四つのパス 

米国東海岸、それに恐らくはアフリカ西海岸への7メガのパスは四つある。ただし、3)4)の命名および解釈は、私の独自なもの。

1)ショートパス 文字通り最短のルートをとる。東海岸の場合。北東から北北東。

2)ロングパス ショートパスの180度反対向き。ショートパスの開ける時間帯と半日異なる時間帯に開ける。

3)偏位したパス(skewed path)その1 南太平洋周りのパス。磁気嵐が起きて、ショートパスが不調なときに、しばしば経験する。

4)偏位したパス(skewed path)その2 北極経由のパス。早朝に経験する。太陽面活動が比較的安定しているときに、稀に経験する。

今朝、6時頃、7メガで北米東海岸が聞こえていた。当然、時期からして、2)のパスと思ったが、インド洋方面にビームを向けると、信号が消えてしまう。

ショートパスでも若干弱くなる。真北、北極へ向けると、ショートパスに比べて、信号が少し強くなる。ただ、ビームの効き方は、ブロード。ヨーロッパも同じパスで入感する。信号は、僅かなフラッターを伴っている。聞こえてくるのは、リニアにビーム組が主体で、ベアフット・ワイアーアンテナでは少し厳しいかもしれない。やはり極地での減衰はあるのだろう。

このパスが消滅するまで聞き続けたわけではないが、恐らくロングパスと同じような時間帯に生じるのかもしれない。パスの距離が、ロングパスに比べて短い分、少し長めに開けるのかもしれない。

3)4)いずれのパスも、期待しうるパス1)2)が地球物理現象によって阻害されるときに生じる(ことが多い)ことも興味深い。電離層の電波反射要因は、トータルにある決められた「量」からなり、あるパスが閉じると、別なパスが活性化するという機序が働くのかもしれない等と想像を逞しくしながら、フラッターに彩られた信号に耳を傾けていた。

そういえば、昨日深夜に7メガでスコットランドからも呼ばれた。solar fluxは低値らしいが、CONDXは良さそう・・・。

さて、あと一人急患対応をして帰るとするか。大晦日なんて気分にはならないが、鮭で昆布巻きを作ってみる予定だ。

The CW operators Club 発足 

少し前のエントリーでも言及したが、新しいCWを愛好するハムのクラブが、いよいよ立ち上げられる。メンバーは米国のハムが多いが、世界中に及んでいる。私も創立メンバーかつ理事の一人になっている。

創立メンバーの殆どは良く知っている方々なので、気安いクラブではあるが、今後の課題もいくつかありそう。私も、一応真ん中にいるメンバーではあるので、批評家然としてコメントできる立場にはないのだが・・・。

一つは、FOCとの関係。FOCメンバーを辞めたハム、ないし二重に加入しているハムが、このクラブに多く、このクラブ発足の経緯と相俟って、FOCとは微妙な関係になる可能性がある。FOCを排除しない、二つに入っていて結構というスタンスだが、FOCの方がどのように考えるだろうか。

また、25WPM以上の速度のCWで意思疎通ができることが入会条件だが、ラグチューのみならず、DXやコンテストプロパーのハムもかなり多く入会している。クラブとしてのまとまりをどのように確保してゆくのだろうか。関心の対象が拡散してしまい、まとまりがつかなくなるということはないのだろうか。

前の発言では、ネットに無線が侵食されるようなことを記したが、無線では、それこそ半世紀以上にわたって、国境を越えた友情を維持し、外国の友人の人生を共有することができる。ネットでは、そうしたことが可能だろうか。やはり無線の存在意義は、そうしたところにもあるのではないかと思い直した。このクラブに集うハムが、国境を越えて友情を育み、お互いに理解を深めていってほしいものだ。恰も、大きな木の枝にともに羽を休める小鳥達のように。

クラブのサイトは、こちら

仕事納め 

我が家の新参者で、いつもは威張っているみっちゃん(左側、黒)、寒さに耐え切れなくなって、愛ちゃん(白黒、真ん中)、すず(左、虎模様)のカップルにくっ付いていた。冬至を過ぎて、寒さはこれからが本番。

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いよいよ、あと1時間で仕事納め。この2ヶ月間は、忙しかった。夜間の呼び出しも多かった。1月2日から仕事始め。3日は救急診療所。

時間が出来たら、また書くかもしれないが・・・一応年末のご挨拶を・・・皆様、良いお年を。

仕事場の新しいオーディオ 

仕事場では、これまで10数年前に購入したコンポで音楽を聴いてきた。結構良い音で鳴ると思っていたのだが、最近オーディオの雑誌や、ネットのサイトでオーディオ機器の新しいものを知るようになり、新調しようかという気持ちが芽生えた。自宅に既にそれなりのセットもあるし、仕事場にまで不要ではないか、浪費するんじゃないという内心の声もあったのだが、仕事場で長時間過ごすし、旅行するでもない、飲み歩くでもなし、まぁ良いではないかと、自分を納得させた。

で、一群のハイエンドオーディオ機器の広告、さらに雑誌での試聴報告等を目にして、ハイエンド機器に少し気持ちが傾きかけた。しかし、引っかかったのが、価格の高さ。多くが海外の製品であり、現地での価格を調べると、日本での価格の半分以下というのがザラである。Geo W0UAと、こうしたオーディオ機器の価格設定を話していたら、その直後、Tom K7GMFが呼んで来て、「ハイエンド機器の価格は、ベラボウだよ。録音スタジオ等でもあんな価格の機器は使わない。ハイエンドを買うのは止めたほうがいい。」と、天の声。そんなこともあり、不況著しい日本製のオーディオ業界を支えるために(大げさ・・・笑)、日本製の機器にしようと決めた。

ただ、試聴をしに、都内になかなか出かけられない。今年春KEFのスピーカーを購入したときの記憶と、様々な試聴記をもとに、決めざるを得なかった。VictorやYAMAHAのスピーカーを最後まで候補に挙げたが、最終的に、当初の意向とは異なり、英国のブランドQUADの魅力的なトールボーイタイプのスピーカー「22L2」に決定。クラシック向きであるという評判と、繊細かつ品の良い響きがするという試聴記を頼りに、決めた。アンプ・CDプレーヤーは、DENONのベストセラーモデルに決定。

私が10代の頃、ほんの少しオーディオを齧ったのだが、日本製のオーディオ機器市場に、当時の活気がないことがとても気になる。YAMAHA等、リタイア時期を迎えたベビーブーマー世代を意識した新製品の投入をしているメーカーもあるにはある。しかし、一般的には、オーディオを愉しむのは、せいぜいiPodまたはミニコンポまで、下手をすると、PCのスピーカーで聴くという方が多いのだろうか・・・。

ラックは、7千円なりのセンターテーブルを組み上げ、代用。スピーカー等を二階の自室に持ち上げ(看護師さんにお手伝い願う・・・)、スピーカーをくみ上げ、結線するのに、昼休みまるまるかかった。

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このセットを用いて、最初にかけたのは、ブラームスの4番。ザンデルリンクの指揮するシュターツカペレの演奏。さらに、ポリーニとイタリアSQの奏するブラームスピアノ五重奏曲。現在は、マイスキーのバッハ無伴奏が鳴り響いている。

もうこれで十分だ。ふくよかで、暖かい響き。低音も締まりよく鳴っている。床に轟くような超低音は余り感じられないが、目の前で、オケやソリストが演奏しているかのよう。このQUADモデルは中国製らしいが、つき板に塗装が繰り返され、とても美しい仕上がりだ。それに、しっかり作られている。家具のようだ。

オーディオの生み出す音は、結局のところ、作り物。オーディオマニアは、それを本物に近づけるために、高価な機器を揃えるのだろうが・・・度を超すと泥沼に陥る。私は、この設備でもう十分だ。

小児一次救急に県立病院非常勤医師を派遣 

埼玉県は、各都道府県の中でも単位人口当たり医師数が少ないことが知られている。ことに小児科医は、2005年のデータで、東京都の1/3程度の数しかいないようだ。東京のベッドタウンを抱え、小児科救急医療が厳しい状況にあることだろう。

埼玉県当局は、一次救急の現場に、県立病院の非常勤医師20から30名を派遣することにしたようだ。救急患者が、高次救急医療機関に集まってしまうのを改善するためらしい。

一見、小児救急の対策として、適切な行政と見えるが、問題はさほど単純ではなさそうな気がする。

まず、派遣するという医師の問題だ。県立病院の非常勤医師「ら」となっているが、休日夜間の小児一次救急に県が駆り出すことができる小児科医が、県立病院の医師以外にいるとは到底思えない。県が、指示を出すことができるのは、県立病院の職員である医師しかいないだろう。

とすると、この20から30名の小児科医師は、どの県立病院から派遣されるのか、が問題になる。埼玉県の県立病院は、専門センター医療機関が4つほどだるだけのようだ。その中で、小児科医がおり、派遣が可能なのは、埼玉県立小児医療センター(センターと略す)だけではないかと思われる。

その医師情報を見ると、確かに、非常勤医師が就業しているようだ。他病院に本職があるような医師は、そちらの救急の仕事で手一杯で無理なはず。ここからは想像なのだが、このセンターで常勤と同様の勤務体制で仕事をしている「非常勤」医師しか派遣できないのではないだろうか。彼等は、センター常勤ポストがないために、非常勤医員として仕事をしているのだろう。すると、そうした非常勤医師は、センターの救急も担当している可能性が極めて高い。そうした医師への負担を、この計画立案者は考えているのだろうか。

どうしても、非常勤医師を派遣するなら、「公務員の兼職禁止規定」を取っ払い、常勤医師もその任務に就くのが筋ではないだろうか。

センターの高次救急の負担を軽減するために、そのセンターで救急を担当しているはずの医師が、外に出て一次救急を行う・・・自己撞着ではなかろうか

これは「国の「地域医療再生臨時特例交付金」に基づき作成した計画(09-14年度)」だそうだが、この交付金が無くなったら、お仕舞いでは、ほんの一時しのぎの施策に過ぎない。より抜本的な対策を立てる必要があるのではないだろうか。

小児科は、今回の診療報酬改訂でも優遇される(はず)と聞くが、実際のところ、少なくとも開業医レベルでは、再診料の引き下げが行われると、多くの小児科医の最終的なキャリアーパスの行き着く先の開業小児科は、大きなダメージを蒙る。小児科医の志望者にどのような影響を及ぼすだろうか。交付金で一次しのぎをするのではなく、正当な診療報酬上の手当てをすべきだ。また、所謂コンビニ受診の小児科患者を抑制する方策を取ってもらいたいと、小児救急の現場の人間は思っているはずだ。こうした一時しのぎの施策ではなく、現場の声を聞き、より根本的な方策を取るべきだ

また、この県が行う医師の配置に、将来の行政による医師の強制配置の予兆のようなものを感じる。行政は、医師の数が飛躍的に増えれば、どのような職場にも行政の指示する通りに動くはずだと考えている。それは、医師にとって不幸なシステムになるだけでなく、患者にとってもモチベーションの無い医師に診療を受ける最悪の結果をもたらす。県の職員であれば、県当局が「自由に」動かせると考えてはならない。医師のモチベーションを保つように、派遣先の条件をより良くすることこそが必要なのだ。

毎日新聞も「小児科の軽症対応手厚く」等と県を持ち上げる記事にするのではなく、小児救急も問題を掘り下げて報道してもらいたい・・・無理か。


以下、引用~~~

初期救急、埼玉県が医師派遣 小児科の軽症対応手厚く
09/12/24
記事:毎日新聞社
提供:毎日新聞社
ID:1309041


初期救急:埼玉県が医師派遣 小児科の軽症対応手厚く



 風邪など軽症の子どもが重症者に対応する救急病院に集中する事態を避けるため、埼玉県は来年度から、県立病院の非常勤小児科医ら20-30人を軽症の子に対応する「初期救急医療機関」に派遣する方針だ。初期救急の体制整備は主に市町村の担当で、厚生労働省医政局指導課によると、県が医師を直接派遣するのは珍しい。

 初期救急医療機関は軽いけがや風邪など入院の必要がない軽症者の夜間・休日診療を行っており、埼玉県では各地域にある「休日夜間急患センター」や「在宅当番医」が担当している。

 県医療整備課によると、現場では慢性的に小児科医が不足しており、休日や夜間の当直医が不足。初期救急がパンクすれば、同様に医師不足に陥っている2次救急に軽症患者が流れてしまう悪影響が懸念される。このため県は医師派遣で初期救急を手厚くすることとした。

 県立病院の常勤医を派遣すると、公務員の兼職禁止規定に抵触するため、非常勤医が中心となり、それぞれが都合が付く休日や夜間に医療機関へ派遣する。

 県は国の「地域医療再生臨時特例交付金」に基づき作成した計画(09-14年度)に医師派遣事業を盛り込み、国の内示を得た。必要経費は市町村にも負担させる構想という。【岸本悠、西田真季子】

ネットと無線 

数週間前にJim N3JTから、新しいCWのクラブを作るので入らないかと誘われた。DX・コンテスト・ラグチューどれでも良いから、CWを愛好する方の国際的なクラブにするとのことらしい。入会条件は、25WPM以上で意思疎通ができること、ということのようだ。新規加入は、既メンバー4名の推薦による。現在のところ、米国のメンバーが圧倒的に多いようだが、ON(ベルギー)、OH(フィンランド)、UA(ロシア)、LZ(ブルガリア)、G(英国)等のヨーロッパ勢、ZL(ニュージーランド)ZS(南アフリカ)それにJA(日本)ということのようだ。

アマチュア無線とは、本来、一対一の交信を愉しむもので、多人数で集って盛り上がるのは、あったとしても副次的なことがらだと思っていた。また、既にFOCや、JBAというグループ・クラブにも属している。それで、当初迷ったのだが、長い付き合いのJimから懇請されたのと、FOCとの二重加盟は問題ないとのことだったので、加入させていただくことにした。

その後、directorの一人になってくれと言われて、それも迷ったのだが、クラブ立ち上げの諸事項に賛否を表明してくれるだけでよいからと言われて、ZS1EL・G3XSNとともに、その一員になった。どうも国際的なクラブとして立ち上げるために、米国以外のメンバーが執行部にいて欲しいということだった様子。

その結果・・・毎朝、メールボックスを開くと、20、30のメールがこのクラブメンバー・執行部から送られてくる。ネットを用いて運営をするとは聞いていたが、凄いメールの数。願わくば、設立当初だけの現象であって欲しいが、さてどうなることだろう。特にyahoo.groupの方は、チャット状態。フォローするのも一苦労・・・。無線家というものは、こうもお喋りなのだろうか・・・。

ネットでこうして会話を交わすことも、便利で、楽しいに違いないのだが、無線での交信とは少し違う・・・と、このクラブに入る前は、信じていた。だが、こうして、ワイワイガヤガヤ、世界中のハムが、ネットで会話しているのを目の当たりにすると、その違いが、それほど大きなものではないのではないか、とも思えるようになってきた。無線への情熱が、少し削がれるような、変な気分になる。これまで、ブログに文章を記したり、他のBBSやブログにコメントをしたりはしていたが、それは私にとって無線よりも従なこと、ないし全く別な世界であった。しかし、私の気持ちの中で、無線がネットによって侵食されている現実に直面している。

さて、このクラブ、それに私と同クラブとの関わりは、一体どうなって行くのだろう・・・。

「呼吸器外し」が日常になる?! 

「呼吸器外し」行なったとして医師が殺人罪の判決を受けた問題を、少し前に取り上げた。

「呼吸器外し」が、医師・患者の契約関係によって日常化している、米国他の現状を、村重直子氏が記している。

米国では、医師の専門性を認め、医師・患者の契約関係を重視することから、終末期医療で死を早めることが行われるのだろう。しかし、医療費を削減するという視点もあるに違いない。

終末期医療で希望が持てなくなっても、最後まで積極的な治療を受けられる、日本の医療も変化せざるを得なくなるのかもしれない。これは、医療側からは進めにくい議論なのかもしれない。患者と家族の「気持ちを阿吽の呼吸で汲みとる」日本的な医療では、終末期には対応しきれなくなっている。その点を自覚して、患者側からむしろ積極的な議論と、意思表明を行なうべきだ。さらに、法曹界は、こうした社会の変化に迅速に対応してもらわねば困る。

以下、MRICより引用~~~

▽ 各国の非言語情報から見る呼吸器外しの理念 ▽
   タブーから目を反らさずに議論が必要
  厚生労働省改革推進室
  村重直子

*本稿は2009年1月13日に配信した原稿の再送です  

 2009年12月23日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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昨年10月7日、「呼吸器外しの意思尊重を 倫理委が異例の提言」というニュースが流れた(1)。内容は、亀田総合病院の倫理委員会が、全身の筋肉が動かなくなる難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の男性患者が提出した「病状が進行して意思疎通ができなくなった時は人工呼吸器を外してほしい」という要望書について、意思を尊重するよう病院長に提言していた、倫理委員会が判断を示したのは異例、というものであり、NHKでは何と患者さんの氏名も報道されている(2)。氏名を公表してまで世の中に議論を呼びかけた、この患者さんの勇気ある行動と、同病院の亀田信介院長の「人工呼吸器を外せば逮捕されるおそれがあり容認できない。しかし、患者みずからが治療を選ぶ権利を奪うこともできない。社会全体で議論してほしい」というコメントに、医療現場の苦悩が凝縮されている。亀田院長は後のインタビューで、呼吸器を外すに当たって踏むべき手続き、
プロセスを定める必要があると提案している(3)。

このような日本の状況とは極めて対照的な米国の状況が、昨年12月11日の医学誌に掲載され(4)、日本における呼吸器外しの議論が、医療の高度化から取り残されていること、従ってそのギャップに苦しむ人々が増えているであろうこと、米国の議論は日本とは比べ物にならないほど先の段階へと進んでいることを、改めて思い知らされた。


●米国医療の非言語情報まで洞察を

米国で「当然」「常識」と思われていることや、その「常識」に基づく米国民のニーズは、あえて言語化されないため、情報として日本に入ってくることは滅多にない。一方、米国民のニーズがあるのに存在しない、あるいは失われつつあるものこそ、言語化され、声高に叫ばれるため、情報として日本に入ってくることが多い。その典型例が、"continuity of care(同じ担当医が同じ患者を継続して診療すること)" "primary care(プライマリ・ケア)" "nonprofitorganization(病院の運営主体として)"といったフレーズだ。従って、日本に
おいて入手可能な外国の医療に関する情報には、かなりのバイアスがかかっており、その背景にある「常識」という非言語情報まで洞察しなければ、解釈を誤るであろうことは想像に難くない。呼吸器外しについても、そのような背景まで理解する必要があるだろう。


●米国で呼吸器外しは日常

私がニューヨークで臨床医として勤務していた1999-2002年当時、"medicallyfutile" つまり、治療しても治る見込みはないと判断された患者の呼吸器を外すことは、既に"standard of care(標準的医療)"として日常的に行われていた。"medically futile"という判断は、医学的判断、つまり担当医による診断であり、その診断に従って呼吸器を外す行為は、担当医による医療行為の一環である。当然、担当医以外の第三者医師の判断を仰ぐ必要も、院内の倫理委員会に諮る(担当医以外の複数の第三者意見を聞く)必要もない。まして、刑事司法や
行政が介入するなど考えられない。

「このような尊厳のない延命を本人は望まないだろう」と考えない家族はなく、呼吸器を外すことに同意しない家族に遭遇したことはない。"medically futile"という診断に従って呼吸器を外すことが標準的医療と認識されているということは、仮に、治る見込みがないと診断されたにもかかわらず家族が呼吸器を外さないという選択をしようとした場合、合理性がないとみなされ、院内の倫理委員会に諮って第三者の意見を聞く必要性が出てくることを意味する。


●日本で呼吸器外しは殺人罪

一方、日本では、医学的判断や本人・家族との話し合いといったプロセスとは無関係に、呼吸器を外すという行為そのものに刑事司法が介入し、殺人罪に問われているケースが現に存在する。1998年に、川崎協同病院で患者の呼吸器を外した医師が、2002年12月4日、神奈川県警に逮捕され(5)、2007年2月28日、東京高等裁判所で殺人罪を適用した判決が出されている(6~8)。

このような背景があるからこそ、必ずしも患者の意思が尊重されているとは言えない状況が生じ、前述の亀田信介院長のコメントや、呼吸器を外すに当たって踏むべき手続き、プロセスを定める必要があるとの提案が出てきている。


●日本の家族意識が支える意思決定

では、医療現場における意思決定の実態は、どのようなものなのだろうか。日米独の調査報告によると、ホスピスや緩和病棟において、「無駄な延命治療をしない」等の事前指示(Advance Directives)の書類にサインしている患者の割合は、米国79%、ドイツ18%に対し、日本ではわずか9%である(9)。また、西洋人にとっては信じられないことだろうが、自らはサインせず、最も重要な意思決定を家族に任せたと答えた患者が、日本では9%であった。当然ながら、米国とドイツでは、ゼロである。西洋人には当然の個と個の契約(患者本人と担当医)という概念や、契約上のサインの概念が、日本人には馴染まない。

さらに驚くべきことに、最も重要な将来の意思決定について、日本では、安心・幸福といったポジティブな感情を抱く患者が多く(日38%、米18%、独12%)、悲しみ・孤独・恐怖・心配といったネガティブな感情を抱く患者が少ない(日45%、米85%、独82%)。このような実態から、日本では患者の意
思決定における家族の役割が大きいため、難しい決定を迫られる重荷からある程度患者が解放されており、相互依存の家族意識が終末期の患者に安心感を与えていると考えられる。


●アジア初の自然死法が生む矛盾

一方、台湾は、アジアで初めて、カリフォルニアの自然死法に似たホスピス法を2000年に導入した。台湾の実態は、日本にとっても参考になるかもしれないが、どうやら医療現場の苦悩は、解消されるどころか拡大している印象さえ受ける。というのも、台湾のホスピス法では、無駄な延命治療をしないための書類にサインするのは、西洋式に、患者本人でなければならないとされているが、実際には、患者がサインしたのはわずか17.9%にとどまり、82.1%において家族のみがサインしているからである(10)。

このように、結果として医療現場の大多数に違法行為を強いるとすれば、この法が、たとえ患者の意思決定を尊重する意図で作られたものだとしても、国民の「常識」やニーズに合っているとは言えないだろう。


●米国の法が生むマイノリティの矛盾

同様に、米国においてもアジア系やヒスパニック系など、異なる「常識」を持つマイノリティが存在するため、「常識」の衝突は起こり得る。患者に不必要な苦痛を与え尊厳のない死につながるという考えから、医師が延命治療を行うべきではないと考える場合でも、家族が延命治療を望むケースが稀に見られ、そのひとつが、2007年春に注目を集めた、テキサス州のケースである(11)。18ヶ月の男の子が5ヶ月に渡って集中治療室で治療を受けた後、担当医も病院の倫理委員会も、治る見込みはないため延命治療を続けるべきではないと判断した。これに対して、母親は民事手続きで期限延長を勝ち得たが、最終判断が下される前に男の子は亡くなった。

テキサス州の法(the Texas Advance Directives Act)に従えば、倫理委員会の判断に患者側が同意しない場合でも、最終的には、担当医は倫理委員会の判断に従って、呼吸器外しなどの延命治療中止をすることができる。また、この延命治療中止は民事・刑事上「免責」される。つまり、この法の本質的な意義は、担当医側と患者側が延命治療中止に合意する多くのケースにあるのではなく、担当医側が患者側の意思に反する延命治療中止を行うケースにおいて、倫理委員会等の手続きを踏むことによって、医療者を民事・刑事責任から守ることにある。


●日本にはない「医師の権利」という「常識」

見落としてはならないことは、このような法が成立し得る米国の背景に、日本では想像もつかないことだが、「医学的に治る見込みのない患者に不必要な苦痛を与えることは、医師としてのモラルに反する」「医師は自らのモラルに反する医療行為を拒否する権利がある」という「常識」が存在することである(11)。
「医師の権利」という概念が米国民に浸透しているからこそ、医師という専門家の判断に従う行為について、医療者を民事・刑事上「免責」するという概念が、国民の支持を得たのだろう。


●非言語情報から見る呼吸器外しの理念の違い

実は、日米の呼吸器外しの理念が、正反対の方向性にあることがお分かりいただけるだろうか。米国の法は、患者・家族の意思に反したとしても、医学的判断に従って呼吸器外しを実行するための法だが、日本で議論が必要なのは、患者・家族の意思を実現するため、多様な選択肢の一つとして呼吸器外しも可能とするための法、と言うことができるだろう。

つまり、日米いずれの場合も、それぞれの「常識」に対する例外規定を必要としているのだ。米国では、個と個の契約(患者本人と担当医)に従って診療するという「常識」に対する例外規定、日本では、個々の患者・家族に選択の余地を与えるべきではなく、全国民に対して延命治療を最後まで継続すべきであるという「常識」に対する例外規定、と考えることができる。

その根本にある日米の違いは、(1)本人(個)の意思を尊重すること、(2)医師という専門家の判断を尊重することが、「常識」として患者・家族・国民の一人ひとりにまで浸透しているか否かの違いである。米国に比べれば、日本では、(1)本人の意思と(2)医師という専門家の判断に対して、複雑に絡み合った複数の家族メンバーの複数の意思や、刑事司法、行政、マスコミといった社会的第三者介入の要素が大きい。


●タブーから目を反らさずに議論が必要

誤解のないように付記しておくが、単純に日本も米国のようになるべきだと言っているのではない。個と個の契約(患者本人と担当医)を前提とするため家族が入り込む余地さえほとんどなく、民事訴訟を前提とするため患者のためよりも証拠作りを優先せざるを得ない米国医療よりも、誠心誠意、患者のために尽くしてもらえる医療を受けられる日本社会を美しいと私は感じているし、このような日本に生まれ、住めることを幸せだと思っている。

しかし、医療が高度化・複雑化し、国民のニーズも多様化していく時代の流れの中で、呼吸器外しの議論を避けて通るわけにはいかない。医療・社会の進化と、取り残されたタブーとの狭間で、苦しむ人々が増えていく現実から目を反らすことはできない。私たち一人ひとりが、自分や家族の問題として認識し、きちんとタブーと向き合い、全国画一的・硬直的なルールではなく、多様な個々のニーズに対応できる方策について議論していく必要がある。


●米国では「積極的に死を早める」議論の段階へ 

冒頭で述べた昨年12月11日の医学誌の内容は、米国で既に「常識」となっている呼吸器外しの段階を超えて、さらに積極的に死を早めることへ医師の関与を認めるか否かという議論である(4)。米国においても、長年にわたって住民が喧々諤々の議論を行っていることをお分かりいただくため、簡単に内容を紹介する。

・2008年11月、ワシントン州の投票(58%対42%)によって、Physician-AssistedSuicideを認める法案が成立した。2009年3月4日から、医師が致死量の薬を「処方」することが合法となる。

・1997年10月からPhysician-Assisted Suicideを認めているオレゴン州に続き2番目である。

・他に、死を早めることへ医師の関与を認めている国は、ベルギー、オランダ、スイスである(国ごとに詳細は異なる)。

・アンダーグランドでは、どこでも行われている。

・ワシントン州医師会(Medical Association)は反対したが、医師たちは多様な意見を持っている。

・1991年のワシントン州の投票では、医師が致死量の薬を「投与」する案は認められなかった。

・言葉の意味についても様々な意見がある。"death with dignity""physician-assisted suicide" "physician aid in dying""physician-assisted death"などの表現がある。

・オレゴン州のデータによると、1998年から2007年の間に、541の致死量の薬の処方せんが出された(ほとんど催眠鎮静薬のセコバルビタールかペントバルビタール)。そのうち、341人がその薬を内服して死亡、13人が2007年末時点で生存、その他の人々は原病によって死亡した。致死量の薬を内服して死亡した患者群の
年齢中央値は69歳、ほとんど全員が白人で教育水準は比較的高く、女性よりもわずかに男性が多く、約86%がホスピス患者で、81.5%が進行癌であった。

・オレゴン州のほとんどの医師は、致死量の薬の処方せんを書いたことがない。2007年には、45人の医師が85枚の処方せんを書いた。

・ワシントン州の人口は650万人であり、オレゴン州の人口370万人よりも多いため、今後、より多くの人が、致死量の薬の処方によって死亡するだろう。

・オレゴン州では合法化された後、緩和ケアがかなり改善した。医師のトレーニング、延命治療に関する患者の意思についてのコミュニケーション、疼痛管理、ホスピスへの紹介率上昇、在宅死亡率上昇などである。


●DNR、代理人、リビングウィルについても議論を

さらに、「呼吸器を外すこと」と同時に、「呼吸器を付けないこと」についても議論する必要があるが、この議論に関連するDNR(Do Not Resuscitate;心肺蘇生しない)、Health Care Proxy(代理人)、Living Will(リビングウィル)についても、米国の非言語情報は日本には入ってこないようなので、紹介したい。


1.DNR

治る見込みがないと医師が判断した場合に、気管挿管や昇圧薬を使わない(延命措置をしない)ことである。担当医が本人と話し合って決めることが多い。次の2つよりも、最も一般的。


2.代理人

個と個の契約、つまり本人の意思が尊重されることが基本であることに変わりはないが、本人が意識・判断能力を失った場合に、本人の代わりに医師と話し合って方針を決定する代理人を一人決める。代理人は血縁や姻戚関係にない場合も多く、本人の意思によって決める。

入退院を繰り返すなど、長期療養している患者に多く、DNRの次に多い。DNRと併せて代理人を決めている場合もある。


3.リビングウィル

「こういう場合はこれをしないでほしい」といった内容が、2~3ページから10ページ近くにわたって自由に記載されている。内容は人それぞれであるが、「挿管しないでほしい」「鼻から栄養を入れないでほしい」「胃から栄養を入れないでほしい」「静脈から栄養を入れないでほしい」「点滴(輸液)しないでほしい」「抗生剤を使わないでほしい」などと詳細に記載されている。

ナーシングホームからER(Emergency Room;救急室)に運ばれてくる患者に多く、自筆の手紙のようなものが多い。

DNRと代理人については、延命措置をしないのは医学的に治る見込みがない場合に限られ、状況の変化に応じて、もし治る見込みがあると医師が判断すれば積極的治療を行うこともできるので安心だが、リビングウィルについては、たとえ治る見込みがある状況であっても、本人の意識がなければ、医師の判断でリビングウィルに反することはできず、医師が相談できる代理人もいないため、何の医療行為もできないまま死を迎える危険性がある。人間が未来を予測することは不可能であるため、「こういう場合はこれをしないでほしい」という仮定や場合分けそのものが、現実の出来事とは異なるからである。ニューヨークの医師たちは、「リビングウィルだけは絶対に書いてはいけない」と戒め合っていた。

以上、私の経験も交えて各国の状況を紹介したが、異なる経験、異なる考え方をお持ちの方も多いだろう。一人でも多くの方に、意見を出していただきたいと願う。日本においても、議論百出となれば望外の喜びである。

※上記は、厚生労働省の公式見解ではなく、個人の見解です。(2008年12月15日ソネットM3に掲載された『呼吸器外しと「Physician-Assisted Suicide」』
http://www.m3.com/tools/IryoIshin/081215_2.html を加筆修正したものです。)


引用文献

(1)共同通信 「呼吸器外しの意思尊重を 倫理委が異例の提言」 2007年10月7
日http://www.47news.jp/CN/200810/CN2008100601000906.html
(2)NHK 2007年10月7日http://www.nhk.or.jp/news/k10014571921000.html 
(3)ソネットM3 「亀田総合病院院長・亀田信介氏に聞く「人工呼吸器外し」の
社会的議論が必要」 2008年12月11日 
http://www.m3.com/tools/IryoIshin/081211_1.html
(4)Steinbrook R. Physician-Assisted Death - From Oregon to Washington
State. N Engl J Med 2008;359:2513-15.
(5)共同通信 「殺人容疑で主治医逮捕 川崎協同病院の筋弛緩剤事件」2002年
12月4日 http://www.47news.jp/CN/200212/CN2002120401000403.html
(6)MRIC 「川崎協同病院 東京高裁判決 その1」2007年8月6日
http://mric.tanaka.md/2007/08/06/_vol_32_1.html
(7)MRIC 「川崎協同病院 東京高裁判決 その2」2007年8月8日
http://mric.tanaka.md/2007/08/07/vol_33_1.html
(8)MRIC 「川崎協同病院 東京高裁判決 その3」2007年8月8日
http://mric.tanaka.md/2007/08/08/vo_34.html
(9)Voltz R, Akabayashi A, Reese C, et al. End-of-life decisions and
advance directives in palliative care: a cross-cultural survey of
patients and health-care professionals. J Pain Symptom Manage.
1998;16:153-62.
(10)Huang CH, Hu WY, Chiu TY, et al. The practicalities of terminally
ill patients signing their own DNR orders--a study in Taiwan. J Med
Ethics. 2008;34:336-40.
(11)Truog RD. Tackling medical futility in Texas. N Engl J Med.
2007;357:1-3.


プロフィール
村重 直子(むらしげ なおこ)
1998年東京大学医学部卒業、横須賀米海軍病院を経て、1999-2002年米国・ベ
ス・イスラエル・メディカルセンター、2002年国立がんセンター中央病院 造血
幹細胞移植科、2005年医系技官として厚生労働省入省。

Season's Greetings 

毎年末、海外の友人達に、クリスマスカードの代わりに挨拶の手紙を送ることにしている。家族、趣味、仕事の画像を添えて、emailで送るのだ。昨年もこれについて記した。無味乾燥で形式的なカードなどより、こうした近況報告の方が、受け取って嬉しかったし、送る方としても充実感がある。来る年が友人にとってより良い年になるように祈りつつ、そうした近況報告を送るのだ。

で、今年一年、私のこころに残ったことは何だったろうかと、先日来考え続けてきた。これをベースに近況報告を組み立てる積りだ。

まず、身の回りのこと。

親しくしてきた友人を天に見送ったこと。それに、尊敬している先輩医師(Wさん)が若年性アルツハイマーに罹ったことを公的に告白されたこと

友人が、突然重い病に倒れ、半年の闘病を経て亡くなるまでの間、それまでになく身近に彼を感じ、彼の気持ちに思いを馳せた・・・いや、思いを共有しようとした。何もしてあげられなかった、何も彼のこころの重みを共有しえなかったという思いだけが残る。

若年性アルツハイマーをカミングアウトされた先輩医師は、彼が医学生時代に親しくさせて頂いた方で、医師になってから、海外に医療協力にでかけ、大学に戻ってから脳外科医として活躍なさり、その後母校の社会医学系の教授に転身された方だった。キリスト教の信仰に堅く立ち、自らの信じるところを突っ走ってきてような方だった。人生の集大成を纏めるべき時期に、認知症に罹られた彼の気持ちは、いかばかりだったかと思う。同じクリスチャンの集まりで彼と会った姉から、「Wさんは、少年のような眼差しになって、元気にしていたわよ」と聞かされ、少し気持ちが安らいだ。人生では、予期せぬ時期に予期せぬ方向に方向を変えることを強いられることがあることを、改めて教えていただいた。

この4月に、母を弟の住む宮城に送ったことも大きな出来事だった。過日、母に会った時に、私達兄弟が幼かったころに、看護婦として仕事をしながら、よく私達を育ててくれたねと彼女に語った。母は表情が明るくなったような気がした。一頻り、当時の知り合いや、近くに住んでいた方々のことを話し合った。私達兄弟を育ててくれただけでなく、私の子ども達の面倒も良く見てくれた。その恩義にどれだけ応えているだろうかと、ことあるごとに想い起こす。母も、その存在を通して、人生が不自由と苦難のなかで終わりを迎えることを自覚して置くようにと教えてくれているのだろうと思う。しかし、母は、弟夫婦の面倒を見てもらい、また私と姉、その家族の見舞いを度々受けて彼女の年齢としては、元気に過ごしている。面倒を見てくださっている、弟夫婦、介護師の方々に本当にありがとうと申し上げたい気持ちでいる。

仕事は、徐々にダウンサイズする積りでいて、今秋から毎週水曜日の午後を休みにした。自分のこれからと、スタッフの将来、それに当てにして通ってくださる患者さん達のことを考えながら、この1、2年の間に、さらにダウンサイジングを進めてゆく積りだ。仕事を始めるときには、勢いと意気込みがあり、周囲の手助けも得やすいので容易だが、仕事を手仕舞いするときの手順、その後の将来設計を描き出すことは極めて難しい。定年があればいやおう無く、そうした状況に放り込まれるのだろうが、自営業では判断が難しい。できれば、協同して仕事をしてくれる方を見つけ出し、彼または彼女に仕事全体を受け渡したいのだが・・・。

社会・政治のこと。

民主党がこの夏の衆議院選挙で大勝し、政権交代が実現したことは良いことだったと思っている。乗数効果の少なくなった公共工事を進め、その利権に胡坐をかいていた自民党は下野すべきだった。だが、惜しむらくは、官僚制度という支配構造と、市民としての意識に乏しい国民の精神性という問題はそのままで、民主党も、国民に阿り、官僚に丸投げする政治しか行えていないように思える。

医療についても、政治家は安心で安価な医療を提供するというが、実際は医療費を減らしたい財務省の思うとおりにことを進めている。医療費を減らすために、診療報酬は減らし、潰れる医療機関が出ても已む無し、国民からアクセスを奪うことで、医療費を結果として減らすことに腐心している。医師を大量増員し、官僚機構の策定した医師配置を実現するという施策も始動した。一方、医師への要求水準は高くなるばかり。こうした現実は、医師の「やる気」を削ぐだけだ。こうして、そがれた「やる気」を元に戻すには、長い時間と多くの犠牲が必要になる。

と、悲観的なことばかりを並べ立てたが、医師を目指す若者は多い。さらに、若い医師諸君も熱意をもって研修しているのだろう。そうした人々が、より良い条件のもと、自らの信じるところを進めるようになるように、できることは少ないが、私なりに努力してゆきたいと思っている。

趣味のこと等々はまた別項で・・・。

日光連山近影・・・

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インフルエンザワクチン雑感 

インフルエンザの予防接種の有効性に関しては、教科書的には、成人で60から90%と記載されている。高齢者や、乳幼児では、その効果は劣る、ということも知られている。一方、エヴィデンスという観点からは、高齢者の重症化を防ぐということしか言えない、という否定的な説もある。副反応は、それほど多くは無い。

そのような情報をもとに、私は、基礎疾患のある方、乳幼児(特に生後半年以上2歳以下)等には、積極的に勧めている。

が、どうも小児での効果がそれほど顕著なものではない、という臨床的な印象があるのも事実。現在行われているワクチンの効果に疑問を持たせる知見がある。インフルエンザウイルスが、気道粘膜で増殖し、十分な免疫応答が生じる前に発症してしまう(潜伏期が短い)ことや、インターフェロンや、TNFといった非特異的な感染防御能以外では、粘膜で産生されるsIgAが特異的免疫能を司ると思われるが、皮下に投与するワクチンでは、特異的sIgAは誘導されないこと等である。

特異的sIgAを誘導する鼻粘膜投与の生ワクチンの効果が優れているとの成書の記載もあるが、今回のH1N1流行に対して効果がそれほどでもなかったというニュースもあったような気がする(不確実)。

インフルエンザに限らず、ウイルス疾患に対する根本的な対応は、ワクチンであるから、明確なデータが臨床現場では欲しい。

行政が、H1N1ワクチンの配布を行っているが、その手順の悪さは、喜劇的ですらある。ワクチンを余らせるなと、現場に命じつつ、何時どれだけのワクチンを配布するかは、闇の中。投与対象、投与回数の変更も、朝礼暮改自由自在。「10mlバイアル5本(小児では約200人分)(これは当院の場合なのだが)を配給するので、2,3日以内に使用するかどうか返答しろ」と言ってきたり、突然「医療機関が学校に出張して集団的に予防接種をする」と決めたり、滅茶苦茶である。10mlバイアル配給に対応して、大急ぎで予約患者に電話をしまくって、予約を確認したが、その直後の集団的個別ワクチン接種決定で、当院でのワクチン接種のキャンセルが相次いだ。市の学童児童への説明では、H1N1ワクチンは、学校でしかできない、と言われたとのことだった。滅茶苦茶である。

パンデミックの経験が、行政になかったとはいえ、医療現場への負担、それに引き起こされる混乱を、想像する能力が全くなさそうだ。彼等にしてみると、医療現場は行政にただ黙って従うべきものと考えているかのようだ。10mlバイアルを多量に作ったことや、価格設定・国内ワクチン優先などにより、天下り先ワクチンメーカーを保護し、そこにより大きな利益を誘導する政策をとったといったことも漏れ聞こえてくる。

というわけで、地を這うような思いで、ワクチン投与を続けているが・・・最初に記したような関心事に対して、厚生労働省が的確な情報を医療現場に与えるようなことは期待しすぎなのだろうか。無理なのだろう・・・きっと。

で、ヨーロッパでは、このような事態になりつつあるらしい。結構、これが正解だったりして・・・という、小児科医としては不見識な発言を、させないでもらいたいものだ。これが鳥インフルエンザの大流行になったら、一体どうなることやら・・・。



以下、引用。

伊でワクチン大量廃棄も 新型インフル、接種率低く
09/12/16
記事:共同通信社
提供:共同通信社

 【ローマ共同】イタリアで、新型インフルエンザのワクチン接種対象となっている妊婦や医療関係者の接種率が極めて低いためワクチンが大量に余り、今後一般の人への接種が始まっても使われずに廃棄される可能性が高いことが分かった。14日付レプブリカ紙などが伝えた。

 ワクチンの副作用への不安や、季節性インフルよりも死亡率がはるかに低いなど「世界保健機関(WHO)は騒ぎすぎ」との認識が広まったことから接種希望者が少ないためで、同様の問題はオランダ、オーストラリア、ドイツなどでも発生。一部の国ではワクチンを他国に売却する計画も進んでいる。

 イタリアでは既に約743万本のワクチンを各自治体に配布。医療関係者や消防士、警察官のほか妊婦、糖尿病など基礎疾患(持病)のある人を対象に接種が行われているが、8日時点での接種者はわずか約68万9千人。医療関係者で全体の約14%、妊婦では約10%しか接種を受けていない。

 年明けから一般の人への接種を開始、人口約6千万人に対し計4800万本のワクチンを調達予定だが、接種を希望しない傾向が続く可能性が高い。同国の累計感染者約365万人に対し死者は142人で、季節性インフルよりも死亡率ははるかに低い。

この時期に思い出すこと 

また仕様も無い思い出話。

大学に入った時に、最初からオーケストラに入る夢を持っていたのだが、某「女子大」との合同オケということで、何か気恥ずかしく・・・その当時は、純情だったのだ・・・最初は、運動部に入り、毎日その活動に明け暮れていた。寮の部屋で同室だった友人と、オーディオを一式揃えた。私も、クラシックには多少興味があったが、彼からブラームスやマーラーの曲について教えてもらった。モツレクや、フォーレのレクイエムも良く聴いた。朝起きると、紅茶を飲みながらFMのクラッシック番組を聴き、昼過ぎに運動着に着替えて、グラウンドに出かける。出欠の厳しい授業と、関心の高い授業だけ出る、といった日常だった。

ところが、寮で同室だった友人が、やはりオケに入ろうと言い出した。夏の運動部の合宿で、食堂のテレビに、たまたまバッハの無伴奏を演奏するトルトリエが映し出されていた。楽器を寝かせて構え、壮大なスケールの無伴奏を演奏するトルトリエが深い印象をもたらした。教養部の生活が終わると、運動部の活動を続けるのは難しくなる。そうしたことがあって、私もオケに入る気持ちに傾き、学部の半地下にある部室に友人と足を運んだ。

その場で、どの楽器にするか希望を尋ねられた。友人が先に入部していたのだったかもしれない。彼がオーボエを吹くことになっていたので、同じパートでは詰まらぬということになり、私は、トルトリエを思い出しチェロを希望した。12月のこの時期に、楽器を借りるために、某女子大のキャンパスに向かった。寒い北風が吹いていた。旧い歴史のある、その大学のキャンパス。日暮れが近くなっており、あまり人影はなかったような気がする。正門から、木立に囲まれた数十mのエントランスの先に旧い木造のホールがあった。そのホールの右横、木立の中に、目指す掘っ立て小屋の部室があった。そこで私の最初のチェロと対面した。誰が渡してくださったのか、どうしても思い出せない。布製のケースに収められた国産の安価な楽器だったが、大事に小脇に抱え、寮に急いで戻った。

それ以来、大学を卒業するまでオケに入り浸ることになる。

オーボイストになった友人と、アンサンブルを企画して、バッハの「バイオリンとオーボエのための協奏曲」を合わせたことも思い出した。

寒風吹きすさぶこの時期、こうした大学オケ入部の顛末を時々思い出す。

以下の写真は、私が大学オケで唯一トップを弾いた、ベートーベンの交響曲第七番の演奏風景。郵便貯金ホールだったかしらん・・・。

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母を訪ねた 

昨日は、午後の休みの時間を使って、宮城に母親に会いに出かけた。那須の山々、磐梯の山並み、それに二本松や、福島の盆地に目をやりながら、東北道を一路北上。午後4時頃に、少し雪のちらつく母が世話になっている介護施設に到着した。

あるユニットのロビーで、椅子に座り込み、ぼんやりとテレビを見ている母親を見つけた。半年振りだろうか。私に気づくと、数秒間びっくりしたような表情を浮かべた。その後、柔和な笑顔が続いた。1,2週間前トイレで転倒したために、右眼の周りに紫斑が出来ていた。少し、痩せただろうか。介護師の方が、転倒事故について、説明をされた。私は、そのような不可抗力の事故は仕方のないことだと申し上げ、お世話になっていることにお礼を申し上げた。

彼女のショートスティ中に宛がわれた、和室に行く。介護師の方が、優しく彼女に手を貸してくれた。母は、同じことを繰り返し尋ねる。どうしてここにいるのか?。何時までいるのか?(普段世話をしてくれている)弟はどうしたのか(毎日、訪ねているはず)?父はどうしたのか?過去・現在・未来の時間の流れのなかで、一人だけになってしまったかのような心持になるのだろうか。私の歳を尋ね、その後、「早く歳をとるんじゃないよ」と言われたのには、苦笑するだけだった。私の住処のある町に帰りたいと、顔をくしゃくしゃにして言った。八幡様のお祭りを見てみたい、と。長男なんだから・・・と言われたときには、返答に詰まった。時々、母は私の顔を手で擦った。丁度、幼児の子どもに対するかのように。

エレベーターの前まで、介護師の方に付き添われ、見送ってくれた。雪のちらつくこの寒さは、例年以上なのかと、介護師の方に問うと、いや、これまでが暖かかったので、これが普通なのだとのことだった。また来ると言って、別れた。

外は既に暗闇に蔽われ、牡丹雪がちらついていた。

車に乗って、エンジンをかけると、来るときに聴いていたリヒターのマタイが、終曲にさしかかり、一切のことと和解するかのような旋律が盛大に鳴り響いた。

祈る母。若い頃からキリスト教信仰をもって生きてきた母。姉が、1,2週間前に訪れた際に撮った。

祈る母-1

患者の声を上げ、大企業負担を主張しよう 

これまで医療問題に適切な見解を公表し続けておられる中村利仁氏が、患者と、その家族が声を上げるべきだと述べておられる。氏ご自身が、体調を崩されておられるらしい。社会保障とは、病に苦しむ方々を社会が助けようというシステムだ。病者の側に誰もが何時でも立つことになる。患者側からの正しい意見が医療制度・社会保障制度に反映される
ことを望む。中村利仁氏の快癒を祈念したい。


以下、MRICより引用~~~


患者の声を上げよう ?不在の中医協?
北海道大学大学院医学研究科 医療システム学分野
助教 中村 利仁
2009年12月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 http://medg.jp
*************************************************************************************

 永年の医者の不養生が祟って、この年末年始は病床で送ることになってしまいました。医籍登録以来、大学院生として勉強に専念していた2年半とこの半年ほどを除くと、週休もロクに取れない毎日を当たり前のものとして送ってきました。自分で思っていたほどに身体はタフではなかったようです。自分以上に厳しい環境で働き続けている同年代の同窓生が少なくないことはよく知っています。後輩の医師達はさらに状況が悪化しています。そして、長期不況の中で懸命に職を守って働くサラリーマンの多くも、同じ立場に置かれている事と思います。誰でも病魔に冒されるリスクを背負っています。

 患者の身になってあらためて思うことは、患者の意見を代弁する者が中央社会保険医療協議会(中医協)にいないことです。

「中医協の意見書」が密室で決裂、問われる国民代表ロハスメディカルNEWS(2009年12月10日 04:12)新井裕充
http://lohasmedical.jp/news/2009/12/10041237.php?page=1

 公平のために診療側の主張の問題点から指摘させていただくなら、医療現場の厳しさを主張するだけでは、患者負担増を正当化することはできないという視点が欠けています。社会保障としての医療保険制度は、患者負担の軽減がその第一の存在理由です。モラルハザードによる医療サービスの過剰(コンビニ受診、医師誘発需要)が主張されており、それが多少なりとも存在することは事実であり、解決すべき大きな問題ではありますが、医療崩壊を食い止めようというような多額の医療費増額を主張するならば、患者負担の軽減がセットでなければそれが受け入れられることは決してありません。

 支払い側の更なる医療費抑制の主張の根拠としては、経済状況の悪化と患者負担増が上げられています。

 患者負担増は、自己負担割合を引き下げ、上限額を見直すという当然の選択肢を排除した上での話であり、本心からの主張とは、到底思えません。日本の患者自己負担は諸外国と比べて異常に高額であることはよく知られています。しかも、それはこの数年来のことに過ぎません。これによって実に効果的に患者と医療従事者の間に厳しい対立関係を持ち込むことに成功していますが、本心から患者のことを思うのであれば、やはりまずこれを引き下げることを主張するべきでしょう。

 経済状況と財政状況が悪化していることも知っています。特に協会けんぽ(旧政管健保)や市町村国保、少なくない健康保険組合で今年は空前の赤字が予想できます。

 ただし、他方で小泉政権下の好況期に欧州の小国の国家予算の数ヶ年分を賄って余りある内部留保の積み上がった大企業が少なくありません。官庁統計は存在しませんが、日本の経営者団体の指導的地位にある経営者が率いる大企業の設立している健康保険組合の料率は、たとえば日本経済(団体の誤りであると思われる、ブログ主注記)断端連合会の会長・副会長を出している企業を調べてみると、デスクロージャーされている場合でも、本人事業主合わせて協会けんぽのそれよりも2%程度は低く設定されています。非公開としている場合、どれほど低くなっているのかは想像に難くありません。

 事業主負担だけは協会けんぽ並としている良心的な健康保険組合もありますが、それで健康保険組合が赤字だと言われても、中小企業から協会けんぽに加入している事業主や従業員は納得できないでしょう。

 しかも日本の企業では退職者は国民健康保険に移行するため、アメリカの自動車会社で問題になったような退職者給付(レガシーコスト)はほとんど存在しません。もちろん、後期高齢者医療制度への支援金負担がありますが、医療費総額がアメリカの半額ということもあり、比較すればさしたる金額ではありません。

 支払い側は大企業や公務員の代表として選出されています。しかし、「医療崩壊とは、国民が必要とするときに適切な医療を受けられる状況が失われることである」1)とするなら、医療崩壊と疾病リスクに直面した国民の代表ではありません。

 いまこそ、患者とその家族達が、特に大企業の健康保険組合をはじめとする保険料率の上昇という負担の増大と引き換えに、患者負担増大と医療崩壊の二つの回避に向けて声を上げるべきでしょう


【参考文献】
1)本郷道夫;序にかえて、別冊・医学のあゆみ「地域医療崩壊と医療安全を巡って-医療版リスク
マネジメント争論」、2009年5月

木々と生きる 

通勤途中、立派な佇まいの銀杏の木が見える。畑のなかにすっくと立っている。いよいよ紅葉が進んだ過日、昼休みに散歩をかねて、その銀杏の木のところに出かけてみた。

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何のことはない、普通の銀杏の木なのだが、他に何もないところに、立派に枝を広げ、真っ直ぐに立っている姿に惹かれる。

その銀杏の下に行くと、落葉が、畑の何かの新芽と面白いグラデーションを見せていた。しばらく見とれた。

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これは、我が家の銀杏。父親が植えてくれたものだが、10年程度は経っただろうか。これから、まだまだ大きく育ってゆくのだろう。

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40歳過ぎ、50歳の声を聞くようになってから、樹木に関心を抱くようになった。体力はまだまだあった時期だが、更年期様の症状を自覚するようになった時期。周囲の樹木に確かに生命が宿り、恐らく自分よりも生きながらえて行くということへの共感と、関心とが、人生の一つの岐路にたった自分の心に生まれたのだろうか。

木々に見習って、陽の光と、風とを存分に受け、どっしりと生きてゆくことだ。

週末の午後 

今週の日曜日(週が日曜から始まるという西洋式の数え方で)に、Tさん宅でピアノトリオの練習を行った。この練習、6月に始めて、これで4回目か・・・。1,2楽章をサクッと練習。チェロは、まだまだ個別に練習すべきところが多くあるのだが、アンサンブルとしては、あるプラトーに既に達したような気もする。だが、全体に、もう少しテンポを上げなくてはいけない。それに、テンポの変化をもう少し意識的に行う必要がある。最後に、二度ほど録音してお終い。

来月、とあるところで、二楽章だけ発表するのだが、3、4楽章にもチャレンジしようということになりそう・・・。いよいよお仕舞いのところで、スメタナのト短調のピアノトリオの譜面を持ち出して、「ちょっと弾いて見ない?」と切り出した。「うっ」と引かれるかと思いきや、バイオリンのTさん「これ、弾いてみたかった~」という反応。ピアノのNさんも初見だが、早速弾いてみることに・・・冒頭のバイオリンのソロ、Tさんの骨のある演奏が素晴らしい。バイオリンの主題提示が終わったところで、チェロが対位法的に絡み、ピアノが主題を受け継ぐ。冒頭からテンションの高い、緊張感のある音楽。今回の初見大会は、第一主題提示部まで。第二主題に、チェロに甘美な旋律が与えられている・・・その後、弦は、かなりシンドイ動きを要求される・・・。第一楽章の出だしのところだけだったが、初見でこれだけ弾いてしまうのだ、と感心させられた。この曲が、次の曲目の第一候補になるかもしれない。

今朝、14メガに少しだけ顔を出した。かのピアノ弾きのMike W7LPVが、呼んできてくれた。出勤時間が迫っていたのだが、しばらく近況報告をしあった。彼は、教会でのボランティアとして、ピアノ演奏を続けている様子。弦楽器奏者を見つけて、室内楽にチャレンジしてみたらと言ったら、その積りでいるとのことだった。我々の練習をCDに落して送るからと、夏前に彼に約束していたのを思い出し、つい、「そろそろ送るから・・・」と言ってしまった。最近の演奏の録音を送る積りだったのだが・・・今日、ICリコーダーに収めた演奏記録をPCに落そうとしても、転送できないことが判明。何か、手続きの間違いなのかもしれないが、とりあえず、6月の演奏をCDに落して送る手はずを整えた。John 9V1VVも聴きたがっていたので、彼のために一枚焼いた・・・受け取るほうは、迷惑かもしれないけれど・・・ま、良いではないか。年末のご挨拶だ。

さて、仕事場に居残って、こんなことをしていたが、そろそろ自宅に戻ることにしよう。午後の急患は二名。H1N1も少し収まってきた様子。

「事業仕分け人」の罵声 

学問は、社会の過去現在未来を理解し、それをより良くしようとする営みだ。

学問は、一朝一夕に成り立ち得ないし、それがもたらすものもすぐには見えてこないものだ。

学問を続ける人間には、社会的にさまざまな困難と立ち向かい、研究に集中する精神が必要とされる。そうした研究者に敬意を払い、社会的に支援する体制が必要だ。

ところが・・・

学問を続ける若い研究者に罵声を浴びせかける者が、「事業仕分け人」の中にいた。

この「事業仕分け人」の言葉の背後には、専門家の存在を否定する、ないし軽く見る世の風潮があるのだろうか。

これでは、国の将来はない。


以下、MRICより引用~~~

▽ 若手研究者育成経費削減反対署名運動について ▽

  細田 満和子 ハーバード公衆衛生大学院、博士(社会学)

2009年12月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 http://medg.jp
------------------------------------------------------------------------------------

 民主党新政権の行政刷新会議「仕分け事業」は、各方面に大きな波紋を及ぼしており、該当する領域の人々を対抗運動へと駆り立てている。漢方健康保険除外に対しては、日本東洋医学会他4団体連合が反対署名活動を行って厚生労働大臣に提出し、科学技術予算削減に対しては、ノーベル賞受賞らが首相と会談して厳しい批判を行った。

 「仕分け」によって被害をこうむる人々が団結して抗議を行う姿が各分野で見られ、マスコミの報道をにぎわしている。このような状況の中で、あまり目立たないところではあるが、人文社会系の若手研究者たちも、今回の「仕分け」に対して憤りを表明し、反対行動を起こそうとしている。というのも、「仕分け」では、若手研究者支援事業を支える若手研究者育成経費(科学研究費若手S、A、B;特別研究員研究奨励費;学術振興会特別研究員支援)を1/3~1/2に削減するという評価コメントが出されたのである。
 
若手研究者支援事業は理系文系を問わない助成であるが、他にも様々なオプションのある理系とは異なり、文系にとってはほとんど唯一のボスドクの受け皿である。私事になって恐縮であるが、筆者もかつてこの事業の一環の学術振興会特別研究員として助成を受けたことがあり、非常に有益であった。

 ところが「仕分け」の評価者のコメントでは、削減の理由が以下のように書いてある。長くなるがあえて省略せずに抜粋したい。

実社会から逃避して、大学に留まる人をいたずらに増やしてしまう側面も否定できない。」
「ポスドクの生活保護のようなシステムはやめるべき。本人にとっても不幸。(本来なら別の道があ
ったはず)。」
 

これらを看過できない暴言だと感じるのは私だけであろうか。「仕分け」の評価者は、明らかに「社会」の定義を浅薄に解釈しているし、研究者の仕事に対する事実誤認があると思われる。たしかに職に就いていない若手研究者は、生活保護をもらってもおかしくない月収で非常勤講師をしたり、塾でアルバイトをしてやっと生きている状況である。それでも意欲を持ち、学究に励んでいる。そして、そうした彼/彼女らのたった1割弱が、公募の厳しい競争下での審査の結果、研究費を得ているのである。こうした人たちが、やがて日本のアカデミズムを支えていっていると言っても過言ではないだろう。

 「仕分け」の結果この予算が1/3~1/2に減されるということが発表された後、もう学問などやっていても仕方がない、死ねとう言うのか、という絶望的な声があがったという。また、多くの野心的で優秀な若手研究者たちは、たとえ職に就いていたとしても、日本に明るい未来を見いだせないとして、日本を離れることを考えるようになったという。やがては社会に利益をもたらす人たちに投資しないでつぶしていくとは、日本には、いったいどんな未来があるのかと危惧する人たちも多い。

 このような中で、人文社会系の若手研究者、自らが中心になって若手研究者育成経費削減に反対する署名活動を開始した。下記に示すのが、彼/彼女らの署名に関するお願いの文章である。あまり表立っては目立たない人文社会系研究者、その中でも最も立場の弱いポスドクではあるが、日本の将来にとって貴重な知的財産である。多くの人にこの現状を知っていただき、「仕分け」が見直されることを期待したい。

======下記、転送大歓迎==============
★★【緊急】署名に関するお願い

すでに各種報道などを通じてご存知の方も多いと思いますが、11月13日に行われた事業仕分けにおい

若手研究者育成に関する予算が1/3~1/2削減されるとの評価がなされました。

そこで、わたしたち(京都大学大学院文化人類学若手研究者有志)は、上記の評価が
人文・社会学分野存亡の危機をはらんだ、暴力的かつ不適切な判断であると考え、

?抗議活動として関係機関に「要望書」を送付するとともに
http://www.anth.jinkan.kyoto-u.ac.jp/yobosho.htm

?「署名活動」を行うことにいたしました。
http://www.anth.jinkan.kyoto-u.ac.jp/shomeisho.htm

??の内容をご確認の上、もしそれにご賛同いただけるなら、ぜひとも下記のアドレスへ
「氏名・所属・分野」、あるいは「氏名・職業/所属」のご署名をお願い申し上げる次第です。
(若手研究者や院生に限らず、関心を持っている方なら「どなたでも」署名していただいて構いませ
ん。

◆人社「若手研究者」として署名して下さる方はこちらへ(本要望書の当事者となる方)
wakatevoice2009@gmail.com

◆その他「サポーター」として署名して下さる方はこちらへ
supportvoice2009@gmail.com

皆様の署名は、個人情報として厳正に管理するとともに、今回の件が終了次第、
適切に処理させていただくことをお約束いたします。

また、当署名活動に関して何かコメントがございましたら、以下のアドレスにご送付ください
(但し、個々のご質問や疑問に対してこちらから返答を差しあげることは、時間の都合もあり出来か
ねます。
ご了承くださいますよう、お願い申し上げます)。

◆「署名活動」に対するコメント
wakatecomment2009@gmail.com

なお、署名の締め切りは、12月10日(木)いっぱいまでとさせていただきます。署名が集まり次第、
要望書に添えて、政府関連組織へ提出する考えでおります。

◆ 郵送での署名送付を希望される方は、こちらの署名簿をご利用ください(1頁12名署名可)

 *「若手研究者用署名簿(PDF)」
http://www.anth.jinkan.kyoto-u.ac.jp/wakateshomei.pdf
 *「サポーター用署名簿(PDF)」
http://www.anth.jinkan.kyoto-u.ac.jp/supportshomei.pdf

・上記署名簿は、本メールのリンク先?要望書?署名活動のお願い
をプリントアウトされたものと合わせてご利用かつご協力いただければ幸いです。

*郵送宛先(12/9必着): 〒606-8501 京都市左京区吉田本町
     京都大学人文科学研究所 若手研究者有志事務担当 井家晴子


最後に、当署名活動は、人文・社会科学全体を対象としているものです。
以上のメール内容は、すべて転載歓迎です。皆様からの関連諸学会・団体等への呼びかけを通して、
より多くの方々のご署名が寄せられることを切に望んでおります。


京都大学文化人類学分野若手研究者有志

本来の事業仕分けも、医療を荒廃させてきた 

医療を事業仕分けする愚かさを、事業仕分けの由来から論じている、優れた評論。

日本では、そもそも、内閣の力が弱く、各省庁官僚が実質的に政策を策定、実行して来た。政治家の役割は、族議員が利権の調整と配分に関与するだけだった。国家財政を握る財務官僚の力が強大になったのは当然のこと。

今回の「事業仕分け」は、財務省が取り仕切ったもので、官僚支配の構造にメスを入れることになっていない。むしろ、財務省が焼け太りする可能性がある。野党の時代の民主党には、そこに切り込む意図は、あったのかもしれないが、今のところ、官僚に取り込まれている。

今回の「事業仕分け」という財務省シナリオは、それ自体、誤ったものだが、疲弊した医療を、本来の意味での事業仕分けの対象にすることも、医療を荒廃させることを、この論考の筆者は事業仕分けの歴史から指摘している。


以下、MRICより引用~~~

▽ 事業仕分けと医療政策 ▽

   北海道大学大学院医学研究科
   医療システム学分野 助教 中村利仁

2009年12月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 http://medg.jp
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 日本の医療問題の原因の過半は、資源の過少投入それ自体と、結果としてアクセスの維持が困難になっているところにあります。およそ事業仕分けという作業にはそぐわなかったと言えましょう。今後の議論は、医療サービス市場が拡大されるべきか否かに集中される必要があります。

 事業仕分けのルーツを探ると、New Public Management(NPM)があるように思います。NPMは公共サービスと行政府が不可分のものではないと考えるところから出発します。そして、公共サービスを政策立案の「舵取り」の仕事と、サービスの提供そのものと法令遵守を監視する「漕ぐ」仕事の二つに分離します。次に、後者を行政府の外に出して大幅な権限を与えたエージェンシー(ほとんど経営上の制約のない一種の公企業)とします。その上で、エージェンシーに対して業績目標を与え、そこに説明責任を求めていきます。

 事業仕分けに相当する作業は、イギリスでは20年ほど前、サッチャー政権の後期にもっと大規模かつ根本的な形で行われています。1988年、イギリスではマーガレット・サッチャー首相が登用したピーター・ケンプ卿によって「目標は公務員の七五%をエージェンシーに移籍させることであると発表」され、「大蔵省は全ての省に対し、自らが持つ各機能を再評価し、(一)廃止、(二)売却、(三)下請け、(四)エージェンシー化への転換、(五)現状維持、の選択肢から一つを選ぶように要請」1,2)しています。この目標は保守党政権の終焉までにほぼ完了しています。

 ただし、このサッチャー政権の事業仕分けが失敗した最大の分野の一つが国営医療サービス(NHS)であり、その主たる原因は資源投下不足にありました。事態の若干の改善には1997年のブレア政権登場を待たねばなりません。そして、また、ブレア政権が医療費の大幅拡大に際して採用した戦略もまた、NPMでありました。NPMはサッチャー政権とアメリカのレーガン政権下で発明され、ブレア政権とアメリカのクリントン政権下で一層の発展を遂げていきます。

 NPMの特に事業仕分けのような手法は、行政府の非効率性を改善するところに特徴があります。従って、公共サービスへの資源投下が充分で産出の不足に主たる問題がある領域では非常に有効です。しかし、資源投下が不足している局面では無効です。サッチャー政権の医療改革が失敗したのはある意味で当然であったと言えましょう。

 ブレア政権が採用したのは確かにNPMの戦略ですが、NHSでは医療費と人材の投入を様々な方法で増やす中で、あらためて目標と説明責任を求めていったという大きな方針転換がありました。

 さて、外科医としてスタートした臨床医であり、また医療政策と医療経済及び医業経営を専門とする研究者として、自分は現在の医療制度や病院経営の内実が好ましい方向にあるとは全く思っておりません。

 特に診療報酬制度については、いつまでも原価プラス型の、つまりは現状追認型の価格制度を全国一律で維持しているが為に、全体的にも地域的にも、特に人的資源の不足がいつまでも解消されず、悪化の一途を辿っています。また、新規医療技術の導入が抑制される結果となっています。

 先日まで行政刷新会議によって行われていた事業仕分けでは、各省庁が予算と人員を要求した事業の内、何らかの基準によって選択された事項について、それを満額認めるのか、削減あるいは廃止するのかが決められました。サッチャー政権で行われたことと比較して、どこが異なるのかは明らかです。

 まず、各省庁は補助金を通じて「漕ぐ」仕事を相変わらず握り込み、不自由な人事・予算制度の中で相変わらず苦しみ続けることになっています。結果として来年度もまた「舵取り」の仕事に専念できません。はっきり言えば、人員の数に対して要らない仕事が多すぎるのです。

 補助金を受ける側もまた確たる目標を与えられて居らず、従って説明責任は生じない代わりに社会の信頼と経営上のフリーハンドが得られません。

 診療報酬もまた例外ではなく、事業仕分けによって「収入が高い診療科の見直し」「開業医・勤務医の平準化」等を迫られていました。些事にこだわらざるを得なくなるには当然の理由があります。既に民間医療機関が大きな役割を果たしている日本の医療制度では、目標設定の無いことと説明責任の果たされていないことが追求されるべきであり、さらにその前に資源投下が充分であるか否かが議論される必要がありました。これらを避けるとしたら、異常な些事にまで事業仕分けが口を挟むことになったのは当然と言えましょう。

 そして、これによって不利益を蒙るのは、槍玉に挙げられた特定診療科の勤務医や開業医でしょうか?…否、最も不利益を蒙るのは、それら診療科で入院治療を受け、あるいは外来通院をしている患者さん達です。

 価格は需給双方で過不足の調整機能を持ちます。それが統制市場であっても、機能に違いはありません。単純に需給量が調整されるだけでなく、価格が下がれば下級財へと市場が移行し、上がれば上級財に移行します。価格の低下に拘わらず市場を無理に維持しようとすれば、消費者は充分な財サービスの供給が受けられず、必要があってもアクセスを制限されるか、あるいは良くて早い者勝ちの列に並ぶか、価格外の競争に直面することになります。財がサービスであっても基本に変わりがありません。

 既に医療政策の研究者の中では、アクセスと質と価格との間には互いにトレードオフの関係が存在するというのが常識とされています。

 それでも、医療サービスについては、プロフェッショナルの倫理によって価格メカニズムを超えて一定の供給が維持されることも知られています。しかし、自ずと限界があります。過度の医療費抑制によってイギリスのNHSは一度極端なアクセスの低下に直面し、今また日本の皆保険制度も同様の危機に直面しています。

 わが国に於いては、昨今のインフルエンザ騒動にその危機の一端が見えます。休日や夜間の受診患者が多く、特にタミフルの効果が期待できる内服開始までの時間の制約から、日曜日の受診患者の多いことが報道されています。日曜日に開ければ患者さんが山と来て多大な収入となることが分かっているのに、なぜに対応する医療機関が少ないのかを考えれば、医療資源の過少がサービスの過少供給に直結しているのではと危惧されます。高齢化によって国民の有病率が上がっていることが想定されるにも拘わらず、入退院患者数は頭打ちになっています。救急患者の受け入れ不能(マスメディアの繰り返し言うところの「たらい回し」)問題に見るように、急性期入院医療は既に過少供給に陥っているようです。

 これは診療科別の診療報酬の配分調整によって解決可能な問題でしょうか。

 まず、全体の過不足と配分の変更は別問題なのだということに気づく必要があります。簡単に言えば、病院全体の収入が増減しない中で、診療科間の収入だけを増減したとしても、病院の存続には一切影響しません。単純な事実です。採算性の悪さから救急医療や産科、小児科が存続の危機にあることは多くの場合は事実でしょうが、病院の総収入が変わらなければ、民間病院ですら半分が赤字という存続の危機の原因が変わるだけで、事態は改善しません。赤字病院が人件費を増やすのはいつも困難です。

 高齢化の進む日本社会の中では、骨折や関節炎、また屈折異常や白内障の患者さんが増える心配はあっても減る見込みはなく、整形外科や眼科のニーズは相変わらず高いのです。アトピー性皮膚炎やアレルギー性鼻炎の患者さん達も少なくありません。これらの診療科へのアクセスを低下させるなら、患者さんの金銭的・非金銭的負担は一層大きなものとなるでしょう。

 患者数と。患者数に対して医師がどれぐらい必要なのかという議論なくして診療科別の医療費の調整をするのは無謀と言えましょう。

 では、診療所と病院の配分の調整で全てがうまく行くのでしょうか。

 先日公表された、平成20年10月1日現在の「医療施設(静態・動態)調査・病院報告の概況」(厚生労働省大臣官房統計情報部)によると、病院で働く従事者数(常勤換算:FTE)1,771,435.8人のうち、医師数(FTE)は187,947.6人と10.6%に過ぎません。同じく一般診療所の従事者数(FTE)699,202.1人のうち、医師数(FTE)は117,567.5人と16.8%です。

 人件費は医療費のおよそ半分を占めます。医師の人件費が他の職員の人件費に比べて高いのは事実ですが、これだけ人数が違うと、それほど大きな割合を占めるわけではありません。

 自分の手許に、とある公的病院の年間職種別人件費(平成20年度)のデータがあります。医師不足で医師の給料は高めですが、医師数が少なく、正職員の中だけで見てもその人件費に占める割合は22.8%であり、嘱託・臨時職員まで入れると20.9%へと下がります。対して常に半分以上を占めるのは看護師の人件費です。

 診療所の場合、医師の平均年齢が既におよそ58歳とベテランで、従事者数に占める割合が比較的高いことを考えても、おそらくかなり多めに見積もって人件費に医師のそれが占める割合は35%程度でしょう。

 財務省の作成する医療費の資料では常に人件費について「医師等の…」という注記がついていますが、およそ医業経営の実態を知っている人たちの為すべき事とは思いません。

 医師に対して言えるようなことが、看護師や技師達、薄給で頑張っている事務職員に対しても言えるのでしょうか。…既に言っているわけですけれども、全国250万人の医療従事者と、その数倍のその家族が次回選挙でどういう行動を取るものか、想像は容易だろうと思います。財務省は診療報酬改定の度に政権交代を望むのでしょうか。

 事業仕分けの中で厚生労働省が問われるべきだったのは、果たして永年の学校教育とOJTと自己研鑽が必要とされる医療専門職が、医療サービスの提供に充分専念できているのか、過度の効率性を要求されていないのか、専門外の事務作業を課されていないのか、あるいはそもそも医療機関に要求されている事務作業に削減可能なものはないのか、であったのではないでしょうか。また厚労省自体のあるべき業務範囲と、さらに数値目標と説明責任も問われるべきでした。


 国家財政が苦しいことは存じ上げています。致命的だと思うのは、小泉政権下の好況期ですら、国債発行が止められないほどの慢性的歳入不足の状況が続いていることです。一般に不況下の国債発行は好況期の税収増によって補われるべきものであろうと思いますが、1980年代半ばから、この國では不況期には歳入が激減するのに、好況期にも国債発行が止まらないほどの税収不足が続くという異常な状況が続いています。不況期には減るものが好況期にも増えないなどと、いったいどうすればこんな仕組みを作り上げることができるのかはよくわかりませんが、好況によって税収が充分に増える仕組みがビルトインされていないのだということだけは自分にも分かります。

 自分は財政については全くの素人ですが、財政学者と呼ばれる人々には、歳出の細かい費目に口を出す以前に、全く別の場所で為すべき仕事があるように思います。この國は民主主義を標榜していますから、一市民からのギモンについても、専門家には口舌でなく行動で応えていただけるものと思います。

 さはさりながら、一般に、全ての財サービス市場が景気変動と歩調を揃えて変動するわけではありません。不況下で膨らむ市場もあれば、好況下でむしろ縮小する市場もあります。景況と無関係に伸縮する市場もあるでしょう。これを経済成長率が低いのだから全て市場が縮小して当然だとか、物価が下がっているのだから単価の上がる理由がないなどというのは、どういう単純なモデル下での議論なのであろうかと疑問に思います。きっと一度不況に陥った経済は好況に転じることは決して無く、逆に好景気は永遠に続くモデルなのでしょう。

 市場が拡大するためには、需要だけでなく供給量の増加が不可欠です。生産性改善の余地のあまりない資源投下不足の分野では、利潤の増加によって生産性の低い供給者の新規参入や退出抑制を行い、供給量の維持増大を図る必要があります。医療機関は規模の大小を問わず、多額の借り入れを行っているのが普通であり、デフレーションによる実質金利の上昇は、それと気づかぬ勤務医を含む医療従事者全てにとって大問題です。

 繰り返しますが、問題は購買力ではなく、資源投下の不足なのです。長い修行と借金返済の道を歩む人々を増やすのに何が必要だというのでしょうか。

 医療費をめぐる議論で常にお留守にされてきたのは、この、医療サービス市場は拡大されるべきか、縮小されるべきかという根本的な問題です。患者さんは増え続けており、医療技術は進歩し続けます。新規医療技術の導入は患者さんに新たな価値とわずかながら人生に余韻をもたらします。そして、陳腐化した医療技術にいつまでも多額の費用をかけ続ける必要はありませんが、最低限の支払いを続けなければ、患者さんは医療サービスの提供が受けられなくて難民化します。

 もう、うんざりです。そろそろ、この國の医療サービス市場は拡大し続ける必要があり、それをどう実現するのかの具体的方法を議論する必要があるのではないでしょうか。


【参考文献】
1)行政改革会議;「武藤総務庁長官英国行政改革実情調査結果の概要」 
http://www.kantei.go.jp/jp/gyokaku/0526dai14besi.html
(平成21年12月6日アクセス)
2)デービッド・オズボーン、ピーター・プラストリック;『脱官僚主義』、PHP研究所、2001年

延命治療中止問題 

川崎協同病院での延命治療中止問題で、主治医の有罪が確定した。

ネットや、マスコミで得られた情報では、喘息発作による低酸素状態で意識不明の状態にあった患者の治療中に、延命治療を止めるように主治医が、家族から要請された。気管内挿管を外したが、患者が不穏状態になったために、鎮静剤さらに筋弛緩剤を投与し、その後患者は死亡した、という経過らしい。しかし、後に、院内でこのことが問題にされ、家族の中にも、同意していなかったと主張される方がいて、この事例が問題になったとのこと。

確かに、脳死状態であったのか、また尊厳死の四つの基準が守られたのかという疑問に対して、このケースでは、主治医に不適切・不用意な点があったのかもしれない。

が、回復の見込みが極めて小さいケースで、家族から延命治療の中止を強く要請された場合、主治医としては大きな葛藤に陥ったであろうことが想像される。

医療にとっては、元来、死とは敗北であり、何としても避けなければならないことだった。そうした意識が、医学の発達を促してきたのだろう。しかし、医学が進歩を遂げ、如何に重篤な状態であっても、呼吸器や、人工栄養によって、植物的な生命を長期間維持することが可能になってきた。医療現場にいて、そうした状況に出会うことが多くなってきているのだろう。私が、大学にいた頃にも、同じような問題にしばしば遭遇した。

尊厳死の条件が満たされれば、葛藤しなくて済むのかもしれないが、特に本人の尊厳死の意向という点では、確認が取れないことが多い。そうした状況で、家族の延命治療中止の強い意向がある場合、医師は、やはり葛藤に陥るのではないだろうか。

医師は、患者の生命を健やかにし、永らえさせるのが本来の使命だと心底思っている。そうした医師が、かるがるしく殺人罪で訴えられるような社会であっては欲しくない。


以下、引用~~~


延命治療中止、有罪確定へ 医師の免責、要件示さず 最高裁が上告棄却 川崎協同病院事件 【1】
09/12/09
記事:共同通信社
提供:共同通信社

 川崎市の川崎協同病院で1998年、昏睡(こんすい)状態の男性患者=当時(58)=が気管内チューブを抜かれ、筋弛緩(しかん)剤を投与され死亡した事件で、殺人罪に問われた医師須田セツ子(すだ・せつこ)被告(55)の上告に対し、最高裁第3小法廷は9日までに「法的に許されない」として棄却する決定をした。懲役1年6月、執行猶予3年とした二審東京高裁判決が確定する。

 医師による終末期の延命治療中止の違法性が刑事裁判で争われたのは異例で、最高裁が判断を示したのは初めて。医師の免責要件などへの言及はなかった。

 決定は7日付。5人の裁判官全員一致の意見だった。

 田原睦夫(たはら・むつお)裁判長は「必要な検査をせず、回復可能性や余命を的確に判断できる状況でなかった。回復をあきらめ、チューブの抜管を要請した家族も病状の適切な情報が伝えられておらず、抜管は男性本人の推定される意思ともいえない。法律上許される治療中止に当たらない」と判断。筋弛緩剤投与と併せて殺人罪の成立を認めた高裁判決を支持した。

 被告側は「男性の意思を推定できる家族の強い要請に基づき、チューブを抜いた。法律上許される」と、無罪を主張していた。

 決定などによると、男性は98年11月2日、気管支ぜんそくの発作による低酸素性脳損傷で入院。意識不明となり、被告は同16日、家族の要請で気管内チューブを抜いたところ、男性が苦しむ様子を見せたため看護師に筋弛緩剤を注射させ、死亡させた。

 一審横浜地裁は「回復可能性があり、本人の意思表示も家族の要請もなかった」と判断、懲役3年、執行猶予5年とし、二審は「家族の要請はあったが男性の意思表示はなく、死期も切迫していなかった」と判断した。

前エントリーのコメントへの御礼 

コメントの続きとしてこの発言をつけようと思いましたら、「書き込み制限」されているとか表示が出て書き込ませんでした・・・FC2のバグではないかと思います。

以下、前エントリーのコメントへの御礼です。

皆さん、暖かな言葉をありがとうございます。こんな独りよがりなブログを続けて意味があるのかと自問することも無きにしもあらずなのですが・・・続けること自体に意味があるのかもしれません。

マリーゴールドを毎朝眺めて、癒されておりました。二三日で枯れてしまうのかと思っていたら、本当に長い間・・・予想していたよりも長い間、目を楽しませてくれていました。このような綺麗な花に自分を準えるのもおこがましいのですが、自分の生も、それにこの小さなブログも、その存在する意味がなくなるまでの間は、存在が許されるのではないかと思ったことでした。

今後とも、どうぞよろしくお願い致します。ネットを通しての繋がりだけですが、皆さんの言葉が心強いです。

過去3年間、それにこれから 

仕事場の植え込みの片隅に、マリーゴールドが自生して、10月から11月にかけて長い間花を咲かせていた。毎朝、車を降りて、建物に入るときに、まだ咲き続けていると思いながら見ていた。さすがに、11月下旬に花は萎んでしまった。

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当ブログを始めて3年間経った。

福島県立大野病院事件(大野病院事件と略す)に悲憤慷慨し、医療系といわれるネット上のサイトをさ迷い歩くようになった。加藤先生が、逮捕され、ついに訴追された。毎日手に汗を握るような思いで過ごした。公判開始。この裁判次第で、産科・救急のみならず、医療そのものが成立しがたくなると思った。2ちゃんねるからm3を彷徨った。ネット上でブログという機能を用いて、自らの意見を公に出来ることを知った。

3年前、ブログを開始した。

幸いなことに、大野病院事件は、被告側の勝利に終わった・・・だが、この事件の及ぼした影響は大きかった。福島の浜通り地域の産科医療は、完全に崩壊した。全国的にも、産科の診療所の閉鎖、病院の産婦人科のお産からの撤退・救急からの撤退が相次いでいる。

大野病院事件は新たな広範な、医療の崩壊の序章のような気がする。患者側の弁護団が、いまだ公判での主張を繰り返している。主治医の逮捕・訴追に繋がった事故報告書を作らせた地方自治体の責任が明確にされていない。安易に医師の逮捕拘束を行い訴追までした警察・検察も、医療事故を刑事犯として扱う愚かさに気付いていないかのようだ。自公政権当時提案された医療事故調は問題を全く解決しないばかりか、医療現場を萎縮させる制度だった。厚生労働省は、自らの権益拡大しか眼中にない。

その一方で、医療には金をかけないという、国民と、政府。開業医と勤務医、それに診療科別に、医師を分断し、医療界内部に反目を作らせ、己に都合よいように医療を支配しようと言う財務省。財務省に政策を丸投げし、マニフェスト等はなっから実行する気がなく、マスコミを利用して、衆愚政治に走りつつある民主党政権。政治家と官僚は医療の現状を理解せず、または理解できぬ振りをし、崩壊するにまかせている。さらに、国民は、その崩壊が自らの痛みになるまで、理解しない、理解しようとしない。現場で苦労する専門職の声が、政策や行政に殆ど生かされていない。

この3年間は一体何だったのだろう。後に、どのように振り返られるようになるのだろうか。

こうして、轟々と音を立てて流れる時流に抗するには、私は余りに非力だ。いや、時流に抗しよう、時流の向きを変えよう等とは元々思ってはいなかった。自分の内面のごく一部だが、こうした時流を見ながらどのように感じたのかを記すことだけしかできなかった。書くことによって、私のこころの葛藤と、不安を昇華する作業だった。

心配なのは、人のためになろうと医師を目指した若い医師達のこと。そして、彼らを必要とする患者・患児達のことだ。

私に出来る範囲で、そうした人々のために出来ることを行なって行こう。このブログの独り言で、そうした歩みを記して行くことにしよう。

よほどきちんとした理屈をたてなければ・・・ 

よほどきちんとした理屈をたてなければ、マニフェストで判断し投票した、国民の努力が報われなくなる・・・笑。

復習・・・事業仕分けは、財務省主計局が立案、実施した。

対象事業は、全体の15%のみ。

財務省関連の特殊法人は、たった一つが対象になっただけ。

特別会計への切り込みは、はなはだ不十分


民主党政権は、半世紀続いた自民党政権で溜まった澱とヘドロとを白日のもとにさらすことだけが、その役割なのかもしれない。戦前から続く、官僚制には何も手をつけることはできないで終わるのか。

あまり言いたくはないが、国民が、この事業仕分けとやらを支持するのであれば、医療を崩壊させるという結論で良いのかもしれない。これ以上医療が締め上げられたら、保険診療制度自体が崩壊する。公的保険がなくなり、医療介護が保険資本の草刈場になって初めて、現在ようやく保たれている医療体制の有り難味を国民は知ることになるのだろう。我々医療人は、それでも困らない。困るのは、大多数の国民だ。


以下、読売新聞より引用~~~


鳩山首相、長妻厚労相の対応批判…事業仕分け
12月3日21時44分配信 読売新聞

鳩山首相は3日、行政刷新会議による事業仕分けの評価結果の一部を長妻厚生労働相が受け入れないと表明したことについて、「よほどきちんとした理屈をたてなければ、事業仕 分けの努力が報われなくなる」と批判した。

長妻氏は2日、仕分け対象となった厚労省所管の51事業のうち、診療報酬など19事業について「評価結果通りの対応は困難だ」とする見解を発表し
た。

太平洋岸・霞ヶ浦湖畔 

11月下旬、水曜日午後の遊休時間(笑)に太平洋岸に車を走らせてみた。晩秋の砂浜に人影は殆どなし。大洗から、少し南にきた辺りだが、砂浜には、「海の家」が乱立し、乱雑な印象。茨城の海岸は、県北の方が美しい。

でも波が打ちつけ続ける砂浜では、気持ちが安らぐ。

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そこから霞ヶ浦に向かった。暖かい日差しの注ぐ湖畔。人を殆ど見かけない。遠くに筑波山が見える。

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霞ヶ浦北岸に、数Km続く舗装道路がある。散歩か、サイクリングに好適。この道に並行して、土浦から、潮来の方に走る道路がある。父が生きていた頃、潮来にある当家の菩提寺に2、3度車に彼を乗せて出かけたことを思い出した。10年少し前のことだ・・・。それに、研修を始めた当初、車を買えなかったのか、こちらに住む父方の親戚に中古車をもらうために一緒に、彼と一緒に筑波山を越えてやって来たことも思い出した。それから30年。

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綱渡りの救急 

先週末、栃木県某所の救急診療所に、知り合い医師の手伝いに出かけた。文字通り半日の長丁場(私は、多忙な時間帯を数時間手伝っただけ)。インフルエンザと思われる患者が、多数訪れていた。結果として、11時間で130人超の患者数だった由。その前の週末は、180人超の受診者で、3時間待ちということもあったようだ。どのような症例も受けていた。一次救急だから、当然のことだが、初診の方ばかりを長時間に渡ってこの数こなすのは、医師・スタッフにとってかなりの労働になる。2次、3次救急を担当されている医師は、もっと厳しい状況にあるのだろうが、平均年齢60歳前後の開業医にとって、この救急診療所の負担はかなりのものだ。このようなシステムは、綱渡りでようやく成立しているに過ぎない。

下記のニュースはあいも変わらず、ピント外れも甚だしい。特に自治医大の救急センター長の、「救急の専門外診療を強制させるべき」という発言は、救急システムを破壊する発言だ。もし本当にこのような発言をしたのであれば、詳しく説明すべきだ。責任ある立場での発言は重い。

「たらい回し」というネガティブなニュアンスの強い表現を繰り返す、毎日新聞記者の良識を疑う。病院が受け入れられないとした症例は、医療面・ケアの面で問題が多い症例であり、すべてとは言わないが、受け入れ不能という対応を理解できる。情報システムを維持できるマンパワー等現場にはないし、もしあったとしても、多忙を極める現場には手助けにはならないだろう。

このような報道、さらに医療機関管理職・行政の対応が続くと、救急医療は、本当に機能しなくなる。



以下、良識を疑う新聞から引用~~~

救急搬送たらい回し防止 栃木県協議会が始動 ニュースワイドとちぎ
09/11/26
記事:毎日新聞社
提供:毎日新聞社
ID:1291276


ニュースワイドとちぎ:救急搬送たらい回し防止 県協議会が始動 /栃木



 ◇来年3月に実施基準

 救急搬送で患者がたらい回しされることを防ごうと、けがや病気の種類や程度に応じた医療機関のリストや、消防隊が受け入れ先を選ぶ基準などを定める県救急搬送受入協議会(会長・新沢敏章県医師会常任理事)の初会合が今月17日、県庁で開かれた。消防法の一部改正に伴うもので、来年3月までに実施基準を策定し、公表する。【戸上文恵】

 ◇情報システムも見直しへ

 県消防防災課によると、08年に救急車が通報を受けてから病院などに搬送するまでに要した時間は平均36分8秒で、98年の26分6秒に比べ、10分2秒伸びた。その原因の一つに、医療機関への照会回数が増えていることが挙げられる。重症以上の患者の搬送事案6361件のうち、照会4回以上は320件、現場で30分以上待たされたのは287件で、最大12回断られた例もあった。受け入れを拒否した理由は「手術中、患者対応中」が23・2%でトップ。次いで、「ベッド満床」が22・3%▽「処置困難」が17・5%の順。

 こうした「たらい回し」を減らすため、県は05年12月から、県内73の救急告示医療機関と13消防本部をオンラインで結び、受け入れの可否や空床の有無を表示する「県救急医療情報システム」を運用している。しかし、協議会の後に開かれた県救急医療運営協議会病院前救護体制検討部会では、システムが十分機能していない現状が指摘された。

 県が今年10月に実施したアンケート結果によると、73医療機関のうち、情報を毎日入力しているのは31にとどまり、平日のみ入力しているのが29、全く入力していないのが13だった。その理由としては医師や看護師、事務職員などの多忙がある。

 一方、13消防本部のうち、主たる照会システムとして利用している消防本部はなく、「補完的な照会システムとして利用」が6、「ほとんど利用していない」が4、「全く利用していない」が3だった。消防本部の中には、朝夕の2回、医療機関に空床情報や救急担当医の診療科を電話で聞き取り、各分署にファクス送信しているところもあった。

 システムが利用されるために必要なこととして、「リアルタイムの表示」や「受け入れ可能とした場合の確実な受け入れ」とした回答が多かった。県では救急搬送受け入れの実施基準策定に伴い、来年3月までにシステムの表示項目や入力方法についての見直し方針をまとめる。

 しかし、実施基準を定め、運用しやすいシステムを作るだけでは、たらい回しの根本的な解決にはつながらない。17日の協議会で、自治医科大付属病院の鈴川正之救命救急センター長は、病院が受け入れ不可能とした理由について「アルコール依存症や精神疾患、生活保護、独居老人、外国人などの問題が含まれている」と指摘した。

 同大が昨年7月実施した独自調査によると、軽症や外傷、若年、精神科関連では1回で受け入れ先が見つかる割合が少なかったという。また、外傷のうち、打撲は「専門外」を理由に搬送を拒否されたケースが半数近くあった。鈴川センター長は「打撲でも『内科の先生が当直だから』と断られるのが栃木県の現状だ。専門外を免罪符にしないように、ある程度の強制力が必要ではないか」と話している。