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 2007年11月 

医療事故調査委員会制度原案 

政府。与党による医療事故調査委員会制度原案が公表された。

この案は、厚生労働省の検討委員会の報告内容と殆ど違わない。

違う点は・・・この組織の目的が、診療関連死の死因究明から、「医療事故」調査と拡大されたこと。さらに、医療界に配慮して(配慮した風を装って)、刑事告訴は、「謙抑的に」行うとされたことだろうか。

別なエントリーで取り上げた、小松秀樹氏の見解を読んだ上で、この案の報道に目を通してみて欲しい。

結論、これで医療、とりわけ急性期医療は、存在しがたくなる、または萎縮した形でしか行わざるを得なくなる。これほどに拙速にこの制度の確立を欲する、行政には、それなりの理由・・・恐らく、新たなポジションを獲得するという理由があるのだろう。

これは医療現場だけの問題ではない。国民の側からすると、適切な医療が、受けられなくなる、ということを意味する。医療の結果が悪ければ、医療の専門家以外の属するこの組織で問題にされ、すぐに行政処分はおろか民事・刑事訴訟で訴えられるとなれば、そのようなリスクのある医療は、行われなくなるからだ。結局、国民に痛みを与えることになる。


以下、朝日新聞より引用とコメント~~~

「医療事故調」実現へ 警察関与、重大事のみ 与党案
2007年11月30日

 医療事故をめぐる訴訟や刑事事件の頻発が医師不足の一因とされていることを受け、政府・与党が検討していた医療版「事故調査委員会」制度の原案が29日、明らかになった。医療界の意向を反映して「医療関係者の責任追及を目的としたものではない」と位置づけ、警察による医療死亡事故の捜査は「故意や重大な過失のある事例に限定する」と記したのが特徴だ。来年の通常国会に関連法案を提出、野党の賛成も得て成立させ、09年度中にも制度をスタートさせたい考えだ。

いつの間にか、医療事故全般に対象が拡大されている。医療全般を行政権力を背景に、監視するシステムが成立することになる。

「医療関係者の責任追及を目的としたものではない」というのであれば、調査結果を民事・刑事裁判の資料としない、と何故明言できないのだろうか。

警察の言う、「故意や重大な過失」は曖昧な概念だ。医療の結果が悪いと、業務上過失致死や有印私文書偽造等の罪状で刑事告訴してきたことへの反省がなければ、この警察の言葉には重みがない。

これだけ医療界から、反発・反論があるのに、何故来年中に制度を開始するのか、拙速ではないのか。このニュースを見て、まず第一に疑問に思ったのが、この点だ。医療現場の声を十分聞いたのか。行政の利己的な都合で急いでいないと言えるのか。


 原案は自民党の「医療紛争処理のあり方検討会」が厚生労働省と法務省、警察庁などと協議してまとめた。これを基に厚労省が法案化する。

医療現場の声がどれだけ反映されたのだろうか。この問題は、医療現場の声を聞かずに決めてよいことなのか。法曹・警察は、医療を崩壊させ、厚生労働省は、それに対して有効な対策を取れぬだけでなく、崩壊を促進させてきた。これらの官僚が、医療を支配し、利権を得、一部の国民に阿るために、拙速に決めてよいものか。政治家よ、問題の在り処が分からず、官僚の言うがままなのか。

 原案によると、「国の組織」として「医療安全調査委員会」を設置する。同委は運営方針を決める中央委員会と、ブロックごとの地方委員会で構成。医療死亡事故の届け出は地方委が一元的に受け付け、「調査チーム」が死因や事故原因究明にあたる。チームは医師や法律家、遺族の立場を代表する人などで構成。「調査報告書」を医療機関と遺族に通知し、個人情報以外は公表して再発防止に役立てる。

調査委員会は、純粋に医学的な検討を行うのであるから、その医療領域の専門家が担うことだ。法曹の人間は、旧態依然とした法体系で、複雑化した医療の問題を裁こうとする。遺族は、物事を感情抜きで見ることはできない。ともに、医療の問題を、科学的に解明する上で、関与すべきでない方々だ。

 焦点だった医療事故への警察の関与については「刑事手続きは悪質な事例に限定するなど、謙抑的に対応すべきもの」と記した。地方委から警察への連絡は「明らかな過失による死亡事故等に限定する」とした。

悪質、謙抑的とは一体何なのか。もし本気で、このようにすると思っているのならば、福島地検は、大野病院事件を即刻公訴取り下げすべきである。

 現在は、医療機関の説明に納得しない遺族は、民事裁判や刑事告訴を通じて死亡に至る経緯を知ろうとする例が多い。新制度により、訴訟が減ることを期待。調査報告書は、医療機関と遺族の和解や調停、示談などにも「活用できる」とした。

訴訟が減ることが期待できるのか。民事・刑事訴訟への道が残されているならば、この調査を足がかりに、告訴される可能性も十分ある。

 新制度は「原因究明には医療の知識がある者が携わるべきだ」との医療界の声や、福島県で06年2月、手術中に患者を死亡させたとして産婦人科医が逮捕され、その是非が論議を呼んだことも踏まえ、専門家が航空機や鉄道事故の原因調査を行う「航空・鉄道事故調査委員会」をモデルに検討された。

専門家が航空機や鉄道事故の原因調査を行う航空・鉄道事故調査委員会をモデルに、調査組織を作ると言いながら、法曹界・遺族サイドの専門家ではない人間を加えるというのは、矛盾だ。行政の都合で拙速に立ち上げられる組織が、医療を完全に崩壊させるという悪夢はご免だ。

NECのPLC指定取り消し 

JA1ELY草野氏からの連絡では、下記の通り、NECのPLCの指定が取り消されたようだ。

http://kanpou.npb.go.jp/20071129/20071129h04719/20071129h047190002f.html

メーカー自らの行う検査で、指定を与えるかどうか決めるらしい。データのでっち上げ等し放題だろう。指定を与えた行政、草野氏らの異議申し立ての活動によって、自らの立場が危うくなると、慌てて、指定を取り消す。無責任きわまる。メーカーも同罪だが、行政の責任は重たい。

薬害の問題等とも共通するところがありそうだ。

患者と医師は戦友・・・ 

患者と医師は、病とともに戦う友であって、決して敵対し、相手を貶めるべき存在ではないはずだ。しかし、社会は、むしろ戦友という関係を否定する方向に向かっているかのようだ。

国民は、医療が完全であり、そこで安心と安全が得られるものと思い込んでいる。マスコミは、患者が弱者、医師が強者という固定観念に囚われ、世の中に阿るかのように、医師・医療機関バッシングに余念がない。法曹・警察は、マスコミと同じ固定観念のもと、医療を理解せずに、現実社会にそぐわぬ旧い法的な概念で、医師を裁く。官僚は、医療の安心・安全神話を安易に唱え、そのためと称し医療現場の事務作業を膨大化させている。政治と財界は、医療費を限度以上に押し下げ、安心・安全神話を国民に気安く保障し、さらに医療を市場化し金儲けの場所にしようとしている。

こうして書き上げてみると、問題点の羅列になり、お経の念仏のように思えるかもしれない(自分でも苦笑ものだ)が、それでも一つ一つの事象には現実の裏打ちがあるのだ。

そうした暗い陰鬱な状況のなかで、一筋の清水の流れのような報道があった。癌患者が、医師と戦友のように、闘病し、人生を生きておられるという報告だ。私は、今でもこうした医師・患者関係が全国いたるところで結ばれているのだろうと思う。こうして報道されたりしない、ありふれた医療現場の情景として・・・。

この報道が、あるBBSで取り上げられ、ある医師がコメントを寄せた。「ここに登場する医師、山下・平方氏を知っている、素晴らしい医師なので、一緒に病と戦って行って欲しい」というものだった。その後、平方医師が直接コメントを寄せられた。「この記事を記した共同通信の記者は、患者さんから時間を掛けて取材し、記事原稿を患者さんに読んでもらい、訂正の希望があると新たに書き直していた、とても丁寧な取材を続けておられた」というのだ。静かな筆致のなかに、深い感動を引き起こす文章ではないか・・・常日頃、マスコミ批判をすることの多い私であっても、マスコミの中には、そうした取材を地道に行い、真実を報道しようという記者がおられることを改めて確信した。

高齢化が進み、医療が高度化することによって、社会保障医療費は増え続けるだろう。また、マンパワーが足りず、経済的にも苦しい状況で、高度の医療を実現しなければならない医療現場。恐らく、今後ともに医療事故は確率的な事象として起きる。そうした困難な状況だからといって、医師・患者関係を不信と批判だけが渦巻くものにして良いということはない。信頼に基づくあたたかなものになって欲しいと切望する。

以下、引用~~~

3人の主治医が「戦友」 逃げず命の砂時計見つめて
07/11/27
記事:共同通信社
提供:共同通信社

 日当たりの良い居間の書棚に、新品のカセットテープ約20本が置いてある。がんが再発した3年前に買ったものだ。別れが近づいたら家族や友人一人一人にメッセージを残そう、と長野県安曇野市の小松紀代美(こまつ・きよみ)さん(50)は考えている。

 「私の命の砂時計は動きだした。逃げずにそれを見つめることが大切だと思うんです」。共に闘ってくれる「戦友」は3人の主治医だ。

 *   *   *

 乳房の固いしこりに気づいた時「がんだ」と直感した。46歳の夏。子供2人は成人し、夫儀郎(よしろう)さん(52

)と老後を過ごす家を新築したばかり。近所の病院の外科で摘出手術を受けたが、7カ月後に骨転移が見つかった。進行が早い。完治はないと落ち込んだ。

 外科の主治医とはメールを交換し、何でも話せる関係だ。だけど少しでも長く生きるためには、抗がん剤の専門医も見つけなきゃ。「病院を掛け持ちしたい」と頼むと、紹介状と検査画像を入れた分厚い封筒を用意してくれた。諏訪中央病院(長野県茅野市)の山下共行(やました・ともゆき)化学療法部長に手紙を書き、治療を頼んだ。

 肝臓や背骨、骨盤にもがんが転移した今、主治医のバトンは山下医師に移った。通院し抗がん剤で増殖を抑える。副作用のつらさと生活のバランスをどう取るか。納得いくまで話し合い、治療方針は自分で決める。

 使える抗がん剤はだんだん減り、昨年より床につく日が増えた。検査結果を聞くのが一番こわい。薬が合わず、また治療の道が狭まったら―。

 「こわい。つらい。助けてください」。深夜、同病院緩和ケア科の平方真(ひらかた・まこと)部長にメールを送った。自ら望んで外来に通い始めた「未来の主治医」だ。朝、返信が来た。「話すのが一番の薬。吐き出して」。優しい言葉で心が軽くなった。

 「末期になってからカルテ1枚で回されるのは嫌。私を理解してくれる先生の前で目を閉じたい」と、平方医師には家族に言えない本音を吐き出し、時には涙もこぼす。いつかバトンが移ったら「苦しまずにいかせてね」と頼んである。

 金沢市で生まれ、物心つく前に両親が離婚。祖母宅や施設で育った。人生は思い通りにならないと身に染みているが、家族につらい思いはさせたくない。好きに生きて幸せに旅立った、と思ってもらいたい。

 「私はもうじきいなくなるからね」が口癖になった。家事をしなかった夫に掃除や好物のぬか漬けの漬け方を教えた。長女(26)には煮物やハンバーグの味を。少しずつ別れの準備をする。

 6月、副作用で寝込んだ。お風呂にも入れないほどの倦怠(けんたい)感。治療はやめて、家族との時間を楽しもうか。気持ちは揺れる。「最初は治療して長生きしてほしかった。でも苦しむ姿を見て、もう母ちゃんの好きにさせてやりたい」と儀郎さん。

 夏。自宅の軒下で生まれたツバメのひな5羽が巣立って行った。庭に住み着いた子猫が2匹、松の木に登ってじゃれている。目を細めていた紀代美さんが言った。「もう少し、抗がん剤と付き合ってみようかな。来春、あのツバメたちが帰って来るのを見たいもの」

ブログ1周年 

拙ブログを書き始めて、昨日で1周年だった。うっかりしていた。1周年だからといっても、特別な感慨が湧くものでもない。しかし、このような駄文に目を通してくださる方には、本当にあり難く思っている。また、少しなりとも勉強をし続けながら、感じたこと、知ったことを書いて行きたいと思う。少し、老化現象が現れ(進み)、同じようなことを繰り返し記している気もするのだが・・・。

ブログを書くようになったきっかけは、無線の友人のブログや、所謂医療系のブログを読んで、自分も何か発信できたら、という単純な思いだった。しかし、出発点は、何と言っても、昨年2月に大野病院事件が起きたこと、それに対する、医師達がネットを通して大きな抗議の声を上げたことだった。

その出発点となった大野病院事件の最近の公判内容を、改めて読ませていただいた。東北大学の産婦人科教授が、弁護側証人として証言し、客観的に見て既に検察の主張は、尽く粉砕されたかに見える。医学的な見地からすると、そうとしか言いようがない。しかし、裁判は、真実を追究する場ではなさそうだ。特に、被告とされたK医師が、取調べ時点で述べた(述べさせられた)調書を、裁判官がどのように判断するのか、といった点を考えると、まだ楽観は許されないようだ。

K医師の証言の中で、当初、遺族に賠償をするためにも、(K医師にとって不利な内容の)行政による調査報告書の内容をのんで欲しいと、病院の事務長に言われた、という話が印象に残った。あの調査報告書を基に、福島県警が動き出し、刑事事件として立件されたのだ。あのように、玉虫色の論調の中にK医師の責任を認める、不完全な内容の調査報告書があったからこそ、刑事訴追にまで至ったのだと思う。病院側、行政サイドは、医学的な真相を究明し、そこから刑事事件にはなりようがないという結論を下すべきだったのだ。何たる怠慢と、いい加減さだったことだろう。病院幹部・行政は、刑事事件化されてからでも、あの調査報告書を取り下げ、真相を究明すべきだったのに、何もしていない。K医師の無念さを改めて思う。

このちっぽけなブログの原点は、どこにあるのかと言えば、大野病院事件だ。明後日には、第10回公判が開かれるようだ。これまでと同じく、関心を持ち続けて行きたい。

診療関連死死因究明組織に関するパブリックコメント 

上記が、厚生労働省サイトで公開されている。ここ。圧倒的に、医療、それも医療現場からの発言が多く、大いに頷ける内容だ。

このパブリックコメントを無視して、厚生労働省が、来年に新組織立ち上げのための法案を国会に上程させるとしたら、取り返しのつかない犯罪を犯すことを意味する。それは、医療の生死を分ける法案となる。是非、慎重に時間を掛けて、審議し、医療事故を少なくする上で実効性があり、医療を破壊しない制度を立ち上げて欲しい。

老い・死を受け入れること 

昨夜、U先生の通夜に出席させて頂いた。近くの町の葬儀場。既に、式は始まっていた。義理の父上が、最期に喪主として挨拶された。

U先生は、45日間の闘病生活を送られたが、いつも「誰が悪いわけでもない。何も悪いものはない。」と言いつづけて、従容として死んで逝かれたということだった。

義理の父上が、U先生の亡くなられる前の日の夜に、彼を病室に訪ねた。薬をのむ際に、同じく医師をされている奥様に何の薬か確かめ、それから服用なさっていたそうだ。その後、何時間も経たずに、亡くなられた由。

神谷美恵子女史の名著「こころの旅」の中に、老いに向かう時期に実現される「知恵」について、エリクソンの以下のような言葉が引用されている。

【知恵とは、すなわち死に直面しても、人生そのものに対して、執着のない関心detached concernを持つことである】

U先生が、いかにして死を受容し、医師としての生への関心を持ちつつ、闘病され亡くなって行ったのだろうか。老いと死に抗うのではなく、それを従容として受け入れ、大きな永遠の相の元に生き、死んでゆくことは、どうしたら出来るのだろうか。

亡くなられたU先生に、大きな課題を頂いた気持ちでいる。

老い 

昨日午後、時間が出来たので、老母を連れて、近くのN公園に出かけた。母の認知症が進んでいなかったころは、結構頻繁に出かけたものだった。が、このところは、しばらく出かけることもしなくなってしまっていた。

途中、たわわに熟れた柿を見つけると、「あれをとるべぇ」と訛り丸だしで、半ばふざけて、半分本気で言う。N公園には、学校の頃に、遠足で来たと言っていた。小高い丘全体が公園になっている。下草を刈り込み、もともとあった木々に加えて、多少木を植えただけのシンプルな自然の公園だ。半ば落葉が終り、楓と思われる木等少数の木が、くすんだような色調の紅葉を見せていた。

公園についた途端、へなへなと道端に腰を下ろしてしまった母。一緒に出かけなくなった、この数ヶ月にも、それだけ体力が落ちたのだろうか。

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深い皺の刻まれた母の横顔。あれほど当意即妙の会話を楽しみ、シャープな知性を感じさせた母。言葉の理解に時間がかかるようになってしまった。老いが、確実に深まっている。

老いは、何なのだろうか。人生からの離別の時期か。一生懸命生きた挙句に、寂寞のなかで、人生を終えることになるのか。それは一体何なのか。何のためなのか。

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神戸市立医療センター中央市民病院 麻酔科 

上記医療機関で、麻酔科の医師が、手術室で自死を遂げたことは、先のエントリーで申し上げた通りだ。

その医療機関で、どれほど麻酔科の医師が忙しかったのだろうか。そのウェブサイトでざっと調べたところでは、外科・産婦人科・脳外科だけで、年間2000例を越える手術が行なわれているようだ。他ブログのコメントによれば、4000例を越えるのではないかということだ。それに、ICUも麻酔科が関わっている。その仕事を、12名の医師が行なっている。部長は、恐らく当直からは免除されているだろうから、実質11名(その中に、自殺された医師が含まれているとしたら、10名)で当直を行なっている。およそ、一日2件の麻酔を行い、当直を週一回程度こなし、ICUの仕事をする。かなりのハードワークではないのか。

さらに、築27年になる病院が、PFI方式で建て替えを予定されているらしい。(築27年の建物で毎年維持費が6億かかるらしいが、もともと不良建築だったのではあるまいか?)それに伴い、ベッド数が、900超から600超に減る。約2/3になるらしい。病院当局の説明では、ベッドの回転を早くすることによって、従来の患者数に対応できるとしている。病院スタッフの忙しさが、単純計算で1.5倍になるということだ。麻酔科としての負担がどうなるのか分からないが、少なくとも負担が軽減されることは決してない。

亡くなられた医師が、過労であったのかどうか、どの程度の過労であったのか、是非当局は、明らかにするべきだ。マスコミも、薬剤の管理が十分だったかなどという視点ではなく、医師が精神的に不調になった原因として過労がなかったかどうか、その不調になった医師を休ませることを何故しなかったのか、何故できなかったのか、ぜひとも追求してもらいたい。このままでは、不幸な事件が繰り返される可能性が高い。

ある麻酔科医師の死 

神戸市立中央病院の麻酔科の医師が、自殺した。30歳代の女性医師。精神的に不安定なこともあった。病院側では特に勤務体制をそのために変えることはなかった。日中の手術室で、麻酔薬と筋弛緩剤を自ら投与し、自ら命を断った、ということのようだ。

病院側のコメントは、「予想できなかった、薬剤管理に落ち度はなかった」という内容だ。

Yosyanさんのブログほか、様々な医療系ブログで取り上げられている。

仕事場で、自死するという凄まじい状況を想像するだけでも息苦しくなる。ただただ、亡くなられた医師のご冥福を祈りたい。

この事件に関して、様々な疑問がわきあがる。

彼女の仕事の忙しさはどうだったのか。(公的病院の麻酔科というと、最も人手が足りない多忙を極めている科であることが想像される。)それが、彼女の精神的な問題に関連していないのか。

精神的に不安定であることを把握しながら、通常業務に就かせていた管理責任はどうなるのか。

一人の医師が、職場で自殺したことに対して、薬剤管理に問題はなかったというコメントのみを出す病院幹部の非情さ、非人間的な態度は、強く非難されてしかるべきだ。彼女を死に追いやったシステムの問題がないのだろうか。

医師は絶対数が不足しており、特にこの病院のように公的病院で顕著だ。麻酔科を含めて外科系の医師が特に足りないという。医師不足を放置し、効率化という名目で医療費を切り下げてきた、行政・政治の責任も改めて問わねばならない。

自殺は、毎年3万人を超える状況が続いているという。この麻酔科医師の死も、その一つとして数えられてしまうだけなのかもしれない。しかし、それだけでは、彼女の壮絶な死のメッセージが我々に伝わらない。是非、上記の点を明らかにして、公表して欲しいものだ。

U先生、逝く 

今朝、患者さんでごった返す診察室に、衝撃的な知らせがFAXで送られてきた。

近くで開業されているU先生が、昨日亡くなられたのだ。まだ52歳という働き盛り。地域の医師会の活動にも熱心で、昨年、夜間救急の立ち上げにはお誘いいただいて、何度か会合でご一緒させていただいた。まだ、青年といっても良い方で、大きな四駆の車で、私の仕事場にも何度かおいで下さったのだった。私とは多少スタンスが異なるが、医療の現状に問題意識を持っておいでで、地域の医師会活動を通して、改革に寄与したいという希望をお持ちだったのだろうと思う。地域の医師会活動には、殆ど関心を持たなかった私にも声を掛けてくださって、親切にしてくださった方だった。

肺がんとのことだったが、昨年夏お目にかかったころは、元気でいらっしゃったので、その後発病なさったのだろうか。小細胞癌といった、進展の早い病型だったのだろうか、などと様々な思いが、瞬時に頭を駆け巡った。

壮年と言われる年齢で、死んでゆく時、「遣り残したこと」が必ずあるはずだ。事業のこと、家族のこと・・・。どのようにその無念さに決着を付けられたのだろう、または最期まで無念の思いでおられたのだろうか。胸が締め付けられる思いがする。

人の命の儚さを改めて思う。特に、我々の世代以降では、いつでも現世に別れを告げる覚悟と準備が必要なのだと思う。

今日の午後は、マーラーの「復活」を聴きながら、彼を偲ぶことにしよう。

A Thanksgiving Dinner in Nevada 

Ken K7AOと奥様のShannonのサンクスギビングディナー・・・ハワイ、カウアイで手に入れた食材を用いて作った様子・・・。

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WW TEST 前哨戦 

昨夜は、各バンドは、週末のWWコンテストの前哨戦のようであった。至るところで、パイルが起き、北米西海岸が、ロングパスでヨーロッパや、中東を呼ぶのが聞こえた。

7メガは、午後10時過ぎまで、凪のように静かだった。ヨーロッパ・北米が、とても弱く、かつフラッタリングを伴って入感していた。何回か、CQを出すが空振り。東ヨーロッパから呼ばれるが、やはり紋きりスタイルの交信を続けるのは苦痛。3.5メガに移る。9Kとタイの局が入感。9Kに、西海岸の局が群がっている。

7メガに戻る。午後11時頃になると、北米がぐっと強力になる。しかし、中部は既に弱い。ARKのK5Xk Ronは、449。彼と一緒に、FOCに推薦したCliff K6KIIが、会員になれたことを喜び合った。

ついで、Tom K5RC。コンテストに向けて準備万端かと思いきや、分刻みの準備に追われている、と。新調した3台のアンプの試運転をしているが、1台がまだ。3.5メガのダイポールが折からの強風で落ちてしまった。コンテストをやりに来る誰かが、140フィートのタワーに上らなければならなくなった。といった話だった。コンテストに狂った叔父さんたちが、様々なところから彼のシャックに集まるのだろう。

次は、Ken K7AO。ハワイから、先週金曜日、正確に言うと、土曜日午前2時半に帰着した由。楽しい旅行だった由。帰りの飛行機が遅れて、酷い目にあったようだ。奥様が、ハワイで日本食の食材を10Kgほど買い込み、あちらから送ったので楽しみだとのこと。

忙しい仕事が予想された今日に向けて、もう休むと言って、彼にお別れの挨拶をしたが、スイッチを切ろうとした時、弱い信号で呼んでくる局がいた。HC8N ガラパゴスのコンテスト局だ。あちらは、日の出から大分時間が経っているのだろう。信号が弱い。常連のTrey exWN4KKNかなと思ったら、運用していたのはSteve K6AWだった。Treyは、今日到着するはずとのことだった。Treyは、結婚したのかと尋ねた。彼は、もう40歳代になると思うのだが、無線に熱心で、家庭を持つ様子がなかったからだ・・・大きなお世話だが。もう4歳の息子さんもいるとのこと。Treyは、James 9V1YCと共に、テキサスの工科大学に在学中、Jim N3BBのところで、コンテストに興じていた仲間なのだ。1990年前後のことだったか。

今夜も、わいわいがやがや旧知の連中が出てくることだろう。寝る前に、ちょっと覗いてみよう。WWコンテストは、知り合いにコンテストナンバーを送るだけにする予定・・・ここ数年間、いつものことだが。

営業マン相手に愚痴る 

今日の午後、忙しい合間に、某製薬会社の営業マンと面会。実は、こうした面会は、できるだけお断りしているのだが、患者さんの合間に入ってこられると、断りきれない。

喘息治療薬の合剤(ステロイド・交感神経刺激剤の吸入薬)の宣伝である。以前から上梓されたことは知っていたが、新しいものに飛びつくのに気が進まないことと、結局、薬を沢山使うことになるので、躊躇っていた。各々単独に使用するよりは効果がある、というふれこみである。各々単独の薬価を合わせたものよりも、銭のオーダーで安いらしい(よくもこうした微妙な値段を付けることよ・・・本来は、容器代もかからないわけだし、単独薬価よりも安くなって当然。)

薬価を訊くと、3000円余りとか・・・。高いなぁ、と私。これ以外にも、偏頭痛の新しい薬は、一錠なんと1000円。高血圧のARB薬市場は、全国で4000億円になるという。薬価は、国際比較で決められることも多いのだが、聞くところによると、外資系製薬企業は薬価を米国等で吊り上げて、それを基準に日本での薬価を決めているらしい。医療機器、医療材料などになると、外国と比べた差額は、もっと広がるらしい。

我々の技術料は、再診・処方料ともに数百円のオーダーである。喘息などの特定疾患、乳幼児になると、これにある程度の加算がつくのであるが、薬剤費に比べると、ため息が出ることが多い。

ご存知の通り、製薬企業大手は、絶好の好決算と報道されている。某T製薬など、内部留保が1兆4千億円あるという。今回予定されている、医療費削減で、薬剤費も1%程度引き下げられる予定のようだが、製薬会社から卸に売られる際の値引きを少なくすることで、製薬会社には殆ど痛みを伴わないようだ。

製薬企業は、官僚の天下りを大量に受け入れているらしい。だからこそ、薬価の上でかなり優遇されることは勿論のこと、薬害等でも、製薬企業にとって不利な情報が官僚からなかなか出ないという事態になるのではないか・・・。

ま、所詮、しがない開業医の愚痴ではあるのだが、社会のあり様が少しおかしいのではないのか、と感じる。

といったことを、端折りながら、訪ねてきた営業マンにぼそぼそと語りかけた。彼は、自社製品の宣伝をすることだけが頭にあるらしく、話は進展せず・・・彼の薬を入れるように言ってもよいかと薬局に言ってよいものか、しきりに訊きたそうだった。

私は・・・もうちょっと待って・・・・と答えて、お別れした。

毎日新聞経済観測的混合診療論 

毎日新聞的に、混合診療を経済観測すると、こんな出鱈目な発言が出てくるのか、という記事。

以下、引用とコメント~~~

混合診療=童 経済観測
07/11/21
記事:毎日新聞社
提供:毎日新聞社

経済観測:混合診療=童

 7日付の本欄「おかしなはなし」で、法律屋が国を滅ぼすと書いたが、これを訂正する必要がある事件が起きた。新聞等の報道からであるが、東京地裁が「混合診療を認めないのは法律違反である」との判断を示した由である。久しぶりに留飲の下がる思いがした。

この座敷童は、地裁の判決文を読んでいるのだろうか。「このような法解釈の問題と,差額徴収制度による弊害への対応や混合診療全体の在り方等の問題とは,次元の異なる問題であることは言うまでもない。」と、判決文にあり、この訴訟判決が、混合診療全般に及ぶものではない、と明確に記されている。

新聞のエッセー風の書き物とは言え、勉強不足を露呈している。恥ずかしくないのか。

 混合診療を認めると、お金持ちだけがいい思いをするといった反対論をまじめにいう人がいるのは驚きであるが、混合診療を認めると質の悪い医療が混入するといった厚労省や医師会の反対論も筋のよい話ではない。

米国の要求に基づき、日本の政財界および財務官僚が導入しようとしている、米国流の混合診療では、金持ちだけが最高の医療を受けられるようになるというのは、医療経済学の常識だ(李啓充著「市場原理が医療を滅ぼす」、ユウ ヘイキョウ著「「改革」のための医療経済学」等々)。

自分の不明を棚に上げて、滅茶苦茶なことを言うものではない。

 現実に起きている話は、これが認められないがゆえに、お金持ちはどんどん海外に先進医療を受けるために出かけていく。お金のたくさんない人は、よい治療法があると知っても全部自費ではできず、治療が受けられない、ということにならないか。

混合診療になれば、自費部分はどうなるのか。結局、十分な保険に入れる人間だけが、十分な医療を受けられるということになるのではないのか。

この文章、米国の現状を記したものと最初思った。しかし、日本の状況を表現したつもりのようだ。ピントはずれも甚だしい。
 
 もう一つ言えば、中身がよいか悪いかは、厚労省や医師会の判断できる話であろうか。今回のC型肝炎をめぐる動きを見ても、厚労省などという役所が信頼できるとは思えないが、それはともかく、科学の進歩は役人に判断できるほどゆっくりはしていない。

C型肝炎の問題は、製薬企業と官僚が、情報を隠蔽した問題だ。それが、混合診療と何の関係があるのか。意味不明だ。

 また、すべて公的保険で見なければならないというのは、財政状況だけを考えても無理である。そんなことは百も承知のはずなのに、いまだに十年一日のごとく、既得権者におもねって、混合診療を認めないなどと言っている役所は早く解体すべきである。

経済の専門家なら、国家財政の分配の問題に何故切り込まないのだろうか。公共事業や、特殊法人への補助金の問題を何故まず取り上げないのだろうか。混合診療を持ち込むことで、医療費総額が大きく増える。ある試算では、現在の総医療費30兆円(内、公的支出は8兆円のみ)が、40兆円程度に増えると言われている。国民一人当たり、年約10万円の増だ。実際に、混合診療が採用されている米国では、4人家族の月平均医療保険保険料が、1200ドル(約13万円)だということだ。

混合診療になって潤うのは、民間保険会社だ。

既得権者におもねっているのは、一体誰なのか。
 

 厚労省は、政管健保の赤字削減努力もせずに単にその赤字を組合健保に付け替える仕組みを導入しようと懸命になっている。このような役所は、ない方がましである。ということで、この際やはり法律家にも頑張ってもらう必要があり、その意味で前回書いたことを訂正し、心からおわびを申し上げる。(童)

この記事についても、心からお詫びを申し上げる日が、そう遠くない将来やってくることだろう。

そう言えば、無保険者が5000万人いる米国で、国民皆保険に近い制度を取り入れようとする政策に反対しているのは、マスコミだと聞いたことがある。毎日新聞も、やはり大企業べったりというわけなのだろうか。情けない話だ。





昨日のクローズアップ現代 ADR 

昨日のクローズアップ現代は、医療現場における ADR alternative dispute resolution を扱っていた。ADRは、裁判外で紛争を解決しようとする営為で、医療紛争の解決のために取り入れられようとしている。

対象は、東京女子医大で先天性心疾患(大血管転位)の手術を受けたお子さんが、術後右心不全で亡くなったケース。両親と大学側の間のADRによって下記のことが明らかになった、とされていた。左心室から、欠損した心室中隔を通して、右心室上部にある大動脈開口部まで血管グラフトを持ってきたが、グラフトを縫い付ける際に、右冠動脈を傷つけた「可能性」があることが分かった。(専門外なので、間違った表現があれば御容赦)。和解金を支払った様子。

東京女子医大では、これをきっかけに、患者の治療方針の重大な決定を下すときには、患者(家族)を交えて、カンファレンスをすることにしたようだ。腎不全小児に腎移植をするかどうか、30名程度の医師達が集まって、親を交えて議論していた。

お互いを打ち負かすことが目的となる民事訴訟、業務上過失致死や有印私文書偽造といった刑法犯として捌こうとする刑事訴訟、いずれによっても、医療事故の真相を解明することには程遠い結果になることが多い。患者(家族)にとっても、壁が高く、また時間がかかりすぎる。医療側にとっては、しばしば一方的な議論となり過重な負担となる。そこで、裁判を経ずに、真相を明らかにしようとするADRの意義があるのだろう。

しかし、この番組を見て、以下のような疑問点が残った。

ADRを経て、訴訟に持ち込まれることはないのか。真相を解明することを主眼にしても、そこで得られる情報と和解金に基き、民事訴訟を提訴したり、ましてや刑事訴訟になることはないのだろうか。

上記カンファレンスを常時行なうとしたら、人件費はどうなるのか。医師30名が、1,2時間も拘束されるとなると、かなりの人件費が発生するはず。勿論、人の生命の関わることであれば、それだけの労力をかけるべきだという意見もあるだろうが、常態として行なうことには無理があるのではないのか。番組では、この試みを高く評価しているようだったが、医療機関への負担・コストは検討されていなかった。

上記カンファレンスに親が参加して、親の感情・希望で治療の選択肢の検討に影響がでないのか。患者、その親御さんと、医師は、医学的な知識・経験で対等に立つわけには行かない。重大な医学的な治療選択肢の検討は、経験科学である医学の専門家が、家族の感情や意向に影響されず徹底して議論して行なうべきではないか。その後、その選択肢を患者(家族)に提示し、決めていただくということにすべきではないのだろうか。

フィギュアスケートに憧れる 

う~~ん、この子みたいに滑ってみたいな~~

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す、すてき~~

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more

重症者、症状の固定した患者にはリハをせず 

昨年だったか、リハビリに日数制限が設けられ、療養途中でリハビリを打ち切られるようになった。ご自身が、脳血管障害でリハビリを受けておられた東大の多田富雄名誉教授が、大変怒られて、猛抗議を当局に対して行った。その後、完全とはいえぬまでも、日数制限が緩和されたようだ。

脳血管障害等によるリハビリでは、特に早期に行うと、改善することが見込めるが、慢性期に入ると、機能を維持することが主たる目的になるのだと思う。

ところが、厚生労働省は、今度は、リハビリに「成果主義」を持ち込むというのだ。良くなったら、診療報酬を厚くする、良くならなかったら、当然のことながら、診療報酬は下げるという意味だろう。厚生労働省にとっては、この「下げる」方に主眼がある。リハビリの診療報酬を下げられても、医療機関が耐えられるとは思えない。結局、重症患者、症状の固定した患者は、リハビリから締め出されることになる。

厚生労働省当局は、リハビリの対象疾患の特性、リハビリの意義を一体どのように考えているのだろうか。

大きな制限のかかった後期高齢者医療といい、このリハビリの扱いといい、高齢者・重病の方には、早く亡くなって欲しいと言うに等しい政策だ。

以下、引用~~~

リハビリ診療に成果主義を導入 厚労省方針
07/11/19
記事:毎日新聞社
提供:毎日新聞社

厚労省:リハビリ診療に成果主義を導入----方針

 厚生労働省は16日の中央社会保険医療協議会(中医協)小委員会で、08年度診療報酬改定で医療の世界に初めて「成果主義」を導入する方針を表明した。08年度は、脳卒中などでリハビリを受ける人が入院する「回復期リハビリ病棟」(約3万6000床)への診療報酬を、病状の改善度合いに応じて加減する意向。11月末の中医協に正式に提示する。【吉田啓志】

電信によるコミュニケーション能力の加齢変化 

アマチュア無線のなかで電信による交信は、知的能力と、運動能力をともに必要とする領域のように思える。知的能力は、ある程度の語学力と、限られた時間に情報を伝達する能力だ。特に、当意即妙とは言わないまでも、相手のメッセージに即座に対応する必要があることが特徴だ。運動能力といえば、手首、手、指の微細な運動能力だけで、当然、心肺機能を鍛えるような全身運動とは全く異なる。筋腱骨格といった運動器と、随意運動の機能だけでなく、錐体外路系の機能も重要。人間に付与された能力のかなりの部分を使って行うコミュニケーションだ。

長い間、電信でのコミュニケーションを楽しんできて、その能力の変化を、自分自身、それに相手をしてくださっている方々の力量等から、その能力が、加齢とともに変化することを感じずにはおれない。

特に念頭にあるのは、加齢による能力の低下の問題だ。自分にとって切実な問題だからだ。

この能力は、鍛錬・経験を積むことによって、30歳代から40歳代にピークが来るように思える。その後、なだらかに低下してゆくようだ。

50歳代から60歳代にかけては、人生の経験が深まることことから、余裕も生まれ、コミュニケーションをとる相手として申し分ない(勿論、自分のことではなく、他の方々の観察から感じていること)。

70歳代になると、運動能力が落ちる方が多くなってくる。中には、関節炎を患うためもあるようだが、微細な運動に支障をきたし、短点が抜ける、余分に出てしまう、さらに短長点の間隔が適正に取れない、といった現象が生じる。

80歳代に入ると、それに加えて、短期記憶の問題が出てくる、相手の言うことに関心を抱いたり、理解することが難しくなってくることもあるようだ。この年齢になると、バグキー、ストレートキーはおろか、エレキーも適切に使えぬ場合も出てくる。その場合、キーボードを使うことになりそうだ。

90歳代以降でオンエアーに姿を現されること自体、奇跡に近いことのように思える。いや、実際その奇跡に出会うことが度々あり、嬉しくなってしまう。

これらの変化は、大雑把な印象であって、例外的な方々も沢山いらっしゃる。能力の劣化は致し方ないことといえ、相手に対する関心を抱き続け、上記の能力をいかに保ち、訓練するかということが、より長くこの趣味を楽しむために大切なのだろう。

さぁ、机の上の辞書をせっせと開かなくては・・・。

経済財政諮問会議の提言 

経済財政諮問会議が、「診療報酬体系の見直しに向けて」という提言を、先週14日に行なった。ここ

この会議のメンバー四名は、経済学者、大企業の経営者である。まず訝しく思うのは、なぜこうした面々だけで、医療制度を左右する提言を行なえるのかということだ。彼等は、医療の専門家でも何でもない。彼等は、医療現場の状況をどれだけ知っているのか。経済財政の観点だけで、もっと言えば、自らの利権の獲得のために、こうした提言を行なっているのではないのか。

経済財政諮問会議は、単なる政府の諮問機関であるに過ぎない。それなのに、彼等の提言の多くが政策として実現することだろう。それは、社会に激烈な変化をもたらす。その犠牲になる人々に対して、誰が責任を取るのだろうか。この四名の会議メンバーは、その頃には、職を辞めていることだろう。官僚、さらに政治家さえ、責任を取らない。

医師の仕事を看護師に、看護師の仕事を介護職の方に引き受けてもらおうということだが、介護の現場でどれほどの重労働を余儀なくされているのか、このメンバーは御存知なのだろうか。看護師も、決して足りているわけではない。医師と同じく夜間の勤務は、極めて劣悪な条件下でなされている。このメンバー達は、医療・介護の現場に一度でも足を運び、そこで仕事をする人々と丸一日過ごしていただきたいものだ。

開業医と勤務医の格差是正とは聞こえが良いが、結局、開業医への診療報酬を減らし、開業医の労働条件を劣化させ、勤務医が開業できないようにしようということに過ぎないのではないか。以前のこの会議で、八代氏が、開業医と勤務医を反目させるべきだといった内容の発言をしていたが、それをこうして実現する積りなのかもしれない。勤務医の労働環境が劣悪なのはどうしてなのか、という点には目をつむり、開業医の労働環境・労働条件を悪化させ、勤務医が開業する道を閉ざすことが、どうして格差「是正」になるのだ。

公的病院は、人件費を下げ、ベッド利用を増やして赤字から脱却せよと言っている。公的病院に問題があるのかもしれないが、実に8割の病院が、経営上立ち行かなくなっているということは、むしろ病院外の条件が大きく影響していると言えるのではないだろうか。医師不足に対する無策、度重なる診療報酬の削減、地方自治体の財政悪化を放置させたこと等々である。公的病院は、病院債発行によって、金融機関の支配下に入り、民営化されるのみ任せる積りなのだろう。公的病院の使命を認識し、それを守ろうとする意図は全く感じられない。

道路は、今後10年間、年に6兆円作り続ける積りらしい。医療費の公的支出は、たかだか8兆円である。それも(自然増も含めてのようだが)、5年で1兆2千億炎減らすようだ。道路が、地方の活性化にどうしても必要な地域もあるのだろうが、どう考えても意味のない高速道路を作り続けているところも見受けられる。我が家のすぐ北にそうした道路の建設が進んでいる。こうした利権がらみの国家予算は、大切に保護される。しかし、国民の健康を守る社会の共通財を、これでもかというばかりに痛めつけ破壊する、政府・官僚、それと一体化した諮問会議。

国民が痛みの声を張り上げるまで、彼等は、自らの過ちを正そうとしないのだろうか。我々は、怒りの気持ちで彼等の名前と所業を決して忘れない。

混合診療の現実 

混合診療が実現した時の医療を予想する。

十分な医療を受けるのには、国民健康保険のような公的保険だけでは不十分で、盛んにテレビで宣伝する外資系ないし国内の保険会社の保険に加入する必要がある。

保険会社は、給付を減らすことが、経営の成功になる。医療保険の支払いに応じることは、保険会社にとって損失なのだ。健康な人だけを選んで加入させたり、支払う時に様々なことを持ち出して支払わない、ないし支払うことを遅らせようとする。民間保険会社は、損失即ち保険給付を出来るだけ減らそうとするのだ。

最近、メタボメタボとマスコミを使って、官僚が喧伝しているが、メタボの人間は、保険料が高くなる。または、保険加入を断られる。

それ以外にも、高齢者・基礎疾患を持つ者にとっては、民間保険に加入することは至難の業になる。または、極めて高額の保険を買うことになる。オリックスの宮内会長が、混合診療を進める相談をしていた政府の諮問会議で、重病になれば、家を売ってでも、医療費(保険料)を支払うことだろうと言っていたのは、誇張でも何でもない。事実なのだ。

こうした病人の苦労だけに終わらない。

保険会社が適切な経営をしているのかチェックするために、行政は様々な作業をすることが必要になる。その行政費用がかさむ。さらに、医療機関は、ある患者に対して、特定の検査・治療行為をする際に、保険会社から承諾を得なければならなくなる。それにも多くの事務手続きと費用がかかることになる。

混合診療でメリットを受ける層は、例外的な富裕層だけである。彼等は、保険を自由に購入し、様々な高度医療を自由に選択し、その恩恵を享受する。例外的な富裕層とは、大企業の経営者・政治家それに高給官僚といった連中だ。彼等は、大都会の大病院、居心地の良い個室に思う存分入院し続け、最高の医療を受ける。

あぁ、書いていて、胸糞悪くなってきた・・・マスコミは、どこまでこうした混合診療の「真実」を伝えるのだろうか。そして、国民諸兄姉が、どれだけ自分の問題として把握するのだろうか。

Len K6LEC 

Len K6LECと、昨夜交信した。7メガのCW。テンテックOMNIVIIにアメリトロンのアンプ、それにG5RVを用いているという。常時599+で入っていた。13歳から無線を始め、現在61歳。MOTOROLA COMMという会社で、communication designerとして仕事をしているらしい・・・ま、本題は、このこれらのroutineの情報ではない。

MOTOROLAと聞いて、MOTOROLAによるVERTEX STANDARDの買収について尋ねてみた。

MOTOROLAは、アマチュア無線市場には、関心がないだろう。同市場は、将来性がなく、利益を生まないから。MOTOROLAはVERTEXのハイテクだけが必要なのだ。やがて、YAESUは、他社に売りに出されるのではないか、という返答であった。

仰られる通りなのだろう。しかし・・・YAESUは、アマチュア無線機器製造会社としては偉大な会社だから、何とか事業を続けてほしいものだと申し上げた。彼も、同感だということだった。HF愛好者は、皆同じ気持ちだろうと思う。一部のアマチュア無線家の気持ちが反映されるほど、この競争の烈しい業界は余裕はないのだろうが、YAESUには是非生き延びて欲しいものだ。

彼は、最近は、599 73の交信には飽きて、CWのラグチューを楽しんでいる様子。また会おうと言い合って、お別れした。

厚生労働省の医療支配は、医療を破壊する 

MRICMLを通して、小松秀樹氏(虎ノ門病院 泌尿器科 部長)の発言が流されてきた。診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する厚生労働省の第二次試案に、医療関係団体が諾々と賛意を表したことに対する、強い懸念と、勤務医による医師会の設立の呼びかけを、内容とする。

診療関連死死因究明組織については、私も強い懸念を持っていた。医療は、業務上過失致死罪による刑事犯罪として追及を受ければ、容易に破壊される。善意で行なう医療行為であっても、治療は身体に侵襲を与える作業であり、医療の不確実性から期待した結果が得られぬ場合が多々あるからだ(実際に、この展開で、刑事責任を追及されている医師・医療機関が多く存在する)。外科・救急医療等は、すぐにでも行なえなくなる。結果が悪ければ、刑法犯として訴追されるからだ。

それが果たして、社会にとって良いことだろうか、というのが小松氏の問いかけだ。否、問いかけという生易しい状況ではない。臨床に関わる医師の悲痛な叫びだ。

私は、彼のこの考えに強く同意する。勤務医が日本医師会から脱退し、新しい組織を立ち上げることが、医療の将来にどのような影響を与えるか、予断を許さないが、現状の日医に絶望的になることも大いに共感を覚える。

官僚組織が、医療という専門家集団の営為を支配しようとする試みには、断固反対する。

以下、引用~~~

□■ 日本医師会の大罪 ■□
虎の門病院 泌尿器科 小松秀樹

☆ 今回の記事は転送歓迎します ☆

一人でも多くの方に読んでいただきたいと思っております!!
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○国民と患者のため、医療の改善と向上のため、現場の医師による自律的な集団が必要である

○厚生労働省は医師に対する全体主義的な統制を行う強大な力を手に入れつつある

○過剰な統制は自律性を奪い、医療システムを破壊する

○日本医師会の役員の一部は全ての現場の医師を裏切り、厚労省に加担した

○いま、日本医師会に対し、現場の医師は自らの意見を明確に主張しなければならない

○国民と患者には、自分達自身と家族のために、現場の医師を支援していただきたい



 07年10月17日、厚労省は診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する第二次試案を発表した。その骨子は以下のようなものである。

1)委員会(厚労省に所属する八条委員会)は「医療従事者、法律関係者、遺族の立場を代表する者」により構成される。

2)「診療関連死の届出を義務化」して「怠った場合には何らかのペナルティを科す」。

3)「行政処分、民事紛争及び刑事手続における判断が適切に行われるよう、」
「調査報告書を活用できることとする」。

4)「行政処分は、委員会の調査報告書を活用し、医道審議会等の既存の仕組みに基づいて行う」。

 第二次試案は、この制度の検討会の座長で刑法学者である前田雅英氏の主張「法的責任追及に活用」(讀賣新聞07年8月14日)に一致している。法的責任追及という理念の実現が目的であり、これが現実に人々に何をもたらすのかを、多様な視点から考えた形跡がない。日本の刑法学はマルキシズムと同様、ドイツ観念論の系譜にある。理念が走り始めるとブレーキがかかりにくい。ここまでの統制が、医療に対して求められなければならないとすれば、他の社会システム、例えば、裁判所、検察、行政、政党、株式会社、市民団体などにも、相応の水準の統制が求められることになる。理解しやすくするためにこの状況をメディアに置き換えてみる。

1)報道被害調査委員会を総務省に八条委員会として設置する。事務は総務省が所管する。

2)委員会は「報道関係者、法律関係者、被害者の立場を代表する者」により構成される。

3)「報道関連被害」の届出を「加害者側」の報道機関に対して義務化し、怠った場合にはペナルティを科す。

4)行政処分、民事紛争及び刑事手続における判断が適切に行われるよう、調査報告書を活用できることとする。

5)ジャーナリストの行政処分のための報道懲罰委員会を八条委員会として総務省に設置する。報道被害調査委員会の調査報告書を活用して、ジャーナリストとして不適切な行動があった者を処分する。


 厚労省医政局の幹部には歴史的視点と判断のバックボーンとなる哲学が欠如している。そもそもわが国の死亡時医学検索制度の貧弱さこそが問題なのだという現状認識すらない。このような異様な制度は、独裁国家以外には存在しない。独裁国家ではジャーナリズムが圧殺されたばかりでなく、医療の進歩も止まった。私は、自由とか人間性というような主義主張のために、過剰な統制に反対しているのではない。この制度が結果として適切な医療の提供を阻害する方向に働くからである。

 システムの自律性が保たなければそのシステムが破壊され、機能しなくなる。「システムの作動の閉鎖性」(ニクラス・ルーマン)は、社会システム理論の事実認識であり、価値判断とは無関係にある。機能分化した個々のシステムの中枢に、外部が入り込んで支配するようになると、もはやシステムとして成立しない。例えば、自民党の総務会で市民団体、社民党、共産党の関係者が多数を占めると、自民党は成立しない。内部の統制は内部で行うべきであり、外部からの統制は裁判のように、システムの外で実施されるべきである。

 そもそも厚労省は、医療を完全に支配するような強大な権力を持つことの責任を引き受けられるような状況にあるのだろうか。当否はべつにして、厚労省はメディア、政治から絶え間ない攻撃を受け続けてきた。政府の抱える深刻な紛争の多くが厚労省の所管事項である。憲法上、政治が上位にあるため、厚労省は攻撃にひたすら耐えるしかない。しばしば、攻撃側の論理を受け入れて、ときに身内を切り、現場に無理な要求をしてきた。現在の厚労省に、社会全体の利益を配慮したブレのない判断を求めることは無理であり、強大な権限を集中させることは、どう考えても危険である。

 第二次試案発表から15日目の07年11月1日、ほとんど報道されなかったが、日本の医療の歴史を大きく変えかねないような重要な会議があった。自民党が、医療関係者をよんで、厚労省の第二次試案についてヒアリングを行った。厚労省、法務省、警察庁の担当者も出席した。日本医師会副会長の竹嶋康弘氏、日本病院団体協議会副議長の山本修三氏、診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業事務局長の山口徹虎の門病院院長(立場としては学会代表)が意見を述べた。私はめったなことでは驚かないが、この会議の第一報を聞いたときには、びっくりした。全員、第二次試案に賛成したのである。

 なぜ驚いたか。07年4月以来、この制度について検討会で議論されてきた。ヒアリングに出席した山口徹モデル事業事務局長、日本医師会の木下勝之理事、日本病院団体協議会の堺秀人氏、の三氏は検討会の委員として、この間、議論に加わってきた。私自身、第二回検討会で意見を述べる機会を得たが、検討会では猛スピードで議論がすすめられた。議論はかみ合わず、かみ合わせようとする努力もなしに、多様な意見が言いっぱなしになった。8月24日に発表された「これまでの議論の整理」も、多様な意見が併記されていただけだった。

 自民党の働きかけが、モデル事業、日本医師会、日本病院団体協議会の三者に、第二次試案に対し賛成か反対か態度を鮮明にすることを迫った。自民党の迫力に背中を押されて、三つの団体が賛成の機関決定をした。結果として、自民党に対し、大半の医師が第二次試案に賛成しているというメッセージを送った。

 日本医師会はなぜ賛成したのか。前会長は、小泉自民党と対立した。現会長になって、自民党につきしたがうようになったが、それでも邪険にされつづけている。日本医師会の最大の関心事は診療報酬改定である。現在、診療報酬の改定作業が進行中である。厚労省の第二次試案に賛成することが、自民党を支えることになり、診療報酬改定で自分たちが有利になるとの期待があると考えるしか、日本医師会の行動を合理的には解釈できない。だとすれば、目先の利益を、今後数十年の医療の将来に優先させたと非難されるべきである。

 よく考えると、日本医師会の行動が、目先の利益につながるのかどうかも疑わしい。自民党内にも、第二次試案に対する疑問の声はある。第二次試案の真の姿が、社会に広く理解されるようになったとき、第二次試案でよいとする説得力のある理由が用意できていなければ、日本医師会の信頼性が更に低下する。実際、一部の医師会役員は、執行部が第二次試案に賛成したことを知って激怒したときく。

 私には、日本医師会が時代から取り残されているように思える。現場で働く開業医と議論すると、日本医師会の中枢を占める老人たちとの間に、越え難い溝があることがよく分かる。この危うい状況を本気で検証して、対策を講じないと日本医師会に将来はない。

 現場の医師はどうすべきか。このままだと、医療制度の中心部に行政と司法と「被害者代表」が入り込み、医師は監視され、処罰が日常的に検討されることになる。この案に反対なら、それを示さないといけない。自民党の理解では、医師がこの案に賛成していることになってしまったからだ。モデル事業運営委員会、日本医師会の指導者、病院団体に意見を撤回させて、それと同時に、多くの医師がこの案に反対していることを自民党にも分かるようにしなければならない。学者は無視して、ここは、行動の対象を最大の政治力を持つ日本医師会の一部役員に絞るべきである。

 第二次試案では、勤務医のみならず、開業医も厚労省のご機嫌を伺いながら、常に処分を気にしつつ診療することになろう。積極的な医療は実施しにくくなる。開業医と勤務医の共通の問題と捉えるなら、日本医師会内部で執行部に抗議をして撤回を迫るべきである。

 しかし、第二次試案は開業医より、勤務医にとってはるかに深刻な問題である。第二次試案は主として勤務医の問題といってよい。産科開業医等を除くと、日本の診療所開業医は高いリスクを積極的に冒すことによって生死を乗り越えるような医療にあまり関与しない。勤務医の多くは、目の前の患者のため、リスクの高い医療を放棄できない。日本医師会には多くの勤務医が加入している。勤務医と日本医師会の関係が問題になる。端的にいうと、日本医師会が勤務医の意見を代弁してきたのかということである。勤務医は収入が少ないので、会費が安く設定されている。このためかどうか知らないが、代議員の投票権がない。発言権がないといってよい。それでも、日本医師会は医師を代表する団体であるとして振舞いたいので、勤務医の加入を推進してきた。「勤務医と開業医が対立すると、厚労省のいいように分割統治されるので、勤務医も日本医師会に加入すべきだ」という論理が使われてきたが、日本医師会は、常に、開業医の利害を代弁し、勤務医の利害には一貫して冷淡だった。最近、日本医師会の役員が、勤務医の利害を配慮してこなかったと反省を表明するようになったが、今回の問題でそれがリップサービスに過ぎないことが明白になった。どうみても、勤務医は「だしにつかわれてきた」と考えるのが自然である。

 そこで勤務医のとるべき態度である。これは、日本医師会に抗議すれば済むような生易しい利害の抵触ではない。第二次試案に賛成か、反対かを確認するだけで、抗議する必要はない。生命を救うためにぎりぎりまで努力する医師を苦しめ、今後数十年の医療の混迷を決定づける案に日本医師会が賛成していることが確かならば、すべての勤務医は日本医師会を脱退して、勤務医の団体を創設すべきである。

 開業医と勤務医の大同団結を説く声をよく聞く。従来、その立場をとってきた友人が、今回の日本医師会の行動をみて、医師会に期待することの限界を感じたと連絡してきた。そもそも、勤務医が医師会の第二身分に据え置かれるような形が続く限り、人間の性質上、勤務医が本気で医師会と協調することはありえない。勤務医の組織ができて初めて、協調の基盤ができる。今では医師会の理不尽なルールそのものが、医師会の正当性を阻害し、開業医の利益を損ねている。

 まず実施すべきことは、勤務医医師会の創設と、患者により安全な医療を提供するための、勤務環境改善を含めた体制整備である。この中には、再教育を主体とした医師の自浄のための努力も含まれる。自浄作用がないような団体が、自分の利益を言い募っても、周囲には醜く映るだけで説得力はない。臨床医として活動する医師の登録制度を自律的処分制度として活用している国が多い。全ての勤務医と一部の開業医だけでも、なんとか工夫をして、国の力を借りずに自浄のための制度を立ち上げたい。これは国民に提供する医療の水準を向上させ、かつ、医師が誇りを持って働くことにつながる。

規制改革会議、要するに、財界が、混合診療全面解禁を要求 

先日の、混合診療を禁じた医療行政は違法であるとする地裁の判断に勢いづいて、経済界の意向を体現した政府の諮問会議が、完全混合診療導入をさらに強力に提唱し始めた。

混合診療とは、公的保険に加えて、自費診療部分を持つ医療であり、自費部分が大きくなれば、必然的に、患者は民間保険への加入が必要になる。

上記地裁の判決は、患者の窮状を助けるという動機で下されたものであり、混合診療を完全に導入することを勧めているものではない。

しかし、勢いづくのは、日本の医療を、市場化して、利潤を得ようとする経済界である。その背後には、以前にも記した、米国の長年の要求がある。米国等の外資系保険会社が、医療分野へさらに食い込むことを虎視眈々と狙っている。

私は、混合診療導入に反対だ。厚生労働省も反対しているが、彼等はどうも自らの権益がなくなるためのようだ。様々な書物・報告、さらに無線の友人から聞いたことを元にした、私の反対の理由は;

○本来公平でなければならない医療に、著しい不公平が生じる。持てるものは、十分な高度医療が受けられるが、持たぬものからは医療を受ける機会さえ奪うことになる。前規制改革経済会議議長であった、オリックスの宮内氏は、混合診療が導入されて、命に関わるような病気になった人が高度医療を望むならば、自宅を売ってでも受けるだろう、と語ったというのは有名な逸話である。

○民間保険は営利企業であり、保険給付を出来るだけ落とす「工夫」を行なうことになり、被保険者は不利な状況になる。一旦、混合診療が導入されると、国からの医療給付を減らしたい政府と、市場を大きくしたい保険業界の目的が一致し、公的保険は縮小され、実質民間保険だけになる可能性が高い。営利追求を目的とする民間保険は、給付を減らすことだけに熱心となる。公的保険に比べると、割高になることも見逃せない。

○民間保険は、医療の内容を制限し、給付を減らそうとする。また、適正な給付を行なわないで済まそうとする。健康な人だけを加入させ、給付を減らそうとする。そうした問題に、医療機関・行政が対応しなければならない。そのコストが莫大になることが、米国の経験で分かっている。

○民間保険に入れぬ人々は、十分な医療を受けられず、格差がさらに進む。米国では、個人の破産の原因として、医療費支払いが常に大きい位置を占めている。こうした格差を生み出すことにより、社会の治安は失われ、それに対抗するためのコストも拡大する。

もう一度言おう。国民・医療従事者が参加しない、経済界またはその意向を受けた人間だけが参加する諮問会議でわが国の医療制度の根幹を変更することには、絶対反対だ。社会が共有すべきシステムである医療制度は、もっとオープンに議論し慎重に決めるべきだ。

以下、引用~~~

混合診療「全面解禁を」 規制改革会議、重点項目に
2007年11月16日

政府の規制改革会議(議長・草刈隆郎日本郵船会長)は15日、保険の利かない自由診療と保険診療を組み合わせた「混合診療」の全面解禁を、12月にまとめる第2次答申の重 点項目に盛り込む方針を発表した。混合診療は現在一部が例外的に認められているが、厚生労働省は全面解禁には反対しており、年末にかけて議論になりそうだ。

同会議の松井道夫主査(松井証券社長)はこの日の記者会見で、厚労省が混合診療を原則として禁止していることについて「患者の選択権の話に官が介入するのはおかしい」と批 判した。

船運会社・証券会社の人間が、何故医療制度の根幹に関わる問題について政府に答申するのか。患者の選択権等、ほとんど考えていない連中が何を言うか。諸君等の眼中にあるのは、医療マーケットから得られる金だけだろう。経済界の人間が自らの利益誘導のために介入することこそおかしい。

松井氏はまた、東京地裁で今月7日に「混合診療の禁止に法的根拠はない」との判決が出たことをあげ、「国が控訴した場合、最重要課題として全面解禁に向けて論争する」とも 述べた。

同会議は15日、地裁で勝訴した原告男性らから聞き取りをした。今後は厚労省との公開討論会や医師らへのヒアリングを予定している。

混合診療の解禁をめぐっては、規制改革会議の前身の規制改革・民間開放推進会議と厚労省が04年に対立。全面解禁は見送られ、例外的に混合診療を認める医療機関と医療技術 を拡大することになった。その後、薬事法の認可要件が新たに加わり、同会議側は「規制改革の効果が限定的になっている」と主張する。

一方、厚労省は「安全性が確保できていない医療の誘いに患者が乗りやすくなる危険性がある。必要な医療は保険制度の下でしっかり提供していく」(医療課)として、全面解禁 には反対する姿勢を崩していない。

安全性の問題だけではないだろう。医療に大きな格差を生み、社会的なコストを大きく増やす、と何故言わないのだろうか。現在の保険制度・医療制度にも大きな瑕疵があることを認め、抜本的に改善する責任が、厚生労働省にあることを忘れないでもらいたい。

ニュースソース
朝日新聞
http://www.asahi.com/health/news/TKY200711150397.html

県医師会主催講演会を聴いて 

昨夜の県医師会主催の講演会、医療崩壊をテーマにして、「萎縮医療に陥らないために」「医師偏在の原因と対策」という二つの演題だった。前半は、遅刻して全く聞けず。後半を聞いた。結論から言って、問題の深刻さ、緊急性がまるで伝わらない、または演者にもないように思えた。

後半の「医師偏在の原因と対策」という講演演者は、大学名誉教授で、個人的にも存じ上げている方だった。講演の要旨は以下のような事柄だった。都市部に医師が偏在している、小児科・産婦人科・麻酔科で女性医師の割合が高い、医師の過酷な労働、新医師臨床研修制度の問題、それによる地域病院からの医師の引き上げ、勤務医の労働環境・待遇が劣悪なために離職する医師が多い、中堅医師の撤退を防ぐために、ドクタークラークの配置、交代性勤務の導入、日医が病院開設者と勤務医の調整役になる、医療連携体制の構築をする。

音響効果の悪いホールで、よく聞き取れないこともあったが、医師・医療の危機に対する切迫感は殆ど感じられなかった。

県医師会の講演会に出かけるのは初めてのことだったのだが、地方の医師会ではこんな状況なのだろうか。

法曹・マスコミの「弱者である患者を救う」という、「一見正当と思える」社会正義を実現する行動原理が、却って医療を蝕ばみ、社会に害悪をもたらしている状況。米国由来の市場原理主義が、日本の医療を市場化し、破壊しようとしていること。政治家の無知、無策。それに、無責任な官僚。安全で安心な医療を、要求するだけの国民。そうした喫緊の問題にどう対処し、医師の総意をまとめ、現実の行動に移してゆくのか、という緊迫した意識は全く感じられなかった。

意味のない、かるい言葉 

財務省は、診療所が経年的に黒字になるのはまずいと言っているようだ。

福田さんは、「効率化できるところは大胆に削る」と仰っている。

結構だ。どうぞ削りたまえ。

彼等の本音は、太田某とかいう民間大臣に言わせている。「高齢化社会を乗り切るには成長力の強化が必要なことなどを強調した。同時に社会保障給付の維持には税・社会保険料の負担増が必要・・・」。彼女は、経済界の代弁者に違いない。

社会保障は切り捨てる。経済界には手厚くする、ということなのだ。

合理化・効率化、規制緩和、小さな政府・・・一昔前に、ワシントンで流行った言葉のような気もする。やってみれば良い。日本が見事にアメリカ化することだろう。

福田さん、一言だけ。「希望と安心の国づくり」をしているらしいが、自殺者は、毎年3万人を越えている。大企業・輸出企業には希望があふれているかもしれないが、国民の間には格差が広がり、多くの国民には希望が無い。希望の国とは、逆の方向に向いている。

それに、安心というコンセプトを、医療に持ち込まないでほしいものだ。医療が不確実なことを、国のリーダーとして是非国民に語りかけてほしい。安心に「近づく」ためには、コストがかかるものだ。政治家が、安心を保証する等と気安く言うから、国民は、コストをかけずに、安心が棚ボタで得られると誤解する。

国のリーダーたる人間から発せられる言葉が、現実から乖離し、意味のない、かるい言葉になっている。

この国は何処に向かうのか。

以下、引用~~~

勤務医の待遇改善を提言 首相「歳出改革緩めない」
07/11/15
記事:共同通信社
提供:共同通信社

 政府の経済財政諮問会議が14日開かれ、民間議員が勤務医の待遇改善を図るべきだなどとする診療報酬体系見直しに向けた意見を提出した。2008年度予算編成の基本方針の議論も始めた。

 福田康夫首相は「診療報酬は必要なところは充実させ、効率化できるところは大胆に削る明確な姿勢が必要。予算編成は全体として歳出改革を緩めないよう取り組んでほしい」と指示した。

 民間議員は、開業医に比べ収入が低い上に労働時間が長いため勤務医を敬遠する傾向があるとして、全体のコストを抑えながら医療費配分を勤務医に有利な形で見直すべきだと主張した。

 予算編成の基本方針については、福田首相が所信表明で掲げた「希望と安心の国づくり」に沿って、地方の自立と再生や、活力ある経済社会の実現を柱とする方針を確認。地域経済の立て直しや、中小企業の生産性向上などを盛り込む。

 大田弘子経済財政担当相は社会保障と税の一体的改革について、これまでの議論を論点整理。高齢化社会を乗り切るには成長力の強化が必要なことなどを強調した。同時に社会保障給付の維持には税・社会保険料の負担増が必要とし、負担が現状維持のままなら給付削減が避けられないと指摘。消費税の役割を高めることも検討するとした。

 地方分権改革推進委員会の丹羽宇一郎委員長は、地方分権の中間報告原案を説明。福田首相は分権には各省の抵抗が大きいが、大胆に進めたいと意欲をみせた。

近況 

今夜、県庁所在地で行われる「医療崩壊」に関する県医師会主催の講演会に行くことにした。その準備と言っては何なのだが、小松秀樹氏著「医療崩壊」(朝日新聞社刊)を、読み直している。氏の、冷静・的確な問題の把握に改めて感心させられる。講演会会場まで1時間超・・・遅刻は必至ですが・・・よく議論を聞いてこようと思っている。

米国では、感謝祭の長期休暇シーズン。無線でお目にかかる友人達も、遠くから駆けつけるお子さん達との再会を楽しみにしている様子。HAPPY THANKS GIVINGが、時候の挨拶になっている。これから、冬至の1ヶ月ほどが、ローバンドの絶好の時期だ。あまり無線ができないのだが、週末にはもう少し時間を取りたいものだ。

米国医療の歪 

医療制度改革が、米国大統領選の最大のテーマとなっている。それほど深刻な問題なのだ。下記の米国医療事情は、米国の特殊な問題ではない。わが国も、政財界こぞって国民皆保険を放棄し、混合診療を導入することを目論んでいる。

ここで報道されている状況は、わが国でもすぐにも現実となる。医療制度政策を検討する政府関係者には、圧倒的に、医療を市場化し、「効率」を追求すべきだという考えの方が多いからだ。さらに、その背後に、米国の民間保険資本が長年に亘って、日本の医療を市場として開放するように要求してきた経緯がある。医療が米国化してから、元に戻そうとするのは極めて困難になる。市場化した医療で利潤・利益を得る層ができるからだ。

現在の日本の医療制度にも勿論深刻な問題がある。現場は、その重みに耐え切れなくなっているほどだ。しかし、だからと言って、医療を動かす原理を市場に求め、混合診療を導入するのは誤りだ。

この新聞社の記者が記した米国医療の解説、赤字で示した部分、は明らかにおかしい。もう少し勉強して欲しいものだ。

以下、引用~~~

途上国へ手術ツアー ゆがむ医療 ’08米大統領選/1
07/11/13
記事:毎日新聞社
提供:毎日新聞社

ゆがむ医療:’08米大統領選/1 途上国へ手術ツアー

 米国民の6人に1人は医療保険に加入しておらず、年間1万8000人が治療を受けられずに命を失っている。国民皆保険導入の是非を含む医療制度改革は08年米大統領選の最大のテーマだ。超大国・米国の恥部とも言われるゆがんだ医療現場の実情を追う。

 ◇費用、国内の5%--無保険者「生きるため」

 米ミシガン州デトロイト郊外に住むメルビン・ジェイコブさん(57)は今年4月、腹部に激しい痛みを感じ、地元病院の緊急治療室に搬送された。尿路結石が原因だったが検査の結果、心臓付近に大動脈瘤(りゅう)が見つかり、医師から「年内に取り除かないと命が危ない」と告げられた。

 「治療費を知らされたとき、私は死刑宣告を受けたと思った。約50万ドル(約5700万円)かかると言われたからだ」。住宅の安全性を検査する会社を個人で営むジェイコブさんは健康に自信があったこともあり、医療保険に加入していなかった。一般的な病気をカバーするだけで月1000ドルもの高額な保険料がかかるからだ。

 手術をあきらめかけていた時、テレビで「メディカル・ツアー」の存在を知った。無保険者が医療費の安い発展途上国で治療を受けるケースが増えているというのだ。ジェイコブさんはさっそく、海外での治療をあっせんするボストン市内の会社に連絡をとった。

 インド、メキシコ、タイなどが候補地に挙がり、英語が話せ、ニューヨークの大学で医学を学んだ医師がいると聞いてインドを選んだ。7月13日にニューデリーで受けた手術は無事成功し、10月には仕事に復帰した。

 「バス・トイレ付きの清潔な個室。医師や看護師の説明も的確で安心できた」とジェイコブさん。往復の航空運賃などを含め手術にかかった経費は2万6000ドル(約296万円)。米国で手術を受けた場合の5%だった。

 ニューヨークの専門業者によると、海外で治療を受ける米国人はこの数年で急増し、昨年は約50万人に達した。平均的な治療費は米国の10-20%。現在の市場規模は150億ドルだが、2012年までに500億-1000億ドルに拡大すると見積もられている。

 米国の医療機関は「治療は自宅近くで受けるのがベストだ」と海外治療に批判的だ。法制度の違いから医療過誤などの際に難しい問題が生じると危惧(きぐ)する声も強い。しかし、ジェイコブさんは「具合が悪くなったらまたインドへ行く」と言い、今も米国の保険には加入していない。

 米国の1人当たり医療費支出は年6000ドルを超え、日本や英国の倍以上。世界最高レベルの医療研究機関を有し、高度医療で世界をリードする。しかし、生きるため発展途上国に向かう国民の姿には医療・保険制度のゆがんだ現実が浮き彫りになっている。【デトロイトで小倉孝保】=つづく

 ◇6人に1人が未加入

 米国には「国民皆保険制度」が無く、個人で民間の保険会社や組合・団体が提供する医療保険に加入する必要がある。公的医療保険は連邦政府による高齢者(65歳以上)・障害者対象の「メディケア」と、連邦・州政府の貧困層(年収1万5000ドル程度)向け「メディケイド」などはあるが、これらのカバー範囲は全国民の27%(約8000万人)に過ぎない。

 高額な医療費や保険料を背景に、全国民の16%に当たる約4700万人が医療保険に加入していない。高齢者や貧困層の増大が医療費の高騰を招き、保険会社は保険料を引き上げ、中小企業や低所得者の保険加入を困難にしている--との悪循環が背景にある。

 経済協力開発機構(OECD)の昨年の発表によると、米国の国内総生産(GDP)に占める医療費の割合は日本のほぼ2倍の15・3%。主要国では最も手厚いにもかかわらず、多くの人々が満足な医療を受けられない皮肉な状況にある。

医療機関へのアクセス道路を建設するらしい 

国土交通省が、道路建設に、今後10年間で65兆円必要と言っている。

その内容の第一に、医療機関へのアクセス道路とのこと・・・。

ま、10年後には、医療機関のかなりが存在しなくなっていると思うのだが・・・。

官僚も、ブラックジョークがお好きのようで・・・。

脱力・・・。

イスラエルフィル 70周年記念コンサート 

上記が、昨日、BSで放映されていた。ズビンメータの指揮。ブルッフのバイオリン協奏曲ト短調、ソロは、ピンカスズッカーマン。ラヴェルの管弦楽作品、ル ワルスだったかしらん。それに、ブラームスのピアノ協奏曲1番、ソロは、ダニエルバレンボイム。

指揮、ソロの面々を見て、Remebering Jacqueline duPre というデュプレの伝記記録映像作品を思い出した。そこで、シューベルトの鱒を演奏したのが、彼等に、パールマンとデュプレを加えた五名だったのだ。デュプレ没後、20年になる。

とても幸せそうなデュプレが、その映像記録に残されている。若い時代の各マエストロ達。時の移ろいの早いことを改めて感じる。バレンボイムは、その後、デュプレと別れてしまうのだが、この面々は、恐らく友情を互いに抱いて、これまできたのだろうと思った。

ブラームスのピアノ協奏曲1番。ブラームスが若い時代の作品なのに、渋く重厚な作品だ。内面の激しい葛藤と不安を思わせる1楽章。2楽章は、孤独と憂愁の思いを綴った歌。3楽章になると、エネルギーに満ち溢れるが、最期まで悲哀感を背後に湛えている。

2楽章、あたかも孤独な心中を独白するかのようなピアノソロを受けて、二本のクラリネットが慰めに満ちた歌を歌いだす。DとFisの三度で歌われ始めるこの旋律を聴くと、いつもぐっと来るものがある。こうした大曲のごく一部を取り出してものを言うのもおかしなものだが、学生時代に聴いていた頃から、そうだった。昨夜のイスラエルフィルのクラリネット奏者は、さりげなく柔らかな音で、この歌を歌っていた。

ブラームスのこうした歌は、地上を這い回っているかのような人のこころを救うことはできないが、あたかも、お前だけではないのだよ、私も一緒にいるよと優しく語り掛けてくれるかのように思える。季節も、人生も秋・・・この時期には、よく合う音楽なのかもしれない。

バレンボイムは、堂々とした弾きっぷり。音に濁りがなく、それでいて重厚な響きだ。イスラエルフィルも、アンサンブルが完璧とはいえなかったが、好演だ。英国のプロムスといい、こうしたイスラエルフィルのような国を代表するオケの演奏会といい、聴衆もとても楽しんでいるのが分かる。すばらしいことだ。

Remebering Jacqueline duPre、どこに行ってしまったか、見つけ出してまた観ることにしよう。 

社会保障給付は、高齢化社会で高騰するのか 

今年8月日本医師会で行われた、慶応大学権丈教授の講演「日本の社会保障と医療政策」によると、人口の高齢化の進行に伴う、社会保障給付・医療費給付は、下記のようになる。2025年の推測値は、「医療費の将来見通しに関する検討会」による。

            2006     2025   年

社会保障給付費      90       141
【対GDP比(%)】   24        26

公的医療費        27.5      48
【対GDP比(%)】    7         9

一目瞭然、団塊の世代の高齢化が進む2025年においても、絶対値は増えても、対GDP比率は、それほど変わらないのだ。高齢化が進み、社会保障費が高騰するから、国民負担を大きく増やす、医療給付をさらに減らすという議論は、政策として正しくないことが分かる。また、本来、日本では、国際比較して社会保障への給付が少ないことが分かっている。

それを、分かっていない、または隠した議論・報道がまかり通っている。下記の共同通信の報道もその一つ。官僚の受け売りは、いい加減止めて欲しいものだ。

以下、引用~~~

社会保障給付、87・9兆円 高齢者向け3年連続7割超 05年度、過去最高を更新
07/10/29
記事:共同通信社
提供:共同通信社

 厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所は26日、2005年度の年金や医療、介護など社会保障給付費の総額が過去最高を更新、前年度比1兆9441億円、2・3%増の87兆9150億円に達したと発表した。

 給付費は、医療費や介護費などの自己負担分を除き保険料や税金といった公費で賄われるもので、年金や老人医療、介護など高齢者関係が61兆7079億円と全体の70・2%を占め、3年連続7割を超えた。高齢者人口が増える中、給付費が膨らむことは避けられず、社会保障制度改革の論議で、制度が持続できるための財源論議が避けられない現状を浮き彫りにした。

 一方、児童手当や出産関係費など児童・家族関係は3兆5637億円と、全体の4・1%にとどまった。

国民所得に占める割合は23・9%で、前年度比0・2ポイント増。割合は1992年度以降、14年連続して増えた。

 部門別では年金が52・7%、医療が32・0%、介護や生活保護、障害者福祉などのその他が15・4%と年金がトップ。しかし、伸び率で見ると、医療が3・6%と高く、年金は1・7%、その他は1・5%にとどまっている。

 収入の内訳は保険料46・7%、税25・6%、資産収入16%など。