理想の教師 

私の娘がバイオリンを小学校から中学校にかけて学んでいたことは以前に記した。

当初、私の家内の仕事場近くでレッスンをなさっていた先生のところに通わせていた。片道車で1時間近くかかる場所だ。レッスン当日、私が途中まで娘を車に乗せて連れて行き、途中で仕事場を一時抜け出した家内の車に受け渡す、というサーカスみたいなことをしていた。その先生は、かなり怒りっぽく、音程を間違えると、「音程!!」と大声を上げ、床を地団駄踏むのを常としていた。娘も怖がって、通うのを嫌がっていた。

どこからか、我が家の近く・・・と言っても、車で30分程度かかる・・・にお住いのS先生が良いという話を聞きつけ、そちらに変わることにした。この先生のお住まいは、家内の仕事場とは逆方向。焼き物で有名な益子の町のはずれ、小高い丘の上にある。それで、私が連れてゆくことが多くなった。S先生は、物静かに教えられる方だった。私がもっとも感心したのは、娘に教えたこと、前回のレッスンで宿題にしたことを完璧に覚えていて、その続きを教えて下さることだった。それについては何時教えたと、的確に仰る。もう一つ、新しい曲を始めるときには、その音源に当たったりせずに、まず自分で弾いてみて、どのように弾くか考えること、と教えてくださった。娘の音楽への取り組みが、借り物ではなく、自主的なものになるようにとの配慮だったのだろう。教師・弟子関係が、知識・経験の切り売りではなく、人間関係を基にして教えてくださる関係なのだ。そして、感情的になり怒ったり決してしない代わりに、ほとんど褒めることもしない。褒めるのは、それに値するだけの成果を収めたときだけ。稀に褒められることがあると、娘は本当に嬉しそうだった。これほど素晴らしい教師は、バイオリンレッスン以外でもお目にかかったことはない。

私が、当初、娘の自宅での練習をみていた。おそらく、それが厳しすぎたのだろうか。娘は思春期になるに従い、バイオリンへの情熱は徐々にフェードアウトしてしまった。それに、反抗期と受験が重なり、中学3年生の夏にはS先生のところに通うことを辞めてしまった。S先生は、淡々と、その申し出を受けて下さり、また弾きたくなったら弾くようにと仰ってくださった。そして、レッスンを終える記念にと、CDを二つ下さった。片一方は、ディヌ リパッティの演奏を収めたものだった。ショパンの協奏曲だったか・・・。いかにも音楽を愛していることが分かるCDだった。音楽を愛し続けるようにとの、S先生の思いやりがこもったプレゼントだった。

S先生のところに娘が通っていたころ、練習していた曲の一つ。ベリオ「バレーの情景」。S先生が、最初のアレグロのところは、これから幕があくところなのよ・・・と曲の説明を娘にしてくださっていた様子が昨日のことのように思い起こされる。Adagio cantabileの部分、下降音型の短調の旋律を聴くと、懐かしさで一杯になる。

ブラームス 二重協奏曲 その2 

以前この曲について記したが、モルク等の演奏の画像がどうもYoutubeから削除されてしまったらしい。こちら。

昨夜、ネットサーフィンしていて、この演奏にたまたま出会った。バイオリンは有名なピンカス ズッカーマン。チェロはアマンダ フォリスという方のようだが、未知のチェリスト。ネットで調べると、お二人はご夫婦のようだ。この曲自体が熱い曲なのだが、この演奏はとくに熱い。とくにフォリス女史のチェロ。録音の仕方もあるのだろうが、男性的な力強さを感じさせる。彼女の上腕から肩にかけての筋肉・・・まるでアスリートである。これでは、プライベートでも奥様がリードしているのだろうな、と余計なことを考えつつ、全楽章を聴きとおした。KBSのオケも若々しく、エネルギッシュ。ブラームスの作品は、熱いだけでなく、内面の陰影が深く刻まれている作品が多く、東アジアの人々が共感しやすいのだろうか・・・。この曲も、我が国のオケでも結構演奏される曲だ。

母校オケ第百回定演 マーラー五番他 

母校のオケの定演に行ってきた。錦糸町のスミダトリフォニーホール。まったく交通渋滞はなくても、ドアトゥドアで2時間ちょっとかかる。数年前まで、谷和原の近くのオケに毎週末通い、さらに室内楽の練習に月一回程度上京していた。あのころからすると、活動範囲、活動の頻度がだいぶ狭く、かつ減った。

スミダトリフォニーは、かってアンサンブルの練習に一度行っただけ。向島のランプから数kmのところにある。駐車場も難なく見つかった。30、40年前に比べて、こぎれいな街並みになっているが、人と車が当時より減っている印象。

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スミダトリフォニーの入口もすぐ見つかる。前回来てからもう10数年になる。それにしても、暑い。真夏のよう。

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プロのオケや、アンサンブルを聞きに来ることはめったになくなった。この出身大学のオケだけは、足が向かう。演目も興味を持たせる理由だが、やはり自分が学生時代を過ごしたオケに郷愁を覚えるのが惹きつけられる理由か。このオケ、今の学生たちがどのように運営し、演奏しているのだろうか、という関心。自分の過去をオーバーラップさせているのだろう。

演目は、ショスタコの祝典序曲、ハチャトリアンの仮装舞踏会、それにマーラーの5番。今回が第百回の定演だそうだ。私がこのオケに乗った1970年代は三十回台だったか・・・(パンフにちゃんと歴史が載っていた。第一回が1963年、1970年代は10数回に相当するようだ・・・私は、生きた化石みたいなものだ)。よく継続してきたものだ。そして、マラ5を演奏するほどの規模と実力を備えたオケに成長した・・・オケのメンバーは数年で全員入れ替わるし、実際上、東京理科大、東大、芸大、明治大、上智大等の他大学のメンバーも2,3割おり(インカレオケ状態)、このオケ固有のの伝統が形成されるということはないのかもしれない。すくなくとも形而下的な意味合いでは。でも、練習の仕方や、複数大学の学生からメンバーが構成されることなど形而上的な意味での伝統はできているのかもしれない。医学部生が少なく、歯学部生はより少ない。皆忙しいのか・・・。

ショスタコの曲は初めて聞く。金管の咆哮。クライマックス近く、金管の各パート数名ずつが、パイプオルガンの前にすっと現れ、最後の盛り上がりを演出。仮面舞踏会も金管の活躍が目立つ。2楽章はコンマスのどソロ。もう少し艶っぽさがあったらと思ったが、正確な音程と技術で聴かせた。マラ5は、冒頭のトランペット、ぞくぞくさせられた。華奢な女性奏者だったが、線の太い立派なソロ。チェロのソリが多いことに改めて気づいた。1楽章の第一主題始め、好演。終楽章は、それまでの深刻さから距離を置いた軽快な楽章で、なくても良いなと以前から思っていたが、やはりこれはこれで良いのかもしれない。アダージェットで終わるのもありではないか・・・などと思いつつ、全楽章を楽しませて頂いた。

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管のトレーナーは、私たちの時と同じ方だったが、指揮者はじめ他のトレーナーはすべて交代している。

終演後、指揮者の方が、第百回定演であることを説明しておられた。聴衆の入りも素晴らしく、空席は殆どなし。年配の方は少なく、大多数は学生か、20歳台の方々。私の同期の面々はOBオケに行っているのか・・・。

また、機会があれば、このオケの定演に足を運びたいものだ。





伊藤弦楽器工房再訪 

いつも用いている弓のラックアンドピニオンが「バカ」になってしまった。後で下記の伊藤さんに尋ねると、無理に回した際に金属が削れて、その削りかすがさらにネジを痛める、という悪循環が生じるらしい。この10数年酷使してきた弓なので、それもあるのだろう。何はともあれ、チェロの主治医である桐生の伊藤バイオリン伊藤さんに見て頂くことにした。二日前、50号線を西に走り、彼の工房を訪ねた。我が家の庭で収穫したばかりのイチゴ、それに途中の道の駅で仕入れた野菜をお土産に・・・。

人通りの少ない桐生の街並み、メインの通りから南に入った通り沿いに彼の工房がある。いつも通り、彼の工房に入ると、時間が止まったかのような錯覚に陥る。楽器に向かい合う静かな空間だ。

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昨秋、弦楽器フェアに出品したという楽器が架けられていた。これまでの、カントゥーシャスタイルではなく、ストラディバリウスモデルでオールドフィニッシュの楽器。たまたま、彼が以前に作ったというカントゥーシャスタイルのモデルが調整に来ていたので、両者を並べて下さった。オールドフィニッシュの楽器は二作目だそうだ。

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向かって左がストラドモデル、右がカントゥーシャモデル。カントゥーシャモデルは、彫が深く、優美な外観。ストラドモデルは、ある種の惹きつけられる雰囲気を醸し出している。楽器を見た瞬間に魅入られるような作品を作ってみたい、そのためには、カントゥーシャモデルに拘らずに、いろいろとチャレンジしてみたいとのことだった。彼もまだ40歳前、これからも自分のスタイルを探求する道を歩んでゆくのだろう。

昨年は仕事の依頼が多かったのだが、今年はかなり落ちついた由。楽器製作に時間を費やすこともできるのだろうが、でも仕事を変えることも考えたこともある、と正直に言ってくださった。お二人の幼いお子さんもおり、生活は厳しいのではないだろうか・・・本棚を見ると、トックヴィルの平等と不平等に関する本が、楽器・音楽の書物に並べてあった。このご時世、音楽に本当に没頭しようという方が少なくなった、と述べておられた。佐々木朗氏の工房で、弟子としてトレーニングをなさっているころ、もうすぐ20年前ということになるか、そのころから存じ上げているので、しっかり実力をつけ、研鑽を積み続けておられることを良く知っているので、彼はきっと楽器製作者として大成されることを確信している。桐生市近辺で弦楽器を嗜まれる方には、彼の工房はお勧めである。

私の予備の楽器をこの数年全く触れることがなくなってしまったので、彼にメンテして頂いた上、その楽器を活用してくださる方にお譲りする仲介を取ってくださるようにお願いした。帰宅後、その楽器を見ると、20年弱前に入手し、その後大いに楽しませて頂いた楽器なので、別れがたくもあるが、このまま死蔵するのは勿体ない・・・。

予備の弓のサムグリップが、指先があたるために一部欠けてしまったので、話をしている間に修理して頂いた。皮を上手にパッチして、きれいに仕上がった。費用が800円とのこと・・・。

彼とは年に一度か二度お目にかかるだけだが、どのように仕事を進めておられるのかお聞きし、またこちらの疑問にも丁寧に答えて下さる。得難い知己である。

アラン ドロン引退 

昨日、アラン ドロンが引退することにしたというニュースを耳にした。81歳だそうだ。別に彼のファンでも何でもないのだが、彼の名前を聞くと、映画「太陽がいっぱい」を思い出す。浪人時代に池袋の映画館で観たのだったか。最後のシーンが鮮烈な印象を残した。ニーノ ロータの主題曲が、甘さと苦さ、切なさをないまぜにしたような印象だった。



この曲は、中学1年か2年頃、自作のアンプ:スピーカーで聞いた。映画音楽のソノシートに収められていた一曲。アンプは6BM8という三極管・五極管の複合真空管を用いたもの。一応ステレオだが、もちろん、同管シングル。スピーカーは、ラワン材で作ったバスレフ・・今考えると、隙間だらけのボックスだった。スピーカーは当時のナショナルのコアキシャル 2wayスピーカー。小遣いの乏しい中学生にしては大分気合を入れたものだった。中学校の文化祭に出品し、校長先生にワルツを聞いていただいた。3,4m離れたところに座り、グランドの方をじっと見ながら、耳を傾けて下さった。

やがて、映画音楽だけでは物足らなくなり、これまたなけなしの所持金を叩いて、ベルリオーズの幻想交響曲のLPを手に入れた。小澤征爾がモントリオール響を振った演奏。1楽章の冒頭の夢見るような旋律が懐かしい。小澤もばりばりの若手で、瑞々しい演奏だったような気がする・・・といっても、当時はこれしか聞けなかった。レコードは高価なこともあり、あまり入手できず、その内、無線が音楽にとって代わったわけだ。だが、やがて大学に入学し、迷った挙句オケに入ることに決めた理由の一つは、中学時代に映画音楽からクラシックに首を突っ込んだことだったのではないだろうか。このサイトウキネンを振った小澤はだいぶ枯れてきているような・・・。



「太陽がいっぱい」と同時期にソノシートで聞いた、「さよならをもう一度」の主題曲が、ブラ3の3楽章の主題を借用したものであることは、オケに入ってから気が付いた。私は舞台に乗らなかったのだが、大学オケ最初の定期演奏会がブラ3だった。懐かしさが二重になって迫ってくる。この演奏はYoutubeでたまたま見つけたものだが、ゆったりとしたテンポで歌う演奏だ。当時の大学オケもこんな感じだったようがおぼろげな記憶・・・。



というわけで、アラン ドロンが引退と聞いて、また一つ時代が終わったと感じたことだ。

新作かオールドか 

古い楽器、そのなかのごく一部の市場価値の高いオールドと呼ばれる楽器と、新作楽器との比較はよく論じられ、また実際ブラインドで比較もされる。下記の記事は、ストラディバリウスのバイオリンを、新作と弾き比べたら、新作楽器の方を聴衆は好んだというもの。ストラディバリウスが負けた、というところにニュース性があるのだろう。

こうした比較は、様々な条件で違ってくる。また、あくまで聴衆の側からの比較だ。そして、気に入るかどうかは相対的、主観的なものだ。あぁ、こうした結果になったのかと受け止める程度だ。

古い楽器と新作楽器の比較について、納得できる説明は、楽器製作者の佐々木朗氏のこちらの文章だろう。健康な状態とリーズナブルな値段を新作に求めるか、質感と演奏しやすさをオールドの楽器に求めるかの違いだ。新作に目立つ、強調された高音域は、弾くうえで結構気になることもある。また、発音のし易さもオールドの楽器のメリットだ。だが、佐々木氏が別なところで記しておられるが、楽器の基本性能は制作された時点で決まるもののようで、弾きこむことで大幅に良くなるということはなさそう。

私も、一頃、良い楽器を求めて、楽器屋巡りを繰り返したことがあった。現在使用中のイタリア製の新作を手に入れて、9年くらいになるか。当初気に入っていた、中音域の中抜けのする(ように感じていた)音質も、う~んどうなんだろうと思えるようになってきたし、作りの点でもドイツ製にみられる「彫の深さ」にちょっと欠けるし、段々古女房みたいになってきた。だが、2011年の震災で、楽器の上にテレビや本が落ちてきたのに、奇跡的に大きな破損を受けずに助かったこともあり、これからも、古い楽器に目をくらませられることなく、この楽器一本で行くつもりだ。楽器に、演奏者の腕が頼りないと言われることのないように。普段楽器のメンテでお世話になっている、桐生市の伊藤丈晃氏には、製作精度が高い楽器だと言っていただいた。これを、次の世代に受け渡すことができるようにと念願している。それまでの期間、しばらくは相手をしていただこう・・・。

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以下、引用~~~

ストラディバリウス負けた!聴衆は現代製に軍配


2017年05月09日 07時39分 読売新聞
ストラディバリウス負けた!聴衆は現代製に軍配

 【ワシントン=三井誠】数億円の値段がつくバイオリンの名器「ストラディバリウス」と、現代のバイオリンの演奏を聴衆に聞かせると、聴衆は現代のバイオリンの方を好むとする実験結果を、仏パリ大などの研究チームがまとめた。

 論文が近く、米科学アカデミー紀要に掲載される。

 このチームは5年前、ストラディバリウスと現代の楽器を弾いた演奏家でも、音の評価に大きな差がなかったとする研究を同紀要で発表している。チームは今回の研究で「バイオリンの作製技術が上がったのか、あるいは一般に信じられているほどの音色の違いがなかったのかもしれない」とコメントしている。

 実験は、パリ郊外と米ニューヨークのコンサートホールで、音楽の批評家や作曲家などを含む聴衆計137人の前で行った。ストラディバリウス3丁と現代のバイオリン3丁を、演奏者にはどちらのバイオリンかわからないようにしてソロで弾いてもらい、どちらの音色がよく響くかなどを、聴衆が評価した。

アマチュアオケの求人サイトFreudeの編集者逝く 

7K4QOK/JR2BNF中村氏が昨年12月8日に急逝なさっていたことを、JE1CKA氏のブログで知った。57歳の若さだった。

中村氏とは個人的には面識はなかったのだが、アマチュアオケのためのサイトFreudeで何度かお世話になったことがあった。アマチュアオケのためのサイトとしては、結構古い歴史を持つサイトで、メンバー募集、応募のために利用させていただいたことがあった。2週間に一度程度定期的にアップデートを続けてこられた。クラシック界でアマチュア演奏者の裾野を広げるために果たした功績は大きなものがあった。

12月上旬以降、アップデートがなされていなかったので、何かあったのかとは思っていたが、中村氏ご自身が急逝なさっていたことは、残念極まることだ。彼自身チェロを演奏されるとどこかで聞いた。これで、彼のチェロも、またactiveであったRTTYの信号も聞かれることはなくなった。Freudeもその役目を終えることになるのだろう。彼のご冥福をお祈りしたい。

『魔笛』公演 1977 お茶の水女子大学 徽音堂 

あれから40年が経った・・・大学時代、オケの有志が、お茶の水大学音楽科3年の演ずるオペラ「魔笛」のためにオケを組み、伴奏した。時は1977年11月同大学の学園祭「徽音祭」。場所は同大学、徽音堂。

伴奏オケを編成する、すなわち奏者を招聘するのは、音楽科の学生たち。そのオケに呼ばれるのは、一種のステータスだったので、夏休み前後になると、声がかかるかと内心心待ちにしていた(笑。これは、私が大学オケのチェロのトップを弾いた年だったか・・・。夏休み後、週一回程度の練習を数回行い、本番に臨んだ。歌い手たちの多くは顔見知りで、彼女たちの歌いっぷりに感心をしながら、オケピットで弾いたのを思い出す。もっとも、男性のパートは、かなり無理があったが・・・。アドリブできわどいセリフが出てくるので、つい聞く方に集中してしまい、出そこなったこともあったような気がする。例の「夜の女王のアリア」を歌った方は、その後NHKの歌のお姉さんをしばらく務めていたような記憶がある。オペラは苦手で、「魔笛」もちゃんと見たこと、聴いたことがないのだが、最後の方で、和解の四重唱があった記憶がある。すばらしい響きだった。

お茶の水女子大のキャンパスは、オケの練習で毎週末定期的に訪れていた。以前のポストにも記したが、女子大といっても、男子学生が目立つ。週末のクラブ活動のために他大学からやってきた学生だったのだろう。正面玄関を入ると、100m前後先方に、古めかしい建物が見える。そこが徽音堂だ。木製の内装で、音響効果が素晴らしい。響きすぎるでもなく、ちょうどよい音量のあたたかな残響が心地よかった。

こんな下らぬ思い出話を記そうと思ったのは、その「魔笛」のプログラムが、書庫から偶然出てきたためだ。オケ奏者や歌い手の名が懐かしい。このプログラム、実物はこの画像の半分以下のサイズなのだが、細密画の出来がすばらしい。学生が描いたものだろう。現代のPCで作成されるプログラムとは違い、ここにも暖かみがある。この演奏会に出演した人々、みな還暦を過ぎているはずだ。元気にしているだろうか・・・。

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お茶の水女子大を紹介するヴィデオクリップ。最初の方に、徽音堂が出てくる。これは戦前からの建物なのではないだろうか。このエントランスの両側にそびえる銀杏の木。当時から聳え立っていたが、ますます立派になった。ぜひ、徽音堂、この銀杏ともに、これからも長く生き延びてもらいたいものだ。

ピアソラ 「ブエノスアイレスの四季」から「冬」 

以前記したかと思っていたが・・・ピアソラは、アルゼンチンタンゴから出発し、ヨーロッパで音楽を学び、活躍の場を北米に得た作曲家だ。アイデンティティをタンゴにおきながらも、その作品は人のこころに直截に訴えかける、いわばコスモポリタンの作品になっている。歴史に名を遺す作曲家だ。

「ブエノスアイレスの四季」から、「冬」。冬の憂愁と熱い思いが、伝わってくる。

フォーレ 弦楽四重奏曲作品121 

フォーレの最晩年の傑作、弦楽四重奏曲作品121。大学に入り、オケ活動を始めたころに良く聴いた。コンクリートがむき出しの壁に囲まれた、二人部屋。入口の両脇に、山水のスピーカーを置いて、FMから流れる音楽、LPそれにFMを録音したものを、夜になると流していた。この曲もそうしたものの一つだったようが気がする。夜の帳が下り、廊下から時々、談笑する声が聞こえてくる。同室だったK君とたわいもない会話を続け、そのうち、眠りに落ちてゆく。そこでかけられた曲だった。

フォーレは、晩年になるまで、彼の前にそびえる大いなる山々のようなベートーベンの弦楽四重奏群を超えることはできないと、このジャンルの作曲はしなかったらしい。だが、最晩年の一年間をかけて、この曲を書く。美しい旋律の織り成す流れが、その特質だ。ベートーベン後期の弦楽四重奏群と同じように、虚飾や、誇張等が全くない。自由な精神の躍動がある。その点で、ベートーベン後期の弦楽四重奏曲の後を継ぎ、さらに発展させた、と言えるのかもしれない。

以前にも記したが、フォーレは、高音域は低く、低音域が高く聞こえるという聴覚異常を、晩年患った。この曲の試奏も、その理由で断ったらしい。彼の精神のなかで生まれ、純化された音楽ということだ。そうした状況で、これほど高邁な音楽を作れるということは、彼の天才があって可能になったことだろうが、それでもさまざまな機能が徐々に奪われる晩年にあっても、我々はなにごとかを経験し、作りあげることができることを示しているのではないだろうか。

この曲を聴くたびに、あの四方形のコンクリートの箱のような寮の部屋、夜の静けさを思い起こす。