私の「医療崩壊」小論(2) 

私自身は、キリスト教徒ではないし、とくに政治的・思想的なバックグラウンドはない。しかし、貧しいなかでも結核の患者さんと共にある生活を送っていた、伯母や両親からエートスとでも言うべき基本的な生き方は学んだような気がする。言葉ではなく、彼等の生き方そのものを通して。病者とともにあるべきこと、彼等は、社会のなかで「たまたま」病に冒されただけであり、社会の一員として正当に扱われるべきことが、発想の基本にあるような気がする。

勿論、医療を生活の糧にする以上、私はそこから収入を得ているのは事実だし、私も収入を伸ばし、事業を拡大したいといった欲求はある。しかし、その医療がどのような形になるのかということに、それ以上の関心を抱く。それは単なる損得勘定等とは関係ない、理念に属する事柄だ。このような行き方は、特に生硬な理想主義に燃えてのことではない。

患者さんのためにと思って過酷な労働環境で仕事を続けてきたが、その急性期医療の現場から静かに去ろうとする、働き盛りの医師達が多くいる。彼等をそうした行動に駆り立てるのは、直接的には、過労であったり、医療訴訟に追い込まれる危険や、仕事に見合わないあまりに少ない収入であったりするかもしれないが、背景には、医療の理念の問題があるように思われる。さらに、そうした医療崩壊の犠牲者になるのは、社会的な弱者である患者さんとその御家族なのだ。これから私の知る範囲で詳述する医療崩壊の現実を考える上で、この理念の問題は決定的に重要なことなのではないかと思う。

W9KNI 

昨夜も、あまりCONDXが良くなかった。例のOTHレーダーのパルスがバンド(7メガ)を占領していた。弱いWとOHから呼ばれて、簡単な交信、さて寝るかと思ったときに、W9KNI Bobが呼んで来てくれた。

Bobは、DXに関する著作で有名であり、またベンチャー社のオーナーでもあるのでご存知の方も多いことだろう。また、私も彼のことはいろいろなところで記したことがある。

彼としばしば交信するようになったのは、1980年代後半、私がFOCに入った頃だった。当時彼は、シカゴに居住していたので、それほど頻繁ではなかったが、14や21でバンドが開けると、QRQのCWで呼んで来てくれた。

1990年、私がオーガナイズさせて頂いた、9V1YCとJF3NRIによるXU0AAの運用では、彼がLocherのキーヤーをドネートしてくれた。さらに、1990年代後半、彼が西海岸に引っ越してきてからは、7でも頻繁に交信するようになった。お互いの家族のこと、仕事のこと、これからのこと等、米国人らしいとてもフランクな態度で話してくれる。また、私の家族のことなども、いつも覚えていてくれて、交信のたびに尋ねてくれる。

最近、奥様が、遠く離れたテネシーで癌の末期にあった彼女の母上の介護をしばらくなさっていた。米国では、そのような終末期の医療も、家族が担わなければならないことを初めて知ったのだった。奥様は、数ヶ月の看護の末、母上の最後を看取り、ようやく帰宅されたが、精神的に疲労された様子だった。しかし、先日感謝祭の休暇で、家族全員が集まり、元気を取り戻し始められた由、昨夜の交信で伺った。

彼の家は、市街地からはかなり離れた、小高い丘(または山)の上にあるらしい。2,3週間後に、新しい28mのクランクアップを上げて、そこに7メガの3エレを上げる予定だそうだ。傾斜が急なために、自立かクランクアップのタワーしか上げられないらしい。最初、新しいQTHでK2とバターナットから始めたのだが、いつの間にかビッグステーションになってしまう。これで、私と同じ強さの信号を送り込めるなどと冗談を言っていた。

室内楽への憧憬 

大学に入った当初、合唱に入ろうと考えていると姉に言ったら、お前は音痴だから、歌は止めなさい、まだ楽器の方が良いというメチャクチャなアドバイスをくれた。そんなことや、親しくなった友人にオケに入ろうと誘われたことがあり、1年生の秋になってようやくオケに入ったのだった。

トルトゥリエの演奏をテレビでたまたま見たことから、自分の楽器としてチェロを選んだ。人の声に近い音域で、十分に歌う、そして室内楽やオケでは時に旋律線を、さらには対旋律を受け持つ、また和声の基礎を与える、縦横無尽に活躍するその楽器に魅入られてしまったのだ。

いろいろな室内楽を生で聴いた。東京文化会館小ホールでの巖本真理弦楽四重奏団の定期演奏会。しばらく定期的に通った。モーツァルトの20番の弦楽四重奏曲二短調K421や、グリーグのト短調弦楽四重奏曲など今でも眼前に思い起こされる。

お茶の水の小さなお寺のホールで聴いた、ブラームスのクラリネットトリオにも鳥肌の立つような感動を覚えた。そのときの女流チェリスト倉田澄子女史は今でもばりばりの現役で弾いていらっしゃる。チェロの流れるような旋律、美しい。そこはかとない人生への諦観も聴くことができる名曲。

場所は覚えていないが、東大オケの上手い連中が、モーツァルトの弦楽五重奏曲ト短調K516を弾いたのを聴いたのも強い刺激になった。アマチュアでもこんなに弾けるのだ、と曲への感動以外に、室内楽に直接携わってみたいという強い欲求を感じるようになった、一つの機会だった。

そうした思いを胸に抱きつつ一生懸命練習に励んだ。大学の部室のある前の廊下で、何時間と楽器を弾いていたことがかなりあった。夏休みも楽器を弾くために、毎日のように学校に通った。

如何せん腕がなかなか追いつかないのだが、学生時代から上手な方を誑かして、いろいろな曲にチャレンジさせて頂いた。連中には迷惑なことだったろうなぁ・・・。N大学のスタッフをしているバイオリンのM君には、つい最近まで、相手をして頂いていた。また、私の娘が、バイオリンをしばらく学んでいたのだが、同じ師匠について、後に音大に進学されたTさんにも、この数年色々な曲でお相手をお願いしている。

下の写真は、4年前に信州のとあるホールで、ブラームスのピアノ五重奏曲1楽章を演奏した際のもの。ピアノはオケ時代にチェロを弾いていらっしゃった当時Nさん、1stが留学中のドイツから夏休みで帰国なさっていたTさん、2ndはNさんの弟さん、Vaはネットで知り合ったSさん。チェロは、寝不足でぼろぼろの小生。一日中楽器を弾き、酒盛りをしながら話をした3日間。楽しい思い出だ。

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室内楽を演奏するのは、互いの楽器を聴き合い、時に対立し、時に共に歌いあうことが醍醐味。一種の生命の交感といえるかもしれない。ブラームスのピアノトリオ1番(これも難しかった)を、Nさん、Tさんにお願いして弾いて頂いた折、チェロがバイオリンとユニゾンで第一主題を歌いだす1楽章再現部で、Tさんが、さぁ一緒に歌いましょうという風に、す~っと息を吸いこんで誘ってくださった(というか、これは合わせる技術であるわけだが)のがとても印象に残っている。

もう楽器の上達は望むべくもないし、室内楽をする機会も訪れることもないかもしれない。が、もしかしたら何かの機会に大好きなブラームス、フォーレそれにトゥリーナの室内楽をちょっとだけでも弾かせていただけたらという微かな夢を抱いて、毎日仕事場と自宅でギコギコやっている。

私の「医療崩壊」小論(1) 

このブログを立ち上げた、大きな理由の一つが、現在密かに、また公然と進行しつつある、「医療の崩壊」について記すことだった。一介の田舎の小児科医が、ネット上のこうしたささやかな場所で、問題提起したところで何が変わるか、という思いはあるが、それでも書いておかなくてはならないと思うようになった。

まず私の生い立ちと、医師になった経緯を簡単に記そう。それが、医療の現状への私の見方、関わり方に大きく関係するからだ。自分の過去を述べて、それを誇示したり、自慢したりしようという積りは毛頭ない。医療の崩壊に直面して、その問題提起をするためでなければ、取るに足らぬありふれた田舎医者の半生記に過ぎない。

私は、北関東の田舎で、終戦後結核サナトリウムで働く両親の元に生まれた。キリスト教徒であった母方の伯母が、第二次世界大戦前に、身寄りがなく、当時死の病であった結核の患者と生活をともにし、看取るための場所として小さなサナトリウムを作ったのだった。きわめて貧しい施設であった。松林のなかに、食堂と伯母の生活する建物、わが家、それに患者さんの生活する一部屋の小さな小屋が、点在するだけだった。看護師の資格をもつ伯母、私の母が患者さんの世話をしていた。父は、様々な雑用を一手に引き受けていたようだ。全国のキリスト教徒の知り合いから物心両面の支援を受けていたようだ。私の物心ついてからの最初の思い出は、松林を吹き抜けてくる、そよ風と、それに乗って聞こえてくる賛美歌の歌声である。

戦後、ストレプトマイシンなどの結核の特効薬が現れて、そのサナトリウムの必要性がなくなり、閉鎖することになった。私が生まれてしばらくたったころのことだった。

閉鎖することになった理由は、必要とする患者さんが減ったこともあるが、不正な医療行為を行っていると、某全国紙上で大々的に叩かれたことが実際の契機であったらしい。詳細は知らないが、新聞紙上で悪口雑言で罵られたらしい。そのことを幼い頃に聞かされて、強く印象に残っていた。戦前は、公的保険もなく、医療施設も完備されていなかった。死に行く病と恐れられていた、多くは身寄りの無い結核の患者さんを、ひっそりと、しかし熱い心で看取ってきた伯母達。如何に無念であったことだろうか。この出来事は、現在のマスコミに対する私の見方を方向付ける大きな要素の一つになっている。

続く・・・少し間隔があくかもしれません。

ノロウイルス性胃腸炎 

が、今流行中。数年前まで、小球状ウイルスとかいう呼称で呼ばれていたウイルスで、この時期に決まって流行する。

激しい嘔吐が主な症状で、嘔吐で発症することが多い。嘔吐は、1日前後で収まるが、それと前後して発熱や下痢を生じることも多い。どうも突然変異を繰り返すためか、子供だけではなく、大人もかかることがある。

かなり感染力が強いので、家族にそのような患者が出たら、大いに注意しなければならない。手指を洗うことが一番大切だろう。

治療は、特異的なものがない。一番大切なのは、水分補給だ。家庭での水分補給にしばしばスポーツドリンクが用いられるが、これだけだと、糖分が多すぎ、電解質が足りない。ポカリは特に甘すぎ。アクエリアスか、アクアライトがまずます。スポーツドリンクを取らせるときには、交互に味噌汁のスープ部分を与えると良い。年齢に応じて、少量から始める。乳児では、20から30ml程度から始めて、30分から1時間程度の間隔で繰り返す。飲めて、嘔吐・下痢をすぐに起こさなければ、少しずつ増量してゆく。

乳製品・果物・甘いもの・脂肪分の多いものなどは2,3日摂らせないように。

激しい嘔吐があり、水分も十分取れず、尿量(回数)が減り、元気が無くなったら、早いうちに医療機関を受診することが必要だ。経口で水分がうまく取れれば、2、3日で良くなる事が多い。

この流行が過ぎると、いよいよ、インフルエンザの時期に突入だ。皆さん、予防接種はすみましたか?

晩秋 

我が家の西側の庭。大きな栗の木、中型の落葉樹それにまだ数mしかない銀杏の木が4本。それに小型のヒバや、どうだん躑躅。芝生も植えてある。春から夏にかけて、芝生の手入れが一苦労。昔は、今は亡き父が一手に引き受けてくれていたが、ここ数年は私が、朝起きてせっせと手入れしていた。今年の夏から、大学生になった次男が、手伝ってくれるようになった。木々や芝生がきれいな姿を見せてくれていると嬉しいが、これを老後ずっとは続けられないなぁ・・・。しかし、若い頃は見向きもしなかった庭の手入れをするようになったのは、自分でも驚く。どうもうつ病圏の性格の人間が、こうした植物の世話を好むらしい。木や草を見ると和むのだ。それだけではなく、一旦やり始めるとやり続けなければ気がすまなくなることも関係しているようだ。これから後何年庭仕事を続けられるのだろうか。

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K5ALU via K5GO 

今夜もせっせと7メガで定時運用(とは言え、このところまともに無線が出来なかったので、ばりばりCQを叩く)。K1NVYが応答。外は-6度で、道が凍っているから、今日は仕事を休むらしい。私は自営なので、そんなに気楽に休めないとぼやくと、彼も以前自分で仕事を持っていたが、その5年間で休んだのはたったの4日間だけだったよ、と言っていた。

ついで、K5ALU Redが呼んでくれた。彼は、営業の仕事をしているらしく、常日頃は/Mとして出てくるので、当初K5ALU/Mと応答したが、どうもK5ALUとだけ打ってくる。

彼は、ネット回線を使って、K5GOをリモートコントロールしている、とのこと。110フィート高の3エレに200Wアウトのリグだそうだ。彼自身は、ミネソタのアパートでPC相手に運用しているらしい。K5GOのビームは、回せないが、ヨーロッパ向けに6エレ(聞き間違えかな?)のビームもある由だ。K5GOは、ちょっとしたコンテスト局。

便利な世の中なのか、味気ない世の中になったのか・・・難しいところ。しかし、アパート等で無線が出来ない環境にいる方にとっては、こうした運用方法は福音なのかもしれない。日本では、本格的にこうした運用をしている方はいるのだろうか?山にコンテスト局を設置している例は、いくつか知っているが、コンテスト以外はクローズしてしまっているのか?

愛ちゃん 

我が家の家族、愛ちゃん。御年12歳位か。近くの町から、生まれて数ヶ月で貰われてきた、堂々のどら猫の娘。こんな格好で食事するのは、まさか、飼い主を見習ったわけではあるまいな・・・最近、慢性のウイルス性の呼吸器感染を起こして、インターフェロンで何とか頑張っている。

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/QRPをつけるか否か? 

JE1CKAさんのブログで、QRP局がコールの後に、/QRPを付けるべきかどうかという議論があった。

/QRPを付けることは、交信する効率を下げるから不要だ、というのがCKAさんの主張。QRPを特別扱いして欲しいと考えているのではないかというのは、やや刺激的過ぎる推測だろう。しかし、基本的には、彼の主張が正しいと思う。JJ1BDX氏も、欧米のDXerやコンテスターの同じような意見を引用していた。

一方、/QRPを付けるべきだ、付けることで一向に差し支えない、という意見の方もいた。QRPであることを知ってもらえば、特に注意深くワッチしてもらえるだろう、従って、交信が成立する可能性が高くなる、さらにQRPに対して関心を持ってもらえるだろう、というのが、その大筋だ。

後段の一部のQRP運用者の意見は、きわめて良好なコンディション下で行われる普通の交信でのみ通用するかも知れぬ、きわめて限定的な意見だ。

コンディションの良くないとき、または時間との争いであるコンテスト時には、/QRPをつけることは、受信する者にとって大いに迷惑となり、交信成立を阻害する。ひいては、QRP運用者にとっても不都合となる。

この場合、コンディションには、電離層の状態以外に、相手との設備の違いも絡んでくる。QRP局と、相手方の設備の差が大きければ、コンディションは、相対的に悪くなる。この点を考慮すると、/QRPを付けても許される状況はきわめて少ないことが分かる。

この議論の過程で、幾つか考えたことがある。

まず、QRPといっても定義はないし、送信出力だけで小さい設備とは言えない。定義は、相対的なものだということだ。いわば、QRP運用者は曖昧な根拠で、自らQRPと名乗っていることになる。見晴らしの良いところで、ビームを使えば、5Wでも強力な電波を世界中に送出できることだろう。QRPとは、きわめて相対的なもので、一つの明確な範疇ではない。

また、QRP運用は自己の興味で行うものなのだから、CKAさん風に言えば、他者に対して、QRPに特別扱いを求めることはお門違いである。QRPだから特別扱いして欲しいと言うと、QRPでの交信という困難な事業を、人為的に容易にしてもらうことになり、QRP運用者は、自らの誇りや楽しみが減じることに気づかないのだろうか。

さらに、この議論は、QRP信号を受信する側から、QRP信号を送出する側への問題提起であって、受信側の状況を理解すれば、解決策は一目瞭然なのだ。それなのに、送出側の理由・都合だけで、そうした問題はない、問題を提起すること自体がおかしいというのは、誤りだ。アマチュア無線は、どのような形式・様式であれ、「通信」なのだ。相手があって初めて成立する。送出する側は、相手の受信状況を思いやり、受信し難いようならば、それへの適切な対応をすることが要請される。しかし、ここでの一部のQRP運用者は、そうした対応を考えない。通信する作業とは相容れぬ、この自己本位さは、どこからくるのだろうか。QRPを運用することによる一種の驕り、またはナルシズム的なものがあるのではないか。



An ugly structure in the air 

我が家の、むさくるしい空中構造物。タワーは建立約20年。ビーム、714Xと28メガモノバンド4エレそれに3.5用のハーフスローパーは、大体15年もの。ローテーターが最近故障したのを機に、新しいビームを上げなおすことを画策中で、すでに新しい箱に入った714X3が、庭に転がっているが、まだ組み上げていない。将来は、動力の要らない、梯子フィーダーで給電した、ダイポールか、ツエップにすると決めている。

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右側(東側)のクヌギの木は、東京の清瀬市出身。いつの間にか、鬱蒼としてきてしまった。休みの日は、落ち葉掃きに追われる。

WB6CRM Bill 

今朝の14メガは、シーンとしていたが、北米の信号は強力。WWCWでPJ4から運用し、まだ帰らないで無線をしていたJohn K4BAIを26KHz付近で捕まえて、ちょっと御挨拶。とても楽しそう。

その後、少し上でCQを出す。West SacramentoのBill WB6CRMが呼んできてくれた。彼のコールは、聞き覚えがあるのだが、何時お会いしたのか、まして彼のプロフィールなど思い出せない。そう率直に申し上げると、前サイクルでよく交信したよ、とのこと。私の年齢を申し上げ、昨夜は急患で遅くまで仕事場にいて、良く眠れなかったなどとぼやくと、彼は私よりちょっと年上だと仰る。その後の話では、84歳とのこと・・・う~ん、ちょっとの差かな。9年前に奥様を失い、一人暮らしらしい。599のtwinにTA33Jrという設備を用いていることで、確かに年配の方であることを思わせるが、キーイングは立派なものだ。

最近、旧い友人の信号を聞かくなってしまったと、彼のコールに近い友人達のコールを思い起こしながら彼に言うと、彼は、次のサイクルが上がってくれば、きっとそうした旧い友人にまた出会えるものだ、と応えた。彼のような年齢になっても、そうした前向きな気持ちでいられるかどうか、いや、是非そうした気持ちを持ち続けていたいものだと思った。

老齢にさしかかりつつある今、体力や記憶力は衰え、社会的な活動にも制約が増し、呆然とするような気分になることもある。しかし、Billのように、歳をとるに従い、世の中のしがらみや、虚栄などから徐々に解き放たれ、より自由な気分で前向きに生きることができるようになるのかもしれない、いやそうであって欲しいもの・・・。

Reading with the ears 

上記の表題の以下のような論文があった。

Maier J Hartvig et al

Neurosci Lett;2004 Jul 6;364(3);185-6

機能MRIを用いて、モールスコード読解に関わる大脳皮質のネットワークを研究した。4名の熟練した無線技士を対象として、二つの互いに良く対応した読解の実験を行った。一つは、高速のモールスコードを両耳で聞かせるもの。もう一つは、書いてある文章を読ませるもの。

モールスコードで一つの名詞を読解させると、主に左側の前頭葉および
側頭葉シルビウス溝周囲の言語領野、前前頭葉皮質、前運動皮質の活性化が観察された。モールスコード読解と、書面の読解が、各個人においても同様に左側の側頭頭頂の関連する皮質の活性化を生じさせた。上記のことから、モールスコードの読解では、書面の読解は一部の同じ皮質ネットワークが関与することが推測される。

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要するに、CW受信は、読むことと少なくとも一部の同じ頭脳領域を使っているということだ。

別所でも記したが、モールスコードの受信について研究している研究者がいることに驚かされる。モールスコードは死んでいない(笑。

CW送信については、やはり書くことと同じ頭脳領域を用いている可能性があるように思える。

こんな物好きな(失礼)研究は、そうはないだろうが、あれば、また要訳を適宜載せてゆこう。

TOEIC 

昨日、家内が次男と一緒にTOEICを受験してきた。私と同業の彼女は、普段自分の仕事で大忙し。帰宅もいつも大体夜9時過ぎになる。この試験のことも殆ど忘れかけていたらしい。試験勉強は殆どしていなかったのだろう。それで・・・出来は・・・それなりだったらしいが、彼女の趣味のようなものなのだろう。

我々に老化の波はしっかりと押し寄せてくる。それに抗して、どれだけ人間らしい知的で、充実し、自らの所属を明確に把握できる生活を送り続けられるか。今、そしてこれからの大きな課題だ。

知的な活動を続けること。若い頃のように、その成果にあくせくせずに、楽しみながら、いつくしむように続けてゆきたいものだ。

家内に、年配の受験者はいたのか尋ねると、あまり見当たらなかった由。多少なりともご同輩がいれば、来年は私もと思ったが、ちょっと腰が引けた(笑。それでも、息子と受験しに出かける家内は、偉いものだと思った・・・成果は問わないまでも。

乱雑でいて落ち着く居場所 

FT1000MPMkV、VL1000というセットアップ。入れようと思いつつ、エアコンが無い。夏は扇風機にあたりながら、汗をかいている。パドルは、ベンチャーのマーキュリー、SchurrのProfi、バグは、バイブロとGHD、ストレートキーは開局以来のHK3。キーヤーは、今はなきMM3.棚は、自作。机は、以前家族が使っていた食事テーブル。椅子は、リクライニング付のもの。

この乱雑でいて、こころ落ち着く場所で、どれだけの人生の時間を費やしてきたことか。人生の時間の浪費であったのか、それとも何らかの意味があったことなのか・・・。


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秋にはブラームス 

が、よく合う。とりわけ4番の交響曲。ブラームス晩年の名作であり、枯れた中にも、熱く燃えるものを感じさせる。大学オケに入った年の暮れ、大学の寮でこの曲をFMからカセットに落とした。ブラームスという作曲家、その作品を殆ど知らなかったのだが、この一曲で、一遍にブラームス信者になってしまった。

後で、クルト・ザンデルリンクが、シュターツカペレを振った演奏に接して、それがブラ4演奏の私にとっての決定版となった。晩秋の音楽はこれだ!、と思うようになった。1楽章冒頭の1stバイオリンが歌う、咽び泣くような動機・旋律からして、他の演奏とは違う。アウフタクトの音を深くテヌートするのだ。チェロ・ホルンに出る第二主題も、大きく歌い上げる。コーダに部分では、白熱するように盛り上がる。ど素人の音楽評論めいた迷い言は止めよう。4楽章のフルートのソロの変奏にも泣かされる・・・話し出したらきりが無い。

今まで係わってきたオケとは異なるオケ、近く(といっても、車で片道一時間の距離)のオケで、来春この曲を演奏する、弾きに来ないかという誘いがあった。昔から、一度は弾いてみたかった曲なので、何とか行ってみるつもり。保存してあった、チェロパート譜を取り出して、少しずつフィンガリングを決めてゆく。1楽章冒頭の部分は、チェロは目立たない分散和音を弾いているのだが、その分散和音が何とニュアンス豊かなことか、改めてこころ動かされた。リズムや音程がかなりしんどいのだが、練習が楽しみだ。

test 

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小児夜間救急体制を作ろうとしているが・・・ 

ここの地域医師会では、その規模は望めない。どうも準夜帯(夜9時頃まで)の一時的な夜間救急になりそうだ。また、休日は夜間救急を行わないらしい。これで、どれだけ実効性があるか、疑問。この夜間救急の話が出たのも、近くの三次医療機関から、一次救急を充実させて欲しいという要望があったためで、それに応えるためには、もっと充実したシステムを考えなくてはならない。しかし、現実には、これまでの経緯、それに経済的な問題があって実現することは難しい。

最近、小児救急を主体とした夜間救急を地区医師会が作るのに参加している。茨城、鹿児島、熊本、千葉などでの小児救急について記された報告を読んだ。医療圏人口は60から100万人、24時間体制の救急を行うには、小児科医(ないし、内科系医師)が少なくとも20数名係わる必要がありそうだ。

少なくとも、小児夜間救急については、この地域で考えているよりも、より広域をカバーし、そこの小児科医全員が参加することが必要のようだ。従来の医師会のフットワークでは、少し鈍重すぎる。さらに、患者サイドには、手軽にコンビ二感覚でいつでもどこでも医療を受けることはできない、ということを知って頂かなくてはならないだろう。

さて、開始だ! 

テスト!