カーメルバッハ音楽祭2018 そしてサンノゼ1987 

昨夜、寝る前に、リリングがシュトットガルトバッハアンサンブルを指揮した「マタイ受難曲」を聴いた。繰り返し記した通り、この演奏者達は、私が学生時代に初めて生でマタイ受難曲を聴いた指揮者・演奏団体である。解剖実習を終えて、夕闇迫るNHKホールに向かったのが先日のように思い起こされる。で、この演奏、この曲、第一曲から圧倒的に迫って来るものがある。こころに沁み入る演奏だ。

先日、礒山雅教授の名著「マタイ受難曲」を改めて通読しなおした。この物語の筋は、理解しているし、各曲もところどころ単語から何を歌った歌かは、理解できるつもりでいた。だが、各曲の精細な表現、意味するところを、もう一度このテキストを通して理解しなければいけないと思い直した。礒山教授がこの著作で目指した、宗教的な側面と、音楽の側面と両面から、この偉大な作品を理解するという意図は、そうした作業無しには無理だと考えた。そうすることで、バッハがこの音楽に込めたルター派信仰と、時にはそれをも超えると礒山教授の言うバッハの信仰の音楽的表現を理解できるのだろう。

こちら。

今朝、Bob W6CYXからメールがあった。7月に行われるカーメルバッハ音楽祭の案内がリンクしてあった。今回のメインプログラムは、マタイ受難曲であるらしい。一週間おきの日曜日に演奏会が行われる。あのDavid Gordonが、演奏会の熱烈な広報を記している。Bobは、一緒に行かないかと言外に言っているように思えた。以前から、勧められてきた。残念ながら、今回も行くことは難しいとお断りした。Bobの家にはこれまで三回お邪魔している。いつもあたたかく迎えてくださった。1987年に訪れたときのことはすでに記したが、思い出してみると、9,10人のパーティを開いてくださったのだった(しばらく前に、その画像はアップした)。Steve WA6IVNが、長年闘病してきた比較的良性のリンパ腫に加えて、悪性黒色腫を発症、脳に転移を起こし、かなり具合悪かったのだが、奥様Karenともども2時間以上かけてBobの家に駆けつけてくれた。Steveとは、以前にも記した通り、1960年代からの付き合いだった。特に1980年にカムバックしてから、頻繁に交信をさせて頂いた。彼との交友については、以前に記したことがあったような気がする。最初の訪米で、レンタカーを借りて、サンフランシスコから、彼の家のあるマンティカまで走った。家族総出で、歓待してくれた。1984年頃のこと。Steveは、Bobの家で会って数か月してから故人となってしまった。

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パーティの翌朝、Bobの家の駐車場で。Steve夫妻は、このキャンパーで訪れた。Karen、Hide(JH0FBH)、私、SteveそれにBob。

Bobには、あのパーティのことを思い起こし、これまでの厚情に改めて感謝申し上げた。Bobももう80歳台だ。人生が有限であることを感じると、しばらく前のメールに書いてよこした。これまで通り元気に過ごして頂きたいものだ。

7月中旬、カーメルでマタイ受難曲が鳴り響くころ、私は、こちらでリリングのマタイを丁寧に聴くことにしよう。

Bill W6QRからの贈り物 

昨夕、家内が宅配便が届いたと正方形の包みを持ってきた。ずしりと重たい。

送り主は、Bill W6QR。開けてみると、BegaliのScalptureである。同封された私信には、彼のコレクションだが、使うことがなく、私が使えばきっと美しいCWが奏でられるだろうから贈るとあった。

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きっと、先日の来日時東京でお会いし、案内させて頂いたことで、このような贈り物を送ってくださったのかもしれない。このように高価な贈り物を頂くべきことは何もしていない。

昨日夜、ヨーロッパに開けた14メガを聴いていた。FOCの80年記念の記念局が出ていた・・・だが、やっているのは、コンテストスタイルの交信 苦笑。あぁ、やっているよと呟きながら、スイッチをオフにした。FOCくらいは、普通の会話をCWで交わしてもらいたいものだったが・・・。

彼への返信には、実は、この、1、2年以内にQRTすることを考えているのだ。だが、こんな立派なキーを頂き、その気持ちが少し揺らいでいると記した。実際のところ、お空でキーが活躍する機会はめっきり減っているので、QRTせずとも、QRT同然になることが予測される。だが、これほど期待してくださっている友人がいるからには、規模を縮小して続けるか、という気持ちもわずかだが湧いてきた・・・。

彼は、寡黙ないかにもエンジニアらしい男。交信の際にも余計なことはあまり語らない。技術的なことになると、途端に雄弁になる・・・そんな彼と知り合えたのは、幸運なことだ。

アマチュア無線、過去、現在、未来 

一昨日、7メガで夜 Jim W6YAに会った。強い信号。VisaliaのDXコンベンションに行き、古い友達、そして新たに知り合った人々とあってきたとのこと。楽しかったようだ。来年は来ないかとまた誘われた・・・。

Visaliaに集った面々のうち、若い人はどれくらいいたか尋ねた。約500名の参加者の内、若い人は2名だけだった、とのことだ。一人は、コンテストで有名なZL4YL、父親(ZL3IOだったか)と一緒に参加したらしい。17歳のうら若き乙女。Jimも、彼女と一緒になれてうれしかったと、本当にうれしそう。このZL3IOと奥様(彼女もハム、ついでに長女もハム)は、元来東ドイツの出身らしい。仕事で成功なさったのだろう。ZLに豪勢なコンテスト局を立ち上げている。ZL4YL、Xeniaという名だったか、は、残念ながらコンテスト専門で、CWの会話はなさらない由。

ZL4YLの話でひとしきり盛り上がったのだが、でも最終的にCWだけでなく、ハム全体が斜陽であることは、Visaliaに参加した面々の年齢からも分かろうというものだ。多くのold timerは、それをもう十分分かっているのだろう。昨夜お会いしたDon WB6BEEも、まったく同じ見解だった。おそらくactiveなハムの平均年齢は60歳後半、もしかすると70歳になっているかもしれない。もう10年もすると、activityはがたっと落ちるはずである。

この高齢化に抗して、若返りを図る対処方法はいくつかある。若い人にアマチュア無線の楽しさを理解してもらうこと。その場合、楽しみが「本物」でなくてはならない。本物とは何かという点で議論もあるだろうが、年月がたっても変わらぬ楽しさである。もう一つ、免許制度の簡素化だ。これは、繰り返すが、JARLと当局のおかげで(皮肉)、逆の方向に進んでいる。思い切った簡素化をしない限り、我が国のアマチュア無線に未来はない。と、すぐにだれでも思いつくことを記したが・・・逆の方向に向かって突き進んでいる。

オンエアーのactivityが下がり、アマチュア無線局数自体も減少する。そして、アマチュア無線機器のメーカーは、輸出を手掛ける企業以外は生き延びることはできないだろう。輸出企業にしても、米国の新興メーカー、さらに中国等のメーカーが市場を独占し、かなり厳しいことになるのではないか。

行き着くところまで行って、その後また自作の機械で愉しむ人だけがアマチュア無線を続けるようになる、ということになるのかもしれない。一旦焼け野原にならないと新しい展望が生まれぬということなのだろう。

かって、アマチュア無線は若い人々の趣味であった・・・わが清瀬アマチュア無線クラブ(もちろん、すでにこのクラブは消滅して久しい)が、高尾山だったか奥多摩に移動したときの画像。このなかで唯一アマチュア無線を続けている、少なくとも免許を切らしていないのは、JA1RHMとexJA1RHL、現VK1ARAのお二人と私だけ。電波を出し続けているのは私だけ。このように若い人々がアマチュア無線に関心を抱くようになる日がまた来るのだろうか。それとも、アマチュア無線が博物館でのみ見られる昔の趣味ということになるのか。

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輝かしい時代を終えようとするアマチュア無線 

この週末、中部カリフォルニアのVisaliaでDXconventionが開催されている。ここは、南部と北部の丁度中間地点にあたるということで、開催地になっていると聞いた。facebookでは、さまざまなアイボールの写真がアップされている。DXerとはあまり交流がなくなってしまったが、中には顔見知り、友人もいる。総じて・・・高齢化している(苦笑)。一頃、Visaliaに来ないかとよく声がかかったが、それもあまりなくなってしまった。W6YA Jimと先日会った時にも、それらしいことを言われたが、私の腰が重いことを知って、あまり勧めてこない。7、14メガともに、この週末は、普段にもまして北米はがらんどうの状態。

先日、昔の写真を見ていたら、1988年にカリフォルニアを訪れ、W6CYX Bob宅にお邪魔した時の写真が出てきた。Bobはパーティを開催してくれ、昔懐かしい今は亡きKD6SU John、そしてSteve夫妻が映っていた。Steveは、すでにメラノーマが進展し、るい痩が進み、いかにも大変そうだった。だが、Mantecaからキャンピングカーを引っ張って会いにきてくれたのだ。翌年の春には亡くなったのではあるまいか・・・。今であれば、オプジーボ等で治療ができたであろうに・・・。こうして集まりを開いてくれたBob、それに会いに来てくださった友人たちの厚意を思い、改めて胸が熱くなった。

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左からBob N6EA(彼もSonoraからわざわざ来てくださったのだった・・・忘れていた)、私、Steve、Karen。彼ら以外に、Bob夫妻、JH0FBH、KD6SUとその友人もいたわけで、これだけの大人数のパーティを準備してくれた、Bob夫妻に改めて感謝だ・・・。

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翌朝、Steve夫妻が帰路につく前に、Steveのキャンパーの前で。

QRZ.COMで時々昔の知り合いのコールを検索することがある。Steveの奥様Karen、長男Markがまだ無線をやっているか調べてみた。奥様のコールはヒットせず。Markのコール、KA6NHKは生きていた。でも、ほとんど検索された様子がないので、activeには出ていないのだろう。1984年MantecaにSteveを訪れた際に、目礼だけしたのを覚えている。いつか便りをしてみよう・・・。

かってactiveに出ていた友人たちも、櫛の歯が抜けるように、一人一人と亡くなって行く。それは、私の友人関係だけではなく、アマチュア無線全体にも言えることなのかもしれない。あのVisaliaの楽し気な集まりも、あと10年もすると確実に規模の大幅な縮小、ないし、もしかすると、中止になっているかもしれない。それが時代の流れなのだと改めて思う。大きな設備を使って、短波帯で世界中と交信する楽しみは過去のものになりつつある。

余計なことを一言付け足すと、ありがたいことに(もちろん皮肉・・・)、JARLと当局が、そのあと押しをしてくれている、というわけだ。JARLは、自ら緩慢な自殺行為をしているのが分からんのかね・・・あの新スプリアス規制・・・ま、これがなくても、徐々にアマチュア無線が衰退するのは確実なことだが。

Mike W0VTT 

今朝、14メガは出ている局がほとんどなく、静まり返っていた。念のため、CQを出す。するとミネソタのMike W0VTTが強力な信号で呼んできてくれた。バンドは開けていたのだ。出ている局がいないだけ・・・。

ミネソタは、まだ冬が続いているようで、-6度C、15cmの積雪。この前の日曜日、イースターだったわけだが、彼は教会でマタイ受難曲を歌ったとのこと。バスパートの合唱に加わったらしい。すばらしい経験だったとのこと。

マタイ受難曲といえば、今、邦人のバッハ研究家(礒山雅氏のこと)の著作「マタイ受難曲」を読み返しているところだ、と彼に言った。日本人にバッハ研究家がいることが不思議に思ったのだろうか、彼が音楽の勉強をしていたころ、東洋の音楽についてほとんど学ばなかった由。彼は、音楽の専門家で楽器はトロンボーン。

いや、バッハの音楽はすでにコスモポリタンの音楽になっている。武満徹のように西洋と、東洋の音楽を橋渡ししようとする作曲家もいる、と申し上げた。

すると、彼は、1980年代に、シカゴ交響楽団にエキストラとして加わり、武満徹の「リヴァラン」の演奏に加わったことがある、ということだ。指揮者は小澤征爾。リハの時には、何を意味しているのか分からなかったが、本番では、その意味するところが理解できた、とのことだ。小澤の指揮で、武満の作品を演奏する、とは凄い経験だったことだろう。

武満が死の床で、篤愛のマタイ受難曲を聴いたのだったと申し上げた。

武満、日本人の音楽というと、何か特殊な異文化の音楽ととらえていおられるような印象が残った。だが、仕方あるまい。マタイ受難曲を私たちがどのように受容したのかを、語り続けることだ。

交信し意思疎通する手段としてもCWが、死に絶えつつある、ということもまた申し上げた。彼の場所からは、CWでラグチューする局が多く聞けるが、多くは小さな設備の局なので、JAまで届かないのだろう、との返事。Wでは、こちらとまた違った様子なのかもしれない・・・が、やはりこの半世紀以上(70年代を除いて)、CWの状況を観察し続けた私としては、CWが死に絶える過程にあることは間違いないと思うと申し上げた。

こんな交信をすることができるのも、本当に稀なことになってしまった・・・。

Bill W6QR ご夫妻 

長い一日だった。一昨日、夜遅く起きだしていろいろしていたので、昨日起きるのが出かける予定の30分前。8時前には何とか車で出発。近くの、といっても25分ほどかかるのだが、宇都宮線の駅近くに車をおいて、一路東京へ。米国から旅行でやってきた友人夫婦にお目にかかるためだ。芝パークホテル・・・慶応大学の近くだったはず・・・すぐ行きつけると思いきや、浜松町から降りて、やはり分からなくなった。電話をかけてようやく到着。ホテルのレセプショニストの多くが、明らかに外国人になっていて驚いた。

W6QR Bill Shanney夫妻とロビーで対面。初対面だった。無線では、数え切れぬほど交信している。彼によると、1989年、彼が以前のコールKJ6GRだったころに最初の交信を私としている、とのこと。彼は70歳、もうリタイアして10数年になる。謹厳実直そうな感じの方。出身は、NYC近くのNJ。大学卒業後、防衛関係の会社でマイクロウェーブを扱っていたらしい。兵役にはつかなかったらしい・・・防衛産業に従事していると免除される。仕事の関係で1970年代に西海岸に移り住んだ。お子さんたちの教育を一番に考えて、現在のLAの街中に住み続けているとのこと。リタイアする2、3年前に、凝固系の異常から深部血栓を起こし、それを機に退職することを決めた。年に一二度奥様が主導する海外旅行にでかけるとのことだった。私たちには、共通の友人が何人かおり、彼らの話題で話が弾んだ。特に、彼の近所に住むSteve N6TTのこと。Billは、正直なところ、大都会を旅行するよりも、自然のなかでのんびりする方が好きらしい・・・。アリゾナにしばしば写真を撮りに出かける。ちょっとだけ政治の話を振った。トランプにはscaredであるというと、彼はいや私は少しもそんなことはない、むしろ議会の方が問題だ、とのこと。トランプには改革を進めてもらいたいと「まだ」期待しているらしかった。でも、JFKのような指導者が現れてもらいたいものだ、とのことだった。老後資金は、退職時に年金にするか、全額下すか選択出来て、彼は全額投資に回したらしい・・・。2008年にはかなりロスしたが、今のところ順調のようだ・・・。

奥さまVivianは、小学校の先生をずっとなさっており、話し方等いかにもそれらしかった。優しそうな笑顔の持主。六義園の由来について詳しく尋ねられたのだが・・・最初に、この庭園は江戸時代にできた程度しか分からぬと先制をかけておいたのだが・・・私がそれ以上のことは答えられないというと、にこにこしながら「では、宿題ね!」とのお答え。ホームワークという言葉、懐かしかった・・・。今は、パートタイマーで代理に教えることをしているらしい。ご両親ともに、日系の方だった。曾祖父の世代が、広島出身で、後にハワイに移住なさったらしい。家族の歴史に関して、関心をお持ちの様子。そういえば、Shanneyというあまり見かけぬファミリーネームは、アイルランド由来らしく、ひょんなことからオーストラリアに住む別なShanney家と知り合い、先祖がやはりBillの先祖と同じころ、アイルランドからオーストラリアに移住したことが分かったと言っていた・・・遠い親戚だったらしい。Vivianの好奇心は旺盛。すしネタから、公園の木々、そして人々の衣装、看板にデフォルメされたアルファベットがあるとその意味等々、質問攻めである。特に食べ物の名称は必ず尋ねられると思ったが、tunaやoctopus程度しか答えられず。以前、Billから、Vivianが水銀中毒!になったことを聞いていた。ダイエットのために、魚類とくにtunaを常食していたことがあったらしい。tunaに高濃度の水銀が蓄積され(食物連鎖による濃縮)、肌、髪の毛などに異常を生じた様子。なかなか診断がつかなかったが、ある医師がつきとめてくれてchelating agentを服用して改善した由。

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まず、秋葉原へ。昔は無線街があって、無線・ラジオのパーツを手に入れることができた、今はその店舗が激減してしまった、と説明。説明がいらぬほど、PCや、コスプレ?の店舗に置き換わっていた。小学6年の頃から、しばらく月一度お小遣いを手に握りしめ、ここに通ったものだと説明した。NYCにも同じような電気街があったらしい。今お住いのLAでは、無線機屋さんは数店舗だけのようだ。 最近手に入れたIC7610の画像を秋葉原で見かけると、それについて滔々と語り始めた・・・DAコンバージョンをせずに直接検波しているとか、メニューモードがユーザーフレンドリーであるとか・・・。やはり根っからの技術者である。昔はDXを追いかけていたが、今はもっぱらラグチュー専門である。

上野は気分が悪くなるほどの混雑。植え込みで寝込んでいる酔っ払いもいた。こんな人混みに連れてきて申し訳ないというと、いや、NYCのタイムズスクエアで経験していると言って笑っていた。不忍の池の反対側にある寿司屋に到着。寿司ランチを頂く。そこそこの味だったかな・・・私の住む田舎の方が旨い 笑。

六義園では、多少混雑が少なくなっていたが、それでもアメリカ人にしたら、かなりの混雑だったことだろう。お茶屋さんで団子と緑茶を頂き、おしゃべりをしながら一周して帰路に。お茶をしているときに、お土産だと言って、トートバッグ、熱いものを手にするときに下に敷く下敷き、それにドライフルーツを数点お土産に頂く。その下敷きがちょっとキャップみたいだったので、そういうと彼らに受けていた。帰宅したら、カミさんにそれを被せて画像を送れ、と・・・。彼らがホテルまで帰る道が大丈夫か心配だったが、昨日は山手線を使って新宿御苑と代々木公園まで遠征したらしいので、大丈夫だろう判断。駒込駅でおわかれした。またいつかお目にかかる機会があるだろうか・・・。

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総歩行数16000歩 苦笑。彼らは毎朝2マイル散歩しているとはいえ、ちょっと歩かせ過ぎだったか・・・。彼らの旅行は、これから関西、広島方面に続く。

という長い一日だった。

John 9V1VVが世界一周の船旅に出る 

いつものことではないが、寝る前にスコッチをオンザロックで少し吞もうと思ったら、氷ができていない。しかたなく、水割りのスコッチ・・・。

先ほど、John 9V1VVと久しぶりの交信を7メガで終えた。

とても驚いたニュース。彼は近々世界一周の船旅に出る、という。仕事である。64歳にして海の男として復活かと、ほほえみとともにかるい嫉妬心が生まれた。出された条件がとても良かったので、断る理由はなかった、とのこと。無線を船からできるかどうか、船長と船会社に尋ねてみる由。デジタル化された機器満載の船だと難しいかもしれない。

以前にも記したが、彼は元来船乗りで、無線通信士を職業にしていた。各国の商業無線局に知り合いがいるらしい。丘に上がってしばらくして、看板の綴りを知らず知らずのうちにモールスコードで口ずさんでいることに気づき、彼はアマチュア無線を始めることにしたのだ。

先日読了した、礒山雅教授の「バロック音楽」という本について少し話した。彼との共通項は、無線もあるが、音楽なのだ。バロック音楽は、感情を自由に表現しようとする時代思潮によって生まれたものであり、イタリアの声楽、オペラに淵源がある。モンテヴェルディは、バロックの初期の大作曲家の一人。彼の「聖母マリアの夕べの祈り」、いわゆるヴェスプロを聴きなおして、その華麗な音楽に驚かされたことを話した。Johnは、Gardinerのような大規模の演奏よりも、声部一人の小規模の団体の演奏の方を好むらしい。それに、宗教改革と戦争の嵐の中から生まれた、バッハの音楽。Johnにとっては、Schutzも大切な宗教音楽家とのこと。考えると、復活祭も間近だ。今夜は、マタイ受難曲を聴きながら休む、Johnとのこの交信を記念して、と少しハイテンションな私。

Johnとの交信の前に、Bill W1HIJと、これまた数年ぶりの交信をしていて、Billに対して、あまりにCWのactivityが低くなっているので、そう遠くない将来QRTするかも、という言わずもがなのことを言ったのだった。それをJohnが聴いていて、QRTはしないようにとの言葉。だが、長時間誰からも呼ばれずにCQを出し続けるのだったら、それはQRTしたのと同じことではないかと申し上げた。QRTのことはもうあまり口にすまい。ふっと消えるようにいなくなるのが一番だ。彼のような友人とは、ネットでも連絡が取れる。

終り際、私の武満徹の命日について記した私のブログ記事を読んだJohnが、武満との出会いについて語ってくれた。1969年というから、彼はまだ16歳前後だったはず、その時に、武満のNovember Stepsのアルバムを手に入れとても気に入った由。沈黙を音楽のなかに取り入れた傑作だ、とのこと。武満を世に知らしめた初期の傑作だ。この曲を10代の頃に感動して聴いたというJohn、きっと感性豊かな少年だったのだろう。

彼は会うたびに庭で私が何をしているかを尋ねる。今回も尋ねてきた。ようやく春めいてきたので、ジャガイモを植えた、これから他の野菜もどんどん植える積りだと話した。彼は庭で植物を育てるのが夢らしく、いつも楽しそうだと言う。この時期に、英国で母上が野菜を同じように植えていた由。

彼が世界一周の旅に出るまでにもう一度お会いしようと約束して別れた。

メールボックスを見ると、コロラドのDonからメール。私とJohnが同じように聞こえるというリポート・・・。

さて、ウィスキーを吞み切って休むことにするか・・・。

交信二題 

昨夜、午後9時頃、Ellen W1YLが7メガに出ていた。北米東部の局と交信している。S8くらい。昨日交信したばかりだが、呼んでみた。3週間、リモートで使っているW7RNのK3が故障して使えず、昨日ようやく復旧した。それをとても喜んでいた。この3週間気分は最低だった、と。何しろ3エレ(だったかな)のスタックにKWのリグなので、7メガを自分の庭のように生き生きと散策しておられる。

キーヤーを、K3内臓のものから、外付けのLogikeyに変更したけれどどうか、と尋ねられた。最初から感じていたのだが、以前と比べて、間違いが少なく、語間が多くとられており聴きやすい。CWがクリーンになった感じだ。そう申し上げると、とても喜んでいた。しばらく前に、酷いCWだと誰かに言われたと、とても気になさっておられたことがあった。90歳過ぎの方を捕まえて、酷いCWだという方がどうかしていると思うが、Ellenのキーイングは、30年前を彷彿とさせる、生き生きとしたものになっていた。Kentのパドルを、左右両方に配し、右手に痛みが出たら、左手で打つという二丁拳銃の体制だ。

私の方はどうしていたのか、と尋ねられたので、まだ寒いけれど日中の日差しがあたたかくなりつつあるので、庭仕事をすこしずつ始めたと話した。今年は盛大に野菜作りに励む積りだ、と。彼女は、コネチカットで生活していたころ、今は亡きご主人のBob W1CWとともに、トマトをたくさん作り、缶に詰めた。夏の間はその仕事で忙しかった、と思い出を語ってくれた。愛猫のクロネコOreoが部屋の外でニャーニャー鳴いていると言って、笑っておられた。無線を彼女がしている間、悪戯をするので、部屋の外に出すのである。

彼女の交信を聴いていると、いわゆるラバスタになりそうな場合には、さっさと彼女の方から交信を切り上げる。ラグチューをできそうな相手には、丁寧に対応なさっている。また、7メガで生き生きとした彼女のキーイングを見つけたら、お呼びする積りだ。交信の途中であのバカでかいアンテナをこちらに向けたらしく、S9プラス25dBは振っていた。女王の風格・・・。

寝る前に、1,2度CQを出した・・・このところ聴いていることが多いのだが、寝る前等にこうしてCQを短時間出す。Rick N6IETがコールしてくれた。コールは聞き覚えがあったのだが、交信内容までは思い出せない。72歳のハム。しばらくQRTしていて最近またactiveに出始めた方だ。

アパートの屋根の上に上げていたルーフタワーは撤去せざるを得なくなり、QRZ.COMに載せた画像のようにハスラーのモービルホイップをバルコニーから水平に出している。わが国でもアパマンの方がよくやるやり方。エレメントも延長し、全長14ft、ラジアルとして金属のメッシュのシートを用いている由。日が変わろうかという時間まで良く入感していた。途中からKPA500を入れたので、モービルホイップはハイパワーで大丈夫なのか、と尋ねた。30年前に、私が、ハスラーのモービルホイップでHFを運用していた頃、ハイパワー使用のコイルだったのに、50Wでも結構熱くなった。彼の場合、3.5メガでフルパワーを入れたら、コイルの外側のプラスチックが「溶けてしまい」、今は空冷になっている、と笑っていた。さすがに、500Wの連続使用ではそうなってしまうだろう。

ホイップにキャパシターハットをつけてみたらと、彼に提案してみた。効率はより良くなるはず。アルミの材料を使って、トライしてみると言っていた。

そろそろCONDXが落ちそうだから、もうお暇すると言いつつ、交信が長引く・・・彼は元来電気工学を専門にしたかったのだが、「計算すること」が不得意なために、心理学に専門を変えたらしい。どのような職業をなさっていたのかは詳しく教えて下さらさらなったが、教職についていたようだ。若い時代に、あるcommuneに参加していたことがあった。Twin Oaks Communityという団体。ネットで調べると、原始共産制のような集団で、現在も存続しているらしい。彼のモットーは、理想主義、完全主義、ユートピア・・・あと一つあったが忘れた・・・であるという。北米、とくに西海岸には、こうした生き方をなさる方が時におられる。彼も、若い時代に何か人生の核になることを求めて彷徨したのかもしれない。

彼の盛沢山のQRZ.COMの内容を眺めつつ、また会おうと約束して別れた。気が付いたら、1時間近く経っていた。

こうした楽しい交信に時々お目にかかるのだが、めっきり少なくなった。facebookにLes ZL2POが、DANというドイツの商業無線局が廃局になるときにオペレーターが、そのメッセージをCWで送る様子を映したclipをアップしていた。DANのメッセージに対して、ヨーロッパ各地の無線局から、短いが心情のこもった挨拶が送られてくる。昔プロの無線通信士であったLesにしてみると、あれは悲しい日の記憶なのかもしれない。だが、あのように気持ちをやり取りする通信こそが本道であったアマチュア無線のCWも、衰退の一途だ。その「悲しい日」を経験することになるのも、残念ながらそう遠い将来のことではない。

夜更けの7メガ 

昨夜、アンテナのSWRが高くなり、すわ、いよいよアンテナが壊れたかと一瞬思ったが、高いのは7、14だけで、21はインタクト。当時降っていた雪がエレメントにまとわりついただけ、ということが分かった。無線ができなくなるのは、以前だったらかなりストレスだったが、何か多少手持無沙汰に感じるだけだったのが、新鮮・・・。

今夜遅くなって、7メガにcw fixを求めて、出てみた。

K5OGX Phil、強くないが、聞き覚えのあるコール。調べたら、最初の交信が1967年。もう半世紀以上前だ。彼は75歳。4年前にお目にかかったときに、癌にかかったと聞いたのだったが、幸いなことに寛解状態にある由。お互いにまた元気でいつか会おうと挨拶を交わしてお別れした。

日が変わろうかというときに、John AC4CAが強力な信号で呼んできた。起きたばかりだと言う。数日前に上げた40m高の4エレ、さすがに信号が強い。CONDXは落ちかけているが、S9プラス。先週末は仲間と160mのコンテストに参加したので、まだ睡眠不足気味だと言って笑っていた。その大きなビームはやはりコンテストのために上げたのかと尋ねた。いや、バンドが開け始めるときから楽しめ、バンドが死ぬまで長く交信できるようになりたいと思ってあげた、とのこと。さすがだ!と声を挙げてしまった。以前にも記したが、奥様がAlzheimerにかかっており、徐々にダウンヒルの状況にある。今日は(おそらく今日もだろうが)、とりわけ彼女に優しく接するようにする、と言っていた。

楽しさは、こうした交信で極まれりということだが、いつまで続けられることやら・・・。でも、ありがたいことだ。

Larry W7CB 逝去 

夕方の7メガの数少ない常連だった、Larry W7CBがこのところ聞こえないと気になっていた。ネットで調べたら、彼が昨年3月に逝去なさっていることが分かった。私が最後に彼と交信したのが、同年3月上旬だったから、それから間もなくのことだったようだ。ログの記録によると、同月に予定されていた心臓の弁の置換手術が1,2か月延期になった、と仰っていた。心臓の状態が急速に悪化したのだったろうか・・・。もう80歳台半ばを過ぎておられた方だが、惜しい方がまたサイレントキーになってしまった。

彼のことは、こちらで紹介している。アマチュア無線に熱心な方で、本当にactiveに出ておられた。また、かっては教職、そして校長という職にあり、仕事も立派にこなしてこられたのだろう。大家族をまとめる一族の中心的な存在でもあったようだ。アマチュア無線のお付き合いを通して感じさせられたのが、彼の飾らぬ正直な性格だった。CWの速度が早くなると取れないことがあるらしく、その際には正直にその旨を仰った。彼ほどのキャリアーがある方では、そうしたことはなかなか言えるものではない。また、常にこちらへの関心も持って下さり、交信のメッセージの最後には、何かこちらへの問いかけで終わるのを常としていた。日の暮れるころ、カリフォルニア中部の山間の町から聞こえてくる彼の信号はいつも楽しみにしていた。

彼のようなオペが激減している。それについては繰り返しここでも記してきた。大きな要因は、やはりオペの高齢化である。高齢になると、無線をする気力が失せるのだろう・・・私も、それが他人事ではなく感じられるようになってきた。病気にかかり、亡くなる方も多い。それに、高齢化によって起きるもう一つの問題は、病気や死去という前に、他者に対する関心の喪失が挙げられる。一人語りをするのは、高齢者だけではないが、高齢になると、その傾向は強くなる。CWのように通信効率の悪い通信手段では、一人語りを延々と続けられると、それだけで終わってしまうことがよくある。それは、CW交信への興味・関心を大きく減じることになる。それで、CW通常交信のactivityがさらに下がることになる。これも他人ごとではない。

ここで何か希望を持てることを述べなくてはいけないのかもしれないが、残念ながら、それはなし。CW交信の最後の輝きの時代に輝いてその終焉を見届けよう、というのが、私の最近のスローガンだ。

今朝14メガで会った、Jim W6YAは、4歳の孫にモールスコードを覚えさせている。八文字覚えた、と嬉しそうだった。そうした技能の伝達が、間に合うのかどうか・・・。Larryも確か息子さんが無線を引き継いでいるようだが、CWには出てこないと仰っていた。

CWを通して知り合った、人間的に尊敬できる先輩が一人姿を消した。