ネガティブ思考と思われるかもしれないが・・・ 

先日、英文ブログの方で、CWのラグチュワーが激減していることを記したら、私が悲観的になっているのではないかとWの友人たちに思われたらしく、励ましや、またはスケジュールの申し込みさえも頂いた。私は、現状認識を述べたまでだったのだが、Wの連中には、こんなネガティブなことを書くのは、ひどく落ち込んでいるに違いないと映るらしい・・・。書き方に注意しないと、誤解を招くという一つの例だろう。

で、K8IA Bobが7メガで交信しようとSNSで言ってきた。ようやく間に合って交信。彼は、N7ATというコールでコンテストにactiveな方だ。御年71歳。先日のAACWでコールしたら、歳をとったものだとのコメントが彼からあった。AACWでは、オペの高齢化に改めて考えさせられた様子だった。Bobは、Arizona Outlaw Contest Clubを主宰し、地域のコンテスター仲間とマルチオペでコンテストを楽しんでいるのではないか、と申し上げたら、他のメンバーはHOA(地域の持ち家の組織)の制限で満足なアンテナが建てられないので、彼のシャックで楽しんでもらっている、とのことだった・・・そういえば、AOCCの面々、自宅からの信号をあまり聞いたことがない。アリゾナ等という田舎でも、そんな問題があるのか、と認識を改めた。

翻って、JAでも都市部ではアンテナの制約でHFに出られるハムは、少なくなっている。ここにきて、都市部のHFを壊滅的にする出来事が進行中だ。パナソニックが、東京オリンピックを記念して(?)、例のPLLを規制緩和するように当局に求めているらしい。JA1ELY 草野氏達のPLLに対する行政訴訟は、敗訴したわけだが、一応、PLLの無制限の規制緩和にはブレーキをかける効果があった。だが、メーカーは、東京オリンピックを口実にPLLの商品化を進める積りらしい。そうすると、都市部はおろか、郊外であっても、HFはおそらく使い物にならなくなるのではないだろうか。当局はアマチュア無線、それもマイナーなHFのアマチュア無線なぞ眼中にない。メーカーの金儲けの話には、躊躇せずに乗るはずだ。私も草野氏の行政訴訟の原告に名前を連ねさせていただいた者だが、もうこれ以上抗っても仕方ないような気がする(PLLだけに関しては)。東京オリンピックを口実に、共謀罪法は成立し、憲法まで戦争をできるように改変され、挙句の果ては、PLLも規制緩和である。終りである。

Bobは、ラグチューにも少し出てくるか、と言っていた。だが、何時までそれができるか、が問題だ・・・。いかん、またネガティブ思考と思われるかもしれない・・・だが、これが進行中の現実だろう。

静かな7メガで 

このところ、雷雨が夕方来ないためか、7メガが日暮れ前後とても静かだ。日暮れ前、7メガが北米に開くときの独特の様子を感じると、二、三度CQを叩く。ほとんど応答がない。でも、テキサスに仕事で滞在中のJack WA7HJV、それにいつものEllen W1YLが時に呼んでくれる。

Ellenは、時々何もきっかけがないのに倒れることがあるようで、少し心配。意識障害はないようなので、不整脈によるものではなさそうだが・・・でも、W7RNのリモートコントロールでまるで十代の少女のように生き生きと電信を叩いている。

Jackは、新たに給電点が15mのInverted Veeを上げた様子。以前のground mountの14AVQよりは良さそう・・・と思ったら、14AVQはオクラホマの局に設置してあるアンテナのようで、比較は意味がない。彼は午後7時過ぎには床につくらしく、午前2時ころには無線に出てくる。こちらでは午後6時前後。この時間帯に定期的に現れる貴重な話し相手だ。今日は午前8時半から、白内障の手術らしい。右側は数年前に手術済みで、残る左側を受けるようだ。いかにもありきたりの挨拶だなと思いつつ、きっとうまくゆくと言ってお別れした。

そういえば、二日前に久しぶりにVic W9RGBにお会いした。夏至の辺りで、日の暮れるころに北米中部に開けることはあまり経験しないような気がする。彼とは、もう15,6年くらいの付き合いか・・・確か、21メガで最初にお目にかかり、当時イラク戦争の評価が問題になっており、それについてお話しした記憶がある。彼はリベラルな思想の持主で、イラク戦争には反対の立場だった。それ以来、親しくして頂いている。5年前の夏に、シアトルでご夫妻にお目にかかった。実は免許の更新をしようかどうか迷っている、何となれば、CWで会話を楽しめる相手がきわめて少なくなった、さらに免許制度が特定の人物・組織の利権に利用されている、と彼に申し上げた。彼は、やはりぜひ更新すべきだ、endeavour to persevereだよ、と。彼のその言葉が決定打だったのではないが、一応更新をすることにした。ETPと省略するという、その言葉、記憶に残った。長く生きていると、ETPしなければならぬことが多々あるものだ・・・。CWによる会話は、確実に希少な楽しみになりつつある。だが、それによって、多くの知己、親しい友人を得た。もう少し頑張ってみるか、というところだ。

願わくば、JAそして東アジアからCWによる会話を楽しむハムがもっと生まれてほしいものだ。

と思いながら、夕食を作るしばらくの間、7メガでCQを出す。

JA1XKM 

楽器の弓の修理ができたと、伊藤弦楽器工房から連絡があり、昨日、お昼前に桐生市に向けて車を走らせた。50号線を西走すると、桐生市の手前に足利市がある。栃木県の南西部ではもっとも大きな町だ。渡良瀬川が東西に走り、北の山々が迫る平地に、その町はある。そこを走るときに、いつも思い出す方がいる。杉田氏JA1XKM(現在のこのコールの持ち主ではない)。このブログに彼のことを記したと思い込んでいたが、検索しても出てこない。彼の思い出を記しておきたい。

彼とは、1980年前後私が無線にカムバックしたころに初めてお会いした。冬場、21メガが完全にDXに死んだ夜中、か細い電波で彼が呼んできてくれたのだった。足利市とは、大平の山が途中にあるため伝搬があまりよくないのと、彼も私も当時バーチカル一本で運用していたので、たかだか30、40km程度の距離だったが、地上波信号は減衰し、弱かった。ノイズすれすれだったが、リグのこと等で話が弾んだ。私が小児科の研修を始めたばかりの医師であることを告げると、彼が驚くべきことを私に告げた。彼は北大の医学部を出たのだが、体調を崩し、医師国家試験を通らないでいる、という話だった。慢性的な病気の性格から、主治医に医師になることは諦めるように忠告された、とのことだった・・・その主治医の方を私も存じ上げており、生半可にこうした深刻な忠告をなさる方とは思えなかった。だが、何としても医師になるという彼の気持ちを伺い、そして病気を抱えているからこそ良い医師になるのではないかと私も考え、何も具体的な力にはなれなかったが、応援をさせて頂いた。

彼の手作りのカード。最初にお会いして1年経った頃か。アンテナは、町中の店舗兼住宅だったご実家の屋根すれすれに建てた12AVQ。7メガは、エレメントが曲がりくねったダイポール。

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当時の杉田氏。

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彼の当時のリグ。FT101ZDだったか。奥に見えるのはBC348だったか・・・。

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その後、定期的にお会いし、私たちの住む狭い寮に泊りがけでおいでくださったこともあった。当時、東北本線に自治医大駅はまだなく、彼を迎えにでかけた小金井駅のコンコースで、トレンチコートを着た彼が笑顔で待ち受けていた様子を今でも思い起こす。その後、1,2年かかっただろうか、努力の甲斐あり、彼は見事国家試験に合格なさり、都内の大学の消化器内科の医局に入局された。その後、忙しい研修期間を経て、美しい奥様と出会われ結婚なさった。新宿のレストランで開かれたその披露宴に駆けつけたのが、昨日のことのようだ。

地方の病院勤務を経て、埼玉に新居を構え、近くの病院に常勤医として勤務されていた。二人のお子さんにも恵まれた様子だった。仕事が多忙だったためだろうか、無線にはあまり出てこれなくなり、年賀状を交換するだけの付き合いが続いた。

彼の奥様から、突然悲しい知らせが届いたのはもう10年以上前になる。脳幹部の出血を起こして、突然亡くなったのだった。50歳台半ばのことだった。かなり厳しい仕事の負担が続いていたある日、帰宅直後に意識を突然失ったのだ。奥様の腕のなかで絶命なさったらしい。埼玉の彼の自宅に訪れ、最後のお別れをした。ご自宅にはタワーが経ち4エレの八木、そしてシャックにはR390等といったビンテージリグが並んでいた。彼の表情は穏やかなものだった。無線にしろ、医学に関しても、いつも冷静で知的な対応をなさる方だった。実現しなかったが、お互い隣接した場所で開業しようかと相談したこともあった。若い時期からの慢性の病気は、歳が経つにつれて少しかるくなっていった様子だったが、それでも時々増悪期を経験し、そのなかで仕事を続けられるのは大変なことだったろう。無線の上でも、医師としても尊敬できる友人のお一人だった。

足利市を通るたびに、彼の実家を訪ねたことを思い起こす。彼のご両親も彼が医師になられた時には、とても喜んでいらっしゃった。ご両親ももう他界されたに違いない。人生の戦いを終えて、この世から去っていった友人、知り合いを、折に触れて思い起こすことが多くなった。次は自分の番だろうか。彼らに恥じぬように残された時間を歩んでゆきたいものだ。

それにしても、JA1XKMとコールサインを言う彼の声を最後に聴いてから月日の経ったものだ・・・。

昔のログ 

今朝いつになく早く目が覚め、定番のトーストの朝食を取り、無線機の前に座った。7メガしか開いていない。ヨーロッパがDL辺りまで何とか聞こえる。何局か簡単な交信。DL1BUGがFOCメンバーだが、CONDXが悪く、ラグチューはまともに出来ず。Z3の局でFT101Eを現用中の局がいた。QRZ.comの彼のページを見ると、もう50歳はゆうに超えている様子だが、10歳台の写真もあり、それに同じモデルが映っていた。同じ機械らしい。40年前後使い続けているのか。WARCに出られないのが不便だが、よく働いている、とのこと。

少し下を聴くと、KH2LがCQを出している。強力な信号。今までに交信したことはあっても、ラグチューをする方ではなかったような気がしたので、彼が呼ばれず、立ち去るまで、しばらく聞いていた。例によって、QRZ.comの彼のbioを読むと、1960年代後半にKA2EPで日本からオペレートしていたことを知った。そのころ、私も米軍補助局の方と知り合いになり、お宅にお邪魔したことがあった。関東村だったことだけは覚えているのだが、コールや名前は思い出せない。KH2L Edにメールをしてみた。すぐに返答があって、当時私と会った可能性は大いにある・・・思い出せないが・・・とのことだった。JA1AEA、Yaesuの創始者JA1MP等とは会った記憶があるらしい。

無線を始めた1963年から、大学受験のためにQRTした1969年までのログ、9冊の大学ノート、が奇跡的に保存されていた。大学に入ってからはオケに夢中で、無線にカムバックすることなど微塵も考えていなかった。このログも、廃棄されるべき運命だったのだが、どういうわけか、どこかにしまい込まれて生きながらえた。自作の無線機はすべて処分。無線関係の機器で残ったのは、HK3という縦ぶれ電鍵一つのみだった。

で、ログをすべて見直してみた。残念ながら、Edのコールを見つけることはできなかった。二つ三つのKAコールはログにしっかり記録されていた。当時、軍補助局という位置づけだったKA局は、交信が禁じられていたわけだが、KA局の方から呼ばれたこともあったようだ。昭和40年前後でまだ占領時代の名残があったのだろうか。懐かしいコールもいくつも見つけた。WB6CWDはたしか現在のK6AR Jimだ。K6KII CliffがKG6AAYとしてグアムから運用していたときにもお会いしていた。今もコンテストにactiveなJohn K4BAIはHL9KQで出ていたようだ。懐かしいWのelmerたちのコールも勿論記録されている。HL2DC Leeと最初にあった時、彼はプサン在住でそちらの大学生だった。コールはHM8DC。ZS6QU、CR7IZ、DJ2BW、ZS1XR、ZS5KI、JA7FWT、JA3JYX、JA1EQM、JA1FHX等々懐かしい・・・。

もう一つ、昔のログを眺めて気づいたことは、QSOの記録が通り一遍であったこと。再開してからは、交信内容をかなり細かに記録し、ノート1ページをまるまる一つの交信の記録に割くこともあったほど。だが、この1960年代のログは、一交信に一行と決めてあったように、余計なことは記入していない。当時からラグチューの真似事はやっていたはずなのだが・・・後で、交信局数を勘定するのに都合の良いように、そうしていたのかもしれないが、当時は何しろ局数を多くすることに主眼を置いていたということだろうか。コンテストも、のべつくまなく出ていた。あ~~あ、これに費やした時間を別なことに費やしていれば、と思わなくもないが・・・これはこれで楽しんでいたのだから、良しとすべきだろうか。

・・・と、とりとめないことを思いながら、昔のログを見返したことであった。Edを今度聞いたら呼んでみよう・・・。

忘れられぬ交信 

この数週間の間に経験した忘れられぬ交信を備忘録として記しておく。

一つは、Guy N7YKとの交信。彼とは2年ぶりくらいだったか。以前と同じく、こちらの日暮れの時刻に7メガで呼んでくれた。切れ味の良いCWなのだが、こちらの送信速度を上げると、それではちょっと取りずらいとのこと。私は、まったく忘れていたのだが、以前お目にかかった際に、筆記受信をしていた彼に、きっぱり筆記受信を止めるように私が臆することなく言ったらしい。それ以来、暗記受信の練習をしてきてだいぶ取れるようになったのだが、まだ早くなると取り切れぬとのことだ。まさに臆面もなく、よくそんなアドバイスをしたものだと苦笑したが、それを覚えていてくれて、実際に暗記受信にシフトしてくれていた、ということに驚き、かつ感動した。また、私の英文ブログも定期的に訪れてくれている様子で、両親の写真の整理をした話、それに我々は人生という行程の旅人であるという感想に共感したと言ってくれたことも、大きな喜びだった。彼も親の残した膨大な写真を整理しつつ、同じように感じた由。年齢もほぼ同じ彼は、まだ直接お目にかかったことはないが、同じように人生を歩む友人だと強く感じた。嬉しい交信の一つ。

W2MV Alanは、数か月おきに定期的にお目にかかる方だ。14メガで朝方呼んできてくれた。息子さんがこの夏に結婚すること、ご自身のガンの定期的なチェックで良い結果だったこと、新たな仕事を探していること等を伺った。こちらの近況も報告し、お空では言えないようなこともあるのだけれどね、と言うと、彼は、彼の家族だって同じようなことが一つや二つある、皆同じだよと言ってくれた。この一言が、私の少し重たくなったこころをすっとかるくしてくれた。彼は、チェンバロを弾き、バッハを愛する方だが、最近音楽の話をあまりしていなかった・・・次回会うときには、ぜひバロックの話を・・・。

John AC4CA、Alanと同じくFOCのメンバー。アルツハイマーに罹った奥様を家庭で一人でケアなさっている。落ち着いた状態にあることを伺ったが、やはり今後のことは心配なことだろう。政治についても、不安になることが多く、朝目を覚ますと、酷い不安感に苛まれることがある、と仰った。過去に私も同じように感じたことがあったが、ここまで生きてくると、これからは次の世代により良い世界を残すことに集中していけばよいのではないかと、口幅ったいことながら、申し上げた。自分で何としてもこの世界を変えないといけないと思い詰めると、不安と焦燥にかられる。だが、この世界にそう遠くない将来別れを告げるべき年齢に差し掛かったのだから、少し距離を置いて世界を見てみようではないか、ということだ。それに対して、よく理解できるとJohnも言ってくださった。米国では、ヨハネの黙示録が実現しそうなほどの混迷状況にある。それに加えて、奥様の将来のこと、彼の心痛を思った。

という具合に、記憶すべき交信を「時々」経験するが、やはりめっきり少なくなった・・・。

何時まで続けるか、それが問題だなと、最近はコールされぬCQを叩きつつ、そんなことを考えている。

Mike W7LPV 逝く 

先日、旧友Tony W4FOAと、facebookで初めてメッセージのやりとりをした。奥様が急病でERにかかったとのことだった・・・やりとりの最後に、Mike W7LPVが昨年12月10日に亡くなったことを知っているか、と彼に尋ねられた。あのMikeが亡くなったのか、と力が抜ける思いだった。この数か月、Mikeにお目にかかっていなかったのは確かだが、亡くなっていたとは・・・。78歳前後だったか。

Mikeのことは、このブログでも何度か記した。それほど古い友人でもない・・・せいぜい10数年前に知り合っただけだ。交信する回数も、数か月に一度程度だった。だが、お会いするたびに、こころあらわれるような話を聞かせて頂いた。彼は、輸出企業で忙しく働いていたが、30歳台後半にレイオフされ、そこで大学院に入る。専攻は哲学。人はものごとを知りうるのか、如何にして知るのか、という認識論を課題にしたらしい。生きるうえで基本的な問いかけを抱いて、人生半ばで立ち止まり、哲学を学ぶことは、そう容易いことではない。彼が大学院を出てから、奥様が交代で大学院に進んだらしい。仕事に明け暮れて、無線でも表面的なお付き合いになることが、自分も相手も多かった(多い)のだが、彼のように人生にしっかりと根を張って生きておられる方はとても少ない。

彼は、熱心なピアニストでもあり、いつも会うたびに、今度はどこそこで演奏することになっていると教えてくれた、教会、そして晩年はホスピスでのボランティア活動として演奏しておられたらしい。Youtubeにもいくつか演奏がアップされている。これは、ベートーベンの月光一楽章。ピアノの教師だった方が、盲目の方だったようで、いつも暗譜することを勧められたと、Mikeは語っていた。この演奏で、アイマスクをしているのは、その教師の方へのオマージュなのだろうか。



3,4年前奥様を亡くされてからも、ピアノを熱心に演奏なさっていた。交信するたびに、何時Sedona(彼の住むアリゾナの町)に来るのか、ドアをいつも開けて待っているぞ、と言ってくださった。

彼との交信のように、こころを満たしてくれる交信は、少なくなった。ほとんどなくなった、というべきだろうか。アマチュア無線へのモチベーションの一つが、彼のサイレントキーとともに失われた。ご冥福をこころから祈りたい。

最後の光芒 

このところ、毎朝14メガに出没している。夜間の7メガよりヒットする確率が高い。ちょっと前に記したChuck N6UOEとの交信も、そうした時間帯の交信の一つ。今朝は、常連になりつつあるSkip W2ZAからコールされた。フラッターを伴うが、いつもに増して安定し、強力。100ワットのベアフットに3エレで、579程度まで振っている。東海岸のパスが、毎朝開けること自体が驚きだ。磁気嵐が起きるほど太陽活動が活発ではないと言えるのか・・・。Skipは、80歳。1950年代には、HL9KAそれにBV(コールは失念)で、東アジアからactiveだった由。ロンビックを張り、米国本土とフォーンパッチに忙しかったらしい。フォーンパッチ、本国との連絡、当時はアマチュア無線の主要業務の一つだったわけだ。その後IBMに40年間勤務し、リタイアしたらしい。キーイングがおぼつかなくなってきつつあると謙遜なさるが、どうして結構な腕前だ。リグはすべて自作。先日SSBにも出れるようになった、お前は出られるか、と尋ねられたが、答えはNo wayである。彼もほぼ100%CWらしい。

Fred K7LFは2年ぶりの交信。もう74歳くらいか。海岸警備局で無線通信を担当していたそうだ。JAの船舶ともよく交信した、JAのオペは、JCS・JCT・JCUといった母国の局と交信していて、その際にはカナ(和文のことだ)を用いており、英文との切り替えがすぐさまできることに感動した、とのこと。10年ほど前まではバグキーを用いていたが、今はもっぱらキーヤーとのことだ。MAY CW BE FOREVERをZUTと略すのを知っているか、と問われて、初耳だと答えた。プロの交信でも、そうした略号を交わしていたのだろうか。昔船舶通信士だったJohn 9V1VVは10数年前、CWのことが忘れられず、アマチュア無線を始めたが、最近は、CWというとコンテストとDXばかりなので、がっかりしているようだと紹介した。それはもっともなことだ、とFredも同じように感じている様子。

こうした交信の相手は、いつものことながら、減少の一途を辿っている。これも以前から記しているが、我々はその最後の光芒が消えゆくことを見届けつつあるのかもしれない。

Jim K9JWVからの最後のメール 

二週間ほど前、Jim K9JWVから、肺がんの脊椎への転移が酷くなり、ホスピスに入ることにした、余命は2か月と言われている、とメールがあった。

彼とは、それほど親しいわけではなかったが、7メガ等で何度か交信をした方だ。以前紹介したが、QRPとトップハットのついた43フィートのバーチカルで信じられぬほど強力な信号をこちらに飛ばしてきた。大学で教えておられるらしかったが、詳しい専門等は聞かずじまいだった。平坦な砂漠地帯の住宅地に居を構え、無線を楽しんでおられるリタイアをそろそろしようかという年齢の方というイメージを抱いていた。その彼が、肺がんに冒され、闘病生活に入ることを聞いたのは昨年のことだったろうか。

何度かメールのやり取りをして、彼が効果が出ることを期待して、化学療法を受ける、という話を聞いてから、パタッと連絡が途絶えていた。そして、最初に記した通りのメールが来たのだ。

死を目前にした方に、何を語るべきなのだろう。彼のように、個人的にそれほど知っているわけでもなく、無線で話を多少しただけだったら、なおさらだ。ただ、彼の語ることに耳を傾けるだけしかできない。その旨を彼に書き送り、とても差し出がましいこととは思いつつ、もしクラシックを聴くのであれば、マタイ受難曲を聞いてみてほしいと申し上げた。メールのやり取りは、それで終わってしまった。武満徹が、亡くなる直前にこの曲を聴いて、改めてこころ動かされたという話を、奥様が書き残されている。それを、西岡昌紀氏がご自身のブログで紹介なさっている。こちら。あの有名なアリアEr barme dichをことのほか愛聴なさっていた由。私自身も、死の川を過ぎゆくときに、この音楽を聴いていたいと思っている。余計なことかと思いつつ、彼がこの音楽に慰めを見出し、新たな旅立ちへの気持ちを持てたら、と思ったのだ。

実は、Jimとは別に、まだ若い小児科医の方で、進行した肺がんと闘っておられる方が、しばらく前から拙ブログに訪れて下さっていた。忙しい小児科医の仕事を、痛みや他の不快な症状と闘いながら、こなしておられた。が、この1週間ほど前に、彼は足跡を消し、忽然と姿を見せなくなった。彼のブログをブックマークしていなかったので、そこを訪れることができないのが残念なのだが、恐らくブログも閉じてしまわれたのだろう。ご家族を抱え、これから仕事が充実するときに、このように深刻な病に冒された心境は、はかりしれないものがある。新しい免疫調節薬に期待をかけておられたのだが・・・。彼のことがあったので、Jimの件を紹介するのを憚っていたのだ・・・。

最近、両親の残した大量の日記、手紙類を処分しつつ、それらに登場する人物、差出人の多くが、すでに逝去された方々であることをひしひしと感じた。我々の人生は、すぐに過ぎ去る。我々は、一時の旅人なのだ。上記の小児科医の方には、ぜひ新しいクスリの効果が出ることを期待している・・・が、我々は、この旅をそう遠くない時に終えることになる。それは皆同じなのだ。こころ穏やかにそうした時を迎えたいものだ。それまで、悔いの残らぬように、周囲の者に迷惑をかけず、愛情をもって生きてゆくことだろう・・・。

Jimの最後のメールには、マタイ受難曲の音源を探してみる、とあった・・・。

Bob K6DDX 

今朝、14メガはそれほど良いCONDXではなかったが、北米がそこそこ開けていて、結構次から次に呼ばれた。Bob K6DDXとは、数か月ぶりの交信だった。彼は83歳になるミュージシャンで、ピアノ、サックス、ベース等を演奏する。クラシック畑でも、時にこうしたマルチのタレントに恵まれた方がいるものだが、プロとして複数の楽器をこなす方はそういないに違いない。主にジャズの演奏をするらしい。クラシックと、ジャズの訓練を長い間受けてきた、と以前聞いた。

私も、チェロを毎日のように練習している、バッハの無伴奏を1番から始め、3番のクーラントまでたどり着いたが、なかなか先に進まない、よりよく弾けるようにもうならないような気がする、と彼に言った。彼は、いや、練習を積めば、それだけ弾けるようになることを実感すると言う。83歳にして、そのような境地にあるのは素晴らしいこと。本当にそう思う。彼から、早くCDを出せと冗談交じりに言われてしまった。

彼のキーイングは、時に短点、長点の間のレバーの移行がスムースでないためのわずかな引っかかりがあるが、大体はとてもスムースだ。そのキーイングからは、年齢の衰えをまったく感じない。おそらく、楽器演奏能力と、パドル捌きの能力は並行関係があるのだろう。私も、まだ少し行けるかと少し勇気づけられた・・・練習あるのみ。

彼のTL922、入力回路にあるリレーが具合悪く、修理しなければならないのだが、アクセスするのが難しいので難儀しているとのことだった。今日は、ベアフット。予備のアンプを出してきて使おうか、とのことだった。

それほど長時間のラグチューではなかったが、こうして日常のことや、リグの問題についてゆっくり話ができる相手は、本当に少なくなってしまった。形式的な記号のやり取りだけではなく、何らかの個別のコミュニケーションを取ることが、このモードでなかなかなくなってしまった。DXやコンテストでCWがまだ生きているという主張もしばしば耳にするが、それだけではコミュニケーションのモードとしては、かなり欠けたものがあるというべきなのではないだろうか。

得難い交信と、雪の朝 

昨日の朝、14メガでSteve W7QCをお呼びした。最初、とっても弱くて、応答がなかったのだが、三度目くらいに急に信号が強くなった。Steppirをリバースしたようだ。Sにして4か5の差。今日のこちらと同じく、あちらも結構な積雪。8インチとか。彼の愛猫Marcが、雪の積もった外に出ようと、雪の上に手をそっと載せたのだが、すぐに出かけるのを止めて室内に戻ってきてしまった、と言って笑っていた。

今朝は、同じ14メガでDick K4XUに呼ばれた。昨日、あちらの有名レストランで、奥様Chrisの誕生祝をなさった様子。ただ、先月、彼女が、町中で転倒、上肢を骨折、仙骨の打撲に見舞われた由。本当は先月そのレストランに行くはずだったが、昨日まで延期せざるを得なかったようだ。こうやって家族のことを話すことができる交信がうれしいね、と言ってくださる。

両者ともにほっこりするような交信だった・・・だが、こうした交信は、何時も繰り返すことになるが、本当にめったにお目にかかれぬ出来事になってしまった。

今日は、午前中から降雪。咲き始めた梅が雪に隠れてしまった。

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