左手の小指がお休みの間に・・・ 

一昨日朝、寝ぼけ眼で包丁を扱ったとき、左手の小指の先端を切ってしまった。結構グサリとやってしまった。痛みはそれほどでもなかったが、まず思ったのは、「不味い、これでチェロが練習できなくなる・・・。」であった。しばらく間をおいて、「物を書くのに使う右手でなくて良かった・・・。」という思い浮かんできた。まずチェロのことを考えたことに、苦笑させられた。

まる二日経とうとしているが、まだチェロの弦を押さえられない。創に張ってある、絆創膏に弦が触り、くぐもったような音になる。それに、痛みが走るので、長時間押さえられない。小指に力の加わる作業をすると、創部が開いてしまう。鋭利な刃物で出来た創なので、ぴったり癒合しそうだが、少し時間がかかりそうだ。これを幸いと、チェロの練習以外のことに精をだしている・・・普段行なう練習といっても、せいぜい1時間程度、音階練習と、曲の練習をするだけなのだが・・・。

何気なく楽しんでいること、出来て当然と思うことが突然できなくなるということが起きる、ということを改めて感じた。少し大げさだが、正に、神与え、神奪いたもう、だ。こんな小さな怪我なので、きっとチェロを弾くことはまたできるようになるだろうが、人生で与えらたことは、何時か突然出来なくなる、その心積もりが必要だ。そして、その日を迎えるまで、精一杯努力し、楽しむことだ。当たり前のことだが、私の年齢になると、この当然のことをより身に迫ることとして感じるようになる。

ブラームスのトリオ2番の次の練習は、11月上旬。1楽章は一応終えて、2楽章に進んでいる。前回の練習のこと・・・2楽章の最後の変奏を、私の朴訥な演奏で弾き終わると、バイオリンのTさんが、「良い曲ですね・・・。」と感に入った様に仰った。そう、この変奏を弾きたくて、この曲をお願いしたようなものなのだ。そうTさんに告げると、にっこり笑っておられた。2楽章は変奏曲の形を借りて、人生の諸相を表現しているかのように感じられる。全体としては、短調が支配するのだが、ところどころに小春日和のような旋律と和声を聞くことができる。「この調子で、3、4楽章も行きましょう!}と仰るTさん・・・有難いこと・・・ただ、3楽章は、少し難物だ。

最近手に入れた音源を聴いている。アリャビエフという19世紀ロシアの作曲家のピアノトリオ イ短調。かろやかで、品の良い音楽。数年前、ドイツに留学なさっていたTさんが、いつか一緒に弾こうと、この曲の譜面を送って下さったのだった。エミール ギレリスという20世紀後半に活躍したピアニスト他の演奏。第二次世界大戦直後の録音だが、ローカットの傾向があるものの、その時代の録音としては音質はかなり良い。ブラームス、クララシューマンの次の演奏候補か・・・。

シンディングのピアノ五重奏曲作品5 ホ短調。演奏団体は、ある音楽祭に伴って結成されたもののようだ。この曲は、その昔、上野文化会館小ホールで厳本真理弦楽四重奏団が演奏したものを聴いた記憶がある。ピアノは北欧系の曲を得意とする、館野泉さんだったような気がする。今一メージャーではない曲だが、強い情熱を感じさせる曲。特にピアノパートが、まるで協奏曲のように活躍する。北欧音楽をしばしば特徴づける透明感も感じられる。厳本真理弦楽四重奏団の演奏で今も耳に残る、シベリウスの弦楽四重奏曲「親しき声」や、モーツァルトのニ短調の弦楽四重奏曲ほどには、曲の内容が記憶に残っていないのは、やはり印象がそれほど強くはなかったからだろうか・・・。

さて、今夜は、何をナイトキャップにしようか・・・ベートーベンのラズモフスキー3番等、これまであまり聴きこんで来なかった曲を聴いてみようかと思っている。左手の小指もその内治ることだろう・・・。

病床数・呼吸器の数から、インフルエンザ流行に対応可能・・・?? 

インフルエンザ流行に備えて、病床数・呼吸器の数を、厚労省が調べ、「計算上」対応可能であると公表した。これは、あくまで「計算上」のことである。以下、疑問点を列挙しよう。

○病床は、常に100%稼動していない。急患の受け入れがあり、また予定入院・退院の間に空く病床もある。2割の空き病床をすべて利用可能だとはとても言えない。

○医療従事者は、現在でも、重労働を強いられている。国民の2割がインフルエンザに感染したとすると、医療従事者も同じ割合またはそれ以上インフルエンザに冒される可能性が高い。予防接種は、遅れに遅れて11月になってから、という話だ。下手をすると、医療従事者が一遍に倒れて、医療機関が機能しなくなる可能性が高い。空き病床の心配をするより、こちらの問題の方が大きいのではないか。

○厚労省の統計によると、H18年度の総病床数は177万程度。感染症専門病床は、千台の少なさ。今回調査された病床数は、一般病床・感染病床等の総計なのだろう。しかし、インフルエンザのように感染性の高い疾患の患者を、果たして一般病床に入れることが可能なのだろうか。ただ空いている病床数を数えて大丈夫と言っているとしたら、医療担当の役所としてお粗末過ぎる。

○ICU・呼吸管理には、人手が必要だ。ICUについては、さすがに「十分な態勢が確保されているとはいえず」と正直に述べているが、「地域ごとに対応を工夫しろ」とは、竹やりで戦車と戦えと言っているようなもの。呼吸器の数を数えることも同様。呼吸管理に必要な医療従事者の数、それに呼吸器のメインテナンスの体制等を考えなければならない。

○インフルエンザ対策に対して、公的病院には、財政補助があるが、民間施設には、それが回らないと噂に聞く。医療を充実させるには、予算が必要なのだ。普段、ぎりぎりの財政状態で動いている医療機関に、大きな負担をかけるとなったら、まず考えるべきことは予算処置ではないだろうか。

上記の通り、この調査は、厚労省が万全の体制を敷いているかのごとき印象を国民に与えることだけを目論んだものだ。まさか、厚労省は、実態を把握しているに違いない。が、それを公表すると、自らの責任が追及されるのを恐れているのだろう。しかし、まずは実態を公表し、そして医療機関・国民へインフルエンザ流行による被害を最小限にくい止めるために行うべきことを正直に要請すべきなのではないだろうか。


以下、引用~~~

空き病床は13万8千床 「ピーク時も対応可能」 厚労省、インフル対応調査
09/09/28
記事:共同通信社
提供:共同通信社


 新型インフルエンザ患者の入院診療に対応できる一般病棟の病床が、鹿児島を除く46都道府県の約4700の医療機関に計約71万5千あり、そのうち今月1日から7日までの期間に、使用されず空き病床となっていたのは計約13万8千だったことが25日、厚生労働省の調査で分かった。

 同省が8月に発表した「流行シナリオ」によると、国内の患者数が人口の20%に達すると想定した場合、ピーク時の入院患者数は4万6400人。担当者は「約14万床が空き病床として確保できれば、計算上は流行の最大時点でもハード面での対応は可能」と説明している。

 ただ「空き病床が実際に使えるかどうかの確認も必要。病院の人材確保の問題もある」ともしており、25日、各都道府県に対し、調査結果を基にさらに十分な医療提供体制を確保するよう求める通知を出した。

 同省によると、一般病床のうち、重症患者の治療にあたる集中治療室(ICU)の空き病床数は約2500だった。「ICUについては十分な態勢が確保されているとはいえず、地域ごとに対応を工夫する必要がある」としている。

 一方、重症患者用の人工呼吸器は、鹿児島を除く46都道府県の約4400の医療機関に計3万2千台あった。このうち1日から4日までに未使用だったのは約1万6千台。厚労省は「流行シナリオでは人工呼吸器が必要な重症患者はピーク時で最大約4600人とみられる。現状で一定程度対応できるだけの台数はあるようだ」とした。

TR WB6TMY 

数週間前、John 9V1VVからメールがあった。KPHという商業通信局のクロージングリマークを、バグキーで流暢に送出する女性オペレーターの姿を映し出した、You tube映像を送ってきたのだ。彼女のバグキー捌き振りが好ましいと、書かれてあった。昔、プロのオペレーターだったJohnにしてみると懐かしい映像だったに違いない。

その後、最近になって、7メガで続けて二回、TR WB6TMYにお会いした。彼とは、以前にお目にかかっていたが、その記憶はおぼろげだ。しかし、偶然、彼のサイトを見つけ出し、何気なく二三度立ち寄っていたことがあった。奥様のBarbaraがNurese Practionerをなさっており、彼と合わせて、Radion(Radio + Nurse)だそうだ。同じサイトで、KPHのことが取り上げられているのを、交信中に思い出した。彼のサイトは
ここ

TRはKPHで10数年間仕事をしていたらしい。とても居心地の良い職場だった、とのことだった。上記You tubeの女性オペレーターを知っているかと尋ねた。よく知っている、「DAだ」との返事。KPHでは、オペレーターをミドルネームを含めたイニシャルで呼んでいた様子。彼のハンドルTRは、その当時からのもののようだ。船舶通信局KPHは、1990年代後半に経営母体が変わり、サンフランシスコ近くのハーフムーンベイに移転したらしい。もうKPHを訪れることは容易ではなくなった、と言っていた。

交信後、彼のサイトを再び訪れて、彼の履歴を読ませていただいた。苦労なさって、自分のキャリアーを積んでこられた様子が分かる。交信中に彼が全く触れることはなかったのだが、彼は事故で脊髄損傷を起こし、四肢麻痺の状態であるらしい。仕事でもキーボードを用いておられたというが、現在もキーボードであるのは、その後遺症のからみもあるのだろうか。

彼が、サイトに記された、アマチュア無線の将来についての文章、私もほぼ同感だ。アマチュア無線は、徐々に社会での存在意義を失って行くのではないか、という思いだ。楽しんでいる者としては、そう在っては欲しくは無いのだが、現実はそうした方向に向かっている。その議論との関係で、Bob W9KNIの文章が掲載されている。彼がまだ50歳代のときに記した文章のようだが、90歳代まで無線を楽しむと書かれていて、思わず笑ってしまった。Bobの言うとおり、CW専用周波数帯域の防衛は是非必要なことだろう。

山形大学は正論を述べている 

国の医療費支出をへらすためことだけを目的として、厚生労働省は、後発の薬品の使用を医療現場に強制しようとしている。後発薬品には、効果・副作用の点で、様々な問題があるのに、である。厚生労働省は、国民の健康を第一に考えていない。

下記のロハスメディカルの記事が真実だとすれば、山形大学付属病院副院長の言っていることが、正論だ。それに対して、難癖をつけるDPCヒヤリング委員は、厚生労働省の代弁者に成り下がっている、医療従事者として恥ずべき発言をしている。山形大学の医学部長への攻撃を意図したものだとしたら、許せないことだ。

厚生労働省官僚・その代弁者達は、病気になった時に、自ら後発薬品のみで治療を受けているのだろうか。それを是非知りたいところだ。


以下、引用~~~


山形大病院は、「国策に反している国立大学」? ─ DPCヒアリング
新井裕充 (2009年9月25日 02:14)

 「先生、それは病院として恥ずかしい発言ですから、やめてください」「国策に反している国立大学ということになります」─。厚生労働省の陰湿な反撃が始まったというべきか。厚労省の医療事故調査委員会や臨床研修制度などに対し、歯に衣着せぬ積極的な発言をしている嘉山孝正氏が医学部長を務める山形大学医学部附属病院が、DPCのヒアリングで集中砲火を浴びた。(新井裕充)

 2010年度の診療報酬改定に向け、中央社会保険医療協議会(中医協)DPC評価分科会が9月24日に開かれ、9病院からヒアリングを実施した。
 このヒアリングは毎年秋に行われ、別名「査問委員会」とか「懲罰委員会」などと呼ばれている。DPCによる診療報酬の請求方法が全体の平均と比べて大きく異なる病院をピックアップして厚労省に呼び付け、公開の場で聴聞する。
 この分科会の委員は厚労省の意向に従う御用"とも言うべき医療者ばかり。招集された病院の院長らを厚労省に代わって厳しく追及し、質問攻めにする。この"儀式"を済ませてから、DPCルールを変更するというのがこれまでのパターン。

 ヒアリングには、"問題のある病院"と"模範的な病院"が呼ばれる。今年のヒアリングは2日間にわたって行われ、第1日目である9月24日に参加したのは、"問題のある病院"が7病院で、"模範的な病院"が2病院。
 その内訳は、▽再転棟率が高い(1病院) ▽播種性血管内凝固症候群の出現割合が多い(2病院) ▽敗血症の出現割合が多い(2病院) ▽後発品の使用割合が少ない(2病院) ▽後発品の使用割合が多い(2病院)。

 このうち、後発品の使用割合が少なく"問題のある病院"として、山形大学医学部附属病院がヒアリングに呼ばれた。特定機能病院で後発品の使用が少ないことが中医協で問題視されていたが、同院が最も低いわけではない。
 厚労省が6月3日の中医協・基本問題小委員会で公表した資料によると、特定機能病院で後発品の使用割合が最も低かったのは、新潟大学医歯学総合病院の1.3%、次いで東海大学医学部付属病院(1.7%)、山形大学医学部附属病院(1.8%)、藤田保健衛生大学病院(同)、和歌山県立医科大学附属病院(同)―などの順だった。この中から、山形大学医学部附属病院が選ばれた。

 ヒアリングで、同院の細矢貴亮副院長は、「基本的には、『今までの診療を変えないでいきましょう』『自分が信ずる最良の医療をやりましょう』という方向で、ずっと指導してきている。その結果、ジェネリックに関しても各診療科の裁量に任されている」と説明した。調査票の回答欄には、「統一的に安全性が確立されていないため、積極的には導入していない」との理由が記載されている。

 質疑では、後発品の使用に消極的な姿勢を示す細矢副院長に対し、委員らが集中砲火を浴びせた。オブザーバー出席の邉見公雄氏(全国自治体病院協議会会長)は、「国策に反している国立大学」と批判。西岡清分科会長(横浜市立みなと赤十字病院長)は、「大学の一番いけないところを主張されているような気がする。大学病院といえども、やはり国民の医療を担当している病院なので、教授が勝手にやっていいなんていうルールはどこにもない」と厳しい口調で責め立てた。
 細矢副院長は、各診療科の裁量に委ねていることを説明したが、西岡分科会長は「先生、それは病院として恥ずかしい発言ですから、やめてください!」と叱責した。

愚痴 

世の中が休みになると、忙しくなるのが、小児科医の常で、このシルバーウィークとやらも、多忙に明け暮れている。

日曜日は、朝、久しぶりに帰郷した母と言葉を少し交わしただけで、仕事場に。喘息、それに新型インフルエンザと思われる数名の患者さんを診察。帰ってみると、母は弟夫婦に連れられて、彼らの家に戻った後だった。午後は、それでも庭仕事に精を出すことができた。栗が大豊作。家人が、実家に帰ったので、家事を息子と手助けしてこなす。夜、30分程度、暗闇の中を散歩。

今日は、救急診療所。新型インフルエンザと思われる症例を主体に、5時間の仕事時間で49名。この患者数自体は、小児科医としては大した数ではないが、全員が初対面の新患であり、さらに診断指針・治療方針が国の方針であっちにいったりこっちにいったりしている新型インフルエンザのケースが主であったために、説明に手間取る。疲労困憊。

救急診療所での仕事を終えてから、自分の仕事場でも数名の患者さんを診たが、眩暈がしてきた。救急診療所で診れれば良いのだが、小児救急をするための薬がないために、そうはできない。前回の救急診療所の仕事で感じた、同診療所の不備がそのままであった。少し無線をしてから、夜の散歩。チェロに触れていない・・・。

夕食にビーフカレーを作ったが、誰も食べず・・・。

明日も、午前中は仕事場に釘付けになるはず。

愚痴を言うまいと思いつつ、現状報告を記すと愚痴の山になる。

元気に(本当か?)仕事ができる、当てにして来てくれる患者さんがいる、そして家族も一応健康、これだけで感謝して生活しなければいけないのかもしれない。

正気か、厚生労働省!! 

12歳の男児が新型インフルエンザで死亡した。その患児は、タミフルの投与をされていなかった。だから、感染の疑いのある患者には、『医師の判断で』タミフル等の治療薬を投与『できる』と、厚生労働省が通知した、とのことだ。

これを記者会見で述べている厚生労働省の担当者、恐らく、医系技官なのだろう、の様子をテレビで見た。思いなしか、オドオドしているように見えた。

この厚生労働省の通知なるものは、幾重にも間違いを犯し、医療行政担当能力の欠如を示している。幾重の間違い・意図的自己保身とは;

1)1例の症例で、こうした治療方針の根幹に関わる結論を導くことはできない。

2)この死亡症例に限っても、抗ウイルス薬を投与しなかったことが死亡の原因かどうか全く不明。

3)一般論として、抗ウイルス薬の投与が、死亡率を下げるという明確な根拠がない。(以前のエントリーにも記したが、レトロスペクティブにみて、3割程度重症化を防げた可能性がある、という程度の知見しかない。)抗ウイルス薬の広範な使用による耐性株の出現の問題等どうするつもりなのだろうか。

4)『医師の判断で』投与することが『できる』、とは、一見尤もらしい言い方だが、医療行政主管官庁の担当者の発言としては、責任を医療現場の医師に丸投げする、責任逃れそのものだ。一例の知見から、こうした結論は到底出せないことは、この担当者はよく分かっているはず。マスコミを通して、こうして自らの責任逃れをし、医療現場を混乱に陥れる振る舞いをすることは、厚生労働省が、医療行政を担当する意思・能力に欠けると言わざるを得ない。

このような連中の管理下で、医療現場で仕事を続けることに、表現しがたい居心地の悪さを感じる。


以下、引用~~~


「感染疑い」でも治療薬投与を…厚労省通知
9月18日20時10分配信 読売新聞

 新型インフルエンザに感染して死亡した横浜市の小学6年の男子児童(12)がタミフルなどの治療薬を投与されていなかったことを受け、厚生労働省は18日、感染の疑いがある患者については、感染が確定していなくても医師の判断でタミフル等の治療薬を投与できることを改めて周知する通知を都道府県などに出した

 横浜市などによると、男児は2日午前、高熱を出して医療機関を受診、簡易検査を受けたが陰性だったためタミフルなどの投与を受けず、翌日になって容体が悪化して入院した。

 一方、国立感染症研究所は同日、全国約5000医療機関を対象にした定点調査で、最新の1週間(9月7日~13日)の新規患者数は1万5382人で、1医療機関あたりの新規患者数は3・21人だったと公表した。前週(8月31日~9月6日)の2・62人からは0・59人増。全国の新規患者数は推計約18万人で、前週の約15万人からは3万人増えた。大半は新型インフルエンザの患者数と見られる。 .最終更新:9月18日20時10分

秋本番 

通勤路から見る、花満開のそばの畑。

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同じく、通勤途上見られる、弁天山古墳。葉の色が少し代わりかけている木もありそう。登ってみると、小さな祠があった。

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庭に咲く、可愛い花。

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今年は、栗が豊作。毎朝、ザル一杯の栗を収穫している。

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今週末、宮城から母親が帰郷する。

感染症学会が、抗インフルエンザ薬全例投与を提言したが・・・ 

新型インフルエンザの治療に関して、感染症学会が、全例に抗ウイルス薬を投与すべしという提言を行った。

ここ。

抗ウイルス薬を全例投与すべきだという理由は;

○このインフルエンザは決して弱毒性ではない(高毒性・弱毒性という区分自体がおかしいと、彼等は主張している)。

○抗ウイルス薬投与によって、重症化・入院・死亡を少なくすることができる。

ということのようだ。

弱毒ではなく、死亡率も季節性インフルエンザに比べると高いという根拠を、外国の報告に求めているが、そもそもインフルエンザ症例の母集団が違うのではないだろうか。外国、特に開発途上国では、医療はとても高価なサービスであり、一般国民が容易に医療機関にかかることはない。即ち、母集団にもともと重症例が多く含まれている。

抗ウイルス薬が、重症化を防ぐ効果は、レトロスペクティブな研究でせいぜい3割程度ということだ。また、日本での重症化例の半数程度が発症後2日以内に抗ウイルス薬の投与を行われていた。

WHOでは、5歳以下の小児では、重症化するハイリスク群として全例抗ウイルス薬投与を勧めているが、それ以外の健常人では投与を勧めていない。CDCも、全例投与には否定的な見解を出していた。

抗ウイルス薬を広範に用い始めると、必ず耐性株が出現し、ハイリスク群や重症例に用いる切り札がなくなってしまう危険性がある。この辺りの事情は、感染症の専門家であれば、常識のはずなのだが・・・。

上記の理由から、私は、全例に抗ウイルス薬を投与することには大きな抵抗がある。しかし、こうした提言が公表されたとすると、投与しなかった症例が予期せぬ重篤な経過をとった場合、その決断をした医師の責任が追及される。こうしたことを、感染症学会の担当者は理解しているのだろうか。

記憶に残る交信 

最近は、記憶に残る交信が、とみに少なくなってきているような気がする。そうした状況下で、こころに残る交信ができると、喜びは、ことさらだ。

先週末、John K9NJがアラスカから出ているところをお呼びした。2週間ほど前にも会っており、アラスカ在住の娘さんのご家族のもとを訪ね、3週間過ごすと伺っていた。そろそろ、休暇も終わりに差し掛かり、ミネソタに戻る頃だろうと思った。13日の朝には、アラスカを離れるとのことだった。

彼は、62歳で、ミネソタの某化学関係のメーカーのエンジニアで、金属関連の仕事をなさっている由だ。私の拙い英語をお褒め下さり(自分の知る日本語に比べれば・・・という程度の認識なのだと思うが(笑))、どのようにして英語の勉強をしたのかと尋ねられた。私は、学校での勉強しかしていない、ただし英語で記された専門の教科書や文献を読む習慣があったことと、無線で英語を勉強する動機付けがあったことも多少良い影響があったかもしれない、とお答えした。

Johnは、専門の論文がドイツ語で記されていることが多く・・・なにやら、ステインレスに関連したテーマらしい・・・そうした論文を読み進めるうちに、ドイツ語での読み書きが自由にできるようになった、と仰っていた。

語学の勉強は、何か打ち込むことの習得に同期して行うと能率が良いのかもしれない。専門でも良いし、趣味の領域のことでも良いのだろう。その点、学校の外国語の勉強では、あまりモチベーションが上がらないのではないだろうか。特に、受験問題を列挙して、その解説を延々と記した受験参考書の類は最悪だ。書かれている話題にまとまりがなく、関心の持ちようがない。受験をきっかけに、英語嫌いになる学生も多いのではないだろうか。

私も、外国語の勉強をもっとしておけば良かったと思うことが度々あるが、過去を振り返っても、何も生まれない。英字新聞に載る経済・医療の問題の記事や、専門の論文やらで、漏れ落ちる英語の知識を少なくし、できればもっと上積みしてゆきたいものだ。無線の交信でも、喜ばしいこと、懐かしいこと、それによく分からなかったことが多く、それに伴い英語の記憶が新しくされるような気がする。こればかりでは不味いが、無線も勉強の場の一つにして、これからも学んでゆきたいものだ。Johnには、ミネソタへの旅の安全を祈り、auf wieder hoerenと挨拶してお別れした。

今朝、14メガでW1AWと思われるメッセージの信号が聞こえたので、何度かCQを出してみた。数局から呼ばれたが、全体に弱い。その中で、John W5ABが必死に呼んできてくれた。彼のことは既に何度かこのブログでも記したことがある。QSBの谷間になると読み取りにくかったが、大体はコピーできる信号だった。前回お目にかかったのは昨年か、一昨年だったか・・・これから養老院に入所する、という話だったので、もう信号をお聞きすることはないのではないかと思っていた。それで、今どこにお住まいなのか、何度か尋ねたが、なかなかその返事がない。

健康状態が良く、あと一ヶ月で93歳になるが、元気にしている、若い奥様が仕事をして支えてくれているとのことだった。時々、ミスキーイングがあるが、乱れは全くなし。テンテックのリグから、95W出している由。アンテナは分からなかったが、恐らく以前から用いている、スモールループなのだろう。こうした話を聞いた時点で、自宅に戻っていることは想像でき、こうして元気に無線に出てこられることを心から喜んだ。私が10代のニューカマーで、彼が4スクエアーというビームにアンプを用いた大きな設備でブンブン言わせていた、40数年前のことを改めて思い出した。

信号がさらに弱くなってきたので、お別れをしようと思ったら・・・そうそう、今は自宅で生活しているよ、とJohnは言った。「こうして会えたことは、またとない93歳の誕生日の祝いだ。」と二度ほど繰り返しておられた。本当にありがたいことだった。

『死者数を増やすのは医系技官かウイルスか?』 

この春、新型インフルエンザの問題が持ち上がって以降、地域医師会、行政を通して、厚生労働省からの通知が、頻繁にFAXで送られてきた。しばらくは真面目に読んでいたが、その内、その書いてある内容が、現実からかけ離れている、または本音を隠した建前論ばかりなので、読む気がしなくなった。送られたFAX全部の厚さは、2cm弱になっただろうか。

厚生労働省の対応の問題点は、上に書いた通り、現場を見ていない、本音と建前を分け建前論で終止している、責任を本省は取ろうとしない(末端の医療機関に押し付ける)、コストをかけぬことを旨とするといったことだ。国民の医療・厚生を任せるには、大いに問題がある。

それを、本省の官僚である、村重直子氏が的確かつ辛辣にMRIC上で記している(下に引用)。

日米の医療スタッフの多寡についても最初に、彼女は触れている。我々からすると驚くべきことではないが、この事実は、これまでマスコミ等では故意に隠蔽されてきた。先日も、某民放テレビ局が、悪性新生物の治療でMDアンダーソンの治療がいかに素晴らしいかという内容の番組を流していた。その番組では、医療スタッフの人数の違い、さらに医療費の違いについては、一言も触れていなかった。村重直子氏は、厚生労働省内部にあって異色の医系技官なのだろうが、官僚の口からこうした事実が明らかにされることに、ある種の感慨を覚える。彼女のような若手の官僚が伸びていってもらいたいものだと切実に思う。


以下、MRICより引用~~~


▽死者数を増やすのは医系技官かウイルスか?▽

厚生労働省大臣政策室 政策官 
村重直子
※厚生労働省の公式見解ではなく、一人の医師としての見解です。


【医療崩壊の日本を襲う新型インフルエンザ】
医療費抑制政策を30年近くも続けてきた日本では、極度の人件費削減により、患者のたらい回しが起こるほど、医師不足など現場の人手不足は深刻です。米国MD Andersonがんセンターと愛知県がんセンターは、ほぼ同じ規模と機能をもちますが、それぞれの全職員数は100床当たり3,125人と186人で、実に17倍の違いがあります(1)。大まかにいえば、日本の医療者1人で、米国の医療者の17人分働いているのです。このような状態で、例えば、救命救急センターに救急車で運ばれる患者が3人から4人になるだけでも、33%の負担増ですから、あっという間に次の患者を受け入れられなくなります。普段から、毎日が非常事態のような状況なのです。

そこへ、新型インフルエンザ流行のピークが来れば、多数の患者が発生します。そのほとんどは自然治癒しますが、もし、その軽症患者が医療機関へ押し寄せたら、医療機能が破たんするのは明白です。重症患者が病院へ行っても医療を受けられず、命を落とすことになります。ですから、重症患者の命を守るということは、病院を守ることなのです

【米国の新型インフルエンザ対策の目的】
 米国疾病予防管理センター(CDC)の計画には、学校閉鎖等の対策の目的として、病院負担のピークを抑制することがはっきりと掲げられ、次のような記載があります。「深刻なパンデミックは、米国の急性期医療サービスを圧倒し、米国医療システムへの挑戦となるだろう。可能な限り多くの命を救うために、医療システムの機能を維持し、可能な限り最良のケアを提供することが必要不可欠である。集中治療室や人工呼吸器を含め、推測されるピーク時の医療ニーズは、現存の物的資源と人的資源(医師・看護師)を大きく上回るだろう。従って、最も賢明な対策は、医療のキャパシティをできるだけ増やすことと、疾患の広がりを制限することによって予想される医療ニーズを減らすことである。」ピーク時には、医療ニーズが医療機関の物的・人的資源を大きく上回ると予想されますが、それでも、患者が爆発的に増えて医療機関がパンクし、重症患者が通常の医療を受けられずに死亡するケースをできるだけ減らそうという発想から、患者数のピークを抑制するために、学校閉鎖などが行われています。

【日本の新型インフルエンザ対策の目的は?】
 翻って、日本の新型インフルエンザ対策は、目的が定まらず、ブレ続けてきました。公衆衛生の専門家であるはずの医系技官が勉強不足のために、何を目的として対策を行っているのか理解していないからです。医系技官というのは、医師免許を持つキャリア官僚ですが、終身雇用や2年毎のローテーションシステムの中で、公衆衛生の専門性さえ失ってしまった集団としか言いようがありません。

 医系技官がこの春から行ってきたことは、ただでさえ人手の足りない現場へ、読むだけでも大変な180以上もの事務連絡や通知を出し、朝令暮改のサーベイランスのために報告させるなど、医療機関に多大な負担を強いてきました。一方で、学校閉鎖してまで医療機関の負担を減らそうとしているはずなのに、他方で、厚労省の医系技官が、医療機関の負担を増やしてきたことは、本末転倒と言わざるを得ません。

9月1日、厚労省職員に対して、新型インフルエンザに関する留意点が配布されました。驚くべきことに、次の記載があります。「インフルエンザ様症状(発熱、咽頭痛、咳、鼻水など)を自覚した際は、早めに医療機関を受診しましょう。」「同居する家族等がインフルエンザ様症状を催した際も、早めに医療機関を受診するようにしましょう。」これではまるで、医療機関をパンクさせ、重症患者を死に追いやりましょうと、医系技官が呼びかけているも同然です

【新型インフルエンザワクチンは誰がうつ?】
 さらに大きな責任と負担を、医系技官は医療機関へ負わせようとしています。9月8日、厚労省は都道府県への説明会で、ワクチン接種体制について説明し、都道府県から市町村へ同じ内容の説明を始めるように促しました。まるで、9月16日から新政権が動き始める前に、既成事実を作ろうと焦っているかのようです。その内容は、厚労省が医療機関と委託契約して、医療機関が新型インフルエンザワクチンを接種するというものですが、次のような懸念があります。

1.法定接種ではなく任意接種なので、仮に重篤な副作用が発生した場合、免責制度(2)のない現状において、訴訟の対象となるのは、国ではなく、接種した医師たちです

2.新型インフルエンザにかかっていない人々が、具合の悪い人々が集まる医療機関に集中し、感染拡大するでしょう。医療機関というのは、最も感染リスクの高い場所なのです。

3.大勢の健康なはずの人々が医療機関に押し寄せ、医療機関の負担が増えます。本当に医療を必
要とする重症患者に対する医療が手薄になり、命の危険にさらされる可能性があります

4.厚労省との委託契約によって、医療機関の事務作業の負担が増えます。簡単に想定されるだけでも、次のようなことが考えられます。1)接種対象となる「医療従事者」と「基礎疾患を有する者」の人数把握・報告、2)医師会を通じた厚労省との委託契約、3)卸売業者からのワクチン購入、4)一人ひとりが厚労省の定めた接種対象者(妊婦等)であることを、保険証や他の医師の証明書等によって確認、5)一人ひとりがどのロット(国内産・外国産等)のワクチン接種を何回受けたかの記録保管・証明、6)厚労省への副作用報告(薬事法に基づく報告と、今後新たに制定される報告の2通り)、7)接種した人数を都道府県へ報告、8)ワクチン在庫本数を都道府県へ報告、9)ワクチン必要量を都道府県へ報告。各医療機関ではワクチンがいつどれだけ供給されるかわららず、かつ何人の人がワクチン接種に来るかもわかりません。従ってワクチン供給量が限られている現状ではワクチン在庫不足に悩まされることになります。ワクチン接種の事前予約や、ワクチンを受けたい人に状況を説明するという負担までが医療機関にふりかかるのです。

 本来、患者への医療に専念してもらわねばならない医療機関に、これほどの責任と負担を負わせるのでは、新型インフルエンザ対策とは、医系技官による人災なのか、ウイルスによる天災なのか、わからなくなります。医療は医療機関が主体的に担い、ワクチンは行政が主体的に担うという役割分担が必要でしょう。ワクチンに関して国の役割として行うべきことは、主に、無過失補償と免責制度の議論を進めて(2)、ワクチンの量の確保を確実なものとすること、可能な限りの安全性の確認や、一人ひとりが接種するか否かの判断材料となるデータを国民に提供すること、ワクチン接種については、療者の協力を得ながらも、行政の責任において、市町村の保健センターや保健所等で行うことなどではないでしょうか。

【官僚主導から現場主導の決定プロセスへ】
国がワクチン接種を医療機関にやらせることについては、現場の医療者・患者たちの声も交えてオー
プンに議論することなく、官僚主導で決めてしまった印象を否めません。このままの新型インフルエンザ対策で国民の命を守ることができるでしょうか。新型インフルエンザ対策を現場で担当する方々、現場の医療者、患者さん、市民の声が、新型インフルエンザ対策の方針決定をするために必要なので。地元選出の国会議員へ、一人ひとりの声を届けることが一番早道だと思います。そういった努力を積み重ねることも、民主主義を実現する方法のひとつなのです。


【参考文献】

(1)日本の医療制度下では米国並みの医療は不可能 ―M.D. Anderson Cancer Centerと愛知県が
んセンターの比較― 愛知県がんセンター総長 大野竜三 全国自治体病院協議会雑誌代44巻第2号

(2)「先進国並みの医薬品・ワクチンを使いたいですか?」~副作用の補償と訴訟の選択権を考え
る~
村重直子:厚生労働省大臣政策室 政策官 JMM 2009年9月3日配信
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report22_1732.html

片品・金精峠・奥日光 

昨日の午後、休診の時間を利用して、関越自動車道に乗り、沼田で下車、その後国道120号線を片品・丸沼方面に向かって走った。金精峠を越え、奥日光・日光を通って、帰宅するというドライブ。目的は、初秋の風景写真を撮ること。その昔、家族と母親を乗せて、逆方向に走ったことがある。

平日に、こんな気ままなドライブをすることは今まで殆ど無かった。昼ごはんは、コンビニのオニギリ。

沼田から、120号線で一路東進。道路周辺にりんご畑がある。徐々に登り道となり、峠にさしかかる。峠から、片品村方面を望む。途中、行き交う車が少ない。また、道路わきの土産物屋が閑散としている。

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同じ場所で別なショット。

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上に同じ。涼しい。

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下の山林に向けて、ゴルフの打ちっ放し。若い人々が、楽しそうに打っていた。

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丸沼高原。白樺の木が美しい。紅葉が始まっている様子。

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同じ場所で、白樺の群落。人一人いない。

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別な尾根が、傾き始めた陽の光を浴びている。

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トンネル一つを通り過ぎると金精峠。眼下に奥日光、湯の湖が見える。その先は、戦場ヶ原と男体山。湯の湖に近づくと僅かな硫黄の臭い。温泉に浸かろうかという考えが僅かに浮かんだが、遅くなるので、素通り。

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湯の湖の湖面に、恐らくカモだろうか、つがいの水鳥が泳いでいた。湖面は凪いでおり、釣りをする方が1、2人。陽が暮れ始め、少し暗い。

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若い頃は、これだけのドライブをしても、平気のへいざだったが、やはりというかさすがに疲れた・・・。身体を鍛えなくてはいけないと思うのと同時に、動けるうちにいろいろと見て歩きたいと改めて思った。

NikonのD90、なかなか使いやすい、といっても、今のところ、被写体に向けて、ただシャッターを押しているだけ。すこしずつ、機能を覚えて、撮りためてゆきたい。アルバムに収納して、そこにリンクする形式にしなくては・・・。

PS;画像は、プレビュー画面ではすべて収まっているのだが、実際にアップされたものは右側が切れている・・・一度画像サイズを調整したのだが、それでも収まらず・・・みっともないが、乞ご容赦。

新型インフルエンザの対応、基本は、自宅で安静にすること 

当院のような小規模の診療所では、新型インフルエンザ流行といっても、多少発熱の患者さんが増えたかな程度だが、医療機関・地域によっては、かなり外来が混雑しているらしい。

「新型インフルエンザ対策」と称した厚生労働省の対策が、強毒の鳥インフルエンザのためのものであり、現在実際流行中のH1N1の流行にはそぐわないものであることが明らかになった。先日も、抗ウイルス薬・インフルエンザ検査キットの在庫の問い合わせのメールが、保健所から届いた。一体、これを調べて、どうしようというのだろうか。

それに、対策が後手後手であることも指摘できる。H1N1に対しては、ハイリスクの患者さんへの対策を最優先させることだ。そこに焦点を当てて、行政対応しているとはどうも思えない。予防接種の対策も遅れている。実質上、国の指定する医療機関でしか予防接種を受けられないらしい。とりあえず、ハイリスク群千数百万人に接種するらしいが、果たして限られた医療機関で出来るものだろうか。多人数が予防接種に訪れるそれらの医療機関で、インフルエンザの流行を拡大するのではないだろうか。

さらに、鳥インフルエンザに対する対策の「仰々しさ」から生じたのだろうか、マスコミ・教育現場等で、何しろ具合が悪くなったら、医療機関へ駆け込めという扇動が行われている様子だ。医療機関は、インフルエンザウイルスに最も汚染されている場所なのに、だ。この点を分かりやすく記したMRICの記事を引用する。

ハイリスクではなく、発熱だけで、激しい咳・嘔吐・意識障害等がなければ、自宅で安静にしていることが、患者さんの行うべきことなのだ。咳でウイルスを撒き散らすので、マスクをかける、咳をするときは、手で口を覆うといったことが大切。発熱が落ち着いても、ウイルスを数日間排出し続けると言われている。少なくとも、解熱後二日間は自宅で安静にしているべきだ。


以下、引用~~~

▽ 『新型インフルエンザ対策』が爆発的流行を引き起こす ▽

        有限会社T&Jメディカル・ソリューションズ代表取締役
                  木村  知
        

 夏休みが終わった。
 厚労省は夏休みが終わる一週間ほど前に再び改正省令を出し、「新型インフルエンザ」の
感染症法に基づく医師の届け出を不要とした。

 これでようやく「新型インフルエンザ」はわれわれ現場の臨床医にとって「いつものインフルエ
ンザ」になった。
 正直そう思いたかったが、夏休みを終え、むしろ現場の状況はますます深刻になってきてい
るということを、先日痛感させられる事態に遭遇してしまった。
 そして、このような現状では「新型インフルエンザ」のいっそうの感染拡大は、もはや避けら
れないと考え、今回緊急記事として現場の実情を報告させていただくことにした。

 夏休みも明けて2~3日経ったある日、いつもの診療所に行くと、そこは真冬のピーク時とは
いかないまでも、いつものこのシーズンとは明らかに違う混雑となっていた。
 特に午前中は、1時間あたり約40人の受診者がおり、その約半数は「カゼ症状」や「発熱」
といった「急性の患者さん」であった。もちろんいわゆる「インフルエンザ様症状」を呈する患者
さんも若干名おられ、1時間に1~2人ペースで「A型陽性」患者さんが発生したのであるが、
これはこの診療所の真冬の状況からすれば、まだほんの少数であり、これら「急性の患者さん
」のほとんどは、むしろ軽微なカゼ症状での受診者であった。
 小児など、もともとコンビニ受診をする患者さんは多いのだが、あまりに例年の雰囲気と違うた
め、「37度の発熱のみ」で小学生を連れてきたある母親に、今回の受診理由を問うてみた。
すると、まさに耳を疑う意外な教育現場の現状を知ることになったのである。

 「毎朝登校前に検温をして、体温37度以上なら学校を休んですぐ病院に行き、新型インフル
エンザでないことを確認してもらってから登校するように


 その子の通う小学校では、このように指導されているのだという。
 また昼過ぎにやって来た、いかにも元気そうな別の中学生は、「授業中咳をしていたら、保健
室に行くようにいわれてしまい、そこで検温をしたところ37度と出たのですぐ早退させられ、そ
の足でここに来ました。でも1時間以上も待って疲れちゃいましたよ」と当の本人も、なぜ元気
なのにここにいるのか腑に落ちない様子であった。

 そのほか、授業中の急な発熱の小中学生や、仕事中の咳を指摘されてあわてて退社してき
た一流企業のサラリーマンなど、受診者の多くは典型的なインフルエンザ様症状を呈していな
いか、もしくは症状発現ごく早期の状態であった。

 そこで、近隣3市の教育委員会に問い合わせをしてみた。教育現場にこのような対応を指示
しているのは、国なのか自治体なのか保健所なのか?
 聞くと、そんな通達など一切していないと、どの教育委員会も口を揃えた。毎朝の検温の実
施は指導しているが、体温の数値で強制受診させることなど、一切していないとのことだった。
おそらく教育現場の末端で、自主的に行われている対策でしょう、との見解であった。
 このような教育現場での「新型インフルエンザ対策」を妥当と判断する人はいったいどのくら
いいるのであろうか?

 厚労省は、各医療機関に「新型インフルエンザ対策」として引き続き院内感染の防止に努める
ように、との通達を出している。医師会も待合室を分離したり、発熱者の受診時間を別枠に設
けたりなど、時間的空間的隔離をなるべく行うように、各医療機関に呼びかけている。
 しかし、ほとんど発熱者が来院しないような診療科ならまだしも、小児科や内科などを標榜し
ている多くの診療所では、今後本格的なシーズンが到来すれば外来患者さんの半数以上
の主訴は「発熱」や「カゼ症状」になるであろう。
 空間的隔離として、これらの多数の人たちを別室に隔離することは物理的に不可能であるし、
待合室でのついたて(仕切り)や全員のマスク着用などは、少し考えれば院内感染予防策とい
うより気休めに近いものであることがわかるであろう。また、診察時間が来るまで自宅待機させ、
携帯メールで呼び出すなどというシステムを導入している施設もあるかと思うが、すべての患
者さんが扱えるシステムとはとても言えない。
 時間的隔離として「発熱外来時間枠」を設けたとしても、来院する発熱者がすべてインフル
エンザ感染者であるわけがないし、そもそも患者さんは素人である。インフルエンザの症状とは
まったく異なるのに「発熱外来時間枠」に来院したり、逆に典型的なインフルエンザ症状である
のに、無予告で「時間枠外」に来院することも十分あり得ることだ。さらに発症前の潜伏期の患
者さんなども考慮すると、同一診療所内で「感染者」と「非感染者」を事前に分別して、100%
接触させないなど、どう考えても不可能なのである

 これは、空港検疫が無益であったこととよく似ている。機内でも空港でも待合室でも、空中
を漂うウイルスやそれを何食わぬ顔で保持している人たちをそれらと一切無関係な人から確
実に隔離することなど不可能なのである。

 つまり一般的な医療機関の待合室での院内感染を防ぐことは、不可能と考えるべきである。

 しかし、現場の医師でこのようなことを言う人はあまりいない。
 「新型」を報告した、神戸の先生が、その後とんでもない風評被害を受けられたという事実に
もあるように、世間は「院内感染」という言葉にかなり神経質になっている。「新型インフルエ
ンザの院内感染」となれば、なおさらだ。下手をすると新聞や週刊誌に自分の診療所名が載っ
てしまうかもしれない。「うちの待合室にはインフルエンザの患者さんがたくさんいるので、危険
です」などと言う医師などいるはずがない。何も対策を講じないというのは論外、実際無理と思
っていても、精一杯院内感染防止策を講じているという態度を示しておかねばならないと考え
ている医師がほとんどであろう。しかし一方で、「院内感染」は100%防止できないということを、
患者さんに十分示すということも医師の責任として行わなければならないと、私は考えている。

 一方、世間もこのような現場の状況を十分に知っておかなければならない。
 インフルエンザに感染するには、感染者との接触が必要だ。逆に感染したくなければ(インフ
ルエンザに罹るのが心配であれば)できるだけ感染者のいるところには近づかないことが重要だ。
 これは敢えて言うまでもなく当たり前のことだ。
 しかし、このような当たり前のことが、「新型インフルエンザ対策」が各所で過剰に行われる
につれ、世間ではわからなくなってきているようなのだ。

 テレビCMで「カゼには早めの~~」などと宣伝するためか、早めに薬を飲めばカゼが早く治
ると考える人がものすごく多い。また、医療機関にかかれば診察付きで薬も処方され、負担も
3割だから、市販薬を購入するより、かえって安くて安心という考えから、「カゼをひいたかな」
と思ったら、まずすぐ医療機関にかかると決めている人も多い。そして今は「新型インフルエン
ザ騒動」の真っ最中だ。インフルエンザ感染の有無も医療機関ですぐチェックできるとあらば、
これらの患者さんの受診動機はさらに増えることとなる。
 さらに、学校、職場では、「新型インフルエンザ対策」の名の下に、早めに感染者を把握しよう
と、少しでも異変のある人を徹底的にピックアップし早期の医療機関受診を促している


 しかし、このような「新型インフルエンザ対策」をすればするほど、電車の中や、コンサート会
場以上にインフルエンザ感染者が多く集っている場所ーつまり診療所の待合室に多くの「非感
染者」が誘導されていく事態となる。
 インフルエンザ感染が一番心配なはずなのに、一番危険な場所にマスク一枚で乗り込むこ
との恐ろしさを、もはや気付かなくなっている人があまりにも多すぎる。

 9月1日付けで文部科学大臣より、子供たち、保護者、学校関係者に宛てて、メッセージが
発信された。それには、「せき や熱(ねつ)が出(で)るなど、かぜやインフルエンザにかかった
かなと思(おも)ったら、すぐにお医者(いしゃ)さんに行(い)ってください
」とある。
 一見もっともなメッセージだが、このような安易な医療機関の受診勧奨は、「カゼ」の子供たち
にインフルエンザ感染の機会を増やすだけだ。「すぐに」医療機関に行っても、検査キットも無
尽蔵にあるわけではない。1~2時間ほど、本物のインフルエンザ患者さんの隣で待たされた挙
げ句に、「症状がもう少し典型的になってから検査しましょうね」と何もされずに帰されることも
十分あり得ることだ。そんなお子さんが、4~5日後にインフルエンザ様症状で来院したなら、
それは明らかに診療所から持ち帰ったウイルスだと言えるだろう。

 「新型インフルエンザ対策」として今も多くのメディアが「手洗い、うがい、咳エチケット、そし
て『おかしいな』と思ったらすぐ受診」と喧伝しているが、インフルエンザ感染拡大の防止策は、
「『おかしいな』と思ったらまず自宅安静」、そして不要不急の安易な受診をしないということに
尽きる。そして受診をする際には、各人が本当に「今」受診しなければならないかを、一旦冷静
に、あわてずゆっくり考えることが必要だ。

 先日、本格的なシーズンを迎えるにあたり、よく雑誌に載っている性格判断に用いられるよう
な「インフルエンザ簡易診断フローチャート」を作り、事前にできるだけ多くの患者さんに配布す
ることにした。典型的なインフルエンザ症状をわかってもらうとともに、どのような症状でどのよ
うなタイミングで受診するのがよいかをわかりやすく案内したものである。そして、定期的通院
が必要な患者さん用の時間枠をある程度設定し、その時間帯は、インフルエンザ様症状の来
院者に少しご遠慮いただくなどのアナウンスを始めている。そして、そのパンフレットには、この
ような対策をとっても、院内でのインフルエンザ感染を100%防止できない旨を明示している。

 今回、「新型インフルエンザ対策」が過剰に講じられることによって、かえって不要な感染者
を増加させてしまうという危機的状況を実感した。5月から、この「新型インフルエンザ」がスティ
グマとして継続的に全国民に浸透してきたことにより、個人の事情や企業、教育現場の諸事
情をも巻き込み、あらゆる思惑や行動が複雑に入り乱れることになってしまった。「新型イン
フルエンザ」が心配で過剰検査を希望する人がいる一方で、「新型インフルエンザ」とわかる
と仕事に影響するため検査を拒否する人さえ出てきている。
 今行われている対策が、「インフルエンザ対策」でなく「新型インフルエンザ対策」であるがゆ
えに感染爆発を引き起こしつつあるというこの皮肉に、多くの人が一刻も早く気づく必要がある。
このままいくと未曾有の流行になってしまうかもしれない。
 もしそうなってしまったら、それは「新型インフルエンザ」の「感染力」によるものではなく「新
型インフルエンザ対策」という「人災」によるものだ。

一日の苦労は、その日一日だけで十分である 

今朝、14メガが北米全体に開けていた。ミシガン州デトロイトの近くに住む、Rich W8ERNと交信した。76歳になる方だが、とてもしっかりしておられる。ノイズも混信もないなか、12年ぶりの再会を喜び合った・・・といっても、互いに、当時の記憶はないのだが、彼の記録で二度目の交信であることが分かった。

さほど話し込むでもなく、またの再会を約して、お別れすることになった・・・その時、彼が言った「keep smiling」という言葉が、妙に気になった・・・普通の交信であれば、単なる別れのありきたりの文句なのだが・・・。私は、お互いの年齢になると、keep smilingすることがなかなか難しくなるね、と申し上げた。

すると、彼は、最近悪性リンパ腫の再発で化学療法を受けたのだが、それをやり通したよ、と仰った。そうした、思い悩むべきことを持ちながらも、いや、だからこそkeep smilingなのだろう・・・。

「平然と生きることことこそが悟りだ」という意味の子規の言葉と合い通じるものがあるような気がする。新約聖書マタイ伝の言葉「あすのことは思いわずらうな・・・一日の苦労は、その日一日だけで十分である」をも想い起こさせる。

何も嘆くことなく、重荷を背負って、こうした言葉を実際に生きておられる方が、世の中にたくさんおられるのだろう。自らの重荷を嘆くことはせずに・・・。

言葉の前に、音楽があった・・・ 

理研の森の野氏という研究者が、言葉の誕生を、発生学的に研究なさっている。その研究の一端をちょこっと読ませていただいただけだが、彼の仮説によれば、系統発生的にも個体発生でも、連続した音(声)の流れを、分節として捉えるような能力が、先験的に備わっており、その分析と意味付けが、言葉の創生に繋がるのではないかとされている(誤解があるかもしれないが・・・)。

その仮説を支持する実験結果が、動物・人でも集積されているらしい。人では、大脳生理学的な実験によって、この仮説の正しさが検証されつつあるらしい。

その言葉の誕生そのものが興味深いが、私は、言葉の「前に」歌があったかもしれない、という前提に甚く感激した。

歌・音楽は、こころに直接響き、我々の情動に強く働きかける、といわれている。特定の音楽を聴くときに、それに纏わる記憶がまざまざと蘇ることは、常日頃実感するところだ。音楽によって喚起される情動が、記憶を蘇らせるのだろう。我々のこころは、言葉から出来ているが、その根底に音楽が流れている、またはこころが出来上がる元に音楽があるとしたら、素敵なことではないか、というのが私の第一の感想だった。

もう一つ、調性や、再現性を否定するような所謂現代音楽が、我々のこころに直接訴えかけない(ように私には思われるのだが)のは、そのような「音楽」が、原始の音楽と脈絡を通じ合っていないからなのではないか、ということも感じた。現代音楽も千差万別だし、私の理解が浅いだけなのかもしれないが、我々のこころの底にある原始の音楽から生まれでた音楽しか、我々のこころに直接入ってくることがないのではないだろうか。

以前にも記したが、室内楽で合わせようとするときに、音楽を先導する奏者が、吸気音を他の奏者に聞こえるように合図を出す。恰も、さぁ一緒に歌いましょう、というかのように。この所作も、単なる合図だけに留まらずに、一緒に歌いだそうという合奏の源から出てくるものなのではないだろうか。共に歌うことによって、こころが繋がり、同じ生命の流のなかにあることを確かめ合う所作のように、改めて感じられる。

歌うこと、その意味するところは深い。

ヘッドコピー、再び 

CQ出版から刊行された『モールス通信』は、定期的に版を重ね、先日も新しい版が一冊送られてきた。以前にも記したが、この本で、「英文による交信」について、私が記させて頂いた。ハウトゥ物は、この楽しみ方には馴染まないと思ったので、原理・原則に沿ったことを記させて頂いた。あの内容を、神経生理学や、認知心理学等の知見をもとに、科学的な言葉で記してみたいという希望を常に持ち続けているが、今のところ、果たせていない。先日のCQ誌への寄稿で若干記した程度のことしか、まだ分かっていない。

今回寄贈いただいた新版の『モールス通信』に、改めてざっと目を通した。自分の記した章以外をこれまであまりじっくり読んだことが無かった。少しがっかりさせられた。他の方の記述では、英文でヘッドコピーして意思疎通を図る通信手段としてのCW技術を読者が獲得するのは難しいのではないか、と思えた。

どうしてか・・・ヘッドコピーを、ただ受信内容を「記憶する」こととしか受け止めていない記述ばかりなのだ。ヘッドコピーが必要だということは認めても、それを恐らくは自身で実際に実行していないために、ヘッドコピーという方法の内容については、かなりピントが外れた記載になっている。

私が考えるヘッドコピーは、こうだ。ヘッドコピーをするときに、意識と記憶のなかで行われるのは、受信した内容(せいぜい数語)を短期記憶に格納し、その意味を「理解する」。その際に、過去の受信内容(当然、これも意味を理解していなければならない)と、それ以外の相手に関する知識を総動員し、現在進行している受信内容の理解を助ける。さらに、受信中の単語を予測する。この場合、単語をただ当てずっぽうで予測するのではない。過去の受信内容の理解を援用して、推測するのだ。そして、そこで受信した単語なり文章が明らかになることによって、過去の受信が適切であったかどうかが分かる。同時に、その先に送信されてくるであろう内容を、推測することも行う。

過去・現在・未来を意識の中で普段に往復しながら、相手の意思・意図を理解し、その理解を検証してゆく作業なのだ。

普段の日本語での会話でも、同じプロセスが進行しているように思える。Merle K6DCが、その自伝のなかで、CWを受信する際に、筆記するかという質問に対して、「筆記などしない、会話をするときに、筆記をすることがあるかね?」と切り替えしていたことを思い出す。

日本では、プロの無線通信士の教育方法が主流であったために、一語一句取りそこなってはいけない、先に来る語を予測してはいけない、というトレーニング方法が広まっていたのだと思われる。そうしたトレーニングを積めば、何時かは、ヘッドコピーが自由に出来るようになるか・・・答えは否だ。筆記作業に意識は集中してしまい、上記の「理解する」プロセスを進めることは不可能だからだ。

と、何度か繰り返し記したことをまたくどくどと記してしまったが、筆記受信の呪縛は、アマチュア無線家がネーティブスピーカーではなく、プロの教育が行われ続けてきたわが国のアマチュア無線界では相当強そうだ。さらに、CWへの誘いの書であるべき『モールス通信』の内容が、ヘッドコピーの無理解であることは嘆くべきことだ。残念ながら、全世界に対する意思疎通の道具としてCWを用いているアマチュア無線家が、わが国では稀少だということなのだろう。

自殺企図患者は、つきっきりで見守ることという判決 

精神科では、希死念慮をもち、自殺企図をされる患者さんを多く扱う。

ある患者さんが、仙台医療センターで1時間かけて診察をうけた。この診察時間の長さは、一般論として、精神科の外来診療では、特に念入りに診療を受けたことを意味する。しかし、その患者さんは、その後、医療機関内で自殺した。ご遺族が、国立病院機構に損害賠償を求めた民事訴訟の判決が仙台地裁で下された。3300万円の支払いを命じる判決だった。

どのような経緯で、患者さんが自殺されたのかが不明だが、「病院職員に見守りをさせる」べきだったという判決内容は、精神科診療の現場に余りに過酷ではないか。希死念慮が少しでも疑われる患者さんが医療機関に滞在する間、病院職員を付きっきりで見守らせるということは、現実問題として不可能だ。マンパワーの面からも、医療経済的にも、不可能だ。

希死念慮を持つ患者さんは、すべて入院させなければならないのだろうか。入院させたとしても、24時間、つきっきりで患者さんを見守るということは不可能だ。

こうした判決が、医療現場をさらに疲弊させ、それは翻って、患者さん自身に撥ね返ることになる・・・。


以下、引用~~~

 仙台医療センター(仙台市)の精神科に通院していた山形県米沢市の女性が2005年、センター内で自殺を図ったのは担当医師の対応が不十分だったためとして、遺族が国立病院機構(東京都)に約1億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で仙台地裁(沼田寛裁判長)は31日、約3300万円の支払いを命じた。

 沼田裁判長は「女性はうつ病か人格障害とみられる症状があり、事故以前にも自殺を図ったことがあった」と指摘。「事故は予見可能で、病院職員に見守りをさせるべきだった」とした。

 判決によると、女性は05年10月、診察室で医師と1時間余り面談していたところ、別の患者から「診療時間が長い」と叱責(しっせき)された。この後、女性の姿が見えなくなり、いったん発見した病院職員が目を離した間に、屋上の出入り口付近のドアノブにハンカチをくくりつけ、自殺を図った。蘇生(そせい)措置が試みられたが女性は低酸素脳症で重体となり、今年1月に死亡した。(共同)

 [2009年8月31日18時13分]

鳴門病院・薬剤取り違え事故 

昨年11月、健康保険鳴門病院で、一人の患者が、薬剤の誤投与によって死亡する事故が起きた。慢性閉塞性肺疾患の70歳の患者が、発熱した。当直の内科医は、非ステロイド系解熱剤が使えないケースだったために、ステロイド剤の「サクシゾン」を投与した積りになったが、オーダーにのったのは、筋弛緩剤の「サクシン」だった。薬剤師・看護師等のチェックがされず、そのままサクシンが投与され、患者は命を落した、ということのようだ。

この事故についての病院の報告書が公表されている。ここ

この事故で不幸にも亡くなられた患者と、そのご家族に哀悼の意を表したい。

この事故の直接の原因は、医師の不注意にあり、それは弁明できることではない。医師は、業務上過失致死罪で書類送検され、現在仕事を辞めている様子だ。

その他にも様々な問題が挙げられている。サクシンという主に麻酔科でしか用いない薬剤が、病棟で用いられるようになっていた、システムの問題。看護師・薬剤師のチェックが働かなかった問題(看護師は、筋弛緩剤であることを認識していたようだが、医師に改めて注意喚起しなかった様子)。複合的な要因が重なって生じた事故といえる。

しかし、一番の問題は、このように紛らわしい薬品名を放置しておいた、行政当局の怠慢だ。この二剤の取り違えは、過去にも生じて、医療事故が起きている。その段階で、この紛らわしい薬剤名のいずれかを、変更するように、製薬企業に指導すべきだった。この事故後、先発であったサクシンを、サクシネートという一般名で販売するように、製薬企業の方で自主的に変更したようだ。厚生労働省担当部署、それに医療事故と、ヒヤリハット事例を収集している日本医療機能評価機構は一体何をしていたのだろう。こうした未然に防ぎうる事故原因を無くすために、何らアクションをとっていなかったとしたら、そうした行政部署・特殊法人は存在する意味が無い。

もう一つ、私が注目したいと思ったのは、事故を引き起こした医師の労働の状況である。事故を起こす半年の間に、130例の入院を担当、10例の死亡例を受け持っていたようだ。死亡例に対応する医師は、その直前1,2週間、ベッドサイドにかかりっきりになるはずだ。夏休み以降は、休みを殆ど取れぬ状態であったらしい。当日、医局で、小児科医に、そろそろ限界なので仕事を辞めたいと語っていたということだ。きわめて過酷な労働状態だったことが分かる。こうした状況だからといって、自らの不注意で起こした事故の責任は免れない。しかし、当該医師が厳しい労働状況にあったことは、十二分に注意を払うべき投与薬品名について「思い込み」を生じさせることに関係しているのではないか、と思えてならない。これも一種のシステムエラーだ。

直接的な原因だけではなく、是非、こうした背後にある問題にも目を向けて、今後の再発防止に向けて対策をとってもらいたい。こうした事例から学習すべきことは、再発防止に向けた方策であるからだ。「注意深く」仕事をせよといった、ありふれた教訓だけに終わらせてはならない。

民主党への期待 

一昨日の総選挙で、民主党が大勝した。民主党が寄せ合い所帯で、政権担当能力にも疑問があるとする声もあるが、私は、まぁ任せてみようという気持ちだ。

戦後64年間、ごく一時期を除いて、自民党が実質政権の座についてきた。自民党は、ボスを中心に利権の分配を行うことが主要な機能の政党だったのではないか。戦後、高度成長の時期には、優秀な官僚、それに輸出産業の二者と、自民党が協同して、強力な政官業の一体構造を作り、輸出をすることで、日本の繁栄を生んできた。この構造体で中心にいたのは、官僚組織であったのだろう。

が、高度成長は過去のものとなり、高齢化社会が到来し、この構造では、日本の政治・社会が機能しなくなってきた。それにも拘わらず、自己保身を進めてきたのが官僚組織なのではないか。官僚組織の生み出す歪は目に余る。そうした官僚組織を、一度解体する必要がある。

この社会的な大きな矛盾が徐々にあらわになり、それに耐え切れなくなった国民が、最終的に今回の政権交代を実現させたのだろう。政権与党には、進むべき国の形を明らかにし、官業と一定の距離を置いて政治を進めてもらいたい。官が情報を独占し、実質的に立法を行い、政策を立案してきたことにメスを入れ、政治が官をチェックし、自ら政治が立法することが出来るようになってもらいたい。その際に、是非、生活現場の状況を見てもらいたい。一部の財界人や、「有識者」にだけ諮るのではなく、生活現場で苦労している人々の声に耳を傾けてもらいたい。