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文科省が、経産省の一部局になった 

このニュースを、前川喜平元文科省事務次官は、文科省が、経産省文科局になったと言って揶揄していた。

官僚が学問を評価すると、ロクなことはない。そうでなくても毎年大学交付金を「機械的に」削減してきたのに、そこに官僚が大学の研究を評価するシステムを導入したという記事。

研究は、あまり注目されていない部門、成果が出るまでに時間のかかる部門もある。将来、飛躍的な科学技術の発展に貢献する学問は往々にしてそうした部門から生まれる。さらに、目に見えて成果が出ないように見える人文科学の研究をどのように評価するのか。人文科学から生まれる、歴史、思想の理解が、時代を動かす原動力になるものだ。こうした学問への畏敬の念が、官僚には皆無だ。その事態を、この記事が端的に示している。

これでは、国が没落する。

以下、引用~~~

国立大4校の交付金増 文科省、論文コスト初評価
大学 社会
2019/8/9 18:23

東工大は引用回数が多い論文を低コストで生み出せた評価が最も高かった(大岡山キャンパスの本館)=東工大提供

文部科学省は9日、国立大学の教育研究や経営改革の成果を相対評価して運営費交付金を傾斜配分する新方式について、2019年度の各大学の評価結果を公表した。全86大学のうち16大学については、引用回数が多い論文をより低コストで生み出せた大学を高く評価。東京工業大が最も高い評価を受け、計4大学の交付金を上積みした。

19年度の交付金の総額は18年度と同額の1兆971億円。各大学の規模などに応じて交付するが、一定額を拠出させ、1千億円を評価に応じて再配分する。

19年度からは1千億円のうち700億円を相対評価の対象とした。「会計マネジメント改革状況」「教員1人当たりの外部資金獲得実績」「若手研究者比率」など大きく分けて5つの指標で評価。再配分率は90~110%とした。

「世界で卓越した教育研究を目指す」と位置付けられている16大学は論文生産コストでも評価。16年~18年11月までの引用回数が上位10%に入る論文の件数と、交付金や科学研究費補助金を比較。低コストで論文を生み出せた大学を評価した。

論文コストによる再配分率は東工大が110%で最も高く、東京農工大、名古屋大、京都大がそれぞれ105%。筑波大、金沢大、岡山大は最も低い90%だった。

1千億円のうち残り300億円は従来と同じ方法で、大学が自ら決めた目標に対する進捗状況で評価した。再配分率は95.1~105.0%で、100%を超えたのは86大学中25大学だった。

日本の大学の地盤沈下が激しい 

我が国の研究論文被引用数が、国際的に見て、低下している。以前は、米・英・独についで4位だったものが、最近のデータでは10位にまで低下している。この大きな理由は、やはり教育予算、とくに大学への交付金を減らし続けていることなのではないだろうか。同交付金は、毎年機械的に減らされ続けている。研究者のポストは任期制になり、数も減っている。

その一方で、学問領域で業績を上げているとはいえない、PEZYには、かの山口敬之の口利きで52億円の融資がポンと決まったりする。この会社の経営者は、詐欺罪で逮捕された。研究予算もcronysmに冒されている。

政権は、教育への投資を軽視し、投資をすると言えば、紐付きであったり、知り合いへの便宜だったりする。これでは、日本は立ち行かなくなる。

朝日新聞digitalより引用~~~

研究費8億円減、梶田所長が抗議「基盤揺らぎかねない」
杉本崇2018年2月6日15時09分

 国立大学の研究所代表でつくる「国立大学付置研究所・センター長会議」の梶田隆章会長(東京大宇宙線研究所長)は6日、政府の新年度予算案で研究プロジェクト費が8億円削減される見通しになったことに対し、「研究の基盤が揺らぎかねない」と述べた。海底に設置した地震計が回収できなくなったり、火山の観測データに欠損が出たりする恐れがあるという。

 国立大学には約80カ所の研究所があり、大型プロジェクトなどを担う共同研究の拠点になっている。梶田さんは記者会見で、「研究所を活用した学術論文の数はここ5年間で52%増えた」と実績を挙げた上で、予算削減で研究計画が滞るなどの影響が出る可能性があると説明した。

 文科省によると、新年度予算案では、全国の国立大学研究所の研究プロジェクト費は2割減る方針。交付される予算は、今年度の61億円から新年度は53億円にとどまる見込み。研究所の運営経費は維持される。

 一方、新年度予算では、新しい政策として、海外から来た研究者の滞在費や旅費の支援に3億6千万円が盛り込まれた。これに対し、梶田さんは「研究費を補うものにはならないだろう」と話した。(杉本崇)

学問研究の後退 

京大の再生医科学研究所で、論文の捏造があったと話題になった。所長の山中伸弥教授をマスコミの一部は攻撃しているが、山中教授は捏造論文の直接的指導責任があるわけではなく、ちょっと的を外している。

論文を捏造した助教は、有期の任期のスタッフであり、限られた期間に業績を上げなくてはという焦りがあったのではないだろうか。勿論、捏造をした責任は重たいが、研究者の有期雇用の問題が背景にあるような気がする。再生医科研では、スタッフの9割が有期雇用であり、山中教授は仕事の半分を研究費集めに費やしているらしい。有期雇用が多いのは、もちろん人件費が潤沢とは言えないためだ。再生医科研は、それでも研究費が他の研究室と比べると多いと言われている。日本の医学研究の財政基盤が如何に貧弱であるかが分かろうというものだ。

理系の研究者はまだ恵まれているらしい。文系は、研究費のみならず、研究室・研究者のポジション自体が減らされ続けている。基礎的な学問は、特定の大学でしか研究できないように、文科省はもってゆくつもりらしい。

その一つの帰結が、この記事の内容だ。わが国から先端的な研究が、きわめて出にくい状況になっている。これは、国力の後退を意味する。

以下、引用~~~

科学論文数、日本6位に低下…米抜き中国トップ
18/01/25記事:読売新聞

 【ワシントン=三井誠】科学技術の研究論文数で中国が初めて米国を抜いて世界トップになったとする報告書を、全米科学財団(NSF)がまとめた。

 中国を始めとする新興勢力が研究開発費を大幅に増やして力をつける一方、日本はインドにも抜かれ、存在感を低下させている。

 報告書は各国の科学技術力を分析するため、科学分野への助成を担当するNSFが2年ごとにまとめている。2016年に発表された中国の論文数は約43万本で、約41万本だった米国を抜いた。日本は15年にインドに抜かれ、16年は中米印、ドイツ、英国に続く6位。昨年、文部科学省の研究機関が公表した13~15年の年平均論文数では、日本は米中独に次ぐ4位だった。

吉岡斉氏逝去 

数日前、吉岡斉氏が亡くなったと報じられていた。64歳、九州大学の教授で科学技術史の専門家・・・といっても、あまりなじみのない方かもしれない。科学技術史でも、原子力関係の歴史が専門で、福島第一原発事故後、「新版 原子力の社会史 その日本的展開」という力作を上梓なさった方である。

あの事故後、どうしてあのような事故が起きたのかを知りたく、原子力、原発関連の書籍を貪るようにして読んだ。この吉岡氏の本は、原発が開始され、発展し、さらに停滞期を経て、あの事故に至る過程を実証的に記録している。根本的な視点は、原発への批判的な立場であるが、イデオロギーではなく、なぜ原発と、核燃料サイクルが破たんしたかを、実証的に述べている。もともと日本に原発を作らせることには否定的だった、米国の原子力政策の転換の間隙を突き、当時の改進党議員だった中曽根康弘が原子力研究予算を計上させた。その後、政官財の原子力利権組織をバックにして、自民党政権は原発建設に突き進み、電力業界と深い関係にある通産省と、科学技術庁という二つの役所が競うようにして、原発を建設し続けた。だが、やがて故障と技術的停滞の時期に入り、あの福島第一原発事故が起きる。今後は、パラダイムの変換が必要となる、という結論だったと思う。核燃料サイクルは、電力業界自体も懐疑的で、できれば手を引くことを要望していた事業であり、それがようやく実現しかかっている(通産省は、新たな核燃料サイクル事業の確立を考えているらしいが、その実現は財政的にも難しいはずだ)。原発の開発当初は、関係者の広報活動もあり、国民は夢のエネルギーとして原発を歓迎した。だが、原発の度重なる事故、そして福島第一原発事故により、大勢は脱原発に傾いている。しかし、原発により利権を得ている組織からの揺り返しも激しい。

この状況を吉岡氏はどのように見ていたことだろうか。彼は、決して政治的に発言を続けていたわけではなかった。この本にも記されている通り、科学技術に対する懐疑的な見方が、原子力問題に関心をもつきっかけだった。彼のようにイデオロギーにとらわれることなく、広く深くこの問題を追及した学者は少ない。彼の若すぎる死が本当に悼まれる。

私が高専に在学していたころ、科学技術史の授業を非常勤で担当していた村上陽一郎先生という方がいた(まだここでは言及したことがなかったか、彼はチェロ奏者でもあった)。吉岡氏は東大物理学科在学時代に彼の指導を受けたらしい。私は科学技術史をまじめに勉強したわけではなかったが、村上先生の授業は関心をもって受けていた・・・そのことからも、吉岡氏には少なからず親近感を感じていた。ご冥福を祈りたい。

大学ランキングから見えてくること 

英教育誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーションが世界の大学ランキングを公表した。このランキングには、英語圏の大学が有利であるといった批判があるのはよく知っているが、一応の大学の力量の目安にはなる。

で、日本の大学は、下記引用の報道が示す通り、全体として凋落の一途を辿っている。

記事に、その凋落の原因が挙げてあるが、予算が年々厳しくなっていること、外国からの教員・留学生の招聘が多くないことが主な原因だろう。

特に、大学の予算は、大学が法人化された2004年以降、国からの交付金が「機械的に」削減され続けたことで、大きく減少している。そのために、研究予算が切り詰められ、それにもっと大切なことには、若い研究者を雇う経済的な余力がなくなってきている。博士課程を終えても、就職先がないという話も良く聞く。助手、助教の就職口がないのだ。医学部の場合、この数年で、学生の定員が2、3割機械的に増やされたのに、各研究室のスタッフ、予算がそれだけ増えたわけではない、という話を、後輩から聞いたことがある。予算は切り詰められ、仕事の負担は増えるという状況なのだ。

国立大学協会が、国立大学の財政事情を報告している。
国立大学協会 2015年度 報告 「国立大学法人の直面する問題」 こちら。
大学への予算カットが凄まじい。医学部付属病院への補助金もとうとうゼロになった様子。

私立大学も同じような状況なのではないだろうか。

昨年、ノーベル賞を受賞された大隅良典氏が、基礎研究にもっと予算を割かないと、日本の学術研究のレベルが落ちると何度も述べていた。あれは、単に形式的な言葉ではなく、切羽詰まった警告なのではないか。これまで、一定の間隔で、日本の研究者がノーベル賞を受賞していたのは、10、20年以上前の業績に対してである。今後、受賞が続くことはなくなるのではないだろうか。よく言われることだが、日本には天然資源が乏しい、豊かなのは人的資源だったはずだ・・・が、教育への投資をこれだけカットすると、あと10、20年後にどのような状況になることだろうか。


以下、引用~~~

東大がアジアで7位維持 英誌大学ランキング
17/03/16記事:共同通信社

 【ロンドン共同】英教育誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーションは15日、中東を含むアジアの今年の大学ランキングを発表し、日本で唯一トップ10入りした東京大は昨年と同じく7位となった。同誌によると、100位内に入った日本の大学は昨年から2校減少し、12校だった。
 
 同誌は「アジア随一の大学大国」と日本を評価する一方で、中国などの勢いに押される形で日本の多くの大学が順位を下げたことを懸念。原因について資金不足のほか、海外の研究者との協力が弱い傾向にあると分析した。
 
 京都大は昨年の11位から14位に。東北大(26位)、東京工業大(30位)、大阪大(32位)、名古屋大(35位)、筑波大(56位)、北海道大(58位)、首都大学東京(69位)などがいずれも昨年から順位を下げた。
 
 一方、100位内で順位を上げたのは豊田工業大(40位)、九州大(45位)、東京医科歯科大(51位)。
 
 1位は今年もシンガポール国立大。2位以下は北京大(中国)、清華大(中国)、南洋工科大(シンガポール)、香港大と続いた。
 
 同誌は論文の影響力や国際化の度合いなど13の指標で調査している。

電離圏電子数異常から巨大地震を予測する 

電離圏の電子数の異常から、巨大地震の発生を直前に予測するという研究。研究の概要は、こちら

20から60分前の予測らしいので、危険回避のために行えることは限られるが、死傷者を減らすこと等には有効な予測になるのではないだろうか。

電離層反射との関係はどうなっているのだろうか。

以下、引用~~~

巨大地震発生の前兆か“大気に異変”
毎日放送 2/28(火) 19:28配信

毎日放送
 地震予知の新たな手がかりになるのでしょうか。巨大地震の前兆が上空300キロで起きていた、という研究結果を京都大学の研究グループが発表しました。

 京大の梅野健教授らの研究グループは、去年4月の熊本地震発生前後でGPSを使い、大気よりも上の上空約300キロにある電離圏と呼ばれる層を分析しました。これが結果を示した動画です。地震が発生する1時間ほど前から、熊本付近の電離圏で電子の数に異変が起きていることを示しています。同様の結果は2011年の東日本大震災でも観測されていましたが、内陸直下型地震で観測されたのは初めてだということです。

 「地震に関する予測は今はないが、そういった予測につながって防災・減災に役立てばと考える」(京都大学 梅野健教授)

 一方、去年10月に起きた鳥取での地震では、このような現象は観測されておらず、マグニチュード7以上の巨大地震特有のものだとみられています。地震予知の新たな手がかりとなるのか。すでに企業などから共同研究の依頼も入っているということです。

「研究者版経済的徴兵制」 

安倍政権の軍産学複合体拡充の試みは止まらない。

防衛省は2015年度から、「安全保障技術研究推進制度」を設け、大学・研究機関・民間企業の研究に研究資金を提供し始めた。予算規模は2015年度3億円、2016年度6億円だったものが、2017年度は110億円と、二けた違いの予算に膨らんでいる。だが、応募数は、2015年度が109件(採択9件)であったものが、2016年度には44件(採択10件)と半減した。この制度の胡散臭さに研究者が気づいたためだろう。だが、これまでこうした軍産合同の研究に批判的だった日本学術会議は、「防衛」にからむ研究だったら良いのではないかという議論を始めている。大学への交付金が毎年機械的に減らされ続けており、軍産学複合体の研究への忌避感が研究者の間で薄らいでしまう、ないし背に腹は代えられぬとそうした研究に手を染め始める研究者が増えることが危惧される。

安倍政権は、軍産学複合体の拡大を図り、武器輸出を経済成長の一つの柱にすることを目論んでいる。それは、平和国家というわが国の国際的な評価を台無しにする。さらに、秘密保護法、安保法制、そして今国会審議中の共謀罪法案によって、安倍政権は戦争をする国を実現しつつある。それの一環として、科学研究者を、「研究者版経済的徴兵制」(「兵器と大学」 小寺隆幸 岩波ブックレット)の下に置くことを、上記制度で目論んでいる。

科学研究を、軍事に転用するデュアルユースを目指した、より広範な有識者会合「安全保障と科学技術の研究会」を、内閣府が発足させる。いよいよ国家規模で、軍産学複合体の拡充を目指すことになる。

沖縄へのきわめて冷淡な現政権の視線と、第二次世界大戦への反省に立つ、平和のみへの科学の貢献という視点を蔑ろにする現政権の思惑とは、共通の基盤から出てきている。

この軍事国家への歩みは、国民を不幸にする。

以下、引用~~~

軍学共同 防衛省以外も推進 技術開発へ「研究会」 内閣府、月内にも設置

2017年2月5日 朝刊 東京新聞

 軍事に転用できる大学や民間研究機関などの技術(軍民両用技術)開発を推進するため、内閣府が今月中にも、有識者会合「安全保障と科学技術の研究会」を発足させることが、内閣府への取材で分かった。研究会は防衛省だけでなく、他省庁も巻き込んで軍民両用技術の開発を進める方策を探る予定で、軍学共同に反対する研究者らからは批判の声が高まっている。

 政府関係者によると、研究会は、自民党国防族らの要望などを受け設置される。内閣府の政策統括官(科学技術・イノベーション担当)の下で議論し、検討結果は「総合科学技術・イノベーション会議」(議長・安倍晋三首相)に反映される。同会議は国の科学技術政策を担い、関連予算をどう配分するか決めている。

 内閣府は、軍民両用技術の推進を唱える政策研究大学院大学の角南(すなみ)篤教授や、大手防衛企業幹部、日本学術会議の大西隆会長などに参加を打診しているという。

 研究会では、テロ対策技術や防衛技術の開発に重点が置かれる。軍事転用可能な大学などの研究に助成金を出す防衛省の「安全保障技術研究推進制度」にとどまらず、ほかの省庁が主導して大学や研究機関の研究を防衛技術に転用できる仕組みなどを検討する。

 内閣府の担当者は「テロや防災など幅広い分野から議論し、防衛省だけでなく各省庁が安全保障に資する科学技術をいかに発展できるか考えたい」とする。議論を公開するかは未定。軍事研究を巡っては、国内の研究者を代表する機関「日本学術会議」が一九五〇、六七年の二度にわたり「軍事目的の研究をしない」とする声明を掲げているが、昨年から声明の見直しを含めた議論が続いている。

◆「おぞましい策謀」学術会議フォーラムで批判

 軍民両用技術開発を推進するための研究会が内閣府に設置されることになった。大学や民間研究機関などの研究の軍事転用を巡っては、日本学術会議を中心にその在り方の議論が進められている。その結論も待たずに、国が軍学共同へと突き進む姿勢に、研究者の批判は高まっている。

 日本学術会議の安全保障と学術に関する公開フォーラムが四日、東京都港区で開かれ、防衛省が大学や民間に助成する制度への批判が相次いだ。

 東大大学院の須藤靖教授は「安全保障に過度に依存する基礎研究など信じ難い。制度に応募しないと合意すべきだ」と防衛省の制度を批判。臨床研究情報センターの福島雅典センター長は「政府の軍民両用はおぞましい策謀だ。科学者は人類の未来に重い責任があることを忘れてはならない」と主張した。

 研究者の間に防衛省の制度を危険視する見方が広がる中、政府与党は逆の動きを強める。自民党のある防衛族議員は「中国は桁違いの金で核開発を進めている。のんきなことは言ってられない。大学や民間の軍事技術への取り込みは必須だ」と研究会の発足を促した理由を説明する。

 フォーラムに参加した新潟大の赤井純治名誉教授は、「人類の福祉や平和に貢献できるような科学の在り方を無視した動きだ。国策の名の下に研究者が軍事研究に加担させられた歴史を繰り返そうとしている。あるべき学問とは何かという視点が完全に抜け落ちている。亡国の施策だ」と批判する。 

(望月衣塑子)

英語の勉強 

英語の勉強について最近思うこと。やはり関心のある読本、教材でないと記憶に残らない。最悪なのが、受験英語の問題集。何らかの著作や論文の一つ、二つのパラグラフを持ってきて、それについて根掘り葉掘り尋ねる。テーマはぱらぱら変わる。あれでは関心が持てるはずがない。あのような問題集を続けさせられる受験生には拷問に近いのであるまいか。私の受験時代も遠くに過ぎ去ったが、当時読んだものとしては、そうした問題集の中身は全く記憶に残っていない。ただ一つ、楽しみもかねて読み通した「Goodbye, Mr Chips」だけが記憶に残っている。

関心を持つテーマの著作なり小説なりを、じっくり通して読み込むことが、楽しさだけでなく効率の点からも優れている。最近は、友人であるJim Georgeの記した「Reunion」、それにここでも紹介した「Carmel Impresarios」が面白く、記憶に残った。一方、Rawlsの「A Theory of Justice]」や、Gardinerの「Bach」は挫折。天声人語の英語訳も少し読んだが、途中でほっぽり投げてある。一ページ読むのに、辞書を引くのが二、三回で済むような難易度の書物が良いのかもしれない。それに、重要なことは、テーマが関心を持てるものであることだ。

最近は、そうした単行本も読むことを怠っている。何か関心を持てるものを見つけて、少しずつ読み進めなければと思う。交信中に分からない単語を辞書で引くくらいしか、英語に接していない・・・これはこれで、印象に残るので、記憶には残りやすいのだが・・・。歳を重ねるにつれて、記憶力は徐々に落ちている。その劣化との戦いだ。

受験を繰り返せるとしたら、もう少しましな勉強ができたかもしれない・・・。

白井恭弘著「外国語学習の科学」 

第二外国語習得論とは何か、というサブタイトルのついた、上記を読んだ。平易な内容で、読みやすい。暇な仕事に持参した日も含めて、二日間で読了した。

第二外国語習得論という学問領域もできているようで、様々な観点から、外国語を習得するとはどのようなことなのかが論じられている。外国語を学ぶといっても、学ぶ、ないし習得する個人の素質、背景に大きなバリエーションがあり、習得法の差異を検討すること自体が難しそうだ。

結論から言うと、読む・聞くというインプットをできるだけ多くすることと、アウトプットとして、書く・話すことを心がけることが大切なようだ。受験英語のように詳読だけや、近年強調されている話せる英語のように会話にだけ重点をおく習得方法はあまり効果がない、ということのようだ。基本的には、メッセージを理解することによって、言語能力が獲得される、ということである。子供の言語能力の獲得は、無意識的になされる。しかし、第二外国語の習得では、意識的な学習が主体となる。それは、発話の正しさをチェックする、繰り返し練習することで自動化される、普通に聴いているだけでは気づかないことを気づかせることで有用である。

インプットを増やすことがなぜ第二外国語習得につながるのか、著者は、「予測文法」の能力が身につくためであると説明している。予測文法とは、ある文章を聞くときに、途中まで来ると次に何が来るのかを予測する能力ということらしい。これは殆ど無意識のうちに行われることのようだ。

アウトプットだけでは第二外国語習得は進まない。だが、学んだ知識を基に、話す機会を増やすことも大切。そうした場合に、頭の中でリハーサルが行われ、それが言語の習得するのを助ける、ということのようだ。ただし、無理にアウトプットを行うと、間違った文法が記憶されてしまうことになることもある。

ここまで、この読後感をお読みになった方は、私が何を考えながらこの本を読み進めたのか推測なさっているかもしれない。そう、CWによる会話が念頭にあった。CWは、それ自体言語ではない。英語の読み書きと、会話をする人との間に入る記号体系なのだ。結局、CWによる会話の大部分は、英語の読み書きそのものになる。予測しつつ受信することが大切だと以前から記してきたが、それは、ここで登場する「予測文法」そのものだ。また、送信よりも、受信が大切であり、またnativeと交信することによって外国語・会話の能力が確実に身につくことも感じてきた。それも、この本で間接的に正しいことが証明されたようなものだ。

著者が、外国語を学ぶ動機付けも大切なことを強調しているが、無線ではその点しっかりした動機がある。受験に通ることといった一過性の偏った動機ではない。世界各地に無線で知り合いを作り、彼らと様々な意見を交換し、理解しあい、さらに彼らと人生を共有する、という動機である。

私の場合、自動化による外国語学習もかなり怪しくなりつつあるが、この本によって、今進めている英語との付き合いもそれほど間違ってはいなかったことを確信することができた。また、鈍い歩みだが、一歩一歩学んでゆこうと思った。

「実践 日本人の英語」 

マーク ピーターセン著「実践 日本人の英語」を読んだ。日本人が犯し易い英文法上の間違いを、具体例を挙げて説明している。以前紹介した「英文法をこわす」のような、日本の英文法教育への根本的なアンチテーゼではなく、従来の英文法の隙間を、分かりやすく具体例を挙げながら、説明している、というべきか。

冠詞、接続詞、仮定法、誤用されることの多い動詞、副詞等々について、いかにあやふやな知識であったか、またはそれらの使用方法について誤っていたか、改めて教えてくれる書物である。著者が英語教師として長年経験したことに裏付けられていることがよく分かる。この本を読むことで、日本語と英語の間にある、文法上のギャップを意識することになる。我々は往々にして、日本語の論理で英語表現をしがちである。だが、英語には、日本語と根本的に異なる論理構造がある。この書物の内容のように具体的に提示されることで、初めてそのギャップを意識しないでいたのかが分かる、ということだ。

この本で得られる個々の知識は、いつの間にか意識の外に抜け落ちてゆくのかもしれない。この英文法の論理を、いわば無意識化するほどに自分のものにすることで、具体的な作文、会話を行う状況で使えるようになるのだろう。

著者は、最近の学生は、会話は上達したが、読み書きの力が落ちていると述べている。会話も大切なのだが、お互いの思想や、主張をnative相手にしっかり表明するためには、読み書きが必須だ。会話力を偏重することのないようにしたいものだ。そうした英語表現を正確に分かりやすく洗練したものにする上で、この本の内容は大きな助けになる。

あとがきの前で、著者は、「良い英語」に多く接することにより、語彙を増やせ、そこで出会った英文の形を次第に自分のもととすることができると、述べている。いわば、英語の文法の血肉化ということだろうか。この点も、もう一度肝に銘じて、学んでゆきたいものだ。これまでの私の英語がかなり片言の英語になっていただろうことを反省し、さらに優れた英文に接して、英語の表現の背後にある論理を自分のものにしてゆきたいものだと感じた。、