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犬飼光博氏のこと 

私は大学受験をする前後しばらく、無教会主義の聖書研究会に日曜日ごとに参加していたことは何度か記した。高橋三郎先生という素晴らしい指導者の下、老若男女多くの方が参集していた。私は、その後キリスト教信仰から離れてしまい、高橋先生の弟子とは到底言えない者だが、その集まりで知己を得た方々には忘れがたい方が多い。

その中の一人が、犬飼光博氏だ。彼は、当時、同志社大学・大学院で神学を専攻し、学生時代からかかわりを持つようになった、筑豊の炭鉱町で伝道者として働き始めたところだった。個人的に話をした記憶はないのだが、毎年、正月と夏に行われる泊りかかりで開催された聖書研究会にいつも参加なさっておられた。彼の述べたことを思い出すことはできないのだが、カネミ油症の方々とともにカネミへの抗議活動を始められたところだったのだろうか、自分のこれからの価値は生命だという意味のことを述べておられたことだけは覚えている。

伝道活動とともに、というかそこから自然に導かれるように、筑豊の子供たちとの生活、カネミ油症の抗議活動、そして在日韓国人・徴用工達への謝罪と援助の活動等、長い期間地道な活動を続けてこられた。彼の半生が、6年前にNHKの番組で取り上げられ、放映されたことを最近知った。その番組自体は見ていないのだが、内容の記録がネットに残っていた。

こちら。

いつもにこやかで温厚そうな方だった。その表情がいつも光り輝いていたように覚えている。

その番組内で、高橋先生とのやり取りのエピソードもあり、そうだった、高橋先生はこうした方だったと、こころ打ち震える想いで、思い出した。とても怖い先生だったが、何事にも全力で当たり、私たちに細やかな配慮を忘れぬ愛情深い先生だった・・・。

当時、30歳前後でいつも元気そのものだった犬飼氏も、46年間に渡る筑豊での活動を終え、今は長崎でやはり牧師として生活なさっている様子。もう80か81歳になられたはずだ・・・。

炭鉱の人々は、政府のエネルギー転換の影響をもろに受け、いわば棄民された方々だった。カネミ症患者の方々、在日韓国人の方々も同じような境遇にあった。そうした人々のなかに入って人生を送ってこられた彼、誠実な人生を送られたのだろうと改めて思う。世の中で注目されることは少なかったかもしれないが、本当に光り輝いた人生を送られたのだろう。

翻って、私は・・・比較すること自体おこがましいが、何といい加減で自分勝手な人生を送ってきたことかと改めて感じる。それに気づくのが少し遅すぎた嫌いがあるが、これから残された時間を彼が歩んだ誠実さに少しでも近づけるように努力したいものだと思った。

ある友人の奥様の突然の逝去 

facebookで、米国の友人が、奥様が逝去されたことを報告した。took her own lifeとあったので、自死なさったのだろう。

彼自身が、末期がんであることもほぼ同時に記していた。

お二人には、8年前にシアトルであったFOCの集まりでお目にかかった。それほど親しくはなかったのだが、facebookそれに無線を通して付き合いのあった方だった。

お子さんにも恵まれ、お孫さん、ひ孫もおり、時に家族の集まりの画像を同じfacebookにアップなさっておられた。

しかし、突如として、こうして最後が訪れるものなのだ。

奥様は、ご主人の病気で悲観的になったのかもしれない。すべての心配と苦しみから解放されることを願ったのかもしれない。

傍からみて如何に順風満帆に見えても、人生はこのように最後を迎える。

こころして生きて行かねばと思った。あの優しそうな笑顔の奥様の冥福を祈りたい。

ハクモクレン開花 

二日ほど前、ベランダで洗濯物を干していた時、ふっと庭の東側の方を見ると、ハクモクレンが満開に近かった。えっと驚きの声をあげそうになった。ハクモクレンは、毎年春・・・もう少し遅くに、一斉に咲き始めるのは覚えていたが、この時期に、そして一晩でこれほど見事に咲くとは、予想していなかった。

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認知症になった晩年の母が、この時期、ハクモクレンが咲き始めると、私に「咲いたよ」と輝くような笑顔で知らせてくれた。この木を父親が植えたのは30年ほど前のこと。その両親と、こうした季節の花を一緒に楽しむことはもうできない。

時間が経つのは早い。

惜別 木内みどりさん 

昨年11月、木内みどりさんが急逝なさった。特によく知っていた方ではなかったが、その際に告別の言葉を記そうかと思いつつ、機会を失ってしまった。一昨日の朝日新聞に彼女の短い評伝が掲載されていたので、それに乗せて、私も彼女への惜別の言葉を一言記しておきたい。

彼女は、芸能界で生きてきた方で、私とは別世界の方だった。だが、福島第一原発事故以降、積極的に反原発の意思を明らかにし続けてこられた。芸能界は、電通という魑魅魍魎の住む組織が支配しており、こうした意思を示すことは並大抵なことではできないことだったはずだ。だが、彼女はかろやかに自らの考えを公にしてきた。

昨年7月の参議院選挙では、山本太郎率いる「れいわ新選組」の街頭演説にも立っていた。お嬢様には常々自由に生きるように語っていたそうだが、彼女自身が自由で透明な生き方をなさっていた。私は、その姿を、眩しさを感じながら遠くから見守っていた。

もう一つ、彼女が同世代であることも親近感を感じさせた。20世紀後半と21世紀の始めを共に生きてきた方だった。ベビーブーマの最後の世代。日本が経済成長を遂げ、その後バブルの破裂からデフレ、スタグフレーションが続き、現在の虚偽の政治体制下で破滅に向かおうとしている、これらの時代を共に生きてきた方のお一人だった。きっと同じ危機を感じておられたのではないだろうか。

彼女を良く知る、ビートたけしが、彼女のことを「学歴はないのだけど物知りだった」と彼らしい言葉で追悼していた。きっと、仕事の合間に勉強をなさり、自分の意見を形成なさったのだろう。そして、それに忠実に生きた方だったような気がする。彼女はかろやかに生きた方だった。

お疲れ様でした、ゆっくりお休みくださいと申し上げたい。

木内みどり1

朝日新聞 夕刊
2020年2月8日 16時30分

■人への優しさ、まっすぐに

 2019年11月18日死去(急性心臓死) 本名・水野みどり 69歳

 遺作の一本である映画「夕陽(ゆうひ)のあと」で演じたのは、ブリを養殖する主人公の義母。撮影地の鹿児島県長島町で養殖業を営む岩塚泰樹さん(36)方に、3日間通って役作りに努めた。
ここから続き

 「木内さんは祖母のカーディガンを着て撮影に臨み、うちには『ただいま』と帰ってきた。夕食は母と台所にたち、家族みんなで食卓を囲んだ。芸能人とは思えないほど気さくな方でした」と岩塚さんは振り返る。

 作品は家族の絆とともに育児放棄、特別養子縁組など社会的テーマも内包する。監督の越川道夫さん(54)は「日本の今に絶対必要な映画だから頑張りましょう」と励まされた。「他の人に思いを寄せる人でしたね。みんなが手を出しやすいように率先して差し入れの品をいただき、寒い日の撮影では率先してエキストラの方にみそ汁を配ってくれました」

 愛知県生まれ。1967年に劇団四季に入り、退団後は、テレビドラマや映画に数多く出演したほか、バラエティー番組でもお茶の間に親しまれた。

 2011年の東日本大震災による原発事故に大きな衝撃を受け、脱原発運動に力を注いだ。訴えは反原爆・反戦・護憲に広がっていった。

 夫で元西武百貨店社長の水野誠一さん(73)は「困っている人や弱い立場の人に対する優しい視点を基本に、原発や原爆の問題を徹底的に学び、自分なりに咀嚼(そしゃく)して反対の姿勢を貫くようになった」と話す。被災地の復興を優先すべきだとして東京五輪の開催にも反対していた。

 亡くなった日は広島市にいた。国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で企画された作品の朗読を担当。収録を終え、ホテルで倒れた。すでに10年ほど前に、延命治療の拒否や散骨の願いをしたためた遺書を書いていた。水野さんは「突然の死はショックでしたが、みどりらしいなとも思いました」と言う。

 娘の頌子(しょうこ)さん(30)には、幼いころから「自由に生きなさい」と言い続けた。「あまり言われ過ぎて、私は普通の会社員になりましたが」と頌子さん。

 死後、本人の携帯電話に着信があった。海外旅行の飛行機でたまたま隣に座った人だった。テレビの訃報(ふほう)を見て、意気投合して携帯番号を交換した女性が木内さんだと知り、連絡してきたのだ。頌子さんは「母のまっすぐで純粋な人とのつきあい方には、亡くなってからも驚かされることばかりです」と話す。(斉藤勝寿)

今年を振り返って 

今年を思い返し、安倍首相は「日本が世界の真ん中で輝いた年」と述べたそうだ。輝いたということ自体事実認識の大きな誤りだが、世界の真ん中で、とはこれまた殆ど病的な認識の誤りだ。これを政治的なプロパガンダとしてならある程度理解できぬでもないが、どうも彼の頭の中では、この認識が真実となってしまっているようだ。彼のこの誤った認識に合わせるように、現実を示すデータを彼自身、そして取り巻きが作り替えようとしている。

日本は、さらに困窮化しつつある。子供の7人に1人は貧困、毎年1700人の餓死者が出る社会。自殺は毎年2万人を超え、60万人以上が自殺を考えている。その大多数は経済的困窮による。実質賃金は減り続け、一人当たりのGDPは世界26位まで落ちた。少子高齢化による国力の低下以外に、人に投資を行わない現政権の新自由主義的な一連の政策が背後にある。

地球温暖化による異常気象も今年は目だった。大雨、強大な台風は、今後も増え続ける。地震も引き続き起こり続けている。南海トラフ地震への備えは出来ているのだろうか。予測される南海トラフ地震が生じると、国家予算の二倍以上の被害と、数十万人の死者が出る。福島第一原発の復旧は遅々として進まない。それによる汚染土を、土木工事ならず農業用として全国にばら撒こうとしている。行政と、東電は、汚染水も海洋投棄をしようと画策している。こうした自然災害、それに原発事故による被災者が、今だ多く避難生活を余儀なくされている。

為政者は、マスコミをコントロールし、スポーツや芸能の催しに顔を出し、オリンピックという商業主義に冒された2週間の催しに3兆円をつぎ込もうとしている。すべて、人気取りのためだ。日本の国益にならぬ法律を、ろくろく国会で審議をせぬままに次々に強行採決した。安倍首相の取り巻きに利権を与え、便宜を図っている事態も徐々に明らかになりつつある。米国に隷従し、米国の命じるがままに、軍備を買い入れている。オリンピック予算の重し、無節操な軍備拡大の「ツケ」は後の世代に先送りだ。この米国への隷従は、「自主独立憲法」の制定とどこかで矛盾を露呈するはずだが、彼は一向に気にしない。米国への隷従、米国を新たな「国体」の頭に据えることが、彼の権力基盤を強めると、本能的に理解しているのかもしれない。

こうした現実に対して、左派反緊縮財政論の山本太郎率いるれいわ新選組という政党が成立した。これまでの政治的エスタブリッシュメントに対する国民レベルの反旗といって良い。人への投資を行う、生き辛い世の中を変えて行くという、彼と同党の主張には共感するところ大だが、しかし、その反緊縮財政論の危うさも感じないわけにはいかない。しかし、ごく一部の国民と大企業の利便、利権だけを優先する現政権よりは「マシ」かもしれない。現時点で、希望を託すとしたら、この左派ポピュリズム政党しかないのかもしれない。

世界に目を向けても、新自由主義経済によって困窮させられた人々、地球温暖化により故郷を追われた人々そしてその両者が遠因となっている内戦により難民にならざるを得ない人々がいる。シリア北部の戦闘激化により、ギリシャへの難民が大幅に増えているようだ。また、これらの困難に対して、悪しきポピュリズムが跋扈している。英国のBrexitは壮大な失敗に終わる。この右派ポピュリズムはナショナリズムと結びつき、トランプのような異形の指導者を選出する。それが世界をさらに混迷に陥れる。また、様々な武力衝突、内戦の背後に、軍産複合体と武器商人が蠢いている。日本でもどうどうと武器の見本市が開かれるようになった。武器で立つ者は、武器で滅ぶ、という歴史上の真理に畏れを抱かないのか。

このような状況でどこに希望を見出せば良いのだろうか。悲観的に過ぎるだろうか。

中村哲医師の突然の逝去は、本当に大きな衝撃だった。だが、彼の行ってきたことを改めて知り、彼のような生き方にこそ未来への希望があるように思える。死の砂漠が、彼の計画し実現した灌漑路によって緑の大地に生まれ変わる、あの光景は現代の奇跡としか言いようがない。そうした事業に加わることはもう年齢的に無理だが、世の中を見わたして、そのような活動をなさっている人々を支持し、わずかでも支援してゆきたい。さらに、この世界で進行中の事態を良く理解し、それにどう対処して行くべきなのか、田舎で退職生活を送る者でしかないが、勉強を続けて行きたいものだ。

クリスマスエキスプレス 1989 

私は、元来テレビをあまり見る方ではないのだが、このコマーシャルは記憶に残っていた。1989年JR東海のコマーシャル。クリスマスエキスプレス。

こちら。

この文章を書かれた方は、この短いコマーシャルから多くのことを読み取り、まるで一篇の短編小説を書き上げられたかのよう。

その文才、分析力に感嘆しつつ、あの頃のことを思い出していた。

私は大学を辞める前後、漠とした将来への不安がありながら、まだ人生で一つや二つ大きなことができるのではないかという希望も持っていた。とりあえずは、市中病院での仕事を始めた・・・。

バブル経済がピークを迎えていた。薄給なのに自宅を建てたりして、蓄えは殆どなかったが、私の意識もバブルに冒されていたのか、それともまだ若かったせいか、将来への不安はあまりなかった・・・でも、開業が10年遅れたら、結構経済的に苦労したのではないか。いずれにせよ、この2年後にはバブルが破裂。金融機関や重厚長大企業のバブルの始末が不適切で、その後今まで続くデフレに突入していったわけだ。勿論、少子高齢化による需要の減少もあったが・・・。

世界的には、共産主義諸国が政治経済的に立ち行かなくなり、次々に崩壊していった。冷戦構造の終焉とともに、少し前から英国で始まった新自由主義経済が世界を席巻することになる。今は、それによる格差が至る所で人々を苦しめている。

それにしても、牧瀬里穂が可愛い。彼女は引退したのだろうか。もう確実に50歳台になっているはず。

時代背景とは別に、恋愛についても客観的に眺めることができるようになった自分がいる。恋愛は、結局人間の「生殖行動」なのだ。より良い子孫を残すために矯めつ眇めつして、パートナーを探す。傍から見ると、動物たちのペアリングと同じ。時には滑稽ですらある。だが、主観的に考えてみると、たとえ一瞬であっても、絶対的な信頼、それによって世界が意味のあるものに見える瞬間をもたらしてくれる経験でもある・・・でもあった。後で振り返ると、恥ずかしさで一杯になる様な行動も、あの経験で何とかプラマイゼロになっているのかもしれない。

それにしても、夢のあるコマーシャルだった。今の時代、これだけ希望と夢を込めたコマーシャルはあるだろうか・・・。

JH1HDX 10周忌 

この歳になると、先に逝った人々のことをことあるごとに思い出す。

先月6日は、中島守氏JH1HDXの10周忌だった。お墓参りに伺わなければと思いつつ、時間が過ぎてしまった。今日、10周忌に改めて彼との交誼を有難く思いだしていることを記して、わずかなお花料とともに奥様にお送りした。彼のことは、5周忌に比較的詳しく記した。こちら。

そちらのポストに記したこと以外にも、彼とは多くのことを共有させて頂き、またお世話になった。最初にお目にかかったのは、ログを見直してみないと分からないが、1980年か81年の冬、夜更けの21メガだったような気がする。こちらは、ベアフットにバーチカルという設備。彼もワイアーアンテナだったような気がする。夜間になるとさすがにバンドは静まり返り、当時今市市に在住だった彼に呼ばれて交信したのだ。彼は、東京からこちらに舞い戻ってきたばかり。某電池製造の会社にお勤めだった。何度か当時の彼の家に遊びに行ったことがあるが、かなり古びた平屋建ての家で、それに建て増しした狭い空間、恐らく3畳程度の細長い部屋で無線をやっていた。暖房がないとのことだった。あちらの冬はかなり冷え込むはずだったが、それでも寒さには強いんだと強がりを言って、無線に出てきた。

仕事では、恐らく上司にはずけずけものを言うタイプだったのだろう、それが彼の希望だったかどうか分からないが、最後まで現場の仕事を続けた。製品のアフターケアのために、特に東北地方を車で回ることも多かった。日光の山で「民宿」を始めるのが夢だと時々語っており、実際物件を探したりもしていたようだが、ある程度の年齢になるとそれも口にしなくなった。

私がお世話になったことでよく覚えていることがある。30歳台半ばだったころ、学会の関係でスエーデンから高名な学者が、当時勤めていた大学に来られて、その接待で教授とともに鬼怒川の温泉に行ったことがあった。そのようなことは殆どなかったのだが、そのスエーデン人の学者を無事もてなし、翌朝早々にホテルを後にした・・・が、夜殆ど眠れなかったために、かなりグロッキーになり、今市の彼の家に、帰路、突然押しかけて休ませてもらったことがあった。図々しく、こたつに潜り込み、しばらく眠ることができて、何とか自宅に帰ることができた。突然の来訪だったのに関わらず、ニコニコしながら休ませてくれた。

彼は後輩の面倒見がよく、その付き合いもたくさんあったようだが、年月がたてば、やがて思い出す人も少なくなる。私についても全く同じだ。この世の中に生まれ、格闘し、家族を得、そして去って行く。しばらくすると、誰も思い出さなくなる。それで良いのだろう。この世で生きたことは、自分だけが最後まで記憶する。そして、ふっと風が吹くようにいなくなる。それと同時に、我々の生きた思い、出来事はすべて永遠の過去に封印される。それで良いのだ。彼もきっと同じような思いで、この世を去って行ったに違いない。

フランクルとの再会 

オーストリアの著名な精神科医・思想家ヴィクター フランクルについては過去に何度か記した。彼の著作に若いころ接して、私は精神医学を志した。医学を学ぶうちに、精神医学から小児科学に関心は移って行ったのだったが、フランクルの名前、そしてその思想は忘れがたい。

人生を生きる意味は、三つあると彼は言う。創造する価値、経験する価値、そしてそれらを経験できなくなっても、運命を受容する価値が人生を意味あるものにする。アウシュビッツの過酷な体験を経て、彼はその思想に到達した。

そのフランクルに予期しない形で再会した。facebookでの知り合い、ニューメキシコ在住の画家、Donna Clairが、フランクルに関する記事を、facebookで紹介していた。ナチスの強制収容所で奥様と生き別れ、過酷な収容所生活のなかであっても、彼女への思いによって生きる意味を見出した様子が生き生きと描かれている。

こちら。

詳細は分からないのだが、彼女は、恐らくまだ年若いご子息を亡くされ、生きる意味を喪失していたようだ。フランクルの著作に出会って、少しずつ生きる意味、存在する意味を取り戻してきた、と仰っていた。

facebookは、政治的な議論やら、日々の生活の「喜び」を書き記し、画像で示す場になっているが、生きることの光と影とを述べらる方は多くはない。人生の在り方を、Donnaはその存在を通して教えて下さる方だ。

彼女のブログは、こちら。

敗戦記念日を迎える 

広島・長崎の原爆忌を過ぎて、もうすぐ敗戦の日を迎える。私たちの世代は、戦後の貧しい生活のなかで、戦争の話しを親の世代から聞かされて育ってきた。以前にも記したが、父は二度招集され、一時は中国の前線で限界状況を経験した。中国の方々に済まないことをしたと事あるごとに繰り返してきた。戦後、自分の家族を養い精一杯生きる一方で、命のもっとも輝く青春時代を何故あのように過ごさねばならなかったのかを自問することが多かったようだ。戦争責任の追及と清算が行われていないことを嘆いていた。

そうした世代の大多数はもうこの世を去った。一方、この20、30年間の新自由主義経済の跋扈により、人々は搾取され続け、自分の所属するコミュニティを喪失してきた。そこで、歴史を改ざんし、選民思想的な排外主義を振りまく歴史修正主義、それによる政治観が人々のこころを徐々に占めるようになってきた。自分の依拠するアイデンティティを失い、コミュニティを喪失した人々は、歴史修正主義に基づく集団に自分を置き、それによってアイデンティティを回復したかのように錯覚をしている。その典型が、いわゆるネトウヨだ。

歴史修正主義の行き着く先は、あの戦争の否定、戦争の結果の否定だ。米国という新しい国体に従い、国民をもう一度「臣民」とし、再び戦争に突き進むことになる。恐るべきことに、現政権与党の幹部は、「国民には天賦人権説は不要で、基本的人権は要らない、国を守るために血を流せ(だが自分たちは流さない!)」と述べている。それが、自民党改憲草案の中身だ・・・。これほど国民を不幸にする新しい国体思想が、何も疑われることなく、人々に浸透し始めている。または、それを知らずに、その流れに流されている。

父が生きていたら、今年で100歳・・・もっと長生きはしてもらいたかったが、この状況で老境を迎えることなく済んだのは、彼にしたら幸いだったのかもしれない。もうすぐ、敗戦の日を迎える。

自然のなかで生きる 

以前から何度か記した通り、庭の畑で大地を踏みしめていると、何とも言えぬカタルシスを感じることがある。生きている実感というか、大袈裟になるが、人生を永遠の相の下に生きる感触だ。

その消息を間接的に述べ、証明している論文が、サイエンテイフィック リポーツに掲載された。

「週に二時間、自然のなかに自分を置いていますか?」と問われているようだ。

人も自然の一部であり、自然のなかでしか生きられないということだろう。

以下、抄録を引用~~~

Article | OPEN | Published: 13 June 2019

Spending at least 120 minutes a week in nature is associated with good health and wellbeing
Mathew P. White, Ian Alcock, James Grellier, Benedict W. Wheeler, Terry Hartig, Sara L. Warber, Angie Bone, Michael H. Depledge & Lora E. Fleming
Scientific Reports volume 9, Article number: 7730 (2019) | Download Citation

Abstract
Spending time in natural environments can benefit health and well-being, but exposure-response relationships are under-researched. We examined associations between recreational nature contact in the last seven days and self-reported health and well-being. Participants (n = 19,806) were drawn from the Monitor of Engagement with the Natural Environment Survey (2014/15–2015/16); weighted to be nationally representative. Weekly contact was categorised using 60 min blocks. Analyses controlled for residential greenspace and other neighbourhood and individual factors. Compared to no nature contact last week, the likelihood of reporting good health or high well-being became significantly greater with contact ≥120 mins (e.g. 120–179 mins: ORs [95%CIs]: Health = 1.59 [1.31–1.92]; Well-being = 1.23 [1.08–1.40]). Positive associations peaked between 200–300 mins per week with no further gain. The pattern was consistent across key groups including older adults and those with long-term health issues. It did not matter how 120 mins of contact a week was achieved (e.g. one long vs. several shorter visits/week). Prospective longitudinal and intervention studies are a critical next step in developing possible weekly nature exposure guidelines comparable to those for physical activity.