大学ランキングから見えてくること 

英教育誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーションが世界の大学ランキングを公表した。このランキングには、英語圏の大学が有利であるといった批判があるのはよく知っているが、一応の大学の力量の目安にはなる。

で、日本の大学は、下記引用の報道が示す通り、全体として凋落の一途を辿っている。

記事に、その凋落の原因が挙げてあるが、予算が年々厳しくなっていること、外国からの教員・留学生の招聘が多くないことが主な原因だろう。

特に、大学の予算は、大学が法人化された2004年以降、国からの交付金が「機械的に」削減され続けたことで、大きく減少している。そのために、研究予算が切り詰められ、それにもっと大切なことには、若い研究者を雇う経済的な余力がなくなってきている。博士課程を終えても、就職先がないという話も良く聞く。助手、助教の就職口がないのだ。医学部の場合、この数年で、学生の定員が2、3割機械的に増やされたのに、各研究室のスタッフ、予算がそれだけ増えたわけではない、という話を、後輩から聞いたことがある。予算は切り詰められ、仕事の負担は増えるという状況なのだ。

国立大学協会が、国立大学の財政事情を報告している。
国立大学協会 2015年度 報告 「国立大学法人の直面する問題」 こちら。
大学への予算カットが凄まじい。医学部付属病院への補助金もとうとうゼロになった様子。

私立大学も同じような状況なのではないだろうか。

昨年、ノーベル賞を受賞された大隅良典氏が、基礎研究にもっと予算を割かないと、日本の学術研究のレベルが落ちると何度も述べていた。あれは、単に形式的な言葉ではなく、切羽詰まった警告なのではないか。これまで、一定の間隔で、日本の研究者がノーベル賞を受賞していたのは、10、20年以上前の業績に対してである。今後、受賞が続くことはなくなるのではないだろうか。よく言われることだが、日本には天然資源が乏しい、豊かなのは人的資源だったはずだ・・・が、教育への投資をこれだけカットすると、あと10、20年後にどのような状況になることだろうか。


以下、引用~~~

東大がアジアで7位維持 英誌大学ランキング
17/03/16記事:共同通信社

 【ロンドン共同】英教育誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーションは15日、中東を含むアジアの今年の大学ランキングを発表し、日本で唯一トップ10入りした東京大は昨年と同じく7位となった。同誌によると、100位内に入った日本の大学は昨年から2校減少し、12校だった。
 
 同誌は「アジア随一の大学大国」と日本を評価する一方で、中国などの勢いに押される形で日本の多くの大学が順位を下げたことを懸念。原因について資金不足のほか、海外の研究者との協力が弱い傾向にあると分析した。
 
 京都大は昨年の11位から14位に。東北大(26位)、東京工業大(30位)、大阪大(32位)、名古屋大(35位)、筑波大(56位)、北海道大(58位)、首都大学東京(69位)などがいずれも昨年から順位を下げた。
 
 一方、100位内で順位を上げたのは豊田工業大(40位)、九州大(45位)、東京医科歯科大(51位)。
 
 1位は今年もシンガポール国立大。2位以下は北京大(中国)、清華大(中国)、南洋工科大(シンガポール)、香港大と続いた。
 
 同誌は論文の影響力や国際化の度合いなど13の指標で調査している。

電離圏電子数異常から巨大地震を予測する 

電離圏の電子数の異常から、巨大地震の発生を直前に予測するという研究。研究の概要は、こちら

20から60分前の予測らしいので、危険回避のために行えることは限られるが、死傷者を減らすこと等には有効な予測になるのではないだろうか。

電離層反射との関係はどうなっているのだろうか。

以下、引用~~~

巨大地震発生の前兆か“大気に異変”
毎日放送 2/28(火) 19:28配信

毎日放送
 地震予知の新たな手がかりになるのでしょうか。巨大地震の前兆が上空300キロで起きていた、という研究結果を京都大学の研究グループが発表しました。

 京大の梅野健教授らの研究グループは、去年4月の熊本地震発生前後でGPSを使い、大気よりも上の上空約300キロにある電離圏と呼ばれる層を分析しました。これが結果を示した動画です。地震が発生する1時間ほど前から、熊本付近の電離圏で電子の数に異変が起きていることを示しています。同様の結果は2011年の東日本大震災でも観測されていましたが、内陸直下型地震で観測されたのは初めてだということです。

 「地震に関する予測は今はないが、そういった予測につながって防災・減災に役立てばと考える」(京都大学 梅野健教授)

 一方、去年10月に起きた鳥取での地震では、このような現象は観測されておらず、マグニチュード7以上の巨大地震特有のものだとみられています。地震予知の新たな手がかりとなるのか。すでに企業などから共同研究の依頼も入っているということです。

「研究者版経済的徴兵制」 

安倍政権の軍産学複合体拡充の試みは止まらない。

防衛省は2015年度から、「安全保障技術研究推進制度」を設け、大学・研究機関・民間企業の研究に研究資金を提供し始めた。予算規模は2015年度3億円、2016年度6億円だったものが、2017年度は110億円と、二けた違いの予算に膨らんでいる。だが、応募数は、2015年度が109件(採択9件)であったものが、2016年度には44件(採択10件)と半減した。この制度の胡散臭さに研究者が気づいたためだろう。だが、これまでこうした軍産合同の研究に批判的だった日本学術会議は、「防衛」にからむ研究だったら良いのではないかという議論を始めている。大学への交付金が毎年機械的に減らされ続けており、軍産学複合体の研究への忌避感が研究者の間で薄らいでしまう、ないし背に腹は代えられぬとそうした研究に手を染め始める研究者が増えることが危惧される。

安倍政権は、軍産学複合体の拡大を図り、武器輸出を経済成長の一つの柱にすることを目論んでいる。それは、平和国家というわが国の国際的な評価を台無しにする。さらに、秘密保護法、安保法制、そして今国会審議中の共謀罪法案によって、安倍政権は戦争をする国を実現しつつある。それの一環として、科学研究者を、「研究者版経済的徴兵制」(「兵器と大学」 小寺隆幸 岩波ブックレット)の下に置くことを、上記制度で目論んでいる。

科学研究を、軍事に転用するデュアルユースを目指した、より広範な有識者会合「安全保障と科学技術の研究会」を、内閣府が発足させる。いよいよ国家規模で、軍産学複合体の拡充を目指すことになる。

沖縄へのきわめて冷淡な現政権の視線と、第二次世界大戦への反省に立つ、平和のみへの科学の貢献という視点を蔑ろにする現政権の思惑とは、共通の基盤から出てきている。

この軍事国家への歩みは、国民を不幸にする。

以下、引用~~~

軍学共同 防衛省以外も推進 技術開発へ「研究会」 内閣府、月内にも設置

2017年2月5日 朝刊 東京新聞

 軍事に転用できる大学や民間研究機関などの技術(軍民両用技術)開発を推進するため、内閣府が今月中にも、有識者会合「安全保障と科学技術の研究会」を発足させることが、内閣府への取材で分かった。研究会は防衛省だけでなく、他省庁も巻き込んで軍民両用技術の開発を進める方策を探る予定で、軍学共同に反対する研究者らからは批判の声が高まっている。

 政府関係者によると、研究会は、自民党国防族らの要望などを受け設置される。内閣府の政策統括官(科学技術・イノベーション担当)の下で議論し、検討結果は「総合科学技術・イノベーション会議」(議長・安倍晋三首相)に反映される。同会議は国の科学技術政策を担い、関連予算をどう配分するか決めている。

 内閣府は、軍民両用技術の推進を唱える政策研究大学院大学の角南(すなみ)篤教授や、大手防衛企業幹部、日本学術会議の大西隆会長などに参加を打診しているという。

 研究会では、テロ対策技術や防衛技術の開発に重点が置かれる。軍事転用可能な大学などの研究に助成金を出す防衛省の「安全保障技術研究推進制度」にとどまらず、ほかの省庁が主導して大学や研究機関の研究を防衛技術に転用できる仕組みなどを検討する。

 内閣府の担当者は「テロや防災など幅広い分野から議論し、防衛省だけでなく各省庁が安全保障に資する科学技術をいかに発展できるか考えたい」とする。議論を公開するかは未定。軍事研究を巡っては、国内の研究者を代表する機関「日本学術会議」が一九五〇、六七年の二度にわたり「軍事目的の研究をしない」とする声明を掲げているが、昨年から声明の見直しを含めた議論が続いている。

◆「おぞましい策謀」学術会議フォーラムで批判

 軍民両用技術開発を推進するための研究会が内閣府に設置されることになった。大学や民間研究機関などの研究の軍事転用を巡っては、日本学術会議を中心にその在り方の議論が進められている。その結論も待たずに、国が軍学共同へと突き進む姿勢に、研究者の批判は高まっている。

 日本学術会議の安全保障と学術に関する公開フォーラムが四日、東京都港区で開かれ、防衛省が大学や民間に助成する制度への批判が相次いだ。

 東大大学院の須藤靖教授は「安全保障に過度に依存する基礎研究など信じ難い。制度に応募しないと合意すべきだ」と防衛省の制度を批判。臨床研究情報センターの福島雅典センター長は「政府の軍民両用はおぞましい策謀だ。科学者は人類の未来に重い責任があることを忘れてはならない」と主張した。

 研究者の間に防衛省の制度を危険視する見方が広がる中、政府与党は逆の動きを強める。自民党のある防衛族議員は「中国は桁違いの金で核開発を進めている。のんきなことは言ってられない。大学や民間の軍事技術への取り込みは必須だ」と研究会の発足を促した理由を説明する。

 フォーラムに参加した新潟大の赤井純治名誉教授は、「人類の福祉や平和に貢献できるような科学の在り方を無視した動きだ。国策の名の下に研究者が軍事研究に加担させられた歴史を繰り返そうとしている。あるべき学問とは何かという視点が完全に抜け落ちている。亡国の施策だ」と批判する。 

(望月衣塑子)

英語の勉強 

英語の勉強について最近思うこと。やはり関心のある読本、教材でないと記憶に残らない。最悪なのが、受験英語の問題集。何らかの著作や論文の一つ、二つのパラグラフを持ってきて、それについて根掘り葉掘り尋ねる。テーマはぱらぱら変わる。あれでは関心が持てるはずがない。あのような問題集を続けさせられる受験生には拷問に近いのであるまいか。私の受験時代も遠くに過ぎ去ったが、当時読んだものとしては、そうした問題集の中身は全く記憶に残っていない。ただ一つ、楽しみもかねて読み通した「Goodbye, Mr Chips」だけが記憶に残っている。

関心を持つテーマの著作なり小説なりを、じっくり通して読み込むことが、楽しさだけでなく効率の点からも優れている。最近は、友人であるJim Georgeの記した「Reunion」、それにここでも紹介した「Carmel Impresarios」が面白く、記憶に残った。一方、Rawlsの「A Theory of Justice]」や、Gardinerの「Bach」は挫折。天声人語の英語訳も少し読んだが、途中でほっぽり投げてある。一ページ読むのに、辞書を引くのが二、三回で済むような難易度の書物が良いのかもしれない。それに、重要なことは、テーマが関心を持てるものであることだ。

最近は、そうした単行本も読むことを怠っている。何か関心を持てるものを見つけて、少しずつ読み進めなければと思う。交信中に分からない単語を辞書で引くくらいしか、英語に接していない・・・これはこれで、印象に残るので、記憶には残りやすいのだが・・・。歳を重ねるにつれて、記憶力は徐々に落ちている。その劣化との戦いだ。

受験を繰り返せるとしたら、もう少しましな勉強ができたかもしれない・・・。

白井恭弘著「外国語学習の科学」 

第二外国語習得論とは何か、というサブタイトルのついた、上記を読んだ。平易な内容で、読みやすい。暇な仕事に持参した日も含めて、二日間で読了した。

第二外国語習得論という学問領域もできているようで、様々な観点から、外国語を習得するとはどのようなことなのかが論じられている。外国語を学ぶといっても、学ぶ、ないし習得する個人の素質、背景に大きなバリエーションがあり、習得法の差異を検討すること自体が難しそうだ。

結論から言うと、読む・聞くというインプットをできるだけ多くすることと、アウトプットとして、書く・話すことを心がけることが大切なようだ。受験英語のように詳読だけや、近年強調されている話せる英語のように会話にだけ重点をおく習得方法はあまり効果がない、ということのようだ。基本的には、メッセージを理解することによって、言語能力が獲得される、ということである。子供の言語能力の獲得は、無意識的になされる。しかし、第二外国語の習得では、意識的な学習が主体となる。それは、発話の正しさをチェックする、繰り返し練習することで自動化される、普通に聴いているだけでは気づかないことを気づかせることで有用である。

インプットを増やすことがなぜ第二外国語習得につながるのか、著者は、「予測文法」の能力が身につくためであると説明している。予測文法とは、ある文章を聞くときに、途中まで来ると次に何が来るのかを予測する能力ということらしい。これは殆ど無意識のうちに行われることのようだ。

アウトプットだけでは第二外国語習得は進まない。だが、学んだ知識を基に、話す機会を増やすことも大切。そうした場合に、頭の中でリハーサルが行われ、それが言語の習得するのを助ける、ということのようだ。ただし、無理にアウトプットを行うと、間違った文法が記憶されてしまうことになることもある。

ここまで、この読後感をお読みになった方は、私が何を考えながらこの本を読み進めたのか推測なさっているかもしれない。そう、CWによる会話が念頭にあった。CWは、それ自体言語ではない。英語の読み書きと、会話をする人との間に入る記号体系なのだ。結局、CWによる会話の大部分は、英語の読み書きそのものになる。予測しつつ受信することが大切だと以前から記してきたが、それは、ここで登場する「予測文法」そのものだ。また、送信よりも、受信が大切であり、またnativeと交信することによって外国語・会話の能力が確実に身につくことも感じてきた。それも、この本で間接的に正しいことが証明されたようなものだ。

著者が、外国語を学ぶ動機付けも大切なことを強調しているが、無線ではその点しっかりした動機がある。受験に通ることといった一過性の偏った動機ではない。世界各地に無線で知り合いを作り、彼らと様々な意見を交換し、理解しあい、さらに彼らと人生を共有する、という動機である。

私の場合、自動化による外国語学習もかなり怪しくなりつつあるが、この本によって、今進めている英語との付き合いもそれほど間違ってはいなかったことを確信することができた。また、鈍い歩みだが、一歩一歩学んでゆこうと思った。

「実践 日本人の英語」 

マーク ピーターセン著「実践 日本人の英語」を読んだ。日本人が犯し易い英文法上の間違いを、具体例を挙げて説明している。以前紹介した「英文法をこわす」のような、日本の英文法教育への根本的なアンチテーゼではなく、従来の英文法の隙間を、分かりやすく具体例を挙げながら、説明している、というべきか。

冠詞、接続詞、仮定法、誤用されることの多い動詞、副詞等々について、いかにあやふやな知識であったか、またはそれらの使用方法について誤っていたか、改めて教えてくれる書物である。著者が英語教師として長年経験したことに裏付けられていることがよく分かる。この本を読むことで、日本語と英語の間にある、文法上のギャップを意識することになる。我々は往々にして、日本語の論理で英語表現をしがちである。だが、英語には、日本語と根本的に異なる論理構造がある。この書物の内容のように具体的に提示されることで、初めてそのギャップを意識しないでいたのかが分かる、ということだ。

この本で得られる個々の知識は、いつの間にか意識の外に抜け落ちてゆくのかもしれない。この英文法の論理を、いわば無意識化するほどに自分のものにすることで、具体的な作文、会話を行う状況で使えるようになるのだろう。

著者は、最近の学生は、会話は上達したが、読み書きの力が落ちていると述べている。会話も大切なのだが、お互いの思想や、主張をnative相手にしっかり表明するためには、読み書きが必須だ。会話力を偏重することのないようにしたいものだ。そうした英語表現を正確に分かりやすく洗練したものにする上で、この本の内容は大きな助けになる。

あとがきの前で、著者は、「良い英語」に多く接することにより、語彙を増やせ、そこで出会った英文の形を次第に自分のもととすることができると、述べている。いわば、英語の文法の血肉化ということだろうか。この点も、もう一度肝に銘じて、学んでゆきたいものだ。これまでの私の英語がかなり片言の英語になっていただろうことを反省し、さらに優れた英文に接して、英語の表現の背後にある論理を自分のものにしてゆきたいものだと感じた。、

読むことと書くこと 

「英文法の魅力」という本に、英語のヒアリングを上達するためには、音読をすることだと記されていた。どうもこれは常識の範疇のことらしかったが、私には新しい知見だった。正確な発音での音読を遅まきながらしてみようと思った。

それと同時に、ヒアリングと音読の関連を、CWの受信に当てはめるとどうなるか、を考えた。以前にも記したように、CWの受信は、読解と密接に関連している。とすると、書くこと、作文が、対になるべき事項なのではないか、と考えた。ともに文字ベースの作業であり、読むことは受動的な作業、一方作文は能動的な作業である。ヒアリングの受動性と、音読の能動性と同じ関係になるのではないか、ということだ。音読も、ネーティブの発音を真似て声に出すだけで、受動的とも言えるが、ただ受け取るのではなく、意識にのぼる言葉を声に出すという能動性は確かにある。作文は、書く内容を考え、それを表現する適切な文章を作り、そのスペリングを想起するという作業で、音読よりも、能動性という点でははるかに高度の作業だ。しかし、両者は能動的であるという点で共通するものを持っている。

で、読むことと記すことの、脳科学的な関連を示す文献を少し漁ってみた。下記の文献がヒットした。同一人物で読み・書きの作業をするときに、脳のどの部分が活性化するかを機能的MRIで検討した研究である。左側頭葉の紡錘回という領野が活性化するという結論であった。顔認識のことも触れられているが、そちらは直接関係しないので省略。紡錘回という領野が担当すると思われる機能は、

1.色情報の処理
2.顔と身体の認知 (紡錘状顔領域 (FFA : fusiform face area))
3.単語認知
4.数字認知
5.抽象化

等があるらしい。単語認知・抽象化という点で、読み・書きの機能がオーバーラップするのだろうか。読み・書きをするときに、同じ領野が活性化するということを示しただけに過ぎないが、機能面でも両者が密接に関連していることを示唆するのだろう。

とすると、読む=CWの受信をするという作業が上達するためには、書くことの訓練も必要になる、と言えるのかもしれない。CWに関してだけでなく、英文を読むうえでも、英語を用いて作文する能力がお互いに高めあう関係にあると言えるのかもしれない。英作文は、例文をたくさん覚えて、それを直接応用するだけという単純な学習になることが、少なくとも受験レベルでは多いが、読解能力を高めるためにも、英作文という能動的な作業をもっと行うべきなのだろう。

私も、そのつもりで英文ブログを書くようにしたい・・・でも少し遅きに失したか 笑。遅すぎることはないと信じて頑張ろう。


以下、Pub Medよりの抄録を引用~~~

Cogn Neurosci. 2011 May;23(5):1180-97. doi: 10.1162/jocn.2010.21507. Epub 2010 Apr 30.

The literate brain: the relationship between spelling and reading.

Rapp B, Lipka K.


Source

Department of Cognitive Science, Johns Hopkins University, Baltimore, MD 21218, USA. e-mail: rapp@cogsci.jhu.edu


Abstract


We report the results of an fMRI investigation of the neural bases of written language comprehension (reading) and production (spelling). Both tasks were examined in the same individuals, allowing greater precision in establishing the relationship between the neural underpinnings of these two cognitive functions. Also examined was the relationship between written language substrates and those involved in face and object (house) processing. The results reveal that reading and spelling share specific left hemisphere substrates in the mid-fusiform gyrus and in the inferior frontal gyrus/junction. Furthermore, the results indicate that the left mid-fusiform substrates are specifically involved in lexical orthographic processing. We also find that written language and face processing exhibit largely complementary activation patterns in both the fusiform and the inferior frontal/junction areas, with left and right lateralization, respectively. In sum, these results provide perhaps the strongest evidence to date of components that are shared by written language comprehension (reading) and production (spelling), and they further our understanding of the role of literacy within the larger repertoire of cognitive operations and their neural substrates.