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FOCQP Sept 2018 

この週末は、FOCのQSO Party。もう競争の催しには出る気が失せているが、数少ないJAメンバーのactivityが低いようなのと、14メガが良さそうなので、出てみた。大体呼びに回ったが、数局から呼ばれた。東海岸まで開けていた。

少し意地になって、なにがしかの近況報告をするように仕向けた。皆さん、古くからの知り合いなので、いろいろと懐かしい話を聞かせて下さる。どの交信も、昔を思い起こさせる楽しいものだった。が、全体的な印象では、やはり高齢化している。交信内容、それに亢進スタイル、キーイングまで、年齢を感じさせる。私がお目にかかった方々は、80歳台の方が結構多かった。話題は、やはり健康問題。それはそれで、楽しい。古くからの知り合いであれば、話されることに一つ一つ相槌を打つことができる。いやぁ、それでも高齢化をひしひしと感じる。

このクラブは、30、40歳台のメンバーはほぼ数えるほどしかいないのではあるまいか。事務局を取り仕切っているG7VJRとかDK7LXとかが例外的な若手だ。FOCに加入することがステータスという迷信に近いCWマンの思いもあり、全世界で500名限定というメンバーが定員割れすることはないのかもしれないが、昔のようにオールマイティなCWオペではなく、やはりコンテスト主体のCWマンに置き換わって行く予感がする。現に、今もそれが進行中だ。

ヨーロッパの知り合いの多くがメンバーを外れるか、SKになってしまった・・・。親しくしていたメンバーは、DL4CF、LA4XX、OZ4UN等々ごく少なくなってしまった。Gの面々では、GW3YDX、G4RCG、G4BUE等々のみ。CONDXの所為もあり、本当にご無沙汰している。今夕、14メガがLP・SPで開けるころに、ヨーロッパに向けてアンテナを振ってみるか・・・。

いつまでFOCのメンバーでいるか先が見えてきた気がする。その時まで、無線で友人たちとおしゃべりする。CWよ永遠にではなく、CWの思い出よ永遠にというところか・・・。

N4AR/8 

Bill N4ARと今朝14メガで会った。N5IRと昔話をしていたところにブレークを入れてくれたのだ。少し上の周波数に動いて、Billと続けた。彼はミシガンから出ていた。そうだった・・・昔彼が学生時代にK4GSU/8で出ていた場所から少し離れたところからだ。アンテナは35m高の4エレ。CONDXが中程度だったが、強い。

彼は、循環器内科医としての仕事を終えて2年。もう夜中に病院からの電話で起こされることも、午前3時にERに出向くこともなくなって、清々しているとのこと。テレビで新薬の宣伝を見ても、それが何なのか分からなくなってしまったが、もう構うことはないとも仰っていた。

以前にも記したが彼が現役の医師として働いていた折、あちらの早朝に7メガで強力に入感したものだった。VS6DO等と悠然と交信をしていた。私も時々お相手頂いた。母親の心臓や内科的な問題について助言をしていただいたこともあった。何しろ1960年代、彼がK4GSUで出ていた頃から交信を続けていたCW愛好家だったし、同じ職業であったということもあり、彼にはとりわけ親近感を感じていた。10数年前に、ice stormによってローバンドのアンテナをすべて失ってしまい、その後しばらく乗馬に凝って、無線から離れておられた(このことはすでに記した)。

今回滞在していたミシガンの別荘では、4エレのトライバンダーを35mに上げている。かなり強い。7メガの2エレも上げたいとのこと。ケンタッキーの自宅では、7メガは今2エレしかないが、早く3エレを元に戻したいとのことだった。

一頃、乗馬に精を出していたようだが、今は30%の時間だけを乗馬に割いているらしい。

ローバンドで彼の強力な信号を聴けるのも、そう遠くはない。

つい最近80歳になった由・・・今でも私の中ではこの画像のイメージなのだが・・・時間が経ったものだ。彼は80歳になるとは思っていなかったと言って笑っていた・・・。

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JA5DQH奈木氏が彼を訪問した際に撮った画像。1980年代末だったか・・・。

Ray K7FU 逝去 

先ほど、FacebookでRay K7FUが永眠なさったと、お嬢様がポストされた。昨年、T細胞リンパ腫に罹って、まる一年の闘病だった。化学療法を受け、骨髄移植を受けることを望んでいた。だが、それは実現しなかった。

彼とは、この10年ちょっとしばしば7メガでお会いした。PCログで2013年からの記録を見ると、79回交信していた。こちらの深夜、切れ味鋭いCWで良く呼んでくださった。生活のこと、家族のこと等を話した。古き良き運用スタイルを維持するお一人だった。

また病気を克服して、いつも楽しんでいた釣りをするのだと仰っていたが、それも叶うことがなかった。

Facebookでお悔やみを申し上げると、お嬢様がすぐに返事を下さり、彼が私と話をするのを楽しみにしていたこと、私のことをしばしば口になさっていたことをお知らせくださった。

アマチュア無線が、私の中で過去のものにまたなって行く。

過去に彼を取り上げたポスト、こちら。

Bug Users Group 

数日前に、Benny K5KVから、Bug Users Groupというクラブを結成するので、立ち上げメンバーとして参加してほしいというメールが来た。

どのように返事したらよいか、迷っていた。どちらかと言うと、うまく断れないかと考えていたのだ。その理由は、第一に、私はバグユーザーと言えるほどバグキーを使わないこと。使っても、ゆっくりなスピードに飽きてしまい、エレキーにすぐ変える傾向がある。バグキーの味わいは良くわかるのだが・・・。過日、1980年代に何度も交信させて頂いたローカルのJA1IMZ局に7メガでお会いした。ますます流麗なバグキー捌きである。私は、彼のようには打てない。

第二に、私自身、アマチュア無線をダウンサイジング、ないしフェードアウトする積りでいること。もうたっぷりアマチュア無線を愉しませて頂いたし、同じように愉しむ仲間が、櫛の歯がぬけるようにいなくなっていることもある。そして、官僚制と、利権漁りの連中に食い物にされた我が国の免許制度。はっきり言って、アマチュア無線への未練はもうなくなった。

返事をしないでいたら、Don WB6BEEや、John WA9AQNから、入れという督促のメールが昨日きた。Bennyからも、それ以前に返答を催促されていた。charter memberのリストを送ってくれた。Nr1は、Summer VE5SDHである。彼女のことは以前に記したが、先天性の病気で全盲。数年前にCWを始め、瞬く間に上達を遂げた。最近、乳がんにかかりあまり思わしくない経過のようだ。彼女を元気づけたいという思いから、彼女をNr1にしたのだろう。Benny達のやさしさを感じた。あとの面々も、西海岸の連中が主体で、7、8割方は知人。仲間内のクラブ・・・。

で、メンバー登録を行った。メンバー証としてアワードを送ってくれるらしい・・・もちろん、メール添付の画像だろうが。バグキーを使わない方、バグキーオペのことを批判する方「以外は」メンバーの資格があるらしい。会費無料。

さて、このクラブがCWによるゆったりとした会話を活性化してくれると良いのだが・・・。

W6YYM in 1951 

Ellen W1YL の新聞記事、1951年、当時はW6YYMだった。

彼女は今も電信を叩いている時が一番と言う。

w6yym 1951

一期一会の思いで 

バンドは夏枯れの時期を脱しつつあるのだろうか。昨夜、14メガが北半球全体に開いていた。信号はさほど強くはないのだが、ヨーロッパ、東・西海岸全体に開けていた・・・といっても、バンドは静まり返り、CQを出してRBNが挙げてくれるリポートでそのCONDXを判断したということだ。

二、三回CQを出すと、クラスターにアップされたのか、続けざまに北米の局から呼ばれた。懐かしいコール。W2MV、K4DGJ、W9ACそれにK3TF等々。K4EJ Frankとは以前一度お目にかかっていたが、記憶にない。屋根の上に上げた小さなトライバンダーとベアフットという小さな設備なのでと早々に切り上げようとしていたので、いやビッグガンとはいかないが、完全にコピーできると言うと、堰を切ったように話し始めた。以前、ミズーリからKA0GGIというコールで出ていた、そのころから何度も私と交信した、とのこと。記録簿を見ると、たしかにKA0GGIと1990年に交信しており、さらにそのコールは記憶に確かに残っていた。それを申し上げると、また昔の思い出を打ってこられて・・・残念ながら、混信とQSBで半分ほどしか分からず。でも、キーの向こう側で、興奮して打電している彼の様子が手に取るように分かった。嬉しい再会だった。

この次々に現れる旧友たち、異口同音にCWに出る局ががたっと減ったと言っていた。同じことを言うので、苦笑い。確かに、CWに出ていた局の多くが、デジタルモードに流れたのは事実だろう。だが、そうした局は、DXと効率よく交信することを目的にしている方々だったわけで、現在のCWのactivityが本来のactivityなのだ。CWによる会話の輝かしい歴史が閉じようとしていることを改めて確認した。でも、この連中もみな何か歳をとったなぁと、彼らの言うことに耳を傾けながら、思ったことだった。

少し無線から距離を置くようになり、状況を客観的に眺めることができるようになった。1960年代から(70年代はすっぽり抜け落ちているが)、CWがアマチュア無線の王道であった時代を愉しませていただいた。その同行の友人たちと何時まで付き合いを続けることができるか、一期一会の思いで一つ一つの交信を行う。

Erik SM0AGD 逝去 

今月上旬、Erik SM0AGDが、サイレントキーになられたことを、FOCのMLで知った。Erikのことは、過去に二度ポストしていた。QRZ.COMの記録によると、彼は1971年から2001年まで、世界中の珍しいentityから出ておられた。1980年代のパシフィックシリーズ、それに1989年の3C、3C0が、私にとって、彼を活発に追いかけたオペレーションだった。彼は運用がうまく、さらに単にリポート交換だけに終わらず、時間があれば一言二言言葉を交わすスタイルで運用していた。自宅では、バーチカルにベアフットという設備だけだったようで、そちらからお目にかかったことは一、二度しかなかった。彼がどこからか出てくると、うきうきして待ち構えたのを今でも覚えている。

1990年前後の晴海のハムフェア―DXコンベンションで一度お目にかかった。やわらかな物腰の紳士で、国連の関連団体で途上国への援助に携わっていることを伺った。実際にお目にかかった印象がとてもよく、SM0の局とラグチューになると、彼の近況をしばしば伺ったものだった。このところ、CONDXの低下と、activity全般の低下が重なり、SMの局にお目にかかることが殆どなかった。そうした中での、彼の訃報、残念でならない。古き良き時代と、これからのアマチュア無線とについて、彼の考えをじっくり伺ってみたいものだった。

もうDXから離れて長く経つので、現状が良く分からないのだが、1980、90年代を彩った優秀なオペは、ほとんど聴くことがなくなった。例えば、VK9NS、ZL1AMO、DK7PE、G3SXW等々、サイレントキーになったり、活動をほとんど聴かなくなったり・・・。昨日会ったSteve N6TT、彼は3年間ほどQRTしていたわけだが、彼もCQを出してもほとんど応答がないと嘆いていた。特に、昨年来、ガタッとactivityが下がっている。時代の変化なのだと受け入れることだろう。もう、あの優れたオペ、DXもラグチューもこなした連中の時代は戻ってこない。

RIP to Erik.

久しぶりの無線 そして無線の行く末 

この二、三週間、無線に出る機会が激減。以前は二、三日でないと、禁断症状を起こしたのだが、少し出るのを控えていたら、出ないことがストレスにはならないことが良く分かった。いわば、addictionから離脱に成功した気分 苦笑。これで、徐々に無線からfade outして行くこともできようというものだ。

昨日、JA7WTH Hiroさんをお呼びした。しばらくぶり・・・と言っても、二、三か月ぶりか。私があまり出ていないことを指摘され、先日Ellenとの私の交信をお聞きになったのがしばらくぶりだった由。広瀬川の川べりを散歩しながら、スマホで私たちの交信をお聞きになっていたらしい。米国のSDR局をネット経由でお聞きになっていたのだろう。便利な世の中になったものだ。彼は、仕事場の新しい建物がいよいよこの秋竣工らしくお忙しい由。

W6QRとも一か月ぶりの交信。Steve N6TTが、長いQRTの後、無線機IC7610を手に入れて、仕事場から出てくると言う。やがて、Steveを交えて、3局のラウンドテーブル。Steveは、電線に近い10m高のダイポールだったが、579で入っていた。実に、ほぼ3年ぶりの交信である。来月には、K7NVが自宅のローターの交換をしてくれる由。やはりベアフットにダイポールだと、CONDXが落ちると厳しくなる。盛んに電信の腕が落ちたという(実際には落ちていない・・・昔は、もっとまかったという誤った自己認識なのだろう 笑)が、私は、「今度は燃え尽きないようにね」と言ってお別れした。こっちが燃え尽きそうだと言いたかったが、それは省略。Steveも、いかに無線の全体的なactivityが落ちているか知ったら、きっとビックリすることだろう。この三年間の短い期間にも大きな変化があった。

この二、三日、ときどきバンドをワッチしているが、本当に出ている局が少なくなった印象。基本的には、全体の高齢化もあるのだろうが、日本の場合は、やはり免許制度が七面倒くさいのも大きな理由なのではないか。座学により初級の免許を取るのに、養成講座費用として2万円前後かかる。従事者免許と、局免許が別。局免許に移動と固定の別がある。そして、書類上だけの意味のない保証認定制度。それに、今度は、これまた世界に類のない「新スプリアス制度」である。オンラインで免許申請ができるようになったと思ったら、返信用封筒を送れとの当局の時代錯誤な指示。ガラパゴスも良いところだ。

全体として、アマチュア無線、特にCWは斜陽であるのは確定的な事実なので、それに抗うことはすまいと心底から思うようになった。JARLの幹部たちは、それを知っているのだろうか。自分たちはアマチュア無線の中心にいると思い込んでおり、足元が大きく揺らぎ始めていることに気づいていないのではないか。少なくとも彼らの一部は、アマチュア無線で利権を漁ろうとしているさもしい連中なので、そうした危機意識は皆無なのかもしれない。残念ながら、彼らと、アマチュア無線で利権を得る官僚・民間の連中によって、我が国におけるアマチュア無線の消滅は早まる。

True Blue DXers Club 

Reinhard DL1UFからのメール。アマチュア無線、とくにCWの衰退について、英文ブログに記してから、何度かメールのやり取りをしている旧友だ。

True Blue DXers Clubという団体について知らせてきてくれた。こちら。

この団体の立ち上げを知った時に、まっさきに思い起こしたのが、私のことだった由。

PCに依らない、アナログの交信を愉しもうではないかというクラブのようだ。会費も何もないので、クラブというよりも、メッセージを発信するための集団か。

OK1RPは、元OK1CQR。ハムのデータベース構築等で活躍なさってきた方。

関東の総通は、新スプリアス規制に合格したリニアーを発表した。エリアにより、その動きがないところもあるらしい。要するに、行政の一存で決まる。また、新スプリアス規制に不合格だとして差し戻されたリグを、JARDの保証認定を通したら、一発で合格になったという話も聞いた。行政が、JARD等保証認定団体への利益誘導をしている可能性が高い。

また、日本以外の国では、アマチュア無線団体が、当局と交渉し、アマチュア無線をこのITUの規制の対象外にしている、とも聞いた。JARD等に利益を誘導するだけのこの珍妙なスプリアス規制を、アマチュア無線に課しているのは、わが国だけ。昔の共産主義国家でもこんなことはなかったのではあるまいか。当局に規制緩和を求めるべきJARLが率先して規制のお先棒を担いでいる。JARL会員は、保証認定を受ける際に、割引されるらしい。スプリアス問題という事実の認定の問題に、なんで割引なのだろうか 苦笑。JARLは、アマチュア無線家の敵になった。

良い志のクラブを紹介して下さり有難い、しかしアマチュア無線の将来は暗いと、Reinhardに書き送った。その意気や良しである。一応メンバーに加えてくださるようにメールした。幽霊会員確定ではあるが・・・。

John 9V1VVとfacebookで再会 

facebookを見ていたら、John 9V1VVからfriend requestが来ていた。以前facebookに入っていたが、2,3年に退会したことを知っていた。

メッセージも来ていたので、しばらくチャット。やはり海の仕事に戻るらしく、現在、研修のために、フィリッピンのスービック湾に滞在中の由。3日後に一度シンガポールに戻り、3週間の休暇になるそうだ。自宅から無線に出る、とのこと。船からの運用は無理らしい。

メッセージを下さった理由の一つは、私が「大地の歌」について英文ブログに記した内容にコメントをしたかったのだが、コメントできなかったためらしい。「大地の歌」の終楽章「告別」は、交響曲第九番につながる、その内容は歳をとっても記述するのは難しい、とのこと。あの音楽が、この歳になってようやく理解できるようになったのだから、歳をとることも悪いことではないと言うと、その通りだ、との返事だった。

最近、トルストイを読んでおられるらしい。どんな作品か、その感想は、という議論まではする余裕がなかった。私の方は、読むのはもっぱら、政治経済ばかり。わが国が米国の支配下にあり、その被支配関係によって利権を得る人々と、米国によって牛耳られていると申し上げた。あまりくよくよしないことだ。我々が変えられることはほとんどない。毎日出会う人々との関係以外は・・・と彼が言う。

無線に関しては、かのFOCさえも、コンテストクラブに変容してしまったように見える。私があのクラブ、いや無線そのものに別れを告げるのもそう遠くはない(という私の常とう句)と申し上げた。彼も船に乗っている間は無線ができず、そのためにfacebookにカムバックしたのかもしれない。

というわけで、この二日ばかり無線をまったくやっていない・・・とても珍しいこと・・・が、その代償になるようなチャットであった。これがあれば、無線は私にはあまり要らないなぁ・・・。

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彼が我が家に来てくれた時、たまたまオケの練習で、半強制的に練習場に連れて行った。その時の画像。7年前・・・「もう」というべきか、「まだ」というべきか、7年間経ったのだ。その際に練習していたのが、ブラームスの2番。懐かしい。