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 2007年12月 

大晦日 

毎年、正月前後の仕事をどうするか、悩む。患者さんのことを考えると、できるだけ休みは少ない方がよい。勿論、医院の経営を考えても、そうだ。しかし、スタッフのことを思うと、ある程度休みを取らせて上げたいし、私もそろそろ人並みの休みがほしくなってきた。

だが、休みを長く・・・といっても、数日のオーダーであるが、取ると、その前後が猛烈に忙しくなる。その忙しさは、午前中だけで、60、70人以上を診察することになることはざらだ。今年は、その忙しさを避けることを念頭において、仕事のスケジュールを立てた。即ち、あまり休みを取らないスケジュールである。

今日は、午前中だけで55名。それほどでもないが、ノロウイルス感染と思われる嘔吐の子が多く、手間がかかった。午後にも2,3名の飛び込みの相手をし、自宅に帰ってからも、6,7名の電話での対応が必要になった。寝るまでに、また一波乱がありそうである。Bob W9KNIが、会うたびに、小児科医であった彼の父親は年がら年中仕事をしていたと話してくれていたが、私もその域に達し始めたかなと思うようになった。第三次産業に従事される方が多くなり、年末年始など関係なく忙しく仕事をしている方々も多くおられることだろう。私も、その中の一人である。

自宅に帰ってからは、休みの気分になっている。無線をし、チェロを弾き、本を読んで時間を過ごしている。無線では、Lee HL2DCに、3.5メガで呼ばれた。先日、このブログでコメントを下さった方である。彼とは、1960年代からの付き合いで、20年ほどまえ、彼が韓国企業の駐在員で東京におられたころ、家族連れでわざわざ北関東の我が家を訪ねてくれたことがあった。彼は、KMIという会社で仕事を続けているそうだ。片道90Kmの道のりを、高速道路で通勤しているらしい。ここを訪ねてくださった時、小中学生だった二人のお子様は、独立結婚されて自宅を出ておられるらしい。グローバリズムの波をもろにかぶって、仕事はかなり厳しいようだ。会社との3年毎の契約で、業績が上げられないと、契約を延長されぬらしい。仕事についていない人々のことを「白手」と呼ぶらしく、そうした失業者が多いとのこと。無線を始めた頃の夢のリグSラインに30L1を手に入れているが、専ら飾りで、実際は、YAESUのFT1000MPとアンプで出ているらしい。CWは、縦ぶれである。今回の交信は、禁断のモードで行なった。3月には暖かくなるから、是非遊びに来るようにとお誘いを受けた。なかなか休みは取れないが、近いうちに是非訪ねたいものである。誠実そうな人柄の方だ。

今年の音楽面での回顧を記そうと思っていたのだが、回顧するほどのことはやはりなし。オケ活動からも早々にドロップアウトしてしまったし、室内楽をするでもなく、ちょっとしたオフに出かける以外は、仕事場の自室で専ら音階練習と、バッハの無伴奏等を弾き散らかしてきた。楽器の演奏は、聴覚を用いる一種の運動なので、加齢に伴い、進歩はおろか、退歩することが多くなる。もともと実力のない私のようばケースでは、退歩すべき後ろのステップも無い具合である。ま、それでも良いのだ。自分が楽しむこと、自分の弾くパッセージや、和音のなかに、天啓の音楽の片鱗でも経験できれば十分なのである。それにしても、やはり基礎的な練習をもっと積んで、少しでも高みに進めるようにチャレンジしてみよう。来年になったら、また玉砕かもしれないが、既に記した通り、オケに顔をだしてみる積りだ。ベートーベンのエロイカ。重厚な構造、そして潔癖な響き。後期の自由闊達さはまだ見られないが、ベートーベンの一番力が発揮された時期の傑作である。東京在住のバイオリン弾きの方から、弦楽アンサンブルへの誘いも受けているので、それにも参加する積りだ。あまり気負わず、でも情熱を傾けて、音楽に相対して行きたいもの。

医療崩壊の問題も、こころのなかの大きな部分を占め続けてきた。特に、現在進行中の医療事故調の問題は、深刻だ。一旦、官僚の立案するシステムが動き出すと、それ自体が、自己目的化して暴走を始める。それに呼応して、医療は、萎縮せざるを得なくなる。そこに混合診療が入り込めば、満足な医療は、極限られた「持てるもの」だけが享受できるものになってしまう。それではいけないのだ。一介の田舎の小児科医に何が出来るだろう。この問題も、緊急に対応する必要が出てくる。自分に何ができるのだろうか。

さて、もう一度携帯で患者さんからのラブコールを確認して、そろそろ大晦日のdutyもフリーにさせて頂こう。

このブログ、何しろ言いたいことを、言いたい放題記しているので、お目汚しにしかなっていないのではないかと思っているが、私の現在のキャパと、能力では、これしかできない。エントリーする文章も、ほとんど推敲もせずに打ち込んでいる。これからも率直に思うところを記して行きたい。お読みくださり、時にはコメントを下さる諸兄姉には御礼申し上げたい。

では、皆様、健康に恵まれた良い新年をお迎えください。

医療の不確実性 

生命現象は、確率の積み重ねによって生から死へ進む過程だ。それに関わる医療も、確率で生体の現象を理解し、治療行為を行なう。治療行為の効果、副作用の出現は、ともに確率的な現象だ。下記の厚生労働省事務次官の言葉は、その点からすると正しい。

が、素直に、「その通り!」と首肯できない。

まず、官僚が天下り等の利権を得ている製薬会社の権益と、薬の許認可権を持つ官僚の権益を守り続けてきた経緯がある。それを思うと、この事務次官の言葉は、正しいことを述べていても、こころに響かない。

さらに、確率によって成立する医療行為を、結果だけから善悪の価値判断を与え、処罰しようという組織を自らが立ち上げようとしているではないか。自らの薬の許認可によって生じる責任は、棒引きにせよ、一方、医療行為の不確実性を理解せず、医師に医療行為の結果責任を問うというのは、自己矛盾なのではないか。

以下、引用~~~

次官「発生責任」に懸念 (2)
07/12/28
記事:共同通信社
提供:共同通信社

 厚生労働省の江利川毅(えりかわ・たけし)事務次官は27日の定例会見で、薬害肝炎訴訟の被害者救済法案をめぐり、原告側が求めている「国が被害を発生させたことの責任」について「副作用が発生したら直ちにメーカーや国に責任があるということになると、副作用のある医薬品はつくったり、承認したりできなくなってしまう」と述べ、薬事行政への影響に懸念を示した。

 江利川次官は「副作用があっても命を取り留めるとか、この病気にはこの薬しかない、というときがある。それが医薬品の性格で、実態を踏まえた責任論が展開されるよう期待する」と語った。

無線活動の回顧 

この一年の無線活動を振り返ると・・・振り返るほどのことをしていなかったなと思う(爆)。ま、ほとんど毎日、1,2局との交信、それも形式的な交信ではなく、何か意味のある会話を楽しめるような交信をすることを心がけてきた。そうした交信を終えて、スイッチオフするときには、

YOU HV MADE MY DAY

と打電したものだ。残念ながら、そうした交信が、時がたつにつれて減少している。大体において、普通の交信をする局自体が少なくなっている。

英語の勉強を続けなければ、という気持ちが改めて生じてきた。語彙が、ザルから水が落ちるかのように、抜けてゆくことを自覚したし、息子がTOEICで***点を取ったと自慢するのを横目に見て、まだまだ老いさらばえてはいられないと思うようになった。毎晩続ける交信が、この「向学心」の灯が消えるのを多少なりとも防いでくれるのかもしれない。また、英字新聞のarticleを、毎晩少なくとも一つには目を通すこと、さらにできれば、医学論文だけでなく、globalismの問題等を扱った論文・書籍を読むこと・・・いや、取らぬ狸の皮算用は止めておこう。英語を楽しみながら勉強し続けることが一番だ。

セットアップは、現状維持で行く。昨年末に上げた714Xは、それなりに快調に働いてくれている。現用のYAESUのリグは、とても信頼性が高い。願わくば、親会社になる米国モトローラ社が、アマチュア無線市場からの撤退をYAESUに強制しないでほしいものだ。

この秋から冬にかけて、各バンドのCONDXは、太陽黒点数最小期のそれであった。特に、ヨーロッパとのパスが、私にとって鬼門だった。それほど親しい友人がいるわけではないが、英国・フランス・ドイツ・ベルギーそれにスエーデン等の知り合いと会えぬ時間が長くなってしまった。14メガがヨーロッパに長時間開けるようになれば、もう少し会うことができるようになることだろう。北米東海岸へのパスももう一つだった。願わくば、友人達の記憶から、私のコールが消え去っておりませんように。

今夕も、早い時刻から7メガでCQを出していたが、北米に本格的に開き始めたのは、午後4時を回ってからだった。25年間かけてビッグコンテストステーションを立ち上げたという、W5KU。55m高のフルサイズ2エレスタックらしい。凄いね・・・しかし、たまにはラグチューをしてくださいね、と最後に一言申し上げた。サンタクルスのBob K6XXもコンテスト狂の一人。珍しくコールしてくれた。4エレを上げているが、海岸からの風のためにアンテナのメインテナンスが大変だとのこと。日本人の奥様は毎夏帰郷されるが、このところ、一緒に帰らなくて済んでいるので、ラッキ~とのことだった。6、7月の日本の蒸し暑さには閉口したことがあるそうだ。それに、Tim VK3IM。若い友人のMaurie VK3CWBが訪ねて、先程帰ったばかり、とのこと。Maurieはまだ48歳(無線界では、この年齢が若者世代なのである!)だが、よき旧き時代の思い出を共有しているのだと言っていた。昔のように、TimがVermouthのグラスを片手に無線機に向かう時間帯(深夜)にまた会おうと、夕食のためにQRTする時に申し上げた。すると、今夜はChardonayを注いだグラスを既に片手に持っているとのこと。私は、昨夜ビールを一杯やってしまったから、今夜はノーアルコールだと言うと、一杯だけ飲むことを許すと高貴な方のようなお言葉。ローマの休日での、オードリーヘップバーン演じる王女様が、新聞記者氏に語る言葉を思い出し、ニンマリ・・・。てなわけで、また無線を楽しんだ大晦日イブの日暮れ時であった。

また、来年も、健康に留意して、無線の友人達と交流を続けて行きたいものだ・・・少し、ハイテンションになってしまったか(笑。

医療事故調・混合診療・高齢者医療 

医療事故調の在り方が、今年の医療での最大の問題だったのではないだろうか。

東大医科研の上氏が、この問題を歴史的な経緯を含めて紹介している。是非、ご一読されたい。ここ

改めて、この問題の経緯を知ると、官僚の無責任さと、政治家が官僚に依存していることが分かる。

医療事故調が、官僚の立てた枠組みで成立すると、救急医療は成り立たなくなる。死とつばぜり合いの医療、その典型が救急医療だが、を行うと、結果が悪ければ、刑事訴追される。とすると、そのような医療を誰も行わなくなる。結果、国民が必要とする医療を受けられなくなる。

来年から、後期高齢者医療制度が始まる。その経済負担は、選挙対策で先延ばしにされている(何と卑怯なやり方だ・・・それが分かっていても、国民は黙ってしまう・・・)。さらに、病床数は削減され、在宅医療が進められる。病院に入院できぬ高齢者に医療介護を与える役割の家族は、果たしているのだろうか。この側面からも、医療が国民の手に届かないものになりつつある。

混合診療の推進が、経済界を中心に唱えられている。あまりの酷い労働環境、収入に業を煮やした医療人の中からも、混合診療を進めるべきだという声が挙がり始めている。国民皆保険は、すでに反故にされつつある。混合診療になると、医療費は確実に高騰する。その多くは、金融保険資本などに吸い上げられることになる。民間保険に入れず、医療費を支払えなければ、医療は受けられなくなる。ここでも、一番痛手を受けるのは、病に苦しむ社会的な弱者だ。

来年は、どのような年になるのだろうか。正直、武者震いのおきる状況になるのではないか。

ゆらむぼさん、逝く 

私が、チェロを再び弾き始めて10年近くなる。その頃、PC通信のニフティサーブにアクセスするようになった。FCLAという音楽を演奏したり聴くことを趣味とする人々が集うフォーラムが、ニフティの中にあった。そこにたどり着き、恐る恐る発言をしていた。FCLAは、音楽の演奏・リスニングにかなり達者で経験豊かな方が多かったのだ。しょうもない発言に、親切なコメントを下さった方が何人かおられた。

そのような方の一人が、ゆらむぼさんであった。彼は、楽器演奏こそしないものの、リスナーとしては豊かな経験を持っておられた。以来、彼の発言には何時も注目していた。ブラームスへの理解の仕方等教えられたことが多かった。

ニフティのフォーラムが廃止になってから、ネットで彼のサイトを時々覗かせていただいていた。専らROMである。彼は、社会福祉の勉強をされたが、鬱病という病気をかかえ、アルバイトで生活をされていた様子であった。時々、具合が悪くなると、サイトの更新が少なくなるようだった。昨夜、久しぶりに彼のサイトを訪れると、彼の突然の死を告げる、お兄様の言葉が目に飛び込んできた。ここ

11月19日に、くも膜下出血で急激な経過で亡くなられたらしい。遠のく意識の中で、父上に「死んだら、ベートーベンをかけてほしい。」と語ったそうだ。彼の葬儀では、ベートーベンの後期の室内楽や、ピアノソナタの緩徐楽章が流されたようだ。

直接お目にかかったわけでもなく、個人的に知り合いであるわけでもないが、彼が亡くなられたことで、私のこころにずしんとくるものがあった。この10年近く、音楽と密接に過ごしてきた間、彼の評論や発言にいろいろと教えられることが多かったからである。

彼のサイトを少し読み直させていただいて、シュターツカペレドレスデンをクルト ザンデルリンクが振ったブラームスの交響曲、特に4番の演奏を,彼が高く評価しておられたことを知り、たまたま私も同じ感想を持っていたので、嬉しかった。彼の評論は、該博な知識に裏付けられながらも、平明かつ味わい深い。情報のあふれかえる中で、何を聴くべきか、押し付けがましくなく教えてくれる。ブラームスの室内楽が、それを聴く私達の耳元で、そっと「君にだけ話すのだけどね・・・」と語りかけるようだといった意味の言葉を、ニフティのフォーラムで記しておられたことが忘れられない。

一度は、彼のサイトのBBSで御挨拶をしようと思っていたのだが、その機会を失ってしまった。

ゆらむぼさん、さようなら。安らかにお休みください。

規制改革会議の本心 

患者の選択肢拡大、混合診療の新たな枠組みの創設を  規制改革会議
07/12/27
記事:WIC REPORT
提供:厚生政策情報センター

規制改革会議(第11回 12/25)《内閣府》  政府が12月25日に開催した規制改革会議で配布された資料。この日は、規制改革推進のための第2次答申を決定した。 個別テーマの1つである「安心と豊かさの実現(医療分野)」では、混合診療や医師と他の医療従事者の役割分担の見直しについて示されている。混合診療の見直しについては、患者の選択肢をできる限り拡大するとして、未承認の薬物・機械器具を用いた先進的な医療技術に保険診療との併用を認める枠組みの創設が盛り込まれた(P5参照)(P16参照)。 その他、資料では「規制改革の推進のための第2次答申(規制の集中改革プログラム)」(P7-P27参照)や、「規制改革会議第2次答申の主たる成果例」(P28参照)が掲載されている。

。。。。。以上、引用。。。。。。

規制改革会議の方々は、国民のためを思って、混合診療を推進すると言っている。

この会議の元の議長、宮内オリックス会長は、混合診療解禁によって、100兆円の市場が出現すると言っている。

この市場に流入する資金は、どこから出るか。それは、国民の財布から出るのである。国民一人当たり、年に100万円の金が、国民の財布から、新しい混合診療市場に流れ込むのである。これは飽くまで平均であって、先進医療・集中医療が必要な病気になると、何千万円のオーダーで金が必要になる。その上で、医療の選択の自由を享受できるのである・・・大多数の国民はその負担を負えない。その為に、民間保険に加入する。民間保険は、支払いを出来るだけ減らそうとする。そうしないと民間保険は経営が出来ないからだ。結局、民間保険にも、国民の財布から莫大な金が流れることになる。

さて、規制改革会議の本心はどちらだろうか。

ドクターヘリ  

ドクターヘリの設置・運行が進められている。どうも、官製NPO(かの、国松元警察庁長官が長を務めているらしい)が、この運動を全国的に進めているようだ。以前にも記したが、ヘリは、原則日中だけの就航になるはずで、また悪天候だと飛べない。日本のように、離着陸場が整えられていないと、どこでも離着陸するわけには行かない。救急運行するヘリにはかなりリスクも伴う。

一番の問題は、救急医療自体が、人手不足・経営困難などによって、難しい現状にあることだ。そこで、ドクターヘリのために救急医が張り付きになり、さらには、ヘリの事故に遭うとなると、かなり深刻なことになる。

12施設で、既にドクターヘリが運行中のようだが、その結果はどうなのだろうか。外国では、ドクターヘリの採用によって、交通外傷による死亡が減ったとの報告もあるようすだが・・・。一機の運行費用年間2億円かかるというヘリコプターと、救急医を含めスタッフが、有効かつ安全に仕事をし、良い結果を出しているのだろうか。ドクターヘリでなければならないのだろうか。官僚の天下りのためだけということにはなっていないか。

下記、苦笑させられた記事・・・。

以下、引用;

ドクターヘリの無線妨害 トラックの女を書類送検
07/12/12
記事:共同通信社
提供:共同通信社


 栃木県警佐野署は11日、違法に取り付けた無線機を使いトラック仲間同士で交信、ドクターヘリコプターに割り当てられた周波数の電波を発信し、通信を妨害したとして、電波法違反容疑で群馬県館林市のトラック運転手の女(52)を書類送検した。

 調べでは、女は11月7日午後1時ごろ、栃木県佐野市でトラックを運転中に、総務相の免許を受けずに取り付けた無線機を使って仲間の運転手と交信した疑い。女は「ドクターヘリの周波数とは知らなかった」と話しているという。

 県警生活環境課などによると今年8月、長野県佐久市の病院が、医師が乗務するドクターヘリの通信試験をしていたところ、一時的に交信ができなくなった。通報を受けた総務省関東総合通信局が調査、先月7日、佐野市内で同じ周波数の電波を発信している女のトラックを発見し佐野署に告発していた。

規制改革会議、混合診療推進を答申 

また、愚痴になるが、正月のように長い休みがあると忙しい。23、24日の連休も、仕事でほぼ費やされた。昨日は、100名以上の患者さんが来院してこられた。点滴をする必要のあるケースが、4,5人。開業当初は、その忙しさにも平然としていた気がするが、最近は、途中でため息が出てくるようになってしまった。これからの医療は、混合診療が導入され、IT化という新規投資を求められ、医療事故調という官僚支配構造下に置かれる・・・すべてが暗いというわけではないが、きわめてやりにくくなる。医師の自由裁量は更に狭まり、常に訴追を念頭に置いた医療をするようにしなければならなくなる・・・実際、仕事の規模を減らす時期に来ているのかもしれない。

規制改革会議が、「混合診療を進めるように」との答申をまとめたらしい。同会議の議長(日本郵船会長)の言葉が振るっている。「患者さんが少しでも救われるように、そのように答申した。」というのである。この会議の元の議長は、何度も言及している、オリックスの宮内会長だ。宮内さんは、重病になれば、家を売ってでも、医療を受けようとするだろうと発言した人物。その流れを汲む、同会議が、混合診療を進めるように提言したということは、患者さんのことを考えてでは決してない。医療機関を保有し、保険を販売するオリックスのような企業が、国民の病気を出汁に、一儲けすることを考えているのだ。現に、最近、宮内さんが、混合診療全面解禁とすれば、100兆円市場が出現すると言い放ったそうだ。利潤を上げることだけを考えている、このような方々に、医療の根本システムを決めてもらいたくはない。

と言いつつ・・・この答申が、閣議決定され、実現してゆくのだろうなという無力感に襲われる。医療事故調といい、混合診療といい、最終的には、国民が痛みを味合わされるのだ。それが、国民に伝わらない、または国民が痛みを感じるまで動こうとしない。

A Long Week End 

このlong week endは、ウイルス性胃腸炎・インフルエンザそれに喘息の発作の子供達の相手で日中は潰れた。それほど沢山の患者さんが来るわけではないが、拘束される時間は長い。昨日は、ノロウイルス性の胃腸炎と思われるお子さんに点滴をしようとして、点滴のサーフロ針の針の部分を、足の甲に落とし、極僅かに自分の皮膚にさしてしまった。お子さんの親に了承を得て、肝炎ウイルスの検査も追加(当院の持ち出し)。朝、目が十分覚めていない状態で、ジャケットを着たまま、点滴をさすような作業をすることが間違いだ。少し気を引き締めようと改めて思った。

来年から,あるオケに顔を出そうという気持ちがわいてきて、ベートーベンのエロイカ、フォーレのパヴァーヌをさらってみた。エロイカの重厚な構成力に改めて圧倒される。ラズモフスキーに似た印象がある。弾く上では、エロイカの4楽章が鬼門。指が回るか知らん。それに、この調性(変ホ長調)も弦楽器には弾きにくい。パヴァーヌは、美しい。陶然とするほどに美しい。フォーレは、どのような気持ちでこの音楽を作ったのだろう。土曜日の夜、エロイカをヘッドフォンで聞きながら眠り込んでしまい、明るく輝かしい4楽章のコーダでハッと目を覚まされ、その後しばらく眠れず・・・寝るときに聴くべき曲ではない。

無線の方では、7メガを始め各バンドがパッとしない。夕方、CQを出すと、1KHz程度下の方で、Mike ZL1BVBに呼ばれた。数年ぶりのことか。少しチャピっている。まだFT901DM(だったかな)を使っているのか。彼は、20年前に奥様と息子さんを連れて、はるばる我が家に遊びに来られた方である。その頃、10歳代だった息子さんは、英国の大学を出て、ロンドンで仕事を続けている様子。Mike夫妻ともどもリタイアして、のんびり過ごしているらしい。寝る時間だったのか、彼は早々に引っ込もうとするので、しばらく引き留めて、近況を伺った。働き盛りであった彼も既に63歳。時間が経ったものである。彼の家に遊びに来るようにと誘われた。この、2,3年中には少なくとも仕事の規模を縮小する積りだと申し上げた。

引き続き、ブラジルのAlex PR7POに呼ばれる。彼とは、コンスタントに数ヶ月に一度交信している(ただ、この1、2年は少し間遠になっていた)。以前に聞いたことがあったのかもしれないが、胃癌で胃の3/4を摘出したと聞いて驚いた。curativeな手術だった様子。Mikeとの交信を聞いていた様子で、Alexは68歳になったと、尋ねる前に教えてくれた。しばらく聞こえなかったのは、病気が原因だったのかもしれない。また昔のように活発に出てきて欲しいものだ。ブラジルからの信号、この時間帯にはもっと強力であって良いはずなのだが、それほどでもない。南米へのパスの延長にある、ヨーロッパへのロングパスは、やはり開けないのだろうか。コンディションに恵まれると、日の沈む少し前に、全世界に一度にバンドが開けるのだが、今年はまだ、その神秘的な瞬間に出会っていない。

寝る前に、3.5でのLeo氏主宰のネットをちょこっと聴く。今夜は、皆さんの信号がそれなりに入感していた。お邪魔するのも申し訳ないので、そのままスイッチオフ・・・。

さて、エロイカを眠りに落ちる直前まで聞いてから寝ることにしよう。パヴァーヌと、ラシーヌ頌歌の音源も、ここで聴くために欲しいものだ。

山形大学「医療事故調」構想に反対の意思表明 

山形大学医学部と同大学関連病院は、連合して、「医療事故調」構想に明確な反対の意思を表明し、県選出国会議員にその意思をメールで書き送るように呼びかけた。ここ。医療現場からの声として高く評価できる。

来年3月には国会でこの「医療事故調」法案が提出、可決される見通しらしい。

一旦出来上がると、少なくとも5,6年間、場合によっては、それ以上固定化されてしまう。特に、官僚のポジション獲得の意図が絡んでいるので、一旦出来上がると、特殊法人等のように潰すことは至難になる。法案を上程すること自体を阻止する必要がある。日本医師会や医学関連学会は、官僚のプランに乗ってしまうのだろうか。

これは、医療関係者だけの問題ではない。医療を崩壊させる決定的な一打になる。その結果、国民が十分な医療を受けられなくなることを忘れてはならない。

徐京植『プリーモ・レーヴィへの道』 

同名のタイトルのテレビ番組について、以前のエントリーに記した。そこで進行役をしていた、徐京植氏が、その番組の元になる著作を記していることを知り、それを入手し読み終えた。朝日新聞社刊『プリーモ・レーヴィへの道』ISBN4-02-257410-0である。

徐京植氏が、レーヴィの故郷であるトリノを訪れ、彼が絶命した場所まで足を運ぶ。その時々に、レーヴィの生涯を振り返り、その意味を記している。少し鬱屈した、静謐な文体と、時折見せる彼の知的な好奇心に引きつけられる。

レーヴィは、ユダヤ系イタリア人で、トリノ大学で化学を学ぶ。彼の大学時代に、イタリアはファシズムへの道を歩むようになる。大学をようやく卒業したレーヴィは、反ファシズム運動に身を投じる。しかし、すぐにファシストに捕らえられ、ナチスのアウシュビッツ収容所に送られてしまう。そこで死と隣り合わせの生活を経験したが、生き延びて、やがて解放され、生まれ故郷に生還する。そのご、アウシュビッツの証人として文筆活動を活発に続ける。が、1987年、生家で自殺を遂げる。自殺の理由は、理解し難いと徐氏は記している。

しかし、自殺の理由として、可能性のある事柄を幾つか記している。周囲の人々が理解しようとしないこと、ドイツの右傾化を示す歴史家論争、さらにイスラエルの中東戦争における他民族への加害行為といったことなどだ。

レーヴィの死因に関しては、事故説もあるようだ。しかし、いずれにせよ、レーヴィが、アウシュビッツでの死と隣り合わせの生を生き延び、生まれ故郷に戻り文筆活動を活発に行なっていた時に、突然この世を去ったことは、彼が大いなる矛盾・不条理の現実にぶつかり、それを我々への問いかけとして遺して行ったことには変わりないだろう。

生まれ故郷に無事生還し、証言者としての活動をしていたのに、死なざるを得なかったレーヴィに、徐氏は二重の意味で深い共感を覚えているように思えた。

一つは、在日朝鮮人として、迫害と疎外の歴史を負った人間としての立場である。レーヴィの生涯を追いながら、所々で、在日朝鮮人の先達を紹介していることから、徐氏の思いが伝わってくる。

もう一つ、徐氏の二人の兄への思いが、生まれ故郷に生還しつつも死を選ばざるを得なかったレーヴィの生き様への共感に同期しているようだ。彼の二人の兄は、1971年、留学中の故国で、政治犯として捕えられ、20年近く投獄生活を送ることになる。反政府活動の同朋の名を、厳しい取り調べで口にしないように、兄の一人は、自殺を図る。その時に、顔に負った火傷の瘢痕の生々しい、彼の写真を、私も当時見た記憶があった。強い衝撃を覚える写真だった。日本で勉学を続け、研究者・著作家としての道を歩む、徐氏は、二人の兄に大きな負い目を感じていたのではないだろうか。丁度、レーヴィが、証言者として行き詰まりを感じ、ついには自死を遂げるようになったのと同様に・・・。

福島県立大野病院事件 第十一回公判 

上記が今日午前中に、福島地裁で開かれたようだ。まだ詳報が手元に入ってこない。

臨床医にとって、臨床現場から引き離されていること、そして特段の臨床医学の知識も経験もなく、ただただ聞きかじった知識だけで、自分を陥れようとする検事と、自ら行なった適正な診療行為に関して、相対することを要求され続けること・・・加藤先生にとって如何ばかりの重圧の日々であることだろう。

今日、また僅かな寄付を、加藤先生を支える会に行なった。希望をもって、戦い続けていただきたいものとの思いを込めて。

加藤先生を支える会のサイト;

http://www.f-medical.com/faog/oshirase/katodoc.html

The Season's Greetings 

I have been sending the greeting mail with a card to each of my old friends, mostly ham friends, in foreign countries in this season of a year. I would llike to let you reading this web log share it this year. Best season's greetings to you all.

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Dear friend,

2007 is going over very soon. The cold wind is coming down here over the harvested rice paddies from the northern mountain area. It might bring some snowfall later in the winter. I hope this letter will find all of you in good health and in the pleasant holiday season with your family and folks there.

I have still been pretty active on the radio. The bottom of the condition has not been so helpful to me, especially when trying to work Eu. The radio has, however, given me much pleasure as it used to be. I have been sticking to 40m late at night before going to bed. Sometimes, it disappoints me but, on the other occasions, it enables me chat with my old friends. I am still keeping my ears wide open to all of you there.

My primary concern has still been of the medical service crisis in Japan this year. It makes me feel pessimistic for the future in the medical system as well as on my career as a pediatrician. The government and the society, including the mass media, the lawyer and the people themselves are indifferent or, in some cases, are even aggressive to the medical people, especially to us medical doctors. There have been a number of events or lawsuits against the medical system or particular medical doctors. It is difficult, from the standards of clinical medicine, to understand why they were brought into the mass media or the courts. They often seem irrational to me. I still believe in the basic idea that medical services are based on the spirit of a good Samaritans. They seem not to share that belief with us. A lot of arguments and blames against the medical system and workers are full in the society. I wonder if this trend will cause a collapse of the medical system in the near future, which we have been proud of for years. What will resolve this question? What should I do to reach the solution? I would like to go on my work thinking on this issue in the coming year.

The above mentioned problem makes me consider of my earlier retirement than thought before. Maybe, when I will be free from duties for children in a couple of years, I would slow down my pace at work. Another subject next year is to prepare for that.

My family, that is, my wife, three children and old mother plus a dog and three! cats, all are doing well. I am happy to let you know this. Our children seem to be finally on their own ways. My wife is still so busy at work. But she is often trying to get back to her old home where her old parents are waiting for her and our visit. With the help of my brother and sister as well as their families, we can care for our mother, who will turn to 94 years in a couple of days. She has been spending peaceful days.

So take care, old pal. I hope to talk to you on the radio again soon. I wish you all the best for the holiday season as well as the coming new year.

Your friend,
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医師にとって、訴訟に巻き込まれることとは・・・ 

かって、近しい医師が、医療に関わる損害請求民事裁判の被告になったことがある。訴えてきた患者さんの言い分は、病気が良くならない、転院を希望していたが、それを叶えてもらえなかったというものだった。その主治医だった方に聞くと、かなり難しい症例であり、できるだけの手を打った、経過中に何度かより専門医療の受けられる施設に紹介することを申し出た、しかし、彼は転院を断り続けた、ということであった。詳細を聞くと、この医師の言い分が正しいことが分かる。大体において、訴訟に持ち込むほどに医師への不信があるのであれば、自ら、転院すればよいことである。

結局、裁判が開かれる前に、この原告の患者さんは、訴訟を取り下げて一件落着となった。それが、どちらの言い分が正当なものであったのかを物語っている。

しかし、この簡単そうに思える訴訟経過であっても、医師への負担は、並大抵のことではなかったようだ。損害保険会社・医師会との折衝、説明、膨大な書類作り、さらに弁護士への詳細な説明等々・・・。それに費やした時間は膨大なものであったようだ。さらに、もっと大きな医師の受ける衝撃は、一生懸命医療を施した患者さんに、このような形で攻撃されたことそのものだったのではあるまいか。

同じ臨床医として、そうした精神的な衝撃が、医師としての士気を確実に落とすことを想像するに難くない。このような状況に立たされた臨床医は、孤立無縁となり、肉体的にも精神的にも追いやられるのだ。勿論、民事訴訟に値するような医療過誤があることも知っているが、近年の患者さんの権利意識の高まりと、マスコミ・法曹のステレオタイプな医師に責任を負わせる風潮は、臨床医学的にみてどう考えても理解しがたい訴訟を多く生んでいるように思える。

そうした状況が、結局は、医師の士気を落とし、医療現場から医師を離れさせる、または萎縮医療をもたらすことになることを、国民とマスコミ・法曹の人々は何時になったら気づくのだろうか。





Playing chess on CW? 

Last night, 40m was so quiet as if it were dead to anywhere. The only stations I could hear were a couple of Indonesians. There was still the chinese nasty radar running, which sounded less distorted and occupied only 20KHz or less. Interestingly, it was transmitting in intermittent basis as if the operator was checking the effect on the radio amateurs around it. An unpleasant finding was the noise blanker of my gear FT1KMPMkV had not turned out to be very effective for such pulsed singal while the usual distorted one is easily killed. I was a little bit sorry there had been much less numbers of ragchers on CW lately. I thought it was another evening of disappointment then.

I remembered there used to be some ragchers on the higher portion of the bands.They used to chat in couple or on round tables. Oh, yes, it was such a night in winter years ago as last night when I had happened to meet an old "elmer" Ralph Multon WB6BFR in San Mateo after a long absense. I have already written about him in the column of Unforegettable Brasspounders in the A1C web site. I was taught and trained for ragchewing on CW by him in my teenage days.

Anyway, I tune up to the higher portion. There were still old fashioned ragchwers alive. On 7050KHz, Lee N5IQQ was talking to Ralph W5TZR. I have read their mailsfor a while. The condition seemed pretty rough for them. Lee has given such a report as 319 to Ralph. Ralph answered him he had got up at 3AM and it was a short night for him. With this lousy band condition, they sounded not to be able to understand each other very well. They have even doubled transmission at the same time, when I could not help telling them about it without identifying myself. I took much interest in a sentense Lee sent to him. Lee has repeated " Do you have chess moved?" if I copied it right. Moving chess?, hum...

I called Lee when he had finished QSO with Ralph. I asked him if he has played chess on the air Unfortunately, he couldn't get my inquiry due to QSB as he said. An idea of playing chess on the radio, especially on this mode, was a pleasant surprise. Isn't it an ultimate slow life hobby?

I felt happy to have found those old timers enjoying ragchewing in their style on the higher portion of 40m. It surely reminded me of old '60s. I will turn the dial to those frequencies from time to time.

PS; In this blog, it is impossible to begin new line properly in English. Sorry for that.

「私のしごと館」廃館 

雇用能力開発機構の作った、壮大な箱物、「私のしごと館」が、廃止されるそうだ。

総工費581億円。毎年の維持費20億円の赤字。建設後、たった4年間で廃止になる。

こうしたメチャクチャな行政の責任は、誰もとらないのだろうか。政治家・官僚、誰も責任を問われないのだろうか。この特殊法人の幹部は、莫大な退職金を得、のうのうと退職後の生活を満喫しているのだろうか。

ここで結果責任を問わずに、どのような社会正義があるのか。



診療関連死死因究明制度の創設に関して学会の反応 

診療関連死死因究明制度の創設に関して、内科学会・外科学会が、意見書を公表した。

ここ

基本的に、厚生労働省の第二次素案を受け入れ、それを理解するように、会員医師に求める内容になっている。

医師側からの希望表明に似た内容であるが、厚生労働省の素案には、この意見を取り入れる、または尊重するという保障は何もない。診療関連死の定義の問題、委員会組織に患者側から参加すること、刑事訴訟・民事訴訟に検討資料が用いられること等々根本的な問題は解決していない。

さらに、既にこのブログでも記したことだが、この制度が実際に運用されると、厚生労働省管轄の組織が、調査し、処分するという絶対的な権限を持つことになり、他の医療行政と関連付けられ、恣意的な運用をされる可能性がある。また、この制度に基づく組織の現場を担う人材、それを支える財源の手当てがない。診療関連死を広義に捉え、報告事例が増えると、この組織は、すぐに飽和し機能しなくなることは見えている。

厚生労働省案が、不備だらけなのに、何故医学学会がその実現を急ぐのか不思議なことだ。

この素案が法制化されると、救急医療・重篤疾患を扱う医療を壊滅的に破壊する。1,2年で元に戻すなどと言うことはできない。結局は、患者さんが十分な医療を受けられなくなる、ということなのだ。それを強調してもしすぎることはない。

My first experience..... 

I have been to Tokyo today, where I joined an off line meeting of ensemble as I wrote before. It was a hectic drive. In Tokyo, a littlebit away from the downtown, it was quite difficult to find a parking lot. I had to walk even one km or two, from a parking lot to the ensemble place, bringing my cello in a heavy hard case. In a couple of hours after starting ensemble, I felt a little bit dizzy. Oh, where have my good old dayes gone, when I could play cello all day long?

Anyway, it was a nice meeting, seeing new and old friends and playing the famous Brandenburg concerto Nr3 by J.S.Bach. It is full of joy and energy of music. Divided parts of strings sound like a melting pot. Jumping rhthm and various colors of tonalities. The structure sounds like a gothic architecture. The base part cello and contrabass take is quite meaningful in it. It is a music worth of challenging for an amature cellist.

The other day, I ran across with Tom, K7GMF, an old friend of mine, on 40m. He told me he had visited his old folks and friends in the east coast recently. He has enjoyed surfing the net at one of his fried's home, which he does't do at his home at all. He continued to mention he had found my writing in some BBS. Of course, it was in japanese. He tried to translate it to English witha translating software However, it was of no use. He was sorry he could not read it, as he said.

It has driven me to write the entry in English, even if it is full of mistakes in spells or in grammer etc. Who cares! The idea or the thought I would like to express is much more important. I hope to write about the crisis of medical service in Japan, which occupies most of my mind at present very soon.

But, when reading this later, I could feel so ashamed at it that I would not be able to resist deleting this entry. Who knows?

医療警察は御免だ! 

厚生労働省の提案する医療事故調査機関は、一種の医療警察となり、チェックの効かない組織になる危険性を、ある方がm3BBSで指摘されていた。私も、強く同意する。

提案されている、この機関の設立過程に関する、私の危惧は;

調査し、処分する機関が、同じ行政機関となること、それが厚生労働省という医療行政全般をつかさどる行政機関の下におかれること。チェック、バランスの効かない組織になる可能性が大。

これまでの厚生労働省の行政自体に信頼が置けない。朝令暮改も甚だしい。様々な医療行政、特に医療費削減にからめて、この医療事故調査機関の運営が行われる可能性が高い。

来年中に何としても、この医療事故調査機関を立ち上げるという厚生労働省の強い意向は、社保庁の余剰人員を回し、ポストを確保するためと言われている。このように重大な組織の立ち上げを、官僚のポスト確保のために行うのは言語道断。

医療事故調査機関には、臨床・病理等の多数のマンパワーが必要となる。その財政上・人員上の準備をせずに、なし崩しに発足させるのは、失敗に繋がる。その失敗は、医療の最終的な崩壊をもたらす。

以上より、厚生労働省の案には絶対反対である。同省から独立した、医師組織が自律して運用する組織に医療事故調査はまかせるべきだ。そのための、財政的支援を国は行うべきである。すべての医師、各学会等は、この拙速の行政主導の組織立ち上げに、もっと危機意識を持つべきだ。

以下、引用~~~

経緯
1) 厚労省は行政処分権限を強化したい
2) 行政処分は医道審議会に諮問されるが、厚生労働省に調査機関がないため、その決定が遅く、司法処分の後追い、あるいは新聞・テレビ報道に追随していると非難されてきた
3) 平成18年の医師法改正(医師法7条)で、厚労省は立ち入り調査権限は確保した。この時、現場は問題の重要さを理解せず、大きな反発はなかった。現在、厚労省は医療現場へ の調査権限は有するも、その手足がない状況である。
4) 医療事故調が厚労省二次試案の形式でできれば、厚労省の立ち入り調査機関として機能する公算が強い。

問題点
1) 医療事故調の目的、果たしうる機能について、医療従事者・患者に説明せず、多くの人々が過大な期待を寄せていること。
2) 厚労省に調査権限とその実施機関、および処分権限が付与され、チェックがかからない権限をもってしまうこと

小児の鼻・副鼻腔疾患 

小児外来を続けていて、小児の鼻・副鼻腔疾患が、増えている印象がある。幼児から年長児では、典型的なアレルギー性鼻炎、乳児にも、アレルギーを証明できないことがあるが、同様の症状・鼻腔所見を見出すことが多い。驚くべきことに、新生児期にも頑固な鼻閉が見られることがあり、鼻粘膜所見は、慢性の鼻炎だ。

元気なのに、鼻水や鼻詰まりが続く、中耳炎を繰り返す、口呼吸をしている、といった場合は要注意である。喘息のある場合も、鼻の様子はよく観察する必要がある。鼻水が喉に回る場合、副鼻腔炎があると考えられる。

鼻腔は、咽頭とともに、気道感染を起こす一番の部位であり、アレルゲンを含めて外来異物が多く接触する場所でもある。小児の場合、小児科医には鼻腔をあまり診て貰えないことが多く、耳鼻科医にかかると、鼻腔を診てもらえても、その場で吸引し、内服薬を投与される程度で終わってしまうことが多いようだ。所謂、「風邪」として処理されている疾患のなかに、主にアレルギーが原因の鼻・副鼻腔疾患が隠れていることがかなりあることには注意が必要だ。

以下、引用~~~

鼻の疾患が過去最高の割合 小学生12%、文科省調査 アレルギー情報広まりも
07/12/14
記事:共同通信社
提供:共同通信社

 花粉症などのアレルギー性鼻炎や蓄膿(ちくのう)症といった「鼻・副鼻腔(びくう)疾患」にかかっている小学生の割合は12・0%で、中高校生や幼稚園児とともに過去最高の割合となったことが13日、文部科学省が実施した本年度の学校保健統計調査速報で分かった。

 文科省は「アレルギー情報が一般的になり、これまで風邪と思っていたものがアレルギーと分かったケースもあると考えられ、実際にどこまで増えたのか把握しにくい」としている。

 調査では、ほかの鼻・副鼻腔疾患割合は中学生11・1%、高校生8・4%、幼稚園児3・7%で、小学生も含め前年度比の0・1―0・4ポイント増。

 ぜんそくの小学生は3・9%、中学生3・1%、高校生1・8%で、いずれも前年度比0・1―0・2ポイント増えて過去最高。幼稚園児は0・2ポイント減の2・2%だった。

 成長期の体格を親の世代と比べると、今の高3男子が最も身長が伸びたり、体重が増えてたりしたのは小6の時なのに対し、30年前の高3男子は中1の時だった。

 同様に、今の高3女子の場合は小4から小5にかけてだが、30年前の高3女子は小5から小6の時となっており、成長期が男女とも1年ほど早まっている傾向が出た。

 身長と体重自体は前年と横ばい。30年前の1977年度と比べて最も差があるのは中1男子で、身長は3.4センチ高い152.5センチ、体重は4.2キロ重い44.5キロ。女子は小5で身長が2.6センチ高い140.3センチ、体重が2.3キロ重い34.3キロだった。

 健康調査は全国の小中高校、幼稚園の健康診断結果から抽出した約332万人、発育調査は約69万5000人のデータを基にした。

裁判官も過労死寸前 

裁判官の数が、先進国に比べて圧倒的に少ない、証拠開示を事前に行う制度が出来ていない、裁判官と検察官の人的交流があることから、裁判は検察に有利になる等、日本の裁判官・裁判制度の問題点を指摘する文章があった。ここ

司法修習生を大増産し始めたのだから、最高裁の行政担当者は、裁判官の増員を是非図ってもらいたい。

日本という国では、医療行政であれ、法曹行政であれ、頑張れ頑張れで何事も出来るという陳腐な精神主義、それに事実を事実として認めぬ御都合主義が横行しているようだ。

桜井充参議院議員 

規制改革会議のメンバーを国会に参考人招致すべきだと発言した、参議院議員がいた。桜井充議員である。

混合診療を通して、医療で利潤を得ることを目論んでいる、規制改革会議の面々の問題や、現在も続けられるアフガン空爆による市民の被害の問題、遺棄化学兵器の処理ビジネスにからんだ闇など、関心を持つべき話題が、彼のブログで展開されている。

先日送られてきた同窓会報を見て驚いたのだが、彼は、私の後輩にあたる。同窓会関連の集まりで彼が挨拶した文章が載っていた。それによると、彼は大学時代にあまり授業にも出ないで、解剖実習は、現在同窓会長をしている、当時の解剖学の教授に代わりにやってもらって通してもらった、というエピソードを披露していた。恐らく、謙遜もあるのだろうが、親近感を感じる後輩ではある。

同窓生であることを知ったのは、彼の国会での活動振りを知った後だった。同窓生として持ち上げる積りは毛頭ない。が、彼の主張に耳を傾けていただけたらと思う。

オフ会、ブランデンブルグ協奏曲3番 

楽器を演奏する連中が、ネットで知り合い、実際に集って演奏する催し、オフ会が、今週末、東京であり、久しぶりに出かけることにした。結構、初心者クラスの方が多く、一回だけの集まりなので、音楽的に結果を出すというよりも、アンサンブルを楽しむことがメインとなる。数年前まで、何度も足を運んだオフ会、メンバーはどのようになっていることだろう。

曲目はバッハのブランデンブルグ協奏曲3番。エネルギーと愉悦が溢れた曲。16分音符二つと8分音符が一つからなる動機が、全体を通して、跳ね回るように響き合っている。この曲を弾くのは、学生時代以来。新入生歓迎のクラブ紹介で弾いたような気がする。弾むように、楽しく弾きたいものだ。

救急搬送受け入れの安請負 

ここで問題にされたケースは、消化管出血の大変難しい症例だったようだ。受け入れ「拒否」ではなく、受け入れが不可能であったというのが正確な表現。

行政は、何が何でも三次救急医療機関に搬送してしまえ、と無茶なことを言う。何故「受け入れられなかったのか」を問題にしないのだろう。二度と起きないようにしたい、と知事が言うのは勝手だが、途中で仕事を放り出した前首相が、年金データの刷り合わせを1年間で終えると空約束したのと同じように、無責任極まる発言だ。

行政担当者・知事は、先ずは、現場に足を運んで、何故受け入れられなかったのかを知る努力をすべきだ。恐らく、地方自治体では対応しきれない問題があることだろうが、それはそれで、率直に公表すべきである。危機を覆い隠すのは、危機自体をさらに大きくする。福島県の救急問題といい、兵庫県のこの問題といい、結局、救急の現場にだけさらなる負担を押し付けて幕引きしてはならない



以下、引用~~~


「二度と起きぬよう」兵庫県知事が救急医療体制見直し 姫路の救急搬送拒否死亡
07/12/11
記事:毎日新聞社
提供:毎日新聞社


姫路の救急搬送拒否死亡:「二度と起きぬよう」 知事が救急医療体制見直し /兵庫


 姫路市で急病の男性(66)が病院での受け入れを断られ続けた後に死亡した問題で、記者会見した井戸敏三知事は「二度と起きないようにしたい」として救急医療体制を見直す方針を明らかにした。

 県医務課によると、見直しでは、通常の搬送先の「2次救急医療機関」が30分以上見つからなかった場合、1分間の呼吸回数が10回以下などの患者を「プレショック状態」と救急救命士が判断。県災害医療センター(神戸市)などの「3次救命救急センター」や特定機能病院の神戸大付属病院(同市)に搬送できるようにした。

 プレショック状態以外の患者でも、2次救急医療機関が見つからずに30分経過した際には、搬送中の救急車に加え、消防本部も受け入れ可能な病院を探すこととした。

 県は連携を確認するため、医療機関と消防、医師会でつくるメディカルコントロール協議会を県内5カ所で開く予定。中播磨・西播磨地区は今月中に開催する。【四谷寛】


処方の間違いを起さぬために 

下記の事故により、命を落とされた方には、大変お気の毒なことだと思う。

この医師は、その不注意を批判されても仕方がない。

ただ、この事件を医師個人の責任追及だけで終わらせてよいのだろうか。

処方の間違いは、どのような医師でも、確率的に必ず起こす。残念ながら、100%間違えない、ということはあり得ない。

そような間違いを、如何にして減らすか、システム上の工夫をするのだ。端的に言えば、複数の人間による、処方内容のチェック体制である。それが可能かどうか分からないが、オンラインでのオーダーシステムになっているのであれば、極量を越える投与量を自動的にはじき出すプログラムの援用などもありえるだろう。そうしたチェックシステムは、これだけの医療機関であれば、必ずあるはずだ。それが、どうして機能しなかったのか、またその機能しなかった背景に何があるのか、是非検討してもらいたい。

さらに、この主治医が、どのような勤務体制で仕事をしていたのか、この事故を起こす前後で実際にどれだけの仕事をし、拘束を受けていたのかも是非調べてほしい。某BBSでの情報では、この病院での医師、特に外科系医師の勤務は、極めて過酷な状況にあったという。睡眠不足の状態では、集中力は落ち、ケアレスミステークがおき易くなる。

医師個人の過失追及だけに終わらせては、同じような事故の再発防止には決してつながらない。報道関係者も、是非こうした視点から、報道してもらいたいものだ。


以下、引用~~~



業過致死容疑で医師を書類送検 松阪中央病院の抗がん剤過剰投与
07/12/11
記事:毎日新聞社
提供:毎日新聞社


松阪中央病院の抗がん剤過剰投与:業過致死容疑で医師を書類送検 /三重


 松阪市の松阪中央総合病院に入院していた男性患者が今年2月、抗がん剤を過剰に投与された後に死亡した問題で、松阪署は10日、当時同病院に勤務していた男性主治医(33)=京都市=を業務上過失致死容疑で津地検松阪支部に書類送検した。

 調べによると、主治医は今年2月、消化器系のがんの治療のため入院した当時60歳代の患者に、通常の4倍の抗がん剤を投与するよう誤ってカルテに記載。5日間にわたって記載通りに投与された患者を呼吸不全で死亡させた疑い。主治医は容疑を認めているという。【岡大介】

小泉構造改革が、国家財政赤字の1/3を作り出した 

この5年間で、医療社会保障に要する国家財政支出から、その自然増を含めて、1.1兆円減額することが、骨太の方針とやらに載っている。

今年の減額分2200億円を、どのようにするか、財務省と厚生労働省は、悪戦苦闘している。現実から遊離した数字を持ち出して、医療費を削減することを目論んでいる。その痛みは、結局、国民が負わされることになる。

何故、こうして医療社会保障費の歳出を削減するのか。国家財政が、巨額の赤字をかかえ、高齢化社会に対応できないためだという。

しかし、国家財政を建て直すとして、国民に痛みを強いた、小泉元首相の構造改革下で、現在の国家財政赤字の実に1/3が積み上げられたのだ。米国の内需拡大要求に応じて、公共事業を行い、この巨額の赤字が生まれた。

そうして出来た赤字を、今になって、医療社会保障の切捨てによって埋めようとしている。これはおかしいではないか。

この記事に是非目を通してみて頂きたい。健康であると、この政府のメチャクチャな施策は痛みとしては感じないが、いざ医療・社会保障を必要とする立場にたつと、大きな痛みとなって、我々に襲い掛かる。


落葉する枯葉のように 

昨日も、平和な日曜日だった。

一日中、片付けをしたり、庭掃除、それに落ち葉焚きをしたり。

この焚き火で、焼き芋をつくり、母の三時のおやつに出すと、「おお、ご馳走だね~~」と言って喜んでくれた。つい、数年前まで、父がこうした庭仕事をしていたのだ。時は巡る。

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欅や、銀杏はほぼ落葉が終り、クヌギや、コナラが紅葉の絶頂にある。

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やがて現役の私も年老い、この世界から去るときが来る。言い古されたことだが、落葉することによって、土を豊穣にする枯葉のように、次の世代のために何かを残せれば良いのだが・・・何を残せるのだろう。

武満徹作曲・谷川俊太郎作詞の「死んだ男の残したものは」という歌がある。ベトナム反戦運動が盛んなころに歌われていた傑作だ。

あの歌詞が、反戦の訴えだけでなく、人生に別れを告げる者の独白のようにも思える。恐らくは、何も残すことはできない、無様な生き様だけを残すことになるのか・・・。

John W5AB  

先週末、夜9時頃だったか、John W5ABに呼ばれた。実のところ、驚いた。彼は、すでに91歳。この2,3年間全く信号を聴くことがなかったので、もしかするとQRTしたのか、と思っていたからだ。

彼のことをどこかでいつか記したと思うのだが(あぁ、こんなことを記すようになるとは・・・)、どこでだか記憶がない・・・。ま、私的なブログでもあるし、繰り返しも御愛嬌だろう。

彼と最初に会ったのは、1960年代のことだった。彼が、WA5OLGというコールで、7メガに盛んに出ていた頃だ。彼が、フェーズドアレーバーチカルを用いていたので、それに関心を抱いた私が質問をすると、丁寧な便りを下さり、そのシステムについて、説明してくださった。その手紙は今でもしまってある。

長い空白を置いて、彼と再会したのは1980年代初頭、私がカムバックした頃だった。彼は、9Vからオンエアーしていた。クッシュクラフトのバーチカルで強力な信号を送り込んでいた。東南アジアのガス田か何か資源開発の仕事をなさっていたのだったと思う。

ついで、またお目にかかるようになったのは1990年代後半のことだったような気がする。W5ABという新しいコールを得て、ショートループを自作され出ておられた。14メガのCONDXの良いときにはゆっくり話しができたが、7メガではいつも苦しかった。関節炎にかかられたこと(入浴剤を送って差し上げたら、とても喜んでおられたっけ・・・)、お子さんのこと(確か、60歳代で結婚し御子様を授かったのだったと思う)等、そして勿論旧きよき時代の話をしたものだった。

そして、2,3年ぶりに再会したのが、先週末ということになる。ACHES AND PAINがあるが、91歳になったので、それが人生だと思っていると二度繰り返し言っておられた。WA5OLG時代によくお目にかかったこと、フェーズドアレーについて教えていただいたこと等をお話しすると、よく記憶されていた。お嬢様が、シアトル近郊にお住まいで、金融関係で仕事に成功を収めていると嬉しそうだった。信号が結構強く安定しているので、まだループを使っているのかと尋ねたら、GAPバーチカルに変えたとのことだった。

彼の友人であり、私も存じ上げているRuss VK4XAから彼のもとに最近手紙があったらしい。Russも再び無線を始めた、それで彼と交信すべく少し早起きするようにしようと思っている、私とも会えるかもしれないし、ね、と言ってくださった。Russも、90歳を越えるOTだ。VKとテキサスそれに北関東のラウンドテーブルが開かれることも、近々あるかもしれない。

90歳を越えて、彼のように、しっかりしたキーイングで会話を楽しむ方がいる、それだけで我々への大きなエールではないか、と思ったことだった。

電子投票法案 

電子投票法案提出を、政府は閣議決定したそうだ。

http://japan.internet.com/public/news/20011109/8.html

米国カリフォルニア州では、電子投票のセキュリティ上の問題から、紙によるバックアップをする法案が提出されている。

ボタンを一つ押せば、投票終了、集計も自動処理・・・良いことばかりのように思えるが、セキュリティの問題、意図的な投票結果の改竄の可能性、後で投票をチェックし直せないという問題・・・問題てんこ盛りのように思える。最悪のシナリオは、権力を握る政権党が、選挙結果を自らに有利に改竄することだ。政権党が、こうした選挙システムを、直接・間接に管理するであろうから、問題は大きい。

さらに、ネットで検索してみると、自民党の国会議員の中からも、この法案上程の背後に、何やら利権を求めて蠢く人物の存在を示唆する発言をする方がいる。

選挙システムという、民主主義の根本にかかわる問題であるから、憲法問題と同じく、国民レベルでの慎重な議論を待てないのだろうか。何か急ぐ理由があるのか。政権党政治家諸氏は、ことの重大さに気付いていないように思える。

司法と医療 言語論理体系の齟齬 

上記の表題の論文が、MRICメールマガジンによって送られてきた。少々難解な部分があるかもしれないが、非医療関係者の方に是非読んでいただきたく、転載させて頂く。

医療と法曹の間に、どのような問題横たわっているのか、どのように解決すべきなのかを、深い洞察力で論じた文章だと思う。

ここで記されていることが、受け入れられなければ、医療関係者・非医療関係者の思いとは裏腹に、医療は崩壊することになる。

以下、引用

著者;小松秀樹
   虎ノ門病院 泌尿器科部長

はじめに】

 「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」が07年4月に発足した。いわゆる「医療事故調」設立のための検討会である。検討会では、議論のキーワード、例えば「医療関連死」、が立場によって別のイメージで並行的に使われるような状況で、駆け足の議論が行われ、一定の方向性を見出せないまま、第一段階の議論を終了した1。筆者自身、07年5月11日、第2回検討会で意見を述べる機会を得た。近未来での実現性の有無はあえて考慮せずに、できるだけ議論内容を広く、かつ、根源的にすることを心がけた。現在の医療危機の最大の原因が、考え方の齟齬にあり、徹底した議論の過程がなければ、制度を作っても解決にならないと思ったからである。

 議論の方向性は大きく二つに分かれる。検討会座長の刑法学者前田雅英氏と筆者は、07年8月14日の読売新聞朝刊の紙上で医療事故調の役割について議論したが、新聞社がつけたそれぞれの主張に対する見出し、「法的責任追及に活用」と「紛争解決で『医療』守る」が、方向性の違いを如実に示す。本稿では、医療事故調をめぐる二つの方向性について、原理的な考察をする。


【1 背景】

 医療とは本来どのようなものかについて、患者と医師の間に大きな認識のずれがある。患者は、現代医学は万能であり、医療行為が適切であれば、病気はたちどころに発見され、治癒するものと思いがちである。医療では有害なことは起こり得ず、医師や看護師は、労働条件がいかに過酷であろうと、誤ってはならない、過誤は費用(人員配置)やシステムの問題ではなく、善悪の問題だと思っている。

 これに対し、医師は医療に限界があるだけでなく、危険であると思っている。適切な医療が実施されても、結果として患者に傷害をもたらすことが少なくない。統計学は同じ医療を行っても、結果は単一にならず分散することを示す。手術など多くの医療行為は身体に対する侵襲(ダメージ)を伴う。死は不可避であり予測できない。

 一方で日本では世界に類をみない医療費抑制政策がとられてきており、2004年には医療費の対GDP比は先進7カ国で最低になった。とりわけ入院診療には費用がかけられていない。これを、医療提供者、とくに、勤務医の法令無視の苛酷な労働で補ってきた。しかし、医療への攻撃が強まる中、医師は、患者の無理な要求を支持するマスコミ、警察、司法から不当に攻撃されていると感じるようになり、士気を失い病院から離れはじめた。このため、医療が産科や救急など脆弱な部分から崩壊し始めた。

 過去には医療が無謬であるという前提があった。このため、医療過誤に対応するための制度が医療に組み込まれておらず、その結果、医療側の対応が歪み、「隠蔽し謝らない」と非難されるような状況が続いてきた。

 また、民事裁判では患者側に立証責任があること、勝訴しないと訴訟費用がでないことから、患者側にとって裁判に持ち込むことが難しかった。さらに、裁判を行うには、膨大な時間とエネルギーを要する。このため、多くの医療過誤で公平な賠償、補償がなされてこなかった。その結果、医療への不満が社会に蓄積され、現在の医療への攻撃の遠因になっている。

 一方で、司法は科学を苦手とする。医学を含めて科学的知識生産者は、常に方法を意識する。科学的真理は、対象と方法によって条件付けられた仮説的真理である。仮説的真理の表現型と限界は、方法に大きく依存する。司法は、科学的知識生産者の持つ、方法と不可分の仮説的真理という醒めたイメージを共有できないため、判断が、倫理規範を振りかざしたメディアの感情論に引きずられやすい。必然的に、法廷での判断には大きな振れ幅が生じる。こうした司法判断の方法と精度が、医師の士気を削ぎ、医療の崩壊を助長している。

 患者側、医療提供者の双方を納得させ、社会制度への信頼感を取り戻すことが医療の崩壊を食い止めるために必要である。


【2 言語論理体系の齟齬】

●演繹と帰納

 司法と医療という社会の基盤となるシステムの間に大きな齟齬が生じている。司法や医療は、その内部と外部を峻別しつつ発展し、それぞれ、独自の巨大なシステムを形成している。社会システムの作動は常に内向きである。司法は医療を扱う場合にも、医療の言語をそのままでは使用しない。内部化のための手続き、すなわち、医療の事象を司法の言語論理体系に組み直す作業を必要とする。両者の齟齬を扱うためには、大きな時間の流れの中で、両者の言語論理体系の成り立ちを俯瞰する必要がある。

 司法の持つ言語論理体系の特徴とはいかなるものか。例えば、日本の刑法はドイツ観念論の系譜にあり、理念からの演繹という論理構成をとる。福島県立大野病院事件では、多くの医師の団体が警察・検察に抗議した。その理由は、医療における因果関係の判定方法、正しいとされる医療行為の分布のありよう、労働環境の医療従事者への影響などを十分に認識することなく、「違法性」(死亡結果を惹起したこと)と「責任」(死亡結果を予見すべきで避けるべきだったこと)があれば処罰できるという、あまりに狭小な論理に基づいて医療における犯罪を認定しようとしたところにある。医療現場は刑法の理念をそのまま適用できるほど単純ではない。筆者は「刑法を落ち着いたものにするには、帰納による理念の妥当性の検証が必要である」と「医療崩壊 立ち去り型サボタージュとは何か」(朝日新聞社)に書いた2。

 具体的なイメージを提示する。警察・検察がある地域である時期に、いくつかの事例に対し、業務上過失致死傷が成立すると判断した場合を考える。当該地域で当該時期の全医療事例の集合を全医療事例集合とする。警察・検察の捜査により、全医療事例集合から、業務上過失致死傷集合が切り取られたことになる。「医療事故の全国的発生頻度に関する研究報告書」(06年3月)は、退院患者の診療録の後ろ向き調査で、入院患者の7%程度に有害事象が発生することを示す。業務上過失致死傷集合は有害事象集合に含まれる。業務上過失致死傷集合の切り取り方(業務上過失致死傷の理念、警察・検察の捜査)の正当性、信頼性や精度は、いくら業務上過失致死傷集合を調査分析しても分からない。非業務上過失致死傷集合に過失がどの程度あるのか、それはなぜ起こるのかを検討しなければならない。非業務上過失致死傷集合に多くの過失があるとすれば、業務上過失致死傷の理念、あるいは、抽出方法(警察・検察の捜査)に問題があるかどうか検討しなければならない。

 実際、日本医療機能評価機構の医療事故防止センターに報告されているヒヤリハット事例(過誤はあったが身体傷害にはつながらなかった事例)は1病院、1ヶ月あたり50ないし60件報告されている3。これも報告の集め方でもっと多数になると想像する。ちなみに、筆者の勤務する虎の門病院ではヒヤリハット事例は年間約5000件報告されている。

 理解のために、さらに単純なモデルを示す。フォン・ヒッペル・リンドウ(VHL)病という遺伝子疾患では、腎癌が高率に発生することが知られている。VHL遺伝子の異常がこの病気の原因だということが1990年代に判明した。VHL病患者のVHL遺伝子に異常があることを示すだけでは、この事実を証明したことにはならない。同時に、VHL病でないヒトのVHL遺伝子に異常がないことを示さなければならないのである。


●規範的予期類型と認知的予期類型

 法学の世界にも似たような議論がある。法社会学者のグンター・トイブナーは、05年9月、東京での「日本におけるドイツ年記念・法学集会」で基調講演4を行った。冒頭で、1971年のニクラス・ルーマンの予言どおり、現在の世界社会では規範的予期類型=政治、道徳、法ではなく、認知的予期類型=経済、学術、テクノロジーが主役を演ずるようになり、世界社会の法はそれぞれの社会分野ごとに形成され、極端な分立化に至ったとする認識を示した。

 規範的予期と認知的予期について、ルーマンは以下のような説明をしている5。「規範的予期は、違背にもかかわらず予期を堅持する決意として示され、それに応じたリソース、たとえば内的確信・制裁手段・合意によって支えられる。これに対して認知的予期は、学習の用意があるという様式をとり、違背を受けて自己修正し、それに対応したリソース、とりわけ違背を受けた状況において予期変更の方向を十分迅速かつ明確に決められるという予期を、自己の支えとする。認知的予期は自分自身を変えようと努め、規範的予期は対象を変えようと努める。学習するかしないか、これが違いなのだ。」規範的予期と認知的予期の科学に関す
る態度については以下の説明が示唆に富む。「学問がその理論の仮説的性格と真理の暫定的な非誤謬性によって安んじて研究に携われるようになるまで、学問研究の真理性は宗教的に規範化されていた。」

 世界社会の専門分野ごとに形成された認知的予期類型としての部分社会は、それぞれ大きく発展し、独自の合理性をその内部で形成している。トイブナーは、分野ごとの合理性の衝突の解決が世界にとって大きな意味をもつようになってきたとしている。分野ごとの正しさの衝突となると、法がすべての部分社会を統括するような規範の大体系を提示できるはずもなく、法はそれらの矛盾を解消できない、互いの合理性を尊重し、自律的部分社会同士の相互観察で共存を図るしかない、とする。

 具体的例として、ブラジルでの、特許を無視したエイズ治療薬の製造販売について言及した。この問題では、経済と保健の合理性が衝突したが、結果的には保健の合理性が優先された。

 法史学者の村上淳一は、トイブナー講演に対するコメント6で、国家と法の関係の歴史を振り返り、「ヨーロッパ中世においては、地域的諸権力が自力行使に訴えてでも主張するさまざまの個別的権利の、相互的義務づけとしての契約複合が、法であった」、「初期近代においてようやく、法とは権利者たちの契約複合ではなく支配者ないし国家の命令であるという見方が、徐々に優勢になる」とする。この方向は、国民国家の成立で頂点に達し、国家法は国家内部で強大な規範となった。しかし、グローバル化が進んだ現代社会では、専門分野の進化発展は「国家なき世界法」(村上)をもたらした。

 日本では、現在のような司法レジームは、明治期に形成された。現在の刑法は明治41年(1908)に施行されて以後、本格的改正はなされていない。原則的な対象として国内の個人を想定した1世紀前の古い法律が、国際的な部分社会内で合理性が形成され、日々更新されている医療レジーム、航空運輸レジーム、産業レジームなどと対立し、ときに破壊的な影響を与えているようにみえる。対立の共通構造は、現実を十分に認知しないまま、規範としての法を行使することにある。

 法学はしばしば神学になぞらえられる。地動説に対する宗教裁判は、規範的予期類型と認知的予期類型の齟齬を象徴する。村上は先述のコメント6で、ルーマンの言葉を引用した。

 「国家もまた、特殊的組織として普遍主義的に振舞うという要請に服する。...国家が機能的分化と特殊的普遍主義の論理に従わないとき、...世界政治のアドレスとしての資格をみずから減少させることになる」。

●専門領域における「正当な業務」

 福島県立大野病院事件は演繹と帰納、あるいは、規範と認知のせめぎあいとも捉えうる。ルーマンの認識に従えば、この状況は司法がその資格が問われかねない問題になりうる。

 幸い日本の刑法は解決の鍵を持っている。刑法35条は「法令又は正当な業務による行為は、罰しない」とする。「正当な業務」が何かを、当該認知的予期類型の持つ言語論理体系の判断にゆだねることで、多くの問題が解決する。人間の性質上、ヒューマンエラーは避けられない。エラーが事故につながるかどうかは、システムの問題が大きい。また、医療に伴う有害事象の評価は、医療についての該博な科学的知識、科学的判断能力を必要とする。専門的業務の制御のルールを、司法の言語で規定することは安全を向上させない。相応の言語論理体系の制御にゆだねるべきであろう。


【3 医療事故調の目的】

 医療事故調は紛争解決を主たる目的とすべきである。医療の危機的状況を打開して、将来の日本社会に健全な医療制度を残すために、医療事故について、第三者が科学的調査と科学的評価を行い、これを患者・家族に説明することが必須と思われる。

 条件が整えば、調査結果を公平な被害救済のためにも使用する。

 安全対策は日本医療機能評価機構の医療事故防止センターが担当する。医療従事者の能力や仕事量には限界がある。したがって、安全対策のためには、優先順位を考慮すること、すなわち、総合的なバランスが重要であり、個別事例にとらわれることは適切ではない。これ故に、患者・家族の安全対策の立案や監査への参加は、安全対策を非現実的なものにする可能性がある。

 医療事故調を責任追及の場とすると、事故の原因究明が冷静に行えず、医師‐患者間の軋轢を拡大する方向に働く。紛争の解決と責任追及を同時に行おうとすると、互いに悪影響が生じるので、制度上、切り離すべきである。

 安全を含めて医療の質を高めるためには、医師の再教育や処分が必要であることは間違いない。医療の質との関連でいえば、医師の処分は、不適切な行動を理由に実施すべきものである。処分の契機を被害が伴う事故に限定するより、門戸を広くして、不適切な行動全般を契機にできるようにすべきである。過去の責任の追及というより、将来のための処分なので、刑事司法が担えるものではない。弁護士と同様、医師の団体による自律的処分制度の創設が望まれる。


【4 医療事故調をめぐる対立点の具体例】

 具体的イメージ形成のために対立点を例示する。医療関連死の届け出を義務化し、違反に対し罰を科すという意見が、法的責任追及の立場から出されている。何をもって医療関連死とするのか、判断を一致させるのは難しい。このような医療関連死の届け出を義務化して、これに罰則を設けると、現在の医師法21条をめぐる警察と医療側の紛争をさらに拡大することになる。日本の状況では、届け出そのものが、患者側の疑心暗鬼を誘発し、患者と医療側の軋轢を大きくする。罰則を伴う届け出制度は、まさに、取締と責任追及の発想の産物である。関係するのは取締機関と医療機関のみであり、ここに患者側が関与しないことになる。

 必要なことは、医療提供者と患者側の軋轢の軽減である。この観点からは、患者側からの訴えでも、調査に着手できるようにしておけば十分である。病院が患者側の納得を得るために虚偽の説明をするかもしれないと心配する向きがある。しかし、虚偽は、発覚すれば、別の大きな制裁を受けることになり、野放しになるものではない。


【5 システム間の齟齬は多段階で時間をかけて解消すべし】

 責任追及の在り方についての司法と医療の齟齬は、双方の考え方が異なる以上、考え方の変更なしに、一気に解決することは不可能である。一段ずつステップを重ねていく方が、認識の変更を活かしやすい。法律が存在する以上、業務上過失致死傷による責任追及も、当面、医療事故調と関係なく、今まで同様に実施せざるをえない。個々の事例で認識の違いが生じれば、その都度、社会に見えるところで議論すればよい。少なくとも、この問題は、ステークホールダー間の利害調整や、合理的判断を越えた権力の行使で無理に解決すべきではない。医療は、そのような危うい決定方法に委ねるには、重要すぎる。互いに双方の立場を理解しつつ、多段階で時間をかけて解決していくべきである。

 司法の、規範(実体法)と対立(手続法)の中に実状を押し込める習慣は、問題解決のための、普遍的というより一つの特殊的態度のように思える。有益な場合もそうでない場合もある。司法が権力機構であるがゆえに、法曹人はこの点に気付きにくい。

【文献】
1)診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会:これまでの議論の整理. 2007年8月24日.
2)小松秀樹:医療崩壊 立ち去り型サボタージュとは何か. 90pp, 朝日新聞社,東京, 2006.
3)財団法人日本医療機能評価機構 医療事故防止センター:医療事故情報収集等事業 平成18年年報, 2007年7月18日.
4) グンター・トイブナー(村上淳一訳):グローバル化時代における法の役割変化 各種のグローバルな法レジームの分立化・民間憲法化・ネット化. ハンス・ペーター・マルチュケ. 村上淳一(編):グローバル化と法, 3pp, 信山社, 東京, 2006.
5)ニクラス・ルーマン:世界社会 Soziologische Aufklarung 2, Opladen,1975. (村上淳一訳・桐蔭横浜大学法科大学院平成16年度教材)
6)村上淳一:歴史的意味論の文脈におけるグローバル化と法. ハンス・ペーター・マルチュケ, 村上淳一(編):グローバル化と法, 25pp, 信山社, 東京, 2006.


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