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 2008年08月 

村上陽一郎先生のこと 

工業高専を卒業するころ、学園紛争の嵐が、全国の高専を襲った。1960年前後大学生達が安保条約の批准に反対して、政治運動を繰り広げた。それへの反動から、高校と大学の専門課程を続けて学ばせる学校を、当局が作った。それが高専だったのだ。そうした高専誕生の政治的な経緯に対する反発があり、高専は荒れた。私の記憶では、当時、所謂学生運動のセクト等が高専に入り込んでいたわけではなく、一般学生も巻き込んで、討論等が整然と行なわれていた。教室がバリケード封鎖されて、しばらく休校状態になったりもした。政治的な季節だった。

当時、科学技術史の講義に非常勤講師として来られていたのが、村上陽一郎先生だった。まだ、大学院を終えたばかりだったろうか。長身をダークスーツにくるみ、皮革製のネクタイをしておられた。考えながら静かな口調で話される科学史・科学技術史の話は、専門科目だらけだったカリキュラムのなかで、私にとって清涼剤のような趣だった。大きな講堂で学年全体を対象にした授業が行なわれていたが、学園紛争もあり、出席する学生は多くなかった。私にとっては、荒れる政治的な運動や、個人的に精神的な居所の定まらぬ不安定さを逃れて、一時的にだが、しっかりした何ものかに接することのできる時間だった。授業の最後のころは、校舎のバリケード封鎖があり、授業に来られた先生が教室に入ることができずに、校舎の入り口で私達としばらく立ち話をしてお帰りになることもあった。試験も、リポートに振り替えになった。

高専を卒業後、彼が、東大の教授から、国際基督教大学に移られたのは、マスコミでの報道等で知っていた。私も、医学部に進学する前に、ほんの僅かの期間後者に在籍していたことがあったので、かすかな親近感を覚えていた。

最近、ネットのアマチュアチェリストの方のサイトで、先生のことが話題になっていた。先生は70歳を越え、国際基督教大学も退官されることになったそうだ。同大学の卒業生であった、このチェリスト氏は、先生が退官記念に行なった紀尾井ホールでの演奏会に足を運んだ様子だった。ベートーベンのマカベウス変奏曲にメンデルスゾーンの1番のピアノトリオ等を、プロの方々と立派に演奏されたらしい。美智子皇后も聴きにお出でになったとか・・・。先生のサイトに、「ごまめの歯軋り」というエッセーがのっているのだが、そこで先生は、定年退官の最終授業を仰々しく盛大に行なうのは性に会わない、学問というのは孤独な作業なのだから、その学問の一つの通過点である最終授業も普段通り淡々と行なうのだといったことを書いておられた。その代わりに、上記の演奏会を行なう、ということだったらしい。

高専卒業後は、個人的に接することはなく、ただ先生の学者としての活躍を傍で見させていただいていただけだが、先生が歩まれた足跡と、チェロを人生の友人(先生の弁)として生きてこられたことを知り、感慨深いものがある。ますますお元気に、学問と音楽の世界で活躍して頂きたいと念願している。

彼の履歴のなかに私の母校での教職暦は入っていなかった・:・少し寂しかったが、たった数ヶ月間の在職で、それも学園紛争により尻切れトンボになってしまったので仕方がないのかもしれない。一度お目にかかって、大教室にいた数名の受講生の一人が私であったことを申し上げて見たい。