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N4AR/8 

Bill N4ARと今朝14メガで会った。N5IRと昔話をしていたところにブレークを入れてくれたのだ。少し上の周波数に動いて、Billと続けた。彼はミシガンから出ていた。そうだった・・・昔彼が学生時代にK4GSU/8で出ていた場所から少し離れたところからだ。アンテナは35m高の4エレ。CONDXが中程度だったが、強い。

彼は、循環器内科医としての仕事を終えて2年。もう夜中に病院からの電話で起こされることも、午前3時にERに出向くこともなくなって、清々しているとのこと。テレビで新薬の宣伝を見ても、それが何なのか分からなくなってしまったが、もう構うことはないとも仰っていた。

以前にも記したが彼が現役の医師として働いていた折、あちらの早朝に7メガで強力に入感したものだった。VS6DO等と悠然と交信をしていた。私も時々お相手頂いた。母親の心臓や内科的な問題について助言をしていただいたこともあった。何しろ1960年代、彼がK4GSUで出ていた頃から交信を続けていたCW愛好家だったし、同じ職業であったということもあり、彼にはとりわけ親近感を感じていた。10数年前に、ice stormによってローバンドのアンテナをすべて失ってしまい、その後しばらく乗馬に凝って、無線から離れておられた(このことはすでに記した)。

今回滞在していたミシガンの別荘では、4エレのトライバンダーを35mに上げている。かなり強い。7メガの2エレも上げたいとのこと。ケンタッキーの自宅では、7メガは今2エレしかないが、早く3エレを元に戻したいとのことだった。

一頃、乗馬に精を出していたようだが、今は30%の時間だけを乗馬に割いているらしい。

ローバンドで彼の強力な信号を聴けるのも、そう遠くはない。

つい最近80歳になった由・・・今でも私の中ではこの画像のイメージなのだが・・・時間が経ったものだ。彼は80歳になるとは思っていなかったと言って笑っていた・・・。

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JA5DQH奈木氏が彼を訪問した際に撮った画像。1980年代末だったか・・・。

Tim、そしてSteve・・・ 

昨夜、7メガでTim VK3IMから呼ばれた。1時間程お喋りに興じた。彼のネット環境は回復し、電話も使えるようになった由。

彼が、Bill N4ARから何か連絡があるか、何か聞いているかと尋ねてきた。Billは、2,3年前にようやく退職し、これからアンテナも復旧させて出てくると言っていた。年齢はもう70歳台半ばだろう・・・が、年に一度ほど耳にするだけであることを伝えた。Timは、もっと悪い知らせがあるのではないかと心配していたらしく、大層喜んでいた。やはり1980年代、Timがメルボルンからマウントエライザの自宅まで車で帰宅する途上、Billとしばしば交信したらしい。Billは、定期的な相手だったとのことだ。

ついで、私がSteve WA6IVNとしばしば交信していたのも、同じころに聞いていたと彼が言う。彼の口からは、コールが出てこず、脳腫瘍の末期でそれでも無線に出てきていたカリフォルニア在住の私の友人、という形容だった。Steveのことを耳にするのはしばらくぶりのことだ。ほかのところで記したとおり、Steveは子供のころから、悪性リンパ腫にかかり、最初は比較的良性のもので放射線治療だけで対処していたが、30歳台になって、より悪性度の高い悪性リンパ腫を併発、その後悪性黒色腫にも離間して40歳台そこそこで亡くなられた方だ。

私がカムバックしてきた1980年ごろからしばしばSteveと交信をするようになった。今考えてみると、彼の人生の晩年の数年間を比較的近しい立場にいさせて頂いたことになる。小児科医になりたてで、彼の病状や治療について理解してあげられることができたこと、同じ趣味をもつことによって、私のことを近しく感じてくださっていたのかもしれない。

この年齢になって、彼の短かった人生に思いをはせると、激烈な人生を歩まれたのだ、ということがひしひしと迫ってくる。彼は、人生の一番輝く時期を、病との戦いで過ごしたのだ。ぎりぎりと締め上げられるような気持ちでいたのではなかっただろうか。彼はその戦いに埋没することなく、無線や、ボートに熱中していた。人生を燃焼しきることに集中していたのだ。その人生を生きる彼の口から出てくる言葉が、いかに重たいものであったか、今になると痛いほど分かる。私もいろいろと語ったような気がするが、それは殆ど記憶に残っていない。彼の語る言葉を、その重みにおいて受け止めて上げられただろうか。時に、彼の長口舌に正直ウンザリさせられたものだったが、でも、その長い話から、彼の生きようとする意思をどれだけ聴き取っていただろうか。

Bob W6CYXのお宅にお邪魔した1988年だったか、その時にも車で2時間はかかるところを病身をおして、奥様どもども会いに来てくださった。キャンピングカーで来てくださり、一晩泊まって行った。悪性黒色腫が脳に転移し、すでに末期の状態だった。美しいブロンドの髪もあらかた抜け落ち、やせ細り、老人のようだった。あれから数か月たたぬうちに、彼がSKになったという知らせを受けた。

人生の最後の数年間、燃焼しつくすために戦った彼を、この趣味を通して知ったのだった。最近、人生で出会い、そして先に亡くなって行かれた方々のことを良く思い出す。皆先に逝ってしまったが、どのような思いであったのかと考える。Steveは、そうした方々のなかでも、とくに鮮やか思い出を残して走り去った方だった。今となっては遅いが、彼の言うことをその重みに置いてしっかり受け止めていたか、それだけが心残りだ。

そんなことをぼーっと考えながら、Timの話を聞いていた。Timは同じ時代を生きた、そして生きている友人である。そうした友人が無線を通して存在することに少しほっとした。

Marathon 2015 

先週末は、FOCのマラソンという名の部内コンテストだった。毎年、ちょっと出るだけと思って始めるが、結構のめり込んでしまう。今年も、その例外ではなかった。

ハイバンドのCONDX、特に朝方の28メガの北米と、夜間に全世界に開けた14メガが出色であった。7メガで西ヨーロッパに朝遅い時間に開けるのもしばらく経験したことがなかった。W1FJのみ、ヨーロッパビームのロングパスで入感していた。東アジアの日本からでは、このコンテストに勝つことは望めない。メンバーが、ヨーロッパ特に英国と、米国の東海岸に偏在していること、さらに同一局との5、6バンドでの交信に大きく加点されるコンテストルールがあるためである。

では、なぜそれほど熱中するのか。大きな理由は、旧友たちのコールを聴く機会だからだ。中には、しばらく話し込む相手もいる。今は亡きGary W5ZLと友人である Richard K5NAには、Garyの奥様Lesのことを伺った。Richaqrdが無線クラブの会合に積極的にLesをお連れしている、クリスマスの集まりにも連れて行ったとのことだった。Richardも、自身の食道がんの治療を終えて2.5年。いまのところすこぶる調子が良いとのこと。

GW3KGV Kenとは、数年ぶりの交信だったか。お元気のようで、60回目の結婚記念日を過ごした由。キーイングにも張りがある。

Bill N4ARは、ミシガンの別荘からワイアーアンテナで出てきた。ここでも何度か記したが、1960年当時ジョンスホプキンス大学の医学生だった彼が、K4GSUで夏の間しばしば出ていたその同じ場所である。それを改めて言うと、嬉しそうに、その通りだと言っていた。Billも循環器内科医の仕事を最近リタイアした。

カリフォルニアのビッグガンだったCliff K6KIIが21、28メガでか弱い電波で呼んでくれた。コロラドの新居からで、ワイアーアンテナの様子。ローバンドにも出てみると言っていたが、見つけることはできず。

Tom N6RAのコールを聴くのもしばらくぶりだった。OZ1LOもしかり。英国のメンバーは大体が皆数年ぶり、少なくとも前回のマラソン以来ということになる。

好調なCONDXで強力に(なかにはか細い信号もあったが)入感するこうした友人たちの信号を聞きながら、マウンダーミニマムに突入するとなると、いやそうでなくても太陽活動周期からして、こんなCONDXを経験することはもうさほどないのかもしれない、等と思いつつ、交信に励んだ。

頌春 

頌春

年が改まったといっても、特に感慨はない。また時が進んだという思いだけだ。とはいっても、何か年の初めに、今年の抱負を記すべきなのかもしれない。

まずは、リタイア生活のリズムを見出すこと。何か社会との接点を見出すことが必要だろう。生活パターンが、大分老年ひきこもりみたいになりつつあるので、意識して外に出ることを考えるべきだろう。

昨年暮に、飛蚊症が酷くなったので、眼科にかかったら、一言老化現象ですねと言われておしまいだった・・・今のところ、何とか読むことはできるが、白内障も手術を受ける時期になっている。これから、どんどん老化現象が進むと思われるが、狼狽しないように、病気と仲良くしてゆかねばと思う。

人生の終わりのためのノートを、完成させること。まだまだ元気だとはいえ、これからはその時が何時来るとも限らない。その時のために、あのノートを完成させておかねばと思う。

大分読書を長時間続けるのは厳しくなってきたが、休み休み続けて行きたい。Carmel Impresarioもようやく読了が見えてきた。Pikettyの話題の書Capitalが待っている。安全保障や経済についての書物も、とても興味深いものがたくさんある。読み進めて、ここで読後感、レジュメを記せたらと考えている。

無線・・・少し、距離を置くべきだと思っていたが、やはり懐かしい面々にお会いすると、止められぬなと思ってします。昨夜は、Bill N4ARに会った。ケンタッキーに住む、循環器科の元内科医。お会いするのは数年ぶりか。5週間前に完全にリタイアした由。患者さんに対して罪悪感を感じたが、仕事を永遠に続けるわけにもいかないからね、と彼は言う。彼はすでに70歳を超えているはず。K8IAがフェースブックに、1972年デイトンのコンベンションでコンテスター達がサインを記したカードをアップロードした、そこにBillが、N4AR exK4GSUとサインしていた、という話をしたら、喜んでいた。当時、彼はジョンスホプキンスを卒業して医師としての歩みを始めたばかりだったのだろう。コールも脱皮した直後だったわけだ。このような交信を探して、またちょくちょくお空に出ることになるのだろう。

チェロも続けるが・・・これは大分先が見えたような気がする。先と言っても、限界という意味。バッハの無伴奏を少しずつと思っている。聞く方にもっと時間を割こう。家族で、トリオソナタができるようになると良いのだが・・・。

先日、姉がF伯母の住んでいた家の画像、姪夫婦が最近訪れて撮ったもの、を送ってくれた。お世話になっていた産科医の方が、この家を買い取って、利用してくださっているとのことだった。10歳台の頃、休みのたびに訪れていた場所だけに、懐かしい。我が一族の精神的な柱であった、F伯母が逝去してもう20年くらいたつだろうか。その後、私の両親も数年の間をおいて、亡くなっていってしまった。思えば、あっと言う間の出来事だったような気がする。人生が本当に短いものであり、そこでできることは限られていることを改めて思った。一度、豊橋も訪れてみたいものだ。

今朝21メガでお目にかかった、Dennis、奥様ともども、子供たち家族に会うために2100kmのドライブ旅行にクリスマス前後でかけたのだが、相次いでインフルエンザにかかってしまったらしい。今年は、A型がワクチンの型と一致しない、変異型だそうで、ワクチンの効果が得られなかったとか・・・インフルエンザ流行株のことなぞ、すっかり忘れていた。もう小児科医ではなくなりつつあるのだなと改めて自覚して、苦笑。

思いつくままに、記した。今年も、こんな風にこのブログを続けてゆく積りなので、ご厚誼のほどをお願い申し上げたい。

皆様にとって良い年になりますように。




Bill N4AR 

このところ、秋のCONDX真っ盛りという感じで、一晩中、いや日中も14メガは世界に開けている。先日、その14メガで旧友のBill N4ARが呼んできてくれた。N4AR/8と打っていたので、いつものミシガンの別荘かと思ったが、別荘から20マイルほど離れたミシガン湖畔に新しく家を建てたらしい。本当に久しぶりの交信だ。

彼のことは、このブログでも何度か記したような気がするが、検索でヒットしたのは、これだけ。彼がJohns Hopkinsという名門の医大の学生だったころから、幾度となく交信をしてきた。当時は、K4GSUというコールで、コンテストでナンバー交換をする程度だったが、1980年代後半私がDXにはまり、かつFOCに入った頃から、7メガでバンドが開けるころにいつもお目にかかり話をさせて頂くようになった。

彼は、内科、特に循環器内科の医師であり、当時心臓の具合が良くなかった母親へ投与する薬のことを尋ねたりしたものだった。あちら、ケンタッキーの時間で、毎朝のように仕事に出かける前に、無線に出るのを常としておられた。交信を終えるときに、病棟回診が無事済むように、というのが、私が彼に送る挨拶だった。

が、数年前にIce stormで、アンテナ群のほとんどが破壊されてしまい、それっきりパタッと信号を聴かなくなってしまっていた。実際のところ、2,3年に一度程度、そのミシガンの別荘からワイアーアンテナで出てこられて、その時に、蚊の鳴くような信号の彼と交信をしていたのだが、まさに生存証明みたいな交信だった。

先日お会いした時に伺ったところでは、病院の同僚医師がどんどん辞めてしまい、この4年間は、毎日オンコールの状態だったらしい。residentは当然いたのだろうが、もう70歳前後になっておられて、ハードな日々だったことだろう。私が、(日本のシステムでは当然のことながら)一人で開業することを告げると、一人では厳しい、だれか同僚と組んだらどうだと盛んに勧めてくれたのが、Bill自身だった・・・それが、その彼が一人で責任をしょって仕事をし続けてきたとは・・・。

で、今年一杯で彼も退職することに決心したとのことだった。ミシガンの新しい家にタワーを建てて、ハイバンドはもう出られるようになった、後は7メガのビームを何とかしたいとのことだった。前日もアンテナ作業していたので、手がこわばっていると言って笑っていた。キーイングは、少しミスがあるが、昔のまま、BTを続けて打つところを、B Tとスペースを開けるのが彼流・・・。

彼がactiveであった1980年代に、徳島の奈木氏JA5DQHがBillを訪ねてゆき、そこで撮った写真を何枚か送ってくださったことがあった。各バンドごとに、T4C・R4Cが備え付けられ、運用する椅子をぐるっと回すと、異なるバンドに出られるようになっていた。タワーも十本近く上がっていたのではなかっただろうか。そのケンタッキーの自宅でも、タワーはまだ立っているので、アンテナを徐々に整備してゆくとの話だった。

歳を聞き忘れたが、すでに70歳台半ば近くなのではないだろうか。これまで仕事に十分精を出してこられた。これからのリタイア生活を無線や旅行で楽しく過ごしてもらいたいものだ。米国でのFOCの開合には4年間、英国でのそれには8年間出ていないとのことだった。どこかのそうした会合でお目にかかろうと約束してお別れした。

挽歌 

昨日は、早朝覚醒で4時過ぎに起き出した。朝食をとり、14メガをワッチ。北米、ヨーロッパに開けている。北米は、普段なかなか聞こえない、ニューイングランドから入感している。ベアフット・ワイアーアンテナ組が559程度、一方、リニア・ビーム組になるとS8から9を振ってくる。その後、仕事や、庭仕事の合間にちょこちょこと聴いていたが、少なくとも西海岸には殆ど一日中開けていた。夕方、陽の暮れる頃に、東海岸に対して、もう一度開けた。

夜になり、7メガでバグキーを使って、のんびりCQを出す。バグキーを使うときに、時々思い起こすのが、バグキーを上手に使いこなしていた、今は亡きOM達のこと。Sam W6TSQや、Merle W6ULS(その後K6DC)、それにもっと遡って、Joe AH2GやHarry 9V1MT等々。これらの惚れ惚れとするバグキー裁きの名人たちは、すでにいない。バグキーの紡ぎだすCWの温かみや、美しさについて、語るべき相手も、数少なくなってきた。

そんなことを漠然と思いながら、せっせとバグキーでCQを出す。Dave W8FGXが、呼んで来てくれた。30m高のビーム(3エレだったかしらん)の信号は強い。S9。彼は、偉大なラグチュワーで・・・一回の送信が長い(苦笑)。でも、旧きよき時代のスタイルを守っている方だ。共通の知り合い、Bill N4ARが、最近聞こえないという話題になった。彼の家から、Billのミシガンの別荘まで90マイル程度らしく、その内、アンテナが建っているか、スパイをしに行ってみると言っていた。Billが、Johns Hopkins大学の学生ないし研修医だったころ、Daveは同じ大学でbusinessを学んでいた由。1960年代、BillがK4GSUだった頃からの知り合いだとのことだった。私も、60年代にAATESTで、K4GSU/8と交信した記録があるとお話しした。Billも既に70歳代の大台に乗っているはず。Daveは、今年3月で職場を解雇され、経済的に大変なのだが、無線にだけはお金を使っていると笑っていた。75A4と、Central Electronicsの200Vという送信機(?)を入手し、近くの局とラグチューするために、打ち上げ角の高いアンテナを上げ、それらの機械を用いて、楽しむ積りだとのこと。

Mike W6QUVという懐かしい局からも呼ばれた。1980年前後から、良く交信してきた友人。Sacramentoに在住だ。もう(まだと言うべきか)72歳。3つ事業を営んでいたが、2つは整理した。最後の仕事に係わっているが、セミリタイアしているとのことだ。

JA1AEA 鈴木氏の消息を尋ねられた。この10年間以上お聴きしていないと答えた。1980年代に鈴木氏がカリフォルニアを訪れたときに、夕食を一緒にとったものだが、とのことだった。鈴木氏は、「キュビカルクワッド」という単行本を書かれ、すべて自作の機械でオンエアーなさっていた、わが国で五本の指に入る優れたアマチュア無線家だ。また、信号をお聴きしたいもの。耳にしたら、よろしくとの伝言をお伝えすると約束した。

もう一人、Geo K6SGが、3年前にサイレントキーになられたことも伺った。DXとラグチューにとてもアクティブな方で、1980年代に良く交信させて頂いた方だった。少し鋭角的なキーイングが今でも耳に残っている。彼が没したことは、Mike自身か、誰かから既に聞いていた気がするが、K6SGのコールは、お孫さんが受け継ぎ、Geo愛用のTS930も、新しいK6SGのシャックにある由。

Mike自身は、丘の上に7メガのフルサイズ3エレ、それに50メガの9エレスタックを上げている様子。50メガでのDXに熱中していたが、CONDXが良くないとのこと。知り合いが余り年をとらぬ前に、一度ベイエリアを訪れたいと真剣に考えていると言ったら、是非寄るようにと言ってくださった。アンテナが良く見えるから、すぐに分かるよ、と。

どうも過去を振り返る話ばかりになってしまう・・・MerleやBill、Daveのことは何度も記したし、実際私の意識のなかでは、しばしば登場する人物なのだ。彼等の中の何人かがまだ生きておられるうちに、そして私の元気なうちに、一度米国を訪ね歩きたいと改めて考えた。

CWには、挽歌が似合うな・・・。

バグキーと戯れながら 

昨日、比較的早く自宅に戻れた。チェロを弾く元気がイマイチなく、無線機の前に座った。バグキーを使おうとしたが、短点が乱れる。ベストなセッティングから、ずれている感じだ。レバーのストローク間隔、短点の接点間隔、錘の位置、さらにはレバーの回転軸の圧まで弄くるが、安定した状態になっても、しばらくするとずれる。レバーストロークを大きくとって、振動部分が大きな振幅幅で動くようにして、多少安定したが、まだ不確実。これまで安定に動作していたものが、どうしてこのようになったのだろう。色々と調整していて、だらだらと交信を続け、時間を費やしてしまった。

バイブロのこのバグキー、しげしげと見ると、作りが大分いい加減であることに気づいた。レバーが、どうしてもベースの前後の辺と平行にならない。また、回転軸の軸受けにかなりのガタがある、等等。歴史のあるバグキーだが、このようなものかと改めて感じた。

エレキーとバグキー、それに時にはストレートキーを持ち出して、様々な方々と交信した。

Tommy W6IJは、彼が4月に甲状腺がんの手術を受ける前に交信して以来だったか。この3週間ほど、さ声が出てきてしまい、抗生物質の投与などを受けたが、良くならないので、近いうちに耳鼻科医の診察を受けることになっている、とのこと。今週末にミシガンからお孫さん達3人がやってくることになっており、にぎやかになりそうな様子だ。釣りにでかけているのか訪ねたら、サーモンを釣って満面の笑みを浮かべている画像を、すぐに送ってきてくれた。

Dave W8FGXは、結構な強さなのだが、フラッターとQRNで少し取りづらい。彼の古くからの友人Bob W8KICが、すい臓がんで亡くなったことを知らせてきた。時間が過ぎてゆき、親しい友人が去ってゆく、と。私の記録では、Bobとは1981年に交信していた。コールは聞き覚えがある程度で、頻繁にお目にかかったことはなかった。Bobは、Johns Hopkins出身だとことだったので、同窓の内科医Bill N4ARとも知り合いだったのか尋ねた。その通り、知り合いだったとの返答だった。

Chuck W7MAPが、ダラス近郊から呼んで来てくれた。ブログつながりの友人。先日、強風でアンテナが落ちてしまい、ダイポールを上げ直したらしい。彼のブログをみると、アンテナポールを固定していた大きな木が、見事に倒されている。友人との毎日のCWでのスケジュールも続けている様子。そのスケジュールはCW訓練、特に送信の訓練のためらしいが、もう訓練する必要はなさそうだけれどと言うと、いや集中力の訓練が必要なのだとのことだった。彼のブログの記事、それに交信内容ともに、何か文学的な香りが漂っている。

すでに夏至を過ぎ、あと2ヶ月もすると、空の上では秋めいてくる。

Dave W8FGX 

空のCONDXは、少し秋めいてきた。ノイズが少なくなり、7メガの夕方、北米の中部東部まで聞こえるようになってきた。昨夜、オハイオのDave W8FGXから呼ばれた。このコールでは初対面だったが、以前、K3BHJ、N3HEというコールを持っていたと聞き、旧知の方であることが分かった。最近ヴァニティコールとして、このコールを得たようだ。S8から9を振ってきている。

Daveは、後、数日で65歳になる、近いうちにリタイアをすることを考えている由。しかし、obligationがあり、リタイアをすんなりできないかもしれない、とのこと。共通の知人、Bill N4ARを数年間聞いていないが、何か知っているか、彼はまで乗馬に凝っているのかと尋ねられたので、数週間前にミシガンの別荘から出てきた彼との交信の件を話した。Daveは、その昔・・・二昔位前か・・・大きなバッグキャッチャーというモービルホイップで、とても強力な信号を車から、こちらに送り込んできた方だ。BillもDaveも、それなりに年齢を重ね、リタイアをすべき年齢に達したということか・・・私も、だが。

お盆休みに入ったので、結構長時間CQをたたき続けたが、応答が少ない。バンドは確かに開いているのだが、もしかしたら、オリンピックの試合をテレビで観ることに、皆熱中しているのかもしれない。何人かの米国のハムに、オリンピックを観ているかと実際尋ねられた。あの開会式のバブリーで、かなり愛国主義丸出しの内容に私は少し退いてしまったのだが、米国人は、あの派手な演出を結構肯定的に受け止めているようだ。

立秋を過ぎて、秋のCONDXはすぐそこ・・・また、今夜も出てみるか。その前に、急患への対応だ・・・。

旧きよき時代 

ここ数日、14メガが夜間から早朝にかけて、とても良い。昨日、早朝から、遠く大西洋に浮かぶEA9等が良く聞こえていた。日が昇り始めてから1時間前後に、こうした遠い地域への伝播がパッと開けるのに接すると、自然界の不思議さを改めて感じる。

Chirs G4BUEが呼んできてくれた。彼は、長くFOCの中枢にいて、現在もFocusというFOCの機関誌の発行に携わっている。彼との交信直前、偶然、FOCが1999年に発行した「Sixty Years of FOC(だったか)」とうタイトルのクラブ創立60年の記念誌に目を通していたので、そういえば、今年はFOC創立70周年ですね、と話を向けた。すると、彼はもうFOCの運営委員会からは離れてしまっている、というのだ。彼がクラブをひっぱっり続けていたと思っていたので、驚きだ。運営委員会には、今年中に70周年の記念行事を何か考えた方が良いのではないかと言ってはいるということだった。彼は、冬の間は、フロリダの別荘で生活することにしている。10月になったら、N4CJというコールを持つフロリダに帰ると言っていた。

今年はFOC創立70周年であると同時に、私がFOCメンバーになって20周年であることを思い出した。最近は、よくないCONDXのためもあり、FOCメンバーのアクティビティが余り高いとはいえないが、この20年間、多くのメンバーから知己を得て、得がたい交友をさせていただいてきたと思っている。主要なメンバーがいる北米やヨーロッパから遠く離れた東アジアのメンバーとして唯一できることは、アクティビティを維持することだろう。それがクラブへの恩返しになるだろうか。ビーコンだとか、半分揶揄されても(笑。

昨夜は、北米とヨーロッパに同時に開けていた。北米全体から強力に信号が飛び込んでくる様を耳にすると、一種の興奮を覚える。Al W1FJや、Jim W6YAといった顔なじみと交信したが、Bill N4ARが、ミシガンの別荘から呼んできてくれたのが昨夜のハイライト。Billは、某所の雑記にも記したが、ケンタッキーで循環器内科を専門とする医師だ。1980年代から90年代後半にかけて、あちらの時間で毎朝のように7メガに出没していた方だ。もっと旧い話としては、1960年代、彼がジョンスホプキンスという有名な医大の学生(ないしインターン)だった頃、K4GSUというコールで出ていた。オールアジアコンテストでナンバー交換をした記録が、旧いログにあった。やはりFOCのメンバーで、私がFOCに加入したころから、親しくお話をさせて頂くようになった。

ケンタッキーの自宅の大きなアンテナ群が、3週間前に吹き荒れたICE STORM(雹の類なのだろうか)で破壊されてしまった。ミシガンに来る前に7メガのビームだけは再建した、ということだった。ここ数年、夢中になっていた乗馬にはまだ凝っているのだが、無線にも復帰すると語っていた。

私が、Al相手に、仕事をそろそろ店じまいすることを考えているのだが、継承してもらう医師が今のところいないのだといったぼやきを語っていたのを聞いていたらしく、Billも同じ状況だとのこと。長く一緒に仕事をしてきた、3名の同僚がいたのだが、彼等すべてもう退職してしまい、残っているのはBillだけだ、とのことだ。誰かに仕事の後を継いでもらい、パートタイムの仕事にしたいのだが、とも仰っていた。米国では(でも、と言うべきか)、医師が病院の外来だけを受け持つ仕事につくことを好み、入院業務や救急業務までをしたがらない、ということだった。しかし、近いうちに、リタイアを考えているらしい。

1960年代の輝かしい旧きよき時代を思い起こすと言うと、確かに、輝かしい時代だったが、これからやって来る日々も良い日々になると思うよ、とのことだった。最後に、彼の年齢を尋ねたら、この6月で70歳になったそうだ・・・うむ、キーイングだけでなく、話す内容が若々しい・・・。

新しいサイクルへの期待 

そろそろ秋の気配が、7メガでも感じられるようになってきた。微弱な信号自体が浮かび上がってくることは少ないが、ノイズレベルが低くなってきた。

昨夜、Dave N3HEが、強力な信号で呼んできてくれた。QRP・ワイアーアンテナで無線を楽しむには人生は短すぎる、というフレーズをいつも口にするお方だ。30m高の2エレを使っている。シンシナチから、まるでローカル並みだ。

彼は、Google Earthというソフトで、ビッグガンのアンテナファームをのぞきまわっているらしい。Bill N4ARのアンテナも良く見えたと言っていた。Daveは、Billの若い頃からの知り合いのようだ。Billが、まだK4GSUというコールでJohns Hopkins大学の近くに借家を得て出ていた頃を覚えている。1960年代のことだ。彼(Bill)は、ハイゲインの7メガの2エレを上げていたものだ、と言っていた。

ところが、この数年間、Billは、他の趣味に気持ちが移り、殆ど無線をしなくなってしまった。こちらの夕方に、7メガで良く聞こえた彼の信号を聴くことがなくなってしまった。そのことを、Daveもよくご存知だった。

Daveの考えでは、この低い太陽黒点数から脱却し、ハイバンドが活発になってくれば、Billも含めて昔の連中が再び現れるだろう、ということだ。

Billは、むしろ7メガ以下のローバンドに興味を持っていた方なので、その説が当てはまるかどうか、とも思ったが、Billの流麗な信号を再び夕方の7メガで耳にしたいものだ。Google EarthでBillのアンテナファームが残っていることが確認されたし、その時を楽しみに待ちたい。

その後、Bob W6CYXと1029回目の交信。彼のactivityも引き続き低調の様子だ。じっとワッチしていることが多いのも変わらぬ模様だ。交信数はとても少ないらしい。私のことを時折聞いている、と言っていた。改善したCONDXによって、自分がinspireを受け、また活発に交信をするようになれると良いのだが、と言っていた。

この秋にも始まるという新しいサンスポットサイクル、昔の面々を聴くことができるようになるだろうか・・・。期待は強いが、実際のところ、五分五分かなぁ・・・あちらも、こちらも歳を重ねているから・・・。

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