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戦争責任に関して ドイツとわが国の違い 

ドイツでも、戦争責任の問題に関して様々な議論があると聞く。だが、大統領が、隣国への侵略の記念日に侵略された国を訪れ、謝罪をする。ドイツのリーダーとして、歴史を直視し、それをしっかりと受け止める懐の深さに感銘を覚える。これはドイツを貶める行為では決してなく、むしろドイツの国際的な評価を高め、賞賛と尊敬を集めるものだ。

わが国の政権指導者は、歴史を塗り替え、取り換え、さらに事実を隠蔽しようとしている。隣国との歴史の問題を、政治経済に持ち込み、国内では隣国へのヘイトをあおり、隣国の人々に嫌な思いをさせている。その対応は、国際的にも批判され、また冷笑に付されている。

やはり、第二次世界大戦の戦争責任を直視し、それを担い続けてきたのか、それとも戦争責任を曖昧にしてきたのか、という出発点の違いが、このように大きな違いをもたらしている。

以下、NHK NEWS WEBより引用~~~

ナチスのポーランド侵攻から80年 ドイツ大統領が謝罪
2019年9月2日 15時24分

第2次世界大戦のきっかけとなったナチス・ドイツによるポーランド侵攻から、9月1日で80年を迎えました。ポーランドで行われた式典では、ドイツのシュタインマイヤー大統領が謝罪し、両国の首脳が鐘を鳴らして平和への誓いを新たにしました。

式典は1日、最初の爆撃地、ポーランド中部のビエルンや首都ワルシャワで行われ、ポーランドのドゥダ大統領をはじめ、ヨーロッパ各国の首脳やアメリカのペンス副大統領らが参列しました。

ポーランドは80年前の1939年9月1日、ナチス・ドイツに侵攻され、その2日後にフランスとイギリスがドイツに宣戦布告して第2次世界大戦が始まりました。

式典ではドイツのシュタインマイヤー大統領がポーランド語で「過去の罪の許しを請う。われわれドイツ人がポーランドに与えた傷は忘れない」と述べて謝罪しました。

これに対しポーランドのドゥダ大統領は「最も大切なことは大統領がここに参列していることだ」と応え、鐘を鳴らして平和への誓いを新たにしました。

一方、ポーランドは第2次世界大戦で旧ソビエトにも侵攻されましたが、ドゥダ大統領はロシアのプーチン大統領を式典に招待せず、「帝国主義がいまだヨーロッパに残っている」として、ロシアによるクリミア併合を批判して警戒感を示しました。

戦争責任 

自民党にもまともな政治家がいる・・・惜しむらくは、彼らのような政治家が極めて限られた数しかいない、または自由にものが言えなくなっていること。

産経新聞より引用~~~

GSOMIA破棄 自民・石破氏「日本が戦争責任と向き合わなかったことが問題の根底」

自民党の石破茂元幹事長

 自民党の石破茂元幹事長は23日付の自身のブログで、韓国政府が日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決めたことについて、「日韓関係は問題解決の見込みの立たない状態に陥った。わが国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にあり、さまざまな形で表面化している」と分析した。


ドイツの戦争責任の対処に関しては様々な議論があるようだが、ヴァイツゼッカーの「荒野の40年」、渡辺徹氏が紹介している、ブラント元首相のこの発言にあるように、ドイツの首脳は、戦争責任を担い、近隣諸国との関係を改善する明確な意思を持ち続けてきた。

facebookから引用~~~

Toru Kumagai
8月21日 22:27 ·
2006年に発表した文章ですが、今日でも通用します。
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ドイツの東隣にあるポーランドは、最も大きな被害を受けた国の一つである。ナチスは1939年のポーランド侵攻で、第二次世界大戦の火蓋を切り、ソ連とともに同国を東西に分割し、地図の上から消した。当時のポーランド国民3600万人の内、約17%にあたる600万人が死亡し、ユダヤ人の85%が殺害されている。知識階級、富裕層に属するポーランド人は強制収容所に送られた。
一方、1945年に米英ソの連合国が、ヤルタ会談、ポツダム会談でポーランドの西部国境を、オーデル・ナイセ川に変更することを決定し、ドイツ帝国の一部だったシレジア地方は、ポーランド領となった。この結果多数のドイツ市民が、住み慣れた土地から追放されて、財産を失ったり、逃亡の途中で死亡したりした。
このため、戦後も両国の市民の間では、憎しみの感情が強かったが、1969年に西ドイツ首相に就任したヴィリー・ブラントは、東欧諸国との間で緊張緩和をめざす「東方政策」を実行に移した。西ドイツは1970年にポーランドとの間でワルシャワ条約に調印し、武力紛争の放棄と、国境線に変更を加えないことを確認した。
1970年にブラント首相は、ワルシャワ・ゲットーの記念碑を訪れた。1944年にワルシャワのユダヤ人とポーランド人は、ナチスに対して武装蜂起を行ったが、鎮圧された。ワルシャワは、ドイツ軍の報復で、ほぼ完全に破壊された。この記念碑は、犠牲となった市民を追悼するために作られたものである。ブラント氏は、記念碑に献花した後、突然ひざまずいた。西ドイツの首相が、ユダヤ人を追悼する碑の前で膝を折った映像は、全世界をかけめぐり、謝罪の気持ちを全身で表現する「新しいドイツ人」の姿を、被害者に対して印象づけた。
私は1989年6月6日に、ボンの執務室でブラント元首相に過去との対決の意味について、インタビューした。彼の言葉には、歴史を心に刻むことを、国是とするドイツ政府の態度が、はっきりと表われている。
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熊谷:碑の前でひざまずいた時に、何を考えていましたか。
ブラント:私は、最初からひざまずこうと予定していたわけではありません。記念碑に向かう時に、「単に花輪を捧げるだけでは、形式的すぎる。何か他に良い表現方法はないものか」と考えをめぐらせていました。
そして碑の前に立った時にこう思いました。「私は、ドイツ人が何百万人ものユダヤ人、ポーランド人を殺した惨劇に直接は加わらなかった。しかし惨劇を引き起こしたドイツ人のために、自分も責任の一端を負うべきだ」。私はこの気持ちを、ひざまずくことで表現したのです。

熊谷:「過去」と対決することはなぜ重要なのですか。
ブラント:2つの理由があります。第1の理由は、ナチス時代の恐るべき暴力支配について、「なぜこのようなことが起きたのか」、「悲惨な事態が、将来繰り返されるのを防ぐには、どうすれば良いのか」を、若い人々に説明することです。若者たちは、歴史と無関係ではありません。彼らも、歴史の大きな流れの中に生きているのです。従って、過去に起きたことが、気分を重くするようなものであっても、それを伝えることは重要なのです。
第2の理由は、ドイツが周辺諸国に大きな被害をもたらしたことです。従って、今後のドイツの政策が、国益だけでなく、道徳をも重視することを、はっきり示す必要があったのです。これは人間関係についても言えることですが、自分のことばかり考えずに、他の国のことも考えるという姿勢を、周辺諸国に対して示していくということです。

熊谷:過去と対決する努力は、永遠に続くのですか。
ブラント: 私は、自国の歴史について、批判的に取り組めば取り組むほど、周辺諸国との間に、深い信頼関係を築くことができると思います。たとえばドイツとフランスの関係は、対立と戦争の歴史でした。しかし今や両国の関係は、若者たちが、「ドイツとフランスの間で戦争があったなんて、信じられない」と考えるほどの状態に達しています。
同時に私は、過去の重荷を、必要以上に若い世代に背負わせることには反対です。ドイツは、悪人に政治を任せた場合に、悲惨な事態が起きることを、心に刻む作業については、かなりの成果をあげていると思います。私自身、周辺諸国の人々が、我々に対して、過去について余りにも批判的な態度を取る場合には、こう言います。「我々の過去を批判的にしか捉えないという態度は、いつかはやめて下さい」。

熊谷:過去の問題に無関心な若者には、どう対処するべきでしょうか。
ブラント:若者たちが過去のことについて無関心になるのは、当然のことです。彼らが、前の世代の犯罪について、重荷を背負わされることを拒否するのは、ごく自然なことです。若者たちは、父親や祖父がしたことについて、責任はありません。しかし彼らは同時に、自国の歴史の流れから外へ出ることはできないということも知るべきです。そして若者は、ドイツの歴史の美しい部分だけでなく、暗い部分についても勉強しなくてはならないのです。それは、他の国の人々が、我々ドイツ人を厳しく見る理由を知るためです。そしてドイツ人は、過去の問題から目をそむけるのではなく、たとえ不快で困難なものであっても、歴史を自分自身につきつけていかなくてはならないのです。


我々が、戦争責任にどのように対処すべきか、近隣諸国にどう対して行くべきか、ブラント元首相の言葉から学ぶべきことは多い。

靖国神社宮司の天皇批判 

靖国神社は、明治時代に国民を統合し、戦争に国民を関与させることを目的に創建された神社だ。具体的には、戦死者を祀る、戦死者を神とするという報償を与えることによって、国民を戦争に駆り出す、そのための宗教的な装置である。国家神道と不可分の関係にある。

その靖国神社のトップが、天皇の「戦地慰霊の旅」を批判している。戦地には遺骨があるかもしれないが、慰霊は自分たちの靖国神社にある、したがって、靖国神社への参拝をせずに、戦地慰霊の旅をする天皇は、靖国神社を潰そうと画策している、というはなはだ自分勝手な論理である。昭和天皇、今上天皇が靖国神社を参拝しないことも批判している。天皇の政治への関与を天皇自らが抑制していることを理解しない。このようなトップが靖国神社にいることは極めて危険なことだ。

結局、靖国神社という国家神道の疑似宗教施設・組織を守り、その権益を肥大させることだけを、この宮司は考えている。靖国神社に参拝する政治家は、靖国神社の思惑を共有し、戦前体制へ逆戻りすることによって自分たちの権益をさらに確実にすることだけを考えている。国家神道は、我が国の近代化の過程で生まれた必要悪の疑似宗教であり、すでにその役目は終わった。むしろ、戦争犯罪に関して、国家神道・その組織に連なる人々は、さらに責任を追及されるべきだ。

「戦地慰霊の旅」を続けてきた天皇を宮司が批判することで、靖国神社の本性が露わになった。このような組織、それに連なる政治家は、国の政治には関与すべきではない。

以下、NEWSポストセブンの記事;

こちら。