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厚労大臣が医師の人事権を握る 

医師のサイトm3をしばらく訪れていなかったら、「凄い」法改正が行われていた。

厚労大臣が、各学会に向けて、専門医の配置を指示できる仕組みが出来上がりつつあるのである。

専門医機構を介するのは面倒だ、厚労大臣が直接指示するようにしよう、ということなのだろう。

これは既定の路線だったのかもしれない。専門医機構は、専門医試験の事務だけを担当し、医師の人事権を行政が直接握るというスキームである。

かくて医師は、高額な専門医試験受験費用、資格維持費用を専門医機構に払いつつ、学会に学会費を払い続けなければいけなくなる。その上、行政による人事権により仕事・居住地まで指示されることになる。

だが、行政の思い描く、官製医局というか、行政による徴医制は、思い通りには実現しないだろう。

その理由はいくつもあるが;

〇職業選択の自由を侵す制度となる。憲法の基本的人権にも抵触する。
〇医師の身分保障、労働環境の整備まで、行政は行わない・・・人事権の美味しいところだけを行政がつまむことになる。確かに、ドイツ等では、行政の指示により、医師は一定期間地域医療に従事することになっているが、その背景には手厚い医師の身分の保証がある。医師からは、すべての医師を公務員化するようにとの要求がでるかもしれないが、医療費削減の強い要請のあるなか、そのようなことは決して行われない。 
〇日本医療機能評価機構という天下り先を潤し、行政の権益にのみ資するような、この制度に囚われることを嫌悪する雰囲気が若い医師の間に蔓延する可能性が高い。
〇公的医療保険はおそらく高齢化の進展のための財政難、貧弱な医療政策により、ジリ貧になる。すると、この新たな制度と相まって、自費診療、さらには関連別業種に医師が向かうことになる。
〇行政と直接関係のない、任意団体である学会と厚労大臣の関係も法的に不明確。厚労大臣が、学会に「命令を下す」ことができるのだろうか。学会の抵抗が予想される。

機を見るに敏な優秀な学生たちは、きっと医学部を敬遠するようになることだろう。現在の医学部人気は、一種のバブルだから、それが沈静するだけでも良いのかもしれない。

高校生の諸君には、この行政による医療支配の進展をよくよく見て、自らの将来を決めてもらいたいものだ。

それにしても、専門医機構とは一体何のため?

以下、m3より、このニュースの一部を引用~~~

 先の通常国会で成立した改正医師法で、新専門医制度において、国が日本専門医機構等に対し、意見を言う仕組みが新設された。地域医療に重大な影響が及ぶ懸念がある場合など、特に必要があると認めるときなどは、「必要な措置」の実施を要請することができる。その対象は同法上、「医学医術に関する学術団体その他厚生労働省令で定める団体」となっている。省令案では、日本専門医機構だけでなく、基本領域の18学会を加え、計19団体とした。厚労大臣が、同機構を通さず、学会に直接要請ができる枠組みが誕生することになる。

産科医療補償制度が、脳性麻痺医療訴訟を増やしている 

私自身、臨床から離れたこともあり、産科医療補償制度のことは意識の外になってしまっていた。同制度が、立ち上げ時に、心配された医療訴訟の増加をもたらしている。

この制度は、不幸にして分娩時に脳性麻痺にかかったお子さんを経済的に救うことを目的に作られた制度だ。

だが、その制度が、脳性麻痺の責任を医療機関・医師に求める訴訟を増やしている、というのだ。

脳性麻痺は、1000出生に1から2例、一定の割合で必ず生じる。その内、9割は胎内で生じる、すなわち分娩の問題で生じるのではない。こちら参照。この制度の「原因分析」によって、脳性麻痺訴訟が増えることは、本旨ではないし、脳性麻痺の発症機構からして、医学的に大きな問題を孕む。

この制度を運用する日本医療機能評価機構は、莫大な内部留保を蓄えている。一年で100億円程度余剰金を得ている。ご存知の通り、同機構は、巨大な天下り組織である。

行政が、不適切な医療行政を行い、利権をえる一方、医療はおそらく根拠のない医療訴訟の増加に直面している。

以下、引用~~~

脳性麻痺訴訟の提訴が急増している

この原稿は月刊集中6月末日発売予定号からの転載です。

井上法律事務所所長 
弁護士 井上清成

2018年6月21日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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1.脳性麻痺に関する紛争・訴訟の増加
平成30年(2018年)4月11日、日本記者クラブにおいて、公益社団法人日本産婦人科医会の医療安全部会が、「産科医療補償制度の現状と今後の課題」に関して記者懇談会を行い、その要旨が日本産婦人科医会報5月号に掲載された。目に付いたのが、「紛争・訴訟の減少」という項目である。もちろん、文字通り本当に紛争・訴訟が減少しているのならば、喜ばしい。「紛争・訴訟の減少」の項目では、「近年の産婦人科の訴訟件数の推移は減少傾向にある。産科医療補償制度開始後にはその傾向は顕著であり、10年前に比べて3分の1になっている。本制度の補償対象事例において、本制度とは別に損害賠償請求等がされたのは、補償が決定した2,233件のうち97件(4.3%)にすぎず、このうち訴訟提起事案は51件であった(平成29年12月末における集計)。」などと述べられていた。そのまま記者発表の額面通りの評価でよいのならば誠に喜ばしいことであるけれども、残念ながら、客観
的な動態の数値はそうではない。実際は、産科医療補償制度の補償対象事例となった重度脳性麻痺に関する紛争や訴訟は、近時になって急増しているのである。

2.産科医療補償制度の9年間の推移
確かに、近年の「産婦人科」全体の「訴訟件数」の推移は、減少傾向にあると言ってよい。平成24年(2012年)の年間59件以降、平成29年(2017年)までの5年間は年間56件・60件・50件・52件・54件とほぼ50件台で推移し、低位で安定していた。ほぼ3倍であった平成18年(2006年)の年間161件、ほぼ2倍であった平成19年(2007年)の年間108件の頃とは隔世の感がある。もちろん、訴訟減少の最大の要因は、脳性麻痺のみを対象とする産科医療補償制度のためなどではなく、産科医の逮捕と刑事責任追及が行われた福島県立大野病院事件での無罪判決(平成20年〔2008年〕8月20日福島地裁)の強烈なインパクトのためにほかならない。

さて、それはともかく、ここでの最も重大な問題は、産科医療補償制度のお蔭で、脳性麻痺の紛争(損害賠償請求事案)や訴訟提起事案が果たして本当に減少したのかどうかということであろう。引用した日本産婦人科医会報の「平成29年(2017年)12月末における集計」だけでは、どちらであるとも全くわからない。そこで、平成25年(2013年)時点における資料(平成25年11月27日付け公益財団法人日本医療機能評価機構産科医療補償制度運営委員会「産科医療補償制度見直しに係る報告書」40頁・参考5「紛争の防止・早期解決に係る状況」)と併せて考えることにしよう。
産科医療補償制度は平成21年〔2009年〕に開始したので、平成30年〔2018年〕である本年が制度開始10年目となる。そこで、産科医療補償制度のこれまでの9年間の推移を、前半期(平成21年〔2009年〕~平成25年〔2013年〕。ただし、正確には、統計時点の都合上、平成25年〔2013年〕5月末までの4年5ヶ月間)と後半期(平成26年〔2014年〕~平成29年〔2017年〕12月末まで。ただし、正確には、統計時点の都合上、平成25年〔2013年〕6月1日からの4年7ヶ月間)との2つの時期に分けて見ることとする。

3.後半期は件数2倍・割合3倍に激増
前半期における「産婦人科」すべての「訴訟事件」は合計370件(ただし、ここは丸々5年間の件数)で、そのうち重度脳性麻痺に関する紛争(損害賠償請求事案)は33件で、さらにそのうちの訴訟提起事案は17件であった(平成25年11月27日付けの前掲資料より)。つまり、「重度脳性麻痺に関する訴訟件数」の「産婦人科すべての訴訟件数」における割合は、4.6%である。ところが、後半期における「産婦人科」すべての「訴訟件数」は合計216件(ただし、ここは丸々4年間の件数)で、そのうち重度脳性麻痺に関する紛争(損害賠償請求事案)は64件で、さらにそのうちの訴訟提起事案は34件であった。つまり、「重度脳性麻痺に関する訴訟件数」の「産婦人科すべての訴訟件数」における割合は、15.7%である。 
したがって、後半期は、前半期と比べて、重度脳性麻痺に関する訴訟件数が17件から34件に倍増してしまった。さらに、産婦人科全般に占める重度脳性麻痺の訴訟件数の割合も、4.6%から15.7%へと3倍にも増加しているのである。
前半期と比べて後半期には、産婦人科全般の訴訟件数のみならず全診療科目の訴訟件数も明らかに減少しているにもかかわらず、重度脳性麻痺に関する訴訟提起事案(もちろん、紛争全般も。)だけがひとり全く逆方向に激増してしまった。件数が2倍、割合は3倍にもというのでは、たとえ諸原因による誤差を十分に考慮したとしても、それらだけでは済ませられない。尋常でない増加ぶ
りと評価してよいであろう。
誠に残念なことではあるが、これこそが客観的な数値である。到底、産科医療補償制度関連だけは、「紛争・訴訟の減少」はしていない。

4.産科医療補償制度の現状と今後の課題   
産科医療補償制度は、確かに開始当初の前半期には重度脳性麻痺に関する紛争・訴訟を減少せしめた(と思いたいところではある。ただし、ひいき目に見ないとすると、全診療科目や産婦人科全般の大きなトレンドと並行しただけだとも評しうる)。しかし、いかように捉えようとも、産科医療補償制度が浸透した後半期になって、急激かつ大幅に、紛争・訴訟が増加してしまった。これこそが、産科医療補償制度の現状であり、確かな事実なのである。
そうすると、今後の課題は、「紛争・訴訟の増加」の原因を取り除いて「紛争・訴訟の減少」に転じさせるべく、改善策を講じることにほかならない。
産科医療補償制度が浸透した後半期になってからの「紛争・訴訟の増加」であることからして、最も有力に考えられる原因の筆頭は、やはり「原因分析のあり方」である。現状の「原因分析のあり方」では、その一から十まで「紛争・訴訟の増加」の誘因になっていると考えられもしよう。そうすると、その原因分析の本質は尊重しつつも、諸々の技術的な「あり方」については全面的に改善する方がよい。
丁度良い改善のモデルがある。院内事故調査を中心として、非懲罰性と秘匿性の原理に導かれた「医療事故調査制度」が、まさにそれであろう。全診療科目に普遍的な制度として現に施行されている「医療事故調査制度」を見習って、産科医療補償制度だけに特有な「原因分析のあり方」の現状を改善していくべきである。

がん拠点病院の指定要件に「医療安全管理部門」の設置 

最近、医療関連のニュースを取り上げることが少なくなってしまった。このニュースを読んで、そうした自分の変化に苦笑するとともに、厚労省のやることは相変わらずだと思った。

医療安全が医療安全管理部門の新設で確保されるのだろうか。少なくとも、千葉がんセンター事件では、内部告発に対する上層部のもみ消し、さらに内部告発者へのパワハラが、問題の根幹にあった。群馬大学事件は、医療安全管理部門が存在したのに生じた。この二つの施設の問題点をより掘り下げないと、同じ問題が繰り返される可能性がある。

新しい医療技術の導入に際しての医療安全の問題もあるが、見落とされているのは、医療従事者の労働環境の劣悪さから生じる医療事故。医療事故手前の事象について、日本医療機能評価機構が毎年情報を集め公開している。だが、彼らは医療従事者の労働環境について検討しない。医療事故についても、当事者が免責される、非公開という原則が守られていない。

それに、もっとも腹立たしいのは、「緩和ケアの実施件数も要件に加え」ていること。緩和ケアの診療報酬上の施設要件に、日本医療機能評価機構の評価を受けていることがある。日本医療機能評価機構は、がん患者を「人質」にとり、自らの権益を確保している。

政府から虐められる行政、そして国民から蜜を吸い上げる行政・・・最終的な被害者は、国民である。

朝日新聞デジタルより引用~~~

がん拠点病院の指定要件に「医療安全」追加 厚労省
黒田壮吉2018年4月12日06時00分

 全国に400以上あり、地域のがん医療の中心となる「がん診療連携拠点病院」の指定要件に、常勤の医師や薬剤師がいる医療安全管理部門の設置などが加わることになった。厚生労働省の有識者検討会が11日、まとめた。拠点病院だった群馬大病院や千葉県がんセンターなどで死亡事故が起きたことを受け、議論してきた。

 どこにいても適切ながん医療が受けられるよう、厚労省は2002年以降、がん診療連携拠点病院を指定している。年400件のがん手術数や、化学療法の延べ患者数が年1千人以上などが現在の要件。指定されれば、診療報酬上の加算やがん専門医研修への補助金などが受けられる。原則、4年ごとに更新する。

 群馬大病院と千葉県がんセンターで14年、がん患者らが腹腔(ふくくう)鏡手術後に死亡したことが問題になった。拠点病院の指定要件に医療安全に関する事項はなかったが、安全管理体制が不十分などを理由に厚労省は15年の更新時に両病院を拠点病院に指定しなかった。

 検討会は、医療安全管理部門を設け、常勤の医師や薬剤師、看護師の配置を定めるとまとめた。責任者には医療安全に関する研修の受講を求める。医療安全上に重大な疑義がある場合は、指定の取り消しを検討する。

 ほかに患者の心身の苦痛を和らげる緩和ケアの実施件数も要件に加え、外来や院内で実施した緩和ケア件数の報告を求める。保険適用外の「がん免疫療法」の実施は原則、安全性を評価したうえで臨床研究として行うよう見直す。新たな要件を満たす拠点病院は、今年度中に指定する予定。

ピンピンコロリは理想のように見えるが・・・ 

某SNSで、「死に方」について議論されていた。いわく、癌で苦しむのはいやだ、ボケて何も感じなくなって死んでゆきたい、という意見。

主観的な希望として、その気持ちはわからぬでもない。だが、死亡の原因からして、確率の高い死因はやはり悪性新生物である。認知症になったとしても、最終的に亡くなる直接の病因は、悪性新生物・感染症他であり、認知症自体ではない。記憶が障害されているとしても、疼痛や苦痛のコントロールは必要だ。また、その前に、認知症の経過中には、大きな不安感と孤独感に襲われるもののようだ。認知症になって亡くなるのも、それ以外の経過の死亡と同じような問題を抱えるのだ。

脳血管障害、虚血性心疾患等で、瞬時に死ぬことができれば、本人にとっては良いのかもしれない。だが、残された家族にとって、それはぬぐい難い喪失感をもたらすだろう。やはり、時間をかけて身辺整理をし、周囲の人々・家族に別れを告げて亡くなる方が、残される人々にとっては良いのではないだろうか。それに、この二疾患群では、「助かって」後遺症を残し、残りの人生を歩むことになる可能性の方が多い。

こうした議論をしていて、強く感じるのは、社会的な死の視点が欠けていることだ。

今後、しばらくは悪性新生物で死亡する可能性が最も高いのであるから、それに対応する社会基盤の形成が必要になる。ところが、以前のポストにも記した通り、毎年100万人死亡するこの時代に、その半数以上を占める悪性新生物他の患者にターミナルケアを施すホスピスの絶対数が足りない。たった、7000床しかないのだ。この病床が、年に2人、3人の方に利用されるとしても、絶対数が圧倒的に不足している。

ホスピスの診療報酬の算定要件に、日本医療機能評価機構の「評価」が必要とされていることは繰り返し述べた。この「評価」なるものが、形式的で意味のない内容であり、結局、同機構が悪性新生物患者を人質にとって、利権を貪っている構図である。この天下り団体のこの悪行が社会的に問題にされることがない。天下りの最悪の側面が、このホスピス診療報酬問題に表れている。

さらに、厚労省は、在宅医療をがむしゃらに推進している。悪性新生物末期の患者も、在宅医療で対応させる積りのようだ。疼痛コントロール、その他の身体管理、さらに精神的なケアを、家族を失いつつある家族構成員に24時間体制で行わせる、それが一体可能なのだろうか。在宅医療自体が困難を極めるのに、末期患者のケアとなれば、とても可能とは思えない。

自分は楽に死ねたら良いと希望を語るのは結構だが、現実は厳しい。後の世代のためにも、この「多死」の時代にあるべきターミナルケアのインフラを整備するように政治・行政に強力に働きかけるべきなのではないだろうか。

医療機能評価機構・医療安全調査機構は自己存続・拡大が目的になっている 

院内自殺は、医療事故ではない。院内自殺を食い止める努力は、医療機関側に求められるが、医療機関が提供する医療によって生じる患者に不利な事象とは言えない。たとえ、それが予測不能であったとしても、根本的に医療機関に責任を負わせることは誤りだ。

医療機能評価機構と、医療安全調査機構は、院内自殺を医療事故として捉えることで、利権を拡大しようとしている。この二つの天下り団体は、医療機能評価、医療安全調査という呼称とは裏腹に、医療機能を貶め、医療安全を危うくする組織でしかない。

こうした天下り団体は、組織の存続・拡大が自己目的化する。

以下、MRICより引用~~~

「自殺は重大医療事故」と発表した医療機能評価機構は即時訂正を
厚労省は、医療安全調査機構の事故調センター指定の取り消しの検討を

現場の医療を守る会代表世話人
坂根Mクリニック 坂根 みち子

2017年9月14日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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医療安全を担うはずの組織が暴走している。

8月28日に、日本医療機能評価機構が「入院患者の自殺は重大な医療事故」と記者会見した(1)。自殺は様々な要因で起きるが医療事故ではない。現在の医療事故の法的な定義に照らしても、医療事故にはあたらない。機構の真意を「忖度すれば」、注意喚起するために善意で発したものかもしれない。しかしながら、法の定義を無視して公表すれば、言葉が一人歩きをするのは目に見えている。その場合、自殺の原因は医療機関の手落ちとされ訴訟を誘発されかねない。悪意のない善意というには、あまりに非常識である。

このような法を逸脱した用語を用いた提言が、傘下の認定病院患者安全推進協議会が出てきた時に、日本医療機能評価機構にはそれを検証する義務がある。今回の問題で、機構にチェックシステムが欠如していることが露呈した。機構はこの事実を厳粛に受け止め、速やかに提言を訂正し、世間に間違ったメッセージを発信した過ちを認めて頂きたい。

今、日本で医療事故を取り扱う組織としては、日本医療機能評価機構と日本医療安全調査機構がある。日本医療機能評価機構は、永年にわたり、ヒヤリ・ハットを含めた広義の医療事故情報を収集し、分析・提言してきた。

これに対し、2014年に改正された医療法では、「加えた医療による」「予期せぬ死」であると管理者が認めたものを医療事故と定義し、すべての医療機関を対象に医療事故調査支援センターに報告するように定めた。日本医療安全調査機構は、そのセンター業務を担っている。それまで広義の医療事故を担ってきた日本医療機能評価機構ではなく、医療安全調査機構が法的に極めて限定して定義された医療事故だけ担うようになったため、制度が複雑化し、無駄な重複が生じていることは、何度も指摘してきた(2)。

「自殺は医療事故」と発表した日本医療機能評価機構よりさらに問題なのは、医療事故調査支援センターの指定を受けている日本医療安全調査機構である。2014年に始まった医療事故調査制度は、全医療機関を対象とした初めての制度のため、今まで日本医療機能評価機構が担ってきた仕事の繰り返しにならないように、報告対象を極めて限定し開始されたものである。ところが、センターが行っていることは、

1.報告対象の拡大推進(3)(4)→報告数は予算とリンクするので、センターへの報告をうながすことは利益相反にあたる。

2.定義に当てはまらない合併症の分析・公表(5)(6)→第1報 中心静脈穿刺合併症 第2報 肺血栓塞栓症 →いずれも予期出来た既知の合併症で、そもそも報告対象ですらない。

日本医療機能評価機構がやってきた医療事故情報収集等事業をベースに考えた時、センターに課せられた仕事は、全医療機関を対象に、今まで指摘されていなかったシステムエラーを発見し、今まで出来ていなかった現場の具体的な医療安全のための改善策を実行させることである。繰り返しはいらない。

残念ながら、医療安全調査機構には日本の医療安全全体を俯瞰して、過去の事業との連続性を考え無駄を省く視点は全くない。
それどころか8月30日のキャリアブレインのニュースによると、機構はセンター調査結果の公表を検討していると言う。

日本医療安全調査機構(高久史麿理事長)は30日、医療事故調査制度を円滑に運営するために設置している「医療事故調査・支援事業運営委員会」を開いた。この中で委員会事務局は、医療機関または遺族が院内事故調査の結果に納得がいかず、医療事故調査・支援センター(センター)に依頼した再調査の結果を、個人情報保護に留意した上で、公開することを提案した(7)。
何度も繰り返し指摘してきたが、この制度は遺族の納得(~紛争解決)のための制度ではなく、今後の医療安全を高めるため、言わば未来の患者のための制度なのである。

センター調査結果の公表は、事故情報を収集分析して、医療現場にフィードバックするという法の趣旨を明らかに逸脱している。この制度のための2017年度の予算は9.8億円に上る。不要な報告を促し、二番煎じの不要な分析に人と予算を費やし、現場の医療安全のために具体的なアクションを起こすのではなく、従来通りの報告書作りに終始し、遺族への対応に拘泥しているセンターは、むしろ医療現場に余分な仕事を増やしている。厚労省は、日本医療安全調査機構のセンターとしての指定を取り消し、日本医療機能評価機構に制度を一本化する必要がある。

2011年に医療事故調査制度が完備したスウェーデンでは、日本のような混乱は起きていない。制度が一本化されていること、センターの仕事は、報告→分析→システムエラーの発見→情報共有→医療現場の改善、というサイクルが徹底しているのである。センターにいる法令系スタッフの仕事は、法に則って行われているかチェックすることである。日本のセンターの法律家はなすべきことを間違えていないだろうか。また、スウェーデンでは、起きてしまった事故に対しては、無過失補償制度が完備していることも制度が上手く回っている大きな要因である。

日本での本質的な問題は、センターの仕事を検証するシステムがないことである。遵法精神に乏しい無駄の多い医療安全団体の存在こそ、検証されるべきである。莫大な税金が使われてる以上、それは厚労省の仕事のはずだが、如何だろうか。

<参考>
(1)「入院患者自殺は重大医療事故」、日本医療機能評価機構が提言
https://www.m3.com/news/iryoishin/553856?dcf_doctor=true&portalId=mailmag&mmp=MD170828&mc.l=243230019&eml=dec73da708e24678ff79160c0fd3035d
https://www.psp-jq.jcqhc.or.jp/post/proposal/3192
(2)坂根 みち子 医療事故調査制度混乱の原因は日医とセンターにあり? これでは管理者が混乱する ? http://medg.jp/mt/?p=7070
(3)医療事故 届け出促進へ 関係機関が統一基準 制度低迷打開  http://mainichi.jp/articles/20161012/ddm/001/040/209000c
(4)“事故調”、係争例もセンター調査の対象に 日本医療安全調査機構、運営委員会で確認 https://www.m3.com/news/iryoishin/499221
(5)日本医療安全調査機構 医療事故の再発防止に向けた提言
第2号 急性肺血栓塞栓症に係る死亡事例の分析
第1号 中心静脈穿刺合併症に係る死亡の分析―第1報―
https://www.medsafe.or.jp/modules/advocacy/index.php?content_id=1
(6)坂根みち子 医療事故調査・支援センターは、医療の「質」の問題に手を出してはいけない http://medg.jp/mt/?p=7586
(7)事故調センター調査の公開を提案 日本医療安全調査機構の運営委員会
https://www.cbnews.jp/news/entry/20170830135742

産科医療事故 

医療事故が起きた時、関与した医療従事者は、大きな自責の念に捕らわれることが多い。そうでなくても、周囲から批判の目に晒される。故意に起こした犯罪的なものでなければ、医療従事者の情報は秘匿されるべきである。それが、医療事故の真相を明らかにし、次の事故を防ぐためになる。2005年WHOのガイドラインにはそのように記されている。こちら。

坂根医師は、下記の記事で、いわば医療従事者の「過失」を追及し、社会的にそれを示す懲罰的な対応をする、日本産婦人科医会と日本医療機能評価機構の問題を論じている。彼女の述べる通り、医療事故当事者の医療従事者は保護されなければならないのは、最初に述べた通りだ。両者が、産科医療の萎縮をもたらし、産科医療を危機に陥らせている、と警鐘を鳴らしている。

ここでは、天下り組織である日本医療機能評価機構の産科補償制度について検討してみたい。

日本医療機能評価機構は、補償金の掛け金と、補償金の差が大きく、莫大な内部留保をため込んでいる。同機構のウェブサイトを見ても、財務状況が公開されていない様子なので、大まかな推測をここでしてみる。

同機構のウェブには、掛け金について以下のように記されている。

『本来必要となる掛金の額は、1分娩あたり24,000円となりますが、本制度の剰余金から1分娩あたり8,000円が充当されるため、分娩機関から支払われる1分娩あたりの掛金は16,000円となります』

4年前に、掛け金が30、000円から16、000円に引き下げられた。内部留保が、おそらく数百億円のオーダーで溜まっていると想像されるが、そのごく一部を掛け金の値引きに宛てているようだ。また、ウェブでは、同機構のこの産科医療補償制度に加入している医療機関が99.9%であると繰り返し述べられている。

年間出生数を大まかに100万人とすると、掛け金の総額は 16、000円/出生一人x100万人/年=160億円/年

一方、補償金を給付するケースはここ数年減少してきている。少子化の進展とともに、補償金給付条件を厳しく出産前後の原因不明の脳性麻痺に限定しているためだろう。平均して200人前後のようだ。補償金は、一人当たり3、000万円(20歳まで分割されて支払われる)である。

補償金総額は 3,000万円/一人x200人/年=60億円/年 

かなり大まかな概算だが、年100億円前後が内部留保としてため込まれている可能性が高い。

これだけの内部留保を保持する特殊法人は、それほどないことだろう。同機構が、医療事故の情報をマスコミに流し、医療事故は医療機関、医師の過失である、という世論を誘導するのは、同機構が存続する理由作りのように思える。これでは、医療事故の本当の原因究明に寄与しないばかりか、医療を萎縮させることによって、国民に大きな損害を与えているということになる。

日本産婦人科医会、日本医療機能評価機構は、医療事故対応を根本的に改めるべきである。

以下、引用~~~

産科医療補償制度と日本産婦人科医会は産科医をリスクにさらしていないか

現場の医療を守る会世話人代表              
つくば市 坂根Mクリニック 坂根 みち子

2017年6月23日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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このところ、産科医療事故の報道が続いている。最初は、2016年12月12日だった。愛知県の産婦人科診療所で3年間に2人の妊産婦死亡があり、日本産婦人科医会が直接指導に乗り出したとの報道で、15日には同会常務理事の石渡勇氏が記者会見を開いた。ネット上では早速診療所の同定とバッシングが始まった。その診療所は、医会より分娩停止を指導され、結局閉院している。

そして、年が明けて2017年4月17日からは、ターゲットが無痛分娩になった。麻酔を使った「無痛分娩」で13人死亡・・厚労省急変対応求める緊急提言というものであった。

読売新聞(yomiDr.)の記事を良く読むと、厚労省の提言ではなく、厚労省の一研究班(池田班)のもので、2010年1月から16年4月までに報告された298人の妊産婦死亡例のうち、無痛分娩を行っていた死亡例が13人(4%)あったというものだった。うち、麻酔が原因でなくなったのは1人。これを「無痛分娩」で13人死亡し、厚労省が緊急提言した、という見出しで出したのだ。

嫌な予感がした。

この後も報道が続く。特に読売新聞のyomiDr.では詳細で持続的な報道が続いた。

5月10日 読売
「無痛分娩」妊産婦死亡など相次ぎ・・・件数や事故状況、実態調査へ
麻酔で出産の痛みを和らげる「無痛分娩」をした妊産婦に死亡を含む重大事故が相次いでいるとして、日本産婦人科医会が実態調査に乗り出した。(中略)医会の石渡勇常務理事は、「無痛分娩そのものが危険なわけではないが、実施には十分な技量と体制整備が必要で、希望者が安全に受けられる仕組みを整えたい」と話している。
5月27日 産経
医療ミスで出産女性が死亡 神戸の産婦人科病院長を刑事告訴 業務上過失致死罪で(以下筆者)この事例では、示談金を支払い後に遺族が刑事告訴している。
5月31日 朝日
「無痛分娩」全国調査へ 妊産婦死亡受け、産婦人科医会
医会の石渡勇常務理事は「人員配置が不足していないかなどを調べた上で、安全対策のマニュアル整備や、安全性を担保する認定制度が必要か検討したい」
6月6日 読売・報知
帝王切開時の麻酔で母子に重度障害・・・報告せず
京都府の産婦人科診療所が昨年、帝王切開で同じ方法の麻酔をして母子が重度障害を負う例があったにもかかわらず、日本産婦人科医会に報告していなかったことがわかった。
6月12日 朝日
無痛分娩の麻酔で母子に障害 京都の医院、別件でも訴訟
この医院では昨年5月にも同じ麻酔方法で母子が重い障害を負っており、日本産婦人科医会が調査を始めている。
(以下筆者)この事例は、産科医療補償制度で有責とされ、原因分析報告書と3000万円の補償金のうち初回の600万円を入手後、9億4千万円の損害賠償を求める訴訟が起こされている。

一体何が起こっているのだろうか。

まず最初に確認しておきたいが、日本の妊産婦死亡率は妊婦10万人あたり4人前後で推移しており、年間死亡数は40人から50人と世界トップクラスの低さを維持している。

筆者は産科については全くの門外漢であるが、医療事故調査制度については多少なりとも関連を持ってきた。そして今回の一連の報道で感じている問題点を3つ挙げる。

1.妊産婦死亡の自主的な報告を集めている日本産婦人科医会が、記者会見をして事故について公表した点。これにより報告した当事者が大きな不利益を被った。

日本産婦人科医会への妊産婦死亡の報告は、今後の医療のために各医療機関から自発的に行われているものである。当然の事ながら報告するからには、WHO医療安全のためのドラフトガイドラインを遵守して、有害事象の報告制度の1丁目1番地、「報告者の秘匿性と非懲罰性が担保され」なければならない。

ところが、日本産婦人科医会の石渡常務理事は記者会見して公表してしまったのである。そして、医療機関、医師情報は、メディアにより詳しく報道拡散され、医療者は世間からバッシングを受け、身内の医療界からも断罪され、さらに遺族からは民事でも刑事でも訴えられている。

この展開は、群大腹腔鏡事件のデジャブのようである。

2.産科には、日本初の無過失補償制度が出来たと聞いていたが、産科医療補償制度が実際には無過失補償制度ではなく、かつ、訴訟を防ぐ制度設計になっていないために、高額の訴訟を誘発してしまった点。

この制度について調べると驚きの連続だった。

産科医療補償制度に申請すると、行った医療の評価が報告書に記載され、それが患者遺族にも渡され、インターネットで公開されている。報告書は、個人が識別出来てしまうような内容が記載されており、新聞報道と併せて誰でも詳細な情報を知り得る。この制度では、事故の当事者である医師が、機構の評価に対して異議申し立てをする機会は与えられていない。報告書を公表する前の確認さえない。そして、過失があったとされた場合は制度で補償されない。つまり自分で支払わなければいけない。さらに支払われた補償金を着手金として訴訟を起こされ、報告書が鑑定書として裁判で使われている。

当事者の産科医には、何とも気の毒としか言いようのない根本的に大きな問題を抱えた制度だと知った。

有害事象が起こってしまった時、患者家族と同様に医療従事者も、精神面、業務面ともに大きな影響を受け、最終行為者は「第2の被害者」と言われており、専門的なサポートを必要とする。それがないと、その後の医療に悪影響を与えると、アメリカのハーバード病院のマニュアルには10年も前から明記してある。ところが、日本では当事者が「第2の被害者になりうる」という認識さえされておらず、産科医療補償制度ではサポートするどころか、当事者を精神的にも金銭的にも社会的にも追いつめ、ベテラン医師の現場からの立ち去りを誘発している。

明らかな人権侵害である。

産科医療補償制度には、日本産婦人科医会の石渡常務理事も深く関わっておられるが、制度の委員に真の医療安全の専門家がいないのではないか。そうでなければ、これほどの欠陥が放置されるわけがない。

3.無痛分娩が危険であるかのような報道がなされた点。

アメリカやフランスでは60~80%を超える無痛分娩だが、日本では数%と極めて少ない。理由の第一は医療資源不足。日本では産科医も麻酔科医も圧倒的に足りず、麻酔を必要とする無痛分娩まで手が回らない。また日本では出産を取り扱う医療機関の規模が小さいところが多く、麻酔科医を置かずに、産科医が麻酔も担当するために、無痛分娩の取り扱いに限界があるのである。医療資源不足は大病院といえども同様だが、それに加え日本では従来「出産は痛みに耐えてこそ」という精神論が幅をきかせており、麻酔科のそろった大きな医療機関でも「痛みを取るため」の無痛分娩に対する優先順位がなかなかあがらないのである。

筆者は、20年前にアメリカで無痛分娩により出産した経験がある。その時は日本のお産事情と比較するために敢えて無痛分娩を選択した。もちろん医療費の高い米国でその時の加入していた保険が出産をカバーしていたから可能であった。無痛と言っても痛みは残る。だが、それまでの出産に比べて1/10程度の苦痛で済んだ。そして計画的に無痛分娩を選択した場合の最大のメリット
は、体力の温存である。1泊2日(今は2泊3日が多いと思われる)で退院して、すぐに上の子供たちを含めた育児が始まるので、出産で疲弊しないで済んだ事は大変有り難かった。

その時入院した病院で読んだ雑誌に、日本の無痛分娩率の低さを取り上げて、日本女性は痛みを感じないのか、という特集記事が組まれていたのを思い出す。もちろん選択肢が与えられていないだけである。それから20年、ようやくその機運が持ち上がってきたところで、今回の一連の報道である。

今回報道された事故では、確かに不幸な転帰となり、改善すべき点はある。だが、いずれの医療機関でもほとんどの分娩はきちんと行われてきたのであり、医師たちは出産と言う奇跡をサポートするために全力を尽くしてきたはずである。世界的に見て少ない医療資源で非常に優れた成績を収めてきたのは誇るべき事実である。今の世界の医療安全の考え方は、「レジリエンス・エンジニア
リング」といって普段上手くやっている事から学び、それを増やすという臨機応変型のシステムが推奨されている。

もちろん、失敗から学び、各医療機関の情報公開や分娩体制の改善がなされる事も必要である。ただし、それらは各医療機関が自ら行うべきものであって、上から目線で指導するものではない。どういったサポートが必要か、各医療機関を訪ねてコミュニケーションを取るところから始めて、ボトムアップしていくのが、本当のサポートである。

確かに、大きな医療機関で複数の産科医と麻酔科医がいて、チームで分娩をサポート出来る体制が理想である。そうはいっても、大野病院事件をきっかけに分娩施設は15%減少したままであり、各地で医師は高齢化し、少子化は進行している。筆者が日本でも無痛分娩という選択肢が増える事を願った20年前から、状況は全く改善していないどころか悪化の一途である。

このような現実を直視せず、日本産婦人科医会は、「報告させ、調査、指導し、分娩中止を勧告」しているのである。そしてこの先は認定制度を作るのであろう。産科医たちはよくもまあ黙ってこれに従うものだ。この数ヶ月であっという間に、医師1人の医療機関で無痛分娩を取り扱うのは許されない、と言う空気になってきたが、そんな無い物ねだりを声高に叫んでも国民が望む医療体制になる前に現場の産科医たちの心が折れてしまうだろう。さらにアメリカ型の高額の訴訟費用に堪え兼ねて分娩から撤退してしまう可能性が高い。

石渡氏のお膝もとの茨城では医師不足が深刻(常時全国ワースト3にランクインされる)で、医師数が全国平均を越えるつくば市でさえ、分娩出来る医療機関は3カ所しかなく、皆出産場所を求めて右往左往している。無痛分娩だろうが、自然分娩だろうが選択肢は多い方が良いのだが、それどころではないのである。

今ある医療資源を有効活用して、どうやってより安全に国民のニーズに応えてくか、絶妙なバランス感覚が必要である。求め過ぎてこれ以上現場を潰してしまったらこの国に未来はない。

2011年、医療事故調査制度と無過失補償制度が完備したスウェーデンでは、医療事故の裁判は激減し、その分野における弁護士の仕事もなくなったが、無駄な争いで国民も医療現場も疲弊する事もなくなった。かの地ではメディアにも守秘義務があり、患者側からだけの一方的な報道はされない。

メディアも日本産婦人科医会もそろそろ学ぶ時期ではなかろうか。

緩和ケア病床について 

がんは、老化現象と密接に関係する。したがって、高齢化が進むに従い、がんによる死亡は増え続ける。

がんによる死亡者数は、2014年の時点で368103名。がんも種別、悪性度、早期発見によって助かる可能性が高いが、これだけの患者が「がんの末期」を経て亡くなることも事実だ。

末期がんの時期に、数週間から数か月からにわたり、激しい痛みなどがんに固有の問題に患者は悩まされる。患者が、そうした悩み、苦しみに煩わされずに、人生の最後の時間を有意義に過ごせるようにすべきだ。それを可能にする施設が、緩和ケア病床だ。

ところが、緩和ケア病床の現状があまりに貧弱だ。2016年時点で累計施設数378、累計病床数7695に過ぎない。単純計算で、がんによる死亡者のうち緩和ケア病床を利用できるのは、約48名の内の1名だけに過ぎないことになる。

緩和ケア病床、施設数の推移が、こちらに掲載されている。この3、4年、新たに届けられた緩和ケア病床数、施設数が、横ばいか、微増に留まっている。緩和ケアは、人手がかかり、施設としても高度なものが要求される。医療スタッフへの負担も大きいと聞く。

経済的な面に着目すると、医療費削減政策を反映してか、長期間入院の患者に対する診療報酬は、むしろ下げられている。長期間入院の必要性のある場合もあるのだから、長期間入院で診療報酬を下げ続けるのは止めるべきだ。緩和ケア病床の回転率を高めようというのは、悪魔的な発想だ。また、以前にも指摘したことがあるが、施設要件として、地域のがん医療機関病院であるか、日本医療機能評価機構の評価を受けている、またはそれに準じていることが要求されている。日本医療機能評価機構は以前から記している通り、天下り組織であり、その機能評価は医療機関の正しい評価を下すものではなく、同機構が無視できぬ額の対価を医療機関に要求することが大きな問題だ。緩和ケア病床の診療報酬上の認可要件として、同機構の評価があるのは、緩和ケア医療機関への経済的な負担になっているはずだ。その意義も乏しく、即刻その認可要件を取りやめるべきだろう。

がんの緩和ケアは、医療費がかかる。だが、これだけのがんによる死亡があるのだから、緩和ケアの必要性は高い。上記の日本医療機能評価機構の評価等、医療機関にとって負担になることを減らして、緩和ケア病床を何としても増やす必要がある。在宅で緩和ケアを実施するということも聞くが、患者家族にとっては、負担が大きすぎるのではないだろうか。やはり専門の施設で緩和ケアを受けることの方が、患者にはメリットが大きいように思える。緩和ケアの充実は待ったなしだ。

がん末期の方の要望が公になることは少ない。これから老いを迎える我々自身が、がんにかかり根治が期待できない時に、どのような生活を期待するか、よく考えておくべきではないだろうか。四人に一人弱の方ががんで亡くなる時代なのだから。

ある後期研修医の自殺 

後期研修医が自殺した。明らかな過労死だ。労災認定は当然のことだろう。だが、それで彼女が戻ってくるわけではない。これで終わりにして良いわけがない。

医師になって4年目。それも、記事によれば、看護助手をしながら医学部を目指し、入学なさったのは27歳だったようだ。医師になり、医療に従事することを念願しておられたのだろう。医師としてこれからという時期の出来事であり、この若い医師の死に言葉を失う。

カルテを長時間見ていたのは、自分の勉強のためと言ってはばからない「病院側」の人間は、一体医療の現実を知っているのだろうか。前期研修医が待遇面で改善されたために、後期研修医の労働条件が厳しくなっているとも聞く。後期研修医がどれほどの労働条件下にあるのか、この病院側の人間が現場に入り見るべきではないか。

もう一つ、この病院も日本医療機能評価機構の評価認定を受けている。以前から繰り返し記してきたが、同機構は、医療機関の設備等については微に入り細に渡ってチェックするが、医療従事者の労働条件については殆ど見ようとしない。労働基準法違反が横行しているのを放置している。それで、医療機関から認定料等と称して、数百万円の料金をかすめ取っている。もちろん、同機構は、天下り組織である。こうした天下りは、やりたい放題だ。

この病院のサイトには;

2006年2月20日 日本医療機能評価機構・付加機能(救急医療機能)認定 (Ver.1.0)

とあった。同機構は、評価認定する際に、一体何を見ていたのだろうか。労働集約産業である医療なのだから、従事者の労働条件・環境をこそまず観察し、評価すべきだったのではないか。意味のない医療機関評価を行っている、日本医療機能評価機構は提訴されるべきだ。医療従事者の労働条件が劣悪な医療機関が、良い医療を提供できるわけがない。こうした医療機関評価で甘い汁を吸っている連中は、罰せられるべきだ。

その他、彼女の死の理由には、様々な要因があることだろうし、それら各々が彼女にとってどれほどの重みをもっていたか、傍からみても分からない。関係者は、ぜひこうした悲劇が起きた理由、原因を突き詰めてもらいたい。同じような若い医師の悲劇を再び招かぬために。

木元文さんのご冥福を祈りたい。

以下、引用~~~

<新潟市民病院>「過労が原因」女性研修医自殺、労災認定へ
毎日新聞 6/1(木) 7:01配信

 ◇新潟労基署が方針 遺族「残業最多で月251時間」

 2016年1月、新潟市民病院(新潟市中央区)の女性研修医(当時37歳)が自殺したのは過労が原因だったとして、新潟労働基準監督署は31日、労災認定する方針を決めた。遺族に対しても、方針を通知している。【柳沢亮】

 亡くなった研修医は木元文(あや)さん。看護助手をしながら医師を目指して勉強を続け、2007年、新潟大医学部に合格。卒業後の13年から研修医となったが、15年4月に後期研修医として同病院に移ると、救急患者対応の呼び出し勤務が激増。16年1月24日夜、行き先を告げず一人で自宅を出たまま行方不明になり、翌朝、家族が自宅近くの公園で遺体を発見した。

 新潟県警によると、死因は低体温症で、遺体のそばには睡眠薬と飲み終えた酒が落ちていた。自殺前、家族に「人に会いたくない」と漏らしていたといい、県警は自殺と判断している。

 木元さんの夫は16年8月、「長時間労働による過労と精神疾患が自殺の原因」などとして同監督署に労災を申請した。木元さんの電子カルテの操作記録から月平均時間外労働(残業)時間は厚生労働省が「過労死ライン」と位置付ける80時間の2倍を超える約187時間、最も多い月では251時間に達していたと主張した。

 一方、病院側は木元さんが自己申告していた残業時間は月平均約48時間だったと反論。「電子カルテの操作記録の多くは医師としての学習が目的で、労働時間に当たらない」と説明していた。

 木元さんの夫は毎日新聞の取材に「労災認定され安心したが、亡くなった人は戻らない。過労死は病院による殺人に等しい」と話した。「全国過労死を考える家族の会」東京代表で、自らも医師の夫を過労死で亡くした中原のり子さんは「勤務医の過労死は全国的な問題。聖職者意識や犠牲的精神など個人の力で解決できるものではなく、社会的な支援をすべきだ」と話している。

官僚主義が医療を荒廃させる 

医療は、医療資源を用いて、社会的弱者の患者を救うという、社会主義的な要素を本質的に持つ。そこに、官僚が関与してくると、悪しき官僚主義が跋扈することになる。下記の論考で、小松秀樹氏が述べている通りだ。官僚主義は、机上で計画を練り上げ、そこに官僚の利権を巧みに組み込み、それをトップダウンで現場に強制する。そのシステムは、硬直しており、現場から情報を吸い上げ、可変する柔軟性を欠く。

実際に、医療システムを官僚主義的に支配するための計画・施策を挙げてみよう。これらすべてに意味がないというわけではないが、多くは、医療・教育現場に人的・経済的な負担をかけている。実施主体には、官僚と学会のボス達が多数天下りしている。

例えば、ここで小松秀樹氏が取り上げている、地域医療構想の原資は、本来医療機関が得られるべき、消費税の負担分(損税)である。医療機関が得るべき収入を、地域医療構想という名のもとに、官僚が「ネコババ」している構図だ。その他にも、日本医療機能評価機構は、その仕事内容の評価がきわめて低いのにかかわらず、100億円以上の内部留保をため込んでいる。これらの計画・施策は、医療・教育を画一化し、硬直化させ、その一方、官僚の多くの天下り先を提供するという意味しかないものが多い。

医療システムをトップダウンで計画し、中央支配を行うための施策・実施主体・対象は、以下の通り。

A計画・施策          
B実施主体(担当官庁・法人)
C対象

A地域医療構想        
B医療介護総合確保促進会議・地域医療推進会議
C医療機関

A医療機能評価        
B日本医療機能評価機構
C医療機関

A産科医療補償制度      
B日本医療機能評価機構
C産科医療機関・産科医師

A医療事故調査制度      
B医療事故調査センター
C医療機関・医師

AOSCE・CBT           
B医療系大学間共用試験実施評価機構
C医学部学生

A新臨床研修制度        
B厚労省
C研修医

A新専門医制度         
B同機構
C研修終了後の若手医師

これ以外にも、恐らくあることだろう。これらはすべてこの20年以内に構想され実現してきたものばかりだ。医学教育から医療現場まで、中央官庁と、その配下の法人による支配が及ぶように設計されている。これらは、医療を困窮化させ、崩壊させる。

以下、引用~~~

計画主義が医療を滅ぼす1 -地域医療構想と計画主義-

元亀田総合病院副院長 小松秀樹

2017年3月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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●地域医療構想
2014年の医療法改正で、「計画主義が医療を滅ぼす4」で述べる地域医療構想、地域医療介護総合確保基金が制度化された。2015年の法改正で、これを補完する地域医療連携推進法人が制度化された。これにより、2013年の社会保障制度改革国民会議報告書以後の、一連の統制強化政策が完成した。個々の医療機関に対する都道府県知事の強制力が強められた。実際には、都道府県に出向した医系技官の権力が強まった。統制により、個々の医療機関独自の活動空間が狭まり、経営努力、創意工夫、活力が奪われる。全体として、日本の医療を形作ってきた医療機関の私的所有が、地域の共有財産として、行政の下に再編成されることになる。はたしてうまくいくものだろうか。「計画主義が医療を滅ぼす」と題するシリーズで、日本の医療政策の根幹にある計画主義について議論したい。

最初に、筆者の立場が、以下のトックビルの懸念を共有するものであることを明らかにしておく。

中央集権は、それがどんなに開化されたものにせよ、また、どんなに賢明なものにせよ、それ独りのうちに大民族の生活のすべての詳細事をかかえこむことはできない。そのようなはたらきは人力を超えているために、中央権力にそんなことができるわけがない。中央権力がその単独の配慮だけで多くのさまざまの指導力をつくり、それをはたらかせようとしても、それは極めて不完全な結
果で満足することになるか、または、無駄な努力をはらって力つきてしまうかいずれかであるにすぎない。(『アメリカの民主政治』, 講談社学術文庫)

●計画主義
個人には個人固有の価値があり、その価値を至高とする個人の活動領域がある。他人の自由を損ねない限り、個人の領域は尊重されなければならない。この考え方は、日本国憲法の基本理念であり、自由主義あるいは個人主義と呼ばれる。しかし、日本の行政には、国家の領域を大きくし、個人固有の活動領域を小さくしようとする宿痾とも言うべき性癖がある。

日本の行政、とくに厚生労働省の医系技官は、戦前、戦後を通じて、計画主義に強い親和性を示してきた。ハイエクによれば、計画主義では、「諸資源を合理的に活用するために、意識的に設計された『青写真』に基づいて、人々のあらゆる活動が中央集権的に統制・組織」される(『隷属への道』, 春秋社)。

計画主義は個人の領域を侵害し、結果として多様性と社会の活力を奪う。共産主義、ファシズムなどは、「社会全体とその全資源を単一の目的へ向けて組織することを欲し、個人それぞれの目的が至高とされる自主独立的分野の存在を否定することにおいて、等しく自由主義や個人主義と一線を画している」。自由主義的計画では、政府は、「各個人の知識やイニシアチブがいかんなく発揮され、それぞれが最も効果的な計画が立てられるような条件を作り出す」。これは自由放任ではない。環境保全のための排水や排ガス規制、公正な取引のルール、雇用に関するルール、労働環境の適正化、社会的弱者救済など法による介入は不可欠である。

専門家と称する人たちの計画は、論理的整合性を重視し、複雑かつ詳細になる傾向がある。個人の行動を細部まで支配しようとする。計画の目的にとらわれ、悪意なしに個人固有の価値を侵害してしまう。専門家が権力を持つと、目的の中に、自身の権益を組み込むようになる。この段階になれば、憲法で明記された個人の領域、すなわち、基本的人権が侵害されるようになる。平等を達成するために、あるいは、自身の権益を確保するために、民衆の恐怖感や偏見を煽ることもためらわない。計画には、さまざまな選択肢についての決定が含まれるが、政治家はこれらの選択肢についての議論には参加できず、官僚や官僚の支配下にある専門家の発言権が大きくなる。結果として、政治家は実質的に専門家に決定権をゆだねざるをえなくなる。

言語を含めて社会制度は、無数の人間が関与する中で、長い時間をかけて自生的に形成されてきた。旧共産圏の国々やナチスドイツは、人為的に社会を設計することを試みたが、無惨に失敗した。社会を人間の設計によって運営することが、人間の能力を超えていたからである。

社会の状況は多様である。ある特定現場の状況に対し、社会には断片的で個人的な知識が大量に存在する。不完全で場合によっては相互に矛盾する知識に基づいて、多様な人間が多様な活動を行ってきた。これらが積み重なって、秩序が形成された。これをハイエクは「自生的秩序」と呼んだ。自生的秩序として、しばしば、市場が念頭に置かれる。それぞれの現場では、自身がもつ知識と情報にしたがって、さまざまな活動が行われている。その中で、価格が決まり、供給量が決まり、新しい製品が供給されることになる。

計画経済の欠陥として、個人の意欲の低下が挙げられることが多い。しかし、それ以上に政策立案者の知識が限られ、思考が単純で一面的だったことが計画経済の失敗に直結した。計画主義は、現場の自由と新たな挑戦を抑制し、社会の進歩を阻害する。詳細で具体的な計画は、抽象的なルールとは異なり、個別活動に対する具体的な強制を含むため、必然的に利権を生む。腐敗は避けがたい。

自生的秩序が成立・維持されるためには、個人の領域の確保とそこでの自由が必要である。自由を保障するのが、「法の支配」である。「法の支配」は「人の支配」に対する概念で、人によるその場その場の恣意的な支配を排除して、あらかじめ定められた法に基づく支配によって自由を確保することを目的とする(高橋和之, 『立憲主義と日本国憲法』, 有斐閣)。

ハイエクは自由を守るために、法の支配を重視した。

法の支配の下では、政府が個人の活動を場当たり的な行動によって圧殺することは防止される。そこでは誰もが知っている「ゲームのルール」の枠内であれば、個人は自由にその目的や欲望を追求することができ、政府権力が意図的にその活動を妨げるようなことはない、と確信できるのである。

「法の支配」においては、政府の活動は、諸資源が活用される際の条件を規定したルールを定めることに限定され、その資源がつかわれる目的に関しては、個人の決定に任される。これに対し、恣意的政治においては、生産手段をどういう特定の目的に使用するかを、政府が指令するのである。(F.A.ハイエク, 『隷属への道』, 春秋社)

グンター・トイブナーは、グローバル化の中で、権力を制限するシステムについて記述した(『システム複合時代の法』, 信山社)。世界に対し、国民国家における憲法は制限規範として無力である。その中で、権力を制限する民間憲法とでも言うべきシステムが、自生的に出現してくる。この本の中で、トイブナー述べた階層型社会の機能不全についての記述は、共産主義や全体主義が失敗したメカニズムの一端をよく説明している。上意下達の命令で行動を制限したままで、現場が実情に対応して生き生きとした活動を展開できるはずがない。現場は多様である。現場の認識も多様であり、政策立案者と同じということはない。進歩は、個別の現場での新たな試みからスタートする。政策立案者からは、未来に向かう新たな営為は生まれない。問題を解決するためには、挑戦することが許されなければならない。

複雑な組織は、決定過程をヒエラルキー化することを通じて冗長性を十分に作りだし―つまり同じ情報を十分に反復させ―、そのことによって決定の不確実性を縮減しようとした。組織の頂点への環境コンタクトの集中によって、環境に関する情報が、組織の存続を危うくするほどに欠乏することになった。組織社会において、公法が鈍重な大組織のヒエラルキー的な調整交渉メカニズムを下支えしそれを変化から規範的に防衛する。(グンター・トイブナー, 『システム複合時代の法』, 信山社)

階層型社会では、権力そのものの在り方が、情報の種類、量、質、流通の方向を徹底して制限するため、システムの作動が致命的に阻害される。計画主義は、情報の獲得とその解釈、それに基づく方針決定を、計画設計者と官僚が独占することを前提としている。インターネットによって、情報が、あらゆる方向に、大量にやり取りされている状況の中で、医系技官の計画主義は陳腐化する
しかない。

医療介護を行政・業者の草刈り場にしておきながら、適正化・効率化をする、という安倍首相 

来年は医療・介護報酬同時改定が行われる。安倍首相は、国会で、医療介護の質を確保しつつ、医療介護の「適正化・効率化」を行うと国会で述べた。

医療介護では、施設の財政状況は厳しく、大半が赤字に陥っている。母集団にもよるが、例えば、こちら病院の7割以上が赤字であると報じている。医療・介護施設の倒産の報道も珍しいことではなくなってきた。民間組織である以上、経営が成り立たなければ、倒産し退場することは自明の理だが、診療報酬・介護報酬といういわば公的な制度によってのみ経営が成立する医療・介護施設が、頻繁に変更される行政と政府の恣意的な意向で経営が立ち行かなくなることは道理が立たない。さらなる「効率化・適正化」で、さらに多くの医療機関・介護施設は、倒産・廃業せざるをえなくなる。

そもそも、医療介護の質と、医療介護費用とは、相反する関係にある。安倍首相が述べる質を確保しつつ医療介護費用をさらに削る、というのは無理難題なのだ。ここまで医療介護費用をぎりぎり切り詰められた状況ではなおさらだ。医療介護は労働集約的な事業であるため、人件費の占める割合が5割以上と高い。ここで、さらなる医療介護費用を削るとなると、人件費を削らざるを得ない。それは、医療介護の質を落とすことになる。

安倍首相の頭にある、効率化の柱は、恐らくAIや、クラウドデータベースの医療介護への導入だろう。だが、それは行政の合理化、関連IT業界の利益にはなるだろうが、医療介護現場にはさらなる経済的負担を強いることに他ならない。特に中小施設にとっては、それらの導入はあまりに負担が大きい。

また、米国とのFTAによって、混合診療がさらに進められる。政府の言い方では、公的保険の範囲をそのままに、患者本人にとってより個別的で効率的な高度先進医療を国民が受けられるように、民間保険の範囲を拡大する、ということになるのだろう。高齢化の進展したわが国では、混合診療による民間保険の医療へのさらなる参入が、経済活性化の切り札になる。が、それはあくまで国民の負担が増えることを意味し、金がなければ高度先進医療には全くアクセスできない状況を生む。韓米FTAでは、韓国は輸出企業を中心に利益を3倍に伸ばしたが、その一方で、経済格差が進行し、医療費が高騰している、という。FTAは、TPPと同等か、それ以上に国の形を根本的にグローバル資本の要求する形に変える、売国的な条約だ。医療介護は、FTAによってグローバル資本が利権を得ようとする最大のターゲットだ。

以前から記している通り、行政が医療から利権をさらに得ようとしている。以前から何度も記した日本医療機能評価機構は、意味のない「医療機関評価」を医療機関に強いている。評価に対する対価は、数百万円以上、評価後の同機構への賛助金も毎年数十万円かかる。数年に一度は、再評価を受けねばならない。同機構は、産科医療補償制度を運営することで、100億円以上の内部留保をため込んでいる。さらに、医療機関評価を受けなければ、ホスピスの診療報酬加算を受けられない。また、DPCというマルメの診療報酬制度の係数が低くなる。こうして、医療に吸い付く蛭のように、同機構は利権を漁っている。もちろん、同機構は、官僚の天下り先である。こうした天下りによる利権漁りが、とくにこの数年間目立つようになってきた。

医療介護を、行政・民間関連業界・グローバル資本の利権の草刈り場にしてはいけない。

以下、引用~~~

安倍首相「医療・介護報酬改定、重要な分水嶺」
17/02/17記事:朝日新聞

■安倍晋三首相
 
 多くの国民は「将来自分は現在の社会保障の給付を受けられるんだろうか」という漠然とした不安を持っていると思う。団塊の世代の皆さんが支え手から給付を受ける側になっているが、2025年には75歳以上になっている。その時に介護も医療も大丈夫かという不安を持っているのだろうと思うが、国民一人ひとりが状態に応じた適切な医療や介護を受けられるよう、医療と介護の提供体制をしっかりと構築していく必要がある。
 
 平成30(2018)年度は、医療と介護のサービス提供等に関する医療計画と介護保険事業計画が初めて全国で同時改定される。25年まで残された期間を考えると、今回の6年に1度の診療報酬と介護報酬の同時改定を非常に重要な分水嶺(ぶんすいれい)と考えている。
 
 25年以降の超高齢社会においても国民皆保険を維持していくため、適正化、効率化すべきことは実施しつつ、質が高い医療や介護を安心して受けてもらえるよう、同時改定に向けてしっかりと検討していきたい。
 
 持続可能なものにすると同時に適正化を行う。適正化とは必要な給付を切ることでは決してない。必要とする給付はしっかりお届けしながら、質もちゃんと維持をしながら、その中で効率化を図っていきたい。(17日の衆院予算委員会で)

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