こころ優しきブランデンブルグ 

過日、近くのホールで開いた「音楽会」での演奏。参加者ほぼ全員で演奏した最後の演目、ブランデンブルグ協奏4番1楽章。フルートを担当した方が、Youtubeに載せてくださった。絵も彼女の作品。だいぶもっさりとした演奏だが、心優しき演奏者達の気持ちが伝わってくるようではないか。愉しい思い出。

「英文法をこわす」 

昨年、教育テレビで「わかる使える英文法」という番組を放映していた。大西泰人という講師が、英文法を、単に規則の箇条書きではなく、生きたダイナミックな感覚に基づくものとして分かりやすく解説するという趣旨の番組だった。

その番組の元になった、または番組から生まれたのかもしれないが、彼の著書がある。日本放送出版会刊「NHKブックス 英文法をこわす」である。サブタイトルに、「感覚による再構築」とある。

どの言語であれ、言葉は、あるイメージで出来上がっている。文法的な事項も、同様だ。そのイメージを、箇条書きで示そうとした、静的なものが、これまでの学校で学ぶ英文法だった。しかし、そうした外縁をなぞるやり方を止め、中核にあるイメージを基本にすえて、文法的な事項を理解しようというのが、この本の内容だ。

例えば、時制の問題。過去形は、遠くを見る眼差し、ある距離感がある、と説明されている。丁寧語等過去形を用いる派生的な用法も、そのイメージから理解できるという。現在形は、包まれている感触だそうだ。未来を示す副詞節での現在形の用法、歴史的現在での現在形の用法等も、そのイメージから理解される。

異なる言語は、一対一対応をすることは決してなく、イメージの重なり合いを理解することが言語を学ぶことになるような気がする。「生きた」言語を学ぶ必要性がそこにある。この本で解説されている、イメージとして文法を理解することも、外国語の学習では大切なことなのではないだろうか。

単純な記憶力が、年齢と共に加速度的に落ちつつある現在、そうした外国語学習の大切さを強く感じている。受験時代に、こうした解説書に出会っていたら、あの無味乾燥な英文法の暗記に悩まなくて済んだのかもしれない。

TPPAがもたらすもの 

ダボス会議で、菅首相は、第三の開国を声高に宣言したらしい。開国といえば聞こえが良いが、その内実を我々は良く知る必要がある。菅首相は、この「開国」の内実がどのようなものであるのか良く知った上で、それを隠してワンフレーズポリティックスのアジテーションを行っているのか。

オーストラリアのAFTINETという民間組織が、TPPAの批准に対して批判的な要望を行っている。ここ。オーストラリアの薬価制度を改め、米国並みの薬価にすること、さらに投資家がオーストラリア政府に対して訴訟を起こす敷居を低くすることなどを、二国間FTA交渉の時代から、米国政府がオーストラリア政府に要求し続けていることが分かる。これは、失敗に終わったワシントンコンセンサスの目指すところそのものではないか。

TPPAが米国のプラン通りに批准されると、何が変わるだろうか。日本医師会も指摘しているようだが、混合診療の公の導入が必ず行われる。そうしないと、外国巨大資本が日本の医療界に進出する術がないからだ。現在の閉塞した医療システムの状況を考えると、混合診療導入によって改善される点も大いにあるように思える。だが、そうした医療現場の期待も、きっと巨大資本によってかき消されることになるのかもしれない。さらに、国民にとっては、深刻な病気にかかったら、金をもつか持たないかで予後が決まることになる。

薬価も、引き上げられることになるだろう。先日、イレッサの副作用訴訟で和解勧告が出たというので、イレッサについて調べていたのだが、その薬価が一錠6000円超であることを知り、調べる意欲が減退した。抗がん剤は押しなべて高額である。また、画期的新薬といわれるものには、驚くほどの薬価がついている。TPPA批准に伴い、製薬企業に十二分な利潤を保障する薬価が付けられるようになることだろう。現在、わが国では、高額医療費が償還される制度があり、さらに保険が成人で7割、乳幼児の多くでは10割薬代を含めた医療費をカバーしているので、国民がこの高価な薬代を身近に感じることは少ない。しかし、混合診療になり、さらに巨大製薬企業が成立を目指してロビー活動を盛んにしているTPPAが成立すると、国民は高額の薬剤費を実感することになるだろう。

わが国の政府は、財政改革にどうしても取り組まなければならない切羽詰った状況にある。公務員給与も引き下げ、年金受給開始年齢の引き上げ等社会保障の削減も行うつもりのようだ。TPPAは、一部の輸出企業にとっては歓迎すべきことなのだろうが、農業・社会保障等にはかなりの打撃となる。第三の開国といった聞こえのよいスローガンに惑わされることなく、その内実を知ることが必要だ。政府は、国民の資産を食い潰し、さらに国民の健康福祉までも犠牲にして、国の財政を立て直す積りのように思える。

問題は、一部の巨大資本、その背後にいる米国が利益を貪り、結局失敗に終わったFTAの愚を繰り返さないことだ。真に公平で透明な貿易制度、投資の条件を整えることこそが重要だ。現在のTPPA交渉では、米国の主張に呑まれてしまう可能性が大きい。




と書いたところで、本心を明かすと、日本の財政破綻はある意味必至だろうと思う。さらに、医療福祉制度の切り下げも必ず行われることだろう。それはある意味、歴史的な必然だ。私も含めて国民一人一人がその覚悟を持つべき時に既になっているように思える。

医科研の申し立てを支持する 

医科研から、朝日新聞社「報道と人権委員会」にあて、同社新聞記事の検証を求める申立書が出された。特に、最後の段落の「批判文削除要求」は、言論機関として自殺行為にあたる。朝日新聞を批判する医科研・研究者・医師に対して、訴訟をちらつかせながら、批判を取り下げるように、朝日新聞社が迫っている問題だ。この医科研の申し立てを強く支持する。


MRICより引用~~~

NEWS

朝日新聞社「報道と人権委員会」に対する申立書の提出について


              平成23年1月28日
   東京大学医科学研究所 所長 清木元治

 当職は、朝日新聞社の「報道と人権委員会」に対して、同社が平成22年10月15日と同月16日に掲載した3つの記事について、中立的な立場から検証することを求めた申立書を、平成23年1月25日に提出いたしました。3つの記事とは、以下の通りです。

(1) 2010年10月15日付朝日新聞(東京版)の1面に掲載された、「『患者が出血』伝えず 東大医科研、提供先に」と題する記事
(2) 2010年10月15日付朝日新聞(東京版)39面に掲載された、「患者出血『なぜ知らせぬ』協力の病院、困惑 東大医科研のワクチン臨床試験」と題する記事
(3) 2010年10月16日付朝日新聞の社説「東大医科研-研究者の良心が問われる」

 同委員会に申し立てた内容は、以下の通りです。
1 謝罪記事を掲載するよう勧告すること。
2 朝日新聞東京版朝刊に、紙面一頁のスペースで、東大医科研による反論記事を掲載するよう勧告すること。
3 株式会社朝日新聞社に対し、東大医科研がホームページ上に公開している反論文の削除・撤回を要求しないよう勧告すること。
4 株式会社朝日新聞社に対し、本件記事の取材に関して、患者のプライバシーに対する配慮が不十分であったと勧告すること。

 なお、本件記事に関しては、中村祐輔東大医科研教授およびオンコセラピー・サイエンス社と、朝日新聞社の間で係争中となっていますが、今回申し立てた内容は、中村祐輔教授及びオンコセラピー・サイエンス株式会社による名誉毀損訴訟の趣旨とは、また異なるものです。そのため、同日付で、この訴訟を理由として、申立の審議を行わないという決定をしないように求める書面を別途作成し、申入れました。

 今回の報道で直接名前を掲載された当事者だけでなく、多くの医療関係者やがん患者の方々に報道被害が及んだ現状を考えますと、裁判とは関係なく、本件記事および朝日新聞社の対応について、第三者による検証が必要なのは明らかだと考えます。

 特に問題だと考えるのは、朝日新聞社からの批判文削除要求です。2010年12月6日付で、朝日新聞社代理人弁護士名で、医科研に対し、医科研ホームページにある「大丈夫か朝日新聞の報道姿勢II」という文章記事の内容が名誉毀損にあたるとして、削除を求める内容証明郵便が送付されました。朝日新聞社は、医科研だけでなく、個人に対しても、同様の削除要求を送付しています。このように、「表現の自由」の重要さを熟知しているはずの巨大マスコミから出された、個人や団体による批判文の削除要求については、「報道と人権委員会」において熟議していただくべき内容と考えています。「報道と人権委員会」が有する機能を大いに期待しています。

 朝日新聞社「報道と人権委員会」に提出した申立書は、以下からお読み下さい。
http://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/files/statement.html
http://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/files/document110128.pdf

                   以上

The Trans-Pacific Partnership Agreement 

SPによる日本国債の格下げについて、「そういったことには疎い」と述べた、菅首相。盛んにマスコミや野党から突っ込まれている。SPのような格付け会社が、リーマンショックをもたらした元凶の一つだった。現在米国経済・財政が酷い状況であるのに、米国債をトップランクにランクし続けている時点で、このような格付け会社の言うことには信憑性がない(といって、日本国債が安心だという積りも毛頭ないのだが)わけで、格付けに疎くても首相は務められるのだろう。

だが、最近、第三の開国をするのだと、彼が盛んに風呂敷を広げているのは大きな問題だ。TPPAへの加盟をすることを、開国と擬えているのだ。この開国がどのような内容で、どのような変化をわが国にもたらすのか、農業分野以外十分議論されていない。

The Medical Journal of Australiaの最新号電子版(1月17日発行)のMEDICINE AND THE LAWという欄に下記のタイトルの論文が掲載されている。

The Trans-Pacific Partnership Agreeement:
challenges for Australian health and medicine policies

特に問題視しているのが、オーストラリアと米国の二国間貿易協定「TRIPS-Plus」である。米国は、この条項を、TPPAにも導入することを強く求めているらしい。

「TRIPS-Plus」によると、製薬業界で、ジェネリック薬品が市場に出回るのを事前に特許保有企業に知らせること、特許保有企業に独占権・非競合権を与えること。ジェネリック企業に、特許が切れる段階でも特許企業のデータを使わせない。他国で安価に作られた並行輸入の禁止。緊急事態であっても、政府がジェネリック薬品を製造させることを制限する。革新的新薬を評価する際には、客観的な効果の評価よりも、競争市場を維持するようにすべきだ(これは実際のところ見せ掛けであって・・・)。コスト対効果の評価や、政府の製薬企業への価格交渉権を制限する。

こうした内容が盛り込まれているらしい。世界に市場を持つ巨大製薬企業にとって圧倒的に有利な条項だ。投資家・投資企業が、損害を与えられた国の政府に対して、損害賠償の訴訟を起こす権利も明示されている。

また、この論文から離れるが、米国等の巨大資本が、協定締結国に投資をし、医療機関等を保有することも認める内容になっているらしい。

この論文の著者は、TPPAのことを、USTRによって開始され(世界に格差をばらまいた)自由貿易協定の時代の遺物であるとこき下ろしている。

菅首相は、市場原理主義的な色彩の強い、この協定を、開国に擬えていて良いのだろうか。この協定が、具体的に、農業だけでなく、医療・社会福祉の分野にどのような影響を与えるのか、詳細に調査し、慎重に対処することが求められているのではないだろうか。協定締結後、わが国の主権を脅かす制度を米国から強制されてから、TPPAについては疎いのでという言い訳は許されない。



Faure Piano Trio 

フォーレ最晩年78歳のときの作品。余分なものを省いた簡素な枠組みのなかに、決め細やかでエレガントな優雅さを聴くことができる。晦渋さ、気難しさも隠そうとはしない。この晦渋さは、彼の晩年の作品、例えば、1番のチェロソナタ等でしばしば聴くことができる。フォーレは、晩年、高音域は低く、低音域は高めに聞こえる聴覚障害を生じていたといわれている。この作品を作曲したころには、聴覚障害も高度なものに進んでいたのだろう。「だから」すばらしいというわけではないが、そうした健康状態で、このように静謐な美しさをたたえた作品を生むことが出来たというのは、奇跡のように思える。フォーレは、晩年、次男に「自分の作品は時間が経てば忘れ去られる」と語っていたらしいが、フォーレの音楽、特に室内楽への評価は高まりこそすれ、落ちることは決してない。

私は、学生時代から、この作品、それにこの次に作曲された弦楽四重奏曲をしばしば聴いてきた。静かな夜、フォーレのこころに染み入るような旋律に耳を傾けていた。この曲の2楽章を聴くと、懐かしさに耐えられなくなるような気持ちになる。自分の人生を一旦脇において、いや人生を省みながら、若い時代に親しんだこうした音楽に耳を傾ける・・・若い頃からの友人と再び出会ったような気持ちになる。


Bob W7AYN 

旧きよき時代のオペレーションスタイルを維持しているハムの最右翼、Bob、W7AYN。

リタイアした60歳代後半。アリゾナから、良く出ている。リグは、ご覧の通りのアイコムの一番小さなリグ。キーは、父上譲りのバグキー。アンテナは低い、ロングワイアー。それでも、バンドが開ければ、大体聞こえる。強いかどうかは別な問題だが。

new shack W7AYN

彼は、以前NF7Hで出ていたが、父上のコールをvanity programで引継ぎ、最近W7AYNで出るようになった様子・・・このことは、ブログで記したような気がするのだが、検索に引っかからず・・・以前読んだよと言う方はすっ飛ばして頂きたい。

彼のバグキーは、とても安定している。短点がかすれたり、不安定になったりしない。CW叩きの耳には、一種の芸術のように響く。微妙に揺れるリズムが心地よい。送信する内容は、とてもconciseだが、興味深いことを述べられる。先週末お会いしたときには、前回の交信で私の母が入院したことを話したのを覚えていて、母の様子を尋ねてくれた。母は、21日には退院して、弟夫婦に面倒を見てもらっていると申し上げた。

こうした小さな設備で、無線を愉しんでいるOMが、まだまだいるのだ。行く行くは私もベアフットにワイアーアンテナに復帰しようと思っている・・・。

電鍵の向こうに・・・ 

CWであっても、話をすると、相手のパーソナリティ、精神状態が、ある程度分かるようになる。キーイングの仕方ではなく、やはり送信の内容からだ。いつも明るく、人生を愉しんでおられるような方が多いのだが、特にRoss W7YCWは、そのような方だ。86歳になったold timerだが、弾むようなキーイングで、光り輝くリタイア生活を送っておらる様子をいつも知らせてくれる・・・辛いこともあるのかもしれないが、そうした話題にはあまり触れない。

先日お会いした時に、そうした彼がふっと陰りを見せた。55歳になる息子さんが、がんの末期で自宅で静養している、ということを話題にされたときだった。ホスピスの在宅治療を受けている由。息子さんは、死ぬことは怖くはないと言っており、その点では救われるのだが・・・とRossは言っていた。でも、辛い気持ちにいることが察せられた。晩年を迎えて、子どもが先立とうとしている。それは、親にとっては辛い哀しみに違いない。何も申し上げることができなかった・・・。

無線での知り合いと声を交わすときには、HOW ARE YOU DOING?と尋ねるのが慣わしだ。多くの場合、EVERYTHING IS GOING FINEという紋切り型の答えが返ってくるし、私も、そのように答えることが多い。でも、きっとその背後では、自身、それにご家族のことで様々な心痛を引き起こす出来事を抱えているのかもしれない。無線の交信というのは、あまりに短すぎるのだが、それでも気のあった同じ相手と回数を繰り返していると、ちょっとしたことで、相手の心境の変化や、気分の変化に気づくことがある。そうした変化に対するアンテナを高く掲げて、またキーに向かいたいものだ。

朝日新聞のがんワクチン報道の罪 

朝日新聞によるがんワクチン報道は、じわじわと臨床現場に波紋を広げている。医科研のがんワクチン臨床試験に参加しようとしていた患者さんが、あの報道をきっかけに参加を取りやめたという事例が、MRICで報告されていた(下記の記事とは別な記事)。末期がんにかかった患者さん達の一つの拠り所が、臨床試験への参加だったはずだ。臨床試験といっても、厳しい自律と科学的な厳密さが要求されていると聞く。朝日新聞が、医科研の臨床試験をナチスの人体実験と並列させたが、それは現場を知らない者の虚しい想像でしかない。朝日新聞記者は、一体医科研の臨床試験担当者にどれだけ肉薄して取材したのだろうか、そうした取材をしたとして、あの記事にどれだけそれを生かしたのだろうか。

朝日新聞は、臨床試験を、公的な機関による行政の支配下にある治験に統一することを目指して、あの記事を出したように思える。それは、製薬会社の利便にもつながる。現状の治験には、様々な批判があることも耳にする。New England J Medの編集長であった方が、米国の治験では、製薬会社にとって都合の悪いことが表にでてこない、治験の結果は信用できないと公表している。日本のように、製薬企業とベッタリくっついた行政に、臨床試験まで支配権を与えると、状況は、米国よりも悪くなる可能性がある。

朝日新聞は、医科研というがん研究のメッカを貶めることによって、自らのキャンペーンを持ち上げようとしたのではないか。碌に医療の現場のことを調べもせず、ありもしないスキャンダルをでっち上げることによって、製薬企業と行政にとって都合の良い臨床試験・治験システムの実現を目指したと考えざるをえない。その挙げ句に、朝日新聞に批判的な研究者に名誉毀損で訴えると脅しをかけている。


以下、医科研の医師によって、がん難民にとっての臨床試験の意味が記されている。MRICから引用~~~

現場はなぜ、「合法的」にがんワクチンを使えないのか

東京大学医科学研究所附属病院 内科
湯地晃一郎
2011年1月21日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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 朝日新聞社の「がんワクチン報道事件」が問題となっている。
私は記事に掲載された東京大学医科学研究所附属病院に勤務する血液内科医である。病院内のがんワクチンの臨床試験には一切関わりない立場であったが、報道の約1年前、がんワクチンに関わるエピソードがあった。
 本稿ではこのエピソードを取り上げ、現場はなぜ「合法的に」がんワクチンを使えないのか考察してみたい。

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2009年x月、東京都内大学病院血液腫瘍内科の勤務医である私に、1通のメールが届いた。それは、同級生の友人からのものだった。

「母が、膵癌だと診断されました。相談に乗ってもらえますか?」

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 メールを受け取った30分後に返信し電話番号を聞き、10年ぶりに友人に電話で話した。お母様の病状について伺ったが、膵癌が周辺臓器を圧迫し、他臓器にも転移しており、進行癌の状態であった。第三者の医師として、また友人として、病状をかみくだいて説明した。突然の告知であり、友人は大変狼狽している様子であった。

 治療方針についての質問があった。化学療法・手術・放射線療法は困難であり、黄疸などに対症療法を行うのが良いだろう、と担当医に説明されたとのことであった。
 進行した膵癌の場合、治療選択肢は限られる。また、治療を行った場合も、余命が劇的に延長することは少なく、せいぜい数ヶ月単位の生存期間延長が得られるにすぎない。現在の方針は妥当であり、如何によき時間を、お母様と過ごすかを第一に考えるべきではないかと伝えた。
 また、免疫療法をやってみたいという希望が友人のご兄弟からあったため、日経メディカル Cancer Reviewの小崎丈太郎編集長の記事、膵臓癌に対するがんペプチドワクチン療法を実施している全国施設一覧リストを、友人に送付した。

日経メディカル記事
http://pancan.jp/content/view/232/1/
東大 中村祐輔研究室
http://www.ims.u-tokyo.ac.jp/nakamura/main/top.html
がんペプチド療法 治験施設一覧
http://www.ims.u-tokyo.ac.jp/nakamura/main/cancer_peptide_vaccine.pdf

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 その翌日、「何らかの積極的治療を行いたい」「自己免疫療法、LAK、樹状細胞療法などの免疫療法を行うのはどうでしょうか」との質問メールが送られてきた。
 癌の免疫療法は専門外であるため、同僚の外科医に問い合わせた。膵癌という癌腫に特異的な免疫療法はないため、上述の膵臓癌に対するがんペプチドワクチン療法が一番のお勧めである、という話を伺った。友人のお母様は関東に在住でないため、当院に入院することは困難である旨を伝えると、「医科研病院とは別に、Captivation Networkという臨床共同研究施設の連合体が、膵臓癌患者に対するがんペプチドワクチンの臨床試験を多施設共同研究で行っている。電話して、聞いてみるといいだろう」と同僚の助言を頂いた。
 早速Captivation Networkの担当者に電話してみると、知人の医師であった。スムーズに、現在の臨床試験の実施状況について情報を得ることができた。友人のお母様の場合、最寄りの病院としては、和歌山県立医科大学附属病院の臨床試験が候補ではないか、という助言を得た。しかし、臨床試験には適格基準・除外基準が存在し、HLA-A2402(Human Leukocyte Antigen; HLA, ヒト白血球型抗原)という、抗原を有していることが必須の参加条件となるため、臨床試験参加にはHLA検査(42000円・自費)が必須である。
 この情報を友人にメールで送った。残された時間は短い可能性があることも付け加えた。

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 その後暫く間があき、2週間後に友人から再度メールが送られてきた。
結局、友人のお母様は和歌山県立医科大学附属病院の臨床試験に参加することはできなかった。通院治療を行っているという条件があったため、友人のお母様は参加できなかったのだ。HLA検査も行わなかったとのこと。
 友人のご兄弟は和歌山県立医科大学附属病院に電話し、担当医師から大変丁寧な説明を受け、非常に感動したことから、現在入院している病院からの転院も検討したとのこと。しかし、和歌山県立医科大学は(患者自宅から)非常に遠いこと、その間に病状が悪化したことから、転院は断念したこと、がメールに書かれてあった。

 その後も病状、治療方針についてのメールをやりとりしていたが、PTCD(経皮経肝胆管ドレナージ)、腸吻合術などの後、残念ながらお母様が亡くなられたとの連絡を受けた。心よりご冥福をお祈りした。
 最初の相談メールを受けてから、3ヶ月半後のことであった。

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 膵臓癌はもっとも予後不良な癌の一つである。
 既存の標準療法が無効な場合、治療選択肢は極めて限られるが、がん患者さん・ご家族は、一縷の望みをかけ、治療を模索している。臨床試験はそれに対する答えの一つである。

 なぜ、友人のお母様は臨床試験に参加できず、がんペプチドワクチンが使えなかったのか。

 それは、適格基準・除外基準の問題であった。
 上記の臨床試験では、通院患者が対象、という条件があった。入院中の重症の患者さんは、安全性を評価する臨床試験に参加することはできない。重症な患者さんの病状が悪化した場合、それが元々有していた病気のせいなのか、投与した薬剤のせいなのか判断が難しくなるためだ。このため、重症な患者さんは日本において、殆どの臨床試験に参加できないことになってしまう。

 では、今回の臨床試験が、治験であったとするとどうであろうか。

臨床試験と治験の定義は

臨床試験: 人(患者や健康な人)を対象とした治療を兼ねた試験
治験: 「新薬開発」の為の「臨床試験」

である。

 治験においては、より厳密な倫理性・信頼性基準(GCP)を遵守した臨床試験が必要になるため、治験に参加できる患者さんは、比較的元気な患者さんに限られる。進行癌の患者さんが新薬を使用できる可能性は極めて低い。これは、新薬を投与して具合が悪くなった場合、新薬のせいなのか病状のせいなのか判断が難しくなるため、治験のスポンサーである製薬企業が、投薬前から具合が悪い患者さんの治験参加に厳しい条件をつけているためである。これは安全性評価の観点から、当然のことである。

 我が国は深刻なドラッグ・ラグを抱える。これは欧米と大きく異なる。例えば、がんワクチンにしても、欧米では10以上の治験が進行中だ。しかしながら、我が国はオンコセラピー・サイエンス社が推進中のものだけである。

 実は、日本の臨床試験を考える上で、ドラッグ・ラグは無視できない。欧州では一定の手続きを経れば、未承認薬が使えることになっている。compassionate use (人道的配慮によって未認可薬を患者に無料配布する制度)という。我が国では、臨床試験が、この代替機能を果たしてきた。日本で使用できない未承認の薬が、臨床試験に参加することで使用可能となっていたのだ。

 臨床医は、医学を進めるための臨床試験というより、患者の治療選択肢を増やすことを念頭においてきた。進行がん患者は何らかの合併症をもつ。治験では、このような患者は除外しようとするが、臨床試験では、出来るだけ登録できるように配慮することが多い。だからこそ、消化管出血などの合併症が臨床試験の実施中に生じるのだ。
 言葉を替えれば、日本の臨床試験は、既存の治療が無効となってしまった「がん難民」化した患者さんを、治療により救う制度として機能してきたともいえる。

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 さて、ここで朝日新聞社の「がんワクチン報道事件」に立ち返ってみる。朝日新聞社は一連の報道で、「薬事法の規制を受けない臨床試験には被験者保護の観点から改善すべき点がある」ことを伝えたかった、と主張しており、11月10日の朝日新聞朝刊記事で、東京本社科学医療エディター・大牟田透記者は、「新薬・新治療法を渇望する患者・家族の気持ちは、痛いほど分かります。」としている。

 しかしながら、「薬事法の規制」を受けることで、果たして安全性は向上するのであろうか。既に現行の臨床試験は、臨床医・研究団体・学会などのピアレビューを受けており、専門者の自律により機能していた。「薬事法の規制」により、煩雑な手続きが増えこそすれ、安全性の質は向上しない。「薬事法の規制」による「臨床試験の国家統制」は、果たして真の「被験者保護」につながるのであろうか。12月14日のMRIC by 医療ガバナンス学会 No. 378の記事(http://medg.jp/mt/2010/12/vol-378.html#more) で、北海道大学大学院医学研究科医療統計?医療システム学分野助教の中村利仁医師は、「国家の不作為によるドラッグラグで患者さんが苦しんでいる中、ナチスドイツを引き合いに出しながら国家による臨床試験の一元管理を主張している朝日新聞の社説は、その根本でヘルシンキ宣言の精神を理解していないか、あるいは少なくとも信じていないということになる」と述べている。私も、この主張に賛同する。

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 臨床医として一連の朝日新聞記事を読み感じるのは、患者視点の欠如、現場取材の欠落である。一連の記事では、がんペプチドワクチンの臨床試験に参加した患者さんが、進行した膵癌患者を有しており、既にがん進行により様々な合併症を生じつつあることが全く考慮されていないのだ。臨床試験では、合併症を有する進行癌患者でも出来るだけ参加・登録できるように配慮することが多い。だからこそ、消化管出血などの合併症は、起きるべくして起きるのである。

 朝日新聞は、消化管出血で入院期間が延長したことを他施設に知らせなかったことを問題視している。が、記事で報じられた患者さんの出血は、膵頭部癌による門脈圧亢進に伴う食道静脈瘤から生じていた。他の部分の消化管出血ならまだしも、食道静脈瘤からの出血ならば、膵癌の合併症とがん臨床に携わる医師は100人中100人が考えるため、出血は他施設に「なぜ知らせなかった」と論じる事象ではない。実際医科研病院の担当医もそう考え、第三者を含む治験審査委員会に報告し、審議は終了していた。

 なぜこのようながんの合併症を、朝日新聞はあえて1面で取り上げる必要があったのか、理解に苦しむ。朝日新聞は、がん進行に伴う合併症を強調・誇張し、「被験者の不利益になる情報」と読み違え、「不利益情報がきちんと被験者に届くよう厚生労働省が保証すべき」と主張しているのだが、今回の主張には、医学的誤り、現場との大きな乖離、論理の飛躍がある。臨床試験、被験者保護を主張したいのなら、もっと別の事例があるはずである。

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 再掲するが、日本の臨床試験は、既存の治療が無効となってしまった「がん難民」化した患者さんを、治療により救う制度として機能してきた朝日新聞の一連のがんワクチン記事報道は、進行癌を有した「新薬・新治療法を渇望する患者・家族の気持ち」、そして臨床試験に携わる現場の医療従事者の気持ちを踏みにじるものであると云わざるを得ない。
 朝日新聞には、患者視点・現場取材・医学的根拠に基づいた、日本の臨床試験をより良い方向に導
くような報道を行うことを、一臨床医として求めたい。


初出:インフォシーク内憂外患
http://opinion.infoseek.co.jp/

The Japan Syndrome 

日本政府の財政が、大きな赤字を恒常的に出しており、赤字国債の発行が、1000兆円という途方もない額に達している。これまでは、日本郵政や銀行がその赤字国債を受け入れてきたが、国民の資産総額を、国の赤字が超える日がそう遠くはない(数年以内)と言われている。そうなると、海外で国債を売らなければならなくなり、国債価格は下落、さらにその金利が嵩むことになる。それは、日本経済の破綻を意味する。

一方、国民の高齢化が進み、それに生産人口の減少もこれから早いピッチで進む。日本経済は、このままでは、ゆっくりと下降線を辿ることが明らかだ。破綻の土壇場にある医療・社会保障は、ひとたまりもないことだろう。The Japan Syndromeの顕在化だ。現在の一部製造業の好景気も、中国頼みであり、中国のバブルがこけると、現在の不況はさらに酷くなる。過日、投資アナリストをしているFred K6KXが、中国のバブルについて、興味深いことを言っていた。中国では、不動産バブルが酷く、中央政府の指示する目標にそって、地方政府が建物を建て続けているが、既に入居する企業や人間がいなくなりつつあるとのこと。いわば、計画経済バブルの様相を呈しているらしい。近い将来、そのバブルははじける。

上記の事象は、経済に関心のある方なら、とっくのとうに分かっていることだ(それを知りつつも経済破綻はないという楽観論を述べられる方々がいることも知っている)が、多くのものを言わぬ国民と、大多数の政治家達にとっては、自分のことではないかのようだ。

与謝野馨氏の入閣に際しての政治の迷走振りを、小松秀樹氏が、痛烈に批判し、医療・社会福祉の観点から、現在の経済社会状況を直視しすべきことを訴えている。タイトルがいささか刺激的だが、小松氏は日本という国が生きるか死ぬかの瀬戸際にあるという認識を持っておられるのだろう。


MRICより引用~~~

与謝野馨氏の死処

亀田総合病院 副院長 小松秀樹
2011年1月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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 正月明けの1月13日、かねて予想されていたが、亀田総合病院(千葉県鴨川市)がパンクした。考えうる限りの調整をしてきたが、入院病床が足りなくなり、救急患者がこれまで通り受け入れられなくなった。正確には入院病床の不足ではなく、看護師不足のためである。建物・設備としての病床はあるが、看護師不足のために、数十床閉鎖している。平均在院日数も12日間と10対1看護体制としては限界まで短くなった。これ以上労働負荷をかけるのが不可能なので、7対1看護体制を達成することを優先課題にしている。このため、しばらく、増床できる見込みはない。

 亀田総合病院の入院患者の53%は安房医療圏外に在住している。北東側の山武長生夷隅医療圏の医療はほぼ崩壊状態にある。北側の君津医療圏も、医師不足のため中核病院の機能が低下し、あふれた患者が亀田総合病院に押し掛けてきている。

 国立社会保障・人口問題研究所の都道府県別将来推計人口によると、2010年から2025年(団塊世代の全員が75歳を超える)までの15年間で、65歳以上の高齢者人口が日本全体で694万人増加する。現役世代の医療需要は小さく、大半の医療需要は高齢者による。今後医療需要の大幅増加が見込まれる


 特に首都圏の高齢者人口の増加は著しい。全国の増加の3分の1は首都圏の増加である。厚労省の基準病床数の計算方法を用いて試算すると、東京、神奈川、埼玉、千葉で、15年間で、基準病床+介護施設対応可能数を26万床増やす必要がある。これは現在の千葉県全体で必要とされる数の3倍である。さらに、埼玉県、千葉県は人口当たりの医師数・看護師数が日本で最も少ない。亀田総合病院のパンクの原因は人口問題に起因するので、今後、悪化することはあっても、改善する可能性はほとんどない。

 2008年度に、国の指示で、各都道府県で一斉に地域医療計画が改定された。この改定は、従来の病床数抑制政策に則って立案された。当時、多くの自治体病院は、2004年頃から目立ってきた医師の立ち去り現象のため疲弊していた。加えて、総務省が2007年12月に出した自治体病院改革ガイドラインで、民営化、独立採算化が求められた。具体的には、経費と定員の削減圧力が強まった。民営化の受け皿はほとんど現れなかった。経費削減圧力のために、病院設立者と管理者の溝が広がり、一部で病院管理者が立ち去った。この間、日本全体で、病床数が密かに減少し、一方で、増床はストップした。千葉県の既存病床数は名目上2007年3月31日45,537から、2010年4月1日45,659とほとんど変化していない。その間に基準病床数は、2008年44,241から、2010年48,482(千葉県健康福祉部試算)と増加し、病床数は1,296の過剰から、2,823の不足になった。既存病床数には、利用されていない、あるいは、存在しない病床が含まれている。許可病床が既得権として病院で保持さぁ l$F$$$k$+$i$G$"$k!#@iMU8)$KLd$$9g$o$;$F$b2?t$O4{B8IB>2?t$N70%程度ではないかと推定している。

 どう対応するのか。これから医師や看護師を養成しても間に合わない。必要な費用も膨大になる。これまでと同様の方法で医療サービスを提供しようとする限り、サービス水準を大幅に下げざるを得ない。

 費用が必要なのは、医療・介護だけではない。社会的弱者への対応に膨大な費用を必要とする。例えば、貧困の再生産を避けるためには、教育の機会均等が重要課題である。しかも、費用を負担する現役世代の人口は減少し続けている。

 医療・介護だけを見ても、今、明確な方針のもとに対応を開始しないと、取り返しがつかないことになる。1日対応が遅れると、その分、傷が深くなる。社会福祉は弱者だけのためではない。社会不安で治安が悪化すると、損害が最も大きくなるのは、持てるものである。これ以上、政治の迷走が許される状況にはない。政治は合意形成のための社会システムなのである。

 2009年9月、民主党政権誕生直後、私は「民主党には現実認識に立脚した医療政策を期待」http://medg.jp/mt/2009/09/-vol-261.htmlと題する文章を発表した。この文章で新政権に対して注文を付けた。

1 新政権には安定を望む。
2 政治の過程には政敵が必要なので、自民党を壊してはならない。
3 政治家は合意形成のプロであって、信念のプロではない。
4 民主党、自民党、国民新党、みんなの党の区別は必然的ではなく、偶発的な区別にすぎない。
5 日本国民の移ろいやすい性癖から、次の選挙では民主党への逆風が起きる。
6 政治の安定のためには、公明党と組むしかない。
7 マニフェストは強いられたポピュリズムの表現に過ぎない。
8 マニフェストより議会での議論がはるかに重要である。
9 医療政策を政治的言語すなわち定性的な「あるべき論」で議論すると不毛な対立をもたらす。定量的な議論が必要である。費用が足りない場合、安易に現場に無理を強いるような状況ではない。現実の認識に基づいて、どのサービスを選択するのか、どのサービスをやめるのか考えるべきである。

 文章を発表しただけでなく、個人的に何度か政権幹部に働きかけた。当然ながら反応はなかった。民主党政権の行動は稚拙だった。予想通り民主党は参議院選挙で惨敗した。

 2009年8月の総選挙から1年5カ月、政治の迷走が続いている。上げ足取りの同じような議論が繰りされている。このままでは政治が国民から見放される。少なくとも、与謝野馨氏の登場まで、日本の問題の解決につながる政策の合意が本気で目指されたことはなかった。

 与謝野氏は、財政再建、税制の抜本改革、社会保障制度の持続性の確保が喫緊の課題だとした。社会保障を目的とする消費税増税が必要であることが、多くの政治家の共通認識だとした。実際、谷垣禎一自民党総裁も同様の意見を主張してきた。公明党も同様である。反対派は、自民党の上げ潮派、みんなの党、共産党など少数に過ぎない。与謝野氏の意見は、ポピュリズムを一瞬横に外せば、合意可能である。とにかく合意を急いで、早急に未来に向かった施策を開始する必要がある。日本の保守政党の区別にたいした意味があるわけではない。合意のためなら、菅直人総理も民主党の反対派を切り捨たり、首相の座を明け渡したりする覚悟が必要である。民主党の名前もどうでもよい。いずれにしても、このままでは予算は通らず、予算が通らなければ政権は持たない。

 市民は、合意形成に寄与するかどうか、政治を安定させるかどうかを基準に、政治家やジャーナリストを評価して、それをネットで、社会と政治家個人に向かって発信すべきである。
 多くのテレビキャスターが得意げに語る政局裏読みは、さらなる混乱しかもたらさない。およそ社会で責任を分担する者は、彼らの意見をオウム返しで語ってはならない。社会に悪い影響を与えるのみならず、自分の評価を下げる。

 自民党の谷垣総裁は「わが党の比例で当選した人だ。議員辞職して一民間人として入閣すべきだ」「人間への無理解をさらけ出した人事だ」と述べたと伝えられている。与謝野氏は自分の意見を実現するために行動している。そもそも、谷垣氏は与謝野氏と同様の主張していた。日本と自民党とどちらが大切なのかと問いたい。合意形成を促しつつ、自身の存在感を大きくするようなやり方を考えるのが政治家の力量というものではないか。

 たちあがれ日本の平沼赳夫氏は、「与謝野氏は民主党政権のあり方に大変疑問を持っていた。民主党政権を立て直せるか、私は非常に無理だと思う」と述べたという。この発言は、養父である平沼騏一郎氏を想起させる。騏一郎氏は、独ソ不可侵条約の締結に驚いて、「欧州情勢は複雑怪奇なり」と発言して、総理大臣の職を辞し、政治家失格とされた。父子共に、想定の幅が狭すぎる。危機的状況の中で、実情を引き受けて状況を切り開こうしないのなら、政治家である資格がない。

 自民党の石原伸晃幹事長は「社会保障と税制の一体改革について民主党内の意見がまとまっていない。まとめてから提案すべきだ」と繰り返している。情けないとしか言いようがない。自ら提案して主導権をとるチャンスではないか。さらに、政府・与党との政策協議を拒否し、総選挙を要求している。小選挙区制で現状の枠組みのまま総選挙になれば、対立構造が変化しない。選挙がかなり先であるという前提で、まず与謝野氏の意見を軸に予算審議の前後に大きな動きを促すのが、閉塞状況を打開する合理的な方法ではないか。

 石原慎太郎都知事は「ばかじゃないか。政治家の資質の問題。なぜ沈みかかっている船に乗るのか」と批判した。ポピュリズム政治家慎太郎の行動原理が透けて見える。民主党の一部女性議員のこれみよがしの反対意見表明の背後にも、同様の人間理解と打算があるように思う。こうした見えない前提が手かせ足かせとなって、日本の政治を沈滞させたのではないか。

 政治家与謝野氏の死処である。浴びせられた罵声はもちろんのこと、政治生命を失うことも覚悟の上だろう。与謝野氏の行動を評価するなら、声をあげて応援しないといけない。政治は日本の命運を左右する。冷笑的態度は無責任である。日本のそれぞれの分野で、多少なりとも社会の営みに対し責任を分担していると自覚しているのなら、与謝野氏が聞こえるように応援していただきたい。

CWに魅入られた少年の物語 これからのCWを考える そのII 

その後、少年Sは、勉学その他に関心が移り、アマチュア無線からしばらく遠ざかった。その後、社会人となったが、仕事は長い休暇の取れない職種で、自宅にいて気軽に楽しめる趣味として、アマチュア無線を思い出し、1980年頃に再開することになる。それ以降、最初に魅入られた、7メガのCWを中心にアマチュア無線の流れに自らどっぷり浸かり、また観察を続けてきた。

1990年代までは、旧きよき時代の名残を同バンドで聴くことができた。が、アマチュア無線人口の老齢化、CWモードの業務使用の廃止、試験制度でCW能力が要求されなくなる流れ等から、同バンドCWの衰退が、2000年代になって明らかになってきた。6146シングルの自作送信機に単純なアンテナという設備に比べて、飛躍的に向上したはずの設備になったのに、「普通の交信」をする相手が見つからないとのだ。1990年代、週末に、夕方から夜にかけて7メガでCQを出すと、北米の局に次から次に呼ばれたものだが、最近は、そのようなことはめったになくなった。

CWは、このまま寂れてゆくのだろうか。自分自身が愉しみ、多大な精力と時間とをかけてきたこの趣味が、最後の灯が消え行くように、存在しなくなる、その可能性を否定できるだけの材料はない。が、そうならないように、我々CW愛好家には考え行動する責任がある。人生の一部をかけても無駄ではないこの趣味に、若い人々を引き込むにはどうしたらよいだろうか。東アジアという、アマチュア無線辺境の地で何を考えるべきなのか。

まずは、アマチュア無線、CWというモードの愉しみの原点に復帰することが必要だろう。私にとっては、CWは、海外への窓を広げてくれ、そこを通して、多くの友人・先輩を知ることができた。実社会の人間関係ではないが、個人的な師弟ともいえる関係が多かった。最近、ある海外のメーリングリストで、CWの初心者が何を望んでいるかを調べたという投稿があり、その一つに、Elmerがいないという声があったという。私にとっての、旧きよき時代は、海外にElmerとなってくれる先輩がいたということだ。勿論、国内にも何人もアマチュア無線の尊敬すべき先輩はいたが、見知らぬ海外にCWという共通の趣味によって強固に結びついた友人・先輩を得ることができたのだ。口幅ったい言い方をすれば、これから、我々こそがElmerになる気構えと準備があるかどうかが問われている。国際語である英語を母国語とする先輩方には、是非その気構えを持っていただきたいものだ。

CWという原始的でいて、ある程度の習熟が必要な通信手段に、何かメリットがあるのか。特に、ネットがこれほど普及してきた現在、我々CWを愛する者にとっては自明と思われる、この問いももう一度意識してみる必要があるかもしれない。これも何度か記してきたことだが、CWの受信能力は、文章を読む脳の機能と密接に関わっていることが明らかにされている。また、送信についても、同様の知的な脳の機能が関わり、また言うべきことを短時間にまとめることが要求される。そのテンポは、ものを書くことと同じだ。こうしたCWのもつ知的な側面、それによって生まれる愉しみを、我々はもっと意識し、さらに若い人々に訴えてゆくことが必要なのではないだろうか。

短波帯、特に実用になる7、14メガの実際の電波伝搬は、東アジアではなかなか厳しいことが多い。は、英語での交信が可能な地域、西ヨーロッパ、北米(特に東海岸)へのパスが、北極経由になるために減衰を避けられないのだ。また、生活時間帯から言っても、早朝日の出か、夕暮れ時にピークを迎えるCONDXに合わせて出ることはなかなか難しいことが多い。でも、CWへの熱い気持ちを持って、そうした地域の局に耳を傾けるビギナーがこちらにもいることを忘れないでもらいたいものだ。

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まだ、原稿の原案レベルだが、こんなところか・・・今週末までに投稿しなければならない・・・もう少し、内容を練るつもり。昔、学会の抄録を提出していた頃を思い出しつつ。


CWに魅入られた少年の物語 これからのCWを考える そのI 

CWopsの機関誌「Solid Copy」のコラム原稿のための覚書・・・どこかで既に書いたことのつぎはぎだが・・・

時は1960年代後半、少年Sは、学校を終えると、そそくさと自宅に向かった。日の暮れる前には、郊外にある自宅に帰着することが多かった。両親は、共稼ぎで、自宅は誰もいない。帰ると、自分の部屋にこもった。ベッドと勉強机が入った狭い部屋だ。自作の無線機の電源を入れる。アルミシャーシに同じくアルミのパネルをつけただけの送受信機。SSBがアマチュア無線界でも主流になりつつあったが、半田ごてとテスターだけで機械を自作していたS少年にとっては、SSBの機械など夢のようなものだった。出るのは、専らCWである。夕方、太平洋を挟んで聞こえてくる北米からの信号に耳をすました。開けているバンドは、7から21メガだったが、容易に北米と交信が出来た7メガに主に出没していた。

S少年にとって、外国の人々と知り合い、交流できるのは、アマチュア無線を通してだけだった。アマチュア無線は、彼にとって、いわば、世界に開けた窓だった。学校で学んだ英語を使って、アマチュア無線で交信することも面白かった。外国語は、殆ど学校の英語の授業でしか学ぶ機会がなかった。様々なメディアを使った英会話の習得など望むべくもなかった。でも、外国の友人達と、テキストベースで会話することのできる、CWという通信手段には愛着を感じた。CW交信があったから、英語の勉学に力が入った面もあるのかもしれない。

CWにしか出られなかったので、やむを得ずCWを用いていたということもいえる。だが、CWという通信手段のテンポが、思考するテンポに合うことにも、意識しなかったのかもしれないが、惹かれていたのかもしれない。その後、最近になって、ネット等の通信手段が発達しても、CWに拘っているのは、普段意識されぬ、こうしたCWの魅力があるためなのだろう。

さて、夕方の7メガでは、国内や、シベリヤの局に混じって、北米西海岸やオセアニアの局が入感する。日が暮れるに従い、彼等の信号は強くなってくる。今考えると、7020KHz付近だったろうか、キーボードや、キーヤーの高速CWでラグチューを愉しむ、Ed WA6UNF(後のK6NB)のグループが聞こえた。それ以外にも、K6DVD、W7COB、日が暮れてから、WB6BFRやWA5OJG(後のW5AB)等が聞こえてくるのを常としていた。西海岸の日の昇る頃には、W6ULS(後のK6DC)が、強力な信号でヨーロッパとロングパスで交信していた。私の設備は、せいぜい数十ワットにグランウンドプレーンアンテナだったのだが、じっと聴いているだけでは物足りなくなり、彼等を度々コールするようになった。そうした「おじさん」達は、いつも気軽に相手をしてくれたような気がする。特に、Ralph WB6BFRは、いつもゆっくりとしたCWで相手をしてくれた。家族の写真を交換し、彼が奥様と来日されたときには、直接お目にかかる機会を得た。夜遅くまで無線に興じていると、早く寝ろとブレークをかけてくるのが、Merle W6ULSだった。彼は、南アフリカの局とも定期的に交信をしており、その中に無理やり入れてもらったこともあった。こちらが、多少英語を話すということもあったかもしれないが、何事かをもってぶつかってゆくと、それにきちんと応えてくれるという方々だった。彼等の多くは、私のElmer(s)として、私の記憶の中に留まっている。

続く・・・

音楽会終了 

9日、全国から同業の音楽愛好家が集まり、また私の個人的な知り合いも交えて、室内楽演奏会を開催した。20人前後の参加者、聴衆は、それを下回る程度のこじんまりとした会だった。

北海道からギターを抱えてわざわざおいでくださった小児科医、長野から指揮棒を懐に参加してくださった内科医、それに外科の出身で現在は健診業務についておられる関東在住医師、同じく関東でマイナー科を開業している方、ただ聴くためにきてくださった方もいらっしゃった。様々な楽器で、ソロやアンサンブルを披露してくださった。お話を伺うと、中堅どころの仕事を終えかかるところで、若い頃に練習していた楽器をふっと手にして、練習を再開したという方ばかりだった。専門も、所属も全く異なるが、音楽と演奏を愛することで繋がった方々だった。演奏にも、こだわりと熱意が感じられた。

個人的に参加を呼びかけて、それに応じてくださった、弦楽四重奏団が二組。どちらも熱演を披露してくださったが、特に学校の若い先生方のグループが、ポピュラーを丁寧にそして歌心を一杯に演奏してくださったのが印象的だった。伸びやかな音楽と、彼らの若さがオーバーラップして、羨ましくも感じた。それ以外に、私のピアノトリオのメンバーや、フルートの専門家も参加してくださった。最後には、バッハのブランデンブルグ協奏曲4番1楽章を全員で合奏した。晴れやかな響きの音楽だが、哀しみと喜びが二本の糸のように編みこまれた曲だ。伴奏陣が最初から最後までフォルテで通したのは、ソリスト達に申し訳なかったが、最後の曲として相応しい曲だった。

私達の演奏は、ブラームスのピアノトリオ2番長調の全楽章。練習し始めて、実に1年半になる・・・これほど時間をかけて練習した曲はかってなかった。所々、小さな事故はあったが、全体を通して、練習をした成果を出すことができたのではないかと思った。この曲は、ブラームスの室内楽のなかで、屈折するところのあまりない、晴朗な曲想に満ちた音楽だ。この曲を弾くのもこれが最後かと思いながら、一つ一つの旋律を弾き進めた。メンバーのお二人も楽しかったと仰ってくださり、次にスメタナのピアノトリオを練習することに決めた。

二次会は、演奏会場近くのイタリア料理店のログハウス別館を借り切って、2時間以上かけて行なった。大きなテーブルを囲み、料理を頂きながら、大いに語り合った。自己紹介も各人が行い、同業の方と、それ以外の方々が親しくなることが出来た。ギターソロの「禁じられた遊び」、バッハのドッペル1、2楽章、それにモーツァルトのフルートクワルテット二長調1楽章等が余興で演奏された。料理やワインが消費された頃、名残惜しくお別れすることになった。また、参加された方々に、きっとどこかでお目にかかれることだろう。

直前に母の入院や、私の練習の不足などがあったが、参加できてよかった。練習することで僅かずつ上達しうる感触を得たので、これからも体力の持つ限り、練習を続けて行きたいものだ。アンサンブルを愛好するこうした面々との再会を目指して。

明日、本番 

いよいよ、明日室内楽の音楽会で弾く。ブラームスのピアノトリオ2番全楽章を予定している。今からそわそわぶるぶる状態だが、これまで1年半もかけて練習してきた成果を出せれば、それで満足しよう。他に、プーランクのフルートソナタ、ギターソロ・アルハンブラの思い出、ピアノデュオ・フォーレ・ドリー組曲、ベートーベン弦楽四重奏曲第四番、ブランデンブルグ協奏曲第四番1楽章等々が演奏される。医師仲間や、教師をなさっている方等々が参集される。

冷やかしに聴いてもよいという方がいらっしゃったら、歓迎。

〇小山市駅西口のロブレ6階、小山市生涯教育センターホール

〇9日 午後2時半から4時50分まで


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佐藤一樹医師、東京女子医大に対して実質勝訴 

佐藤一樹医師が、東京女子医大と、元院長に対して起こした、損害賠償請求訴訟が、和解したとのこと。大学が、佐藤医師に対して、「衷心より謝罪し、200万円を支払う」という内容らしい。大学側は、自らの責任を逃れるために、偽りの院内事故報告書を作成し、それを基に佐藤医師は、刑事告訴されることになった。冤罪である。

損害賠償請求は3年間の時効を理由に棄却されたらしい。が、刑事裁判で無罪が確定したのが、2009年なのだから、そこを基準に時効を判断すべきだったのではないだろうか。

いずれにせよ、佐藤医師にとって長く暗いトンネルだったことを想像するに難くない。その期間に失われたものは余りに大きい。彼が警鐘を鳴らしている「医療事故の『内部報告書』の危険性」について、医療従事者のみならず国民も関心を持つべきではなかろうか。偽りの医療事故報告書からは、医療事故の再発防止という究極の目的が達成できないからだ。



jiji.comより引用~~~

東京女子医大が謝罪=「事故報告書は誤り」-無罪医師と和解・東京高裁
 東京女子医科大学病院(東京都新宿区)で2001年、心臓手術を受けた小6女児が死亡した医療事故をめぐり、機器の操作ミスが原因だとする調査報告書で名誉を傷つけられたなどとして、刑事事件で無罪となった佐藤一樹医師(47)が大学と元院長に損害賠償を求めた訴訟は6日、東京高裁(園尾隆司裁判長)で和解が成立した。大学側が報告書の誤りを認め、謝罪した。
 原告側代理人によると、高裁が昨年12月、和解案を提示。和解条項には200万円の解決金支払いも盛り込まれた。
 大学の報告書は、佐藤医師が人工心肺装置のポンプの回転数を上げたままだったことが原因と結論付けていた。昨年8月の一審東京地裁判決は「佐藤医師の過失は否定されるべきだ」と指摘する一方、損害賠償請求権の時効(3年間)を理由に請求を棄却した。
 佐藤医師は業務上過失致死罪で逮捕、起訴され、09年に無罪が確定した。和解後には「報告書を基に起訴された。全国の医師には、医療事故の『内部報告書』の危険性を検討してもらいたい」とのコメントを出した。
 東京女子医科大広報室は「今後も安全で高度の医療を提供する大学病院として一層努力する」としている。(2011/01/06-17:51)

近況 

この次の日曜日9日に、近くで同好の士が集まり、音楽会を開くことにしている。この1年半かけて練習して来たブラームスのピアノトリオ2番を弾くのだ。その準備に追われている。練習もしなくてはならないのだが、事務的な準備が多い。

一方、12月30日に母が気管支炎のため仙台の病院に入院した。大晦日に車を走らせて面会をしてきた。昼食を食べさせて、しばらく一緒に時間を過ごした。思いのほか元気そうだったが、起座位になると多少の呼吸困難がある様子だった。今日、面倒を見てくれている弟から連絡があり、呼吸困難は心不全のためであろうとのことだ。年齢からして、何時どのような事態になっても不思議ではない。この連休中に泊りがけで見舞いに行きたいところだが、それも上記の催しのためにままならない。でも、事態が悪化したら、演奏は諦めて、仙台に駆けつけるつもりだ。

というわけで、ブログを更新することもままならず。この数日間は、ご容赦願いたい。

頌春 

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日光連山を、近くの鬼怒川河川敷から望む

頌春

昨年末、海外の友人に送った季節の挨拶状に対する、反応が面白かった。米国の友人達は、金融危機の問題を比較的楽観的に捉えているようすだった。Bob W6CYXは、Stiglitz教授のことを、ニューヨークタイムスのような左翼系の新聞にばかり寄稿する共産主義者であり、crack potであると、7メガで捲くし立てていた。銀行には金融危機の責任はなく、むしろ低所得者への貸し出しを強制された被害者だという。他に返信を下さった方々も、将来に対して希望を持っておられる様子だ。Bill K1YTは、いよいよこの夏に退職される様子で、自分の退職生活が、経済が上手く行くかどうかの試金石になるといって苦笑していた。一方、シンガポールのJohnは私と同意見であり、このバブルを引き起こした者達をかなり辛らつな目で眺めている様子だった。

悲観ばかり並べてもいけないのだが、民主党による政権交代が、尽く期待を裏切り、官僚主導による行政・政治がこれまで通り続くことがほぼ既定のことになった。赤字国債の額が、税収を上回るような国家経済が、永続するはずがない。国債発行額が、国民の貯蓄額を上回れば、国外に国債を買ってもらわなければならなくなる。先進国でも最低にランクされている国債の利息は高騰することだろう。すると、国家の経済は、破綻する。そうした近い将来の状況が誰でも予測できるのに、官僚達は、公務員の給与を高止まりしたまま据え置き(正確な数値は覚えていないが、公務員全体の給与を公務員数で割ると、800万円台になるはず)、政治家は、国民へのバラマキを止めない。官僚達は、医療制度を支配する手立てを打ち続けている。財務省の財政規律路線を首肯する積りはないが、行政の無駄に切り込むこと、官僚による社会支配の体制を国民に見えるようにし、点検し、それを国民のためという視点から構築し直すことが、すぐにでも必要なことなのだ。

この状況で何を我々はなしうるだろうか。日本が、沈没してゆく様をただ眺めているしかできないのだろうか。官僚達による社会支配は、マスコミによる「世論誘導」によってもたらされて来た面が強い。それに抗する、ネットワークと横の繋がりを作り出すことがまず必要なのかもしれない。もう定年退職間近の私にできることは限られているが、仕事を通して、さらにこうしたネット環境、交友関係を通して、繋がりを生み出し、それを大切にして行きたいものだ。

ザルのようになって行く記憶力を、全体を把握し統合する力と経験に基づき推理することで補って、まだまだ勉強をしなければと痛切に感じている。社会の動き、歴史の流れのなかでの自分の立ち位置を、把握する必要を、これまでになく感じている。恰も堅固な見方であるかのように思えるような惰性の産物の常識をいつも疑って、より本質的なところに迫ってゆきたいものだ。

無線の愉しみも、惰性に流されることなく、自分にとって大切なことに集中して行きたいものだ。幸いなことに、意味のないことを1時間もしていると、スイッチを切る気持ちになる。CW通信のメカニズムを整理すること、旧い友人達との交流を続け深めてゆくことだろうか。英語も、日々の驚きと感動のなかで学習し続けたいものだ。

音楽・・・ブラームスのピアノトリオが一段落して、今度は、スメタナのト短調のピアノトリオに移る。フォーレのトリオも魅力的なのだが、あの変幻自在で虚飾を排した音楽を演奏するには、まだまだ・・・。バロック、ことにバッハの作品にも惹かれる。聴くことにも時間をもっと割こう。樫本大進さん等のブラームスピアノ四重奏曲の演奏は、白眉だった。フーガの技法を、コープマンのチェンバロで最近聴いているが、音楽の構造が、弦楽合奏や、四重奏で聴くよりも、もっと明確に頭に入ってくる。オルガンでの演奏ももっと聴くべきなのかもしれない。

仕事は、昨年暮れに記した通り。リタイアへの進み具合は、少し停止した状態だ。医療法人の解散の件、他の医師への継承の件等々、情報を集めておくことにしよう。とりあえずは、身体に無理にならぬ範囲で、毎日の仕事を愉しく続けてゆきたいものだ。いつでも、軟着陸を開始できるように、物心両面での準備を行うことだ。