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JS6TMW Steve と ハムフェアで昼食 

Steve JS6TMWがハムフェアのために上京します。一緒に昼食をとる予定です。

参加を希望される方は、個人メール、ないしこのポストへのコメントで参加表明をしてください。

日時;8月31日 午後0時

集合場所;ハムフェア 会場入り口(入り口の会場外の場所)

昼食会場;会場建物のレストラン

恐らく2時間程度になると思います。

Night Owlers 

昨夜、チェロの練習に少し行き詰まり、寝る前に気分を変えようと、無線に出た。7メガ。夜11時近かったが、西海岸にまだ開けていた。この時期としてはバンドが静か。夏至を過ぎて1か月以上経ったからなのだろうか。

西海岸の局2局と簡単な交信。言いたくはないのだが、7025より上に出てくる初心者+アルファの局は、英語のnativeであっても、CWの解読ができない局が多い。いないよりはましかと思いながら、交信を手短に終わらせた。

これが最後と思って、CQを出すと、弱い信号でVK4YD Daveが呼んできてくれた。ビームを向けるとS6くらいまで上がって、十分ラグチューが可能。彼のことをすぐに思い出せなかったのだが、PCログの記録で、ex VK4CEUであることを思い出すことができた。しばらく前、数年前だったか、何度か交信している。その様子を記載したポストがこちら。Daveは、すでに81歳。ゆっくりした昔を思い起こさせるバグキーで正確な符号を送って来る。

彼との共通の友人Tim VK3IMにちょっと前に電話したところだと教えてくれた。Timは、以前からのメルボルン近郊の自宅に一人で生活している由。以前からの健康問題が続いているようだ。買い物や食事に関しては手助けしてくれる方がいるらしい。生活が大変だが、Daveが電話をかけてきてくれて嬉しい、ということだった。

Timを含めたCWにactiveな連中がメルボルン周辺にかって数人いた、との彼の話し。夜遅く7メガに出てきて、わいわいやっていたらしい。night owlersと呼び合っていたそうだ。そのメンバーは、Tim以外に、Ron VK3BRC Frank VK3FC Snow VK3MR等。Daveは、当時VK3ABRだった。西海岸のEd W7COB、Merle K6DC等と交信をして楽しんだものだった、とのこと。驚くべきことに、こうしたコールの面々と私も1960年代、そして1980年代にしばしば交信したことをはっきり覚えている。W7COBは1981年にSKになってしまった由。DaveとTim以外も皆もうSKである。

日本時間の夕方、7メガでVK2NSとK6NBの間でskedが組まれ、そこに相伴するように今は亡きOT達(当時はまだ若者)がたむろしていたことを、以前から何度か記した。残念なことに、私の知る限り、そのグループで生き残っているのは、Kemp K7UQHのみ。その連中より少し後になってのことかもしれないが、少し遅い時間帯に、こうした別のグループがいたことを知り、新鮮な驚きだった。

そして、私はその両方のグループを良く知っている・・・ということは、私が博物館級の存在になりつつあるということなのかもしれない。そして、これら二つのグループ以外にも、パスが安定していた7メガで同じようにたむろしていたCWマンのグループがあったのかもしれない・・・。

昨夜、facebookのCWオペがたむろするグループに、この交信のこと、night owlersのことをポストしてみた・・・もしかしたら、誰か当時を知る方がいるかと思ったのだ。だが、そのグループは比較的初心者が多いためか、直接思い出を共有できるような方はいなかった。

Daveと私が最初に交信してから51年経った・・・。


最近の7メガ・・・ 

Jerry KC4YDPとは、1980年代から、夕方の7メガで時折交信を続けて来た。1990年代には、今は亡きDon K5CA等とラウンドテーブルになることもあった。あちらの早朝、彼はいつも通勤途上モービルからの運用だ。

この数日、また昔のように、陽が沈む前後7メガに出ている。先日、Jerryに呼ばれた。やはりモービルの運用で、一時フワッと信号が浮かび上がったが、その後また深いQSBの谷間に沈んでいった・・・その直後に呼んでくれた、Jack WA7HJV・・・彼ともしばらくぶりだった・・・が、彼の通勤途上に大きな橋があり、そこを渡っている時に、信号が浮かび上がるのだと教えてくれた。なるほどと納得。この真夏の7メガで、フロリダからのモービルの信号が了解可能な強度で届くこと自体驚きだが、その橋の上というロケーションもそれを可能にしていたのかもしれない。

昨日、Jerryと再び会った。珍しく自宅から。自宅では14m高のZeppに800W。かなり安定して聞こえる。例の橋は約2マイルの長さ・・・かなり長い・・・で、信号が浮かぶのは2分間程度と言って笑っていた。まるで流星通信のようだと私・・・。

若手だと思っていた彼もすでに72歳。今の職場、NASAだったか、では週30時間だけパートタイムで仕事をしている由。奥様の医療保険が受けられるように働き続けてきたが、来年2月には彼女がMedicareのサービスを受けられるようになるので、そうしたら完全にリタイアする積りだ、とのことだった。いよいよ聞きなれたKC4YDP/Mというコールから/Mが取れる日が来るわけか・・・。お疲れ様、Jerry。

Ellen W1YL/7ともお会いした。午前3時過ぎ、DXが聞こえなくなってしまってはいけないと、身体が自然に起きだすのよ、と言って笑っていた。例によってネヴァダのW7RNをリモートで運用している。共通の友人の話題。それに、ジムでの運動のこと。やはり膝の状態が良くないが、それ以外は大丈夫とのこと。ジムで運動することが、一仕事のようだ。92歳になると、我々が当たり前のこととしてやり過ごしてきたことが、すべて一仕事になるのだろう。だけれど、独立して自分で生活できているから満足している、とも仰っていた。彼女は、リベラルな思想の持主であり、独立心が旺盛な方でもある。朝の無線の運用をまるで勤行のように行ってお出でだが、交信して話をする相手が少なくなったとも仰っていた。それでも、リモートの信号は超強力。CWの女王の貫禄だ。

か弱い信号で、Rod K5BGBも呼んできてくれた。やはり彼の低いG5RVにベアフットでは、コールを確認することだけでも大変。VK3CWBとのスケジュールは今も続けている様子。奥様もお元気とのこと。私の信号を聴いて、いつもは聴くだけなのだけれど、何としても呼びたかったのだと仰る。何度も記してきたが、1988年に私をFOCに推薦してくれた面々の内の一人。存命の推薦人は、Chris G4BUEと彼だけになってしまった。Cを長点四つをつなげて打つ、コンチネンタルコードを今も使っておいでだ。Cheersという最後の挨拶をそのコードを用いて打ってこられた。それを聞くと、1980年代、CWがまだまだ活発に運用されていた時代を改めて思い起こす。また秋になったら、も少し長話ができるようになることだろう。その時まで、という思いを込めて、お別れの挨拶をした。

というわけで、少しactiveに出ているが、やはりバンドはCONDXの低下以上にactivityが落ちている。それを嘆くことなく、恐らく終焉となるであろう、この時間を昔からの知り合いと、声を交わしたいものだ。

NN6EE exWB6BBCと初めてのアイボール 

昨日、1960年代からのアマチュア無線の友人Jim NN6EE exWB6BBCとお会いしてきた。お台場のホテルに10分程度遅刻。ラウンジで約束のカウボーイハットを被った彼をすぐに見つけた。「Jim?」と尋ねると、破顔一笑。握手では収まらず、ハグの嵐。想像していたよりも小柄で、私と同じか少し低い位。ハットの脇から白髪が覗く。落ち着いた感じの奥様も登場。御茶ノ水に向かう。眺めの良いレストランで落ち着き、しばし昔のこと、現在のことを伺った。

1960年代、彼によると、あちらの早朝に7メガによく出ていた。踊る様なバグキーで送られてくるWB6BBCというコールは、当時バグキーの長点側でゆっくりした符合を送ってきたWB6BFR Ralphとともに記憶にしっかり残っている。話した内容は、CONDXのことや無線機のことばかりだったのだろう、あまり記憶に残っていない。しばらく前にアップしたポストに載せた画像の通り、こちらの平均的な生活水準からすると、豊かな青春時代を送っておられるように見受けられた。

彼は、10代のころから休みなく無線に出ていたらしい・・・ただ、20歳から30歳台は経済的に苦しく、あまりactiveではなかったようだ。私が、1970年代は音楽に夢中になっていて出ていなかったと言うとニッコリ笑っていた。大学を卒業後、建築資材の鉄板を扱う仕事に従事、組合活動にも従事したらしい。52歳にして早期のリタイア。ご両親からの遺産が入ったことと、年金が好条件で得られるようになったためらしい。二人のお子様は既に独立し、家庭を持ち、お孫さんが三名。サンフランシスコ近郊に皆お住まいのようで、奥様は2,3週間おきに彼らの家庭を訪れているということだった。Jimは、根っからの共和党支持者。トランプも強力に支持しているようだ。旅行も度々でかけ、昨年は英仏を訪れたらしい。来年はイタリーの予定。医療面は、Medicareが診療部分をカバーし、職域の医療保険が処方薬の費用をカバーしている、とのこと。近くにUSDaviesのメディカルセンターはあるし、良いかかりつけのGPがいるし、医療面では問題がない様子だった。ただ、痛み止めとして、麻薬を処方されることが多く、社会問題になっているらしい。Jimは、まだ無線にに熱心。308エンティティCFMのようだ・・・実際、パイルアップで時々彼のコールを聴き、「貴方は若い」と思っていたと言うと、笑っていた。

なんやかんや話しているうちに2時間以上経ち、話を切り上げ、お別れすることにした。ベイエリアに来ることがあったら、連絡をしてくれと言われた・・・何時になるやら。お互い、もう若くないのだから、身体を大切にして、これからの残りの人生を過ごしていってもらいたいものだ。奥様は、私たちのこの会見は、知り合ってから半世紀以上たってのことで、新聞に載っても良い出来事よね、と言ってくださった・・・。確かに、10代のころ、狂ったようにやっていた無線で知り合い、またここ10数年何度かお空でお目にかかり、こうして人生終盤になって初めて直接お目にかかるというのは稀有なできごとではある。

年寄り二人 苦笑。

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Jimと奥様。

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少し時間があったので、周辺を少し散歩。私の母校の前の道。私が学生時代を送ったころから、建物はすべて建て替わっていた。お茶の水の駅舎も改装中であった。こうした道路、壁、それに階段等は、昔の面影を残していた。きっとそれもあと10年、20年したらすっかり変わるのかもしれない。

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夕方には、自宅に帰着。

ex WB6BBC 

今月中旬に来日する旧友の件・・・Jim NN6EE、ex WB6BBCというハム。最初に交信したのが1967年前後らしい・・・彼が19歳、私が17歳の時だった。10年ほど前に別なone by threeのコールを持っておられたときに再開。あのWB6BBCかとビックリした。以前にこのブログにも記したが、1960年代、彼はスイングの大きなバグキーを使っていた。7メガの夕刻、バンドがまだノイジーになる前に、しばしば交信した。のんびり交信モードだったと思う。何を話したのかは思い出せない。

wb6bbc-2 1968

1970年代に私が無線を一旦止めていたときも、彼からもらったこのカードや、後でアップする写真は大切に保存していた。ほぼ同年代ということでとくに記憶に留めようとしていたのだろうか。このカードは、恐らく手作り・・・または自分でデザインしたものだろう。バグキーがフィーチャーされている。だが、NN6EEとして数年前にお会いしたときには、ばりばりのエレキ―使いになっていた。それに、もっぱらDXを追いかけるのを愉しんでおられる様子だった。その後、2,3年に一度程度お目にかかっていた。

wb6bbc-1 1968

当時の彼のシャック。コリンズのtwinに、左側のリグはシグナルワンか?いずれにせよ、当時の私には高嶺の花、というか周りで目にしたことのないリグだった。Sラインよりは価格は低かったのだろうが、それにしても十代でこれだけのセットアップを所有できることに驚いた。私は、6AQ5の送信機から6DQ6Aにグレードアップ!したころだっただろうか。それとも2E26、はたまた6146か・・・。彼のカードには、ドレークのリグを使っていたとあるので、これとは別にドレークを揃えていたのか。いずれにせよ、Wの生活の豊かさに目を見張った記憶がある。

wb6bbc 1968

広大な邸宅に、大きな車・・・う~~ん、と唸った・・・かな。いずれにせよ、米国の恐らくは平均的なティーンエイジのハムの経済的に恵まれている様子に目を奪われた記憶がある。

正直なことを言うと、彼とは人生のさまざまな出来事を語り合った記憶がない。同じころに無線を始め、同じ時代を国は違えど生きてきた、ということだ。今月お会いするときに、お互いを認識しあうことができるかどうか。おそらく唯一のアイボールの機会だと思うので、じっくりと話しを聴いてきたい。人生の後ろを振り向くことの方が、前を向くよりも格段に多くなった今、彼はどのように来し方を振り返るのだろうか。

昨夕7メガで・・・ 

昨夕、日が暮れる少し前、ビールを一杯やりながら、7メガに出た。久しぶり・・・といっても、4日間だけご無沙汰しだたけだったが・・・。バンドは、この時期としてはとても静か。だが、CQを出しても応答がない。5,6回繰り返したところで、Don N4UBがコールしてくれた。彼とは比較的頻繁に交信してきたが、いつも信号の強さがイマイチ。ジョージア州の北東部、アラバマに近いところに住んでおられる。FOCを通して近しい知り合いになった。800Wに15m程度の高さのG5RV。その設備だったら、もう少し強くても良いはずだがと思わないでもない。だが、内陸部のジョージアだと、こんなものか・・・。いつものように、CWのactivityが低いことを嘆いたら、Ellen W1YLがリモートで出てくる、と慰められた。

Donとの交信を終え、一度だけと思ってCQを出すと、予想ドンピシャでEllenが登場。S9+10デシベル程度まで振っている。まるで空の女王様の風格。しばらくお会いしていなかった。facebookでは、時折、彼女がコメントなさったり、アップされたりしているので、健在であることを知っていた。だが、やはり直接お目にかかるのは嬉しいこと。George K5KGが、リモートコントロールのシステムをアップグレードしてくれた由。これでヨーロッパともっと交信ができるようになれば、と語っていた。愛猫Oreoは、やはり無線室で悪戯をするので、彼女が無線をする間、室外におかれている由。膝の具合は良くなくて、歩行時に痛みがある由。それでも、独立して生活をしている、と語っていた。90歳を過ぎて、一人で生活するということは、その生活そのものが闘いなのだろうと想像した。私も、70歳の大台に乗って、やはり時々年齢を感じると申し上げると、いやいや、70歳なんてまだ「若造lad」と断定されてしまった。彼女の年齢で、リモートのシステムを駆使してオンエアーを続けていること自体、他のオールドタイマーたちに勇気を与えることだと申し上げた。彼女は、最近二つの栄誉に輝いた。一つはロシアのアマチュア無線団体からの表彰。Krenkel賞というメダルを授与されたらしい。もう一つは、USCQのHall of Fame。米国のARRLのサイトに、それについて記されている。こちら。ますますお元気に無線を続けられるようにと申し上げて、お別れした。

この静かなバンドの状態は、確かに1960年代に私が7メガに狂ったように出ていた頃を思い起こさせる。当時の旧友が来月、来日する・・・その話はまた別なポストで・・・。

当時との違いは、私自身、それにアマチュア無線自体が、斜陽に向かっていることだろう。最後の輝きを放ちながら・・・私はもう燃えカスだが 苦笑。

VY1KX Allen 

先日から、夕方のビールが復活。庭仕事で目いっぱい汗をかいた後のビールは、旨い。体調を考えて、ビール断ちをして数か月。このまま行けるかなと思ったのだが、残り物のビールを冷やしたらさすがにその魅力に抗することはできない。

午後5時、まだ外は明るい。7メガを聴く。コンテスト局と和文局ばかり。空いているところをみつけて、バグキーでCQを出す。同じくバグキーで応答があった。旧知のAllen VY1KX exVE7BQOである。3年ばかり前に、VE7からお嬢さん夫婦の住むYukonに移住なさった方だ。以前、彼について記したポスト、こちら。

確か、5エーカーの土地に家を建て、新しい生活を始めたはず。近々、メキシコに住む息子さん夫婦、それにお嬢さん夫婦、孫娘が一堂に会することになると、嬉しそうだ。息子さん夫婦は「たった」2週間しか居ないのだ、と嘆いていた。私にも是非遊びにいらっしゃい、個人的にお目にかかりたいと二度も繰り返し言ってくださった。今すぐは無理だが、西海岸には、歳をあまりとらないうちに訪れたいと思っている、と答えた。

Yukon川でカヌーに乗って過ごしている由。もう少し暖かくなったら、庭にいろいろな植物を植えたい、とのこと。奥様がバンドでトロンボーンを演奏なさり、近々オタワに演奏旅行に出かける由。

あと二週間ほどで、70歳になると言ったら、彼は今月1日に70歳になったところとのこと。おぉ、偉大な49ersではないかと申し上げた。49ersのguruは、John K1JDなので、聞こえたら一声かけて、Allenも49ersだと自己紹介をするように言った。

彼は、昔から使用してきたFT Oneをまだ使っている由。デジタルモードと混同されないと良いね、と私。アンテナは、12mhのダイポール。それにしては、信号が安定している。ソリッドコピーである。こうした小さな設備の局と交信するのは、昔に帰ったようで、。ほくほくした気分になる。

45分ほどお喋りを続けたか・・・また、近々お目にかかりたいと申し上げて、交信を切り上げた。

輝かしい終焉 

2,3日前、あまりオペレートしなくなった夕方、というか午後遅くの7メガで、北米の東海岸と交信できた。午後3時20分頃、ノースカロライナのWayne W4HGが呼んできた。お互いノイズすれすれだったが、一応意思疎通はできる。ノイズレベルは極めて低い。彼はダイポールにKWで、ビームを想像していたので驚いてしまった。秋・冬にこの時間帯に東海岸に開けることは度々経験するが、春のこの時期にはとても珍しい。

思い返すと・・・以前に記したことだが・・・1960年代、この時期に、北米としばしば交信していた。あれは、高専に入ったころだったか、1年生の時には、授業は午後2時には終わり、すぐさま帰宅した。午後3時半頃には家に着き、まだ誰も帰っていない自宅に建て増しされた、本当におんぼろなシャックにこもった。まだ陽が高かった。自作のトリプルスーパーの受信機・・・酷いポンコツだったが・・・で耳を澄ますと、とても静かな7メガで西海岸の局が聴こえてくる。アンテナは地上高2m程度のGP。一応フルサイズでラジアルを3,4本張ってあった。狭い都営住宅で、隣の庭に侵入してラジアルを張らせてもらった・・・今から考えると、とんでもない迷惑をかけていた。西海岸の局と交信するのが楽しかった・・・とくに長話をするわけでもなかったが、太平洋の反対側のハム・・・多くはオールドタイマー・・・と交信することだけで満足していた。

あの当時のバンドの静けさ、それに北米からの信号が、また戻ってきたよう。半世紀前に同じような思いで、無線をやっていたなと思った。

残念ながら、当時出ていた局は殆ど聞くことがなくなった。唯一、当時からactiveだったCliff K6KIIは、コロラドで引退し、とても小さな設備になってしまい、ほとんど聞くことがなくなってしまった・・・のだが、先日、シアトルでお目にかかったVic WA6MCLが、Cliffと電話で話したと聞いて驚いた。Vicが無線を始めたころ、Cliffが近くに住んでいて、いろいろ教えてもらったらしい。CWの世界は狭い。そして、その狭い世界が、なおさら狭くなりつつあるわけだ。

私も正直言って、無線、CWへの情熱はだいぶ醒めてしまった・・・というよりも、普通の交信をする相手がいなくなってしまい、それによって興味が削がれたというのが正直なところ。CWでなければならない理由を答えることができないハムがふえているのではないだろうか。それで、すぐにデジタルモードに移行してしまったり、ただ記号のやり取りをすることだけになってしまったり・・・でも、もうその愚痴はよそう。CWは、輝かしい時代を生きて、今その役目を終わろうとしている。その時代を私たちは生きているのだ。

レジェンドと言われて・・・ 

先日、朝14メガが北米に良く開けていたころ、旧知のDan W7RFと、CWに出てくる局が減ったこと、若い人々が参入してこないことを嘆き合っていた。彼の所属するクラブでも、CWに出る会員は極めて少ないらしい。彼が相手をして育てているCWオペのビギナーが一人いるとのことだった。彼との交信を終えると、Steve KL7SBが強力な信号で呼んできた。CWは死なない、私は悲観的過ぎるというのである。彼はコンテストに熱心な方で、facebookではリベラルな主張を展開している方だ。ラグチューにも出てきてもらいたいと申し上げて交信を終えた。

その直後、Steveが私と交信したことをfacebookにポストした。「あのlegendと交信した」というのである。えっ、私がlegendとビックリ仰天。Steveが無線を始めたころ(’80年代だったか)、NYから私の信号を良く聴き、その後も変わりなく聴いていたというのだ。それに同調する方が何人かいて、legendであると繰り返されたので、これはおちょくられているのかと思ったが、彼らのアマチュア無線人生のなかで、私のコールが、いつも聞こえた遠いアジアの局の一つだったのだろうと想像した。決して、legendと言われるような活躍をしてきたわけではない。1963年に無線を始めて、69年には大学受験などがあり一旦完全にQRT。そして1980年に復活してから、同年代半ばに母校に試験管を振るために戻っていたために週一度ほどしか無線ができない時期があったが、その後は極めてコンスタントに無線に出続けていた。その継続していたことが、彼らの記憶に残った理由だったのではあるまいか・・・。

50歳前後までは、私も「若手」の積りでいたが、気が付くと、私よりも年配のCW Oprは少なくなってしまった。少なくとも、ラグチューをこのモードで愉しむ方は、私よりも少し若い方が多くなった。それも、私をlegendと呼ぶ理由なのかもしれない。高年になると、ただワッチしているだけになってしまうことが多い・・・それは、私の友人たちの様子からも分かる。

legendとWの方何人かに呼ばれて、面はゆいような気持になると同時に、もう先は長くないなとも思った。

次の世代のために何を残せただろう。これから、何かを残すことはできるのか。

一つだけやり残したことがはっきりしている。CWの解読のメカニズムに関する大脳生理学的な研究論文をリビューし、私自身の考えをまとめること。それだけは、何とかやり遂げておきたいと思っている。

でも、legendか・・・無線に出にくくなるな 苦笑。

K5BGB 再び 

今夜、7メガに出て、何局かと普通の交信をした。最後の交信を終えて、これで今夜は打ち止めだなと思いつつ、CQを出した。すると、SHIN?と打って来る弱い信号があった。時々、茶化すために私のコールだけを打つ局がいるが、名前を打つ局はあまりいない。?と打つと、DE K5BGBときた。テキサスに住む旧友、Rodである。彼のことは、過去に何度も記した。1980年代から90年代にかけて、7メガの夜早い時間帯にしばしば交信させて頂いた方。1988年に私をFOCに推薦してくださった方のお一人。以前にも記したが、彼は、その後狭い住居に引っ越され、アンテナが十分なものを立てられなくなり、無線でお会いするのは1年に一度あるかないか、程度まで減ってしまった。

実は、二日ほど前に、emailにホルストの「木星」の演奏のyoutubeアドレスを送って来て、是非聴くようにとのことだった。そうしたclipを他人に聴くように強制することは殆どしないのだけれど、と奥ゆかしい・・・恐らく高校生たちが、どこか自然のなかに入って、その曲を演奏したものだった。ホルストは、とくに好みの作曲家ではなかったので、何と答えたら良いかと迷っているうちに、無線でお目にかかることになったわけだ。朝日が高原に差し、そこで若い演奏家たちがたっぷりと歌う演奏を繰り広げている。たしかに、気分爽快な演奏ではある。

返事を早くすべきだったがと詫びて、遅い時間にお目にかかれるとは思っていなかったと申し上げた。こちらの時間で午後10時前。あちらは、日の出の直後だったようで、QSBがあったが、いつもカスカスの彼の信号も7、8割方読める状態だった。家族の状態の報告を交換し、早々にお別れした。もう少し早い時間帯であれば、もっと長時間交信し続けられたかもしれない。

彼のキーイングが、30年前と殆ど変わらず、ミスのない、単語間隔を微妙に長めにとる美しいものであることに感動した。1980年代にうっとりとしながら、彼のキーイングに耳を傾けた・・・それと同じことが今再現されているということへの感動。しかし、こうしたキーイングの美しさに感銘を受けるCWマンは、もうほとんど絶滅危惧種になっているのだろう。彼は既に70歳代半ば。今でも、VK3CWB Maurieとの定期交信を続けているらしい。是非、これまで通り元気にCWに出続けて頂きたいものだ・・・彼のようなオペが築いてきた時代はそう長くは続かないという予感も感じつつ、だからこそ、こうした交信は得難いものだと改めて思う。

交信を終えてすぐに彼からemailが来た。そのなかに、私がOKをコンチネンタル風にEEK(EEの間隔は狭目)と打つのを聴いて、感慨深かった、そうした符号を用いるオペが殆どいなくなってしまった、と記されていた。長点四つが、CHを表すことを、彼との交信から学んだのだった・・・。

彼も、CWの黄昏の時代に入っていることを感じておられるのだろう。でも、もうしばらくは、また同じように彼の華麗な符号を聴き続けたいものだ。