6年前の今日 

全国1300か所にある電子基準点のGNSS(※衛星測位)データを解析して、地震の予測を行っている研究者の警告。こちら。

確かに、阪神・東日本大震災を境にして、地殻活動が活発化している。環太平洋地震帯(火山帯)も、明らかに活動期に入っている。

上記の記事で、南関東、即ち首都圏のリスクが高いことが述べられている。上京するたびに、あの人口密集地帯が、大地震に襲われることを考えてしまう。実際、保険のための保険では、東京はリスクが世界最大の都市と認定されている。「木走り日記」から、こちら。大都市は刺激があり、便利だ。その生活上の利便性に酔いしれていると、とんでもないしっぺ返しを食う。政治は、この一極集中を改め、さらに防災への大胆な対策を打つべきだ。それが一番の国の防衛になる。

原発再稼働に向かう現政権の方針は誤っている。さらなる原発事故は、国民と国土を危険にさらし、場合によっては、国が立ち行かなくなる。原発事故は必発であることを、6年前の経験から我々は骨身にしみて学んだはずだ。今後、電力需要は減少し続け、原発は現実問題として必要がない。

今も、福島では故郷から離れて生活せざるを得ない8万人以上の人々がおり、また放射能汚染地域に帰還し公的な援助を受けられなくなろうとしている人々がいる。精神科的疾患で、故郷の医療機関から離れた施設に収容された人々もいる。彼らを故郷に帰すための仕事をしている福島県の看護師達の処遇が今春から落とされる、すなわち、そうした病気の方々が行政から見捨てられる事態も進行している。

6年前の今日、暗闇の中で不安に打ち震えたことを、そして今も故郷から離れて生活せざるを得ない方々、震災で家族を失った方々のことを忘れまい。

自民党が大震災初動対応を検証するというならば 

自民党が、大震災の初動対応を検証するという。良いことだろう。ぜひ客観的な視点で検証してもらいたい。(引用その2)

福島第一原発については、あの事故の前の大災害への準備対応についても、同時に検証してもらいたい。原発利権組織の言うがままに、政府は深刻事故への対応を怠ってきたのではないか。原発利権組織は、自らの原発安全神話に呪縛されて、原発の深刻事故への対応を蔑にしてきた歴史的な事実がある。それに沿って、過去の政権が動いていたのではないか、と強く疑わせる。

既出だが、下記のようなことも是非客観的な視点から検証すべきだ。(引用その1)


以下、引用その1~~~

2006年12月13日 衆議院議員 吉井英勝
巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a165256.htm

2006年12月22日 内閣総理大臣 安倍晋三

巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問に対する答弁書
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b165256.htm

Q(吉井英勝):海外では二重のバックアップ電源を喪失した事故もあるが日本は大丈夫なのか
A(安倍晋三):海外とは原発の構造が違う。日本の原発で同様の事態が発生するとは考えられない

Q(吉井英勝):冷却系が完全に沈黙した場合の復旧シナリオは考えてあるのか
A(安倍晋三):そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない

Q(吉井英勝):冷却に失敗し各燃料棒が焼損した場合の復旧シナリオは考えてあるのか
A(安倍晋三):そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない

Q(吉井英勝):原子炉が破壊し放射性物質が拡散した場合の被害予測や復旧シナリオは考えてあるのか
A(安倍晋三):そうならないよう万全の態勢を整えているので復旧シナリオは考えていない

★自民政権 電源の長期喪失は「考慮不要」と国が太鼓判(1990年)→事故拡大の原因
安全委、「電源喪失は考慮不要」 原発対策遅れの原因か
http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011040601000162.html

★自民政権、原子力安全委員会、全電源喪失の「対策不要」電力業界に作文指示(1992年)
http://megalodon.jp/2012-0606-0103-35/sankei.jp.msn.com/affairs/news/120604/dst12060411340002-n2.htm

★自民政権、原発を規制する立場の保安院を推進する資源エネルギー庁がある経産省内に設置(2001年)

★自民政権、損傷隠し「安全」とIAEAで報告、福島第一原発1、2号機、
福島第二原発1号機など十機の定期安全レビュー、安全確保技術基準を満たさず(2002/10/13)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-10-13/15_1501.html

★自民政権、原発の炉心隔壁や配管などがヒビ割れた状態での運転許可を閣議決定(2003年)
http://www.47news.jp/CN/200301/CN2003012801000340.html

★自民政権、老朽原発の安全運用に不可欠な耐震実証試験を廃止し実験施設を叩き売り
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/164/0037/16403010037002a.html

★自民政権、保安院と東電、福島第一の電源喪失リスクを共有するも対策とらず(2006年)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20120515-OYT1T00457.htm

★自民政権、東電が地震専門家から大津波の警告を受けるも退けるのを是認(2009年)
http://yamagata-np.jp/news_core/index_pr.php?kate=Main&no=2011032601000722
http://photo.sankei.jp.msn.com/essay/data/2011/03/0327earth_quake_chiso/



以下、引用その2~~~

自民・谷垣氏、東日本大震災の初動対応検証組織を立ち上げへ
2016年3月12日(土)7時35分配信 TBS

 自民党の谷垣幹事長は、東日本大震災の当時の初動対応を検証する組織を党内に立ち上げる考えを明らかにしました。
 「5年たちますと、やはり少しみんな冷静になってきて、いろいろな行政関係者等のご発言も出てきているように思います。しっかり検証していくことが、やはり経験を蓄積しておくということが必要じゃないかということですね」(自民党 谷垣禎一幹事長)

 自民党の谷垣幹事長はこのように述べ、震災当時の初動対応などを検証する組織を党内に新たに設置する考えを明らかにしました。

 検証する内容として、谷垣氏は「原発事故だけでなく津波の対応なども含めて、整理をしたいと思っている」と述べ、当時の民主党政権の対応や東京電力の対応などについて検証するものとみられます。(11日14:16)

3・11を迎えて 

東日本大震災から4年。

当時、拙ブログに記した記事を読み返しつつ、その日々のことを思い出していた。

当地でrは、震度は5か6程度だったろうか。立っていられぬほどではなかったが、丁度かかっていた眼科の受付の事務員たちは、悲鳴を上げて、しゃがみ込んでいた。外に出てみると、コンクリート電柱がまるで柳のように揺れていた。それまでの地震に比べると、持続時間が長かった。仕事場に戻ると、出入口のガラス製のドアは破損。自分の部屋は、本やテレビが落下、中に入ることができなかった。

自宅も大同小異。電気のないなかで、一晩を過ごした。寒く、暗い夜だった。だが、翌日には電気が復旧。ほかのライフラインもほどなく回復した。テレビで繰り返される、津波と原発事故の様子の映像を、ぼーっと見ながら、何もする気力がおきず、一週間ほどを過ごしたような気がする。

多くの友人たち、知り合いから、状況の問い合わせや、励ましのメール、電話を頂いた。米国から電話をくれた、Jim N3JT、それに元軍医で日本に滞在したことのあるDavid W0FBIが、奥様ともども日本に援助に駆け付けたいと言ってくださったことが記憶に残っている。

福島原発の状況がいつも気になっていたが、数日で日常生活に徐々に元に戻って行った。母親の入っていた施設では、2,3日インフラが途絶えていたようだった。寒い中、どれほど心細い思いを母がしたことだったか。翌月下旬に、母はろうそくの火が消えるようにして、この世を去った。

だが、同じような状況の、または生活インフラは回復しても、コミュニティや家族と離ればなれになった方が数多くいらっしゃる。ご家族、友人を、地震、津波またはその後の震災関連の問題で亡くされた方も数知れない。そうした方々に思いを巡らし、できることをし続けなければならない、と改めて感じる。

東電福島第一原発事故の教訓が生かされようとしていないことが特に気になる。同事故で環境に放出された放射性物質は、原子炉に存在した放射性物質全体の数%に過ぎない。この事故が、この規模で「済んでいる」のは僥倖に過ぎない。また、メルトダウンをした核燃料は、まだ状況が分からず、周囲の環境を汚染し続けている。その一方で、経済界の要求を容れ、他の原発を政府は再稼働しようとしている。深刻事故時の周辺の住民の避難計画もきちんと立てられぬまま、である。他の原発に深刻事故が起きたら、その時は日本という国家が存在しえなくなる。この事実を忘れずに、自分の意志表示を続けなければならない、と思う。

東北地方の医学部新設は愚策 

、文科省「東北地方における医学部設置に係る構想審査会」で、議論が、さらに進んでいる。財団法人脳神経疾患研究所、東北薬科大学、宮城県が、新設母体として名乗りを挙げている。二回目の会合で、この三者から絞り込むらしい。

新設医大の条件は

(1)震災後の東北地方の地域医療ニーズに対応した教育等を行う、
(2)教員や医師等の確保に際し、引き抜き等で地域医療に支障を来さないような方策を講じる、
(3)大学と地方公共団体が連携し、卒業生が東北地方に残り、地域の医師不足の解消に寄与する方策を講じる、
(4)将来の医師需給等に対応して定員を調整する仕組みを講じる

というらしい。要は、医師を養成し、その医師を東北地方に強制的に縛る方策を講じること、ということだ。奨学金による縛り等よりも、もっと強力な強制力を学生に課すということだ。

問題は、
1)医学部・医大を新設して、東北地方の医師不足を解消できるのか?
2)強制力を持つ医師養成は、可能なのか?
である。

第一点については、医師団体、医学部団体等から、否定的な意見が出ている。一回目の上記会議でも、患者代表から疑問が呈されたらしい。そもそも養成医師数は、極めて大きく増加してきた。こちら。これでも、「僻地、過疎地の医師不足」は解消されていない。医師養成数の増員は、本質的な解決にならないことが明確に示されている。新しい医学部で養成される医師が一人前になる20年後には、東北地方の人口減少はさらに大きく進む。そこでは医師不足はさらに悪化するはずだ。

僻地・過疎地での医師不足は、なぜ起きるのか?それは、医師として仕事をする環境が劣悪だ、ということに尽きるのではないだろうか。それを改善しないでおいて、ただ医師数を増やすことで、僻地・過疎地の医師不足を解消することはできない。これほど明白なことがなぜ文科省は理解できないのだろうか。

第二点については、強制力を伴う医師養成は明らかに職業選択の自由、隷属的な就業を禁じる憲法に違反する。医局制度が機能していた頃、隷属的とも思える医師派遣が可能であったのは、それによる医局からの見返りが期待できたこと、徒弟制度的な医師の関係によるのではないか。それを文科省の意向で取り払ったのだから、医局制度に変わる制度が必要になる。ただ強制力で医師を縛ることはできないし、やってはいけない。

これほど明確な誤った施策がなぜ強行されようとしているのか。やはり医大・医学部新設に伴う利権が蠢いているのではないだろうか。

東北地方の復興など殆ど考慮されていない。東北地方の復興策は、津波地震で被災した方々への直接的な支援、福島第一原発事故で避難している方々への支援、そして福島第一原発事故からの復旧以外にない。

広野町を訪ねて 

以前記したかもしれないが、我が家が栃木から、東京都下清瀬町(現在の清瀬市)に移り住んですぐに、母は清瀬の救世軍の病院に看護婦(当時)の職を得た。1950年代末のことだ。そこで30年近く勤め上げ、その後こちらに戻ってくることになる。救世軍は、キリスト教による慈善事業を行う団体だが、その名からわかる通り、スタッフは軍隊組織に倣う階名を与えられていた。そこで、下士官・・・伍長だったか・・・をなさっていた方が、母が引退するのと前後して、退職し、福島県の浜通り、いわき市の北のご実家に落ち着かれた。確か、広野町だったと思うのだが、記憶が定かではない。その方と親しくしていた、私の両親が、彼女に会いに行くことになり、私が運転手役を買って出た。もう25年程前になるだろうか。

私のおぼろげな記憶では、常磐高速道が、いわきまでしか伸びておらず、いわきで同道をおりてから、ひなびた田舎道を大分走った記憶が残っている。訪れたお宅は、水田に隣接したそれほど大きくない農家だった。近くに常磐線の線路があった。1,2時間お邪魔して、また引き返してきたのだった。両親を連れて、ドライブしたことはそう多くはなかったので、行ったこと自体ははっきりと覚えていた。私の両親よりも年配であったその方は、すでに亡くなられていることだろうと思ったが、彼女が住んでおられた実家が、あの震災と原発事故に襲われたであろうといつも気になっていた。ただ、名前も住所も記録にない。訪れた辺りを見てみるだけでもと思って、今日、出かけてみた。

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常磐高速道。福島県に入ったところ。一車線になる。

常磐高速道は最近終点まで開通したと聞いていたが、広野町に近いインターで降りた。いわきより先は、一車線になることが多い。結構、車両が走っている。インターを降りると、放射線量の実測値が表示されており、3マイクロシーベルト毎時程度の値を示していた。関東平野での値の数倍だ。すこし緊張が走る。広野町は、避難区域からは外れているはずだったと思うが、道を歩く人の姿がない。また、家は、殆どがカーテンや雨戸が閉じられて、人が生活している気配が感じられない。恐らく、除染作業を担当する方相手の宿屋やレストランと思われる建物には、人気があり生活臭が感じられた。

その方が住んでおられたと思われる場所をおおよそ推定できたが、以前訪ねたときの面影はない。新しい家が建っていたが、やはり人気が感じられなかった。海岸の方に出てみた。広野火力発電所の少し北側。そこに出るまでの田畑のあとと思われる場所で、恐らく除染作業が行われていた。または、除染で生じた汚染土を充填された合成樹脂製の容器(大きく分厚い黒いゴミ袋のようなもの)が、数え切れぬほどに並べられていた。除染作業自体、他の田畑あとや人家周囲では行われている様子がなかったので、すでに済んでおり、汚染土の一時的な貯蔵場所になっているのかもしれない。

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広野町、海岸近くの人家。恐らく津波で破壊されたのだろう。

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並べられた除染土。この地域一帯に多数ある。

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やはり津波で破壊されたと思われる海岸の構造物。先に見えるのは、広野火力発電所。

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この海岸線の10数キロ先に破壊された福島第一原発がある。

福島第二原発まで数キロ、第一原発まで十数キロの地点まで行った。結構車の往来はあるが、半分は土木作業に関わるトラックのようだった。第二原発までは、行けたのかもしれないが、途中で検問があると表示されていたので、そこまで行かず、途中で引き返した。第一原発のある富岡町には入ることはできないようだ。


3・11に記したことと重複するが、原発事故の起きた周囲の町はすでに死んでいる。人が生き、仕事をし、子供を育て、年老いたものを介護する姿がない。20数年前に訪れた、あの鄙びた、しかし確かに人々の生きる息吹の感じられた町はない。13万人以上の方が、いまだ避難を余儀なくされ、その中のかなりの方々は、故郷を失う。こんなことが起きてよいのだろうか、と改めて思った。原発を安全に再稼働する、という為政者は、彼らが推進してきた原発の一つが、人々が生活していた町と、そこに住む人々を抹殺した現実に真摯に向き合うべきだろう。

私の両親が訪ねた方も、私の両親もすでにいない。あの方のご家族も、どこかに去って行かれたのかもしれない。人生は、あっという間に過ぎてゆく。そうであっても、いやだからこそか、あの現実と我々は向き合うべきなのだろう。このようなことを絶対に繰り返さぬために。

原発事故関連死 

東電福島第一原発事故で亡くなった方はいない、という声が、原発再稼働を目指そうとする人々から聞こえてくる。

だが、この事故に関連して亡くなった方は1月19日現在、1656人となった。まだ故郷を離れて避難生活する方々は15万人を超える。住む家と、仕事と、近くの知り合いと、そして故郷を失うことは、社会的に生命を奪われることだ。

福島県の人々は、原発立地で補助金をたくさんもらっていたのではないかという主張もある。そうした補助金の多くは、箱ものを作るためのひも付きの金でしかなかった。さらに、補助金を受けたのは一部の市町村でしかない。多くの人々は、ただ原発の立地のリスクだけを負わされてきた。

何度か通った浜通りの平和な田舎町の様子を思い起こすにつけ、そこを追われた人々の痛みを、どれだけ理解しているのか、理解しようとしているのか、と問いかけられるような気がする。



日本経済新聞より引用~~~

福島の震災関連死、直接死超す 避難長期化で1656人
2014/2/20 1:43

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故による住民避難が続く福島県で、体調悪化などが原因で亡くなる「震災関連死」の死者が19日現在で1656人となったことが県などのまとめで分かった。津波など震災を直接の原因とする死者1607人(10日の警察庁集計)を上回った。

 福島県は現在も約13万6千人が県内外に避難しており、県の担当者は「それまでの生活が一変した上、帰還など将来の見通しが立たずにストレスが増していることが要因」とみている。岩手県の関連死は434人、宮城県は879人で、福島県の多さが目立つ。

 復興庁によると、昨年9月現在で震災関連死とされた人の約9割が66歳以上。県は市町村と連携しながら、仮設住宅やアパートなどの「みなし仮設」を保健師らが巡回し、避難者を見守る活動を強化する。

 19日現在で関連死と認定された人を福島県の市町村別で見ると、南相馬市が最多の447人。次いで浪江町が317人、富岡町が225人と続く。南相馬市は一部が、浪江、富岡町は全域が原発事故の避難区域に指定されている。

 震災関連死に該当するかどうかは、遺族の申請を受けて市町村の審査会などが災害と死亡の因果関係を判断する。

 東日本大震災を受け、厚生労働省は認定する際の参考として、2004年の新潟県中越地震で長岡市が作成した基準を例に「震災から1カ月以上たつと関連死の可能性が低い」などを目安として示した。しかし、原発事故から3年近く経過した今も関連死は増え続けている。関係者からは「原発事故に合わせた新たな基準づくりが必要」との声も出ている。

 浪江町仮設診療所の関根俊二医師は「自力で歩けなくなるなど、長引く避難生活で高齢者は急激に弱っている。農作業など生きがいを持って生活できる環境を早く整備することが必要」と指摘している。〔共同〕

東電福島第一原発事故を忘れまい 

昨日、たまたま国会での討論を車の運転をしながら聴いていた。某野党の議員が質問に立っていた。彼の発言は、原発再稼働を促すものだった。曰く、この夏の発電余力が足りなくなる、電力料金はうなぎのぼりになる、だから原発再稼働は必須だ、ということだ。

帰宅後、たまたまグーグルマップで東電福島第一原発の場所を探した。第二はしっかり地図にその名称が記載されていたが、第一の名は、その場所にない。ただ、爆発した無残な姿が太平洋岸に並ぶ画像だけ。双葉町、大熊町等々、帰宅のできぬゴーストタウンになったであろう地域が並ぶ。その範囲が広大であることに驚く。以前にも記したように、4年程前だったか、白石の施設にいた母を見舞っての帰路、あの地域を車で走ったときのことが思い出される。

「除染」についても議論されていた。森林は後回し、というか、恐らく除染など森林は無理なのだろう。居住区域だけで、10トンダンプ200万台分の汚染物質(大部分は土壌なのだろう)が出る由。最後まで議論を追えなかったが、どうも最終処分場をあの居住できぬ地域に作る、という方向になっているようだ。

この事故を繰り返さない、教訓として生かすといった台詞が、政治家から聞かされる。が、2011年暮れだったか、野田首相が事故終息宣言を早々と出した時と同じくらい違和感を覚える。原発を語る際の、単なる枕詞になっている。

地震活動が世界的に活発な時期に入っていると言われている。日本は、地震が元来多い地域だ。そこに、東響、東南海、さらに九州等、日本の東側に沿って、次の巨大地震が起きることが、かなりの確率で予測されている。その際には、東日本大震災と同じような巨大な津波に襲われる。さらに、巨大地震の起きる時期には、大きな火山噴火が起きること繰り返されてきた。その溶岩流・火山灰による我々への影響は甚大なものになる。原発がコントロール不可能な状況になる可能性が、現実問題として存在する。

そうした自然災害に備えるためにも、原発事故を忘れてはいけないのではないだろうか。それが被災された方々への我々の責務だ。

志村建世氏の、このブログ記事の内容は重要なことだ。

双葉病院事件は終わっていない 

この震災・原発事故の際に、医療従事者が患者を医療施設に置き去りにしたと誤まった報道をされた「双葉病院事件」を、忘れるわけにはいかない。高齢の院長始め、スタッフがぎりぎりまで頑張り、最後に自衛隊の救助が向かうと知らされて、警察に促され、救出当日の未明にパトカーで病院を後にした、救出時に患者だけが取り残されたかのように見えた、という事件だ。

同病院の医師の方が、ブログで、この事件の経緯を明らかにしている。「博文会ブログ」こちら。淡々と経緯を記しているだけだが、読むと、当事者の方の無念さが伝わってくる。様々な報道番組・記事の引用があり、是非ご一読をお勧めしたい。

疑問と解決すべき問題は以下のようなことだろうか。

○他の医療機関は、早々に患者の避難が済んだのに、この双葉病院の患者とスタッフの救出が最後まで残されたのはなぜなのか。県・国それに自衛隊に、検証する責任がある。

○県は、自衛隊からの断片的な情報だけをプレスリリースしたが、それが適切であったか。県の救出対応の責任と併せて、明らかにすべきだろう。

○マスコミは、県からの情報で、「病院・医療従事者が悪い」というシナリオを作り、それに沿って報道し続けた。そうした世論誘導的な報道の在り方に対する反省が不十分だ。「患者の置き去り」ではなかったということが判明した時点で、報道の誤りを反省し、繰り返さぬための検証をすべきである。それがまだなされていない。

国策関連死 

南相馬市大町病院からの報告。

看護師等スタッフが足りない病院で、震災前と同じ行政基準を適応され、さらに入院制限までかけられて、診療を続けておられるようだ。経営的にきわめて厳しい状況にあるのだろう。浜通りでは、医療が成立しがたくなっているように思える。

最後の方に記された四つのifは、重たい。


MRICより引用~~~

福島県南相馬市・大町病院から(2)

南相馬市大町病院
佐藤 敏光

2011年12月23日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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入院患者数は59名(満床は57名)となりました。満床以上の人数が入れられるのは、同じ階にある開かれていない病棟の2人部屋のナースコールを繋ぎ直して使えるようにしたからです。しかし、1単位の病床を増やすのは限界があるようで、ナースコールが鳴りっぱなしというような事態も生じています。

12月から2名の看護師が復職し、看護師数も震災前の約半数の46名となりました。ただ、増えつつある看護師数も1病棟を開くにはまだまだ足らず(急性期病棟を開くには10名以上必要)、外来(の夜勤)に入ってもらうしかありませんでした。看護師の帰還もすぐには望めず、急性期病床を諦め、看護基準が緩い療養型(本院には60床と24床の療養型病床があります)を開くか選択に迫られています。

確かに急性期に入院した患者さんの中には病状が安定しなかったり、家族の受け入れができないため入院が長期化する患者さんが出てきています。そのような患者さんを療養型に移すことにより、急性期病床の余裕も生まれるかも知れません。

一方では、急性期と慢性期とでは入院基本料が大きく異なる上、急性期以上に手のかかる慢性期の患者の場合、看護師にかかる負担は今以上に大きくなる可能性があります。急性期や看護基準の高い病院に厚くする一方で、長期入院患者を社会的入院と決めつけ、早く退院させるために、慢性期病院の入院基本料を減らし続けてきた日本の医療制度にも原因はあるように思います。

また厚生労働省は9月6日に医師や看護師数が少なくなった被災地の病院に対し、震災前の看護基準(本院は10:1)で請求して良い(9月6日措置)と言っておきながら、入院患者の増加分は2割までと事実上の入院制限を行っています

3月19日と21日に計124名の入院患者を受け入れてくれた群馬県は県内の病院にオーバーベッドを認める超法規的処置をとってくれましたが、福島県にはその動きはありませんでした。3月20日午後に13名の患者がヘリコプターで県立医大に運ばれましたが、入院することなく、外来ホールで1夜を明かした後、群馬県にヘリ搬送されました。(相馬市に住所があった1患者には県立医大から1日分の入院料の請求がきたそうです

大町病院は急性期104床と療養型84床を持つケアミックス型の病院で、それなりにバランスを保っていましたが、今回の福島第一原発事故では、福島県内に受け入れ先が見つからずに大勢の入院患者が残る結果になってしまいました。早期から重症患者を中通りの病院に搬送させたり、内閣府の役人が病院を訪れて避難指示を出した南相馬市立病院(太田圭祐書;南相馬10日間の救命医療)とは異なり、警戒区域で避難が後回しとなった双葉病院と似た運命を辿るところでした。

最近大阪にあるテレビ局が災害関連死について番組を作りたいと訪れました。地震や津波のため間もなく亡くなられた方は認定には苦労しないと思います。しかし、搬送された後に肺炎や元々あった疾病のために亡くなった方については、認定が難しくなっています。

仮定の話として、もし原発が爆発しなければ、南相馬市が物流が途絶えなかったら、Speediのデータをきちんと発表し、3日間位の屋内退避で大丈夫だと保証してくれ、48時間以内のDMATではなく長期滞在してくれる医療スタッフが来てくれていれば、30km圏内の病院の患者は搬送されずに済んだし、現在のような南相馬市の医療事情(MRIC Vol.341地域医療なくなる不安~南相馬市の現状)にはならなかったように思います。

その意味では搬送後に亡くなった方は災害関連死ではなく、国策関連死とも言え、国策のために尊い命を落とした戦死者と同じだと思うのです。
広島の原爆記念公園にある碑文、”安らかにおやすみ下さい、過ちは繰り返しませんから”は原発事故には当てはまらないのでしょうか。

最後に病魔と闘い、南相馬に残った妊婦のために、国策に抗して自分の財産を除染費用に充てた高橋亨平先生の文章を載せます。You'll be back!
(こちらからダウンロードしてご覧ください→ 
http://expres.umin.jp//fukushima/iwillbeback.pdf)

福島県では、原発関連の個別研究が許されない 

ネットで得られる情報は、信頼性の高いものとそうでないものがある。ここで引用したものは、福島県立医大で原発事故についての個別研究が行えない状況になっているという情報と一致し、信頼性の高い情報と思われる・・・。

震災が起きた当初、様々な組織が被災地に入り、調査研究活動を行い、それが被災者にとって負担になったということは報じられていた。被災者救援を第一に考えない研究活動に対して、配慮を要請した厚労省の通達が、上段に掲げたもの。この内容は、支持できるものだ。

それを受けての、福島県立医大の学長通達が下段。上記を受けて、福島県の意向として、長期的かつ統一的な対応が必要であり、個別の調査研究は控えるように、というように厚労省の通達をパラフレーズしている。要するに、福島県が調査研究を掌握し、実行するから、個別の研究は行ってはならない(少なくとも、発表してはならない)という内容だ。

被災者の方々に負担になるような調査研究は避けなければならないのは当然のことだが、県が主体となって調査研究を進める、個別の調査研究は行ってはならないという発想には大いに違和感を感じる。医学的な調査研究を、地方自治体が推し進めるということの不自然さは、誰でも感じるはずだ。そこで行われるのは、行政的な「判断」から調査研究を選択することで、行政の「意向」をそこに反映させることなのではないだろうか。調査研究は、科学的な真実を追究するために行われるべきで、いかなる勢力の意向であれ、真実以外の要素が結果に反映されるべきではない。

福島県立医大も、福島県には逆らいがたいのかもしれないが、学問の自立・自由を守る気概を少しは示してほしいものだ。


以下、ネット情報の引用~~~

【厚労省から研究機関への通達】

事務連絡
平成23年5月16日

関係試験研究機関
大学等 御中
関係学協会

文部科学省研究振興局ライフサイエンス課
厚生労働省大臣官房厚生科学課

被災地で実施される調査・研究について

今般の東日本大震災による被災地域において、被災者に対する様々な健康調査・研究が実施されているが、これらの健康調査・研究の中には、倫理的配慮を欠き、被災者にとって 大きな負担となっているもの自治体との調整が十分図られていないもの等が見受けられ、関係学会等からも問題提起がなされているところである。
ついては、被災地における被災者を対象とした健康調査・研究を実施する場合には、下記について遵守されるよう留意されたい。



1「疫学研究に関する倫理指針(以下、疫学指針)」が適用される疫学研究を実施する場合等においては、疫学指針等にのっとり、当該研究計画について、倫理審査委員会の審査 を受け、研究機関の長による許可を得るなど、適切な対応を行うこと。
2 被災者を対象とする調査・研究は、当該被災地の自治体と十分調整した上で実施すること。また、調査・研究の結果、必要と考えられる被災者には、適切な保健医療福祉サービス が提供される体制を整備する等配慮すること。
3 対象となる被災者に過度な負担とならないよう、対象地域において行われる調査・研究の状況を十分把握した上で、重複を避け、必要以上に詳細な調査・研究が行われることのな いように配慮すること。

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【福島県立医大学長から、学内所属長への通達】


平成23年5月26日

各所属長様

学長

東日本大震災による被災者を対象とする調査・研究について

今般の東日本大震災による被災者を対象とする健康調査・研究の実施に関し、別添のとおり、文部科学省及び厚生労働省より、被災者に対する倫理的配慮や自治体との調整、対象 となる被災者に対し過度な負担とならないよう他の調査・研究との重複を避け、必要以上に詳細な調査・研究を行わないこと等を求める通知が出されております。
なお、福島県より、被災者を対象とする調査・研究については、長期的・統一的な対応が必要であることから、個別の調査・研究は出来る限り控えてほしい旨の意向が示されてお ります。
つきましては、国からの通知並びに県の意向を踏まえ、 被災者を対象とする個別の調査・研究については差し控えられるよう、貴所属職員に対して周知徹底をお願いします。