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日本医療機能評価機構が、医療事故調に名乗りを上げた 

日本医療機能評価機構(以下機構と略す)が、医療事故調を担当すると名乗りを上げたらしい。

この機構は、医療機能評価、産科医療補償制度を担当しているが、そこで様々な問題を抱えている。これまでに何度か、取り上げた。こちら

想像していた通りに、物事が進んで行く。ピッタリ当たるので、怖いほどだ。

機構は、医療機能評価という名の病院のランク付けをしている。医療の機能とは名ばかりで、表面的なこまごました事項を突いてくる。同機構の評価が入ると、やたら委員会の類が増えて、仕事が増えると、医療現場ではすこぶる評判が悪い。その評価には数百万円単位のコストを、医療機関が機構に支払うことになっている。評価にやってくるスタッフの滞在費等も医療機関持ちである。もし評価を得れぬ場合のフォローも同機構が行い、それにも莫大なコストが要求される。さらに、評価は数年おきに更新され、それにも莫大なコストがかかる。評価を受けぬ間も、賛助という名のコストを支払わせられるのだ。さらに、産科医療補償制度では、5年間で1000億円の余剰金を生じているという。対象患児を増やすことにはしたらしいが、その後、余剰金がどうなっているのか公表しない。また、集めている補償のための金を減額するという話しも聞こえてこない。要は、機構は天下りのための集金システムなのだ。医療から甘い汁を恒常的に吸うためのシステムなのである。

医療事故調は、医療における予期せぬ死の原因を究明し、再発防止に資するために設立される、という建前である。しかし、医療には、医療事故と過誤が明確に区別できぬ場合もありうる。特に、これだけ専門分化した医療現場での医療を正当に評価することは、容易なことではない。行政畑の医師、または専門外ですでに引退したような医師が、担える仕事ではないだろう。行政は、国民大衆の声には弱い。責任追及ではなく、原因究明をと言う建前が、責任追及のための情報収集をすることに変わってしまう可能性もある。これは推測だが、現在だぶつき始めた弁護士の新たな草刈り場を提供するために、機構が医療事故調を動かして行く可能性もぬぐいきれない。

医療は、労働集約的な事業であり、医療労働者の労働環境を評価することが絶対必要なだずだ。機構が毎年公表する、「ヒヤリハット事例」についてのコメントを観てもらうと分かるが、機構は、個々の医療機関の労働環境・労働条件について、通り一遍の検査しかしない。要するに、現状肯定なのだ。勤務医の労働環境・条件を正視したら、労働基準法違反になるケースが大多数である。それは見過ごしている。これまでの医療機能評価の実績から、医療労働者の労働環境・条件を、個別的に取り上げることは、機構には期待できない。としたら、この面からも、医療事故の真の原因究明は行われえないのではなかろうか。

機構が、医療事故調を担当するのは、医療現場にとって悪夢である。

そして、この悪夢は、医療訴訟多発に伴う医師保険高騰によって、医療費増をもたらし、国民にとっての悪夢に跳ね返る。

医療事故の法的責任追及は、再発防止とは相いれない 

医療事故の再発防止、ないし不幸な転機をとった症例に関わる取り組みは、以前から医療現場では行われてきた。それは、起きた事象の原因を、すべての可能性にわたって検討し、将来に同じことを繰り返さぬためのものである。こうした方が良かったかもしれない、という徹底した議論になる。

一方、裁判の場で問題になるのは、過去の責任の所在だ。責任を明らかにし、それに対し処罰を加えるのだ。責任が存在することを言うためには、何事かを決める際に、当事者に選択の自由があることが前提になる。医療現場では、様々な判断を下す際に、患者情報がすべてわかっているわけではなく、また確率的に流動的に変化する生体に対応する。ある事象が起きてから、それに対する責任を追及することはできない、構造になっている。それを、徹底した後ろ向きの視点からの責任追及を裁判の場で行うことはなじまない。

故意に犯罪的医療を行ったケースを除き、医療における再発防止策の検討は、裁判の溯上に載せられるべきではない。下記の記事で、WHOのガイドラインが述べているのは、そうしたことなのだろう。

ところが、相変わらず、行政は、医療事故再発防止調査の資料を裁判に用いることに積極的である。これは、一部の患者・医療訴訟専門の弁護士への気兼ねがあるのかもしれないが、行政が、今後目指すと言われる、産科医療補償制度を範とした、医療事故補償制度のために、医療事故再発調査制度に法的な権威づけが必要なためではないのだろうか。官僚が、世界的な医療の趨勢を知らないはずがない。WHOのガイドラインを無視してまで、法的責任追及に結びつく医療事故再発防止調査制度を作ろうとしているのは、そうとしか思えない。

法的責任追及に直結する再発防止とは、それ自体が矛盾であり、一旦そんな制度が持ち込まれたら、医療全体が崩壊する。官僚が、自らの利権のためにそれを画策しているとしたら、決して許されることではない。


以下、MRICより引用~~~

医療安全に関する訴訟使用制限の院内規則

この原稿は月刊集中7月末日発売号より転載です。

井上法律事務所 弁護士
井上 清成

2013年8月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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1. 医療安全推進に対する訴訟の脅威
医療の現場では、医療安全を推進する試みが定着した。医療安全管理委員会での議論、インシデントリポートの提出、院内の事故調査委員会の開催などで、医療事故の再発防止策が積み重ねられている。
ところが、これら医療安全の内部資料が訴訟で使われかねない。医療に対する不信を強く持つ人々が、情報開示や証拠保全や文書提出命令などのありとあらゆる手続を使って、責任追及に利用しようと試みている。
残念ながら、厚生労働省は医療安全を推進すると言いながら、「医療安全活動の内部資料が訴訟に使用されてはならない」という原則に対しては前向きでない。現に、医療事故調査報告書に関して、厚労省医政局の吉岡総務課長(2013年5月29日当時)は5月29日の医療事故調「検討部会終了後、記者団に対し『(訴訟では)あらゆるものを証拠にすることができ、最終的に裁判所の判断になるので、(報告書の訴訟使用制限は)できない』との見解を示した。」(日本医事新報4650号〈2013年6月8日号〉6頁「調査報告書の訴訟使用制限なし」より引用)
このままでは、医療安全を推進しようとすればするほど、訴訟で使用されて責任追及され、医療者は自らで自らの首を絞めかねない。医療安全推進に対する訴訟の脅威が高まっているのが現状であろう。

2. 訴訟使用制限の院内規則
民事訴訟における事実の確定方法に関する当事者間の合意を、法律用語では証拠契約と呼ぶ。その1つとして、一定の証拠方法を提出しないと約束する契約がある。法律用語では、「証拠方法契約」とか「証拠制限契約」という。
この証拠制限契約(証拠方法契約)の有効性は、一般に承認されている。たとえば、証拠制限契約に反して、患者遺族側から訴訟で院内事故調査報告書が申し出られたとしたならば、裁判所はその報告書の証拠申出を却下することになろう。
つまり、院内規則で証拠制限条項を定めて院内掲示をしていたとしたら、原則として、その証拠制限規則は証拠制限「契約」として有効性が認められる。たとえば、院内事故調査報告書やインシデントリポートの証拠保全が申し立てられても、証拠申出がなされても、いずれも訴訟には使用できないとして却下されることになろう。
院内規則さえ制定すれば、訴訟使用制限をできるのである。つまり、厚労省の「訴訟使用制限はできない」との見解は、法的には正しくない

3. 院内規則のモデル文例
一般に法律家は、「医療安全活動の内部資料に訴訟使用禁止のための証拠制限契約を結びたいのだが?」と問われると、一様に言葉を濁す。その理由は、本音では訴訟使用制限を導入したくないからか、または、先例を見たことがないのでなじまないからである。
確かに、患者被害者側の弁護士や学者は訴訟使用制限を導入したくないから、否定的であろう。また、我が国では先例に乏しいのも事実であるので、なじまずに消極的となる医療系の弁護士や学者も多い。しかし、先例の有無に関わらず、医療安全活動の活発化のため、その内部資料に訴訟使用制限が必要なことは異論が無かろう。
そこで、たとえば、四病協の1つである日本医療法人協会は、院内医療事故調査委員会に関連して、院内規則のモデル文例を公表した。その該当箇所を抜粋すると、
「この委員会の調査・議論等の一切は、いずれも本院内部のためだけのものであり、患者とその家族を含め本院の外部に開示するものではない。ただし、調査及び科学的原因分析の結論のみは、患者とその家族に開示する。本院の関係者個人に対して民事・刑事・懲戒いずれの外部的責任の追及のためにも、使われてはならない。」
「この委員会の目的・免責はいずれも本院来院の患者及びその家族の承諾を得ているものであり、その一切は本院も患者とその家族も民事訴訟法第2編第4章に定める証拠とすることができない。」
といったものである。1つの先例モデルとしてよいと思う。

4. 正当化根拠はWHOガイドライン
証拠制限契約の導入に否定的な意見もある。1つは、医療者への責任追及に障害となることを本音とするものであるが、それはさすがに何をか言わんや、といったところであろう。もう1つは、透明性向上の動きに逆行するというものであるが、この点は、証拠制限イコール改ざん・隠ぺいといった誤解に基づくもののように思われる。
そもそも医療安全に関する証拠制限契約の積極的な正当化根拠は、WHOガイドラインに由来すると言ってよい。特に、ここに明示されている「非懲罰性」と「秘匿性」が重要であろう。
WHOガイドライン(「患者安全のための世界同盟 有害事象の報告・学習システムのためのWHOドラフトガイドライン 情報分析から実のある行動へ」監訳・一般社団法人日本救急医学会と中島和江 へるす出版)の「第6章 成功する報告システムの特性」(同書45頁以下)に明示されている。「非懲罰性」では、「報告書とその事例にかかわった他の人々のいずれについても、報告したために罰せられることがあってはなりません」と明示され、「秘匿性」では、「医療機関のレベルにおいては、訴訟で使われ得るような公開される情報は作成しないことで秘匿性を保ちます」と明示された。
これらWHOガイドラインのドラフト(草案)を院内規則化することによって、ルール(規範)に高めることができるのである。証拠制限契約というルールの正当化根拠は、WHOガイドラインというドラフトに存すると言ってもよいであろう。
実際、たとえば医療事故調については、厚労省とりまとめ(5月29日)だけを除き、四病協(1月)も日病協(2月)も全国医学部長病院長会議(5月)も日本医師会(6月)もいずれも、その取りまとめでこのWHOガイドラインの順守を提言しているのである。

日本医療機能評価機構のラジオ宣伝 

日本医療機能評価機構が、産科医療補償制度についてラジオ放送で宣伝を流している。

曰く、「お産のときに、脳性まひになったお子さんとご家族を救済する」制度が、上記補償制度であり、それを担当するのが、上記機構である、と。

この「お産の時に」、という表現が引っかかる。

脳性まひは、乳児期後半に入っても筋緊張が弱いままか、かえって筋緊張が高まるという経過で判明することが多い。勿論、周産期に問題があると、その後慎重に経過を観察されるので、早期に発見されることもある。が、前者の経過が多いことは事実だろう。

とすると、この「お産の時に」という句は、時間的な関連を意味するのではなく、因果関係を意味することになる。不幸にして、お子さんが脳性まひになってしまった親御さんは、そう受け取るはずだ。

この後、宣伝は「脳性まひの成因を究明する」と続く。その「究明」の一端が、過日マスコミが大々的に報道した「陣痛促進剤」の「不適切な使用」と脳性まひとの関連ということなのだろう。

同機構には、脳性まひが専ら周産期の低酸素状態によって引き起こされる、という誤った先入観がないか?脳性まひの8割程度が、遺伝的な問題で生じる、即ち胎生期の問題で生じることを理解しているのだろうか?同機構は、陣痛促進剤が脳性まひの原因であるとは断言していないが、原因であるかのように大いにミスリードする情報を垂れ流している。そうした情報操作は、自らの社会的存在意義をアピールするためなのだろう。

同機構は、繰り返し言及している通り、産科医療補償制度により、毎年100億円規模の内部留保を蓄え続けている。そして、多くの独立行政法人と同様に、官僚の天下り先になっている。そうした組織が、自らの存続のために、このような不正確な情報を垂れ流すことは決して許されない。

「脳性まひ児は、出産時陣痛促進剤を用いられている」という日本医療機能評価機構の報告 

今朝の朝日新聞朝刊に、日本医療機能評価機構による報告について報道されていた。脳性まひ児188名出産時の陣痛促進剤の使用に関する報告である。

調査した脳性まひ児のうち、3割の例で、陣痛促進剤が用いられ、その内77%が産婦人科学会のガイドラインを守っていなかった、という内容である。最後に、愛育病院の岡田崇院長によるコメントがある。それによると、脳性まひ児の出産にはリスクがあり、出産を促進させなければならないこともある、とのこと。これが正しい認識だと思うのだが、この記事は、陣痛促進剤が脳性まひの成因であると誤った方向に誘導する。

脳性まひ症例の大部分は、胎内で生じる問題であり(従って、出産方法の問題でないことが圧倒的に多く)、その出産にはリスクが伴い、場合によっては陣痛促進剤を用いざるを得ない。陣痛促進剤投与がまるで脳性まひの原因・誘因であるかのように報告する日本医療機能評価機構、または/かつそれを誤解されやすいように報道するマスコミは、間違っている。ガイドラインはあくまでガイドラインである。その指示を超すかどうかは、医療現場の裁量の範囲であることが多い。マスコミは、センセーショナルな内容でないと、記事にできないのだろう・・・それにしても、困ったことだ。

ところで、日本医療機能評価機構は、産科医療補償制度によって、巨大な内部留保を毎年貯めこんでいる。詳細はこちら。その詳細を公表しないばかりか、集める補償金の金額を下げようとしない。こうした組織に、産科医療現場の状況を把握できるはずがない。同機構は、最近、ラジオでこの補償制度のことを宣伝している。その宣伝曰く、脳性まひの成因を究明する由。このような報告を出しているところをみると、成因究明など彼らの手に余ることに違いない。こちらの一件も、マスコミには是非突っ込んで報道してもらいたい。が、金の有り余る天下り法人、それもマスコミに宣伝を流す法人であると、批判的には取り上げにくいのだろう。持ちつ持たれつ、という関係である。

行政の論理と、医療の論理 

産科医療補償制度は、医療機関から集めた300億円の内、60億円程度しか補償に回さず、40億円を事務手数料として使い、残り200億円を毎年内部留保としてため込んでいる。ため込んでいる組織とは、これまで医療機関の認証という怪しく無意味な事業を展開し、医療機関から多額の手数料をせしめてきた、日本医療機能評価機構である。これらの制度を当面変更するつもりはないらしい。

行政は、この成功体験を医療全般に広げようとしている。医療事故調を立ち上げ、それにともない産科医療補償制度を医療事故補償制度に拡大するのだ。それにより、何百億円という内部留保を毎年獲得し、さらに天下り先を確保しようとしている。

行政が、医療を正しく統御し、そこで生じる問題を行政が処理するのだ、それに対する対価として、その程度はあってしかるべきだ、というのが行政の意向なのかもしれない。しかし、10円、20円の収入に右往左往させられてきた開業医だった立場からすると、こうした不正な集金機構、天下り先確保のための仕組みは、到底許されるものではない。特に、医療事故調という医療裁判に直結する仕組みを背景に、このような不正を行うことは、許されない。

さらに、この行政による医療支配は、医療と行政の論理構造の違いから、医療の荒廃をもたらす。それを、小松秀樹氏がMRICで述べておられる。医療は、経験科学として、常に「より正しいもの」「より個別的な解」を求めて試行錯誤しつつ進むものだ。が、行政の思考は、規範から演繹的にものごとを判断する。往々にして、そこには誤った権威主義と、強制力がついて回る。そのような場では、医療の論理は成立しがたくなる。

行政は、民主主義を成立させる社会的なコストと考えるべきだと思うが、行政の組織としての自己目的化と、その論理の及ぶべきでない領域への強制、支配は目に余る。

この中央集権行政が、日本を潰すことになる。



以下、引用~~~


医療事故調問題の本質6:日本のアンシャンレジーム

この文章は月刊「集中」1月号から転載しました。

小松 秀樹

2013年1月14日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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●科学は認識であり、多様である
日本の学者は行政に極めて弱い(1)。原発ムラの科学者が行政に支配されていたことが、原発事故の要因の一つだった。文部科学省は、混乱を招くことはいけないとする規範を理由に、SPEEDIによる放射性物質の拡散の試算を公表しなかった。このため、原発から北西方向の高度汚染地域に住民が避難した。SPEEDIには科学者が関わっていたはずだが、科学者の声は一切出てこなかった。行政が科学を支配していたため住民の被ばく量が増大した。

学会は本来知的生産の場である。科学は規範ではなく認識である。学会の目的は知的活動を活発にして、知的生産量を増やすことにある。このためには、学問の自由を尊重し、正しさの決め方を、権威ではなく合理性に求めなければならない。科学的議論では、方法と条件が厳密に規定される。科学、特に医学や工学のような実用を目的とした科学では、あらゆることについて適用できるような真理が学問的に成立することはない。学問的真理は、仮説的であり、暫定的である。多様性と批判精神が科学の進歩に必須である。規範を背景に学会の権力者が正しさを決めると、科学と程遠いものになる。例えば、神学的規範は、残虐な刑罰を背景にした宗教裁判によって地動説を退けた。

日本産科婦人科学会の診療ガイドラインは、出産の全過程について望ましい方法を記載している。根拠となるデータが挙げられたとしても、医学論文は、煎じつめれば、一つの条件を変えたときの、二つの群間の比較検討に過ぎない。特殊な条件下での議論であり、想定の幅を広くとれない。多くの選択肢がある中でのベストを示せるような性質のものではない。学問的に、多様性を排除することは不可能としてよい

2012年7月22日、NPO法人医療制度研究会主催による公開討論会の場で、岡井崇医師(昭和大学産婦人科主任教授)が診療ガイドラインについて説明した。学会の委員が提案をして、学会誌で異論を求め、異論があれば議論をし、異論がなければ、異論がないことをもって正しさの根拠としているという。これは政治的権威付けの類であって、科学的正しさの証明ではない。ムラの寄り合いで長老が意見を述べ、異論を雰囲気で抑圧しつつ、強制力のある方針が決められるようなものではないか。討論会の後、知人の外科医が、「つくづく、産婦人科医でなくてよかった」と感想を述べた。私も、学生時代、産婦人科を進路の選択肢に入れなかった理由を思い出した。産科医療補償制度には、日本産科婦人科学会の古い体質が表れているのかもしれない。

●病腎移植
2007年、宇和島徳州会病院での病腎移植が、日本移植学会、日本泌尿器科学会、日本透析医学会、日本臨床腎移植学会によって断罪された。
当時の医療現場では、小径腎癌でも部分切除術ではなく、腎摘出が選択されることが多かった。4学会は、摘出した腎を捨てずに腫瘍部分を切除した上で移植したことを、あってはならないことだと非難した。当時、私は、移植免疫の強さからみて、腫瘍の再発が臨床的に問題になることはほとんどないだろうと推測していた。その後の世界での治療成績は、私の推測が正しかったことを裏付けた。
尿管狭窄では、狭窄が判明した時点で、皮膚-腎実質を通して腎盂にチューブを留置し、尿を体外に誘導して腎機能を温存する(腎瘻)。狭窄部に対するカテーテル治療が成功しなければ手術を考慮する。手術に耐える体力がない、あるいは長期生存が見込めなければ、そのまま腎瘻を温存する。手術する場合は戦線をどこまで広げるのかが問題になる。狭窄が短ければ狭窄部を切除して尿管を吻合する。下部尿管で狭窄が長い場合、膀胱壁を筒状に形成して長さを稼ぐ。私は推奨しないが反対側の尿管に尿管を吻合する方法もある。狭窄が上部尿管に及び距離が長ければ腸管を利用する。自家腎移植(摘出した腎を自分の骨盤内に移植)では膀胱と血管に戦線が広がる。それぞれのメリット、デメリットを患者に説明して、最終的に患者の合意を得て実施すべきものである。私は2001年、手術の教科書に以下のように記載した(2)。

「原則的には戦線を可能な限り広げないほうがよい。手術操作を加える臓器は少なければ少ないほうがよい。健常側を巻き込む手術は望ましいものではない。健常側の腎機能が合併症で失われると取り返しがつかない。剥離の範囲も可能なら狭いほうが望ましい。当然のことながら、吻合も少なければ少ないほどよい。」
当時の日本泌尿器科学会の奥山理事長に、腎摘出を非とする論理が乱暴すぎること、適切な医療の範囲を絞りすぎていること、この問題を学会で討論すべきであることを手紙で伝えた。
「3例の尿管狭窄についてすべて、腎摘出は不適切であるとしています。実際に、尿管狭窄に対して、回腸代用尿管を安全に実施できる経験と能力のある医師は、紹介されてきた患者の経験を通して感じていることですが、大学病院にもめったにいないと思います。また、このような症例に自家腎移植を行ったことのある医師も数少ないと思われます。
ましてや膀胱全摘人工膀胱吻合部の狭窄の再吻合は、経験者として申し上げますが、ほとんどの泌尿器科医には不可能な手術だと確信します。私も途中で断念しました。」
「治療方法を決定する権限を持つのは、本人だけです。腎摘出術を選択肢として提示せずに、回腸代用尿管、自家腎移植、あるいは、人工膀胱尿管再吻合を実施することこそ許されることではありません。教科書には腎摘除も選択肢の一つであると書きました。」

残る腎が健常なら、片方の腎を摘除しても何の問題も生じない。リスクも限定されている。一方で複雑な手術は、戦線に応じた合併症のリスクを伴う。
丁重な返事だけで、実質的には無視された。私自身、当事者ではなかったこともあり、本気で争うことはしなかった。
宇和島徳州会病院での病腎移植については、手続きに問題があった。私は、瀬戸内グループの一部の医師について、移植とは関係のない患者とのやり取りから、手術に固執し過ぎ、患者への説明が不足していると感じていた。手術に固執することと説明不足は大学病院も同じではないか。違いは、大学病院が概して手術が上手でないことである。腎摘出についての合意形成、レシピエントの選択の手続きが適切ならば、病腎移植は有用な方法である。しかし、瀬戸内グループが学会内で正当な手続きを踏んで病腎移植を申請していたとしても、学会の権力者たちが許したと思えない。その後、世界で行われた病腎移植の結果から、有用性はすでに証明されたとしてよい。
2007年の「病気腎移植に関する学会声明」(日本移植学会、日本泌尿器科学会、日本透析医学会、日本臨床腎移植学会)の冒頭には「わが国で行われている生体腎移植は、日本移植学会倫理指針に基づいて、健康なドナー(臓器提供者)から家族を救うために腎臓を提供する移植であり、腎臓も健常であることが前提である。」と書かれていた。自ら決めた倫理規定を根拠に、病腎移植そのものを全面否定した。他者との論争で、自分の決めた倫理指針を自分の正しさの根拠としても説得力はない
そもそも、健康なドナーから健常な腎を摘除すること自体、倫理的に大きな問題がある。家族間の生体腎移植にも大きな問題があり、病腎移植より倫理的に正しいと安易に決め付けることはできない。当たり前のことだが、学会で決めれば、倫理的問題がないということにできるわけではない。
この事件は、ギルドの中で生じた政治権力が、自らの権威の維持のために学問研究の進歩を阻害した不祥事として記憶されることになろう
当時、日本病理学会の代表が、「病気腎移植に関する学会声明」の議論に参加していたが、最終的に名前を連ねなかった。これは、称賛されてよい。

●アンシャンレジーム
フランス革命はアンシャンレジーム(旧体制)を嫌悪しこれを打破した。中間団体が徹底的に排除され、国家と個人が直接対峙することになった。以下に示す1776年のテュルゴ勅令に反対するパリ高等法院次席検事アントワーヌ=ルイ・セギエの演説が、旧体制の雰囲気を見事に示している。
「陛下、陛下のすべての臣民は、王国にさまざまな身分がありますのと同じように、多くの社団に分かれております。聖職者身分、貴族身分、最高諸院、下位諸法院、これら諸法廷に所属します官職保有者、大学、アカデミー、金融会社、貿易会社、これらすべてが、あらゆる分野におきまして、活力に充ちた社団を構成しているのであります。それは恰も長い鎖の一つ一つの輪にも当たるべきものでありまして、その鎖の最初の輪はまさしく陛下の御手の中にあるのであります。このような貴い鎖を打ち砕こうなどという考えは、耳にしただけでも身の毛がよだつでありましょう。商人や手工業者のギルドも、王国の全般的なポリスに貢献するこの分かちがたい全体の一部をなすものと言わねばなりませせん。(3)」。
高村によれば、「絶対王政期の社会は、このように多様な『社団』をその構成単位とする社団的編成を取り、国王は直接に臣民を支配することなく、臣民を何らかの『社団』に属させ、これら『社団』を媒介として初めて統治を実現できたのである。『社団』とは、行政・司法・租税上の『特権』を国王によって許可され、その限りで「自由」を保障されている法人格のことである。(3)」
旧体制下では、社団が特権と引き換えに中央集権を支えた。トクヴィルによれば、旧体制下で、行政的中央集権によって、パリへの一極集中、思考の画一化が進んだ(4)。「行政的中央集権は旧体制の産物であり、付け加えるなら、革命後に残った旧体制の政治制度の唯一の部分である。」「自らの問題を自らの意思で処理し、自らの財産を自由に管理することのできるもの‐都市、町村、小集落、施療院、工場、修道院、中学校‐など一つもなかった。それゆえ、今日と同じく当時も、行政はすべてのフランス人を後見的監督下に置いていた。」「農業改良が進捗しないその責任は、主として、十分な助言も援助も行わない政府にある、と信じる傾向にあった。」「各個人は極度の困窮状態に陥ったとき、政府に助けを求めるのが当然のこととなった。だから、つねに公益を建て前にしながら、実は小さな私益のことしか考えない莫大な数の請願書が現われるのである。」「農民たちは、自分の家畜の被害や家屋の損害を補償するよう求めている。裕福な地主たちは、自分の土地のいっそう有利な開発を援助してくれるよう要求している。企業経営者たちは、不利な競争を回避する特権を地方長官に懇願している。」
フランス革命は、旧体制を嫌悪したが、旧体制のもたらした行政的中央集権をさらに強めた。旧体制以上に、思考の画一化が多様性と自由を奪った
トクヴィルは1835年『アメリカの民主政治』を出版した。以下の文章は行政的中央集権が未来を切り開く個人の活力をいかに削ぐかを雄弁に語っている。日本の衰退の原因について書かれた現代の文章と見まごうほどである。
「中央集権は、日常の事務に規則正しい様子を加味したり、社会的警務の詳細事を巧みに指導したり、軽度の無秩序と小軽罪とを抑制したり、本来退歩でも進歩でもない『現状』に社会を維持したり、行政官たちが良秩序、公安とよびなれている一種の行政的半睡状態を社会のうちに育成したりすることには容易に成功する。つまるところ、中央集権は進んで行うのでなく、防止することではすぐれている。ところが、社会を深くゆり動かしたり、社会を速く前進させたりすることが必要な場合に、中央集権は全く無力なのである。(5)」
「ある権威があるとする。それは、わたくしの歓楽が平穏に満たされるのを見張っており、わたくしの行く先々を先廻りして、わたくしが心配しないでもすむようにすべての危険を免れるようにしてくれる。この権威はこのようにしてわたくしが通過する途上でどのような小さなとげも除いてくれると同時に、私の生活の絶対的な主人でもある。そしてまた、この権威はそれが衰えるときにはその周囲ですべてのものが衰え、それが眠るときにはすべてのものが眠り、それが亡びるならばすべてのものが死滅するにちがいないほどに、それが運動と生存とを独占している。(5)」

●医療事故調問題の本質:全体を通しての結論
日本医師会、日本病院会、日本産科婦人科学会はフランス革命以前の旧体制を彷彿とさせる。国家にすり寄り、国家の僕として、憲法によって国家が行使することを禁止された強制力を、国家に代わって行使しているように思える。産科医療補償制度への参加の実質的な強制、診療記録の提出の実質的強制は、法律に記載されたものではない。行政が行えば、憲法違反になりかねないことを任意の形で強制している
厚労省は、産科医療補償制度に倣って医療事故調を創設し、規範を掲げて、医学会の支配層を介して日本の医療を統制下に置こうとしている。規範は画一化を強い自由と多様性を奪う学問の発展を阻害し、しばしば患者の利益を損ねる。何より活力ある個人の未来を切り開く自由な活動を阻害して、社会を停滞させる。認知的予期類型である医療システムを規範的予期類型である行政システムの統制の下に置くと、医療システムが変容し、進歩が阻害され機能を発揮できなくなる。
医療事故調をめぐる対立は、社会システム間の言語論理体系の違いに起因する。しかも、医療事故調を運営するには、膨大な労力と資金を必要とする。関係者の幅広い賛同なしに無理に制度化を進めると、大きな弊害が生じかねない。

文献
1.小松秀樹:行政から科学を守る. MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン; Vol.408, 2012年2月20日. http://medg.jp/mt/2012/02/vol408.html
2.小松秀樹:医原性尿管損傷.馬場志郎,松田公志編,外傷の手術と救急処置.pp29-40,メジカルビュー社,東京,2001.
3.高村学人: フランス革命期における反結社法の社会像 ル・シャプリエによる諸立法を中心に. 早稲田法学会誌, 8, 105-160, 1998.
4. アレクシス・ド・トクヴィル: 旧体制と大革命. ちくま学芸文庫, 1998.
5.アレクシス・トクヴィル: アメリカの民主政治. 講談社学術文庫, 1987.

産科医療補償制度にみる、日本社会の泥船化 

産科の無過失補償制度では、過大な余剰金が生じると見込まれていた。ここでもその議論を繰り返し行ってきた。この制度が、無過失による脳性まひ児への十分な援助に使われることなく、この制度の事務手続きを担当するだけのはずだった特殊法人と、保険会社の懐に大枚が毎年転がりこむ状況が生まれている。生まれているという言い方は正しくない。そうした風に制度設計し、巨額のうまい汁を吸っている連中がいるのだ。この制度の目的は、脳性まひ児への援助以外に、そうしたお産に関わる医療問題で医療訴訟が起きるのを未然に防ぐことがあったはずだが、それもなおざりにされているようだ。

こうしたモラルハザードは、日本の医療行政に関係していろいろなところで発生しているように思える。私が注目しているのは、予防接種である。予防接種製品のコストが、高いのだ。どうも、その背後には、検定のコストが上乗せされ、それが特殊法人に還流していることをうかがわせる情報がある。これ以外にも、医療機械についても同じようなことが行われている可能性がある。

行政官僚組織は、天下り先の関連法人に利権をもたらすことを、第一義的に考えているように思えてならない。そのコストの多くは、税金(ないし保険料)から出る。すると、皆の懐がすぐには痛まず、関連業界も一応おこぼれに与るために、批判の声を上げない。これだけで日本の財政がここまで悪化したとは言えないだろうが、このモラルハザードの精神が、日本の財政をここまで酷くしたことは想像に難くない。見えないところでの、ギリシャ化だ。

社会が泥船化してゆく。


以下、MRICより引用~~~


産科補償こそ「第三者機関」で検証すべき

この原稿は月刊『集中』2012年12月号より転載です。

井上法律事務所 
弁護士 井上 清成

2012年12月7日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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1. 無過失補償制度一般への悪イメージ
日本医療機能評価機構の運営する産科医療補償制度の見直し議論が芳しくない。
初めての本格的な無過失補償制度のスタートであったので、当初より5年後の見直しが予定されていた。実際に、5年間で約1000億円もの巨額の余剰が発生することが確実となっている。当然、厳しく見直しをして、一旦は何らかの方法でその巨額余剰を清算することが、今どきの常識であろう。
産科医療補償制度は公的な性格のものにほかならない。税金といった公費も含む公金たる出産育児一時金を、重度脳性まひ児3000万円補償の源資とした。一人当りで見れば出産育児一時金のうち3万円が源資となり、年間約100万人の出産で年間合計約300億円が補償源資となる。ところが、せいぜい200人分程度しか補償対象が生じないので、年間補償総額は上限でもせいぜい60億円にすぎない。つまり、一人当り出産育児一時金3万円のうち、現実に補償に拠出されるのは6000円程度にすぎず、経費と称するもので4000円以上が費消され、何と2万円が余剰として日本医療機能評価機構と民間損害保険会社とに分配されてしまう
これではいずこも財政難の昨今、結果としては明らかなモラルハザードである。こんなモラルハザードを放置していては、産科医療補償制度へのいかがわしい悪い印象が生じるだけでなく、今後発展させていくべき無過失補償制度一般への悪イメージとなってしまう。
何としても産科医療補償制度の5年間分を清算して、無過失補償制度一般への悪イメージを払しょくする必要がある。

2. 「はっきり言って、あきれ返っている」
11月8日、厚生労働省の社会保障審議会医療保険部会(社会保険診療報酬の総枠を議論したりする場)の会議の席上、「はっきり言って、あきれ返っている。」という過激な発言が飛び出したらしい。発言者は、健康保険組合連合会の白川修二専務理事である。それまでにも社保審医療保険部会では、出産育児一時金を審議する場でもある関係上、産科医療補償制度の余剰金・経費問題について議論されてきた。ところが、余剰金や経費の詳細について、日本医療機能評価機構の事務局に対して何度質問しても、明瞭な情報が開示されない。機構の事務局と産科補償の運営委員会とで情報を囲ってしまっている印象であった。
そこで、責任者である機構の事務局が「はっきり言って、あきれ返っている。」とまで、面と向かって言われてしまったのである。
情報の隠ぺいが疑われているのであろう。公金を使った公的な性格の産科医療補償制度であるにもかかわらず、厚労省の社保審でここまで言われるのでは、どうしようもない。モラルハザードと評しえよう。

3. モラルハザードには「第三者機関」を
一般論として言うと、ある組織内に問題が生じた場合は、その組織自身が自律的に内部調査をし、時には内部調査委員会を創って、問題の全貌を明らかにして、その上で対外的に説明する。しかし、組織の根幹にモラルハザードが生じ、自律性が失われた場合には、その組織を正すには内部調査委員会では機能しない。そのような場合に初めて、外部委員で組織された外部調査委員会が設置される。これが世の常識であろう。
外部調査委員会と呼んでも、中立的第三者機関と呼んでもよい。モラルハザードが疑われた時に初めて設置するものである。医療以外の分野を見渡すと、日本相撲協会しかり、JR西日本しかり、九州電力しかり、そして、東京電力しかり、であったろう。
今、日本医療機能評価機構の産科医療補償制度の運営組織の事務局も、その域に達しつつある。したがって、産科医療補償制度にこそ、外部委員で組織される「第三者機関」を創って、1000億円余剰問題を検証すべきであると思う。

4. 訴訟抑制の議論の封印の恐れ
1000億円余剰金の清算の議論は、訴訟抑制の議論につながってしかるべきである
1000億円の清算方法には、大きく分けて3つの方向があろう。1つ目は、源資たる出産育児一時金の拠出者である保険者(健康保険組合など)に返還する方向である。2つ目は、出産育児一時金の受領者である妊産婦に、その3万円のうち余剰分相当の2万円ずつを約500万人に返還する方向であろう。そして、3つ目は、5年間の重度脳性まひ補償対象者の合計約1000人に、今までの3000万円補償に1億円ずつ上乗せし、補償額を3000万円から1億3000万円に引き上げる方向である。もちろん、どの方向を選択するにしても、公金の取扱いの問題であるから、日本医療機能評価機構が決めることではない。社保審医療保険部会などでの公の議論で決めるべきことである。
さて、産科に関わる医療提供者の気持ちとしては、3つ目の方向が好ましいかもしれない。もちろん、脳性まひ児の家族も同様と思う。つまり、補償額の3000万円から1億3000万円への引き上げである。
ところで、もしも脳性まひ発症が産科の医療過誤だとして訴訟が起こされれば、その損害賠償額は1億5000万円から2億円にものぼるであろう。ここで1億3000万円が過失無過失を問わずに補償されていれば、訴訟で得られる満額の65%から87%にもなる。
まず自然の成り行きとして、あえて訴訟を起こしてまで満額請求しようという動機付けは減少しよう。さらには、65%から87%の補償が条件になるのならば、訴訟抑制の特約を結んでも直ちに公序良俗違反にはならないと思われる。一例を挙げれば、故意もしくは故意に比肩しうべき重過失を除いて、1億3000万円で済ませるという訴訟抑制の特約を、産科医療補償の約款に挿入することが考えられよう
この程度のことならば、法律家なら誰でも容易に思い付く。つまり、十分に詰めの議論をするに値する法的論点である。
ところが、産科医療補償制度の運営委員会では、あえて「訴権の制限」などという抽象的な論点提示の形をとって、訴訟抑制の議論自体が封印されてしまう恐れが生じているように思う。もしも議論すらも封印されるとしたら、それもモラルハザードの一つと言ってよい。その場合には、この点もやはり「第三者機関」による検証の対象となろう。当然、その時には、運営委員会に関与した法律家は、その第三者機関からはすべて排斥されるべきである。

医療を利権の巣窟にするべきではない 

医療事故の原因の究明は、純粋に医学的な見地で行われ、その結果は医療事故の再発防止に向けてのみ用いられるべきである。それに、官僚や法曹、医療外の利権がからむべきでない。もしそうした利権が絡むと、医療を荒廃させる。リスクのある医療からは医療人は撤退するか、さもなければ、専門家としての倫理を見えぬところで蹂躙するような医療が行われる倫理的な荒廃が起きる。

特に、最近痛感するのは、行政が医療を支配下に置く、ないし医療を権益確保の場にしようとしているように思えることだ。前回の診療報酬改定の前後で、診療所スタッフも、年二回以上医療安全等の講習を受けることが義務付けられた。この講習で学ぶことは、知識としては意味があるかもしれないが、実際の診療には殆ど意味のないことばかりだ。この講習の講師は今のところ大学のスタッフ等が行っているが、この制度が順調に動き出したら、行政が絡んでくる可能性があるように思える。

医療事故調査委員会のプランにしても、また実際に動き出し巨額の内部留保を毎年生み出している産科医療補償制度を担当する、日本医療機能評価機構の事業も、同じ行政による医療支配の一環のように思える。医療事故調査については、弁護士達の狩場にされようとしている。医療裁判の米国化である。医療が、医療外の勢力が利権を渉猟する場にされ、荒廃させられようとしている。

この被害を受けるのは、今、医療界で中堅を担う若い医師たち、さらには医療を受けることになる国民である。


以下、MRICより引用~~~


「医療事故調査に関する検討委員会」答申に関するアンケート調査への回答私案

亀田総合病院 
小松秀樹

2011年10月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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私は、2006年に出版した『医療崩壊 立ち去り型サボタージュとは何か』(朝日新聞社)で、医療事故調査機構を提案した。その後、考え方を大きく変えた。最大のきっかけは、日本弁護士連合会が2007年3月16日に発表した「『無過失補償制度』の創設と基本的な枠組みに関する意見書」である。
この意見書は以下のような前提に基づいていると思われた。

1)大半の医療事故は適切な対策をとれば防止可能である。
2)したがって、医療事故は起きてはならないことであり、医療事故に際して医療提供者が最初にとるべき行動は自らの非を認めることである。
3)保険診療が、公共財として国民に広く医療を提供するためにいかに低廉な費用で運用されていようと、サービス料金を提供者が決められる業種と同様の制度と基準で賠償金を請求できる。
4)危機的状況にある医療制度の保全は、弁護士の活動とは無関係である。

これでは医療はやっていけない。その後の医療事故調をめぐる議論、新型インフルエンザ騒動などを経て、厚労省を含めて、人間の集団が、利害で動くことが良く分かった。
平成23年9月14日付で、日本医師会から、各都道府県医師会、各郡市医師会に、「『医療事故調査に関する検討委員会』答申に関するアンケート調査のお願い」が送られている。回答の私案を作成した。締め切りは10月15日である。日本の医療を左右しかねない大きな問題である。各郡市医師会会員の先生方には、本私案を熟読、ご批判いただき、同様の回答を日本医師会に送っていただければ幸いである。

◆設問1 「すべての医療機関に院内医療事故調査委員会を設置する」
 回答番号3.このしくみを進めるべきではない
【理由・コメント】
●院内医療事故調査委員会は診療所にとって危険
大病院が自身の医療水準を高めるために、院内医療事故調査委員会(以下、院内調査委員会)を設置するのは望ましいことである。
しかし、院内調査委員会は、これまでさまざまな二次紛争を引き起こしてきた(文献1)。院内調査委員会を運営するには、過去の紛争についての該博な知識と注意深さが必要である。小規模病院や診療所が、自力で院内調査委員会を設置するのは危険である。実際に診療所で院内調査委員会が必要になることはめったにない。院内調査委員会を設置するとすれば、常におっかなびっくりで運営されることになる。危ないからといって、自力でできないことを、外部の権威に委ねてしまうと破壊的なことが生じかねない。破壊的にならないまでも、診療所の立場は悪くならざるをえない。
医師会役員でも院内調査委員会の経験があるのは、先進的な大病院の関係者に限定される。多くの大学教授にとって、小規模病院や診療所は視野にない。要求水準を、診療所の実情に合わせる大人の能力が、大学教授にあるとは思えない。大学や大病院が診療所の行動の正しさを決めることになれば、診療所はやっていけないのではないか。

●院内医療事故調査委員会の二つの位置づけ
日本では、院内調査委員会の位置づけについて、大きく意見が分かれている。自律的で内向きのものとする意見と、対外対応のためのものとする意見である。自律的な委員会の理念は、「当該医療機関及びその医療従事者の医療事故や有害事象についての科学的認識をめぐる自律性の確立と機能の向上」(文献1)と表現される。医療問題で政府や日本医師会の委員を歴任している児玉安司弁護士は外部からの視点や社会への対応を重視する(文献2)。事実そのものを科学的に正確に記載することより、患者・家族への対応、民事の損害賠償への対応など、報告書のもたらす二次的意義が強調されている。

●東京女子医大事件
東京女子医大事件では、対外対応のために作成された院内調査委員会の報告書が刑事事件のきっかけになった(文献3,4,5)。このため、佐藤一樹医師が逮捕・起訴され、無罪が確定するまでに7年間刑事被告人の立場に置かれた。東京女子医大調査委員長は、法廷で調査は科学的ではなかったと認めた。調査は、科学的でなかったことに加えて、当事者の権利の侵害があった。当事者の意見を十分に聴取してその意見を反映させることなく、誤った認識に基づいて当事者の行為を過失と決め付けた。
児玉弁護士は、当時の東京女子医大の顧問弁護士として、この事件の処理に関わっていた

●「医療のプロセス」論
井上清成弁護士は、事前の説明、医療行為、事後の説明を全体として医療のプロセスに含めている(文献6)。患者・家族と医療提供者という私人間のプロセスである。院内調査委員会の認識は、事後の説明の補助として使うことができる。外部委員会の議論は、私人間の説明と納得に関しては、補助的意味しか持ちようがない。強制力を持てば私人間の問題ではなくなる。病院の説明に家族が納得しなくても、説明が継続される限り医療のプロセスである。仲介人が関わる場合は医療メディエーションとなる。私人間の納得のプロセスは多様である。権威を有する第三者が裁定し、判断が判例のように蓄積される構図は、納得のプロセスを狭める。医療の多様性を奪い、医学の進歩を阻害する
「説明することが信用できないと公然と意思表示する相手に対しては、納得の得られないことが客観的に明らかなのだから、もうこれ以上の説明は不能であろう。そこで、そのような確定的な不信の表明がなされた時点をもって、説明は終了せざるをえず、医療のプロセスも終了する。もちろん、説明の支援(手助け)である院内事故調査委員会も要らない。(文献6)」医療のプロセスが終了した後の対立の処理は、裁判所に持ち込まれる。民事裁判では二当事者対立構造がとられ、公平性を担保した徹底した争いが繰り広げられる。

文献
1 小松秀樹, 井上清成:?院内事故調査委員会?についての論点と考え方. 医学のあゆみ, 230,313-320, 2009.
2 児玉安司:医療事故の院内調査をめぐって. 胸部外科, 62, 145-148, 2009.
3 小松秀樹:東京女子医大院内事故調査委員会 医師と弁護士の責任を考える.  Vol.1 2010年4月26日, http://www.m3.com/iryoIshin/article/119297/
4 小松秀樹:東京女子医大院内事故調査委員会 医師と弁護士の責任を考える.  Vol.2, 2010年4月28日http://www.m3.com/iryoIshin/article/119298/
5 小松秀樹:東京女子医大院内事故調査委員会 医師と弁護士の責任を考える.  Vol.3, 2010年4月30日http://www.m3.com/iryoIshin/article/119299/
6 井上清成:日本医師会「医療事故調査制度の創設に向けた基本的提言」の改善点. 医療ガバナンス学会メールマガジン, Vol. 245, 2011年8月21日.
http://medg.jp/mt/2011/08/vol245-2.html#more

◆設問2「医療界、医学会が一体的に組織・運営する第三者機関による医療事故調査を行う」
回答番号3.この仕組みを進めるべきではない
【理由・コメント】
●医療行政
日本の医療行政は、遵守不可能な規則を設ける傾向が強い。通常は規則が破られても、多くは放置している。医療機関は常に何らかの違反をせざるをえない。行政は恣意的に医療機関を罰することができる。第三者機関による医療事故調査が行われると、予算と運営を行政が握る。結果として行政の権力が大きくなる
第三者機関の判断が判例のように蓄積されると、医療における正しさを固定して、医療の多様性と進歩を奪うことになる。国家が医療における正しさを決める状況で、国家に対するチェック・アンド・バランスが弱ければ、医療の進歩を阻害するだけではすまない。ナチ政権下でのドイツでは、国による大量殺戮が起きた。

●「公平性の担保された信頼関係の構造化」あるいは「対立関係の構造化」
「医療事故調査に関する検討委員会」答申の3ページに、「公平性の担保された形」で調査分析することや、「医療者・受療者間に信頼関係が構造化されていることが不可欠」であることが記載されている。たぶん、医療者ではなく、法律家が起草したものであろう。公平性が、医療者と受療者の利害の代弁者を等しく議論に参加させることを意味するとすれば、逆に対立が高まる。産科事故補償制度の原因分析委員会は対立関係が構造化されている。医療側弁護士、患者側弁護士が参加している。弁護士の任務は、依頼人のために戦うことである。議事録が日本医療機能評価機構のホームページに掲載されている。権限を持った議論の整理役がいない中で、殴り合いのような激しいやり取りがなされている。対立構造になるとすれば、裁判所以外では扱えない
患者側弁護士は、医療事故調査報告書にこだわる。作成過程に関与して、有利な内容にできるかもしれない。別の弁護士が、それを使って、民事訴訟を起こすことができる。紛争があれば、弁護士の仕事が増え、収入が増える。あらゆるところで、公平という文言のもとに、対立構造を作ろうとしているように見える。しかも、対立構造から生まれた文書に権威を持たせようとする。科学的真理は、対立構造となじまない。対立の中で生まれた文書は、科学とはかけ離れたものにならざるをえない
第三者機関は、権威のあるものではなく、相談程度の補助的役割に留めるべきである。様々な団体が、さまざまな機関を作ればよい。私人間の納得のプロセスの手助けである。納得は多様である。統一的な正しい方法を作ろうとすると、対立が持ち込まれ、害が大きくなる。

●モデル事業の評価
答申は「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」を有意義だったと評価し、モデル事業を引き継いだ一般社団法人日本医療安全調査機構を調査の担い手としてとりあげている。しかし、この検討委員会にモデル事業の関係者が複数参加している。手前みその評価ではないか。
以下、埼玉医科大学総合医療センター高度救命救急センター長である堤晴彦教授のモデル事業に対する評価を紹介する。

モデル事業はうまくいったと自己評価をしているが、我々、第三者はそう思っていない。モデル事業に関しては、患者側の満足度は、極めて低い。また、扱っている件数も、当初年間200件程度を予定していたが、年間20~30件がやっとという状況である。ちなみに、このモデル事業には、毎年1億7千万円ほど補助金を使っている。1件あたり、数百万かかっていることになる。そもそも、大々的な事故調査委員会などできる訳がない。それにもかかわらず、できるような幻想を与えている。あまりにも甘い自己評価に、唖然とする。その中の一部の医師は、事故調査委員会が出来た時には、自らそのポストに座ろうと意図しているように見える。5年間のモデル事業が終了し、延長となった。その補助金の受け皿として、内科学会や外科学会が中心となって、昨年4月に社団法人日本医療安全調査機構を設立した。ところが、その後、補助金が減額され資金がなくなったために、日本救急医学会にも社員として入れと言ってきている。呆れて物が言えない。モデル事業を推進してきた人達は、その発展型が、国が目指す医療事故調査委員会だと考えている。それは、幻想にすぎない。誰が調査をするのか? それだけの人数を確保できるのか?

◆設問3「医師法21条の改正を行う」
回答番号1.この改正を進めるべきである
【理由・コメント】
●医師法21条の廃止
医師法21条は「医師は、死体又は妊娠四月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、二十四時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」と規定している。1949年、厚生省医務局長通知で「死亡診断書は診療中の患者が死亡した場合に交付されるもの」であり、「死体検案書は、診療中の患者以外のものが死亡した場合にその死体を検案して交付されるもの」として、診療関連死は医師法21条の届出対象ではないと判断していた。
しかし、1999年の都立広尾病院事件とその報道を受けて、2000年、厚生省は、国立病院部政策医療課が作成したリスクマネージメントマニュアル作成指針に?医療過誤によって死亡又は傷害が発生した場合又はその疑いがある場合には、施設長は、速やかに所轄警察署に届出を行う」と記載し、医師法21条の解釈を変更した。
官僚によって、法律改正に等しい解釈変更が、通知やマニュアルで恣意的になされた。医師法21条については、文言の変更ではなく、廃止すべきだと考える。その上で、故意犯罪についての届出を罰則なしの義務とすべきである

◆設問4.「ADRの活用を推進する」
回答番号4.いずれでもない
【理由・コメント】
●ADRの限界
ADR(裁判外紛争解決)は、裁判の重い手続きに伴う過大なコストを下げることを目的とする。三つの類型がある。あっせんは、あっせん人が仲介者として当事者同士の話し合いを進めて解決を図る。調停は、調停人が提示した解決案を両者が受け入れることで、紛争を解決する。仲裁は、仲裁合意の上で仲裁案が提示される。仲裁合意があるので仲裁案を拒否できない。
債権をめぐる会社同士の争いでは、紛争が拡大すると双方の損失が大きくなる。解決は互いの利益になる。立場が入れ替わる可能性もあり、相手の立場が良く分かる。裁判に伴う各種コストを低減することが、双方のメリットになる。一方、医事紛争は感情的なもつれが大きく、泥沼の紛争になりやすい。この意味で、医事紛争でADRが果たす役割には限界がある
あっせんは有用かもしれない。医療のプロセスの延長とみなすことができるかもしれない。あっせんの中身は多様であってよい。権威が細部まで方法を規定するようなことになれば、害が大きくなる。
裁判に近い仲裁による解決は、医事紛争には向かない。

◆設問5.「患者救済制度を創設する」
回答番号4.患者救済制度を創設すべきではない
【理由・コメント】
無過失補償制度は、本来、過失の有無について議論することなく、一定の有害事象を迅速に救済するものである。
目的は、医療提供者と患者側の軋轢を軽減して、医療を保全することであろう。ちなみに、合衆国では医事紛争処理のためにかかる費用の軽減策として議論されてきた。

●産科医療補償制度の実像
日本の産科医療補償制度は、無過失補償制度ではない過失の有無についての議論を同時に行うことになっているからである。各種委員会が対立構造になっている。患者側弁護士は過失判定をさせようと努力し、医師や病院側弁護士はこれに抵抗する。第1回産科医療補償制度原因分析委員会http://www.sanka-hp.jcqhc.or.jp/pdf/bunseki_giji_01.pdf で報告書に記載すべき内容が議論された。内容の概要を示すが、実際には詳細を極める。

報告内容
1.報告書の位置づけ・目的
2.事例の概要
(分娩機関から提出されたすべての記録をもとに、以下の項目に関して整理する。)
1)妊産婦に関する基本情報
2)今回の妊娠経過
3)分娩のための入院時の状況
4)分娩経過
5)産じょく期の経過
6)新生児期の経過
7)診療体制に関する情報
(分娩機関から提出された、診療体制等に関する情報をもとに要点をまとめ記載する)
8)分娩機関から児・家族への説明
9)児・家族からの情報
3.脳性麻痺発症の原因
1)発症原因の考察
2)結論
4.診療経過に関する医学的評価
5.今後の産科医療向上のために検討すべき事項
1)診療行為について検討すべき事項
2)設備や診療体制について検討すべき事項

委員の一人は、以下のような懸念を表明した。
「こういう文言をずっと見ていると、助産所というのは実際に厳しくやっていくと、お産は非常に難しくなる」
私は、助産所のみならず、診療所でのお産も難しくなると危惧している。

●利権の可能性
別の問題もある。産科医療補償制度は毎年3百億円ほどの保険料を集めている。数十億円に上る事務費が計上されている。保険料の使途の詳細は報告されていない。利権の温床になっていることを想像させる
前述の堤晴彦教授も同様の危惧を伝えてきた。

------------直感として危ないと感じている。
「お金の集まるところには、利権が生じる」世界である。日本社会のこれまでの有り様から類推して、この制度を作ると、利潤を得る人達が出て来る。厚生労働省のねらいも、そのあたりではないか、と疑わざるをえない。

本来の無過失補償制度が本来の目的に沿って設計され、利権を排除した形で運営されるとすれば望ましいことである。しかし、現状はその環境が整っていない。補償と医療事故調査が一つの制度に組み込まれた産科医療補償制度について、行政の影響を排除した場で、詳細な検証がなされ、抜本的な改革がなされない限り、無過失補償制度についての議論は開始すべきではない。

産科医が自分で自分の首を絞めているような・・・ 

産科医療補償制度を担当する日本医療機能評価機構は、同制度により莫大な内部留保を貯めつつある。

一方、同機構が行っていることと言えば、対象となる脳性まひの範囲を狭めた上、書類審査だけで脳性まひの成因を公表すること。脳性まひの多くは、胎内で生じるというのが新生児病学の最新の知見だが、同機構は、脳性まひの成因を分娩時の問題に帰着させているようだ。

原因が複数あり、まだよくわからぬ側面のある疾患の個々の成因を議論するならば、多角的に、かつ医療資源等も考慮して行うべきだろう。それなしに、成因を一面的かつ一方的に決めつけられたら、医療現場としては困惑するのみなのではないだうか。特に、この脳性まひの成因のように医療訴訟に直接結びつく情報を、一面的で表面的な分析から公表されるのは、産科医を追いやることになる。

官僚や学会・医師会の幹部が天下っている、このような組織に、善意からせっせと上納金を納めている構図は、自分で自分の首を絞めていることに等しいのではないだろうか・・・。


以下、MRICより引用~~~

産科事故の一般公開は継続すべきなのか

この原稿は月刊『集中』2011年10月号「経営に活かす法律の知恵袋」連載第26回に掲載されたもので
す。

井上弁護士事務所 弁護士
井上 清成

2011年10月7日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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1.壮大な実験―産科事故の一般公開
現在、日本産婦人科医会が主導して、壮大な実験とも表すべき試みが開始されている。もし、この実験が成功したと評価されるならば、産科事故に限らず他の診療科にも同様の制度が導入されるであろう。しかし、もしこの実験が失敗だと評価されるならば、産科医療の萎縮もしくは崩壊がさらに進みかねない。大きなリスクを抱えた賭けとも言えよう。筆者が「壮大な実験」と表現するゆえんである。
その壮大な実験とは、一口に言えば、「産科事故の一般公開」とでも評し得る試みにほかならない。
目に付いただけでも3つはあった。
妊産婦死亡事例の厚労省研究班の調査発表、産科医療補償制度での原因分析報告書の公表、同じく産科医療補償制度での再発防止報告書の公表の3 つである。

2.妊産婦死亡事例の厚労省研究班の調査発表
「妊産婦10人救命可能性/昨年出産時出血死16人分析/厚労省研究班」という大見出しの記事が、8月221日付読売新聞に載った。「昨年1 年間に全国で出産時の大量出血で死亡した妊産婦は16人おり、うち10人は、輸血などの処置が適切だったならば救命できた可能性が高いことが、厚生労働省研究班の調査でわかった」そうである。結論として、「研究班は、体内での出血の進行の見落としや、輸血製剤の不備などで、治療が手遅れになったと分析している」らしく、新聞記事ではさらにそれらの詳細が述べられていた。どうしてこのような研究成果を挙げられたのかというと、「研究班は、日本産婦人科医会の協力で、全国約1万5000人の産婦人科医からカルテなどの提供を受け、死因や診療内容の妥当性を分析」できたからであるらしい。

3.原因分析報告書の公表
産科医療補償制度とは、重度脳性まひ児・家族への3000万円の無過失補償と、補償事例の原因分析委員会による原因分析報告、再発防止委員会による再発防止策提言、調整委員会による重過失事案の損害賠償調整とを一体として組み合わせた制度である。分娩機関である病院・診療所・助産所の合計3336機関のうち、99.8%にあたる3328機関が加入しているという。日本医療機能評価機構とリンクし、日本産婦人科医会が主導して創設した制度である。制度がスタートして約2年半がたつ。

この制度の最も先進的なところは、原因分析委員会による原因分析の試みである。批判も多いところではあるが、先駆的な試みとして高い評価に値すると思う。しかし、透明性が高過ぎる点は、懸念材料としか評しようがない。

つまり、原因分析委員会の調査・分析・作成した原因分析報告書は、その症例の児・家族にダイレクトに渡されて、家族からの疑義・質問にも答える。もちろん当該分娩機関にも送付されるが、報告書の要約版はホームページで公表されてしまう。さらには、要約版ならぬ全文版は、学術的研究、公共的利用、医療安全の資料のため請求者に開示される。医療事故を事件として取り扱っている弁護士らも、開示請求するであろう。原因分析報告書は、児・家族はもちろんのこと、一般国民にもオープンにされているのである。

なお、原因分析報告書では、「当該分娩機関における診療行為について検討すべき事項」が厳しく指摘されてしまう。たとえば、「子宮収縮剤の投与量については、日本産科婦人科学会および日本産婦人科医会によって取りまとめられた『子宮収縮薬による陣痛誘発・陣痛促進に際しての留意点』の基準に準拠して行われるべきである」とか、「本事例は出生後に臍帯動脈血の血液ガス分析がなされていない」などと断定される。弁護士も含む一般国民としては、それが直ちに「過誤」「過失」を意味するものと捉えてしまう向きもあろう。

4.再発防止報告書の公表
原因分析委員会に引き続き、次は再発防止委員会が「再発防止に関する報告書」を作成し公表する。
再発防止策等の提言を、国民・分娩機関・関係学会・行政機関などに提供するというコンセプトらしい。ホームページで公表し、報告書を配布する。

日本医療機能評価機構は、8月22日に初めて、第1回目の再発防止報告書を公表した。8月23日付共同通信によれば、「学会の指針を逸脱した陣痛促進剤の過剰投与や心肺蘇生処置が不十分だった例が相次いでいたとして、関係学会や医療機関に注意喚起した」らしい。「陣痛促進剤を使用したのは15件中6件で、投与の量が日本産科婦人科学会が定めた指針より多かったり、投与の間隔が短かったりした」とか、「新生児の蘇生では『蘇生方法が不十分』『必要な器具や酸素が常備されていない』『蘇生できる医療関係者が不在』など7件で問題があった」とか、「胎児の異変を察知する心拍数モニタリングが十分でなかった例も8件あった」などと公表した模様である。

5.一般公開の位置付け
これらの調査発表や報告書公表は、産科医療の信頼を回復することを目指し、透明性を確保しようとの目標を設定したために、実施されたものであろう。そして、その位置付けは、たとえば再発防止報告書の末尾に注書きしてあるとおり、「本報告書は、利用される方々が、個々の責任に基づき、自由な意思・判断・選択により利用されるべきものであります。そのため、当機構(筆者注・日本医療機能評価機構のこと)は利用者が本報告の内容を用いて行う一切の行為について何ら責任を負うものではないと同時に、医療従事者の裁量を制限したり、医療従事者に義務や責任を課したりするものでもありません。」と考えているらしい。

しかし、弁護士を含む一般国民は、必ずしも日本産婦人科医会や日本医療機能評価機構の意図したとおりに受け取るとは限らないであろう。これらの一般公開が、直ちに公的な権威を伴った過失の認定と捉えてしまうかも知れない。訴訟や紛争を誘発する恐れが拭い去れないと思う。さらに、これらの一般公開には、医師のための法的安全弁は何ら備えられていない。そう考えるならば、産科事故のこれほどまでの一般公開については、現時点で改めて、加入しているすべての産科医が再認識すべきであろう。そして、このまま継続すべきなのかどうかを再検討することが望まれる。

産科医療補償制度は一体誰のために? 

産科医療補償制度に基づく、日本医療機能評価機構の報告書。

この奥歯に物がはさまったような言い方は一体何なのだろう?曰く、「投与が直接脳性まひ発症の原因になったものではない」「それ自体が脳障害につながったとは言えないが」。ならば、このように「まとめて」公表する意味はないのではないか。この後だしのコメントが、医療現場で行われている医療そのものを改善するとは思えない。医療現場の問題は、学会の出す指針だけで解決しない。スタッフの労働環境、医療環境等すべてを考えて、ケースバイケースで解決しなければならない。このように、ペーパーの上だけで検討し、何事かを医療現場に対して忠告するかのような体裁の報告は、この機構の権威付けをすることを目指しているのではないか。一般の方が読めば、医療現場は何をしているという疑念の眼差しを向けることになる。脳性まひの大多数は、胎内で生じることが知られているのだ。

もう一つ、保険料と給付の問題。一件のお産で3万円を医療機関が同機構に支払う。毎年、200億円以上が、同機構に振り込まれる。厚生労働省の制度設計では、毎年800名の脳性まひ児に補償金を支払うことになっていた。こちらを参照。一人、トータル3000万円である(この額自体が、脳性まひ児の一生の生活費には全く足りない)。ところが、この制度で補償が認められたのが、予測の1/4に過ぎない。60億円ほどが同機構と契約した民間保険会社から補償金として支払われる。残り100数十億円は一体どうなるのだろうか。事務費に52億円が計上されているが、これもベラボウな気がする。民間保険会社は、この事業でもきっと数十億円のマージンを取っている。このように公的な性格の強い事業に、民間企業を参入させることには賛成できない。

同機構は、毎年100億円前後の内部留保をため込むことになる

お産の費用は、日本は、ヨーロッパの1/2前後、米国の1/5前後である。お産の現場には医療資源が足りない。それでいて、ミスは決して許されない

この制度は、お産の現場を、さらに疲弊させている。


以下、引用~~~

出産時の指針逸脱が多発 促進剤投与や蘇生処置
11/08/23
記事:共同通信社
提供:共同通信社

 出産で赤ちゃんが重い脳性まひになった場合に、過失の有無にかかわらず補償金が支払われる「産科医療補償制度」を運営する日本医療機能評価機構は22日、再発防止に向けて初めてまとめた報告書を公表。学会の指針を逸脱した陣痛促進剤の過剰投与や、心肺蘇生処置が不十分だった例が相次いでいたとして、関係学会や医療機関に注意喚起した。

 制度は2009年に始まり、機構はこれまでに208件を審査、うち192件の補償が決まった。報告書は、原因の分析が終わった13都府県の15件について、どんな問題があったかを分析した。

 陣痛促進剤を使用したのは15件中6件で、投与の量が日本産科婦人科学会が定めた指針より多かったり、投与の間隔が短かったりした。報告書は「投与が直接脳性まひ発症の原因になったものではない」とする一方「過剰な陣痛などを引き起こした可能性を否定できない事例がある」と指摘した。

 新生児の蘇生では「蘇生方法が不十分」「必要な器具や酸素が常備されていない」「蘇生できる医療関係者が不在」など7件で問題があった。胎児の異変を察知する心拍数モニタリングが十分でなかった例も8件あった。

 再発防止委員会の池ノ上克(いけのうえ・つよむ)委員長(宮崎大病院長)は「一部ではあるが、極めて基本的なことが守られていなかった。それ自体が脳障害につながったとは言えないが、産科医療の質向上のために、指針順守の徹底などを求めたい」と話した。

日本医療機能評価機能の貪欲 

11月15日に開催された厚生労働省の社会保障審議会医療保険部会で、2009年1月からスタートした、「産科医療補償制度」の概要が報告された。2009年1年間の収 支報告で、収入保険料からこれまでに支払った保険金や事務経費を差し引いた「支払備金」が約262億円に上っているようだ。年間の収入保険料は、約315億円。こ れに対し、2009年1月末までに確定した保険金は約3億6000万円、事務経費は49億3560万円。これらを差し引くと、支払備金が約262億円とのことらしい。民間保険であっても、利益率はせいぜい20%程度らしい。この制度を運用する、日本医療機能評価機構(または、民間保険会社)は、暴利を得ている(実際の運用は、民間保険会社三社)。

支払い金の総額は、2014年にならないと確定しないと、行政サイドは弁解しているらしいが、現在確定した保険金が、支払備金の2%未満というのは凄まじい制度設計であることを意味している。

補償の対象が、分娩に関連して発症した重度脳性麻痺児のみで、「2000g以上、33週以上の出生児」が原則となっている点も大きな疑問。何故、このように対象を絞っているのか。脳性麻痺の原因の多くは、周産期の問題よりも胎内での胎児期の問題にあると言われている。脳性麻痺を補償すると言いながら、脳性麻痺を生じやすい早産児・低出生体重児の多くを除外している。一体、官僚は何を考えているのだろうか。

医療側が、この制度に対して最も期待した、訴訟の減少は、ほとんど見られないらしい。

この制度が出来るときに、私も何度も危惧を表明した。残念ながら、事態はその時恐れていた方向に向かっている。その方向は、行政の意図した方向である。

日本医療機能評価機構は、終末期医療をも食いものにしている。終末期医療の砦の一つ、緩和ケア病棟がその診療報酬を受ける際に、同機構の認証を受けることが条件になっている。その認証とは、事務的な作業だけであり、医療の実態に迫るものではない。その対価として、同機構は、数百万円の費用を医療機関に請求する。同機構には官僚が天下っている。官僚と一部の医療人による、終末期医療を貪る構図だ。これは、上記の産科医療補償制度にも通じる。

人の誕生と死を看る医療を貪り食らう官僚には、反吐が出る。

このような社会的な不正を放置していて良いのだろうか。



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