文科省が倫理を口にし、検閲を始めるとロクなことはない 

現政権が改憲を行った先には、教育内容の検閲が常に行われるようになる。彼らは、国民から基本的人権を奪うことを考えている。国民が、修正史観と、戦前の家族観、国家観に基づき、「一つの方向を向く」ように教育する。それが、彼らの目標なのだ。

ネットでの情報では、下記の前川氏の授業について「クレーム」を文科省に持ち込んだ人間がいるらしい。精神の自由を自ら放棄するごとき馬鹿げた行為だ。当該教育委員会が録音を文科省に提出しなかったことは、正当な判断だ。大体、前川氏の「倫理」を口にする前に、安倍首相の「倫理」の方が百層倍問題ではないか。すべて部下に責任を負わせる現政権のやり方が、幼い子供たちに及ぼす影響を、政権にある政治家、そして文科省は考えているのだろうか。

文科省の言い分は「すごい」の一言。前川氏のことを貶めることを意図して、内閣調査室と菅官房長官が広めた偽の情報を、今でも主張するわけだ。内閣調査室は、山口某の強姦事件もみ消しにも絡んでいると言われる。これでは、独裁国家の秘密警察ではないか。この秘密警察が、国民一人一人を監視するようになるのだ。その監視社会の枠組みはすでに出来上がっている。

このニュースを昨夜NHKが報じた際に、現場の記者、ディレクター等にどれほどの勇気が要ったことだろうか。こうした報道を行うことが、現場の人間にとってはリスクを負うことになっている。現政権からにらまれるというリスクだ。NHKには、この報道を賞賛するメールを送りたい。

NHK NEWS WEBより引用~~~

文科省が授業内容などの提出要求 前川前次官の中学校での授業で
3月15日 19時15分

国が学校に授業の内容を問いただす異例の事態です。愛知県の公立中学校が文部科学省の前川前事務次官を先月、授業の講師に呼んだところ、文部科学省から教育委員会を通じて授業の内容や録音の提出を求められたことがわかりました。いじめなどの問題を除き、国が学校の個別の授業内容を調査することは原則、認められておらず、今後、議論を呼びそうです。

愛知県内の公立中学校で、先月、文部科学省の前川前事務次官が総合学習の時間の講師に招かれ、不登校や夜間中学校などをテーマに授業を行い、全校生徒のほか地元の住民らも出席しました。

この授業について今月1日、文部科学省の課長補佐からこの学校を所管する教育委員会宛てに内容を問いただすメールが届いていたことがわかりました。

メールでは、前川氏が天下り問題で辞任したことや、出会い系バーの店を利用していたと指摘したうえで、「道徳教育が行われる学校にこうした背景のある氏をどのような判断で授業を依頼したのか」と具体的に答えるよう記しています。さらに、録音があれば提供することなど15項目について文書で回答するよう求めています。

関係者によりますと、中学校には教育委員会からこれらの内容が伝えられ、録音の提出については拒んだということです。教育委員会も授業内容は事前に了承していたということです。

今の法律では、いじめによる自殺を防ぐなど、緊急の必要がある場合は文部科学大臣が教育委員会に是正の指示を出すことが認められていますが、今回のように個別の学校の授業内容を調査することは原則、認められていません。

教育行政上の国の役割とは

戦前の愛国主義的な教育の反省に立ち、国による学校教育への関与は法律で制限されています。教育基本法16条にも「教育は不当な支配に服することなく」と記されています。

地方教育行政について定めた法律では、学校教育に対して、指導や助言などができるのは原則として教育委員会です。国は学習指導要領の作成など全国的な基準の設定や、教員給与の一部負担など教育条件の整備が主な役割です。

一方、いじめ自殺など子どもたちの命に関わる問題が相次ぐ中で、国による関与が必要だとする声も強まり、平成19年に文部科学大臣が教育委員会の対応が不適切だった場合、是正の指示ができるようになりました。

しかし、これも法令違反や子どもの命や身体の保護のため、緊急の必要がある場合に限定されていて、今回のように個別の授業内容を調査できる権限は原則、認められていません。

話聞いた主婦「とても勉強になりました」

講演で、前川氏が語ったのは中学時代の不登校体験や今、みずからも関わっている夜間中学校の必要性などについてでした。終了後は教員や生徒、さらに住民と一緒に記念撮影するなど、好評だったということです。

話を聞いた50代の主婦は「夜間中学校について、熱く語られたのが印象残っています。とても勉強になりました」と話していました。また、別の男性は「政治的な話は全くなく、和やかな雰囲気でした」と話していました。

日本教育学会会長「国の行き過ぎた行為」

日本教育学会の会長で教育行政に詳しい日本大学の広田照幸教授は、「国の地方の教育行政への関わりは、基本的に抑制的であまり口を出さないのが基本だ。学校の教育内容は教育委員会の管轄であり、何より個々の学校が責任を持って行うものだ。それに対し、明確な法律違反の疑いもないまま授業内容にここまで質問するのは明らかに行き過ぎだ」と指摘しています。

そのうえで、「行政が必要以上に学校をコントロールすることになりかねず、現場は国からの指摘をおそれて萎縮し、窮屈になってしまうのではないか。国があら探しするような調査をかけることは教育の不当な支配にあたると解釈されてもおかしくない」と話しています。

文部科学省「問題ない」

文部科学省は「前川氏が文部科学省の事務方トップだったことや、天下り問題で辞任したことを踏まえ、講師として公教育の場で発言した内容や経緯を確認する必要があると判断した。正確性を期すために文書での確認を行った。問題があるとは思っていない」と話しています。

高等教育無償化を、国家私物化の手段にしようとしている 

高等教育無償化は、高等教育を受ける機会が経済的理由で左右されてはいけない、という機会均等の理念に基づくものだったはず。ところが、政府は、政府・文科省にとって都合よいように制度を利用しようとしている。政府が適当と見なした大学だけに無償化を行う、というのは大学自治への介入であり、国民の機会均等の権利を奪うものだ。

安倍政権の国家私物化が、ここでも進行している。

以下、毎日新聞から引用~~~

高等教育無償化
国大協会長が批判「大学の自治への介入」
毎日新聞2018年1月26日 19時56分(最終更新 1月26日 19時56分)

 政府が高等教育無償化の対象とする大学の要件を示したことについて、山極寿一・国立大学協会会長(京都大学長)は26日、東京都内で開かれた同協会の総会で「大学の自治への介入で、やりすぎだ」と政府を批判した。

 政府が昨年12月に閣議決定した政策パッケージは、外部から招いた理事の数が一定の割合を満たしていることや、実務経験のある教員が担当する科目を配置することなど4要件を示した。今後、文科省の専門家会議で要件の詳細を決める。

 山極氏はこうした要件について「政府が大学の経営に手入れしてくる。座して見ていいのか」と述べ、議論の必要性があるとの認識を示した。その後の記者会見でも「困窮している学生の進学の希望を失わないようにするのは望ましい」と無償化の理念に賛成した上で「行きたい大学に行くのが重要なのに、大学に要件を付けるのはおかしい」と批判した。【伊澤拓也】

筑波大学人文社会系学部・学科が、「ビジネス科学」に吸収される 

国公立大学の文系学部、とくに基礎的な人文科学の分野の学科が、再編・廃止される動きがあることは、以前から気になっていた。要するに、基礎的な人文科学ではなく、実学を志向しろ、端的に言えば、金儲けの知識を学生に与えよ、ということだ。

筑波大学といえば、東京高等師範学校、東京教育大学という系譜の歴史のある大学だ。人文社会科学にも優れた研究者、教育者を輩出してきた。そこの人文社会系がすべて、『ビジネス科学』に吸収されることになったらしい。

大学は、知的な関心の赴くところ、自由に研究を進める場であったはずだ。人間の知的興味を満足させ、新たな視野を広げてきた。それが、ビジネスに寄与する学問だけを扱う場になる。その近視眼的かつ視野の狭い文部行政に、唖然とさせられる。人間、パンのみにて生きるにあらず、という言葉が、この文部行政をつかさどる面々には分からぬらしい。

同様に、自然科学分野も、強制的に実学を志向させられている。

基礎的な学問の重要性が蔑ろにされる国に、将来はない。

以下、定年を前にした筑波大学人文社会系教授の私信、twitterでの記事を引用~~~

正月から凄い話なのですが、うちの大学の人文社会の全教員が平成三十一年四月から、ビジネス科学に吸収されることが昨年十二月に決まりました。
世にいう、国立大学文系消滅の始まりです。
これが東京師範代学、東京教育大学で一世を風靡した当校社会科学の末路です。
社会福祉費の増大にともなう文教費の削減が一番の原因ですが、他分野から「全く社会の役に立っていない」と嫌われて改組でのけものにされ、うちの学長からは「社会科学の先生方にももっと社会のことを考えて頂かなければ…」と言われても、返す言葉がないほど堕落していたことが一番の原因だと思われます。
一橋大の坂元ひろ子によれば、同大学では科目の間引きが始まっているようで、彼女の「アジア思想史」の後ポストが埋まらないとのこと、東大の駒場からは私大にどんどん逃げているとのことです。
ちなみに私は平成三十一年四月で定年を迎え、筑波大を去ります。次の大学の予定は今のところありません。大学にはひどく失望しました。
本年もよろしくお願い申し上げます。

日本社会は70%が人文社会科学系で動いています。霞ヶ関の官僚も又しかり。人文社会科学系を大学から整理すると、中央官僚はまだしも、地方行政は崩壊するかもしれません。
もっとも人文社会科学系の大学人の中には、それが虚学であるとうそぶきながら、税金から研究費を貪りつつ、研究とは呼べないような雑文を書き散らしてきたひとがいるのも事実です。それでも彼らは書いているだけましで、研究もせず、授業も20年以上同じ内容など、大学教員とは呼べないような者までいます。それらを看過してきた我々にも責任があるのかもしれません。
学徒動員はまず哲学と歴史を学ぶ学生からで、理系はその対象ではなかったと聞きました。文科省は文系を東大と京大のみに残して私学に任せる方針とのことです。まことに残念なことにですが、文系は余裕のある時代のもので、そうでない時代になると一番に切り捨てられる学問であるということがよくわかります。
即戦力が常に求められます。それなら理系だけでいいのかというと決してそうではないと思います。人が生きていくには人間の幅、心のゆとりも必要だと思います!世の中の人は団塊とJr.の人数の多さのみ論じてその次の世代を育てず、来たるべき未来に目を向けず、目の前のことにあくせくしているのが現実にしか思えません!
便利で豊かな社会になったようですが、実はなんか恐ろしい時代に向かっているように思えてなりません!

科学技術論文数の減少 

今でも時々Pub Medで医学文献の検索を行う。そこに出てくる文献のトップオーサーに中国、韓国系の研究者が多くなっている。これはこの10、20年間とくに目立ってきた。相対的にわが国の医学研究論文の質・量が低下しているのではないかと心配していた。

人口当たりの論文数は、結構善戦しているという文献もあったが、やはり総数では減少傾向にあるのか。大学の法人化が始まり、運営交付金が毎年のように機械的に減らされ続けている、大学スタッフの数が減らされていることと関係していると考えるべきだろう。

科学技術は、高等教育によって生まれる。高等教育がおろそかになるということは、国の将来に暗い影を落とす。

以下、引用~~~

日本の科学研究失速、論文6%減…過去10年間

2017年08月09日 09時14分 読売新聞
 日本の科学技術の研究論文数が、過去10年間で6%減ったことが、文部科学省科学技術・学術政策研究所の調査でわかった。

 論文数が減少したのは欧米などの主要国の中では日本だけで、日本の科学技術研究が失速している様子が改めて浮き彫りになった。

 各国の大学や研究機関の研究者が有力誌に発表した自然科学分野の論文数を、所属機関の国ごとに分類して計測した。日本は2013~15年の年平均論文数が6万4013本で、米国、中国、ドイツに次ぐ4位だったが、03~05年の年平均論文数6万7888本からは6%減少していた。

 米国、英国、フランス、ドイツ、中国、韓国の6か国の論文数は、同じ期間にいずれも増加していた。特に中国は323%増で4倍以上に、韓国は121%増で2倍以上になっていた。

『謂れのない圧力の中で』 

灘高校の校長 和田孫博氏が、同中学の歴史教科書選定に際して受けた「圧力」について述べている。

『謂れのない圧力の中で』

こちら。

適切な歴史教科書を採用したのに、政治家さらには匿名の人々からの圧力がかかったという事情を淡々と述べている。その教科書は、歴史修正主義的な見方をとらない正統な歴史教科書であり、もちろん文科省の検定に通っている。だが、そのリベラルな記述を快く思わぬ政治家、人々がいたらしい。

保坂正康の『昭和史のかたち』という本からの引用が、印象に残る。国家権力は、国民を「正方形」のなかに閉じ込め、その各辺を徐々に短くして行こうとする、というのだ。この「正方形」は、安倍政権下で出来上がりつつある。

以下、引用~~~

そ んなこんな で 心 を煩わせていた頃、歴史家の保坂正康氏の『昭和史のかたち 』( 岩 波 新 書 )を 読 ん だ 。そ の 第 二 章 は「 昭 和 史 と 正 方 形 ̶ ̶ 日本型ファシズム の原型 ̶ ̶ 」というタイトルで、要約すると次のようなことである。

ファシズムの権力構造はこの正方形の枠内に、国民をなんとしても閉じこめてここから出さないように試みる。そして国家は四つの各辺に 、「情報の一元 化 」「 教 育 の 国 家 主 義 化 」「 弾 圧 立 法 の 制 定 と 拡 大 解 釈 」「 官 民 挙 げ て の 暴 力 」を置いて固めていく。そうすると国民は檻に入ったような状態になる。国家は四辺をさらに小さくして、その正方形の面積 をより狭くしていこうと試みるのである。

引用終わり~~~

和田氏が述べている通り、この「正方形」の枠組みは、強固なものでは決してない。灘中高の教科書選定に反対するハガキの文章は、あるプロトタイプがあり、それを元に特定集団から出されたものだった。だが、このファシズムへの動きは、他の「辺」の変化と呼応して、容易に社会を動かすものになりうる。国民を画一化し、同一の方向に強制的に向かせる。

教育基本法の改定、改憲の動きによる、平和教育、民主主義教育の否定、教育の国家主義化はすでに始まっている。将来世代を画一化し、国家主義へ馴化させる教育だ。

安保法制、特定秘密保護法そして共謀罪法は、国民を弾圧するための立法だ。それは、近い将来、国民に牙をむくことだろう。これは、現役世代を国家主義のもとに強制させる法制度だ。

情報の一元化、マスメディアの世界でそれに抗する人々がいるが、巨大権力の前に潰されそうになっている。特定秘密保護法、共謀罪法は、まずマスメディアを抑圧することになる。国民に知らせるべきことを知らせず、時の国家権力に従わせるための情報のみを流す。

官民挙げての暴力は、目に見える形ではまだないが、ネット等を通して言葉の暴力が社会を覆い始めている。この「正方形」の枠組みから脱しようとする国民を弾圧するために、官民挙げての暴力が行われるようになる。

この「正方形」の軛は、自民党改憲草案に明確に記載されている。ファシズムをもたらす、この「正方形」を容認するのかどうか、が問われている。とくに次の世代を育てている方々に問いたい。このままで良いのか、と。


特区の扱いの不思議 

国家戦略特区によって今治市に開校する獣医学部は、人動物間感染症の研究を行う施設にするという触れ込みだった。

鳥インフルエンザで多くの研究業績を挙げている京都産業大学が、その獣医学部開設に手を挙げた。が、どういうわけか、落とされてしまった。同大学には鳥インフルエンザ研究センターがある。こちら。聞くところによると、Natureレベルの論文を多く出しているらしい。

ところが、人動物間感染症に関して何も業績はない岡山理科大が、どういうわけかこの獣医学部開設に名乗りを上げ、簡単な準備書類で通ってしまったという。

不思議なこともあるものだ。

国家戦略とはこんなものなのか?

悪しきガバナンスが大学を破壊した 

大学法人化後、官僚が大量に大学に天下るようになった。それに併せて、ガバナンス改革と称して、教授会の権限縮小と学長・総長への権力集中が行われた。その結果、大学の自治は失われ、大学が文字通り破壊された。それは結局、日本という社会の行く末を示す象徴的な出来事だ、という論考。

天下りが国家を危うくし、権力の集中が社会の健全さを損なう、これは大学だけの話ではない。

gendai.ismedia.jpより引用~~~

『日本の大学をぶっ壊した、政官財主導の「悪しきガバナンス改革」
なんのための大学か【後編】
石原 俊明治学院大学社会学部教授』

こちら。

銃剣術について 

新指導要領で中学校の体育武道選択科目に入れられた、銃剣術。2月に文科省が、この銃剣道の導入についてパブコメを公に求めた際に、「数百」の導入賛成意見があったために、導入されたという。行政のパブコメにはこれまで何度か意見を送ってきたが、その方向で採用されたことはなかった。数百のオーダーで賛成意見があると導入が決まるというのは、何か出来レースの感じがしないでもない。髭の隊長の異名を持つ佐藤参議院議員は、自衛隊の出身なのはよく知られているが、彼は、自衛隊で訓練に用いられているこの銃剣を中学校の教科として採用すべきだ、と主張していた。

木製の銃を相手の「喉、左胸、小手」等に「突き刺す」剣術らしい。喉、左胸は当然急所である。基本的に、直接的に相手を殺すことを目指す。だからこそ、自衛隊の訓練に取り入れられているのだ。銃剣の経験者は、のど、左胸等を突くため、結構けがが多いと述べている。これは、未確認情報だが、中学校の剣道では、「突き」は禁止されているとネットで述べている方もいた。どう考えても、私には、剣道のように、精神性を涵養するための武術には見えない。「殺し、殺される」のをスポーツの形をとって模擬体験する運動にしか見えないのだ。

銃剣道導入賛成の方は、これは軍隊で用いられる銃剣術とは異なるスポーツだ、ときっと主張されるのだろう。だが、自衛隊で訓練に用いられているという、殺人を直接の目的とするこの「武道」を、中学校で教える、教育に取り入れるのは、やはりまずいのではないだろうか。

繰り返し言おう、お子さんをこれから育てようとされる方、育てている方、気が付かないうちに、とんでもない方向に子供たちが連れていかれようとしている。国家神道のプロパガンダたる教育勅語を教育現場に導入しようという勢力と同じ人々が、銃剣道を教育現場に導入しようとしている。それでよいのか、と尋ねたい。

銃剣道と教育勅語 

文科省は、新学習指導要領で、中学校の武道の選択に、「銃剣道」を加えた。銃剣というと、銃の先に短剣を装着して、白兵戦の戦闘行為で殺し合う武器を思い描く。が、確かに、スポーツとしての銃剣道なるものがあるらしい。日本銃剣道連盟という団体もある。だが、その会長は、元自衛隊北部方面隊総監の酒井健氏である。銃剣の訓練は、自衛隊のなかで必須項目として行われているらしい(米軍では、海兵隊以外銃剣の訓練をすでに中止している)。東京都銃剣道連盟会長は、かの小池都知事だ。小池女史は、いまでこそ都民ファーストとして、やわらかな印象を与えているが、以前からかなり極右的な言動の多い政治家だ。銃剣道を、柔道や剣道と並列することは、違和感がある。銃剣は、基本的に殺傷することを直接の目的とする武器であり、剣道のような長い歴史があり現在殺傷とは無縁のスポーツとは、異なる。だからこそ、自衛隊の必須の訓練項目になっているのだ。直接的な殺傷を目的とする訓練である。

教育の場で、教育勅語を用いることは否定されぬ、と政府は見解を述べた。「教育勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切である」としたうえで、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書を閣議決定した。民進党の初鹿明博衆院議員の質問主意書に答えた、ということらしい。

教育勅語が、天皇を国民に崇めさせ、天皇制を維持するために命を投げ出して戦えという、国民を教化するための文章であることはすでに述べた。教育勅語によって、わが国は第二次世界大戦の破局へと突き進んだわけだ。戦後、国会で教育勅語の廃止が決議されたのは、そうした歴史的経過への反省からだった。だが、教育勅語を、教育現場に導入することに異を唱えぬばかりか、森友学園のように、教育勅語を単刀直入に教育現場に導入しようとする教育を、安倍首相は誉めそやしていた。政府・行政は、教育勅語を教育に導入することには抵抗はなく、むしろ積極的のように見える。

銃剣道の武道としての選択、教育勅語の教育現場への導入、これらから、現政権がわが国をどのような方向に導こうとしているのか、明白な形で見えてくるのではないだろうか。これからお子さんを育てる世代の方々は、この現実を十二分に考えた方が良い。

小学校道徳教育のイカガワシサ 

ちょっと前に紹介した通り、先日、国会答弁で文科省の官僚が「教育勅語の内容は優れている」と答えていた。森友学園の幼稚園で教育勅語を暗唱させている教育について、安倍首相等も絶賛していた。

教育勅語とは、国民を天皇の配下にある臣民として規定し、国家神道の教義を国民に浸透させようとするものだ。教育勅語の枠組みは、天皇臣民関係に基づく国体・天照大神信仰・皇祖皇宗への畏敬の念・天皇崇敬という、宗教的な教義である。中身は儒教に基づく道徳的徳目をただ単に羅列したものだが、核心は、一旦国家に危急が生じたら、天照大神の神勅に従って天皇に仕え支えること、即ち命を投げ出して天皇のために戦うことを要求する、前近代的、カルト的な内容だ。それが、国家を狂気に陥れ、国を1945年の破滅に追いやった。その反省から、教育勅語は廃止されたはずだった。ところが、教育勅語が堂々と政治・行政の場で復権しているのである。

それを忖度したのか、小学校道徳教科書の検定が、とんでもなく偏ったものになっている。そもそも、道徳を教化として教えるということのイカガワシサは置いておいても、この検定は笑えて、その後背筋が寒くなる。

経済特区や規制緩和という隠れ蓑を使って、自らの関係者に国の資産をただ同然で譲り、そこに特定の教育機関を作らせるということが、どうしたら「節度、節制」「感謝」「国や郷土を愛する態度」に結びつくのだろうか。

以下、引用~~

小学校道徳教科書への文科省検定に関して、朝日新聞デジタル版から引用~~~

「しょうぼうだんのおじさん」という題材で、登場人物のパン屋の「おじさん」とタイトルを「おじいさん」に変え、挿絵も高齢の男性風に(東京書籍、小4)▽「にちようびのさんぽみち」という教材で登場する「パン屋」を「和菓子屋」に(同、小1)▽「大すき、わたしたちの町」と題して町を探検する話題で、アスレチックの遊具で遊ぶ公園を、和楽器を売る店に差し替え(学研教育みらい、小1)――。

 いずれも文科省が、道徳教科書の検定で「学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切」と指摘し、出版社が改めた例だ。

 おじさんを修正したのは、感謝する対象として指導要領がうたう「高齢者」を含めるためだ。文科省は「パン屋」についても、「パン屋がダメというわけではなく、教科書全体で指導要領にある『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ』という点が足りないため」と説明。「アスレチック」も同様の指摘を受け、出版社が日本らしいものに修正した。

 「ここまで細かいとは」。各社の編集者はこうした検定のやり方に戸惑う。

 検定に臨んだ8社は、2015年に告示された指導要領が学年ごとに定める「節度、節制」「感謝」「国や郷土を愛する態度」など、19~22の「内容項目」を網羅することを求められた。

 学校図書(東京)の編集者は指導要領やその解説書を読み込み、出てくる単語をリスト化。本文や挿絵、設問に漏れなく反映されているか入念に点検したが、それでも項目の一部がカバーされていないという検定意見が数カ所ついた。別の出版社の編集者は「単語が網羅されなくても、道徳の大切さは伝えられる。字面だけで判断している印象だった」と不満を口にする。

 最終的に、検定では8社の計24点(66冊)の教科書に誤記や事実誤認を含めて244の意見がつき、このうち43が指導要領に合わず、「本全体を通じて内容項目が反映されていない」などの指摘だった。