教育史学会、教育勅語導入に反対 

天皇を宗教的に崇拝し、国体という国家制度を維持することを求める教育勅語を、教育現場に持ち込むことを可とする方針が、政府から示された。憲法・教育基本法に違反しない限りでという限定が付けられている。が、根本的に、教育勅語は、国民主権を歌う憲法に反することは明らかだ。安倍首相他の閣僚の背後にいる日本会議が、長年教育勅語の復活を目論んできた。その手法は、草の根運動ともいえるもので、政治的に大きな力を持つ。戦前の非人間的な教育勅語の世界を知らぬ世代に、浸透する様相を示している。

教育史学会が、教育勅語の問題点三つについて明快に述べ、それの教育現場への導入に反対している。教育勅語が、徳目の羅列であるということは誤りで、天皇制の疑似宗教化による国民を支配するプロパガンダである。日本の皇国史観から日本を他より優れた神聖な国家と位置づけている。朝鮮や台湾では、その点を折衷した朝鮮版、台湾版の教育勅語を発布する動きもあったという・・・民衆を支配するための疑似宗教教義であることをします事実だ。また、教育現場では、教育勅語・天皇の写真の神聖化が行われ教育に支障を来した・・・そうだ、お隣の独裁国家の現状と同じことが数十年前我が国でも行われていたのだ。教育史学会が、歴史的な視点からこれらの点を強烈に批判している。ご一読をお勧めしたい。

こちら。



修正史観といえるほどのものではない 

アパグループホテルの各部屋には、日本近現代史の書物が置いてあるらしい。そこには、南京大虐殺は事実無根であると、記されている。その著者は、実質的なアパグループ代表の元谷外志雄氏。彼は、選挙違反で摘発されたかの田母神氏の後援者であり、安倍首相ともきわめて近い関係にある人物だ。

彼の論旨は、南京大虐殺で殺された人数が30万人とされているが、それがありえない、「したがって」南京大虐殺は歴史的事実ではない、という奇妙な三段論法である。殺された人々の人数は、下記に引用する論考にもある通り、議論のあるところだが、30万人は殺されていない、だから南京大虐殺はなかった、とは言えないのは当然のことだ。

南京大虐殺の存在は、当時のジャーナリスト達、外交官さらに日本軍の軍人兵士の日記等によって、明確に示されている。以前にもここで取り上げた「南京難民区の百日 笠原十九司著」等の著作にも、当時南京で中国人のために援助活動を行った民間人・外交官・ジャーナリストの記録が記されている。

それだけではない、第一次安倍内閣時代に立ち上げられた、日中双方の研究者による「日中歴史共同研究」が、南京大虐殺の存在を認めている。安倍首相は、この研究の公開によって、南京大虐殺の存在を認めたはずだ。安倍首相の朋友である、元谷氏が、南京大虐殺を認めないのは個人的には許されることだろうが、安倍首相の立場を悪くするのではあるまいか。それに、自分の経営するホテルチェーンとはいえ、宿泊者の目にとまるところに根拠薄弱な自著を置いておくのは、まずいのではないか。

以下、引用~~~

1月17日付バザップ 安倍首相が立ち上げた「日中歴史共同研究」が南京大虐殺を正式に認めていました。

2006年に安倍首相と胡錦濤国家主席(当時)が立ち上げた歴史共同研究の中で南京大虐殺が起こったことを正式に認めています。詳細は以下から。

2006年、就任したばかりの安倍首相は中国を訪問して胡錦濤国家主席(当時)と会談、両国は、相手側の「平和的発展」を評価するとともに、両国の責任は「アジア及び世界の平和、安定及び発展に対して共に建設的な貢献を行うこと」だと主張し、その一環として日中両国の研究者が未来志向の日中関係の枠組みの下で歴史共同研究を実施することになりました。

この歴史共同研究では日中からそれぞれ10名の研究者を選出、共同研究委員会を組織して古代・中近世史と近現代史の研究テーマを決定し、論文が執筆されています。

そして2010年1月31日に両国の研究者によって自国語論文(報告書)が発表されました。この際の日本語論文の270~271ページには南京大虐殺についての記述が存在しています。少し長いですが引用します。

中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、南京陥落後における城内進入部隊を想定して、「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策(「南京攻略要領」)を通達していた。しかし、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では20万人以上(松井司令官に対する判決文では10万人以上)、1947年の南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人など様々な推計がなされている。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している。

日本軍による暴行は、外国のメディアによって報道されるとともに、南京国際安全区委員会の日本大使館に対する抗議を通して外務省にもたらされ、さらに陸軍中央部にも伝えられていた。その結果、38年1月4日には、閑院宮参謀総長名で、松井司令官宛に「軍紀・風紀ノ振作ニ関シテ切ニ要望ス」との異例の要望が発せられたのであった。

虐殺などが生起した原因について、宣戦布告がなされず「事変」にとどまっていたため、日本側に、俘虜(捕虜)の取扱いに関する指針や占領後の住民保護を含む軍政計画が欠けており、また軍紀を取り締まる憲兵の数が少なかった点、食糧や物資補給を無視して南京攻略を敢行した結果、略奪行為が生起し、それが軍紀弛緩をもたらし不法行為を誘発した点などが指摘されている。戦後、極東国際軍事裁判で松井司令官が、南京戦犯軍事法廷で谷寿夫第6師団長が、それぞれ責任を問われ、死刑に処せられた。

(第2章 日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 より引用)

この項の執筆は波多野澄雄 筑波大学大学院人文社会科学研究科教授(当時)と庄司潤一郎防衛省防衛研究所戦史部第1戦史研究室長(当時)によって行われています。

南京大虐殺否定論を唱える歴史修正主義者は、安倍首相が立ち上げた歴史共同研究の中で、安倍政権に選出された日本人研究者が南京大虐殺を(犠牲者数に開きがあることを認めながら)事実として記述しており、名実ともに日本政府と中国政府が共有する歴史として厳然と存在していることをどう考えるのでしょうか?

特に安倍晋三の後援会「安晋会」の副会長を努めるアパグループ代表は、全力で支援する安倍政権が南京大虐殺という歴史を中国と共有していることが、自らの著書での主張との間に決定的な齟齬を生じさせていることについてどのように認識しているのでしょうか?非常に気になるところです。

外務省_ 日中歴史共同研究(概要)

南京大虐殺 

産経新聞が、南京事件の「再検証」を始めたらしい。そのものを読んでいないが、旧日本軍の兵士の証言から、南京大虐殺はなかったという趣旨の論陣を張っているようだ。これは、これまでの歴史学的な合意に明らかに背くもので、修正主義的な報道である。旧日本軍兵士だけの証言で、記事を構成するとしたら、片手落ちであることは明らかであろうし、確実な証拠はないはずだ。このようないい加減な記事が、過去からの亡霊のごとくに全国紙に載ること自体日本人として恥ずべきことだ。

南京事件については、殺された中国人の人数については議論が残るが、虐殺自体があったことは、歴史のコンセンサスである。日中いずれからも距離のある外国人の遺した記録に基づいて書かれた、笠原十九司著「南京難民区の百日」を読んでみるが良い。記録者は、当時南京に滞在していた宣教師、研究者それにジャーナリストたちである。中には、ナチ党員であるドイツ人もいる。

南京への日本軍の攻撃は、軍部の独断で決められ、上海を攻撃した予備役兵の多い軍隊が回された。兵站の補給が乏しく、「現地調達」という周囲の農村の人々からの略奪で、兵士は飢えをしのいでいた。当時の日本のマスコミは、どの部隊が南京を最初に攻略するかを煽り、日本国民もそれに応じていた。規模で勝る日本軍は、ほどなく南京に攻め入るが、多数の市民・敗残兵が城壁で囲まれた限られた空間に残されていた。そこで、如何なる地獄絵が繰り広げらたか、読んでいて息をのむ。難民区で中国人のために奮闘した宣教師は、戦後自殺を遂げた、という。そのエピソードから、この本は始まる。

自虐史観だなとと誤魔化さずに、まず事実を知ることだ。そこから始めないと、本当の隣国との融和は始まらない。

敗戦記念日に思う 

敗戦記念日を前後して、マスコミは、戦争による惨禍を取り上げ、それを継承しなければならない、と説く。その対象は、米軍による原爆投下、各地での空襲等だ。非戦闘員であった国民が受けた被害の記憶をとどめることは、それはそれで大切なことだ。

だが、それだけでは、片手落ちであるように思える。中や、朝鮮そして沖縄で、人々に与えた人的・物的被害も、同時に想起し、日本人としての痛切な反省の思いを新たにすべきなのだ。日本での戦死者は、300万人に対して、中国での戦死者は1000万から2000万人と言われている。

戦争被害者としての歴史を想起するだけでは、戦争を賛美し、けしかけ煽った国民としての反省が生まれない。戦争は軍部や政治家に騙されて駆り出されたものという姿勢は、戦争を繰り返さぬという能動的な行動を生み出さない。

戦争で騙され被害を受けたという国民の意識は、戦前からの保守層の一部の動きと表裏一体だ。彼ら保守層の一部は戦後も米国への隷従と引き換えに政治権力を綿々と受け継いできた。そして今過去の歴史を書き換えて、自己正当化を図ろうとしている。端的に言えば、戦争責任の追及対象を主に軍部だけにしぼり、官僚そして天皇の責任は殆どないものとされた。あの戦争は何だったのか、どこに原因があり、誰が責任を負うべきだったのか、ということを今からでも、検討すべきなのではないか、と思う。

国民が被った被害だけでなく、隣国、そして沖縄の人々が理不尽にも受けた被害を正視しなければならないと思う。

敗戦記念日を挟んで、ずっとこのことを考えている。

68回目の終戦記念日に 

今朝、何時もより少し早く自宅を出て、仕事場に車を走らせた。いつも込み合う幹線道路に車が少ない。あぁ、お盆休みで、仕事に向かう人が少ないのだ、とほどなく気が付いた。だが、ラジオのアナウンサーが「終戦記念日」であることを言うまで、「終戦記念日」であることを失念していた。普段、あの戦争のことを考えることが決して少ないとは言えない私でも、この記念日を忘れてしまっている。いかに、仕事に急ぐ日であったとはいえ、苦笑してしまった。私は、戦後生まれであるし、戦争の惨禍を直接知るものではない。戦争の記憶にリアリティがあるわけではない。だが、大切なこととして考え、記憶しなければならないと思い続けてきた。その私が、この有り様だ。現在社会の中核で働いている方々にしてみると、戦争の記憶ではなく、この20年来続くデフレと、自然災害、そして隣国との摩擦に意識が向くのも仕方ないことなのかもしれない。

数日前、米国の友人が、メールをくれた。彼の父親が、ボーイング社の爆撃機であった「エノラゲイ」を原爆装着できるように改造することに携わったこと、その計画がどのような惨禍を広島市の市民に及ぼすか知らされていなかったとはいえ、戦後、原爆投下計画に参画したことで悩んでおられた様子だったことを、淡々と綴ってこられた。そして、このことをどう思うか、との質問が記されていた。私が、英語のブログで、次のような記事をアップしたことに関係して、彼は、この重たい記憶を私に書いてよこしたようだった。

私の記事の要旨は、日本国民は、戦争末期に徴用され、手ひどい被害をこうむったために、自らを戦争の犠牲者の立場にだけ置き、戦争責任をしっかり議論してこなかった、そのために、日本が侵略を周囲の国々に起こしたことの議論はされず、ただ戦争によって受けた被害のみが思い出されるのではないか、ということだ。これは、前のポストでも触れた、加藤洋子・佐高信「戦争と日本人」から教えられたことである。終戦(ではなく本来は敗戦であるが)記念日の前後で、マスコミ等が報じるのは、日本国民が、あの戦争によってどれだけ傷つけられたか、ということだけだ。以前から、私は、それは片手落ちの議論ではないか、と思い続けてきた。日本国民は被害者であると同時に、侵略の担い手でもあったのであり、それを正視せずにいるから、戦争責任の総括ができないのではないか、と思い続けてきた。

メールをくれた米国の友人には、あの原爆投下は倫理的には非難されるべきことだと思うが、その意味については歴史家が明らかにすることだろう、父上は、戦後亡くなるまでの間、こころのなかに重いものを抱き続けていたのであり、もうそのことはそれで良いのではないだろうか、あの広島の悲劇を繰り返さぬためにも、我々は被害者であると同時に加害者でもあった過去を総括すべきなのではないかと考える、と返信した。

こう記すと自虐史観ではないかというレッテルが張られそうだが、日本国民も戦争を促し、率先して関与していった歴史がある。戦争の被害者としてだけ自己認識するのは間違いではないか、と感じている。

寺澤盾著「英語の歴史」過去から未来への物語 

中公新書の上記の本を読んだ。

英語の歴史を、1500年余り前の起源から、現在、そして未来という流れで記した著作である。古英語が、5世紀のブリテン島へのゲルマン民族の移動、さらにキリスト教の伝来によって、ゲルマン語他の言語・キリスト教を通したラテン語から大きな影響を受け、中英語の時代に入る。さらに11世紀の所謂ノルマンコンクェストによりフランス語が公用語となり、英語の復活は13世紀まで待たなければならなくなる。近代英語にはフランス語から影響が色濃く見られるという。

様々な民族と言語がダイナミックに影響しあい、現在の英語が形作られる過程を、文法や、語彙の面から明らかにしている。現代の英語は、英国・オーストラリア・米国の英語で差がある面もあるが、米国の英語がその他の英語に強い影響を及ぼしているが記されている。さらに、現在の英語は、世界的にみて第二外国語・外国語として話されることが多い。英語帝国主義への反発等があるが、今後ともにlingua francaとして英語は存在し続けるだろう、というのが著者の見解である。

面白いと思ったのは、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」の場面の紹介。ロミオとジュリエットが初対面で出会うところは、ジュリエットが敬語としての二人称でロミオに語りかけるのに、あの有名なバルコニーのシーンでは、ジュリエットは親しい関係の二人称でロミオに語りかける。中英語では、ドイツ語と同じような文法構造があったのだ。さらに、今回の米国旅行でもしばしば耳にしたが、you guysという二人称複数の用法。単に、guy達よ、という呼びかけかと思っていたが、二人称は単数と複数が同じ形なので複数を単数形とは別な形にして文法的に落ち着こうとする「モーメント」が働いている、そのためにyou guysという言葉が用いられるようになってきている、とのことで、なるほどと納得したことだった。文法的に落ち着く方向に、文法が変化してゆくことはほかでも見られるらしい。

こうした英語の歴史を学んでいたら、学生時代にもっと奥行きのある学習が可能だったかもしれない。先にあげた、単に規則の列挙である「死んだ」文法ではなく、言葉や文法の「ニュアンス」を大切にする「生きた」文法の学習と併せて、こうした学習内容は、英語をもっと生き生きと、立体的に学ぶ契機を与えてくれることだろう。受験生達にも機会があれば、是非勧めたい内容の書物だ。英語に関心のある方にもご一読をお勧めしたい。

日本語の歴史も勉強しなければ・・・。

戦争責任について 

第二次世界大戦で亡くなった軍人を、靖国神社に祭る作業が、家族の承諾なしに行われ、行政がその膨大な事務作業をバックアップしたことを最近になって初めて知った。家族の承諾なしに、200数十万人の戦没者が、「英霊」として靖国神社に祭られている、という。

靖国神社に祭られることを忌避し、その祭祀は憲法の政教分離原則に反することを訴える訴訟が提起されてきたことはおぼろげに知っていた。国民の承諾なしに、その作業が続けられてきたこと、それを行政が援助してきたことを知り、そうした訴訟提訴に意味があると改めて思った。

近現代史を多少なりとも学ぶと、日本が、戦争責任の議論を中途半端にしか行っていないことに気付く。靖国神社は、国民を戦争に駆り立て、国民を「皇国」の軍人とした戦前の支配層が、軍人として亡くなった後も、彼らを国の管理下に置こうとする組織だ。宗教性を持たせることによって、国民を統合する力を与えようとしたのだろう。

あの戦争で亡くなった方々の内、どれだけの方が、靖国神社で神として祭られたいと思ったことだろうか。靖国神社が過去の戦争に果たした役割と責任を総括することを行わず、曖昧なまま、戦前の国民を動員する装置としての機能を持たせ続けてきたのではないだろうか。

幕臣達が日本の自立を守ったという歴史的事実 

岩波新書「日本の近現代史をどう見るか」(岩波新書編集部編)に、面白い視点で、幕末期の欧米への対応について書かれた論考があった。

米国外交官ハリスと、幕府が締結した、日米修好通商条約は、一方的に米国に有利な不平等条約であるとの評価が一般的だが、実際のところはそうではなかった、というのだ。圧倒的な軍事力を背景に強硬に、自由交易を迫る米国に対して、交渉に当たった時の幕臣達はほかの国々の状況を調べ、粘り強く、譲歩できぬところ、例えば、外国人商人が国内を自由に移動すること等をはねつけた、ということだ。その結果、日本の自立は守られた。我々は、ともすると、欧米の歴史観に流され、時の幕府とわが国を半未開の存在と捉え、時の幕臣達の努力に目を向けることをしない。欧米中心の歴史観から、周辺部に追いやられてきたアジアの視点からの歴史観に我々はよって立つべきなのではないかと、著者の井上勝生北大名誉教授は述べている。

これを読んで思い起こしたのが、TPP交渉における我が国政府・官僚の対応だ。わが国の自立を守ることをどこまで彼らは考えているのだろうか。幕末の幕臣達の知恵と根気と、それに何よりもわが国を愛する気概があるのだろうか・・・。野田首相は、国会答弁で、TPPのISD条項を知らないと、しゃあしゃあと述べた。これが事実なら、首相を務める資格はないし、嘘を平気でつくとしたら、なぜ国民を欺いてまでTPPに突き進むのか、明らかにする責任がある。食糧と医療は、国民の安全そのものにかかわる。それが脅かされようとしている事態なのだ。国民への愛情と責任が、彼らには問われている。

敗戦の日に 

敗戦の記念日だ。マスコミでは、市民や、元兵士の証言特集を組んでいる。その幾つかを観た。あの戦争で苦労され、命を失った方々のお陰で、現在の日本、そして私自身があることを痛感する。

沖縄戦で集団自決を迫られた渡嘉敷島の方々の話を伺うと、戦後の歴史が彼等にとっていかに重苦しいものだったろうと思う。ニューギニア戦線等、いかに軍部が無責任であったか、改めて教えられる。

ただ、証言特集は、兵士として、市民として、いかに悲惨な経験をしたか、という被害者の視点での内容が主体だ。この被害者の視点だけで、戦争を本当に反省し、戦争に訴えぬ国際関係を築く力になるだろうか。証言のなかには、まるで昔話・・・それも、凄惨な昔話を聞かされるように感じたものもあった。

日本の戦後史のなかで必要なことは、戦争責任の総括だと思う。安易に国外の出来事に戦争の理由を求めるのではなく、内なる戦争責任の追及だ。それを怠ってきたために、ただ被害者としての戦争の証言になるのではないだろうか。

被害者は、状況次第で、容易に加害者にもなりうる。

東条英機が何故日本の指導者になったのか? 

ブログ「噛みつき評論」の主宰者okadaさんが、東条英機がどうして指導者となったのかという疑問を呈している。8月21日のエントリー。東京裁判で、東条英機は、戦争遂行したことの責任は自分にあるが、それは、やる気のない国民と為政者を信じて行なったことだと責任転嫁をしている、ということだ。こうした無責任な人物が、国の指導者になることになった過程・理由を調べるべきだという提言を、okadaさんはなさっている。

この問題と密接に関わる事実が、NHKスペシャルで放映されていた。満州国の実質的な経営に深く関わった、東条英機等は、アヘン・ヘロインを中国で作り、それを同地で売ることによって、戦争遂行の金を獲得していた、その金を基に、日本の軍部の統御から離れ、満州事変を始めとする軍事的な独走を行なったということらしい。社会福祉事業を行なうという建前の公的な組織を立ち上げ、その組織が、麻薬売買を行い、膨大な利益を得ていたらしい。麻薬売買によって、植民地を支配し拡大しようとする政治手法は、アヘン戦争を始め欧米列強が、それまで取ってきた手法だったが、東条英機等が満州でその手法を用いた時には、麻薬による支配に対する国際社会の批判が強く、国際連盟を脱退せざるを得なくなったということのようだ。

こうした人物が、日本を誤った方向に進ませた。彼が日本の指導者になった経緯を知ることが、同じことを繰り返さぬために必要なことだろう。