FC2ブログ

水俣病 

水俣病という病名を耳にすると、一種の感慨を抱く。私が、大学医学部に入学した頃、水俣病が公害病として認められた。教養部の自治会委員長(といっても、ノンポリのナンチャッテ委員長だったのだが)にさせられて、学園祭に何か催しをすることになった。水俣病に関心のあった、私は、同じ関心を持つ友人達と相談して、熊本大学で水俣病に取り組んでおられた、原田先生をお呼びし、講演をして頂くことにした。

その準備のために、当時順天堂大学にいらっしゃった、神経内科の平山先生に指導して頂いて、水俣病の新しい文献を調べた。まだ医学の専門教育を受けておらず、どれだけ理解できたのだったろうか。それでも、夏休みに、友人と図書館に何度も通い、文献の抄録を記録していった。視野狭窄・知覚異常・小脳症状等々について、少しずつ理解を深めていくことが出来たような気がする。

秋の後援会、せいぜい数十名の聴衆であったが、原田先生の講演に熱心に耳を傾けてくださったような記憶がある。わざわざ熊本からお出でくださった原田先生、その他御指導くださった平山教授等々多くの方に支えられた出来事だった。

水俣病の未認定患者の方々の問題がまた世間の注目を集めている。あれ以来、水俣病は、私の視野から外れてしまっていた。水俣病が発生してから半世紀以上経つ。これまで、十分な補償も受けられず、苦しみ続けてきてこられた方がまだ多くいる。そのような方々に、大学時代に関心を一時は抱きながら、何もして差し上げられなかった。文献に当たるだけでなく、水俣に足を運び、患者さん達にお会いすべきだったのではないかと反省している。この講演会を主催して後、関心を持ち続けることもしなかった。申し訳ない気持ちだ。

チッソという企業は、今でも水俣病の方々への補償を続けているようだ。が、企業の財務状況を見ると、かなり利益を上げているようだ。さらに、国にも不作為の責任があるだろう。国とチッソは、共に未認定患者の方々にもより大きく温かな手を差し伸べるべきだろう。

私も、水俣病の方々に若い頃の関心を再び持ち続けて行きたいと思っている。

緊急医師確保対策(選挙直前の・・・) 

政府・与党の緊急医師確保対策が発表された。医学部の新入生に、奨学金を出す地域枠を、各県3~5人作って、卒後9年間僻地に勤務させるというプラン。

未だに、医師は偏在しているというなら、医師の多いところから少ないところに引っ張ってきたらどうなのだろうか。官僚・政治家は、時には、医師の「不足」と現実を認める発言をするようになったが、基本的には、医師は不足していないという過去の政策判断の誤りを追及されることを恐れて、未だに「偏在」だという。

若い学生の人生を金で縛るような政策は誤り。卒業後、数年間は、医師としての基礎的な力を養い、方向性を決める大切な時期だ。この時期を、まともな研修もままならぬ僻地で過ごさせることは、その医師の将来を損なう。

僻地・地域医療が、何故崩壊しかかっているのかを、官僚・政治家はまず実地をみて、考えるべきだろう・・・と言いつつ、しらけてくるのだが、彼らが地域医療は崩壊させるというスキームに乗って、この現状を作り出したのだ。これを、国民はよくよく理解する必要がある。

以下、じほうから引用~~~

政府・与党の緊急医師確保対策 医学部定員に「地域枠」を上乗せ 3-5人、医師偏在解消で
07/07/04
記事:Japan Medicine
提供:じほう
ID:622037


 政府・与党の緊急医師確保対策の柱となる都道府県内の医師偏在の解消に向け、大学医学部の定員数を従来より3-5人程度、希望に応じて「地域枠」として臨時増員する案が政府内で浮上している。地域枠で入学した学生は、卒業後9年間、大学のある都道府県内の医師不足になっている医療機関で勤務することを条件に、支給された奨学金の返還を全額免除する。「県内自治医大構想」といえる試みで、医学部定員増の取り組みは2年連続。

 政府・与党は5月31日、緊急医師確保対策を策定した。これを受け、即効性のある短期策として国レベルで医師不足地域に医師を派遣する「緊急臨時的医師派遣システム」が7月から稼働することになった。ただ、緊急対策には医師不足地域などで勤務する医師養成の推進や勤務医の過重労働解消など、中長期的対策も盛り込まれている。
  中長期的対策のうち、医師不足の地域や診療科に勤務する医師の養成については、都道府県ごとに大学医学部の定員を10年間程度、臨時的に増加する方向で調整が進んでいる。これまでは、大学医局が人事権を掌握し、医師派遣に一定の役割を果たしていたが、これを都道府県知事が担い、地域での医師不足解消に役立ててもらう狙いがあるようだ。
  具体的には、大学医学部の従来の入学定員数は据え置いたままで、卒業後に医師不足地域で勤務するということを条件に、新たに地域枠として3-5人程度の入学を許可する仕組みを想定している。この構想は、自治医大の仕組みを参考に進める考えで、地域枠で入学した学生は、卒後9年間、その地域での医療に従事することになる。ただ、医学部定員増を認めるのは、1つの都道府県で1大学に限定する方針。
  医学部定員の増員策は、厚生労働、文部科学、総務の3省が昨年、医師不足の10県に限って容認する施策を打ち出している。また、複数の都道府県では独自に、大学医学部卒業後にあらかじめ指定した地域や診療科に勤務することを条件に、医学生に貸与した奨学金の返還を免除する新制度を相次いで創設している。

医師の交代勤務をモデル事業で実施

 一方、病院勤務医の過重労働を解消する環境整備については、医師の交代勤務制などをモデル事業として実施し、その効果を検証する。交代勤務制導入により、どれだけの医師数が必要かを調べるほか、交代制がなじむ診療科とそうでないものを見極める考えだ。
  女性医師の働きやすい環境整備としては、出産などからの復職を支援するため、院内保育所を設置した医療機関に、施設整備費や運営費を補助することを検討する。



病院再生ファンド 

今夜、NHKの「クローズアップ現代」で、病院再生ファンドが取り上げられた。

医療費削減により、中小規模の病院が経営不振に陥っていることを明確に述べていた。これをNHKがはっきり述べたことは、マスコミとして評価されて良いだろう。

投資ファンドとは何か。投資ファンドは、短期の利潤を追求する、市場主義の産物だ。一方、医療とは、病に苦しむ人々という社会的な弱者を、相手にする。必然的に、医療機関の経営は、社会主義的な発想が不可欠だ。

この水と油のような関係の両者が、協同して病院を経営する、いや、投資ファンドが、医療から利潤を吸い上げようとする姿は、歪だ。投資ファンドは、地域医療で必要とされる医療ではなく、利潤の上がる医療に特化しろと、病院経営者に迫る。それが上手く行かなければ、彼等はさっさと投資を引き上げる。

医療に従事する人間は、病に苦しむ人々を助け、共に歩むことを、大きな目的に仕事をしている。それが、我々の誇りでもあった。それを、市場主義の国家経営が潰してしまった。我々の士気を、粉砕した。

医療を、利潤追求の場にしようとする者は、医療人の誇りと、士気を踏みにじり、地域医療を立ち行かなくさせる

市場主義に魂を売り渡した政府・官僚は、地域医療を崩壊させることを止むを得ないとしている。むしろ、積極的に破壊しようとしている。

その痛みを負わせられるのは、最終的に国民だ。マスコミの一部は、それに気付き始めているが、それを明確に唱えることをなかなかしない。国民は、何時になったら気付くのだろうか。強者の論理が、世の中を席巻するようになってからでは、医療の崩壊を元に戻すことは困難を極めることだろう。

これは、再生ファンドではない。破壊ファンドだ。

以下、NHKウェブサイトより引用~~~

7月4日(水)放送
切り札となるか
   病院再生ファンド

去年6月の医療制度改革から1年。増大し続ける医療費を抑制するため国は診療報酬を過去最大幅(3.16%)削減するなど、改革により全国の医療機関の経営が大きく悪化し始めた。そうした中「病院再生」を売りに医療機関の経営立て直しを行う新ビジネス"病院再生ファンド"が登場。一般的な不動産投資ファンドのように不動産を買い取り賃料を取るだけではなく、病院から得られる収益を高めるため経営方針にも深く関与する。しかし、「ファンドの力によって経営破綻を免れた」と評価の声がある一方で、"経済効率の追求"と"地域医療"の狭間で苦悩する医療現場もある。病院再生ファンドは医療機関生き残りの切り札となるのか。全国の病院からのリポート。
(NO.2438)

年老いること・・・ 

私にとって、年老いることとは・・・

これからやって来るであろう時間よりも、過ぎ去った時間が長くなる

様々なしがらみや、欲望から、徐々に解放される

精神身体能力の多くは低下するが、俯瞰したり、まとめたりすることが出来るようになる

経験に裏打ちされた感受性は、一見鈍くなったように見えるが、それだけ深いものになる

・・・そうした時期であって欲しいものだ。

無理な願望だろうか・・・この内のいくつかは、自然の摂理で叶えられそうだが・・・ありふれたことだが、一日一日を大切に生きることを自分に言い聞かせよう。

教育でも地方の切捨て 

国立大学の財政は、授業料と国からの特別交付金によって賄われている。国立大学が特別独立法人化されてから、国からの交付金は毎年減額されている。これからは、大学の「実績」によって、交付金の額を変えるらしい。

といっても、増えそうなのは、大都会にある大規模大学のみ。地方の中小規模の大学は、さらに交付金が減らされると予想されている。そうした大学では、スタッフ数を減らし、研究費も減らし大変な状況の様子だ。交付金の減らされる平均的な大学では、授業料を3倍程度に上げなければ立ち行かないと想定されている。一般の私学と何も変わらなくなる。

大学の「実績」をどのように評価するのか、まだ決めていないらしいが、大都市の大規模大学は、歴史もあり、予算規模が、地方大学に比べて、もともと格段に大きかった。地方大学は元来かなり不平等な扱いを受けてきたのだ。そうした現状で、大規模大学と比肩される業績を出せといっても無理と言うものだ。

これが今後も続けられると、大きな問題を生じる。

地方の大学は、生き残ろうとすると、スタッフ・研究施設にお金をかけず、授業料を上げることを更に推し進めざるを得なくなる。

これでは、生活費のかかる都会に出て学生生活を送れぬ貧しい学生から、大学教育を受ける機会を奪うことになる。

地方で地道な研究活動を続けている研究者の息の根を止めることになる。地方の問題を地元で研究する研究者もいなくなることだろう。

また、地方・中央に関わらず、すぐに生産活動や、企業に技術・知識を提供できるような研究以外の研究、基礎的な学問の研究には壊滅的な影響が出るだろう。

総体として、この政策は、地方の切捨て以外のなにものでもない。さらに、貧しい若者から教育の機会を奪うことになる。

これが、教育改革を目指すと主張する政府の教育政策なのだ。

【医療訴訟は医療ミス削減に寄与するか】 

というタイトルの公開シンポジウムが、開かれたようだ。日本医療ジャーナリスト協会の主催。

この団体、それにシンポジウムの面々から、シンポジウムの内容は、およそ推測が付くが、明大法科大学院の鈴木氏の次の発言は、法曹の発想が端的に読み取れる内容で興味深い。

以下引用~~~

鈴木氏は,「医療訴訟はなくなることはない。なぜなら訴訟がなくなるということは,司法制度自体がなくてよいと聞こえるため」と発言。

司法制度のために、医療訴訟が続く??本末転倒ではないのか。弁護士が量産される、これからの時代、恐ろしいことになりそうだ。

司法制度はあらゆる行政・民間のさまざまなシステムに不備がある時,個人で不備を是正することができる,イニシアチブを持つことができる数少ないシステムであり,民事訴訟はその最たるものだからと説明。

医療システムの不備を民事訴訟で是正できるのか。大いに疑問だ。

医療システムは、個々の医療、および社会的なインフラとしての医療システムに分けられるだろう。個々の医療行為は、それ自体、人に侵襲を及ぼすもの。病気の性質・患者の遺伝的、社会的な背景・治療内容によって、医療が患者に不利益を蒙らせる可能性は、確率的に存在する。それを、一種の自然現象・科学的な事象だ。法律の対象にはならない。法曹の方は、医師の医療技術の未熟性を問題にするのかもしれない。それも、未熟と練達は、連続するものであり、線を引くことは難しいし、その判断は高度に医学的なものとなるのではないか。

社会的なインフラの問題が存在する。それは、行政や政治に働きかけるべきことであり、民事訴訟が、社会的なインフラとしての医療システムを直接的に是正することはできぬ。


医療訴訟について「誤解を恐れずに言えば,損害賠償訴訟は損害の公平な分担という理念の下に設計されている。つまり患者さんに起きた被害を患者持ちにするのか,一部を医療機関に分担させるのか,その事案ではどちらのほうが正義であるかで決まる」と医学的評価と法的評価の違いもそこからきていると指摘した。

医療事故も様々なものがあるので、一概には言えないが、患者さんを「被害者」、医師を「加害者」とするのは決め付け以外の何者でもない。現実の民事訴訟は、医療ミスがあるかどうかを争うことが圧倒的に多い。したがって、患者さんが常に「被害者」と断定することは、誤りだ。

医療事故の大多数では、正義であるかどうかが問題になるのではない。医学的に何が起きたのか、何が問題だったのかを調べる作業が必要になる。

極論すれば、医療行為の結果が悪ければ、医師の責任だということになるのであれば、医療行為への対価を、飛躍的に増やさないと、その医療行為は成立しなくなる。または、そうした医療行為を行わなくなるだけだろう。

損害の公平な分担という理念とは、加害者と被害者という関係の中では、成立するのかもしれないが、大多数の医療事故では成立しない。

Bonnie WB4FSF 

あまり良くないCONDXの14メガだったが、米国の東海岸・中部からの信号が聞こえてきていた。Bonnieという、女性から呼ばれた。WB4FSF。少しゆっくりめのバグキーである。ベアフットにバーチカルだそうで、残念ながら、信号が強くない。

それでも、CWというモードでは、珍しい存在の女性オペレーターということで、少し話し込んだ。突然、彼女の別な趣味は、ハープを弾くことと仰る。ハーピストとは珍しい。私がチェロを弾くというと、彼女は、ハープに決める前に、チェロも弾いてみたかったと、flatteringかもしれないが、言っていた。

私の好みの作曲家を紹介すると、彼女はバッハとヘンデルが一番だとのこと。

おば様(さすがに年齢は伺えず・・・Bonnie、こんな想像をして失礼!!)が、優雅に、バロックの曲をハープで弾く様を想像しながら、お別れした。

CONDXがもう少し良ければ、もっといろいろとお話できたのだが・・・それにしても、こんな出会いがあるから、無線は止められぬ。単純だ(笑。

窓口での不払い問題 

厚生労働省は、国民年金を滞納している人に、短期間だけ有効な国民健康保険証を発行することにするらしい。国民年金を払っていなければ、国保を使えないというシステムになるのだろう。該当者は、340万人いるようだ。

年金問題を解決しないで、このようなシステムを作ることをまず強く批判したい。一体、年金の入り口、使い道、記録にどのような問題があったのか、明らかにすべきだ。年金の信頼を取り戻すこと、それが官僚・政治家が第一に行なうべきことだ。

一方、年金・公的保険など役所から徴収されるお金は、払いたくないという国民が増えてきている。さらに、この年金への不信が、その傾向を強めることだろう。国民の間の経済格差の増大によって、こうしたお金を払えない人々も確実に増えている。

この厚生労働省の、国保と国民年金を連動させる施策の意図は、官僚からすれば、年金の滞納を少しでも減らしたいということなのだろう。果たして、それが実現するだろうか。私は、年金制度の崩壊だけでなく、公的保険制度をも破壊するのではないかと予想する。

経済的に払えぬ人々には、セーフティネットでしっかり支持する施策をとって欲しいと思う。

一方で、私は、支払わずに済むものは、支払わないという国民に見られる傾向が気になる。

私の小さな職場でも、僅かな自己負担を払えない、または払わない患者さん(その親御さん)が増えている。一つ一つのケースをフォローし、払えぬ理由を突き詰めているわけではないが、患者さん・御家族はほとんど例外なく自家用車で来院し、こぎれいな格好をしておられることを考えると、経済的な困窮によって、払えぬとはどうしても思えぬケースが多い。

私の仕事場のような末端の小児科診療所では、自己負担は多くの場合、せいぜい数百円だ。が、入院を扱う施設では、そうした不払いは大きな問題になっている様子だ。

こうした現象をどのように理解すべきなのだろうか、これから先の分析は、是非専門家の意見を聞きたいのだが、利益追求を第一に考え、市場が機能することによって、社会は上手く動いてい行くと考える非ケインズ学派的な思想、それに支配される政財界が、国民の精神にも影響を及ぼしているのではあるまいか。自分の目の前の利益になることは、追及を受けぬことであれば、これまでの社会規範に反していても、どんどん行なう、という風潮だ。

もう一つ、55年体制、ないし左右の思想的な対立の時代が過去のものとなり、国の方向性、ないし国の中心となるものが無くなったことが、こうした一部の国民の自己中心性と関係しているようにも思える。

現政権は、思想的に、過去に復帰することを模索しているように見える。彼等は、彼等なりに、国の統合に危機感を抱いているのかもしれない。それでは駄目だというためには、しっかりした思想的な対立軸を持たなければならないのだろう。



安倍首相の弱さ 

立花隆氏が、自らのブログで、松岡元農水大臣の自殺の背後にある闇について記している。

154億円の予算規模の九州の農道建設を、松岡氏が取り仕切り、予算の2,3%のキックバックを受けていたのではないか、という推測だ。この農道建設の発注者は、例の緑資源機構であった。

その問題に、特捜部の捜査が及んでいたが、安倍首相は、自らに責任が及ぶようになるのを恐れて、松岡氏の辞職を認めなかった。それが、松岡氏を自殺させることになったのではないか、と推測されている。松岡氏を擁護するかのような発言を、安倍首相は繰り返していたが、本心は、こうした大規模汚職が表ざたになり、自らの政権に責任追及が及ぶことを恐れていたのだろう。根本的な問題解決をするのではなく、自らの政治生命に危険が及ぶことをただ避けようとする、安倍首相の弱さではないのか。

松岡氏の自殺によって生まれたのが、ザル法といわれる改正政治資金規正法である。これでは、松岡氏が浮かばれぬのではないだろうか。

安倍政権になって提出・成立された法案の殆どが「強行採決」によるものだ。それは、数で勝る政権与党の驕りでもあるのだろうが、一種の弱さの表出であるようにも思われる。