日本専門医機構のための新専門医制度 

やはり、日本専門医機構のための新専門医制度だったわけだ。この記事の上氏は、一部の教授たちの利権と記されているが、こうした組織は間違いなく天下り組織になっている。官僚が、医療に天下り先を作るというところから出発した組織なので、たとえ現在天下りが目立たなくても、稼働するようになれば、退職官僚がこの組織に居座ることになる。

ただし、この新専門医制度への医師・中小医療機関からの風当りが強く、日本専門医機構があまりに右往左往ししているので、厚労省(の諮問会議)は、専門医取得は義務ではない等と当然のことを言いだした。もし義務にするとすると、医師資格の上に屋上屋を架すようなものだから、それは問題なのは当然のことだ。だが、専門医資格がないと投与できぬ薬剤を厚労省が指定する等といった手法で、専門医取得を必須のことにしてきた経緯があるので、義務ではないというアナウンスは、そのまま受け入れるわけにはいかない。新専門医制度が稼働し始めたら、官僚・一部の民間人への利権組織として医師をしばり始めることになる。

専門医資格の有無が、医師としての実力、さらに患者さんとの意思疎通能力を決めるわけではない。若い医師諸君が、よくよく考えて、この新専門医資格を取るかどうか考えてもらいたいものだ。少なくとも、現状では、専門医が医療を行う上で必須ではない。むしろ、この記事にあるように、利権の温床として、日本専門医機構を捉えて判断すべきだ。

日本の社会、あちこちでこれと同じ構図の利権組織がある、または作られようとしている。

以下、引用~~~

認定料目当てに早くも贅沢三昧、日本専門医機構
JBpress 4/26(水) 6:10配信

 新専門医制度をめぐる議論が迷走している。この議論をリードしている日本専門医機構が、一部の大学教授たちの利権と化し、地域医療を崩壊させる可能性が高いことを、私は繰り返し主張してきた(参照1、2)。

 最近になって、医療界以外にも、この問題の深刻さを認識する人が増えてきた。

 例えば、4月14日、松浦正人・全国市長会会長代理(山口県防府市長)は「国民不在の新専門医制度を危惧し、拙速に進めることに反対する緊急要望」を塩崎恭久厚労大臣に提出している。

 朝日新聞は4月13日の「私の視点」で、南相馬市立総合病院の後期研修医である山本佳奈医師の「専門医の育て方 地域医療に研修の場を」という文章を掲載した。

■ 不足している産科医の育成を医局が妨害

 山本医師は関西出身。大学卒業後、南相馬市立総合病院で初期研修を行い、今春からは同院で産科を研修することを希望した。しかしながら、福島医大の産科医局出身の男性医師やその仲間が、新専門医制度などを理由に拒み続けた。

 南相馬市長も「福島医大と対立したくない」と言って、彼女を雇用しようとしなかった。最終的に、彼女は産科医を諦め、神経内科医として南相馬市に残った。

 南相馬の産科医不足は深刻だ。ところが、新専門医制度は、医局が部外者を排除する参入障壁として機能した。医局に任せると、こういう結果になる。これでは、何のための専門医制度か分からない。

 日本専門医機構(以下、機構)は、いったん白紙に戻し、ゼロから議論すべきだ。ところが、そう簡単にことは動きそうにない。

 最近、知人から、気になるコメントを聞いた。高久史麿・日本医学会会長が、2016年6月18日に公開されたエムスリーのインタビューで「立ち止まっていたら、きりがなく、財政的にももたなくなる」と語っていたというのだ。

 私は機構の財務資料を探し、友人の税理士である上田和朗氏に分析してもらった。その結果は衝撃的だった。

 平成28年3月末日現在、機構の総資産は3722万円で、総負債は1億498万円。つまり、6776万円の債務超過だ。

 機構は運転資金を得るため、日本政策金融公庫から短期で5000万円、長期で3000万円を借り入れていた。

 なぜ、こんなことになるのだろう。まだ事業が始まる前だ。機構の事業は、そんなに初期投資を要するものではない。

■ オフィス賃料が大手町の6倍! 

 支出を見て驚いた。交通費3699万円。賃料1555万円、会議費463万円もかかっていたのだ。

 ホームページに掲載された機構の理事会の議事録を見ると、参加者の多くは東京在住だ。普通にやっていれば、こんなに交通費がかかるはずがない。

 交通費については、事業開始初年度の平成26年度にも1829万円を使っている。この年度の交通費の当初予算は1万円だった。いったい機構のガバナンスはどうなっているのだろうか。

 賃料も桁違いだ。毎月120万円も支払っている。

 私は事務所の場所を調べた。なんと有楽町駅前の東京フォーラムにあった。超一等地で、ホームページで調べると、賃料は1坪あたり12万6421円となっていた。

 オフィスビルの平均賃料は、1坪あたり丸の内・大手町で2万1500円、浜松町・高輪で1万2864円だ。機構が東京フォーラムではなく、浜松町にオフィスを借りていたら、毎月100万円程度節約できたはずだ。

 一方で、収入に関しては、当初1億2500万円の認定料を受け取る予定だったが、実際に受け取ったのは1688万円だった。入会金も70万円の予定が5万円だった。最大の収入は4600万円の補助金だ。

 収入がないのに、贅沢三昧をやっていれば、お金がいくららあっても足りない。機構は、どう考えていたのだろう。

 平成27年の臨時理事会議事録によれば、「施設認定料10万円(一施設)、専門医認定更新料(従来の学会専門医にさらに上乗せ徴収)、1人1万円で、5年後に黒字化する」と書かれている。

 つまり、新専門医制度を始めれば、認定料で安定した収入が見込め、その収入をあてにして、最初から浪費していたようだ。

■ 専門医研修義務化なければ破綻へ

 彼らが、専門医研修の義務化にこだわったのも、高久先生が「財政的にもたない」と発言したのも宜なるかなだ。このまま新専門医制度が始まらなければ、機構は破綻するしかない。背に腹は代えられない状況に陥っているようだ。

 高久先生は、昨年6月の段階で問題を認識していたのだろう。だから、前出の発言に繋がった。税理士の上田氏は「(2009年に事件化した)漢字能力検定協会の事件を思い出しました」と言う。

 私は高久先生の意見と反対だ。機構の幹部の尻ぬぐいをするため、その乱脈経営をうやむやにして、若手医師や地方の医療機関にツケを回すべきではない。将来の我が国の医療が犠牲になる。

 専門医制度が予定通り進んでいないのは、機構が準備している制度が悪いからだ。「とにかく新専門制度をやることに決めたのだから、やるしかない」という理屈は通じない。

 まずやるべきは、機構の責任者が、これまでの経緯を説明して、責任をとるべきだ。その過程で機構が破綻しても仕方ない。自己責任である。

 それとは別に、専門医育成はいかにあるべきか、広くオープンに議論すべきだ。

上 昌広

新専門医制度は誰のため? 

全国医学部長病院長会の記者会見で、同会の副会長かつ日本専門医機構理事の稲垣氏は、新専門医制度の開始時期について、「基本的には来年4月に開始する方向で準備を進めている」と述べた。さらに、当初は2017年度制度の開始が1年遅れたために、「日本専門医機構は、資金的にも大変苦しくなっていることも念頭に置く必要がある。さらに1年延期すると、機構そのものが財政的に成り立たなくなってしまう」と懸念を示し、「これ以上、遅らせることは専攻医にも大変迷惑をかけることにもなる」とし、速やかな開始が必要だ、とした。

日本専門医機構は、専門医認証を行わないと、財政的に厳しいから、来年にはぜひとも新専門医認証制度を開始したい、ということだ。

いや、待てよ・・・専門医は、専門科各々の質の平準化を行うことを目的にしたのではなかったか。それが、いつの間にか、プログラム制という5年間の専門医研修を採用することにより、医師の偏在を改める、という名目上の目的にすり替えられ、医師の人事権を同機構が握るための制度になってしまった。

その上、専門医取得、資格維持のために、かなりの費用負担を医師に強制することになった。同機構の側からすると、医師が専門医取得、資格維持のためにそのコストを払ってもらうことを見越して、制度設計したわけだ。以前のブログで、新専門医取得、資格維持にかかるコストを推定した。こちら。2014年時点で、総医師数は30万人弱。少なく見積もって、その1/2が新専門医を取る(実際は、若い医師の9割が、新専門医取得希望らしい)として、日本専門医機構には毎年数億円の収入が転がり込むことになる。今後、医師は右肩上がりに増え続けるし、専門医認定の実務は各学会に丸投げなので、日本専門医機構は左うちわになる・・・という読みなのだろう。

そのために、上記の全国医学部長病院長会副会長兼日本専門医機構理事の方の本末転倒な発言が出てくることになる。専門医は、若手医師のためにあるのではなく、日本専門医機構のために存在するかのような発言だ。

新専門医制度には、医療現場から批判の声が多く寄せられている。日本専門医機構の財政のために、新制度を早期に実現する、といった発言が、同機構の幹部から出る時点で、この制度の問題は全く解決していないことが分かる。同機構が潰れようがどうしようが関係ない。若い医師が自らの専門性を適切に獲得するための制度設計を行うべきだ。若い医師のための制度にすべきである。拙速の専門医制度開始は大きな問題を残すことになる。

下記の記事は、地方病院の都合だけを考えている面が否めないが、この新専門医制度が地域医療に壊滅的な影響を及ぼしうることを指摘している。

以下、MRICより引用~~~

地方の自治を根底からむしばむ新専門医制度 
~地方自治体首長と地方中小病院の管理者を騙す日本専門医機構~

仙台厚生病院 遠藤希之

2017年4月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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「新」専門医制度には様々な問題がある。それらが全く改善されていないにも関わらず、日本専門医機構は未だに今年度施行開始を強行しようとしている。

今年二月、医系市長会が「地域医療への悪影響が懸念される」との声明を出した。それに対する機構側の回答が聞こえてきた。

「地域の病院での後期研修では(中略)大学病院などに頼むことが多いのではないか。各施設が専攻医を取り合っていたら、医師の偏在は続くのではないか。むしろ、大学などの大病院と、地域の病院が連携をして、専攻医を循環させる仕組みを作った方が良い。」とのことである。

全くの欺瞞である。なぜか。

基幹病院>連携施設群の「循環型研修」システムでは、後期研修医の絶対数が全く足りず、一旦基幹施設に所属させられた研修医を、大部分の連携施設に「循環」させることが不可能になるためである。

実は、「新」制度に移行する前の代表的な臨床領域の教育病院数はこの通りだ。内科1,163, 外科2,072, 整形外科2,033, 産婦人科630、小児科520施設(日経メディカル2016年9月号、特集「始まらない専門医制度」)。

もちろんこの全てに3~5年目の後期研修医が必ずいるわけではない。しかし逆にいうと、これほどの数の「地方の施設」が「3~5年目の後期研修医」を欲している、と考えるべきなのである。たとえ一病院あたり2~3人しかいなくてもよい。そのような後期研修医は一つの病院に長く務めることで「地域医療の特徴」に適した「戦力」になってきていた。その地域にとっては非常に重要かつ「宝物」といえる人材なのだ。

ところが「新」制度では教育病院が激減し、加えて全ての後期専攻医が「基幹施設のプログラム」に所属しなければならなくなる。これはつまり、自前で後期研修医を雇ってきた多数の施設から「3~5年目の後期研修医」が、「循環型研修」のお題目のもとに全て引き剥がされる、ということに他ならない。

機構側のおためごかしが始まる。
「地域の施設が専攻医を取りあうといけない。大病院を中心とした「循環型研修」を行えば地域医療も保全される。」

しかし、これが地域医療と医師の需給バランスを無視した「欺瞞」なのである。

具体的にみてみる。
まず最大医師数を誇る内科ではどうか。新制度での基幹施設は532施設、そして連携施設と特別連携施設を合わせると2053、新制度では研修可能な施設が一見2600 に上る。そこで機構は「循環型研修なら全ての連携施設に後期研修医を一定の期間は送ることが可能だ。つまりこれは、地域医療に配慮した素晴らしい制度だ」と胸を張る。

ところが、内科系に進む後期研修医は(吉村機構理事長作成の平成29年3月17日記者会見時のスライドによると)直近三年間の平均が一年あたり3147人だ。

もし、新制度の基幹施設(大学病院も基幹施設だ)一か所あたりに平均6人後期専攻医が所属したら、残る2053施設は、自前で雇おうとも三年目の医師がほぼゼロになる勘定だ。その後の「循環研修」とやらによる「派遣」は、基幹施設の意向次第、大学病院であれば旧来の「医局人事」になる。しかも三か月程度の循環研修では地域のニーズを汲むこともできず、ただのお客さんで終わる


身近な外科や整形外科ではどうか。「新」制度になると、基幹施設は外科188,整形外科104にまで激減するのだ。一方一学年あたり外科に進む後期研修医は過去三年の平均で外科820人、整形外科は478人しかいない(上記、吉村氏の資料より)。この二つの科をみても、一旦基幹施設に吸い上げられた後期研修医を、本来二千以上もあった地方の教育施設に「循環」できるわけがない。

上記以外の科でも小児科、産婦人科を筆頭として状況は変わらない。過去三年の後期研修医数平均は、小児科458人、産婦人科411人、麻酔科が480人である。それ以外の12の基本領域科は四百人以下どころか、救急科以外は、三百人以下しかいない。地方の病院がこれらの科の後期研修医を、自前で連続複数年間雇用したくても不可能な「制度」になるのだ。

一方、現状では18の基本領域の各科いずれにも大(学)病院に行かず、地域で頑張ろうと決心している若手医師達も少なくないのである。地域特性にみあったそれぞれの科の研修を、あるいは、基本診療科を越えた研修や診療を、行いたい若手医師も多いということだ。そのような志を持つ若手の芽をも、この「制度」は潰してしまうことになる。

地方の自治体首長や地方病院の管理者の中には、どこかの「大病院、基幹施設」の「連携施設」になっているから、必ずや「研修医」をまわしてもらえるだろう、と考えている方もいるかもしれない。しかし、それは全くの間違いである。この「新」専門医制度が始まったとしたら、地域に根付きたい若手医師を雇うこともできなくなる。特に、長年の自助努力で後期研修医を雇い、育て、地域の拠り所を創り出してきた、いわば「地域イノベーションに成功した」地方自治体・病院ほど、地域の医療崩壊を覚悟しなければならない。皮肉、かつ極めて残念なことではあるが・・・。

吉村氏は言う。専門医制度には各基本領域に分け隔てない「統一基準」を設けるべきだ、と。
しかし過去に「中央権力」が地方の現場、状況を無視し、自分たちの都合で「統一基準」を設けたために、地方自治体が煮え湯を飲まされた例には事欠かないのだ。地方自治体の首長ならみな経験していることだろう。

この「新」専門医制度が開始され、地方がまた煮え湯を飲まされることにならないよう、切に願うものである。

行政による医療の計画経済化 

医療介護は、その対象が社会的弱者なので、根本的に社会主義的な発想・制度設計が必要になる。だが、それを統括する行政が、共産主義の計画経済のような手法を取り、さらに行政の利権をそこにもとめようとし始めると、そうでなくても脆弱な財政・制度基盤に立つ医療介護は極度に疲弊する。社会保障制度として医療介護は機能しなくなる。現在のわが国の医療介護が、そうした状況にあるのではないか、という小松秀樹氏の指摘だ。

地域医療構想は、医療機関が本来得るべき消費税相当分の診療報酬を行政が簒奪することで確保される地域医療介護総合確保基金、そして地域医療の計画を強制的に推進するための地域医療連携推進法人制度によって、医療の計画経済化を進めるものだ。法治ではなく、行政による恣意的な強制、人治が行われる。そこには、腐敗が必然的に生じると小松氏は指摘する。

医学教育、専門医制度、医療機関評価、産科医療補償制度、さらに医療事故調によって、医学教育・医師人事・医療機関評価・医療事故すべての面で、行政が主導権を握って計画統御し、その実施組織を官僚の天下り組織とする体制が構築されてきた。この地域医療構想が、この「行政主導の計画経済医療体制」の集大成となるはず、と行政は読んでいるのだろう。この計画経済体制は、医療を機能しなくさせるだけでなく、国家財政の破綻を早める可能性が高い。

右肩上がりの高度経済成長期が終わり、その最後の花火のようなバブル経済が破裂した時期から、この動きが明らかになってきた。何たる壮大な体系だろうか。医系技官には、これが機能しない、失敗に終わることが予測できないのだろうか。

以下、MRICより引用~~~

計画主義が医療を滅ぼす4 統制医療の矛盾

元亀田総合病院副院長
小松秀樹

2017年4月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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●原理的矛盾

本稿では、医療統制の経済的側面を議論するが、感染症政策の人権侵害と計画経済的統制医療は、いずれも計画主義に基づくものであり、医系技官によって立案・実行されている。

日本の医療統制には二つの原理的矛盾がある。

第一の矛盾は、私的所有をそのままにして、計画経済的手法で統制しようとしていることである。そもそも、統制で、日本のような人口の多い国のサービス提供を制御することは、人間の能力を超えている。旧共産圏の計画経済は、結果の平等を目ざしたが、非効率、専制、特権、腐敗しか生まなかった。ましてや、提供機関の私的所有をそのままにして、統制するなどできることではない。日本の医療機関の私的所有を、国がなし崩し的に奪いにかかっているとみた方が正確かもしれない。日本医師会には、会員のために、医系技官の意図を冷静に分析することを勧める。

日本では、歴史的に病院が私的所有の形で整備されてきた。2013年の社会保障制度改革国民会議報告書(1)は改革が困難であることの理由を強制力の不足に求めた。

公的セクターが相手であれば、政府が強制力をもって改革ができ、現に欧州のいくつかの国では医療ニーズの変化に伴う改革をそうして実現してきた。

日本の場合、国や自治体などの公立の医療施設は全体のわずか14%、病床で22%しかない。ゆえに他国のように病院などが公的所有であれば体系的にできることが、日本ではなかなかできなかったのである。

統制が政策立案者の期待通りの成果をもたらすことはめったにない。例えば、後期高齢者医療制度は天文学的な金を飲み尽くすモンスターになった。子どもの貧困が日本の将来を脅かす大問題になっているが、対策のための予算を確保するのを困難にした。高齢者の多くは何らかの体の不調を有している。医療はめったにその不調を解決できないにもかかわらず、患者はあらゆる不調の解決を医療に期待し、加療の継続を求める。医師は、効果の有無にかかわらず、ガイドラインに掲載された医療を提供し続けることが義務であると、自分自身のみならず、社会にも思いこませた。多剤投与で副作用を生じさせるリスクより、薬剤を投与しないことに伴う些細な軋轢を重視した。診療を厚くすることが、医師の収入を増やすからである。医療費を増やそうという圧力はあっても、医療費を抑制しようとする仕組みが医師、患者双方に組み込まれていなかった。

医系技官による個別指導は、医療費抑制策の一手段である。診療報酬の返還請求や保険医指定取消処分などの不利益処分などにつながる。これまで何人かの医師が、密室での強引で陰湿な攻撃に打ちのめされ、自殺に追い込まれた。強権による医療費抑制策は、恨みをかうだけで抑制効果があったとは思えない。

後期高齢者医療制度は、インセンティブを利用したネガティブ・フィードバックが欠如していたため暴走したのである。

日本の医療費には地域差(2)があり、西日本と北海道で高く、東日本で低い。病床規制制度は、基準病床数の計算方法が現状追認的だったため、本来の目的と逆に地域差を固定した(3)。1970年代に、1県1医大政策が導入された。

その後の高度成長期、地方から東京近郊に人口が移動したことによって、埼玉県、千葉県では人口が倍増し、1医学部当たりの人口が増え、極端な医師不足に陥った(4)。

埼玉県、千葉県の医師不足は統制の失敗による。四国と千葉、埼玉を比較すると、1970年、四国の人口391万に対し医学部数1、千葉は337万に対し1、埼玉は387万に対し0だった。1970年以後の1県1医大政策で、医学部数は四国4、千葉1、埼玉1になった。その後、人口が変化した。2015年、四国は人口387万に対し医学部数4、千葉は622万に対し1、埼玉は727万に対し1になった(防衛医大を除く)。

病床規制が失敗したのは、強制力が不足していたからではなく、実情を無視し、無理な規範を掲げて、強制力を行使し続けたからである。インセンティブによる自動調整メカニズムを、中央統制によって破壊したからである。今後、首都圏では高齢者が急増するので荒廃はさらに進む。

しかも、権力による統制は、権力を持つが故に慎重さを欠く。2014年4月に開院した東千葉メディカルセンターは、赤字が続き、東金市、九十九里町の財政破綻が心配される事態になった(4)。千葉県は、多額の補助金投入を正当化するために、二次医療圏を組み替えて、長径80キロにもなる不自然極まりない二次医療圏を作った。地域の需要を無視して、莫大な投資と多額の維持費を必要とする三次救急病院を設立した。医師一人当たりの収益が少なく、赤字が積み上がっている(5)。千葉県に出向した医系技官による乱暴な施策は、地域にとって有害でしかなかった。

第二の原理的問題は、費用である。医系技官たちは、国民が小さな負担しか容認していないにも関わらず、医療保険ですべての医療を提供しようとしている。被用者保険から、後期高齢者医療と国民健康保険に、強制的に多額の保険料が拠出されている。保険者自治の領域は限りなく小さくなり、保険としての体をなしていない。

日本は世界で最も高齢化が進行している。それにもかかわらず、日本政府の税収入は低い。2017年3月現在の財務省ホームページの記載によれば、2011年の日本政府の租税収入の対GDP比は、OECD34か国中、下から3番目だった。国民負担率は下から7番目だった。国民は消費税率引き上げを嫌い、与野党は2017年4月の消費税率引き上げを延期した。費用が足りないまま、医療のすべてを保険診療で提供しようとすることに無理がある。診療報酬を下げなければ医療保険が支払い不能になる。診療報酬を引き下げれば病院が破綻する。

●強制力の強化

地域医療構想、地域医療介護総合確保基金、地域医療連携推進法人制度により、社会保障制度改革国民会議報告書が述べた強制力強化が実行に移された。個別医療機関の自由な活動の領域が国家によって侵害され、現場の実情に応じた創意工夫が抑制されることになった。「強制力」による失敗を「強制力」を強めることで克服できるとは思えない。

地域医療構想では、構想区域の病床機能ごとの病床数を行政が推計する。西日本では大幅に病床が削減されるはずである。推計された病床が各病院に割り当てられる。割り当てを地域の関係者が一堂に会して決めるが、病院の存続にかかわることについて、当事者同士で合意を形成できるはずがない。実質的に事務局を担当する行政が決めることになる。実行に強制力が伴う。都道府県知事は、「勧告等にも従わない場合には」最終的に「管理者の変更命令等の措置を講ずることができる」(6)。民間病院でも県に逆らえば、院長が首になる。

都道府県に出向した医系技官が、病床配分を通じて、個別医療機関の生死を握ることになる。

レストランの個別料理ごとの1日当たり提供量、調理方法、価格、食材の配分を国が決めて強制すれば、創意工夫と努力が抑制され、レストランの質は低下するしかない。

さらに、消費税増収分を活用した地域医療介護総合確保基金が都道府県に設置された。補助金を都道府県の裁量、すなわち、都道府県に出向した医系技官の裁量で医療・介護施設に配分する。支配に協力的な施設に、地域医療介護総合確保基金が優先的に配分されるだろうことは想像に難くない。医療には消費税を課されていないが、医療機関の購入したものやサービスには消費税が上乗せされている。消費税率引き上げ分が診療報酬に十分に反映されていないことを考え合わせると、この基金は病院の収益の一部を取り上げ、それを、支配の道具に使う制度だと理解される。病院の投資を医系技官が握ることになる。病院独自の経営努力の余地を小さくして、不適切な投資を強いることになる。

現在、国の借金が膨大になり、今後、診療報酬の引き下げは避けられない。当然、病院の財務状況は悪化する。都道府県に出向した医系技官の裁量で多額の補助金を配分するとなれば、病院は、医技官に逆らえない。賄賂が横行しやすくなる。専制と腐敗は避けられない。

地域医療連携推進法人は、地域の医療法人その他の非営利法人を参加法人とし、許可病床のやり取り、医師・看護師等の共同研修、人事交流、患者情報の一元化、キャリアパスの構築、医療機器の共同利用、資金貸付等を業務とする。

これには三つの大きな問題がある。

第一の問題は、恣意的な特権の付与が可能なことである。「地域医療連携推進法人の地域医療連携推進評議会の意見を聴いて行われる場合には、基準病床数に、都道府県知事が地域医療構想の達成の推進に必要と認める数を加えて、当該申請」が許可される(7)。病床数が厳しく制限される中で、行政の恣意で、病床が与えられる可能性があるという。

第二の問題は、外部からの活動の制限範囲が法によって定められておらず、地域医療連携推進法人に対し、恣意的活動制限が可能なことである。重要事項の決定について、地域医療連携推進評議会の意見を聴かなければならないとされている。学識経験者の団体の代表、学識経験者、住民代表等をもって構成されると定められているが、地域の医師会などもこの中に含まれる。また都道府県の医療審議会の意見も聴かなければならない。意見を聴くことが義務付けられているが、意見対立があったときの規定がない。医療審議会は行政の言いなりになることが多い。地域医療連携推進法人に対し、行政の恣意による行動制限が可能になる。罪刑法定主義のない刑法のようなことになる。

第三の問題は、参加法人の自由が制限され、その内容が予見できないことである。参加法人が予算の決定、借入金、重要な資産の処分、事業計画の決定、定款変更、合併、分割、解散などの重要事項を決定するに当たって、あらかじめ、地域医療連携推進法人に意見を求めなければならない。行政が、地域医療連携推進法人の支配を通じて、参加法人を支配できることになる。

全体として、地域医療連携推進法人制度は、特権をあたえることによって参加を促し、かつ、行政が、都道府県や郡市医師会を介して、参加医療機関の活動を恣意的に制限できる制度である。行政と個別医療機関の間に、医療審議会、地域医療連携推進評議会などを介することで見えにくくしているが、実質的に「人の支配」であり、「法の支配」に反するものである。

裁量権

行政官個人の裁量が、個別医療機関の権益に直結する状況は何としても避けなければならない。人による強制より、数字による誘導が優先されるべきである。補助金は可能な限り小さくして、どうしても必要な場合は、数字によって予見できるものに限定すべきである。混合診療や公正なルールに基づく競争を、医療費の削減や医療の地域格差解消に利用することも本気で考えるべきであろう。安易な強制力より、インセンティブの組み合わせを工夫すべきである。計画主義は結果の平等を求める。そのために、強制力を極限まで強めるとどうなるか、中国の大躍進政策や現在の北朝鮮の悲惨な結果に示されている。

文献
1.厚生労働省:社会保障制度改革国民会議報告書. http://www.kantei.go.jp/
jp/singi/kokuminkaigi/pdf/houkokusyo.pdf
2.厚生労働省:医療費の地域差分析.
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryouhoke
n/database/iryomap/index.html
3.小松秀樹:医療格差. 厚生福祉, 6013号, 10-14, 2013年8月27日.
4.小松秀樹:東金市「東千葉メディカルセンターを心配する会」主催講演会」
:市民は市の財政破たんを心配している(1). MRIC by 医療ガバナンス学会.
メールマガジン; Vol.021, 2017年1月30日. http://medg.jp/mt/?p=7290
5.吉田実貴人:東金市「東千葉メディカルセンターを心配する会」主催講演会
」:市民は市の財政破たんを心配している(2). MRIC by 医療ガバナンス学
会. メールマガジン; Vol.022, 2017年1月30日. http://medg.jp/mt/?p=7293

6.厚生労働省:地域医療構想策定ガイドライン.
http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10800000-Iseikyoku/0000088
510.pdf
7.厚生労働省:地域医療連携推進法人制度について. 医政発0217第16号, 2017
年2月17日.

行政による『新専門医制度』の問題 

新専門医制度は、『専門医』を教育する制度ではない。

行政と一部の医療機関経営者が、新卒医師を5年間強制的に配置する人事権を握るための制度だ。

専門医制度を行政が統括すると決めた時の行政の表向きの言い分は、それまで学会主導で付与されてきた専門医資格の平準化を行う、ということだった。だが、この新しい制度では、専門医の質の担保は、学会に丸投げである。表向きの言い分が、あくまで建前であったことがすでに明らかになっている。

この制度が実施されると、まず問題になるのが、この論考の著者坂根医師の述べる通り、女医のキャリア形成だろう。現在、医学部学生の3割以上が女性である。彼女たちの一部、または多くが、ドロップアウトせざるを得なくなるのではないだろうか。

また、硬直化したプログラム制の研修制度では、若い医師各々が将来の専門性を持つ妨げになる可能性が大きい。専門医資格という餌で、医師の「偏在」を是正し、さらにそこで新たな天下り先を確保しようとする行政の意図は、破たんすることだろう。天下りによって硬直的に運営される制度は、ちょうど共産主義国家によって行われた計画経済と同類である。専門医に向けた研修制度は、本来医師の自主性を尊重すべきなのだ。

医療現場からこれだけ問題を指摘されているが、現政権の庇護のもとやりたい放題の官僚は、この制度を実施することだろう。

行政が、自らの利権のために医師の人事権を掌握する試みは、失敗に終わる。その過程で、被害をもっとも受けるのは患者たる国民だ。

以下、MRICより引用~~~

新専門医制度の何が問題なのか ~巧妙に仕込まれたプログラム制の罠~

専門医制度の「質」を守る会 共同代表
つくば市 坂根Mクリニック 坂根みち子

2017年4月13日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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1年延期された専門医制度が、最大の問題である「質」の担保をする事なく再び開始されようとしている。

私たちは、2018年からの専門医制度の開始に反対している。この制度に反対の声を上げた現場の医師たち数人とともに、ネット上でH30年開始反対の署名を集めており、4月1日現在1500人弱の署名が集まっている(1)。

一般国民にも、これから専門医取得を目指す若い医師や医学生にも極めてわかりにくいこの制度の何が問題なのだろうか。問題点は幾多もあるが、今回は日本専門医機構が導入しようとしている「プログラム制」に的をしぼってお伝えしたい。

結論から言うと、専門医機構は専門医を育てるための「プログラム制」を意図的に誤用しているのである。

今回の制度では、医学部を卒業した医師は、「原則として何らかの専門医になる事」になり、そのために「卒後5年プログラム制で研修する」とされている。これはアメリカの制度を参考にしていると思われる。アメリカの制度では、メディカルスクール卒業後、全員が何かしらの専門医のコースを取る事になっており、そこには、家庭医(family medicine)も専門医のコースの一つとして入っている。

機構のいうプログラム制とは何か、専門医制度新整備指針から引用する1)研修プログラム制 研修プログラムに定められた到達目標を、年次ごと(例えば 3~5 年間)に定められた研修プログラムに則って研修を行い、専門医を養成するもので、一つの基幹施設のみでの完結型の研修ではなく、一つ以上の連携施設と研修施設群を作り循環型の研修を行うものとする。すなわち、一つの病院だけの研修を行うと、その病院の性質(地域性、医師の専門等)の偏りにより研修に偏りがでる可能性があるので、他の連携病院を必ず作り循環型の研修を行うものである(2)。

専門医になるのに、プログラムに沿って一定の研修を受ける事に何の問題があろうかと思われるかもしれない。ここに巧妙に仕組まれた罠がある。

欧米の制度では、通常専門医を養成するのは単一の医療機関が提供するプログラムで研修している。今回、基幹施設?連携施設で研修施設群を作り、循環型の研修を行うというのは、他国にはない日本ならではの方法なのである。

「一つの病院だけの研修を行うと、その病院の性質(地域性、医師の専門等)の偏りにより研修に偏りがでる可能性がある」と機構はいうが、随分おかしなことを言うものである。短期でのローテートは「お客様状態」での研修となり、責任を持って医師を育てる事が出来ないために、むしろ専門医の「質」が担保されなくなる。例えば、アメリカでは、ほぼ単一の医療機関でプログラムを提供するが、その医療機関で研修出来ない部分だけ、他の病院に行って研修するという。またどの医療機関が研修指定病院になるのかは手挙げ方式で、その病院で経験出来る症例数、指導医数、そして予算によって研修医の数が決まる。地域によって人数をコントロールするような事は一切していない。

また、女医にとっては、この制度はさらに深刻な問題をはらむ。そもそも日本で医師になるという事は、女性にとっては、子供を持って働きつづけるという当たり前の事がすでに高いハードルとなっている。それが、結婚出産適齢期に、専門医制度により研修施設を転々としなければいけなくなる。現在でさえ、婚活、妊活、出産場所、保活、子育て等子供を産み育てる事が難しい社会である。女医のパートナーは7割が医師であるが、事実上、女医がキャリアをあきらめて家事育児を担う事が多い状況下で、女医のキャリア形成はさらに困難になるであろう。これでは専門医をあきらめるか、出産をあきらめるか、家庭が崩壊するかになってしまう。制度を決めた方々の中に、この事を想像出来る人がいたとは思えない。

何故、こんな事になってしまうのか。

一番の問題は、2013年の「専門医の在り方に関する検討会 報告書」にある(3)。これが専門医制度の「憲法」となってしまい、その後の議論は、なぜかすべてこの報告書の枠内で行われる前提になっている。今回の機構の新整備指針も、当然報告書の枠内で決められているのである。そして、この報告書が、専門医制度の問題に、医師の地域偏在、診療科偏在の問題を入れてしまっているのであるから、当然制度は歪む。

地域医療に配慮し、基幹病院?連携施設という循環型の研修を行うことになった。都市部に研修の医師が集中しないように、都市部の研修人数に制限を設けた。地域においても連携病院にも人が行くように、「原則として、基幹施設での研修は 6 カ月以上とし、連携施設での研修は 3ヵ月未満とならないように努める」と事細かに枠組みを定めた。

このようにして、新整備指針では一見、地域医療に配慮したように見えるため、このままでは地域医療が崩壊してしまうと危惧していた医師会等からの賛同を得たが、これは専門医制度と関係のない、プログラム制の名を借りた地域、診療科偏在対策の定員管理制度である。

結果、厚労省は医学部の卒業生を容易に計画配置出来る道筋を作ったのである。

そして、一番肝心の専門医の「質」については、各学会に丸投げで実は何も決まっていない参考にしたであろうアメリカの制度では、研修医療機関は、プログラムに沿って研修が行われているか、質が担保されているか、抜き打ちで評価される。また研修医は、専門医の試験を受ける前のトレーニング期間、指導医からも下の医師からも時に医学生からも360度評価を受けながら研鑽に励むのである。そこには、学会に何年所属していなければならない、と言うような条件はない。また、医師のシフト制勤務が確立されており、男性医師も育休、産休を取る社会的土壌があるために、女性医師のみに過度な負担がかからないようになっている。

専門医機構は任意団体で、専門医になるかどうかは手上げ式だといわれているが、オプジーボの例を挙げるまでもなく、特定の薬の処方に専門医の資格が必須化される事は目に見えており、好むと好まざるとに関わらず、機構の背後にいる厚労省の意向を「忖度して」、医師は必ず何らかの専門医を取得するようになるだろう。

現に、専門医制度の「憲法」となってしまった2013年の「専門医の在り方に関する検討会 報告書」内の資料によると、実に95%もの医師が、専門医や認定医の資格を取りたいと答えている。

この制度は、プログラム制一つとっても大きな問題を抱えている。制度の先を見届けられない世代だけでこの制度を決めてはいけない。

現場の医師を入れての再議論が必要である。

(1)「新専門医制度」H30年度からの開始に反対します。
https://www.change.org/p/stopsinsenmoni-excite-co-jp-%E6%96%B0%E5%B0%8
2%E9%96%80%E5%8C%BB%E5%88%B6%E5%BA%A6-%E5%B9%B3%E6%88%9030%E5%B9%B4%E5
%BA%A6%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E9%96%8B%E5%A7%8B%E3%81%AB%E5%8F%8D%
E5%AF%BE%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99
http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10800000-Iseikyoku/323.pdf

(2)専門医制度新整備指針
http://www.japan-senmon-i.jp/news/doc/sinseibisisin2016.12.16.pdf#sear
ch=%27%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B0%82%E9%96%80%E5%8C%BB%E6%A9%9F%E6%A7%8B%
E6%96%B0%E6%95%B4%E5%82%99%E6%8C%87%E9%87%9D%27
(3)専門医の在り方に関する検討会 報告書
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r985200000300ju.html

利益率14% 

かるい逆流性食道炎との診断のもと、時々ヒスタミン拮抗薬を購入して内服することがある。良く効く。先日、OTC薬を薬局に買いにでかけて驚いた。公定薬価が一錠20数円の同剤が、一錠150円ほどするのだ。公定薬価が原価割れをしていることはあり得ない。ジェネリックだとその半分程度になるはずだ。OTC薬がいかに暴利だかが良く分かる。胃炎、胃潰瘍のOTC薬で、安価なものといえば、旧来の胃酸中和剤だ。こちらは、リバウンドも起きやすく、効果は長続きしない。お金のない患者は、こちらを使えということだろうか。

最近開催された医療費を検討する諮問会議で、比較する薬剤がない新薬の場合の価格設定の方法が公開された。必要な経費をすべて積み重ね、そこに利益率14%を上乗せするらしい。必要経費も製薬企業の言うがままであるので、実質の利益率は、かなり高くなる。製薬企業の言い分は、開発にコストがかかる、ということらしいが、それは程度の差こそあれ、他の製造業でも同じことだろう。オーファンドラッグなどへの配慮は必要かもしれないが、基本的に製薬企業の利益率は高すぎる。

最初に述べた高額なOTC薬も、利益追求を旨とする製薬企業にしたら、当たり前のことなのだろう。製薬企業には多くの官僚が天下りしており、官僚は製薬企業にとって有利な薬価、税体制を設定している。今後、この傾向はますます強まる。

製薬企業のみならず、関連企業・施設が医療で利益追求をとことん推し進めた制度を有するのが、米国だ。その実情を、NPR.comのこの文章が分かりやすく教えてくれる。

わが国の制度も、強固な官僚制があるものの、基本的には医療福祉を利益追求の場にしようという方向だ。米国の凄まじい医療制度と同じものになるのもそう遠くはない。

「平穏死」 

終末期の医療が、これからますます大切になる。積極的な医療を受けず、自然のままに、苦痛少なく平穏に亡くなることが、終末期医療のあるべき姿になってゆくのだろう。石飛医師は、この記事で終末期医療の在り方を端的に述べているように思える。

ただ、問題は、誰がこうした終末期医療を患者、そのご家族に提案するのか、ということだ。国家が、ただ医療費を削減するために「ガイドライン化」するのはご免こうむりたい。国家なり、医療機関側がどこかで線を引くと、様々な問題が出てくる。死とは、個別的で、人の人生を本当に総括するできごとなのだ。そこに国家、権力が入ると、軋轢や不満が生じる。

私たち一人一人が、どのような終末を望むのかを事前に考えておくことが必要だ。我々は、生きる上で、自由意志による選択をしてきたが、死の在り様も同じ側面がある。苦痛少なく平穏な死を迎えることを、具体的に選択しておくべきなのだろう。これはきわめて個別的で大切な選択なのだ。

以下、引用~~~

下り坂ゆっくり「平穏死」 終章をがんばらない 「私たちの最期は」「ともに考える」医師・石飛幸三さん
17/04/12記事:共同通信社

 50年近い血管外科医としての人生で、私は人体の優秀な「部品交換屋」であり「修理屋」だった。当時には珍しい血管移植術で多くの命を救ってきた。

 「治すのが医者」。そんな自負は2005年、特別養護老人ホーム(特養)の常勤医になって大きく揺らいだ。着任した特養は全くの別世界。人生の最期の坂をゆっくり下っていく人たちの心を支える仕事だと思った。

 外科医時代は「(痛みを抑える医療用の)麻薬は徹底的に使え。ためらうな」と部下に指示していた。特養の入居者はいずれ、みんな死んでいく。そのときは苦しいだろう。今度は自分が麻薬を使わなければならない立場になったと思った。

 でも老いて衰えた人生の最終章っていうのは、自然の麻酔がかかる。食べられなくなったら、眠る。一口でも多く食べさせようとか、「がんばれ」って無理にたたき起こすとか、そんなことはしなくていい。静かに逝けると気付かされた。そうした亡くなり方を「平穏死」と名付けた。特養に来て12年になるが、麻薬は一度も使っていない。

 「胃ろう」も同じ。おなかにチューブを埋め込み栄養を入れる処置で、回復が見込める人に一時的に付けるのは否定しない。だが私の着任前は、眠り続けて静かに逝けるはずの人に胃ろうで無理やり栄養を注入していた。結果的に残された時間をかえって苦しめてしまっていた。

 もちろん、胃ろうを付けるべきか家族はものすごく迷う。迷っていい。目の前に横たわっている肉親にいま何をしてあげるのがいいのか、親子やきょうだいで徹底的に話し合うことだ。どんなに言い争ったって結局人間は死ぬ。だけど、みんなで肉親の最期がどう在るべきか真剣に議論したという事実、誠意を尽くしたという思いは残る。それこそが大切だと思う。

 人が老いて朽ちていくとき、医療がどれだけの意味を持つのかを考えなきゃならない時代がやってきた。いつのまにか医療は人間をモノ扱いし、命が長いほど意味があるとされるようになった。

 でも本来はそうじゃない。一回きりの人生をどう生きるかが大切なんだ。人にはモノにはない「心」があるんだから。

   ×   ×

 いしとび・こうぞう 広島県出身。慶応大卒。東京都済生会中央病院副院長などを経て05年から世田谷区立の特養・芦花ホームの常勤医。81歳。

群馬大学医療事故調への批判 

群馬大学医療事故調に対する強烈な皮肉・批判である。医療事故調査は、「責任追及」「処分」「処罰」「報復」「救済補償」から、「医療安全」にパラダイム・シフトした、はずであったが、群馬大学では旧態依然とした医療事故調査が行われた。

その背景に、医学部幹部の自己保身、それに医療事故の「専門家」と称する利権集団の動きがあるようだ。

同じ医療事故を繰り返さないために、という唯一の医療事故調査の目的を、群馬大学医療事故調は放棄した。同じことが他でも行われていなければ良いのだが・・・。

以下、引用~~~

群馬大学医学部附属病院・医療事故調査委員会報告書の功績

一般社団法人全国医師連盟代表理事
中島恒夫

2017年4月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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はじめに
様々な批評が噴出し続けている群馬大学医学部および群馬大学医学部附属病院だが、2016年7月27日に公表された「群馬大学医学部附属病院・医療事故調査委員会報告書」(www.gunma-u.ac.jp/wp-content/uploads/2015/08/H280730jikocho-saishu-a.pdf:2016.7.27)(以下、同報告書)には、実に素晴らしい内容が記されている。その「功績」を賞賛する記事を目にすることが少なく、非常に残念に思う。今回、私があえて触れることで、その功績に日の目があたることを節に願い、筆を執った。

(1)功績1:事故調査委員の選定方法
第6次改正医療法で定められた新しい医療事故調査制度においては、事故調査委員会の中立性が非常に重要であると多くの方々からすでに指摘されている。
すなわち、事故調査委員の選定方法が非常に難しいということである。
しかし、実はそれほど難しくはないことを群馬大学が実践してくれた。同報告書に関わる調査委員に関しても、「群馬大学学長は、第三者のみで構成された中立、公正な再調査が必要と判断し……」と記し、調査委員の中に群馬大学出身者を含めていた(http://www.gunma-u.ac.jp/wp-content/uploads/2015/08/27.8.10jikotyoiin.pdf)。これで中立性の問題がクリアできる。実に簡単である。

(2)功績2:医療事故の定義
同報告書は、医療事故の定義について、あえて別刷り(http://www.gunma-u.ac.jp/wp-content/uploads/2015/08/jikotyo_teigi.pdf)を用意してくれていた。実に丁寧で、わかりやすい。そこに記されている医療事故の定義は、以下のとおりである。

「本委員会で言う医療事故とは、別紙2のとおりである。」
「標記委員会名にも使用している「医療事故」については、平成27年10月1日から施行された改正医療法に基づく医療事故と定義を異にしています。委員会で使用している「医療事故」は、リスクマネージメントマニュアル作成指針などに示されている広義の「医療事故」として使用していることを付記いたします。」
別紙2:http://www.gunma-u.ac.jp/wp-content/uploads/2015/08/jikotyo_teigi.pdf.

第6次改正医療法によって、医療事故調査制度の目的がパラダイム・シフトした。これまでの「責任追及」「処分」「処罰」「報復」「救済補償」から、「医療安全」にパラダイム・シフトした。この変化は非常に重要で、医療安全に理解の無い者にとって、最初にぶつかる大変難しい問題である。なぜなら、医療安全に理解の無い者にとっての拠り所は、「注意喚起」や「確認励行」といった「精神論」や「根性論」であり、そして、すでに失効している「厚生労働省リスクマネージメントスタンダードマニュアル」だからである。
しかし、この難しい問題を群馬大学はいとも簡単にクリアした。それが、上述のような「定義の先付け」という手法である。自分達に都合の良い医療事故調査手法を実施する旨を先に明示しておくだけで、現行法である第6次改正医療法を完全に無視した事故調査を実施することは可能となる。
このような「定義の先付け」という免罪符を得られることは、担当する事故調査委員にとっては何よりの福音である。自分達に都合の良い定義を「断り書き」するだけで、これまでと同様の「責任追及」「処分」「処罰」「報復」を目的とした事故調査手法を堂々と駆使できるいうお墨付きが得られるからである。「医療安全」の対極である「責任追及」「処分」「処罰」「報復」を目的とした前近代的な事故調査を堂々と実践できる。
自分に染みついたスタイルを変えることは、誰にとっても非常に難しい。新しい医療事故調査制度への造詣を深めなければならないというストレスに苦しむ人々も多いだろう。しかし、そのようなストレスに満ちた苦労をする必要がなくなる画期的な手法を、群馬大学は提示してくれた。まさしく、一筋の光明だろう。

(3)功績3:脱法医療事故調査に処罰無し
「医療安全」にパラダイム・シフトした新しい医療事故調査制度を理解することの難しさは、医療事故調査への造詣が非常に深い方々にとっても同様である。このことも同報告書で示された。ちなみに、同報告書に今回携われた事故調査委員の方々はこちら(http://www.gunma-u.ac.jp/wp-content/uploads/2015/08/27.8.10jikotyoiin.pdf)に記されているので、ご確認いただければ
幸いだ。
同報告書に携われた事故調査委員の方々は、これまでにも数多くの医療機関で事故調査委員に就かれている。経験は非常に豊富で、ある意味「プロ」であると一目を置かれる方々だ。忙殺極まる臨床現場の最前線で、片手間で事故調査に携わざるをえない市井の医療従事者とは全く違う。しかし、これらのプロの方々ですら、医療安全を目的とした新しい事故調査制度の経験は無く、「責任
追及」「処分」「処罰」「報復」「救済補償」ばかりをこれまでは主張してこられた。
「医療安全」が目的である新しい医療事故調査制度で最も重要な視点は、「非懲罰性」である。これは、新しい医療事故調査制度の教本でもある「WHOドラフトガイドライン」(WHO Draft Guidelines for Adverse Event Reporting and Learning Systems)に記されている。WHOドラフトガイドラインには、医療事故調査を行う上での重要な7項目が詳しく記されているが、「非懲罰性」が「いの一番」に記されている。
事故調査委員や病院管理者が、医療事故に立ち会った現場の医療従事者に事故の責任追及の矛先を向け、処罰をすることは、医療安全を推進していくための「御法度 第1条」である。悪意を以て医療事故に関係したわけではない医療従事者から、事故発生時の状況や事故発生前の状況を、事故調査委員は聞き出さなければならない。語ってもらう時に責められたり、処分をちらつかされては、誰も口を開かなくなる。その結果、事故の発生要因を知る機会を逸し、医療安全からはどんどんかけ離れてゆく。すなわち、この「非懲罰性」は、「責任追及」「処分」「処罰」「報復」とは真逆のスタンスである。
「非常罰性」という最も大事な視点が事故調査委員から欠落すると、医療従事者の人権を蹂躙することにもなる。証言を強いることは「強要」であり、「自己負罪拒否特権」の侵害となる。
しかし、事故調査委員の方々には安心していただきたい。「非懲罰性」を考慮せずに同報告書を作成したプロの方々は、責任を何ら問われていない。

(4)功績4:組織管理者の身分は安泰
医療事故がシステム・エラーであることは、もはや常識と言えよう。任意の医療事故に関わった職員のヒューマン・エラーを責めても、別の職員が同様の医療事故に遭遇してしまうことは珍しくない。医療産業組織というシステムに不具合が残存しているからである。
このシステム・エラーを改善できる立場にいる者は、その組織の統括責任者である病院管理者でしかいない。すなわち、医療安全を推進すべき最高責任者は病院管理者でしかない。群馬大学医学部附属病院の場合には病院長であり、学部長であり、学長が組織管理者に該当するだろう。
医療安全を推進すべき病院管理者は、高度に複雑化された医療現場の運用システム、物品、機器を改良することに専心しなければならない。なぜなら、「人」は誰でも、容易には変われない。また、「人」を備品のように取り替えてもいけない。「人」を替えるだけで医療事故を再発できるわけではない。システムやモノを改善することで医療事故の再発を初めて推進できる。それが可能な立場に就いているのは、病院管理者だけである。不幸にも医療事故が起きてしまった場合、あるいは医療事故が「再発」してしまった場合、責任追及されるべき対象となるのは、医療事故を起こしうる脆弱なシステムを改善しない組織の責任者である。
群馬大学は、同報告書内で平塚浩士学長のコメント(http://www.gunma-u.ac.jp/wp-content/uploads/2015/08/H280730gakuchocom.pdf)を記されている。

「本学としては、昨年来、附属病院の改善、改革に取組んでおりますが、このたびいただきました報告書の内容を踏まえ、事故の発生要因や対応が遅れた理由を確認するとともに、再発防止に向けたご提言を真摯に受けとめ、更なる改善、改革に早急に取組んで行く所存です」

この非常に強い決意表明を頼もしく感じた方々が何人もいるようだ。就任してから同報告書を受け取るまでの1年4ヶ月間に、平塚学長はいくつもの報告書を手にしてきた。報告書を何通受け取っても一向に改革が実践されなかったにも関わらず、平塚学長の非常に強い決意が同報告書内にも公式発表され、群馬大学学長選考会議の大多数の方は実に頼もしく感じたのだろう。このまとめに
ついては、「国立大学法人群馬大学の次期学長候補者の選考理由と過程について」(http://www.gunma-u.ac.jp/wp-content/uploads/2015/05/gakuchoukouji.pdf)をお読みいただくだけでも容易に理解できる。
そして、システム・エラーを改善しない責任者を「満場一致」で再任する組織が実際に存在した(http://www.gunma-u.ac.jp/wp-content/uploads/2015/05/gakuchoukouji.pdf)。そのような英断が可能であることに私は驚いた。
変革しようという気運がその組織の上層部全体に全く無ければ、組織管理者の身分は、実に安泰だ。

(5)まとめ
新しい医療事故調査制度については、トップに就く者の姿勢、事故調査委員の人選、事故調査手法、事故調査報告書の取り扱いなど、様々な問題が今後も続き、混乱し続けるだろう。なぜなら、医療事故調査制度によって恩恵受けられる様々な者が、利益や報酬を得られる様々な者が、我田引水のような制度利用を自己主張し続けるからだ。
新しい医療事故調査制度はの目的はただ1つだけである。「医療安全」だけである。「責任追及」「処分・処罰」「報復」「救済補償」などは目的ではない。そのことを第6次改正医療法で定めたからだ。「責任追及」「処分・処罰」「報復」「救済補償」に関わる者を排除した「正しい制度利用」が今後は浸透することを、患者になりうる一国民として、切に願う。

病床削減・在宅医療介護推進、可能なのか? 

高齢社会は、必然的に医療介護の需要を増す。それに対して、政府・厚労省の行おうとしていることは、病院病床の削減、そして在宅介護への患者の誘導だ。人生の最後を住み慣れた自宅で過ごすために、という美しいキャッチフレーズで進められてきた、在宅医療介護。しかし、その本音は、医療費と介護費を削減することにある。

急性期・慢性期の病床を減らし、回復期の病床だけを増やし、患者の医療介護を在宅に持ち込む。地方では、2、3割の病床削減になる。唯一、大都市圏では、増床だが、大都市圏の高齢化の凄まじい進展を考えると、これでは足りなくなるだろう。大体において、すべての病気が、急性期を過ぎれば改善し、やがて自宅での療養にすることができるというわけではないのは当然のこと。長期の入院が必要な病気は、とくに高齢者に多い。

確かに、他の先進国に比べて、わが国は病床が多かった。だが、退院後の受け皿が、そうした国々のようには整っていない、ないしそうした国々のなかには皆保険ではない国もある。

病床削減、そして在宅医療介護へ、という厚労省の方針はうまくいくだろうか。厚労省は、地域包括ケアによって、在宅医療介護を実現する、という。地方自治体・ボランティア・医療介護施設等が、在宅の患者をサポートする、という。だが、本質は家族による医療介護だ。これだけ高齢化と核家族化が進んだ現状でそれが果たして可能なのか。医療の混合診療、さらに介護の混合サービスが進み、金持ちの高齢者は、生活してゆけるかもしれない。だが、貯えの十分でない高齢者にどのような未来が待っているのか。想像するだけで寒気がしてくる。

恐らく、急性期のほんの数日だけ入院、その後は在宅医療介護、というのが普通になる。手術をしても、2,3日で退院、その後は外来通院で処置を受ける。リハビリも期間を限定される(これはすでに実施済み)。いかに地域包括ケアが行き届いたところで、一日の大部分の時間は、家族が看ることになる。それが一体可能なのか。

病床削減するなら、介護施設のさらなる拡充、介護スタッフへの支援が必要だ。在宅だけで、医療介護を要する高齢者には対処できないのは目に見えている。

医療介護等社会保障予算は、実質的に毎年削減されている。一方、輸出企業への法人税減税、防衛予算の拡大等が行われている。政治は、一体、何をしているのだろうか。

以下、引用~~~

入院病床、1割減らす計画 2025年、全国で計15万床 在宅医療、促す
17/04/02記事:朝日新聞

 2025年の医療の提供体制を示す「地域医療構想」が各都道府県でまとまり、全国で計15万床以上の入院ベッドを減らす計画となった。医療費を減らすため入院患者を在宅医療に移す流れを受けたものだが、全国で1割以上の削減が必要だ。入院に代わる受け皿づくりが急務となる。

 各都道府県がまとめた地域医療構想では、団塊の世代がすべて75歳以上になって高齢化がピークを迎える25年時点で必要となる入院ベッド数を示した。その結果を集計したところ、計約119万床だった。ただ、13年の約135万床に比べ、15万6千床余り少ない。15年に内閣官房が示した削減の目安は16万〜20万床で、ほぼ近い数字になった。

 入院ベッド数が増えるのは、特に高齢者が急増する首都圏と大阪、沖縄の6都府県のみ。残る41道府県は減らす計画で、削減率は8県が3割を超えた。

 人口に占める75歳以上の割合は15年の12・8%が25年には18・1%と急増し、2179万人になると推計されている。政府の単純試算では25年に約152万床の入院ベッドを必要としていたが、入院の必要性が低い患者を在宅医療に移すことなどで、33万床ほど減らせるとする結果になった。

 機能別では、救急対応を担う高度急性期と急性期のベッドは計約53万床(15年比で30・0%減)が必要になる。利用者の多くを占める現役世代が減る影響もあり、全都道府県で減る。逆に高齢者らのリハビリなどを担う回復期のベッドは全都道府県で増え、計約38万床(同190・7%増)。長期療養の患者が入る慢性期のベッドは計約28万床(同19・5%減)で、首都圏など一部を除き減る。

 年間40兆円を超える国民医療費のうち4割を占める入院費を減らすことは大きな課題となっている。政府は18年度の診療報酬改定でも入院患者を在宅医療に移す流れを促していく方針。

 一方、全国の病院の7割は民間経営のため、地域医療構想に基づく削減計画は強制できない。都道府県が「自主的な取り組み」を促すことになるが、実効性は不透明だ。(生田大介)
 
 ■2025年の入院ベッド数計画
           13年       25年    増減率
北海道     83,556    73,190 ▲12.4%
青森      16,488    11,827 ▲28.3%
岩手      15,034    10,676 ▲29.0%
宮城      21,143    18,781 ▲11.2%
秋田      12,605     9,143 ▲27.5%
山形      11,991     9,267 ▲22.7%
福島      21,506    15,397 ▲28.4%
茨城      26,984    21,755 ▲19.4%
栃木      18,332    15,458 ▲15.7%
群馬      20,992    17,578 ▲16.3%
埼玉      50,567    54,210   7.2%
千葉      47,035    50,004   6.3%
東京     108,338   113,764   5.0%
神奈川     62,879    72,410  15.2%
新潟      23,145    18,283 ▲21.0%
富山      14,401     9,557 ▲33.6%
石川      15,883    11,900 ▲25.1%
福井      10,298     7,591 ▲26.3%
山梨       9,232     6,909 ▲25.2%
長野      20,438    16,839 ▲17.6%
岐阜      18,485    14,978 ▲19.0%
静岡      34,375    26,584 ▲22.7%
愛知      59,206    57,773 ▲ 2.4%
三重      17,255    13,584 ▲21.3%
滋賀      12,766    11,319 ▲11.3%
京都      30,283    29,957 ▲ 1.1%
大阪      91,378   101,474  11.0%
兵庫      56,200    52,455 ▲ 6.7%
奈良      14,212    13,063 ▲ 8.1%
和歌山     13,142     9,506 ▲27.7%
鳥取       7,442     5,896 ▲20.8%
島根       9,175     6,569 ▲28.4%
岡山      26,080    20,174 ▲22.6%
広島      35,248    28,614 ▲18.8%
山口      23,370    15,889 ▲32.0%
徳島      13,291     8,994 ▲32.3%
香川      13,857    10,112 ▲27.0%
愛媛      20,957    14,822 ▲29.3%
高知      16,220    11,252 ▲30.6%
福岡      73,956    65,383 ▲11.6%
佐賀      13,459     9,078 ▲32.6%
長崎      23,347    16,849 ▲27.8%
熊本      31,809    21,024 ▲33.9%
大分      18,855    14,649 ▲22.3%
宮崎      16,475    11,036 ▲33.0%
鹿児島     30,624    19,944 ▲34.9%
沖縄      14,603    15,282   4.6%
全国計  1,346,917 1,190,799 ▲11.6%
 (13年は医療施設調査から。25年は政府の推計式に基づく各都道府県の計画。▲はマイナス)

看取りの医療 

栃木県益子町に西明寺という古いお寺がある。wikiより、こちら。有名な益子町の陶器市場のある街並みから、少し南に入った小高い丘の上に、ひっそりと佇んでいる。我が家を訪れる外国の友人と一緒に、また時には一人で、年に一、二度訪れる。観光客は多くはない。こうした古い名刹の境内ではよくあることだが、人影のまばらな同寺を訪れると、時間の流れが止まったような感覚に襲われる。

そのお寺のある丘の麓に、普門院診療所がある。西明寺の住職であり、なおかつその診療所の院長であった、田中雅博氏が逝去なさった。田中氏とは面識はなかったが、父が存命だったころ、一頃同診療所にお世話になっていたことがあった。緩和ケアを行っていたことは知っていたが、ご自身が過去3年ガンを病んでおられたことは知らなかった。

医療が発達すると、医療は最先端の医学を応用する側面と、もう一つは、患者の最後を看取る終末期医療に枝分かれする。もちろん、小児科や、ありふれた成人病のケアのような領域も残るが、その「枝分かれ」の流れは確実に生じる。田中氏は、患者の最後を看取る医療のバックボーンに自らの曹洞宗の信心を抱いておられたのではないだろうか。医師にとって、かって死はいわば避けるべき敗北であったが、終末期医療では、死を取り込まなくてはならない。それには、宗教的なこころの在り様が、求められるのではないだろうか。その点では、医師は必然的に宗教者であるべきなのだろう。もちろん、自らの信仰や、宗教的教義を、死に行く人に押し付けたりするのではなく、死という人生の大きな過程をのり越えようとする方に寄り添うために、自らも死を生きることだ。田中氏がどのように終末期医療をなさっていたのか、残念ながら知る機会はなかったが、きっと自らの宗教的信念をもって看取りを行っておられたのだろう。

ご冥福をお祈りしたい。

以下、引用~~~

田中雅博さん死去
17/03/23記事:朝日新聞

 田中雅博さん(たなか・まさひろ=内科医、西明寺住職)21日、膵臓(すいぞう)がんで死去、70歳。西明寺は栃木県益子町益子4469。25日に近親者だけで密葬を行う。
 
 東京慈恵会医科大卒。74年、国立がんセンター(当時)に入り、内分泌部治療研究室長などを務めた。寺を継ぐため83年に退職。住職のかたわら90年、緩和ケアも行う普門院診療所を境内に建設した。
 
 宗教者が、死期が近い患者らの心の奥の苦しみに対応する必要性を80年代から提言。ローマ法王が呼び掛けた国際会議にも4度招かれた。14年に自らに進行性のがんが見つかってからも、患者らのケアにかかわる宗教者の育成に努め、昨年結成された「日本臨床宗教師会」の顧問も務めた。著書に「がんで死ぬのは怖くない」など。

医療における行政処分の量産化 

これから仕事を始めようとする若い医師は、災難なことである。医療事故には、すべて責任が問われ、たとえ刑事責任は逃れられても、行政処分は免れないことになるようだ。

井上清成弁護士の論考は以前から何度もここで取り上げている。彼は医療の現状、医療事故の本質に詳しく、適正な見解をそうした問題について表明し続けている。

「官僚主義が医療を荒廃させる」で述べた通り、官僚は、医療システムを支配することを目論んでいる。

医師に対する支配は、教育、研修、専門医制度そして医療事故対応によって、為されることになる。井上弁護士が述べる通り、刑事犯罪として取り扱わぬ代わりに、行政処分を受け入れさせるという方向で、官僚は制度設計をするようだ。これは、医療事故の原因を究明し、減らすこととは逆行する。医療事故は、刑事犯罪化・行政処分化しても原因が明らかにならず、減少することはない。例えば、WHOの医療事故に関するガイドラインにそれが示されている。こちら。

医療事故に対する行政処分数の増加は何をもたらすか。医療制度への影響をどのようにして減らす積りなのか。行政処分を「きめ細かく」行えば、医療費の表面的な削減ができると官僚は読んでいることだろう。地域医療を行う医師を確保するという名目で、この数年間、医師の大量増産を始めた。行政処分が常態化すれば、行政処分でマンパワーが減っても、医療が直ちに立ち行かないということはないという読みではないのだろうか。しかし、行政処分を受けやすい、リスクのある専門に医師が進まなくなることは確実だ。専門性の偏在を、専門医制度でコントロールする積りかもしれないが、うまくゆくだろうか。数の上だけでは、コントロールできたとしても、医師のやる気を削ぐことは間違いない。医療の倫理は、強制によって確立し維持されることはない。医療が倫理的に荒廃する状況が見えてくる。

この医療事故の行政処分化の背景には、官僚の天下り先確保があることは確実だ。行政処分を担当する行政部門の肥大化、行政処分に伴う研修を担当する組織の設立等々、永続的な天下り先が確保されることになる。

医師は、注意義務違反という本来避けえない、行政処分の対象になるエラーに怯えつつ、仕事を続けることになる。ヒューマンエラーの大きな原因である労働環境の問題等は、これまで通り、そのままにされる可能性が高い。

結局、こうした行政の医療支配は、医療を荒廃させ、国民がその負の影響を被ることになる。

以下、MRICより引用~~~

行政処分の量産化への蠢き

この原稿は月刊集中4月号(3月31日発売号)掲載予定です。

井上法律事務所 弁護士
井上清成

2017年3月28日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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1.2016年度医道審医道分科会の現状
厚生労働省医政局医事課の所管の一つに、医師法(歯科医師法)に基づく医師(歯科医師)免許に対する行政処分がある。毎年2回ずつあるのが通例であり、医道審議会医道分科会の答申を受けて、医師(歯科医師)への免許取消・医業(歯科医業)停止・戒告の行政処分を行う。
2016年度は、2016年9月30日と2017年3月3日に行政処分が公表された。9月30日は医師15件、歯科医師15件の計30件。3月3日は医師12件、歯科医師6件の計18件。つまり、2016年度1年間では医師27件、歯科医師21件の合計48件であった。その48件の内訳は、ほとんどが一般犯罪で有罪とされたものである。
そのうちで目を引くのは、診療報酬不正請求17件と医療過誤としての業務上過失致死罪1件であろう。いずれも医業停止3ヶ月とされた。

2.行政処分の量産化
まず、診療報酬不正請求が17件というのは、多すぎる感がしよう。1年間の行政処分件数48件のうち、約35%を占めていて、処分事由としては最多である。現状は、診療報酬不正請求が医政局医事課による行政処分の数量を下支えしていると言ってもよいかも知れない。不吉なことではあるが、今後も増加していきそうに思う。
次に、医療過誤に業務上過失致死傷罪を適用するのは妥当性を欠くことなので、その1件を0件としたいものである。実際、その1件は国立国際医療研究センター病院で起きたレジデントによるウログラフイン誤投与の事案であったが、本来はそのレジデントが刑事被告人になるように導いてしまった病院幹部の運用こそが非難に値しよう。ただ、運用レベルでの改善では限界があるので、法改正をしてでも、医療過誤での業務上過失致死傷罪は廃止して、この理由での行政処分はゼロとしたいところである。
しかしながら、行政処分の量産化という観点からは、一部の厚労医系技官らによって長年にわたって潜かに目論まれているのが、医療過誤の行政処分化である。もしも刑事罰を経ずとも医療過誤を行政処分化することができれば、診療報酬不正請求をはるかに上回る行政処分件数が確保されうるであろう。医療過誤の行政処分化は、行政処分の量産化という政策目標にとって、最もフィットした方策なのである。

3.厚労科研「医療行為と刑事責任」の開始
2017年3月10日、医政局医事課の所管で、厚生労働科学研究として、「医療行為と刑事責任」の研究が開始された。その研究の方向性は、次のようになっていくものと予想されよう。たとえば、「医療行為への刑事責任の追及は、極めて限定すべきである。少なくとも、医療行為への業務上過失致死傷罪の一般的な適用は、除外しなければならない。しかし、無謀な医療という類型、単純ミスという類型には、何らかの限定された責任を問うべきである。無謀な医療には、それに適した故意犯、故意犯と過失犯の結合犯・結果的加重犯、または、重過失限定の過失犯といった選択肢の下で、特別の刑事犯創設の議論を進めるべきであろう。そして、単純ミスに対しては、医療過誤を行政処分化するという条件の下で、刑事犯から除外しうる方向とするべきである。」といった具合いであろうか。
何らかの責任追及は行わねばならないことを大前提とした上で、刑事責任と行政処分のトレードオフを行おうとする考え方と言ってもよい。もともと、医系技官、医療団体幹部、法律家の一部には、そのような考え方に親和性を持つ者がいた。そのため、今回の厚労科学研究でも、そのような考え方が指向されていくことが予想されるのである。

4.行政処分化の参考モデルー第二次試案等
刑事責任と行政処分のトレードオフを行おうとする考え方は、かつて、医療事故調査制度の第二次試案(2007年)・第三次試案(2008年)となって具体化されたことがあった。
たとえば、「診療行為に関連した死亡の死因究明等の在り方に関する試案―第二次試案―」においては、行政処分の在り方については、ズバリと、「行政処分は、委員会の調査報告書を活用し、医道審議会等の既存の仕組みに基づいて行う。」「個人に対する処分のみではなく、医療機関への改善勧告等のシステムエラーに対応する仕組みを設ける。」と明言している。つまり、医療過誤の行政処分化そのものであった。
また、その「第三次試案」も同じであり、「システムエラーの改善の観点から医療機関に対する処分を医療法に創設する。」「医師法や保健師助産師看護師法等に基づく医療従事者個人に対する処分は、医道審議会の意見を聴いて厚生労働大臣が実施している。医療事故がシステムエラーだけでなく個人の注意義務違反等も原因として発生していると認められ、医療機関からの医療の安全を確保するための体制整備に関する計画書の提出等では不十分な場合に限っては、個人に対する処分が必要となる場合もある。その際は、業務の停止を伴う処分よりも、再教育を重視した方向で実施する。」として、行政処分の量産化や医療過誤の行政処分化を指向していたのである。
つまり、医療過誤の行政処分化については、診療報酬不正請求くらいを目途にして件数をほどほどに増やし、かつ、その処分の程度については医業(歯科医業)停止3ヶ月以下か戒告の程度を想定しているものと推測されよう。

5.医療過誤の行政処分化は慎重に
しかしながら、そもそも、行政処分の他の事由とは異なり、医療過誤は刑事責任にも行政責任(行政処分)にもなじまない。今までに行われてきた議論は、医療過誤には本来は刑事責任があることを暗黙の前提としつつ、それと行政処分とをトレードオフすることによって、刑事責任を謙抑的にして行政責任にスライドさせようとする試みであった。しかし、それは、そもそも追及されるべき「責任」があるという前提に呪縛された議論にすぎない。今後の議論は、刑事責任も行政責任もそもそも存在していないことを前提に、議論の再構築をしていくべきなのである。
医療過誤の行政処分化には慎重でなければならない。