新専門医制度は誰のため? 

全国医学部長病院長会の記者会見で、同会の副会長かつ日本専門医機構理事の稲垣氏は、新専門医制度の開始時期について、「基本的には来年4月に開始する方向で準備を進めている」と述べた。さらに、当初は2017年度制度の開始が1年遅れたために、「日本専門医機構は、資金的にも大変苦しくなっていることも念頭に置く必要がある。さらに1年延期すると、機構そのものが財政的に成り立たなくなってしまう」と懸念を示し、「これ以上、遅らせることは専攻医にも大変迷惑をかけることにもなる」とし、速やかな開始が必要だ、とした。

日本専門医機構は、専門医認証を行わないと、財政的に厳しいから、来年にはぜひとも新専門医認証制度を開始したい、ということだ。

いや、待てよ・・・専門医は、専門科各々の質の平準化を行うことを目的にしたのではなかったか。それが、いつの間にか、プログラム制という5年間の専門医研修を採用することにより、医師の偏在を改める、という名目上の目的にすり替えられ、医師の人事権を同機構が握るための制度になってしまった。

その上、専門医取得、資格維持のために、かなりの費用負担を医師に強制することになった。同機構の側からすると、医師が専門医取得、資格維持のためにそのコストを払ってもらうことを見越して、制度設計したわけだ。以前のブログで、新専門医取得、資格維持にかかるコストを推定した。こちら。2014年時点で、総医師数は30万人弱。少なく見積もって、その1/2が新専門医を取る(実際は、若い医師の9割が、新専門医取得希望らしい)として、日本専門医機構には毎年数億円の収入が転がり込むことになる。今後、医師は右肩上がりに増え続けるし、専門医認定の実務は各学会に丸投げなので、日本専門医機構は左うちわになる・・・という読みなのだろう。

そのために、上記の全国医学部長病院長会副会長兼日本専門医機構理事の方の本末転倒な発言が出てくることになる。専門医は、若手医師のためにあるのではなく、日本専門医機構のために存在するかのような発言だ。

新専門医制度には、医療現場から批判の声が多く寄せられている。日本専門医機構の財政のために、新制度を早期に実現する、といった発言が、同機構の幹部から出る時点で、この制度の問題は全く解決していないことが分かる。同機構が潰れようがどうしようが関係ない。若い医師が自らの専門性を適切に獲得するための制度設計を行うべきだ。若い医師のための制度にすべきである。拙速の専門医制度開始は大きな問題を残すことになる。

下記の記事は、地方病院の都合だけを考えている面が否めないが、この新専門医制度が地域医療に壊滅的な影響を及ぼしうることを指摘している。

以下、MRICより引用~~~

地方の自治を根底からむしばむ新専門医制度 
~地方自治体首長と地方中小病院の管理者を騙す日本専門医機構~

仙台厚生病院 遠藤希之

2017年4月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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「新」専門医制度には様々な問題がある。それらが全く改善されていないにも関わらず、日本専門医機構は未だに今年度施行開始を強行しようとしている。

今年二月、医系市長会が「地域医療への悪影響が懸念される」との声明を出した。それに対する機構側の回答が聞こえてきた。

「地域の病院での後期研修では(中略)大学病院などに頼むことが多いのではないか。各施設が専攻医を取り合っていたら、医師の偏在は続くのではないか。むしろ、大学などの大病院と、地域の病院が連携をして、専攻医を循環させる仕組みを作った方が良い。」とのことである。

全くの欺瞞である。なぜか。

基幹病院>連携施設群の「循環型研修」システムでは、後期研修医の絶対数が全く足りず、一旦基幹施設に所属させられた研修医を、大部分の連携施設に「循環」させることが不可能になるためである。

実は、「新」制度に移行する前の代表的な臨床領域の教育病院数はこの通りだ。内科1,163, 外科2,072, 整形外科2,033, 産婦人科630、小児科520施設(日経メディカル2016年9月号、特集「始まらない専門医制度」)。

もちろんこの全てに3~5年目の後期研修医が必ずいるわけではない。しかし逆にいうと、これほどの数の「地方の施設」が「3~5年目の後期研修医」を欲している、と考えるべきなのである。たとえ一病院あたり2~3人しかいなくてもよい。そのような後期研修医は一つの病院に長く務めることで「地域医療の特徴」に適した「戦力」になってきていた。その地域にとっては非常に重要かつ「宝物」といえる人材なのだ。

ところが「新」制度では教育病院が激減し、加えて全ての後期専攻医が「基幹施設のプログラム」に所属しなければならなくなる。これはつまり、自前で後期研修医を雇ってきた多数の施設から「3~5年目の後期研修医」が、「循環型研修」のお題目のもとに全て引き剥がされる、ということに他ならない。

機構側のおためごかしが始まる。
「地域の施設が専攻医を取りあうといけない。大病院を中心とした「循環型研修」を行えば地域医療も保全される。」

しかし、これが地域医療と医師の需給バランスを無視した「欺瞞」なのである。

具体的にみてみる。
まず最大医師数を誇る内科ではどうか。新制度での基幹施設は532施設、そして連携施設と特別連携施設を合わせると2053、新制度では研修可能な施設が一見2600 に上る。そこで機構は「循環型研修なら全ての連携施設に後期研修医を一定の期間は送ることが可能だ。つまりこれは、地域医療に配慮した素晴らしい制度だ」と胸を張る。

ところが、内科系に進む後期研修医は(吉村機構理事長作成の平成29年3月17日記者会見時のスライドによると)直近三年間の平均が一年あたり3147人だ。

もし、新制度の基幹施設(大学病院も基幹施設だ)一か所あたりに平均6人後期専攻医が所属したら、残る2053施設は、自前で雇おうとも三年目の医師がほぼゼロになる勘定だ。その後の「循環研修」とやらによる「派遣」は、基幹施設の意向次第、大学病院であれば旧来の「医局人事」になる。しかも三か月程度の循環研修では地域のニーズを汲むこともできず、ただのお客さんで終わる


身近な外科や整形外科ではどうか。「新」制度になると、基幹施設は外科188,整形外科104にまで激減するのだ。一方一学年あたり外科に進む後期研修医は過去三年の平均で外科820人、整形外科は478人しかいない(上記、吉村氏の資料より)。この二つの科をみても、一旦基幹施設に吸い上げられた後期研修医を、本来二千以上もあった地方の教育施設に「循環」できるわけがない。

上記以外の科でも小児科、産婦人科を筆頭として状況は変わらない。過去三年の後期研修医数平均は、小児科458人、産婦人科411人、麻酔科が480人である。それ以外の12の基本領域科は四百人以下どころか、救急科以外は、三百人以下しかいない。地方の病院がこれらの科の後期研修医を、自前で連続複数年間雇用したくても不可能な「制度」になるのだ。

一方、現状では18の基本領域の各科いずれにも大(学)病院に行かず、地域で頑張ろうと決心している若手医師達も少なくないのである。地域特性にみあったそれぞれの科の研修を、あるいは、基本診療科を越えた研修や診療を、行いたい若手医師も多いということだ。そのような志を持つ若手の芽をも、この「制度」は潰してしまうことになる。

地方の自治体首長や地方病院の管理者の中には、どこかの「大病院、基幹施設」の「連携施設」になっているから、必ずや「研修医」をまわしてもらえるだろう、と考えている方もいるかもしれない。しかし、それは全くの間違いである。この「新」専門医制度が始まったとしたら、地域に根付きたい若手医師を雇うこともできなくなる。特に、長年の自助努力で後期研修医を雇い、育て、地域の拠り所を創り出してきた、いわば「地域イノベーションに成功した」地方自治体・病院ほど、地域の医療崩壊を覚悟しなければならない。皮肉、かつ極めて残念なことではあるが・・・。

吉村氏は言う。専門医制度には各基本領域に分け隔てない「統一基準」を設けるべきだ、と。
しかし過去に「中央権力」が地方の現場、状況を無視し、自分たちの都合で「統一基準」を設けたために、地方自治体が煮え湯を飲まされた例には事欠かないのだ。地方自治体の首長ならみな経験していることだろう。

この「新」専門医制度が開始され、地方がまた煮え湯を飲まされることにならないよう、切に願うものである。

厚労省が医師の人事権を握ろうとしている 

このところささやかれていた噂が、厚労省の諮問会議から現実の提案として提起された。

保険医になる(すなわち、臨床医として仕事をする)ための条件として、僻地勤務を義務付けるというわけだ。期間は一年から半年だそうだ。

突っ込みどころ満載なのだが、毎年8000人から4000人の若い医師を、受け入れる僻地がどこにあるのだろうか。各県、100数十名の医師が配置されることになる。場所によっては、僻地などない都道府県もある。

医師の労働する場所の選択の自由は一体どうなるのだろうか。労働の権利・選択権を阻害することにならないのか。医師を教育するのに莫大なコストがかかっている、だから義務があるとしばしば語られる。だが、そのコストには大学病院の運営コストが含まれており、医学部といえどもほかの理系学部とそれほど教育費用に差はない。医師の基本的人権に属する、労働の選択の自由を制限する根拠にはならない。

保険医、それに時には専門医資格とのからみで、この僻地就業が議論されるが、地域医療の崩壊の責任は、保険医や専門医にはない。厚生労働省の政策、とりわけ新臨床研修制度によって、地域医療の崩壊が起きたのだ。そのしりぬぐいを若い医師にさせるのはお門違いだろう。

この提言をまとめた、尾身茂氏は、公衆衛生・医療行政の専門家(のはず)だ。彼の名で思い起こすのは、新型インフルエンザ流行時の厚労省専門家会議の長であったことだ。のちに、彼は当時の検疫対策よりも地域での感染拡大を重視すべきだったなどと言っているが、流行当時は、行政のスポークスマンであり、検疫にも効果はあったと明言している。空港検疫など有害無益であったことは、その後多くの専門家が指摘している。こちら。また、彼は自治医大の一期生、自治医大の元教授でもある。自治医大の設立趣旨はその後守られているのか、またはあの設立趣旨で医師を教育してきたことが間違っていなかったのか、をこそ彼は検証すべきではないのか。官僚の意向を提言するだけの無責任さは頂けない。ここでまた行政のお先棒担ぎをするのか。

結局、この保険医資格取得に際する僻地診療の義務化は、行政が医師すべての人事権を握るための施策である。行政は、かって大学医局が行ってきた人事制度を自分たちが行えると踏んでいる。その人事権の背後にある大きな利権を見込んでの話だ

だが、結局、彼らの目論見は失敗に終わる。それが明らかになる過程で、地域医療はさらに窮乏化する。

以下、引用~~~

保険医の条件に「医師不足地域の経験」 偏在解消へ提案
16/10/07記事:朝日新聞

 地方や一部の診療科で医師が不足している問題について、厚生労働省の分科会で6日、医師不足地域での勤務経験を公的医療保険による診療ができる保険医として登録するための条件にすることを、専門家が提案した。目立った反対意見はなく、厚労省は今後、この提案を盛り込んだ医師偏在対策案を示す。
 
 「地方の医師不足を助長しかねない」と導入が来春に延期された専門医制度に関連し、地域医療機能推進機構の尾身茂理事長が提案した。
 
 尾身氏はまず、将来の人口や主要な病気の変化も考え、都道府県などごとに一定の幅がある各診療科別の専門医の「研修枠」を設けることを提案。その上で、保険医の登録や保険医療機関の責任者になる条件に、医師不足地域での一定期間の勤務を求めた。具体的な勤務期間として、医師の「不足」地域は1年、「極めて不足」「離島など」は半年と例示し、「地域偏在の解消に最も実効性がある対策の一つ」と訴えた。
 
 委員からは「考え方は賛成」などと目立った反対意見はなかったが、実現には「法改正や関係者間のきめ細かい協議が必要と思われる」(尾身氏)。医師不足地域での勤務経験がなくても全額患者負担の自由診療はできるが、国民皆保険の日本では医療費の大部分は保険診療なだけに、論議を呼びそうだ。(寺崎省子)

新たな専門医制度は、現場医師を搾取する 

いよいよ新たな専門医制度が始まる。これは、医療の質を向上させるための制度という触れ込みだが、本当にそうだろうか。大きな疑問符が付く。むしろ、日本の社会を蝕む官僚と、それと共同して利権を確保しようとする勢力のための制度なのではないか、と強く疑わざるを得ない。

あるネット上でえられた、新専門医制度下の麻酔科の医師への負担の予測情報がある。ある程度確実な情報だと思われるので、ここにまとめてご紹介したい。

専門医機構・学会求めている新しい麻酔科専門医の条件は以下の通り。

○「単一施設」で週3以上勤務かつ「麻酔科認定病院での麻酔症例」

○「複数の施設」で週3以上勤務を達成している人間は「麻酔記録の全例提出」
これは、認定可能であるか審査だけ。自動的に認定されるわけではない

上記条件の意味は、この新たな専門医認定制度の実質的な目的は、麻酔科学会に所属しない、また基幹病院、大学病院に所属しない麻酔科医を締め出すこと。具体的には、

○フリーランスの麻酔科医は実質的に専門医を更新させない。

○麻酔科学会に認定されていない病院の麻酔科医も機構専門医にはなれない。全身麻酔200件/年以上ない病院は麻酔科学会認定施設にはなれないので、田舎の中小病院や単科病院(例えば 整形外科 産科)の麻酔科医は2020年以降専門医を更新できない。

この専門医制度ができたのは、天下り先を増やし、かつ医師を支配したい官僚と、学会の会員数を維持し学会費を確保したい学会上層部の意向が一致した、というか、学会上層部が官僚に丸め込まれたためだろう。

どうも行政は、非専門医の当該専門領域の診療報酬にペナルティをかける(ようするに、安くする)、診療行為に制限を設けることで、インセンティブとする積りらしい。「努力した」専門医に努力賞を与えるのではなく、専門医を取らなかった医師に経済的かつ専門性の上で、デメリットを与える、ということだ。実際にこの方向での「改革」はすでに始まっている。

コストの面を同じネット上の情報からまとめると以下のようになる。いかにべらぼうな金額を、学会と天下り官僚が搾取しているのかが明らかだ。

2020年以降の麻酔科専門医更新・維持費用

1)講義受講(e learning) 9から12万円/年 45から60万円/年

2)専門医機構コスト 1万円/年 5万円/年

3)学会参加料、専門医更新費用等々 34万円/5年間 (これはこれまでもかかったコスト)

計 51から99万円/5年間

以上のコストのうち、1と2の一部は、新たにできた専門医機構の収入となる。専門医機構に天下りした官僚の人件費となるわけだ。このコスト計算は、バリエーションがあるだろうし、専門科目によっても変わってくるが、現場医師に対する新たな搾取であることには変わりがない。

新たな専門医制度は、医師を支配し、かつ搾取するための制度である。

こんな制度が、果たして医療を良くするのだろうか。



日本専門医機構 

上記機構が、いよいよ動き始めている。専門医資格の「標準化」が必要だとして、専門医資格認定・更新権限を、学会から、同機構に移転させるのだ。その方針が、こちらで公表されている。

医師は研修終了後、どれかの専門医資格をとる、その認定、更新は、同機構が行う、ということだ。更新には、診療に従事していること、5年間で50時間以上の更新研修を受けることが要求されている。

同機構の長には、慶応大学の教授だった方がついているが、初代の長が元の日本医師会会長だった日本医療機能評価機構と同じ構図で、理事等には天下り官僚がなる可能性が高い。

新規認定には、研修実績の証明と、恐らくこれまで通りのペーパー試験、更新のためには、On job trainingと称して、研修病院での実習も組まれるようだが、メインは書類審査ということのようだ。両者の認定は、専門家で構成される委員会が担当するらしい。その両者ともに手数料というコストがかかる。結構な高額のようだ。既に診療報酬上、専門医資格が必要とされる項目が設定されているようだ。今後、専門医資格を取らなければ、診療報酬上差別する可能性が高い。馬車馬の前に人参をぶら下げる構図だ。

この新制度に対する疑問は

「新制度でも、専門家が専門医の認定、更新を行うということは、結局、形式だけ学会から独立しただけで、専門医認定という学会の収益制度を、日本専門医機構が学会から奪うことに過ぎないのではないか。」

ということだ。これまでの専門医資格が標準化されていないとしたら、標準化のための指針だけを公表すればよいことだ。これまでの専門医認定、更新の「利権」を、官僚機構が奪うための制度変更と言わざるを得ない。

これまで、官僚機構は、「医療機関の機能評価組織」、「産科医療の補償制度」を自らの利権のために確保してきた。医療機関の機能を評価し・・・繰り返し述べている通り、殆ど意味のない制度・・・さらに、重要な産科医療の補償制度で、100億円以上の内部留保を貯めこんでいる。一旦作り上げた、組織、制度には、どんな批判があろうとも、変更はしない、それらが、官僚にとっての重要な利権制度、組織になっているからだ。そこに、医師個人の能力評価の組織、制度をその利権体系に加える、ということなのだろう。官僚機構が医師個人の能力評価なぞそう簡単にできるはずがない。形式的なペーパ上の審査は、学会の専門家に丸投げ、自らは専門医資格認定・更新に伴うコストという利権を入手する、ということだ。これで、医師の生涯に渡る管理、彼らから専門医更新に伴う上納金を一生涯集金する機構が出来上がる。

この官僚的な組織、制度が、日本の医療を改革するとはとても思えない。日本という国家が、官僚の利権を集める場になる、という永続的な自己目的運動の一側面が完成する。こんな制度を作っていて、いつまでこの国が持つことだろうか。

レセプトオンライン請求にまつわる疑念 

レセプト(診療報酬請求書)をオンラインで送ることになってしばらく経つ。当初は、このシステムで診療報酬を削ることなど一切ないとの触れ前だった。が、大多数の医療機関がこのシステムに移行したら、結局、コンピューターで自動的に「事務的なミス」を切ることをおおっぴらに、支払基金と保険者がやり始めた。

「事務的なミス」にはいろいろあるが、医療機関にとって我慢がならないのは、薬の「能書」に記されている適応症以外で薬剤を投与した場合、バッサリその診療報酬を切られることだ。その際には、薬局が受け取った指導料・処方料等々も医療機関が負担することになる。これについては、以前から公序良俗に反する手法だと考え、何度か記してきた。「能書」に記された適応症は、限られており、それ以外の病気に対してもある薬を用いるケースは往々にしてあるのだ。こうした機械的な査定を行うから、レセプトにはヘンチクリンな疾患名が並ぶことになる。

オンラインシステムという行政の医療費節減策を、自らコストを負担して実行した医療機関は、それによって行政に一杯食わされたのだ。行政にしてみると、医療機関は首に縄をかけ、思うが儘にできる家畜のように見えるのだろう。

で、最近知ったのが、VPNシステムの問題。オンライン請求のセキュリティを確保するVPNシステムを用いるために、医療機関は、設定料以外に、毎年2、3万円のメンテ料を支払うことになっているらしい。オンライン請求になれば、紙レセプトないし電子媒体レセプトを郵送する手間が省け、そのコストが削減できる、という触れ込みだったはずである。VPNのメンテ費用で、そのコスト削減は吹っ飛び、医療機関の持ち出しが生じる。まぁ、大した額ではないのだが、これにはおまけの話しがある。このセキュリティシステムを導入すると、「オンライン請求時」に、「健康保険証番号の間違い=大多数は旧健康保険証で受診したケース」を教えてくれるというのだ。

しかし、レセプトを作ってから教えられても、医療機関にとってはありがたくない。知りたいのは、患者が受診したときに、提出された健康保険証が有効かどうか、なのだ。ちびりちびりと医療機関からせびり取り、さらにオンライン請求の本当の利便性を医療機関に与えぬやり方に、開いた口がふさがらない。

私がこの話を知って、まず感じたことは、行政と、VPNを扱う電気事業者が、情報(健康保険証番号情報)を共有している、とすると、その電気事業者は、行政の天下りを受け入れている、という直感的な推測だった。詳細を調べる気もしないし、もう私には直接関係ないが、こうやって、行政は医療機関が得るべき正当な収入をネコババしているのだろう。行政は、昔から、健康保険証をコピーすることを、医療機関に厳しく禁じてきた。個人情報の保護のためという理由づけであった。ところが、こうやって、自らに都合の良いケースでは、健康保険証番号の情報を、電気事業者に与える。これは、おかしい。こうした行政の、やりたい放題にチェックを入れる組織はないのだろうか。

オンラインセキュリティにそんなに金がかかるものなのかねぇ?行政は、いよいよ専門医の資格認定、それにかかわる医師の人事事業・配置事業にも手をだすらしい。

こうやって、いよいよ、行政は、肥え太るわけだ。

行政の無責任さ 

医師法21条の不正な解釈を行っていた厚労省が、それを訂正した。実質訂正であるが、過去に不正な解釈を明言したことはない、といういい加減な訂正である。

厚労省に訂正を迫ったのは、実質的に、東女医大の医療事故で冤罪を被せられ、その後無罪を勝ち取った佐藤一樹医師である。この点が、限りなく重い。

厚労省は、この医師法の恣意的で不正な解釈をもとに、医師を刑法のしばりで支配しようとしていた。その一歩は、こうして佐藤一樹医師の奮闘で挫くことができた。だが、医師法21条解釈の問題から生じた医療事故調の計画は、まだ生きている。医療事故調の制度を、行政・警察の主導で作らせてはならない。

医療現場では、事務的なミスであっても、理不尽な経済的ペナルティが課せられる。例えば、診療報酬請求書に病名を書き忘れるという、どうしても避けられぬミスを犯すと、問答無用に、その診療報酬は削られる。それだけでなく、院外薬局の場合は、調剤コスト、薬剤のコストも医療機関の負担にさせられる。これは医療機関が後から訂正しようとしても一切認められない。行政は、医療現場にミスへの厳しいペナルティを課しながら、自らのミスには、「明言していない」といった弁解だけで済ますのは納得が行かないことだ。

行政が、医療現場に干渉し、医療を支配しようとすることは、医療を破壊する。その対価を行政はどのように払う積りなのか。現在のやり方は無責任である。


以下、MRICより引用~~~

医療事故調をめぐる議論の現状と行方 ~ついに正常化した医師法21条の解釈~

諫早医師会副会長 
満岡 渉

2013年2月11日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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2007年から08年にかけて、医療事故の調査のあり方について大きな論争が繰り広げられた。論争は厚労省の提示した医療事故調査委員会(医療事故調)の第2次試案~大綱案と民主党案を軸にして行われたが、2009年夏の政権交代を機に、表舞台では目立った動きがなくなっていた。

2011年6月、いわば仕切り直しのような形で、日医の医療事故調査に関する検討委員会は、「医療事故調査制度の創設に向けた基本的提言について」を発表した。日医は、全国の都道府県医師会と郡市医師会へのアンケート調査を行った後、2012年(昨年)9月、「診療に関連した予期しない死亡の調査機関設立の骨子(日医案)」を提示した(1)(2)。これと時を同じくして厚労省では、2012年2月、「医療事故に係る調査の仕組み等のあり方に関する検討部会」で医療事故調査制度についての議論が再開された(3)。

日医案や厚労省「あり方検討部会」での議論については資料を紹介するにとどめるが、この「あり方検討部会」の第8回(2012年10月26日)において、瓢箪から駒ともいうべき画期的な出来事があった。厚労省医政局医事課長の田原克志氏の医師法21条についての発言だ(4)。田原氏は、21条で警察への届け出が義務づけられた異状死体の定義について、「医師が死体の外表を見て検案し、異状を認めた場合に警察署に届け出る。これは診療関連死であるか否かにかかわらない」と述べ、事実上これまでの厚労省の21条解釈を撤回したのである。この発言の重要性を理解するためには、医師法21条と医療事故調をめぐるこれまでの議論を振り返る必要がある。

医師法21条の条文は「医師は、死体又は妊娠四月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、二十四時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」というものだ。その趣旨は「司法警察上の便宜」とされ、殺人など犯罪の発見を容易にするための規定だった。したがって「診療関連死」は、本来医師法21条の届出対象ではないはずだが、どういう訳か(諸説あるが)、1994年に法医学会が、「異状死」に「診療関連死」を含める「異状死ガイドライン」を発表する(5)

翌1995年、厚生省が「死亡診断書記入マニュアル」に、「異状とは、病理学的異状でなく、法医学的異状を指します。法医学的異状については、日本法医学会が定めている『異状死ガイドライン』等も参考にして下さい。」と記載し、一学会のガイドラインに過ぎなかったものを、事実上厚生省の指導としてしまう。これが「診療関連死」に警察介入の道を開く端緒だったが、この時点ではまだ、医療事故が刑事事件として立件されることはほとんどなく、その危険性を認識していた医療関係者は多くはなかったと思われる。

事態が動き出すのは1999年である。横浜市大事件(患者取り違え)、広尾病院事件(消毒薬誤注射)といった重大な医療事故・事件が相次ぎ、医療界は世論の厳しい批判に晒される。これを背景に、2000年、厚生省は国立病院の「リスクマネージメントマニュアル作成指針」の「警察への届出」の項に、?医療過誤によって死亡又は傷害が発生した場合又はその疑いがある場合には、施設長は、速やかに所轄警察署に届出を行う」と記載し、同項への注釈として医師法21条の条文を併記した(6)。当然ながら医療者は、医師法21条の解釈変更と受け止めた。

これで医療現場は混乱する。「診療関連死」を届けるのか、「医療過誤」だったら届けるのか。何が医療過誤なのか、誰が判断するのか。結果として医療現場からの警察への届け出は激増し、これに引きずられて、年に数件だった医療事故の立件送致も90件超に膨れ上がることになる。グラフを見ていただきたい。立件送致数が増加した主な原因は医療者からの届出の激増であり、被害者からの届け出はそれほど増えているわけではない。医療現場への警察介入を増やしたのは、厚労省の指針に従ったわれわれ自身である。

グラフ → http://expres.umin.jp/mric/MRIC.Vol38.pptx

当然ながら警察の介入によって医療現場は困窮・疲弊した。診療関連死が起こるたびに医療過誤を疑われ、犯罪として捜査されては医療をやっていけない。2002年には日本外科学会等10学会が、2004年には日本医学会加盟19学会が、診療関連死の届出先として、警察の代わりとなる新たな中立的専門機関の創設を求める声明を発表する。2006年には福島県立大野病院の産科医が、業務上過失致死と医師法21条違反の疑いで逮捕されるという事件もあった(2008年無罪確定)。

これらの動きを受けて、2007年厚労省は、「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会(死因究明検討会)」を立ち上げ(7)、「医療事故調」の設立を期して、同年10月に第2次試案、2008年には第3次試案、大綱案を発表する。

これが、21条問題が医療事故調問題に発展した経緯である。医療事故調プロジェクトは、日医、主だった学会、自民党が支持しており、すんなり法制化されるかと思われたが、その危険性に気付いた医療関係者の間に、燎原の火のごとく反対運動が広がり、冒頭の大論争と政権交代を経て、膠着したまま現在に至っている。

以上述べたように、医療界が医療事故調の創設を求めた最大の理由は、医療現場への警察介入をなくしたかったからである。医療者で医療事故調を推進する立場の論説は、必ず、「医療現場への警察介入をなくすために」という文言から始まる。一方、医療事故調反対論者もこの点は同じで、「医療現場への警察介入はなくしたい、しかし医療事故調はむしろ害の方が大きい」という。では何故医療への警察介入が増えたのかといえば、繰り返しになるが、医療者が自ら警察へ届け出たからであり、何故そうしたのかといえば、厚労省が医師法21条に基づいて、診療関連死・医療過誤を警察に届け出るよう指導したからである。だが前述のように、立法の趣旨として、医師法21条は診療関連死を想定していない。医師法21条を正しく解釈し、本来の形で運用できないのだろうか。

拍子抜けしてしまうが、実はこの問題は、広尾病院事件(消毒薬誤注射)の最高裁判決(2004年4月)でとうの昔に解決済なのである(8)(9)。21条を再掲する。「医師は、死体又は妊娠四月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、二十四時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」。ここでいう「検案」が、広尾病院事件の最高裁判決で「医師法21条にいう死体の『検案』とは、医師が死因等を判定するために死体の外表を検査すること(下線筆者)」と明確に判示されたのである。医師法21条で問題となるのは死体の外表の異状であり、死に至る過程の異状ではない。同法は「異状死体等の届出義務」を定めており、定義されているのは「異状死体」であって、「異状死」ではない

もう少し詳しく見てみよう。ポイントは、主治医に21条の届出義務が生じたのは何時かという点である。2002年1月の地裁判決では、届出義務が生じたのは患者が死亡した時であるとしたが、2003年5月の高裁判決はこれを破棄し、届出義務が生じたのは患者が死亡した時ではなく、病理解剖の時点であるとした。最高裁判決はこの高裁判決を支持したのだ。主治医が、患者の死亡時には経過の異状性(看護師がヒビテンを誤注射した可能性)を認識していたにもかかわらず、である。何故患者死亡時に届出義務が生じないかというと、主治医はこの時点では外表の異状(右腕にヒビテン注射による変色があること)に気付いていなかったからである。主治医が外表の異状を明確に認識したのは、病理解剖時に右腕の皮膚変色を観察した時なので、この時点で異状死体の届出義務が発生したのだ。この判決は、死亡の原因が医療過誤であると認識していたとしても、外表を検査して異状がなければ警察への届出義務は生じないことを示している。詳細は判決文(10)をお読みいただきたい。

要するに医師法21条で言う異状死体に、診療関連死であるとか、医療過誤の有無とかは、関係ないと最高裁判決が言っているのである。医師であり弁護士である田邊昇氏らは早くからこれを指摘し、東京女子医大事件の被告だった佐藤一樹医師もこの「外表異状説」を周知すべく運動していたが、現場医師の意識に「診療関連死=警察届出」という刷り込みが強く、残念ながら十分に認知されていなかった。それを厚労省自らが、「医療事故に係る調査の仕組み等のあり方に関する検討部会」という公の場で明言したのが、先の田原発言なのである。

m3の記事(4)によれば、田原発言は大略以下のようなものである。詳細を知りたい方には厚労省のサイトに議事録がある(11)。
〇医師法21条について、「厚労省が診療関連死について、明示的に届け出るべきだと言ったことはない」
〇医師法21条に定める異状死とは、「(広尾病院事件の最高裁判決を引用し)、医師が死体の外表を見て検案し、異状を認めた場合に警察署に届け出る。これは診療関連死であるか否かにかかわらない。検案の結果、異状があると判断できない場合には届出の必要はない」
〇厚労省が医療過誤による死亡又は傷害を警察に届出るよう指導した『リスクマネージメントマニュアル作成指針』の解釈について、「1)指針は、国立病院・療養所および国立高度専門医療センターに対して示したもので、他の医療機関を拘束するものではない、2)医師法21条の解釈を示したわけではない」

「明示的に言ったことはない」とは呆れる。医療界が勝手に診療関連死を警察に届けただけで、厚労省は関係ないとでもいうのだろうか。どう取り繕おうが、厚労省の医師法21条の無理な解釈に基づく「明示的でない」指導が医療への警察介入を激増させたのであり、厚労省は今回これを、まだ十分とは言えないが修正したのである。もちろん誤りを正すのに遅すぎることはない。

この田原発言は大いに歓迎するが、同時に虚しさと脱力を感じるのは筆者だけではないだろう。いったいこの数年の事故調をめぐる論争は何だったのか。医療事故調論争が盛んだった5年前、厚労省の担当官だった佐原康之氏に行われたインタビュー記事を読んでいただきたい(12)。このとき佐原氏が今回の田原氏と同じことを言っていたら、今日まで続く混乱は起こらなかったであろう。これが厚労省である。

グラフに戻ろう。もともと年に数件だった医療事故の立件送致数が90件超に増加した最大の要因は、医療者が警察に届け出たからである。われわれは診療関連死が、医師法21条で定めた異状死にあたると厚労省から「暗示」されていたわけだが、それは最高裁判決で否定された。これからは検案して死体の外表に異状がある場合のみ警察に届ければよい。医師法21条に基づいて、診療関連死を警察に届け出る代わりに「医療事故調」を創設するべきであるという論理は、根拠がなくなったのである。

最後に、昨年10月27日の「あり方検討部会」で田原医事課長の貴重な発言を引き出すのに、東京保険医協会が検討部会に送付した文書「医師法第21条の誤った法解釈を正す件」が大きな役割を果たしたのではないかといわれている。この文書を作成した中心人物は佐藤一樹医師である。今回の発言を引き出した東京保険医協会と佐藤一樹氏、ならびに以前から21条の解釈正常化に取り組まれていた田邊昇氏に敬意を表したい。

参考資料
(1) 日医案 http://www.jsrm.or.jp/announce/030.pdf
(2) 満岡渉:「診療に関連した予期しない死亡の調査機関設立の骨子(日医案)」に対する意見
MRIC by 医療ガバナンス学会 vol647, 2012年11月9日. 
http://medg.jp/mt/2012/11/vol647.html
(3) 厚生労働省 医療事故に係る調査の仕組み等のあり方に関する検討部会
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000008zaj.html#shingi119
(4) 橋本佳子:「診療関連死イコール警察への届出」は誤り.m3.com 医療維新, 2012年10月29日.
http://www.m3.com/iryoIshin/article/160917/?
(5) 法医学会異状死ガイドライン
http://www.jslm.jp/public/guidelines.html#guidelines
(6) リスクマネージメントマニュアル作成指針
http://www1.mhlw.go.jp/topics/sisin/tp1102-1_12.html
(7) 厚生労働省 死因究明検討会 
http://expres.umin.jp/genba/kentokai.html
(8) 佐藤一樹:医師法第21条の法解釈の現状 日本医事新報 No.4615 2012年10月6日.
(9) 佐藤一樹:「医師法21条」再論考―無用な警察届出回避のために―
MRIC by 医療ガバナンス学会 Vol.306, 2011年10月31日. 
http://medg.jp/mt/2011/10/vol306-21.html
(10) http://akm.jp/ad/scrapbook/010 
(11) 第8回医療事故に係る調査の仕組み等のあり方に関する検討部会 議事録
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002pfog.html
(12) 野村和博:「医師法21条、現状維持でいいんですか?」
厚労省医療安全推進室長の佐原康之氏に聞く 2008年1月23日.
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/200801/505352.html

医師増員は、医療崩壊を救うか? 

過去に医師の大幅な増員が実際行なわれたのは、1980年代始めのことだ。各県に一つの医大を、というスローガンの下に、国(公)立、私立の医学部、医大が、ぞくぞくと作られた。その当時は、人口が増え、さらに経済も右肩上がりの状態だった。それで、医師の大幅増員が可能であったし、その社会的な要請もあったのだろう。

現在の医師不足は、上記の大増員以降の医師数抑制策が効いてきたこともあるが、医師の数をより多く必要とする医療の発達と、それを支えきれぬばかりか、削減され続けてきた医療費の問題によって起きている。現政権は、こうした問題を根本的に改善することなく、医師数を増やそうとしている。現在、医師は、地域的に、さらに専門科により、偏在しているといわれている。医師数を増やせば、医師数の相対的に少ない「裾野」、即ち、地方と、リスク・労働環境の大変な専門科に医師が流れてゆかざるを得なくなると踏んでいるのだろうか。また、医師が過剰になれば、行政による、医師の強制配置が可能になると予測しているのだろうか。医療費は実質据え置きのまま、医師数を大幅に増やすという政策は、現在の医療の根本的な問題を解決しようとするものではないことは明らかだ。

そのような思惑通りに事が運ぶとは思えない。低医療費では、問題の根本的な解決はないからだ。さらなる歪が出てくることだろう。さらなる過酷な労働環境が医師に与えられたら、家庭に入る女性医師は必然的に増えるだろうし、団塊の世代の多くの医師が退職する、または第一線から退くことが早まる。女性医師は、医師全体の3割を占め、さらに開業医の半数は団塊の世代以上なのだ。これまで医療制度がようやく保たれてきた背後にある、医師の倫理観・エートスは、失われるに違いない。専門家の倫理観・エートスが失われる事態は、法律や、行政の命令では強制的に改善し得ない、恐るべき問題になる。行政の強制力の及ばない、自費診療に生きようとする医師も増えるだろう。

臨床家として分かりやすく医師増員問題(この場合は、医学部数ないし医大数を増やす問題)を分析している、多田智裕氏の論文が、MRICに載っていたので紹介する。


以下、MRICより引用~~~

医師を増やせば医療崩壊は本当に解決するのか

武蔵浦和メディカルセンター
ただともひろ胃腸科肛門科
多田 智裕

※このコラムは世界を知り、日本を知るグローバルメディア日本ビジネスプレス(JBpress)に掲載
されたものを転載したものです。他の多くの記事が詰まったサイトもぜひご覧ください。 URLはこ
ちら→http://jbpress.ismedia.jp/

2010年5月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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 民主党は、政権を勝ち取った2009年の総選挙の際に、医療 崩壊を防ぎ、医療を成長産業とするために「医師数1.5倍」と「医師養成数1.5倍」を実現するとマニフェストに明記していました。2010年2月には 「医学部新設へ申請、3私立大が準備 認可なら79年以来」(朝日新聞)との報道もありました。

 一昨年、医師不足により閉鎖した銚子市立病院の例を見るまでもなく、「医療崩壊の原因は医師不足である。だから、医師の数および養成数を増やせば医療崩壊は解決する」と言われれば多くの人は納得してしまうことでしょう。

 しかし、医師不足だから医師の数を増やせば良いという理屈で医学部を新設することは、実は現状の日本の医療にとっては「百害あって一利なし」なのです(全国医学部部長病院長会議が医学部新設に反対する声明(http://www.ajmc.umin.jp/22.2.22youbou.pdf)を連名で公開していますので、参考までご覧ください)。

【そもそも日本の医学部は少ないのか?】
 日本には現在80の医学部が存在します。ちなみに米国の医学部は130校ほどです。人口が日本の約1億3000万人に対して米国は約3億人ですから、人口比率の上で日本の医学部の数はすでに十分すぎるのです。

 しかも、既にこの3年間で各医学部の定員を増やすことにより、1200名(医学部12~13校分)、割合にして16%もの医師養成数増加を達成しているわけです。これだけでも、毎年4400人ずつ医師は増加していきます。

 今後は高齢化が進むために医療需要が増大していくのか、それとも日本の人口減によって医療需要は実はそれほど伸びないと見るのか。その予測は難しいものがあります。

 でも、経営再建中のJALですら、不採算路線の削減は様々な反対に遭ってスムーズに進んでいません。いったん医学部を新設してしまったら、投資し た設備や従業員のことなどを考えると、「10年経って医者が足りてきたから、必要数を見直して閉鎖統廃合する」なんてことはほぼ不可能でしょう。

【現在の医師数でもより高いサービスは実現できるはず】
 今の医療崩壊の本質は、医療現場で働く人材が不足しているため、利用者(患者)がサービス面で不利益を被っているということです。

 ですから、医療スタッフの数を増やことは確かに重要です。しかし、これは、ただ単に医師の数を増やせば良いということではないのです。

 一例を挙げましょう。日本において、年に50件前後(週に1件程度)しか全身麻酔手術を執刀していない外科専門医は数多く存在します。その主な原因は、外科医が手術を行えない状況にあるからです。

 医療事務や看護師などの「コメディカルスタッフ」を倍増して、外科医がもっと手術に専念できるような環境にすれば、1人当たり3~5倍の件数を執刀することは十分に可能でしょう。

 このようなことが各科目内で達成できるならば、実は医師数を増やす必要はないのです。現在の医師数でも、より高いサービスが提供できるようになるのです。

 なぜ、これが実現できていないのかというかと、コメディカルスタッフを増員する余力が医療機関にないからです。

 よく挙げられる例ですが、米国では盲腸手術代金が平均243万円なのに対して、日本では37万円に過ぎません。これに加えて、輸入手術消耗機材 は、物によっては米国の約3倍の値段で購入しているのです。ですから現場にしてみれば、スタッフを増員することなど常軌を逸した夢物語でしかないのです。

【数を増やしても質が伴わなければ本当の医療崩壊をきたす】
 弁護士を見てみましょう。2002年度に、司法試験合格者数は約1000人でした。それを、ロースクール増設によって、2009年度は2000人にまで倍増させました。

 しかしその結果、弁護士の質の低下をきたし、さらに1人当たりの仕事が減ることで質の向上が図られないという悪循環に陥っています。

 冒頭の全国医学部部長病院長会議の声明の中で、「医学部を新設すると、医学部スタッフとして地域の働き盛りの現場の医師を引きはがしてしまい、地域医療の崩壊を悪化させる」という指摘がありました。

 その指摘はもちろん正しいのですが、しかし、もっと問題なのは、単純に6年間の医学教育を施しただけでは一人前の医師は育てられないという事実です。

 医師は医学部卒業後、優秀な指導者のもとでさらに5~10年の実地指導を受けて経験を積むことで、初めて一人前の医師として活動できるのです。

 医師を急激に増やした場合、弁護士と同じく、卒後研修施設への就職すらままならず、未熟なまま独立せざるを得ないる医師を増やすだけでしょう。

 「医原性」(医療を受けたことで病気が発生すること)という言葉もあるように、医療行為によって逆に危害を被る可能性もゼロではないのです。卒後の教育体制まで見据えないまま医師の数を増員すれば、真の意味での医療崩壊を引き起こすことでしょう。

【150億円を超える予算を注ぎ込む必要があるのか?】
 鳩山由紀夫現総理は2009年の総選挙前の党首討論で、「(医療費増額を数%としている麻生太郎総理とは違い)診療報酬を2割ほど上げないと厳しい(医療崩壊は食い止められない)と感じている」と発言しました。

 しかし、蓋を開けてみれば、総選挙後の2010年4月の診療報酬改定結果は、プラス0.19%に過ぎませんでした(その後、新薬値下げ分のマイナス0.16%を除外していたことが判明したので、実質はプラス0.03%でした)。

 医療に回す予算を増やせない以上、マニフェストにいくら「医師養成数1.5倍」と記載されていたとしても、150億円を超える膨大な費用を新設医 学部につぎ込む必要はあるのでしょうか? それよりも既存医学部の定員増加の方が、はるかにかかるコストは少なくてすむはずです。

 特色ある医学部を新設することで、これまでとは異なる多様性を備えた医師を育てることができるかもしれません。

 しかし、全体の政策として見ると、他の部分を削ってまで新設医学部に莫大な予算を注ぎ込むのは、日本の医療の現状に即していないのではないか──。私にはそう思えてならないのです。

東京女子医大院内事故調査委員会:医師と弁護士の責任 (その1) 

小松秀樹氏が、東京女子医大事件の総括をし公表されている。

東京女子医大院内事故調査委員会の報告が、事実に基づかないものであったこと、それは佐藤医師をスケープゴートにするものであったことが示されている。事故調査委員会における弁護士の役割についても言及されている。

福島県立大野病院事件の院内事故調査委員会の問題と共通するものがある。

これらの事件を記憶にとどめておく必要がある。


以下、MRICより引用~~~


東京女子医大院内事故調査委員会:医師と弁護士の責任 (その1)

  *この文章はm3 comに掲載された記事を加筆修正したものです

小松秀樹
2010年5月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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【外部調査委員会設置要求】

2009年12月5日の毎日新聞朝刊(東京)によると、東京女子医大で2009年4月と6月に心臓の手術を受け、その後死亡した2人の患者の遺族が、4日、病院や厚労省、関係学会などに第三者による調査委員会の設置を申し入れた。この事件のその後の展開は報道されていない。

第三者による調査委員会の設置要求には、第三者ならば客観的な真理に到達できるはずだという考えが前提にある。そもそも、外部調査委員会は、事故報道に対応する形で立ち上げられることが多い。メディアは、外部調査委員会を、水戸黄門的な「超法規的裁断を行う正しい権威」として、評価する傾向がある。

外部調査委員会の判断は、設置時の状況が委員に影響して、病院や医療従事者に過度に厳しいものになりがちとなる。このため、患者側弁護士はしばしば外部調査委員会の設立を働きかけ、過失判定をめぐる議論の場にしようとする。

これは、弁護士に経済的メリットをもたらす確率を高める方向に一致する。しかし、「超法規的裁断を行う正しい権威」は、民主主義にはなじまない。

第三者による調査委員会の設置要求に応じるかどうかは別にして、一定条件の医療事故について、当該病院は、独自に、何があったのかを科学的に認識する努力をしなければならない。何があったのかを知った上でなければ、医療の改善がなし得ず、医療の改善の責任は一義的に当該病院にあるからである。

ただし、限界があることも承知しておく必要がある。調査そのものが困難なこともあるし、経済的、労力的なコストおよび時間も制約になるからである。

第三者には、専門的知識を強化するため、あるいは透明性を高めるためのオブザーバーとして、必要に応じて参加を求める(文献1)。院内調査委員会は、裁判所のような公正を保つための権限と制度を持たないので、対立を扱えない。対立を持ち込む可能性のある第三者、例えば、病院側、患者側で活躍している弁護士を委員にするこ
とは適切でない(文献1)。

【東京女子医大事件】

院内事故調査委員会は、これまで過失判定をめぐってしばしば二次的紛争を引き起こしてきた(文献1)。
東京女子医大でも、「冤罪」とも取られかねない不適切な判断をしたことがある(文献2)。

2001年3月、12歳の女児の心臓手術中に、人工心肺装置の脱血不良が生じた。手術中に麻酔科医によって、顔面の浮腫と鼻出血が観察された。ただし、手術終了後、下半身の浮腫は観察されず、著明な鬱血があれば併発したと思われる肝障害も認められなかった。患者は、鬱血による脳の損傷のために、2日後に死亡した。

この事件では、手術チームのリーダーだった講師が、手術中に問題が発生したことを、診療録の改竄などによって隠そうとした。このため証拠隠滅で有罪になった。この講師の行為は弁解の余地がない。ただし、過失を個人の罪として糾弾する当時の社会の異様な雰囲気が、隠蔽をもたらした側面がある。医療安全の領域では、安全対策に処分を絡めると隠蔽を誘発し、結果として安全を損ねるとされてい
る。さらに、刑事処分が適切かどうかは、社会全体のバランスを考慮する必要がある。例えば、検察官は、しばしば被告に有利な証拠を隠してきた。無実の人たちが犯罪者とされることはまれではないが、証拠隠しをした検察官は、処分を受けてこなかった。

東京女子医大事件で人工心肺装置を操作していた佐藤一樹医師は、業務上過失致死容疑で2002年6月に逮捕、翌7月に起訴された。7年間に及ぶ裁判の結果、2009年3月に東京高裁で無罪判決が出た。検察が上告を断念し無罪が確定した。

出河雅彦氏の『ルポ 医療事故』(朝日新聞出版)には告別式の後、死亡した女児の両親に届いた匿名の手紙の文面が紹介されている。

「真実を報告します。」
「明らかに手術による問題は無く、人工心肺による脳へのダメージによるものが死因なのです。」
「医療ミスの主犯は人工心肺を操作していた、佐藤一樹という医師」

東京女子医大の理事長宛にも同様の手紙が届いていた。東京女子医大は、院内事故調査委員会を秘密裏に立ち上げた。委員は3名で、いずれも東京女子医大の医師。東間紘泌尿器科主任教授、尾崎眞麻酔科主任教授、東京女子医大附属青山病院の院長で循環器内科の楠元雅子教授である(文献3)。心臓外科の専門家がいない中で、委員会は、佐藤医師の人工心肺の操作に過誤があったとした。【事故原因についての三つの説】

理解のために、この手術で用いられた陰圧吸引補助脱血体外循環について説明する。開心術では心臓を止めるので、人工心肺を用いて全身に酸素を運ぶ必要がある。血液の流れを説明すると、まず上大静脈と下大静脈にカニューレを挿入し、ここから静脈血をチューブで貯血槽に誘導する。術野の出血も吸引ポンプ(術野吸引ポンプ)で吸引し、貯血槽に誘導する。貯血槽の血液を送血ポンプで人工肺に送って酸素化した上で、大動脈に送血する。貯血槽に血液がスムースに誘導されるようにするために、貯血槽を陰圧にする。陰圧にするために、貯血槽に別のチューブを取り付けて、手術室の壁に備えられている吸引(壁吸引)に接続する。東京女子医大では、血液が壁吸引に侵入しないようにするため、チューブにガスフィルターが装着されていた。事故現場では、ガスフィルターが水滴で目詰まりしていたことが観察されていた。

事故の原因について3つの説が主張された。

<女子医大説>
まず、東京女子医大の調査委員会の説(女子医大説)(文献3)。術野吸引ポンプの回転数を上げ続けると、貯血槽が陽圧になり、脱血不良が生じる。これが基本であり、壁吸引チューブのフィルターが水滴で目詰まりしたことは、貯血槽を陽圧にする促進要因であるとした。実質的に、事故は佐藤医師の過失によるものだとした。

女子医大説については、警察も早くから、間違いだと気付いていたという(文献4)。貯血槽を陰圧にするための壁吸引の能力より、術野吸引ポンプの能力が小さく設定されており、術野吸引だけでは貯血槽を陽圧にすることは考えられないからである。陽圧が原因ならば、下半身からの脱血も不良になり、送血できなくなる。大量の輸血をしない限り、送血不能になって著明な浮腫が生じるような鬱血にはなりそうにない。女子医大説は第一審で当初検察が採用したが、検察も無理があると気付き、裁判の途中でこれを放棄し、訴因を変更した。

専門家は女子医大説をどう見ていたのか。出河氏の『ルポ 医療事故』には、後述する3学会合同委員会の許俊鋭委員の意見が引用されている。

「高回転で常時吸引ポンプを回すことはないが、ポンプの安全性からみて問題があるとは思えない。操作担当者のミスとするためのこじつけではないか。体外循環に関連した医療事故の調査には極めて専門的な知識が必要なのに、心臓外科医が一人も入らなかったのは常識では考えられない。

<合同委員会説>
二番目は、日本胸部外科学会、日本心臓血管外科学会、日本人工臓器学会による3学会合同陰圧吸引補助脱血体外循環検討委員会の説である(合同委員会説)(文献5)。この委員会は、事件をきっかけにはしているが、他の病院でも同様の事故が起きるといけないとして、陰圧吸引補助脱血体外循環の安全性の検討を目的に設置された。模擬回路を用いた詳細な実験で、吸引ポンプの回転数を上げることだけで貯血槽は陽圧にならないこと、水滴が付着してガスフィルターが目詰まりすることがあり、そうなれば、術野吸引ポンプの作動で貯血槽が陽圧になることを証明した。ただし、脱血のためのカニューレが正しい位置に挿入されていることを前提とした上での、陰圧吸引補助脱血法の安全性についての検討である。また、合同委員会のアンケート調査では、当時、陰圧吸引補助脱血法を実施していた施設の35%で同様のフィルターを装着していることが明らかになった。ただし、合同委員会説も、女子医大説と同様、脳の致命的鬱血は説明がつかない

<佐藤医師説>
三番目の説は佐藤医師が当初より主張していた説である。すなわち、傷を小さくする手術法が採用されていたため、カニューレ先端の位置が確認できず、先端が不適切な位置に置かれて上半身からの脱血が不十分になった。下半身からの脱血は行われていたので、その分、上半身に血液が押し込まれ、致命的な鬱血が生じたとする説である。

控訴審判決は、佐藤説を採用した。

【知的誠実性】

女子医大説を取れば、佐藤医師の過失で患者が死亡したことになる。佐藤医師を有責とするためには、少なくともカニュレーションに過失があった可能性がないこと、術野吸引ポンプを高回転で回し続けることだけで貯血槽が陽圧になること、貯血槽が陽圧になることによって顔面に浮腫が生じ脳に致命的鬱血が発生すること、術野吸引ポンプを高回転で回し続けることが危険であると一般的に認識されていたこと、事故当時の佐藤医師の操作条件が実施してはいけない危険なものであると一般的に認識されていたことの5点を証明する必要がある。

報告書では、カニュレーションに過失があった可能性を否定するための検討が不十分だった。カニュレーションを実施した医師、すなわち問題があれば責任を問われる立場の医師の証言だけを根拠にした。実験で貯血槽の圧を測定していなかった。顔面の浮腫と脳に致命的鬱血が生じたことについて、合理的な説明がなかった。専門家の意見を聞かなかった。術野吸引ポンプを高回転で回し続けることの危険性が、一般的に認識されていたのかどうか検証しなかった。

東京女子医大の実験は周到に考えられた計画に基づくものではなかった。科学的方法では、仮説を立て、その証明のために適切な方法を設定する。方法は再現性を求められる。結果の解釈は極めて厳格に行われ、仮説が真であるか、あるいは偽であるかが論証される。報告書には、目的、方法、結果の客観的な記述が一切なかった。合同委員会は東京女子医大に実験結果を知らせてほしいと依頼したが、データは残っていないとの返答だった。非常に考えにくいことだが、3名の委員全員が、大学教授として当然求められる科学的能力と経験を有していなかったのかもしれない。能力があったにもかかわらずこのような報告書を書いたとすれば、知的誠実性の欠如を意味するものであり、「冤罪」だと言われても仕方がない。

佐藤医師が損害賠償を求めて東京女子医大と東間紘調査委員長を訴えた民事裁判の2010年3月16日の審理で、東間氏は、検討が不十分だったことの言質を与えようとしなかったが、実験の手順書の作成などを「きちんとやればよかったと今非常に後悔している」と述べ、科学的な実験ではなかったことを認めた。最終的には、時間がなかったと弁明し、検討が尽くされなかったことを実質的に認めた。急いだのは、科学的な事実の解明より、遺族と社会への対応が優先されたためではないか。さらに、検討を尽くさずに結論を出したということは、予断があったためではないか。証言の最後に、東間氏が、佐藤医師が専門医としてキャリアを失ったことについて謝罪したことは、当事者の納得による紛争の解決につながると思われた。  (続く)

(引用文献)
(文献1) 小松秀樹, 井上清成:?院内事故調査委員会?についての論点と考え方. 医学のあゆみ,
230, 313-320, 2009.
(文献2) 橋本佳子:院内事故調が生んだ「冤罪」 東京女子医大事件 控訴審で一審同様に無罪
判決、事故調?一審判決の死因は否定. m3.com. 2009年3月30日.
http://www.m3.com/iryoIshin/article/94460/
(文献3) 死亡原因調査委員会:故X殿死亡原因調査委員会調査報告.平成13年10月3日.
(文献4) 佐藤一樹:被告人の視点からみた医療司法問題の実際. 診療研究, 447, 5-15, 2009. 
(文献5) 日本胸部外科学会, 日本心臓血管外科学会, 日本人工臓器学会: 3学会合同陰圧吸引補助
脱血体外循環検討委員会報告書. 2003.

コーヒー一杯分の医療・・・ 

この4月の診療報酬改訂で、診療所の再診料が1割前後下げられるそうだ。病院の窮状を救うため、病院の再診料を上げるそうだ。医療費全体の2割程度しか費やされていない診療所の医療費を下げることで、財源がどれだけ病院に回せるというのだろうか。

再診料は、これで650円(本人負担は、3割負担で200円弱)になるらしい。これに複雑な指導料とか、処方箋料がつくのだが、基本的な医師の技術料は、コーヒー一杯のコストである。実際の収入減少はもとより、技術料が如何に低く見られているか、怒りを通り越して、何か脱力する思いだ。

一方で、様々な特殊法人のからむ特別会計の多くには、手が付けられていない。労働保険特別会計では、毎年1から2兆円の黒字が出ているようだ。例の「事業仕分け」では、こうした特別会計、特殊法人には、殆ど切り込まれていない。「事業仕分け」を計画実行した財務省は、最初からそうする積りだったわけだ。

下記の血液内科の医師がDPCという包括支払いの制度と格闘している様子が、我々にはよく理解できる。医療費を削減することは、結局、そのコストに見合った医療しか国民に提供できないことを意味する。その一方では、官僚の既得権益は温存され、むしろ拡大している気配すらある。

外来で患者さんの親御さんに尋ねてみたいものだ・・・コーヒー一杯の費用の医療を受けたいか、と。



以下、MRICより引用~~~

診断群分類との格闘」
~DPC対応クリティカルパスが生まれるまで~

帝京大学ちば総合医療センター
血液内科教授 小松恒彦

2010年1月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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●はじめに
2003年に診断群分類(Diagnosis Procedure Combination: DPC)に基づく包括医療費支払い制度が特定機能病院で開始された。その後DPC対象病院は増加の一途を辿り、2009年にはとうとう全一般病床の50%に達した。
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/05/dl/s0509-3g.pdf
当初は一部の高度特定機能病院を対象として始まったが、今や様々な規模や機能の病院(病床)が対象となり、しかも出来高算定病院との棲み分けも不明瞭である。筆者の個人的な感想だが、敢えて制度を難解にすることは既得権擁護とすら感じてしまう。しかしそのような大きなテーマはさておき、一医師としてDPC制度との格闘の歴史を振り返ってみたい。

●血液内科は不要なのか?
筆者が初めてDPCでの請求レセプトを見た時の印象である。
2004年7月、当時勤務していた茨城県のT病院がDPC試行病院となった。多くの臨床医がそうであるように、私も医療に関わる制度や医療にはあまり関心がなかった。T病院の理事長先生は太っ腹で、「どうなるか解らんから、とりあえず2ヶ月は今まで通りやってよい」とのお言葉だったので、当時使用していたクリティカルパス(以下パス、作成者は自分)通り、一応の「計画医療」を行った。
そして8月、先月分の出来高、DPC両方のレセプトを見て目を疑った。殆どの患者で出来高に比べ収入が減少しており、1ヶ月分で約300万円の減収であった。当時は1人医長で負担は大きかったが、血液内科は収入が高額なことが大きな支えであった。それが瓦解したのである。これでは何もしないで酒でも飲んでる方がマシである。
これが、筆者がDPCに深入りすることになったきっかけである。その過程でDPCとパスが極めて親和性が高いことにも気づいていった。

●具体的な収支
血液がんで頻度の多い「悪性リンパ腫(括弧内は略号、ICD-10コード)」について検討してみる。
例えば、「びまん性大細胞型B細胞性リンパ腫(DLBCL、C833)」に対する標準的抗がん剤治療である「R-CHOP(R:リツキシマブ+C:シクロフォスファミド+H:アドリアマイシン+O:ビンクリスチン+P:プレドニゾロン)療法」と、「末梢性T細胞性リンパ腫(PTCL、C844)」に対する「CHOP療法」を入院治療するケースを比較してみよう。
2004年4月版のDPC点数早見表(医学通信社、2004年7月発行)で非ホジキンリンパ腫の樹形図(130030)をみる。
まず「手術」の有無で分岐がある。おそらく多くの血液専門医は「手術ってなに?」と思うであろう。ここでの手術とは、A)リンパ節摘出術、B)胃切除術・脾摘出術・自家造血幹細胞移植・臍帯血移植、C)同種骨髄移植・同種末梢血幹細胞移植、が挙げられる。
多くの医師はこの時点で既に違和感を感じるであろう。これらの手術ごとに点数と対象日数が異なり、さらに同種移植でも臍帯血移植は包括で、末梢血・骨髄移植は出来高算定となる。
ここで「でも今回は手術なしだから」と気を取り直して「手術なし」をみる。しかし次にも「手術・処置等2」という分岐がある。これに該当するのが、中心静脈栄養、人工呼吸、放射線療法、血漿交換療法、インターフェロン、化学療法、リツキシマブである。この内前三者が「01」、後者が「02」に分類される。
さらに副傷病(感染症や出血などの合併症)の有無で分岐し最終的なDPCコードが決定される。副傷病まで及ぶと読者が興味を失うのでそこは省く。
ここでの最大の問題は「化学療法」と「リツキシマブ」が同じ範疇にあることである。即ち、DLBCLに対しR-CHOP療法を行う場合とPTCLに対しCHOP療法を行う場合の点数(病院の収入)が変わらないことである。
R-CHOP療法およびCHOP療法に必要な薬剤費を現在の公示薬価で計算(体表面積1.7m2とする)すると、R-CHOP療法は332,959円(R: 298,181円+C: 2,669円+H: 22,480円+O: 6,999円+P: 1,000円+その他: 1,630円)、CHOP療法は34,778円と、約10倍の開きがある。
1泊2日入院とすると医療機関の収入は144,260円なので、R-CHOP療法では188,699円の赤字(コスト率230%)、CHOP療法では109,482円の黒字(コスト率24%)となる。
実際はさらに検査費や人件費を考慮しなくてはいけない。人件費を55%としhttp://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/igyou/igyoukeiei/anteika1801.pdf
仮に許容される薬剤費率を40%とすると、抗がん剤以外何も使用しないという条件下では、R-CHOP療法では17日、CHOP療法では2日の入院日数が必要となる。
非ホジキンリンパ腫という同一の範疇に含まれる疾患に対する標準療法にも関わらず、薬剤費のため必要な入院日数に大きな差異が生じる。悪性リンパ腫に限らないが、がん化学療法での「1泊2日」入院は広く行われており、これが大赤字の原因の1つであった。
原因は判明したが、果たして医師として「貴方はDLBCLだから17日入院してね」とか「貴方はPTCLだから2日でいいよ」と説明できるだろうか?
おそらく日本中で同様の問題が噴出したのであろう。2005年7月から、非ホジキンリンパ腫でリツキシマブを使用した場合は出来高算定(Rだけではなく、当該入院期間全ての医療費が対象)されることとなった。一瞬安堵したものの、よく考えてみると「こんな重要なことが考慮されていなかったのか」である。
確かに医師(特に勤務医)は、医療費や薬剤費のことなど殆ど考えたことはなかった。その非は確かに責められるべきである。しかし、ここまで複雑では「制度を研究する(?)」という本末転倒な作業が必要となる。研究というのは未知の物事を知るための作業であって、人間が作った制度を対象とするものではないであろう。だが役所的には、「試行」に自ら手を上げて参加したのだから文句はいうな、である。この変更は一片の通達で示され、しかも「次期改訂に見直す」とある。
詳細は省くが、他の疾患や造血幹細胞移植でも同様の困難が生じていた。
当時の筆者は健気にも「必要な医療を提供するためには、臨床医の視点でDPCを熟知しなければいけない」との結論に達した。筆者は1999年頃より血液領域におけるパスの作成を積み重ね、造血幹細胞移植も含め既に約40種類のパスを使用していた。それらの全てに樹形図毎の点数と薬剤費・検査費を入力し、形式を一定とした全面改訂を開始した。また薬剤費も体表面積から自動的に計算される関数を挿入した。これらのパスは誰でもダウンロード可能としてある。
http://public.me.com/komatune
※薬剤費やDPC点数が全て最新版ではなく病院毎の実情も異なるので、使用は各人の責任でお願いいたします。

●2年毎の改訂への対応
このように地道な計算を積み重ね、やっと収支が改善したのもつかの間、2006年度の改訂が行われた。
「診療報酬改訂」の2008年度は0.82%減、2010年度は0.19%増、が話題になっている。DPC点数の改訂はそのような生ぬるい変化ではない。平気で数十パーセントの変更があり、かつ、DPCと出来高の間の変更も珍しくないのである。
しかもその過程はブラックボックス。不思議なことにメディアは一部の専門誌を除き、全く触れていない。
率直に言えば包括医療制度とは、如何に低コストで同等の成果(アウトカム)を得られるか、がポイントである。しかし一般にはコストを下げれば質も下がる、というのは普遍的な常識だ。介護保険との連携の難しさとも相まって、この頃からがん難民、未承認薬、適応外使用などの問題がクローズアップされてきた。
筆者は包括医療に反対ではなく、むしろ賛成している。なぜなら、「医療は人もお金も有限でありそれを現状として踏まえるべきである」、というのが1つ、もう1つは「包括医療ならば、例え困難でも低コストで同じアウトカムを達成できれば病院の収益増となる」ことだ。給料は増えないだろうが、医療の質向上に使える資金を産み出せることは極めて有用だと考えている。しかしこの「大改訂」はそれらの地道な努力では到底吸収不能である。
しかし実はそこに医療費を減らすため「外来化学療法」という大きな伏線が貼られていた。
・・・続く・・・

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