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行政の規制による官僚の利権漁り 

東京医大の裏口入学のニュースが、マスコミを賑わしている。

あれは、東京医大の特殊な問題というより、行政が規制を張り、それによって官僚が利権を得るという、ありふれた腐敗の問題。

「私立大学研究ブランディング制度」という補助金制度が、今回の賄賂の源になったが、文科省行政は、これまでの固定的な補助金・助成金を減らし、この種の競争的補助金制度をいくつも立ち上げてきた(多くが成果を残していない)。それは、一種の規制だ。官僚側は、特定の大学に規制のお目こぼしを与え、優遇する、一方、大学側がそれを期待して、官僚に天下り先や、賄賂を提供する。これと同じ腐敗の構図が、日本をさまざまな面で蝕んでいる。

で、医学部への裏口入学の問題。いくつかの私立大学では行われていることが公然と噂されていた。さすがに、寄付金の額によって、入試点数に下駄をはかせるということはあからさまには行われないようになったようだが、同窓会経由で同窓生の子弟が優先的に入学を許可されるといったことは頻繁に行われているようだ。公立大学では地元の学生を優先することも昔からあった。現在、地元枠等、一般入試とは別な入試が行われているが、そこに情実が入り込む可能性も指摘されている。

そもそも、医師が経済的に恵まれている時代はもう過去のものになった。毎年の医師養成数は1980年代まで7600名前後、それが2割前後増やされている。人口減少社会になっても、同じだけの医師が養成され続けている。医療の専門分化が進んでいるとはいえ、医師の労働環境が改善される見込みは少なく、また収入も減る(実際減り続けている)。少なくとも、診断等の医師の仕事の多くが、AIに置き換わると予測されている。画像診断をAIに行わせる組織も立ち上げられている。医師の仕事内容が今後大きく変わり、その範囲は狭くなることだろう。

一応、医師免許は食うに困らない免許ではあるが、優秀な学生のほとんどが医学部に進学するのは異常だ。理学部等からPhDをとっても仕事にあぶれることのないようにして、基礎的な学問領域に、優秀な学生がもっと多く行くような政策を取るべきなのだ。

文科省の高等教育を管轄する局長が、自分の子供を、よりによって医学部に裏口入学させるとは、世も末だと溜息がでる。その倫理観のなさ、将来展望の貧しさ・・・。

官僚の劣化 

矢野康治財務省官房長、事務次官代行は、安倍政権が一本釣りした官僚だった。

それであの強気な姿勢、セクハラへの酷い対処が出てくるわけだ。あの福田前次官、佐川前国税庁長官もそうだったが、「公僕」であることは彼らの意識の片隅にもない。

こちら。

財務省・官僚の劣化もあるのだろうが、劣化させた安倍政権により大きな問題がある。

卑劣さの上塗り 財務省事務次官セクハラ問題 

この問題は、福田事務次官次官の辞任、その後テレビ朝日が自社の女性記者がセクハラを受けたことを先ほど会見で明らかにして、決着がついた。福田氏は、最後まで記者へのセクハラを認めず、この問題を記事にした新潮社を告訴すると息巻いていた。福田氏の説明は全くの虚偽であることが明らかになったわけだ。

この事件でもっとも重大な問題は、事務次官という権力を有する立場にいる人間が、自らの権力を笠に着て、記者に卑劣なセクハラをしたということだ。セクハラの事実はないと虚偽を主張し、記者に名乗り出るように要求したことも、権力の立場を利用した自己弁護に過ぎなかったわけだ。

財務省は、最初から、テレビ朝日の記者に対するセクハラだと分かっていた。古賀茂明氏が、twitterでそれを述べていた。福田氏、麻生財務大臣は、それを知ったうえで、名乗り出られないことを見越して、名乗り出よと記者に詰め寄ったわけだ。福田氏はセクハラを行い、その上二次的なマウンティングを行った。卑劣さの上塗りである。

麻生大臣は、これらの事情を知っていたはず。彼の責任は重たい。麻生大臣も辞任すべきだろう。

安倍政権の閣僚、官僚はどうしてこうも虚偽の主張を行うのだろうか。やはり首相自らの言動が影響しているのではないか。

以下、引用~~~

次官の疑惑…財務省「被害者は申告を」 セクハラ軽視、深刻

2018年4月18日 朝刊


 財務省が福田淳一次官のセクハラ疑惑を巡って報道各社の女性記者に調査への協力を要請し、麻生太郎財務相が被害申告のない場合のセクハラ認定は難しいと発言したことへの批判が十七日、拡大した。野党にとどまらず、与党幹部や閣僚もこぞって声を上げ、安倍政権の土台を揺るがしている。海外の有力メディアも注視しており、政権の人権感覚が問われる事態になっている。 (生島章弘、我那覇圭)

 政権が直面している森友・加計(かけ)学園や防衛省の日報隠蔽(いんぺい)問題などとは異なり、これまで批判していなかった閣僚や与党幹部からも発言が相次いでいるのが特徴だ。

 十七日も、閣内から女性の野田聖子総務相だけでなく、これまで政権の不祥事などへの言及が少なかった松山政司一億総活躍担当相や小此木八郎国家公安委員長が問題点を指摘。与党では自民党の二階俊博幹事長、橋本聖子参院議員会長、吉田博美参院幹事長、公明党の山口那津男代表が一斉に批判や苦言を口にした。

 セクハラ疑惑に関する野党の合同ヒアリングでは、出席した国会議員から「財務省に真相究明する気はあるのか」「もみ消しではないか」といった質問が相次いだ。ただ、財務省の担当者の回答は歯切れが悪かった。

 福田氏が音声データについて自身の声と認めているのかを問われると、「聴取ではそのようなことは言っていない」と説明。顧問弁護士に調査を委託したのを理由に、財務省として独自に事実関係を確認しない考えも示した。野党側は被害を受けた女性に配慮して、調査協力の要請を撤回するよう求めたが、「双方から事情を聴く必要がある」と応じなかった。希望の党の柚木道義氏は「名乗り出られないと分かって、確信犯でやっている」と語気を強めた。

 世界では各地の女性らが自身の性的被害体験を告発する「#MeToo」(「私も」の意)運動が広がる中、海外メディアも安倍政権内でのセクハラ疑惑を伝え始めている。米紙ウォールストリート・ジャーナルは「(日本では)権力者が性的な違法行為についての主張を真剣に受け止めない」としている。

こういう官僚がいたから、日本の国は維持されてきた 

前川氏は、東大法学部学生時代、仏教者の集まりに参加していたらしい。若い時代から、「目に見えるもの」以外の世界を探求する人物だったのだろう。

官僚になって、文科省初等中等教育企画課長時代、小泉政権の義務教育の国庫負担金削減方針に明確に疑問を呈した。こちら。政権側が、こうした発言を許していたという鷹揚さもあったのだろうが、官僚としてはなかなかできるものではない。

事務次官になる前、審議官の時代に、国会前で行われた安保法制反対のデモに参加している。政権が官僚に締め付けを強めるなか、高級官僚としては、大きなリスクを負っての止むにやまれぬ行動だったのだろう。

そして、自らの責任ではなかった天下り問題の責任をとって、事務次官の職をきっぱり辞めている。あったものを無かったことにする行政の私物化に対して、反旗を明確に翻したわけだ。

彼に対する政権・官邸の攻撃は、尋常ではなかった。プライバシーをあげつらったり、事務次官の職に恋々とした等と、マスコミを使って、卑劣な攻撃を続けた。

その彼が熱意をもっているのが、恵まれぬ人々に対する教育の問題だ。その課題に自ら身を投じている。いじめなどによって学校に行くのがつらく、死ぬことまで考えているような生徒に、彼は学校に行くなと述べている。学生は、権利者であって、義務を負っているのではない、と。担当官僚だった人間が、ここまで学生のことを考えているのを知って、感動する。

彼を卑劣な方法で貶めようとする勢力と、彼といずれが正しいのかは、こうしたことを観れば明らかだ。彼を個人攻撃した官邸の人間は、その過ちを認め、謝罪すべきだ。彼らに日本の行政・経営を担当する資格はない。だが、彼らは、まだ官邸担当の記者たちを使って、政治と行政の私物化を進めている。

以下、引用~~~

 9月1日付ハーバービジネス 

「夏休み明け、死にたいくらい辛いなら、学校に行くな!」前川喜平・前文科省事務次官が子供たちに呼びかけ

“学校に行かない”キャンペーンをしたいくらい

「日本中の、学校に行きたくない子供に言いたい。死にたくなるぐらいの気持ちがあるのなら絶対に学校に行くな!」

 前川喜平・前文科省事務次官が8月20日、東日本大震災の被災地・宮城県南三陸町で行われた講演会でこう呼びかけた。その講演会とは、東北6県の高校生約50人が参加した「U-18東北次世代リーダーカンファレンス」(NPO法人「キッズドア」主催)。

 前川氏はこう続けた。

「『学校はどうしても行かないといけない所』という強迫観念が日本中を未だに覆っている。これをいかになくすのかが大事です。“学校に行かない”キャンペーンをしたいぐらいです。これから2学期が始まります。(夏休み明けが)本当に危ないのです」
※講演のときはまだ夏休み中

学校に行くのは、子供の「義務」ではなく「権利」

 男子高校生が前川氏に質問をした。

男子高校生:僕の学校に『学校に行かないといけない“義務”がある』という先生がいるのですが、それで学校を休めなかったりして心を痛めている人が友達にいます。どういうふうにお考えですか?

前川氏:「死にたいぐらい学校に行くのが嫌だ」とか、「またいじめられてしまう」とか、ものすごく辛い思いをしながら学校に行っている子供は多いわけですよね。いじめによる自殺は後を絶たない。学校に行って、死にたくなるくらいの思いをするのなら、絶対に学校に行くべきではない。

 自分の命が絶対に大事なのであって、命よりも学校に行くことを優先する考え方はまったく馬鹿げています。義務教育の「義務」というのは、親のほうの義務なのです。憲法第26条第二項、「すべての国民は法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う」とあります。

 つまり「保護する子女に受けさせる」というのは、「親が子に対して教育を受けさせる」ということ。義務教育の義務が課されているのは親、保護者のほうなのです。

高校生

前川氏の話に、約50人の高校生たちが真剣に聞き入った

 子供は権利者なのです。「(憲法第26条にある)すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」とある。子供は権利者なので、これを「学習権」と呼んでいるわけです。

 その学習権は、学校に行かなければ満たされないのかというと、そんなことはない。学校以外にも方法がある。だからフリースクールが存在しているし、フリースクールで学んで立派な社会人になった人もたくさんいる。学校がすべてではない。

 むしろ、学校に行ったら死にたくなるぐらいなら、絶対に行ってはいけない。そんな危険なところはないでしょう。命をかけてまで学校に行くべきではないんです。だから、学校外で学ぶ場を正面から認める法律ができたんです。

 学校に行けないこと、行かないことに負い目を感じる必要はない。「何か悪いことをしているのではないか」とかという気持ちを抱く必要はまったくない。もっと明るく不登校をするといいと思います。私のこの考えは、文科省の中でもかなり異端なのですが、この新しい法律ができたことでだいぶ変わってきています。

前川氏は「福島駅前自主夜間中学」という公立夜間中学で、手弁当での講師もしている。

夜間中学で講師のボランティアをする前川氏

「公立夜間中学」とは、不登校や貧困などを理由に中学で十分に学ぶことができなかった、15歳以上の人たちが夜間に通う学校だ。各地方自治体が経費を負担して運営している。すでに全国に31校あるが、東京や関西に集中しており、東北や北海道には一校もなかった。そこで「東北にも作ろう」と思い立った民間団体が、まず「自主夜間中学」を福島駅前で週1回始めていたのだ。

 私塾としてスタートして住民や自治体関係者らに必要性を認めてもらい、税金で運営する公立夜間中学の設立につなげようという”二段階作戦”だが、この活動を知った前川氏は自らボランティア講師を買って出ていたのである。東京と福島を往復する交通費も自腹だという。

 前川氏は「人にはいくつになっても学ぶ権利がある。夜間中学は義務教育の最後のよりどころだ」と語る。
「埼玉県川口市や千葉県松戸市、札幌市で公立夜間中学をつくる動きがでています。ぜひ福島市でも動き出してほしい。(全国で12万人いる)不登校の生徒にとって、公立中学のほかに別の中学があることはとても大事です。学校が辛くなったら、行かなくていい。

 そして、学齢期に学べなかった子どもたちに教育の機会を与えるために、特別な時間帯に開かれる学校が必要です。私は学びたい人たちが十分に学べる場を作る仕事をしていきたい。前文科事務次官の肩書きがどこまで通じるかわからないが、もしそれがなくなったら『福島駅前自主夜間中学』の前川喜平という肩書きで頑張りたい」(前川氏)

 前川氏の発言といえば加計学園問題ばかりに注目が集まっているが、こうした教育に対する真摯な姿勢にも注目していきたい。
<取材・文・写真/横田一>

官僚主義が医療を荒廃させる 

医療は、医療資源を用いて、社会的弱者の患者を救うという、社会主義的な要素を本質的に持つ。そこに、官僚が関与してくると、悪しき官僚主義が跋扈することになる。下記の論考で、小松秀樹氏が述べている通りだ。官僚主義は、机上で計画を練り上げ、そこに官僚の利権を巧みに組み込み、それをトップダウンで現場に強制する。そのシステムは、硬直しており、現場から情報を吸い上げ、可変する柔軟性を欠く。

実際に、医療システムを官僚主義的に支配するための計画・施策を挙げてみよう。これらすべてに意味がないというわけではないが、多くは、医療・教育現場に人的・経済的な負担をかけている。実施主体には、官僚と学会のボス達が多数天下りしている。

例えば、ここで小松秀樹氏が取り上げている、地域医療構想の原資は、本来医療機関が得られるべき、消費税の負担分(損税)である。医療機関が得るべき収入を、地域医療構想という名のもとに、官僚が「ネコババ」している構図だ。その他にも、日本医療機能評価機構は、その仕事内容の評価がきわめて低いのにかかわらず、100億円以上の内部留保をため込んでいる。これらの計画・施策は、医療・教育を画一化し、硬直化させ、その一方、官僚の多くの天下り先を提供するという意味しかないものが多い。

医療システムをトップダウンで計画し、中央支配を行うための施策・実施主体・対象は、以下の通り。

A計画・施策          
B実施主体(担当官庁・法人)
C対象

A地域医療構想        
B医療介護総合確保促進会議・地域医療推進会議
C医療機関

A医療機能評価        
B日本医療機能評価機構
C医療機関

A産科医療補償制度      
B日本医療機能評価機構
C産科医療機関・産科医師

A医療事故調査制度      
B医療事故調査センター
C医療機関・医師

AOSCE・CBT           
B医療系大学間共用試験実施評価機構
C医学部学生

A新臨床研修制度        
B厚労省
C研修医

A新専門医制度         
B同機構
C研修終了後の若手医師

これ以外にも、恐らくあることだろう。これらはすべてこの20年以内に構想され実現してきたものばかりだ。医学教育から医療現場まで、中央官庁と、その配下の法人による支配が及ぶように設計されている。これらは、医療を困窮化させ、崩壊させる。

以下、引用~~~

計画主義が医療を滅ぼす1 -地域医療構想と計画主義-

元亀田総合病院副院長 小松秀樹

2017年3月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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●地域医療構想
2014年の医療法改正で、「計画主義が医療を滅ぼす4」で述べる地域医療構想、地域医療介護総合確保基金が制度化された。2015年の法改正で、これを補完する地域医療連携推進法人が制度化された。これにより、2013年の社会保障制度改革国民会議報告書以後の、一連の統制強化政策が完成した。個々の医療機関に対する都道府県知事の強制力が強められた。実際には、都道府県に出向した医系技官の権力が強まった。統制により、個々の医療機関独自の活動空間が狭まり、経営努力、創意工夫、活力が奪われる。全体として、日本の医療を形作ってきた医療機関の私的所有が、地域の共有財産として、行政の下に再編成されることになる。はたしてうまくいくものだろうか。「計画主義が医療を滅ぼす」と題するシリーズで、日本の医療政策の根幹にある計画主義について議論したい。

最初に、筆者の立場が、以下のトックビルの懸念を共有するものであることを明らかにしておく。

中央集権は、それがどんなに開化されたものにせよ、また、どんなに賢明なものにせよ、それ独りのうちに大民族の生活のすべての詳細事をかかえこむことはできない。そのようなはたらきは人力を超えているために、中央権力にそんなことができるわけがない。中央権力がその単独の配慮だけで多くのさまざまの指導力をつくり、それをはたらかせようとしても、それは極めて不完全な結
果で満足することになるか、または、無駄な努力をはらって力つきてしまうかいずれかであるにすぎない。(『アメリカの民主政治』, 講談社学術文庫)

●計画主義
個人には個人固有の価値があり、その価値を至高とする個人の活動領域がある。他人の自由を損ねない限り、個人の領域は尊重されなければならない。この考え方は、日本国憲法の基本理念であり、自由主義あるいは個人主義と呼ばれる。しかし、日本の行政には、国家の領域を大きくし、個人固有の活動領域を小さくしようとする宿痾とも言うべき性癖がある。

日本の行政、とくに厚生労働省の医系技官は、戦前、戦後を通じて、計画主義に強い親和性を示してきた。ハイエクによれば、計画主義では、「諸資源を合理的に活用するために、意識的に設計された『青写真』に基づいて、人々のあらゆる活動が中央集権的に統制・組織」される(『隷属への道』, 春秋社)。

計画主義は個人の領域を侵害し、結果として多様性と社会の活力を奪う。共産主義、ファシズムなどは、「社会全体とその全資源を単一の目的へ向けて組織することを欲し、個人それぞれの目的が至高とされる自主独立的分野の存在を否定することにおいて、等しく自由主義や個人主義と一線を画している」。自由主義的計画では、政府は、「各個人の知識やイニシアチブがいかんなく発揮され、それぞれが最も効果的な計画が立てられるような条件を作り出す」。これは自由放任ではない。環境保全のための排水や排ガス規制、公正な取引のルール、雇用に関するルール、労働環境の適正化、社会的弱者救済など法による介入は不可欠である。

専門家と称する人たちの計画は、論理的整合性を重視し、複雑かつ詳細になる傾向がある。個人の行動を細部まで支配しようとする。計画の目的にとらわれ、悪意なしに個人固有の価値を侵害してしまう。専門家が権力を持つと、目的の中に、自身の権益を組み込むようになる。この段階になれば、憲法で明記された個人の領域、すなわち、基本的人権が侵害されるようになる。平等を達成するために、あるいは、自身の権益を確保するために、民衆の恐怖感や偏見を煽ることもためらわない。計画には、さまざまな選択肢についての決定が含まれるが、政治家はこれらの選択肢についての議論には参加できず、官僚や官僚の支配下にある専門家の発言権が大きくなる。結果として、政治家は実質的に専門家に決定権をゆだねざるをえなくなる。

言語を含めて社会制度は、無数の人間が関与する中で、長い時間をかけて自生的に形成されてきた。旧共産圏の国々やナチスドイツは、人為的に社会を設計することを試みたが、無惨に失敗した。社会を人間の設計によって運営することが、人間の能力を超えていたからである。

社会の状況は多様である。ある特定現場の状況に対し、社会には断片的で個人的な知識が大量に存在する。不完全で場合によっては相互に矛盾する知識に基づいて、多様な人間が多様な活動を行ってきた。これらが積み重なって、秩序が形成された。これをハイエクは「自生的秩序」と呼んだ。自生的秩序として、しばしば、市場が念頭に置かれる。それぞれの現場では、自身がもつ知識と情報にしたがって、さまざまな活動が行われている。その中で、価格が決まり、供給量が決まり、新しい製品が供給されることになる。

計画経済の欠陥として、個人の意欲の低下が挙げられることが多い。しかし、それ以上に政策立案者の知識が限られ、思考が単純で一面的だったことが計画経済の失敗に直結した。計画主義は、現場の自由と新たな挑戦を抑制し、社会の進歩を阻害する。詳細で具体的な計画は、抽象的なルールとは異なり、個別活動に対する具体的な強制を含むため、必然的に利権を生む。腐敗は避けがたい。

自生的秩序が成立・維持されるためには、個人の領域の確保とそこでの自由が必要である。自由を保障するのが、「法の支配」である。「法の支配」は「人の支配」に対する概念で、人によるその場その場の恣意的な支配を排除して、あらかじめ定められた法に基づく支配によって自由を確保することを目的とする(高橋和之, 『立憲主義と日本国憲法』, 有斐閣)。

ハイエクは自由を守るために、法の支配を重視した。

法の支配の下では、政府が個人の活動を場当たり的な行動によって圧殺することは防止される。そこでは誰もが知っている「ゲームのルール」の枠内であれば、個人は自由にその目的や欲望を追求することができ、政府権力が意図的にその活動を妨げるようなことはない、と確信できるのである。

「法の支配」においては、政府の活動は、諸資源が活用される際の条件を規定したルールを定めることに限定され、その資源がつかわれる目的に関しては、個人の決定に任される。これに対し、恣意的政治においては、生産手段をどういう特定の目的に使用するかを、政府が指令するのである。(F.A.ハイエク, 『隷属への道』, 春秋社)

グンター・トイブナーは、グローバル化の中で、権力を制限するシステムについて記述した(『システム複合時代の法』, 信山社)。世界に対し、国民国家における憲法は制限規範として無力である。その中で、権力を制限する民間憲法とでも言うべきシステムが、自生的に出現してくる。この本の中で、トイブナー述べた階層型社会の機能不全についての記述は、共産主義や全体主義が失敗したメカニズムの一端をよく説明している。上意下達の命令で行動を制限したままで、現場が実情に対応して生き生きとした活動を展開できるはずがない。現場は多様である。現場の認識も多様であり、政策立案者と同じということはない。進歩は、個別の現場での新たな試みからスタートする。政策立案者からは、未来に向かう新たな営為は生まれない。問題を解決するためには、挑戦することが許されなければならない。

複雑な組織は、決定過程をヒエラルキー化することを通じて冗長性を十分に作りだし―つまり同じ情報を十分に反復させ―、そのことによって決定の不確実性を縮減しようとした。組織の頂点への環境コンタクトの集中によって、環境に関する情報が、組織の存続を危うくするほどに欠乏することになった。組織社会において、公法が鈍重な大組織のヒエラルキー的な調整交渉メカニズムを下支えしそれを変化から規範的に防衛する。(グンター・トイブナー, 『システム複合時代の法』, 信山社)

階層型社会では、権力そのものの在り方が、情報の種類、量、質、流通の方向を徹底して制限するため、システムの作動が致命的に阻害される。計画主義は、情報の獲得とその解釈、それに基づく方針決定を、計画設計者と官僚が独占することを前提としている。インターネットによって、情報が、あらゆる方向に、大量にやり取りされている状況の中で、医系技官の計画主義は陳腐化する
しかない。

文科省天下りに関連して 

文科省の天下り問題は、すでにマスコミに十分取り上げられている。天下り先が、文科省の「管轄」である大学であるというところが、天下りがどうして問題なのかを典型的に表している。大学は、国から補助金・交付金を得ている。天下りを受け入れることで、それに便宜を図ってもらうことが可能になるのだろう。天下りは、官僚と関連業界互いが利権で結びついた慣習なのだ。

この天下りの構図は、官僚機構のいたるところに存在する。文科省は、へたくそだと、他の省庁の役人は嘲笑っているのではあるまいか。私の見るところ、財務省と厚労省にはとりわけそうした天下りがはびこっているように思える。きっと文科省のような「ヘマ」をしないだけだ。経産省、国交省も、大いに天下りで甘い汁を吸っているに違いない。

アマチュア無線関係でいえば、総務省も大いに怪しい。アマチュア無線免許制度の複雑さ、免許取得のための「保証認定料」等、まさに国際的に見て、天然記念物的な制度だ。これが、官僚の天下りと連関している可能性は十分ある。例のリゾート法案で可能になったカジノも、警察官僚の天下り先であることは明らかだ。天下りといっても、高級官僚だけでなく、中間管理職またはそれ以下の官僚の定年後の働き場所の確保が行われている。アマチュア無線も、カジノも、特定の業種に多少の甘い汁を吸わせ、全体としては安定した天下り先を確保するという、官業の癒着構造だ。恐らくは、高級官僚の天下り先ではなく、中間管理職以下の官僚の天下り先なのだろう。一部の利権民間組織を巻き込むことで、安定した天下りが行えるということだろう。アマチュア無線でいえば、TSS、JARDのみでなく、JARL理事もそうした構造の一部になっている。

こうした利権構造は、国民を経済的に薄く広く搾取する。国民は、うすうす気づいていながら、声を挙げたところで変わるわけでもない、まぁ良いかとダンマリを決め込む。だが、この利権構造は、社会をむしばみ、また国の財政を食い物にする。天下り官僚と、関連業者は、国民から金を巻き上げ、さらに国家予算から簒奪する。日本はすでに人口減少社会に突入し、国家としてのピークは過ぎた。今後は、少子高齢化による経済的な負担を工面し、国を小規模な国家にソフトランディングさせる必要が本来あるのだが、政治家、官僚は、自らの利益・利権を得ることにだけ腐心している。国家としての衰退過程を、この天下り利権構造は、早め、さらにハードランディングに至らせることだろう。泥船に乗っていることを、国民も官僚も自覚していない。官僚が天下りで甘い汁を楽しめるのは、そう長い間ではない。

総務省が、アマチュア無線の免許切れを知らせる「サービス」を始めたと知って、苦笑してしまった。彼らはアマチュア無線家というお得意さんを失いたくないのだろう。当局は、アマチュア無線の免許制度を外国並みに簡素化し、事務負担をへらすべきなのに、そうした動きはない。

厚労省官僚個人への裁判 

厚労省官僚、とくに医系技官と呼ばれる官僚は、医療をさまざまな形で支配しようとしている。もしかするとそれが、日本の医療を良くすることになると、彼らは考えているのかもしれない。だが、臨床経験が殆どない彼らが企画、立案することは、医療現場を引きずりまわし滅茶苦茶にすることが多い。SARS・新型インフルエンザ対応、予防接種問題、朝令暮改の診療報酬制度等から、それは明らかだ。小松秀樹医師の言う、統制医療は、失敗の連続だ。

彼らの行政政策は、往々にして、官僚の天下り先確保を最終的な目的としている。日本医療機能評価機構を初めとする様々な特殊法人の設立、さらに薬価を高止まりさせる施策等がそれに当たる。医系技官の臨床経験の乏しさとともに、この天下り先確保が、彼らの行う行政政策策定の根本的動機となっており、それによって失敗が続いている。

現場の医師は、行政に問題があり、それによって不利益、不公正が生じていても、厚労省には逆らえない。彼らは、保険医療機関、保険医の資格はく奪をするだけでなく、最悪の場合医師免許をはく奪する権限を持っているからだ。保険医療機関、保険医の資格を検討する機会は、いくつもあって、医療機関、医師は抵抗することができないようになっている。ここに紹介する小松秀樹医師は、千葉県に出向していた本省官僚によって、補助金支払いをめぐり不適切かつ理不尽な行政対応をされた。彼が、それに抗議すると、官僚側は彼の勤務する医療機関の経営者に、おそらく彼を辞めさせるように声をかけた。官僚のその言葉は、経営者にとって命令に等しいものだったはずだ。結果として、小松秀樹医師は罷免された。官僚の理不尽な振る舞いに対して、小松秀樹医師は、敢然と戦いを挑んでいる。

小松秀樹医師の厚労省官僚との戦いは、以前から何度か取り上げた。彼が、優れた能力と、医療問題に関する深い洞察力を有する医師であるからこそ、こうした官僚相手の裁判を提起できるのかもしれない。医療現場の一般の医師が、容易に実行できることではない。こうした裁判で、厚労省官僚の横暴な振る舞いにブレーキがかかることをぜひ期待したい。この裁判は、横暴な振る舞いをした官僚個人への裁判になっている。これまで個人的な責任を取ることの殆どなかった厚労省官僚の行政面での個人的な責任を問う裁判としての意義がある(輸血製剤によるHIV感染の裁判が、例外の一つだろう)。官僚の瑕疵は、裁判では容易に認められることはないだろう。だが、裁判を提起された事実だけでも意味がある。官僚の無謬性神話への挑戦である。官僚は常に正しく、彼らの意向に従わねば、医療現場の医師にぺナルティが加えられる、という「法治」ではなく「人治」に近い、官僚制の在り方、また官僚が目指す統制医療への、強い異議申し立てである。

この裁判が、厚労省官僚の医療行政をただし、日本の医療をよくすることにつながることを期待して見守りたい。

以下、MRICより引用~~~

医系技官を訴えた理由:統制医療が日本を滅ぼす

元亀田総合病院副院長
小松秀樹

2016年11月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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●公務員個人に対する損害賠償請求
私は、厚労省元結核感染症課長井上肇氏(現在世界保健機関出向中)と千葉県医療整備課長高岡志帆氏を東京地裁に提訴した。第1回口頭弁論が、11月30日午前10時15分、631号法廷で予定されている。多くの方に傍聴していただきたい。
両氏とも本籍は厚労省採用の医系技官だ。公務員が民間人である私の言論を封じるために、医療法人鉄蕉会の経営者に厚労省の内部情報を漏洩して、私を懲戒解雇するよう求めた。2015年9月25日、私は懲戒解雇になり職を失った。言論を抑圧するために、民間医療機関に対して職員の解雇を強要することは、公務員としての活動ではありえない。そこで、国家賠償請求訴訟ではなく、個人の不法行為に対する損害賠償請求訴訟とした。

●経営者は私の言論活動に協力していた
私は、医師だが、十数年来、言論人としても活動してきた。経営者は、今回の事件まで私の言論活動に協力的だった。亀田総合病院亀田信介院長は千葉県医療審議会の専門委員だった。信介氏との議論が、病床規制や東千葉メディカルセンター問題について執筆するきっかけになった。信介氏から千葉県医療審議会に提出された資料を提供された。2013年10月、私は、医療法人鉄蕉会理事長亀田隆明氏の要請で、規制改革推進会議で病床規制の問題点を指摘した。隆明氏は、控除対象外消費税についての私の論考をきっかけに、その是正を求める運動を始めた。

●高岡志帆課長の虚偽通告とその破綻
私は、亀田信介院長の強い要請により、2013年度から3年間の予定で、亀田総合病院地域医療学講座で地域包括ケアに関する映像シリーズ、書籍、規格を作成していた。予算は国の地域医療再生臨時特例交付金から支給されたものだ。2014年度の交付決定通知を受け取っていたが、2015年5月1日、高岡氏らから、予算がなくなったことを理由に、2014年度の予算を削減し、2015年度については事業を中止すると通告された。地域医療再生基金管理運用要領によれば、厚労大臣の承認なしに、都道府県の役人の恣意で事業を中止できない。それ以上に、予算の流用は許されることではない。私は、予算が何に使われたのか、いくら残っているのか厳しく追及した。亀田隆明理事長も怒りを露わにして、自治体病院に出向させている医師を引き揚げると脅迫めいた言葉を口にした。5月15日、隆明氏は、態度を急変させ、私を外して、1対1で県と交渉すると言い始めた。隆明氏は、それまでの経緯、活動内容を知らない。公金が投入されており、外部の映像制作会社、出版社、名だたる専門家が作業に関わっていた。私には個別医療法人を超える責任が生じていた。私が反対すると、隆明氏は、交渉するのではなく、千葉県の不正を高岡氏に伝えるのだと発言を変えた。不正を行った本人に不正だと訴えても意味はない。私は、予算を確保するために、鉄蕉会内部の弁護士と相談の上、「亀田総合病院地域医療学講座の苦難と千葉県の医療行政」をMRIC(メールマガジン)に投稿して千葉県の対応を批判した。2015年5月27日、狙いどおり、高岡氏は虚偽を認め、予算が残っていることを明らかにした。2014年度予算については、決定通り交付されることになったが、2015年度予算について、態度をあいまいにした。まだ流用をあきらめていない。そこで、県を押し込むために「千葉県行
政における虚偽の役割」をMRICに投稿した。出来事をできるだけ正確に再現して、千葉県の対応を批判した。

●言論抑圧と懲戒解雇
2015年6月22日、亀田信介院長に内密の話があると呼び出された。厚労省の職員から私の行政批判を止めさせろ、今後も書かせるようなことがあると、補助金を配分しないと脅されたという。言論抑圧は大問題だ。私は、信介氏との会話の記録を作成し、信介氏に確認を求めたが、修正の要請はなかった。その上で、信介氏には、大変なことになるかもしれないので、相手と接触しないよう忠告した。2015年7月15日、言論抑圧を仕掛けたのが、イノウエハジメカチョウだとの情報を得た。結核感染症課長の井上肇氏ならば、亀田総合病院では有名な名前だ。保健医療担当部長として千葉県に在職していた当時より、亀田隆明理事長と懇意にしていた。当時の厚労省の幹部名簿には、イノウエハジメという課長は他に見当たらなかった。言論抑圧を放置すれば、医系技官の乱暴な支配がさらに強まる。2015年8月17日、私は、知人の厚労省高官に、作成途中の厚労大臣あての、調査と厳正対処を求める文書の原案を送って、手渡す窓口と日時を相談した。2015年9月2日11時18分、高岡医療整備課長から、隆明氏に、メールが送付され
た。
   
すでにお耳に入っているかもしれませんが、別添情報提供させていただきます
。補足のご説明でお電話いたします

メールには、私が作成した厚労大臣あての文書原案と「千葉県行政における虚偽の役割」が一つのPDFにまとめられて添付されていた。十数分後、隆明氏は、別の人物に電話で状況を説明した後、メールをそのまま転送した。隆明氏は、私を9月中に懲戒解雇すると語ったという。2015年9月14日、懲戒手続きが開始された。弁明の機会付与通知書には「メール、メールマガジン、記者会見等、手段の如何を問わず、厚生労働省及び千葉県に対する一切の非難行為を厳に慎むことを命じます」と書かれていた。処分通知書は、「貴殿は、職務上及び管理上の指示命令に反し、亀田総合病院副院長の名において、厚生労働省に、2015年9月3日付け厚生労働大臣宛書面を提出し、同省職員の実名をあげ、調査と厳正対処を求める旨の申し入れを行った(懲戒処分原因事実3)」と締めくくられていた。大臣あて文書の記載内容に異議を唱えることなく、記載内容を前提に、公務員の不正について調査と対処を要請したことが、懲戒処分の理由として記載されていた。申し入れ書は、公益通報に相当し、秘密にされるべきものだ。これを理由にした懲戒解雇などあってはならない。

計画経済は複雑多様化した世界に対応できないばかりか、専制、腐敗を招くと私は、計画経済的な医療統制を批判しつづけてきた。これが言論抑圧の背景にある。上意下達のヒエラルキー的な統制は、組織の頂点しか、環境を認識してそれに対応することができないため、医療の営為を画一化し、硬直的にする。統制は、医療が複雑多様化している中で、失敗を繰り返してきた。計画経済は、行政が強大な権限を持つため、専制を招く。腐敗と非効率は避けられない。旧共産圏では、現場の活力を奪い、製品やサービスの質と量の低下を招いた。計画経済を運営することは人間の能力を超えている。  

●統制医療の大失敗:首都圏の医療・介護供給不足
明治以後、日本では医学部の配置が西日本に偏っていた。1970年以後の1県1医大政策でこの格差が広がった。例えば、四国(1970年人口390万人)の医学部数は1から4に増えたが、千葉県(1970年人口337万人)は1のままだった。1985年の病床規制導入後、入院診療への新規参入が抑制され、許可病床が既得権になった。許可病床数を決めるための基準病床数の計算方法が現状追認的だったため、医療提供量の西高東低の地域差が固定された。高度成長期、団塊世代を中心に、首都圏近郊への人口集中が進み地域差がさらに拡大した。2015年、四国4県の人口は385万人に減少したが、千葉県の人口は622万人まで増加した。千葉県では、看護師が極端に不足しているため、許可病床のすべてが開床できるわけではない。医療格差が団塊世代の高齢化で急速に拡大しつつある。2015年、団塊世代全員が65歳以上になった。2025年には75歳以上になる。65歳から74歳までの要介護認定率は4%だが、75歳以上では30%になる。2030年、首都圏で75歳以上の高齢者人口は、2010年の約2倍になる。都市部を中心に医療・介護サービス、とくに介護サービスの深刻な供給不足が予想されている。東京では75歳以上の高齢者の28%が独居だ。首都圏では、行き場を失った要介護者があふれることになる。

●失敗挽回の大方針は「強制力」の強化
医系技官は、高齢者の急増に対応するために、中央統制をさらに強める動きにでた。2013年8月の社会保障制度改革国民会議報告書は、「強制力」のさらなる強化を提案した。国会審議を経て「強制力」が法制化された。統制は、現場の状況に応じた多様な努力を抑圧する。強制力を強化するとどうなるか、旧ソ連で証明済みだ。限界まで強化されるとどうなるか、北朝鮮を見ればよく分かる。

●医系技官の権力拡大
地域医療構想では、構想区域の医療の需要を行政が推計し、各病院の病床機能ごとの病床数を実質的に行政が決める。計画経済そのものだ。実行に強制力が伴う。都道府県知事は、「勧告等にも従わない場合には」最終的に「管理者の変更命令等の措置を講ずることができる」(地域医療構想策定ガイドライン)。都道府県に出向した医系技官が、病床配分を通じて、個別医療機関の生死を握ることになる。専制と腐敗が生じやすい。さらに、消費税増収分を活用した地域医療介護総合確保基金が、都道府県に設置された。補助金を、都道府県の裁量、すなわち、都道府県に出向した医系技官の裁量で医療・介護施設に配分する。医療には消費税が課されていないが、医療機関の購入したものやサービスには消費税が上乗せされている。消費税率引き上げ分が診療報酬に十分に反映されていないことを考え合わせると、この基金は病院の収益の一部を取り上げ、それを、支配の道具に使う制度だと理解される。病院の投資を医系技官が握ることになる。病院独自の経営努力の余地を小さくする。 行政主導の投資は無駄が多い。補助金をできるだけ少なくして、診療報酬に回すのが健全だ。どうしても必要な補助金は、裁量権を持つ医系技官が決めるのではなく、数字で示される指標で自動的に金額が決められる方法を考案する必要がある。配分する側に裁量権があり、配分される側に経済的余裕がなければ、支配-被支配関係が生じ、民主主義が破壊される

●統制医療ミクロの失敗:東千葉メディカルセンターの巨額赤字とその責任
東千葉メディカルセンターの設立と運営に補助金を集中的に投下するために、千葉県は、二次医療圏を恣意的に変更して、山武・長生・夷隅医療圏を作った。長径80キロの細長いゲリマンダー医療圏だ。東千葉メディカルセンターは、2014年に開院したが、医療人材不足とずさんな計画のため巨額の赤字が続き、東金市の財政を危うくしている。 
夷隅郡市2市2町の住民の医療のために使われるべき補助金が、東千葉メディカルセンターに投入された。夷隅郡市の住民は遠いため通院できない。救急搬送するにも遠すぎる。東千葉メディカルセンター問題が注目されると、千葉県職員の責任問題になる
可能性がある。井上肇氏は、東千葉メディカルセンターの準備段階の一時期、千葉県庁でこの問題を主導すべき立場にあった。高岡志帆氏は、現在、東千葉メディカルセンター問題に深く関わるべき立場にある。東千葉メディカルセンター問題は、言論抑圧の直接的原因の一つだった可能性が高い。

●医療事故調査委員会問題:行政主導の「裁判」を目指して失敗
医療事故調査委員会問題では、医系技官は、当初、中央で医療の正しさを決め、過失の認定まで行おうとして失敗した。実現していれば、医系技官が事務局に天下りし、裁定を支配しただろう。人権を守るための手続きを知らず、自己の権力拡大を強く望み、それ故に利益相反が避けられない人たちに、「裁判」をゆだねるのは危うすぎる。最終的に、法令系事務官が、医系技官から奪い取る形で、院内事故調査委員会を中核とする安全を高めるための制度が作られた。医療の正しさは仮説的で暫定的であるがゆえに、進歩し続ける。医療の正しさは未来に向かって変化するものであり、別の意見を排するような猛々しいものではない。医療現場は多様であり、正しさも複雑多様だ。正しさが固定されると、医療は機能を低下させ、進歩を止める

●新専門医制度:多様性の抑圧と若い医師の人権無視で破綻
新専門医制度では、専門医の養成を、統一的に画一的に行ない、これに人事権を絡ませようとした。教育制度に人事権を持たせると、専制と搾取が生じる。教育者と被教育者の権威勾配がこれを助長する。医系技官は制度を支配の手段と考え、大学教授たちは若い医師を隷属させる手段と考えた。このため、養成期間が長期間になりすぎた。給与を誰が保障するのか考えていなかった。画一的で無駄の多い修練期間が長くなると、専門医の技量の習得を妨げ、医療の質を低下させる。専門医としての生涯活動期間を短くし、サービス提供量を減少させる。
地域にはその実情に合わせた多様な工夫や努力がある。愛知県の救急医療は、医師不足にも拘わらず、卒後5~6年目までの若い医師によって支えられてきた。愛知県の救急医療体制は、新専門医制度の人事ローテーションによって崩壊すると危惧されていた。
新専門医制度は様々な欠陥のため、予定していた2017年度に開始できなくなった。

●新型インフルエンザ騒動:病気と医療についての知識不足で失敗
2009年の新型インフルエンザ騒動で、医系技官は、医学常識に反する無茶な指示、事務連絡を連発し、医療現場を混乱させた。早い段階で、弱毒性と分かったが、大騒ぎを続けた。大阪の経済活動を長期間妨げた。医学的に根拠のない検疫、停留措置で人権を侵害した。
2012年4月、新型インフルエンザ対策特別措置法が成立した。医学常識を欠く医系技官に、人権制限を伴う強大な権限を付与するものだった。2012年11月、日本感染症学会は、特別措置法について緊急討論会を開催した。専門家たちは2009年の新型インフルエンザ騒動の混乱を忘れていなかった。多くの専門家が発言したが、特別措置法に賛成した者は一人もいなかった。

●医系技官と言論の自由
医系技官という存在は難しい。医師免許を持っているが、本格的な医学知識や診療能力を持っているわけではない。行政官なので、活動は法律に縛られるが、その法律の成り立ちをほとんど知らない。このため、属人的権力、すなわち裁量権のある権力、個別事例に介入する権力を欲しがる
属人的権力は専制につながりやすい。すでに、医師や病院の団体は、医系技官に抵抗しにくい状況にある。例えば、日本医師会の事務局長は医系技官だ。国から独立した自律団体としては考えられないことだ。ナチへの反省から生まれた世界共通の医療倫理に反する。日本の医師は、医系技官を恐れ、表立った言論による批判を避けている。
亀田総合病院事件は、統制医療の必然的副作用だ。井上、高岡両氏は、統制医療が生んだ小さな怪物だ。今は特殊かもしれないが、いずれ、これが普通になる。厚労省や千葉県の統治の正当性が危うくなる。法治国家としての日本の正当性が揺らぐ。
「憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」(日本国憲法第12条)。三権分立も「国民の不断の努力」がなければ機能しない。最大の手段は、言論による批判だが、その言論が抑圧された。今回の裁判の結果は、日本の民主主義の水準を決める。

『建設作業員派遣機構』(仮称) 

行政は、専門医に対してと同じことを、建設作業員に対して行おうとしている。両者ともに、人手不足であることと、現実に機能する同業者の集まりがないことが共通している。

財団法人を立ち上げ、そこで建設作業員の人材派遣紹介業を始める、ということだ。

きっと登録者には何らかのメリットが生まれるようにするのかもしれない。いやいや、実際は、登録しないと何らかのデメリットが生じるようにするのが官僚の定石だった。登録を半強制するのは官僚にとっては朝飯前だろう。オプジーヴォの投与を専門医資格を持たない医師にはさせない、といったやり方を、彼らはすぐに発明する。

建設作業員にとっては、行政に職歴まで把握され、その情報を良いように利用される、気持ち悪いことこの上ないのではないか。プライバシーが、行政により管理され、それがいつ不正に利用されるか分からない。また、データが流出する危険も大きい。そうした事態になっても、当該財団法人は責任を取らないだろう。

このデータベース化で一番利益を得るのは、当然、新たに立ち上げられる『建設作業員派遣機構』(私のつけた仮称)という法人に天下る官僚だろう。次は、派遣してもらう建設業者だ。だが、建設業者は、同機構から派遣紹介の見返りをタンマリふんだくられることになる。

官僚は、天下りをするためのネタをあらゆるところで探し回っているようだ。もしかすると、マイナンバーとかいう国民の背番号に、こうした職歴情報まで紐つけて、すべての国民を統御しようとするかもしれない。妄想のように聞こえるかもしれないが、あながちそうでもない。国民を管理するシステムを、官僚と政治家はのどから手が出るほど望んでいるのだ。国民は、商品、駒と同様になる。

官製専門医をとろうとしている医師諸君、君たちもまったく同じように商品、駒として扱われるのだ。


以下、引用~~~

建設作業員の資格や職歴をデータベース化

2016年10月21日 17時37分 読売新聞

 国土交通省は、国内の建設作業員が技能資格や職歴などを登録するデータベースを2017年度にも作る方針を固めた。

 雇い主の建設会社に実績をアピールし、現場での待遇改善につなげられるようにする。人材が集まりやすくして、建設業界の人手不足を解消する狙いもある。

 業界団体がシステムを運用する方向で、財団法人を設けることを軸に検討している。データベースは作業員本人の同意を得たうえで、国内の約330万人全員を対象とする。大量の個人情報を取り扱うため、不正アクセスやウイルス対策など常時監視体制を敷き、安全性の確保に努める。作業員は名前や生年月日のほか、保有する資格、職歴、経験した研修などを登録し、ICカードを発行してもらう。資格を取得したり、新たな現場で働いたりする度に、情報を更新する。

やはり天下りだ 

政官業の癒着、とりわけ官僚の天下りが、この国を亡ぼす。

築地移転問題でも、都の高級官僚が利権を漁っていた。

こちら

こうした天下りで、税金、国民の財産がどれだけ簒奪されているか。

アマチュア無線の将来 

アマチュア無線局数の推移を、調べてみた。1995年前後135万局ほどをピークにして、その後激減している。この数年、減少傾向がやや鈍ってはいるが、現在43万局程度までになっている。

年齢構成の推移のデータは得られなかったが、1990年代の最盛期は、30歳から40歳代の免許人が多かった、というのが、私の実感である。そのピークを構成していた団塊世代、そのすぐ後の世代が、アマチュア無線から遠ざかっていったのが、その後のアマチュア無線局の減少なのではないだろうか。現在、減少幅が減っているのは、ピークを形成したそのような年代の人々がリタイアにさしかかり、再開局している、ためなのではないか。

とすると、今後、団塊世代、そのすぐ後の世代が、アマチュア無線を止めるときに、これまで以上にアマチュア無線局数が激減することになるだろう。それもここ数年で明らかになってくる。

なぜこんなことを調べたのかというと、ITUの新たなスプリアス規制で、総務省当局がアマチュア無線局に対してどのような対応をするのか、アマチュア無線を今後どのようにしてゆこうと考えているのかに関心があったからだ。

総務省当局は、スプリアス基準の検証を済ませていないリグ、自作リグは、あらたに「保証認定」を受けるか、使用を中止して新たなリグに買い替えるようにとの見解のようだ。これが、国際的な当局の対応としてきわめて異例であり、官僚、その関連企業の利権を確保することだけを考えていることは以前にも記した。

この対応は、上記の団塊世代のアマチュア無線離れを促進することは間違いないのではないだろうか。実質意味のない「保証認定料」という、役人と関連企業への「しょば代」を支払い続けるほど馬鹿らしいことはない。また、今でも問題なく動作しているリグを放棄して、あらたなリグを購入するほど、退職者の懐は暖かくない。アマチュア無線を止める選択を、多くの団塊世代はすることになる。

総務省当局は、アマチュア無線局をほかの無線局と別に扱うわけにはいかない、したがって包括免許にすることはできない、という主張である。それがいかに国際的なアマチュア無線の扱いから外れているか、笑えるほどだ。アマチュア無線以外の無線局と同じに扱うというならば、実質的に書類上だけの「保証認定」なぞ止めるべきだろう。しっかり一局、一局落成検査を行うべきだ。アマチュア無線から利権を得ようと、国際標準の免許制度にしないのは、ただただ官僚と、その天下り団体の利権のためなのだ。

アマチュア無線がどうなろうと、彼らには関心外のことなのだろう。