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この日に ブラームス インテルメッツォ作品118-2 

最近、休む前に良く聴くのが、バックハウスの演奏するブラームスインテルメッツォ作品118。2番がこころに染み入る。

こちら。

ネットで、この作品についてこんな解説に巡り合った。その後半部分。

バッハ、ルター派のキリスト教信仰との関連を、この曲に聴くこの「アナリーゼ」が音楽的に妥当かどうか判断するだけの力量が私にはない。が、なかなか面白い。こころ静かに聴くと、ドイツのこの伝統をブラームスが受け継ぎ、この音楽に結実させているようにも思えてくる。この「O Haupt Voll Blut und Ganzen」という讃美歌のメロディは、マタイ受難曲の信仰告白のコラールとして何度も用いられている。たしか、ルターが作曲した讃美歌だ。

でも、やはりこの作品118-2は、ブラームスがこの曲を献呈したクララに向かって、君だけ話すのだけれどね、と親し気に耳元でささやく音楽のように聴こえる。人生をともに過ごしてきた長い時間を互いに共有する者だけが語り合える親密さだ。小春日和の陽光の差す庭先で、お茶を飲みながら・・・。

あるエピソードが繰り返し私の記憶に蘇る。大学オケの後輩Tが、オケ錬からの帰路、お茶大のキャンパスの薄暗いなかで、そっと「このインテルメッツォ、良いですよね」と私に語り掛けたことだ。彼の少しハスキーな声がまだ脳裏に残っている。彼や、他の何人かの友人とは、ブラームス、フォーレ等の室内楽を好む点で共通点があり、いつも一緒にたむろし、時には私のヘタなチェロを加えてもらい、そうした室内楽の一部を一緒に弾いた。まだ若かった彼が、あの時、どのような気持ちであのように語り掛けたのか、いつか再会する機会があったら是非聞いてみたいものだ。そして、互いに年を重ねて、今、この曲を聴いてどのように思うのか・・・。

私にとっては、激高する興奮もなく、また灰色のペシミズムに覆われ尽くすこともなく、淡々と過去の想い出を語りかけているように思える。ブラームスの音楽にしては珍しく、モノフォニックに曲想を扱い、こころのなかに素直に入り込んで来る音楽だ。

最近、何人かの友人から、自身、また配偶者の健康問題で、深刻な状況にあることを聞かされた。皆、私と同年代か、より高齢の方々。老いを迎えるのは、容易なことではない。老いの中で生き続けること、それ自体が一つの戦い。願わくば、ブラームスがこの音楽に託したように、ときに戦いを忘れて、過去の想い出を共有する方、またはそうでない方でも同じように生き感じている方と語り合いたいものだ・・・と言いつつ、この日記、モノローグになっている 苦笑。

今日、私は71歳の誕生日を迎えた。71年前、母が重かったというお産で私を生み、そして両親が貧しい中私を育ててくれた、それを思い起こして過ごそう。

この作品118をブラームスがクララに献呈し、その2年後にクララが亡くなり、ブラームスも3年後には亡くなった・・・。

ヴェニスに死す、 ビョルン アンデレセン 

1971年というと、私が苦労してようやく医学部に入学した年・・・いや、浪人していた年だった 苦笑。その年に、「ヴェニスに死す」という映画が公開されたようだ・・・よくは覚えていない。ダーク ボガートが演じる年老いた芸術家が、ビョルン アンデレセンの演じる美少年にヴェニスで出会い、こころ惹かれるが、やがて芸術家はペストか何かで死ぬという筋書きだったような記憶。その後、ヴィデオで一度見たような気がするが、よく覚えていない。でも、マーラー5番のアダージェットがテーマ音楽に用いられていて、とても印象的だった。息の長い旋律が弦によって歌い継がれて行く。少しけだるく、何とも言えぬ美しさをたたえた音楽。アンデレセンの演じる少年の、その年齢特有の美しさとともに忘れがたいものだった。

で、最近、たまたまアンデレセンのその後を描いた短いクリップに行きあたった。彼はもともと音楽の勉強をしていたらしい。映画に出るころには、バンドも組んだりしていたようだ。「ヴェニスに死す」の出演者を決めるヴィスコンティ監督との面接の際に、その美貌を監督に褒められつつ、セーターを脱ぐように促されるが、アンドレセンは羞恥の微笑を浮かべつつ、それを拒む。まだ14歳だった彼だったが、自分というものを持っていることを、あれは示したのかもしれない。「ヴェニスに死す」に出た後も幾つか映画に出た。だが、「ヴェニスに死す」で生まれた彼のイメージを嫌い、それから逃れようと、母国から去って生活したこともあったらしい。やがて、結婚し、娘さんも得る。その画像も、このクリップには出てくる。そして、年老い、白髪の長髪に髭を伸ばした様子も映っている。最終的には、ピアノを教えて生活をする、ということになったようだ。あのクリップの最初の方に、「人生で幸福の時は稀なものだが、その多くを私はピアノに負っている。ショパンとの長い会話を行ってきた。」というような意味の彼の言葉が、自身のポートレートとともに出てくる。きっと、クラシック音楽に傾倒していったのではないだろうか・・・。

こちら。

マーラーは、生涯を通じて、「死」と格闘し、和解していった音楽家だった。多くの作曲家が死ぬ前に作曲しようとし、また作曲しかけて亡くなった、10番の交響曲を避けようとしていたという有名なエピソードがあり、それにブルーノワルターが記した、彼の伝記にも、彼の最大の関心事が死であったことが記されている。以前、彼の交響曲9番、それに大地の歌について記した時にも述べたが、これらの曲は、結局死と戦い、最終的に和解して人生を終えたマーラーの生きざまそのものだったのではないかと思わせる。そして、死と戦うための彼の武器は音楽の美しさだった。オーケストラを極限まで拡大し、華麗なオーケストレーションを展開する。旋律を多声の様式で重ね合わせて、弦と管を最大に歌わせる。モーツァルトの天に遊ぶようなかろやかな歌でもなく、ベートーベンの意志を表象する音楽でもない。音楽を最大に拡大させ、極限の美しさを追い求めたのがマーラーだった。その美しさによって、死の不条理を解決しようとした、またはそれから逃れようとしたのではなかっただろうか。少なくとも、私にはそのように思える。

「ヴェニスに死す」は虚構の世界だが、アンデレセンが虚構の世界に留まらず、抽象芸術である音楽の世界で人生を過ごしてきた、ということを知り、ほっとするような気持になったのは事実。マーラーの音楽と、映画の虚構の世界はまた別だが、耽美の追求という点で、共通したものがないとは言えない。こういうと少し語弊があるが、マーラーの音楽の側面に耽美的なものの追求があることは事実だろう。アンデレセンの生きざまは、それで人生は解決しないのだと言外に述べているように思われてならないのだ・・・アンデレセンの生きざまをすべて理解しているわけではないが、彼は何か虚ではない、真実なものを追い求めて生きてきたのではないだろうか・・・。

ペーター シュライアー逝く 

昨日のニュースに、ペーターシュライア―の訃報があった。

1970年代、私が学生時代、彼は東独から西側に演奏活動の幅を広げた。当時は専らFMで音源に当たっていた・・・いわゆるカセットへのエアーチェック。そのなかで彼の名は頻繁に登場した。伸びやかで美しい、それでいて安定したテノール。大学の教養部の寮で、2年目を終える年末に、カラヤン指揮BPOのマタイ受難曲がFM番組で流れた。上等のカセットを準備して、その放送を固唾を飲んで待ち受けた。その録音のエバンゲリストが、シュライア―だった。

歌曲はあまり聴かなかったが、マタイを始めとする宗教音楽で彼は大活躍をしていた。手持ちの音源では、1979年、リヒターの4回目のマタイの録音でやはりエバンゲリストを歌っている。この偉大な音楽の筋書きを述べるだけでなく、それ自体が高度な芸術性をもつエバンゲリストという役目、その第一人者がシュライア―だった。昨夜から、その音源を聞き続けている。

彼は、ドレスデン近郊の町の出身。東独で音楽家として活躍を始め、東独崩壊前から前記の通り、西側でも旺盛な活躍を始めた。彼は2005年に歌手としての活動に終止符を打った。その年に、オーケストラアンサンブル金沢を指揮して、エバンゲリストを歌いつつマタイを演奏したらしい。そして、長く病に伏し、生まれ故郷近くのドレスデンで亡くなった。聞くところによると、ドレスデンはAfdという右派ポピュリスト政党の活動が盛んで、移民排斥の動きが激しいところらしい。彼は、どのような想いで、晩年を同地で過ごしたのだろうか。

一つの時代が終わった。

これは1971年のリヒター指揮ミュンヘンバッハ管弦楽団の演奏。やはりシュライア―がエバンゲリストを演じている。

室内楽を聴きに上京 

昨日は、鷲見加寿子さんの「ブラームスの夕べ」というリサイタルに出かけた。場所は、浜離宮朝日ホール。詳細はこちら;

http://www.millionconcert.co.jp/concert/detail/2019_09/guide/190907sumikazuko.html

カミさんにちょっと声をかけたら、行くとの返事。私に輪をかけて出不精な彼女が行くと言うのは珍しい。彼女の仕事が終わるのを待ち、出発。宇都宮線の某駅。以前にも記したが、結婚して都落ちをしてくる際に、宇都宮線に乗れば1時間ちょっとで上野に出られる、音楽会に度々でかけることもできるだろうという甘い予想を立てていたのだが・・・実際は、きわめて難しかった。結婚した年の暮に、ロ短調ミサを聴きに上野まで出かけたきりではなかったか・・・仕事、家事その他諸々がそうした演奏会通いを不可能にしてきた。ようやくお互いに、音楽会にでかける余裕ができたということか。

ここでカメラを駅のプラットフォーム待合室に置き忘れるポカ。この春にも、某所に同じカメラを忘れたことがあり、これは加齢現象以外の何物でもない、何か対策を考えなければと思った・・・JRの遺失物係に電話したら、どなたか親切な方が届けてくださっていたので、一安心。

浜離宮朝日ホールへ行くのは初めて。朝日新聞社本社に付属する施設であることも知らなかった。木を多用した中規模のホールで、室内楽に丁度良さそうなサイズだ。2/3から3/4程度の聴衆の入りか。

演目は、どれもこれまで繰り返し聴いてきた曲。ブラームスの作品中だけでなく、すべての室内楽作品中、私のなかでトップに位置する作品群である。

まずピアノトリオ1番ロ長調。これは作品番号8番だが、ブラームスは推敲を重ね、晩年になって完成させたもので、その改訂版が普通演奏される。今夜も改訂版。三名各々は技量が優れた奏者なのだろうが、どうもかみ合い、溶け合うような風に聞こえなかった。恐らく、聞くこちらの側の心構えが十分でなかったこともあるのだろう。バイオリン奏者は、少し硬めの音で、外に伸びる。チェロは、柔らかく芯のある音。よく歌う。ピアノの鷲見さん、やわらかなタッチで美しい音なのだが、如何せん、音量が弦に負けている・・・舞台から6列目という前の方で聴いたためだったろうか。常設のアンサンブルではないので、三名の音色や、歌い方の違いがあるのは当然のことなのだが、音楽が求心的にならない、方向感が定まらないような印象だった。でも、3楽章の歌は、やはりさすが。宗教的、といっても天国的な宗教性ではなく、悩み多い地上にあって慰めを与えてくれるような音楽。チェロの中間部のソロが素晴らしい。

チェロの金子鈴太郎が、ほとんど暗譜で弾いている。それに、良く観ると、譜面がタブレット。フットスイッチはなし、画面にタッチしてページを変えている様子。

ピアノ四重奏曲3番ハ短調。まだアンサンブルとしてしっくりこないところがあったが・・・チェロの金子がアンサンブルに気を配り、各奏者に合図を送り、ときには笑顔を見せて、楽しそうに弾いていた。彼のインタビューをネットで読んだら、案の定、室内楽がとても好きということらしい。徐々に盛り上がり始め、4楽章が白熱。冒頭主題の動機を、各楽器が畳み込むようにして奏し、ついに冒頭主題が再現する部分は、こころのなかで涙するほどの出来。

20分という長い休憩を挟み、ピアノ五重奏曲へ短調。これは、ブラームスがまだ若い時代の作品で、たしかピアノ二台にも編曲している。重厚かつエネルギーにあふれている。基本は、重たく暗い曲想。第一楽章冒頭の1st VnとVcのユニゾンの旋律を聴くと、ぞくっとする。曲自体も、それに演奏も、徐々に熱気を帯び、3、4楽章は、文字通り各奏者のエネルギーが重なり合い、相乗的な効果を生んだ。特に3楽章のコーダの盛り上がりは、これまで経験したことのない燃焼体験だった。4楽章コーダの最後の三連符で動く部分も異様な緊張感。

アンコールは、ブラームスの子守歌ピアノ五重奏版。あの白熱の演奏のあとに、この慰撫するような静かな旋律はこころに沁みた。単純な編曲であったことも好ましい。

最後に、曲間で短い話をなさった石坂浩二さんを交えて、各奏者が感想を手短に述べた。鷲見さんは、若く見えるが、かなりの重鎮でいらっしゃることが分かった。若い方にとってもかなりヘビーなプログラムなのに、70歳前後?の彼女にとっては、精魂を使い果たした演奏会だったのではないだろうか。でも、若い人たちとの合わせ練習がとても楽しかったと振り返っておられた。舞台に飾りの花はなし、演奏終了後の花束贈呈もなし。年齢に幅のある奏者たちが音楽そのものに集中する演奏会、とても好感が持てた。

演奏の感想を語り合いながら、新橋駅まで歩く。もわっとした大気。新橋駅近くの一杯飲み屋で遅い夕食。刺身だけ。あの雑踏と、混雑、そして食べ物の質と値段・・・東京はやはり住みにくそう。呑み屋の席では、怒鳴らないと会話にならない・・・。こちらで研修を始めるときは、2,3年で東京に戻る積りでいた。実際、戻らなかったことを後悔することもあるが、しかし今となっては、田舎で生活すること、生活してきたことは悪くはないと改めて思う(時に、それは負け惜しみという内心の声も聴こえてくるのだが・・・)。上野駅で宇都宮線に乗り換え、午後11時ちょっと前に、出発した駅に帰着。少し不機嫌そうな駅員さんに、忘れたカメラを返してもらい、ほっと一息。漆黒の暗闇が覆う田舎道を、カミさんの車の後について走り自宅に帰着。

上野文化会館であれば、もうちょっと簡単に行けそうなので、あそこの小ホールで何か質の良い室内楽演奏会はないか、これから目を凝らして行こう。

小惑星近接 ヨハネ受難曲 

昨夜、たまたまバッハのヨハネ受難曲を聴いていた。共観福音書ができてしばらくし、キリスト教が世界宗教となるために準備されたヨハネ伝。ヘレニズム文化の影響を受け、哲学的な衣をまとっている。だが、その福音書に基づいたというこの曲、冒頭の曲からして、不安と痛みに苛まれているかのような音楽。もちろん、イエスの苦難の生涯を予表しているのだろうが、なぜこのような曲を、受難曲全体を表象する冒頭に置いたのだろう・・・。

先日、地球の至近距離を、直径130mの小惑星が横切って行ったらしい。7万kmという距離。直前まで、その存在にNASA等は気づかなかったようだ。もし、この小惑星が地球に衝突したら、それによる粉塵等で地球は、一時的に寒冷化し、農作物の不作に見舞われたことだろう。

キリスト教の教える終末論は、そのような形で実現することになるのかもしれない。

ヨハネ受難曲にせよ、この小惑星接近の報にせよ、終末を意識して生きるべきことを教えてくれているのかもしれない。

以下、引用~~~

「2060年までは世界は終わらない」。こう予言したのは…
毎日新聞2019年7月31日 東京朝刊

 「2060年までは世界は終わらない」。こう予言したのは、どこかの新興宗教の教祖ではない。古典物理学の父、ニュートンその人だった。むろん物理学者としての見解でなく、聖書の記述からの推論である▲ニュートンには科学者としての顔の他に、錬金(れんきん)術(じゅつ)や神学研究に打ち込む神秘主義者の顔があった。先の予言は先年公開された彼の聖書研究にかかわる文書にあった。つまりは2060年より後は世界がいつ終わるか分からないという▲「キリスト(の再臨=世界の終末)は夜盗のようにひそやかにやって来る。私たちはその時期を知るよしもない」。ニュートンは記す。現代人が「ひそやかに来る終末」で想像するのは地球環境の破局か、核戦争か、未知の感染症か▲恐竜絶滅を招いた小惑星の地球衝突も「終末」の有力シナリオだが、「ひそやかに来る」こともあるのか。先日地球からわずか7万キロの空間を通過した小惑星が発見されたのは最接近の前日だった。まさに不意打ちのニアミスである▲小惑星は直径130メートル、衝突していれば東京都の広さの範囲を壊滅させていた。専門家によれば直径100メートル程度の天体は、かなり地球に接近しないと見えないことがあるという。もしも衝突コースだったら回避する手段はなかった▲人類絶滅にはいたらずとも都市を直撃すれば大惨劇となるこの規模の小惑星の不意打ちだ。神秘家ニュートンの予言に頼らず、天体物理学者ニュートンの心意を働かせて天からの脅威に目を光らせたい。

ロック魂 

私は、ロックは元来聴かないのだが・・・これぞ、ロック魂というべき。

受けた。

RADIO歌舞伎町によるtwitter;

こちら。

ロ短調ミサ 

礒山雅教授の命日がもうすぐ巡って来るなと思いつつ、バッハのロ短調ミサを聴く。

冒頭キリエのアダージョの圧倒する叫び。それに、クレドには、イエスキリストの受難の生涯が、ラテン語典礼文で簡素に記され、それにバッハが付した音楽は受難曲そのもの。18曲、だったか、にモツレクのラクリモーサの先駆けとなるような旋律を聴く。

ガーディナー、イングリッシュソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団の演奏。オーセンティックな演奏法で透明感が音楽の構造をより明らかに聴かせてくれる。

こちら。

昨年暮には、カンタータの4番に心打たれた。

バッハの音楽は、汲めど尽きせぬ泉のようだ。

チェロで浚っている、「フーガの技法」の二声のカノンも目途が立った。

ことしも一年間チェロの練習に精を出し、またあまり聞いてこなかったジャンルの音楽にも親しみたいものだ。

Kol Nidrei 

旧約聖書を考古学的に検証した入門書がある。長谷川修一という研究者の書かれた本。中公新書。一つは「旧約聖書の謎」、次いで記されたのが「聖書考古学」。前者は、かなりアカデミックな記述、一方後者は分かりやすい。聖書の内容を、考古学的視点から検討したもので、面白い。

そもそも旧約聖書は、イスラエルの民が神により選ばれた民であることを述べた書物。紀元8世紀ころ以降に、それまで口承であったものが文字で記されたものと言われている。イスラエルは、旧約聖書が書かれた当時、南北王国の時代を経て、バビロン捕囚の苦難の時期を迎えていた。紀元前6世紀にバビロンから帰ることを許され、再び王国を築こうとしていた。その際に、民族のアイデンティティを維持し、新たな中央集権を築くために旧約聖書が著された、ということのようだ。

長谷川氏の前者の本は、旧約聖書に出てくる7つの事件・逸話を考古学的に検証したものだが、ノアの箱舟・出エジプトからヨナ記の記事まで、残念ながら、聖書にしるされた通りの事実は、歴史的に証明されない、とされている。だが、メソポタミアやエジプトでの碑文や、考古学的に発掘された遺跡等の検討から、それらの記事の背景が浮かび上がる。紀元前10数世紀前の記録から、旧約聖書に記された記事が浮かび上がってくる様には、興奮を禁じ得ない。

エジプトへの移住、そこからカナンへの脱出、さらに南北王国時代を経て滅亡・バビロン捕囚の民族的な苦難を経て、イスラエルに再び王国を築く。それは、ローマ帝国の支配により終焉を迎える。その後、第二次世界大戦が終わるまで、イスラエルの民族は世界各地で、この旧約聖書の契約が実現することを唯一の希望として、民族のアイデンティティを維持してきた。旧約聖書が、民族の同一性を維持するうえで果たした役割は限りなく大きい。

死海文書という一群の最も古い(一部はもっと古いものもエジプトで見つかっているようだが)旧約聖書の原典が見いだされたことは、こうした聖書学の領域でも驚天動地の発見だったようだ。11世紀初頭に書き写されたレニングラード写本が現在出回っている聖書の原典になっている。だが、死海写本は、聖書には「異本」があるということを明らかにした。聖書の記述を一字一句そのまま信じることは、信仰の在り方としては正しいのかもしれないが、聖書の内容に肉薄し、より深く理解しようとする態度とは異なる。聖書の考古学は、これからも研究が続けられ、聖書の意味をより深く理解する助けになるのではないだろうか。

10代の頃、聖書の勉強を何年間かしていた・・・それを思い起こして、懐かしことだった。

というところまでは、長い前置き・・・。

facebookでMargarita Balanasが、チェロアンサンブルをバックに、ブルッフの「コル 二ドライ」を演奏している。この曲は、ブルッフがユダヤ教、ユダヤ民族の音楽に題材をとり、ユダヤ的なものを表現している。前半の苦悶するような旋律は、苦難の歴史を反映しているように思える。一方、後半では天国的な救いの音楽が奏でられる。Balanasの演奏は見事。バックのチェロアンサンブルには、有名なCapson兄弟の弟もいる・・・彼が組織したアンサンブルなのか・・・。ブルッフ自身はユダヤ教徒ではなかったらしいが、ロマン派的なこの音楽にユダヤ民族の歴史を凝縮させた。チェロ奏者には必聴・・・できれば必演の一曲。私も以前トライしたが、最初の数小節で挫折。

この演奏をfacebookにアップしたら、米国人の友人二人、それにイタリア人一人がlikeボタンを押してくれた。前のお二人が、ユダヤ系アメリカ人で・・・やはりね、と一人呟いた。

Balanasの演奏、こちら。

信州 2000年秋 

昨日、探し物をしていたら、クローゼットの引き出しからカセットテープが一つ出てきた。タイトルに、「志音会コンサート2000」とある。ピアノのNさんに誘われて参加した、松本深志高校音楽部OB/OGの演奏会の録音だ。あれから18年も経ったのだ、とため息。まだ数年前のような気がしていた・・・たいした違いでないか・・・。このコンサートについて以前記したかもしれないので、重複したらご容赦願いたい。

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何度か記している通り、40歳台半ばで開業し、開業当初の怒涛のような忙しさが一段落した20年ほど前、何か時間を自分のために使いたいと考えた。その時、学生時代に熱中していたチェロが思い浮かんだ。チェロを近くの楽器屋さんで手に入れた・・・それまで手元にあった楽器は、表板が割れるという大事故を経ていたものだった。念願だった仕事場の自室で、入手した楽器を熱心に練習した。

チェロを再開して、腕には大いに疑問があったが、何とか学生時代のように室内楽をやりたいと思った。大学オケの後輩であるVnのNと、かって一時大学オケでVcに加わっていたピアニストのNさんに声をかけて、メンデルスゾーンのピアノトリオ1番を合わせて頂くことにした。最初の練習の日、長野から上京してくださったNさんに高田馬場駅の混み合う出口でお会いした。長男が誕生した時に、自治医大のレジデントハウスにお祝いをもって駆けつけて下さって以来だった。雑踏の中でお会いした彼女は、おかっぱで色白、当時と全く変わりがない。まるで学生時代に時間が突然戻ったかのような気持ちになった・・・私は、十分歳をとっていたのだが・・・。彼女が以前と変わらぬことを率直に言ったら、にこにこしながら「もっと言って」と仰ったのが、つい昨日のようだ。懐かしい再会だった・・・。

その後、Nさんの母校である松本深志高校の音楽部演奏会に誘って頂いた。9月の週末を使って、練習と本番だった。曲目は、ヘンデルのメサイア抜粋と、フォーレのラシーヌ頌歌。ともに合唱付きの演奏。指揮をなさったのがTさんという方で、やはり松本深志高校のOB。驚いたことに、大学オケで私と同じころビオラを弾いておられた方のご主人だった。チェロは3か4プルト位いた。Nさんも一番後ろのプルトで楽しそうに弾いておられた。チェロの私と同じプルトの方は、私と同年代の方で、笑顔の絶えない感じのよい方だった。後で伺ったら、やはり松本深志高校のOBで、東京芸大を出た歌を専門にする方だった。某女子大で教鞭を取っておられる方だと後で伺った。

今年2月に急逝された礒山雅氏も、この高校の出身である。東大の美学科に進学され、音楽学と音楽史を専攻された彼のことだから、高校時代にこのクラブで活動していたのかもしれない・・・あの浩瀚な名著「マタイ受難曲」の最初のところに、高校生時代に合唱に参加し、そこで見かけた少女のことが出てくる。あの志音会の演奏会に参加した当時は、そのようなことは当然知らず仕舞いだったが、不思議な縁を後で感じたことだった。

ラシーヌ頌歌を弾いたのは初めて。それまであまり聴いたこともなかったが、フォーレのたゆとうようなメロディが、豊かな和声に彩られた美しい音楽だった。弾きながらうっとりしていた。この時に、あまりに思い入れたっぷりにビブラートをかけすぎて、左手の腱鞘炎を起こし、回復するまでに数か月かかったのを覚えている。

こちら。

初秋の信州で、あのように得難い音楽体験をさせて頂いて、ほんとうにありがたいことだった。その後、以前に記した通り、数年間毎年何かしらNさんと一緒に演奏をさせて頂いた。感謝してもしきれないことだ。この数年間、年賀状の交換だけの交流になってしまったが、お元気にお過ごしだろうか・・・。

あの松本での演奏会のような機会は、人生のなかで、まだまだ何度も経験できるかと思っていたが、そうではなさそう。だからこそ貴重な思い出なのかもしれない・・・。本当に得難い機会を与えて頂いた。

我々への挽歌 

昨日、夕食の準備をしながら、ブラームス2番をかけた。以前、この曲は初夏の音楽だと記した。その印象は変わらないが、やはり何時聞いても良い音楽だ。ザンデルリンクの指揮するシュターツカペレ。

youtubeで同曲を漁ってみた。小澤征爾がサイトウキネンを引き連れて、ヨーロッパへの演奏旅行をした際の記録がアップされていた。1991年のこと。バブルが崩壊し、我が国が失われた10年、20年に突入する頃。

こちら。

小澤の行うリハ、以前にも観た記憶があるが、結構事細かにオケに指示を出している。ブラ3、3楽章のチェロの有名な旋律、チェロのボーイングを含めて念入りに指示を出している。トップは岩崎恍。

魂を揺さぶられる思いだったのは、ブラ2、1楽章第二主題。この主題、それにそこに至る音楽的な語法に特にこころ惹かれるのだが、サイトウキネンのチェロはすごい。とくに再現部(このclipで行くと、25分の辺り)、チェロがfisでこの旋律を弾き始めるのだが、泣きださんばかりの歌が聞こえる。あのfisの音の広がり、深さは尋常なことではない。これだけの奏者が揃い、そして小澤が指揮をすると、こうした音楽が実現するのか、と感動を新たにした。

サイトウキネンでは日常的なことだが、すでに大家と言われる演奏者が、後ろのプルトで精いっぱい弾いている。憧れの倉田澄子女史も2か3プルトの裏で頑張って弾いている。この光景も聴く者のこころを熱くさせる・・・音楽そのもののもたらす感動ではないのだが・・・。

このオケの演奏者たち、そして小澤という指揮者は、戦後、我が国が成長し続けた時期を、良い面で代表する人々だったのだと改めて思う。戦後の民主主義と右肩上がりの成長に伴い、人々が希望を託してきた人々だったのだ。その社会の在り様が、こうした人々を輩出する一つのファクターだった。

我が国の人口はすでに減少し始めている。人口が減るということは、国力がそがれることを意味する。そうした社会で、これだけの音楽家を輩出し、彼らを支えて行くだけの余力はあるのだろうか。このサイトウキネンという音楽集団は、我が国が誇るべき財産であったと思うと同時に、これからは、このような団体が生まれ、維持されることはなくなってしまうのではないか、という思いを禁じ得ない。

そうであっては欲しくないと思うのだが、社会保障の面だけでなく、日本はこれから坂道をころがり落ちるように衰退の道を歩む。それはまぎれもない確定的な事実だ。サイトウキネンの圧倒的なエネルギーを聴きながら、これからの日本社会の進む方向が、改めてはっきり目の前に現出した。大変残念なことなのだが・・・。

そんなことを考えながらこの曲を聴いていると、サイトウキネン・小澤征爾の演奏するこの曲は、我々への挽歌なのかもしれないという思いが湧いてきた。