バッハアンサンブル富山演奏会 

二日前の日曜から、昨日にかけて、富山市で行われた、バッハアンサンブル富山の演奏会に出かけてきた。詳細は、英文ブログの方に記した。

このアンサンブルのことは、磯山雅教授のブログで知った。磯山教授は、バッハ研究の大家であり、バッハの音楽について、該博な知識と深い理解を、簡明な言葉で語られる方だ。彼が、昨夏、このアンサンブル(アマチュアコーラス)を訪れ、マタイ受難曲について講演をなさった。それ以来、行きたいと念願してきた。

列車で北陸方面に行くのは初めて。越後湯沢の先、新潟の内陸部には結構な雪が残っている。

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富山に近くなると、天候がよくなり、海は凪いでいた。この辺りは、車で何度か走ったことがある。

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富山駅の手前、雪に覆われた立山連峰が美しく毅然とそびえていた。

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演奏会に先立ち、磯山教授の短い解説があった。バッハの生きた時代と場所から遠く離れた富山で、この曲が初演されれるのは意義深い、この音楽で、バッハはイエスを殺した犯人を論い、非難しようとはしていない、むしろ我々の罪、不安そして苦痛をイエスが代わりに負ってくださったという福音を伝えようとしている、宗教的な文脈によらずとも理解し、共鳴できる、という話だった。

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演奏を一言で語りつくすことは難しい。ソロの歌い手に、少し難のある方がいた(具合が悪かったのか)。が、全体として、この大作にチャレンジし、歌いきろうとする意欲にあふれた演奏だった。ペテロの否認の場面、それに終曲ですべてのことに和解し、安らかに眠ることを祈る場面に思わず落涙する思いであった。

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出かけた甲斐があったというものである。

ホール近くのホテル。ロビーには、梅の花を用いたオブジェが飾られていた。

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夕食は、ホテルのレストランでとった。演奏会の成功を祝して、一人祝杯を挙げた。

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翌日、天気がよければ、レンタカーかタクシーで立山連峰を眺めに行きたいと思っていたが、あいにくの曇り空。霧で遠くが見渡せない。ホテルで帰りの電車がでるぎりぎりまで休み、帰路についた。北陸本線の「はくたか」は乗り心地が良く、眺めも良かったが、上越新幹線の「とき」の二階建て車両の一階は何も見えず最悪。高崎で途中下車、両毛線を使って、のんびりと帰ってきた。・・・最後に、昔の「てっちゃん」の顔を出してしまい、我ながら苦笑・・・。楽しい旅行だった。

渡良瀬渓谷、柏尾峠 

渡良瀬渓谷の紅葉が見ごろだと、ラジオのニュースで報じられていたので、昨日車で出かけた。例によって、単独行だ。友人のBob W6CYXが、つたない紀行文を楽しみにしている、いつも助手席には彼が載っている積りでいてくれ、というので、そのつもりで出発。北関東自動車道を桐生まで走り、そこから渡良瀬渓谷への道を進む。

何時かは、有名なわたらせ渓谷鉄道に乗ってみたい、と思いつつ、この季節はトロッコ列車等走ってはいないのだろう。大分高くまで上がったところに、草木湖がある。ダムによってできた、人造湖。湖畔に食堂と、土産物屋が各々一つずつ並んでいた。蕎麦を昼ごはんに頂く・・・があまり他人に勧められる味ではない。「おやき」と称するものも売っていた。信州を思い出して買ってみたのだが、中の詰め物がない、fakeだった 苦笑。

渓谷周囲の紅葉が輝くようだった。黄色は、楓だろうか、赤はこなら・・・。良く言われることだが、葉はその生命を終えようとするときに、一番輝くという言葉を思い出した。人生もかくありたいものだ。

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渡良瀬川。

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桐生から30数キロ程度で足尾に到着。街中を少し走ってみたが、人影は殆どない。高齢の女性がのんびり二三人歩いていた。足尾駅の横を通り過ぎた。50年前にタイムスリップしたような、小さな木造の駅舎だ。木製の壁は、暗い茶色で、瓦の屋根だ。渡良瀬渓谷鉄道は、各駅が無人だとどこかで読んだ。何か現実感を欠くような駅舎だった。写真を撮るのを失念。

足尾といえば、渡良瀬川の鉱毒事件を思い起こす。田中正造が、銅の鉱毒に抗して、地域の人々のために戦った、あの事件だ。父が、生前田中の著作集を読み、高く評価していたことなどをぼんやり思い出していた。

幹線道路から少し外れた。渡良瀬川沿いの小道を走った。やはり楓だろうか、輝くような黄金色に染まっていた。人も殆ど通らない。

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陽が西に傾き始めた。日光に抜けて、高速度道路に乗るのが、帰宅する早道だが、粕尾峠を越える山道を選んだ。昔何度か来たことがある道だ。

峠は1100m程度と高くはないのだが、のぼりはじめの谷間が低いので、かなりの急こう配の坂が続く。峠の頂上付近。反対側の峰々を、もう枯れかかった枝木を通して望む。

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この少し北側に、横根山という見通しの良い山があり、昔そこに息子と家内で出かけたことがあった。もう20年数年前になる。JH1TVZ、JH1HDXが、何かのコンテストで泊りがけでそこに陣取って無線をやっていたのだ。JH1HDX中島氏からは、そこで、極めて薄味のトン汁をご馳走になった。JH1HDXは、以前に記したとおり、4年前に白血病で不帰の人になってしまった。

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大分下に降りたところを流れる柏尾川。周囲の木々も美しく紅葉している。

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文字通り燃え上がる黄金色に染まった銀杏の木。西に傾く陽を受けて、はっとするほどの美しさだった。

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帰りは、栃木市から下野市に抜けた。昔、走り慣れた道だったはずだが、大分変っていた・・・新しい道路が盛んにつくられ、何度か迷いかかった。既存の道路と並走するように真新しい道路が走る・・・便利ではあるが、何か道路財源を湯水のように使い続けた軌跡のようにも思えた。内需拡大を米国から迫られ土木国家と化したことを示す、歴史的建造物ということになるのだろうか。

鍋の材料を仕入れて、帰宅。

五洋水産 大漁茶屋 

ネットで調べたら、すぐヒットした。記憶に誤りがなかった(ほっ。

23年前も、この画像のままの姿だった。

http://tabelog.com/niigata/A1503/A150302/15002458/

栃木県北行 

このところ、何やかやとゆっくりできず(と言いつつ、無線をやったりしているのだが)、テレビで景勝地、塩原の様子を放映していたのを偶然みて、ふっと思い立ち、カメラを持って塩原に向かった。自宅から2時間弱だろうか・・・。

途中、昔の氏家町辺り四号線沿いのコンビニで飲み物などを買い込んだ。そこで、北部の山の方に厚い雲がかかっているのが見えた。久しぶりに温泉に浸かりたいと思い、塩原も有名な温泉地なのだが、雲に覆われていなそうなより近くの温泉に方向転換。そこから北東に数キロの距離にあるその温泉に向かった。カーナビで見つけたところで、初めて行く。

栃木県北部は、阿武隈山地が関東平野に移行する丘陵が南北に幾重にも走っている。稲も刈り取られ、このような具合。道に人は見かけず、道行く車もあまりない。

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目指す温泉、丘陵の稜線上にあった・・・が閉鎖されていた。

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食べ物屋等の建物も荒れ放題。このように見晴らしは良いのだが・・・。

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この温泉が、どのようにして建設され、そして閉鎖になったのか、私は良く知らない。だが、バブル景気の頃のことだろうことは想像がつく。

最近読んだ、宇沢弘文・内橋克人著「始まっている未来 新しい経済学は可能か」(岩波書店)という本に記されていたことを思い出した。これは、お二人の対談を文章にしたものなのだが、宇沢氏が、米国による日本への支配を極めて厳しい調子で述べている。米国政府は、プラザ合意で円高に誘導したあとも、米国の貿易赤字が減らないために、日本に対して、日米構造協議を通して、公共投資をすることを要求、日本政府はそれを受け入れた。計600兆円超の公共投資を、地方自治体に債権を発行させた上で行わせた。地方自治体への交付金でその債権を処理させるスキームだった。だが、小泉内閣当時に、地方自治体への交付金を大幅に減額したために、地方自治体の多くが赤字に転落した、という話だ。公共投資を行う際に、生産性を上げるような投資は行わないことを、米国は日本に要求していたというのである。それで、地方自治体は、テーマパークのような施設を作り続け、それを運営する第三セクターが赤字に陥っているということらしい。

この前段に、次のように興味深いことが記されている。、公務員の幹部が、終戦後レッドパージ等により、米国への忠誠を誓わせられ、彼らの多くが1960、70年代に米国に留学し、フリードマン等の市場原理主義に色濃く染められていたことが、こうした屈辱的な経済政策を取らされた背後にある、というのだ。

繰り返すが、この閉鎖された温泉が、このような公共投資に絡んでいるのかどうかは分からない。が、同じバブルの時期に建てられ、やがてさびれ閉鎖されたものだったのではないだろうか。当地には、地方自治体が立てた立派なホール、テーマパークさらに温泉施設等が至る所にある。この莫大な公共投資が、米国の指示で行われ、そして現在のGDP比230%を超える国の借金の元になったわけだ。

そんなことを考えながら、景色の良い丘陵地帯を、のんびり車を走らせた。

やはり初めての黒羽温泉に行き先を変更だ。

その途上、大きな前方後円墳と思われる遺跡があった。遺跡名を記録し忘れ。観光のためだろう、下草はきれいにかられ、周囲は柵で囲まれていた。たまたま散策に訪れた様子の女性が二人だけ。他はだれもいない。

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目指す黒羽温泉に到着。前の温泉よりは少し開けたところにあり、近くに運動公園もある様子。広々とした駐車場があり、丘の上に立派な建物が立っている。でも、平日の昼間のためだろうか、利用客はまばら。

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利用料を支払い、タオルを購入し、いざ温泉施設へ。かなり広く、また南側全面ガラス張りになっており、なかなか豪華。露天風呂もすぐ外側にある。実際に入るとなると、ゆっくりできない性質で、20、30分ほどで出てきた。秋風が心地よい。

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帰り道、所々で写真を撮った。稲刈りはとうに終わっている。丘陵の木々が色彩豊かになるのももうすぐだろう。

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母親が健在だったころ、家族とともに、さらには母親と二人で、この辺をドライブに来たことを思い出した。秋が深まる頃、日が沈み始めると、暗くなるのは早い。母親が、「秋の夕陽はつるべ落とし」と独り言のように呟いていたものだ。その母親も既に亡く、やがて連れて歩いた母親と同じような年齢に自分がさしかかりつつあることを思った。

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ドライブ中にかけていたのは、メンデルスゾーンのピアノトリオ1番、ブラームスのピアノクワルテット1、2、3番だ。各々が懐かしい。学生時代、ブラームス3番の四楽章、大学オケの後輩のM君等と、階段教室で合わせたっけ。夕陽の差し込む階段教室で。M君、元気にしているか・・・。

自宅近くのスーパーで夕食の食材を購入。暗くなる前に、自宅に帰着した。こうして出かけるのも、もうあまりないだろうな・・・。

旅行のまとめ 

早くやらなくてはと思っていた、米国西海岸への旅で得た書類や、パンフレット・飛行機のチケット・領収書の類諸々を、ようやく一つのファイルにまとめあげた。もう見返すこともないだろうとは思うが、ひとまとめにすることでようやくすべてが終了したという気持ちになった。

旅行記に書かなかった印象を幾つか追加しておこう。

一つは、米国の豊かさを改めて実感した。Bob W6CYXに連れて行かれたシリコンバレーの住宅街、スタンフォード大学ともに、ゆったりとした空間に趣のある建物、住居が並んでいた。土地が豊富にあることもあるだろうが、高層建築はダウンタウン以外あまりなかった。街には、木々が多く、多くの場所で電線が地中化されていた。W7GKFの豪華な家は例外なのかもしれないが、Bobの古い家も、そしてSteve N6TTの家も、日本の標準的な住居に比べると段違いだ。地下室は大体常設だし、家の作りが大分違う。がっしりとした作りになっており、それこそ100年単位で住めそうな家だった。旅行記にも記したが、住宅街では、売りに出された住居が並んでいるところを想像していたのだが、そうした光景には、見た限りでは遭遇しなかった。一方、円ドルのレートが円高であることも当然あるが、物価はかなり安い。翻って、我が家をはじめ、日本の家屋は、いかにも貧弱である。最近の家は良くなっているのかもしれないが、10年20年前に建てられた家の多くは、築後30、40年も経つとかなり痛み、資産価値もなくなってしまうものが多いのではないだろうか。自分の家を建てることを、人生の一つの目標にして建てたら、人生の最後には資産価値が殆どなくなっているということはおかしいのではないだろうか。感情の問題だけでなく、経済的にも、そうしたことで良いのだろうか。

言葉の問題。家内等英語は得意な方で、それに趣味として英会話のラジオ講座を聞いたり、TOEICを受けて、それなりの成績を出しているのだが、実際の会話になると、かなり苦戦していた。私も似たようなものである。一応、lingua francaとしての言語としての英語は何とかなったかと思えたが、こちらの言うことが理解してもらえない(発音が不適切なためである)のはフラストレーションだった。特に、若い方のリエゾンしまくりのような早い英語には苦戦させられた。nativeと同様に話せる、聴くことができる必要はないかもしれないが、やはりある程度の会話について行けるようになりたいものだ。それに、いつも感じることだが、自分の考えを持っているかどうかも重要なことだろう。never too lateと思って、頑張ってみよう。英語を第二外国語、外国語として話す人々は、nativeの数をはるかに超えているらしい。これからの時代を生きる方には、英語は必須の知的技術になる。若い方には、英会話に慣れておくことをお勧めしたい。

無線をやっている人々は、凝り性というか、「バカ」が多い 笑。Kemp K7UQHがHiltonに現れて、昔話を写真を交えながらしていると、すぐに何人もの方が周りを取り囲んだ。見ず知らずの人間たちである。そして、楽しそうに昔話に花を咲かせていた。NW FOC DINNERでお会いした面々、それにサンノゼと、ロスでお目にかかった旧友達すべてがそうした方々だった。この古めかしい通信手段でつながった面々、どこか普通の人々とは違うように思える。

後は、撮った画像をCDに焼いて、この記録とともに保存して、すべての行程を終えることになる。

北米西海岸への旅 (7) 

Terranea Resort滞在二日目に買い物にでかけることにした。ホテルのConciergeにちょっと意地悪されて(と、当人は思っているのだが・・・笑)、LAのダウンタウンに出かけるために手配を頼んだタクシーが何時まで待っても来ず、少し気色ばんでどうなっているのか別なConciergeに尋ねると、買い物だったら、Palos Verdesのショッピングモールまでシャトルを出してくれるとのこと。で、腹を立てていたのはどこへやら、その話にのることにした。Palos Verdesは、地図を見てくださると分かるが、北西にせり出した小さな半島になっている。その頂き近くに、そのショッピングモールがあった。シャトルバスの乗客は我々だけ。どれくらいで着くのかと運転手に尋ねたことから、彼にいろいろと話を伺うことになった。彼は、リタイアしてこの町に住む、英国出身の方だった。このホテルの由来は、前に書いた通りである。Palos Verdesは、リゾート地として評判が良く、地価は下がっていない(または、一時下がったが、すでに横ばいになっている)とのことだった。お子さん達も独立し、ご夫婦で生活なさっている様子だ。Conciergeとの一件を話すと、それは良くない、Conciergeは客のためにあるのだからね、と言ってくださった。


ショッピングモールは、地元の方が主に利用する商店街らしく、旅行客と思しき人々は見かけない。かんかん照りだったが、木陰に入ると、心地よいそよ風が吹き抜ける。お客は、そこそこの入りだったが、中庭ないし中通りはこんな状態。またしても、メキシコ料理とビールを頂き、幾つか店を見て回った。私は本屋に入ったが、エンターテインメント系や、伝記、さらには政治家の宣伝のためと思われる本しかなかった。帰りは、ホテルに電話すると、すぐに同じ運転手が車を走らせてきてくれた。

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前後するが、こちらに来た翌日、お昼近く、Steveが迎えに来てくださった。前夜の失態を説明し、お詫びした。車で30分ほどのところにある彼の家に向かう。ちょうど、Jim W6YAが到着したところだった。Jimとは、1980年代から数え切れぬほど交信させて頂いている。Steveの家は、土地こそ広くないが、大きく豪華な家だった。まだ建てて数年か10年程度しか経っていないのではないだろうか。写真を撮り忘れたが、庭の一画に30m近くまで伸びるクランクアップタワーがあり、そこに、7メガのリニアーローディングタイプの3エレ、それに3エレだったと思うがSteppirが載っていた。この市街地でよくぞ許可が下りたものだ。申請から2年かかったとSteveは言っていた。

Steveと奥様のLinda。奥様はもう少しふっくらなさっている方を想像していたが、ご覧のとおりのスレンダーな美人。Steveの自慢の奥様なのだろう。ここではアップしないが、次女のHannahと飼い犬のSadeeも出迎えてくださった。あっ、Sadeeは後ろ半身だけ写っている。この犬を観た途端、ダイエットが必要ではないかと失礼なことを口にしてしまったが、そんなことはないというような返事であった。人懐っこい犬である。バナナでも何でも人の食べるものは食べるらしいので、やはりカロリー過剰じゃないの・・・・?。

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DXとラグチュー界の輝ける星、Jim W6YA。Steveも40数年来の無線での付き合いらしかったが、直接会うのはこれが最初とのことだった。Jimは、もう70歳を過ぎているが、歯科医の仕事を週に三日まだ続けておられる。あと4年間は続けると仰っていた。専ら仕事が楽しいので続けるのだとか・・・。最近、お嬢様が日系三世の方と結婚したことを、ことのほか喜んでいた。

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Steveのシャック。IC7800が愛用機。オペレート席に座らせて頂き、ちょうどZL2IFBと交信を終えたJohn K1JDをコールした。Johnは、最近東海岸のRhode IslからNew Mexに越してきたばかり。彼が引っ越してから、私が自宅にいるときに何度か呼んでもらったのだが、彼の信号が弱くてラグチューにならなかった。NW FOC EVENTに参加した帰りにSteve宅に寄らせて頂いていることなどを話をした。彼は、近いうちにタワーを上げる予定だそうで、そうすればJAでも強い信号を期待できることだろう。知人宅に来て無線ばかりしていてもなんなので、早々に切り上げて、地下のシャックから上に上がった。

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Steveは、知る人ぞ知る電鍵の収集家。シャックの壁に何段もの収納庫があり、そこにありとあらゆる電鍵が飾られていた。古いバグキーなども多い。これは運用テーブルに乗っていた四種。左から、Chevron、Begali single lever, WBL(?) そしてMercury。彼は最近Begaliを愛用しているとのこと。

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上でお茶とLindaお手製のチョコクッキーを頂いた。美味しいクッキー。お土産に袋にいれたものを頂く。しばらくして隣町の桟橋近くにある海鮮料理の店に移動、そこで夕食を頂いた。ここでも、Steve、Jimの健啖家ぶりに驚かされた。馬鹿でかい皿一杯の蟹やロブスターをペロリと平らげる。Lindaは、結婚と子育てのために学業を途中でやめてしまったのだった。Steveの援助のもと、彼女は最近大学に通い始め、あと一年でカウンセリングの修士号をとれるらしい。子供たちを、ホームスクールで自分で教育し育て上げた上でのことだから、立派なものだ。Steveは、飛行機に乗るのが嫌いらしいが、Lindaは旅行をするのも好きな様子。いつかどこかでまたお目にかかる機会があるに違いない。Jimは、James 9V1YCと定期的に交信している様子で、その話などを伺った。若いころにギターを習ったことがあり、最近教えてくれる友人がいて、習いだしたのだが、指が太くてだめだと諦めたとのこと。チェロには、その指のサイズが丁度良いよというと、まんざらでもない様子だった。また二年ごとにVisaliaのDXConventionに参加しているので、今度一緒に行こうと勧められた。DXかぁ・・・苦笑。窓から見える、太平洋の景色を眺めつつ、のんびりおしゃべりした時間もやがて過ぎ、Jimとはそこでお別れ。ホテルまでSteveご夫妻に送っていただいた。

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最終日、8月3日、夢のように過ぎた一週間だったと話し合いながら、帰り支度。あのシートに揺られるのかと思って気が重たかったが、自宅に帰ることができるのはうれしかった。

カートで本館に荷物を運んでもらい、さてフロントでチェックアウトを、と思ったら、一人の黒人の運転手(Frank)がにこやかに近づいてきた。昨日、買い物に行くためにタクシーを拾おうとして、本館前に停車していた彼に声をかけたのだった。結局、彼は予約の客待ちですぐには乗せてもらえなかったために、利用はしなかったわけだが、この日、彼が私たちを乗せるのだと彼が思いこんだらしい。ところが、身だしなみの良い別な黒人のタクシー運転手(後で名刺をもらいJoeという名であることが判明)が、満面の笑みをたたえて私の名前を呼ぶ。「コンニチハ」と日本語の挨拶も沿えて。一瞬どうなったのかと困惑した。二人の運転手は、これは私の客だと言い張る様子。でもすぐに、Joeがホテルから予約を受けた運転手であることが判明。さらに、Frankは、Joeの経営するタクシー会社の社員であった。Frankには悪かったと言い、Joeの車に乗り込んだ。

空港までの3、40分、Joeからいろいろと伺った。彼はエリトリア出身の方で、10歳ごろに米国にやってきたそうである。二人のお子さんがおり、米国での生活が一番だと言っていた。シアトルで乗ったタクシーの運転手が言うとおり、エリトリアは大統領の専制国家になってしまっている、とのこと。一時は、25台ほどの車両を保有していたが、現在は10数台に減らしたとか。車をたくさん保有していると、事故やら、故障やら、運転手の管理やらで大変で、その割に収入が増えないからだ、とのことだ。彼は、Bobと同じく、確固たる共和党支持者であり、現在の民主党政権が社会保障を手厚くしたためにモラルハザードが起きている、その一方、しっかり仕事をする彼のような国民は重い税金に苦しむことになる、というのだ。Terranea Resortの由来についても教えてくださり、このホテルができて、地域の経済が潤っていると言っていた。途中、顧客のお一人から彼の携帯に電話が入り、何時も利用していたその顧客の親族が急に亡くなったと知らせてきたようだった。顧客ととても親しくしているのだろう。大変朗らかで弁の立つJoeとのしばしの楽しい会話も空港に到着したことで終了。また来た時に利用するようにと名刺をくれた。

チェックイン窓口を探すのに少し手間取ったが、何とかチェックイン、ボーディング手続きを終え、帰国便の自席に落ち着いた。最初に記したとおり、この新しい機体Boeing777のビジネスのシートはなかなか良くて来ていて、少し狭いものの、ほぼ横になることができた。音楽や、映画を見るための装置も完璧だ。たっぷり眠れたとは言い難かったが、それでもこのシート設備であれば、長距離飛行もあまり苦にはならない。普段、私が西海岸と交信するときに、私の電波が飛ぶ道筋を丁度逆に飛んでいるのだな等とたわいもないことを考えた。音楽の曲目に、アンアキコマイヤーズの演奏するバッハのバイオリン協奏曲1、2番があった。旅行中にあまりに多くの刺激を受けた。心地よい刺激もあり、そうでないものもあったが、刺激があまりに強かったために、こころが少し乾いたというか変形を起こしたようなところがあったのだが、それらのバッハの作品にじっと耳を傾けていると、じわっとこころに染み入るようであった。音楽が、このようにこころに染み入り、慰撫するかのようなことを明確に経験したのは初めてのことだった。

成田に降り立つと、言うまいと思えどの蒸し暑さ。故郷向けのバスに乗り込み、約3時間。周囲の田畑が深い緑をたたえ美しかった。娘の出迎えを受けて、ようやく我が家にたどり着いた。寝る前に少しだけと思って7メガに出ると、待ち構えていたように、Bob W6CYXが呼んできてくれた。1128回目の交信。北米西海岸から無事帰着したことを彼に伝えた。

以上、思いつつままの長い旅行記、お読みくださった方にお礼申し上げたい。

北米西海岸への旅 (6) 

7月29日、午前中にSan Joseを飛び立ち、LAへ向かう。

どうでも良い話だが、空港でのセキュリティチェック等の係員が、日本の同じ職種の方に比べるとぶっきら棒。愛想笑いもなければ、言葉は必要最小限。多国籍国家なので、あまり米国の言葉・習慣に慣れていない東洋人でも、自国の人間と全く同等に扱うということなのだろうか。また、セキュリティチェックの内容が厳しくなっていることも痛感した。日本での経験だが、成田で登場するときには、衣服での爆発物のチェックをされたりもした。何かテープのようなもので衣服表面の物質をはがし取り、それを微量分析装置で読むといった手順らしい。勿論、ネガティブだったが・・・。セキュリティチェックには最後まで緊張させられた。度々外国に旅行される方にとっては、当たり前の手続きなのだろうが、旅行中我々は慣れることはなかった。

LA空港には、Steve N6TTが出迎えてくれていた。初対面だったが、以前から彼の姿は写真で拝見しており、すぐに分かった。膝くらいまでのショートパンツにTシャツというのが、彼のいつものスタイルである。彼の住むManhattan Beachを過ぎ、徐々にリゾート地らしくなってくる。明るい黄土色の壁、タイルの屋根。太平洋が見え隠れする。40分程度で滞在するホテル、Terranea Resortに到着した。ゴルフ場のある大きなリゾート施設で、一部がホテルになっている。受付けreceptionistが早口でよく聞き取れなかったが、クレヂットカードを見せて署名した。後で分かったことだが、この時点で、ホテルのワンルームの部屋ではなく、会員制リゾートの施設であるバンガローにアップグレードされていたのだ。受付の職員は、説明しても分からないだろうと思ったのか、二コッとカードキーを渡してくれて、それで受付完了。

我々の滞在したバンガローから、他のバンガローを眺める。

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バンガローの内部。何しろ広々。2LDKの構造だが、洗濯機・乾燥機・冷蔵庫それに食洗機までついている。後で、シャトルバスのドライバーに聞いたところでは、会員は年に1万5千ドル支払い、年間8週間この建物を利用する権利を得るというシステムのようだ。日本でもバブルの頃に見聞きしたシステムである。多くの場合、会社単位で借り受けているようだ、とドライバー氏は述べていた。

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風呂。シャワーとバスタブが別になっている・・・どうでも良いのだけれど。トイレも二か所。洗面所もだだっ広く、シンクが二つ。件のドライバー氏によると、日本の電気・車の会社のお偉いさん達も良く利用するらしい。ふ~~ん、こういう生活をしているのか、と元貧乏医者は感心しきり。

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夕暮れ間近の風景。滞在中、大体晴れていた。いつも乾燥して涼しい風が吹いている。夜は長袖が必要。

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我々の滞在したバンガローの入口。夜になって、どうも予約した部屋とこの建物は違う、豪華すぎると気付き、小心者の私は受付に確認の電話を入れたが、こちらの心配が伝わらず。考えあぐねて、Steveに電話して、彼にホテル受付に尋ねてもらったが、privacyを理由に答えてくれぬ由。翌日、conciergeに尋ねて、ようやくアップグレードされていたこと、支払いは予約金額と同じに済むことを理解した・・・貧乏人の小心者はこれだから困ると思われたかもしれないが、説明をもう少し分かるようにしてもらいたかった、というのが私の感想。

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ホテル敷地から、LA側、即ち東側を望む。この一帯は、以前Marine Parkとかいうテーマパークがあったらしい。この近辺で生まれ育ったSteveは、その施設に子供のころ何度も遊びにきたと言っていた。ところが、1980年代に、その施設は移転。その後、一帯を高級住宅地として保存する意図が当局にあり、なかなか開発の許可が下りなかった、1990年代後半にこのリゾートの開発が許可され、3年前にようやく竣工したと、帰り空港に向かうタクシーの運転手から聞いた。環境保護にも力を入れていると、ホテルの説明文にあり、実際、亜熱帯を思わせる植物が多数規則正しく生育していた。雑草が見当たらないところが何とも人工的なのだが・・・。

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で、これだけ高級なリゾートに滞在したからには、高級な食事にありつけたかというと、専ら、海岸に向かって100mほど歩いたところにあるメキシコ料理の店でこんなものを頂いていた。この受付にも、最初、アウトド、インド?と尋ねられて分からず。「室内にするか、室外か?」と訊かれたことにしばらくしてから気付いた。でも、ウェイター・ウェイトレスは感じが良かった。アメリカの食べ物は、以前から感じていたことだが、サイズがデカい。これにビールを毎回飲んでいたら、カロリー過剰は必須。でも、二三回楽しむだけだったら、それなりに美味しく楽しい。日が暮れるころ、タコスをほおばった思い出は、きっと忘れない。

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次回が最終回の予定。

北米西海岸への旅 (5) 

サンノゼ空港は、新しく建て替えられていた。といっても、20数年前の記憶は殆どのこっていないのだが・・・。荷物を受け取り、ロビーに出ると、昔と殆ど変らぬBob W6CYXが待っていてくれた。21年ぶりにお目にかかる。会う早々、カメラのことは聞いたか、と尋ねられた。私がカメラをHilton Bellevueに置き忘れたというのだ。慌てて、ウェストポーチのなかを探したが、確かにカメラが見当たらない。あちらでは、写っている中身から、私のカメラだと判断し、その後、Rick N6XIが、Bobの家に届けてくれることになったのだった。Rickの家は近いとはいえ、車で1時間程度はかかるのではないだろうか。カメラ自体の価値はないにしても、せっかく撮り貯めた写真は貴重なものだった。大したことでもないかのように、カメラを届けてくださったRickには感謝あるのみだ。

Bobに連れられ宿舎となるホテルへ。ビジネスホテルの豪華版というところだが、とても感じの良いホテルだった。近くに日本レストランや日本の商品を扱うスーパーもあった。スタッフも感じが良く、各階にPCが備えられて便利。朝食のバイキング料理もとても美味しい。Bobが推薦してくれたホテルだったが、彼自身は利用したことがないのでちょっと心配していた様子だった。とても気に入ったことを伝えると、Bobも喜んでいた。ホテル名はMoorpark Hotel。

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昼食・チェックインを済ませ、Bobのお宅へ。シリコンバレーの東側にそびえるMt. Hamiltonの中腹にある。より太平洋に近い、半島側の山並みに比べると、降雨量が圧倒的に少ないらしく、冬の数か月を除いて、周囲の草原は枯れた状態が続く。最後に訪ねた21年前に比べて、彼の家の敷地にうっそうと木々が茂り、様々な果樹の木に実がたわわになっていることに驚いた。毎日、奥様とその姉にあたる方が、水やり等の世話を続けている成果らしい。高い常緑樹は、redowoodである。

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Bobご夫妻。奥様のMarikoさんはブラジル出身の日系人である。お二人とも少し白髪が増えた様子だが、若々しくお元気そうだった。

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Bobのアンテナ。上が昔懐かしいKT34A、下がWARCバンドのビーム。マストごと回している。何しろ、南東から北東にかけて全面眼下にシリコンバレーからサンフランシスコの方面まで広がるような場所なので、”飛び”は抜群である。その昔、ベイエリアの他の町に住む友人から、Bobの信号はなぜあれほど良く飛ぶのかと怪訝そうに尋ねられたことがあったほどである。これに写っていないが、確かバターナットが別にある。それより下のバンドのアンテナは、前の写真に写っているredwoodを利用してワイアーアンテナを上げているようだ。

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彼の庭からシリコンバレー南部を望む。

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夜は、彼のお手製の(?)ロブスターの豪快な料理をご馳走になった。ダイニングルームから望むシリコンバレーの夜景。最初に彼の家を訪ねたときに、この夜景を観て、度肝を抜かれた記憶がある。30年近く前
の思い出が蘇った。食事を頂きながら、彼の話しをいろいろと伺った。彼は、Rickも認める保守主義の論客であり、また官僚批判が鋭い。社会保障は自らが自らを助けるべきだというのが彼の論。政府に期待するのは、国防・教育等限られる、とのことだ。「社会主義」のオバマ政権により、社会保障が十分あるために、人々は働く意欲を失っている、そのために見かけ上の失業率が高止まりしている、というのが彼の主張である。

官僚批判については、私も同じように感じることがあった。高速道路上に歩行者の横断歩道をかけているが、だれもそれを利用していない、またサンノゼ市内を南北に走る電車が作られたが、それも利用する人々は限られている、すべて官僚による無駄遣いであり、その背後には業界との癒着がある、とのことだ。仕事をしていたころ、数百人の被雇用者の記録に「人種」を記録してはいけないと言われたのだが、別な官僚には、人種別の雇用者の統計を出せと言われたことがある。トンデもないと抗議したら、それっきりなにも言ってこなくなった等々。彼の大きな政府批判は留まるところをしらない。

彼のこの考えは、アメリカの中流から上流階級の人々にかなり普遍的にみられるもののように思える。オバマに大きな期待をかけ、それが外れたことも、こうした考えが広く行き渡る要因になっているのだろう。

一方では、満足に医療を受けられぬ数千万人単位の人々がいる。また、フェアであることを倫理学的に追求したRawlsの思想を生み出した文化的な背景も、アメリカにはある。小さな政府の論は、これまで多くの問題を現実に産んできたことも事実だろう。バブルと、その崩壊を繰り返し、世界経済は、現在の停滞に陥り、持てる者はより多く持ち、持たざる者はより多く失う世界が出現している。国際的な金融制度に何らかの秩序が必要になっていることも事実だろう。小さい政府と自力で生き抜くことへの飽くなき信条をBobが述べるのを聞きながら、これから米国がどのような方向に向かうのかと思いを巡らしていた。

話しが前後するが、サンノゼ空港に到着してすぐに、Los AltosやPalo Alto等の町、それにスタンフォード大学のキャンパスを見せて頂いた。想像していた、売りに出された家屋はほとんど見当たらず、美しい街並みが続いていた。Bobは、マスコミの伝える経済状況は一面的すぎると言っていた。米国の経済が落ち込み、どうしようもなくなっているかのような報道は間違いである、と。不動産の経済状況の良い、シリコンバレーのごく一部を観たにすぎないが、確かに米国の経済がどうしようもなくなっている、ということはなさそうに思えた。スタンフォード大学は、30年近く前短期間研修に訪れた時からガラッと変わっているように思えた。多くの新しい建物が立ち並び、旧い病院も間もなく使用されなくなるらしい。

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翌日は、Santa Cruzのredwood tree parkに連れて行って頂いた。樹齢2000年以上という巨大な針葉樹がたくさんある。この木は、シロアリ等に食われないので、家屋の材料に大量に使われてしまったのだが、この一体に残ったものだけが州立公園として保存された由。redwood treeの表面が赤い理由は、タンニンを含むためであり、その成分が害虫からの被害を防いでいると、訪問者のための建物内にある説明文にあった。Bobは、これらの樹の寿命が長いことに盛んに感心していた。

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昼食を, Santa Cruzの海岸桟橋突端のレストランで頂く。カラマリ・・・小型のイカ・・・のフライである。桟橋では釣りをしている人々がいた。Bobが釣れているかと気軽に尋ねていた。帰路は、これまた懐かしい17号線を東に向けて走る。7月下旬に行われた、Carmelでのバッハフェスティバルの様子を伺っtた。ロ短調ミサがテーマだったらしい。ホザナ(だったかしら)の三連符が三位一体を表現しているので、しっかりそれを演奏した方が良いとか、終局の最後の音をティンパニは単一音で奏しているが、ロールインした方がよいのではないかとか・・・。後者については、リハの時に、Bobは果敢にステージに上がり、指揮者に言ったのだが、ていねいに断られたとか・・・。リハの間の休み時間に、外でティンパニ奏者を捕まえて、同じことを進言してみた、だが、同奏者は、だまってそうすることはできるが、演奏が終わった後で、指揮者から微笑みながら「次にそのようなことをするときは、許可を得てからにしてくれたまえ」と言われることだろうと、Bobは聞かされたとか、いろいろと面白い話があった。

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何か記録し忘れたことがあるようにも思えたが、一応このポストはこれまでにしておこう。翌、7月29日に、最後の目的地、LAに向かうことになる。

北米西海岸への旅 (4) 

7月28日午後6時から、Hilton Innで晩餐会。といっても、フルコースの出る本格的なものではなく、バイキングの食事にアルコールという簡素なもの。こういう場で挨拶せよと言われるのが一番困るとSteve W7QCに言ってあったためだろうか、私も含めて、そのような挨拶などは一切なし。テーブル毎に飲み食いしつつ、談笑をするだけだ。

沢山写真を撮ったのだが、これまで紹介しなかった方の写っているものだけをアップする。このテーブル、左端に正装をして座るのが、Bruce K6ZB。彼とは、1980年頃に交信し、その後長い間彼のQRT期間があり、2000年頃カムバックされた方だ。我が家にも一度遊びに来られたことがある。その際に、保守的な彼と若干議論したことがあった。今回も、ウォールストリートジャーナルを読めと笑いながら語りかけてきた。最近、カリフォルニアからテキサスに移り住んだので、7メガの信号が弱くなり残念なところだ。近いうちに、マシなアンテナを上げる由。新しい住処を気に入っており、仕事も順調なようで何よりである。時計回りに、次が、Bruceの奥様のCathy。気管支炎を起こすこともなくなり、元気そうだった。次が、Pat N9RV。奥様のRita。その次のお二人、分からない。手前の二人は、Cliff K6KIIと、その奥様Janice。

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この方(男性)が今回のミーティングで最もお目にかかりたかった方のお一人、Fred K1NVY。各バンドで大変activeな69歳。どうも主催者から少し強引に連れてこられたらしく、こうした集まりや、クラブにはまず参加しないのだ、と言っていた。バイクに乗り、無線に明け暮れ、専ら我が道をゆくというタイプの方だ。手前は、AK4Zの奥様だったと思うが、よく分からない。

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会の最後に、プレゼントの交換会があり、盛り上がっていた。会を終えた後、皆、メイン会場に移動し、またもや酒やソフトドリンク片手に話をし続けたようだった。私は、翌日のサンノゼへの移動を控えており、10、15分程度顔を出しただけで自室に戻った。ロビーに備えられていたPCで翌日のフライトの予約の確認をしようとして、ちょっとトラぶっていると、Al N6ZIが寄ってきて、助けてくれた。Alとも30年以上前からの知り合いであるが、彼の設備が小さいこともあり、長く無線で話し込んだことはあまりなかった。この先の旅行でも何か手助けが必要なことがあったら、いつでも電話するようにと、彼の自宅の電話番号を記したメモを手渡してくれた。ありがたいことだった。

翌、7月29日午前7時、ロビーの喫茶店にいたDave K6XG達に別れを告げ、タクシーでシアトル空港に向かった。実はこの時点で、メイン会場にカメラを置き忘れるという失態をしていたことに後で気付くことになる。

タクシーの運転手は、痩せた黒人の方。どれくらいで空港に着くかといった話から、彼の故郷の話しになる。彼は、エチオピア出身だそうだ。エチオピアには、中国からの援助がたくさん入って、現在景気も大分良くなっているとのことだった。これまで他の国は、ただ簒奪するだけだったが、中国はエチオピアに富を残してくれる、と中国を礼賛していた。ただ、近年独立したエリトリアが、独裁政治で悲惨な状況にある、と教えてくれた・・・このことは後で再び確認することになる。彼は、子供を連れて、来月にも故国に戻るつもりだ、と言っていた。彼に少し多めのチップを渡し、Bob W6CYXの待っていてくれるサンノゼ行きの飛行機の旅客となった。

まだ、続く。

北米西海岸への旅 (3) 

7月28日、早朝に起き出す。ロビーと同じ階にあるレストランで朝食。バイキング形式。Tommyと一緒になり、同席。彼の家を訪れたのが、1984年だったろうか。彼の母上は、足に不自由があるらしいが、90歳を越えて、知的にはしっかりしているとのことだった。兄上家族と、私たちが訪れた、サンアンドレアスで平和に過ごしておられるらしい。彼の日常のこと・ご家族のことなどを伺う。彼は以前ほどは無線にactiveではないように思えたが、DXとWARCバンドという私のあまりかかわらない領域で楽しんでいる様子だ。以前、複数エレメントの多バンドクワッドが、風で落ちてしまい、一瞬のうちに、目の前で6000ドルがパーになったとのこと。そのショックは忘れられない、PTSDだと言っていた。

その後、ホテル周辺を散歩。以前に記したとおり、きれいに手入れされている。針葉樹と広葉樹の街路樹が、道の両側に植えられ、歩道の一部には西洋芝が植えられている。ブロックの一部が意図的にかどうか、自然のブッシュになっており、自生のラズベリーがたくさん生えていた。途中で、John W7FUと一緒になる。彼は精神科医。現在は、行政的な仕事に携わっている(携わっていた?)らしいが、臨床についても詳しい。現在のアメリカ人のなかでは珍しくリベラルな考えの持ち主のようだった。米国の精神科医療についても、持たざる者への配慮が足りないという趣旨のことを仰っていた。ワシントン大学で疫学の研究をし、大学病院と自分の働く医療機関療法で診療していたらしい。とても気さくで、日本に来て、自転車旅行をしてみたいと仰っていた。

メイン会場に入ると朝食を終えた人々が集い、あちこちで談笑の輪ができている。Dave K6XGに、リコーダーを持参したことを確認し、主催者に彼の演奏を皆に聞かせたらと話した。最初、もっと小さい場所の方が良い等と少し躊躇する様子だったが、アナウンスされて、皆が彼を注目。彼は、最近入手したという木製の美しいソプラノリコーダーと、ipadと思しき電子機器を取り出し、目の前に据えた。ipadにはフットスイッチが付けられており、譜めくりを足でやるのだそうだ。バッハ等の作品をいくつか演奏。ブロックフレーテ特有のぬくもりのある音。高音域が音ができらなくて、その半分の周波数の音が混じってしまうこともあったが、それは上がっていたためだと後で伺った。演奏終了すると、やんやの喝采。次は私にチェロを持ってくるようにと二三人の方から言われた。持ってくるのは無理だから、どこかでレンタルしてもらえば・・・。Daveには、ヘンデルの作品一のソナタはどうだろうと、言っておいた。

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昼食会は、Bill W7GKF邸。Alan AC2Kに再び同乗させて頂いた。Bellevueから北に20分程度車を走らせた、木々に囲まれた静かな場所に彼の家があった。美しい芝が前庭になっており、瀟洒な家が目の前に現れた。豊かな米国の一端を観る思いだ。

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家のなかも、我々の感覚からすると生活感を欠くように思えるほどに、美しく整えられている。入口の脇の小部屋には、明るい茶色に輝くピアノが置かれていた。ダイニングルームには様々な食べ物が並べられ、庭には、二三の丸いテーブルを囲むように椅子がたくさん置かれていた。すでに多くの方が集い、話に華を咲かせている。庭は、家側に芝生が配置され、その奥には、30mはあろうかと思われる木がたくさんあった。redwood treeだったかもしれないが、訊きそびれた。彼は、ワイアーアンテナを、これらの木々に括り付けて無線をしているらしい。所々に、それらのワイアーの端が見えるが、アンテナファームになっているようには見えない。木々のなかを、小川が流れていた。小川で土地が湿り、それが良いグラウンド効果を生んでいるのかも・・・いずれにしろ、彼の信号はJAにとびきり強く入ってくる。彼は、ラグチュワーであると同時にコンテスターでもあり、JIDXC等では良い成績を残しているらしい。彼の奥様のAnnによると、今でもコンテストのために徹夜するとのこと・・・。

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後ろ向きの黒い衣装の女性は、Red K5ALUの奥様のLinda、時計回りにRed自身、Tommy W6IJ、Bruce K6ZB、最後の白髪の方は失念>Marv N5AWだった、ご本人からの指摘で判明。 

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左が、AC2K、右がJim KF7E・・・どうも同じメンバーばかり撮ってきてしまった。ここで話をした方で印象に残ったのは、Cliff K6KIIと、Rick N6XI。Cliffは、1960年代からしばしばDXシーンでコールを聞いてきた人物である。この数年来、彼がFOCに入ってから「普通の交信」を多くするようになってきた。様々なセンサーを設計し製造する会社を、他の方と共同で経営し、さらにエンジニアとして仕事をしてきた様子だ。70歳を超え、仕事好きを自称している彼も、年内にはリタイアする心づもりをしたらしい。無線以外では釣りと、ハイキングをなさる様子。キャンプ道具を担いで、山道を歩くらしいので本格的なハイカーだ。御子息は、コロラドで血液内科の医師をなさっているとのこと。しばしば、家族で一緒に行事をなさる様子だ。

Rickは、これまであまり交信をしたことがない部類に入る方だが、ここシアトルにやって来る直前に、彼の自家用機でベイエリア観光はどうかと言ってくださった方(と言う話はすでに記した)。まだ50歳前後に思える。40歳台前半で余裕のリタイアをしたらしい。MITのご出身で、高名な言語学者チョムスキーのことも知っている、とのことだった。米国の医療制度についてはオバマの改革をある程度評価するという立場のようだった(少なくとも、裕福な方でこうした考えの持ち主は珍しい)。Bob W6CYXを初めとするサンノゼ周辺のハムと火曜日に昼食会を毎週開いており、そこでBobの強烈な保守主義の「講義」を聞くこともある、と笑顔で語っていた。彼には、あとで大いにお世話になることになる・・・。

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手前のテーブルに座る黒いジャンパーを羽織る男性は、Vic W9RGB。文学畑から、コンピューターサイエンスに専門を替え、長い間、イリノイのPurdue大学で大学内のシステムを動かすソフトウエアを開発・運用なさってきた方である。オバマが大統領候補だったころ、オバマを支持するという点で、互いに意見が一致して、それ以来、親しくさせて頂くようになった方だ。とてもactiveで、FOC内で一年間で部員同士の交信局数を争う「コンテスト」では、ダントツのトップを走っている。Dave K6XGは、Vicの弟さん。Vicと共通する友人が私にはたくさんおり、来年のOrlandoでのFOCミーティングに改めて誘われた。少し人見知りされるようなところもあるが、いかにも人柄の良さそうな人物だ。

奥のテーブル、小さくしか写っていないが、一番奥の人物が、Chris、同じく親しくさせて頂いているDick K4XUの奥様。Dickが、日頃、自分のボスと呼ぶ人物である。近くの博物館で学芸員の仕事をなさっているとか。いつも無線で噂を伺っているChrisのような方に初めてお目にかかるのも楽しい。

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同日午後は、多くの参加者が、Boeingの工場見学に出かけたのだが、私はキャンセルした。1967年来の親しい友人、Kemp K7UQHが、Bellinghamというワシントン州北端の町から、2時間以上かけてはるばる訪ねてくださるからである。何度か彼については記してきたが、1960年代からの数少ない友人のお一人である。Kempは、奥様のJunkoさんと愛犬Luckyとともに、颯爽とメイン会場に現れた。30年以上前に頂いた写真と比べると、さすがに白髪は増え、痩せていたが、それでも元気そのもの、何時も笑顔を絶やさず、初めてお目にかかることを喜んでくださった。彼の若かりし頃、無線を始めたころのこと、radio operatorとして、LNG運搬船に乗り仕事をしていたころのこと等々、持参してくださった写真を眺めながらお話を伺った。母上も無線をなさっていたそうだ。コリンズのSライン等、当時としては高価な無線機をお持ちだったようだ。我々のElmerのお一人、Ed K6NBの貴重な写真のコピーも持ってきてくださった。その内、そうした古い写真類に興味を抱いた他の参加者が話に加わってきた。無線仲間は仲良くなるのに時間がかからない。奥様のJunkoさんとは、無線で知り合った仲とのこと。Junkoさんは、北海道出身である。とてもしとやかそうな方だった。私が料理を多少すると聞くと、それをKempに何度となく言っていたが、Kempは聞く耳を持たず 笑。一頃、無線への情熱がうせてしまったのではないかと思えた彼だったが、このところ、ビッグバンドでトロンボーンを吹くことに熱中している様子だ。車から7メガのCWに出ており、定期的に交信する仲間もいる由。またの再会を約束してお別れした。

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で、次はメインイベントの晩餐会になるのだが、いつ最後までたどり着くのか・・・個人的な思い出話ばかりでつまらないかも・・・それでも続く。