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安倍首相がやらかした 

天皇陛下の退位の式典で、安倍首相が挨拶をした。自分が取り仕切ってきた、天皇継承の儀式のピークである。さぞ晴れやかな気分で、気合の入ったことだったろう。

だが、ここで例によって、彼はやらかしたのである。下記のヴィデオクリップの2分前後の部分・・・

「天皇皇后両陛下がお健やかであらせられますことを,,,,,あれせられますことを願っていません

漢字か読めなかったのだ。「願って已(や)みません」と書かれていたのだろう。それを「いません」と読んでいる。その前後で読み淀んでいる。

真逆の意味ではないか。天皇に失礼にもほどがある。

こちら。

また漢字が読めなかったのかで終わりにいてはいけない。これほど重要な儀式での挨拶である。あらかじめ、原稿を自分で読んで(どうせ官僚に書かせた原稿だろう)、なぜフリガナを振っておかなかったのだろうか。

問題は、中学生程度のレベルで発達の止まった頭脳の持ち主が、令和騒ぎに乗じて憲法改正をすると息巻いていること。自分が何をしようとしているのか、理解しているのか大いに疑問だ。

大学時代の恩師である加藤節成蹊大学名誉教授が、こんなことを述べているらしい。

「安倍晋三氏は必修だった政治学の授業に一度も出席しなかった。だから不可を付けたが気が付いたら卒業していた。どんな秘策を使ったか知らないが、こんな輩が日本の総理大臣だということを私達は肝に命じるべきだろう。」

この言葉通りに加藤名誉教授が述べたのか私には分からないが、安倍首相はその学生時代に遊び呆けていたという情報はあちこちから聞こえてくる。そして、国会論戦を通して明々白々になった彼の虚言癖。彼は、日本と言う国を亡ぼすかもしれない。

追伸;首相官邸は、このクリップをいつの間にか、削除したらしい。例の「安倍晋三Politician」というPVといい、この画像といい、安倍晋三という人間の本性、能力をまざまざと我々に見せつけるものだ。

元号制定の経緯 

元号制定の経緯については以前のポストに何度か記した。例えば、こちら

最後にリンクを貼ったブログ「世に倦む日日」の解説が優れている。おそらく、この記述の通りだったのだろう。「令和」なる元号には、当代きっての知識人と、おそらくは皇室による安倍独裁への批判が込められている。

上記のポストで記した通り、中西進先生は、私が浪人をしていたころ、予備校で古典を教えてくださった方で、時折、にこにこしながら強烈な皮肉を我々に語りかけていた。その批判精神は、80歳代後半に差し掛かっても、まだまだ活発でいらっしゃる。彼が、護憲運動に参加していることを、安倍首相は知ってか知らずか、ただただ自分が元号を作り出したという見かけ上の実績を得るために、たった数日間で決めてしまった、その没知性、利己主義には二の句が継げない。中西先生は、してやったりと思っておられるのではないか。

これで、歴史の続く限り、安倍晋三という人物が日本の歴史に残した無残な破壊的な足跡が記録され続けることになる。

以下、引用~~~

「世に倦む日日」

こちら。

皇室祭祀の問題 

現憲法による象徴天皇という規定は、曖昧な側面があり、かつ政治・統治に直接かかわらないという消極的な意味を有する。

戦後、天皇制、とくに皇室祭祀に抜本的な改革が加えられなかったことが、上記の天皇制の憲法による定義と相まって、現在矛盾を露呈している。

皇室祭祀の大多数は、明治時代に近代国家をまとめ上げる中心に皇室・天皇を据えるために新たに設定されたもの。

皇室祭祀をもとにして、現在の日本を皇室中心の国家主義に押し戻そうとする強い動きがある。

我々は、そのアナクロニズムに抗していかなければならない。皇室の人々の人権を守るためにも、皇室をより開かれたものにしてゆく必要がある。

以下、新聞赤旗から引用~~~

【焦点・論点】
天皇「代替わり」儀式の問題点

「祭祀足場に神聖化狙う動き」
宗教学者・上智大学特任教授 島薗 進氏

代替わり儀式において一番懸念すべきなのは国家神道との繋がりだ。
明治維新から1945年の敗戦まで、天皇は天照大神からの「万世一系」の切れ目のない皇統を継ぐ神聖な存在で、その天皇が治める日本は世界に比べるもののない「万邦無比」の優れた国だという信念、天皇崇敬が教育や祝祭日、軍隊、メディアなどを通じてつくられた。

そうした神道的国家体制をつくる上で皇室祭祀が中心に据えられた。今の皇室祭祀は明治期に大幅に拡充されたものだ。現在皇居にあるような宮中三殿 (賢所、皇霊殿、神殿) 、神武天皇の即位日とされる2月11日の紀元節、神武天皇・皇后を祀る橿原神宮なども明治維新後につくられた。

天皇自身が祭祀を行う天皇神祭が始められ、それに全国の神社の行事を連動させた。伊勢神宮に天皇が参拝するのも明治天皇からだ。

神殿を天照大神に捧げ、天皇が神とともに食するという大嘗祭は、大正期以前は宮中の限られた空間で行われ、国民の多くは関与していない。大規模な代替わり儀式は大正になってからだ。

天皇が神秘的な存在だと国民に印象づける大がかりな国家的行事や明確な神道儀式てある大嘗祭への公費支出には疑念がある。

即位儀式とされた剣璽等承継の儀は、神話の中で天照大神が天孫に授けたという「三種の神器」を引き継ぐもので、日本の王権が神聖である根拠だという宗教的理念に深く関わるものだ。これを国事行為とすることは政教分離の点で問題だ。

戦後、GHQのいわゆる「神道指令」は、国家神道のうち、神社神道を国家から切り離し民間の宗教団体とした。しかし国家神道の重要部分であった皇室祭祀には手を付けす、皇室祭祀はほぼそのまま残った。

天皇の位置づけは、戦前の「万世一系」を掲げた憲法から、新憲法での象徴天皇へと天皇の神聖化を抑える方向に転換した。
新憲法の下で皇室祭祀は皇室の私的なものとなったが、同時に天皇は日本国の象徴、国民統合の象徴であり、公的な存在なので、そこに曖昧さがあり、天皇の代替わりに露呈する。

皇室祭祀を公的なものとするのは、信教の自由と政教分離を定めた憲法20条に反する。現憲法の下では、特定の宗教や信念体系が国民に押し付けられてはならないのだ。

皇室祭祀を足場として神聖天皇を求める動き、例えば天皇の役割は空中祭祀にこそあるという主張や、靖国神社に国家的性格を与えようという日本会議などの運動が続いている。

それに対する歯止めとして、思想・良心の自由を保障した憲法19条、それと結びついた20条、公金の宗教団体への支出を禁じた89条がある。

戦前、国家神道、天皇崇敬は一般の宗教とは別だとして国民に押し付けられ、広められ、多くの国民が天皇のために命を投げ出すという悲劇的な結末に追い込まれた。植民地化や侵略など対外的な膨張主義はむろん、国民自身の命が軽んじられた歴史がある。

近代の形成期につくられたものは根が深く、新憲法による転換が押し戻される可能性もある。ことに歴史を肌身で知る世代がいなくなる中で、メディアや教育でも認識が甘くなっている。

先日の天皇夫妻の伊勢参拝の際にテレビニュースに剣璽が天皇とともに伊勢に行く様子が映った。「剣璽動座」と言って剣璽の宗教性、天皇の神聖性を表すもので、従来は映されなかったものだ。戦前、天皇崇敬が猛威を振るった時代の記憶が薄れ、弛みが出ている。あらためて歴史を認識し直すことが求められている。
(2019.5.1 しんぶん赤旗)

新天皇即位に際して 

徳仁天皇が即位し、新しい元号の時代が始まる・・・といっても、これはわが国のとてもローカルな出来事。明仁上皇には、お疲れ様でしたと申し上げたい。平和主義にたち、皇室を国民に近づける努力を長くなさってきた。徳仁天皇には、父上と同じく、象徴天皇としてしっかり歩んで行って頂きたいと念願している。

以前から、時折報じられて来たが、安倍政権・官邸が皇室に対して干渉をし、明仁上皇が象徴天皇の役目を果たせなくなりつつあるので、退位したいという希望を漏らされても、無視し続けてきた。そして、明仁上皇がその意向をNHKを通して公にしたことで退位が決まると、この新元号制定過程等を、官邸は政治利用のし放題である。新元号制定過程は、30年間秘匿すると言っていたが、安倍首相は自分が決めたと言わんばかりに公開している・・・節操がない。政権による皇室の政治利用が酷い。

官邸による明仁天皇の言葉・意向への干渉も凄まじい。この緊張関係のなかで、象徴天皇の役割を続けられたことは大きなストレスだったことだろう。

リテラ、こちら。

現在の皇室制度は、皇室の方々にとって「非人間的」である。自由意志を奪われ、思想・行動の自由はなく、ややもすると、政治に利用される。願わくば、徳仁天皇の時代にあっては、皇室がさらに国民に開かれたものになり、人間として自由に生きて行かれるようになることを期待したい。

大嘗祭は規模を縮小し、皇室費から出費すべき 

13の皇室祭祀の内、古代から行われてきたのは、新嘗祭のみ。それが皇位継承の際に行われるものを大嘗祭という。ほかの皇室祭祀は、明治時代以降、皇室崇敬の意識を国民に植え付けるために行われるようになった。

新嘗祭も、かっては質素に執り行われていたはず。大嘗祭といえども、その由来、さらにその宗教的性格から国家が関与することは適切ではない。

神社本庁は、民間の宗教団体だが、その目的とするのは、天皇・皇室への崇敬、それに天皇の先祖を祀る伊勢神宮への崇敬の涵養である。最終的に国家神道を復活することを目指している。

国家神道が歪なナショナリズムと一緒になり、あの第二次世界大戦時の破滅を導いた。それを繰り返すことはあってはならない。それが、昭和天皇、現天皇の意向でもあった。

大嘗祭の支出は、皇室が出すべきだと秋篠宮が述べたが、それは正論だ。これは皇室祭祀の一環であり、宗教的な儀式なのだ。国家が、それに関与することは、将来的に国家神道を復活させることに繋がる。秋篠宮、ならびに現天皇は、そうした動きに対して、批判的な立場に立つとされている。皇室を政治利用し、戦前の体制を再現することは決して許されることではない。

以下、東京新聞から引用~~~

<代替わり考 皇位継承のかたち>(3) 大規模大嘗祭 明治から

2019年1月10日 朝刊

 「大嘗祭(だいじょうさい)の意義を損なわない範囲で見直しを行った」。宮内庁の西村泰彦次長は昨年十二月十九日、新天皇即位後に行う大嘗祭のため、皇居・東御苑に建設する大嘗宮の概要を発表した。

 大嘗宮は、中心祭場の悠紀殿(ゆきでん)、主基殿(すきでん)など大小四十近い建物から構成し、敷地は約九十メートル四方で前回より二割ほど縮小する。悠紀、主基両殿の屋根を入手しにくい茅葺(かやぶ)きから板葺きに変え、他の建物の一部をプレハブにする。

 それでも人件費や資材費の上昇で、建設予算は前回より四億五千万円多い約十九億円。終了後にほとんど焼却していた建設資材も、今回はできるだけ再利用する。

 大嘗祭の歴史は飛鳥時代に始まり、現在のように大規模になるのは「神武創業」と祭政一致をスローガンに掲げた明治時代からだ。悠紀、主基両殿の延べ床面積は、江戸以前より倍増した。国学院大学教授の岡田荘司(70)は「奈良、平安時代は床もなく、藁(わら)や草などで造った簡素な建物だった」と指摘する。

 大正、昭和の大嘗祭は、明治期の旧皇室令の一つで、代替わり儀式を定めた登極令(とうきょくれい)に基づき、国の一大イベントとして行われた。戦後初の前回は、憲法の政教分離原則を考慮し、政府は直接関与せず、皇室行事とした。だが大嘗宮の規模や式次第は、登極令による前例を踏襲したため、多額な費用が必要となり、政府が国費でサポートした。

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 旧皇室令は、大日本帝国憲法時代に皇室の事務を規定した天皇の命令の総称だ。一九四七年の日本国憲法の施行に伴って、すべての皇室令が廃止されたが、宮内府(現・宮内庁)は「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて事務を処理する」と通達した。

 国際基督教大学名誉教授で憲法学者の笹川紀勝(78)は「この通達によって最高法規の憲法と、皇室の伝統という憲法の入りきれない領域の二重基準が持ち込まれた。皇室の伝統をコモン・ローだ、慣習法のようなものだと言う人もいるが、おかしなことだ」と話す。

 宮中祭祀(さいし)は戦後、天皇家の私的行為とされ、直接雇用する掌典(しょうてん)職などの人たちが携わってきた。八〇年代に現憲法下での代替わり儀式が課題として浮上したが、元掌典職や同庁関係者らは「新たな規定がない以上、登極令を参考にする以外になかった」と振り返る。

 皇室研究家の高森明勅(あきのり)(61)は、三十年前の代替わり儀式にあたり、政府高官と意見を交わしたことを覚えている。政府の意向は「憲法に違反しない限り、皇室の伝統を最大限、尊重したいということ。皇室の伝統イコール登極令との認識だった」と高森は指摘する。 (敬称略)

<大嘗祭> 新天皇の即位後に初めて行う新嘗祭(にいなめさい)。稲作農業を中心とした日本社会に古くから伝承された収穫儀礼に根差すもので飛鳥時代の7世紀後半、天武・持統天皇のころに皇位継承儀式として始められたとされる。室町時代の応仁の乱で朝廷の財政が窮乏して以降、江戸時代中期まで約200年間の中断がある。明治天皇は初めて東京の皇居で行い、大正、昭和天皇は京都御所で行った。