医療を利権の巣窟にするべきではない 

医療事故の原因の究明は、純粋に医学的な見地で行われ、その結果は医療事故の再発防止に向けてのみ用いられるべきである。それに、官僚や法曹、医療外の利権がからむべきでない。もしそうした利権が絡むと、医療を荒廃させる。リスクのある医療からは医療人は撤退するか、さもなければ、専門家としての倫理を見えぬところで蹂躙するような医療が行われる倫理的な荒廃が起きる。

特に、最近痛感するのは、行政が医療を支配下に置く、ないし医療を権益確保の場にしようとしているように思えることだ。前回の診療報酬改定の前後で、診療所スタッフも、年二回以上医療安全等の講習を受けることが義務付けられた。この講習で学ぶことは、知識としては意味があるかもしれないが、実際の診療には殆ど意味のないことばかりだ。この講習の講師は今のところ大学のスタッフ等が行っているが、この制度が順調に動き出したら、行政が絡んでくる可能性があるように思える。

医療事故調査委員会のプランにしても、また実際に動き出し巨額の内部留保を毎年生み出している産科医療補償制度を担当する、日本医療機能評価機構の事業も、同じ行政による医療支配の一環のように思える。医療事故調査については、弁護士達の狩場にされようとしている。医療裁判の米国化である。医療が、医療外の勢力が利権を渉猟する場にされ、荒廃させられようとしている。

この被害を受けるのは、今、医療界で中堅を担う若い医師たち、さらには医療を受けることになる国民である。


以下、MRICより引用~~~


「医療事故調査に関する検討委員会」答申に関するアンケート調査への回答私案

亀田総合病院 
小松秀樹

2011年10月12日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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私は、2006年に出版した『医療崩壊 立ち去り型サボタージュとは何か』(朝日新聞社)で、医療事故調査機構を提案した。その後、考え方を大きく変えた。最大のきっかけは、日本弁護士連合会が2007年3月16日に発表した「『無過失補償制度』の創設と基本的な枠組みに関する意見書」である。
この意見書は以下のような前提に基づいていると思われた。

1)大半の医療事故は適切な対策をとれば防止可能である。
2)したがって、医療事故は起きてはならないことであり、医療事故に際して医療提供者が最初にとるべき行動は自らの非を認めることである。
3)保険診療が、公共財として国民に広く医療を提供するためにいかに低廉な費用で運用されていようと、サービス料金を提供者が決められる業種と同様の制度と基準で賠償金を請求できる。
4)危機的状況にある医療制度の保全は、弁護士の活動とは無関係である。

これでは医療はやっていけない。その後の医療事故調をめぐる議論、新型インフルエンザ騒動などを経て、厚労省を含めて、人間の集団が、利害で動くことが良く分かった。
平成23年9月14日付で、日本医師会から、各都道府県医師会、各郡市医師会に、「『医療事故調査に関する検討委員会』答申に関するアンケート調査のお願い」が送られている。回答の私案を作成した。締め切りは10月15日である。日本の医療を左右しかねない大きな問題である。各郡市医師会会員の先生方には、本私案を熟読、ご批判いただき、同様の回答を日本医師会に送っていただければ幸いである。

◆設問1 「すべての医療機関に院内医療事故調査委員会を設置する」
 回答番号3.このしくみを進めるべきではない
【理由・コメント】
●院内医療事故調査委員会は診療所にとって危険
大病院が自身の医療水準を高めるために、院内医療事故調査委員会(以下、院内調査委員会)を設置するのは望ましいことである。
しかし、院内調査委員会は、これまでさまざまな二次紛争を引き起こしてきた(文献1)。院内調査委員会を運営するには、過去の紛争についての該博な知識と注意深さが必要である。小規模病院や診療所が、自力で院内調査委員会を設置するのは危険である。実際に診療所で院内調査委員会が必要になることはめったにない。院内調査委員会を設置するとすれば、常におっかなびっくりで運営されることになる。危ないからといって、自力でできないことを、外部の権威に委ねてしまうと破壊的なことが生じかねない。破壊的にならないまでも、診療所の立場は悪くならざるをえない。
医師会役員でも院内調査委員会の経験があるのは、先進的な大病院の関係者に限定される。多くの大学教授にとって、小規模病院や診療所は視野にない。要求水準を、診療所の実情に合わせる大人の能力が、大学教授にあるとは思えない。大学や大病院が診療所の行動の正しさを決めることになれば、診療所はやっていけないのではないか。

●院内医療事故調査委員会の二つの位置づけ
日本では、院内調査委員会の位置づけについて、大きく意見が分かれている。自律的で内向きのものとする意見と、対外対応のためのものとする意見である。自律的な委員会の理念は、「当該医療機関及びその医療従事者の医療事故や有害事象についての科学的認識をめぐる自律性の確立と機能の向上」(文献1)と表現される。医療問題で政府や日本医師会の委員を歴任している児玉安司弁護士は外部からの視点や社会への対応を重視する(文献2)。事実そのものを科学的に正確に記載することより、患者・家族への対応、民事の損害賠償への対応など、報告書のもたらす二次的意義が強調されている。

●東京女子医大事件
東京女子医大事件では、対外対応のために作成された院内調査委員会の報告書が刑事事件のきっかけになった(文献3,4,5)。このため、佐藤一樹医師が逮捕・起訴され、無罪が確定するまでに7年間刑事被告人の立場に置かれた。東京女子医大調査委員長は、法廷で調査は科学的ではなかったと認めた。調査は、科学的でなかったことに加えて、当事者の権利の侵害があった。当事者の意見を十分に聴取してその意見を反映させることなく、誤った認識に基づいて当事者の行為を過失と決め付けた。
児玉弁護士は、当時の東京女子医大の顧問弁護士として、この事件の処理に関わっていた

●「医療のプロセス」論
井上清成弁護士は、事前の説明、医療行為、事後の説明を全体として医療のプロセスに含めている(文献6)。患者・家族と医療提供者という私人間のプロセスである。院内調査委員会の認識は、事後の説明の補助として使うことができる。外部委員会の議論は、私人間の説明と納得に関しては、補助的意味しか持ちようがない。強制力を持てば私人間の問題ではなくなる。病院の説明に家族が納得しなくても、説明が継続される限り医療のプロセスである。仲介人が関わる場合は医療メディエーションとなる。私人間の納得のプロセスは多様である。権威を有する第三者が裁定し、判断が判例のように蓄積される構図は、納得のプロセスを狭める。医療の多様性を奪い、医学の進歩を阻害する
「説明することが信用できないと公然と意思表示する相手に対しては、納得の得られないことが客観的に明らかなのだから、もうこれ以上の説明は不能であろう。そこで、そのような確定的な不信の表明がなされた時点をもって、説明は終了せざるをえず、医療のプロセスも終了する。もちろん、説明の支援(手助け)である院内事故調査委員会も要らない。(文献6)」医療のプロセスが終了した後の対立の処理は、裁判所に持ち込まれる。民事裁判では二当事者対立構造がとられ、公平性を担保した徹底した争いが繰り広げられる。

文献
1 小松秀樹, 井上清成:?院内事故調査委員会?についての論点と考え方. 医学のあゆみ, 230,313-320, 2009.
2 児玉安司:医療事故の院内調査をめぐって. 胸部外科, 62, 145-148, 2009.
3 小松秀樹:東京女子医大院内事故調査委員会 医師と弁護士の責任を考える.  Vol.1 2010年4月26日, http://www.m3.com/iryoIshin/article/119297/
4 小松秀樹:東京女子医大院内事故調査委員会 医師と弁護士の責任を考える.  Vol.2, 2010年4月28日http://www.m3.com/iryoIshin/article/119298/
5 小松秀樹:東京女子医大院内事故調査委員会 医師と弁護士の責任を考える.  Vol.3, 2010年4月30日http://www.m3.com/iryoIshin/article/119299/
6 井上清成:日本医師会「医療事故調査制度の創設に向けた基本的提言」の改善点. 医療ガバナンス学会メールマガジン, Vol. 245, 2011年8月21日.
http://medg.jp/mt/2011/08/vol245-2.html#more

◆設問2「医療界、医学会が一体的に組織・運営する第三者機関による医療事故調査を行う」
回答番号3.この仕組みを進めるべきではない
【理由・コメント】
●医療行政
日本の医療行政は、遵守不可能な規則を設ける傾向が強い。通常は規則が破られても、多くは放置している。医療機関は常に何らかの違反をせざるをえない。行政は恣意的に医療機関を罰することができる。第三者機関による医療事故調査が行われると、予算と運営を行政が握る。結果として行政の権力が大きくなる
第三者機関の判断が判例のように蓄積されると、医療における正しさを固定して、医療の多様性と進歩を奪うことになる。国家が医療における正しさを決める状況で、国家に対するチェック・アンド・バランスが弱ければ、医療の進歩を阻害するだけではすまない。ナチ政権下でのドイツでは、国による大量殺戮が起きた。

●「公平性の担保された信頼関係の構造化」あるいは「対立関係の構造化」
「医療事故調査に関する検討委員会」答申の3ページに、「公平性の担保された形」で調査分析することや、「医療者・受療者間に信頼関係が構造化されていることが不可欠」であることが記載されている。たぶん、医療者ではなく、法律家が起草したものであろう。公平性が、医療者と受療者の利害の代弁者を等しく議論に参加させることを意味するとすれば、逆に対立が高まる。産科事故補償制度の原因分析委員会は対立関係が構造化されている。医療側弁護士、患者側弁護士が参加している。弁護士の任務は、依頼人のために戦うことである。議事録が日本医療機能評価機構のホームページに掲載されている。権限を持った議論の整理役がいない中で、殴り合いのような激しいやり取りがなされている。対立構造になるとすれば、裁判所以外では扱えない
患者側弁護士は、医療事故調査報告書にこだわる。作成過程に関与して、有利な内容にできるかもしれない。別の弁護士が、それを使って、民事訴訟を起こすことができる。紛争があれば、弁護士の仕事が増え、収入が増える。あらゆるところで、公平という文言のもとに、対立構造を作ろうとしているように見える。しかも、対立構造から生まれた文書に権威を持たせようとする。科学的真理は、対立構造となじまない。対立の中で生まれた文書は、科学とはかけ離れたものにならざるをえない
第三者機関は、権威のあるものではなく、相談程度の補助的役割に留めるべきである。様々な団体が、さまざまな機関を作ればよい。私人間の納得のプロセスの手助けである。納得は多様である。統一的な正しい方法を作ろうとすると、対立が持ち込まれ、害が大きくなる。

●モデル事業の評価
答申は「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」を有意義だったと評価し、モデル事業を引き継いだ一般社団法人日本医療安全調査機構を調査の担い手としてとりあげている。しかし、この検討委員会にモデル事業の関係者が複数参加している。手前みその評価ではないか。
以下、埼玉医科大学総合医療センター高度救命救急センター長である堤晴彦教授のモデル事業に対する評価を紹介する。

モデル事業はうまくいったと自己評価をしているが、我々、第三者はそう思っていない。モデル事業に関しては、患者側の満足度は、極めて低い。また、扱っている件数も、当初年間200件程度を予定していたが、年間20~30件がやっとという状況である。ちなみに、このモデル事業には、毎年1億7千万円ほど補助金を使っている。1件あたり、数百万かかっていることになる。そもそも、大々的な事故調査委員会などできる訳がない。それにもかかわらず、できるような幻想を与えている。あまりにも甘い自己評価に、唖然とする。その中の一部の医師は、事故調査委員会が出来た時には、自らそのポストに座ろうと意図しているように見える。5年間のモデル事業が終了し、延長となった。その補助金の受け皿として、内科学会や外科学会が中心となって、昨年4月に社団法人日本医療安全調査機構を設立した。ところが、その後、補助金が減額され資金がなくなったために、日本救急医学会にも社員として入れと言ってきている。呆れて物が言えない。モデル事業を推進してきた人達は、その発展型が、国が目指す医療事故調査委員会だと考えている。それは、幻想にすぎない。誰が調査をするのか? それだけの人数を確保できるのか?

◆設問3「医師法21条の改正を行う」
回答番号1.この改正を進めるべきである
【理由・コメント】
●医師法21条の廃止
医師法21条は「医師は、死体又は妊娠四月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、二十四時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」と規定している。1949年、厚生省医務局長通知で「死亡診断書は診療中の患者が死亡した場合に交付されるもの」であり、「死体検案書は、診療中の患者以外のものが死亡した場合にその死体を検案して交付されるもの」として、診療関連死は医師法21条の届出対象ではないと判断していた。
しかし、1999年の都立広尾病院事件とその報道を受けて、2000年、厚生省は、国立病院部政策医療課が作成したリスクマネージメントマニュアル作成指針に?医療過誤によって死亡又は傷害が発生した場合又はその疑いがある場合には、施設長は、速やかに所轄警察署に届出を行う」と記載し、医師法21条の解釈を変更した。
官僚によって、法律改正に等しい解釈変更が、通知やマニュアルで恣意的になされた。医師法21条については、文言の変更ではなく、廃止すべきだと考える。その上で、故意犯罪についての届出を罰則なしの義務とすべきである

◆設問4.「ADRの活用を推進する」
回答番号4.いずれでもない
【理由・コメント】
●ADRの限界
ADR(裁判外紛争解決)は、裁判の重い手続きに伴う過大なコストを下げることを目的とする。三つの類型がある。あっせんは、あっせん人が仲介者として当事者同士の話し合いを進めて解決を図る。調停は、調停人が提示した解決案を両者が受け入れることで、紛争を解決する。仲裁は、仲裁合意の上で仲裁案が提示される。仲裁合意があるので仲裁案を拒否できない。
債権をめぐる会社同士の争いでは、紛争が拡大すると双方の損失が大きくなる。解決は互いの利益になる。立場が入れ替わる可能性もあり、相手の立場が良く分かる。裁判に伴う各種コストを低減することが、双方のメリットになる。一方、医事紛争は感情的なもつれが大きく、泥沼の紛争になりやすい。この意味で、医事紛争でADRが果たす役割には限界がある
あっせんは有用かもしれない。医療のプロセスの延長とみなすことができるかもしれない。あっせんの中身は多様であってよい。権威が細部まで方法を規定するようなことになれば、害が大きくなる。
裁判に近い仲裁による解決は、医事紛争には向かない。

◆設問5.「患者救済制度を創設する」
回答番号4.患者救済制度を創設すべきではない
【理由・コメント】
無過失補償制度は、本来、過失の有無について議論することなく、一定の有害事象を迅速に救済するものである。
目的は、医療提供者と患者側の軋轢を軽減して、医療を保全することであろう。ちなみに、合衆国では医事紛争処理のためにかかる費用の軽減策として議論されてきた。

●産科医療補償制度の実像
日本の産科医療補償制度は、無過失補償制度ではない過失の有無についての議論を同時に行うことになっているからである。各種委員会が対立構造になっている。患者側弁護士は過失判定をさせようと努力し、医師や病院側弁護士はこれに抵抗する。第1回産科医療補償制度原因分析委員会http://www.sanka-hp.jcqhc.or.jp/pdf/bunseki_giji_01.pdf で報告書に記載すべき内容が議論された。内容の概要を示すが、実際には詳細を極める。

報告内容
1.報告書の位置づけ・目的
2.事例の概要
(分娩機関から提出されたすべての記録をもとに、以下の項目に関して整理する。)
1)妊産婦に関する基本情報
2)今回の妊娠経過
3)分娩のための入院時の状況
4)分娩経過
5)産じょく期の経過
6)新生児期の経過
7)診療体制に関する情報
(分娩機関から提出された、診療体制等に関する情報をもとに要点をまとめ記載する)
8)分娩機関から児・家族への説明
9)児・家族からの情報
3.脳性麻痺発症の原因
1)発症原因の考察
2)結論
4.診療経過に関する医学的評価
5.今後の産科医療向上のために検討すべき事項
1)診療行為について検討すべき事項
2)設備や診療体制について検討すべき事項

委員の一人は、以下のような懸念を表明した。
「こういう文言をずっと見ていると、助産所というのは実際に厳しくやっていくと、お産は非常に難しくなる」
私は、助産所のみならず、診療所でのお産も難しくなると危惧している。

●利権の可能性
別の問題もある。産科医療補償制度は毎年3百億円ほどの保険料を集めている。数十億円に上る事務費が計上されている。保険料の使途の詳細は報告されていない。利権の温床になっていることを想像させる
前述の堤晴彦教授も同様の危惧を伝えてきた。

------------直感として危ないと感じている。
「お金の集まるところには、利権が生じる」世界である。日本社会のこれまでの有り様から類推して、この制度を作ると、利潤を得る人達が出て来る。厚生労働省のねらいも、そのあたりではないか、と疑わざるをえない。

本来の無過失補償制度が本来の目的に沿って設計され、利権を排除した形で運営されるとすれば望ましいことである。しかし、現状はその環境が整っていない。補償と医療事故調査が一つの制度に組み込まれた産科医療補償制度について、行政の影響を排除した場で、詳細な検証がなされ、抜本的な改革がなされない限り、無過失補償制度についての議論は開始すべきではない。

産科医が自分で自分の首を絞めているような・・・ 

産科医療補償制度を担当する日本医療機能評価機構は、同制度により莫大な内部留保を貯めつつある。

一方、同機構が行っていることと言えば、対象となる脳性まひの範囲を狭めた上、書類審査だけで脳性まひの成因を公表すること。脳性まひの多くは、胎内で生じるというのが新生児病学の最新の知見だが、同機構は、脳性まひの成因を分娩時の問題に帰着させているようだ。

原因が複数あり、まだよくわからぬ側面のある疾患の個々の成因を議論するならば、多角的に、かつ医療資源等も考慮して行うべきだろう。それなしに、成因を一面的かつ一方的に決めつけられたら、医療現場としては困惑するのみなのではないだうか。特に、この脳性まひの成因のように医療訴訟に直接結びつく情報を、一面的で表面的な分析から公表されるのは、産科医を追いやることになる。

官僚や学会・医師会の幹部が天下っている、このような組織に、善意からせっせと上納金を納めている構図は、自分で自分の首を絞めていることに等しいのではないだろうか・・・。


以下、MRICより引用~~~

産科事故の一般公開は継続すべきなのか

この原稿は月刊『集中』2011年10月号「経営に活かす法律の知恵袋」連載第26回に掲載されたもので
す。

井上弁護士事務所 弁護士
井上 清成

2011年10月7日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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1.壮大な実験―産科事故の一般公開
現在、日本産婦人科医会が主導して、壮大な実験とも表すべき試みが開始されている。もし、この実験が成功したと評価されるならば、産科事故に限らず他の診療科にも同様の制度が導入されるであろう。しかし、もしこの実験が失敗だと評価されるならば、産科医療の萎縮もしくは崩壊がさらに進みかねない。大きなリスクを抱えた賭けとも言えよう。筆者が「壮大な実験」と表現するゆえんである。
その壮大な実験とは、一口に言えば、「産科事故の一般公開」とでも評し得る試みにほかならない。
目に付いただけでも3つはあった。
妊産婦死亡事例の厚労省研究班の調査発表、産科医療補償制度での原因分析報告書の公表、同じく産科医療補償制度での再発防止報告書の公表の3 つである。

2.妊産婦死亡事例の厚労省研究班の調査発表
「妊産婦10人救命可能性/昨年出産時出血死16人分析/厚労省研究班」という大見出しの記事が、8月221日付読売新聞に載った。「昨年1 年間に全国で出産時の大量出血で死亡した妊産婦は16人おり、うち10人は、輸血などの処置が適切だったならば救命できた可能性が高いことが、厚生労働省研究班の調査でわかった」そうである。結論として、「研究班は、体内での出血の進行の見落としや、輸血製剤の不備などで、治療が手遅れになったと分析している」らしく、新聞記事ではさらにそれらの詳細が述べられていた。どうしてこのような研究成果を挙げられたのかというと、「研究班は、日本産婦人科医会の協力で、全国約1万5000人の産婦人科医からカルテなどの提供を受け、死因や診療内容の妥当性を分析」できたからであるらしい。

3.原因分析報告書の公表
産科医療補償制度とは、重度脳性まひ児・家族への3000万円の無過失補償と、補償事例の原因分析委員会による原因分析報告、再発防止委員会による再発防止策提言、調整委員会による重過失事案の損害賠償調整とを一体として組み合わせた制度である。分娩機関である病院・診療所・助産所の合計3336機関のうち、99.8%にあたる3328機関が加入しているという。日本医療機能評価機構とリンクし、日本産婦人科医会が主導して創設した制度である。制度がスタートして約2年半がたつ。

この制度の最も先進的なところは、原因分析委員会による原因分析の試みである。批判も多いところではあるが、先駆的な試みとして高い評価に値すると思う。しかし、透明性が高過ぎる点は、懸念材料としか評しようがない。

つまり、原因分析委員会の調査・分析・作成した原因分析報告書は、その症例の児・家族にダイレクトに渡されて、家族からの疑義・質問にも答える。もちろん当該分娩機関にも送付されるが、報告書の要約版はホームページで公表されてしまう。さらには、要約版ならぬ全文版は、学術的研究、公共的利用、医療安全の資料のため請求者に開示される。医療事故を事件として取り扱っている弁護士らも、開示請求するであろう。原因分析報告書は、児・家族はもちろんのこと、一般国民にもオープンにされているのである。

なお、原因分析報告書では、「当該分娩機関における診療行為について検討すべき事項」が厳しく指摘されてしまう。たとえば、「子宮収縮剤の投与量については、日本産科婦人科学会および日本産婦人科医会によって取りまとめられた『子宮収縮薬による陣痛誘発・陣痛促進に際しての留意点』の基準に準拠して行われるべきである」とか、「本事例は出生後に臍帯動脈血の血液ガス分析がなされていない」などと断定される。弁護士も含む一般国民としては、それが直ちに「過誤」「過失」を意味するものと捉えてしまう向きもあろう。

4.再発防止報告書の公表
原因分析委員会に引き続き、次は再発防止委員会が「再発防止に関する報告書」を作成し公表する。
再発防止策等の提言を、国民・分娩機関・関係学会・行政機関などに提供するというコンセプトらしい。ホームページで公表し、報告書を配布する。

日本医療機能評価機構は、8月22日に初めて、第1回目の再発防止報告書を公表した。8月23日付共同通信によれば、「学会の指針を逸脱した陣痛促進剤の過剰投与や心肺蘇生処置が不十分だった例が相次いでいたとして、関係学会や医療機関に注意喚起した」らしい。「陣痛促進剤を使用したのは15件中6件で、投与の量が日本産科婦人科学会が定めた指針より多かったり、投与の間隔が短かったりした」とか、「新生児の蘇生では『蘇生方法が不十分』『必要な器具や酸素が常備されていない』『蘇生できる医療関係者が不在』など7件で問題があった」とか、「胎児の異変を察知する心拍数モニタリングが十分でなかった例も8件あった」などと公表した模様である。

5.一般公開の位置付け
これらの調査発表や報告書公表は、産科医療の信頼を回復することを目指し、透明性を確保しようとの目標を設定したために、実施されたものであろう。そして、その位置付けは、たとえば再発防止報告書の末尾に注書きしてあるとおり、「本報告書は、利用される方々が、個々の責任に基づき、自由な意思・判断・選択により利用されるべきものであります。そのため、当機構(筆者注・日本医療機能評価機構のこと)は利用者が本報告の内容を用いて行う一切の行為について何ら責任を負うものではないと同時に、医療従事者の裁量を制限したり、医療従事者に義務や責任を課したりするものでもありません。」と考えているらしい。

しかし、弁護士を含む一般国民は、必ずしも日本産婦人科医会や日本医療機能評価機構の意図したとおりに受け取るとは限らないであろう。これらの一般公開が、直ちに公的な権威を伴った過失の認定と捉えてしまうかも知れない。訴訟や紛争を誘発する恐れが拭い去れないと思う。さらに、これらの一般公開には、医師のための法的安全弁は何ら備えられていない。そう考えるならば、産科事故のこれほどまでの一般公開については、現時点で改めて、加入しているすべての産科医が再認識すべきであろう。そして、このまま継続すべきなのかどうかを再検討することが望まれる。