遠いため通院できない。救急搬送するにも遠すぎる。東千葉メディカルセンター問題が注目されると、千葉県職員の責任問題になる
可能性がある。井上肇氏は、東千葉メディカルセンターの準備段階の一時期、千葉県庁でこの問題を主導すべき立場にあった。高岡志帆氏は、現在、東千葉メディカルセンター問題に深く関わるべき立場にある。東千葉メディカルセンター問題は、言論抑圧の直接的原因の一つだった可能性が高い。

●医療事故調査委員会問題:行政主導の「裁判」を目指して失敗
医療事故調査委員会問題では、医系技官は、当初、中央で医療の正しさを決め、過失の認定まで行おうとして失敗した。実現していれば、医系技官が事務局に天下りし、裁定を支配しただろう。人権を守るための手続きを知らず、自己の権力拡大を強く望み、それ故に利益相反が避けられない人たちに、「裁判」をゆだねるのは危うすぎる。最終的に、法令系事務官が、医系技官から奪い取る形で、院内事故調査委員会を中核とする安全を高めるための制度が作られた。医療の正しさは仮説的で暫定的であるがゆえに、進歩し続ける。医療の正しさは未来に向かって変化するものであり、別の意見を排するような猛々しいものではない。医療現場は多様であり、正しさも複雑多様だ。正しさが固定されると、医療は機能を低下させ、進歩を止める

●新専門医制度:多様性の抑圧と若い医師の人権無視で破綻
新専門医制度では、専門医の養成を、統一的に画一的に行ない、これに人事権を絡ませようとした。教育制度に人事権を持たせると、専制と搾取が生じる。教育者と被教育者の権威勾配がこれを助長する。医系技官は制度を支配の手段と考え、大学教授たちは若い医師を隷属させる手段と考えた。このため、養成期間が長期間になりすぎた。給与を誰が保障するのか考えていなかった。画一的で無駄の多い修練期間が長くなると、専門医の技量の習得を妨げ、医療の質を低下させる。専門医としての生涯活動期間を短くし、サービス提供量を減少させる。
地域にはその実情に合わせた多様な工夫や努力がある。愛知県の救急医療は、医師不足にも拘わらず、卒後5~6年目までの若い医師によって支えられてきた。愛知県の救急医療体制は、新専門医制度の人事ローテーションによって崩壊すると危惧されていた。
新専門医制度は様々な欠陥のため、予定していた2017年度に開始できなくなった。

●新型インフルエンザ騒動:病気と医療についての知識不足で失敗
2009年の新型インフルエンザ騒動で、医系技官は、医学常識に反する無茶な指示、事務連絡を連発し、医療現場を混乱させた。早い段階で、弱毒性と分かったが、大騒ぎを続けた。大阪の経済活動を長期間妨げた。医学的に根拠のない検疫、停留措置で人権を侵害した。
2012年4月、新型インフルエンザ対策特別措置法が成立した。医学常識を欠く医系技官に、人権制限を伴う強大な権限を付与するものだった。2012年11月、日本感染症学会は、特別措置法について緊急討論会を開催した。専門家たちは2009年の新型インフルエンザ騒動の混乱を忘れていなかった。多くの専門家が発言したが、特別措置法に賛成した者は一人もいなかった。

●医系技官と言論の自由
医系技官という存在は難しい。医師免許を持っているが、本格的な医学知識や診療能力を持っているわけではない。行政官なので、活動は法律に縛られるが、その法律の成り立ちをほとんど知らない。このため、属人的権力、すなわち裁量権のある権力、個別事例に介入する権力を欲しがる
属人的権力は専制につながりやすい。すでに、医師や病院の団体は、医系技官に抵抗しにくい状況にある。例えば、日本医師会の事務局長は医系技官だ。国から独立した自律団体としては考えられないことだ。ナチへの反省から生まれた世界共通の医療倫理に反する。日本の医師は、医系技官を恐れ、表立った言論による批判を避けている。
亀田総合病院事件は、統制医療の必然的副作用だ。井上、高岡両氏は、統制医療が生んだ小さな怪物だ。今は特殊かもしれないが、いずれ、これが普通になる。厚労省や千葉県の統治の正当性が危うくなる。法治国家としての日本の正当性が揺らぐ。
「憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」(日本国憲法第12条)。三権分立も「国民の不断の努力」がなければ機能しない。最大の手段は、言論による批判だが、その言論が抑圧された。今回の裁判の結果は、日本の民主主義の水準を決める。

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