祠 

先日、晴れ渡った朝、通勤時に日光連山が見事に見えたので、それを撮るためにわき道に入った。そこで、この祠か古墳と思われる場所を発見。畑の真ん中に、何気なく存在していた。

DSC_0047-1.jpg

このような祠を、この地域の人々は先祖代々敬い、また信仰の対象にしてきたのだろうか。例の弁天塚古墳といい、この祠といい、古の人々の生活を彷彿とさせる。

空気が澄み渡り、日差しが明るくなってきた。春はもうすぐ。

邪道な発言 

CWopsのメンバーがあまりに聴こえてこないので、reflectorを通して、昨日こんな発言をしてみた。

I wonder where and when you, the club members, are operating radio? I am always getting on 7026KHz + or - around 13Z. The band could be open to the north hemisphere, at least. So active that I am called a perrenial presence or a beacon. Unfortunately, I scarcely find any members there. Try to get on when the band is open to East Asia, friends.

で、昨夜、試しに、その時刻、周波数に出てみると、メンバー数局から連続して呼ばれた。中には、私の発言を読む前に私に気づいて呼んだという方もいたが、中には、読んでわざわざ出てきたという方も。まるで、糸電話で話をする子供みたいだなと感じないこともないのだが、素直に嬉しかった。Art KZ5Dは、来週火曜日から2月9日までKP2にでかけて無線をしてくる、と言っていた。Jim N3JTは、90Wベアフットだが、S7を振っていた。もらったリポートはS5.こちらはリニアを炊いているのだが・・・これから、ルイジアナに出かけて週末を過ごす由。Puck W4PMは弱かった。この時期、13時Zには東部とのパスは、ビーム組以外は厳しい。

想定外の連絡が、Rod K5BGBからメールで来た。彼のことは以前にも記したが、忘れえぬBrasspounderのお一人で、80年代から90年代にかけて、頻繁に7メガで交信させて頂いた方だ。彼は、ヒューストンの自宅を売り払い、100マイル程離れた場所に移り住んだ様子。アンテナがツエップなのだが、どうも北西方向への飛びが良くなくて、私の信号を時々聴くのだが、S5以上で聴くことは殆ど無い、とのことだった。彼は、K2を用いて、通常は5Wでの運用をしている、必要があればリニアを使って45Wにする、とのことだ。もう70歳近くになろうかと思うが、仕事を続け、大学でも教えているとのことだった。14メガだったらゆっくり交信できるかもしれない、と書き送った。彼の芸術的なキーイングを聴けないのは残念なことだと、申し上げた。

reflector、MLを使って、こんなアピールをするのは、邪道かもしれないが、時には許されることだろう。

東北行  

昨日、午前中の仕事を終えてからすぐに母の滞在している介護施設に向かった。快晴。高速道路は走る車が少ない。那須連山には、雪が降り積もっていた。背景の青空から山々が浮き上がるように見える。

福島に入ると、少し雲が出ている。安達太良PAで休憩。安達太良山という名は聞いたことがあったが、その雄大な姿をゆっくり眺めるのは初めて。

DSC_0049-1.jpg

山茶花も咲いていた。

DSC_0050-1.jpg

白石インターで降り、少し北上。母は以前と同じ和室で横になっていた。少し、痩せたか。私を見ると、にっこり微笑み、私のことを考えていたところだと言う。義兄が先日見舞いに来てくれたことも覚えていた。田舎(私の住処)に戻りたいと言って、顔をくしゃくしゃにする。何時まで「入院」しているのか、と繰り返し尋ねられた。

母の白く、少し冷たい手を握り締め、また来ると言い残して部屋を出た。母は障子を開けて、手を振っていた。

これで良いのだろうかと考えつつ、帰路についた。

ベートーベン後期弦楽四重奏曲 

ベートーベンの後期弦楽四重奏曲には、珠玉というか、絶品というべきか、空前絶後の作品が並んでいる。過去のすべての音楽作品のなかで、一つの頂点をなす作品群だと思う。

私は、特に作品131の嬰ハ短調、作品132のイ短調の作品が気に入っている。

劇暇な午前中の外来の合間に、前者を聴いていた。ライプチッヒ弦楽四重奏団の演奏。あやうく落涙しそうになるほどに素晴らしい。

今日は、晴れ上がっている。今朝、通勤途中、日光連山だけでなく、那須の山々もくっきりと青空に浮かび上がっていた。午後、これから思い立って、宮城の母を見舞いに出かける。

ベートーベンの後期の弦楽四重奏作品を聴きながら・・・。

醍醐味は何処へ? 

CWopsのMLでは、交信の最後に、どのような挨拶の略号を用いるかが、議論されている。

この略号は、送信内容を簡略化するという意義と、互いにメンバー同士が用いることによって一種の仲間内意識を高める意味がある。特に、後者の意味合いが強い。

Jim N3JTは、そうした議論に対して、排他的にさせる略号を用いるのは止めようではないかと発言している。私も、それに同感だ。使ったとしても、自然な流れで出てくる程度で十分。議論しあって、制定するような事柄ではない。

簡略化という意義についても、疑問がある。安易に略号ばかり用いると、限られた時間に、意味のあるメッセージ送ることがが疎かになる。情報伝達量の極めて限られたCWという通信モードで、意味のあること、相手のこころに伝わるメッセージを簡潔に伝えることが最も大切なことなのだ。

ここからは、愚痴モードになるが・・・最近の交信で目立つことは、一つには、コンテストスタイルの交信がやたら多いこと。互いのIDを送信前後で打つことも省略することがしばしば。あれは急かされているような気になって仕方がない。そのようにこちらに返す方とは、さっさと切り上げることにしている。

もう一つ、モノローグを延々と続ける方が目立つ。先日は、こちらが受信に移ってから、私には特に関係ない話題を延々と10分以上続けられたことがあった。そうした既往のある方だったので、その時には、中座してしまった・・・悪いなと思いつつ・・・。これは、やはりオペレーターの加齢と関係がありそう。自分自身も気をつけなければならないと思っている。

限られた時間に、どれだけ意味のある言葉と思いを相手に伝えられるか、そうした思いを受け止めることができるか、それが、特にこの通信モードでの醍醐味の一つだと思うのだが・・・通信モード自体が斜陽である前に、こうした愉しみ方が、もう歴史的なものになりつつあるのかもしれない。

足立信也議員の医療社会保障政策 

足立信也参議院議員の名が、医療行政がらみでよくマスコミに登場する。民主党に所属し、厚生労働省の政務官を担い、彼自身が言うとおり、外科医としてのキャリアーを生かして、医療政策について積極的に発言をしているからだ。

昨年来の、彼の発言で、医療現場に大きな影響をもたらすと思われるものは、二つ。

○外来管理加算(内科系の外来診療に認められる一種の技術料)を、廃止することも一つの選択肢である。

○診療所の再診料を下げる。その代わり、夜間電話での救急対応をする医療機関には新たな加算を与える。

これらの内容を詳細に論じる積りは無いが、これが実施されると、診療所の多く、特に検査等の少ない小児科診療所では、壊滅的な影響を蒙る。ドラスティックな提言である。このような政策が実行されると、診療所による地域医療が崩壊するだけは済まない。そこが担っていた地域医療の負担が、基幹病院にかぶさることになるのだ。医療システムの根本的な変化をもたらすことになる。

で、このようなドラスティックな提言を、彼が行う理由はいろいろありそうだ。

○救急を扱う外科系の臨床医として、勤務医としてキャリアーを積んできた。診療所の医師の救急対応に対する不満がある。

○民主党のマニフェストに沿った、勤務医負担軽減策の一環。

○先の衆議院選挙で、日本医師会が自民党を応援したことから、日本医師会の主要構成員である診療所医師に「冷や飯」を食わせる。

○政務官として官僚から、レクチャーを受け、官僚の意思を体現している。

これだけではない。彼のウェブサイトから、彼のライフワークとしての医療政策に、興味深い文章が載っている。

以下、彼のサイトから引用~~~

足立信也議員の提言・政策

なんと言っても私の専門分野である医療・社会保障制度の抜本的改革です。これだけといってもいいかもしれません。私は病院へ勤務する一人の臨床医として、与えられた制度の中で最善の努力をしてきましたが、患者さんひいては国民の皆さんが安心して治療を受けられる、また医師はじめ医療従事者が患者さんの求める医療に応えるには、今の医療制度や福祉制度を抜本的に改革するしかないと改めて痛感しました。私はケネディのいう 国が何をしてくれるかではなく、国に対して何ができるのかでもなく、何をするかが重要だと思っています。

政治の目的は国家の安全を保ち、国民に安心を与えることにあります。ですから、国家の安全を保障するための他国との協調や、災害時の対応力を備えた組織は欠くことができません。さらに犯罪やテロから国民を守ることは政府の責務です。安全のための組織の充実が必要と考えます。国民に安心感を与える最大の政策は医療・年金などの社会保障政策です。国の借金が雪ダルマ式に膨らんでいく中、これ以上将来世代に借金を付回しにすることは許されません。医療費を際限なく増やすことは出来ない中で、国民が必要とする医療をいかに提供するか、どのような医療制度・医療保険制度が望ましいか、を抜本的に見直すことが必要です。ここに私は現場の臨床医として生の声を生かしたいと思っています。私は国民の医療・介護・福祉・年金に対する不安を取り除きます。医療費のかからない、最も効率的なものは保健医療です。地域住民の健康状態のチェックをし、早期に発見する家庭医の養成が急務であると考えます

そして、保健・医療・福祉を総合的に行う包括的な医療体制の確立が重要で、そのシステム造りをしたいと考えています。すべてのことをばらばらにやっていては国の社会保障に対する考え方が見えてきません。家庭医・かかりつけ医・救急医療・保健・医療・介護について自治体には包括医療に対応するための施設が必要だと思います。その全体像が明確になっていれば国民の健康に対する安心、医療体制に対する信頼は増します。

そこで大事なのが先の総選挙のマニフェストの中で私が最も賛同できる 民主党の"5つの約束"の一つである「高速道路無料化」です。「高速道路無料化」は新しいライフスタイルを生み、車と人と物が活発に動き出して経済の活性化をもたらし、活力を地方に分散させ、物価の内内格差を縮小して購買力を増加させます。料金所がなくなり、高速道路へのアクセスが良くなります。このことは小児医療の充実や長距離介護を支援することに直結し、経済圏という考え方から医療圏を中心とした地方分権への進化を意味します。

引用終り~~~

医療が崩壊に瀕している大きな原因は、コスト・アクセス面で需要と供給のアンバランスが、国レベル・地域レベルで起きているという根本的な問題には、彼は意図的にか、または知らないためか言及しない。

予防医学を盛んにし、それによって医療社会保障費を削減できるというのは、一種のドグマに過ぎない。医療経済学ではよく知られたことだ。

また地域社会保障充実のために、これ以上の「施設」が果たして必要なのだろうか。施設というと、箱物行政を連想してしまう。一体その施設で何をしようと言うのだろうか。

もっともユニークなのは、高速道路無料化が、医療とりわけ小児医療を充実させ、長距離介護を支援することになる、従って高速道路無料化が重要だと言う。高速道路無料化に確か5000億円程度の国庫予算が必要だという計算だったと思うのだが、それだけの投資をして、足立議員の主張する効果が得られるのだろうか。それに、小児医療・介護を支援することになるとは一体何を想定し、それがどの程度現在の危機的な状況の改善に資するのだろうか。

この社会保障政策の提言を読んでの感想。足立議員は、あまり現状を良く分かっておられないのではないか、臨床をしていたということだけで医療政策担当になったのではないか、ということだ。失礼ながら、これで医療政策の舵を取られては、現場はますます困窮する。診療所を潰すというのであれば、その影響はどのようなことが考えられ、それにどのように対応するのか、予めよく考えてもらいたい。

本番終了 

昨日、午後某ホールでの本番終了。

午前中、急患を3名ほど診てから、チェロをかかえてTさん宅へ。昨夜、思いついた演奏法の変更を提案。
ご両親がご用意下さったオニギリを頂き、いざ演奏会場へ。

演奏会場は、とある地域の公的なホール。座席800席。ピアノはベーゼンドルファー。響きも良さそう。豪華なホール・・・こんなところにも、税金が湯水のように使われているのか、この地方自治体には似つかわしくないホールだな、などという感想がちらっと心に浮かんだが、そのような雑念は、すぐ振り捨てて、リハ室でもう一度、大切なところを合わせた。

どうも、この豪華ホールに閑古鳥が鳴いているので、使ってくださいという催しらしく、演奏者は結構多いのだが、聴衆は、関係者と思しき人々がチラホラ程度 笑。自分で曲目紹介をして、舞台に上がると、それなりに緊張。小さな事故がいくつかあったが、それなりに満足して弾けた。近くのイタリア料理屋で行った我々だけの打ち上げで、次は同じ曲の4楽章と決定。3楽章はあまりに難しそうなのでパス。スメタナが待っている・・・。

美女と野獣・・・。

2009 1 24 Brahms Trio Nr2

それにしても、疲れた・・・。

行政とタッグを組んだマスコミ 

小沢さんの政治収支報告書記載問題について、「関係者の話では」という報道が次から次に出てくる。この関係者とは、この場合、検察特捜部であることは周知の事実。検察の記者クラブで流される情報を、記者たちが何の批判も検証もなく流している。検察の筋書きに沿った情報を、ちびりちびりとリークして、世論を誘導しようというのだ。

小沢さんの件が、どのような問題なのか、すぐには判断しかねるが、同じような疑惑が、昨秋自民党の議員達にもあったのに、彼等は、せいぜい在宅起訴で済んでいる。小沢さんが如何に大物といえども、公平性を欠く扱いなのではないだろうか。江川紹子さんが、検察の無謬性への疑問を呈しているが、大いに納得できる。ここ

問題は、行政や、検察のリーク情報を、何も検証することなく流すマスコミにある。

医療についても、行政がマスコミを利用して、同じような世論操作を行っている

診療所の再診料を、下げるという行政の意向を、先取りして、昨年末からマスコミが度々報道している。病院勤務医の待遇改善のため、という建前だが、結局は、医療費を削減すること、さらに勤務医が開業しがたくすることしか、行政の頭にはなさそうに思える。この問題は、まず中医協で議論されるべき問題のはずだ。が、行政当局は、ぼちぼち情報を先に小出しにマスコミにリークして、それが致し方ないという世論を作り上げるのだ。

この行政の意向がマスコミへリークされていたことが、中医協で問題にされた。

問題提起に対して、リークはしていない、そのような事実はない、というのが、医政局長の返答である。

以下、m3より一部引用~~~

さらに、安達氏は、12月27日に共同通信が、「厚労省が再診料を現行の病院・診療所の中間の点数で統一する方針を決定した」と報道したことについて、「これから審議することについて、なぜこう度々リークされるのか」と問題視。これに対し、医政局長は「詳細よく分からないが、厚労省の事務方で65点と決めたという事実はない」と回答した。安達氏は「情報のリークについては以前にも牛丸聡委員(早稲田大学政治経済学術院教授)が問題を指摘し、事務局は『精査して検討する』と答えた。なぜ繰り返されるのか」と追及したが、医政局長は「事実がないので、どうしてこういう記事が出たのか分からない。誤解を招かないよう、報道機関との付き合い方について事務方に指導したい」と答えるにとどまった。

引用終り~~~

「どうしてこういう記事が出たのか分からない」とは、白々しいにも程がある。

行政であれば、どんな嘘をつこうが、マスコミを利用した世論のバイアス作りをしようが許されるのだろうか。

一番許せないのが、マスコミだ。記者クラブという排他的な利権集団に安住し、行政・政治や検察の動きを検証し、批判的に報じることなく、自ら行政・政治それに検察の代弁者に成り下がっている。このようなことをしていると、マスコミは自分で首を絞めるようなものなのだが・・・。

我々は、マスコミの報道には距離を置き、その報道の背後にあるものをいつも見据えてかかる必要がある。

ブラームス ピアノトリオ2番 2楽章 

この週末、某所ホールで、本番。ブラームスのピアノトリオ2番、1,2楽章。この曲の1楽章は、2回ほど弾いたことがあるのだが、2楽章は初めて。音楽としては、比較的単純な構造だが、ブラームス特有の寂寞感をバリエーションのなかに聴くことができる。

Greenwich Trioという若手演奏家の奏する、同曲2楽章。表情付けの細やかさ、深さに、さすがと唸らせられる。

ブラームスが耳元で、そっと語りかけるような演奏ができるか・・・な。今日を入れてあと三日。最後の追い込み・・・。

厚生労働省は狂ったか? 

東京女子医大事件で冤罪を負わされ、その後東京高裁で無罪が確定した佐藤医師に対し、厚生労働省は、行政処分を前提とする「弁明の聴取」を行なうことに決めた、と報じられている。

信じられない愚挙である。もし彼に行政処分を下すとしたら、行政は狂っているとしか言いようが無い。

厚生労働省は、事故調を無理して立ち上げようとし、また地方厚生局を通して末端医療機関を経済的に取り締まる、補助金・助成金の類で裁量行政を行なうといった方法によって、医療機関・医師への支配の手を広げようと目論んでいる。そのような支配は実現しえない。また、実現させてはならない。

佐藤医師への行政当局の理不尽な対応に断固抗議する。これは行政の重大な犯罪的行為だ。


以下、m3より一部転載~~~

 厚生労働省が、2001年3月の「東京女子医大事件」で、業務上過失致死罪に問われたものの、2009年3月の東京高裁判決で無罪が確定した医師、佐藤一樹氏に対し、行政処分を行うために「弁明の聴取」を近く実施する予定であることが、このほど明らかになった。

 行政処分の理由は、「事故を隠すために人工心肺記録の改ざんに加担した行為」(事実無根である・・・ブログ主記)が、医師法第4条第4号が定める「医事に関し不正の行為」に該当するというもの。業務上過失致死罪に問われたことではない。「弁明の聴取」とは、行政が不利益処分(ここでは医師に、医業停止や戒告などの行政処分を科すこと)を行うに当たり、当事者に弁明の機会を与える手続きだ。


本件についての小松秀樹医師のコメント;

弁明の聴取
 佐藤一樹医師への、行政処分を前提とした「弁明の聴取」が近日中に開かれるとの情報が入った(「根拠ない、医師への不当な行政処分に異議あり」を参照)。この「弁明の聴 取」は、中世の暗黒を現代にもたらし、医療の存立を脅かす。暗澹たる気分になるとともに、厚労官僚に対する歴史的かつ哲学的な憤りが短時間で意識されるに至った。

 佐藤医師は、東京女子医大病院事件で、冤罪のために、90日間逮捕勾留された。7年間の刑事被告人としての生活を強いられた。心臓外科医としてのキャリアを奪われた。昨 年、無罪が確定した。この冤罪被害者である佐藤被告に対し、行政処分を実施しようというのである。

検察の論理は援用できない
 厚労省に、佐藤医師に対する処分を正当化できるような精度の高い独自の情報があるとは思えない。しかも、公判での検察の主張の一部を援用することには、決定的な問題があ る。検察の主張は、科学者の事実に対する態度とは全く異なる。被告人に有利な事実をしばしば隠してきた。福島県立大野病院事件では、自ら作成した調書に墨を塗って読めない ようにした。佐藤医師の裁判では、論理が完全に破綻したために、訴因(犯罪であるとする理由)を第一審の途中で変更した。第一審、第二審いずれも、検察の完敗で、上告断念 に追い込まれた。検察は無茶な論理を平気で振りかざす。検察は、裁判官と弁護士の存在を前提としており、その存在がなければ、簡単に社会の敵になる。

恣意的処分
 医療事故調査委員会(医療安全調査委員会)をめぐる厚労省と現場の医師の争いに象徴されるように、この数年間、厚労省は一貫して、医師に対する調査権限、処分権限の増大 を模索してきた。医師に対する行政処分は医道審議会で決定されてきた。従来、行政処分は、刑事処分が確定した医師など、処分の根拠が明確な事例に限られていた。医道審議会 は、処分1件当たり、5分程度の審議だけで、事務局原案をそのまま認めてきた。慈恵医大青戸病院事件を契機に、刑事罰が確定していない医師にも処分を拡大してきたが、基準 が明らかにされていない。これは、罪刑専断主義による恣意的処分と言い換えることができるかもしれない。

毒を食らわば皿まで
 医道審議会の状況から、行政処分と「弁明の聴取」の推進者は、実質的に調査権と処分権の両方を持つ。江戸時代の大岡越前守と同じである。当然、このような乱暴なやり方を 職権濫用とみなす批判があり得る。推進者もそれを熟知している。強制的な調査を行って処分をしなければ、逆に、職権濫用罪の嫌疑を証明することになりかねない。自分を守る ために、無理にでも処分したくなることは想像に難くない。裁判官がいない中で処分を行うことが、いかに難しいか容易に想像される。

法の下の平等
 今回の「弁明の聴取」は極めて異例なものである。そもそも、政府の行動はすべて法律に則っている必要がある。法律は全国民に対して平等でなければならない。通常業務と異 なることを実施する場合には、相応の理由、正当性が必要である。平等のためには、個別事例を特別に扱うことに慎重でなければならない。そもそも、厚労省は、調査権、処分権 を含めて、自らの権限を拡大しようと組織的に動いている。どうしても、この事件が実績作りに利用されているように見えてしまう。今回の「弁明の聴取」は、法の下の平等に反 するのではないか。

行政の行動原理
 厚労省が医師を裁くことには、社会思想史的な問題がある。厚労省は「正しい医療」を認定できるような行動原理を持ちえない。

 ヘルシンキ宣言は「ヒトを対象とする医学研究の倫理的原則」として制定されたが、医療全般について医師が守るべき倫理規範でもある。実質的に日本の法律の上位規範として 機能している。その序言の2に「人類の健康を向上させ、守ることは、医師の責務である。医師の知識と良心は、この責務達成のために捧げられる」と記載されている。医師は知 識と良心によって行動するのであり、命令によって行動するのではない。法が間違っていれば、これに異議を申し立てる。

 これに対し、厚労省は「医学と医師の良心」によって動いているわけではない。法令には従わなければならず、しかも原則として政治の支配を受ける。メディアの影響も当然受 ける。確固たる行動原理を安定的に持ち得ないため、ハンセン病政策のような過ちを繰り返してきた。

 第二次世界大戦中、ドイツや日本の医師の一部は国家犯罪に加担した。多くの国で、医師の行動を国家が一元的に支配することは、危険だとみなされている。

 公務員は原理的に国家的不祥事に抵抗することができない。この故に、行政は、医療における正しさというような価値まで扱うべきではない。明らかに行政の分を超えている。 医学による厚労省のチェックが奪われ、国の方向を過つ可能性がある。

チェック・アンド・バランス
 立法・行政・司法は法による統治機構を形成する。法は理念からの演繹を、医療は実情からの帰納を基本構造とする。両者には大きな齟齬がある。

 厚労省は、実情に合わない規範を現場に押し付けてきた。このため、現場は常に違反状態に置かれてきた。頻繁に立ち入り検査が行われ、実際に処分を受けないまでも、その都 度、病院は担当官から叱責を受ける。厚労省は、いつでも現場を処分できる。

 厚労省の方法は、旧ソ連を想起させる。旧ソ連では物資不足のため、国民は日常的に、勤務先から物資を持ち出し、融通しあって生きていた。国民全員が何らかの違法行為を犯 さざるを得ない状況下で、政治犯を経済犯として処罰していた。このようなやり方が国民と国家をいかに蝕んだかは想像に難くない。

 しかも、厚労省は、常に、権限と組織を拡大しようとする。厚労省は困った性質を持っており、チェック・アンド・バランスがないとかならず有害になる。チェック・アンド・ バランスの考え方は、市民革命を通じて一般化したが、日本では力を持っていない。

一般厚労行政への影響
 処分は通常の行政とは大きく異なる。厳重な秘密保持も求められる。このため、厚労省主導で処分を実施しようとすると、担当部署は他の部署との間に障壁を設けなくてはなら ない。しかし、いかに障壁を設けても、厚労省と医師の関係が悪化し、医療行政に支障を来たすような事態は容易に生じうる。佐藤医師への「弁明の聴取」が先例となれば、医師 は行政を悪とみなすようになる。厚労省は医師の敵になる。行政は医師の協力を得るのが困難になり、医療行政は立ち行かなくなる。結果として、医療提供体制が損なわれる。 

結論
 個人的に得た情報では、行政処分の事務を担当している医師資質向上対策室は、佐藤医師への行政処分と「弁明の聴取」に反対したとされる。それを、医政局の杉野剛医事課長 が強引に押し切ったという。これが本当なら医療提供体制が破壊されかねない。厚労大臣は、事実関係とその背景を調査すべきである。

 そもそも、佐藤医師への行政処分は「改竄への加担」が理由だとされるが、舛添要一前厚労大臣の著書『舛添メモ 厚労官僚との闘い752日』(小学館)によると、厚労省の 官僚は、日常的に、大臣への報告で、事実を捻じ曲げている。それでも処分されていない。厚労官僚の行動は危うい。チェック方法と適切な処分のあり方を検討すべき状況かもし れない。

Dim LZ1AF 

昨日、CWopsの新しいreflector CWopsmusicなるものに加入してみた。10数名の参加者しかいないようだが、主にポップスの話題や、「運命」の動機がモールス符号に聴こえるといった話題の発言が幾つか。

最初の発言者が、Dim LZ1AF。ブルガリアのDXクラブの会長をなさっている(なさっていた?)方で、この20年間ほど私も時折交信をさせて頂いている方だ。確か、息子さんがオーストラリアに移住なさっていて、そこを訪ねたといった話や、ブルガリアの生活事情などを何度か伺った記憶がある。

で、彼の発言は、その新しいreflector参加者に、クラシック音楽の愛好者はいるかという問いかけの内容だった。発言後数日経つが、誰も応答をしていない。Dimがクラシックを愛好しているとは、予想外のことだったので、早速応答した。私が医学部学生時代にチェロを始め、長いブランクの後、最近再開したこと等を記した。

それへの返答は、個人メールで送られてきた。

Dimが、7歳のとき・・・現在彼は77歳だから、70年前になる・・・彼の父親が、当時まだ珍しかったラジオを彼に買い与えてくれた。ある朝、学校に行く前に、彼がそのラジオに耳を傾けていると、ある音楽が流れてきた。それは彼にとって衝撃的な音楽だった。モーツァルトの20番ト短調のピアノ協奏曲。ソリストは、ギーゼガング、オケはフルトヴェングラーの指揮するベルリンフィルだった由。以来、音楽を聴くことが大きな楽しみになり、今にいたるらしい。内田光子の弾くモーツァルトや、ベートーベンのピアノ協奏曲もお気に入りで、多くの彼女の音源を持っているとのことだった。現用のアンプは、シンガポールで30年ほど前に求めたサンスイの20WX2のものだが、何も不満はないとのこと。

それ以外にも、音楽にまつわる話題がたくさん記されていた。彼への返信で、その音楽との出会いは、素晴らしい。父上から送られたラジオで、当時最高の演奏者の奏でるデモーニッシュなモーツァルトに耳を傾けるDim少年が目に浮かぶようだ、と申し上げた。内田光子は、彼女が活動拠点をヨーロッパに移す前に、東京で聴いたことがある。確か、シューマンの協奏曲だったような記憶がある、と記した。

ネット環境で、こうした交流の場が設けられたからこそ、彼とこうした話題を交わせたのかもしれない・・・が、やはり、アマチュア無線技師たる我々は、無線でこうした議論をしたいものだと返信メールを結んだ。

実際のところ、メールボックスがいつも一杯一杯だし、このreflectorは、ポップスのファンが多そうなので、早々にそこから脱退した。

Dimとは、無線で話を続けたいものだ。

PS;Dimのことは以前記したなと思って検索すると、やはりここで既に記していた。オーストラリアに在住しておられるのは娘さんとのこと・・・。

米国医療の歴史 

米国の医療は、資本主義社会での医療の典型だ。先端医療は、素晴らしい発展を遂げているが、その医療の恩恵に与るためには、莫大なお金が必要になる。その米国医療がいかにして生まれたのか、その裏の歴史ともいうべきものについて社会学の専門家がMRICで報告している。

医療が発展するためには、資本の投資を受けなければならない。また、医療制度が上手く機能するためには、経済的なインセンティブも必要だ。が、一方、資本主義に支配された医療は「健康」を担保にして病者から金を貪りとる。医療コスト負担をどのようにするのか、誰もが持つ病気にかかるリスクをどのように社会化するのかという視点で、医療制度を考えてゆかねばならない。我々一人一人、さらに社会制度も、歴史の産物だ。過去の歴史に学んで、自らの立ち位置を確かめ、少しでも良い方向に進むように努力しなければならないと切実に考える。巨大資本に支配された医療だけは拒否すべきだ。


以下、MRICより引用~~~


「アメリカ市場化医療の起源」
ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー、博士(社会学)
細田満和子(ほそだ みわこ)
2010年1月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
------------------------------------------------------------------------------------   
             
紹介:ボストンはアメリカ東北部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関する話題をお届けします。

略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー。博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程を経て、02年から05年まで日本学術振興会特別研究員。05年から08年までコロンビア大学メイルマン公衆衛生校アソシエイト。08年9月より現職。主著に『「チーム医療」の理念と現実』(日本看護協会出版会)、『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海社)。

【保健医療政策勉強会】
 2008年9月にハーバードに着任してから、ボランタリックな活動として保健医療政策研究会(Health Policy Study Group)を主宰しています。私が所属する学部は、国際保健学部(Department of Global Health and Population)ですが、同僚達は文字通り世界中から集まっています。中国、韓国、イラン、イスラエル、ブラジル、タイ、ケニア、アメリカなど、皆その国の保健医療に関する専門家であり、中には実際に国の医療政策に携わってきた中央政府官僚もいます。アカデミック・バックグラウンドも、医学、公衆衛生、看護学、保健学、政治学、歴史学、社会学など多彩です。
 このチャンスを逃す手はないと、それぞれの国の保健医療制度について紹介しあって理解を深めてゆこうという趣旨で、一昨年から研究会を始めたのでした。基本的に毎週1回、ランチタイムに1時間ほど集まり、発表者が自らの視点から自国の保健医療制度について解説します。質疑応答も活発で、あっという間に時間が過ぎてゆき、いつも発表者が用意した話の最後までなかなか辿り着かない状況です。
 年明け最初の勉強会は、歴史学で博士号をとったアメリカ出身のジェシーで、アメリカ医療の歴史について面白い話をしてくれました。彼の発表によると、今日の市場原理で動くアメリカ医療の原型は、19世紀末からの科学的医療を支持したロックフェラー財団やカーネギー財団が、アメリカ医師会(American Medical Association: AMA)を牛耳る形で、1930年代までに作り上げてきたというのです。
 今まで自分の持っていた知識から、アメリカでは19世紀の終わりごろから科学的医療が発展してきて、1930年代ごろに医師の専門職化が進展してきた、ということは知っていましたが、彼の話によると、科学的医療の正統化と医師の専門職化そのものが、巨大資本家の財団の目論見だったというのです。ジェシーの発表に触発され、図書館に走ってゆき、アメリカ医療史に関する本をいくつか紐解いてみると、確かにその話を裏付けるアメリカ医療史のまた別の顔が見えてきました。

【アメリカ医療史の別の顔】
 いくつかのアメリカ医療史の本の中で、なんといっても面白かったのは、リチャード・ブラウンの『ロックフェラーのメディシン・マン:アメリカにおける医療と資本主義』(Rockefeller Medicine Man: Medicine and Capitalism in America)でした。この本の表紙がまた傑作で、アタッシュ・ケースを持って、ネクタイにスーツ姿で聴診器と額帯鏡をつけている、ビジネス・マンならぬメディシン・マンのイラストなのです。しかもこのメディシン・マンがドミノ倒しのように何人も並んでいるのです。
 ブラウンは、「どうしてアメリカの医療費はこんなに急速に急騰しているのだろう?」という、今日誰もが感じている疑問を持ちます。ちなみにアメリカの総医療費は、経済成長の伸びを超えており、2009年のOECDヘルスデータによると、GDPの16パーセントと飛び抜けて多くなっています。OECD平均は9パーセントで、日本はそれよりもすこし少なくて8パーセントです。
 この医療費の高さというのは、アメリカ近代医療の起源に発しているのではないか、とブラウンは考えます。その起源というのは、科学的医療と資本主義です。彼は1910年から1930年代までの史料を駆使して、医療専門職と医療に関して利害関係のある諸集団が、一般社会の人々の健康ニーズに応える訳でなく、自分たちの狭い経済的・社会的利益を守って行くために資本主義に基づく近代的医学を確立してきた歴史を解き明かします。
 一般的に近代医療は、医療技術の進展と産業社会の発展の結果として生じてきたといわれています。たしかに、科学技術と産業化が近代社会を作り上げたというのは社会科学(特にScience Technology Studies: STSなど)の定説ですが、ブラウンはこの科学技術決定論に待ったをかけます。そして、科学技術は、純粋にそこにあるというものではなく、技術を保持し、コントロールできる個人や集団が、その技術を他者の利益になることを妨害しつつ、自分たちの利益に合うように利用していて、この技術と社会の相互作用の歴史が今日の姿になって現れているというのです。
 では、それはどういうことなのでしょう。ブラウンの本に沿いながら見てゆきましょう。
 
【「患者中心」医療から「専門職中心」医療へ】
 アメリカにおいて医師は、現在では専門職の代表として、地位も高くお金持ちというイメージがあります。しかし19世紀末、医師は力もなく富みもなく、地位も低かったといいます。それは、当時の医療というのが、完全に患者中心であったからです。当時は、薬草療法、温水療法、信仰療法などさまざまな治療方法があり、患者は、自分の症状と経済状況にあわせて、治療を受けるか受けないか、受けようとする場合にはどんな治療がいいのか、自分で選んでいたのです。そして医師は、患者の希望にあわせて、患者にとって適当な方法と価格の治療を提供していたのです。この頃からも、医師による組織団体はいくつかあったらしいですが、誰が医師として業界に参入できるか、誰ができないかというコントロールは、全くされておらず、医師になりたい人は、自分で名乗れば勝手に治療行為を行うことができたということです。
 ところが、1930年代までごろにこの状況は一変します。医師集団が、医学校や教育病院を運営することで、医師になるためのライセンス付与のコントロールを始めたからです。また、医師は、地元の医学会を通して、診療内容や料金を決めたりするようになりました。この青写真を書いたのが、アブラハム・フレクスナーです。
 彼はカーネギー財団から資金を得て、医療のあり方に関する有名な報告書、フレクスナー・レポートを1910年に出しました。そこには、「医療は、科学的で臨床的で研究志向の大学院教育に基づいた臨床実践を意味するようになるべき」ことが示されていました。大学院教育がまだ特殊に高度な教育と考えられた時代に、科学的な大学院レベルの学問が医師になるのに必要な条件となったことで、医師には特別な地位が要求されるようになりました。この任をまかされたのが、アメリカ医師会に他ならず、以後、アメリカ医師会は大きな権限を持って、新規参入する医師たちを厳しくコントロールするようになりました。

【近代医療と医療の制度化:医療専門職支配の誕生】
 もちろん、この変化の素地に科学技術の進展があることは見逃せません。すなわち、近代医療が、それまで治らないとされてきた病気を治癒可能なものにしたという点です。その立役者たちは、ドイツのコッホやフランスのパストゥールであり、彼らによる細菌の発見によって、細菌を殺したり、細菌感染を予防したりする医療が可能になったのです。これは、従来の患者の状態や希望に合わせて、治るか治らないか定かではない治療を行うということに比べて、効率の良い、「生産性の高い」医療といえます。
 医療における生産性の向上は、医師の収入と地位と権力の上昇に寄与しました。高い教育と特別な地位を得るようになった医師の給与は上昇し、1929年の時点では、大学の先生の同じくらいの給与をもらうようになりました。しかし、それでもまだ機械工よりは低いというものでありました。
 その後も医療専門職のリーダーたちは、科学的であるということを盾にして、自らの立場の正当性を勝ち取るための活動をしてきました。こうした活動は実を結び、次第に一般の人たちも医師に対して信頼の念を持つようになってきました。それに伴い給与のほうも着実に上がってきて、1976年の時点では、通常の勤労者の2.5倍になりました。またその頃には職業ヒエラルキーの順位も上がり、医師は、最高裁判事と並んでトップレベルになりました。
 急速な医療技術の拡大の勢いはとどまることを知らず、次々に高度で新しい治療法が開発されました。すると医師たちは、もはや面白みがなくなったり、利益を上げられなくなった仕事を、配下の技師や看護師やコメディカルに下請けとして回していきました。今日のアメリカの多様で多数の医療従事者は、このようにして作られていったということです。
 また医療の元締めとして医師たちは、開業、病院勤務、研究、教育、行政、財団、健康当局、保険会社、そのほかの機関へと働き場所を増やしていきました。そして、医師は医療におけるあらゆる領域において統括者として君臨することになり、医療専門職支配という構図が作られてきました。

【カーネギーとロックフェラーのメディシン・マン】
 では、どのようにしてそれまでの医療とは異なる科学的医療が医療界を席巻し、科学的医療を統括する医師が支配的地位を得るという構図が出来上がったのでしょうか。誰がアメリカ医師会に、新規参入の医師のコントロールを任せたのでしょうか。
 その答えとしてブラウンは、フィランソロピー(慈善事業)を行うことを意図したロックフェラー財団やカーネギー財団が、アメリカ医師会を牛耳ることによって、この構図を作った、といいます。もっとも張本人はロックフェラーやカーネギーではなく、医療を資本家階級に奉仕するものにするため、彼らが資金を提供する財団に雇われた人たちです。すなわち、ロックフェラーのメディシン・マンは、ロックフェラー財団を取り仕切っていたフレデリック・ゲイツ、そしてカーネギー財団のためにレポートを書いた功績を認められ、ゲイツにリクルートされたアブラハム・フレクスナーなのです。
 それでは、メディシン・マンたちがアメリカ社会における医療の原型を作り上げてきたとは、どういうことでしょうか。それは端的に言って、生産力の高い労働者を確保するという、資本主義社会において最も重要な目標を実現するために、医療を制度化したということです。

【科学的医療の正統化】
 20世紀の幕開けは、科学技術に支えられた、資本主義の本格的な展開と共に始まり、アメリカの企業資本家階級は科学の力を信じ、科学的医療が診断、予防、治療においてもっとも有力な手段となるという思想を支持しました。そして、医学理論に基づいた医療専門職による科学的医療に、労働者の健康を向上させて生産性を高めること、さらに労働者階級の人々の不平等や短命を克服することさえ期待しました。
 ロックフェラーのメディシン・マンとしてゲイツは、医療は資本主義社会に資するべきで、医療専門家は資本主義財源で運営される資本主義大学において再生産され、技術革新を行うことを通して質がコントロールされるべき、と考えていました。そこで、ゲイツ率いるロックフェラー財団は、科学的医療を実践する医師を育て上げる医学校や医学教育の充実のために、1929年までに一般教育委員会に7800万ドルの寄付をしました。 
 医学校には、資本家階級の信奉する科学的医療を教え込むというゲイツの思惑を実践するために、大学院レベルの教育を施すフルタイムの医療教育者が置かれました。これは、普段は患者を診ている医師が、自分の経験に基づいたおよそ科学的とはいいがたい教育を片手間に行っていた、かつての教育体制とは異なる新しい医師教育の形でした。この医学教育のモデルをつくったのが、先にも触れたフレクスナーによるレポートなのです。

【国家の介入】
 アメリカでは1910年から1930年代までの間、企業資本家が近代医学に基づくアメリカ医療の基礎を形作ってきました。これは、どれが正統な医療でどれがそうでないかを国家が決めてきた、日本を含めた他の多くの国と大きく異なる特徴でした。
 ただし、第二次世界大戦前後から、アメリカの医療にも国家が次第に介入してくるようになってきました。医療は健康な兵士を戦場に送るため、負傷した兵士を回復させるためのものとしての利用価値を、国家が認めるようになったからです。そこで連邦政府は、かつて医療において指導的であった財団の地位を奪いとって、医療を管理下におきました。
 しかし、それまでに培ってきた企業資本家に資する医療という形は既に強固に出来上がっており、今でもアメリカ医療は、病院、医学校、保険会社、製薬会社、医療材料会社、医療市場など資本主義の利益団体(中には非営利団体の顔をしているものもありますが)の手中にあるのです。

【おわりに】
 ブラウンのこの本が出た時、大きな物議をかもしたといいます。というのも、この本で書かれている内容は、偉大な医師の業績や医学の進歩を綴ったこれまでの「医療の正史」とあまりにもかけ離れていたからです。
 医療史のデイビッド・ロスマンは、大学病院や研究所で働く医学研究者は、自分たちの興味関心や威信に基づいて非人道的な実験的医療を行っていたが、町の開業医たちは、患者のために医療を行っていたという、やや穏健な立場をとっています。しかしブラウンは、開業医たちの職能集団であるアメリカ医師会も、患者の利益ではなく自らの利益、そして資本主義的利益を得るために、資本主義の権化であるロックフェラーやカーネギーの配下で暗躍していたことを暴露しました。    
 ブラウンに限らず今日の歴史学は、あらゆる人々の行為は社会、経済、政治、思想からの影響を受けていると考えるといいます。また、知識社会学や構築主義の視座においても、すべての社会的現象は、その世界を生きる人々によって構成されていると考えます。ブラウンが描いたアメリカ医療史の別の顔は、ブラウンが掘り起こした史料から明らかになった、資本主義と医療との親密さを見せてくれましたが、逆に言えばこれもまた、ブラウンという個人が、彼の集めた史料を元に、歴史学というレンズを通して見たひとつの側面に過ぎません。ですので、実際の「事実fact」、あるいは多くの人の信じている「現実reality」とまったく重なるとはいえないでしょう。それでもこの本は、今日のアメリカ医療を見てゆくとき、多くのことを教えてくれます。
 日本でも、医療の歴史を振り返り、為政者や権威者の書いた医療の「正史」とは異なる歴史について、社会的・経済的・思想的に分析する貴重な仕事が、例えば藤野豊や川上武らによってなされていますが、私自身もっと勉強してみたいと思いました。

【追記】
 まったくの余談ですが、20世紀初頭のロックフェラー財団のフレデリック・ゲイツのアメリカ医療のコントロール戦略は巧みで、医療における資本主義の勝利という成果を挙げてきましたが、21世紀初頭のマイクロソフトのビル・ゲイツは、自らの名を冠した財団を立ち上げて、世界の保健医療のために莫大な資金を投じています。財団資産は2008年の時点で350億ドルあまり(3兆5千万円)とか。そこで今、世界中の公衆衛生の専門家たちが、この資金を得るために躍起になっています。ハーバード・スカラーたちもご多分に漏れず、資金獲得合戦に参入しています。
 ロックフェラーが石油、カーネギーが鉄鋼の分野で富を得るためには、健康な頑丈なアメリカ人労働者が必要でした。ITで富を得るゲイツが必要なのは、健康でコンピューターを買えるお金と利用できる頭のある世界の人々ということなのでしょうか。ゲイツ財団の意図と効果は、後に歴史としてどのように評価されるのか、非常に興味深いところであります。

<参考文献>
Brown, Richard, 1979, Rockefeller Medicine Man: Medicine and Capitalism in America,
Berkeley, CA, University of California Press.
Starr, Paul, 1982, The Social Transformation of American Medicine, New York, Basic Books.
Rothman, 1991, David, Stranger at the Bedside: A History How Law and Bioethics Transformed
Medical Decision Making, New York, Basic Books.=酒井忠昭監訳『医療倫理の夜明け』晶文社
川上武、1973、医療と福祉:現代資本主義と人間、東京、勁草書房
川上武 2002、戦後日本病人史、農村漁村文化協会
藤野豊 2003、厚生省の誕生:医療はファシズムをいかに推進したか、京都、かもがわ出版

JAL破綻から見えてくるもの 

JALが破綻し、再建が進められている。関連会社を含め、2兆円の負債だとか。いくら国策会社とはいえ、あまりの放漫経営だったのではないだろうか。

JAL再建に伴い、年金の減額と、銀行の債権放棄が話題になっている。だが、1000億円以上の国庫からの支出、即ち、税金による負債の肩代わりも行われることになるらしい。

こうした酷い経営状況になった原因を是非突き詰めてもらいたいものだ。マスコミは、そうした点をこそ追及すべきなのではないか。OBの年金を減額するだけでは済まされない。

この点について、m3に興味深い発言があった。そのまま引用はできないが、JALには多くの関連会社があり、そこの経営の問題がある。そうした関連会社には官僚が多く天下っているから、潰せない、ということだ。(ここからは、私見だが・・・)赤字必至の地方空港を数多く作り、そこへの赤字路線をJALに運行させた責任は政治家にある。時の政権政党政治家は、こうした空港建設でキックバックを受け取っていたのだろう。ここでも政治家と官僚が、公的企業を私物化し、自らの利権をそこで貪っている図が見えてくる。

同じような構図が、高速道路公団とその関連会社、さらに医療機関と製薬会社にも見られると、そのm3発言者は言う。規模は小さくなるが、アマチュア無線連盟と、JARDやTSS等にも同じ構図があるのではないだろうか。こうした利権の構図が、国のどこかしこにもある。それを改革する人間がいない。少なくとも、今までのところ、民主党政権にもそれが期待できない。それが、日本の悲劇なのではないか。

マスコミには、こうした問題の実情を報道し、分析し、さらに追及する責務がある。が、マスコミも政治家と官僚の意図の代弁組織になってしまっている。このマスコミと、政治・官僚組織との癒着が酷いことを、最近上杉隆氏の著作を通して改めて知った。ジャーナリズムに身を置く、上杉氏のマスコミ批判発言は辛らつだ。マスコミが権力を監視する機能を放棄しているばかりか、積極的に権力の代弁者になり、国民を欺いているという実情がある。これが、さらなる悲劇になっている。

特別会計に、行政刷新を! 

事業仕分けの結果が、財務省主計局から報告された。「配布された資料」をクリックして、見ていただきたいのだが、一般会計の二倍はある、特別会計への切り込みが殆どなされていないことが分かる。特に、財務省関連の特殊法人は皆無だ。厚生労働省関連でも、労働保険特別会計は、既に記した通り毎年1から2兆円の余剰金を出しており、そのトータルは10数兆円に上ると言われている。こうした巨額な特別会計に無駄が無いのかどうか、最初から仕分け対象から外しているのは納得が行かない。

行政刷新会議の検討対象に医療介護が入るようだが、これ以上どこを刷新すべきと言うのだろうか。官僚の権益をこそ刷新すべきではないのか。

以下、引用~~~

規制改革] 行政刷新会議の下に、医療・介護分野など4つの分科会を設置
10/01/13
記事:WIC REPORT
提供:厚生政策情報センター

 内閣府が1月12日に開催した、行政刷新会議で配付された資料。この日は、事業仕分けの評価結果等の平成22年度予算案への反映状況(p3-p20参照)について議論された。

 財務省主計局は、平成21年11月に行われた事業仕分けの結果、予算編成で約1兆円の削減が実現したことを報告。公益法人・独立行政法人等の基金の国庫返納などによる歳入確保額は1兆269億円などとした上で、計3兆3082億円の予算見直しを実現し、その成果を22年度予算へ反映させることを説明した(p4参照)。資料では、事業仕分けの評価結果の反映状況がまとめられている(p21-p53参照)。

 またこの日は、同会議の下に、(1)環境・エネルギー(2)医療・介護(3)農業(4)雇用・人材-の4つの分野について、規制・制度改革に関する分科会を設置することが示された。これらの分野については、6月を目途に対処方針を取りまとめる見通しだ(p54参照)。




H1N1流行に絡む不祥事? 

今回のH1N1流行に際して、どうにも腑に落ちないことが幾つかあった。ワクチン接種がすべて当局の管理下で行なわれ、ワクチンの医療機関への納入価は季節性インフルエンザワクチンに較べて高騰、さらに使用しなかったワクチンも返却不可となったこと等々。また、WHOのH1N1対応に関しても、タミフルの積極的な使用を推奨していたのも妙に気になっていた。タミフルが。インフルエンザの致死的な経過に良い結果をもたらすという決定的な研究結果をまだ見たことがない。私の不勉強のせいかもしれないのだが、厚生労働省も、やたら「早期治療」を勧めていた。

このH1N1ワクチン製造で、世界の製薬企業の得た利益は、1兆円から1.5兆円と言われている。抗ウイルス薬市場の利益を含めると、莫大な利益が、製薬企業に転がり込んだことになるのだろう。

こうした不審点と、膨大な利益とが、互いに関連しているかもしれない、という指摘がなされている。先月上旬から欧米、特にヨーロッパでは問題視されていたようだが、わが国ではこの報道は今までなされていただろうか。わが国でも同様の問題が、企業と一部研究者・行政機関の間にはないのだろうか。


以下、asahi.comより引用~~~




WHO、製薬会社と癒着?新型インフルで欧州会議が調査2010年1月13日13時34分


 【ローマ=南島信也】世界保健機関(WHO)と新型インフルエンザのワクチンを製造する製薬会社との癒着が、世界的大流行(パンデミック)を宣言したWHOの判断に影響を与えたとの疑惑が浮上し、欧州47カ国が加盟する欧州会議(本部・仏ストラスブール)は12日、調査を開始すると発表した。

 同会議保健衛生委員会の委員長で、感染症を専門とするドイツ人医師ボーダルク氏が「虚偽のパンデミック」との動議を提起したことが発端。仏リュマニテ紙のインタビューに「こんな厳戒態勢をとる正当な理由がない。WHO内のあるグループは製薬会社と癒着している」と、不透明な関係の存在を指摘した。

 25日から始まる同会議総会で認められれば、主要議題の一つとして審議される。26日には、WHOの代表や製薬会社、専門家から非公開で事情を聴くことも決まっている。

 欧州各国では、接種率の低さからワクチンが大量に余り、売却や製薬会社との売買契約解除の動きが加速している。WHOが当初、「2回のワクチン接種が必要」とし、各国が実際に必要な量の2倍のワクチンを調達したことも背景にあり、WHOに対する批判が強まっている。

 WHOのチャイブ報道官は12日の記者会見で「批判や議論を歓迎する。WHOの対応を検証するのはやぶさかではない」と語り、外部の専門家らを交えて経緯を調査する考えを明らかにした。

新しい高齢者医療制度の素案 

厚生労働省が高齢者医療制度の素案を纏めた。65歳以上の高齢者は、国民健康保険に加入することになる。

ただし『現役世代とは別勘定。医療の実態にあわせ、応分の負担を求める。保険料率は都道府県単位で決める。』

ということは、後期高齢者医療制度の対象が65歳にまで引き下げられたのと同じことではないのだろうか。保険制度の対象が広げられたことは良いかもしれないが、それでも高齢者に変わりない。そもそも国保も破綻状態にある。

国民負担を増やすことを含めて、広範な議論をする必要がある・・・それにしても、後期高齢者医療制度を立ち上げた厚生労働省官僚以外に制度設計をしてもらいたいものだ。政治家は一体何をしているのだろうか。


以下、NIKKEI NETより引用~~~


高齢者医療、65歳以上は国保に加入 厚労省が新制度素案
 厚生労働省は、65~74歳と75歳以上を区分した現行制度に代わる新しい高齢者医療制度の素案をまとめた。65歳以上は原則として、自営業者や無職の人が加入する国民健康保険(国保)に加入する。ただ、現役世代とは別勘定とし、医療の実態にあわせ、応分の負担を求める。保険料率は都道府県単位で決める。2013年度の創設を目指すが、負担の調整で曲折も予想される。

 現行制度では高齢者を65~74歳の「前期」と75歳以上の「後期」に分けている。74歳までは市町村単位で運営する国保や企業の健康保険組合など現役世代と同じ保険に加入。75歳以上は別枠の後期高齢者医療制度に加入、医療給付費の1割を負担する。 (07:00)

寒波 

北関東は、現在小雨が降っている。寒い。今夕には雪になるという予報も出ていた。

先日、夜遅くリビングに行ったら、仲の良い愛ちゃん(左)、すずめちゃん(右)がソファーの上で、文字通り抱き合って寝ていた。老猫にとって寒さの堪える日々が続く。

IMG_1196-1.jpg

職場の昼休み、フォーレの「パヴァーヌ」を聴きながら・・・。

Mike W7LPV 人生半ばで哲学を志す 

Mike W7LPVのことは何度もここで記してきた。昨年暮に、私達のトリオの練習の録音をお送りしてから、以前よりもより頻繁に呼んでくれるようになった。

今朝も、出勤前の14メガで、彼が元気な信号を聞かせてくれた。共通の友人 Tony W4FOAのこと、その奥様のこと等を伺った。

彼と会うと、無線の話か、音楽の話に決まっているので、あまり外に出ることは無いのかと尋ねた。ゴルフなんかをしないのか、と。ゴルフは退屈だ、その代わり毎日外を歩いているとのことだった。私も、ゴルフコースには除草剤がごっそり撒かれているし、やる気はしないと申し上げた。

私の次男が、今春大学を卒業する、大学では哲学の勉強を主にしたらしいと言うと、それに反応してきた。彼は、ジョージア工科大学で英語の勉強をした後、某大手企業で16年間仕事をしたらしい。オーストラリアや南アフリカ等、世界中を仕事で駆け巡っていた。しかし、そこを首になってから、「人は何を知ることができるのか」「どのように知ることができるのか」を知りたくなって、アリゾナ州立大学の大学院に入り、哲学を専攻した・・・30歳代後半だったことだろう・・・とのことだった。その間、奥様が生活を支えてくれた。彼が学位を取ると、代わりに奥様が大学院に入学。マーケット理論で学位を取った、とのことだった。

30歳代後半で、哲学の勉強をする。米国人はしばしば社会人になってから大学院に進むことを知っているが、こうした生き方は、Mikeならではのことなのだろう。どのような思いで、哲学を志したのだろう。哲学を勉強してもお金にはならなかったが、と言って、Mikeは笑っていた。

昨年のクリスマスに奥様がiPodを贈り物にくれたので、自分の演奏するピアノを入れて聴いているらしい。私達の拙い演奏も入れて聴くと仰っていたので、それだけは止めてくれとお願いした。では、全楽章の演奏が出来上がったら、録音を送って欲しい、それを入れるから、と彼に言われた・・・さて、頑張らねば・・・あと二週間で本番。

Mikeは、もう70歳だが、彼との交信では何時も新しいことをinspireされる。無線は、捨てたものではない。

福島県の救急搬送ルール 

福島県病院局は、県立大野病院産婦人科産婦死亡症例の「事故」報告書を正式に撤回したのだろうか。その報告書が元になって、主治医加藤医師が逮捕起訴された。加藤医師は、刑事告訴されたが、無罪が確定している。当時の病院局官僚には、その加藤医師へ正式に謝罪する義務があるだけではなく、報告書を撤回すべき責任がある。

で、救急搬送ルールを検討する会合が、その福島で開かれると、下記の報道のような議論になる。

受け入れ困難とすべきところを、毎日新聞は相変わらず「たらい回し」としている。いい加減に言葉を正確に使え・・・毎日新聞記者は、正確な語彙を使えないのか?大体において、最初の照会で、85%もの救急患者が搬送できているとしたら、現在の貧弱な救急体制では良くやっていると、現場を褒めるべきなのではないだろうか?

「受け入れの可否が当直医師の熱意次第になっている」とは、誰が言ったものだろうか。当直医は、規定によれば、主に入院患者の急変に対応すべきもので、救急搬送を積極的に受け入れるのは仕事の範囲外のことなのだ。当直医は、睡眠をある程度取ることができ、翌日の仕事に支障のないような必要最小限の仕事をこなす、これが厚生労働省の規定だ。熱意が如何にあろうとも、それ以上の労働をしてはならない。それを公然と破れと言うのだろうか。そうした発言をする人間が、救急搬送を検討する会議のメンバーになっている。これは福島県だからなのか。

「罰則も含めたルールを検討すべきだ」とは、こうした貧弱な救急体制を維持し続けている、県病院局の担当者を罰するという意味なのだろうか。是非、強制力を行政に及ぼし、こうした貧弱な救急体制を改善してもらいたいものだ。救急搬送が上手くいかないことがあるのを、現場の責任にしようとする者にこそ、罰則が与えられるべきだ。

以下、引用~~~

救急搬送ルール策定へ 福島県が受入協議会の初会合
10/01/08
記事:毎日新聞社
提供:毎日新聞社

救急搬送:ルール策定へ 県が受入協議会の初会合 /福島

 救急搬送患者のたらい回しを防ごうと県は7日、「県傷病者搬送受入協議会」を設置し、初会合を開いた。10月までに、搬送先の医療機関選定のルールや、病気・けがの種類に応じた受け入れ機関のリスト、救急隊が患者の状態を把握するためのマニュアルなどを策定する。

 県のまとめでは、08年の重症患者の救急搬送で、最初の照会で受け入れ先が決まったのは84・7%にとどまり、17回拒否されたケースもあった。断った理由は「処置困難」が32・1%で最も多く、専門外20・7%、手術中・患者対応中16・5%と続いた。

 昨年10月施行の改正消防法は、都道府県ごとの搬送ルール策定を求めている。県の協議会は医師会や病院協会、消防長会などの代表18人で構成。併せて▽県北▽県中・県南▽会津▽相双・いわきに地域検討会を設置し、地域別のルールも定める。

 初会合では、「受け入れの可否が当直医師の熱意次第になっている」「罰則も含めたルールを検討すべきだ」「近隣県との連携が必要」などの意見が出た。田勢長一郎会長(県立医大救命救急センター部長)は「広く意見を聞き、できるだけ早く実効性の高いルール作りを進めたい」と話した。【関雄輔】

湯津上温泉 

そういえば、この2,3週間まともな休日がなかったなと思い、昨日の午後、湯津上温泉に出かけることにした。栃木県を南北に縦断するのに近い走行。

到着は午後4時近く。陽は既に傾いていた。

DSC_0037-1.jpg

温泉の建物から北東方面の眺め。露天風呂からは、この景色が目に入る。

DSC_0042-1.jpg

ここに出かけた理由の一つは、那須岳の勇壮な眺めをカメラに収めることだったが・・・残念ながら、雪雲に隠れてしまっていた。本来ならば、牧場の牧草地の向こうに、同岳が見える。

DSC_0044-1.jpg

この温泉は、例の「ふるさと創生基金」で出来たものだと思うが、農協や、農村改善センター(これが、とても立派!!)等とともに、なだらかな丘陵の尾根に建てられている。画像奥の白い建物。一番利用客が多いはずの時間帯だが、それほど混雑していない。昔、近場のこうした温泉場を幾つも巡り歩いたが、ここは、施設・温泉のお湯の質・眺望などの点で、一、二を争う「名湯」(私の基準で・・・)。

DSC_0039-1.jpg

殆ど暗くなった田舎道をせっせと走って帰宅。県北で陽が暮れると、結構大きな道でも対向車に殆どお目にかからない・・・過疎化しているのか。

年金のお話・・・恥ずかしながら自験例 

これまで年金には殆ど関心がなかったが、還暦を迎え、年金受給資格申請を行い、否応なく年金が視野に入ってきた。

個人情報を晒すことになるので、詳細は記せないが、私の年金受給に関する条件は

加入期間;30年+α

年金の種類;私学共済 9年間
      厚生年金 その後
      厚生年金基金 5年間程

受給総額;133万/年+基礎年金     
     但し、65歳まで働き続けた場合、65歳から受給する額
     
     基礎年金は、恐らく50から60万円/年。これを算定し忘れていた・・・。それにしても悠々自適には程遠い(6日加筆)。厚生年金部分を間違えており、再訂正。さらに、この受給額は、65歳まで働き続けた場合のもの(6日加筆)。
   
私の年金加入期間が短いことが、大きな理由だろうが、それにしても少ない。特に、当初、私立大学で研修し、その後もスタッフとして務めた期間に対する、私学共済の額は、驚くほど少ない・・・薄給だっただけかもしれないが 苦笑。

私の支払ってきた年金掛け金が、自分よりも上の世代を支えるために用いられてきたのは知っていた。しかし、それだけではなく、様々な箱物や、年金関連の特殊法人の天下り官僚の退職金等に浪費されてきたのも事実。

一方で、徐々に廃止される予定とはいえ、国会議員は、10年勤続で年額400万円を年金として受け取る(多額の国家からの助成がある)。さらに、公務員の共済年金が、少なくともこれまで極めて恵まれてきた。この不公平感は拭えない。

自分の老後は、自分で守らなければならない。その覚悟は出来ている。これは、医師という職種だけの問題ではないこともよく分かっている。

が、様々な異なる医療機関で仕事をし、年金が細切れになっている医師達、または極めて少ない給料で研究生活を送っている医師達の老後が、これではとても心配だ。医師は高給取りというプロパガンダを繰り返す、財務省と、そのお先棒担ぎのマスコミには反吐がでる。生涯収入という観点から、もう一度、医師という職種の収入を見直さなければならない。

でないと、医師の成り手がいなくなる、または地域医療をまともに支えようという若い医師がいなくなるのではなかろうか。中高年の医師諸兄姉には、老後の生活設計を早めに始めておくことをお勧めしたい。

行政の得意手法、「認定・補助金」 

厚生労働省は、各地の小児専門病院・大学病院を「小児救命救急センター」に認定し、「補助金」を賜わる由。

認定し、補助金を出す。この手法が、まだまだ健在なわけだ。

こうした医療機関の経営が成立するような診療報酬にしないのか。「何とかセンターと認定し、補助金を出す」という作業に、行政の裁量権が生まれ、そこに行政に旨みが出るのだ。経営が厳しいこのような医療機関は、認定を受け、補助金を得るために、行政の言いなりになるのだろう。

各県に一つセンターを「認める」として、せいぜい数百万円の「補助金」で一体何ができると言うのか。それも今年一回限りの予算だ。

その内、センターに認定された医療機関で、(人手が足りなくて)、救急患者を断ったとして、マスコミが騒ぐ・・・どこかで聞いた・見た構図だ・・・。それでも、センターに認定されたがるのか、各小児医療機関よ。


以下引用~~~

「小児救命救急センター」を認定へ―厚労省

 厚生労働省は来年度、小児の救急医療を担う小児専門病院や大学病院などの中核病院を「小児救命救急センター」(仮称)と新たに認定し、その運営に対する補助金を設ける。PICU(小児集中治療室)の整備や専門医師の研修経費への補助金と合わせて、来年度予算案に3億900万円を計上している。

 同省の「重篤な小児患者に対する救急医療体制の検討会」が昨年7月に提示した中間取りまとめを受けたもの。中間取りまとめでは、「小児専門病院で救命救急医療を積極的に進めるべき」「小児専門病院のない地域では、大学病院などの中核病院が担うことが望まれる」などと強調。

 また、小児の集中治療に習熟した小児科医が100人に満たない現状を指摘していた。これを受けて、3億900万円のうち1200万円をPICUの専門医師の研修経費への補助に充てる。

 このほか、NICU(新生児集中治療室)などに長期入院している小児の在宅への移行促進も新たに実施。これに1億1300万円を計上している。内訳は、NICUやGCU(回復期治療室)などに長期入院している小児が在宅に移行するための訓練を行う「地域療育支援施設」(仮称)の運営費への補助金として6300万円、在宅に戻った小児が重症化した場合などに一時的に受け入れる病院向けの補助金として5000万円。

更新:2010/01/04 21:10   キャリアブレイン

コーヒー一杯分の医療・・・ 

この4月の診療報酬改訂で、診療所の再診料が1割前後下げられるそうだ。病院の窮状を救うため、病院の再診料を上げるそうだ。医療費全体の2割程度しか費やされていない診療所の医療費を下げることで、財源がどれだけ病院に回せるというのだろうか。

再診料は、これで650円(本人負担は、3割負担で200円弱)になるらしい。これに複雑な指導料とか、処方箋料がつくのだが、基本的な医師の技術料は、コーヒー一杯のコストである。実際の収入減少はもとより、技術料が如何に低く見られているか、怒りを通り越して、何か脱力する思いだ。

一方で、様々な特殊法人のからむ特別会計の多くには、手が付けられていない。労働保険特別会計では、毎年1から2兆円の黒字が出ているようだ。例の「事業仕分け」では、こうした特別会計、特殊法人には、殆ど切り込まれていない。「事業仕分け」を計画実行した財務省は、最初からそうする積りだったわけだ。

下記の血液内科の医師がDPCという包括支払いの制度と格闘している様子が、我々にはよく理解できる。医療費を削減することは、結局、そのコストに見合った医療しか国民に提供できないことを意味する。その一方では、官僚の既得権益は温存され、むしろ拡大している気配すらある。

外来で患者さんの親御さんに尋ねてみたいものだ・・・コーヒー一杯の費用の医療を受けたいか、と。



以下、MRICより引用~~~

診断群分類との格闘」
~DPC対応クリティカルパスが生まれるまで~

帝京大学ちば総合医療センター
血液内科教授 小松恒彦

2010年1月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
------------------------------------------------------------------------------------
●はじめに
2003年に診断群分類(Diagnosis Procedure Combination: DPC)に基づく包括医療費支払い制度が特定機能病院で開始された。その後DPC対象病院は増加の一途を辿り、2009年にはとうとう全一般病床の50%に達した。
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/05/dl/s0509-3g.pdf
当初は一部の高度特定機能病院を対象として始まったが、今や様々な規模や機能の病院(病床)が対象となり、しかも出来高算定病院との棲み分けも不明瞭である。筆者の個人的な感想だが、敢えて制度を難解にすることは既得権擁護とすら感じてしまう。しかしそのような大きなテーマはさておき、一医師としてDPC制度との格闘の歴史を振り返ってみたい。

●血液内科は不要なのか?
筆者が初めてDPCでの請求レセプトを見た時の印象である。
2004年7月、当時勤務していた茨城県のT病院がDPC試行病院となった。多くの臨床医がそうであるように、私も医療に関わる制度や医療にはあまり関心がなかった。T病院の理事長先生は太っ腹で、「どうなるか解らんから、とりあえず2ヶ月は今まで通りやってよい」とのお言葉だったので、当時使用していたクリティカルパス(以下パス、作成者は自分)通り、一応の「計画医療」を行った。
そして8月、先月分の出来高、DPC両方のレセプトを見て目を疑った。殆どの患者で出来高に比べ収入が減少しており、1ヶ月分で約300万円の減収であった。当時は1人医長で負担は大きかったが、血液内科は収入が高額なことが大きな支えであった。それが瓦解したのである。これでは何もしないで酒でも飲んでる方がマシである。
これが、筆者がDPCに深入りすることになったきっかけである。その過程でDPCとパスが極めて親和性が高いことにも気づいていった。

●具体的な収支
血液がんで頻度の多い「悪性リンパ腫(括弧内は略号、ICD-10コード)」について検討してみる。
例えば、「びまん性大細胞型B細胞性リンパ腫(DLBCL、C833)」に対する標準的抗がん剤治療である「R-CHOP(R:リツキシマブ+C:シクロフォスファミド+H:アドリアマイシン+O:ビンクリスチン+P:プレドニゾロン)療法」と、「末梢性T細胞性リンパ腫(PTCL、C844)」に対する「CHOP療法」を入院治療するケースを比較してみよう。
2004年4月版のDPC点数早見表(医学通信社、2004年7月発行)で非ホジキンリンパ腫の樹形図(130030)をみる。
まず「手術」の有無で分岐がある。おそらく多くの血液専門医は「手術ってなに?」と思うであろう。ここでの手術とは、A)リンパ節摘出術、B)胃切除術・脾摘出術・自家造血幹細胞移植・臍帯血移植、C)同種骨髄移植・同種末梢血幹細胞移植、が挙げられる。
多くの医師はこの時点で既に違和感を感じるであろう。これらの手術ごとに点数と対象日数が異なり、さらに同種移植でも臍帯血移植は包括で、末梢血・骨髄移植は出来高算定となる。
ここで「でも今回は手術なしだから」と気を取り直して「手術なし」をみる。しかし次にも「手術・処置等2」という分岐がある。これに該当するのが、中心静脈栄養、人工呼吸、放射線療法、血漿交換療法、インターフェロン、化学療法、リツキシマブである。この内前三者が「01」、後者が「02」に分類される。
さらに副傷病(感染症や出血などの合併症)の有無で分岐し最終的なDPCコードが決定される。副傷病まで及ぶと読者が興味を失うのでそこは省く。
ここでの最大の問題は「化学療法」と「リツキシマブ」が同じ範疇にあることである。即ち、DLBCLに対しR-CHOP療法を行う場合とPTCLに対しCHOP療法を行う場合の点数(病院の収入)が変わらないことである。
R-CHOP療法およびCHOP療法に必要な薬剤費を現在の公示薬価で計算(体表面積1.7m2とする)すると、R-CHOP療法は332,959円(R: 298,181円+C: 2,669円+H: 22,480円+O: 6,999円+P: 1,000円+その他: 1,630円)、CHOP療法は34,778円と、約10倍の開きがある。
1泊2日入院とすると医療機関の収入は144,260円なので、R-CHOP療法では188,699円の赤字(コスト率230%)、CHOP療法では109,482円の黒字(コスト率24%)となる。
実際はさらに検査費や人件費を考慮しなくてはいけない。人件費を55%としhttp://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/igyou/igyoukeiei/anteika1801.pdf
仮に許容される薬剤費率を40%とすると、抗がん剤以外何も使用しないという条件下では、R-CHOP療法では17日、CHOP療法では2日の入院日数が必要となる。
非ホジキンリンパ腫という同一の範疇に含まれる疾患に対する標準療法にも関わらず、薬剤費のため必要な入院日数に大きな差異が生じる。悪性リンパ腫に限らないが、がん化学療法での「1泊2日」入院は広く行われており、これが大赤字の原因の1つであった。
原因は判明したが、果たして医師として「貴方はDLBCLだから17日入院してね」とか「貴方はPTCLだから2日でいいよ」と説明できるだろうか?
おそらく日本中で同様の問題が噴出したのであろう。2005年7月から、非ホジキンリンパ腫でリツキシマブを使用した場合は出来高算定(Rだけではなく、当該入院期間全ての医療費が対象)されることとなった。一瞬安堵したものの、よく考えてみると「こんな重要なことが考慮されていなかったのか」である。
確かに医師(特に勤務医)は、医療費や薬剤費のことなど殆ど考えたことはなかった。その非は確かに責められるべきである。しかし、ここまで複雑では「制度を研究する(?)」という本末転倒な作業が必要となる。研究というのは未知の物事を知るための作業であって、人間が作った制度を対象とするものではないであろう。だが役所的には、「試行」に自ら手を上げて参加したのだから文句はいうな、である。この変更は一片の通達で示され、しかも「次期改訂に見直す」とある。
詳細は省くが、他の疾患や造血幹細胞移植でも同様の困難が生じていた。
当時の筆者は健気にも「必要な医療を提供するためには、臨床医の視点でDPCを熟知しなければいけない」との結論に達した。筆者は1999年頃より血液領域におけるパスの作成を積み重ね、造血幹細胞移植も含め既に約40種類のパスを使用していた。それらの全てに樹形図毎の点数と薬剤費・検査費を入力し、形式を一定とした全面改訂を開始した。また薬剤費も体表面積から自動的に計算される関数を挿入した。これらのパスは誰でもダウンロード可能としてある。
http://public.me.com/komatune
※薬剤費やDPC点数が全て最新版ではなく病院毎の実情も異なるので、使用は各人の責任でお願いいたします。

●2年毎の改訂への対応
このように地道な計算を積み重ね、やっと収支が改善したのもつかの間、2006年度の改訂が行われた。
「診療報酬改訂」の2008年度は0.82%減、2010年度は0.19%増、が話題になっている。DPC点数の改訂はそのような生ぬるい変化ではない。平気で数十パーセントの変更があり、かつ、DPCと出来高の間の変更も珍しくないのである。
しかもその過程はブラックボックス。不思議なことにメディアは一部の専門誌を除き、全く触れていない。
率直に言えば包括医療制度とは、如何に低コストで同等の成果(アウトカム)を得られるか、がポイントである。しかし一般にはコストを下げれば質も下がる、というのは普遍的な常識だ。介護保険との連携の難しさとも相まって、この頃からがん難民、未承認薬、適応外使用などの問題がクローズアップされてきた。
筆者は包括医療に反対ではなく、むしろ賛成している。なぜなら、「医療は人もお金も有限でありそれを現状として踏まえるべきである」、というのが1つ、もう1つは「包括医療ならば、例え困難でも低コストで同じアウトカムを達成できれば病院の収益増となる」ことだ。給料は増えないだろうが、医療の質向上に使える資金を産み出せることは極めて有用だと考えている。しかしこの「大改訂」はそれらの地道な努力では到底吸収不能である。
しかし実はそこに医療費を減らすため「外来化学療法」という大きな伏線が貼られていた。
・・・続く・・・

CWopsニュースリリース 

CWopsのニュースリリース。本格的に始動。

以下、転記歓迎~~~

New Club for Morse Code Enthusiasts

A new club has been formed among Amateur Radio operators who are Morse Code (CW) enthusiasts. It is called The CW Operators? Club (CWops). CWops encourages the use of CW in Amateur communications, and it promotes goodwill among Amateurs around the world by planned CW activities.
CWops is international in scope, membership and management. Its focus is the use of CW, whether for contesting, DXing or ragchewing. Moreover, it promotes every form of sending -- if it's CW, CWops supports it!
For further information, go to www.cwops.org. There you will find everything that you might want to know about CWops, including our bylaws and articles of incorporation, our planned activities, an explanation of how to become a member, and a list of current members.

Jim Talens, N3JT
Secretary, CWops

~~~

ところで、今日の救急診療所当番終了。自分の仕事場に戻り、2名程急患対応。何か、ようやく新年を迎えた感じ 笑。

二次・三次の救急医療機関では、救急担当医にとって眠れぬ日々が続いていることだろう。若い医師諸兄姉が倒れないことを祈るばかり。

私も、明日からまた仕事だ・・・。

週末の夕食 その19 

大晦日に思い立って作った「昆布巻き」。具は、鮭とごぼう・人参。鮭は、もう少し太く切った方が良かったかもしれない。出来合いの昆布巻きとは段違いに旨い・・・自分で言うのもなんだが・・・次回までに、さらに修行を積もう。

IMG_1191-1.jpg

元旦のメニューは、ちらし寿司。しいたけの味が滲みた具が秀逸な味を愉しませてくれる。

IMG_1194-1.jpg

今年は、ありふれたメニューで腕を磨くこと・・・何せ、基本を知らないので、とんだ失敗をしでかす・・・。

頌春 

                   頌春

この新しい一年、どのような年になることだろう。

仕事に関して、規模の縮小を引き続き続けること。出来れば、
第三者への継承の筋道をつけたい。

医療の現状は、引き続き、財務省官僚の目指す方向に進んで
いる。政治家に理念と能力が欠ける。各省庁の施策各々の総
和が、国家を良い方向に導くというのは、遠い過去のこと。
現在は、それが国家破綻へ導きつつある。今後とも、様々な
事象を注視し、小さな声に過ぎないが、発言をして行きたい。

趣味については、身の程を弁えつつ、愉しんで行きたい。チ
ェロは、もう一頑張りと思うが、そろそろ院長室チェリスト
に戻るべきなか・・・。無線には余り耽溺することなく、仲
間との交流を大切にして行きたい。CWopsが無事軌道に乗るよ
うに。

人生は、一つの旅。ものごとに拘泥したり、立ち止まったり
せずに、自らの道を歩んで行きたい。

この一年が、皆様にとって健康に恵まれた、充実した一年に
なることを祈念しつつ・・・。

(下の画像は、朝もやのなかの筑波山。昨年暮れ、通勤途上
撮影した。)

DSC_0031-2.jpg