Erik SM0AGD 逝去 

今月上旬、Erik SM0AGDが、サイレントキーになられたことを、FOCのMLで知った。Erikのことは、過去に二度ポストしていた。QRZ.COMの記録によると、彼は1971年から2001年まで、世界中の珍しいentityから出ておられた。1980年代のパシフィックシリーズ、それに1989年の3C、3C0が、私にとって、彼を活発に追いかけたオペレーションだった。彼は運用がうまく、さらに単にリポート交換だけに終わらず、時間があれば一言二言言葉を交わすスタイルで運用していた。自宅では、バーチカルにベアフットという設備だけだったようで、そちらからお目にかかったことは一、二度しかなかった。彼がどこからか出てくると、うきうきして待ち構えたのを今でも覚えている。

1990年前後の晴海のハムフェア―DXコンベンションで一度お目にかかった。やわらかな物腰の紳士で、国連の関連団体で途上国への援助に携わっていることを伺った。実際にお目にかかった印象がとてもよく、SM0の局とラグチューになると、彼の近況をしばしば伺ったものだった。このところ、CONDXの低下と、activity全般の低下が重なり、SMの局にお目にかかることが殆どなかった。そうした中での、彼の訃報、残念でならない。古き良き時代と、これからのアマチュア無線とについて、彼の考えをじっくり伺ってみたいものだった。

もうDXから離れて長く経つので、現状が良く分からないのだが、1980、90年代を彩った優秀なオペは、ほとんど聴くことがなくなった。例えば、VK9NS、ZL1AMO、DK7PE、G3SXW等々、サイレントキーになったり、活動をほとんど聴かなくなったり・・・。昨日会ったSteve N6TT、彼は3年間ほどQRTしていたわけだが、彼もCQを出してもほとんど応答がないと嘆いていた。特に、昨年来、ガタッとactivityが下がっている。時代の変化なのだと受け入れることだろう。もう、あの優れたオペ、DXもラグチューもこなした連中の時代は戻ってこない。

RIP to Erik.

久しぶりの無線 そして無線の行く末 

この二、三週間、無線に出る機会が激減。以前は二、三日でないと、禁断症状を起こしたのだが、少し出るのを控えていたら、出ないことがストレスにはならないことが良く分かった。いわば、addictionから離脱に成功した気分 苦笑。これで、徐々に無線からfade outして行くこともできようというものだ。

昨日、JA7WTH Hiroさんをお呼びした。しばらくぶり・・・と言っても、二、三か月ぶりか。私があまり出ていないことを指摘され、先日Ellenとの私の交信をお聞きになったのがしばらくぶりだった由。広瀬川の川べりを散歩しながら、スマホで私たちの交信をお聞きになっていたらしい。米国のSDR局をネット経由でお聞きになっていたのだろう。便利な世の中になったものだ。彼は、仕事場の新しい建物がいよいよこの秋竣工らしくお忙しい由。

W6QRとも一か月ぶりの交信。Steve N6TTが、長いQRTの後、無線機IC7610を手に入れて、仕事場から出てくると言う。やがて、Steveを交えて、3局のラウンドテーブル。Steveは、電線に近い10m高のダイポールだったが、579で入っていた。実に、ほぼ3年ぶりの交信である。来月には、K7NVが自宅のローターの交換をしてくれる由。やはりベアフットにダイポールだと、CONDXが落ちると厳しくなる。盛んに電信の腕が落ちたという(実際には落ちていない・・・昔は、もっとまかったという誤った自己認識なのだろう 笑)が、私は、「今度は燃え尽きないようにね」と言ってお別れした。こっちが燃え尽きそうだと言いたかったが、それは省略。Steveも、いかに無線の全体的なactivityが落ちているか知ったら、きっとビックリすることだろう。この三年間の短い期間にも大きな変化があった。

この二、三日、ときどきバンドをワッチしているが、本当に出ている局が少なくなった印象。基本的には、全体の高齢化もあるのだろうが、日本の場合は、やはり免許制度が七面倒くさいのも大きな理由なのではないか。座学により初級の免許を取るのに、養成講座費用として2万円前後かかる。従事者免許と、局免許が別。局免許に移動と固定の別がある。そして、書類上だけの意味のない保証認定制度。それに、今度は、これまた世界に類のない「新スプリアス制度」である。オンラインで免許申請ができるようになったと思ったら、返信用封筒を送れとの当局の時代錯誤な指示。ガラパゴスも良いところだ。

全体として、アマチュア無線、特にCWは斜陽であるのは確定的な事実なので、それに抗うことはすまいと心底から思うようになった。JARLの幹部たちは、それを知っているのだろうか。自分たちはアマチュア無線の中心にいると思い込んでおり、足元が大きく揺らぎ始めていることに気づいていないのではないか。少なくとも彼らの一部は、アマチュア無線で利権を漁ろうとしているさもしい連中なので、そうした危機意識は皆無なのかもしれない。残念ながら、彼らと、アマチュア無線で利権を得る官僚・民間の連中によって、我が国におけるアマチュア無線の消滅は早まる。

True Blue DXers Club 

Reinhard DL1UFからのメール。アマチュア無線、とくにCWの衰退について、英文ブログに記してから、何度かメールのやり取りをしている旧友だ。

True Blue DXers Clubという団体について知らせてきてくれた。こちら。

この団体の立ち上げを知った時に、まっさきに思い起こしたのが、私のことだった由。

PCに依らない、アナログの交信を愉しもうではないかというクラブのようだ。会費も何もないので、クラブというよりも、メッセージを発信するための集団か。

OK1RPは、元OK1CQR。ハムのデータベース構築等で活躍なさってきた方。

関東の総通は、新スプリアス規制に合格したリニアーを発表した。エリアにより、その動きがないところもあるらしい。要するに、行政の一存で決まる。また、新スプリアス規制に不合格だとして差し戻されたリグを、JARDの保証認定を通したら、一発で合格になったという話も聞いた。行政が、JARD等保証認定団体への利益誘導をしている可能性が高い。

また、日本以外の国では、アマチュア無線団体が、当局と交渉し、アマチュア無線をこのITUの規制の対象外にしている、とも聞いた。JARD等に利益を誘導するだけのこの珍妙なスプリアス規制を、アマチュア無線に課しているのは、わが国だけ。昔の共産主義国家でもこんなことはなかったのではあるまいか。当局に規制緩和を求めるべきJARLが率先して規制のお先棒を担いでいる。JARL会員は、保証認定を受ける際に、割引されるらしい。スプリアス問題という事実の認定の問題に、なんで割引なのだろうか 苦笑。JARLは、アマチュア無線家の敵になった。

良い志のクラブを紹介して下さり有難い、しかしアマチュア無線の将来は暗いと、Reinhardに書き送った。その意気や良しである。一応メンバーに加えてくださるようにメールした。幽霊会員確定ではあるが・・・。

John 9V1VVとfacebookで再会 

facebookを見ていたら、John 9V1VVからfriend requestが来ていた。以前facebookに入っていたが、2,3年に退会したことを知っていた。

メッセージも来ていたので、しばらくチャット。やはり海の仕事に戻るらしく、現在、研修のために、フィリッピンのスービック湾に滞在中の由。3日後に一度シンガポールに戻り、3週間の休暇になるそうだ。自宅から無線に出る、とのこと。船からの運用は無理らしい。

メッセージを下さった理由の一つは、私が「大地の歌」について英文ブログに記した内容にコメントをしたかったのだが、コメントできなかったためらしい。「大地の歌」の終楽章「告別」は、交響曲第九番につながる、その内容は歳をとっても記述するのは難しい、とのこと。あの音楽が、この歳になってようやく理解できるようになったのだから、歳をとることも悪いことではないと言うと、その通りだ、との返事だった。

最近、トルストイを読んでおられるらしい。どんな作品か、その感想は、という議論まではする余裕がなかった。私の方は、読むのはもっぱら、政治経済ばかり。わが国が米国の支配下にあり、その被支配関係によって利権を得る人々と、米国によって牛耳られていると申し上げた。あまりくよくよしないことだ。我々が変えられることはほとんどない。毎日出会う人々との関係以外は・・・と彼が言う。

無線に関しては、かのFOCさえも、コンテストクラブに変容してしまったように見える。私があのクラブ、いや無線そのものに別れを告げるのもそう遠くはない(という私の常とう句)と申し上げた。彼も船に乗っている間は無線ができず、そのためにfacebookにカムバックしたのかもしれない。

というわけで、この二日ばかり無線をまったくやっていない・・・とても珍しいこと・・・が、その代償になるようなチャットであった。これがあれば、無線は私にはあまり要らないなぁ・・・。

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彼が我が家に来てくれた時、たまたまオケの練習で、半強制的に練習場に連れて行った。その時の画像。7年前・・・「もう」というべきか、「まだ」というべきか、7年間経ったのだ。その際に練習していたのが、ブラームスの2番。懐かしい。

カーメルバッハ音楽祭2018 そしてサンノゼ1987 

昨夜、寝る前に、リリングがシュトットガルトバッハアンサンブルを指揮した「マタイ受難曲」を聴いた。繰り返し記した通り、この演奏者達は、私が学生時代に初めて生でマタイ受難曲を聴いた指揮者・演奏団体である。解剖実習を終えて、夕闇迫るNHKホールに向かったのが先日のように思い起こされる。で、この演奏、この曲、第一曲から圧倒的に迫って来るものがある。こころに沁み入る演奏だ。

先日、礒山雅教授の名著「マタイ受難曲」を改めて通読しなおした。この物語の筋は、理解しているし、各曲もところどころ単語から何を歌った歌かは、理解できるつもりでいた。だが、各曲の精細な表現、意味するところを、もう一度このテキストを通して理解しなければいけないと思い直した。礒山教授がこの著作で目指した、宗教的な側面と、音楽の側面と両面から、この偉大な作品を理解するという意図は、そうした作業無しには無理だと考えた。そうすることで、バッハがこの音楽に込めたルター派信仰と、時にはそれをも超えると礒山教授の言うバッハの信仰の音楽的表現を理解できるのだろう。

こちら。

今朝、Bob W6CYXからメールがあった。7月に行われるカーメルバッハ音楽祭の案内がリンクしてあった。今回のメインプログラムは、マタイ受難曲であるらしい。一週間おきの日曜日に演奏会が行われる。あのDavid Gordonが、演奏会の熱烈な広報を記している。Bobは、一緒に行かないかと言外に言っているように思えた。以前から、勧められてきた。残念ながら、今回も行くことは難しいとお断りした。Bobの家にはこれまで三回お邪魔している。いつもあたたかく迎えてくださった。1987年に訪れたときのことはすでに記したが、思い出してみると、9,10人のパーティを開いてくださったのだった(しばらく前に、その画像はアップした)。Steve WA6IVNが、長年闘病してきた比較的良性のリンパ腫に加えて、悪性黒色腫を発症、脳に転移を起こし、かなり具合悪かったのだが、奥様Karenともども2時間以上かけてBobの家に駆けつけてくれた。Steveとは、以前にも記した通り、1960年代からの付き合いだった。特に1980年にカムバックしてから、頻繁に交信をさせて頂いた。彼との交友については、以前に記したことがあったような気がする。最初の訪米で、レンタカーを借りて、サンフランシスコから、彼の家のあるマンティカまで走った。家族総出で、歓待してくれた。1984年頃のこと。Steveは、Bobの家で会って数か月してから故人となってしまった。

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パーティの翌朝、Bobの家の駐車場で。Steve夫妻は、このキャンパーで訪れた。Karen、Hide(JH0FBH)、私、SteveそれにBob。

Bobには、あのパーティのことを思い起こし、これまでの厚情に改めて感謝申し上げた。Bobももう80歳台だ。人生が有限であることを感じると、しばらく前のメールに書いてよこした。これまで通り元気に過ごして頂きたいものだ。

7月中旬、カーメルでマタイ受難曲が鳴り響くころ、私は、こちらでリリングのマタイを丁寧に聴くことにしよう。

Bill W6QRからの贈り物 

昨夕、家内が宅配便が届いたと正方形の包みを持ってきた。ずしりと重たい。

送り主は、Bill W6QR。開けてみると、BegaliのScalptureである。同封された私信には、彼のコレクションだが、使うことがなく、私が使えばきっと美しいCWが奏でられるだろうから贈るとあった。

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きっと、先日の来日時東京でお会いし、案内させて頂いたことで、このような贈り物を送ってくださったのかもしれない。このように高価な贈り物を頂くべきことは何もしていない。

昨日夜、ヨーロッパに開けた14メガを聴いていた。FOCの80年記念の記念局が出ていた・・・だが、やっているのは、コンテストスタイルの交信 苦笑。あぁ、やっているよと呟きながら、スイッチをオフにした。FOCくらいは、普通の会話をCWで交わしてもらいたいものだったが・・・。

彼への返信には、実は、この、1、2年以内にQRTすることを考えているのだ。だが、こんな立派なキーを頂き、その気持ちが少し揺らいでいると記した。実際のところ、お空でキーが活躍する機会はめっきり減っているので、QRTせずとも、QRT同然になることが予測される。だが、これほど期待してくださっている友人がいるからには、規模を縮小して続けるか、という気持ちもわずかだが湧いてきた・・・。

彼は、寡黙ないかにもエンジニアらしい男。交信の際にも余計なことはあまり語らない。技術的なことになると、途端に雄弁になる・・・そんな彼と知り合えたのは、幸運なことだ。

アマチュア無線、過去、現在、未来 

一昨日、7メガで夜 Jim W6YAに会った。強い信号。VisaliaのDXコンベンションに行き、古い友達、そして新たに知り合った人々とあってきたとのこと。楽しかったようだ。来年は来ないかとまた誘われた・・・。

Visaliaに集った面々のうち、若い人はどれくらいいたか尋ねた。約500名の参加者の内、若い人は2名だけだった、とのことだ。一人は、コンテストで有名なZL4YL、父親(ZL3IOだったか)と一緒に参加したらしい。17歳のうら若き乙女。Jimも、彼女と一緒になれてうれしかったと、本当にうれしそう。このZL3IOと奥様(彼女もハム、ついでに長女もハム)は、元来東ドイツの出身らしい。仕事で成功なさったのだろう。ZLに豪勢なコンテスト局を立ち上げている。ZL4YL、Xeniaという名だったか、は、残念ながらコンテスト専門で、CWの会話はなさらない由。

ZL4YLの話でひとしきり盛り上がったのだが、でも最終的にCWだけでなく、ハム全体が斜陽であることは、Visaliaに参加した面々の年齢からも分かろうというものだ。多くのold timerは、それをもう十分分かっているのだろう。昨夜お会いしたDon WB6BEEも、まったく同じ見解だった。おそらくactiveなハムの平均年齢は60歳後半、もしかすると70歳になっているかもしれない。もう10年もすると、activityはがたっと落ちるはずである。

この高齢化に抗して、若返りを図る対処方法はいくつかある。若い人にアマチュア無線の楽しさを理解してもらうこと。その場合、楽しみが「本物」でなくてはならない。本物とは何かという点で議論もあるだろうが、年月がたっても変わらぬ楽しさである。もう一つ、免許制度の簡素化だ。これは、繰り返すが、JARLと当局のおかげで(皮肉)、逆の方向に進んでいる。思い切った簡素化をしない限り、我が国のアマチュア無線に未来はない。と、すぐにだれでも思いつくことを記したが・・・逆の方向に向かって突き進んでいる。

オンエアーのactivityが下がり、アマチュア無線局数自体も減少する。そして、アマチュア無線機器のメーカーは、輸出を手掛ける企業以外は生き延びることはできないだろう。輸出企業にしても、米国の新興メーカー、さらに中国等のメーカーが市場を独占し、かなり厳しいことになるのではないか。

行き着くところまで行って、その後また自作の機械で愉しむ人だけがアマチュア無線を続けるようになる、ということになるのかもしれない。一旦焼け野原にならないと新しい展望が生まれぬということなのだろう。

かって、アマチュア無線は若い人々の趣味であった・・・わが清瀬アマチュア無線クラブ(もちろん、すでにこのクラブは消滅して久しい)が、高尾山だったか奥多摩に移動したときの画像。このなかで唯一アマチュア無線を続けている、少なくとも免許を切らしていないのは、JA1RHMとexJA1RHL、現VK1ARAのお二人と私だけ。電波を出し続けているのは私だけ。このように若い人々がアマチュア無線に関心を抱くようになる日がまた来るのだろうか。それとも、アマチュア無線が博物館でのみ見られる昔の趣味ということになるのか。

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輝かしい時代を終えようとするアマチュア無線 

この週末、中部カリフォルニアのVisaliaでDXconventionが開催されている。ここは、南部と北部の丁度中間地点にあたるということで、開催地になっていると聞いた。facebookでは、さまざまなアイボールの写真がアップされている。DXerとはあまり交流がなくなってしまったが、中には顔見知り、友人もいる。総じて・・・高齢化している(苦笑)。一頃、Visaliaに来ないかとよく声がかかったが、それもあまりなくなってしまった。W6YA Jimと先日会った時にも、それらしいことを言われたが、私の腰が重いことを知って、あまり勧めてこない。7、14メガともに、この週末は、普段にもまして北米はがらんどうの状態。

先日、昔の写真を見ていたら、1988年にカリフォルニアを訪れ、W6CYX Bob宅にお邪魔した時の写真が出てきた。Bobはパーティを開催してくれ、昔懐かしい今は亡きKD6SU John、そしてSteve夫妻が映っていた。Steveは、すでにメラノーマが進展し、るい痩が進み、いかにも大変そうだった。だが、Mantecaからキャンピングカーを引っ張って会いにきてくれたのだ。翌年の春には亡くなったのではあるまいか・・・。今であれば、オプジーボ等で治療ができたであろうに・・・。こうして集まりを開いてくれたBob、それに会いに来てくださった友人たちの厚意を思い、改めて胸が熱くなった。

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左からBob N6EA(彼もSonoraからわざわざ来てくださったのだった・・・忘れていた)、私、Steve、Karen。彼ら以外に、Bob夫妻、JH0FBH、KD6SUとその友人もいたわけで、これだけの大人数のパーティを準備してくれた、Bob夫妻に改めて感謝だ・・・。

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翌朝、Steve夫妻が帰路につく前に、Steveのキャンパーの前で。

QRZ.COMで時々昔の知り合いのコールを検索することがある。Steveの奥様Karen、長男Markがまだ無線をやっているか調べてみた。奥様のコールはヒットせず。Markのコール、KA6NHKは生きていた。でも、ほとんど検索された様子がないので、activeには出ていないのだろう。1984年MantecaにSteveを訪れた際に、目礼だけしたのを覚えている。いつか便りをしてみよう・・・。

かってactiveに出ていた友人たちも、櫛の歯が抜けるように、一人一人と亡くなって行く。それは、私の友人関係だけではなく、アマチュア無線全体にも言えることなのかもしれない。あのVisaliaの楽し気な集まりも、あと10年もすると確実に規模の大幅な縮小、ないし、もしかすると、中止になっているかもしれない。それが時代の流れなのだと改めて思う。大きな設備を使って、短波帯で世界中と交信する楽しみは過去のものになりつつある。

余計なことを一言付け足すと、ありがたいことに(もちろん皮肉・・・)、JARLと当局が、そのあと押しをしてくれている、というわけだ。JARLは、自ら緩慢な自殺行為をしているのが分からんのかね・・・あの新スプリアス規制・・・ま、これがなくても、徐々にアマチュア無線が衰退するのは確実なことだが。

Mike W0VTT 

今朝、14メガは出ている局がほとんどなく、静まり返っていた。念のため、CQを出す。するとミネソタのMike W0VTTが強力な信号で呼んできてくれた。バンドは開けていたのだ。出ている局がいないだけ・・・。

ミネソタは、まだ冬が続いているようで、-6度C、15cmの積雪。この前の日曜日、イースターだったわけだが、彼は教会でマタイ受難曲を歌ったとのこと。バスパートの合唱に加わったらしい。すばらしい経験だったとのこと。

マタイ受難曲といえば、今、邦人のバッハ研究家(礒山雅氏のこと)の著作「マタイ受難曲」を読み返しているところだ、と彼に言った。日本人にバッハ研究家がいることが不思議に思ったのだろうか、彼が音楽の勉強をしていたころ、東洋の音楽についてほとんど学ばなかった由。彼は、音楽の専門家で楽器はトロンボーン。

いや、バッハの音楽はすでにコスモポリタンの音楽になっている。武満徹のように西洋と、東洋の音楽を橋渡ししようとする作曲家もいる、と申し上げた。

すると、彼は、1980年代に、シカゴ交響楽団にエキストラとして加わり、武満徹の「リヴァラン」の演奏に加わったことがある、ということだ。指揮者は小澤征爾。リハの時には、何を意味しているのか分からなかったが、本番では、その意味するところが理解できた、とのことだ。小澤の指揮で、武満の作品を演奏する、とは凄い経験だったことだろう。

武満が死の床で、篤愛のマタイ受難曲を聴いたのだったと申し上げた。

武満、日本人の音楽というと、何か特殊な異文化の音楽ととらえていおられるような印象が残った。だが、仕方あるまい。マタイ受難曲を私たちがどのように受容したのかを、語り続けることだ。

交信し意思疎通する手段としてもCWが、死に絶えつつある、ということもまた申し上げた。彼の場所からは、CWでラグチューする局が多く聞けるが、多くは小さな設備の局なので、JAまで届かないのだろう、との返事。Wでは、こちらとまた違った様子なのかもしれない・・・が、やはりこの半世紀以上(70年代を除いて)、CWの状況を観察し続けた私としては、CWが死に絶える過程にあることは間違いないと思うと申し上げた。

こんな交信をすることができるのも、本当に稀なことになってしまった・・・。

Bill W6QR ご夫妻 

長い一日だった。一昨日、夜遅く起きだしていろいろしていたので、昨日起きるのが出かける予定の30分前。8時前には何とか車で出発。近くの、といっても25分ほどかかるのだが、宇都宮線の駅近くに車をおいて、一路東京へ。米国から旅行でやってきた友人夫婦にお目にかかるためだ。芝パークホテル・・・慶応大学の近くだったはず・・・すぐ行きつけると思いきや、浜松町から降りて、やはり分からなくなった。電話をかけてようやく到着。ホテルのレセプショニストの多くが、明らかに外国人になっていて驚いた。

W6QR Bill Shanney夫妻とロビーで対面。初対面だった。無線では、数え切れぬほど交信している。彼によると、1989年、彼が以前のコールKJ6GRだったころに最初の交信を私としている、とのこと。彼は70歳、もうリタイアして10数年になる。謹厳実直そうな感じの方。出身は、NYC近くのNJ。大学卒業後、防衛関係の会社でマイクロウェーブを扱っていたらしい。兵役にはつかなかったらしい・・・防衛産業に従事していると免除される。仕事の関係で1970年代に西海岸に移り住んだ。お子さんたちの教育を一番に考えて、現在のLAの街中に住み続けているとのこと。リタイアする2、3年前に、凝固系の異常から深部血栓を起こし、それを機に退職することを決めた。年に一二度奥様が主導する海外旅行にでかけるとのことだった。私たちには、共通の友人が何人かおり、彼らの話題で話が弾んだ。特に、彼の近所に住むSteve N6TTのこと。Billは、正直なところ、大都会を旅行するよりも、自然のなかでのんびりする方が好きらしい・・・。アリゾナにしばしば写真を撮りに出かける。ちょっとだけ政治の話を振った。トランプにはscaredであるというと、彼はいや私は少しもそんなことはない、むしろ議会の方が問題だ、とのこと。トランプには改革を進めてもらいたいと「まだ」期待しているらしかった。でも、JFKのような指導者が現れてもらいたいものだ、とのことだった。老後資金は、退職時に年金にするか、全額下すか選択出来て、彼は全額投資に回したらしい・・・。2008年にはかなりロスしたが、今のところ順調のようだ・・・。

奥さまVivianは、小学校の先生をずっとなさっており、話し方等いかにもそれらしかった。優しそうな笑顔の持主。六義園の由来について詳しく尋ねられたのだが・・・最初に、この庭園は江戸時代にできた程度しか分からぬと先制をかけておいたのだが・・・私がそれ以上のことは答えられないというと、にこにこしながら「では、宿題ね!」とのお答え。ホームワークという言葉、懐かしかった・・・。今は、パートタイマーで代理に教えることをしているらしい。ご両親ともに、日系の方だった。曾祖父の世代が、広島出身で、後にハワイに移住なさったらしい。家族の歴史に関して、関心をお持ちの様子。そういえば、Shanneyというあまり見かけぬファミリーネームは、アイルランド由来らしく、ひょんなことからオーストラリアに住む別なShanney家と知り合い、先祖がやはりBillの先祖と同じころ、アイルランドからオーストラリアに移住したことが分かったと言っていた・・・遠い親戚だったらしい。Vivianの好奇心は旺盛。すしネタから、公園の木々、そして人々の衣装、看板にデフォルメされたアルファベットがあるとその意味等々、質問攻めである。特に食べ物の名称は必ず尋ねられると思ったが、tunaやoctopus程度しか答えられず。以前、Billから、Vivianが水銀中毒!になったことを聞いていた。ダイエットのために、魚類とくにtunaを常食していたことがあったらしい。tunaに高濃度の水銀が蓄積され(食物連鎖による濃縮)、肌、髪の毛などに異常を生じた様子。なかなか診断がつかなかったが、ある医師がつきとめてくれてchelating agentを服用して改善した由。

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まず、秋葉原へ。昔は無線街があって、無線・ラジオのパーツを手に入れることができた、今はその店舗が激減してしまった、と説明。説明がいらぬほど、PCや、コスプレ?の店舗に置き換わっていた。小学6年の頃から、しばらく月一度お小遣いを手に握りしめ、ここに通ったものだと説明した。NYCにも同じような電気街があったらしい。今お住いのLAでは、無線機屋さんは数店舗だけのようだ。 最近手に入れたIC7610の画像を秋葉原で見かけると、それについて滔々と語り始めた・・・DAコンバージョンをせずに直接検波しているとか、メニューモードがユーザーフレンドリーであるとか・・・。やはり根っからの技術者である。昔はDXを追いかけていたが、今はもっぱらラグチュー専門である。

上野は気分が悪くなるほどの混雑。植え込みで寝込んでいる酔っ払いもいた。こんな人混みに連れてきて申し訳ないというと、いや、NYCのタイムズスクエアで経験していると言って笑っていた。不忍の池の反対側にある寿司屋に到着。寿司ランチを頂く。そこそこの味だったかな・・・私の住む田舎の方が旨い 笑。

六義園では、多少混雑が少なくなっていたが、それでもアメリカ人にしたら、かなりの混雑だったことだろう。お茶屋さんで団子と緑茶を頂き、おしゃべりをしながら一周して帰路に。お茶をしているときに、お土産だと言って、トートバッグ、熱いものを手にするときに下に敷く下敷き、それにドライフルーツを数点お土産に頂く。その下敷きがちょっとキャップみたいだったので、そういうと彼らに受けていた。帰宅したら、カミさんにそれを被せて画像を送れ、と・・・。彼らがホテルまで帰る道が大丈夫か心配だったが、昨日は山手線を使って新宿御苑と代々木公園まで遠征したらしいので、大丈夫だろう判断。駒込駅でおわかれした。またいつかお目にかかる機会があるだろうか・・・。

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総歩行数16000歩 苦笑。彼らは毎朝2マイル散歩しているとはいえ、ちょっと歩かせ過ぎだったか・・・。彼らの旅行は、これから関西、広島方面に続く。

という長い一日だった。