週末の夕食 その19 

昨日の献立。週末ではないのだが。

まぐろとアヴォガドのサラダ。少し脂身が多い。若い人向きだろうか。盛り付け方が失敗。

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さつま揚げと野菜の煮物。これは結構簡単で美味しい。

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今日も、仕事・・・それほど沢山ではないが、やはり休日は、数名の方から呼ばれる。

過日、大学時代の後輩(大学のスタッフになっている)と話しをしていて、彼が休暇に家族で旅行したという話を聞いて、少し切なくなる 苦笑。私の仕事の仕方、休みの取り方が間違っていたのかもしれないが、家族旅行等というものは、かって一度も行ったことがない。実際上出来なかった。それで仕方がなかった、それでよかったという気持ちがある一方、かすかに後悔の念が湧いてくる。

8月には米国のRenoで、FOC WEST COAST DINNERが開催されるから来たらと先日Bob W6CYXに誘われたが、恐らく無理と即座に答えた。

ま、こんなものでしょ。開業医たるもの・・・。

「メディカル ツーリズム」 

「メディカル ツーリズム」を、国の成長戦略として取り上げようという動きが盛んだ。わが国の優れた医療と、観光を外国の富裕層に売り込み、同時に利用し、愉しんでもらおう、それによって国の経済的な成長を実現しようということなのだろう。

「メディカル ツーリズム」では、観光はお添えものであって、本体は医療になる。医療を外国に受けに行くモチベーションは、どのような医療内容かによって変わるかもしれないが、基本は、「コストが比較的安く、技術・医療内容が優れている」ことだろう。

日本の医療は、現状コストが極めて低廉だ。が、為替上のメリットは、外国からやって来る方には少ない。いきおい、対象は、外国の富裕層だけになる。「メディカル ツーリズム」の受け入れ医療機関は、大きな収益を目指す、大企業関連または既存の大規模医療機関になる。収益を大きく上げるためには、当然自費診療にした上で、高コストを目指すことになるのだろう。

いわば、富裕層と高度医療の医療機関との間の結びつきが、国境を越えてグローバル化するのだ。それだけであれば、我々には大きな影響はなさそうに見える。

が、現実問題として、アジア諸国等で行われている「メディカル ツーリズム」には様々な問題が生じていることが報告されている。臓器移植にまつわる倫理的な問題、似非医療の問題、医療過誤・医療事故に伴う法的な問題、さらに開発途上国の医療リソースが奪われることによる当該国国民の医療の劣化、等だ。

日本で「メディカル ツーリズム」が行われた場合に、どのような問題が生じるだろうか。高度医療が、自費診療とされ、それが一般国民の診療にも波及することは十分予想される。実際、財務省、さらに厚生労働省の諮問会議等によって、高度医療の選択肢が増えるメリットを謳う一方、隠すかのように小さな項目として、自費診療を導入し、公的医療費を削減する方針が繰り返し述べられている。

現状では、まともな医療を行えぬほどに、医療経済が窮乏化されていることは事実だが、「メディカル ツーリズム」導入にかこつけて、国民への医療が、富裕層向けとそうでない層向けに二分され、後者が現状よりも窮乏化されることになる。それで良いのだろうか。

医療は、本質的に社会主義的な視点が必要な社会インフラだ。基本的に、病者は社会的な弱者であることを忘れるべきではない。「メディカル ツーリズム」というオブラートに包んで、医療を利潤追求だけの制度にすることには賛成しかねる。「メディカル ツーリズム」という言葉自体に何か胡散臭さを感じる。


以下、引用~~~

「医療ビザ」の新設検討 アジアの富裕層を治療 政府、成長戦略に反映
10/04/27
記事:共同通信社
提供:共同通信社

 政府は26日、日本で長期治療を希望する外国人のため、「医療滞在ビザ」を新設する方向で検討に入った。日本に長期間滞在し、高水準の医療を受ける中国やアジア地域などの富裕層を増やし、医療ビジネスの拡大につなげる。6月にも閣議決定する成長戦略に反映させる考えだ。

 国家戦略室が26日に実施した成長戦略をめぐる意見聴取で、外務省と厚生労働省が医療ビザの創設に前向きな考えを示した。内閣府の津村啓介政務官(国家戦略室担当)は「医療は成長戦略の大きなテーマだ。医療ビザ創設を成長戦略に盛り込みたい」と述べた。

 現行制度では、日本で治療を受ける外国人は最長90日間滞在できる観光用などの短期ビザで入国している。長期入院する場合は滞在期間の延長手続きが必要になる。延長が認められないケースもあり、外国人が日本で治療を受けるのをためらう要因になっているとされる。

 津村政務官は、治療を受ける外国人が滞在を延長する手続きを簡素化したり、現行制度よりも滞在期間を長くする形で医療ビザを設ける考えを示した。具体策は外務、法務、厚労省などで検討を急ぐ。

 政府は、成長戦略の重点分野の一つに医療を挙げている。厚労省は海外の医療保険を、日本の医療機関で利用できるようにすることも提案している。

音楽と等価のCW Rod K5BGB 

CWを、音楽であるかのように語るハムがいる。君のCWは、音楽そのものだとか、美しい音楽のようだとか言う。

CWというマイナーな趣味を持つ人々のなかでも、そのようにCWを感じるのは、またごく一部の方になってきた。

私にとって、音楽のように響くCWとは・・・

短長点のriseとfallの切れが良いのに角張らない、コードの各々に微妙な変化、それも一定の変化がある(バグキーや縦振れの場合)、文字間は一定の間であるが、単語間隔は、絶妙の間隔・・・その間隔であることがアプリオリに決まっているかのような間がある、その間は文脈によっても変化する・・・

そうした信号が、電離層反射に際して生じる、フェーディングや、符号のshapeの微妙な変化によって、独特の味付けをされて、こちらの耳に届く。その時だけしか耳にすることの出来ぬ信号。

といった風に表現できるだろうか。

アマチュア無線では、CWのそうした特質を味わい、愉しむ文化があった・・・が、どうもこれもCWの衰退とともに、歴史的なものになりつつある。

これまで音楽的な美しいCWの送り手であり、CWのデリケートな美しさを理解する方に沢山お目にかかってきたが、多くは既にもうこの世にはいらっしゃらない。

数少なくなった、そうしたCW文化の担い手の筆頭に挙げるとしたら、Rod K5BGBが最右翼だ。過去3回ほど、このブログでも彼のことを記したが、この所、彼のアンテナがグレードアップされたことと、同じCWopsというクラブに入ったことにより、何度かお目にかかることができるようになった。10数年のブランクの後に。

彼のCWの美しさは・・・と、言葉で表そうとしたが、陳腐な形容になってしまうので止めておく。いつか、CONDXがよく、彼の信号がかってのように強く入感するときに、録音しファイル化しておきたいものだ。1980年代、VK4BQLや、VK3IMを交えて、太平洋を挟んで、大きなラウンドテーブルを囲んだものだ。彼のオペレーション、CWの送信のスタイルは、ディレッタンティズムと紙一重だったかもしれないが、聴き手をしびれさせるに十分なものだった。

Rodから送られてきた、彼のセットアップ近影・・・

リグは、K2にTHPのアンプ。なんともシンプル。アンプをかませると、出力45W。しかし、普段は、K2のみで運用しているらしい。5Wの世界は、無線を始めた頃を思い起こさせ、面白いのだ、とのこと。

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アンテナは、上記の通り6.5m高のダブルエクステンディッドツェップ。片側のエレメントが、ジグザグに取り回されている由。

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安達太良高原 

昨日午後、息子に会うために、東北道を一路北上。少し時間があったので、安達太良高原から、吾妻山系の麓まで車を走らせた。当ても無く、カーナビ頼りに走りぬいただけなので、詳細な地名・山名は不詳。きままなドライブだ。

安達太良高原は、広大な高原で、観光地化もあまりされていない。日曜日なのに出会う車が少ない。高原の上の方では、低い松の林が見られた。

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安達太良山は遠景ではなだらかな裾野の広がる雄大な山だが、その裾野が何時までも続き、主峰にまで迫ることはできなかった。峠を一つ越えた稜線から、遠くに安達太良山と思われる山を望む。

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より近づいた景色。ここはかなり高い稜線上。車が一台も通らない。スキーも終わり、新緑を愛でるにはまだ早すぎるのだろうか。陽が傾き始め、万一陽が暮れるとともに道路が凍結したらと考え、帰路を急いだ。

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磐梯山・猪苗代の方角なのだが、山の名前は分からず。周囲は、雪が数十cmの深さで残っていた。

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その後、土湯温泉に抜けて無事下界に戻ってこられた。

ドライブ中のBGMは、載せっぱなしにしている、ブラームスのピアノトリオ、1,2番。デュメイ、ワン、ピレシュの演奏。アゴーギクを大きくとっているのに、ぴったりと合っている。恰も呼吸するかのように、フレーズに僅かな緩急をつけて演奏している。こころ揺さぶられる心地がする。

後2週間すると、2番のトリオの4楽章初合わせ。自分のお尻に火をつけなくては・・・。

その後、息子と夕食を一緒にとった。毎日が精一杯らしいが、元気そうだ。スーパーで食材を買ってやり、そこで別れた。東北道を多くの車に挟まれながら南下。午後10時近くに無事自宅着。

民主党政権の終焉 

事業仕分け第2弾が、始まるらしい。今回は、独法を対象とし、特別会計に切り込むという触れ込みだった。

この事業仕分け第1弾で、これが一種のショーであることはよく分かった。でも、官僚の支配構造に政治が切り込むのではないかという一縷の望みを、第2弾にかけていた。

しかし、第2弾の仕分け対象中、財務省関連の独法がたった一つ。公園何とかという組織だけだ。

財務省が、国家財政の利権を握っており、その配下の独法こそが、官僚の支配構造そのものだ。しかし、そこには殆ど手をつけていない。

第1弾もそうだったが、第2弾も財務省のシナリオに沿って行なう、政治ショーであることが、結果を見ないでも分かる。

官僚支配構造にメスを入れられない民主党政権の先は、もう見えた。国家として立ち行かなくなるか、それとも国民が選挙で否を言うか、いずれが先か、ということだ。

厚生労働省職員、箸の上げ下げを指導される? 

医療現場は、行政からの指導、命令でがんじがらめになっている。

医療現場の人間を性悪説で捉えているかのようだ。カルテの書き方からして、指導の欄には必ず自筆で個別の事項を記すことが求められる。慢性疾患であると、指導事項が毎回異なるなんていうことはないのに、だ。さらに、その指導の記載は、「3行以上」書くことと行政から医療機関への個別指導で「指導」されるらしい。書き出したら、枚挙に暇が無い。

さらに悪いことに、こうした行政の指導方針が、ころころ変わることだ。さらに、その変更を行なう時間的な余裕が現場に殆ど与えられないことが度々ある。

例を思いつくままに・・・

つい数年前まで、小児科では2週間以上処方することは、例外を除いて不可能だった。が、最近は、3週間以上の長期処方にどんどん誘導されている。短期間処方をしていると、必然的に個別のレセプト点数が上がり、個別指導という行政の「嫌がらせ」指導が待っている。

数年前、主たるものの診断名が分かるようにレセプトに記載することという新たな命令が下ったが、それを行なう時間は、2、3日間だけだった。夜遅くまでかかって、主病名を入力する作業に追われたことだった。

昨年秋のH1N1インフルエンザ予防接種の必要数を行政に上げる時間的余裕も、実質僅か3,4日だった。その指示を得てから、事務の一人がかかりきりになり、数百名の予約患者に電話をかけまくった・・・その結果、こちらが所望した数は行政からは来なかった・・・その上に、ワクチンが配布されるのが遅れ、また接種の優先順位(これが振り返ると、正しくない優先順位だったのだが)が事細かに行政により設定されたため、スムースに予約どおりに接種を進めることはできず、結果として、多数のワクチンがデッドストック化した・・・医療機関の持ち出しになる。行政は、この責任を取らない。

書き出すとキリがないので止めておく。医療機関は、正に「箸の上げ下ろし」まで行政によって指導され、それに少しでも従わないと大きなペナルティを負わせられる。医療は人命に拘わることだから、何らかのルールが必要なのは当然だが、それが行過ぎている、さらにルール内容が余りに「恣意的」なのだ。

長妻厚生労働大臣が、同省職員に対して、仕事上の目標を個別メールで送ったらしい。それに対して、職員が、士気が下がると「ホザイテ」いるらしい。我々医療現場の人間は、大きなペナルティを受けるリスクを背負いながら、矢継ぎ早に繰り出される行政の指導・命令に従うことに汲々とさせられているのだ。この報道内容は、責任を取らされることのない役人のボヤキでしかない。

厚生労働省の職員は、末端医療機関の苦しみを少しは分かっただろうか。

でも、何故こんな役人の愚痴を新聞社が報道するのかね?役人が、これを報道してくれと言ったら、そのまま流すのか?


以下、引用~~~

「細かすぎ」不評の厚労省目標…全職員にメール
 長妻厚生労働相が策定した「厚生労働省の目標」と題するマニュアルが、職員から不評を買っている。

 「驕(おご)りは事実を見る目を曇らせる」「驕りは現場に運ぶ足を重くする」など、厳しい言葉が盛り込まれていることに加え、全職員に電子メールで送りつけたためだ。

 厚労省は昨年、新たな人事評価制度を導入し、それに合わせて職員の仕事の達成度を測るため、課や局ごとに目標を作ることにした。今回の「目標」は、その策定に先立ち、同省の共通目標になるものとして長妻氏が策定した。

 A4判で6ページにわたって書かれ、「利用者満足度指標を作れ」「格差や貧困等の経済損失額を明らかにせよ」など細かい目標が並べられている。

 長妻氏は、厚労相に就任して以来、職員とのコミュニケーション不足が指摘されている。同省内からは「大臣から、ハシの上げ下げまで指示されると、やる気がうせかねない」との声も出ている。

(2010年4月24日20時02分 読売新聞)

医療介護現場の労働条件はそのままに・・・ 

医療介護現場のスタッフが足りない。国外から有資格者を連れてきて働いてもらおうという施策を、政府は取るようだ。

彼等が資格試験を通りやすくするように、資格試験の文章に振り仮名をつけるらしい。

外国人に敷居を低くするのは一見親切のようでいて、結局は、何としても人間を引っ張り込みたいという目論みでしかない。外国からやってきた方々が、低い敷居の試験で資格を得、日本で仕事を始めても、様々な書類を読んだり、記録をつけたりする時に困難にならないのだろうか。また、外国の優秀な人材を日本の介護のために引っ張り込むことは、彼等の母国の人的損失になる。その点からも彼等の母国で批判が出るのではないだろうか。

日本では、若い人々のかなりの割合が職にありつけない状況が続いている。中には、医療介護を目指す人々もいるのではないだろうか。介護の収入では、なかなか生活が成り立たないほど低い。その一方で、24時間連続勤務に近い労働条件が多いことをしばしば耳にする。で、介護職を実際に志望する若い方が少ない、ないし若い方が介護の仕事を始めても長く続けられない、ということをしばしば耳にする。

この政府の目論見は、現実となることはないだろう。

政府が行うべきことは、医療介護現場の労働待遇の改善だ。24時間労働当たり前、賃金だけでは生活がなりたたないという現実を放置しては、介護現場の人手不足は解決しない。

外国人介護師を導入しようという施策は、医師不足だから、現場の窮状はそのままに、ただ医師を新たに増やせば良いという発想に似ている・・・。

医療介護で働く人々の労働条件の改善に目を向けない政治・行政は、結局、医療介護を受ける国民を蔑ろにしていることになる。


以下、引用~~~

介護士試験に振り仮名を 枝野氏、外国人受験で
10/04/20
記事:共同通信社
提供:共同通信社


 枝野幸男行政刷新担当相は19日、介護福祉士や看護師の国家試験で外国人受験者の障害となっている専門用語の漢字表記について「現場で困らなければいいとの視点で取り組むべきだ」と述べ、試験問題に振り仮名をふるなどの配慮が必要との認識を示した。インドネシア人の介護福祉士候補が働く神奈川県海老名市の老人施設を視察後、記者団に述べた。

 一緒に視察した仙谷由人国家戦略担当相も同調した。

 インドネシアやフィリピンからは日本との経済連携協定(EPA)に基づき介護福祉士や看護師の候補者が来日しているが試験合格率は極めて低い。政府への提言を募集する「ハトミミ・職員の声」の問題提起を受けて枝野氏らが視察した。

寒さと戦うトマトの苗 

うっかりというか、何も考えずというか、お店で「トマト」の苗を今月上旬に売っていたので、購入。早速、耕した庭の畑に植え付けたのだが・・・それ以来、寒波の襲来の連続。本来は、今月下旬以降に植えるべきだった。先週雪が降りそう(実際降ったのだが)という予報を聞き、ビニール袋で即席の温室を作ってみた。不恰好極まりなく、苗はかなり窮屈そうだったが、降雪の洗礼も見事乗り越えた。

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・・・のだが、今日、明日の寒波を乗り越えられるのか・・・。6本の苗の内、3本は何とかなりそうだったのだが・・・。同時に植えたレタスは、5本全部しぶとく生き延びている。

一本数十円の苗だが、折角植えて、根付いたものだから、何とか生き伸びてもらいもの。

命あるものを何とかしたいと考えるのは、職業柄?

Smetana Piano Trio g moll 

スメタナのピアノトリオ。緊張感と、慰めとが織り成す音楽。

各奏者すべて実力者だが、バイオリンのSusanna Yoko Henkelは、スケールが大きく、表現力も備えた演奏を聴かせる。Henkelは、日独の混血で、Anne Sofie Mutterの後継者とも称される若手バイオリニスト。彼女が創設したザグレブ音楽祭での演奏。

若手演奏家がこのように見事な演奏をするのをみると、気持ちがすっと明るくなる。

新薬創生加算の不思議 

先日、院外処方を受けてくれている、近くの薬局の責任者がやってきて、「新薬創生加算」という薬価上の加算が出来て、卸から薬局に卸す際の薬価が殆ど値引いてもらえなくなった・・・要するに、薬価差益がほぼゼロになったと嘆いた。

薬価差益など要らないではないかと言われるかもしれないが、必ずしもそうとはいえない。使わないうちに使用期限が切れるデッドストックが出る可能性に基く費用や、薬の保存にかかわる費用とかが、薬局や、院内処方をしている医療機関にはどうしても必要になる。特に、院内処方の医療機関では、処方薬に消費税をかけることができないので、少なくとも、消費税分は値引いてもらえないと、処方すればするほど赤字が膨らむことになる。

新薬創生加算の主旨は、製薬企業が新薬を研究し開発する費用が莫大であり、それを賄うために製薬企業により大きい利潤を生ませるということらしい。現在製薬されている薬剤の1/3程度が、この加算対象になるらしい。「画期的新薬の開発が、国家戦略として必要だ」といった論調の発言が、マスコミはおろか、ネットでもしばしば聞かれる・・・こうして同じ意見の大合唱になるところに何か意図的なものを感じる。気持ち悪い 笑。

で、米国のJ.Bioethicsという雑誌のバックナンバー、2004年のものに、「薬価を下げると、新薬開発を妨げることになるのか」ということを議論した論文がある。ここ。少し前の論文であることと、薬価が高い米国での状況を論じた論文なので、この内容をすぐにわが国に当てはめるわけにはいかないかもしれないが、わが国の薬価も、米国の薬価に倣って決められており、国際的に見て高いといわれているから、わが国の薬価に対しても、ほぼ同じことが言えるのではないだろうか。この論文の結論は、「妨げない、従って、薬価を下げるべきである」というものだ。単なるプロパガンダではなく、それまでの研究論文を論拠として、FDA責任者の「薬価を下げるべきではない」という主張を否定している。

特に、製薬企業の研究開発予算の内、画期的な新薬の開発に使われている予算は、18%に過ぎない、多くが、me too drug(所謂、派生薬)の開発に費やされているという点に注目すべきだろう。画期的新薬を開発するよりも、既存の薬剤を少し手直しして、大きな市場の薬剤に仕立て上げることに専ら予算が使われている、ということだ。

わが国の製薬企業は、画期的新薬開発をする力量のないところが多いと言われている。その一方、リーマンショック前までは、製薬大企業は空前の好決算を計上してきた。どうしてそんなことが可能だったのだろうか。不思議でならない。製薬企業は、国内市場よりも国外での儲けの方が大きいと言うが、果たしてそれだけだろうか。今回の「画期的新薬開発の必要性の大合唱」、そして「この新たな加算による乏しい医療費の製薬企業への付け替え」の裏に、何かがあるような気がする。ステレオタイプな言い方になるが、政官業が一致して動いているのではないか。マスコミがその宣伝役を引き受けているのだろう。こうした大合唱が起きるときに、その背後にある事象を追及するのがマスコミの役割なのだろうが・・・製薬企業に広告を出してくれるように泣きを入れる新聞社もある始末だから、無理なのだろうか。

医療への満足度「国際比較」 

ロイターが、医療制度への満足度を各国で調べた報告を紹介している。ここ

23000人を対象にしてネットで調べたものらしい。

記者の書きたかったことは、カナダ・ドイツでの満足度が70%以上なのに、米国での満足度が51%しかないということらしい。

我々として驚くのは、日本で容易に質の高い医療にかかれると考えている人が、15%しかいなかったということだ。

但し、この調査の設問の設定の仕方、ネットを通じた調査によるバイアス等々の問題がある。さらに、満足度というのは、極めて主観的な問題であり、国際比較すること自体にあまり意味はなさそうだ。

現状の日本の医療は、崩壊しつつあるとはいえ、平均寿命・新生児死亡率等々のアウトカムや、医療へのアクセスのし易さ、極めて低廉な医療費、さらに一応機能している皆保険制度などによって、世界的に見ても極めて優れたパフォーマンスをしていることは明らかだ。

それなのに、15%の人々しか、満足していないと答えたとすると、それはそう答えた側の問題であるように思える。医療に携わっていて時々感じるのは、こうした恵まれた医療制度に慣れきってしまい、マスコミや、官僚が強力に後押しする、医療を受ける側の肥大した権利意識が、現状への不満を大きくさせているのではなかろうか、ということだ。

医療従事者として尊大な物言いだと短絡的に捉えないで貰いたい。是非、ロイターの当該記事と、その後の読者の論争を読んでみて頂きたい。日本の医療が、これでも恵まれた状態にある・・・大きな矛盾と歪を抱えながら・・・ことを理解していただけるだろう。

しかし、日本のマスコミと官僚・政治家は、この「不満」を意図的に利用して、医療を「成長産業」化する・・・即ち、医療で企業が金儲けをする仕組みに変えて行きたいと目論んでいるようだ。

Brahms Piano Trio Nr1 the 1st movement 

昨日、娘を乗せて車を運転している時に、ブラームスのピアノトリオ1番をかけた。デュメイ、ワン、ピレシュの演奏。1楽章を聴きながら、「この曲、いいねぇ・・・」と娘。わが子ながらよく言ったと内心嬉しくなった。「でも、こんな曲は弾けない・・・」と先制攻撃。

ローズ、スターン、イストミンの渋い演奏。私の最愛の室内楽の一つ。

ターミナルケア 

昨日、T先生をお見舞いした。T先生は、89歳、無教会主義キリスト教の独立伝道をずっと続けてこられた方だ。私の一家もいろいろとお世話になってきた。過剰な宗教性を感じさせない普段の立ち居振る舞い・言動、ユーモアに溢れた暖かい人柄の方で、我が家、それに周囲の人々は、敬愛の念をこめてT先生とお呼びしてきた。

先週半ば、姉から、T先生の具合が良くない、元気が無く、時々血圧が上がるようだと連絡があった。T先生の周囲には、ご家族、医療関係者もおられるので、一度加減を伺う電話を差し上げただけで、週末にでもお見舞いに伺おうかと考えていた。

先週土曜日に姉から再び連絡があり、T先生の容態が急に悪化、救急車で病院に運ばれ入院になったとのこと。大変残念なことに、肺がんの末期とのことだった。昨日、日曜日、急患を診てから、家族とともにお見舞いに伺った。

半起座位で臥床されていた。酸素吸入・点滴を受け、心電図モニター・飽和酸素モニターを装着されていた。意識レベルが低下して点滴を外すことを防ぐためだろうか、両手がベッドの柵に抑制されていた。呼吸は浅く速い。苦しそうであったが、私を見るとすぐに私であることが分かった様子だった。苦しそうな息遣いで、「おぉ、見学か?」と言葉をかけてくれた。私が、研修医をしていた頃をイメージしていたのだろうか。「呼吸が苦しい、医師は原因が分からないと言っている」と仰っていた。

手を握り締め、10分程度でお暇した。

これまで医療機関にかかっておらず、飛び込みで重症化してから入院されたので、一般病床でこのようなケアを受けること自体仕方の無いことかもしれない。が、T先生は、ターミナルケアを必要とする状況だ。その後、ホスピスに移っていただくように周囲が動いていると伺った。ホスピスで適切なケアを受け、少しでも楽な状態になって頂きたい。

人が死に行くことは、本人にとって生誕と同じように大きな事業だ。死に行く人々は、社会のなかで大きな存在であるのに、その声は社会システムには反映されにくい。死に行く人々は、多くの場合、無言で去ってゆく。これから高齢化社会がいよいよ深まって行く中で、死に行く人々のことを自分のこととして考える必要があるのではないだろうか。

死に行く病であり、死期が何時訪れるかを、誰がいつ、如何様に本人に告知するのかが、大きな問題だ。T先生のご家族から、姉に、告知についても話があった様子だ。キリスト教信仰に堅く立って人生を過ごされたT先生のような方に対してでも、告知をどのようにするかは、周囲で肌理細やかな配慮を必要とする。ご家族にとっても、大きな喪失を目の前にして、告知は微妙な問題だ。告知を受ける心構えを、私自身が出来ているかと問われているような気がする。

ターミナルケアを在宅で受けられる方は、本当に恵まれている方だ。死に際の苦しみを、家族がケアし、看取ることは極めて難しい。またそのためのマンパワーがない家庭が多い。

ターミナルケアを行うホスピスが、現在どれほどあるのだろうか。最新のデータでは、全国で、195施設、3869床だけらしい。当地では、3施設だけ。病床数も恐らく数十という単位だろう。毎年、男性の20万人強が、女性の15万人弱が、がんで死亡する。恐らく、現在でも、ホスピス入所の要望を満たしているということはなさそうだ。人生の大きな出来事である、死に行くことを、不要な不安・恐怖と、苦痛を伴わずに、平安に周囲に看取られて実現するために、ホスピス・関連する施設・そこで働くスタッフを大幅に充実させることが必要ではないのだろうか。

ホスピスの診療報酬算定要件に、その施設が、日本医療機能評価機構の「認定」を受けることが挙げられている。この「認定」なるものは、繰り返しこのブログで取り上げている通り、殆ど無意味なもので、医療現場にペーパーワークを強要し、無駄な会議を繰り返させるものだ。その一方で、認定に数百万円のオーダーの認定料を、同機構は医療機関に要求し、さらに毎年数十万円のオーダーで会費を徴収する。この組織の実質は、官僚の天下り先だ。死に行く人々を食い物にするこうした組織は、まず第一に「事業仕分け」をしてもらいたいものだが、厚生労働省は、こうした天下り先を切り捨ている積りは毛頭なさそうだ。同機構は、莫大な収入となる産科補償制度も取り込み、自己増殖を続けている。

死に行くことを考えるのは、決して心地よいことではない。が、死は、我々一人一人に必ず訪れることだ。死に行くことへの心構えを常に持つ必要がある。また、死に行く人々が、現世と家族・友人達と平安に別れを告げることが出来る社会制度が確保されるようにする必要がある。

春を迎えた我が家の庭 

ブログを再開したい。お騒がせして恐縮至極。少し肩の力を抜いて、まずは身近な話題を、書ける時に書くというスタンスで書き続けたいと思っている。中身のない私的なブログになってしまうかもしれないが、ご容赦いただきたい。

我が家のスモモの花。数日前に撮ったもの。一昨年は、数多くのスモモがなった木だが、昨年はさっぱりならなかった。20mほど離れた場所に、もう一本スモモの木があるので、そちらから受粉するのだろう。ミツバチを見かけないのが気になる。

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これは、別な木の接近画像。共に、父親がもう10数年以上前に植えておいてくれたもの。

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芝桜。花壇の所々に、ピンクの花の集落を作っている。

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水仙。長い期間咲きつづける。庭のあちこちに株分けしたものが咲き続けている。

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椿。少し、最盛期を過ぎたかもしれない。これ以外に、木蓮が淡いベージュがかった花びらを木を被うようにみせてくれていたが、これもピークを過ぎた。

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昨年植えたネクタリンにも花が咲いた。芝を植えてある庭の手入れが年々大変になってくるので、果樹をあちこちに植えてしまおうかと考えている・・・と、Dick N7RCに話したら、果樹は果樹で手入れが大変だよと諭された。彼は、退職後、牧場を管理している。あくまで趣味だそうだ。ある程度歳をとったら、やはり都市部のアパート住まいかもしれないな・・・。

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生垣のどうだんツツジ。可憐な花が咲き始めている。

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ブログ休止のお知らせ  

昨日アップした内容、やはり適切な内容ではなかったようなので、削除させて頂いた。多くの方にお読みいただいたのに恐縮している。

家族のプライバシーを晒し、さらに私自身がこのブログに余りに依存してしまっているように思えることが、削除した理由だ。少し疲れているのかもしれない。

ここで記すことが、一種のカタルシスを私にもたらしてくれているのだが、やはり公の場で記してよいことと、そうでないことの区別までも出来なくなってきたようだ。

これを機会に、書き記すことを、しばらく止めようと思う。ここで得られるカタルシスは、やはりバーチャルなものなのかもしれない。でも、多くの方からあたたかいコメントを頂戴し、昔の友人とも連絡をとることができた。こころからお礼申し上げたい。ブログに復帰する気持ちが湧かなければ、1,2ヶ月以内にすべて削除する予定でいる。

・・・・・

皆様、コメントをありがとうございました。私の苗字を記された方がいらっしゃいましたので、そこをjargon(になってない?)に書き改めて、ここにアップさせていただきます。元発言の方は、削除させていただきます。あしからず・・・。

コメントへのお返事はまた後ほど・・・。

・・・・・・・・・・・・







[2010/04/07 19:06] 人生 | Trackbacks(0) | Comments(5)
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カタルシスでもバーチャルでもなく
今晩は。

私は大変良い内容の記事だと思いましたし、これから医療の道を志す若者には、大変勇気を与えられる内容ではなかったかなと思います。

Weblogに記事を書く意味は、おおげさに言えば、自分の人生における経験(やそれによって得られた考え方)を伝える事により、何らかの良い影響を世の中に与える可能性があると言う事ではないでしょうか。

また、NUTさんの記事が読めなくなるとすれば、私としては大変残念な事であります。

#若輩者による「差し出がましい口」である事は承知しておりますが、どうぞお許し下さい。

[2010/04/07 20:05] URL | 7J3AOZ [ 編集 ] TOP ▲



とても良い記事だと思い、「拍手」を送った一人でもあります。

私もブログを書いてやめたり、再開したりと繰り返してきましたが、プライベートを晒すという事に関しては、各自、フィルターのレベルが存在すると思います。

私など晒しまくっている方ですが、NUTさんのブログではとてもほのぼのとご家族の事が伝わって来ていました。

お疲れならば少しお休みになって、また元気に復活なさってください。バーチャルでもリアルでも、そしてまたお空でも、人と人のinteractは生きていることの証だと思っております。

[2010/04/08 06:57] URL | JJ8KGZ [ 編集 ] TOP ▲



ここに立ち寄ることが毎日のルーティンだったのですが、残念です。
再開をお待ちしております。

[2010/04/08 08:09] URL | jj1ttg/aki/7 [ 編集 ] TOP ▲



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[2010/04/08 08:12] | [ 編集 ] TOP ▲



再開(再会)を心待ちにしています
余裕がなくてなかなかコメントできなかったのですが、
いつも楽しみに拝見しておりました。
共感共鳴できる数少ないブログとして、私にとっては貴重な存在です。

お子さんの進路については、私共の子供も
同じ選択(大学卒業後父親と同じ職業に就くべく医学部に入学)をしたので、
落ち着いてからゆっくりコメントするつもりでした。
近いうちに必ず。
取り急ぎコメントを差し上げました。

[2010/04/08 09:23] URL | 福寿草 [ 編集 ] TOP ▲

ブログ休止します 

昨日アップした内容、やはり適切な内容ではなかったようなので、削除させて頂いた。多くの方にお読みいただいたのに恐縮している。

家族のプライバシーを晒し、さらに私自身がこのブログに余りに依存してしまっているように思えることが、削除した理由だ。少し疲れているのかもしれない。

ここで記すことが、一種のカタルシスを私にもたらしてくれているのだが、やはり公の場で記してよいことと、そうでないことの区別までも出来なくなってきたようだ。

これを機会に、書き記すことを、しばらく止めようと思う。ここで得られるカタルシスは、やはりバーチャルなものなのかもしれない。でも、多くの方からあたたかいコメントを頂戴し、昔の友人とも連絡をとることができた。こころからお礼申し上げたい。ブログに復帰する気持ちが湧かなければ、1,2ヶ月以内にすべて削除する予定でいる。


Steve N6TT 

Steve N6TTと7メガで最近よく交信する。夜な夜な、7026近辺で午後10時ころ、私がWの連中と交信していると、彼は朝のコーヒーを飲みながらワッチしていることがあるようだ。時々、混信を与える局が出てくると、彼の信号らしい局が、その局を諌めてくれる。そして、私がいよいよ引っ込もうかというときに、彼がちょこっと出てきて、朝の挨拶を交わす。

彼は、南カリフォルニア、太平洋岸に近い高台に住む。Jim W6YA等の友人でもあり、かってはコンテストやDXにアクティブだったらしい。現在58歳。彼のサイトによると、昔からCWを好んでいたらしい。電鍵のコレクションも素晴らしく、100種類以上お持ちだとか。このサイトは、10年以上前に友人が作ってくれたものらしく、パスワード等を無くしてしまったので、更新ができないといって彼は笑っていた。

彼は、C型肝炎にかかっており、過去半年以上インターフェロン療法を在宅で受け続けたらしい。いつも月曜日にインターフェロンの投与を受け、その後2,3日は酷い副作用に悩まされ、寝たきりになっていたようだ。最近は、インターフェロンの投与量が減らされ、そしてつい先週、ついに最後の投与を受けたとのことだった。でも、無線をするのは朝方だけで、夜になると疲労感が強くなってしまうらしい。

娘さんがお二人いらっしゃるようで、長女は、現在奨学金を得て、英国のオックスフォードに留学しているとのこと。forced immigrationについて、勉強しているとか。この夏、留学を終えて帰国し、その後ロースクールに通うとのことだ。次女の方も同じような道を歩むことにしているそうだ。驚いたことに、お二人とも、教会を通したボランティアをアフリカで行っている様子。ルワンダ(だったと思う・・・ウガンダだったか・・・不確か)で現地の方のために井戸を掘る仕事らしい。Steveも何時か一緒についてゆき、娘さんが井戸を掘る傍らで無線をしてみたいと言って笑っていた。オックスフォードでの長女の方の勉強も、そのボランティアに関連してのことらしい。ありふれた日常として、このようなボランティアに関わっておられる様子に感銘を受けた。

彼の過去のコールの中で、N7AHNは確かに記憶にある。1980年代、私がカムバックした頃に、レジデントハウスの屋根に上げた14AVQで交信していた方の一人だっただろう。お互い年齢を重ねたものだ。彼の口からも、人生はこのようなものだ、こうして人生が過ぎてゆくものという言葉が良くきかれる。大病とその厳しい治療を経験して、無線の上でも、コンテスト等ばかりでなく、スローライフを楽しみたいと思うようになられたのではないだろうか。

「ご同輩、まぼちぼち行こうではないか」と声を掛け合えるお一人だ。

新型インフルエンザ対策総括会議 

新型インフルエンザ騒動を総括する、厚生労働省の会議が議論を始めたらしい。取り上げようと思っていたら、今日付けのYosyanさんのブログで、同会議の最初の会合の内容が詳細に報告検討されている。

私が、この会議について疑問に感じたのは、会議メンバーの人選だ。メンバーは以下の通り。

金澤 一郎 ◎ 日本学術会議会長
岩本 愛吉 ○ 日本感染症学会理事長
伊藤 隼也 医療ジャーナリスト
岩田 健太郎 神戸大学大学院医学研究科教授
岡部 信彦 国立感染症研究所感染症情報センター長
尾身 茂 自治医科大学教授
河岡 義裕 東京大学医科学研究所感染症国際研究センター長
川名 明彦 防衛医科大学校教授
田代 眞人 国立感染症研究所インフルエンザウイルス研究センター長
谷口 清洲 国立感染症研究所感染症情報センター第三室長
丸井 英二 順天堂大学医学部教授

新型インフルエンザ対策(以下、「対策」と略す)を進めてきた面々が、自分達の行なった「対策」を総括する、という形式にまず違和感を感じる。国民を右往左往させ、とりわけ医療現場に酷い負担を与えた「対策」は、「対策」を策定した人物以外の方々に総括してもらいたい。もらいたいというより、第三者の目で見た批判的な総括をすべきなのだ。

もう一つ、「対策」で実際に苦労した医療現場の人間が、この会議メンバーのなかに見当たらないことも納得が行かない。特に、インフルエンザワクチンを国が買い取り、行政を介して配布するというシステムを取ったために、医療現場は、大きな労力と、経済的な負担を強要された。医療現場の人間が、今回の「対策」に多くの注文があるはずだ。神戸大学の岩田教授が、そうした医療現場の疑問・注文を代弁してくれているが、会議メンバーの多くは行政と一体化した面々にしか過ぎない。伊藤某というカメラマン、最近医療ジャーナリストと自称している人間を加える余裕があるなら、何故医療現場で汗をかいた人間を加えないのだろうか。

このままでは、行政の自画自賛の総括しか出てこない。それでは、もっと強毒のウイルスが流行した時への準備としての総括にはなりえない。

正直、厚生労働省の医系技官は、もう少し知性的な人々かと期待していたが、結局、自らの立場を守ることだけに汲々としている人間の集まりであることを露呈している。

秀逸 

秀逸・・・開業医には開業医の苦悩もあるのですが・・・。