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産科医療補償制度が、脳性麻痺医療訴訟を増やしている 

私自身、臨床から離れたこともあり、産科医療補償制度のことは意識の外になってしまっていた。同制度が、立ち上げ時に、心配された医療訴訟の増加をもたらしている。

この制度は、不幸にして分娩時に脳性麻痺にかかったお子さんを経済的に救うことを目的に作られた制度だ。

だが、その制度が、脳性麻痺の責任を医療機関・医師に求める訴訟を増やしている、というのだ。

脳性麻痺は、1000出生に1から2例、一定の割合で必ず生じる。その内、9割は胎内で生じる、すなわち分娩の問題で生じるのではない。こちら参照。この制度の「原因分析」によって、脳性麻痺訴訟が増えることは、本旨ではないし、脳性麻痺の発症機構からして、医学的に大きな問題を孕む。

この制度を運用する日本医療機能評価機構は、莫大な内部留保を蓄えている。一年で100億円程度余剰金を得ている。ご存知の通り、同機構は、巨大な天下り組織である。

行政が、不適切な医療行政を行い、利権をえる一方、医療はおそらく根拠のない医療訴訟の増加に直面している。

以下、引用~~~

脳性麻痺訴訟の提訴が急増している

この原稿は月刊集中6月末日発売予定号からの転載です。

井上法律事務所所長 
弁護士 井上清成

2018年6月21日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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1.脳性麻痺に関する紛争・訴訟の増加
平成30年(2018年)4月11日、日本記者クラブにおいて、公益社団法人日本産婦人科医会の医療安全部会が、「産科医療補償制度の現状と今後の課題」に関して記者懇談会を行い、その要旨が日本産婦人科医会報5月号に掲載された。目に付いたのが、「紛争・訴訟の減少」という項目である。もちろん、文字通り本当に紛争・訴訟が減少しているのならば、喜ばしい。「紛争・訴訟の減少」の項目では、「近年の産婦人科の訴訟件数の推移は減少傾向にある。産科医療補償制度開始後にはその傾向は顕著であり、10年前に比べて3分の1になっている。本制度の補償対象事例において、本制度とは別に損害賠償請求等がされたのは、補償が決定した2,233件のうち97件(4.3%)にすぎず、このうち訴訟提起事案は51件であった(平成29年12月末における集計)。」などと述べられていた。そのまま記者発表の額面通りの評価でよいのならば誠に喜ばしいことであるけれども、残念ながら、客観
的な動態の数値はそうではない。実際は、産科医療補償制度の補償対象事例となった重度脳性麻痺に関する紛争や訴訟は、近時になって急増しているのである。

2.産科医療補償制度の9年間の推移
確かに、近年の「産婦人科」全体の「訴訟件数」の推移は、減少傾向にあると言ってよい。平成24年(2012年)の年間59件以降、平成29年(2017年)までの5年間は年間56件・60件・50件・52件・54件とほぼ50件台で推移し、低位で安定していた。ほぼ3倍であった平成18年(2006年)の年間161件、ほぼ2倍であった平成19年(2007年)の年間108件の頃とは隔世の感がある。もちろん、訴訟減少の最大の要因は、脳性麻痺のみを対象とする産科医療補償制度のためなどではなく、産科医の逮捕と刑事責任追及が行われた福島県立大野病院事件での無罪判決(平成20年〔2008年〕8月20日福島地裁)の強烈なインパクトのためにほかならない。

さて、それはともかく、ここでの最も重大な問題は、産科医療補償制度のお蔭で、脳性麻痺の紛争(損害賠償請求事案)や訴訟提起事案が果たして本当に減少したのかどうかということであろう。引用した日本産婦人科医会報の「平成29年(2017年)12月末における集計」だけでは、どちらであるとも全くわからない。そこで、平成25年(2013年)時点における資料(平成25年11月27日付け公益財団法人日本医療機能評価機構産科医療補償制度運営委員会「産科医療補償制度見直しに係る報告書」40頁・参考5「紛争の防止・早期解決に係る状況」)と併せて考えることにしよう。
産科医療補償制度は平成21年〔2009年〕に開始したので、平成30年〔2018年〕である本年が制度開始10年目となる。そこで、産科医療補償制度のこれまでの9年間の推移を、前半期(平成21年〔2009年〕~平成25年〔2013年〕。ただし、正確には、統計時点の都合上、平成25年〔2013年〕5月末までの4年5ヶ月間)と後半期(平成26年〔2014年〕~平成29年〔2017年〕12月末まで。ただし、正確には、統計時点の都合上、平成25年〔2013年〕6月1日からの4年7ヶ月間)との2つの時期に分けて見ることとする。

3.後半期は件数2倍・割合3倍に激増
前半期における「産婦人科」すべての「訴訟事件」は合計370件(ただし、ここは丸々5年間の件数)で、そのうち重度脳性麻痺に関する紛争(損害賠償請求事案)は33件で、さらにそのうちの訴訟提起事案は17件であった(平成25年11月27日付けの前掲資料より)。つまり、「重度脳性麻痺に関する訴訟件数」の「産婦人科すべての訴訟件数」における割合は、4.6%である。ところが、後半期における「産婦人科」すべての「訴訟件数」は合計216件(ただし、ここは丸々4年間の件数)で、そのうち重度脳性麻痺に関する紛争(損害賠償請求事案)は64件で、さらにそのうちの訴訟提起事案は34件であった。つまり、「重度脳性麻痺に関する訴訟件数」の「産婦人科すべての訴訟件数」における割合は、15.7%である。 
したがって、後半期は、前半期と比べて、重度脳性麻痺に関する訴訟件数が17件から34件に倍増してしまった。さらに、産婦人科全般に占める重度脳性麻痺の訴訟件数の割合も、4.6%から15.7%へと3倍にも増加しているのである。
前半期と比べて後半期には、産婦人科全般の訴訟件数のみならず全診療科目の訴訟件数も明らかに減少しているにもかかわらず、重度脳性麻痺に関する訴訟提起事案(もちろん、紛争全般も。)だけがひとり全く逆方向に激増してしまった。件数が2倍、割合は3倍にもというのでは、たとえ諸原因による誤差を十分に考慮したとしても、それらだけでは済ませられない。尋常でない増加ぶ
りと評価してよいであろう。
誠に残念なことではあるが、これこそが客観的な数値である。到底、産科医療補償制度関連だけは、「紛争・訴訟の減少」はしていない。

4.産科医療補償制度の現状と今後の課題   
産科医療補償制度は、確かに開始当初の前半期には重度脳性麻痺に関する紛争・訴訟を減少せしめた(と思いたいところではある。ただし、ひいき目に見ないとすると、全診療科目や産婦人科全般の大きなトレンドと並行しただけだとも評しうる)。しかし、いかように捉えようとも、産科医療補償制度が浸透した後半期になって、急激かつ大幅に、紛争・訴訟が増加してしまった。これこそが、産科医療補償制度の現状であり、確かな事実なのである。
そうすると、今後の課題は、「紛争・訴訟の増加」の原因を取り除いて「紛争・訴訟の減少」に転じさせるべく、改善策を講じることにほかならない。
産科医療補償制度が浸透した後半期になってからの「紛争・訴訟の増加」であることからして、最も有力に考えられる原因の筆頭は、やはり「原因分析のあり方」である。現状の「原因分析のあり方」では、その一から十まで「紛争・訴訟の増加」の誘因になっていると考えられもしよう。そうすると、その原因分析の本質は尊重しつつも、諸々の技術的な「あり方」については全面的に改善する方がよい。
丁度良い改善のモデルがある。院内事故調査を中心として、非懲罰性と秘匿性の原理に導かれた「医療事故調査制度」が、まさにそれであろう。全診療科目に普遍的な制度として現に施行されている「医療事故調査制度」を見習って、産科医療補償制度だけに特有な「原因分析のあり方」の現状を改善していくべきである。

ロハス・メディカル 

このブログを始めたころ、このロハス・メディカルという媒体、その発行人である川口氏の名前がしばしばネットで目に入ってきた。あの福島県立大野病院事件が起きたころの話だ。正しい論陣を張っておられると感心したのを思い出す。

その川口氏が、ロハス・メディカルを創刊した経緯を、下記の記事で記しておられる。既存のマスコミに対する、強烈な批判だ。その欠点を医療報道の面で補おうという貴重な仕事をなさっている。

当時、医療現場から様々な声がネット上で発信されていた。が、数年のうちに、多くは消滅してしまった。問題が解決したのだろうか、否そんなことはない。日常の仕事に忙殺されたか、それとも変わりようのない現状に絶望したのか、恐らくその両者だろう。何も聞こえなくなってしまった。今後、日本という国が内外の問題で大きく揺れ動き、それに伴い脆い医療というシステムが崩れようとしている。医療現場からの声がもっと発信されるべきなのだが・・・。

そんな状況で、医療以外の立場からではあるが、センセーショナリズムから距離を置き、医療の問題について適切な発言、情報発信を続けてくださるロハス・メディカル川口氏には期待をし、支持してゆきたい。

MRICより引用~~~

儲からない書籍を出版する意味

ロハス・メディカル編集発行人
川口恭

2015年03月09日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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情報には、受け手にお金を払ってもらいやすいものと、そうでないものがあり
ます。

以下二つの文章は、どちらも地球の有様を正しく表現しています。
(1)地球には、海抜8000メートルを超える山と水深10000メートルを超える海溝
があります。
(2)地球は、半径約6400キロメートルのほぼ球形です。
どちらにもウソはありませんが、内容は随分と違います。そして、現在の商業的マスメディアを通じて与えられる情報は、?のように平均から逸脱したものばかりです。受け取る側が?のように平均的な姿を知らない場合、局所的には正しいのだけれど全体としては大間違いという誤解をしてしまう可能性があり、実際に多くの誤解が生じていると考えます。

ちょうど10年前、若気の至りで記者として11年半務めた朝日新聞社を退社し、しかしすることもなく暇を持て余していた私に、大学剣道部時代の先輩だった国立がんセンター中央病院の医師が「マスコミが変な情報を発信するせいで、誤解した患者さんとの間がギスギスして困ってる。患者さんは、診療まで病院で長時間待っているので、その間に読んで誤解を解いてもらえるようなフリーペーパーが欲しい。作らないか」と持ちかけてきたことから、現在の私はあります。先輩に言われた半年後に医療機関の待合室に配置する月刊無料雑誌『ロハス・メディカル』を創刊、気づけば9年半が経過しました。今では月刊20万部。健康で病院と無縁な人には、その存在を全く知られていない一方で、首都圏のブランド病院を受診したことのある方ならほとんどの人が存在を知っているという不思議な雑誌に育っています。

9年半発行し続ける過程で色々な試行錯誤を行い、創刊前に持っていた仮説の多くは間違っていたな、とか、考えが浅かったな、という結論になりました。
しかし一つだけ、やはり正しかったなと思うことがあります。
それは、情報には、受け手にお金を払ってもらいやすいものと、そうでないものがあるということです。その差は、情報の種類ではなく、ベクトルで生じます。
前者は、ある分野で既に平均より優れている人がさらに平均からの差を広げられるような、端的に言えば格差拡大のベクトルを持った情報です。後者は、そのようなベクトルを持ちません。
そういう目で眺めてみれば、お金を払ってもらう必要のある商業的マスメディアの情報が「平均を逸脱したもの」に偏るのは自然なことです。
しかし、この特性は、日本の供給過少気味な公的医療制度と極めて相性が悪いのです。日常の医療現場で必要とされているのは、平均像を伝える、情報の格差をならすようなベクトルの情報だからです。
患者が医療を上手に利用するためにも、医療提供側が限りある人的資源を有効に活用するためにも、まず患者は医療の実像を正しく認識しておき、その上で自分の要求水準を調整する必要があります。つまり「山」や「海溝」のことを知る前に、「地球は丸い」ことを知る必要があるのです。しかし医療の世界は専門性が高いので、普通の人は、自分が医療のお世話になるまで、医療の世界における「地球は丸い」がどういうものか知るはずもありません。その実像を本来は医療従事者が説明すべきと思いますが、人手不足で現場に余裕がないために、私に話が回って来たわけです。そして先輩から話を聴いた時、そういった類の情報に対して、患者は恐らくお金を払ってくれないだろうと考えました。私が「無料」雑誌という発行形態を選んだ一番の理由です。先輩にフリーペーパーと言われたから、無料を選んだわけではありません。紙媒体を作ることしか能のない自分が、社会の役に立てるチャンスだと思いました。

さて、創刊前に抱いていた仮説のうち、考えが浅かったと反省しているものも多々あります。最大の間違いが、正確で分かりやすい情報を出し続けていれば、他に類似のものがない以上、いずれ収益は伴うようになり、事業としても大成功するだろうという根拠のない確信でした。
東日本大震災以降どんどん経営環境が悪くなり、『ロハス・メディカル』に対してお金を払ってくれる顧客は一体誰なんだということを突き詰めてみた時、格差をならすベクトルの情報が社会に必要とされていることは間違いないにしても、どうやら経済的合理性だけから見た場合の顧客はいないようだということ、とすると私のしてきたことはビジネスではなく公益活動だったということに遅ればせながら気づきました。通常のフリーペーパーは、掲載する広告の効果を最大化するため設計されているものですが、そういうことを一切考慮に入れていませんでした。
気づくのが遅かったため、ビジネスモデルがおかしいという自覚のないまま多くの人を巻き込み、今のところ迷惑をかけっぱなしになっています。節目の創刊10年が近づき、そろそろかけた迷惑の恩返しもしないといけない、と強く考えるようになりました。

個々にはそれぞれ恩返しするとして、社会的には『ロハス・メディカル』をもう少し広く知ってもらって、その公益活動的な価値を考えてもらえたら、関わった人たちも少し胸のつかえが取れるかなと思いました。そこで、まずは特に自信のある「情報格差をならすベクトルの情報」を集めた書籍を、クラウドファンディングも活用して最低限必要な経費分の価格で出版し、広く世に問うことにしました。
それが『がん研が作った がんが分かる本 第2版』です。我が国最高峰のがん治療施設「がん研究会有明病院」の指導層にいるスタッフ約15人に濃密に関与していただいて、がん医療における「地球は丸い」にあたる情報を、基礎から最先端まで並べました。
読んでおけばイザという時に医療と上手に付き合える情報がギッシリ詰まっています。トリビア的な情報も含まれており、例えば、がんになったら医療用麻薬を積極的に使った方が命は延びるらしいとか、がんになったら炭水化物より不飽和脂肪酸を積極的に摂った方がいいらしいとか、知っていましたか? 2月26日までは初版丸ごと、第2版発売日の27日以降は、前半4章分を電子書籍で無料公開していますので、騙されたと思って、ちょっと読んでみてください
。(http://lohasmedical.jp)
そして、こんな儲からない雑誌を作っているアホがいるんだなあ、それを応援してくださる奇特な方がいるから9年半も続いたんだろうなあ、と知っていただけたら嬉しいです。

SNS、ネット 

Alan KF3B が、フェースブックから退会するとメールで言って寄こした。そうしたSNSのアプリケーションが、彼が望ましいと思うものではないと判断した、とあった。Googleなどが、個人データを集め、それをビッグデータとして、またはもしかしたら、個人データそのものとして、我々の知らないところで利用していることを指しているのだろうか。この点については、すこし不気味なものを感じるが、あのようなネット空間を利用させてもらっている以上仕方のないことなのかと思わないでもない。だが、Alanが考えたであろうことは理解できる。

もう一方、ファースブックで言えば(そして恐らくその他のSNSでも)、主に画像を用いて、自分の感想やら思いを短い文章で発信することが、大多数の利用の仕方だろう。それに対する感想も寄せられるが、あまり突っ込んだやり取りにはならない。勿論、気の合った仲間と、気軽に日常のやり取りを楽しむためのメディアなのだろうが、ちょっと物足りないといえば物足りない。

もっと大きく考えて、ネットでの交流、意思疎通の可能性全体にも、一頃の熱気のようなものが感じられなくなってきた。私の感じ方の問題なのか、それともネットが変化しているのかは分からない。8年前だったか、福島県立大野病院事件が起きたときに、医療界は熱気に包まれ、ネットでの交流・運動が盛んに行われていた。私を含めて、それまで自らの意見を世には発信する術がなかった医師が、ブログ等ネットを通じて発信し始めた。その後、問題はより深く広範になったし、日本という国の形が問われる出来事が目白押しに起きているのに、だんだんネットでの見解表明や議論が行われなくなってきたように感じている。

ネットの表面的な匿名性による限界なのか、それとも、目新しいことを論じるには激しているが、一つのことを深く掘り下げるこのがどちらかというと不得手な特性によるものなのか。ネットが、多くの方と同時に、そしてリアルタイムでやり取りができるメリットは、いささかも変わらない。また規制メディアに載らないような問題も議論することができる。私なぞ、思いついたことをダラダラと書き連ねているだけだが、ネットの限界と利点を意識しつつ、まだこれからも発信してゆこう。SNSは、ほどほどに・・・かな。

休診 

お隣の婦人科診療所が、休診になってもう2週間程度経つ。これまで、ひっきりなしに車が出入りしていたお隣の駐車場がガランとしている。間接的に入ってきた情報では、院長をなさっているN先生が、消化器系の悪性腫瘍にかかり、手術を受けるためのようだ。最初、2,3か月の休診と聞いていたが、診療所の入口に張られた張り紙にh、3,4か月の休診と書いてあったとある。彼とは、垣根越しに二三度声を交わし、また以前外科系内科系別々な医師が従事していた休日救急診療所で、一二度ご一緒させて頂いた程度の付き合いだった。いつもにこやかで、てきぱきと物事を処理する、優秀な医師のようにお見受けした。

彼も、大学、地域基幹病院で働いていたころは、悪性腫瘍を専門となさっていたようだ。ここで開業してからは、当初お産も扱っていたが、福島県立大野病院事件の後、大学からの医師の派遣がなくなったのか、それとも、自らお産によるリスクを負いきれぬと考えられたのか、お産は取りやめられたようだった。

婦人科だけ診療するようになっても、患者さんは結構多く、仕事は順調に進んでいる様子だった。それが、今回この事態だ。まだ50歳台半ばで、無念なことだろう・・・もちろん、彼が院外薬局の薬剤師に語ったように、生還してまた復帰するという希望を持ち、実際そうした経過になることを切望するものだが、どのような状況におられることだろうか。

開業医の辛さを、N先生の休診に際して改めて強く感じる。一旦休診、ましてや廃院になると、医師としての収入は途絶え、それまで設備に投資してきた多額の資金は回収できず、借金だけが残る可能性が高い。また、一緒に仕事をしてきたスタッフも一遍に失職する。患者さんも困るかもしれないが、きっと紹介を受けたり、また自分で探し出して次の主治医を見つける。開業医の休診、廃院のもたらすインパクトは並大抵のことではない。病気のために仕事をできなくなる事態は、どのような職種であっても重大な危機だが、開業医にとっては生半可なものではない。

N先生は、息子さんが外科医をされている近くの大学病院で治療を受けられている様子だ。快癒され仕事に早く復帰なさることを祈りたい。

院内医療事故調査委員会の構造的問題 その3 

医療関係者以外の方は、佐藤医師のこの論説が医療全般に何故重要な意味を持つのか不思議に思われるかもしれない。医療事故の原因をただ医療現場で働く者に帰し、システムエラーを明らかにしない事故報告は、医療現場の士気を殺ぎ、隠れた形で、患者に負担を強いる可能性があるのだ。そのようにせぬためには、現場で医療事故に関わった医師・医療従事者に発言し、報告内容を否認する権利を与えるべきだと、佐藤医師は提言している。

彼の関わった医療事故でも、マスコミが、記事を売ることだけを目指したことによって、多大な負の影響を社会に与えたことが改めて述べられている。この風潮は、マスコミが自らの無知と商業主義の誤りに気づかない限り・・・ということは不可能に近いのだが・・・、続くのかもしれない。

佐藤医師は、自ら先天性心疾患を持ち、それを治してもらった経験から、心臓外科医を志した。その研鑽の途上で、この医療事故に遭遇し、心臓外科医としてのキャリアーの方向転換を迫られた。彼が父上の墓前に裁判の結果を報告したことを記した文章は深い感銘を読むもののこころに残す。以前にも紹介したが、ここ。これからも、この重い経験で得られた視点から、医療のあり方と医療を取り巻く社会のあり方に積極的に発言をし続けていただきたい。


冤罪被害の経験からみた院内事故調査委員会と報告書の問題点(その3/3)

綾瀬ハートクリニック
(東京女子医科大学付属日本心臓血圧研究所 循環器小児外科元助手)
佐藤一樹
2011年3月3日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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4.院内事故調査報告書:取り扱いの危険性

(1) 当事者への人権的配慮と院内事故調査報告書の作成・公表の問題点

 本件報告書の冒頭には宛先があり、秘密裏の臨時役員会下部組織としての性質のため、「吉岡博光理事長殿、濱野恭一専務理事殿」宛てになっています。東間委員長と笠貫所長から患者側に手渡された時点で、報告書の存在を大学内で知っていたのは、この二人と吉岡理事長、濱野専務理事、尾崎委員、楠元委員、金子誠司管理課次長の7人だけした。児玉弁護士は所属する法律事務所の水沼弁護士を委員会に出席させていたので、おそらく知っていたでしょう。

 当事者の私がこの報告書の存在を知ったのは、遺族に渡された後でした。突如、出張中の病院に郵送されてきた報告書の内容のいい加減さには驚きました。大学側と私の連絡窓口であった金子次長に内容について苦情を訴えましたが、「佐藤先生には色々とご不満もあると思いますが、既に遺族に渡してしまったから」という理由で一切取り合おうとしませんでした。人権無視です。

 2001年年末に患者側が報告書をメディアに暴露して報道騒ぎになるまでは、理事会にも教授会にも提出されず、心研心臓血管外科遠藤真弘教授ですら、報道後に「国民とともに知った」のです。

(2) 報告書の危険性:患者側とメディア

 内部報告書が、患者側の手に渡れば、先ず「民事紛争の戦略」に使用される可能性があります。メディアに暴露して、警察に告訴して、示談を迫れば時間も手間もお金もかかる訴訟を起こす以前に終結することができます。企業間の紛争にかかわってきたある弁護士さんは、「お医者さんは世間知らずですから、そんなこと想像できないんでしょ。企業間の争いでは、もっと醜いことがおこなわれますよ。」とお話されていました。

 報告書が告訴によって警察に提出された後の危険性については、「診療研究」誌第447号に掲載された「被告人の視点からみた医療司法問題の実際」[5]で詳細を論じました。ここではメディアの手に渡った場合について述べます。

 私が逮捕された21世紀初頭の日本の医療報道では、医療事故が起こると全例が「医療過誤」扱いされていました。この「医療過誤」の大看板を盾に、患者の死亡や障害は現場医師に責任、ヒューマン・エラーがあるかの報道が目立っていました。内部調査報告書を手にした彼らは、無防備にこれを信じ報道合戦となり書籍にもなりました。

 根拠のない記載を衝撃的に書く例として読売新聞の鈴木敦秋記者執筆の『大学病院に、メス! 密着1000日 医療事故報道の現場から』があります。「この(女子医大事件の報道)記事を見て、南淵(明宏)医師は、『誰か新米の記者が、勘違いして書いたな』と面白がっていた。人工心肺装置のポンプの回転数を上げすぎて血液が循環しなくなり、現場がパニック状態になったと書いてあるが、そんなことは逆立ちしても起こりえないと思ったのだ。ところが、これは紛れもない事実だった。」この書籍の他の部分を読むと著者の鈴木記者は、南淵医師のことを優秀な医師と思い込んでいます。その南淵氏をして「逆立ちしても起こりえないこと」が「紛れもな事実だった」と断言するからには、根拠を示すべきです。南淵医師は本件刑事事件の一審でも控訴審でも検察側証人として公判で尋問され、VAVR式人工心肺装置の知識が全く欠如していることをさらけ出しましたが、それは鈴木氏の書籍が出版された後の話です。このように取材もせず、何も調べずに、平気でこのような報道をするメディカル・リテラシーや科学的思考力が欠如している記者が多いのです。

 「このような医療報道が患者側のクレーマー化を助長し、医療現場の士気を大きく低下させた」という指摘は、客観性を失っているとはいえません。メディア活動の最大の動機は商業主義です。特に社会部の「事件記者」は、社会的な報道意義より衝撃性を重視し、正確性より話題性・速報性を優先する記事を書きます。彼らなりの動機として単純な正義感は確かに存在します。しかし、非専門家であるための医療知識欠如や判断力のなさ以前に、ほとんどの記者は医療と社会のつながりに対する大局感や報道の影響への想像力が極端に脆弱、あるいは皆無と言えます。「世間に存在する悪は、大半がつねに無知に由来するもので、明識がなければ善い意志も悪意と同じほどの多くの被害を与えることもありうる(カミュ著『ペスト』)」のです。

 現在国際医療福祉大学大学院教授の元フジテレビのキャスター黒岩祐治氏は、「報道した内容がどのような影響を与えるか想像する力が、報道側に欠如している」「医療事故報道であれば、弱者である患者側に立ち『病院は何をやっているのか』と糾弾すれば、ジャーナリズムを果たしたと勘違いしてしまう。それが委縮医療を招き患者を困らせる結果を招いていることに気づいていない」と述べています[6]。

 残念ながら、このような認識が現役の記者に欠如しているのは、2009年3月の私の控訴審無罪報道の時点では全く変わっていません。読売新聞の木下敦子記者は、書いた東間医師自身が既に「結論に根拠はない」と明言していた内部報告書と心臓外科関連が作成した「三学会報告書」や高裁判決を同等の価値と扱った記事を書いています。

(3) 報告書が公になった後の病院の姿勢

 内部報告書をめぐる病院内での現場医療者と組織との間の利益相反の接点、最後の砦は、医局の主任教授や、センター長、診療部長などの中間管理職です。これが、どちらについたかが、「福島県立大野病院事件」と本件の大きな違いです。私と同様に起訴された加藤克彦医師の所属する福島県立医大の故佐藤章教授は立派な方でした。現場医師の人権を尊重する立場から「周産期医療の崩壊をくい止める会」を立ち上げ、当時の川崎二郎厚労大臣を動かし、仙谷由人氏をはじめ舛添要一氏、枝野幸男氏ら実力者が事件を国会でとりあげるようになりました。

 これに引き換え私に対する黒澤教授からのパワーハラスメントは小説「白い巨塔」程度からは想像できないほど、酷いものでした。「『内部報告書』は厚生労働省に提出した。今、特定機能病院の認定を剥奪されるかどうかのぎりぎりのところである。『内部報告書』は間違っているが、こんな大切な時に女子医大心研の内部に別の意見があって、『内部報告書』を批判する動きがあることがマスコミに知られたら大変なことになる。特定機能病院の問題が終了するまでは、『内部報告書』を批判する書類を作成してはいけない。」「君も日本国内で心臓外科を続けたいのなら、私の言うことを聞いて『内部報告書』を批判しないように。批判をすると私の力で君は心臓外科を続けられなくなるだろう。」黒澤教授の行動はこのような直接的な脅しだけではありません。2003年5月15日、日本心臓血管外科学会、日本胸部外科学会、日本人工臓器学会の3学会が、合同して女子医大の内部報告書を断定的に否定し、「原因は吸引回路の回転数が非常に高かったためではなく、陰圧吸引補助ラインに使用したフィルターが目詰まりを起こし閉塞したためである」とレポート[7! ]を発表する直前になり当時女子医大に駐在していたNHKの番組スタッフとともに、3学会の委員の前に登場して強引に「ためで」を「可能性が」に変更するよう迫りました。さらに、刑事判決の一審無罪判決後も、私が心臓血管外科専門医を申請すればその認定を阻止しようと活動しました。永久にゆるされない行為です。

おわりに

 「郵便不正押収資料改ざん事件」の検察、「東京女子医大心臓手術事件」の学校法人 東京女子醫科大学の共通点は、組織監督責任を認める代わりに問題のあった現場で働く個人(検事・医師)の犯罪、過失と認定したことです。

 検察は「検察本来の仕事」である「捜査手法」の問題を棚上げたため、社会の厳しい眼が「検察のシステム全体」に批判を浴びせています。

 東京女子醫科大学は、「病院本来の仕事」である「手術方法や医療機器取扱い」と同時に誤った内部報告書の「調査手法」の二つの問題を棚上てきました。

 今回の民事訴訟で調査報告書の誤りは認めました。しかし、私の知る限り、報告書の「調査手法」についての反省は東間医師の私見のみです。大学としては何も行っていません。
 
 東京女子医大が作成した内部報告書によって私が被ったような被害が今後二度と発生しないためには、事故調査委員が人権意識のある「公正」な視線を持った調査が必要です。「院内事故調査報告書が公正である」と判断されるための絶対的必要条件を簡潔にすれば以下の通りです。

1.報告書作成終了前に、関係する現場医療関係者から意見を聞く機会を設けること

2.報告書に対する当事者の不同意権と拒否権を担保し、不同意理由を報告書に記載すること


この二つが遵守されない事故調査報告書は、無効とすべきです。

            以上

(参考文献)
[5] 佐藤一樹:被告人の視点からみた医療司法問題の実際. 診療研究, 447, 5-15, 2009.
[6] 特集「日本の医療 ここがおかしい」9公平性・正確性欠く医療報道-報道で医師の士気が低下
 日経メディカル, 63. 2011年1月号
[7] 日本胸部外科学会, 日本心臓血管外科学会, 日本人工臓器学会: 3学会合同陰圧吸引補助脱血体
外循環検討委員会報告書. 2003.

「診療研究」2011年3月号掲載



医療行政に警察権力を導入しようとする愚かさ 

厚生労働省内で、医療行政について提案を受け、競い合うコンペティションが行われたらしい。

その中の一つが、医療機関の指導監査の実務に当たる官僚から出された「保険医療指導監査部門の充実強化」にかかわるもの。

医療機関もピンキリで、酷い内容の医療を行っているところも稀に耳にするが、大多数は、真面目に患者のために医療をしている。この提案者向本氏は、その悪い方の医療機関を摘発するために、警察庁・警視庁からの出向者を指導監査部門に受け入れることを提案したらしい。

ごく一部の問題のある医療機関に対処するために、その他多くの医療機関への指導監査にも、こうした警察権力を利用しようと言う発想だ。

この提案は、受賞しなかった様子だが、それでも、厚生労働省の指導監査の現場の人間から、このような発言が出ることは、大いに問題だ。

この指導監査という行政事業は、専ら、医療費を削減すること「だけ」を目的に、医療現場の実情から乖離した行政によって定められた規則を杓子定規に適用することで行われている。そこに、警察権力を導入したら、医療現場は萎縮し、さらに混乱するに間違いない。行政規則だけで医療を行うことはできない。もしそれが強制されたら、結局は、国民が痛みを負わせることになる。

元検察官の郷原信郎氏が、その著書「検察の正義」で警鐘を鳴らしているように、これまでの検察(警察権力も含めて考えて良いだろう)の正義が揺らいでいる。検察は、社会の「辺縁」にある犯罪を摘発し、排除することを仕事としてきた。社会内部には直接関わらない、「辺縁」の犯罪を排除する、検察の正義の正当性は問題にされることはなかった。だが、社会の「中心」にある経済・政治・医療といった問題を積極的に扱うようになって、検察の正義の正当性が揺らぎ始めたというのだ。そうした社会事象に検察が関与することによって、社会に大きな負の影響をもたらし始めたのだ。医療従事者としては、福島県立大野病院事件を想い起こす。郷原氏自身もそれに言及している。

警察・検察権力の行使を、医療の場で行うべきではない。行政は、自らの権力基盤を強くすることだけを目指してはならない。医療の適切さは、行政、ましてや警察権力によって判断できない。驕るな、行政よ、と言いたい。行政は、どこまでも自らの権力基盤を強くし、その利権の範囲を拡大しようとしている。

我々医療人は、こうした不適切な警察権力の介入を行わせぬように、専門家同士によるpeer reviewの制度を作り上げるべきなのだろう。そうした動きが、行政・医師会等に全く見られないのは嘆かわしいことだ。


東京女子医大院内事故調査委員会:医師と弁護士の責任 (その3) 

引き続き、弁護士の果たした役割について議論をしている。

毎年、以前よりも多く弁護士が生まれるようになったが、中には、あぶれて実地研修ができない弁護士もいると聞く。その一方、医療訴訟は、弁護士にとって組みしやすい訴訟であるとも言われている。訴えられる医師・医療機関は、逃げ隠れせず、また医療の結果が悪いと、それに対する負い目を(責任の有無に関わらず)どうしても感じ勝ちなためなのかもしれない。医療訴訟が、弁護士の草刈場になって欲しくは無い。もしそうなるとすると、医療は、防衛的な医療になり、荒廃することになる。結果として、被害を受けるのは患者自身だからだ。

以下、MRICより引用~~~

東京女子医大院内事故調査委員会:医師と弁護士の責任 (その3)

  *この文章はm3 comに掲載された記事を加筆修正したものです

小松秀樹
2010年5月3日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
(その1:Vol.150、その2:Vol.152は、http://medg.jp からもごらんになれます)
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【弁護士の陥穽】

弁護士が、紛争に関連した調査に関わることには、2つの問題がある。

第一の問題は、弁護士が本質的に代理人であることに起因する。代理人は、クライアントの利益に忠実であることが求められる。東京女子医大事件では、東京女子医大と佐藤医師の間に利益相反があった。調査がクライアントの利益にかかわる場合には、判断がクライアントに有利な方向に偏る可能性が高い。

クライアントの利益への忠実度の差が、弁護士の判断を分けたのではないかとの推測される例を挙げる。
骨髄移植財団に常務理事として天下った元厚労省キャリア官僚が、セクハラ、パワハラを繰り返し、短期間に大量の職員が退職して紛争に発展した(文献10)。財団の総務部長は財団の理事長に直訴したが、逆に懲戒解雇になった。財団は、内部調査委員会と外部調査委員会を設置した。財団の常任理事の弁護士が主導した内部調査委員会は、セクハラ、パワハラはなかったとした。財団の依頼で事実関係を調査した外部調査委員会の弁護士は、財団が調査の結論として、セクハラ、パワハラの事実はなかったと発表したことに対し、抗議文を提出し、報酬金約48万円を全額返還した。総務部長が地位確認と損害賠償を求めて財団を訴えた裁判の第一審では、総務部長が勝訴した。

第二の問題は法律家の認識の問題である。
法システムは、理念からの演繹を主たる論理構造としているため、理念によって認識が歪みがちになる。しかも、法システムは、医療、科学、航空運輸など、認識が決定的な意味を持つシステムと異なり、認識のための厳密な方法を発達させてこなかった。

医学で発達してきた認識方法には、生体内の物質を突き詰める生化学的方法、分子レベルまで可視化するにいたった形態学的方法、生体の動的活動を観察する生理学的方法、社会の中での疾病の状況を観察するための疫学的方法などがある。さらに臨床医学では、CTやMRIなどの画像診断が加わる。いずれも、薬剤の有効性を証明するための無作為割り付け前向き試験と同じく、一切の予断を許さない。

弁護士は、その社会的環境、知的環境のために、認識が予断で歪む傾向が生じ、人権侵害にコミットしてしまう可能性がある。医師会や病院団体は、弁護士の利用方法を体系的に研究して、結果を共有する必要があろう。

今回のような状況は、児玉弁護士や『ミズヌマ弁護士』でなくても起こり得たと思われる。児玉弁護士については、医療の結果についての医師の責任のあり方の議論で日本をリードする立場にある。また、医療事故で医療従事者を刑事事件として裁くべきでないというこれまでの主張と、東京女子医大事件での実際の行動に乖離があるように思われた。

同情すべきは、東京女子医大事件は9年前の事件だということである。その後、日本の医療界で、医療事故についての考え方は大きく変化した。児玉弁護士も当時と同じ考えだとは思えない。ただし、児玉弁護士の2009年の院内事故調査委員会についての論文(文献9)には、依然として医学的事実の厳密な認識より社会への対応を重視する姿勢がうかがわれた。福島県立大野病院事件でも、東京女子医大事件と同様、社会への対応を優先したことが、刑事事件のきっかけになった(文献1)。警鐘を鳴らすために、敢えて、児玉弁護士の論文を引用して批判を試みた。

【院内事故調査委員会の目的】

院内事故調査委員会は様々な病院で多くの問題を引き起こしてきた(文献1)。望ましいかどうかとは関係なく、実際に院内事故調査委員会の目的になったものとして、以下の9項目がある。

1) 医療事故の医学的観点からの事実経過の記載と原因分析
2) 再発防止
3) 紛争対応
4) 過失の認定
5) 院内処分

以下、隠れた目的
6) 社会からの攻撃をかわすため
7) 保険会社から賠償保険金を得ることを確実にするため
8) 開設者から賠償金を支払うため
9) 訴訟を有利に運ぶため(病院側、患者側の双方に発生する)
 
院内事故調査委員会が担うべき役割は、語義からも 1)である。再発防止は総合的な安全対策の中で位置づけられるものであり、この意味で、別の委員会で扱う方が望ましい。3)以下の目的を過度に重視すると、1)の目的を損ねる。

【東京女子医大に望まれる自律的検証】

病院の都合で死亡原因を捻じ曲げるとすれば、死者への冒?である。遺族の感情を徒に動揺させることになる。社会への対応のために、科学的根拠なしに刑事責任まで押し付けられるとなれば、東京女子医大で医師は安心して働けない。

東京女子医大は、佐藤医師を告発することになった調査委員会を総括して、「当該医療機関及びその医療従事者の医療事故や有害事象についての科学的認識をめぐる自律性の確立と機能の向上」(筆者と井上の提唱する院内事故調査委員会の理念)(文献1)のための調査委員会に転換させる必要がある。

2002年8月、東京女子医大医療安全管理外部評価委員会が、中間報告書を発表した。この委員会は東京女子医大事件に関連して設置された。状況から、大学が用意した資料のみに基づいて評価した可能性がある。隠蔽が行われた背景について、「医療成果を上げることには熱心であるが、患者中心の医療を行うために重要とされている患者とのコミュニケーションについては必ずしも積極的ではなく、医局員らに対してもこの点を特に重視するような指導をしていたとは思われない」(『ルポ 医療事故』より引用)と記載した。

これが改善したかどうか。最近まで東京女子医大に勤務していた複数の若い医師に事情を聴いたが、はなはだ、心もとない。医療の質の向上のためには、個々の医師が、医学と自らの良心に基づいて自律的に行動しなければならない。科学的事実を厳密に認識し、その情報を医療従事者と患者で共有しなければならない。これらについて、東京女子医大院内調査委員会には大きな問題があった。佐藤医師が大学と調査委員長を訴えた裁判でも、東京女子医大は反省の姿勢を示していない。

しかし、外圧で反省を強制しても、自分たちが本気にならない限り、大きな成果は期待しがたい。東京女子医大の今後の医療の質の向上のためには、自律的な検証が不可欠だと確信する。


(引用文献)
(文献1) 小松秀樹, 井上清成:?院内事故調査委員会?についての論点と考え方. 医学のあゆみ,
230, 313-320, 2009.
(文献2) 橋本佳子:院内事故調が生んだ「冤罪」 東京女子医大事件 控訴審で一審同様に無罪
判決、事故調?一審判決の死因は否定. m3.com. 2009年3月30日.
http://www.m3.com/iryoIshin/article/94460/
(文献3) 死亡原因調査委員会:故X殿死亡原因調査委員会調査報告.平成13年10月3日.
(文献4) 佐藤一樹:被告人の視点からみた医療司法問題の実際. 診療研究, 447, 5-15, 2009. 
(文献5) 日本胸部外科学会, 日本心臓血管外科学会, 日本人工臓器学会: 3学会合同陰圧吸引補助
脱血体外循環検討委員会報告書. 2003.
(文献6) 日本医師会 医療事故のおける責任問題検討委員会;医療事故による死亡に対する責任の
あり方について. 2009年.
(文献7) 小松秀樹:日本医師会改革の論点「科学と医師の良心の国家からの擁護と自由な議論の
喚起」が日医の理念.m3.com. 2010年3月24日.http://www.m3.com/iryoIshin/article/117552/
(文献8) 井上清成:厚労省による行政処分者数を激増させる日医委員会答申. m3.com. 2010年3
月18日. http://www.m3.com/iryoIshin/article/117551/
(文献9) 児玉安司:医療事故の院内調査をめぐって. 胸部外科, 62, 145-148, 2009.
(文献10) 東京地方裁判所判決:平成19年(ワ)第12413号平成21年2月20日.

東京女子医大院内事故調査委員会:医師と弁護士の責任 (その1) 

小松秀樹氏が、東京女子医大事件の総括をし公表されている。

東京女子医大院内事故調査委員会の報告が、事実に基づかないものであったこと、それは佐藤医師をスケープゴートにするものであったことが示されている。事故調査委員会における弁護士の役割についても言及されている。

福島県立大野病院事件の院内事故調査委員会の問題と共通するものがある。

これらの事件を記憶にとどめておく必要がある。


以下、MRICより引用~~~


東京女子医大院内事故調査委員会:医師と弁護士の責任 (その1)

  *この文章はm3 comに掲載された記事を加筆修正したものです

小松秀樹
2010年5月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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【外部調査委員会設置要求】

2009年12月5日の毎日新聞朝刊(東京)によると、東京女子医大で2009年4月と6月に心臓の手術を受け、その後死亡した2人の患者の遺族が、4日、病院や厚労省、関係学会などに第三者による調査委員会の設置を申し入れた。この事件のその後の展開は報道されていない。

第三者による調査委員会の設置要求には、第三者ならば客観的な真理に到達できるはずだという考えが前提にある。そもそも、外部調査委員会は、事故報道に対応する形で立ち上げられることが多い。メディアは、外部調査委員会を、水戸黄門的な「超法規的裁断を行う正しい権威」として、評価する傾向がある。

外部調査委員会の判断は、設置時の状況が委員に影響して、病院や医療従事者に過度に厳しいものになりがちとなる。このため、患者側弁護士はしばしば外部調査委員会の設立を働きかけ、過失判定をめぐる議論の場にしようとする。

これは、弁護士に経済的メリットをもたらす確率を高める方向に一致する。しかし、「超法規的裁断を行う正しい権威」は、民主主義にはなじまない。

第三者による調査委員会の設置要求に応じるかどうかは別にして、一定条件の医療事故について、当該病院は、独自に、何があったのかを科学的に認識する努力をしなければならない。何があったのかを知った上でなければ、医療の改善がなし得ず、医療の改善の責任は一義的に当該病院にあるからである。

ただし、限界があることも承知しておく必要がある。調査そのものが困難なこともあるし、経済的、労力的なコストおよび時間も制約になるからである。

第三者には、専門的知識を強化するため、あるいは透明性を高めるためのオブザーバーとして、必要に応じて参加を求める(文献1)。院内調査委員会は、裁判所のような公正を保つための権限と制度を持たないので、対立を扱えない。対立を持ち込む可能性のある第三者、例えば、病院側、患者側で活躍している弁護士を委員にするこ
とは適切でない(文献1)。

【東京女子医大事件】

院内事故調査委員会は、これまで過失判定をめぐってしばしば二次的紛争を引き起こしてきた(文献1)。
東京女子医大でも、「冤罪」とも取られかねない不適切な判断をしたことがある(文献2)。

2001年3月、12歳の女児の心臓手術中に、人工心肺装置の脱血不良が生じた。手術中に麻酔科医によって、顔面の浮腫と鼻出血が観察された。ただし、手術終了後、下半身の浮腫は観察されず、著明な鬱血があれば併発したと思われる肝障害も認められなかった。患者は、鬱血による脳の損傷のために、2日後に死亡した。

この事件では、手術チームのリーダーだった講師が、手術中に問題が発生したことを、診療録の改竄などによって隠そうとした。このため証拠隠滅で有罪になった。この講師の行為は弁解の余地がない。ただし、過失を個人の罪として糾弾する当時の社会の異様な雰囲気が、隠蔽をもたらした側面がある。医療安全の領域では、安全対策に処分を絡めると隠蔽を誘発し、結果として安全を損ねるとされてい
る。さらに、刑事処分が適切かどうかは、社会全体のバランスを考慮する必要がある。例えば、検察官は、しばしば被告に有利な証拠を隠してきた。無実の人たちが犯罪者とされることはまれではないが、証拠隠しをした検察官は、処分を受けてこなかった。

東京女子医大事件で人工心肺装置を操作していた佐藤一樹医師は、業務上過失致死容疑で2002年6月に逮捕、翌7月に起訴された。7年間に及ぶ裁判の結果、2009年3月に東京高裁で無罪判決が出た。検察が上告を断念し無罪が確定した。

出河雅彦氏の『ルポ 医療事故』(朝日新聞出版)には告別式の後、死亡した女児の両親に届いた匿名の手紙の文面が紹介されている。

「真実を報告します。」
「明らかに手術による問題は無く、人工心肺による脳へのダメージによるものが死因なのです。」
「医療ミスの主犯は人工心肺を操作していた、佐藤一樹という医師」

東京女子医大の理事長宛にも同様の手紙が届いていた。東京女子医大は、院内事故調査委員会を秘密裏に立ち上げた。委員は3名で、いずれも東京女子医大の医師。東間紘泌尿器科主任教授、尾崎眞麻酔科主任教授、東京女子医大附属青山病院の院長で循環器内科の楠元雅子教授である(文献3)。心臓外科の専門家がいない中で、委員会は、佐藤医師の人工心肺の操作に過誤があったとした。【事故原因についての三つの説】

理解のために、この手術で用いられた陰圧吸引補助脱血体外循環について説明する。開心術では心臓を止めるので、人工心肺を用いて全身に酸素を運ぶ必要がある。血液の流れを説明すると、まず上大静脈と下大静脈にカニューレを挿入し、ここから静脈血をチューブで貯血槽に誘導する。術野の出血も吸引ポンプ(術野吸引ポンプ)で吸引し、貯血槽に誘導する。貯血槽の血液を送血ポンプで人工肺に送って酸素化した上で、大動脈に送血する。貯血槽に血液がスムースに誘導されるようにするために、貯血槽を陰圧にする。陰圧にするために、貯血槽に別のチューブを取り付けて、手術室の壁に備えられている吸引(壁吸引)に接続する。東京女子医大では、血液が壁吸引に侵入しないようにするため、チューブにガスフィルターが装着されていた。事故現場では、ガスフィルターが水滴で目詰まりしていたことが観察されていた。

事故の原因について3つの説が主張された。

<女子医大説>
まず、東京女子医大の調査委員会の説(女子医大説)(文献3)。術野吸引ポンプの回転数を上げ続けると、貯血槽が陽圧になり、脱血不良が生じる。これが基本であり、壁吸引チューブのフィルターが水滴で目詰まりしたことは、貯血槽を陽圧にする促進要因であるとした。実質的に、事故は佐藤医師の過失によるものだとした。

女子医大説については、警察も早くから、間違いだと気付いていたという(文献4)。貯血槽を陰圧にするための壁吸引の能力より、術野吸引ポンプの能力が小さく設定されており、術野吸引だけでは貯血槽を陽圧にすることは考えられないからである。陽圧が原因ならば、下半身からの脱血も不良になり、送血できなくなる。大量の輸血をしない限り、送血不能になって著明な浮腫が生じるような鬱血にはなりそうにない。女子医大説は第一審で当初検察が採用したが、検察も無理があると気付き、裁判の途中でこれを放棄し、訴因を変更した。

専門家は女子医大説をどう見ていたのか。出河氏の『ルポ 医療事故』には、後述する3学会合同委員会の許俊鋭委員の意見が引用されている。

「高回転で常時吸引ポンプを回すことはないが、ポンプの安全性からみて問題があるとは思えない。操作担当者のミスとするためのこじつけではないか。体外循環に関連した医療事故の調査には極めて専門的な知識が必要なのに、心臓外科医が一人も入らなかったのは常識では考えられない。

<合同委員会説>
二番目は、日本胸部外科学会、日本心臓血管外科学会、日本人工臓器学会による3学会合同陰圧吸引補助脱血体外循環検討委員会の説である(合同委員会説)(文献5)。この委員会は、事件をきっかけにはしているが、他の病院でも同様の事故が起きるといけないとして、陰圧吸引補助脱血体外循環の安全性の検討を目的に設置された。模擬回路を用いた詳細な実験で、吸引ポンプの回転数を上げることだけで貯血槽は陽圧にならないこと、水滴が付着してガスフィルターが目詰まりすることがあり、そうなれば、術野吸引ポンプの作動で貯血槽が陽圧になることを証明した。ただし、脱血のためのカニューレが正しい位置に挿入されていることを前提とした上での、陰圧吸引補助脱血法の安全性についての検討である。また、合同委員会のアンケート調査では、当時、陰圧吸引補助脱血法を実施していた施設の35%で同様のフィルターを装着していることが明らかになった。ただし、合同委員会説も、女子医大説と同様、脳の致命的鬱血は説明がつかない

<佐藤医師説>
三番目の説は佐藤医師が当初より主張していた説である。すなわち、傷を小さくする手術法が採用されていたため、カニューレ先端の位置が確認できず、先端が不適切な位置に置かれて上半身からの脱血が不十分になった。下半身からの脱血は行われていたので、その分、上半身に血液が押し込まれ、致命的な鬱血が生じたとする説である。

控訴審判決は、佐藤説を採用した。

【知的誠実性】

女子医大説を取れば、佐藤医師の過失で患者が死亡したことになる。佐藤医師を有責とするためには、少なくともカニュレーションに過失があった可能性がないこと、術野吸引ポンプを高回転で回し続けることだけで貯血槽が陽圧になること、貯血槽が陽圧になることによって顔面に浮腫が生じ脳に致命的鬱血が発生すること、術野吸引ポンプを高回転で回し続けることが危険であると一般的に認識されていたこと、事故当時の佐藤医師の操作条件が実施してはいけない危険なものであると一般的に認識されていたことの5点を証明する必要がある。

報告書では、カニュレーションに過失があった可能性を否定するための検討が不十分だった。カニュレーションを実施した医師、すなわち問題があれば責任を問われる立場の医師の証言だけを根拠にした。実験で貯血槽の圧を測定していなかった。顔面の浮腫と脳に致命的鬱血が生じたことについて、合理的な説明がなかった。専門家の意見を聞かなかった。術野吸引ポンプを高回転で回し続けることの危険性が、一般的に認識されていたのかどうか検証しなかった。

東京女子医大の実験は周到に考えられた計画に基づくものではなかった。科学的方法では、仮説を立て、その証明のために適切な方法を設定する。方法は再現性を求められる。結果の解釈は極めて厳格に行われ、仮説が真であるか、あるいは偽であるかが論証される。報告書には、目的、方法、結果の客観的な記述が一切なかった。合同委員会は東京女子医大に実験結果を知らせてほしいと依頼したが、データは残っていないとの返答だった。非常に考えにくいことだが、3名の委員全員が、大学教授として当然求められる科学的能力と経験を有していなかったのかもしれない。能力があったにもかかわらずこのような報告書を書いたとすれば、知的誠実性の欠如を意味するものであり、「冤罪」だと言われても仕方がない。

佐藤医師が損害賠償を求めて東京女子医大と東間紘調査委員長を訴えた民事裁判の2010年3月16日の審理で、東間氏は、検討が不十分だったことの言質を与えようとしなかったが、実験の手順書の作成などを「きちんとやればよかったと今非常に後悔している」と述べ、科学的な実験ではなかったことを認めた。最終的には、時間がなかったと弁明し、検討が尽くされなかったことを実質的に認めた。急いだのは、科学的な事実の解明より、遺族と社会への対応が優先されたためではないか。さらに、検討を尽くさずに結論を出したということは、予断があったためではないか。証言の最後に、東間氏が、佐藤医師が専門医としてキャリアを失ったことについて謝罪したことは、当事者の納得による紛争の解決につながると思われた。  (続く)

(引用文献)
(文献1) 小松秀樹, 井上清成:?院内事故調査委員会?についての論点と考え方. 医学のあゆみ,
230, 313-320, 2009.
(文献2) 橋本佳子:院内事故調が生んだ「冤罪」 東京女子医大事件 控訴審で一審同様に無罪
判決、事故調?一審判決の死因は否定. m3.com. 2009年3月30日.
http://www.m3.com/iryoIshin/article/94460/
(文献3) 死亡原因調査委員会:故X殿死亡原因調査委員会調査報告.平成13年10月3日.
(文献4) 佐藤一樹:被告人の視点からみた医療司法問題の実際. 診療研究, 447, 5-15, 2009. 
(文献5) 日本胸部外科学会, 日本心臓血管外科学会, 日本人工臓器学会: 3学会合同陰圧吸引補助
脱血体外循環検討委員会報告書. 2003.

厚生労働省は狂ったか? 

東京女子医大事件で冤罪を負わされ、その後東京高裁で無罪が確定した佐藤医師に対し、厚生労働省は、行政処分を前提とする「弁明の聴取」を行なうことに決めた、と報じられている。

信じられない愚挙である。もし彼に行政処分を下すとしたら、行政は狂っているとしか言いようが無い。

厚生労働省は、事故調を無理して立ち上げようとし、また地方厚生局を通して末端医療機関を経済的に取り締まる、補助金・助成金の類で裁量行政を行なうといった方法によって、医療機関・医師への支配の手を広げようと目論んでいる。そのような支配は実現しえない。また、実現させてはならない。

佐藤医師への行政当局の理不尽な対応に断固抗議する。これは行政の重大な犯罪的行為だ。


以下、m3より一部転載~~~

 厚生労働省が、2001年3月の「東京女子医大事件」で、業務上過失致死罪に問われたものの、2009年3月の東京高裁判決で無罪が確定した医師、佐藤一樹氏に対し、行政処分を行うために「弁明の聴取」を近く実施する予定であることが、このほど明らかになった。

 行政処分の理由は、「事故を隠すために人工心肺記録の改ざんに加担した行為」(事実無根である・・・ブログ主記)が、医師法第4条第4号が定める「医事に関し不正の行為」に該当するというもの。業務上過失致死罪に問われたことではない。「弁明の聴取」とは、行政が不利益処分(ここでは医師に、医業停止や戒告などの行政処分を科すこと)を行うに当たり、当事者に弁明の機会を与える手続きだ。


本件についての小松秀樹医師のコメント;

弁明の聴取
 佐藤一樹医師への、行政処分を前提とした「弁明の聴取」が近日中に開かれるとの情報が入った(「根拠ない、医師への不当な行政処分に異議あり」を参照)。この「弁明の聴 取」は、中世の暗黒を現代にもたらし、医療の存立を脅かす。暗澹たる気分になるとともに、厚労官僚に対する歴史的かつ哲学的な憤りが短時間で意識されるに至った。

 佐藤医師は、東京女子医大病院事件で、冤罪のために、90日間逮捕勾留された。7年間の刑事被告人としての生活を強いられた。心臓外科医としてのキャリアを奪われた。昨 年、無罪が確定した。この冤罪被害者である佐藤被告に対し、行政処分を実施しようというのである。

検察の論理は援用できない
 厚労省に、佐藤医師に対する処分を正当化できるような精度の高い独自の情報があるとは思えない。しかも、公判での検察の主張の一部を援用することには、決定的な問題があ る。検察の主張は、科学者の事実に対する態度とは全く異なる。被告人に有利な事実をしばしば隠してきた。福島県立大野病院事件では、自ら作成した調書に墨を塗って読めない ようにした。佐藤医師の裁判では、論理が完全に破綻したために、訴因(犯罪であるとする理由)を第一審の途中で変更した。第一審、第二審いずれも、検察の完敗で、上告断念 に追い込まれた。検察は無茶な論理を平気で振りかざす。検察は、裁判官と弁護士の存在を前提としており、その存在がなければ、簡単に社会の敵になる。

恣意的処分
 医療事故調査委員会(医療安全調査委員会)をめぐる厚労省と現場の医師の争いに象徴されるように、この数年間、厚労省は一貫して、医師に対する調査権限、処分権限の増大 を模索してきた。医師に対する行政処分は医道審議会で決定されてきた。従来、行政処分は、刑事処分が確定した医師など、処分の根拠が明確な事例に限られていた。医道審議会 は、処分1件当たり、5分程度の審議だけで、事務局原案をそのまま認めてきた。慈恵医大青戸病院事件を契機に、刑事罰が確定していない医師にも処分を拡大してきたが、基準 が明らかにされていない。これは、罪刑専断主義による恣意的処分と言い換えることができるかもしれない。

毒を食らわば皿まで
 医道審議会の状況から、行政処分と「弁明の聴取」の推進者は、実質的に調査権と処分権の両方を持つ。江戸時代の大岡越前守と同じである。当然、このような乱暴なやり方を 職権濫用とみなす批判があり得る。推進者もそれを熟知している。強制的な調査を行って処分をしなければ、逆に、職権濫用罪の嫌疑を証明することになりかねない。自分を守る ために、無理にでも処分したくなることは想像に難くない。裁判官がいない中で処分を行うことが、いかに難しいか容易に想像される。

法の下の平等
 今回の「弁明の聴取」は極めて異例なものである。そもそも、政府の行動はすべて法律に則っている必要がある。法律は全国民に対して平等でなければならない。通常業務と異 なることを実施する場合には、相応の理由、正当性が必要である。平等のためには、個別事例を特別に扱うことに慎重でなければならない。そもそも、厚労省は、調査権、処分権 を含めて、自らの権限を拡大しようと組織的に動いている。どうしても、この事件が実績作りに利用されているように見えてしまう。今回の「弁明の聴取」は、法の下の平等に反 するのではないか。

行政の行動原理
 厚労省が医師を裁くことには、社会思想史的な問題がある。厚労省は「正しい医療」を認定できるような行動原理を持ちえない。

 ヘルシンキ宣言は「ヒトを対象とする医学研究の倫理的原則」として制定されたが、医療全般について医師が守るべき倫理規範でもある。実質的に日本の法律の上位規範として 機能している。その序言の2に「人類の健康を向上させ、守ることは、医師の責務である。医師の知識と良心は、この責務達成のために捧げられる」と記載されている。医師は知 識と良心によって行動するのであり、命令によって行動するのではない。法が間違っていれば、これに異議を申し立てる。

 これに対し、厚労省は「医学と医師の良心」によって動いているわけではない。法令には従わなければならず、しかも原則として政治の支配を受ける。メディアの影響も当然受 ける。確固たる行動原理を安定的に持ち得ないため、ハンセン病政策のような過ちを繰り返してきた。

 第二次世界大戦中、ドイツや日本の医師の一部は国家犯罪に加担した。多くの国で、医師の行動を国家が一元的に支配することは、危険だとみなされている。

 公務員は原理的に国家的不祥事に抵抗することができない。この故に、行政は、医療における正しさというような価値まで扱うべきではない。明らかに行政の分を超えている。 医学による厚労省のチェックが奪われ、国の方向を過つ可能性がある。

チェック・アンド・バランス
 立法・行政・司法は法による統治機構を形成する。法は理念からの演繹を、医療は実情からの帰納を基本構造とする。両者には大きな齟齬がある。

 厚労省は、実情に合わない規範を現場に押し付けてきた。このため、現場は常に違反状態に置かれてきた。頻繁に立ち入り検査が行われ、実際に処分を受けないまでも、その都 度、病院は担当官から叱責を受ける。厚労省は、いつでも現場を処分できる。

 厚労省の方法は、旧ソ連を想起させる。旧ソ連では物資不足のため、国民は日常的に、勤務先から物資を持ち出し、融通しあって生きていた。国民全員が何らかの違法行為を犯 さざるを得ない状況下で、政治犯を経済犯として処罰していた。このようなやり方が国民と国家をいかに蝕んだかは想像に難くない。

 しかも、厚労省は、常に、権限と組織を拡大しようとする。厚労省は困った性質を持っており、チェック・アンド・バランスがないとかならず有害になる。チェック・アンド・ バランスの考え方は、市民革命を通じて一般化したが、日本では力を持っていない。

一般厚労行政への影響
 処分は通常の行政とは大きく異なる。厳重な秘密保持も求められる。このため、厚労省主導で処分を実施しようとすると、担当部署は他の部署との間に障壁を設けなくてはなら ない。しかし、いかに障壁を設けても、厚労省と医師の関係が悪化し、医療行政に支障を来たすような事態は容易に生じうる。佐藤医師への「弁明の聴取」が先例となれば、医師 は行政を悪とみなすようになる。厚労省は医師の敵になる。行政は医師の協力を得るのが困難になり、医療行政は立ち行かなくなる。結果として、医療提供体制が損なわれる。 

結論
 個人的に得た情報では、行政処分の事務を担当している医師資質向上対策室は、佐藤医師への行政処分と「弁明の聴取」に反対したとされる。それを、医政局の杉野剛医事課長 が強引に押し切ったという。これが本当なら医療提供体制が破壊されかねない。厚労大臣は、事実関係とその背景を調査すべきである。

 そもそも、佐藤医師への行政処分は「改竄への加担」が理由だとされるが、舛添要一前厚労大臣の著書『舛添メモ 厚労官僚との闘い752日』(小学館)によると、厚労省の 官僚は、日常的に、大臣への報告で、事実を捻じ曲げている。それでも処分されていない。厚労官僚の行動は危うい。チェック方法と適切な処分のあり方を検討すべき状況かもし れない。

過去3年間、それにこれから 

仕事場の植え込みの片隅に、マリーゴールドが自生して、10月から11月にかけて長い間花を咲かせていた。毎朝、車を降りて、建物に入るときに、まだ咲き続けていると思いながら見ていた。さすがに、11月下旬に花は萎んでしまった。

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当ブログを始めて3年間経った。

福島県立大野病院事件(大野病院事件と略す)に悲憤慷慨し、医療系といわれるネット上のサイトをさ迷い歩くようになった。加藤先生が、逮捕され、ついに訴追された。毎日手に汗を握るような思いで過ごした。公判開始。この裁判次第で、産科・救急のみならず、医療そのものが成立しがたくなると思った。2ちゃんねるからm3を彷徨った。ネット上でブログという機能を用いて、自らの意見を公に出来ることを知った。

3年前、ブログを開始した。

幸いなことに、大野病院事件は、被告側の勝利に終わった・・・だが、この事件の及ぼした影響は大きかった。福島の浜通り地域の産科医療は、完全に崩壊した。全国的にも、産科の診療所の閉鎖、病院の産婦人科のお産からの撤退・救急からの撤退が相次いでいる。

大野病院事件は新たな広範な、医療の崩壊の序章のような気がする。患者側の弁護団が、いまだ公判での主張を繰り返している。主治医の逮捕・訴追に繋がった事故報告書を作らせた地方自治体の責任が明確にされていない。安易に医師の逮捕拘束を行い訴追までした警察・検察も、医療事故を刑事犯として扱う愚かさに気付いていないかのようだ。自公政権当時提案された医療事故調は問題を全く解決しないばかりか、医療現場を萎縮させる制度だった。厚生労働省は、自らの権益拡大しか眼中にない。

その一方で、医療には金をかけないという、国民と、政府。開業医と勤務医、それに診療科別に、医師を分断し、医療界内部に反目を作らせ、己に都合よいように医療を支配しようと言う財務省。財務省に政策を丸投げし、マニフェスト等はなっから実行する気がなく、マスコミを利用して、衆愚政治に走りつつある民主党政権。政治家と官僚は医療の現状を理解せず、または理解できぬ振りをし、崩壊するにまかせている。さらに、国民は、その崩壊が自らの痛みになるまで、理解しない、理解しようとしない。現場で苦労する専門職の声が、政策や行政に殆ど生かされていない。

この3年間は一体何だったのだろう。後に、どのように振り返られるようになるのだろうか。

こうして、轟々と音を立てて流れる時流に抗するには、私は余りに非力だ。いや、時流に抗しよう、時流の向きを変えよう等とは元々思ってはいなかった。自分の内面のごく一部だが、こうした時流を見ながらどのように感じたのかを記すことだけしかできなかった。書くことによって、私のこころの葛藤と、不安を昇華する作業だった。

心配なのは、人のためになろうと医師を目指した若い医師達のこと。そして、彼らを必要とする患者・患児達のことだ。

私に出来る範囲で、そうした人々のために出来ることを行なって行こう。このブログの独り言で、そうした歩みを記して行くことにしよう。

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