FC2ブログ

NN6EE exWB6BBCと初めてのアイボール 

昨日、1960年代からのアマチュア無線の友人Jim NN6EE exWB6BBCとお会いしてきた。お台場のホテルに10分程度遅刻。ラウンジで約束のカウボーイハットを被った彼をすぐに見つけた。「Jim?」と尋ねると、破顔一笑。握手では収まらず、ハグの嵐。想像していたよりも小柄で、私と同じか少し低い位。ハットの脇から白髪が覗く。落ち着いた感じの奥様も登場。御茶ノ水に向かう。眺めの良いレストランで落ち着き、しばし昔のこと、現在のことを伺った。

1960年代、彼によると、あちらの早朝に7メガによく出ていた。踊る様なバグキーで送られてくるWB6BBCというコールは、当時バグキーの長点側でゆっくりした符合を送ってきたWB6BFR Ralphとともに記憶にしっかり残っている。話した内容は、CONDXのことや無線機のことばかりだったのだろう、あまり記憶に残っていない。しばらく前にアップしたポストに載せた画像の通り、こちらの平均的な生活水準からすると、豊かな青春時代を送っておられるように見受けられた。

彼は、10代のころから休みなく無線に出ていたらしい・・・ただ、20歳から30歳台は経済的に苦しく、あまりactiveではなかったようだ。私が、1970年代は音楽に夢中になっていて出ていなかったと言うとニッコリ笑っていた。大学を卒業後、建築資材の鉄板を扱う仕事に従事、組合活動にも従事したらしい。52歳にして早期のリタイア。ご両親からの遺産が入ったことと、年金が好条件で得られるようになったためらしい。二人のお子様は既に独立し、家庭を持ち、お孫さんが三名。サンフランシスコ近郊に皆お住まいのようで、奥様は2,3週間おきに彼らの家庭を訪れているということだった。Jimは、根っからの共和党支持者。トランプも強力に支持しているようだ。旅行も度々でかけ、昨年は英仏を訪れたらしい。来年はイタリーの予定。医療面は、Medicareが診療部分をカバーし、職域の医療保険が処方薬の費用をカバーしている、とのこと。近くにUSDaviesのメディカルセンターはあるし、良いかかりつけのGPがいるし、医療面では問題がない様子だった。ただ、痛み止めとして、麻薬を処方されることが多く、社会問題になっているらしい。Jimは、まだ無線にに熱心。308エンティティCFMのようだ・・・実際、パイルアップで時々彼のコールを聴き、「貴方は若い」と思っていたと言うと、笑っていた。

なんやかんや話しているうちに2時間以上経ち、話を切り上げ、お別れすることにした。ベイエリアに来ることがあったら、連絡をしてくれと言われた・・・何時になるやら。お互い、もう若くないのだから、身体を大切にして、これからの残りの人生を過ごしていってもらいたいものだ。奥様は、私たちのこの会見は、知り合ってから半世紀以上たってのことで、新聞に載っても良い出来事よね、と言ってくださった・・・。確かに、10代のころ、狂ったようにやっていた無線で知り合い、またここ10数年何度かお空でお目にかかり、こうして人生終盤になって初めて直接お目にかかるというのは稀有なできごとではある。

年寄り二人 苦笑。

IMG_5120_20190615194819b04.jpg

Jimと奥様。

IMG_5123.jpg

少し時間があったので、周辺を少し散歩。私の母校の前の道。私が学生時代を送ったころから、建物はすべて建て替わっていた。お茶の水の駅舎も改装中であった。こうした道路、壁、それに階段等は、昔の面影を残していた。きっとそれもあと10年、20年したらすっかり変わるのかもしれない。

IMG_5124.jpg

夕方には、自宅に帰着。

ex WB6BBC 

今月中旬に来日する旧友の件・・・Jim NN6EE、ex WB6BBCというハム。最初に交信したのが1967年前後らしい・・・彼が19歳、私が17歳の時だった。10年ほど前に別なone by threeのコールを持っておられたときに再開。あのWB6BBCかとビックリした。以前にこのブログにも記したが、1960年代、彼はスイングの大きなバグキーを使っていた。7メガの夕刻、バンドがまだノイジーになる前に、しばしば交信した。のんびり交信モードだったと思う。何を話したのかは思い出せない。

wb6bbc-2 1968

1970年代に私が無線を一旦止めていたときも、彼からもらったこのカードや、後でアップする写真は大切に保存していた。ほぼ同年代ということでとくに記憶に留めようとしていたのだろうか。このカードは、恐らく手作り・・・または自分でデザインしたものだろう。バグキーがフィーチャーされている。だが、NN6EEとして数年前にお会いしたときには、ばりばりのエレキ―使いになっていた。それに、もっぱらDXを追いかけるのを愉しんでおられる様子だった。その後、2,3年に一度程度お目にかかっていた。

wb6bbc-1 1968

当時の彼のシャック。コリンズのtwinに、左側のリグはシグナルワンか?いずれにせよ、当時の私には高嶺の花、というか周りで目にしたことのないリグだった。Sラインよりは価格は低かったのだろうが、それにしても十代でこれだけのセットアップを所有できることに驚いた。私は、6AQ5の送信機から6DQ6Aにグレードアップ!したころだっただろうか。それとも2E26、はたまた6146か・・・。彼のカードには、ドレークのリグを使っていたとあるので、これとは別にドレークを揃えていたのか。いずれにせよ、Wの生活の豊かさに目を見張った記憶がある。

wb6bbc 1968

広大な邸宅に、大きな車・・・う~~ん、と唸った・・・かな。いずれにせよ、米国の恐らくは平均的なティーンエイジのハムの経済的に恵まれている様子に目を奪われた記憶がある。

正直なことを言うと、彼とは人生のさまざまな出来事を語り合った記憶がない。同じころに無線を始め、同じ時代を国は違えど生きてきた、ということだ。今月お会いするときに、お互いを認識しあうことができるかどうか。おそらく唯一のアイボールの機会だと思うので、じっくりと話しを聴いてきたい。人生の後ろを振り向くことの方が、前を向くよりも格段に多くなった今、彼はどのように来し方を振り返るのだろうか。

昨夕7メガで・・・ 

昨夕、日が暮れる少し前、ビールを一杯やりながら、7メガに出た。久しぶり・・・といっても、4日間だけご無沙汰しだたけだったが・・・。バンドは、この時期としてはとても静か。だが、CQを出しても応答がない。5,6回繰り返したところで、Don N4UBがコールしてくれた。彼とは比較的頻繁に交信してきたが、いつも信号の強さがイマイチ。ジョージア州の北東部、アラバマに近いところに住んでおられる。FOCを通して近しい知り合いになった。800Wに15m程度の高さのG5RV。その設備だったら、もう少し強くても良いはずだがと思わないでもない。だが、内陸部のジョージアだと、こんなものか・・・。いつものように、CWのactivityが低いことを嘆いたら、Ellen W1YLがリモートで出てくる、と慰められた。

Donとの交信を終え、一度だけと思ってCQを出すと、予想ドンピシャでEllenが登場。S9+10デシベル程度まで振っている。まるで空の女王様の風格。しばらくお会いしていなかった。facebookでは、時折、彼女がコメントなさったり、アップされたりしているので、健在であることを知っていた。だが、やはり直接お目にかかるのは嬉しいこと。George K5KGが、リモートコントロールのシステムをアップグレードしてくれた由。これでヨーロッパともっと交信ができるようになれば、と語っていた。愛猫Oreoは、やはり無線室で悪戯をするので、彼女が無線をする間、室外におかれている由。膝の具合は良くなくて、歩行時に痛みがある由。それでも、独立して生活をしている、と語っていた。90歳を過ぎて、一人で生活するということは、その生活そのものが闘いなのだろうと想像した。私も、70歳の大台に乗って、やはり時々年齢を感じると申し上げると、いやいや、70歳なんてまだ「若造lad」と断定されてしまった。彼女の年齢で、リモートのシステムを駆使してオンエアーを続けていること自体、他のオールドタイマーたちに勇気を与えることだと申し上げた。彼女は、最近二つの栄誉に輝いた。一つはロシアのアマチュア無線団体からの表彰。Krenkel賞というメダルを授与されたらしい。もう一つは、USCQのHall of Fame。米国のARRLのサイトに、それについて記されている。こちら。ますますお元気に無線を続けられるようにと申し上げて、お別れした。

この静かなバンドの状態は、確かに1960年代に私が7メガに狂ったように出ていた頃を思い起こさせる。当時の旧友が来月、来日する・・・その話はまた別なポストで・・・。

当時との違いは、私自身、それにアマチュア無線自体が、斜陽に向かっていることだろう。最後の輝きを放ちながら・・・私はもう燃えカスだが 苦笑。

VY1KX Allen 

先日から、夕方のビールが復活。庭仕事で目いっぱい汗をかいた後のビールは、旨い。体調を考えて、ビール断ちをして数か月。このまま行けるかなと思ったのだが、残り物のビールを冷やしたらさすがにその魅力に抗することはできない。

午後5時、まだ外は明るい。7メガを聴く。コンテスト局と和文局ばかり。空いているところをみつけて、バグキーでCQを出す。同じくバグキーで応答があった。旧知のAllen VY1KX exVE7BQOである。3年ばかり前に、VE7からお嬢さん夫婦の住むYukonに移住なさった方だ。以前、彼について記したポスト、こちら。

確か、5エーカーの土地に家を建て、新しい生活を始めたはず。近々、メキシコに住む息子さん夫婦、それにお嬢さん夫婦、孫娘が一堂に会することになると、嬉しそうだ。息子さん夫婦は「たった」2週間しか居ないのだ、と嘆いていた。私にも是非遊びにいらっしゃい、個人的にお目にかかりたいと二度も繰り返し言ってくださった。今すぐは無理だが、西海岸には、歳をあまりとらないうちに訪れたいと思っている、と答えた。

Yukon川でカヌーに乗って過ごしている由。もう少し暖かくなったら、庭にいろいろな植物を植えたい、とのこと。奥様がバンドでトロンボーンを演奏なさり、近々オタワに演奏旅行に出かける由。

あと二週間ほどで、70歳になると言ったら、彼は今月1日に70歳になったところとのこと。おぉ、偉大な49ersではないかと申し上げた。49ersのguruは、John K1JDなので、聞こえたら一声かけて、Allenも49ersだと自己紹介をするように言った。

彼は、昔から使用してきたFT Oneをまだ使っている由。デジタルモードと混同されないと良いね、と私。アンテナは、12mhのダイポール。それにしては、信号が安定している。ソリッドコピーである。こうした小さな設備の局と交信するのは、昔に帰ったようで、。ほくほくした気分になる。

45分ほどお喋りを続けたか・・・また、近々お目にかかりたいと申し上げて、交信を切り上げた。

輝かしい終焉 

2,3日前、あまりオペレートしなくなった夕方、というか午後遅くの7メガで、北米の東海岸と交信できた。午後3時20分頃、ノースカロライナのWayne W4HGが呼んできた。お互いノイズすれすれだったが、一応意思疎通はできる。ノイズレベルは極めて低い。彼はダイポールにKWで、ビームを想像していたので驚いてしまった。秋・冬にこの時間帯に東海岸に開けることは度々経験するが、春のこの時期にはとても珍しい。

思い返すと・・・以前に記したことだが・・・1960年代、この時期に、北米としばしば交信していた。あれは、高専に入ったころだったか、1年生の時には、授業は午後2時には終わり、すぐさま帰宅した。午後3時半頃には家に着き、まだ誰も帰っていない自宅に建て増しされた、本当におんぼろなシャックにこもった。まだ陽が高かった。自作のトリプルスーパーの受信機・・・酷いポンコツだったが・・・で耳を澄ますと、とても静かな7メガで西海岸の局が聴こえてくる。アンテナは地上高2m程度のGP。一応フルサイズでラジアルを3,4本張ってあった。狭い都営住宅で、隣の庭に侵入してラジアルを張らせてもらった・・・今から考えると、とんでもない迷惑をかけていた。西海岸の局と交信するのが楽しかった・・・とくに長話をするわけでもなかったが、太平洋の反対側のハム・・・多くはオールドタイマー・・・と交信することだけで満足していた。

あの当時のバンドの静けさ、それに北米からの信号が、また戻ってきたよう。半世紀前に同じような思いで、無線をやっていたなと思った。

残念ながら、当時出ていた局は殆ど聞くことがなくなった。唯一、当時からactiveだったCliff K6KIIは、コロラドで引退し、とても小さな設備になってしまい、ほとんど聞くことがなくなってしまった・・・のだが、先日、シアトルでお目にかかったVic WA6MCLが、Cliffと電話で話したと聞いて驚いた。Vicが無線を始めたころ、Cliffが近くに住んでいて、いろいろ教えてもらったらしい。CWの世界は狭い。そして、その狭い世界が、なおさら狭くなりつつあるわけだ。

私も正直言って、無線、CWへの情熱はだいぶ醒めてしまった・・・というよりも、普通の交信をする相手がいなくなってしまい、それによって興味が削がれたというのが正直なところ。CWでなければならない理由を答えることができないハムがふえているのではないだろうか。それで、すぐにデジタルモードに移行してしまったり、ただ記号のやり取りをすることだけになってしまったり・・・でも、もうその愚痴はよそう。CWは、輝かしい時代を生きて、今その役目を終わろうとしている。その時代を私たちは生きているのだ。

レジェンドと言われて・・・ 

先日、朝14メガが北米に良く開けていたころ、旧知のDan W7RFと、CWに出てくる局が減ったこと、若い人々が参入してこないことを嘆き合っていた。彼の所属するクラブでも、CWに出る会員は極めて少ないらしい。彼が相手をして育てているCWオペのビギナーが一人いるとのことだった。彼との交信を終えると、Steve KL7SBが強力な信号で呼んできた。CWは死なない、私は悲観的過ぎるというのである。彼はコンテストに熱心な方で、facebookではリベラルな主張を展開している方だ。ラグチューにも出てきてもらいたいと申し上げて交信を終えた。

その直後、Steveが私と交信したことをfacebookにポストした。「あのlegendと交信した」というのである。えっ、私がlegendとビックリ仰天。Steveが無線を始めたころ(’80年代だったか)、NYから私の信号を良く聴き、その後も変わりなく聴いていたというのだ。それに同調する方が何人かいて、legendであると繰り返されたので、これはおちょくられているのかと思ったが、彼らのアマチュア無線人生のなかで、私のコールが、いつも聞こえた遠いアジアの局の一つだったのだろうと想像した。決して、legendと言われるような活躍をしてきたわけではない。1963年に無線を始めて、69年には大学受験などがあり一旦完全にQRT。そして1980年に復活してから、同年代半ばに母校に試験管を振るために戻っていたために週一度ほどしか無線ができない時期があったが、その後は極めてコンスタントに無線に出続けていた。その継続していたことが、彼らの記憶に残った理由だったのではあるまいか・・・。

50歳前後までは、私も「若手」の積りでいたが、気が付くと、私よりも年配のCW Oprは少なくなってしまった。少なくとも、ラグチューをこのモードで愉しむ方は、私よりも少し若い方が多くなった。それも、私をlegendと呼ぶ理由なのかもしれない。高年になると、ただワッチしているだけになってしまうことが多い・・・それは、私の友人たちの様子からも分かる。

legendとWの方何人かに呼ばれて、面はゆいような気持になると同時に、もう先は長くないなとも思った。

次の世代のために何を残せただろう。これから、何かを残すことはできるのか。

一つだけやり残したことがはっきりしている。CWの解読のメカニズムに関する大脳生理学的な研究論文をリビューし、私自身の考えをまとめること。それだけは、何とかやり遂げておきたいと思っている。

でも、legendか・・・無線に出にくくなるな 苦笑。

K5BGB 再び 

今夜、7メガに出て、何局かと普通の交信をした。最後の交信を終えて、これで今夜は打ち止めだなと思いつつ、CQを出した。すると、SHIN?と打って来る弱い信号があった。時々、茶化すために私のコールだけを打つ局がいるが、名前を打つ局はあまりいない。?と打つと、DE K5BGBときた。テキサスに住む旧友、Rodである。彼のことは、過去に何度も記した。1980年代から90年代にかけて、7メガの夜早い時間帯にしばしば交信させて頂いた方。1988年に私をFOCに推薦してくださった方のお一人。以前にも記したが、彼は、その後狭い住居に引っ越され、アンテナが十分なものを立てられなくなり、無線でお会いするのは1年に一度あるかないか、程度まで減ってしまった。

実は、二日ほど前に、emailにホルストの「木星」の演奏のyoutubeアドレスを送って来て、是非聴くようにとのことだった。そうしたclipを他人に聴くように強制することは殆どしないのだけれど、と奥ゆかしい・・・恐らく高校生たちが、どこか自然のなかに入って、その曲を演奏したものだった。ホルストは、とくに好みの作曲家ではなかったので、何と答えたら良いかと迷っているうちに、無線でお目にかかることになったわけだ。朝日が高原に差し、そこで若い演奏家たちがたっぷりと歌う演奏を繰り広げている。たしかに、気分爽快な演奏ではある。

返事を早くすべきだったがと詫びて、遅い時間にお目にかかれるとは思っていなかったと申し上げた。こちらの時間で午後10時前。あちらは、日の出の直後だったようで、QSBがあったが、いつもカスカスの彼の信号も7、8割方読める状態だった。家族の状態の報告を交換し、早々にお別れした。もう少し早い時間帯であれば、もっと長時間交信し続けられたかもしれない。

彼のキーイングが、30年前と殆ど変わらず、ミスのない、単語間隔を微妙に長めにとる美しいものであることに感動した。1980年代にうっとりとしながら、彼のキーイングに耳を傾けた・・・それと同じことが今再現されているということへの感動。しかし、こうしたキーイングの美しさに感銘を受けるCWマンは、もうほとんど絶滅危惧種になっているのだろう。彼は既に70歳代半ば。今でも、VK3CWB Maurieとの定期交信を続けているらしい。是非、これまで通り元気にCWに出続けて頂きたいものだ・・・彼のようなオペが築いてきた時代はそう長くは続かないという予感も感じつつ、だからこそ、こうした交信は得難いものだと改めて思う。

交信を終えてすぐに彼からemailが来た。そのなかに、私がOKをコンチネンタル風にEEK(EEの間隔は狭目)と打つのを聴いて、感慨深かった、そうした符号を用いるオペが殆どいなくなってしまった、と記されていた。長点四つが、CHを表すことを、彼との交信から学んだのだった・・・。

彼も、CWの黄昏の時代に入っていることを感じておられるのだろう。でも、もうしばらくは、また同じように彼の華麗な符号を聴き続けたいものだ。

"The Soloist" 

まだ雪深いであろう米国のコロラドに住む友人Cap W0CCAが、メールをくれた。彼は、土木エンジニアでありながら、広大な自宅にリンゴ園を持っている。息子さんがシアトルで麻酔科医のレジデントとして働いている。無線でお目にかかるたびに、彼のリベラルな考えとともに、そうした彼とご家族の生活について伺うのを楽しみにしている。

そのメールには、タイトルの映画を見るようにと記されていた。感動的な映画の由。出演者の一人がチェリストを演じる映画らしい・・・

こちら。

彼が送ってきた、この映画に関するwikiにすべてが記述されている。あるジャーナリストがロスアンジェルスで路上生活者の若者に出会う。その若者は才能あるチェリストで、ジュリアードに学んでいたが、統合失調症を発症したために学業からドロップアウトし、路上生活者になってしまう。チェロが手に入らぬために、弦を二本だけ張ったバイオリンで路上で演奏をしていた。そこで、その記者は彼を社会復帰させようと奮闘し始めるのだが・・・という粗筋らしい。

完璧なハッピーエンドで終わる映画ではなさそうなのは、米国映画らしからぬ筋書きだなと思った。多くの米国映画の場合は、その路上生活者の青年が病気を克服し、カーネギーホールでデビューリサイタルを開く・・・といった筋書きのことが多いからだ。ジャーナリストとの人間的交流、それに統合失調症の現実をきめ細かに描いているようだ・・・面白そうだ。

と同時に、何かこれは実話に基づいているのではないかという思いが湧いた。そこで、この主人公の一人のジャーナリストの名前でググると、確かに、その人物が実在し、ロスアンジェルスタイムスの有名なコラムニストであり、この映画の筋書きのノンフィクションを記し、米国で多くの方に読まれたらしいことが分かった。米国流の映画によくあるハッピーエンディングではないことも、それで理解できた。

とだけ書いて済まそうかと思ったが、二つばかり余計なことを・・・

一つは、統合失調症は極めてありふれた病気なのだ。発症率は100人に1人と言われている。私自身、この病気の多くの方と接してきた。医師を目指す直接のきっかけになったのは、ご家族に統合失調症の方を二人持つ、小学校の教師をなさっていた方・・・生きていらっしゃるとすると、もう80歳近い年齢のはず、お元気だろうかとこれを記しながら、改めて思った・・・と知り合ったことだった。独特の世界に生きる統合失調症の方々と共に生きてみたいと単純に思ったのだ・・・それはいささか偏見の裏返しのような関心でしかなかったと今にして思えば反省しきりなのだが・・・。結局、精神医学には進まなかったが、統合失調症が極めてありふれた病気であり、その病を病む方々を包摂して、ともに生きて行くことを考えることは大切なことだと思う。

もう一つは、米国社会は厳しい競争社会であり、こうした病気を抱える方、または戦争に従事しその後遺症としてアルコールや薬の中毒、そして精神を病む方は、容易に路上生活者に転落して行く。Cap自身、この映画を紹介するメールで、ロスアンジェルスでは路上生活者は珍しくもなんともないのだが、と記していた。わが国も、米国と同じような社会に向かいつつある。とくに、集団的自衛権で米軍の指揮下に入った自衛隊が、海外で戦争に参加するようになる体制は整った。隊員、とくに若手の下位の隊員の絶対数が足りない自衛隊はやがて徴兵制を敷く・・・これは政権与党の多くの政治家が、様々な機会に述べている・・・公然とは口にしていないが、憲法に自衛隊の存在を書き込み、その後9条2項を除き、自衛隊をを実質的に軍に変える。すると、自動的に徴兵制が実現することになる。海外で実際の戦闘に従事した若者のかなりの数が、米国の退役軍人が退役後生きている人生を歩むことを強制されることになる。だから、この話は決して遠い国の出来事とは言えない。

コロラドでリンゴ畑の木々が一斉に開花するととても見事らしい。お互いにあまり歳を取らぬうちに、ロッキーの山々を近く仰ぎ見る、コロラドに彼を訪ねてみたいものだ。

John 9V1VV 

John 9V1VVを14メガで久しぶりに聴いた。昨秋以来だったろうか。船での仕事を始めると聞いていた。南米南端の辺りを航行する、もしかしたら無線に出られるかもしれない、ということだったので、期待していたが、ついぞ聞こえなかった。6週間一クールの乗船の仕事を終え、自宅に戻ってきたところらしい。

私の英語ブログにコメントをしようとしたが、受け付けられなかったとのこと。googleのアカウントでないとダメなことがあり、それを申し上げた。コメントは、私の「CWは死に絶えつつある」というポストに対するものだったようだ。彼の考えでは、現在のCONDXによって、activityが一時的に下がっているだけなのではないか、ということだった。それも一つの要因かもしれないが、長い目で見てきた感想としては、少なくともCWで会話を楽しむ方が激減している。nativeであってもそうだ、と申し上げた。CWの楽しみとは何なのかを突き詰めないと、交信・通信の態様が、ネットも加えて、激変しているのだから、ただ楽しいと言っているだけでは若いニューカマーをCWに引き込むことは難しいのではないか・・・と。

彼は7月に、サモアから北米西海岸へのクルーズにクルーとして乗船するらしい。今度は無線を是非やりたい、仕事も落ち着いたので出られるはず、とのことだった。きっとこれが最後の航海になる、というので、いやいやまた自宅に落ち着いたら、次の航海を考え出すのではないかと少し突っ込んでおいた。南太平洋へのパスは、バッチリ開けるはずなので、今から楽しみではある・・・でも、船の上からバグキーで運用するのかしらん。20、30年前に戻ったような交信だった。ご家族皆さんお元気の由・・・。

K5ALU/M going QRT 

先ほど、Roger K5ALUからメールが来た。

これまで仕事で米国中を車で移動する旅を続けてきたが、それを止めることにした、という知らせ。

彼は1961年から車での運用を始めたらしい。ARC5という軍用のトランシーバー、それに発電機を積んで・・・大いに楽しめたらしい。

ところが最近は、CQを出しても相手がいない。もう車から無線を楽しめる時代ではなくなった由。

車の運転自体も難しくなったらしい。20m以上の大きさのトレーラーに仕事の資財を積んで移動してきたが、その運転が厳しくなった。特に、夜間、とあった。

これまで100万マイル以上の距離を無事故で走り抜けた。もちろん、車を踏み外したりすることはあったが、という。

あのきびきびとしたキーイングのK5ALU/Mを聴けないのは残念だが、それは彼の決断だ。

彼には、大仕事をやり遂げたね、でも人生の新しい章が始まる、と書いて送った。会話を楽しむCWは、もう消えかかっている。その最後の時代に輝きを我々の運用で与えようではないか・・・と。