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大嘗祭は規模を縮小し、皇室費から出費すべき 

13の皇室祭祀の内、古代から行われてきたのは、新嘗祭のみ。それが皇位継承の際に行われるものを大嘗祭という。ほかの皇室祭祀は、明治時代以降、皇室崇敬の意識を国民に植え付けるために行われるようになった。

新嘗祭も、かっては質素に執り行われていたはず。大嘗祭といえども、その由来、さらにその宗教的性格から国家が関与することは適切ではない。

神社本庁は、民間の宗教団体だが、その目的とするのは、天皇・皇室への崇敬、それに天皇の先祖を祀る伊勢神宮への崇敬の涵養である。最終的に国家神道を復活することを目指している。

国家神道が歪なナショナリズムと一緒になり、あの第二次世界大戦時の破滅を導いた。それを繰り返すことはあってはならない。それが、昭和天皇、現天皇の意向でもあった。

大嘗祭の支出は、皇室が出すべきだと秋篠宮が述べたが、それは正論だ。これは皇室祭祀の一環であり、宗教的な儀式なのだ。国家が、それに関与することは、将来的に国家神道を復活させることに繋がる。秋篠宮、ならびに現天皇は、そうした動きに対して、批判的な立場に立つとされている。皇室を政治利用し、戦前の体制を再現することは決して許されることではない。

以下、東京新聞から引用~~~

<代替わり考 皇位継承のかたち>(3) 大規模大嘗祭 明治から

2019年1月10日 朝刊

 「大嘗祭(だいじょうさい)の意義を損なわない範囲で見直しを行った」。宮内庁の西村泰彦次長は昨年十二月十九日、新天皇即位後に行う大嘗祭のため、皇居・東御苑に建設する大嘗宮の概要を発表した。

 大嘗宮は、中心祭場の悠紀殿(ゆきでん)、主基殿(すきでん)など大小四十近い建物から構成し、敷地は約九十メートル四方で前回より二割ほど縮小する。悠紀、主基両殿の屋根を入手しにくい茅葺(かやぶ)きから板葺きに変え、他の建物の一部をプレハブにする。

 それでも人件費や資材費の上昇で、建設予算は前回より四億五千万円多い約十九億円。終了後にほとんど焼却していた建設資材も、今回はできるだけ再利用する。

 大嘗祭の歴史は飛鳥時代に始まり、現在のように大規模になるのは「神武創業」と祭政一致をスローガンに掲げた明治時代からだ。悠紀、主基両殿の延べ床面積は、江戸以前より倍増した。国学院大学教授の岡田荘司(70)は「奈良、平安時代は床もなく、藁(わら)や草などで造った簡素な建物だった」と指摘する。

 大正、昭和の大嘗祭は、明治期の旧皇室令の一つで、代替わり儀式を定めた登極令(とうきょくれい)に基づき、国の一大イベントとして行われた。戦後初の前回は、憲法の政教分離原則を考慮し、政府は直接関与せず、皇室行事とした。だが大嘗宮の規模や式次第は、登極令による前例を踏襲したため、多額な費用が必要となり、政府が国費でサポートした。

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 旧皇室令は、大日本帝国憲法時代に皇室の事務を規定した天皇の命令の総称だ。一九四七年の日本国憲法の施行に伴って、すべての皇室令が廃止されたが、宮内府(現・宮内庁)は「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて事務を処理する」と通達した。

 国際基督教大学名誉教授で憲法学者の笹川紀勝(78)は「この通達によって最高法規の憲法と、皇室の伝統という憲法の入りきれない領域の二重基準が持ち込まれた。皇室の伝統をコモン・ローだ、慣習法のようなものだと言う人もいるが、おかしなことだ」と話す。

 宮中祭祀(さいし)は戦後、天皇家の私的行為とされ、直接雇用する掌典(しょうてん)職などの人たちが携わってきた。八〇年代に現憲法下での代替わり儀式が課題として浮上したが、元掌典職や同庁関係者らは「新たな規定がない以上、登極令を参考にする以外になかった」と振り返る。

 皇室研究家の高森明勅(あきのり)(61)は、三十年前の代替わり儀式にあたり、政府高官と意見を交わしたことを覚えている。政府の意向は「憲法に違反しない限り、皇室の伝統を最大限、尊重したいということ。皇室の伝統イコール登極令との認識だった」と高森は指摘する。 (敬称略)

<大嘗祭> 新天皇の即位後に初めて行う新嘗祭(にいなめさい)。稲作農業を中心とした日本社会に古くから伝承された収穫儀礼に根差すもので飛鳥時代の7世紀後半、天武・持統天皇のころに皇位継承儀式として始められたとされる。室町時代の応仁の乱で朝廷の財政が窮乏して以降、江戸時代中期まで約200年間の中断がある。明治天皇は初めて東京の皇居で行い、大正、昭和天皇は京都御所で行った。