わが国の経済格差の拡大 

月刊誌『KOKKO』編集者 井上伸氏のブログ によると、アベノミクスなる政策は、富む者をさらに富ませ、貧しい者をさらに貧しくする政策である、ということだ。富裕層トップ40人の資産は、第二次安倍政権になっておよそ2倍になった。52.5%の世帯の資産が富裕層40人の資産と同じになったのである。こちら。今後、収入が年金のみの高齢者が増え、この格差はさらに拡大することだろう。

小泉政権から顕著になった新自由主義的な政策を、安倍政権も着実に引き継いでいる。新自由主義的政策は、市場のフロンティアを、海外に求め得なくなり、国内の中間層をターゲットとして搾取するようになった。その当然の帰結が、この格差の拡大だ。貧しくなった層は、社会的弱者を包摂する制度を拒否する、むしろ更なる新自由主義的な政策の徹底を求める。差別と怨念の渦巻く社会が到来する。小さな政府を実現しえなくなると、ポピュリズムによる国家主義的な政治に親和性を示すようになる。

米国では、あからさまに大規模な法人税減税と、富裕層への減税が行われようとしている。中下流階級の白人が多いというトランプ支持者は、それでもトランプを支持し続ける。

非合理的なるもの 

新潟県知事米山隆一氏の、森友学園の何が問題か、と題する論考。合理的精神の欠如そのものだ、という点に共感する。

だが、自民党政権の目指すのは、結局、この森友学園が行ってきた「教育」を、全国民に強制することなのではないだろうか。

情報速報ドットコムにアップされた、創生日本の集まりにおいて、同党議員が声高に叫ぶ国家神道に基づく国家主義の国家の樹立こそが、安倍政権の目指すものなのだ。基本的人権、国民主権、平和主義の否定である。こちら。


その体制は、戦前、教育勅語によって祭政一致の国家神道体制に教化された国民が、原理主義的な軍部と一緒になり、国を破滅へ導いた体制に連なる。その体制下で、権力と利権を貪った官僚、一部の民間人がいた。現在の安倍政権の中枢にいる政治家たちは、その体制への復帰を目指している。

自民党の目指すものは、その非合理的なものなのだ。従って、米山氏の言う非合理的な教育の否定は、その背後にあるこの国家神道体制の否定でなければならない。

国民が知らぬうちに、戦前の非合理な祭政一致体制に逆戻りさせられようとしている。

以下、引用~~~

4月10日付米山隆一の10年先のために - 森友学園の何が問題か

森友学園について、誰が、何故、何時、何処で、どう関与したか、その当否が様々に取り上げられています。

 その一つ一つが問題なのは勿論その通りなのですが、私は、この問題の最大の問題は、森友学園(塚本幼稚園)で行われていた教育の明らかな不合理さと、それを目の当たりにしながら、現役の国務大臣はじめとする複数の政治家や、保守を掲げる名だたる識者が、問題発覚まで何の疑問も持つことなく、称揚し続けた合理的精神の欠如であると、思っています。
 
 後知恵の様で恐縮ですが、塚本幼稚園の特異な教育方法は2~3年前からインターネットでは有名で、私は当時から強い違和感を持っていました。
 
 少々話が飛んでしまいますが、私には今3歳になる姪がいます。身贔屓的になかなか利発で色々な言葉を良く覚える子ですがしかし、彼女に意味も分からぬ教育勅語を一字一句違わず暗記させ、毎朝直立不動で暗唱させようと思ったら(HPでは「朗唱」となっていますが、来賓の前で「暗唱」している動画が流布しています。)、ほぼ間違いなく、虐待に近い強制が必要でしょう。仮に保母さん方の献身的努力の末強制なしにそれができたとして、世の中には色々な子供がいます。当然何度言ってもできない子供もいるはずです。すべての子供が一糸乱れずあれができるという事は、ほぼ間違いなく、意思によってであれ能力によってであれ、いずれにせよ出来ない子供を強制的に排除していたのだろうと推測されます。

 それだけではありません。
森友学園のHP( http://www.tukamotoyouchien.ed.jp/about/ )によると、森友学園では幼稚園児が、正坐をし、論語を読み、そろばんをはじき、将棋をマスターし、ラグビーにいそしみ、年を通じて水泳をし、大正琴を演奏し、鼓笛隊の練習をし、様々な絵画・製作活動にいそしんで多数の表彰を受けていました。そんなことが、実際問題可能でしょうか?齢49歳になる私がやっても明らかにパンクするというか一目見て過剰で、これまた虐待に近い強制があったか、若しくは全くの誇大宣伝であったということでしょう。

 これらのことは、決して推論が難しいことではありません。数年前からインターネットに出回っていたあの映像を見て、たった一度HPを見るだけで、多少なりとも一般的な常識のある人になら、簡単に推測出来たことだと思います。

 ところが一般の人よりもはるかに見識が高いと思われている現職の国務大臣が、国会議員・地方議員が、保守を掲げる名だたる有識者が、そんな事をこれっぽっちも考えもせず、森友学園の教育を絶賛し、入学を勧めていたのです。

 その理由は、「森友学園が教育勅語を暗唱させていたから。」「森友学園が戦前精神主義的教育をしていたから。」以外にあるでしょうか?私はないと思います。

 これら有識者の方々は、おそらく本当に心から、「教育勅語を暗唱させさえすれば、幼稚園児の心身が鍛えられ、誰もかれもがたちどころに一言一句違わず直立不動で暗唱できるようになり、この超人的といえるスケジュールを次々こなせるようになる。」と信じていたのだと思います。

 百歩譲って具体的にそこまで思ってはいなかったとしても、この見識あふれる有識者の方々は、「教育勅語」「戦前精神主義の復活」という言葉を聞いた瞬間に、彼らにとって崇高なその精神論で頭がいっぱいになって、客観的事実の確認や、批判精神に基づく推論や検証の必要性といった、合理的精神の一切合切をきれいさっぱり忘れ去って、ただただ理事長である籠池氏の言を頭から信じ込み、その思い込みに基づく識見を多くの国民に披露し、それに従って行動することを勧めた事は否定できないでしょう。

 それで日本の行く先は、正しく示されるのでしょうか?「敵を知り己を知れば百戦殆うからず。敵を知らず己を知らざれば戦う毎に殆うし。」。合理的精神の欠如した、精神論によって導かれる政治は、国を危うくするものでしかありません。 

 私は、根拠なき精神論に惑わされず、客観的な現状認識に基づいて、現実的で合理的な対策を講ずる県政を進め、子供たちの未来のために、合理的精神を培う、合理的教育を行っていきたいと思います。

未婚率の上昇が続く 

生涯未婚率の増加が止まらない。この因果関係は明白で、大半が経済的理由で結婚できない、その結果少子化が進行するということだ。

未婚率が1990年代から右肩上がりに上昇し始めた。最近数年間は女性の未婚率が高くなっている。特に、女性の34歳までの未婚率が3割前後になっており、それは少子化に直接結びつく。

1990年代から、ということは、高度成長期が終焉を迎え、グローバル化が進行した時期である。非正規雇用が増え、賃金は抑制され、大都市部の生活費は相対的に高くなった。未婚率が高い地域は、地方に加えて東京が上位に来ている。これは東京の生活費が高くて家庭を持ちにくいためなのだろう。

いわば、グローバル化という更なる富の追求によって、国民(の中間階級)が貧しくなり、少子化・人口減少を招き、国力が却って低下する、という逆説的な現象を生じているわけだ。

これで、66%の国民が社会に満足している、という統計データを出す政府は、オカシイと思わないのだろうか。

以下、引用~~~

生涯未婚率、男性23%・女性14% 過去最高
朝日新聞デジタル 4/5(水) 20:25配信

生涯未婚率、男性23%・女性14% 過去最高
生涯未婚率は上昇傾向が続く

 50歳まで一度も結婚したことがない人が2015年に男性で4人に1人、女性で7人に1人いたことが、国立社会保障・人口問題研究所の調査で分かった。こうした人の割合を示す「生涯未婚率」は、10年の前回調査から男女とも3ポイント以上増えて過去最高を更新した。

 研究所は5年に1回、国勢調査を分析して生涯未婚率を割り出している。今回は男性が前回調査比3・23ポイント増の23・37%、女性は同3・45ポイント増の14・06%だった。男性は1970年まで、女性は60年まで1%台が長い間続いたが、その後、増加傾向に拍車がかかっている。

 都道府県別でみると、男性では沖縄の26・20%がトップで、岩手26・16%、東京26・06%が続いた。女性は東京の19・20%が最も高く、次いで北海道17・22%、大阪16・50%だった。低いのは男性では奈良18・24%、滋賀18・25%、福井の19・19%で、女性は福井の8・66%、滋賀の9・21%、岐阜の10・00%だった。

 同研究所が昨年9月に公表した出生動向基本調査によると、「いずれは結婚したい」と考える18~34歳の未婚者の割合は男性85・7%、女性89・3%だった。高水準だが、「結婚資金」や「結婚のための住居」の確保が障害と考えている人が多く、研究所の担当者は「非正規労働者の増加も生涯未婚率の上昇に影響している」とみている。(井上充昌)

国連による、幸福度調査報告 

国連による世界各国別幸福度調査が公表された。こちら。

155か国各3000名を対象として、アンケート方式で調査したようだ。調査項目は以下の六つ。0から10までのスケールで回答を求め、その平均をとっている。

GDP per capita
healthy years of life expectancy
social support (as measured by having someone to count on in times of trouble)
trust (as measured by a perceived absence of corruption in government and business)
perceived freedom to make life decisions
generosity (as measured by recent donations)

日本はといえば、51番目である。過去10年間の幸福度の変化でみると、マイナス0.4を超えており、この変化は、世界で106番目。要するに、「不幸」な方に進んだ、ということだ。特に、国民一人当たりのGDPは大きいが、社会的基盤の点で幸福さをあまり感じなくなっているようにグラフからは読めるようだ・・・。

トップ10は、中小の国々であり、7つは西ヨーロッパに所属する。社会民主主義政策をとっている国が多くランク入りしている。いわゆる、ポピュリズムの勃興が目立つ国々は、上位には多くないように思える。米国が、格差の進行と政治的な清廉さの喪失でかなり低い位置にあるのが興味を引く。

社会的基礎を充実させることにより、経済的な豊かさで得られぬものを人々が実感できるようになる、という総括の言葉が印象に残る。

さて、わが国がこれからどういう方向に向かいつつあるのか。興味深い調査である。

いのちは自分自身だけでは完結できない 

自由の森学園高等学校という学校は、今まで知らなかった。そのサイトを見ると、1985年に創設された学校で、生徒の個性を尊重し、自ら経験し考えるための教育を行っているらしい。

その校長先生の卒業式での言葉。最後に引用されている吉野弘さんの詩とともに、こころに響く。このような先生に教育を受けた若者たちは、幸せなことだ。

我々が、健康に社会生活を送れるのは、ほんとうに僥倖に過ぎない。誰が優れている、どの民族が優れているといったことは、ない。あるのは、遺伝的・社会的・歴史的に決定されたほんのわずかな「差異」だけ。それをもって優劣を競い合うというのは馬鹿げたこと。その差異ゆえに我々は互いに寄り添いあう。が、時代の潮流として、その差異をもって、差別したり、社会を分断したりする動きも、政治そして社会にある。それは憎しみと諍いしか生まない。若者には、それを乗り越えて行ってもらいたいものだ。

この祝辞を述べた校長先生・他のスタッフに教育された若者は、その差別・分断を乗り越えて行ってくれるだろう。世の中を良い方向に動かしていってくれるのは、そうした若者だ。

以下、引用~~~

3月12日付2016年度 自由の森学園高等学校 卒業式 校長の言葉 - 自由の森日記

卒業生のみなさん 卒業おめでとうございます。
保護者のみなさん、お子さんの卒業おめでとうございます。
そして、これまでの学園に対するご支援とご協力に感謝申し上げます。
自由の森学園において授業というものの持つ意味は深く重いものだと思っています。
ここで話すいわゆる校長の言葉も、みなさんにとっての最後の授業というつもりで私は臨んでいます。
私は昨年の夏からずっと「 生命( いのち )の重さ 」について考え続けていました。
昨年の7月に起こった相模原の事件、何の罪もない無抵抗の障害者の方々19名が犠牲になり、
また多くの方々が深い傷を負い、そしてまた、私たちの社会に大きな衝撃を与えました。
みなさんの中にも、この報道に接してどのように考えていったらいいのか立ちつくしていた人もいたかもしれません。
私もその一人でした。
9月の全校集会では、この事件について共に考えていこうといった呼びかけが教員の中からありました。
この事件の根底には様々な考え方が複雑に絡み合っていると言われています。
その一つとして「 優生思想 」があげられています。
「 価値がある人間・ない人間 」「 役に立つ人間・立たない人間 」「 優秀な人間・そうでない人間 」といった偏った考え方で人間をとらえ、人間の生命に優劣をつける思想です。
また、この事件は「 ヘイトクライム 」( 憎悪犯罪 )の特質も持っていると言われています。
ヘイトクライムとは、人種・民族・宗教や障害などの特定の属性を持つ個人や集団に対する偏見や差別にもとづく
「 憎悪 」によって引き起こされる暴力等の犯罪行為を指す言葉です。
この事件の問題を「 常軌を逸した加害者の問題だ 」として、
軽々に判断し押し込めてしまってはいけないように私は感じています。
全盲と全ろうの重複障害を持つ 福島 智( さとし )さん( 東京大学先端科学技術研究センター教授 )は次のように書いています。
「 こうした思想や行動の源泉がどこにあるのかは定かではないものの、
今の日本を覆う『 新自由主義的な人間観 』と無縁ではないだろう。労働力の担い手としての経済的価値や能力で人間を序列化する社会。
そこでは、重度の障害者の生存は軽視され、究極的には否定されてしまいかねない。
しかし、これは障害者に対してだけのことではないだろう。
生産性や労働能力に基づく人間の価値の序列化、人の存在意義を軽視・否定する論理・メカニズムは、徐々に拡大し、
最終的には大多数の人を覆い尽くすに違いない。 」
「 役に立つ/立たない 」といった人間や生命を価値的に見ていく考え方は、
いずれは自分も含めた全ての人の生存を軽視・否定することにつながっていくのだと福島さんは述べています。
人間の価値、生命の価値、生きる価値、そもそも人間や生命という言葉に「 価値 」という言葉をつなげるべきではない、
私はそう思っています。人間には、そして生命には「 尊厳 」があるのです。
尊厳とは「 どんなものによっても代えることができないもの・存在 」と言うことができるでしょう。
ここにいるみなさん一人ひとりもそうです。
あなたは何ものにも代えられないのです。あなたの代わりはどこにもいないのです。
人間をそして生命をも、取り替えることが可能なものとして「 価値的 」に見てしまう現代社会において、
「 価値 」ではなく「 尊厳 」という言葉で自分をそして自分の人生を見つめていくことが大切だと私は思っています。
当然その視線は、自分以外の他者やその人生をも見つめることにもなるでしょう。
そしてそれは「 どのような社会を目指していくのか 」ということにもつながっていくと私は思っています。
自由の森学園は、かけがえのない子どもたち若者たちをテストという一元的な価値で人間を序列化し評価するといった
価値的に人間をとらえる教育のあり方をやめ、一人ひとりの学びを大切にした学校をつくりだそうとして誕生しました。
自由の森に集うわたしたちは、人間をそして生命を価値的に見るのではない
「 ものの見方 」を、そして「 人間の尊厳 」を、学び続けていると言っていいでしょう。
今、社会には、ヘイトクライム、ヘイトスピーチ、ヘイト文書など、ヘイト・憎悪という言葉があふれています。
この「 憎悪 」に対するものは「 学び 」だと私は思っています。
学ぶということは本来、さまざまなことをつなげていく・結びつけていくことだと思います。
学ぶことによって、自然とつながり、社会とつながり、芸術とつながり、他者とつながり、そして、自分とつながる、
そんな学びをみなさんにはこれからも続けていってほしいと願っています。
最後に、ある詩をみなさんと共有したいと思います。
吉野弘さんの「 生命( いのち )は 」という詩です。
有名な詩なので、みなさんも出会ったことがあるかもしれません。
私は昨年の夏以来この詩が胸の中にあります。
   『 生命 ( いのち ) は 』        作:吉野 弘
  生命 ( いのち )は
  自分自身だけでは完結できないように
  つくられているらしい
  花も
  めしべとおしべが揃っているだけでは
  不充分で 虫や風が訪れて
  めしべとおしべを仲立ちする
  生命 ( いのち )は
  その中に欠如を抱き
  それを他者から満たしてもらうのだ
  世界は多分 他者の総和
  しかし 互いに
  欠如を満たすなどとは
  知りもせず 知らされもせず
  ばらまかれている者同士
  無関心でいられる間柄
  ときにうとましく思うことさえも許されている間柄
  そのように 世界がゆるやかに構成されているのはなぜ?
  花が咲いている
  すぐ近くまで
  虻 ( あぶ ) の姿をした他者が
  光をまとって飛んできている
   私も あるとき
  誰かのための虻 ( あぶ ) だったろう
  あなたも あるとき
  私のための風だったかもしれない
卒業おめでとう。みなさんの健闘を祈ります。
自由の森学園高等学校
校長 新井達也

歴史的な転換点 包摂型社会から排除型社会へ 

世界的に見られるマイノリティ、社会的弱者を排除する社会的な動きは、大きな潮流になりつつあるようだ。

それが生じた理由の一つは、資本主義社会が突き当たっている壁だ。資本主義社会の原動力は、利潤の追求だ。その追求の場が、地理的なフロンティアからネット空間に移行した。現代の資本主義の先端は、ネット空間の金融資本主義にある。だが、それもリーマンショックをもたらし、金融機構の信用不安を生じた。現在、再びネット金融資本主義はバブルを生じつつあり、米国トランプ政権の銀行金融業の規制緩和によってそれが加速し、やがてリーマンショック以上の金融破たんが生じる。こうした資本主義社会の直面する壁は、低成長と長期金利の低下に如実に表れている。先進諸国は、おしなべて低金利、場合によってはマイナス金利に陥っている。これは、資本主義社会の利潤追求が壁にぶち当たっていることを示している。

20世紀の二つの世界大戦を契機に、国民国家は、国民福祉を主要な目的としてきた。だが、上記のような経済社会的な限界に突き当たり、国民を包摂する社会を放棄しつつある。代わって登場しているのが、少数者・社会的弱者を排除する排除型社会だ。社会福祉は縮小され、すべてにおいで自己責任が強調される。そこで、経済格差に苦しむ国民は政権に対する批判を行い、場合によっては犯罪が横行するようになる。

こうした動きは、国際社会のなかでも同様な構造で起きる。宗教・文化的対立、資源確保の争いも混じり、テロリズム・宗教原理主義の武力抗争が局地的に進行する。

そのような文脈で見てみると、「安保法制、特定秘密保護法、共謀罪、緊急事態条項を含む憲法改正」という一連の流れが、明瞭な歴史的意義をもって目の前に現れる。わが国の場合、天皇制に宗教的な意味を付与し、それを中心に国民をまとめようとする歴史修正主義にたつ政治家が政権を握っている。彼らは、その戦前の皇国史観に立つ国家主義によって、この歴史的な変換点を乗り切ろうとしているのではないだろうか。その具体的な社会の在り方は、思想的な管理を伴う排除型社会となる。そこでは、国民の主権はおろか、基本的人権は認められぬ社会だ。

権力を持つ側は、いわば歴史的な転換点にたって、自らの信じるところを実現しようとしている。それを、国民の側はどう理解し、対応するか、だ。これまで通り、権力者と官僚とに無批判の信頼をおき、すべて預けていて良いのかどうか、という問いだ。この先に進むと、引き返すことができなくなる。

朝日Web Ronzaより引用~~~

続・「共謀罪」が成立すると、どんな社会になるか
恐怖が、究極の監視社会への原動力(一部引用)
斎藤貴男

 エドワード・ルトワク(引用者注・アメリカの歴史学者)によれば、包摂型社会から排除型社会への移行から、次のような二つの事態がもたらされる。すなわち、一方では貧困層がたえず相対的な剥奪観を抱くようになり、そのために犯罪が増加の一途をたどっている。他方では、比較的裕福な層の人々も不安定な状態に置かれて不安を抱くようになり、法を犯すものにたいして不寛容と処罰をもって処すべきという意識が高まっている。犯罪の増加と処罰の厳格化という、私たちの社会が直面している二つの事態は、同じ根っこから生じたものである。

 ヤングの議論は、世界を席巻し、あらゆる国々の階層間格差を広げている新自由主義イデオロギー分析の延長線上にあった。家庭環境や経済力次第で人それぞれスタートラインが異なる現実を無視し、あたかも正当な競争のように見せかけ、にもかかわらず自己責任原則を絶対のルールだと演出する新自由主義のシナリオは、イコール社会ダーウィニズムと同義と言って過言でない。ダーウィンの進化論を人間社会に丸ごと当てはめ、社会的地位の高い人間は優れた人間、低い人間は劣った人間と見なし、“劣った人間”を排除していけば世界も人類も進化するという思想潮流は、19世紀後半から20世紀前半における欧米列強の帝国主義や植民地支配、あるいは労働者の搾取を正当化した。

 権力者や巨大資本にこうまで都合のよい理屈も珍しい。そこに医学や遺伝学の装いを凝らしたのがナチスの優生学で、第2次世界大戦の終結とともに国際社会では一時的にタブー視されたのが、いつの間にか蘇っていた構図だ。

日本ペンクラブ 共謀罪反対声明 

日本ペンクラブも共謀罪新設に反対する声明を出した。

以下、引用~~~

日本ペンクラブ声明 「共謀罪に反対する」
共謀罪によってあなたの生活は監視され、
共謀罪によってあなたがテロリストに仕立てられる。
私たちは共謀罪の新設に反対します。

 私たち日本ペンクラブは、いま国会で審議が進む「共謀罪(「テロ等組織犯罪準備罪」)」の新設に強く反対する。過去の法案に対しても、全く不要であるばかりか、社会の基盤を壊すものとして私たちは反対してきたが、法案の本質が全く変わらない以上、その姿勢に微塵の違いもない。
 過去に3度国会に上程され、いずれも廃案となった法案同様、いま準備されている共謀罪は、事前に相談すると見なされただけでも処罰するとしている。これは、人の心の中に手を突っ込み、憲法で絶対的に保障されている「内心の自由(思想信条の自由)」を侵害するものに他ならない。結果として、表現の自由、集会・結社の自由など自分の意思を表明する、あるいは表明しない自由が根本から奪われてしまう。
 しかも、現行法で、十分なテロ対策が可能であるにもかかわらず、共謀罪を新設しなければ東京オリンピックを開催できないというのは、オリンピックを人質にとった詭弁であり、オリンピックの政治的利用である。
 このような法案を強引に成立させようとする政府の姿勢を許すわけにはいかない。  
 法案の成立を断固阻止すべきである。

 2017年2月15日
  一般社団法人日本ペンクラブ                 会長      浅田次郎                 
                                    言論表現委員長 山田健太

残業時間の上限規制強化という偽善 

こんなことをしたら、ますますサービス残業が増える。長時間労働に批判的な世論へのガス抜きか。

まずは、長時間労働を余儀なくされている医師等の実際の労働時間をしっかり調べるべきだ。

公務員にも、サービス残業が多い。こちらを参照。この苛烈なサービス残業をやり抜いた官僚が作る制度だから、必然的にザル法になるのか。この深夜に及ぶ官僚の残業の多くは、国会対策だと言われている。

法律上、残業時間規制を厳しくするなら、それを実現するための担保が必要だ。

以下、引用~~~

<残業>「月80時間」上限、政府調整 19年度導入目標
毎日新聞 1/25(水) 7:00配信

 政府は、長時間労働の是正策として検討している残業時間の上限規制について「月80時間」を軸に調整に入った。1カ月単位だけでなく半年や1年などの期間でも規制を設け、この場合は「月平均45時間」などとする案が出ている。政府の働き方改革実現会議の労使メンバーらの意見も踏まえて今国会か今年の臨時国会に労働基準法改正案を提出し、2019年度からの導入を目指す。

 厚生労働省が昨年公表した過労死白書によると、過労死ラインとされる月80時間超の残業があった企業は約2割に上り、上限規制で一定の効果が期待される。

 労基法は残業を原則禁止しているが、労使が同法36条に基づく「36(さぶろく)協定」で特別条項を付ければ時間制限を外すことができる。長時間労働を助長すると指摘されており、昨年問題になった広告大手・電通の過労自殺では亡くなった社員の時間外労働が月100時間を超えていた。

 政府は新たな法規制による企業への影響は限定的とみているが、長時間労働へ厳しい目が向けられている現状を踏まえ「世論の動向も重要だ」と指摘する政府・与党関係者もいる。上限を80時間より短くする声が強まれば、経済界との調整が難航する可能性がある。

 忙しさが時期によって異なる業種などに配慮し、複数月での規制も検討。月平均45時間とした場合、6カ月単位なら270時間が上限になる。運輸業などで認められている適用除外も残す方向で、3月末までに最終決定する。【阿部亮介】

住民情報システムと犯罪 

住民情報システムに仕事上アクセスできる人間が、そこから得た情報をもとに強制わいせつ罪の犯罪行為を行っていたというニュースが昨日流れた。調べてみると、同じように住民情報システムから得た情報で同じような犯罪を犯したケースがいくつかあることが分かった。

http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/254114.html

http://juki.popolo.org/news/tuika050311.pdf

このようなプライバシーを扱うメガデータでは、セキュリティをいくら強固にしても、それにアクセスする人間が犯罪を意図したら、たまったものではない。それは、容易に防げない。

さらに、国家権力やら、プライバシー情報で利益を得る保険会社等が、そうしたデータを恣意的に用いることができるとすると、寒々しい社会状況が見えてくる。

厚労省は、医療情報と介護情報を結合させたデータベースを国の規模で作りあげるつもりらしい。「マイナンバー」に紐づけする積りなのだろう。医療介護という高度にプライベートな情報を、国家規模で一元的に管理すべきなのか、住民情報システムで生じた犯罪行為への反省がどれほど生かされているのか、大いに疑問だ。

以下、引用~~~

住民情報盗み見、女性宅侵入=元中野区臨時職員を逮捕-警視庁

 東京都中野区役所で勤務中に住民情報システムに接続し、個人情報を盗み見て女性宅に侵入したとして、警視庁捜査1課は11日、同区個人情報保護条例違反と住居侵入の疑いで、元中野区臨時職員高橋健一郎容疑者(29)=強制わいせつ罪などで起訴=を逮捕した。黙秘しているという。
 逮捕容疑は、同区の戸籍や住民情報を扱う部署に勤務していた2014~16年、住民情報システム端末で、同区に住む20代女性の氏名や住所などの個人情報を閲覧。この女性が1人暮らしをするマンション3階の部屋のベランダに計3回侵入し、下着の写真を撮るなどした疑い。
 捜査1課によると、高橋容疑者宅からは勤務中に知ったとみられる女性の名前や住所などおよそ50人分の個人情報が保存されたパソコンや携帯電話が押収された。
 同容疑者は昨年7月、同区で1人暮らしだった別の20代女性のアパートに侵入し、わいせつな行為をするなど計5件の強制わいせつ事件で逮捕されており、このうち被害女性3人の個人情報も保存していたという。
 しかし事件前の閲覧記録は確認されておらず、同課は侵入後に被害女性の名前や年齢などを盗み見ていた疑いもあるとみて調べている。
 田中大輔中野区長のコメント 区民に多大な心配と迷惑を掛け、心からおわびする。事実関係を調査し、厳正に対応する。(2017/01/11-17:59)

日本財団の偽善 

フェースブックで、日本財団が「こどもサポートプロジェクト」なる活動のPRを行っていた。六人に一人の貧困小児に援助の手を、という趣旨だ。結構な数の人々が、そのサイトにアクセスし、真摯なコメントを残している。

だが、日本財団は、モーターボートレース(以下、レースと略す)の売り上げから活動資金を得ている団体だ。レースは、一種のギャンブルである。ギャンブルに依存する人々を必然的に生み出している。ギャンブルに依存する方は、中高年に多く、その多くは必然的に貧困に陥る。そうした素性の日本財団が、貧困小児に援助の手を差し伸べようというプログラムの活動を繰り広げるのは違和感がぬぐ得ない。

貧困小児の問題は、親が貧困であるために生じる。公営ギャンブルの問題はもとより、非正規雇用をどんどん増やし、平均賃金は削られてゆく政治の問題が根底にある。そこに切り込まないで、ギャンブルで得たあぶく銭を元手に、慈善活動もどきをやるのは、偽善だ。

日本財団会長笹川陽一が委員長となって、福島第一原発事故後福島県で毎年開催されている集まりがある。「放射線と健康についての福島国際専門家会議」だ。今年、5回目の会議で、被曝小児への甲状腺の定期健診を規模縮小することを福島県知事に提言した。チェルノブイリ事故の研究者をヨーロッパから招いていたが、まだ健診を継続すべきという趣旨の講演を行った彼らはその提言に加わらなかった。福島県は、同会議の提言を受けて、健診の規模を縮小するようだ。これから、被曝の影響が出てくる可能性が高いのに、とんでもないことだ。ノーベル賞受賞の益川氏等が、反対声明を出している(別ポストにアップする)。原子力村は、将来の賠償費用を削減しようと、被曝による健康被害をなるだけ小さく見せかけようと動いている。日本財団のこの会議も、その一部だ。

日本財団は、まるで社会の慈善活動、被爆者を援助する活動を行うと見せかけて、それとは真逆のことを裏で行っている。