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 2008年08月 

1034回目 

今夜、1034回目の交信をBob W6CYXと行なった。1034回目と言っても、1960年代からの交信だし、最近は数ヶ月に一度程度にまで少なくなってきている。それでも、旧友に呼ばれて話をできることは嬉しいことだ。

Bobから聞いた驚くべき話。かなりの人数のヤクザがカリフォルニアにやってきて、莫大なドネーション(彼に言わせれば、賄賂・・・)を医学校に行い、肝移植を受ける順番を早くしてもらっている、とあちらの新聞で報道されていた、という。これは、二重の意味で恥ずべきことと思える。外国で臓器移植を受けること自体、その国の他の患者さんの臓器移植の機会を失わせることにつながりうる。やはり日本で臓器移植が受けられるように、条件整備を進めるべきなのだと思う。もう一つは、ドネーションを行なって便宜を受けていることだ。

彼には、この報道が本当なのかと確かめたが、やはりこの記事を確かに読んだ、とのことだった。UCLAでの出来事らしい。日本では、どうして、こうした報道がなされないのだろうか。それとも、私が見過ごしているだけなのだろうか。

Bobの奥様の主治医がリタイアすることになり、新しいかかりつけ医を見つけなければならないのだが、多くの医師は、大企業に雇われているようで、これまでのように、必要なときだけ受診するということが出来ない、とも言っていた。

こちらの医療事情は悪化し続けており、私もリタイアすることを考えていることを申し上げた(以前にも申し上げた気がするのだが、さらに状況は切迫してきている)。この夏サンフランシスコで開かれたW6FOC Dinnerに、彼は奥様ともども参加し、旧友、新しい友人と会うことができて、よかったとのことだった。私も、来年は是非参加するつもりだと申し上げたら、喜んでくださった。彼と最後にお目にかかって、既に17年だ。老境に差し掛かった相手を見ることになるのだろう。

彼の三人のお子様達、それに六人のお孫さんたちも皆元気の由。彼は、私が他の方と交信しているのを聞いていることが多いと言っていたが、聴こえたら躊躇せずに呼んでほしいと申し上げて、交信を終えた。

追伸;
Bobの言っていた、ヤクザが肝移植を受けた問題は、この報道の件らしい。米国入国がFBIにより禁じられていたのに、不法行為の情報を与える約束で、その入国が許可されたらしい。待機期間からすると、何らかの便宜が与えられた可能性が高いようだ。が、賄賂云々の件の記載はない。外国人が保険を用いずに肝移植を受けるのににかかる費用は、50万ドル以上のようだ。外国人への臓器移植を厳格に制限する動きについても触れられている。

加藤先生無罪確定 

福島地検は、福島県立大野病院加藤医師不当逮捕起訴事件の控訴を断念すると、今日発表した。加藤先生の無罪が確定した。

加藤先生には、本当に長い間お疲れ様でしたと申し上げたい。地域医療に戻って、医師として仕事をお続けになるという意向を表明されている。それが、しっかりと実現し、また臨床医として活躍されることを期待したい。

福島県病院局の当時の責任者には、早速、あの報告書と、それに基き加藤先生に不当にも下された処分を撤回して頂きたい。なぜこうした杜撰な報告書を出すに至ったのか、その経緯を明らかにしてもらいたい。さらに、その責任を当時の責任者は取るべきである。このような事件を繰り返してはならない。

福島県警にも、事件後1年間経ってから突然逮捕を行なったことに対して、真摯に反省し、その経緯を明らかにしてもらいたい。逮捕を実行した富岡署に対する福島県警本部長賞は、撤回すべきである。鑑定医及び福島地検にも、医学的に適切さを欠く起訴・公判維持を無理に行なおうとしたことを猛省して頂きたい。法曹界の方々と、官僚・政治家には、医療の内容を安易に刑事事件化することによって、医療の枠組みが崩壊することをしっかり認識して頂きたい。

マスコミは、どのようにこの事件を報じてきたのか。NHKの飯野奈津子解説委員は、無罪判決が出ても、加藤先生に非があるかのような解説を行なっている。物事の本質を報道せず、ただ視聴者の情に訴えることだけをしてこなかったか、猛省を促したい。

亡くなられた妊婦の方の御冥福を改めてお祈りしたい。

この事例を刑事事件化することによって、誰も納得せず、誰も救われた者がいなかった、むしろ産科医療が大きく荒廃したことだけは確かだ。このような事例を刑事事件化することをj繰り返してはならない。


以下、加藤医師と弁護団のコメント~~~

◆ 加藤克彦先生のコメント
 心中 ほっとしております。
2年6カ月は、とても長かったです。
支えてくださった皆様に大変感謝しております。
これからも、地域医療に私なりに精一杯取り組んでまいります。
あらためまして、患者さんのご冥福をお祈り申し上げます。

加藤克彦

◆ 弁護団のコメント
 検察官が主張する医療措置について、全く立証されていない本件では、控訴断念が当然の結論であると考えます。
 一方、加藤医師について無罪が確定することにより、本件裁判が、産科を中心とする医療現場全般に与えた悪影響が、収束することを期待します。

県立大野病院事件 弁護団

朝令暮改再び 

厚生労働省の朝令暮改振りは、つとに有名である。またまた、診療報酬の大幅変更だ。変更するだけでは現場へのストレス負荷が少ないと思ったのか、書類作成を新たに強要している。

後期高齢者医療制度もめちゃくちゃになっているし、終末期医療に関わる診療報酬もすごすごと引っ込めている。根拠のないデータでっちあげ、強行導入し、現場をことのほか混乱させ、医師の正当な技術料を簒奪している「5分間ルール」も結局、実際上、事務員の判子押しの作業を、無意味な多くの作業に一つ加えるということになっている。官僚は、医療の効率化というが、彼等の施策は、医療現場を逆の方向に推し進めている。

ここで、また朝令暮改が一つ生まれた。

いい加減にしろ、厚生労働省の官僚よ。


以下、引用~~~

90日超の入院報酬減額せず 退院支援報告書の提出で
08/08/28
記事:共同通信社
提供:共同通信社


 厚生労働省は27日、脳卒中や認知症で重度障害を負った75歳以上の患者が90日を超えて入院すると、急性期向けの一般病棟に支払われる診療報酬が10月から減額される措置を見直し、医師らが「退院支援状況報告書」を書いて社会保険事務局に提出すれば減額しないことを決めた。

ははん、また書類作りを現場に強要するわけだ。

 入院患者10人に看護師1人の病棟では診療報酬が約3割減となり、一部病院や野党が「減収になる医療機関がこうした患者を受け入れなかったり、追い出したりすることにつながる」と批判していた。見直しは27日の中央社会保険医療協議会(中医協)で了承され、厚労省は近く都道府県などを通じて通知する。

受け入れなかったり、追い出したり・・・ではないのだ。この診療報酬では、経営が成り立たないだけのこと。ちょっとしたビジネスホテルの宿泊料金よりも低廉な診療報酬で、宿泊・食費・医療費を賄えというのは無理難題。要するに、90日を越えて入院する患者を、政府・官僚は認めぬということだったのを、改めるということだ。

 報告書は患者1人につき毎月1枚。入院日や病名、治療内容、退院が困難な理由や課題、リハビリなど退院支援内容を書き込む。厚労省は来年2月以降報告書を集めて内容を検討、今後の報酬改定の参考にする。

 中医協では「症状が固定した患者が一般病棟にいるのが本当にいいのか。医療や介護施設の地域連携で、症状に合ったサービスを受けられるようにするべきだ」「行き場のない患者が出るなら、厚労省挙げて施設整備に努力してほしい」などの声が上がった。

順序が違う!慢性期の患者さんの受け入れ先を確保してから、90日超入院不可とすべきなのだ。こんな明白なことを無視して、病院からの追い出し策を官僚が決めたことは、これから病人になる可能性のある我々は、よくよく覚えておくべきだ。後期高齢者医療制度など、追って知るべしである。

官僚の支配 

MRICから流されてきた田中啓一氏の文章。頷けるところが多い。現在の日本では、立法府の影が薄い。法案策定過程で官僚がお膳立てをし、法律ができると、省庁の通達によって、その運用は官僚の思い通りにされている。予算を握る財務省が、官僚全体を支配する。官僚は、立法・行政双方に密接に関わることにより、強大な利権を得る。そのような構造が強固に組み上げられている。マスコミが、そのような構造を監視し、批判すべきなのだが、その構造の一翼に組み込まれてしまっており、批判する機能を放棄してしまっている。

その構造の問題を解決するには、ここで上げられている提言は、あまりに穏やか過ぎる気もするが、問題提起としては傾聴に値する。

医療は、こうした官僚支配構造によって、ぐちゃぐちゃにされて、崩壊しつつある。医療現場にいる者は、そのことを強く実感している。


以下、MRICより引用~~~

         ■□ ニッポン 官僚 夏 2008年  □■

                嵯峨嵐山・田中クリニック院長
                「日本のお産を守る会」代表
                             田中啓一

2008年6月、飯尾潤氏の著書『日本の統治構造――官僚内閣制から議員内閣制へ』が第29回サントリー学芸賞(政治・経済部門)に引き続き、読売・吉野作造賞(中央公論新社)を受賞した。中公新書として2007年に刊行された小著である。小著でありながら含意に富む文章に、しばし真夏の夜の蒸し暑さを忘れさせられた。

 同書は、議院内閣制のはずの日本の政治が、実は政治家が官僚の代理人となった官僚内閣制であったと分析する。官僚は所轄の業界団体の利益の代弁者であったため、社会的な利益の代弁者の側面を持っていたとの評価もされている(同書74頁)。この利点は肯定しながらも、政策研究大学院教授 飯尾氏の主張は、戦前より続く官僚が支配集団となっている官僚内閣制を脱却し、憲法の定める議院内閣制へと転換しようというものである。そのためには政党が成熟し、選挙のた
めの団体から、日常的に国民の要求を吸い上げ集約化する機能を持つ団体へと成長すべきとする(233-236頁)。

 読み進めながら、私の脳裏に去来した光景がある。1970年代初めの、東京大学法学部の大教室のある場面。9月、学期再開日の昼下がりだった。国家公務員試験の合格発表が終わり、各省庁への入省者が内定した頃だった。入省を約束された学生たちは、試験準備から合格までの長かった期間の疲れも見せず、それどころか戦いを終えた競技者のような安堵の表情を浮かべていた。試験の順位が何番だったかとか、誰それが何々省に決まったなど、明るい声で気楽な話題を楽しんでいた。たまたま政策で対立するような話題になると、種々意見が交わされ、「早くも、省庁の代表者と同じだね」と言って、笑い合うのだった。

 そんななか、「どんな法律にもマジックカードが隠されているものだ。マジックカードを使うと、法律を骨抜きにすることも反対の目的に使うこともできる」「最高裁判事よりも法務省の○○局長の方が偉い。通知一発で法律を変えられるのだ」などと声高に話す学生がいた。

 誰もが知るとおり、日本では三権分立がとられている。国会は立法権を、内閣は行政権を、裁判所が司法権を担当する。ここでは国会と行政の関係を見てみよう。

 まず、国会で法案審議する際、実際には内閣提出法案の全部の条文がすでに完成されている。どのような法案でもいったん法文の形をとると、そのわかりにくさはかなりのものである。政策論争すべきであるのに、法案の「テニヲハ妥協」の余地が残されているだけという状況となり、その結果、国会の法案審議が空洞化してしまう(同書123-125)。この点が法律の制定面での国会の空洞化である。

 また、国会で作られた法律が行政機関に持ち帰られたあと実際にどのように運用されていくのかが、国民にも議員にもわかりにくい。この点はもとから想定されておらず、法律の運用面が適正かどうかをたえず監視する機関が憲法上、確定されていない。裁判所は受け身の立場に立たされ、訴えがない限り法律の運用が適正かどうかには関知しない。

 そもそも法律には何から何まで詳しく定められているわけではないため、細目を省庁で決める必要が出てくる。このときに、法律の所期の目的からの逸脱が起こらないとも限らない。さらには法の運用のために官僚から通知が出される。この通知は省内の決裁を受けることになっているが、大臣決裁を経るとしても、大臣の任期は平均で約1年と短く、実質的な判断を行うだけの見識を持ち得ないであろう。

 国会議員が議会で作った法律であっても、それが後日、実際どのように運用されているのか自動的にわかる仕組みにはなっていない。また現在有効な法律の数はおびただしく、一方、議員は目下の法案審議や政策課題に忙しい。となると、法律のすべてが所期の目的にそって運用されているかどうかを監視するのは、国会議員には時間的に不可能である。また議員ひとりの能力から見ても、不可能である。

 最初に省庁が法案の成立に関与し、法案が可決されて法律になると、その法律を省庁が実施する――つまり、法案から法律への制定過程では国会の力を借りるわけだけれども、ひとたび成立してしまえば、運用はまた省庁の裁量という深い闇に隠れてしまうのである。ひるがえって法案成立に際しても、たとえ審議会を開くにしても審議会の委員を任命するのは、省庁である。深夜に及ぶ官僚の働きぶりを深く尊敬するのであるけれども、法律の実施のありさまは見える形にして、日の光の当たるところにおいてほしいと願う。

 飯尾氏は、ある法律がどのように運用されているを監視する役目を、参議院に期待する(同書217頁)。また各省庁大臣の任期を長くすることで、政策と実務に通じてもらう(同書187頁)べきとしている。

 この飯尾氏の提案に添いながら、もし私にも許されるのであれば、以下の3項目を提案したい。

1.法の運用の実際について、議員及び国民が容易に知り得る状態を作る。

2.省庁通知は国民の権利義務にかかわる限り、参議院において討議される。また国民に縦覧され、意見を表明する機会が保障される。

3.国民の権利や義務への影響の具体化を待たずに省庁通知を司法判断の対象とする。

カーネギーへの行き方 

一昨日、Bruce K6ZBといつものように7メガで交信。家族のこと、仕事のこと・・・。

そろそろ寝る頃かと訊かれたので、いやチェロに少し触ってから寝ることにするとお答えした。

すると、『カーネギーに行くにはどうしたら良いか知っているか』との質問。

私『・・・分からないな・・・(心の中では、地下鉄かタクシーでとも思ったが・・・)』

彼『練習すること』。勿論、楽器を練習することだそうだ。ニューヨーカーの間では、有名なジョークらしい。

ニューヨーク生まれ、ニューヨーク育ちの彼は、少年時代カーネギーホールでアルバイトをしていたことがあったそうだ。ルビンシュタイン等を身近に観たそうだ・・・。

国交省概算要求 公共事業19%増 道路整備15%増  

国交省概算要求が、ひっそりと報じられている。道路整備費の増額分3500億円弱は、社会保障の減額分をそっくりそのまま飲み込んでしまう金額。道路予算は、単位面積当たりでは、米国の10倍以上らしい。人口が減り始める日本の国土にこれだけの道路が必要になるのか。実際に、どれだけの予算が、道路建設・公共事業に費やされるのか、良く見てゆく必要がある。


以下、引用~~~

国交省概算要求、上限まで積み上げ…公共事業19%増
 国土交通省は27日、2009年度予算の概算要求を発表した。

 全体の公共事業関係費は08年度当初予算比19%増の6兆2629億円とし、概算要求基準(シーリング)の要求枠の上限いっぱいまで積み上げた。

 整備新幹線は、地元自治体の負担などを合わせた総事業費が15%増の3529億円(うち国費は812億円)で、過去最高となった。道路整備費は15%増の2兆3245億円。

(2008年8月27日12時57分 読売新聞)

人生は旅路 

先週末、ハムの集まり「ハムフェア」に顔を出そうかと、仕事を終えて、東京に向けて車を走らせ始めた。しかし、ほどなく、軽いめまい・・・回転性のめまいではなく、dizzyという状態・・・を自覚した。これは無理だと悟り、方向転換をして自宅に向かった。

その状態が、夜まで続いた。ベッドに横たわりながら、これで睡眠に落ち、途中で重たい脳梗塞でもおきて、二度と目が覚めぬこともありうるなとふっと思った。それを考えながら、こころはとても平静だった。そんなことになるはずはないという思い込みがあるのかもしれないが、むしろ死によって、生きることの重さから解放される気持ちが強かったのではないかと思う。死ぬことに対する絶対的な恐怖よりも、死への解放が凌駕したのかもしれない。少なくとも、そのときは・・・。

と言いつつ、その翌日もしっかり目をさまし、またルーテイーンを淡々とこなす毎日が始まっている。

人生は、旅路・・・一所に留まれぬ旅路だということを自分に言い聞かせながら、毎日を過ごしてゆこう。

福島県警・地検の弁解 

「患者の目線で捜査」 異例の逮捕、妥当性を強調 <7>
08/08/20
記事:共同通信社
提供:共同通信社

 「われわれは患者の目線で捜査しているんだ」。産婦人科の加藤克彦(かとう・かつひこ)医師(40)が逮捕、起訴された大野病院事件。医療関係者の間で広がった批判に、当時の捜査幹部は語気を強めた。福島県警や福島地検は捜査の妥当性を繰り返し強調した。

この事件は、患者遺族が告訴した事件ではない。福島県警が、捜査を独自に開始し、加藤医師を逮捕した事件だ。それなのに、地裁判決で無罪になると、「患者の目線」と、あたかも責任を転嫁することを言い出している。福島県警の独自に行ったことであるから、自らがその責任をとるべきだろう。

また、刑事犯の捜査・逮捕は、事実に基づき、法に従って、冷静に行われなければならない。「患者の目線」それ自体、尊重されるべきだが、患者の目線は、往々にして、病と死という不条理により、事実を受け入れられなくなっている。福島県立大野病院で亡くなられた妊婦の父上は、加藤医師を刑事告訴することなく、地域医療改善への提言を立派に行っておられるが、彼のような遺族はむしろ例外のように思える。


 福島県は2005年3月、大野病院の女性死亡が医療ミスだったと公表した。これを端緒に県警は捜査に着手。「事故を警察に届けておらず、証拠隠滅の恐れがある」として翌年、異例の逮捕に踏み切った。

警察に届け出るかどうかは、加藤医師の責任ではなく、院長の管轄事項であったし、今回の判決で医師法21条違反には当たらないとされたこと。それに、事故後も1年間、同じ病院で地域医療に携わってきた加藤医師に、証拠隠滅・逃亡の恐れがどこにあるというのだろうか。福島県警は、この逮捕を行った異常さを、反省すべきである。逮捕に関わった富岡署に対して、この逮捕の功績を表彰した県警本部長は、責任を取るべきである。

 過去にも医療事故で医師が逮捕されたことはあるが、無謀な手術など悪質さが際立つケースがほとんどだった。

 地検は逮捕の理由について「遺体もない状況で、身柄を確保した上で周囲の関係者の話を聞く必要があった」とした。

身柄を確保し、厳しい追及を、外界から遮断された状況で行い、警察・地検の思い描く「自供」をさせ、供述調書を取ることが、逮捕の目的だったのだろう。加藤医師を逮捕する必要は全くなかった。改めて、福島県警には強く抗議する。

 問題となった帝王切開手術。当時の捜査幹部は「周囲のスタッフが『(事前の)準備をした方がいいよ』と心配したのに『大丈夫、大丈夫』と受け入れなかった」と説明した。「専門家に確認し、逮捕の必要性があると判断した」と自信ものぞかせた。

 医療関連の学会の抗議も相次ぎ、冒頭の捜査幹部は戸惑いを隠さなかったが、打ち消すかのように「人が1人亡くなっているんだ」とつぶやいた。

検察側の鑑定人になったのは、卵巣腫瘍が専門で、周産期医療には素人同然で、癒着胎盤の臨床経験が皆無の大学教授だった。周産期医療の専門家は、殆ど例外なく、加藤医師の行った医療が、与えられた医療環境で最善のものであり、刑事告訴されるべき事案ではないと明言している。人一人亡くなることは重たいことだが、警察・検察の行った愚挙は、より多くの患者を生命の危機にさらすことだ。警察・検察は医学的な見解には、謙虚になるべきである。こうした弁解は、もう止めにしてもらいたい。

福島県立大野病院事件控訴がなされぬことを求める署名 

タイトルの署名を求める依頼が、MRICで送られてきた。ここにコピーするので、是非署名をお願いしたい。特に、福島県に在住の方、非医療者の方にお願いしたい。


以下、引用~~~


                          2008年8月25日発行
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Medical Research Information Center (MRIC) メルマガ 臨時 vol 114

       ■□ 大野病院事件判決と署名のお願い □■

                       周産期医療の崩壊をくい止める会
                       佐藤 章
                       (福島県立医科大学産科婦人科学講座 教授)

    今回の記事、転送歓迎します!!
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 周産期医療の崩壊をくい止める会 代表の佐藤 章です。

 8月20日、福島県立大野病院 加藤克彦医師が業務上過失致死、医師法21条違反の罪を問われてきた裁判で、福島地方裁判所により、同医師には過失はなかったとして無罪判決が言い渡されました。このような判決が下されたのは、一重に国民、および医療現場の皆様の御支援のお陰と一同感謝しています。本日は、更にお願いしたき件があり、メールさせていただきました。

 同医師は一審で無罪となったものの、まだ、判決が確定したわけではありません。検察が高裁に控訴する可能性が残されています。しかしながら、本来は刑事事件として立件されるべきではなかったのであり、本件裁判の影響で、萎縮医療、産科医師激減は全国に拡大し、医療を受ける国民全体にとっても大きな不利益となっていることは明らかです。

 そこで、同医師をこれ以上の刑事手続から解放し、本件裁判が全国の医療現場にもたらした混乱を一刻も早く収束させるために、同医師が検察によって控訴されないことが求められます。

 医療現場の正常化と回復を望むことは、医療者、非医療者に共通した希望であり、そのために、同医師の控訴がなされないことを求める署名を集め、法務大臣、検察庁等の関係機関に提出したいと考えています、是非ともこの署名にご協力をお願い申し上げます。署名は以下の方法で受け付けています。

1)ホームページ:
  http://spreadsheets.google.com/viewform?key=pVSu1jKcdiL1dT7HDioKlfA

2)メール:perinate-admin@umin.net
  (氏名、所属、署名賛同の旨を本文にお書きください)


加藤克彦医師を控訴しないことを求める意見書
平成20年8月25日

 福島県立大野病院産科医師加藤克彦氏の行った医療行為に関して、同医師が逮捕、勾留、起訴され、業務上過失致死、医師法違反の罪に問われてきましたが、同医師の行為は、医療者としての適切な判断に基づいた医療行為であり、本来刑事事件として立件されるべき性質のものではありませんでした。

 福島地方裁判所も、同医師に刑事上の過失はなかったとして無罪判決を言い渡しました。

 一方で、本件裁判により、医療現場とりわけ産科医療の現場では、過失ない医療行為によっても不幸な結果が起きた場合に、医師が刑事責任まで問われてしまうことから、萎縮医療の進行、産科医師の激減の悪影響を生じ、医療を受ける国民全体にとっても不利益となっています。

 福島地方検察庁におかれましては、加藤医師の行為が刑事裁判の場で争われるべき性質のものでないこと、加藤医師には何らの過失もなかったと裁判所が判断したことを踏まえ、加藤医師を早期に刑事手続から解放し、本件裁判が全国の医療現場に及ぼした影響の甚大さを認識した上で医療現場の混乱を一刻も早く収束させるためにも、本件において加藤医師を控訴しないとのご決断をしていただきたい次第です。

 上記の趣旨から、医療者 ( )名、非医療者( )名の署名を添えて提出いたします。

以上

村上教授の、モンスター現象についての指摘 

先に取り上げた、村上陽一郎氏の評論。専門性の軽視が、医学内部からも起きているという段には、もろ手を挙げて賛成しかねるが、それ以外の点では、その通り!と思う。さすが村上先生と思わせる明快な指摘だ。

モンスター現象が、医療側を身構え、萎縮させることによって、ひいては、患者さんの側の大きな不利益になることを理解しなければならない。


以下、引用~~~

受益者としての患者の資格 モンスター現象の中で 村上陽一郎(むらかみ・よういちろう) 識者コラム「現論」
08/08/22
記事:共同通信社
提供:共同通信社

 近年、世の中には妖怪(モンスター)が跋扈(ばっこ)している。なかでも、学校と病院での現象が著しいという。いわくモンスターペアレント(親)、いわくモンスターペーシェント(患者)、どちらもMPということになる。

 モンスターペーシェントの場合、治療費の不払いは序の口、入院患者が医師や看護師を殴ったり、甚だしきに至っては、刃物を振り回したりする。ある統計によると、患者に接する際に、何らかの意味で不安を抱いている医療者は60%を超える。自分の生命を預ける医療者に、どうして、そのような敵意や害意を抱き、表すことができるのだろうか。

 これも統計から推定されることだが、そうした行為のなかには、もともとゆすりなどを目的にした暴力団絡みのもの、いわばプロによるものも、確かにある。しかし、言うまでもないが、それはむしろ少数と言える。

 興味深いことに、学校と病院には、一つの共通点がある。学校、つまり教育の現場も、病院、つまり医療の現場も、どちらも、本来ある種の権威の勾配(こうばい)があって初めて成り立つ空間である。教える立場と学ぶ立場、医療を与える立場と受ける立場、そこにはたとえ仮構のものではあっても、専門性を背景にした権威に基づく上下関係があって当然なのである。

 しかし、現代社会にあっては、そうした勾配は、非民主的という名の下に、極力否定される方向で進んできた。

 ▽専門性の軽視

 「友達のような」教師がもてはやされ、医師のパターナリズム(保護者的な姿勢)も常に糾弾されてきた。そのこと自体のなかに含まれる重要なポイントを、否定するつもりはない。しかし、教師や医師の「専門性としての権威」をないがしろにした結果が、モンスターの登場である、という点は、見逃すことができない。

 医療の場合には、このような外側からの要素に加えて、内側にも、専門性の軽視につながる現象が起こっている。かつては、永年の経験を積んだ「名医」でなければ、つかなかったような診断が、検査技術の進歩によって、医師とは名ばかりの国家試験を終えたての若い医者でも、より正確に下せるようになった。

 一方、EBM(科学的証拠に基づいた治療)という考え方の浸透で、治療の規格化、標準化がある程度可能になった。つまり、現在では、病気にもよるが、しかるべき診断が下されれば、しかるべき治療法が、ほぼ自動的に導き出されるような形が整い始めたのである。医師の専門的な経験や知識がものを言う余地が減った、とも言える。

 ▽悪しき権威主義

 もちろん、実際には、そうしたEBMは、確率と統計に基づいて組み立てられる一方で、病気というのは極めて「個人的」、「個別的」な性格を免れ難い。従って、すべてがEBMで片付くはずはない。医療者の幅広い経験と深い知識の専門性が、決定的に必要になる場面は、決して消えてはいないのである。

 だからEBMが専門性の軽視と論理的に直結するはずはないが、それでも、医療の進歩のなかに、専門性の軽視を誘発する要素が含まれていることは、注目に値する。さらに、安易に規格通りの治療で事足れり、とする意識が医師の側に、生まれない保証もない。

 内外からのこうした圧力のなかで、「神の手」などと言われる、少数の外科の名医はともかく、医師や医療者の専門性に対する尊重と敬意が、一般社会のなかで、希薄化しつつあることは、確かなようだ。

 個人的には「ものを言う患者」の増大を、私は否定したくない。医療の世界は、これまで余りにも長い間、医師の権威のカーテンの陰に隠されてきた歴史があるからである。そして、そうした悪(あ)しき権威主義は、少なくとも医療界の一部には、厳然と残っているからである。

 しかし、患者ないしはその周辺の人々が、自分たちの生命を救い、あるいはより良く生きられるために、献身的に努力と研鑽(けんさん)を重ねている医療者に対する、敬意と尊敬の念を失ったら、それは、結局、自分たちの首を絞めていることになる、という意識だけは、患者の資格として、忘れずにおきたいと思う。(東大名誉教授)

  ×  ×  ×

※村上陽一郎氏の略歴

 36年東京生まれ。東大大学院博士課程修了。専門は科学史・科学哲学、科学技術社会学。86年から東大教授。97年に同大名誉教授。95年から08年3月まで国際基督教大教授。同4月からは客員教授。音楽の造詣も深く趣味のチェロはプロ級。著書に「安全学」「安全と安心の科学」など。

東条英機が何故日本の指導者になったのか? 

ブログ「噛みつき評論」の主宰者okadaさんが、東条英機がどうして指導者となったのかという疑問を呈している。8月21日のエントリー。東京裁判で、東条英機は、戦争遂行したことの責任は自分にあるが、それは、やる気のない国民と為政者を信じて行なったことだと責任転嫁をしている、ということだ。こうした無責任な人物が、国の指導者になることになった過程・理由を調べるべきだという提言を、okadaさんはなさっている。

この問題と密接に関わる事実が、NHKスペシャルで放映されていた。満州国の実質的な経営に深く関わった、東条英機等は、アヘン・ヘロインを中国で作り、それを同地で売ることによって、戦争遂行の金を獲得していた、その金を基に、日本の軍部の統御から離れ、満州事変を始めとする軍事的な独走を行なったということらしい。社会福祉事業を行なうという建前の公的な組織を立ち上げ、その組織が、麻薬売買を行い、膨大な利益を得ていたらしい。麻薬売買によって、植民地を支配し拡大しようとする政治手法は、アヘン戦争を始め欧米列強が、それまで取ってきた手法だったが、東条英機等が満州でその手法を用いた時には、麻薬による支配に対する国際社会の批判が強く、国際連盟を脱退せざるを得なくなったということのようだ。

こうした人物が、日本を誤った方向に進ませた。彼が日本の指導者になった経緯を知ることが、同じことを繰り返さぬために必要なことだろう。

加藤先生無罪判決を受けての感想 

警察・法曹界でも、下記の記事のような考え方が主流になれば、状況は良くなるのだろう。だが、今のところ、マスコミ論調も含めて、斑模様であり、医療への理解が乏しい発言も目立つ。この警察庁長官の発言が主流になるように、医療人も根気強く発言し続けなければならない。

検察が控訴するかどうか、固唾を飲んで見守っている。検察が高裁に控訴すれば、問題は長引き、さらに深刻になる。同じような事例に対して、より良い対応ができる医療システムを実現する方向からは、逆の方向に進む。地裁判決の内容を良く吟味して、適切な対応をするように検察には望みたい。

福島県当局は、自らが、この不当逮捕事件を引き起こした当事者だと認識し、責任の所在を明確にし、さらに同様のことを繰り返さぬようにしてもらいたい。県の報告書には法的拘束力はなかったなどと弁解して済む問題ではない。事なかれ主義の無責任体制は、根本的に改めるべきだ。繰り返すが、県当局の責任は重い。

加藤先生は、地域医療で働き続けたいとの意向を表明されている。彼が、スムースに仕事に復帰できるように我々は発言し、行動して行くべきなのだろう。彼にとって、2年半の逮捕・裁判生活の日々は余りにも重かったのだろうと思う。

亡くなられた患者さんご家族には、事実を受け入れ、こころが癒される日が来ることを祈念したい。


以下、引用~~~


医療捜査『慎重適切に』

福島県で04年に帝王切開手術を受けた女性が死亡した事故で業務上過失致死罪などに問われた産婦人科医に無罪判決が出たことを受け、警察庁の吉村博人長官は21日の定例会 見で、『将来を見据えた場合、医療事故の刑事責任の追及は慎重かつ適切に対応していく必要がある』と述べた。

吉村長官は一般論と断った上で、『警察の捜査が結果として(医師の萎縮など)消極的な方向に影響を与えるのはよくない』と語った。

朝日新聞 2008年8月22日(金)付 社会面

福島県立大野病院事件加藤医師へ無罪判決 

今日、上記の判決が、福島地裁で下された。長い裁判を戦い抜いた加藤医師に、こころからお喜び申し上げたい。判決の詳細な内容をまずは読んでから、コメントしたいと思うが、急性期医療に最後の一撃を加えられることが当面なかったことを、素直に喜びたい。

この事件は、胎盤癒着という極めて稀な疾患により、病死された妊婦に対する医療の選択が間違いであるとして、福島県警・地検が、主治医であった加藤医師を逮捕起訴したものだ。

様々なネット上のサイトで問題点が議論されているが、どう考えても刑事事件には馴染まないこの事例が、福島県警・検察によって刑事事件化された原因はいくつかある。

まず、賠償保険支払いを急ぎ、主治医に妊婦の死の責任を負わせた、福島県病院局の報告書が、福島県警・検察をミスリードした。福島県官僚の無責任な対応と、それに呼応して玉虫色の報告書を作り上げた、(当時)福島県立病院の医師の責任は重たい。公的病院では、医療事故に際して、こうした対応をすることが多いらしい。これでは、医師は公的病院での急性期医療には、ことに携わることができなくなる。

第二に、このようなケースは、周産期医療の専門家にこそ鑑定を求めるべきであるのに、福島地検が、周産期医療の専門家ではない産婦人科医(専門は、卵巣腫瘍の由)に、この周産期の深刻なケースの鑑定を求めたことが問題である。それに対して、鑑定医が不適切な鑑定をしたことも追及されるべきだ。裁判中に周産期の複数の専門家が、加藤医師の医療行為に問題がないことを証言したことで、この鑑定にまつわる二重の誤りは明らかだ。福島地検は、恐らく彼等に逮捕起訴の最初の根拠を与えた、上記の福島県病院局の関わる報告書を証拠採用を申請していないらしい。それは、癒着胎盤が子宮前壁にかかっていたという地検の主張と相容れない点が、福島県病院局の関わる報告書にあったからだと言われている。このことだけからも、裁判の場で、医学的な「真実」が明らかにされることはない、地検は彼等が起訴した被告を有罪にすることだけを目的に、医学的に観て珍妙な論陣を張ることが分かる。

医療行為を、与えられた医療資源のもとで全力で行い、その結果が思わしくないものであるからと、医師が刑事被告人にされるのでは、医療行為自体が成立しなくなる。患者となりうる国民の方々に、医療は、社会の基盤となるシステムであり、現在そのシステムが、様々な面で脆弱化されていることを理解してもらいたい。さらに、医療には確実に限界があることを知ってもらいたい。10万件の分娩で、数件、生命を落とされる妊婦の方が現実に存在する。それを減らすべく努力しているが、ゼロにすることは恐らく無理なのだ。医療システムを攻撃し、さらに個々の医療行為を行う医師を訴追することによって、結局大きな痛みを負わされるのは、国民自身なのだ。

検察が、加藤医師を控訴しないことを切実に希望する。これ以上の、裁判は、誰のことも幸せにしない。

権利と義務 

今夜、Bob K6RRと交信して、とても驚かされたことがあった。Bobとは、恐らく1960年代から、記録上は80年代から交信を重ねてきた。90年代から数年前までは、ほとんど彼の信号を聞くことはなかった。が、最近、夕方から夜にかけて、しばしばお目にかkるようになった。いつも、夜遅くまで仕事をしていた、または早朝から仕事だと仰っていたので、何をなさっているのかと思っていたが、数日前、ひょんなことから、彼も医師であることが分かったのだった。

今夜の交信では、まず尋ねようと思っていた、彼の仕事について伺った。10年前まで、自分の診療所を経営していたらしいが、その後は、パートタイムの仕事、主に救急の仕事らしいが、を続けているようだ。彼もすでに79歳。もう引退なさっていて良い年齢なのだが、何故、このように高齢になっても仕事を続けているのだろうかと不思議に思った。実際のところ、とても長時間仕事をされているようなのだ。

彼が仕事を続けねばならない理由は、2年前に51歳の若さで亡くなった奥様が受けた医療に対する借金にあるようだった。彼女は、亡くなる2年前に、カルシノイドに冒され、インターフェロン療法や、度重なる手術で、総額「20億円」の医療費がかかったとのことだった。最後には、肝膿瘍を生じ、不幸にも、その若さで逝去されたとのこと。キューバ出身のとても美しい方だったようだ。

彼の一族は、長寿の家系で、90歳代まで仕事を続けた人間もいるから、と要って、笑っておられたが、79歳で救急の仕事をするのは、尋常なことではない。奥様は、医療保険に入っていたが、十分な保障を得られなかったらしい。

なんと数奇な運命なのだろう・・・と思ったが、このように莫大な医療費がかかることは珍しいことではない、彼女のために出来るだけのことをしたとむしろ自らの人生をあるがままに受け入れておられる様子だ。

今日も、これから14時間連続の仕事だと言い残して、私との交信を終えた。その直後に、Jim W6YAが、私と彼を同時に呼んできた。が、Bobは既にリグの前から居なくなった様子で応答がない。私がJimに応答する。Jimは、現役の歯科医である。Jimは、Bobと50年来の付き合いとのことだった。Bobがロマリンダ大学の医学部に在籍していた頃に、無線で知り合ったらしい。医療を受けるのに「20億円」かかることが実際普通にあることなのかと、Jimに尋ねた。彼も、Bobがそのように語るのを聞いた、実際、様々な高度医療でそれだけのお金が必要になることもあるのだろうとのことだった。週末にBobに会うから、よく尋ねてみると仰っていた。

米国の医療が最先端を行くとして、誉めそやす人々が、わが国にも少なくない。しかし、米国での医療費は、十分な保険に入ることの出来る富裕層以外では、Bobが経験したようなことになるのだろう。個人の自己破産の二番目の理由が、医療費であることがよく分かる事例なのだろうと思った。そうした経験をされている方が、これほど身近にいることが、大きな驚きだった。

話は少し飛ぶが、今日ネットサーフィンをしていて、「医療過誤原告の会」という組織のウェブサイトを見つけた。様々な医療事故に対して民事訴訟を起している方々と弁護士達の集まりらしい。彼等の主張には、医療事故の真相究明・再発防止といったことも挙げられているが、とりわけ関心を惹いたことがあった。彼等には安全な医療を受ける権利がある、病気ではなく、診療行為によって生命を失ったり、障害を負った場合は、それに対する補償を受ける権利がある、ということだ。これは凄まじい主張に思えた。医療の不確実性、生命の有限性という根本的な現実を受け入れず、安全な医療によって良い結果を期待することが当然のこととする主張だ。この肥大した(と私には思える)権利意識が実現するのと同時に、米国での医療の高コストを受け入れることが要求されることを、彼等は知っているのだろうか。これまでと同様に、極めて低廉なコストで、かなり優れた医療を、格差なしに受けることができる医療制度は、崩壊しつつあることを知っているのだろうか。

本当にこれで良いのだろうか・・・。

8月20日 

福島県立大野病院加藤医師不当逮捕起訴事件の地裁判決が、8月20日に下される。

正当な医療を行ったのに、ただ結果が思わしくなかったということで、加藤医師は、逮捕・起訴された。医療人が結果次第で刑事訴追されるという、医療界に衝撃をもたらした事件だ。

この日午後に、現地でシンポジウムが開かれるらしく、私も仕事を休んで駆けつけることも考えたが、様々な条件がそれを許さない。遠く離れた地で、加藤医師が完全無罪という当然の判決を受けることを祈りたい。

有罪は、受け入れ難い判決だが、まだそれでもこれまで通り医療界が一体となって、加藤医師を支持し、支援して行くことができる。一番受け入れ難い判決は、無罪だが、加藤医師は注意をもっと払うべきであったといった加藤医師の非を諌める付帯意見のついた判決だ。

この裁判は、産科のみならず、急性期医療を、完璧に萎縮させ、さらに崩壊させうる事態を齎すものだ。医療人だけでなく、国民の一人一人に直接関わることだ。是非、関心をもって見守っていただきたい。

思えば、私が、医療問題の情報をネットで渉猟し始め、また拙い内容であるが、ブログで自分の考えを発信し始めたのは、この事件がきっかけだった。息をのむような気持ちで、20日の判決を見守りたいと思っている。

status syndrome 格差症候群 

日本で社会のなかの格差が急速に広がっている、という。それは、医療だけでなく、社会の崩壊を齎し始めているようだ。

格差による生じる健康の障害、格差症候群について、李啓充氏が、医学書院のサイトで連載の論文を掲載している。ここ

政官財が一つになって、国民の財を略奪する国家構造を改めること、さらにこの格差症候群への根本的な対策をとることが、どうしても必要だ。

リハの医療事故の原因は、医療機関だけの責任か? 

高齢者のリハビリテーションは、対象がもともと運動機能の障害を持っていることが多く、事故の起きる可能性は低いとは言えない。それは、自宅であろうが、医療機関であろうが同じだ。

高齢者のリハビリテーション中の事故数を、また、日本医療機能評価機構が報告している。医療事故の数それ自体は、どれほど目の細かい網を、どれだけの範囲にかけるかによって多寡が変化する。したがって、トータルの数は少ないに越したことは無いが、大切なことは、一つ一つの事例の原因を明らかにし、それを再発防止に役立てることだ。

日本医療機能評価機構の担当者のコメントは、医療を知らない人物の発言としか思えない。

そのコメントとは「多忙な中で漫然と危険性を見過ごしている医療機関もある」という発言だ。漫然と見過ごすいうことと、多忙を極めているということは並立しない。多忙を極めているのならば、漫然と見過ごすということではない。多忙になる理由は何なのかを突き詰めるべきではないか。ここ数年、リハビリテーションの診療報酬に成果主義が取り入れられ、それこそ漫然とはりハビリテーションを続けることはできなくなっている。さらに、リハビリテーションの診療報酬自体が毎回の改定時に引き下げられ、十分なマンパワーを充てられなくなっている。多忙の背景に、そうしたシステム上の問題がないのか、事故を起すリスクの高い高齢者のリハビリテーションに十分な医療行政上の十分な手当てがなされているのか、そのことをこそ、日本医療機能評価機構は問題にすべきではないのか。

リハビリテーションに日数制限を持ち込んだ官僚に対して、多田富雄東大名誉教授が激しく抗議したことは、既に記した。行政が、リハビリテーションを軽視し、貶めたことが、医療事故の原因になっていると、日本医療機能評価機構は何故指摘しないのか。個別の医療機関・医療従事者「だけ」の責任に押し付けるような、医療事故調査は無意味であるばかりか、真の問題を隠すことになる。



以下、引用~~~

リハビリ中の事故多発 「医療機関、予防策を」
08/08/14
記事:共同通信社
提供:共同通信社


 日本医療機能評価機構(東京)は13日、高齢者などのリハビリテーション中の事故が、全国約560の医療機関で2004年から07年にかけて計24件発生していたと発表した。機構は「報告以外にも相当数の事故が起きていると思われる。予防可能なケースが多く、各医療機関は危険性の調査をして事故防止策を検討すべきだ」としている。

 厚生労働省によると、リハビリ中の事故についての全国調査はあまり例がない。

 機構のまとめによると、24件のうちリハビリ中の運動に伴う骨折や筋断裂などが19件、やけど4件、原因不明による骨折が1件だった。障害が残った可能性が高いケースも1件あった。

 医療機関からの報告では「目を離したすきに患者がベッドから転落した」「患者の骨が想定以上に弱くなっていた」などが原因に挙げられていた。機構の後信(うしろ・しん)医療事故防止事業部長は「多忙な中で漫然と危険性を見過ごしている医療機関もある」と指摘している。

 ダウン症や脳性まひなどで療養する15歳未満の小児患者の事故も、同期間に37件起きたという。

ヒヤリ・ハット事例の数だけを問題にするのはピントはずれ 

医療は医療従事者による作業が多いために、医療従事者のエラーが、事故に結びつきやすい。事故に結びつきうるような事象を、ヒヤリ・ハット事例として、検討し、再発防止に寄与する作業がが行なわれている。

日本医療機能評価機構という特殊法人が、全国の病院(一部の病院)から、そうした事例の報告を受け、解析している。同機構が、そのような事例が20万件以上あったと公表した。それを、毎日新聞が報じている。

このようなヒヤリ・ハット事例の報告、その報道には、ほとんど意味が無く、さらに国民を不安に陥れるのが関の山だ。

第一に、ヒヤリ・ハット事例は、数の多寡だけを問題にするのか、問題解決を遠のかせる。そうした事例の原因をこそ突き詰めて、その原因を除くのでなければ、同じ問題が繰り返される。医療は労働集約的なのであるから、医療従事者がエラーをする原因に、労働条件の問題がないのか。同機構のヒヤリ・ハット事例の解析では、この点の追及が極めて甘い。医療というシステムのエラーをこそ問題にすべきなのに、個々の医療従事者の個別問題にしてしまっていることが多い。

同機構は、医療機関を認可する事業を行なっていて、重箱の隅をつっつくような検査をするのに、医療従事者の労働条件についての検討は極めておざなりである。現実を厳しくチェックしようとしない。同機構が、ヒヤリ・ハット事例の背後にある、医療システムのエラーを突き詰めようとしないことと、認定事業における医療従事者の具体的な労働条件の検討に関して、無関心であることは、同根の問題だ。注意喚起の情報を出すだけのは全く無意味だ。

さらに、上記のような問題をはらむヒヤリ・ハット事例を、その多寡という点だけを報道するマスコミ・・・この場合は、毎日新聞であるが・・・にも大いに反省してもらいたい。ヒヤリ・ハット事例は、医療従事者がサボっているために起きている、注意が不十分なために起きている、医療従事者よしっかりせよ、というだけの報道なら、全く無意味である。一つのヒヤリ・ハット事例の背後には、多くの問題が横たわっており、個別的に検討すべきことなのだ。さらに、多くの場合、医療システムのエラーが隠れている。ケースによっては、医療行政の瑕疵までを追及しなければならない。それなのに、20万件超という報告数だけを読者に訴えかける報道姿勢は、大いに問題だ。

同様の内容の過去のエントリー。ここ。同じ毎日新聞の清水記者・・・勉強をしていないのかな・・・。


以下、引用~~~

<医療事故>「ヒヤリ・ハット」事例が20万件超 07年
8月13日18時41分配信 毎日新聞


 厚生労働省の関連団体の日本医療機能評価機構(東京都)は13日、07年の医療事故報告の収集結果をまとめ、事故の一歩手前の「ヒヤリ・ハット」事例が初めて年間20万件を超えたと発表した。うち4分の1以上が調剤など薬に関する事例で、ミスに気付かなければ患者の命にかかわる危険があったケースも1000件以上あった。

 同機構は「注意喚起の医療安全情報を出した後に同様の事故が繰り返されるケースも目立っており、医療機関は事故情報をもっと活用してほしい」と話している。

 事故情報収集は同機構が04年10月から取り組んでいる。07年に規模や地域別に抽出した全国240病院から報告があったヒヤリ・ハットは、前年より1万3607件多い20万9216件。内訳では(1)薬の処方、準備、調剤(27%)(2)医療器具(チューブ類など)の使用・管理(17%)(3)療養上の世話(9%)--の順に多く、当事者は看護師が73%を占めた。

 全体の65%はミスがあったが患者に影響はなかったケース。逆に3689件は事前にミスに気付いたが、見過ごされていれば患者の生命に影響した可能性があり、うち1059件が薬の関係だった。

 薬のヒヤリ・ハットは準備段階での薬剤名や量の間違い、投与中の点滴速度間違いなどが多く、同機構は「薬剤師、看護師、医師らの役割分担が複雑なため、ミスが起こりやすい」と分析している。

 一方、07年に実際に起きた医療事故は、報告義務のある273病院から前年より30件少ない1266件の報告があり、うち死亡は142件だった。【清水健二】


最終更新:8月13日18時54分

Dave W8FGX 

空のCONDXは、少し秋めいてきた。ノイズが少なくなり、7メガの夕方、北米の中部東部まで聞こえるようになってきた。昨夜、オハイオのDave W8FGXから呼ばれた。このコールでは初対面だったが、以前、K3BHJ、N3HEというコールを持っていたと聞き、旧知の方であることが分かった。最近ヴァニティコールとして、このコールを得たようだ。S8から9を振ってきている。

Daveは、後、数日で65歳になる、近いうちにリタイアをすることを考えている由。しかし、obligationがあり、リタイアをすんなりできないかもしれない、とのこと。共通の知人、Bill N4ARを数年間聞いていないが、何か知っているか、彼はまで乗馬に凝っているのかと尋ねられたので、数週間前にミシガンの別荘から出てきた彼との交信の件を話した。Daveは、その昔・・・二昔位前か・・・大きなバッグキャッチャーというモービルホイップで、とても強力な信号を車から、こちらに送り込んできた方だ。BillもDaveも、それなりに年齢を重ね、リタイアをすべき年齢に達したということか・・・私も、だが。

お盆休みに入ったので、結構長時間CQをたたき続けたが、応答が少ない。バンドは確かに開いているのだが、もしかしたら、オリンピックの試合をテレビで観ることに、皆熱中しているのかもしれない。何人かの米国のハムに、オリンピックを観ているかと実際尋ねられた。あの開会式のバブリーで、かなり愛国主義丸出しの内容に私は少し退いてしまったのだが、米国人は、あの派手な演出を結構肯定的に受け止めているようだ。

立秋を過ぎて、秋のCONDXはすぐそこ・・・また、今夜も出てみるか。その前に、急患への対応だ・・・。

Brahms Clarinet Quintet 

昨夜、疲れていたのだが、少し寝付くのが遅くなってしまった。気持ちが昂ぶるときに、音楽を聴くようにしている。昨夜は、アルバンベルク弦楽四重奏団・Clザビーネマイヤーによる、ブラームスのクラリネット五重奏曲。緻密な演奏と、流麗なクラの現代的な演奏だ。アインザッツも素晴らしい。ウラッハ・コンツェルトハウスのような味のあるブラームスではないが、知的で洗練されたブラームスを聴かせてくれる。

今日、仕事を終えようかというころに、録画してあった、カール ライスターのリサイタルのプログラムを見て驚いた。同じ曲が最後の演目になっている。共演者達は、日本の一流の演奏家。1stバイオリンが加藤知子さん、山崎伸子さんがチェロ。2ndバイオリンもビオラも名前を存じ上げている方々だ。急患を待ちながら、今2楽章まで聴き進めている。とても熱い演奏。即席のアンサンブルとはいえ、さすがに力量のある方々のためだろう、良く合っている。それにしても、熱い情感たっぷりの演奏である。

長く一緒に演奏活動をしている固定の団体とは異なり、こうした速成のアンサンブルには、細かなアインザッツや、表現の異同などの点で納得できないことが結構ある・・・有名な演奏家であってもそうだ。しかし、この団体は、熱く盛り上がることもありうることを示している。カール ライスターのような名手の共演者として、ただ一度の演奏会のために集まった演奏者達が、一期一会の気持ちで熱く燃えることがあるだろうことは容易に理解できる。

この曲は、昔から最も好きな室内楽の一つだった。大学オケ時代、バイオリンのM君や、クラのM君と何年もかけて、2楽章以外の楽章を弾いたことがあった。定期的に集まることはなかったが、2,3ヶ月に一度程度集まって、楽しんでいた。階段教室の一室で、また合宿時の自由時間に、少しずつ合わせていったものだった。忘れえぬ曲の一つだ。2楽章だけは、私達にとって、難物過ぎてどうにも様にならなかったが、他の楽章、特に1、4楽章の熱い気持ちが込められた寂寞感が記憶に残っている。

ライスター等の演奏、4楽章が、終わった。1楽章冒頭二台のバイオリンが奏する、流れるような動機を想起して、静かに曲を閉じる。演奏が終わって、かなり長時間、奏者達は動かない。拍手も起きない。ホールを沈黙が支配する。人生を振り返り、想い起こすかのような、この室内楽の終りには、盛大な拍手は必要がないと言うかのように。やがて、深い沈黙を破って、あたたかな拍手が奏者を包む。ライスターが、うつむいて顔を上げない。涙でくしゃくしゃになりかかった顔をようやく上げた。ビオラ奏者の方に、慰められるように肩をかるく叩かれていた。演奏家が、これほどまで入れ込んだ演奏には、これまで接したことがなかった。ライスターの胸中には何が去来していたのだろうか・・・。

この演奏ではないが、Youtubeでこの曲の演奏の一部を・・・ここ

厚生労働省の統計データを読むときには・・・ 

私自身、医療の崩壊現象をあちこちで見聞きし、経験するようになって、官僚が出す統計データ・将来の見通しが、いかにまやかしであり、ある意図のもとに世論を誘導しようとするものであるか、痛切に感じるようになってきた。医師の需給見通ししかり、医療費の上昇見通ししかり、また最近では、5分間ルールという医療現場を混乱に陥れている規則の根拠とした官僚の提示データが、でたらめなもので、別な統計から強引にもってきたものであることが判明した。

そうした状況下で、厚生労働省が出してくる統計は、眉に唾を三回つけてから読むことになる。ここに提示する高齢者社会保障の意識調査もその一つ。

結論は、簡単だ。高齢者の社会保障は、現状を維持すべきだ。しかし、それに必要な負担増は、高齢者としては、現役世代が、現役世代としては高齢者が負担すべきだということらしい。在宅医療も、推進すべしということでもあるらしい。

社会保障の給付水準を維持するために、国民負担が必要だ。その負担増には、世代間で意見が異なる、ということなのだろう。これは、特別会計等の一般予算以外の国家予算には手をつけない。即ち、政官の利権の温床はそのまま温存する。一方、負担増の議論は、国民に丸投げという、現政権・官僚の意思表示なのだ。世代間の対立を煽り立て、自らの責任を回避しようとする姑息な意図も見える。



以下、引用~~~


高齢期の社会保障意識調査 社会保障の負担増「やむを得ない」3割超
08/08/08
記事:Japan Medicine
提供:じほう

 少子高齢化に伴う社会保障費の負担増はやむを得ないと考えている人が3割を超えることが5日、厚生労働省の「2006年高齢期における社会保障に関する意識等調査」報告書で分かった。年齢が上がるにつれ「負担増はやむを得ない」とする割合が高かった。誰が負担増を引き受けるのかについては、全体の約3割が「高齢者の負担は現状程度とし、現役世代が負担すべき」と回答し、「高齢者の負担増が必要」とする割合を上回った。

  調査は「06年国民生活基礎調査」の後続調査で、06年7月13日に実施。06年国民生活基礎調査の対象単位区から無作為に抽出した360単位区内のうち、20歳以上の人を対象とし、1万1086人から回答を得た。回答者のうち65歳以上は29.0%を占めた。

  社会保障の給付と負担について聞いたところ「現在程度の給付水準を維持する必要があり、負担増はやむを得ない」が35.2%で、「少子高齢化による負担増は極力抑制し、給付の見直しもやむを得ない」の23.8%を上回った。

  今後見込まれる負担増については「現役世代が負担すべき」の30.2%が最多で、「現役世代の負担の上昇を緩和するために高齢者の負担が重くなってもやむを得ない」の22.6%が続いた。年齢階級別にみると、若い世代では「現役世代の負担緩和、高齢者の負担増」を挙げる意見が多い一方、高年齢層では「現役世代が負担すべき」が多く、世代間の考え方の違いが浮き彫りとなった。

  同調査では、在宅介護についての意識も聞いた。「年をとって介護を必要とする場合」の生活の場所については「老人ホームなどの施設」が27.1%で最も多かったが、「住み続けた自分の家」や「子どもと同じ家」など「在宅」での生活の希望を合計すると37.9%に上り、「施設」を希望する割合を上回っていた。

  人生の最後を過ごす場所については「住み続けた家」の28.2%が最も多く、次いで「病院など医療機関」が25.9%、「子どもと同じ家」が8.3%で、在宅を希望する傾向がみられた。


アンサンブル練習会参加 

私の出身校である高専の近くの瀟洒なマンションの一室が、今回の練習会場だった。バイオリンを弾かれる方が三人、ビオラ・バイオリン両刀使いtがお一人、フルーティスト兼指揮者がお一人それに私という構成。

モーツァルトのKV421の1楽章を何度か弾いた後、同曲の残り2,3,4楽章を1,2回通した。お茶を挟んで、残りは、KV285のフルート四重奏曲、さらにKV138のdivertiment各々を全楽章、1回通す。皆さん、達者な方々ばかりなので、合わせてとても楽しかったのだが・・・疲れて、途中で朦朧となりかかってしまった。軽めのメニューとはいえ、こうれだけの曲を弾き通すことが、結構体力を必要とすることは、楽器をお弾きの方だったら、理解して下さることだろう。憧れのKV421を一通り合わせることができただけでも良しとしよう。

しかし、アンサンブルをするために、東京に気軽にでかけるだけの体力がなくなっていることを感じざるを得なかった。10月の本番までに何回練習に参加できるか・・・。

メンバーの多くが、海外での生活経験のある方々で、海外生活、各々のお国事情を聞くことができ、興味深かった。ヨーロッパの一部の国では、国民の階層化がリジッドに確立しているということだった。

私のイタリアンチェロ、まぁまぁの響きだったろうか。お世辞半分以上かもしれないが、音がよいと言っていただけて、少しほっとした。

さぁ、今度は来週のオケ練に向けて、また練習だ・・・あ、私の本職は何だったっけ・・・。

高架高速道路の問題 

今日は、午前中の仕事を終えて、車にチェロを積み込み、一路東京へ。ネットで知り合いになった方の主宰するアンサンブルに参加するためだ。そのアンサンブルの顛末は、別な機会に記すとして・・・高架の首都高で渋滞に巻き込まれたときに、車が異様に揺れることが気になった。

以前から、高架の高速道路をゆっくり走る、ないし停まると、この揺れがあることに気付いていた。江戸川べりを南北に走る、この高架道路では、とりわけその揺れが大きい。ゆっくりとした、周期的な揺れは、とても気持ちが悪い。

この揺れは、走行する車両の重さによって起きていることは明らかだ。この高架道路への負荷が、高架道路の耐用年数に与える影響は考慮されて設計されているのだろうか。さらに、定期的にその影響を科学的に把握しているのだろうか。

こうした高架道路の倒壊に近い現象として、昨年8月にミシシッピー川の橋が倒壊して、多くの人命が失われたケースがあった。その詳細報道は、ここ。gussetという構造の問題が、可能性のある原因のとして挙げられている。建造後、40年経っており、疲労現象もあったのではないだろうか。

神戸大震災で高速道路が倒壊した時に、新幹線の高架線路を支える橋脚に構造上の問題があることが報道されていた。こうしたもともとの設計・施行上の問題が、首都高速等にある可能性がある。また、超過加重を繰り返し受けることによって、疲労が早まっている可能性もある。どれだけのチェックがなされているのだろうか。

もう一点、高速道路を作っても、こうしたメンテナンスに莫大な費用がかかることを忘れるべきではない。道路特定財源でさらに道路を作り続けるというのが、現政権の選択のようだが、道路の必要性・コストパフォーマンスだけでなく、メンテナンスのコストも是非検討して、慎重に建設の決定を下して欲しいものだ。人口が大幅に減少する数十年後、使えなくなった高速道路が、各地で放置されるということにならないか。

といったことを、考えながら、灼熱の高速道路をのろのろと目的地に向けて、車を走らせたのだった。

John 9V1VV going board again 

昨夜、例によって、7メガでCQを出していると、患者の親から電話。ブラジル人の方で、要領を得ない。電話で話しながら、CQを出し終え、受信に移る。・・・1VVというコールが聞こえた。少し急ぐようなキーイングからJohnであることが分かった。VEを打ち続け、1,2分待って頂いた・・・。

Johnは、この度、これまでの会社を辞め、海の男の生活に戻ることにした、とのことだった。インド海岸を航海する調査船で、6週間オン、6週間オフの生活になるらしい。これまでよりも、給料も上がるし、海での生活を楽しみにしている様子。オフのときに、これまで続けてきた勉強を続ける様子だ。自分のブログのタイトルを、The Ancient Marinerとするほどに、乗船業務生活に愛着を持っている彼のことだから、きっと新しい生活に順応し、楽しまれるに違いない。

船の上から無線はできないかと尋ねたが、最新鋭の調査船だから無理だろう、7026を時々船の上から聴いているよとのことだった。船の上では、このノイジーな趣味を忘れて、音楽を聴いたり、読書したりの優雅な生活を送っていただきたいもの・・・。

ブログのタイトルを、The Modern Marinerに変えなくてはね!というと、いやThe Old Marinerだろうと仰っていた・・・。

・・・という、楽しい交信も早々に終えて、闇に包まれた田んぼ道を救急患者を診るために、車で突っ走った・・・のは良いのだが、仕事場の鍵を忘れて、近くに住む事務員をしている方にぺこぺこしながら、鍵を持ってきてもらった・・・歳だなぁ・・・。

立秋 

日中は、強烈な日差しが容赦なく照りつける。が、畑をみると、稲が頭を垂れ始め、ごくわずか黄金色の色調に色づき始めることに気づく。

立秋・・・逝った人々を思い起こす季節だ。父親が、亡くなり4年と1ヶ月。記念の集まりを催さなければと思いつつ、時期を逸してしまった。来年の五周忌には、親しかった人々に集まっていただこう。

父親は、東京での仕事を退職してから、ここ北関東の田舎に戻ってきて、現在の我が家の土地を手に入れ(というか、元来母親方の伯母がサナトリウムを経営していた土地を取り戻して)、家を建て落ちついた。ここで過ごした晩年の20年間は、それまでの激動の人生の時期とは異なり、平安な日々だったのではないかと思う。

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我が家の木々と花々の手入れを、父は熱心にしていた。様々な果樹、名の知れぬ花々木々・・・。彼が遺してくれたものの恩恵を感じつつ、毎朝、家内と一緒に手入れをしながら、父をそっと思い起こす。

奥田某と、テリー伊藤が官邸で厚生労働省改革 

官僚が行政を思い通り進めるために、審議会・有識者会議を立ち上げ、それに自らの主張を代弁させる手法を常用する。そうした会議のメンバー選びに、まずバイアスをかける。また、会議の最初に、官僚からのレクチャーを入れ、会議の方向性を決めるらしい。官僚の意向に反する意見を述べるメンバーが出ると、論点を拡散させて意見集約ができないようにする、またはメンバーの数を増やして、一人当たりの意見陳述時間を物理的に減らすといったことを平気で行うらしい。

「厚生労働省改革」をするための組織を、官邸に移したことは、その点である意味評価できる・・・のだが、有識者メンバーが余りといえば余りだ。奥田氏は、かってトヨタ・財界のトップを長く務めた人物、小泉政権当時経済財政諮問会議の主要メンバーであり、大企業を優遇する政策を実現し、一方社会保障を切り捨て続けてきた人物だ。それに、テリー伊藤氏は、一体医療行政と何の関わりを持っているのだろうか。官邸に移したという事実だけをアピールし、内容は、やはり官僚がお膳立てした通りにするということなのではないだろうか。

医療行政に直接関わり、有形無形の影響を受けているのは、まず医療従事者だ。医療現場の人間を何故、この会議に入れないのだろうか。厚生労働省の行政機構としての問題点をきわめて身近に感じ、苦しめられているのは医療従事者なのだ。それに、患者サイドの方々も是非入れるべきだろう。この場合、是非、末期の癌や、慢性疾患で長期の療養を余儀なくされている方々を入れてもらいたい。彼等こそ、医療現場の惨状を良く分かっているはずの方々だから。

この面々で厚生労働省改革を行うと、政府は本気で考えていないに違いない。今回の組閣では、金融財政の大臣二人ともに、財務省OBであり、財政再建路線という名の増税・社会保障切捨て路線を突っ走る方を据えたことからも分かるとおり、財務省の意向を着実に実現することを目指しているようだ。厚生労働省改革は、財務省の改革にも結びつかないと実現しない。厚生労働省は、財務省の言いなりにさせられ、その官僚は汲々と自己保身に走っているだけだからだ。社会保障を切り捨て入ることによって、財政再建を行う、現政府の路線が方向転換されぬ限り、厚生労働省の改革などありえない。


以下、引用~~~

厚労省改革は官邸主導で 懇談会移管、舛添氏は不満
08/08/05
記事:共同通信社
提供:共同通信社


 政府は5日、厚生労働行政の抜本改革策を検討するため厚労省に設置するとしていた有識者会議「厚労行政在り方懇談会」を、官邸に移すことを決めた。7日夕に官邸で初会合を開く予定。

 官邸主導で改革に取り組む姿勢をアピールするのが狙い。年金記録不備問題など不祥事の当事者である厚労省内に設けることに批判が出たこともあり、方針転換した。

 これに対し、自ら改革の先頭に立つ意欲を示していた舛添要一厚労相は5日午前の記者会見で「厚労省の中にあるから、まったく改革できず、官邸に移したら改革できるなんてものじゃない。この1年間、(薬害肝炎問題などで)どれだけ官邸内の官僚機構と闘ってきたか」と不満をぶちまけた。

 懇談会は奥田碩トヨタ自動車相談役を座長に、浅野史郎前宮城県知事、演出家テリー伊藤氏らで構成。政府は先月末に決めた社会保障に関する緊急対策「5つの安心プラン」の中で、厚労省組織の問題点などを懇談会が総点検し、行政の見直しに反映させるとしている。

健康の社会的決定要因第二版 

野田浩夫さんのブログ「静かな日」に、「健康の社会的決定要因第二版」が紹介されていた。ネットでも公開されている。ここ

この小冊子は、WHOが、健康に与える社会的な要因についての知見をまとめ、人々の健康を改善するための提言を行っているものだ。Social determinants of health The solid factsというタイトルで、第二版は2003年に発行されている。solid factsと言い切っているところに、編著者の社会医学研究者としての心意気が現れている。

野田さんが指摘するように、病者は、常に社会的弱者であることが多いということが改めて分かる。さらに、読み進めると、この小冊子の内容は、米国から世界中に広められようとしている市場原理主義に対するアンチテーゼそのものだということに気づく。国民平均収入の50%以下の水準で生活している子ども達の割合を示すグラフがある。ダントツのトップは、米国なのだ。

共産主義国家が1990年代に消滅して以降、資本主義の極致である市場原理主義が世界を席捲しているかに見える。が、様々な地域で、市場原理主義は社会の疲弊を生じさせている。この小冊子は、それを指摘しているかのように思える。WHOの研究者達は、市場原理主義そのものへのイデオロギー的な批判をする積りは毛頭なく、現実社会を分析していって、この結論に到達したのだ。



平原ヴァイオリン工房を訪問 

今日の昼休みに、弦楽器の製作修理技術者の方のところに、手に入れた楽器を携え出かけた。峠を一つ越えた先、丘陵がゆったりと続く場所に、彼の工房がある。以前にも、彼の工房・彼ご自身の写真をアップしたことがある。ここ。彼の工房は、静かな丘陵の中腹にあり、立派な高床のログハウスだ。訪れるといつも、時間の流れがゆっくりとしているように感じる。今回も工房の写真を、丘陵のふもとから撮ろうと思ったが、鬱蒼とした木々に囲まれて見ることができなかった。その代わり、彼の工房の近くの丘陵を帰路デジカメに収めた。少し靄がかかったようにみえる。静かな田園地帯だ。

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入手した楽器の作りや、調整具合を見ていただいた。この楽器の製作者の方のこともご存知のようで、作りには問題がなさそうだとのコメントをいただき、ほっとした。駒の厚さの問題等いくつか問題があるが、当面はこのままの状態で使い続けることに決めた。突然の訪問だったのに、親切に対応してくださり、的確なコメントを頂戴して恐縮至極だった。僅かなお礼を差し出しても受け取ってくださらなかった。このように親身に対応してくださる専門家が近くにいることは幸いなことだ。

暑中見舞い 

暑いなか、朝、庭仕事をし、急患対応、その後日中オケ、オケに行くのに片道1時間半、夜に再び急患対応という生活をして家に帰り、書斎にこもったは良いのだが、いつの間にか転寝していた。

仕事場のPCのモデムが具合悪いようで、ネットに接続できなくなっていた・・・暑さに当てられたのか。

というわけで、しばらく仕事場から更新できない、ないし更新間隔の空く可能性がある。大したエントリーをしているわけではないが、更新がなくても、本人は生きているので御心配なく。

皆様には、暑さとうまく折り合ってお過ごしいただきたい。

QRZ.com 

昨夜、Bruce K6ZBを7メガで捕まえ、しばらく話をした。14メガでRadarが現れてショックだったことを申し上げた。中国でもアマチュア無線家が増えて、彼等に対してプレッシャをかける意味もあるのではないかとの彼の言だったが、どうだろう。北京オリンピックをボイコットすべきじゃないか、等と言いたい放題であった。彼が出てきたのは、日本時間夜20時過ぎ。あちらでは、早朝だ。間違い電話で起こされてしまったらしい。眠れぬので、早い朝食、コーンフレークのアメリカンスタイルの朝食をとって無線機の前に座ったということらしかった。父上が、ハンガリーから移民のためにニューヨークについて、最初に食べさせられたのが、この食事で、何だこれは・・・おが屑みたいな食べ物!と思った由。家族の歴史だ、と言って笑っていた。彼は、なかなか弁舌爽やか・・・次から次に面白い話題が出てくる。

ハンガリー系と伺い、1980年代、Pine Groveという場所からアクティブに出ていたAdam N6QRを知っているか尋ねた。同じくハンガリー系の方で、かつFOCのメンバーだった方だ。案の定、知らない由。ま、ハンガリー系のハムでCWを楽しむ方は、それこそ星の数ほどいるだろうから、当然と言えば当然か。気を利かせて、BruceがQRZ.comで調べてくれた。Adamのコールは生きているし、email addressも載っている、と教えてくれた。今は亡き、Bob N6EAとAdamとで、ラウンドテーブルを囲んだことも何度かあった。懐かしい友人。聞こえなくても、コールが生きているということは、本人も少なくとも最近までは元気でいらっしゃった証拠。嬉しい。あとで、メールしてみよう。 

QRZcomがあることは知っていたが、カードを郵送するわけではなし、殆ど覗く機会がなかったが、この機会に、懐かしい旧知の友人達、現在の友人達のコールを検索してみた。John 9V1VVのページには、彼とご家族が、Morse Rdという通りの看板の下で撮った写真が載っていた。自己紹介文が振るっている。彼は仕事柄旅行を沢山行うので、カードを直接請求されても2ヶ月程度返信するのにかかる、ビューローでは最長3年程度かかるという「釈明」の文章であった。きっとカードの請求をわんさか受けて、処理に困っておられるのではないか・・・我が家を訪れた際に、そうおっしゃっていた・・・と思い、可笑しかった。

私のElmer、Ralph WB6BFRも、昔住んでおられたSan Mateoの住所で載っている・・・もう、80歳代後半に優になっておられるだろう。ここ10数年お聴きしていない。その昔、夕日が落ち始める頃、7メガで数多くラジアルを張ったGPで強力な信号を送り込んでこられた、Ray W6CMY。1980年代初めに21メガでよく交信したSteve KA6AZM。JAの方々は、さすがにアクティブでない方のコールは載っていなかったが、現在アクティブな方々の多くは、写真つきの自己紹介を載せておられる。さすがだ。私は、住所も都市名までしか載せていない・・・笑。

各コールを何名が調べたかのカウンターが、各々のページについている。私は、1万8千回以上、結構多いほうだ。私が調べたコールのなかで私の回数を超えていたのは、Johnのみ。さすがである。

おぉ、話がBruce風になってしまった。QRZ.comは、旧友の安否確認に良いツールだ、というのが結論・・・。