早春の息吹 

3,4日前、我が家の梅が開花しているのに偶然気づいた。これほどの厳しい寒波が続いているのに、やはり日照が長くなることで、生物学的時計が動き出したのだろうか。

IMG_4052_201802161010593f5.jpg

IMG_4059.jpg

昨日、紅梅も開花寸前であることが分かった。

IMG_4059.jpg

これらの梅の木は、私たちがここに越してきた30数年前からほどなくして植えられたもの。静かに我が家の歴史を眺めていてくれる。

3年ほど前に植えたリンゴの木。ようやく花芽がついたようだ。ほんの数個だが。二本とも元気に育っている。スモモは、もう老木の趣さえある。パートナーの木を植えたので、今年は実がなるか・・・。

IMG_4068.jpg

庭のあちこちに、落葉を埋めた。腐葉土になることを期待してのこと。すこしずつ、人力で土を耕し始める。今年は、何を植えようかと考えながら、庭仕事、畑仕事をする。それが至高のひと時・・・。

異常気象と食料安保 

前のポストにも記したが、野菜の高騰が止まらない。葉もの野菜は、通常価格の2から3倍。鍋の季節なのに、これは痛い。寒波襲来による生育不良が主な理由なのだろう。だが、他の食料品も値上がり傾向にある。コメ等明らかに便乗しているのではないか。人件費、輸送コストが、かかっているのか。政府が命令して値上がりしたビールも高止まりしている。

別なポストにも記したかもしれないが、米国では過去一年間の異常気象による災害で被害が34兆円に上った由。現在も、中東部の寒波、カリフォルニアの豪雨、地滑り災害が引き続いている。一方、シドニーでは47度Cの熱波が襲っている。この異常気象が、地球温暖化の一環である可能性が高い。地球温暖化は、気象のブレを大きくする。

異常気象による自然災害と同時に、農作物への影響が深刻になることだろう。現在の野菜価格高騰に引き続き、春から夏にかけて異常気象がわが国を襲うと、穀物、野菜等農作物全般の不作になる可能性がある。今年必ず起きるわけではないかもしれないが、現在の気象現象の振れ方を見ていると、そう遠くない将来、食糧難になる可能性がある。

食糧安保が極めて手薄なわが国で、そうした状態になった時にどうするのだろうか。現政権は、もっぱら軍事力増強による安保ゲームに明け暮れている。国民の安全保障は、軍事ではなく、食料や、金融システムの崩壊という点から破綻する可能性が高い。

昨年秋に植えた葉もの野菜が、少量だが収穫できた。これは貴重な白菜。虫に食われた跡があるが、無農薬である証拠でもある。今年から、野菜作りに本腰を入れる積りだ。

IMG_4035.jpg

庭で腐葉土づくり、庭師のHさん 

我が家は、ド田舎なので、敷地が結構広い。母親の実家がかって代々所有していた土地で、雑木林に囲まれた辺鄙な場所だった・・・今は、それなりに人家が周囲に建っている。通りから、我が家へ入るエントランス(といえば聞こえが良いか、何も使っていない土地の端にある通路)に沿って、サツキの植栽がある。20、30mはある、その一列に並んだサツキの成長が、通り近くであまりよくない。花の咲き方も元気がないことに気づいていた。水やりが足りないのかと、夏場乾燥した時には水やりをしてみたりしたが、変化がない。

とあることから、サツキの植えてある土地、30から50cmの深さに、砂利や建築廃材が埋められていることが分かった。それによって、通りに近い植栽の成長が悪いのだ。砂利や建築廃材は、何時かは分からないが、土木業者が分からぬように埋めていったもののようだ。父親が健在のときに、道路建設業者にあの土地を無償で貸した。その挙句に、業者は「砂利を撒いておくから。」と父親に言って実際に砂利を撒いていったこともあった・・・後で聞かされた。こうした事情に詳しい方何人かに尋ねると、同様のことは珍しいことではないようだ。土木業者にしてみると、砂利・廃材の処理の手間、コストがかからず、こうして関係ない土地に埋めて行く誘惑があるのだろう。

その処理を半ばあきらめていたのだが、今年の夏から、一人で土地を掘り返し、砂利・廃材を篩で選別し、それを業者に頼んで処分してもらってきた。結構な運動量。サツキに沿って空いた細長い穴に、これまた大量に発生する落ち葉を入れ、腐葉土とすることを考えた。1mx10m以上の穴を掘り、サツキの根の下までできるだけきれいにする作業。どうにも一人では処理しきれないと思い、時々庭の仕事を手伝っていただいている庭師のHさんに相談してみた。腐葉土を作ることは賛成だということで、彼が先日やってきて手伝って・・・というか、メインになって作業をしてくださった。彼の軽トラックの荷台に一杯になるくらいの砂利・廃材が出た。実は、この2、3倍以上の量をすでに処理している・・・。

IMG_4006.jpg

実は、別な土木工事で、同じように砂利や廃材を庭に埋められたことを最近経験した。それについてクレームをつけると、すぐに対応してくれた。おそらく、廃材などを土中に埋めることは、routineに行われているのではないか、と改めて思った。

ここまでは、どうでも良い前置き。Hさんは私と同年代で、地方公務員の現業の仕事を定年退職なさった方である。定年後、こうした仕事を一人ですることをライフワークと考え、勉強をなさり資格を取り、そして定年後は別な庭師さんについて2,3年訓練を受け、それから独立して仕事を始めた方だ。彼の仕事ぶり、そして話をさせて頂いて、いつも感心するのは、庭師の仕事、そして対象とする庭木、草花を本当に愛しておられるということだ。我が家の西側に高さが10数mはあろうかという、桂の木がある。それを見つけてしばらく眺め、「う~ん、すばらしい木ですね。まっすぐに伸びている・・・。」と感動した面持ちで仰ったことがあった・・・この件は、以前アップした。それまでは、単なる庭木だと思っていたのだが、たしかにしばらく見上げていると、その桂の木の生命力のあふれた立派な佇まいに私もこころ動かされる気がした。そうした樹木、庭への愛着があるためだろう、仕事ぶりはとても丁寧なのだ。いつまでこの仕事を続けられる積りかと尋ねると、にこっとしながら、身体が許す範囲でいつまでも続けたい、との返事であった。

IMG_4007.jpg

砂利・廃材の処理は、しんどい作業で、またすべてを処理しきるわけにはいかない。だが、Hさんとの共同作業で腐葉土作りをできたことは嬉しいことだった。Hさん、今日は、すももの木の剪定作業に来てくださっている。10時のお茶請けに、自家製の干し柿をお出しした。

IMG_4014.jpg

米国で牛にBSE発生 

17.08.26付けビジネスジャーナルによると、

〇7月18日に、米国で五例目となるBSEが同国アラバマ州で発生していた。

〇それに対して、政権は何も対処をしていない。牛のBSEに対する全頭検査、月齢制限もすでに終わっている。

〇7月11日付けで、厚労省の生活衛生・食品安全部が廃止された。同部は、2001年、我が国でBSEが発生したのを機に、食品の安全性を確保するために設置された部門。たまたまかもしれないが、あまりにタイミングが合っている。

米国のBSEの発生状況、発生の原因が明らかにされるまで、米国産牛肉のBSE検査が必要になるのではないだろうか。政府は、実効性のないミサイル防衛を強化することには熱心だが、こうした国民の食生活上の安全対策には熱意がないようだ。

断捨離ないし終活の一歩 

私の狭い書斎兼無線室に本箱が二つある。だが、最近、本を良く買うので一杯になってきた。これまでも徐々に物置に移動してきた医学書をすべて移動することに決めた。医学書を見ることは、退職以来まずなくなってきた。医学書の類は数年もすると、内容が陳腐になることが多い。そのための大移動だ。

ただし、例外が二冊。ネルソンのテキストと、内科診断学の教科書。ネルソンは、かっては小児科医であった記念、それに診断学の教科書は、母校の内科の武内教授が執筆されたもので、かって医師を目指して勉強した記念。特に後者は、臨床を学び始めたときに、感銘しつつ読んだ教科書だ。病歴の聴取と、聴診器とハンマーのような簡単な診察器具を用いて、診断に迫るための知識が記述されている。医学の長い歴史が記されているようなものだ。その壮大な歴史に接し、その一端に加わる厳粛さを感じたものだった。

IMG_3899.jpg

現在、当時と比べて、医療機器・検査機器が飛躍的に増えて、診断精度も増した。だが、この診断学の手法・精神は、同じように受け継がれているはずだ。

関心が、政治経済・歴史に移り、それに関する本が山積みになっているが、でもこの医学への長い道程の始まりに立った時の感動を忘れずに、ただ知る楽しみのために、医学に関する新しい論文にはできるだけ目を通していきたい。ただ、知る楽しみのために。

先日も、IL4/IL13に対する人型単クローン抗体製剤が、重症アトピー性皮膚炎に大きな効果をもたらすというLancetの論文を読んで、感銘を受けた。こうした免疫系カスケードにピンポイントで効果を及ぼす薬剤の登場、それにアトピー性皮膚炎といっても多型性があるのだろうということに知的興奮を覚えた。・・・でも、値段が高そうだな。某製薬企業がこの研究のファンドを出していた・・・。

というわけで、断捨離または終活の一歩である。

もうすぐ夏至 

梅雨に入り、もうすぐ夏至だ。今日は少し雲があるが、強烈な日が差している。

待ち遠しいトマトの成熟。トマトは雨に弱いので、とりあえず実がついたものは無事取り入れできるように成長してほしいものだ。

IMG_3868.jpg

つるなしいんげん。花が咲き始めた。モロッコいんげんも、良く伸びて、開花し始めた。

IMG_3869.jpg

野菜が成長するのと同じか、それ以上の速度で、雑草が伸びだす。これから9月一杯くらいまで、雑草との闘いだ。

父が柄の長い草刈り鎌で雑草を刈っていた。こつこつと鎌が地面に当たる音を立てて、黙々と・・・。時が巡り、それを私が行う。






畑 

日曜日の朝、畑(といっても庭の一角を開墾しただけの小さな畑)に出て、野菜の生育具合をみた。モロッコインゲンが元気に育っている。支柱を立てた。

IMG_3814.jpg

トマトもすでに結実し始めている。

IMG_3815.jpg


オクラが元気がない。キャベツを直播したものに芽が出てきた。茄子、カボチャも育ち始めている。野菜ではないが、マリーゴールドが種から芽を出している。双葉の可愛い芽が、庭のそこかしこに見られる。

IMG_3812.jpg

種から芽が出てくるのを見るたびに、生命の不思議さにこころ打たれる。dormantな状態から、スイッチが入り、増殖・分化が始まるということなのだろうが、やはり不思議だ。萎れきっていたサツマイモの苗を、畑に植え、それが雨を受けて元気を取り戻している。生命力がすごい。みずな、とうもろこし、サニーレタス、ほうれん草等がまだ発芽していない。

雑草との闘いが続く。モンサントの広告がネットで出回っているのを見るたびに、農薬はできるだけ使うまいと思う。

梅雨が来るまでに、トマトの収穫ができるかどうか・・・。

年末に 

最近再開した散歩、夕闇迫る田舎道を歩いて、夕食のサラダを作り、ビールを一杯呑んだ。あと一日で、今年も終わり。その感想を思いつくままに。

一月に白内障の手術を受けたのが、私にとって、まず今年第一のイヴェントであった。白内障の外来手術とはいえ、患者になるのは初めてのこと。患者としていろいろ学んだ。最終的に、医師への信頼が一番大切なことだ。現状の医療制度では、なかなか医師と意思疎通するだけの時間が外来診療で得られないことを改めて知った。でも、眼科医の主治医にはよくして頂いた。家族にも感謝であった。

目が良く見えるようになり、目の前の譜面がしっかり読めることに感動。また、俄然チェロを熱心に弾くようになった。手術前は、フラットとシャープの区別がつかたかったのだ。1月に、いつものお二人にお相手頂き、都内某所でブラームスのピアノトリオ2番2楽章だけを演奏。バイオリニストのTさんが、妊娠なさり、それ以降、このトリオは休眠に入った。Tさんには8月に、かわいい女児が誕生。まるで孫のよう・・・。その後、都内のオケ二か所に顔を出し、昔懐かしいベト1とドボ8を、練習だけであったが演奏することができた。しかし、チェロを抱えて都内に出かける体力がもうないこと、オケでフルに活動するだけの能力が残っていないことを痛感、今後はオケには参加するのは控えることにした。好きな曲を練習することにした。

音楽を聴く者としての収穫は、今年は、マーラーの9番、それにバッハのミサ曲ロ短調。マラ9は、その終楽章に現れる、yiddesh調の旋律が忘れられない。寂寞感というか、この世のものと思えぬ音楽というか、こころをとらえて離さない。ワルターによるマーラーの伝記も併せて読み、彼が音楽に救いを求めて苦闘したことを改めて知った。バッハのミサ曲ロ短調、正直に言うと以前は抹香くさい音楽のように思っていたが・・・あの典礼文が、そうした固定観念をを与えたのだ・・・あの典礼文にも歴史があることを知ったこと、バッハが結果的に一つの集大成としてこの音楽を作曲したことに改めて感動する。クリストフ ウォルフ著、磯山唯訳「バッハ ロ短調ミサ曲」に教えれられること大だった。同じ著者、訳者による「モーツァルト 最後の四年」もとても興味深い著作だ。モーツァルトが、最後の四年にさらに飛翔を目指していたことを教えられた。モーツァルトの初期の弦楽四重奏曲にこころ癒される。

政治経済に関する本を幾つか読んだ。水野和夫氏の「株式会社の終焉」が印象に残る。現在の資本主義体制が、壁にぶつかっていることを、歴史的、かつ経済理論の上から説き起こしたスケールの大きな著作。矢部宏治著「日本はなぜ「戦争ができる国」になったのか」も、日本の戦後政治を総括した好著だった。沖縄で進行していることが、本当は日本全体を覆う事態であることを、我々は知る必要がある。孫崎享著「21世紀の戦争と平和」も、安保法制によって、わが国が戦争へと突き進む状況を端的に記し、それにどう対処すべきかを指し示す本である。国際関係論的な視野を深めてくれた。神谷美恵子のエッセーを読み直し、こころ洗われる思いになった。医学、とくに精神医学をこころざした時代を思い起こさせてくれた。

アマチュア無線では、夏に、いくつかお目にかかり旧交を深め、また新たにお目にかかった方々がいた。HL2DC Lee、昔通りに律儀な方だった。9V1VV John、飄々とした人柄は昔のまま、奥様、息子さんにもお目にかかれた。Bob W6CYXのお嬢さん、Teresaと孫娘のLaura、初対面だったが、いろいろなお話を伺えた。とても利発そうなお二人だった。ハムフェアでは、主にCWで親しくさせて頂いている方々と昼食を共にした。無線の上では・・・少しactivityが下がっているようだ。夕方7メガで電波を出すが、応答が極端に減っている。夜遅く、西海岸に開け、お馴染みが出てくることもあるが、やはり皆活発ではない。年末に海外の無線の友人たちに挨拶状を送るのだが、ただワッチしていることが多いという返信を何人からか頂いた。とくに会話を楽しむCWは、終焉の時期にきているのかもしれない。それでも、できる範囲でCQを出し続ける積りだ。

このブログ、つけ始めて丸10年経った。ひと昔である。昔の記述を読み返すと、今よりも元気があったと改めて思う。現在使用中の714Xをくみ上げる準備を、毎朝、寒いなか行っていたのだった。そして、大野病院事件。ネットの医療関係者のサイト、ブログが熱く燃えていた。もうこのブログもだいぶマンネリになりつつあるような気もする。同じタイトルで同じようなことを記したりしている。だが、もうすぐ、100万アクセスになる。このようなブログにも定期的に訪れて下さる方がいることに感謝である。まだ、もう少し続けて、世の中がどのようになってゆくのか見届け、感想を記し続けたい。皆さまが健康を守られ、良い新年を迎えられますように。

電気ストーブから出火 

昨年から使い始めた電気ストーブから出火した。2,3日前から、家人がにおいがすることに気づいていたらしいが、夜間使っているときに、突然出火。私が起きて下の階に行ってみると、当該部屋以外、廊下まで白煙と刺激臭が立ち込めていた。幸い、火事にはならなかったが、危ないところだった。

IMG_3645.jpg

IMG_3646.jpg

調べてみると、この機種はリコールが行われていた。こちら。部品のダイオードに不良品があり、出火する、とのこと。購入先に問い合わせると、ダイレクトメールでこのリコールは知らせてある由。私の場合、以前の仕事場で登録してあったため、その郵便物を受け取っていなかった。

このように深刻事故になりうるリコールの場合、もう少し徹底した周知ができないものなのだろうか。

もう少し安全そうな製品を代わりに入手した。

寝室のオーディオを新調しよう 

毎夜、寝床で音楽を聴く。最近、これまで10数年愛用してきたケンウッドのCDレシーバーの調子が悪い。ヘッドの洗浄をしても、CHECK DISCと表示され、discを認識しないことが多くなってきた。そろそろ、耐用年数かなと思い始めた。ほぼ毎晩使っているので、かなりヘビーデューティな使用をしてきた。スピーカーは、20年前のDENONのこの機種。これもネットは破れかけ、躯体にもかなり傷がついている。まだ使えるかもしれないが、音に張りがなくなってきたような気もする。ヘッドフォンも10数年前に購入したSONYの製品。イァーパッドが一部破れ、音質も高音部の張りがイマイチになってきている。これらのオーディオビギナー用の機種は、近くの大規模電気店や、秋葉原で手に入れたもの。高級品ではないが一つ一つに思い入れがある。

オーディオは、懲りだすときりがないし、それ以上に、もう私の聴力の高音域がかなり落ち始めているので、例えばバイオリンのe線のハイポジの音など遠くでなっているようにしか聞こえない。だから、オーディオを新調するのは消極的だった。

だが、CDがかけられないとなると、問題だ。ネットでいろいろと適当なCDレシーバーやスピーカーを見繕いだした。HDDに音源を入れられる機種、ネットにつなげる機種、目移りがする。

だが、シンプルにCDで聴くことを続けようと考えている。CDを探し出すのは一苦労なのだが、休む前に耳を傾ける音楽は、おのずと決まってくる。

バッハの平均律

バッハ 音楽の捧げもの フーガの技法

モーツァルトの初期の弦楽四重奏曲 初期ではないが、巌本真理弦楽四重奏団の演奏するKV421

トゥリーナの室内楽

マーラーの5、9番の交響曲

等々、驚くほど少ない曲数。でも、これらが心を静めてくれる。

チューナーとアンプが一つの躯体に収められた機種と、CDプレーヤーを別々に購入する予定。CDプレーヤーのように機械的な構造のある機械は、壊れやすい、一種の消耗品だと思うから。

スピーカーは、もうしばらく今のまま。

ヘッドフォンは、新調したいところだ。

というわけで、ネットでいろいろと漁っているのだが、適当な機種が少ない。1,2万円のかなり安価なものか、その上はだいぶ高価になってしまう。昔の機種もネットで調べられるのだが、2000年前後までは、中級クラスの機種が豊富だった。今は、スピーカーなど激安なものか、とんでもなく高価なものかに二分されている。これは、オーディオ人口の減少を反映したものか、より突っ込んで、中流階級が相対的に貧困化していることを反映しているのか。そんなことを考えながら、昔の機種を懐かしく見て回っている。

さて、どの機種にするか・・・。