自民党の医療事故免責検討は中途半端 

ニュースのタイトルを見て、おぉ、ここまで政治家も考えるようになったかと感慨を催したが・・・中身を読んでみると・・・

以下、引用とコメント~~~

救急医療事故:医師らの免責検討…自民が刑法改正
 自民党は29日、救急救命に関係した医療事故について、事故を起こした医師らの刑事責任を免除する刑法改正の検討を始めた。党の「医療紛争処理のあり方検討会」で、座長の大村秀章衆院議員が私案として示した。免責の範囲などを今後議論するとしているが、医療事故の責任を不問とすることに患者側から反発も出ている。

大村議員は、厚生労働省の医療事故調、または医療安全調を医療側がのまなければ、医師法21条を厳格に適用することになる、と脅しをかけた人物・・・

 医師らは、通常の医療行為で患者が死亡したり障害が残った場合は罰せられないが、必要な注意を怠ったと判断されれば業務上過失致死傷罪が適用される。救急医療では、99年に男児が割りばしをのどに刺して死亡した事故で、適切な処置を怠ったとして医師が起訴された(1審無罪で検察側が控訴中)ケースなどがあるが、医療界から「刑事罰は医療の萎縮(いしゅく)を招く」との批判も出ていた。

必要な注意を怠ったと判断されれば、というのは、後になって振り返ってのこと。後医は名医とはよく言うもので、不確実性をはらむ医療では、後になって反省すれば、反省すべき点は出てくることは当然のこと。そうした、反省を繰り返すことによって、医師の力量も、また医学自体も進歩してきたものだ。それを業務上過失致死罪を振りかざして、後方視的に医療者・医師の責任追及を始めると、医療の向上に資するはずの反省が行われなくなり、またリスクのある医療は行えなくなる。

 座長私案は、刑法の業過致死傷罪の条文に「救急救命医療で人を死傷させた時は、情状により刑を免除する」との特例を加える。厚生労働省が導入を計画する死因究明の第三者機関「医療安全調査委員会」の設置法案とセットで、議員立法による改正を目指すとしている。ただし法務省内には「医療事故は当事者同士が納得して刑事処分を求めないのが望ましい。現状でも処分は抑制的に行われている」との声もある。

救急救命医療で人を死傷させる状況は、故意に患者に危害を加えるようなケースしか思い浮かばない。それは明確に犯罪であって、医療行為ではない。そうした行為を免責せよといっているのではない。医療の不確実性を受け入れ、医療行為全般に業務上過失致死・致傷罪を適用することを止めて欲しいというのが医療側の要望だ。刑事裁判の場で、裁かれること自体が間違っている。この文面では、刑事案件として成立させる(または、実質成立しうる)が、罰則の適用だけは、法曹の判断で行わないようにしよう、情状を酌量しようとしか読めない。これでは、法曹の形式的で恣意的な判断に委ねるだけで、医療に内在する不確実性を根本的に理解することからはほど遠い。

 一方、医療安全調査委の検討会委員で、小児救急の誤診を受け息子を亡くした豊田郁子さん(40)は「医療事故の防止は医療者と患者が一緒に考えていくべき問題なのに、まず免責ありきという考えはおかしい」と指摘している。【清水健二、石川淳一】

医療事故の防止が、法的な責任追及によってなされうる、というのは、根本的な誤りだ。誤診をすることは確率的に生じうることで、それをいかに少なくしてゆくかということを、過去のケースから学び続けることこそが必要なのだ。医療事故でご家族を亡くされた方には同情の念を抱くが、法的責任追及で、医療事故の原因を明らかにし、再発防止ができるという発想は誤りであることに気づいて下さることを切望する。

パブコメも、公開討論会もアリバイ作りのためだけ・・・ 

日本医学会が主催する診療関連死の死因究明制度創設に係る公開討論会が、昨日、東京で行われたはずだ。この会の開催を知らせるFAXを受け取ったときに、おぉ、いよいよ日本医学会も本腰をいれて議論するようになったかと思った。が、開催日時を見て、愕然とした。平日の日中なのだ。これでは、臨床に携わる現場の医師は、よほど恵まれた環境にいる方でなければ、参加できない。

その開催日時を見ただけで、これは官僚のお膳立て通りの結論を導く会合になることが見えた。それで、すぐに関心も失せた。同会の討論内容にもあまり関心がもてない。

何故、官僚達は、現場の医師の声を聞かないのか。パブコメの募集をしながら、法案化の準備を進めていた、即ち、法案にはパブコメの内容を全く反映させる積りがない。それに、こうした臨床現場の医師が参加不可能な公開討論会をお膳立てする。

さらに、その官僚の意図に迎合するばかりの学会の幹部達。一体、日本の医療の将来をどのように考えているのだろうか。日本医師会の木下理事は、この法案推進に向けて事実無根の説明をしてきた責任をどうとるのだろうか。

両者に共通なのは、自分達の思惑・利益だけを考えて動いているということだ。急性期医療がどのようになろうとも、両者ともに責任はとらない、また痛みを直接感じない立場の方々だ。そうした連中が、日本の医療を破壊しようとしているのだ。

新しいチェロ 

2001年(だったろうか)に購入したチェロに別れを告げて、イタリア製のチェロを先週末入手した。音楽文化の貴重な財産を、ど素人の私が占有してよいものかとか、道楽にさらに金をつぎ込んでもよいのだろうかと迷っていたが、これから楽器演奏をリタイアするまでの間、自分を楽しませてくれる楽器に投資をしてもよいではないか、楽器を弾かなくなったら、楽器に相応しい方に引き継いでいってもらったらよいではないかと、自分を納得させての購入だった。

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先々週の土曜日に東京の楽器店で当りをつけ、石岡市に在住の楽器修理製作の専門家でいらっしゃる平原氏にご意見を伺い、さらに先週末には、バイオリンの教師をしていらっしゃるTさんに同行してもらった。お二方には、貴重なご意見を頂いた。先週末、楽器店にご一緒して下さったTさんの目の前で、この新しい楽器の調弦を始めると、調弦の音だけで、音の違いが明瞭だとの、Tさんの言葉。これまでの楽器と冷静に比較し、結局、これまでのチェロを下取りに出し、このチェロの購入を決めた。

少し明るい赤みを帯びたニス。美しい造形。音は、全般に良く出ている。少し、倍音の伸びが目立ちすぎる気もするが、芯のある音だ。低弦も、迫力のある音。中音域は、中抜けのする音だ。高音域も素直に伸びてゆく。

どこかのサイトで、こんな意味の文章を読んだことがある。楽器を擬人化した言葉である・・・『かって、森の中で風に揺られて、歌を歌っていた。切り倒され、楽器になった今、新たに歌を歌う』・・・。この言葉を読んだとき、素敵な表現だなと思うのと同時に、何か、音楽文化の財産である楽器に対する畏敬の念を抱いたものだった。巡り巡って、イタリアのクレモナから日本の田舎にやってきた楽器、それに付与された音楽的な生命を絶やさないように、大切に使って行きたいと思っている。

ジェネリック薬品の使用促進は正しいことか? 

先日、ある患児のお母さんが、企業の保険組合から送られてきた手紙を見せてくれた。これこれの薬を、こちらの薬(所謂、ジェネリック・後発品)に変更すると、これだけ薬代が安くなるという通知である。

ジェネリック薬品は、特許期間の切れた薬剤を製品化したものだ。「同じ薬」で「安価である」として、盛んに宣伝され、財務省を始めとする行政もその使用を促進させる政策を打ち出している。国と行政が、ジェネリック薬品の推進を進める理由は、ただ一つ、医療費の公費分を引き下げるためだ。保険組合にとっても、支出を減らすことができる。

さて、果たして、ジェネリック薬品が同等で、安価ということがいえるのだろうか。残念ながら、否である。ジェネリック薬品は、先行薬品と同じ量を人に投与して、類似の血中濃度曲線が得られた場合に、認可されると聞いている。生物学的同等性というのだそうだ。しかし、実際の効果・副作用等のチェックは行なわれない

そもそも、同じ内容とはいえ、その成分の化学的性質(例えば、結晶化されているかどうかといったこと)が異なる可能性がある。また、重要なことなのだが、添加物は異なると考えた方が良い。また、これはあくまで噂に過ぎないが、生物学的同等性を見る検査データが信頼置けるかどうか、疑問を感じざるを得ないものが結構あるらしい。

実際に、私自身の経験でも、ジェネリック薬品の一部は、先行薬品に較べて、効果が劣ったり、副作用が出やすかったりすることが、時に認められる。勿論、ジェネリック薬品には、先行薬品に全く見劣りがしない、またはむしろ投与しやすいという薬品もある。ジェネリック薬品全般をすべて否定する積りは無いが、ジェネリック薬品を、あたかも安価な素晴らしい薬であるかのように宣伝するメーカー、その使用を促進させようとする保険組合・行政・政府は、患者さんのことを考えているよりも、自分の財布のことだけを考えているように思えてならない

という話を、その患児のお母さんに手短にして、使用中の薬を変えるかどうか意見を求めた・・・答えは、否であった。

ジェネリック薬品の信頼性を高め、副作用情報などを充実させることが、ジェネリック薬品の使用を増やすためには必要だろう。さらに、先行薬品にも目が飛び出るほど高価な薬品も多く、それらを値下すれば、公的な負担も減るはずだ・・・製薬企業の企業活動に口を挟む積りは無いが、大手製薬企業は、数百から数千億円規模の黒字を毎年計上しているのである。よもや大手企業の権益を確保させつつ、医療費の公費負担を減らしたいというだけで、ジェネリック薬品の使用を進めていることはないだろうね、と行政・政府それに一部の調剤薬局には尋ねたい。

保険組合も、もう少し正確な情報を組合員に出すべきではないのか。やがて、保険組合が、診療内容に直接口を出すようになる日も近いように思える。彼等の目的は、ただ保険組合の出費を抑えることだけだ。そうした目的を持ち、臨床現場の状況を分からぬ組織が、診療に制限を加えるようなことになるとしたら、恐ろしいことだ。

ブログ通信簿 

私に、官僚になれ、と・・・う~ん。

http://blogreport.labs.goo.ne.jp/tushinbo.rb?bu=http%3A%2F%2Fnuttycellist.blog77.fc2.com%2F&btn_bu=%C4%CC%BF%AE%CA%ED%A4%F2%BA%EE%C0%AE

医療監視終了 

先週の金曜日、25日に、予定されていた保健所による医療監視が、無事終わった。一種の儀式であるとはいえ、行政相手のこうした手続きは心理的にも時間の上でも負担になる。

医療監視に来られたのは、保健所総務課の職員二人。とても低姿勢である。5年に一回地域の医療機関を順番に回っている由。とすると、二回目は、最初のそれから3年後くらいに回ってきたから、SARSへの医療体制に関して、私が県の担当部署にクレームをつけたことと関係しているかもしれないと、苦笑しながら思い出した。5年間隔だと聞いて、私が「では、これがここの最後の医療監視になりますね・・・。」と独り言のように言うと、「えっ、何ですって・・・何かあるのですか?」と、職員氏は怪訝そうな顔をしていた。

監視内容は、医療設備・医療廃棄物・薬消毒薬の保管状況等をざっとみて、後は例の書類のチェックであった。特に今回指摘されたことは、医療法改正によって無床診療所でも医療安全マニュアルの類を備えることと定期的なスタッフへの教育カンファレンスを行なうこと、それに雇う看護師の免許を現物でチェックすることといったことであった。医療廃棄物の電子マニフェスト化については、知らない様子だった。医療廃棄物のマニフェストにしろ、他の書類にしろ、詐欺的な行為に対して、こうした小規模医療機関ではほとんど対抗する術はない、だからあまり意味がないと彼等に申し上げたが、ある程度理解されつつも、しかし結局法的に医療機関の立場を守るための手続きだから、確認しておいた方が良いとのことだった。

今回、監視にこられた職員の方は、いつもと同様に、とても親切で、こちらの考えを聞いてくださる方々だった。暑い中大変なお仕事だろうと思った。だが、行政手続きには、本音と建前に多少のぶれのある部分があるので、行政の監査・監視の仕方(所謂、匙加減)次第で現場がとても困ることもありうる。またマニュアルを厳格なものにしてしまうと、後々それが医療機関の首を絞める可能性があるといった問題は、依然として残る。行政担当者の「善意」に頼ってはいけない、自らを守ることが必要であることを感じた。

30分程度で監視は終了。これを受けることは、今後よほどのことがない限りないはずだ。

官僚の新たな利権か? 

お産では、一定の確率で脳性まひ児が生まれる。これは、医学が進歩しても、減らせないのが実情だ。そうしたケースが、医療の瑕疵があるとして、訴訟になり、産科医療を萎縮させている。そうした状況を改善するために、新たに産科医療補償制度が出来た。一分娩に対して、3万円の保険料を、医療機関が支払い、万一児が脳性まひになった場合に、3000万円の補償を行なおうという制度だ。以前の拙ブログのエントリーを参照されたい。

一つの大きな問題は、この補償制度を民間保険会社の保険に委ねるということだ。保険会社の収入に対する支出に関して、様々な試算があるが、50%以下になることがほぼ明らかのようだ。保険会社としては、営業活動もせずに、毎年定期的に100万の出生(政府・官僚の政策のために、この出生数は徐々に少なくなってきているが・・・)により、莫大な固定収入が得られることになる。

この補償制度が、厚生労働省官僚の新たな利権の源になる臭いが、ぷんぷんする・・・。

厚生労働省は、民間保険を医療に噛ませる政策を、別にひっそりと、だが医療現場に大きな影響を与える仕方で打ち出した。臨床研究の副作用に対する補償義務を医療機関に負わせ、さらにそれを民間保険を用いて補償させようという方針を出したのだ。臨床研究に際しての患者さんへの副作用に、何らかの補償が行なわれるべきだが、それを一律医療機関に負わせ、さらに民間保険を用いるとしているのは、いささか奇異に思える。ここでも、新たな利権を求めようとする官僚の意図を読むのは、読み過ぎだろうか・・・。


以下、引用~~~


副作用に補償義務 厚労省が臨床研究の倫理指針改定
08/07/24
記事:毎日新聞社
提供:毎日新聞社

臨床研究:副作用に補償義務 厚労省が倫理指針改定

 厚生労働省は23日、新たな治療法開発などを目的に医療機関が行う臨床研究の倫理指針を5年ぶりに改め、被験者(患者)に健康被害が起きた際の補償を義務化する方針を決めた。近く関係機関に改正指針を通知し、来年度、運用を始める。

 薬の副作用や医療機器の不具合による健康被害は、承認済みや承認に向けた治験であれば国の救済制度などで補償が受けられる。しかし、医師が倫理委員会の承認を経て自主的に新薬の効果を調べるような場合は対象外。臨床研究では、医療機関側に過失がない限り被害補償がないことの了解を得たうえで参加してもらうケースも多かった。

 改正指針では、研究者の責務として、補償のための必要な措置と被験者への事前説明、文書による同意を義務付けた。金銭補償については保険会社が新たに商品化する損害保険への加入を求める。【清水健二】

検討します! 

政府が公表予定の安心プランの骨子。検討をする、ということのようだ。あくまで検討だ。基礎年金の最低保障機能強化の検討とは一体何をする積りなのだろうか。機能強化の検討・・・意味不明だ。

社会保障費2200億円削減は堅持する一方で、これらの事項をどのように実行するのか。やはり、衆議院選挙を前にしての、リップサービスを盛大にしているということだろうか


以下引用~~~


安心プランのポイント
08/07/23
記事:共同通信社
提供:共同通信社


 政府が近く公表予定の「5つの安心プラン」のポイントは次の通り。

 1、高齢者を多く雇用する事業所に対する減税検討

 1、在職老齢年金制度の見直し検討

 1、基礎年金の最低保障機能強化など検討

 1、医師養成数について、過去最大程度までの増員の具体策を検討

 1、認定こども園の補助金の申請手続きなどを一本化

 1、住居のない不安定就労者に対する就労・生活・住宅の総合的支援の充実

 1、日雇い派遣規制など労働者派遣法制見直し

 1、有識者らによる厚生労働省の抜本的な組織改革検討

西瓜 

毎朝、この西瓜の成長を確かめに行く。何時になったら、収穫できるのかな・・・と。母親が元気な頃は、収穫するのに彼女に先を越されたはずだが、最近の彼女の様子ではその心配もなくなってしまった・・・。収穫したら、彼女のところに、一番おいしそうなところを持ってゆこう。

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医療監視 

という行政の手続きが、明後日私の仕事場に入ることになっている。医療の設備・医療廃棄物の処理状況・スタッフの健康状態等々を、保健所の方がやってきて、チェックされるのだ。この13年間で、2回受けたことがあるので、おおよその内容は分かっている。

この監視で驚くべきことは、検査官は、医療機関にわざわざ出かけてきて、何をするかと言うと、書類のチェックである。医療機関の施設内部を「監視」したりは殆どしない。机に座って、書類に目を通す作業が殆どだ。おいおい、それでいいのかと声をかけたくなるが、彼等が書類をチェックするのを傍に立ってじっと待つことになる。この書類準備に必要な手間も結構なものだ。スタッフの免許類をコピー、医院の建坪・土地面積・建物の種類をしらべる、スタッフ名簿を準備、各外注会社との契約書類を準備、一日平均の外来患者数を算出等々・・・。確かに、いい加減な医療機関があってはならぬ、そのために監視するのだと言われれば、分からぬでもないが、毎回座学で書類に目を通してお帰りになる検査官をじっと見ていると、これで良いのだろうか、何が分かるのかと考えてしまう。

もう一つ。この監視が入るタイミングが絶妙であることがある。前回の監視では、直前に、SARS騒動があり、本県のSARSに対する医療体制について、県の担当課にかなりづけづけものを言っていたのだ。それが、監視の入るきっかけになったのかどうかは分からないが、今回も、一つ心当たりがあって(笑)、監視をする彼等の本音を知りたいものだと思っている・・・ま、雑談程度にだが・・・。

今週に入ってから、結構忙しい。連休があったこと、それに暑さが本番になってきたこともあるだろう。それに加えて、こんな行政の行事につき合わされるのは、これが最後にしたいものだと切実に思う。いや、きっと最後だ・・・さらば、行政の諸君。

巌本真理弦楽四重奏団によるKV421 

お茶の水に出かけた。休日だが、若い人々で街はにぎわっていた。エレキギターの店が、増えている。ここから神田にかけての、めぼしい大学の多くは、郊外に移転してしまい、大学生自体は少なくなっているのかもしれない。楽器屋さんに行き、チェロを幾つか試奏。

ついで、ディスクユニオンへ。幾つかめぼしいCDを求めた。何気なく手にしたもののなかに、厳本真理弦楽四重奏団による、モーツァルトの弦楽四重奏曲二曲のCDがあった。KV421とKV458のカップリング。KV421を聴く。以前にも記した通り、上野文化会館小ホールで彼等の演奏で聴いた曲。入間市民ホールでの1975年の録音。大分デッドな録音環境での録音だ。かなりゆっくり。フレーズの最後が、微妙に合っていないこともあるが、とても丁寧でしっとりした演奏だ。巌本真理さんのバイオリンは、曲にもよるのだろうが、哀しみを存分にたたえながらも、品のある演奏振り。黒岩俊夫氏のチェロは、リズム・ダイナミックスともに、四重奏の中核になり、皆を支え引っ張っているようだ。

30数年ぶりに、彼等の演奏に再会したのだが、思っていたよりも、良い意味で刺激の少ない、落ち着いてしっとりした演奏だった。小ホールでの生の演奏を聴いたときに得た衝撃的な感覚はないが、とても耳にしっくり響く。評論家氏がこの演奏を評すると、「大時代的」とか「時代遅れ」とか評するのかもしれない。が、私にとっては、旧い大切な友人に再び出会えたようなものだ。

この録音の4年後に巌本真理さんが肺がんで死去し、この団体は活動を止めた。

さて、8月上旬に東京で行なわれる、友人との、この四重奏の初めての練習に向けて、また練習を積まなければならない。縦の線がきっちり揃い、各声部に無駄が少しもない、音楽的に緊張感に満ちた曲。楽しみであり、また怖くもあり・・・。

時代の趨勢 

ウェブで自作の小説を公開しておられる医師がいる。

医療崩壊後の自費診療の世界をリアルに記した、「2018地中海病院」が良く書けている。文学的な評価は別として、リアリティに富む。医療の現状を知るものとしては、読んでいて、手に汗を握るような気持ちになる。

しかし、医療関係者以外の国民にとっては、こうした凄まじい医療が目の前に来ていることは実感されないのかもしれない。

一つには、自分や、家族が深刻な病気にかかるはずがないと、こうした状況を意識の外に追いやっているためだ。これは生きてゆくうえでの、一つの知恵なのかもしれないが、現実はそうではない。人は病を得、いずれかの時に死んで行くという運命ほど明らかな事実はないのだ。しかし、自分と家族は、その例外にあると、無意識のうちに思い込んでいる。

もう一つ、これまでの公的な保険制度が何時までも維持されるという思い込みがあるのだ。保険証さえあれば、何時でも何処でも低廉な料金で医療を受けられる時代を、この30年間以上、国民は経験してきた。それが、当然のことと思ってきた。しかし、それは砂上の楼閣であり、楼閣を押し倒そうという勢力が、現政権と財界・官僚のなかで多数を占めている。彼等は、公的保険を取りやめ、民間保険だけにするメリットだけを喧伝し、増大する医療費が国家財政を破綻させるとして、自費診療を導入させる運動をし続ける。国民は、それが真実である、それしか選択枝がないと信じ込ませられる。これまでの制度へのナイーブな信頼を利用されて、自費診療への道を歩むことになる。恐らく、制度の問題は、制度が変えられてから初めて国民に理解されるのだろう。後期高齢者医療制度が持ち込まれて初めて反対の声があがったのと同様に、だ。

この医療制度の更なる改悪には私は反対だ。しかし、もうどうしようもない状況になっており、「2008地中海病院」で表現された医療制度が実現するまでは、政財界の既定路線で進むのだろうと、私は考えている。

ここで私が記していることは、大した内容ではないが、時代がこうした方向に進んでいることだけは明言しておこう・・・。

Don W6JL 

昨夜、寝る前にちょっと無線をと思い、かなり静まり返った7メガでCQを出した。最近は、2,3度繰り返しCQを出して、応答がなくすごすごとリグのスイッチを落とすことが多いのだが、強力な信号でDon W6JLが呼んできてくれた。サンディエゴ近郊に住むリタイアした元エンジニアだ。

彼と交信すると、彼の自作機器の話しになる。今は、スイッチングミクサーをトライして、良い結果を得ているとのこと。内部ロスが少なく、混変調特性も優れているらしい。プリアンプ無しで、良好に動作している様子だ。この回路は、N7VE(だったか)というアマチュア無線家が発明した回路だと言っていた。

スイッチングミクサーなるものは、まったくの初耳だったので、ネットで調べてみた。基本動作に関する、こんな解説があった。ここ。なかなか難しい。確かに、内部ロスが少なく、混変調特性も優れていると記されているようだ。受信音のクオリティに関心があるので、その点を尋ねた。Donは、このミクサーの機械では、とても良い音がする、歪が少ないとの話だった。

Donは、リグからアンテナ(確か、7メガは2エレの八木)まですべて自作の機器を用いている。20歳前後から、エンジニアとして働いてきたが、その間、仕事が楽しくて仕方なかった、といつも言う。2年前に仕事からリタイアしたが、今でも、仕事の延長のように、いろいろと機器を自作しているらしい。CWの腕は、勿論ピカ一。アマチュア無線界の巨人のお一人だろう。

仕事が楽しくて、毎日仕事場に向かうのが嬉しくて仕方なかった・・・Don、貴方は本当に恵まれた人生を送ってきたのだね、と申し上げた。このような人生を送る方もいらっしゃるのだ・・・気持ちの持ちようなのか。

新自由主義の破綻 

あるBBSに目を通していて、ははぁそうかと思ったことがあった。新自由主義ないし市場原理主義といってもよいだろうか、この思想では、労働者はできるだけ安価に使うことが重要で、さらに社会福祉は金を配分することでしかない。利潤・利益の追求こそが善なのだ。

わが国の現実に照らしてみると、労働者の非正規雇用を大幅に取り入れ、彼等への賃金をできるだけ抑えることと、社会福祉をできるだけ抑制することは同根の思想なのだ。その路線で、わが国は突っ走っている。社会福祉、ことに医療については、その予算を抑制しすぎると、後でそれによる社会の疲弊を回復させるために、より大きな国家支出が必要となることが、分かっている。

だが、わが国の現政権は、財界の意向を受け、新自由主義的な政策で突き進んでいる。

社会福祉には、共同の社会のセーフティネットを荒らさないという国民の倫理と、企業には、利潤追求と社会システムの保持をバランスさせる社会倫理が要請されるのだが、それを言う者が、どこにもいない。さらに、この楽観論である新自由主義に否を唱える人々があまりに少ない。

社会の破滅と、疲弊が、すぐそこまで来ているのではなかろうか。

これで良いのだろうか。

母親が具合悪くなる 

老母が2,3日前に、微熱を出し、その後咳をするようになった。食欲もまあまああるし、大丈夫かと思っていたが、今夜帰宅後、聴診すると右肺野に湿性ラ音が聴こえる。どうも元気ももう一つで、日中脈拍が少し速かったようだ。初期の肺炎の可能性がある。

とりあえず、仕事場にとって返し、抗生物質と気管支拡張剤の点滴及び吸入薬を持って帰った。母親に点滴するのは何年ぶりだろうか。血管は良く見えるのだが、いざさそうとすると、逃げる。何とか静脈路を確保し、先程点滴をし終えた。熟睡している。

93歳という年齢では何が起きてもおかしくないのだが、今夜のところはこれで何とかなるだろう。明日、医療機関を受診させるつもりだ。

親族を治療するというと、少し気を使うところもあるが、相手がこちらを信頼しきっているという安心感もある。微妙な医師患者関係のなかで、一晩中眠れずに仕事をしている若い医師のこと・・・それは、20年ほど前の私の姿でもあるのだが・・・を思った。

年老いた親にほとんど孝行はしてあげていない・・・親子で旅行をと思っていたが、10年以上前に信州に二泊でドライブ旅行に行ったきりだ。その後、母親が糖尿病や認知症になり連れて行ってあげられない。人生の中で親に孝行できる時間も極めて限られていることを痛感している。こんな時に点滴をさす位しかしてあげらることはできないものだが、それでも、その機会が遺されていることはありがたいことだ。

生きていることを実感するために 

先日、救急診療所で知り合った医師の方。私と同年輩で、同じ研修先で研修したことが分かった。数年前から、チェロを練習し始めたという。レッスンを受けている教室で、発表会に出る以外、アンサンブル等には参加なさっていないらしい。

チェロのduoを弾いてみないかとお誘いした。快諾されたので、ヘンデルのトリオソナタのチェロduo編曲版の譜面等をお送りした。密かに、オケにもお誘いすることを考えている。

私も、大学卒業後、忘れた頃に楽器に触る程度で、レッスンはおろか、アンサンブルにも殆ど参加していなかったが、50歳台を前にして、狂ったようにアンサンブルやオケに参加するようになった。腕の方は、決して上手くはないのだが、アンサンブルで皆と合わせることの喜びは、比較するものがないほどだ。特に、気心の知れた面々と、合わせるのは、大げさに言えば、生きていることを実感するように思える。

実際のところ、楽器の演奏技術をある程度保ち、アンサンブルに参加できるのも、これからそれほど長い期間ではないかもしれない。楽器を載せた車を1、2時間も走らせて、アンサンブルの場所に駆けつけること自体、かなりのエネルギーを必要とする。現在、そうした楽しみができることは、恵まれているというべきなのだ。で、せっせと楽器を担ぎ、アンサンブルやオケに向かう。

同好のその医師の方とも、同じように楽しむことができたらよいなと思っている。時間のたつのは早い。早く流れ去る時間の流れの中で、自分が存在していることを実感するために、一緒に歌いましょうと、語りかける積りだ。

マスコミが医学的知見を扱うと・・・ 

朝日新聞に、母乳栄養が赤ちゃんに低血糖を起こし、痙攣の原因になるという記事が出ていたらしい。それに対する、母乳栄養を推進する団体からの反論は下記の通り。この団体の反論が、的を得ている(下記、追加参照のこと)。

http://www.jalc-net.jp/news_asahi200806.pdf

朝日新聞が、その記事の根拠にした、日本小児科学会誌の論文を直接読んでいないのだが、どうもかなり問題点のある論文のようだ。

マスコミは、医学的な事項でも、ある一つの見方だけを取り上げ、それが事実であるかのように断定する。小児科領域では、アトピー性皮膚炎・それに対するステロイド剤外用薬の使用などについて、マスコミが一面的かつ断定的に取り上げ、患者をかかえるご家族に誤まった観念を植え付けたことがある。

マスコミにとっては、どんな記事であっても、様々な知見を、断定的にセンセーショナルな扱いをすることが常だ。医学的な事象は、様々な場合があり、単一の知見で割り切れないことが多い。マスコミは、往々にして、物事を単純化し、場合によっては、捏造とまで思えるような扱いをする。マスコミは、ただ注目され、視聴率・部数が伸びればよいのだ。彼等は、自らの記事が患者さん、とくにその心理にどのような影響を与えるか、全く責任を持たない。無責任なセンセーショナリズムであることが多い。

マスコミに、医学的な記事が出ている場合、眉に唾して読んでくださいと、患者さんの親御さんには申し上げることにしている。

PS;朝日新聞の記事に当たっていないので、同記事に対する直接的な批判は撤回したい。ただ、一般論としてマスコミが医学的記事の載せる場合、問題の多いことは事実だ。あれだけマスコミが騒いだ、タミフルによるかもしれないといわれた精神神経症状の問題等がその良い例だ。

救急診療ピンチヒッター当番 

一昨日、既に記した通り、近くの中規模都市の救急診療所にお手伝いにでかけた。朝、自分の仕事場で急患を診て、その救急診療所に向かった。市民病院の敷地内に作られたバラック小屋風(笑)の建物。半日近く拘束される長丁場だった。患者数は正確には分からないが、50から60名程度だったろうか。それを二人の医師で対応する。冬場は、100名を超える患者が殺到するらしい。

救急患者の8.9割は小児、特に乳幼児が多かった。多いのではないかと思った、コンビニ受診はさほど多くなかった。数日前、ないしそれ以前から、症状があったのに、どこにもかからず、救急診療所にやって来るというパターンの患者さんは、1割以下だったろう。私が二次救急(実際は三次)に送ったのは1例、おたふくかぜで高熱が続き、吐いていた患児1名だけ。点滴をするスペースもなく、脱水があっても、経口補液のみ実施。昔、この市民病院で一年近く勤務したことがあったのだが、その頃と比べて、患者さんの親御さんから説明を求められる水準が高くなった印象があった。仕事をし慣れたところでなく、かつピンチヒッターだったので、お一人お一人にかなり説明をしっかりした。疲労感はかなり強かった。

特に感じたことは、このような救急診療に、小児科医以外の医師が当たるのはストレスが多いだろうなということだった。何せ、ぎゃんぎゃん泣き喚く、正確に症状を訴えられない、はじめて診る子ども達の病状を、短時間に把握し、心配そうな親御さんに納得してもらう、というのは、経験を積んだ小児科医でもそう容易いことではない。小児科医が救急すべてに当たれるほどはおらず、小児科以外の科の医師が診ることになるのは致し方のないことなのだろうが、それにしても、50歳過ぎで小児科の経験の全くない医師にとっては冷や汗の連続になることだろう。さらに、それは患者さん・親御さんにとっても同じことだ。

客観的に考えて、こうした小児科以外の開業医を巻き込む一次救急は、遅かれ早かれ立ち行かなくなることだろう。開業医が、医師会から徐々に脱会して行き、また団塊世代の開業医にはリタイアをする者が、これから数年間の間に続出することだろう。100名の患者に、1,2名程度必ずいる重症患者を見落とし(というか、こうした救急外来で完璧を求めること自体が無理なのだが)、それによって、医療訴訟にでもなれば、こうした救急医療は即空中分解することだろう。

危うい剣が峰を歩いているような救急医療システムだというのが実感だった。

一日の苦労は、一日で足れり 

マタイ6:34

一日の苦労は、一日で足れり

今朝、例の弁天塚古墳は、周囲を絨毯のように茂った稲に囲まれて、鬱蒼とした姿を見せていた。そこを通り過ぎながら、この聖書の言葉が頭に浮かんできた。

様々な気苦労や心配事を持ち続けても仕方がない。大いなる存在にすべてを任せて、その日一日を最善に生きよ、という意味だろう。

若いころ、父親と同じ聖書集会(無教会主義の集まり、無教会主義は固定した教会を持たない、信者同士が指導者の集まりエクレシアという原初キリスト教の集団を形成する、それが聖書集会だ)に通っていた。集会が終わると、三々五々昼食を知り合いととる。その中に、私より数歳年上の小学校の教師をなさっていた方がいた。Nさんである。父上は他界され、母上と弟さんが精神疾患を患っておられた。きっと生きてゆかれるうえで、家族を支える役目、人生の重荷を一身に背負っておられたのではないだろうか。しかし、彼女は、いつも笑顔を絶やさず、時々は小さな声だったが、明るい笑い声を上げて、昼食を共にする皆さんと話しておられた。その彼女が良く口にしておられたのが、この聖書の言葉だったのだ。

この歳になって、ようやくこの言葉の重みと、彼女が口にした時の本当の意味の重さが、僅かばかり理解できるようになってきたような気がする。

キリスト教からは離れ、私は暗闇の中を手探りで歩んでいる。遅く、彷徨うような歩みだ・・・しかし、「一日の苦労は、一日で足れり」というこの言葉が、大きな慰めに満ちた言葉であることをようやく身をもって理解することができるようになったような気がする。

CWの未来 

CWという通信モードは、はっきり言って、時代遅れである。HF等という不確定な通信媒体を用いるとなると尚更だ。しかし、通信の原初の形であり、何らかの形で生き延びてゆくのではないかと思っている。いや、念願しているというべきか。ま、このモードを好み、趣味としている私が、何を念願しようが、時代の大勢には全く関係のないことかもしれないが・・・。

CWをどのように楽しむかということが、CWを楽しむ個々人の思いを超えて大きく影響しそうな気がする。

昨夜、14メガで呼んできてくれた、John ON4UN。ローバンドDX界の大御所だ。3.5、7メガではお目にかかったことがあった。いつも、所謂ラバスタ式の簡単な交信だった。今回も、私と以前に会ったことは覚えていてくれた様子だが、手短な交信だった。どうも今週末のIARUコンテストに参加するらしく、週末に同コンテストで会おうと二度ほど繰り返していた。きっとコンテスト前にセットアップの動作を確認するために出てこられたのだろう。私は、もうコンテストには、あまり関心がなくなってしまったが、聞こえたら忘れずにお呼びするとだけ答えてお別れした。彼の設備が立派なこともあるのだろうが、S9+で入っている信号で、こうしたそっけない交信で終わるのは、私としては不本意なことだ。

所謂コンテスター・DXerと呼ばれる方々は、Johnの楽しみ方をする。私もかってはコンテスト・DXに狂っていた時期があるので、彼等の心情は良く分かるつもりだ。競争での勝利ないし設定した目標への到達を、なによりの喜びとする。そこでは、CWは専ら手段であり、相手との人格的なコミュニケーション等は視野にない。コンテスト・DXでいかにスマートに目標を達成するかということに満足するのだ。

もう一方、所謂ラグチュー派の典型的な方に、3日ほど前に7メガでお目にかかった。Les DU5/ZL4POである。彼は、まだ57歳だが、プロの無線通信士の仕事をリタイアし、フィリッピン人の奥様の故郷で過ごしておられる。昔、プロの通信士であった経歴から、John 9V1VVのことを言及したら、以前から良く知っているとのことだった。最近、Johnからメールがあり、所謂ラバスタの交信には飽き飽きしたと言ってきたらしい。Lesは、数年前に来日し、関東以西を旅行して歩いたらしい。ハムフェアにも行って、その規模の大きさに感銘を受けたとのこと。2002年に日本人のハム達とVK9Mに出かけたらしく、彼等と今でも交流がある様子だ。

Lesは、他のラグチュワーと同様に、CWの質・技量にも関心を示す。お前のCWは取りやすく、美しい・・・と、それなりのお世辞を頂戴したが、その内容はともかく、CWの質・技量への関心は高い。さらには、人格を持つ相手への関心を強く抱く。CWは、通信手段であり、なおかつ楽しむ目的となる。関心は、相手の人柄、生き様だ。それらが渾然一体となって、このモードの楽しみを形作っている。

どのような楽しみ方をするかは、個々人の問題で、他人がとやかく言うべきことではない。が、CWが生き長らえ、次の世代に受け継がれてゆくためには、どちらの楽しみ方の方が良いかは、一目瞭然のような気がする。残念ながら、Lesのような楽しみ方をするCWオペレーターが、段々少なくなってきているのだが、絶滅危惧種としての存在をアピールするために、せいぜいアクティブに出たいものだ。

診療所医師の逃散 

知り合いの女医さんが、自分の小児科医院を廃院にするという確かな噂が耳に入った。彼女は、大学時代の同僚で、なかなか優秀な方だった。御主人も開業医なので、もしかしたら、御主人の仕事を手伝うことにしたのかもしれない。2年ほど前に、ピアノを弾く彼女と友人達で、モーツァルトのピアノ四重奏曲を一度合わせて以来お会いしていなかった。

私の仕事場のすぐ近くにある産婦人科、以前にも記した通り、いよいよ産科診療を取りやめたようだ。そこの駐車場はいつも満杯だったのが、閑散としている。

それぞれの理由で、廃院をし、規模を縮小されたのだろうが、これらも医療の崩壊の現象の一部といえるのかもしれない。

マスコミも官僚・政治家も、勤務医の過酷な労働条件を取り上げて、その改善に取り組まなければならないという発言をすることが多くなってきた。それはその通りで、大いに結構なことなのだが、そうした議論には、その費用を捻出するために、診療所への診療報酬を厳しく抑制するという発言も目立つ。

診療所医師に一次夜間救急を担わせるということも、勤務医の労働環境を改善する策として実際に行なわれている。訴訟の陰に怯えながら、専門外の救急を担当し、休日・夜間長時間救急外来に張りついている診療所医師がたくさんいるのだ。

要するに、診療所医師の勤務医化が進行している。一方、現在行なわれようとしている勤務医の労働条件改善策は実効がほとんど期待できないように思える。経済財政諮問会議の八代委員の主張する、低い労働条件への平準化が実現するのだ。

診療所の医師の平均年齢は60歳直前だったはず。私を含めて、そうした医師に勤務医化を甘受せよというのは無理というものだ。それだったら、医療から手を引こうと考えるだろう。勤務医が、過酷な急性期医療からそっといなくなるのと同じように、診療所医師は、医療そのものからそっと手を引くことになる。

地域医療のプライマリーケアを支えてきた診療所の役割は小さくないものと自負しているし、実際そうだったろうと思う。その地域医療の担い手がいなくなると、患者は、今まで以上に病院、特に中核的な医療機関に殺到することになるだろう。そこまで、為政者や官僚は考えているのだろうか。どうも医師不足ならば、医師を増やせという単純な発想でしか考えていないように思えるのだ。

国民・為政者・官僚・マスコミそれに法曹界の人々すべてが、医療を突き動かしてきた。勿論、高度成長の時期は遠い過去になり、高齢化が進んでいるという条件も重なった。それらすべてが医療を崩壊させつつある。その崩壊の過程で、物事をごく一面的にしかみないで対応をとると、さらに崩壊は早まり、激烈になるように思える。特にコストを犠牲にしつつ、クオリティとアクセスをある程度保ってきた、壊れやすいぎりぎりの状態で動いてきた、わが国の医療システムは、官僚達の恣意的な操作を受けて、音を立てて崩れ始めているような気がする。勤務医対策としてとられようとしている対策も、そうした事象の一つになることだろう。

廃院を決めたという知り合いの医師に、一度その経緯をゆっくり伺ってみたいものだ。

マグネットホスピタル 

今夕のクローズアップ現代で、地域医療の危機について議論されていた。

この番組によると、新臨床研修制度により、新人医師が自由に研修先を決められるようになり、魅力のない(とは明言していなかったが)地方の大学病院に残る医師が少なくなった。地方に医師を派遣していた医局に代わる医師派遣機構として、500床程度の基幹病院(マグネットホスピタルと呼んでいる)を各地に作り、そこで研修医を受け入れ、そこから僻地への医師派遣も行なう。500床規模の医療機関がなければ、200から300床規模の医療機関を、まとめてマグネットホスピタルとする。僻地へ派遣された医師は、マグネットホスピタルに戻ることを可能にし、僻地派遣への医師の抵抗感を減らす、というものだ。これは、厚生労働省のプランに沿ったものなのだろう。コメンテーターの東北大学教授は、これを実現するためにも医師の大幅増員が必要だと述べていた。

この番組は、厚生労働省のプランの宣伝番組のような趣で、地域医療の現場の状況をどれだけ取材したのかと、まずは疑問に思った。地域医療での医師不足を強調していたが、何故医師が不足したのかの徹底した取材・検討がなされていない。地域医療を担っていた医師達が良いように酷使され、
訴訟になれば、裁判の矢面に立たされるという現実に気付き、そうした現場から静かに立ち去っている、ということが、NHKの番組制作者はまだ分かっていないのだろうか。

中堅医師が、地域医療現場から立ち去っているのだが、それへの対処はせずに、新人を補給すれば良いだろうという発想が、この厚生労働省のプランだ。前線の兵士が疲弊し倒れても、どんどん新兵を送り込み、戦闘に従事させようという、昔の軍部の発想にも通じる。足りなければ、医師を増員すればよいというのは、この安易な政策によるのだけではなく、医師の労働市場を買い手市場にしようという、官僚の思惑も見えてくる。

上記の厚生労働省プランは、現実論から言っても机上の空論である。各地に研修医をひきつける500床以上の公的な医療機関があるだろうか。公的医療機関は、どこでも経営難で青息吐息の状態だ。特に、200から300床に医療機関の経営は厳しい。こうした医療機関は、医師がいないので規模縮小をし、それが更なる経営難をもたらすという負の連鎖に陥っている。稀に経営が何とか上手く行っているところでも、DPCの導入などにより、医師への負担は、さらに増えている。

さらに、勤務医の負担軽減策として、診療所への診療報酬を減らす動きが、官僚サイドでは活発だ。これは、勤務医の開業への逃げ道を閉ざし、さらに医療費削減にもなると踏んでいるのだろう。診療所の医師の平均年齢は60歳近く。診療所の医師にかなりの数は、こうした診療所を潰す政策によって引退をせざるをえなくなる、ないし引退を早めることになることだろう。地域医療のかなりの割合を担ってきた、診療所によるプライマリーケアの崩壊だ。これは、後々ボディブローのように、病院による医療を痛めつけることになることだろう。

勤務医に対して開業への道を閉ざしておいて、マグネットホスピタルで余剰となるかもしれない、研修終了後の医師をどうするのだろうか。500床規模の医療機関であっても、抱えられる医師数はせいぜい数十名だ。医療機関の管理職になるのは、その内のごく少数。残りの勤務医を一生涯雇い続けるキャパはない。さらに、そうした将来の先行きのない職場に医師が集まるかどうか、また将来マグネットホスピタルに戻すという約束(否、嘘八百を)を医師に信じさせることができるのだろうか。

そもそも、マグネットホスピタルという呼称は、米国のANCCという看護団体が看護ケアに優れた医療機関に付与するものであり、医師をひきつけるというよりも、看護師と患者にとってより良い医療機関という位置づけのようだ。マグネットホスピタルについての記述を参照。わが国は、看護師不足もあるが、喫緊の問題は、医師が地域医療から立ち去っていることだ。医師を引き付ける医療機関とするためには、丁度ANCCが看護師の専門性・職能の独立専門化という方向性を打ち出しているように、医師の立場と待遇を守り、強化することから始めるべきなのではないか。ただ単に養成医師数を増やせばよいという政策は、明らかに誤りだ。横文字の名称だけを、その意味するところから離れて、官僚にとって都合よく用いるのは笑止千万だ。

官僚よ、医療崩壊を生じさせ、促進しているのは貴方だ。将来、その責任をとるべきは、諸君だ。

木々とともにあること 

植木の手入れに関心を持つようになったのは、10年以上前のことだ。生命を持つ木々を手入れし、より元気に枝を張ってもらうことで、静かな喜びと充実感を味わえる。

日本という国は、市街地では電柱や看板広告が目立ち、町の美観を大きく損ねている。電柱の地中化など、官公庁のあるごく一部だけだったりする。それに、木立が少ないと思う。木を植えるスペースはあるのだが、植えようとはしない。

先日、リフォーム業者の方に、家内が我が家の欅や、コナラの枝が多くて、日差しが母親の住む別棟の家に届かない、とこぼしたら、じゃ切ってしまいましょうとの返答だったと聞いて驚いた。そんなに簡単に木を切り倒してはならない。リフォーム業者さんは、善意で言ってくださったのだろうが、木を切るということは、何十年もかけて育った生命を絶つことだということをよく念頭に置いて欲しいのだ。木々を大切にしてゆくことによって、我々の生活・人生を豊かにすることができるのだ。

仕事場のコナラ。大分大きく育ち、夏には日陰を作ってくれる。仕事場に、もう少し植えるスペースもあるのだが、今後、仕事を何時まで続けるか考えると、このままでも良いかと思ってしまう・・・。

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自宅の庭のコナラの幼木。所謂どんぐりの実から、こうした幼木がたくさん生まれてくる。このまま同じ場所で大きくさせるわけにはいかないので、どこかに移植しなければならない。貰ってくれる方がいたらと思うのだが・・・。昔、こうした雑木の林を走り回って遊んだものだった。

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旧きよき時代 

ここ数日、14メガが夜間から早朝にかけて、とても良い。昨日、早朝から、遠く大西洋に浮かぶEA9等が良く聞こえていた。日が昇り始めてから1時間前後に、こうした遠い地域への伝播がパッと開けるのに接すると、自然界の不思議さを改めて感じる。

Chirs G4BUEが呼んできてくれた。彼は、長くFOCの中枢にいて、現在もFocusというFOCの機関誌の発行に携わっている。彼との交信直前、偶然、FOCが1999年に発行した「Sixty Years of FOC(だったか)」とうタイトルのクラブ創立60年の記念誌に目を通していたので、そういえば、今年はFOC創立70周年ですね、と話を向けた。すると、彼はもうFOCの運営委員会からは離れてしまっている、というのだ。彼がクラブをひっぱっり続けていたと思っていたので、驚きだ。運営委員会には、今年中に70周年の記念行事を何か考えた方が良いのではないかと言ってはいるということだった。彼は、冬の間は、フロリダの別荘で生活することにしている。10月になったら、N4CJというコールを持つフロリダに帰ると言っていた。

今年はFOC創立70周年であると同時に、私がFOCメンバーになって20周年であることを思い出した。最近は、よくないCONDXのためもあり、FOCメンバーのアクティビティが余り高いとはいえないが、この20年間、多くのメンバーから知己を得て、得がたい交友をさせていただいてきたと思っている。主要なメンバーがいる北米やヨーロッパから遠く離れた東アジアのメンバーとして唯一できることは、アクティビティを維持することだろう。それがクラブへの恩返しになるだろうか。ビーコンだとか、半分揶揄されても(笑。

昨夜は、北米とヨーロッパに同時に開けていた。北米全体から強力に信号が飛び込んでくる様を耳にすると、一種の興奮を覚える。Al W1FJや、Jim W6YAといった顔なじみと交信したが、Bill N4ARが、ミシガンの別荘から呼んできてくれたのが昨夜のハイライト。Billは、某所の雑記にも記したが、ケンタッキーで循環器内科を専門とする医師だ。1980年代から90年代後半にかけて、あちらの時間で毎朝のように7メガに出没していた方だ。もっと旧い話としては、1960年代、彼がジョンスホプキンスという有名な医大の学生(ないしインターン)だった頃、K4GSUというコールで出ていた。オールアジアコンテストでナンバー交換をした記録が、旧いログにあった。やはりFOCのメンバーで、私がFOCに加入したころから、親しくお話をさせて頂くようになった。

ケンタッキーの自宅の大きなアンテナ群が、3週間前に吹き荒れたICE STORM(雹の類なのだろうか)で破壊されてしまった。ミシガンに来る前に7メガのビームだけは再建した、ということだった。ここ数年、夢中になっていた乗馬にはまだ凝っているのだが、無線にも復帰すると語っていた。

私が、Al相手に、仕事をそろそろ店じまいすることを考えているのだが、継承してもらう医師が今のところいないのだといったぼやきを語っていたのを聞いていたらしく、Billも同じ状況だとのこと。長く一緒に仕事をしてきた、3名の同僚がいたのだが、彼等すべてもう退職してしまい、残っているのはBillだけだ、とのことだ。誰かに仕事の後を継いでもらい、パートタイムの仕事にしたいのだが、とも仰っていた。米国では(でも、と言うべきか)、医師が病院の外来だけを受け持つ仕事につくことを好み、入院業務や救急業務までをしたがらない、ということだった。しかし、近いうちに、リタイアを考えているらしい。

1960年代の輝かしい旧きよき時代を思い起こすと言うと、確かに、輝かしい時代だったが、これからやって来る日々も良い日々になると思うよ、とのことだった。最後に、彼の年齢を尋ねたら、この6月で70歳になったそうだ・・・うむ、キーイングだけでなく、話す内容が若々しい・・・。

信州での合宿 

以前にも記したが、6年前の夏、信州でネットで知り合った方、および学生時代等からの知り合いが集まって、3日間音楽漬けの生活をしたことがあった。そこでお目にかかったチェロを弾く方と、ネットで再び言葉を交わす機会があった。懐かしいことだ。お一人は、忙しい生活の合い間に、チェロを弾き続けておられる、またもう一方は、最近再開された様子。

夏の信州が、こうした集まりにはよく合う場所だ。大学時代のオケの夏合宿が開かれたのも、たいてい信州だった。

下記の画像は、大学時代の後輩お二人と、メンデルスゾーンのピアノトリオ1番1楽章を弾く私。自分の画像を出すのはいささか気が引けるが・・・ま、十分縮小してあるし大丈夫か・・・。

バイオリンを弾く後輩は、某大学で教員をしている。ピアノ弾きの方は、ピアノの教師をなさっている。バイオリン弾き氏とは、20年以上振りにお会いした。学生オケでチェロを弾いていらっしゃったピアニストの方とは、この時期前後に何度か室内楽のお相手をして頂いた。二人とも昔と変わっていなかった・・・あれから6年、少しは変わったか・・・またお目にかかり、夜を徹して・・・は無理かもしれないが、下手なチェロのお相手をお願いしたいものだ。

2002年8月安曇野

拍手とともにコメントを下さる方へ 

拍手に伴うコメントを見落としてしまうことがありますので、できれば、コメント欄に非公開でお書き下さるとありがたいです。その場合、私のお返事は公開になってしまうのですが・・・いずれにせよ、拍手に伴うコメントも読ませていただき、励まされています。ありがとうございます。

ワーキングプアの固定化 

今日の昼休み、用事で近くの郵便局にでかけた。狭い待合室のソファーに、顔見知りのKちゃんが座っていた。南米から日本に来ている高校三年生。幼稚園児の頃から、時々診察にやってきていた子だ。学校が早く終わったらしい。2,3年前、外来で、彼女が外国語が好きだと言っていたのを思い出し、当然進学するものと思って、進学するのか尋ねたら、少し顔を曇らせて、いや就職だと言う。親と相談して就職に決めたと言っていた。大学に行くにはお金がかかるから、とも言っていた。とても利発そうな娘さんなので、得意の外国語のを生かせないのは残念だね、いつか勉強する気持ちを持ち続け、社会人になってからお金をためて進学できるといいね、と彼女に言った。何しろ、何か資格をとるか、人ができないことをできるようになっておいた方が良い、と付け加えた。

Kちゃんにこのように言ったのは、大きなお世話だったかもしれないが、これからの時代を生きるためには、特に女性の場合は、何かの資格か特殊技能を持つことがさらに必要になってきたと常日頃強く感じているのだ。国のレベルでも同じ議論ができるのではないか。東大の神野教授が、その著作のなかで、スエーデンのように国民負担率・法人税が高い国でも、企業は国外に逃げ出さずに、上手く経済が動いている、それは、国内企業に他ではまねのできない技術があるためだということを書いておられた。日本では、法人税負担を上げると、企業が外国に逃げ出すから駄目だとして、せっせと法人への税負担を減らし、その一方企業に都合の良い、特殊技能を持たないワーキングプアの労働者を増やしている。その結果、企業の好決算が続いているが、一方では、Kちゃんのように出発点から、特殊技能を持たずに生きてゆくことを余儀なくされる、ワーキングプアに限りなく近い状況の若者が増えている。これでは、国としても将来上手く行かなくなることは目に見えている。

ある精神科系の学会で話題になっていたこととして、所謂ワーキングプアに陥ると、そこから抜け出すことが極めて難しい社会に日本がなってしまっていると聞いた。社会の底辺で生きる人々と接することの多い、精神科の医師達は、この現実を身近に感じているのだろう。社会階層が明確に経済力によって分かれ、それが固定化しつつある社会だ。この社会構造が、個々人の生きがいを奪い、社会の活力を徹底的に削ぐのではないだろうか。

Kちゃんは、伯母さんがアメリカのロスアンジェルスで生活しているので、彼女を頼ってアメリカに行ってみたいとも口にしていた。伯母さんのご主人が大学の教員をしているとのこと。アメリカの生活も厳しいかもしれないが、現在の日本の状況よりは、将来が開けるのかもしれない。彼女の夢がかなうことを祈りながらお別れした。

規制改革会議中間取りまとめの欺瞞 

規制改革会議中間取りまとめが、一昨日公表された。ここ。

医療関連で注目すべき点が二つある。

一つは、混合診療解禁を促す提言だ。混合診療解禁という場合、二つの側面がある。一つは、先進医療・未承認医薬品を自費で利用できるようにする、ということだ。もう一つは、医療への公的支出を削減するために、医療の一部、または大部分を自費にするということだ。この規制改革会議では、前者の意義を強調している。混合診療が実現すれば、患者は、自己負担を増やすことなく、より先進的な医療を受けられるようになるとまで言い切っている。これは、真っ赤な嘘である。政官は、医療への公的支出を減らすことを目論み、財界は、医療に新しい市場を創出し、そこで金儲けすることを目指しているのだ。いずれにせよ、患者の自己負担は、飛躍的に増えるのだ。

もう一つ。医学部定員を国家が管理することを止めろというアッと驚く提言だ。医師になりたいという若者の職業選択の自由を保障し、医師不足を解消するため、という論理である。労働者の三人に一人を非正規雇用とし、ワーキングプアを大量生産してきた、この会議の面々が、職業選択の自由を声高に主張するのには、苦笑を禁じえない。医療費を削減しつつ、医師を増員するというのは、安価に使える医師を大量生産しようという発想だ。恐らく、それによって医師を統御し、支配することが容易になると踏んでいるのだろう。医師不足を解消するために、ただ新規の医師を増員しようという発想が安易過ぎる。さらに、より過酷な条件で医師を支配しようという発想は、医療を良くして行こうという意思が全く無いことを意味している。

医療費が増え続けることは国家財政の問題だろうし、また医師が不足し、医療が崩壊し始めていることも大きな社会問題だ。しかし、こうした問題を議論するときに、何故本音を出さないのか。国民をだますような議論しかできないのだろうか。規制改革会議は、恐らく官僚のお膳立ての上に、財界メンバーが主張することを答申しているのだろうが、こうした国民を欺き、問題解決からむしろ遠のかせる議論は、即刻止めてほしいものだ。

保険医団体連合会 厚生労働省の虚偽に迫る 

厚生労働省が「5分間ルール」の根拠とした、統計資料の正当性が揺らいでいる。これはここでも以前のエントリーで紹介し、「新小児科医のつぶやき」本日のエントリーでも詳細に論じられている。厚生労働省の統計資料が、本来の統計の意図とは異なる用い方をされている・・・要するに、5分間ルール導入という結論を導き出すために、用いることの出来ぬデータを強引に利用したこと、それに対する釈明でも、間違いを犯し、さらに保険医団体連合会に脅しとも受け取られかねない公文書もどきの文書を送りつけている。

厚生労働省は、あるデータを本来用いてはならない場面で利用したのだ。それは、二重の意味で、医療機関・医師への暴挙である。一つは、厚生労働省がデータ収集の目的を医療機関側に偽ったこと、もう一つは、そのデータの虚偽の利用によって、「5分間ルール」という現場無視の規則を持ち込み、医療現場を混乱させていることである。

これまで官僚によって公表された、医療現場に関わる統計資料には、どう考えてもおかしなデータが多かった。なべて、このようなイカサマに近いデータの利用をしているのではないか。ある事象の分析には使えないデータを、強引に分析・政策決定に用いる恣意的な利用は、言ってみれば、イカサマである。何故、このようなことを平然と官僚は行うのか。

厚生労働省は、医師に「懇切丁寧な説明をせよ」と説いておきながら、こうした自らのイカサマには何ら懇切丁寧な釈明をしないという事実を皮肉った、保険医団体連合会の質問状の文言に大きく頷くのみだ。厚生労働省は、事情を詳細に説明し、さらにこの問題の責任者に責任をとらせ、「5分間ルール」という現実無視の規則をすぐに撤廃せよ。さらに、統計データは、その対象・収集方法等を常に明らかにすべきだ。でなければ、今回のようなイカサマを、官僚が常に行う土壌を残すことになる。

W6FOC DINNER 08参加断念 

昨日、Rob K6RBからW6FOC DINNERへの正式な招待状が届いた。エレクラフト社の展示や、Bob W6RGGのBS7へのDXpeditionの講演等があるらしい。

しかし・・・前々からいろいろと考えていたのだが、今回の参加は取りやめることにした。Randy W6SJ、Cliff K6KIIそれにJim KF7E等の友人からも、やいのやいのの参加を促す連絡を貰っていた。数週間前には、Jimから手紙があり、私があちらに行くのであれば、仕事での旅行の予定をずらすから、来れるかどうか教えろと言って来てくれていた。それにはpendingだと答えてあった。昨夜は、7メガで会ったCliffに再び是非来るように促されたのだが、最終的に行かないという結論だということを伝えた。

理由の一つは、母親の面倒を見る・・・といっても、休日に食事の世話をするくらいなのだが・・・ためだ。家内と二人でカリフォルニアに数日でかけるのは、少し憚られるのだ。もう一つは、仕事。リタイアを視野に入れた現在、ここで手綱を緩めるのに躊躇がある。オケのトップを任されたことも結構大きい。弾けないトップで終わってはならない(笑)。それに、あちらで、あまりに注目されているような気配がするのも怖気づかせる。Bert W5ZR、Dave K6XG、Bob W6CYX等からも是非来るように言われていたのだ。表舞台に立って、交流するのは苦手な方なのだ。

しかし、8月のからっと晴れ渡ったベイエリアに降り立ち、旧知の友人とお目にかかるのは、とても楽しいことだろう。来年には、準備を予めしておき、そっと仲間に加わりたいものだ。オンエアーでは、皆に残念だと言って回らなければならないな・・・。