音楽体験の旅 

北海道の知り合いの方が、facebookにアップしてくださったyoutube clip。バレンボイムが、音楽の聴き方について語っている。こちら。

彼の言葉で印象に残ったのは、音楽には喜びと悲しみがともにある、そして音楽に能動的に関わることが音楽の喜びを自分のものにするうえで必要なことという内容のことを述べた下りだ。

音楽とは何か、その喜びとは何かという疑問には、様々な側面があり、回答は複数あるのだろう。だが、少なくとも、音楽が情動の深い部分に作用し、そこでは喜びと悲しみが表裏一体、ないし混然となっているように思える。そこに到達するのには、聴く側が、聴くことに集中することが必要なのだろう。

副次的に、その音楽を最初に聴いたときのこと、聴いて特に印象に残った状況等が思い起こされる。情動と深いかかわりがあるので、記憶に残りやすいという消息もあるのかもしれない。音楽を聴いて、その思い出に浸ることも決して邪道なことではない。音楽の与えてくれる喜びの一つだろう。

最近、倉田澄子女史が、トルトリエのマスタークラスで演奏しているyoutube画像に巡り合った。こちら。彼女が30歳の時。ということは1975年。その少しあと、私は上野の文化会館で、彼女が弾くシューマンの協奏曲を聴き、いたく感激したのだった。背筋に電気が走るような感動に襲われたのだ。感動を受けた音楽の思い出にいつもあることだが、その時の状況を昨日のことのように思い出す。

そのマスタークラスでの倉田女史、力強い集中した演奏を聞かせる。トルトリエが男性的な演奏と評しているが、その通りだと思う。倉田女史の演奏音源は多くないのだが、フォーレのソナタ二曲を収めたCDを良く聴く。トルトリエと音楽表現の語法が似ている。むしろトルトリエよりも男性的なほどの力強さ、線の太さである。

バレンボイムの言葉を思い起こしつつ、音楽体験の旅を続けよう。

礒山雅教授が事故に遭われた 

礒山雅氏、というよりも礒山雅教授と呼ぶ方がしっくりくる・・・彼は、バッハ等の研究者で、多くの優れた著作、翻訳書を記している。長く国立音大の教授を務め、数年前には音楽学会の会長でもあられた。音楽を専攻する学生、そして音楽愛好家に対して、教育・啓蒙活動を続けた来られた方でもある。

彼が、昨年夏に、ブログで学位論文について言及なさっていたので、学生を指導して学位を取らせるのかと思っていた。が、ご本人の学位論文であることが分かり驚いたことだった。2月6日が、その審査の日であることを、ブログに記しておられた。

ところが、1月下旬以降、ブログがパタッと更新されなくなった。ブログのコメント欄で、彼のことを良く知る方が、彼がどこかで転倒し入院なさったという情報を上げられた。事故に遭われた日が、学位審査の翌日7日であったという。情報はそれだけしかないので、ただただ彼の快癒を祈るばかりである。

以前にも紹介したと思うが、彼はブログにおいて、平易な言葉で音楽の奥深い消息を語り、また日常のありふれたことを軽妙洒脱に記されていた。ブログはこちら。彼のブログを、私は以前から定期的に訪れていた。3年前だったか、富山で地域のオケ、合唱団がマタイを演奏する、そして彼がその演奏会に関わっているということを知り、その音楽会に駆けつけたのも、そのブログで情報を得たからであった。その旅行、音楽会については以前このブログに記した。

今回の出来事に接して感じたこと・・・

彼は、学位論文をものにしようと思えば、以前から、論文を上梓し学位をとるだけの学識は十分持ち合わせていた。今回の論文は、ヨハネ受難曲についてのものらしいが、本来その仕事は、単行本として出版することを企画しておられたのではないかと思う。仕事も一段落し、単行本以外に学位論文として提出することも併せて考えられたのだろう。恐らく、彼の名作「マタイ受難曲」と双璧をなす書物になるはずである。そうした事情であったとしても、70歳台半ばで学位論文を上梓しようという気力には脱帽だ。学位審査を担当するのは、きっと彼の教え子、または教え子と同じ年代の方々だったのではないか、と思う。

もう一つ、学位審査の翌日、この事故にお遭いになったということも強い印象に残る。まさに「神与え、奪い給う」という厳粛な事実なのではないだろうか。彼には是非回復して頂き、また活発な評論活動を続けて頂きたいものだと思うが、人生の一つの集大成を成し遂げた直後にこうした大きな事故に見舞われたという事実の厳粛さに、身が引き締まる思いだ。自分自身と、彼のような碩学の学者と比べるのもおこがましいが、私自身にもいつ同じような運命が訪れるかも分からない。それを自覚せよ、ということなのではないかと思った。

バロック、バッハそして宗教音楽、否音楽そのものに関心を持たれる方には、彼の「マタイ受難曲」はお勧めだ。

追伸;礒山教授のお名前を訂正いたしました。ご指摘をありがとうございました。

武満徹 22回忌 

今月22日は、武満徹の22回忌だ。

彼の死の直後にNHKが放映した、追悼番組を改めて観た。こちら。この番組をリアルタイムで視聴したうっすらとした記憶があるのだが、高名な作曲家が亡くなられたのか、という感想しか思い出せない。だが、番組の最後で、キャスターを務めた立花隆が突然嗚咽をし始めたことは鮮烈な記憶として残っている。

死ぬ二日前、雪がしんしんと降りしきっていた。入院していた武満は、奥様を気遣い、家に戻るように促す。その夜、彼は、ラジオで放送されたマタイ受難曲を聴く。それはたまたまの偶然の出来事だった。雪が降り続ける静かな夜、武満は一人で静かにマタイ受難曲を聴いたのだ。翌日、「マタイはやはり素晴らしい」と感想を奥様に改めて述べた。生前、武満は、マタイ受難曲、とりわけあの有名なアルトのアリア「Er barme dich」を愛好していた。

このエピソードを紹介する下りで、立花隆は涙をこらえきれなかったのだ。死と生を、二項対立ではなく、互いに寄り添うもの、両者が合い混ぜになった薄暮のなかを我々は生きるというようにとらえていた武満。その武満が亡くなったということへの限りない哀惜の念が思わず吐露された場面だった。

武満は、純音楽から映画音楽まで幅広いジャンルの作品を残した。「死んだ男の残したものは」という作品がある。武満は、この作品を愛染かつらのように口ずさんでほしいと、作詞者の谷川俊太郎に語っていた、とか。この歌は、元来ベトナム戦争に対する反戦歌として作詞作曲されたようだが、平凡な人生を送り、生を終えようとする人々・・・私もその一人だが・・・に対する挽歌のように思える。それを以前のポスト・・・11年前になる・・・に記した。こちら。

「死んだ男ののこしたものは」。

武満が残してくれたものを改めて思い返しつつ、彼の22回忌を迎えたい。

Carmel Impresariosの著者とのやり取り 

以前、「Carmel Impresarios]という本を、このブログで紹介した。こちら。

カリフォルニア、サンフランシスコ近郊のリゾート地、カーメルで、毎夏、カーメルバッハフェスティバルという音楽祭が開催される。その歴史、同地域の歴史、それにアメリカのクラシック音楽活動の歴史を概観する力作だ。

この本を読んで、いくつか誤植の類があることが気になっていた。一応、校正を一覧にして、著者に送ろうと考えていたが、同書を紹介してくれたBob W6CYXが、それは要らないのではないかと言ってきたので、その一覧は、PCのファイルとして眠っていた。だが、やはりせっかく作ったのだから、参考のためにお送りした方が良いだろうと考え・・・さもないと、このPCのHDがクラッシュすると、大げさに言えばこの世から無くなる・・・昨日、メールに貼付してお送りした。

著者のDavid Gordonは、早速丁寧な返事を下さった。本を読んでくれてとても有難い、この本は2014年に初版を出版した、同年7月のバッハフェスティバルに間に合わせるために急いで出版した、一応試読をしたのだが、多くの誤植があることに初版出版後気づき、2015年に第二版を出した、私が指摘した点、三つはまだ訂正されていない誤りだったので、次の版で訂正しコメントに私の指摘について記したい、とのことだった。とても喜んで下さった様子が、文面から伝わってきて、メールをお送りして良かったと改めて思った。

たった3年前のことだが、毎夜、楽しみに読み進めた本、その改訂に少しでも力にならたとしたら望外の幸せだとDavidに書き送ることにしよう。

Turina ピアノ四重奏曲イ短調 

この曲を演奏している団体、Camerata Pacificaは、カリフォルニア州サンタバーバラに本拠を置く室内楽を演奏する音楽家たちの集団。このチェリストが、アンサンブルの中心で音楽を作り出している。

サンタバーバラは、太平洋に面する美しぃリゾート地。そう、Merle K6DC、それにW6GTI、W6THN等がかって住んでいた町だ。

この曲を作曲したTurinaは、前世紀の前半に活躍したスペインの作曲家。フランスで音楽教育を受け、フランス近代の作曲家たちから大きな影響を受けた。しかし、スペインの民族音楽を音楽の核として、この曲のように美しいユニバーサルな音楽を作曲した。

この曲は、イ短調という悲しみの調性でありながら、晴れ渡った青空を思わせる音楽だ。弦がユニゾンで動くことが多い。時に、単一の弦楽器が、recitative風に旋律を奏でる。まるで独白しているかのようだ。そして、そこかしこに、洒脱な旋律と旋律の受け渡しを聴くことができる。この1楽章の終わり方なぞ、あっと思わせる。繊細さと、親密さが全曲を通して流れている。

帳の降りた夜、ワインを片手に、耳を傾けるのに格好の音楽。こちら。

Merleや、他の友人も、すでに亡くなってしまった。

チェロについてのニッチな観察 

チェロの話・・・

チューナーを用いて、音程を確認するようになって、ある現象に気づいた・・・もしかすると、良く知られていることなのかもしれないが・・・。

C線の開放弦をフォルテで弾くとき、弾いている間わずかに音程が高くなる(Δf1)。これはわずか。そして、弾き終わった直後、音程が下がる(Δf2)。先の音程が高くなる偏位より、低くなる偏位の方が大きい。耳を凝らして聴くと、音色の変化として、チューナーの示す音程の変化を感じることができるように思える。

他の弦でもありそうだが、目立たない。

私の使っている弦特有の現象ではなさそう・・・確認はしていないが・・・。

直観的に、弦に加わる張力の変化が関係するのではないか、と思った。で、弦の共振周波数について調べた・・・

http://wakariyasui.sakura.ne.jp/p/wave/koyuu/genn.html

確かに、張力Sの平方根√Sが共振周波数と比例する。当然のことながら、弦の長さlも比例する。

フォルテで弾く際に、弓で弦が引っ張られて、張力が上昇する。それによってΔf1が生じる。その際に、わずかながら弦の長さが増加する。その後、弓が弦から離れて、引っ張る力が消失しても、数分の一秒間、弦の伸びは継続する(それは、張力の下降も生じる)。この変化がΔf2を生じる。その後、定常状態に戻る。

張力の変化と、弦長の変化は、音程に関して互いに相殺するように働くが、張力の変化の方が優っている(大きい)。 そのために、Δf1<Δf2 となるのだろう。

ということなのか、と考えた。張力の変化はまず間違いないが、弦長の変化が起きるのかどうか、それが弓によるドライブが終わった後にも、一定時間残るのかどうかは、私の想像。弦の張力と、長さを実測すれば良いわけだが、そう簡単にはできそうにない・・・。

さらに、音程の変化というよりも、音色の変化と感じられるのは、私の耳の問題なのか、それとも実際高調波の変化が起きているのかは分からない。また、高い弦でも同じ現象が起きるはずなのだが、ほとんど実測できない。それは、C線が構造的に伸びやすいためなのか、何らかの理由で張力の変化が起きやすいのか、不明。

ここまでは、あまり大したことのない考察だが、「Δf2の大きさが、弦のヘタリ具合を反映する」ということはどうも言えそうである。金属は力が加わり続けると、弾性の変形から、塑性の変形を生じるようになる(と、材料力学か何かで学んだ古い記憶・・・)。ヘタリは、弦の弾性が失われて行く過程なのだろうから、この観察は正しいと言えるのではないだろうか。

2か月ほど前に、同じモデルの弦に張り替えたのだが、新しい弦に変えることによって、Δf2の絶対値が小さくなった。逆に言うと、Δf2が大きくなったら、弦がヘタって来たことを意味するのかもしれない。弦のヘタリ具合は、「音に張りがなくなる」ことで判断していたが、もしかすると、このΔf2の大きさで判断できるかもしれない。

ヘタリ具合が眼で確認できると、便利なような、気にしてしまって不便なような・・・。

録画しようかとも思ったが、面倒なので、興味を持たれた方は追試なさってみて頂きたい・・・それとも、これは常識の範囲のことなのか?

追記;C線でフォルテの音を出すときに、弓で弦を押し付けるよりも、弓の早さを増す、弓を駒よりに置くことの方が、音楽的にも良いと言えるのかもしれない・・・もちろん、弓で圧力を加える奏法も必要なのだが・・・。

ブラームス 二重協奏曲 その2 

以前この曲について記したが、モルク等の演奏の画像がどうもYoutubeから削除されてしまったらしい。こちら。

昨夜、ネットサーフィンしていて、この演奏にたまたま出会った。バイオリンは有名なピンカス ズッカーマン。チェロはアマンダ フォリスという方のようだが、未知のチェリスト。ネットで調べると、お二人はご夫婦のようだ。この曲自体が熱い曲なのだが、この演奏はとくに熱い。とくにフォリス女史のチェロ。録音の仕方もあるのだろうが、男性的な力強さを感じさせる。彼女の上腕から肩にかけての筋肉・・・まるでアスリートである。これでは、プライベートでも奥様がリードしているのだろうな、と余計なことを考えつつ、全楽章を聴きとおした。KBSのオケも若々しく、エネルギッシュ。ブラームスの作品は、熱いだけでなく、内面の陰影が深く刻まれている作品が多く、東アジアの人々が共感しやすいのだろうか・・・。この曲も、我が国のオケでも結構演奏される曲だ。

母校オケ第百回定演 マーラー五番他 

母校のオケの定演に行ってきた。錦糸町のスミダトリフォニーホール。まったく交通渋滞はなくても、ドアトゥドアで2時間ちょっとかかる。数年前まで、谷和原の近くのオケに毎週末通い、さらに室内楽の練習に月一回程度上京していた。あのころからすると、活動範囲、活動の頻度がだいぶ狭く、かつ減った。

スミダトリフォニーは、かってアンサンブルの練習に一度行っただけ。向島のランプから数kmのところにある。駐車場も難なく見つかった。30、40年前に比べて、こぎれいな街並みになっているが、人と車が当時より減っている印象。

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スミダトリフォニーの入口もすぐ見つかる。前回来てからもう10数年になる。それにしても、暑い。真夏のよう。

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プロのオケや、アンサンブルを聞きに来ることはめったになくなった。この出身大学のオケだけは、足が向かう。演目も興味を持たせる理由だが、やはり自分が学生時代を過ごしたオケに郷愁を覚えるのが惹きつけられる理由か。このオケ、今の学生たちがどのように運営し、演奏しているのだろうか、という関心。自分の過去をオーバーラップさせているのだろう。

演目は、ショスタコの祝典序曲、ハチャトリアンの仮装舞踏会、それにマーラーの5番。今回が第百回の定演だそうだ。私がこのオケに乗った1970年代は三十回台だったか・・・(パンフにちゃんと歴史が載っていた。第一回が1963年、1970年代は10数回に相当するようだ・・・私は、生きた化石みたいなものだ)。よく継続してきたものだ。そして、マラ5を演奏するほどの規模と実力を備えたオケに成長した・・・オケのメンバーは数年で全員入れ替わるし、実際上、東京理科大、東大、芸大、明治大、上智大等の他大学のメンバーも2,3割おり(インカレオケ状態)、このオケ固有のの伝統が形成されるということはないのかもしれない。すくなくとも形而下的な意味合いでは。でも、練習の仕方や、複数大学の学生からメンバーが構成されることなど形而上的な意味での伝統はできているのかもしれない。医学部生が少なく、歯学部生はより少ない。皆忙しいのか・・・。

ショスタコの曲は初めて聞く。金管の咆哮。クライマックス近く、金管の各パート数名ずつが、パイプオルガンの前にすっと現れ、最後の盛り上がりを演出。仮面舞踏会も金管の活躍が目立つ。2楽章はコンマスのどソロ。もう少し艶っぽさがあったらと思ったが、正確な音程と技術で聴かせた。マラ5は、冒頭のトランペット、ぞくぞくさせられた。華奢な女性奏者だったが、線の太い立派なソロ。チェロのソリが多いことに改めて気づいた。1楽章の第一主題始め、好演。終楽章は、それまでの深刻さから距離を置いた軽快な楽章で、なくても良いなと以前から思っていたが、やはりこれはこれで良いのかもしれない。アダージェットで終わるのもありではないか・・・などと思いつつ、全楽章を楽しませて頂いた。

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管のトレーナーは、私たちの時と同じ方だったが、指揮者はじめ他のトレーナーはすべて交代している。

終演後、指揮者の方が、第百回定演であることを説明しておられた。聴衆の入りも素晴らしく、空席は殆どなし。年配の方は少なく、大多数は学生か、20歳台の方々。私の同期の面々はOBオケに行っているのか・・・。

また、機会があれば、このオケの定演に足を運びたいものだ。





伊藤弦楽器工房再訪 

いつも用いている弓のラックアンドピニオンが「バカ」になってしまった。後で下記の伊藤さんに尋ねると、無理に回した際に金属が削れて、その削りかすがさらにネジを痛める、という悪循環が生じるらしい。この10数年酷使してきた弓なので、それもあるのだろう。何はともあれ、チェロの主治医である桐生の伊藤バイオリン伊藤さんに見て頂くことにした。二日前、50号線を西に走り、彼の工房を訪ねた。我が家の庭で収穫したばかりのイチゴ、それに途中の道の駅で仕入れた野菜をお土産に・・・。

人通りの少ない桐生の街並み、メインの通りから南に入った通り沿いに彼の工房がある。いつも通り、彼の工房に入ると、時間が止まったかのような錯覚に陥る。楽器に向かい合う静かな空間だ。

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昨秋、弦楽器フェアに出品したという楽器が架けられていた。これまでの、カントゥーシャスタイルではなく、ストラディバリウスモデルでオールドフィニッシュの楽器。たまたま、彼が以前に作ったというカントゥーシャスタイルのモデルが調整に来ていたので、両者を並べて下さった。オールドフィニッシュの楽器は二作目だそうだ。

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向かって左がストラドモデル、右がカントゥーシャモデル。カントゥーシャモデルは、彫が深く、優美な外観。ストラドモデルは、ある種の惹きつけられる雰囲気を醸し出している。楽器を見た瞬間に魅入られるような作品を作ってみたい、そのためには、カントゥーシャモデルに拘らずに、いろいろとチャレンジしてみたいとのことだった。彼もまだ40歳前、これからも自分のスタイルを探求する道を歩んでゆくのだろう。

昨年は仕事の依頼が多かったのだが、今年はかなり落ちついた由。楽器製作に時間を費やすこともできるのだろうが、でも仕事を変えることも考えたこともある、と正直に言ってくださった。お二人の幼いお子さんもおり、生活は厳しいのではないだろうか・・・本棚を見ると、トックヴィルの平等と不平等に関する本が、楽器・音楽の書物に並べてあった。このご時世、音楽に本当に没頭しようという方が少なくなった、と述べておられた。佐々木朗氏の工房で、弟子としてトレーニングをなさっているころ、もうすぐ20年前ということになるか、そのころから存じ上げているので、しっかり実力をつけ、研鑽を積み続けておられることを良く知っているので、彼はきっと楽器製作者として大成されることを確信している。桐生市近辺で弦楽器を嗜まれる方には、彼の工房はお勧めである。

私の予備の楽器をこの数年全く触れることがなくなってしまったので、彼にメンテして頂いた上、その楽器を活用してくださる方にお譲りする仲介を取ってくださるようにお願いした。帰宅後、その楽器を見ると、20年弱前に入手し、その後大いに楽しませて頂いた楽器なので、別れがたくもあるが、このまま死蔵するのは勿体ない・・・。

予備の弓のサムグリップが、指先があたるために一部欠けてしまったので、話をしている間に修理して頂いた。皮を上手にパッチして、きれいに仕上がった。費用が800円とのこと・・・。

彼とは年に一度か二度お目にかかるだけだが、どのように仕事を進めておられるのかお聞きし、またこちらの疑問にも丁寧に答えて下さる。得難い知己である。

アラン ドロン引退 

昨日、アラン ドロンが引退することにしたというニュースを耳にした。81歳だそうだ。別に彼のファンでも何でもないのだが、彼の名前を聞くと、映画「太陽がいっぱい」を思い出す。浪人時代に池袋の映画館で観たのだったか。最後のシーンが鮮烈な印象を残した。ニーノ ロータの主題曲が、甘さと苦さ、切なさをないまぜにしたような印象だった。



この曲は、中学1年か2年頃、自作のアンプ:スピーカーで聞いた。映画音楽のソノシートに収められていた一曲。アンプは6BM8という三極管・五極管の複合真空管を用いたもの。一応ステレオだが、もちろん、同管シングル。スピーカーは、ラワン材で作ったバスレフ・・今考えると、隙間だらけのボックスだった。スピーカーは当時のナショナルのコアキシャル 2wayスピーカー。小遣いの乏しい中学生にしては大分気合を入れたものだった。中学校の文化祭に出品し、校長先生にワルツを聞いていただいた。3,4m離れたところに座り、グランドの方をじっと見ながら、耳を傾けて下さった。

やがて、映画音楽だけでは物足らなくなり、これまたなけなしの所持金を叩いて、ベルリオーズの幻想交響曲のLPを手に入れた。小澤征爾がモントリオール響を振った演奏。1楽章の冒頭の夢見るような旋律が懐かしい。小澤もばりばりの若手で、瑞々しい演奏だったような気がする・・・といっても、当時はこれしか聞けなかった。レコードは高価なこともあり、あまり入手できず、その内、無線が音楽にとって代わったわけだ。だが、やがて大学に入学し、迷った挙句オケに入ることに決めた理由の一つは、中学時代に映画音楽からクラシックに首を突っ込んだことだったのではないだろうか。このサイトウキネンを振った小澤はだいぶ枯れてきているような・・・。



「太陽がいっぱい」と同時期にソノシートで聞いた、「さよならをもう一度」の主題曲が、ブラ3の3楽章の主題を借用したものであることは、オケに入ってから気が付いた。私は舞台に乗らなかったのだが、大学オケ最初の定期演奏会がブラ3だった。懐かしさが二重になって迫ってくる。この演奏はYoutubeでたまたま見つけたものだが、ゆったりとしたテンポで歌う演奏だ。当時の大学オケもこんな感じだったようがおぼろげな記憶・・・。



というわけで、アラン ドロンが引退と聞いて、また一つ時代が終わったと感じたことだ。