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時代の証人 メルケル首相 

自分が生きたこの時代を、後の歴史家がどのように評価するだろうかと時々考える。その時代の真っただ中で生きてきた、平凡な市民の一人である私が、それを適切に予測することは難しい。

敢えて単純化すると、第二次世界大戦後、共産主義と自由主義経済体制間の冷戦が生じた。それがあったからこそ、わが国は驚異的な復興を遂げられた。だが、共産主義体制国家がその非人間性によって崩壊した。その後、自由主義経済体制は、経済を単純な貨幣現象と捉え、世界経済を同一化し、利益を最大にする新自由主義経済体制に変化した。だが、それが各国、各地域の社会的共通資本を破壊し、経済格差を国家間、国家内で極大化した。それによって、移民問題が生じた。それに対して、ナショナリズム・移民排斥を訴える勢力が力を得ている・・・ということなのではないか。共産主義に一度は夢を抱いたが、その夢は共産主義体制そのものの欠陥によって破れ、自由主義経済体制を推し進めそれによって更なる歪が生じた。それへの反動の時代、ということなのではないか、ということだ。

この難しい時代にあって、現実へ柔軟に対処し、新自由主義にもその後のナショナリズムからも距離をおく政治家が必要とされていると思うのだが、現実は、米国のトランプ大統領に代表される、孤立主義、利己的な政治家、または独裁を目指す安倍首相のような政治家が政権を握っている。現実の政治の世界で、前者に近い政治家の代表は、ドイツのメルケル首相だろう。彼女も、国内のナショナリズム、ファシズム勢力の台頭によって、政治の舞台から去ろうとしている。後世の歴史家は、彼女を孤立主義・少数者排斥・極右ナショナリズムに抗した人物として評価することになるのではないだろうか。

メルケル首相が、ハーバード大学で行った演説を報じる記事を引用する。

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独メルケル首相がトランプ氏批判 「壁」崩し国際協力を
5/31(金) 8:09配信 共同通信

米東部マサチューセッツ州のハーバード大で演説するドイツのメルケル首相=30日(UPI=共同)

 【ニューヨーク共同】ドイツのメルケル首相は30日、米東部ボストン郊外のハーバード大卒業式で講演し、「ベルリンの壁」の向こう側にある「自由」に憧れていた自身の経験を紹介しつつ、自由を阻害する保護主義や単独主義などの「壁」を壊して国際的な協力を進めるよう呼び掛けた。トランプ米大統領を間接的に批判した形で、卒業生らは熱狂的に拍手した。

 旧東ドイツで育ったメルケル氏は、第2次大戦後の欧州復興の原動力となった米「マーシャル計画」が1947年にハーバード大で発表されたことに触れ、「心の中の壁を壊せば敵が友に変わる」と主張した。

「令和」にこめられた強烈なアイロニー 

令和に込められた意味、品田悦一東大教授の解説。ぜひご一読を。

こちら。

安倍首相と、その背後に居る日本会議のあまりに知性を欠く振る舞いにただ唖然とするばかり。

この強烈なアイロニー、それに安倍一味の万葉集自体への無知をこれから指し示し続ける、令和という年号。この年号がこれからの歴史に燦然と輝くものとなった。

大西進氏が、この年号の発案者だとすると、すごいトリックを忍ばせたものだ。さすが大西先生である。

安帝の時代・・・ 

爆笑した。

くらげというハンドルの方のtweet

基本的に元号とかどーでもよいが、アベ一族に関係する文字が入らなくてよかったのと、昔々「安帝」の腐敗政治にブチ切れた張衡て人の詩へのオマージュで山上憶良が作った詩からの引用とのことで、反知性主義の現代日本の「安」帝に強烈な知性主義で対抗したどこぞの学者さんに天晴れな気持ちでいる。

万葉集という国書から選んだという元号、皮肉どころではない、真逆の意味合いを帯びてきた。

安帝というのは、少し知能の足りなかった皇帝らしく、後漢は、彼の治世の時代に衰え、彼が亡くなると同時に滅びた。

現代の「安」帝はどうか?

ドナルド キーンの遺した言葉 

先ごろ、日本文学研究者で、東日本大震災時に日本に帰化するほど日本を愛した、ドナルド キーン氏が逝去された。

彼のこの文章を日本国民はどう読むのだろうか。

日本は凄いと根拠なく、自分たちを持ち上げ、戦前の体制に回帰しようとしている。

自衛隊は、実質的に国軍化され、海外派兵は目の前に近づいている。国内では、滅茶苦茶な財政運営により国家財政の破綻の寸前の状態だ。現政権は、文書改ざん、統計不正で、それを覆い隠そうとしている。粉飾である。それを見抜けないのか。キーン氏の述べる通り、黙殺するのか。


東京新聞の記事から~~~

【ドナルド・キーンの東京下町日記】
「暴走黙殺の果て」 2015年8月9日

七十年前の今月、太平洋戦争が終わった。戦時中、米海軍通訳士官だった私は、多くの日本人捕虜と接してきた。その数は何百人になるだろうか。全員がそうだったわけではないが、多くは捕虜になったことを恥じていた。「どうせなら死んだ方がよかった。殺してくれ」「日本には帰れない。家族に合わせる顔がない」と頭を抱えた。

「日本兵が捕虜になったことはない。神武天皇の時代からの伝統だ。捕虜となるなら玉砕せよ」と、日本兵はたたき込まれていた。いわば洗脳である。一九四三年五月、日本軍最初の玉砕の地となったアリューシャン列島のアッツ島の戦いに私は参加した。

日本兵は勝ち目がなくなると、最後の手りゅう弾を敵に投げるのではなく、自分の胸にたたきつけて自決した。そんな遺体が散らばっていた。全滅ではなく玉砕。他の国ではあり得ない光景だった。

民間人も「女は辱めを受け、男は戦車にひき殺される。捕虜になるなら自決しろ」と言われていた。サイパン島では若い母親が幼子を抱えて次々と崖から飛び降りた。その悲劇を米誌が報じると、日本の新聞はそれを「日本婦人の誇り」と美化して伝えた。

日本兵は本当に捕虜になったことはないのかと、私は疑問に思い、戦時中に調べてみた。すると、日露戦争では多くの日本兵が捕虜になった記録が残っていた。捕虜の扱いについて定めたジュネーブ条約を盾に、「ウオツカを飲ませろ」と収容所の待遇改善を求めた将校までいた。

それが、太平洋戦争時には一変していた。「勝てない」と言われていた日清、日露両戦争に日本は勝ち、力を持った軍部はおごりと野心からか、国民に「日本は神の国」と刷り込んだのだ。

太平洋戦争時に書かれた日本人作家の日記を読み返してみると、当時の世相が垣間見える。言論統制の影響も大きかったろうが、真珠湾攻撃の直後には高揚感にあふれる記述が目立っていた。

反戦的で親米派といわれた吉田茂元首相の長男の健一でさえ、「暗雲が晴れて陽光が差し込んだ」と興奮気味だった。伊藤整は「この戦争を戦い抜くことを、日本の知識階級人は、大和民族として絶対に必要と感じている」「民族の優秀性を決定するために戦うのだ」と書いた。

だが、太平洋戦争の結末は言うまでもない。日本が優勢だったのは最初の半年程度。四二年六月のミッドウェー海戦が転機となり、米国の圧倒的な物量に押されて、占領地を次々と失った。

当時、南洋諸島で最大の飛行場があったテニアン島を奪った米軍は、日本各地を空襲した。私は不思議で仕方なかった。イタリア、ドイツが落ち、日本は勝てるはずもないのになぜ降伏しないのか。勇ましい大本営発表は続いた。一方で東京は大空襲で壊滅状態に。沖縄は占領された。広島と長崎に原爆が落とされ、何十万人もの命が奪われた。

戦後、私が知り合った日本人の大多数は「勝てるはずがなかった」と自嘲気味に話した。だが、分かっていたなら、なぜ開戦したのか。旧満州(中国東北部)の建国に続き、日本軍のフランス領インドシナへの進駐で日米関係は決定的に悪化した。外交交渉には譲歩も必要だが「神の国」は突き進んでしまった。

開戦後も、私の友人で日本生まれの米工作員ポール・ブルームは欧州駐在の日本人武官を通じて終戦工作に奔走した。日本側からの反応は常に「敵にだまされるな」。理性的に考えた形跡はなかった。

戦前も戦時中も、戦争への反対意見はあった。高見順や清沢洌(きよし)、渡辺一夫らは、時代に翻弄(ほんろう)されながらも日記に反戦をつづっていた。

太平洋戦争に至る過程では、権力中枢のごく少数が国民をだましたといえる。だまされた国民は兵士となって加害者となり、被害者にもなったのだ。だが、問題の根幹は日本政府、そして体制に迎合した国民による現状の黙殺だっただろう。

軍部の暴走を誰も止められず、終戦に至るまで黙殺は続いた。私はアッツ島や沖縄の上陸作戦に実際に参加し、戦争がいかに悲惨で無意味なものかを身をもって体験した。同じ過ちを繰り返してはならない。 (日本文学研究者)

1月27日 アウシュビッツ解放記念日  

facebookで米国人の友人がアップした記事。アウシュビッツで解放を待ちのぞむ子供たちの画像とともにアップロードされた。

安倍政権の歴史修正主義は、ナチスのホロコーストに連なる思想であることをもう一度思い起こすべきだろう。

日本軍731部隊は、規模はナチスの強制収容所よりも小さかったが、ナチスと同じことを行った。

Today, January 27, marks the 74th anniversary of the liberation of Auschwitz by Soviet forces. As the Soviet army approached in the days leading up to this, Nazis marched the vast majority of the prisoners west into Germany. The few thousand remaining were thought to be too ill to travel, and were left behind to be shot by the SS. In the confusion that followed the abandonment of the camp, the SS left them alive, and these were the prisoners found by Soviet forces. Eva Mozes Kor, age 10, was one of several hundred children, many of them twins, who were left behind. She and her twin sister Miriam had been subjects in Dr. Josef Mengele’s medical experiments. She describes what it was like to see the liberating Russians. “We ran up to them and they gave us hugs, cookies, and chocolate. Being so alone a hug meant more than anybody could imagine because that replaced the human worth that we were starving for. We were not only starved for food but we were starved for human kindness. And the Soviet Army did provide some of that.” Three months later, Hitler was dead.

歴史修正主義者は、歴史を改ざんしでっち上げる 

日本軍が徴集し管理した「慰安婦」の存在を否定する立場の西岡氏が、裁判で自らの誤りを認めたという記事。

彼は、慰安婦の出自を捏造し、さらに新しい研究成果も読んでいないと証言した。

朝日新聞、植村隆記者を攻撃することに熱心だったが、その根拠は曖昧であり、また捏造に基づいたものだった、ということだ。

歴史修正主義は、必然的に歴史を改ざんし、でっち上げる。その典型例ということだろう。

以下、引用~~~

『朝日』元記者・植村隆裁判で西岡力氏が自らの「捏造」認める
9/26(水) 10:15配信 週刊金曜日

「慰安婦」問題否定派の旗手である麗澤大学客員教授の西岡力氏――。彼の論考や発言は、国家基本問題研究所理事長の櫻井よしこ氏をはじめ、右派言説の論理的支柱となり、影響を与え続けてきた。その西岡氏が9月5日に東京地裁で尋問に答えた内容は、彼らに失望と嘆息を与えるかもしれない。西岡氏が、いくつかの重要部分について「間違い」を認めたからだ。

 東京地裁では、元「慰安婦」記事を「捏造」と記述され名誉を傷つけられたとして、元『朝日新聞』記者の植村隆・韓国カトリック大学客員教授が西岡氏らを相手取り、損害賠償などを求めた訴訟が2015年1月から続いている。

 植村氏は1991年8月、韓国での「慰安婦」問題に取り組む市民団体への取材やその聞き取り調査に応じた女性(のちに記者会見で名乗り出た金学順さん)の録音テープを聞いてスクープし、同年12月にも証言を記事化した。

 西岡氏は、植村氏の記事に対し、『週刊文春』2014年2月6日号で「名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。捏造記事と言っても過言ではありません」とコメントした。

 しかし、尋問で「そう訴状に書いてあるのか」と問われると、「記憶違いだった」と間違いを認めた。金さんの記者会見を報じた韓国『ハンギョレ』新聞の記事を著作で引用した際、「私は40円で売られて、キーセンの修業を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」という、元の記事にない文章を書き加えていることを指摘されると、「間違いです」と小声で認めた。

 西岡氏はまた、元「慰安婦」の証言集は読んでおりながら、「挺身隊」名目で「慰安婦」にさせられた韓国人女性の証言は「覚えていない」とし、自らの主張と異なる最新の調査・研究結果も読んでいないと答えた。

(佐藤和雄・ジャーナリスト、大学非常勤講師、2018年9月14日号)

西郷隆盛・明治維新 

NHK大河ドラマ「西郷どん」を、見続けている・・・のだが、あまりに設定がおかしいことが多いように感じていた。

青年の「志士」たちが、藩の垣根を超えて、日本という国家のために共同する?どうも後付けの意味付けなのではないか、という感じがぬぐえない。維新という歴史的事件の疑似宗教化というべきか。

西郷隆盛とはいかなる人物だったのか、明治維新とは何だったのかを、より重層的に捉えた論考を見つけた。

藤原敏史氏による下記論考である。

こちら。

私は、日本史には詳しくないのだが、藤原氏の記述がどうも歴史そのものに迫っているもののように思える。

少なくとも、総裁選出馬表明を桜島の前で行い、薩長同盟で行こうとぶち上げた、どこかの知的に薄っぺらな政治家よりは、よほど知的に誠実に歴史に向き合っている。

シモーヌヴェイユの逝去 政教分離の問題 

シモーヌヴェイユが昨年89歳で亡くなっていたことを、今朝、ネットで知った。つい最近まで生きておられたということに驚いた。

反フランコ政権として戦うためにスペイン内乱に出かけた彼女のことを知ったのは、学生時代のことだった。スペイン内乱では、しかし、大した仕事もできずにフランスに彼女は戻ったはずだ。誰かとの公開書簡だったろうか、彼女はカソリックの教会の敷居に立っているが、中に入ることはできないと記していた。精神的に彷徨っていた自分を投影して、親近感を覚えたものだった。彼女は、その後厚労相等政治家としても活躍なさったらしい。ナチスアウシュビッツから生還した政治家として、その発言は重く受け止められていたようだ。(下記追記参照)

もう一つ、このニュースで驚かされたこと。彼女がパンテオンに祀られることになったこと。フランスのパンテオンの意義はよく知らないのだが、どうもある種の宗教的な意味合いがあるらしい。偉人を祀るという行為が、あのフランス革命を経た国で行われていることに、若干の違和感を覚えた。パンテオンの在り方とは相違点が大きいが、我が国も人々を神格化することを戦前行ってきた。その神格化は、当時の権力者が国民を支配するために利用するメカニズムだった。

ホモサピエンスが、ネアンデルタール人との競合、それに気候変動を生き抜き、現在の繁栄がある背景に、宗教の存在があるという。宗教が、血縁を超えた社会での人々の結合を可能にした、それによって弱い存在だったホモサピエンスが生き延びた、ということらしい。宗教が政治と密接な関係にあり続けてきたのは、こうした本源的な意味がある。宗教と政治の一体化が、様々な問題を引き起こすことが近代になって意識され、政教分離が行われたはずなのだが、政治は宗教の力をいつも利用しようとし続けている。それは様々な形で表れているが、パンテオンも、国家神道の神社も同じなのではないだろうか。

シモーヌベイユは、パンテオンに祀られて、どのような気持ちでいることだろう。

追記;お恥ずかしい誤解。このシモーヌは、政治家のシモーヌヴェイユだった。私がこのポストで言及したシモーヌヴェイユは同名異人で、1943年に没していた・・・。

「神武天皇陵」 

神武天皇陵についての面白い記事。

こちら。

明治時代になって、国家統合のシステムを作る必要が生じた。神道と天皇制を組み合わせて、国体思想が作られることになる。その際に、天皇の神格化が必要になった。それに寄与するように、神武天皇陵が作りあげられたのだろう。

万世一系の天皇系図により、天皇を神格化し、天皇を頂点とした政治国家体制を作ったわけだ。そこから、我が国の選良主義が生まれ、排外的な思想風土が生まれた。

象徴天皇となった現代にあっても、国体こそが大切なこととする政治家が、政権与党内部に多くいることに驚く。あの時代錯誤の発想は、自らの権力基盤を天皇制に求めるのか、それともカルト的な懐古趣味なのかは分からない。だが、彼らは国の進路を誤らせる。戦前と同じ道を歩むとは思わないが、全体主義国家への道につながる。

神武天皇、建国の日について知ることも必要だ。上記リンクを張ったブログには、神武天皇を始めとする天皇制の歴史的研究成果が分かりやすく提示されている。

教育史学会、教育勅語導入に反対 

天皇を宗教的に崇拝し、国体という国家制度を維持することを求める教育勅語を、教育現場に持ち込むことを可とする方針が、政府から示された。憲法・教育基本法に違反しない限りでという限定が付けられている。が、根本的に、教育勅語は、国民主権を歌う憲法に反することは明らかだ。安倍首相他の閣僚の背後にいる日本会議が、長年教育勅語の復活を目論んできた。その手法は、草の根運動ともいえるもので、政治的に大きな力を持つ。戦前の非人間的な教育勅語の世界を知らぬ世代に、浸透する様相を示している。

教育史学会が、教育勅語の問題点三つについて明快に述べ、それの教育現場への導入に反対している。教育勅語が、徳目の羅列であるということは誤りで、天皇制の疑似宗教化による国民を支配するプロパガンダである。日本の皇国史観から日本を他より優れた神聖な国家と位置づけている。朝鮮や台湾では、その点を折衷した朝鮮版、台湾版の教育勅語を発布する動きもあったという・・・民衆を支配するための疑似宗教教義であることをします事実だ。また、教育現場では、教育勅語・天皇の写真の神聖化が行われ教育に支障を来した・・・そうだ、お隣の独裁国家の現状と同じことが数十年前我が国でも行われていたのだ。教育史学会が、歴史的な視点からこれらの点を強烈に批判している。ご一読をお勧めしたい。

こちら。