JARL臨時総会委任状をJA1ELY草野氏へ!! 

JARLの臨時総会が、開かれ定款の改定が議論され議決される。

原会長派は、支部長を社員総会に組み入れ、延命を図ろうとしている。

私は、原会長、およびその同調者は、JARLから去るべきであると考えている。

第一に、40年間も同一人物が、JARL会長職に留まること自体が良いことではない。様々な悪弊を生じうる。

第二に、すでに1990年代半ばからJARLは赤字に陥っていたのに、それを抜本的に改めることなく、JARLの資産を食い潰すに原会長派は任せてきた。

第三に、原会長はJARDに自ら関わり、相当額の収入を得てきた。アマチュア無線に関わる事業で、アマチュア無線連盟の長の立場を利用して、このように利益を得ることはあってはならない。

第四に、行政当局に免許制度の簡易化、包括免許化を実現するために、JARLは交渉すべきであったが、交渉を進めた形跡が認められない。世界に類を見ない、官僚的な免許制度が歪な形で生き残ることになった。その責任を原会長は取るべきである。

私は、現理事のお一人、JA1ELY草野氏が、こうした問題を解決するのに相応しい人物であると考え、彼に臨時総会の議決権を委任することにした。アマチュア無線とJARLの将来を考える方は、是非熟考の上、適切な方に委任して頂きたい。棄権・白紙委任だけは止めよう。


以下、草野氏からの訴え引用~~~

『JARL改革を前進させるため再度の委任状のお願い』

              JA1ELY 草野利一

来週早々JARLから臨時総会の案内が皆さまのお手元に届きます。臨時総会が開催される理由は、名古屋総会で会長が提案した一般社団法人に移行するための定款・規則等の改正案と会費前納会員(終身会員)のサービス打ち切り特別決議案が両方とも否決されたことによるものです。
http://www.jarl.or.jp/Japanese/4_jarl/4-3_soukai/rinji-neyagawa/rinji-neyagawa.htm

名古屋総会後、定款等の見直し委員会が立ち上げられ、私も委員の一人として参加、三度にわたる検討により一応の結論が得られました。主な見直し内容は、理事の定年制および任期制の導入、連記式選挙の廃止、関東エリアの社員数の若干の増員などです。しかし、理事会をチェックするガバナンスという重要な役目を担う社員総会の構成については、見直しは拒否されました。

社員総会というのは今までの総会とは言葉は同じですが全く別物です。社員総会は代議員制度であり、予算、決算の承認こそ致しませんが、その代わり理事の任免権を有します。つまり社員総会で過半数の同意があれば理事をクビにすることもできるのです。非常に強い権限です。会長は支部長集団を、このように強い権限を有する社員総会の中に取り込もうとしています。これは絶対に避けなければなりません。

私は理事会の中では少数派であり、私の意見や提案はなかなか通りません。仕方がないとただ腕をこまねいているのなら、私を理事会に送り込んだ皆様の強い期待に背くことになります。いろいろ考えたすえ、現実的かつ唯一の方法は今回も皆様の力(委任状)をお借りすることであると判断しました。それは皆様が私に託してくれる1/4以上の委任状をバックに、「支部長を社員にするのを止めること」、「社員選挙の方法を変更すること」、「社員数の修正を行うこと」を会長に提案することです。

もし会長が、私に1/4以上の委任状が集まったと判かった場合、それでもなお私の修正提案を受け入れないのであれば、委任状を私に託して下さった皆様の民意に従い、私は名古屋総会の時と同じように原案に反対することになります。予め否決されることが判っていながら、原案を未修正のまま臨時総会に強行提出するのであれば、その結果生じる責任は、会長はじめ、会員の皆様の民意に反対した理事たちが負うべきです。すなわち臨時総会に掛かった総経費(ざっと1000万円)は彼ら全員が分担して損害賠償するのが道理です。

皆様の委任状は、今回はJARL事務局に直接お送りください。私の所に届いたものは全部コピーを取っておきます。委任状をJARL事務局に直接郵送される場合は、誠にお手数ですが、委任状を投函した日時と場所(いつ、どこのポスト or 郵便局で投函したか)を控えておいて下さい。もし委任状の数に疑惑が浮かんだ場合、裁判所に訴えて委任状の確認を行うことができます。

委任状は何と言っても数がものを言います。友人、知人、ローカル各局にも呼びかけてください。くれぐれも白紙委任状にはしないでください。皆様の委任状が「力=民意」を発揮するのは今回が最後です。新法人になると委任状は存在しません。どうぞ私に名古屋総会の時と同じように「力=民意」を与えてください。全力を出します!

修正を求める各点について以下説明します。

支部長を社員にすることはJARLのガバナンスという点から絶対避けなければなりません。理由は、社員総会の中で支部長という特定の集団が54人(40%)も存在することです。集団特有の意志が社員総会の流れを決定的にしてしまう恐れがあるからです。人は自分達の既得権が浸食されると考えた場合、大きな抵抗勢力になるものです。6万5千人の会員の代議員である社員には、理事としがらみのない、様々な意見や経験を有する会員、若い人から年輩者まで多様な会員がバランス良く存在するのが理想です。

今回提案される会長案では、社員総会の構成はエリア別の社員選挙で選ばれた84人と支部長兼社員選挙の54人、総数138人となっています。支部長兼社員選挙では、北海道の釧路・根室支部と東京都支部を比べると一票の「格差は実に36倍」にもなります。又、エリア別の社員選挙では一票の格差は3倍にもなっています。改正定款には「等しく社員を選挙する権利を有する」と定められていますから、この選挙方法は正に自己矛盾そのものです。もしこの選挙方法に決まったなら、公益等認定委員会に直訴するという会員もいるほどです。社員はエリアの利益代表ではなくJARL全体の動きを考えるものです。会長は社員をエリア代表として考えており、会員数に応じて配分すると1エリアの社員数がダントツになり地方軽視に繋がるとして譲りません。繰り返しますが社員はエリアの利益代表ではないのですから、エリア別の選挙でなく「全国一律で選挙すべき」です。そうすれば地域間格差や一票の格差問題が一挙に解消します。公益等認定委員会の承認もまったく問題なくなり、法人移行もスムースに運ぶでしょう。

もし支部長を社員としなければ54人が不要になります。私は支部長さん達には従来どおり地元の支部活動で大いに活躍して頂きたいと思っております。定款改正案では社員数は100人以上となっていますので、全国選出選挙での社員数を16人以上増やすこともできますし、一方総数を38人も少なくできます。社員には交通費を支払うようですから総会経費も相当軽減できるでしょう。巨額の赤字運営になっているJARL財政を改革するには、何と言ってもコスト意識が不可欠であり、その意味からも私は地方本部や組織のあり方を真剣に考える時期に来ていると思っています。


補正予算の医療関連項目から何が見えるか? 

今回の補正予算で、政府・厚生労働省は、「地域医療の再生と医療機関の機能強化」のために2599億円を支出するようだ。医療を良くするために使ってくれるのかと喜ぶのは早い。

今回の補正予算の中身を見ると、地域医療の行政による支配構造を確立すること、その支配構造の中核となるべき医療機関のインフラへの予算配分を行う意図が見えてくる。

補正予算の医療関連項目をざっと見てみよう。医療関連予算6701億円の内、「地域医療の再生と医療機関等の機能強化」に2599億円が費やされている。結構な意気込みに見える。

都道府県を単位とした高度・専門医療、救急医療等の整備拡充に2500億円。都道府県に設置されている「医療再生基金」を拡充し、高度専門医療や救命救急センターなど都道府県の広域的な医療提供体制を整備・拡充する。

医学部に新設された「地域枠」の卒業生を地域医療支援センターが受け入れ、そこから地域の医療機関に医師を派遣する、医局機能を持たせようということらしい。ただし、この予算は、どうみても、医療機関の施設等インフラの整備・拡充に使われるのだろう。そこで働く医師や医療従事者への待遇の改善とは読めない。インフラ整備の対象は、基幹医療機関であることが分かる。疲弊しているのは、基幹医療機関だけではない。

医療機関の機能・設備強化に499億円。国立高度医療専門研究センターについて、周産期医療体制の整備や医療機器の拡充による医療機能の強化を図るとともに、独立行政法人国立病院機構の病院機能の維持強化を図る。

機能・設備の強化というのは、やはり医療機関の施設整備・拡充であり、インフラだけを問題にしているように思える。さらに、そのインフラ整備をする対象が、国立の基幹医療機関だけであることが明記されている。恐らく、地域医療支援センターとなる医療機関の主体を、こうした旧国立の施設ないしそれに準じる公的医療機関と想定しているのだろう。

官製医局が、どれほど機能するか、見ものだ。そこで働く医師は、かっての大学医局に見られた、良い意味の徒弟関係で先輩医師と繋がることはないだろう。さらに、官製医局では、医師の労働条件も、公務員の労働条件に一致させる必要がある。医師の完全なサラリーマン化だ。現在の医師の労働量を維持できるとは到底思えない。夜間勤務前後に仕事からフリーにすることを可能にするには、2から3倍の医師のマンパワーが必要になるのではないか。また、奴隷状態でも喜んで働くような、かって存在した異様な医師の士気は望むべくもない。その点からも、余分なマンパワーが必要になる。官製医局が機能しなくなる、または労働効率の低い組織になる(それが正常なのだが)ことが予測できる。

「地域医療を再生する」ということは、現状で地域医療が崩壊している、死んでいると行政が認識していることを意味する。いや、この補正予算の内容からすると、それは行政が支配の手を医療に伸ばすことだけを考えているように思える。

医療崩壊の原因をはっきりさせることが何よりも優先されなければならない。そうしなければ、湯水のように税金をつぎ込んでも同じことを繰り返すだろう。

今春の診療報酬改定を思い起こそう。勤務医が厳しい状況に置かれていることが、地域医療の崩壊の現象面での一つの表れだった。その危機感から、今春の診療報酬改定では、勤務医の待遇を改善することを目的に、開業医・診療所から勤務医・病院への医療費の移転が行われた。その額は、数百億円単位だったろうか。それが一体どのような結果をもたらしているのか、行政はきちんと検証していない。勤務医の労働条件が、今回の診療報酬改訂によってどれだけ改善されたのか、是非検証すべきだろう。それによって、地域医療を再生させる道筋の一つが明らかになってくるはずだ。

しかし、行政は、そうした努力を行わない。むしろ、この補正予算で分かるとおり、行政の権益を確保することにだけ関心があるように思える。地域医療再生とは、彼らにとって、権益を拡大する都合の良いスローガンにすぎない。

地域医療を崩壊させてきた、崩壊するに任せてきた現在の行政には、地域医療を再生させることはできない。



Tim W1MKAの今、昔・・・ 

かのTim W1MKAの今昔。

1963・4年頃の設備。当時のコールは、WN2MKA・WB2MKA。バグキーは、Vibroplexの製品。高価なもので、送信機一台の値段ほどしたそうな。週末に図書館でバイトをして貯めたお金で買ったらしい。受信機は、ナショナル155、送信機がViking Adventurer。今でも、このリグを地下に保存しているようで、最近観てみたがどうも動作しないことが分かったとのこと。それを知らせる文章に添えられた和歌・・・

よのなかは


つねにもがもな


なぎさこぐ


あまのおぶねの


つなでかなしも


Novice Statiion WN2MKA-WB2MKA 1963[1]-1



カメラシャイと仰る。若い時代のTim。

Tim 1967[1]-1



現在の設備。1960年代からのVibroplexが机の上に。趣味としているドイツ語の大きな辞書もある。

W1MKA -2010[1]-1

なかなかハンサムな現在のTim。しかし、白髪になった・・・。

Tim 2010[1]-1

朝日新聞に対する抗議署名募集 

朝日新聞のがんワクチン報道に医療界・がん患者団体等から批判の声が上がっている。朝日新聞は、自らに不利となる、患者団体の声明の一部を故意に省いて報道し、また記事は確かな取材に基づくものとのコメントを出している。自らの記事の正当性を未だ主張し続け、何ら反省がない。

今回の朝日新聞報道は、予め自分達で作り上げたシナリオに沿ったものであり、事実を捻じ曲げ虚偽の報道を行ったものだ。マスメディアとして許されざる行為であるだけでなく、新聞というメディアを用いた医学研究と臨床に対する暴力行為に他ならない。その結果、最終的に被害を受けるのは患者であり、国民だ。

こうした報道が、繰り返しなされてきたことによって、少なくとも医療崩壊の一部は起こされた。それを朝日新聞を始めとするマスコミは、良く認識すべきだ。

この件に関して、朝日新聞に対する抗議の署名を募集している。下記MRIC記事。特に患者になりうる、国民一人一人にこの問題に関心を持ってくださり、朝日新聞に抗議の意思を示してくださることを期待したい。


以下、MRICより引用~~~


朝日新聞社に適切な医療報道を求めます

  医療報道を考える臨床医の会
  http://iryohodo.umin.jp/
   発起人代表 帝京大学ちば総合医療センター 小松恒彦

 私たちは、全国の病院・診療所に勤務し、患者さんと共に、日々臨床現場で診療を行っている医師です。朝日新聞社のがんワクチン報道に対し抗議し、当該記事の訂正・謝罪、同社のガバナンス(組織統治)体制の再構築を求め、署名募集を行います。

 去る2010年10月15日、朝日新聞朝刊1面に『「患者が出血」伝えず 臨床試験中のがん治療ワクチン 東大医科研、提供先に』と題する記事が掲載されました。記事には医学的誤り・事実誤認が多数含まれ、患者視点に欠けた医療不信を煽るものでした。記事報道を受け、当該臨床研究のみならず、他のがん臨床研究の停止という事態も生じました。

 10月20日には、患者会41団体が「がん臨床研究の適切な推進に関する声明文」を発表しました。声明は「臨床研究による有害事象などの報道について、一般国民に誤解を与えず、事実を分かりやすく伝える報道を行う」ことを求めるものでした。しかし10月21日の朝日新聞朝刊は、『がんワクチン臨床試験問題 患者団体「研究の適正化を」』と、患者会で問題とされたのが、報道ではなく臨床研究であるかのように重ねて歪曲を行いました。

 10月22日以降、医科学研究所清木元治所長、2学会(日本癌学会・日本がん免疫学会)、オンコセラピー・サイエンス社、そして日本医学会高久史麿会長から朝日新聞報道に対する抗議声明が出されました。抗議では、記事に事実誤認および捏造の疑いがあることが指摘されています。読売・毎日・日経・週刊現代の各紙誌がこの声明を報じましたが、朝日新聞は10月23日記事で同社広報部の「記事は確かな取材に基づくものです」とのコメントを記し、当該記事について真摯に検証する姿勢を見せておりません。

 以上の経過から、朝日新聞社は、信頼される言論報道機関としてのガバナンスに欠けていると判断せざるを得ません。

 私たちは、朝日新聞社に対して適切な医療報道を求め、以下の提言を行います。賛同いただける皆様からの署名も募集いたします。署名は、朝日新聞社の社長及び『報道と人権委員会』(社内第三者機関)に提出いたします。

       記

(1) 東大医科研がんペプチドワクチン記事の訂正・謝罪を行うこと
(2) 同記事の取材過程の検証を行い、再発防止策を立て、公表すること
(3) 今後、がん診療・研究など医療に関しては事実を分かりやすく冷静に伝えること

                   以上

発起人一覧 (順不同)
 小松恒彦 帝京大学ちば総合医療センター 教授 (代表)
 成子 浩 成子クリニック 院長
 矢野秀朗 国立国際医療センター 医師
 濱木珠恵 都立墨東病院内科 科長
 満岡 渉 満岡内科 院長
 神津 仁 神津内科クリニック 院長
 山野嘉久 聖マリアンナ医科大学難病治療研究センター 教授
 岩田健太郎 神戸大学医学部附属病院 教授
 中村利仁 北海道大学大学院医学研究科 助教
 比留間 潔 比留間医院 院長
 谷岡芳人 大村市民病院 院長
 平岡 諦 健保連大阪中央病院 顧問
 竜 崇正 千葉県立がんセンター 前センター長
 森下竜一 大阪大学大学院医学系研究科 教授
 小鷹昌明 獨協医科大学神経内科 教授
 小原まみ子 亀田総合病院腎内分泌内科 部長
 中島利博 東京医科大学医学総合研究所 教授
 大森敏秀 大森胃腸科 院長
 鈴木博之 鈴木内科医院 院長
 吉永治彦 吉永医院 院長
 新家 眞 公立学校共済組合関東中央病院 院長
 和田豊郁 久留米大学病院情報部 部長
 千葉敏雄 国立成育医療研究センター 副センター長
 高見沢重隆 たかみざわ医院 院長
 長谷川 修 横浜市立大学医学部
 鈴木 真 亀田総合病院 部長
 加藤宣康 亀田総合病院 副院長
 黒川 衛 全国医師連盟 代表
 鈴木ゆめ 横浜市立大学付属病院 教授
 佐藤祐二 筑波記念病院血液内科 部長
 一色雄裕 筑波記念病院血液内科 医員
 田中浩明 大阪市立大学腫瘍外科 講師
 鈴木伸明 山口大学医学部消化器・腫瘍外科 助教
 杉浦史哲 近畿大学医学部外科 助教
 副島秀久 恩師財団済生会熊本病院 院長

署名活動に賛同いただける皆様からのご署名は、下記のサイトからお願い申し上げます。

http://iryohodo.umin.jp/

24時間地域巡回型訪問サービス 

人生を終えるまで、老後を自宅で過ごすことができるのは誰しも望むところだろう。でも、それを可能にするには、家族・行政それに介護職の方々の多くの支えと労力が必要となる。それが可能なのはむしろ少数の恵まれた人々だ。

厚生労働省は、在宅介護を進める積りのようだ。彼らの主要な意図は、施設介護よりも公的なコストをかけぬことにあるような気がする。下記の「定額で24時間」在宅介護(地域巡回型訪問サービス)は、それを実現する主要な方策として提案されているように思える。「利用者負担が増えないように」とされているが、出来高でなく、定額にするのは、国や地方自治体の負担を考えてのことではないか。(ただし、一日1、2回の定期的な訪問を定額とし、それ以外を出来高とするオプションも言及されているが、それでは、現状と殆ど変わらない、または定額部分の額によってはかなり利用者にとって割高になりそうな気がする。)

介護を受ける側の問題としては、不要不急の介護の要求をする方が出てくるのではないだろうか。短時間の訪問介護を定額で何度でも受けられるとなると、それこそ何度でも訪問介護を要求する方も出てくるだろう。それは介護者を疲弊させないだろうか。

介護をする側にとっては、そもそもより短時間の介護のために複数回呼び出され、その報酬が定額で一体ペイするのか(行政は、ペイするかどうかギリギリの報酬にする可能性が高い)、さらにこうしたシステムで介護者の士気は落ちないのか。全国展開した介護業者が、不正を行なったことで業務停止になったことも思い起こす(あれも、厚生労働省の責任がなかったのか)。

一つの地域に一業者と指定するのは、医師の強制配置を思い起こさせる。介護業者・介護者を経営面からきっちり縛る定額制と、地域毎に行政が業者を指定する配置制度により、介護を行政が完全に統御する積りなのだろう。これは、医療の明日の姿かもしれない。

そもそも、24時間介護が必要になったら、やはり施設介護の方が効率的であり、持続可能性があるのではないだろうか。自分自身がそう遠くない将来、介護を受ける可能性があることを念頭に置いて、この問題を考えてゆかねばならない。行政の権益拡大の道具にされるのだけは真っ平だ。蛇足なるが、介護保険が出来た当時は、国庫支出が50%だったものが、いつの間にか25%に下げられていることに気付いた・・・。


以下、引用~~~

訪問介護、定額で24時間…厚労省素案
10/10/22
記事:読売新聞
提供:読売新聞


「短時間・複数回」可能

 厚生労働省が、介護保険制度改正で2012年度からの導入を目指す「24時間地域巡回型訪問サービス」の素案が22日明らかになった。

 時間帯を問わず、定期的にヘルパーが自宅などを訪問して短時間の介護を行うほか、利用者からの要請で随時駆けつける仕組みを設ける。一人暮らしや、重度の要介護状態になっても住み慣れた地域で暮らし続けられるようにするのが狙いだ。

 介護保険の受給者は約403万人に上り、その7割が自宅などでサービスを受けている。在宅生活を支える24時間訪問サービスは、菅首相の肝いりで、厚労省の有識者検討会がとりまとめを行ってきた。

 検討会の中間報告案によると、おむつ交換や水分補給などの訪問介護について、1回の介護時間をこれまでの最低20分以上から、10-15分程度と短くする代わりに、1日に複数回、定期的に訪問できるようにする。また、利用者から連絡があった場合、相談に応じたり、介護・看護職員を派遣したりする。

 現在の訪問介護は30分以上の利用が7割弱を占め、1日の訪問回数も最重度の利用者でも平均1・1回にとどまる。このため、「必要以上に介護時間が延びるケースもあり、実際の身体介護のニーズに合っていない」などの声が出ていた。

 利用料については、現在は、滞在時間や訪問回数に応じて料金が増える「出来高払い」制だが、利用者負担が重くならないよう、1日何回利用しても負担が変わらない定額制を、一定の範囲内で採用。具体的には、随時訪問と、1日1-2回の定期訪問を定額制として、それ以上の定期訪問は別料金とするなどの案がある

 事業所がサービスを提供する地域は、利用者の自宅まで30分以内で駆けつけられる範囲を想定。採算がとれるように、一定規模の地域を一つの事業所が担当する「エリア担当方式」の導入などが検討されている。

 同省は検討会の報告を基に、制度の詳細を検討。来年の通常国会に介護保険法改正案を提出する方針だ。

[解説]深夜の職員確保、料金設定も課題

 同居する介護者の6割が60歳以上と、老々介護が深刻化する中、昼夜を問わずに、ヘルパーが巡回する新サービスは、高齢者が可能な限り在宅で生活するために欠かせない仕組みだ。

 介護保険制度では、自宅での訪問介護は1日あたりの回数が限られる。このため、頻繁に介助が必要な高齢者の場合、家族介護が不足しているなどの理由で、在宅生活の継続が困難になる人が多い。特別養護老人ホームの入居待機者約42万人のうち、約6万7000人は在宅で暮らす重度者だ。

 ただし、導入へのハードルも高い。深夜に働く介護職員の確保や待遇をどうするのか。事業者の採算を確保しつつ、利用者が負担可能な料金をどのように設定するのか。綿密な制度設計が求められる。(社会保障部 野口博文)

半世紀振りに約束を果たして 

Timから先程受け取った私信・・・私信だけれど、プライバシーに関わるものではないのでここにアップしても良いだろう。何たる風流・・・最初の百人一首は、メールのまま。日本語のフォントは米国でもすぐ使えるものなのだろうか・・・。

我々の半世紀近く前の約束は果たされた、これからはそれを充実する年月になる・・・。

Timよりのメール・・・

Hello Shin san

奥山に


紅葉踏みわけ


鳴く鹿の


声聞く時ぞ


秋は悲しき



And so although I am very happy that we were able to make our sked after almost 50 years I find myself strangely saddened by the completion of one more youthful goal........Never the less I am so very pleased that we did it and that you and I have reconnected after all these years!

I have called blindly many nights on the agreed frequency waiting for fate to connect us. I had seen a DX cluster spot for you the night before and missed you by seconds....I had been calling you already last night only slightly lower in Freq 14.287 when you called your first CQ......wonderful chance meeting!

We should try as you suggest to do the same on 40 m......I look forward to it......memory is a powerful thing.....last night I dreamt of the 京都御苑,
happy memory of cherry blossoms in spring.

Regards,



Tim

W1MKA

1st ever with Tim 

私は、無線で何局かから同時に呼ばれた時には、原則として弱い局と、キーイングの上手な局に応答する傾向がある。本来なら、ゆっくりとしたキーイングの局にゆっくりお相手をするのが、歳の行った者の責務なのかもしれないが、まだるっこしくなって、それはなかなかできない。

このところ、朝の14メガが北米東海岸に良く開けている。時には、21メガ等も開けている様子だ。今朝、14メガでCQを出すと、3,4局に同時に呼ばれた。すべて北米の局。あちらは、仕事を終え、シャックでほっとしているところなのだろう。早いキーイングのK2ZFに応答しようと、PTTスイッチを押しかけた・・・が、少しゆっくりなバグキーでMKAというサフィックスが聞こえたような気がした。私は、「MKA?」と打ち、もう一度呼ぶように促した・・・そう、あのTim Brown W1MKAだった。

元WB2MKA Timのことは、こちらで既に記した。中学生時代の文通友達だ。45年以上前に、交信の約束をしたが、当時の自作の小さな機械で、交信できるはずもなかった。その後、30年近く前に、一二度手紙のやり取りをしたが、それからまた音信不通になった。最近、たまたま彼がコールをW1MKAに変え、復活したことをネットの情報から知った。それで、またスケジュールを組んだのだが、奥様が病気に倒れられ、交信が出来なかったのだ。

Timは、短点の短めな、いかにも通好みのキーイングをする。ただ、CWはあまり得意でないのかもしれない。ゆっくりとしたCW。これが、あのTimのキーイングか・・・聞こえる向こうで、彼がバグキーを叩く様子を想像した。奥様は、2週間入院されたが、今は回復なさったとのこと。良かった。昨夜バッハを弾くヨーヨーマを聞きながら、私を思い出していた、と。嬉しいことを仰る。ヨーヨーマと並べられては、こそばゆい限りだが、私の演奏を聴いたことがないので仕方あるまい。100Wに木に引っ掛けたデルタループという設備だが、しっかりと聞こえてくる。今度は、7メガで会おうではないか言って、去って行った。

中学時代に無線機を手作りし、竹ざおで硬銅線を使ったアンテナを上げて、電波を出していた時代を改めて思い出した。Timも同じかもしれない。また、どこかで会えることだろう。実は、数日前に、かねて無線の先輩として尊敬していたアメリカのOMとしばらくぶりにお目にかかり、彼が老いていることに気づかされ、無線をする気力が多少失せてしまっていたのだ。あの巨人のようだった彼が、あのように年老いることを受け入れがたかった。しかし、それを事実として受け入れなければならないのだ。Timとの初めての交信のような喜ばしい出会いがまだまだあることだろうし、年老いた先輩には昔の話をしよう。まだ、無線を楽しみ続けてゆこう。

朝日新聞のデッチ上げ記事 

東大医科研で行なわれた、臨床試験で問題があったと朝日新聞が報じた(同内容を読売新聞も報じている)。

『医科研で行なわれた臨床試験で、がん治療ワクチン投与者のなかに、消化管出血を生じた症例があった。このような重篤な有害事象を他の医療機関に伝えていなかった。これは医療倫理上の問題だ。』というのが、朝日新聞の報道の内容だ。

だが、これは故意に事実を捻じ曲げた報道のようだ。問題のすい臓がん末期の患者には、消化管出血はしばしば見られる現象であり、がん治療ワクチンの投与とは因果関係が考えにくいこと、これらの症例は、行政や他の医療機関に有害事象を連絡すべき治験の症例ではなかったこと、試験者である中村教授はこのがん治療ワクチン臨床試験で私的な利益をえる立場にはないこと等々、医科研側は、朝日新聞にはよく説明したのに、説明の一部を勝手につぎはぎされて、恰も医科研が医療倫理にもとる行為をしたかのような記事を、朝日新聞が公表した、ということらしい。

医科研の清木教授が、朝日新聞のこうしたデッチ上げ報道は、『編集委員の解説を持ち上げる』ための工作だったのではないかと、下記の通りMRICで論じている。

新聞は、報道すべき事象を選び出す段階で、一つの価値判断をしている。その価値判断は、報道するに足る内容であり、世の中の人々にとって有用な情報であるとする判断が基本にあるべきだろう。朝日新聞のこの報道は、それを逸脱しているだけでなく、マスコミがしばしば犯す、事実の歪曲を報道内容に加えている。そうした朝日新聞の報道姿勢は、医科研の名誉だけでなく、医学の発展自体を阻害する反社会的なものだ。

朝日新聞、それに追随した読売新聞は、直ちに訂正と謝罪を行い、こうした報道姿勢が生まれるシステムの問題を明らかにし、それを繰り返さぬシステムを作り上げなければならない。そうしないと、マスメディアとして、生き延びることはできない。


以下、MRICより引用~~~

朝日新聞「臨床試験中のがん治療ワクチン」記事(2010年10月15日)に見られる事実の歪曲について
東京大学医科学研究所・教授 
清木元治
2010年10月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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 2010年10月15日付朝日新聞の1面トップに、「『患者が出血』伝えず 東大医科研、提供先に」(東京版)との見出しで、当研究所で開発した「がんワクチン」に関して附属病院で行った臨床試験中、2008年、膵臓がんの患者さんに起きた消化管出血について、「『重篤な有害事象』と院内で報告されたのに、医科研が同種のペプチドを提供する他の病院に知らせていなかったことがわかった」と野呂雅之論説委員、出河雅彦編集委員の名前で書かれています。また、関連記事が同日39面にも掲載されています(その他には、同夕刊12頁、16日社説、36面)。

 特に15日付朝刊トップの記事は、判りにくい記事である上に、基本的な事実誤認があり、関係者の発言などを部分的に引用することにより事実が巧妙に歪曲されていると感じざるをえません。判り難くい記事の内容を補足する形で、更なる解説を出河編集委員が書いているという複雑な構図の記事です。
 
 この構図を見ると、記事の大部分を占める医科学研究所の臨床試験に関するところでは、何らかの法令や指針の違反、人的被害があったとは述べられていないので、記事は解説部分にある出河編集委員の主張を書く為の話題として、医科学研究所を利用しているだけのように思えます。しかし、一般の読者には、「医科学研究所のがんワクチンによる副作用で出血があるようだ。それにもかかわらず、医科学研究所は報告しておらず、医療倫理上問題がある」と思わせるに十分な見出しです。

 なぜこのような記事を書くのか理由は判りませんが、実に巧妙な仕掛けでがんワクチンおよび関連する臨床試験つぶしを意図しているとしか思えません。これまで朝日新聞の野呂論説委員、出河編集委員連盟の取材に対して医科学研究所が真摯に情報を提供したことに対する裏切り行為と感じざるをえません。「事実誤認」関連は医科研HPに掲載しますが、以下のような「取材意図/取材姿勢」にも問題があると考えますのでので、これから述べたいと思います。

その1:前提を無視して構図を変える記事づくり
 記事の中では、ワクチン投与による消化管出血を重大な副作用であるとの印象を与えることを意図して、医科学研究所が提供した情報から記事に載せる事実関係の取捨選択がなされています。
 まず、医科学研究所は朝日新聞社からの取材に対して、「今回のような出血は末期のすい臓がんの場合にはその経過の中で自然に起こりうることであること」を繰り返し説明してきました。それと関連して、和歌山医大で以前に類似の出血について報告があったことも取材への対応のなかで述べています。
 これらは、今回の出血がワクチン投与とは関係なく原疾患の経過の中で起こりうる事象であることを読者が理解するためには必須の情報です。しかし、今回の記事ではまったく無視されています。この情報を提供しない限り、出血がワクチン投与による重大な副作用であると読者は誤解しますし、そのように読者に思わせることにより、「それほど重要なことを医科学研究所は他施設に伝えていない」と批判させる根拠を意図的に作っているという印象を与えざるを得ません。
 事実、今回の記事では「消化管出血例を他施設に伝えていなかった」ということが最も重要な争点として描かれており、厚生労働省「臨床研究に関する倫理指針」では報告義務がないかもしれないが、報告するのが研究者の良心だろうというのが朝日新聞社の主張です(16日3頁社説)。その為には、今回の出血が「通常ではありえない重大な副作用があった」という読者の誤解が不可欠であったと思われます。このことは「他施設の研究者」なる人物による「患者に知らせるべき情報だ」とのコメントによってもサポートされています。進行性すい臓がん患者の消化管出血のリスクは、本来はワクチン投与にかかわらず主治医から説明されるべきことです。取材過程で得た様々な情報から、出河編集委員にとって都合のよいコメントを選んで載せたと言わざるを得ません。

その2:「報告義務」と「重篤な有害事象」の根拠のない誤用 
 単独施設の臨床試験の場合でも、予想外の異変や、治療の副作用と想定されるような事象があれば、「臨床研究に関する倫理指針」の報告義務の範囲にかかわりなく、速やかに他施設に報告すべきでしょう。
 しかし、日常的に原疾患の進行に伴って起こりうるような事象であり、臨床医であれば誰でもそのリスクを認知しているような情報については、その取り扱いの優先順位をよく考慮してしかるべきだと考えます。煩雑で重要度の低い情報が飛び交っていると、本来、監視すべき重要な兆候を見逃す恐れがあります。この点も出河編集委員・野呂論説委員には何度も説明しましたが、具体的な反論もないまま、報告する責務を怠ったかのような論調の記事にされてしまいました。「重篤な有害事象」とは、「薬剤が投与された方に生じたあらゆる好ましくない医療上のできごとであり、当該薬剤との因果関係については問わない」と国際的に定められています。
 また、「重篤な有害事象」には、「治療のため入院または入院期間の延長が必要となるもの」が含まれており、具体的には、風邪をひいて入院期間が延長された場合でも「重篤な有害事象」に該当します。このことも繰り返し説明しましたが、記事には敢えて書かないことにより「重篤な有害事象」という医学用語を一人歩きさせ、一般読者には「重篤な副作用」が発生したかのように思わせる意図があったと判じざるを得ません。実際に、この目論見が当たっていることは多くの人々のネットでの反応を見れば明らかです。

その3:インパクトのあるキーワードの濫用 
 本記事を朝刊のトップに持ってくるためのキーワードとして、人体実験的な医療(臨床試験)、東京大学、医科学研究所、ペプチドワクチン、消化管出血、重篤な有害事象、情報提供をしない医科研、中村祐輔教授名などはインパクトがあります。特に中村教授については当該ワクチンの開発者であり、それを製品化するオンコセラピー社との間で金銭的な私利私欲でつながっているとの想像を誘導しようとする意図が事実誤認に基づいた記事のいたるところに感じられます。
 中村教授はペプチドワクチン開発の全国的な中心人物の一人であり、一面に記事を出すにも十分なネームバリューであります。しかし、本件のペプチド開発者は実は別人であり、特許にも中村教授は関与していません
 臨床試験に必要な品質でペプチドを作成することは非常に高価であるために、特区としてペプチド供給元となる責任者の立場です。これらの情報も、取材過程で明らかにしてきたにもかかわらず、敢えて事実誤認するのには、何か事情があるのでしょうか。

その4:部分的な言葉の引用
 朝日新聞の取材に対する厚生労働省のコメントとして「早急に伝えるべきだ」との見解が掲載されています。しかし、「因果関係が疑われるとすれば」というよう前置きが通常はあるはずであり、それを削除して引用することにより、医科研の対応に問題があったと厚生労働省が判断したかのようミスリードを演出した可能性があります。

 以上のように、朝日新聞朝刊のトップ記事を書くために、医科学研究所では臨床試験の被験者に不利益をもたらす重大な事象さえ他施設に伝えることなく放置しているというストーリーを医科学研究所が提供した情報の勝手な取捨選択と勝手な事実誤認を結び付けることにより作ったと考えざるを得ません。
 これほどまでしなければならなかった出河編集委員の目的は何なのでしょうか?それが解説として述べられている出河編集委員の主張にあると思われます。出河編集委員はこの解説を1面で書きたい為に、医科学研究所で不適切ながんワクチンの臨床試験が行われたという如何にも大きな悪があるというイメージを仕立て上げなければならなかったのではないかと想像します。
 解説部分では、臨床試験では法的な縛りがないので、患者に伝えられるべき重要な副作用情報が開発者の利害関係によって今回の医科学研究所の例に見られ得るように患者や医療関係者に伝えられないことがあるということを主張し、だから一律に法規制を掛けるべきだという、彼の従来の主張を繰り返しています。適否は別にして、この議論は今回の医科学研究所の例を引くまでもなく成り立つことです。しかし、医科学研究所の臨床試験に対する創作的な記事を書くことにより、医科学研究所の臨床試験のみならず我が国の医療開発に対して強引な急ブレーキを掛けようとしているだけでなく、標準的な治療法を失った多くのがん患者さんが臨床試験に期待せざるを得ない現在の状況をまったく考慮していません
 このことは自らがん患者である片木美穂さんのMRICへの投稿<http://medg.jp/mt/2010/10/vol-325.html#more>に的確に述べられていると思います。

 今回の朝日新聞の記事を見るとき、かなり昔のことですが、高邁な自然保護の主張を訴えるために自ら沖縄のサンゴ礁に傷つけた事件があったことをつい思い出してしまいます。今回、傷つけられたのは、医科学研究所における臨床試験にかかわる本当の姿であり、医療開発に携わる研究者たちであり、更には新しい医療に希望をつなごうとしている全国の患者の気持ちです。

 法規制論議についてはマスコミの取材と記事についても医療倫理と同様のことが言えるのではないかと思います。沖縄の事件のように事実を捏造して記事を書くのは論外ですが、事実や個人の発言をいったんバラバラにして、あとで断片をつなぎ合わせる手法を用いればかなりの話を創作することは可能です。これらも捏造に近いと思いますが、許せる範囲のものからかなり事実と乖離したグレーなものまであるでしょう。しかし、新聞記事の影響は絶大であり、これで被害が及ぶ人たちのことを考えればキッチリと法的に規制をかけて罰則を整えないと、報道被害をなくすることはできないと言う意見も出てきそうです。しかし、そういった議論があまり健全でないことは言うに及びません。社会には法的な規制がかけにくい先端部分で新しい発展が生まれ、人類に貢献し、社会の健全性が保たれる仕組みとなることも多々あります。無論そこでは関係者の高いモラルと善意が必要であることは言
うまでもありません。

 今回の報道では、新しい医療開発に取り組む多くのまじめな研究者・医師が傷つき、多くのがん患者が動揺を感じ、大きな不安を抱えたままとなっている現状を忘れるべきではないでしょう。朝日新聞は10月16日に、「医科学研究所は今回の出血を他施設に伝えるべきであった」という社説をもう一度掲げて、「研究者の良心が問われる」という表題を付けています。良心は自らを振り返りつつ問うべき問題であり、自説を主張するためには手段を選ばない記事を書いた記者の良心はどこに行ったのでしょうか。また、朝日新聞という大組織が今回のような常軌を逸した記事を1面に掲載したことが正しいと判断するのであれば別ですが、そうでなければ社内におけるチェックシステムが機能していないということではないでしょうか。権力を持つ者が自ら作ったストーリーに執着するあまり、大きな過ち犯したケースは大阪地検特捜部であったばかりです。高い専門性の職業にかかわるものとして常に意識すべき問題が改めて提起されたと考えます。

 朝日新聞に対しては今回の報道の十分な検証と事実関係の早期の訂正を求めたいと思います。

感動を与えてくれた音楽、サイトウキネンと、ブラームスピアノ四重奏曲2番と 

最近、BSで放映された音楽で感動したもの二つ。

一つは、今年のサイトウキネンフェスティバルでの小澤征爾の指揮した、チャイコフスキー弦楽セレナーデの1楽章。燃え上がるような演奏だ。ただならぬものに接するような畏怖の念を抱かせる演奏。小澤氏は、かなりやつれていたが、指揮台の上では、老いや病上がりであることを感じさせない。このような演奏に生で接することができた人は、何と幸いなことだろうか。ちなみに、サイトウキネンという音楽祭のタイトルは、今年が最後らしい。私の憧れの倉田澄子女史も、チェロの後ろのプルトで熱演してた。小澤氏の病状が少し気になる。

もう一つは、樫本大進他邦人演奏家(チェロだけは、趙静という中国人の演奏家・・・彼女も日本で教育を受けた方だが・・・)によるブラームスのピアノ四重奏曲2番イ長調作品26の演奏。この曲の瑞々しい美しさが迫ってくるような演奏だった。以前、この曲の第二楽章について印象を語った記憶があるが、同楽章だけでなく、すべての楽章が、恰も初夏の木々の葉に水玉が揺れるかのような瑞々しさを感じさせる。そうした描写が、単なる自然描写ではなく、深く心象風景の描写になっている。

11月上旬、信州で大学オケの後輩が演奏する、シューベルト「冬の旅」の全曲演奏をやはり聴きに行ってこようと改めて思った。

ブラームスのピアノ四重奏曲2番の映像と演奏。1楽章は、どこかの音楽祭でのもの。少しデッドな演奏環境で、弦が響かないのが残念だが・・・ピアノと寄り添い、さらに反発しながら弦が歌いあげる、楽しい演奏だ。



同じ曲の2楽章。名手ボーザールトリオの演奏。ピアノはプレスラー、ビオラがトランプラー。暖かな響きだが、途中(3分半の辺り)の慟哭するかのようなピアノも聴きもの。惜しいことに、最後の部分が切れている・・・。

旅愁 

仕事場への往復に走る、農道の道端に咲いているコスモス。今年は、例年よりも少ないかもしれない。

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同じく、通勤路の道端からみた畑・・・遠くに、日光・那須連山が見える。

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最近は遠出することもなく、通勤路で車を停めて、こんな被写体にデジカメを向けるだけ。歳相応、身分相応かな・・・。

来月上旬、大学オケ時代にお世話になった方が、リサイタルを信州で開くと連絡があった。一泊、または日帰りで行ってこようかと思案中。土日は、道路が混み合うか。姫川沿いの渓谷も見てみたい。ふっと旅に出たくなる。

官僚による世論誘導・情報操作のための記者クラブ制度 

記者クラブは、戦前の遺物だ。現在、大手マスコミは、その寡占体制のぬるま湯にどっぷり浸かり、一方、官僚と政府は、それを利用して世論誘導・情報操作をしている。最近では、検察・警察による情報操作が目に余る。

行政は、記者クラブの開放をしているように見えるが、実質的な記者クラブでの記者会見を主催する権利や、質問権は大手マスコミが握っているらしい。

ここ数年明らかになった冤罪事件、特に医療関連の事件において、記者クラブがどのような役割を果たしてきたのか、官房機密費の問題の解明が少しもされていないが、記者クラブがその解明を阻害しているのではないか、この制度の弊害が目立つ。

ニューズウィーク東京支社長がかって語ったという次の言葉は重い。

「記者クラブは官僚機構と一体となり、その意向を無批判に伝え、国民をコントロールする役割を担ってきた。記者クラブと権力との馴れ合いが生まれており、その最大の被害者は日本の民主主義と日本国民である。」

細田満和子氏は、米国留学中の社会学者だ。MRICに、優れた印象に残る文章を定期的に寄稿されている。ポリオ生ワクチンの問題について、記者クラブが果たした役割を批判的に述べている。


以下、MRICより引用~~~

『ボストン便り』(17回目)
「声の民主主義」

細田 満和子(ほそだ みわこ)
2010年10月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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紹介:ボストンはアメリカ東北部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関する話題をお届けします。(ブログはこちら→http://blog.goo.ne.jp/miwakohosoda/)

略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー。博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程を経て、02年から05年まで日本学術振興会特別研究員。05年から08年までコロンビア大学メイルマン公衆衛生校アソシエイト。08年9月より現職。主著に『「チーム医療」の理念と現実』(日本看護協会出版会、オンデマンド版)、『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海社)。

「声の民主主義」

ジョン・ダワーの『戦争の文化』

 ボストンにいてよかったと思うことのひとつは、アカデミック界の有名人に折に触れて出会えることです。これまでに、ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン氏、医療におけるナラティブを広めたアーサー・クラインマン氏、元国連難民高等弁務官の緒方貞子氏などの講演に出かけていっては、それぞれの著書にサインをしていただいています。つい先日は『戦争の文化Culture of War』を上梓したばかりのMIT名誉教授ジョン・ダワー氏の講演を聴きに行ってきました。

 ダワー氏といえば、戦争の最高責任者の罪を不問にして、その戦争最高責任者さえも被害者に仕立てて「敗北」の痛みを国民全員で分かち合い、それを糧にして戦後の繁栄を築いてきた日本人を描いた著書『敗北を抱きしめてEmbrace Defeat』で知られています。『戦争の文化』では、二つのグラウンド・ゼロを対比させ、戦争が記号としてばく進していった近現代のアメリカの歴史が描かれています。ふたつのグラウンド・ゼロとは、原子爆弾の投下された1945年のヒロシマとナガサキ、そして自爆テロで超高層ビルが倒壊した2001年のニューヨークのワールド・トレード・センター跡地、いわゆる911の現場のことです。

 この本には実に120枚もの写真が掲載され、戦争が画像として生々しく印象付けられています。日本に関していれば、これまでにあまり見ることのなかったようなアメリカの雑誌に掲載されていた戦時から戦後にかけての写真も数多く載っているので、あの戦争について改めて考える機会となりました。

 この日のために、初めてパワーポイントで資料を作ったというダワー氏は、講演の中でもそうした写真を紹介してくれました。その一枚に、東京空襲で黒焦げになってうつぶせに倒れる女性とそばに転がる小さな塊のような赤ん坊の写真がありました。女性の背中だけはあまり焦げていません。それは子どもを背負って逃げまどっていたからでしょう。ダワー氏は「ひどい、本当にひどい。悲劇だ」と震えた声で説明をしていました。

想像力の限界

 ダワー氏は二つの戦争、第二次世界大戦とイラク戦争が、アメリカにおいて共通のキーワードで語られ、共通のイメージで思い起こされてきたことを指摘します。それらは、「Day of Infamy(汚名の日)」や「We will never forget(われわれは決して忘れない)」という言葉であり、日本の真珠湾攻撃や「カミカゼ特攻隊」、テロリストたちのワールド・トレード・センターへの追突や自爆のイメージでした。ダワー氏は、出版直後のボストン・グローブ誌のインタビューにこのように語っています。

「(ワールド・トレード・センターが崩壊した時)私は、新聞の見出しが『Infamy(汚名)』や『Day of Infamy(汚名の日)』となっていたことに興味を惹かれました。911は、すぐに真珠湾と日本のことに結び付けられたのです。これらはこれまで私が慣れ親しんできたものです。メディアは次々に、911の攻撃をかつての日本のしたことに例えてきました。それらは自爆者、カミカゼなどです。911に対するスローガン『We will never forget(われわれは決して忘れない)』も『Remember Pearl Harbor (真珠湾攻撃を思い出せ)』を髣髴させるものでした。こうしたイメージは、アメリカ人に怒りを覚えさせ、報復を誓わせるのです。」

 911後のアメリカでは、起こった事実そのものよりもアナロジーをマスメディア(もちろん政治的圧力がたっぷりかかっている)が強く押し出すことで、戦争のイメージが作り上げられていった、とダワー氏は分析します。

「真珠湾攻撃も911のテロも、我々の想像力の限界から生じました。我々は他者を見ることができなかったのです。事が起こる前に、彼らの動機や彼らの能力を理解することができなかったのです。」

自由の国での言論の不自由さ

 ダワー氏の本の中では、戦後辿った日本とイラクの状況の違いにも言及されています。日本ではアメリカ軍の占領下でもある程度、市民生活は平和的に営まれ、戦後の高度成長が用意されていきました。また、アメリカの雑誌記事などによると、アメリカ人は日本風生活様式を身につけようとさえしていた、ということでした。ところがイラクでは、占領下で人々の生活はアメリカ軍によって脅かされたままでした。何も武器など持っていない市民に対しても、少しでも疑わしいとなると銃口が突きつけられる光景は珍しくないといいます。

 それではどこにこの違いがあるのか。ダワー氏は、この違いは日本とイラクにあるのではない、アメリカ自身にあるのだ、と言いました。そして、それまで話していたマイクから離れ、まるで録音されては困るのでここだけの話にしてくれ、という風にこう話しました。この違いは、ブッシュ政権のアメリカが寛容性をなくし、イラクに対して厳しい態度を取り続けてきたから生じてきたのだと。

 違いがアメリカ自身にあるという答えは予想できましたが、私はむしろダワー氏が、このことが記録として残るのを恐れるように、マイクから離れて話したことに驚きました。自由の国アメリカでさえ、政府を批判するにはこれほどまでに慎重になる必要があるのか。興味深いとともに、背筋が寒くなる思いがしました。

 ふと、これと同じような思いを、つい最近感じたことを思い出しました。それは、ポリオの予防ワクチン被害をめぐることでした。

ポリオ・ワクチン被害と報道

 今年9月中ごろ神奈川県藤沢市でポリオのワクチン接種によってポリオにかかった女児のことが日本で大きな話題になったと思います。わたしもウェブ上の新聞でこの記事を見ました。

 ワクチンには副作用がつき物と考えられていますが、ポリオの場合、問題はそう簡単ではないといいます。日本では、現在に至るまで予防接種に生ワクチンが使われているのです。これは先進国としては例外的です。欧米ではすでに副作用のほとんど見られない不活化ワクチンに移行し、韓国、台湾、香港もすでに不活化に切り替えています。中国は現在切り替えを進行中だといいます。

 どうして日本では未だに生ワクチンのままなのでしょうか。その理由として指摘されているのが、日本で不活化ワクチンの開発に成功していないことがあげられています。それなら海外で使われている不活化ワクチンを輸入すればいいのではないかと考えられるのですが、そうすると厚生労働省の天下り機関であるワクチン会社が打撃を受けるので輸入もできないそうです。これも疑問に思うことではありますが、もう一つ疑問に思うことが、このポリオ・ワクチン被害に関する一連の報道に関してありました。

 すなわち、生ワクチンによるポリオ被害者の数が過少に公表されているということです。厚生労働省は、生ワクチンによるポリオの発症を440万人に1人と発表しています。ところが、WHO(世界保健機関)では、2004年に100万人に2~4人と、アメリカのCDC(疾病管理センター)も同じく100万人に2~4人と公表しています。そして現在それが標準として世界で使われています。それではどうして日本だけが例外的に440万人に1人といっているのでしょう。そこには、生ワクチンの安全性を宣伝したい意図と、その製造元を守りたいという意図があると考えられています。また、どういう訳か、日本だけが生ワクチンによるポリオ発症数を、WHOに報告さえしていないといいます。

 この件に関して以前から疑義を唱えてきた団体に、ポリオの会があります。ポリオの会は、ポリオにかかった患者の会で、従来から不活化ワクチンへの切り替えを政府に要望し、この夏からは署名活動を行っています。ポリオの会では、独自の調査と平成元年からの19年間で80例の一次感染があったという福田元総理の答弁書を根拠に、生ワクチンによるポリオ被害者は25万人に1人という数字を出しています。

 藤沢市で被害者が出た時、ポリオの会はテレビや新聞から取材を受け、この数字に関して詳細に説明し、記者も理解したようだったといいます。しかし各報道機関は、厚生労働省の使用する440万人に1人という数字を使わざるを得なかったということです。

 それはどうしてなのでしょうか。どうやら「記者クラブ」の存在が関わっているということです。厚生労働省には「記者クラブ」というのがあって、このメンバーでないと省からの発表は聞けません。「記者クラブ」のメンバーは、クラブ自身が決めます。しかしながら「記者クラブ」は、厚生労働省のビルの中に設置されていて、かなり大きな部屋を格安の価格で提供されています。ここに利益相反(conflict of interest)がないとは言い難いでしょう。どの省にもこうした「記者クラブ」が存在し、報道機関は省を明確に非難したり、省の意向に反する記事を出したりすることを自主規制しているといいます。民主党政権になり、「記者クラブ」の場だけではなく、オープンに記者会見をする大臣も出てきましたが、厚生労働大臣はオープンにしてこなかったそうです。

 にわかに信じがたい話にも聞こえますが、もしそうだとしたら明らかに言論統制なのではないでしょうか。言論の自由の保障された国で、実は政府を批判することにサンクション(制裁)があるということは、かなり恐ろしいことだと思います。
 
想像する力と民主主義

 ダワー氏の「戦争の文化」の論点のひとつは、大きな組織の一部となってしまうと、自分が何をしているのか分からなくなってしまう、ということでした。例えばロス・アラモスで、部品を作ったり情報交換手をしたりしていた人たちは、自分たちがとてつもない悲劇を生むことになる原子爆弾を開発しているとは思ってもいなかったといいます。兵士たちもそうです。軍隊という組織の中で、上司の命令を聞くだけの機械に変えられてしまっているので、自分たちが、将来の夢や家族のある、自分たちと同じ人間を殺していることが想像できなくなっています。

 社会学の巨人マックス・ウェーバーは、近代社会における合理的な支配システムを「官僚制」といいました。「官僚制」によって、効率的で生産的な近代資本主義社会の発展が促されたと評価される一方、それは規則万能で非人間的なものになるといういくつかの弊害も指摘されています。気をつけていただきたいのですが、社会学で「官僚制」という時は、形式と規則があり、階層性を持ち、指示命令系統のある組織をまとめて「官僚制」と呼んでいます。したがって、「官僚制」は役所だけでなく軍隊や学校や病院やNPOなどあらゆる組織に見られます。そしてそこにいる人間は役所の官僚に限らずとも、「官僚制」による影響を強く受けていると考えます。

 ポリオ・ワクチンに戻れば、厚生労働省という組織の一部になってしまう官僚は、生ワクチンでポリオに罹った子どもの将来、その家族の痛みを想像するということはないのでしょう。ワクチン被害者たちの「自分たち家族を最後の被害者にして欲しい」という叫びは、現状を変えずに組織を維持したい彼らには届いていないのでしょう。

 講演の最後にダワー氏は、このようなことを言っていました。「暴力の連鎖を断ち切らなくてはいけません。そのために私ができることは、つらい事実に誠実に向き合い、語ってゆくこと、考えてゆくこと、こんな風に本として出すことです」。そしてそれは「民主主義を強化してゆく方法」でもあると言います。

 ダワー氏がいみじくも政権批判をする時にマイクから離れたように、批判の声を上げて語ってゆくことは決して簡単なことではありません。たくさんの勇気がいることです。しかし、語ってゆかなくてはならないと思いますし、書いてパブリックなものにする(出版する)ことが大事だと思います。

 マーチン・ルーサー・キングはこう言いました。「変革の時代における最大の悲劇は、あしき人々の過激な言葉や行動ではなく善良な人々の沈黙と無関心だ」。ポリオ・ワクチンの問題に関しては、今、人々は発言し、世の中の関心を高めてきています。このことは、変革がそう遠い事ではないことを予感させ、希望を感じさせてくれます。

<参考文献>
・ボストン・グローブの記事(2010年9月26日にダウンロード)
 http://www.boston.com/ae/books/articles/2010/09/05/in_our_reaction_to_911_echoes_of_pearl_harbor/
・Dower, John, 2010, Culture of War: Pearl Harbor/ Hiroshima/ 9-11/ Iraq, W.W. Norton: NY.
・Dower, John, 1999, Embracing Defeat: Japan in the wake at World War ?, W.W. Norton: NY.
・ポリオの会、2010、ポリオの会ニュース、2号(通巻第55号)

Ropartz Piano Trio a moll 

今年の5月19日付けで、この曲についてポストした。こちら。譜面も入手した。でも、とても難しそう。IMSLPでも譜面が入手できる。こちら

普段聴いている音源は、こちら

この曲を、どこかの団体が演奏しないものだろうか。少し遠くても聴きに行くのだが・・・。

N氏一周忌 

昨年、10月6日に逝去された友人Nさんのお墓参りに、先週水曜日の午後でかけた。こちらから行くと、日光の山々の裾野にあたる町に彼の家はある。午前中の仕事を終え、自宅にちょっと寄ってから、車を走らせた。木々の葉は、少し色づいているが、本格的な紅葉はまだまだだ。でも、日光に向かう杉並木沿いに、りんごの直売所がたくさん設けられていた。

Nさんのご自宅でお茶をご馳走になりながら、奥様と昔の話を取り留めなく続けた。彼が東京で電気の勉強を夜間の学校でしていた頃、彼が友人に宛てた手紙を見せていただいた。「友よ」という書き出しで始まるその長い便りは、再生式受信機の作り方をその友人に教える内容だった。でも、最初と、最後に、この受信機を使って、「北京放送を受信し、階級闘争を戦い抜こうではないか」と、少しふざけて、でも基本的には真面目に記されていた。1970年代は、団塊の世代と、そのすぐ下の世代にとって、政治的な時代の終焉を迎えた時代だったのだ。昼間は仕事をし、夜間の学校で勉強しながら、彼は左翼的な思想に惹かれていったのかもしれない・・・私には、そんなことはおくびにも出さなかった。

彼は、職場で、上には強く下には優しい人であったことを、彼の話振りから、私自身感じていた。それを奥様に言うと、その通りだった、経済的な理由もあって、最後まで平社員のままでい続けたと仰っていた。彼が、最後の10年ほど熱中していた山歩きとロッククライミングの写真も沢山見せてくださった。どの写真にも、若い人たちに囲まれ幸せそうな笑顔のNさんが写っていた。会う度に、仕事を辞めて、山に入って生活したいと語っていた彼だが、実際には、定年後も仕事場に残れるようにと一生懸命だったらしい。

亡くなる2,3年前から、仕事で小笠原に定期的に通っていたらしい。ご子息には時々一緒に行かないかと誘ったが、いつも断られていた。が、白血病を発症することになる最後の小笠原行きに初めてご子息も同行されたらしい。それまで一緒に行動しなかったのに、どうして昨年は一緒に行ったのか、ご子息に尋ねた。はっきりした理由はなかったようだ。でも、何かが一緒に行くように彼に告げたのだろう。

彼が亡くなって1年経った。Nさんのいらっしゃらない生活が、一応はN家で動き出しているように見えた。でも、治療の可能性等について話しが及ぶと、奥様はまだ何かできたのではないかと考える風だった。その思いは、段々普段の日常の背後に隠れてゆくのかもしれないが、きっと奥様にとっては一生持ち続ける思いなのだろう。

奥様も体調が万全ではない様子だが、パートタイムの仕事をして、ご家族を養っておられる様子だ。庭の周囲には、木を植え、芝がきれいに手入れされている。奥様が、皆手入れしてくれていると、姑である母上は嬉しそうに語っておられた。母上は腰痛が酷く、最近はままならないのだが、ずっと草むしりをしておられた様子。静かな田園と杉林に囲まれたご自宅にいると、時間の過ぎるのがゆっくり感じられた。

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近くの墓地にある、彼の墓をお参りし、ご家族とお別れしてきた。手作りの山椒の実と小魚の佃煮をお土産に頂いた。また来年、Nさん・・・。

矛盾だらけのインフルエンザ予防接種指針 

今回のインフルエンザ予防接種は、接種方法・費用その他まで行政が事細かに決めている。それはそれで良いのだが、内容が極めてお粗末であり、また決めて現場に連絡するのが遅すぎる。

都道府県と医療機関の間に、都道府県医師会が介在して、予防接種契約を結ぶという形式をとっているが、実質は、行政と医療機関の間の契約関係である。その契約内容が明らかにされる前に、医師会から契約をしろ、要するに白紙委任の契約を半ば強制された。民間では考えられぬことだ。

で、具体的な契約書が県から送られてきたのは、契約が発効する日の前日9月30日だった。行政は、契約の発効日を、大分前から認識していたはずであり、もっと早く情報を現場に流し、契約内容を確定しておかないのだろうか。いわば、昨年秋から、この事態になることは分かっていたはずだ。行政は、医療現場に対して、様々な書類の提出などの期限を極めて短い時間に指定してくることが多い。しかし、自らの行う事務作業は、この体たらくだ。インフルエンザ予防接種が、昨年のような行政に振り回されるものになるのであれば、契約をしないことも考えていたのだが、それを実際に考える時間的な余裕が全く、医療現場には与えられていない。行政が民間の上に立つという意識はいい加減止めてもらいたい。

インフルエンザ広域予防接種の契約書等々の書類が、どっと送られてきた。9月30日以来現在までのところA4版で64ページに上っている。ところが、臨床現場で知りたい、最も重要なデータが抜けている。例えば、基礎疾患のある症例に予防接種を行う場合の具体的な効果と副作用リスクのデータだ。こうしたデータは、厚生労働省が握っているはずだが、送られてきた書類には、そうした症例の方々は、主治医とよく相談して受けるかどうか決めるように記されているだけだ。これでは判断しようがない。

下記の論説の著者和田氏の言われることには、大きく頷くばかりだ。付け加えると、こちらに送られてきた書類からは、GSK社の一価予防接種を、国産のものと比較して、アジュバントの使用等から副作用が多い印象を与える記述が目立つ。両者を別々な研究の結果から比較しているのだが、対象集団の違いを考慮しなければ、はっきりものは言えないはず。

そのまるで不完全な文献上の比較でも、客観的な所見である局所の発赤・腫脹は国内産のものの方が多く、さらに重い副反応は国内産2例・GSK製なし(ただし、両者の母集団数不明)である。他の痛みや倦怠感といった主観的要素の強い副反応がGSK製の方で多くなっている。重篤な副作用の起きる危険性は、極めて低い。しかし、重篤な副作用が国内産の予防接種に「相対的に」多かった可能性を、村重直子氏がその著作「さらば厚労省」(講談社刊)で記している。しかし、全般の記載を素直に読むと、行政は、国内産の予防接種を使わせたい意向のように、どうしても思える。どうしてしっかりとした比較研究を行い、そのデータを公開しないのだろうか。これでは、自らの天下り先でもある国内弱小メーカーを護送船団で守りたいと、厚生労働省の医系技官が考えていると疑われても仕方がない。

今回のインフルエンザ予防接種の費用は、行政が決めた。市町村別になっている。一つの市町村で、費用は20から24通りに分かれている。共通点も多いのだが、それにしても複雑怪奇である。もう少し、シンプルに出来ないものだろうか。医療現場には、医療スタッフだけでなく、事務スタッフも少ない。このように複雑な費用体系は、事務スタッフを疲労困憊させる。

さて、インフルエンザに関わる行政からの通知は、今年は何ページになることだろうか。行政は、医療現場の自主性を認めず、恐らく行政の利権がより多くなるように決めた方針を事細かに現場に押し付けてくるのだろう。


以下、MRICより引用~~~

矛盾だらけのインフルエンザ予防接種指針

わだ内科クリニック院長
和田眞紀夫
2010年10月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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厚生労働省は及び腰もいいところで、インフルエンザの予防接種に関して国民に正しい指示を与えようとはしない。ここではインフルエンザ実施要綱の内容についてのいくつかの矛盾点や問題点を取り上げてみたい。事実関係の確認については下記の厚生労働省のホームページに掲載されている内容をご参照いただきたい。

「新型インフルエンザワクチン接種事業(平成22年度)に関するお知らせ」
http://www-bm.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/inful_vaccine22.html
「新型インフルエンザワクチン接種事業(平成22年度)に関するQ&A」
http://www-bm.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/info_qa22.html

始めに問題点を挙げると、新型(A/ H1N1パンデミック2009)インフルエンザに罹患して重症化しやすいのは、高齢者や基礎疾患(慢性疾患)を持つ方と妊婦や乳幼児の方であると説明しておきながら1)積極的に妊婦に接種を勧奨することはせず、2)乳児(0歳)に至っては接種を勧めていないとはっきり言い切ってしまっていること、この2点は大きな矛盾と間違った方針決定を含んでいると思われる。

ちなみに米国における2009パンデミック(H1N1)インフルエンザに対する接種基準(2009)をご紹介すると、「米国ではワクチンの優先者は妊婦が筆頭である。続いて、6ヶ月以下の乳児と同居または世話をする人、続いて、保健医療担当者・救急業務担当者、(さらに)続いて6ヶ月から24歳までの若年層、そして25歳から64歳までのインフルエンザが重症化する可能性のある慢性疾患保有者、となっている。25歳以上の基礎的疾患を保有していない市民(65歳以上の高齢者を含む)は、最後の最後である。」以上、「鳥及び新型インフルエンザ海外直近情報集」http://nxc.jp/tarunai/の2009.10.19記載より転記。( )部分は筆者が補足した。なお、今年の米国CDCの基準では6ヶ月以上5歳までの小児、特に2歳以下の小児、65歳以上の高齢者などを最重要対象に含めている(同2010.9.29記載参照)。これは今年度に関してはA/ H1N1パンデミック2009に加えてA香港型(AH3N2)が混合して流行することが予想されているためだ。

ところで、なぜ日本では妊婦の接種に及び腰なのか。筆者が想像するには従来の季節性インフルエンザに対する予防接種における方針を継承しているためと思われる。かねてから米国では妊婦への接種を勧奨してきたのに日本では眞逆の方針をとってきたという経緯がある。これまでの季節性インフルエンザ用のHAワクチン(北研および生研)の添付文章を転記したい。「妊娠中の接種に関する完全性は確立していないので、妊婦又は妊娠している可能性のある婦人には接種しないことを原則とし、予防接種上の有益性が危険性を上回ると判断された場合のみ接種すること」。それでは今年度のHAワクチン(北研)、すなわちA型H1N1株を含む3価ワクチンの添付文章はどうな
っているだろうか(以下転記)。「妊娠中の接種に関する完全性は確立していないので、妊婦又は妊娠している可能性のある婦人には予防接種上の有益性が危険性を上回ると判断された場合のみ接種すること。(後略)」。つまり「接種しないことを原則とし、」という部分を除いただけで大きなスタンスは変えられていないのだ。このような危険極まりない表現が使われていては妊婦に接種する気には誰もなれず、とてもではないが妊婦に接種を勧奨しているという状態とはいえない。にもかかわらず、上記の厚生省のサイトの説明では「現在までのところ、妊娠中にインフルエンザワクチンの接種を受けたことで、流産や先天異常の発生頻度が高くなったという報告はありません」という事実だけをさりげなく載せている。

話を乳児に移そう。さすがに欧米でも出生直後から生後6ヶ月までの乳児は予防接種対象からはずしているのだが(その代わりその保護者の接種を優先的に勧奨している)、6ヶ月以上は接種対象に入れるのが一般的だ。今年の米国の接種勧奨対象も生後6ヶ月以上の全ての国民となっている。アジアではどうかというとつい先日発表された台湾の基準でも生後6ヶ月以上を接種の対象としており、特に小学校3年生までの小児と65歳以上の高齢者を無料とすることで接種を促している(http://nxc.jp/tarunai/の2010.9.29記載)。それにも関わらず、日本で乳児を接種対象からはずしている理由は、「1歳未満のお子様に対する新型インフルエンザワクチン接種は、免疫をつけることが難しいためおすすめしていません。」と説明している。つまり、乳児はハイリスクグループに含まれると認めていながら「効果がないから」という理由だけで「勧めない」と言い切ってしまっている。それにも関わらず両親が強く望むなら(補償はしないけれども)どうぞというスタンスで、接種量だけを設定している。ところが、この場合はせめて生後6ヶ月以上とはせずに、出生直後から接種してよいことにしている(こういう国も世界中例を見ない)。実に無責任な設定と見受けられるが、実際補償をしないのだから責任は取らないということだ。これではもう何の指針にもなっていない。

最後に日本が設定している小児に対する接種投与量が全くおかしいことを問題提起しておきたい。「A型インフルエンザHAワクチンH1N1」の用法・用量は、1歳未満 0.1mL 2回、1-6歳未満 0.2mL 2回、6-13歳未満 0.3mL 2回、13歳以上 0.5mL 1回である。このように年齢に従って投与量を細かく減らしていくのは国産ワクチンだけである。乳児(0歳)に関しては0.1mLという設定だが、0.1mLの接種が実際にどのようなものか実態を認識して決めているのだろうか。0.5mLの接種でも実際は注射器や針の壁面で薬液をロスしてしまって、0.4mLぐらいになることはあり得るだろう。ある行政のQ&Aでは、「0歳の乳児のインフルエンザワクチンの接種は可能ですが、摂取量が1回
0.1mLと微量のため免疫効果がはっきりしていません。」として0歳児の接種を勧めていない。それでは何を根拠に接種量を0.1mLと設定したのだろうか。ちなみに国も承認している輸入1価ワクチン「アレパンリックス(H1N1)筋注」(グラクソ・スミスクライン株式会社)の用法・用量は6カ月‐9歳 0.25mL 2回(著者註:諸外国では2回だが、厚労省のサイトでは1回となっている)、10歳以上 0.5mL 1回となっている。さらにノバルティス社製は6カ月‐8歳 0.5mL 2回、9歳以上 0.5mL 1回、バクスター社製に至っては6カ月以上すべての年齢で0.5mL 2回となっていて、乳児も大人も接種量は同じ設定である。一般的にいって免疫応答というのは付くか付かないかであり、容量依存性に増大するものではない。ちなみに日本で行われている麻しんワクチンでは1歳児も大人も接種量は0.5mLである。厚生労働省は乳児のインフルエンザワクチンの接種量を0.1mLと設定した根拠と正当性を明らかにして欲しいし、それができないのなら小児の接種量を年齢によらず0.25-0.5mLと共通にして至急臨床データを集積して効果と安全性を確認すべきである。データがないといって何年も放置したままにしているのは怠慢以外のなにものでもない。

母、帰郷 

週末を使って、弟夫婦が、年老いた母を我が家に連れ帰ってくれた。土曜日の夕方、5時間近いドライブを終えて、到着した母は、両親がかって生活していた離れの台所兼食堂のテーブルのいつもの位置に座っていた。かって毎朝座っていたように、同じ場所に腰を下ろしていた。長時間のドライブで疲れたのだろう。視線が少し定まらないように見えた。大分痩せて、身体が一回り小さくなった。少し意識レベルが下がっているように見えた。だが、私が近づくと、2,3秒置いて、にっこり微笑んだ。

昨日は、弟夫婦に連れられて、父親の墓参りに出かけた様子だった。昔だったら、故郷に帰った喜びを、言動に表現するのだろうに、故郷という意識も少し遠のいているのかもしれない。母思いの弟は、時間が経ってゆくのを何とか引き止めたいと思っているかのように、母に接してきた。いろいろなところにつれて行き、沢山語りかけ、そして手紙を知り合いのところに書かせてきた。でも、時間は、ゆっくりと着実に過ぎてゆく。食欲も落ち、夜間の徘徊も酷くなくなってきた・・・それだけ体力が落ちてきたのだろう。弟も、時間が過ぎてゆくことに抗うことをせず、過ぎる時間と和解をしたかのようだ。

今朝、私が仕事場に出かける前に、母に別れの挨拶をした。母は、かっての自室で、横臥していた。声をかけると、やはり少し時間を置いて、微笑み返してきた。眠っているときは、頬がげっそり落ち、口も半開きにして、顔色もよくないのだが、彼女が微笑むと、そこに生気、いや魂というべきだろうか、が戻ってくるかのようだ。いつも繰り返す、「父はどうしているか、今日はこれからどうするのか」といった母の質問に答えた。にっこり笑いながら、私の長男の名を挙げて、「あまり叱るんじゃないよ」と、私を諭す。「今日、また仙台に帰るのだよ」と言うと、「仙台に遊びにお出で」と母は言った。ひとしきり話を終えると、「また会おうね」と彼女は言った。それが別れの挨拶の積りだったのだろうか。

彼女の「魂」は、既に、この地上での旅路を終えて、別な世界に遊ぶかのように思えた。過去のおぼろげな記憶と、現在の一瞬一瞬の意識とが、現世とのつながりなのだろうが、彼女が人生の旅路を終えつつあることを強く感じた。何処に向かおうとしているのだろうか。「また会おうね」という言葉、彼女は、仙台で私に再会することを意味していたのかもしれないが、私には、生命のつながりでともに生きてきた時間は残り少なく、その時間を超えたところで、再会しようと、母が言っているように思えた。

母のために作った、栗ご飯を美味しそうに食べていたようだ。また、仙台にも出かけてゆかねばなるまい。

Bob W6CYXとの議論 

昨夜、旧友のBob W6CYXと7メガで会った。新しいケンウッドの機械を入手して、嬉しそうだった。私の交信をよく「読んで」いるとのことだった。

Bruce K6ZBが来訪したことも知っていた。Bruceとは、FOCの集まりで何度か会ったことがあり、その保守的な考えに、Bobも共感するとのことだ。

オバマ大統領は、弱者救済をするために増税するのではなく、企業に対して減税をすることにより、企業の国際競争力を高め、それによって経済を好転させるべきなのだ、とBobは述べる。

米国政府が金融緩和を進めているのは、機軸通貨発行国としての責任を放棄することなのではないかと質問した。その通り、オバマは、インフレーションを招来することによって、国民の資産を強奪しようとしているのだ、というのがBobの答えだ。私は、自由主義経済の主導者としての米国の責任を考えてもらいたいのだが、と思ったが、論点を変えた。

米国の銀行や投資会社は、エンロン破綻、さらにサブプライムローン問題の出現で、政府から多額の援助を受け、一部は国有化されている。これは、資本主義が行き詰まっていることを意味するのではないかと尋ねた。資本主義の基本的なルールは、経営の破綻した企業は、市場から退場することなのではないか。それに明らかに反する施策を行なっていることは、資本主義の行き詰まりを意味していると申し上げた。

銀行は、むしろバブル崩壊の被害者だ。低所得者に住宅ローンを販売することはむしろ奨励され、一部のローンは、連邦政府が保証したのだ、とBobは応えた。ここでも、政府の政策の誤りということに行き着く。

しかし、上記の資本主義社会のルールを、too big to failと言う言い訳を使って踏みにじったことは、現在の資本主義経済体制の行き詰まりを意味するのではないかと私は畳み掛けた。そういう側面は確かにあるかもしれない、とBobは応えた。

オバマは、逼塞して状況を打ち破ぶろうと、changeという掛け声で、大統領になった。が、この資本主義経済の根幹に関わる問題に手を加えることができず、将来への見通しを開くことができない(できなかった)ことが、米国でのアンチオバマの動きを加速させているのではないだろうか。現在のderivative取引等による投機的な経済が、安定し、フェアな体制になるはずがない。それを米国民自身が気付かなければ、誰が大統領になろうとも、問題は解決しないように思える・・・この段落の私の意見は、少し口幅ったいので、彼に言うことは控えたが、やはり強く感じることだ。

Bobが、退職後の生活の糧を奪われぬように行動すべきだと言っていたが、さて我々にそれが可能なのだろうか・・・。

院内感染の届出義務化 

帝京大学病院の多剤耐性アシネトバクター院内感染問題を契機に、院内感染の届出義務化を、行政はするつもりらしい。

彼らの意図は、二つあるように思える。

一つは、責任回避である。低医療費政策下で、院内感染に十分なマンパワーと設備・検査を充てることができない、システムエラーは放置したままである。その点の責任を行政が追及されぬように、下記の井上論文が示すとおり、刑罰化を念頭に置いた届出義務化を医療機関に課す。それによって、自らの責任を目立たなくし、医療機関に責任を負わせる積りなのだろう。

もう一つ、こうした責任追及のシステムを作り上げることにより、行政が医療機関を支配しようとする意図をひしひしと感じる。院内感染の届出を受けて、行政は、様々な指示を行い、それに従うことを強制するはずである。彼らは、通知一通で医療機関を如何様にも動かせるのだ。この届出制度もそうしたシステムの一環になるはずだ。ひいては、行政の悲願である「医療事故調」を実現する梃子に利用する積りなのだろう。その時に、天下りの多数の席を備えた、医療の支配制度が確立することになる。

医療のこうした問題を刑事罰の対象に挙げることだけで、医療は萎縮する。刑事罰の対象にされることを避けることが、医療従事者にとって一番の関心事になる。リスクのある医療、リスクを負った患者の受け入れに消極的にならざるをえなくなる。最終的な被害を受けるのは、国民である。

院内感染を、殺人等重大犯罪を担当する、捜査一課が捜査するのは、ブラックユーモア以外の何者でもない。


以下、MRICより引用~~~

院内感染の届出義務化と刑罰化

井上清成(弁護士)
2010年10月9日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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1.院内感染への過剰反応

 帝京大学医学部附属病院(東京・北区、以下帝京大病院)で発生した多剤耐性アシネトバクター・バウマニの院内感染につき、9月初めに病院自らが発表したところ、マスコミや厚生労働省、警視庁が過剰反応してしまった。医療者や医療団体が次々に沈静化を求める見解や声明を発表したため、過熱報道をはじめとする過剰反応も、少しは平静を取り戻しつつあるように感じる。

 しかし、こんなヒステリックな反応をしていたのでは、院内感染情報の公開や共有化を進めることすらままならない。公表するよりも、まずは病院自身で院内感染への対策を積み重ねてきた帝京大病院の対応が正しかったと評価できよう。

 今後の情報公開・情報共有化を推し進めるためにも、マスコミ・厚生労働省・警視庁はその過熱ぶりを反省すべきである。

2.厚労省による届出義務化の動き

 長妻昭前厚生労働大臣は、帝京大病院の公表後すぐに、多剤耐性アシネトバクターの院内感染発生を感染症法(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)上の届出義務化してはという趣旨の動きをした。間もなく、「多剤耐性菌の動向把握に関する意見交換会」も開かれている。しかし、アシネトバクター感染症を感染症法第6条第6項に定める「5類感染症」に加えるべきでない、と考える。

 5類感染症と言えば、有名なところではインフルエンザ・ウイルス性肝炎・後天性免疫不全症候群・梅毒といったところである。到底、アシネトバクターが同等とは感じられない。院内感染で言えば、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌感染症もある。そもそも弱毒のアシネトバクターを入れたのでは、余りにもバランスを失していると言えよう。

 もちろん、5類感染症に加えたならば、感染症法第12条第1項第2号で届出義務を課されかねない。感染症により死亡した者の死体を検案した医師も届出義務を課されてしまう。まるで医師法第21条の異状死届出と同様に扱われかねない。当然、届出義務違反に対しては、感染症法第77条第1号で刑罰が科される。

 翻って、仮に届け出たとして、厚労省はどういう効果的な対処措置を講じうるのであろうか。予防、感染拡大は、厚労省というよりも、感染症専門家や病院自身の多大な手間と労力に頼るほかはない。かと言って、厚労省は人的・物的資源に対する緊急予算措置も難しいであろう。また、感染した患者に対する治療の側面でも、厚労省には有効な手立てが今はないらしい。つまり、届出をしても効果的な権限を行使できないのに、医療者に対してだけ届出義務を課しても無意味である。かえって有害ですらあろう。

 厚労省は、届出義務という規制ではなく、本来の給付をすべきである。現在、治療に有効かもしれない未承認薬として、コリスチンとチゲサイクリンという医薬品があると聞く。これもドラッグ・ラグの一側面であるので、直ちにこれらを給付(つまり、承認)すべきではないか。具体的には、これらの医薬品を薬事法上の承認は飛ばして、直ちに大臣告示を発して薬価基準に収載して保険適用すべきであろう。それは法的にも十分に可能であると考えられる。

3.警視庁による刑罰化の動き

  警視庁も、帝京大病院の公表後すぐに、院内感染に介入した。業務上過失致死罪(刑法第211条第1項)の容疑に基づく任意捜査だという。しかし、院内感染は犯罪捜査の対象ではない。

 現に、全国医学部長病院長会議をはじめ各医療者の団体が声明を発表した。たとえば、9月14日に発表された全国医学部長病院長会議は、次のように述べている。「今回、警視庁が当初より、業務上過失致死罪に該当する行為があるのかどうか、誰が同罪の容疑者となりうるか、任意であるとはいえ同病院関係者から事情聴取を行っていることに対し、全国医学部長病院長会議は大変遺憾に思うと同時に、強い懸念を抱いております。私たちは、医療現場における刑事捜査はその対象を明らかな犯罪や悪意による行為に限るべきであると考えております。刑事責任の追及を目的とする捜査は、医療現場を萎縮させます。」

 その他の団体による声明も皆、同じである。院内感染の何たるかもわからないまま、公然と病院内に入って捜査に着手したため、マスコミに大きく取り上げられ報道された。これでは、一般国民は、病院が犯罪を犯したと勘違いしてしまう。この報道を見た他の病院は、もしも(いつも当り前に存在する)院内感染が知れたら警察がいつ何時事情聴取に来るのかと疑心暗鬼になるかもしれない。

 おそらく警視庁は、大々的にマスコミ報道されたので、「とりあえず」捜査に入ったに過ぎないのであろう。本格的な犯罪捜査というよりも、内偵もしくは情報収集活動という方が近い。しかし、その「とりあえず」の捜査がもたらす悪影響は甚大である。結局、その被害は、巡り巡って一般国民が受けてしまう。

 警視庁は、直ちに帝京大病院の捜査を終結すべきである。警察は今後も、院内感染を犯罪捜査の対象とすべきでない。

4.院内感染対策は医療者自らで

 院内感染は、病床を抱えている病院にとって宿命であり、日常のことでもある。病気退治に抗生剤を多用してきた現代の医療にとって、やむを得ないことでもあった。

 にもかかわらず、マスコミは社会部を中心に加熱し、厚労省はその効果も影響度も考えずに規制強化をし、警察も相変わらずで犯人探しをしている。いずれも医療の特質と社会における重要度を十分に考慮していない。いつものワンパターンを繰り返しているだけである。これでは、せっかく医療崩壊から立ち直ろうと努力している医療機関と医療者をまたつぶすだけであろう。

 院内感染対策は医療者自らが行うことである。マスコミは、院内感染の何たるかを自らできちんと理解して、国民に分かりやすく報道すれば足りよう。厚労省は、いかにしたら医療者を支援できるかを、まず考えるべきである。警察は、そもそも介入すべきことではない。

(月刊『集中』2010年10月号所載「経営に活かす法律の知恵袋」第14回を転載)

マイロターグ発売中止 

マイロターグという白血病の薬が発売されなくなったようだ。白血病細胞の細胞膜に表現されるCD33という抗原に対する単クローン抗体に、抗白血病薬をつけてた製剤だ。抗体によって白血病細胞に結合し、薬の効果で白血病細胞を破壊しようというアイデアの薬のようだ。問題は、かなり高価なことと、致死性の肝臓の静脈炎を起こすことがあることらしい。でも、下記の文章にある通り、高齢者等通常の寛解導入療法が実施できない、または効果が見られない患者にとっては、一縷の望みを託すものだった。

だが、多剤併用療法にこの薬を加えることで、むしろ患者の生存期間を短くしてしまったという研究結果が出て、製薬会社は、製造発売の承認を求めることを取りやめたということだ。しかし、この記事の筆者が述べている通り、上記のような通常の治療が実施できない、効果が期待できない患者にとっては、まだ存在価値はあり続ける。

製薬会社にとっては、いかなる事業であっても、基本的に利潤を上げることが主要な目的だ。この製剤を製造発売することを取りやめたのは、何らかの理由で、利潤を上げることが期待できないと判断したのだろう。恐らく、上記の多剤併用療法の研究結果は、製造発売を中止する、表面上の理由に過ぎないように思える。

理由を想像してみるに、以下のようなことが考えられる。マイロターグの適応になる患者は少なく、所謂オーファンドラッグと同等の位置づけで、元来収益が多く見込めなかった。副作用が多く、それへの対処、もしかすると、訴訟への対応が必要になったのかもしれない。会社のリソースを、より多くの収益のみこめる部門に重点的に回すために、このように収益の見込めぬ薬剤は切り捨てた。・・・といったことが考えられるだろう。グーズナーの著書によれば、製薬企業は、時代を画するような薬品の開発にはあまり投資をせず、むしろ市場の確立している製剤に少し手を加えて得られる二番煎じの製剤、そのマーケッティングに、より多くの投資を行っている、という。

マイロターグに期待していた急性白血病の患者達は、どのような思いで、この製薬会社の決定を見ていることだろうか。

昨年10月に亡くなった、友人N氏も同じようにこの薬に最後の期待をかけていた。かなりのお金が必要になるが、病的細胞を減らして、全身状態がよくなれば、この薬を使うのだ、とマイロターグという薬の名を何度も口にしていた。希望を込めて、彼は、この薬の名を口にしていた。残念ながら、マイロターグを使う前に、帰らぬ人になってしまった。その一周忌を迎える。



以下、MRICより引用~~~

白血病治療薬 「マイロターグ」
製薬会社はなぜ、自主的に承認を取り下げたのか。

坪倉正治
2010年10月4日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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【はじめに】
マイロターグという薬剤をご存知でしょうか? CD33に対する抗体(ゲムツズマブ)にカリケアマイシンという抗がん剤を結合させて作られた、新規抗がん剤の一種です。日本では2005年に承認され、再発又は難治性のCD33陽性急性骨髄性白血病(AML)に対して使用されています。

現在、このマイロターグはファイザー社にその所有権がありますが、2010年6月21日、米国ファイザー社は米国内でのマイロターグの販売中止と自主的な承認の取下げを行うことを発表しました。ファイザー社はこの発表と同時に、医療者に向けて発信した文章の中で、今回の決定の根拠となった試験の結果について説明しています[1]。

今回はこの決定に関する問題点と、この決定が与える日常診療への影響について解説したいと思います。

【マイロターグ承認から発売中止まで】
そもそもこのマイロターグはワイス社(アメリカ)によって開発された薬剤です。他の化学療法の適応がない60歳以上のCD33陽性急性骨髄性白血病、再発患者に対し、単剤療法で用いる薬剤として2000年に米国食品医薬品局(FDA)に迅速承認されました。迅速承認とは、癌などの重篤な(生命に関わる)疾患のための薬剤を、市販後に臨床的有益性を確認する試験を実施して追加データを提出することを条件に、有効性に関する早い段階のエビデンスに基づいて承認するという米国独自のシステムです。

その承認段階では、142人の再発急性骨髄性白血病患者を対象とした、3件の非比較試験が審査に用いられ、その試験結果は、寛解率が30%であるというものでした[2]。2000年のアメリカでの迅速承認後、日本では2005年に承認されており、2007年での日本国内売上高は5.5億円に上ります。

【今回の承認取り下げとなった理由】
上記に述べた、市販後試験の結果が、去年のASH(米国血液学会議)で発表されました。この試験(SWOG S0106)は未治療の急性骨髄性白血病患者を対象に、標準的な初回寛解導入療法であるダウノルビシン塩酸塩とシタラビンの併用療法へのマイロターグの併用効果、及び、大量シタラビン療法による地固め療法後のマイロターグの追加投与の効果を検討しています[3]。結果は、マイロターグ併用による生存率の延長は認められず、逆に致死的有害事象がマイロターグ併用群で有意に高い(5.7% vs 1.4%)というものでした。

【ファイザー社の自主的な販売中止】
米国ファイザー社は、このSWOG S0106試験の結果を基にし、FDAと合議の上、米国内でのマイロターグの販売中止と自主的な承認の取下げを行うことを決定したと発表しています。このSWOG S0106を根拠とした今回の決定は科学的に妥当であったのでしょうか?私にはそうは思えません。

理由は、そもそもSWOG S0106が61歳より若い白血病の患者のみを対象とし、大量化学療法に対するマイロターグの上乗せ効果を検討した試験であるからです。急性骨髄性白血病の患者の発症年齢中央値は67歳と言われています[4]。通常、高齢の白血病患者さんに大量化学療法を用いることはなく、マイロターグが使用される場合、当初の承認通りの単剤使用が主です。今回のSWOG S0106は、若年者のみを対象とし、多剤併用化学療法でのマイロターグの効果を比較したに過ぎないのです。この結果に基づいて、急性骨髄性白血病に対してマイロターグの有用性が認められなかったと拡大解釈することはできません。

ファイザー自身も、先ほどご紹介した、ファイザー社が医療者にあてた文章の中でも、「今回のSWOG S0106の結果は、マイロターグ単剤として効果がないということを証明するものではない。」と述べています。ではなぜ、SWOG S0106がマイロターグ販売を完全に中止する根拠となり得るのでしょうか。

【白血病患者さんへの影響】
急性骨髄性白血病に対しては、アントラサイクリン系薬にシタラビンを加えた治療法が広く用いられ、50~80パーセントの寛解導入率が得られています。しかしながら、大半の患者さんが再発をしてしまい、長期生存が得られるのは全体の3割に満たないのが現状です。なかでも今回のSWOG S0106では対象とならなかった60歳以上の高齢者では治療に苦戦する場合が多く、寛解導入率は50パーセント以下、長期生存率は0~15パーセントときびしい状況でした。はじめから化学療法の効かない難治例の割合も全体の半数以上にのぼり、難治例や再発例に対する次の治療手段が強く望まれていました。マイロターグは、現在その位置付けにあります。今回のファイザーの決定により、このような患者さんたちの治療機会が奪われてしまう可能性があります。

確かにマイロターグは、最初の承認時点から、致死的な静脈閉塞性の重篤な肝疾患と関連があるとされており、この発生率は市販後において増加しました。また、そもそも抗がん剤としての生体内での安定性の問題点も以前から指摘されています[5]。しかしながら、高齢の白血病患者さんにおいては治療薬の一角を担っていることは確かですし[6]、一部の白血病患者において、従来の化学療法に取って代わる程の効果が認められつつあります[7]。

確かに承認後に発表されたデータに基づいて、販売継続が議論された薬剤は存在します。つい先日も、ロシグリタゾン(商品名;アヴァンディア)という薬剤の販売継続の可否がFDA諮問委員会にて議論されました。この薬剤はかつてアクトスに競り勝ってアメリカでの年間売り上げ30億ドルを誇った糖尿病薬なのですが、2007年のメタ解析で心血管リスク上昇を指摘され、その後の売上は激減していました。33人の諮問委員のうち20人が販売続行を支持した結果、この薬剤は販売続行を勝ち取っています。

今回のマイロターグのような、ある特定の患者群に対する試験にて良い結果が出なかったことを理由とし、別段積極的な議論も無く販売を中止するのは筋が通りません。

製薬企業も、2010年前後に大型医薬品の特許が一斉に切れることにより、収益に重大な影響をもたらすといわれる、いわゆる「2010年問題」の真っ只中にあります。今回の件も、ファイザーの製薬会社としての経済的理由から、抗がん剤販売の選択と集中を目指した結果なのかもしれません。ファイザー社およびFDAにはもう一度この問題に対する十分な議論を望みます。

Reference

[1] Dear Healthcare Professional Letter. [cited; Available from: http://media.pfizer.com/files/products/mylotarg_hcp_letter.pdf

[2] Sievers EL, Larson RA, Stadtmauer EA, Estey E, Lowenberg B, Dombret H, et al. Efficacy and safety of gemtuzumab ozogamicin in patients with CD33-positive acute myeloid leukemia in first relapse. J Clin Oncol. 2001 Jul 1;19(13):3244-54.

[3] Stephen P, Kenneth K, Robert KS, Richard AL, Thomas JN, Leif S, et al. Preliminary Results of Southwest Oncology Group Study S0106: An International Intergroup Phase 3 Randomized Trial Comparing the Addition of Gemtuzumab Ozogamicin to Standard Induction Therapy Versus Standard Induction Therapy Followed by a Second Randomization to Post-Consolidation Gemtuzumab Ozogamicin Versus No Additional Therapy for Previously Untreated Acute Myeloid Leukemia. Blood (ASH Annual Meeting Abstracts). 2009;114(Nov
2009):790.

[4] SEER Stat Fact Sheets: Acute Myeloid Leukemia.

[5] Suzuki R, Kobayashi K, Murashige N, Kami M. Mylotarg is not a "magic bullet". Int J Hematol. 2006 Aug;84(2):188-9.

[6] McHayleh W, Foon K, Redner R, Sehgal R, Raptis A, Agha M, et al. Gemtuzumab ozogamicin as first-line treatment in patients aged 70 years or older with acute myeloid leukemia.
Cancer. Jun 15;116(12):3001-5.

[7] Ravandi F, Estey E, Jones D, Faderl S, O'Brien S, Fiorentino J, et al. Effective treatment of acute promyelocytic leukemia with all-trans-retinoic acid, arsenic trioxide, and gemtuzumab ozogamicin. J Clin Oncol. 2009 Feb 1;27(4):504-10.

Bruce K6ZB 来訪 

先週末から、仕事が急に忙しくなってきた。ウイルス感染と、喘息・アレルギー性鼻炎の悪化のケースが多い。夜間の携帯での呼び出しも、比例して増えている。そのような中、かねての予定通り、Bruce K6ZBと奥様Cathyが、昨日、Atsuさん JE1TRVに伴われて、我が家を訪れてくださった。正直言って、多忙のなか、普段散らかっている我が家を掃除したり、整頓したりするのは、結構な仕事だったが、30年来の友人である、Bruceにお会いできて本当に良かった。Atsuさんは、彼の歓迎会を土曜日に東京で開いてくださり、その上、昨日はこちらまでエスコートしてくださった。ありがたいことだ。

自分の部屋を久しぶりに掃除して、昔懐かしい手紙類、それに実に学生時代の手帳が現れた・・・手帳をみると、オケ活動第一、勉強第二だったことが良く分かる。時間割も書き写されていた。今は亡き友人からの手紙類等々、捨てるにしのびなく、ファイルして保存することにした。

さて、Bruce達を自宅から40分ほどの小山市の駅で昼前にピックアップ。Bruceは、比較的小柄だが、精力的で若々しい。奥様もご主人の仕事のパートナー、主婦として生活しておられる、バイタリティを感じさせる、可愛らしい方だった。イタリア料理で昼食。自宅にお連れして、シャックで写真を取り合う。

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その後、別な部屋でお茶を飲みながらお話しを伺った。彼は、衛星通信のエンジニアで、20年ほど(だったか)前に独立して、コンサルト業を自ら営んでおられる様子。愛国心から志願してベトナム戦争にも従軍した由。4年間軍務についておられたとのことだった。以前のポストでも記した通り、工学関係の学位だけでなく、MBAも得ている。専門の著作もある様子。根っからの共和党シンパらしく、特にオバマ大統領の政策、経済・医療ともに、には強力な批判的意見を持っておられるようだった。彼等のいう社会正義は、正しくない。自ら働こうとしない者を社会的に保護するのは誤りだ。少数者だから、黒人だからということだけで、勉学の機会等に、他の多数よりも大きな便宜を与えることには賛成できない、ということだった。オバマ政権の主要政策である、医療保険を、公的なものにすることも、効率性を落とし、また汗をして働いてきた者の支払った保険料を、そうでない者たちに用いることには賛成できない、というのだ。奥様も同様の見解である。

オバマ大統領の政策の背景には、様々な組合、少数民族が力を発揮しており、賛成できないと強調しておられた。その迫力には、オバマ大統領を日本から眺めている我々は、圧倒されるように思えた。やはり、米国の政治状況を、マスメディアを通してだけでなく、様々なソースの情報を得て、総合して判断する必要があるように思えた。

奥様もBruceと同意見のようだ。Bruceが、かって奥様と休むときなどに、「哲学的な」問題について、奥様と議論すると仰っていたのが、どのような内容なのか、少し分かったような気がした。

益子の料亭でゆっくり・・・料理が遅くてゆっくりさせられたのだが・・・夕食をとり、お三方を宇都宮までお連れして、そこでお別れした。Atsuさんが、自宅に戻るのは大分夜遅くなっていたのではあるまいか・・・。Bruceからは、今朝電話があり、東京に戻ったら、ネットを通しての遠隔操作でカリフォルニアの無線機を使って今夜にも出てくるから交信しようとのこと 笑。またの再会を約束した。そう遠くない将来、カリフォルニアかテキサスで開かれるFOCの集まりに、家内を連れて出かけたいものだと改めて思った。

Turina ピアノ四重奏曲イ短調 作品67 

以前にも記した、Tuirnaの作品中でも最もお気に入りの曲。ここで紹介した。

心情を吐露するかのような音楽。でも、音楽としての規律と統一感をきちんと保っている。

CDで聴くメニューヒンピアノ四重奏団ほどの深い歌は聞こえないが、それでも素晴らしい演奏だ。

ヴィオラの君、少し猫背じゃないかい?