院内医療事故調査委員会の構造的問題 その1 

医療事故の多くがシステムエラーだ。ところが、医療機関の幹部は、医療現場の人間にその責任を負わせ、問題を解決しようとする。それが、医療機関幹部の保身となり、さらに患者・そのご家族の医療従事者への処罰感情を満足させ、場合によっては、保険金を保険会社から得やすくなるからだ。そうした「解決法」は、システムエラーを隠し、同じ事故の再発防止を妨げるだけでなく、東京女子医大事件の佐藤医師のような冤罪の被害者を二次的に生み出す。

佐藤医師が、東京女子医大と、その事故調査委員会の責任者東間元同院副院長に対する名誉毀損不当解雇事件についてMRICに報告している。長年の闘いの末に、『「衷心から」謝罪する』という言葉を得たときの佐藤医師の気持ちは、いかばかりのものだっただろうか。

院内医療事故調査委員会は、医療を歪め、医療事故再発に資することがない構造的な問題を孕むことを、私達は良く理解する必要がある。


以下、引用~~~


冤罪被害の経験からみた院内事故調査委員会と報告書の問題点(その1/3)

綾瀬ハートクリニック
(東京女子医科大学付属日本心臓血圧研究所 循環器小児外科元助手)
佐藤一樹
2011年2月27日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
---------------------------------------------------------------------

第1 序-偽りの院内事故調査報告書と冤罪

「衷心から謝罪する」-東京女子医大名誉棄損不当解雇事件の和解

「1 被控訴人(学校法人 東京女子醫科大学と東間 紘)は、控訴人(佐藤一樹)に対し、被控訴人らが作成した平成13年10月3日付「故平柳明香殿死亡原因調査委員会調査報告」に、控訴人による人工心肺の操作が患者の死亡原因であるかのような誤った記載内容があったことを認め、そのことを契機として、控訴人が7年間に及ぶ刑事裁判で刑事被告人の地位に置かれ、心臓外科医としてのキャリアを失うなど重大な苦痛を受けるに至ったことについて衷心から謝罪する。

2 被控訴人らは、前項の趣旨を踏まえ、本件紛争を話合いにより円満に解決するための金員として、控訴人に対し、連帯して200万円の支払義務のあることを認める。」

 2011年1月6日付けの和解条項。条項に守秘義務はなく、公開する権利が有ります。この条項は、東京女子医大の東間紘元泌尿器科教授(当時副院長)が作成した上記、院内事故調査報告書(以下「内部報告書」)の誤った記載により名誉を棄損され、逮捕・勾留・起訴されて刑事被告人となった上に、不当解雇(諭旨退職)されたことに対して、2007年2月に私が提訴した民事訴訟の終焉です。

「衷心から謝罪する」を一般用語でいいかえれば、「土下座してお詫びします」に当たると私は思っています。名誉棄損裁判の和解条項の常套文句は「遺憾の意を表す」で平たくいえば「あやまる姿勢をみせる」。東京高等裁判所の深山卓也判事も「このような文言の和解は初めて」とのこと。名誉棄損裁判で東の横綱と法曹界から称賛される主任弁護士の喜田村洋一先生も「記憶にない」。

 「衷心」=まこと、誠心。私がこだわって和解案に盛り込みました。めったに使用されないこの文言は東京女子医大と患者家族の間でかわされた示談書からの引用です。東京女子医大と東間医師が、早期にこの報告書の誤りを認めていれば、患者家族も、私も、長期に渡り苦しむことはなかったはずです。報告書作成から9年3月3日目。改めて、両者に対し「衷心から謝罪」させました。

 なお、本件訴訟の控訴審開始以前には、「内部報告書」の誤りを認めようとせず、謝罪する姿勢を全く見せなかった被告(被控訴人)らは、「時効で切った一審の扱いは、本事件の対応としては適切ではない」旨を裁判長が第一回期日で表明し、結審に向かうにつれ一転して態度を改め、今回の「衷心から謝罪」に至った経緯があります。

冤罪とは

 「『割り箸事件』や『福島大野病院事件』は無罪事件。佐藤先生の『東京女子医大事件』は冤罪事件です。」と複数の法律家や医療ジャーナリストから指摘をうけました。改めて、法律用語辞典をひも解いても、項目に「冤罪」はありません。「冤罪」は、国語辞典に掲載される一般用語で、有罪判決が確定した後に再審を求めている者が「無実の罪」と主張しているような場合を指します。厳密な法律用語ではありませんので、結局無罪であっても、起訴により刑事被告人になり、社会的に甚大な被害を受けた者は「冤罪の被害者」です。

 冤罪の研究書や冤罪事件例を扱った書籍、冤罪事件専門雑誌も多数読みました。冤罪の原因は、「権力者」や「別の当事者」による作為的な力の作用によると説明されます。権力につられて、様々なベクトルが私に向いてきました。東京女子医科大学、事故調査委員長 東間医師、黒澤博身元心臓血管外科 主任教授、警察、検察、新聞記者、雑誌記者、テレビ局員、自称医療ジャーナリスト。そして執刀医岡徳彦医師と担当責任者の瀬尾和宏医師、「瑕疵のある人工心肺装置」を設置した技士達。究極の状況の中、信頼できる人間と偽善的な人間を見極める能力が備わってきました。

第2 院内事故調査委員会と報告書の問題点―東京女子医大事件の経験より

 2002年10月から全病院、有床診療所には、安全管理委員会の設置が義務づけられています。多くの病院では、安全管理委員会の下に院内事故調査委員会が開かれているはずです。しかし、性質上秘密保持の必要があり、存在自体を含めて実態は明らかではありません。本稿では東京女子医大事件の内部調査委員会と報告書の問題点を浮き彫りにし、内部報告書が引き起こす二次的災害防止の参考にしていただくことを目的といたします。

1.院内事故調査委員会・報告書:「目的の問題点」

(1) 院内事故調査委員会:原理的目的・理念

 「院内事故調査委員会」の本来の原理的目的とは何でしょうか。以前からこの問題に明確に解答されている小松秀樹先生に賛同して、院内事故調査委員会の目的を医学的観点「事実経過把握」と「原因分析」とし、自律性のある事故の科学的認識、機能向上、医療の質・安全性の向上を、「理念」として活動すべきと考えます[1]。「原因究明」の姿勢は不可欠です。しかし、医療事故の「原因確定」や「過失認定」をするのは困難で、明確な結論を断定できない場合があります。法律知識に乏しい医師だけで構成される委員会が「事実認定」から「過失認定」までを行うことは危険です。事故原因は医療者一個人だけの問題ではないことがほとんどで、システムエラーが絡んだ問題の真相は、複数の医療者や周囲の状況が複雑に関わるのが通常で、徹底的な調査をしないかぎり判明しません。

 「真実・事実とは微妙で複雑なものです。」本件女子医大事件、帝京大学エイズ非加熱製剤事件、小沢一郎議員強制起訴事件、在外邦人選挙権裁判、ロス疑惑事件、レペタ裁判等、数々の難事件の裁判に関わってきた喜田村洋一先生が繰り返しおっしゃることです。科学的知識や科学的手法によって万物が解明できるものでないことは自明です。「原因分析」や「原因究明」は、かならずしも「原因確定」や「過失認定」と直結するものではありません。

(2) 院内事故調査委員会:隠れた機能的目的と利益相反

 しかし実際の院内事故調査委員会とは、そのような理想的な理念の綺麗事で済むようなものではありません。「隠れた機能的目的」が存在します。それは、紛争対策であったり、患者側や社会からの攻撃をかわすためであったり、保険会社から賠償保険金を得るためであったり、諸々です。多くは、病院開設者側の都合によるものです。

 ところで、記憶に新しい「郵便不正押収資料改ざん事件」の検察組織内の利害関係をめぐるドタバタ劇。事故や不祥事を廻る「原因究明」「責任追及」の場では、第一線の現場で働く者と組織中枢幹部との間に、利益相反が生じます。当初、現場捜査官の前田主任検事は、自らが所属する検察組織に逮捕され、責任は、前田検事個人のみにあるとされました。「早い逮捕で一番危惧するのは、捜査手法など組織の問題が忘れ去られ、個人犯罪と認定されること」と弘中惇一郎弁護士 (不当逮捕された厚生労働省 村木厚子氏の弁護人)はコメントしています。

 同様に、診療事故現場の医療者と病院開設者側との間には、利益相反が生じます。訴訟問題対応や、賠償額が意識される場合は、顕著に表れるでしょう。病院組織の中枢が実権を握るような院内事故調査委員会であれば、現場の責任づくり、責任追求が前提となり、真実の解明よりも組織の保護や遁辞重視の結論に向かう危険があります。医療事故の直接の引き金となった医療従事者が「だれ(Who?)」であるかを問う議論の場になり、内部調査が、しばしば責任の所在を調査するものになって、その根本原因を「なぜ(Why?)」と問うことがおろそかになるのです。

(3) 院内事故調査報告書の作成:患者側の「願い」を意識した目的

 内部調査委員会がまとめる報告書の第一次的、実務的な目的は患者側への説明です。患者側が閲覧したときの反応を想像しない報告書はあり得ません。
 「医療事故に対する患者・家族の願い」と何でしょうか。生存科学研究所 医療政策研究会の神谷惠子弁護士は「(1)現状回復」「(2)真相究明」「(3)反省謝罪」「(4)損害賠償」「(5)再発防止」の5つ上げます。「誠実な対応」と「報復的制裁復讐感情の実現」を私は追加します。

 「フィルターの閉塞が原因」とした刑事事件一審無罪判決直後、NHKのテレビインタビューを受けた患者家族は、「うちの娘はどこでどういうことが起こって死んだのだろう、誰に責任があったのか」と答えました。

 医療行為で患者さんに不利益が生じた場合、それが事故であってもなくても、医療側からの誠実な対応がなかったために、紛争や訴訟に発展する場合が多くあります。そうなると、真相が究明された結果が、「死亡原因は不可抗力」であり、「医療機器の不具合」や「システム・管理の問題」と判断されても、患者側は納得しません。「何故事故が起きたか」より「死因は誰に責任があるのか」を明らかにして欲しいのです。「真実」よりも「納得」。誰に責任があるのかを示さない真実は究明されたと評価されません。“Why”より“who”、「システムエラー」より「ヒューマンエラー」を問いたいのです。「個人の責任」となれば、反省謝罪も実現させやすく、刑事告訴によって報復的制裁復讐感情の実現も可能です。

 医療政策研究会の提言には「再発防止のための医療システムの改善策の提示により遺族にも『無駄死にではなかった』という感情が生まれ、紛争の解決にもつながる可能性がある。」とありますが、「個人の責任」の前提がない限り、現実離れした可能性です。

 結局、「システムの欠陥」より「個人の責任」とする報告書は患者側の願いでもあり、現場医療者のみに責任転嫁したい病院開設側の機能的目的とも一致するのです。

(4) 院内事故調査報告書作成と発表:病院組織の“道義上の責任”アピール目的

 報告書作成および公表には、病院組織の“道義上の責任”を積極的に認めるとう目的もあり得ます。

 病院開設者や院内事故調査委員が組織責任を認めずに言い訳したり、現場関係者を擁護したりすれば、患者側からの峻烈な反発が予想されます。これが、メディアに暴露されれば、病院組織に対する社会的制裁必至です。そこで、責任者にとっては、自らを守るためにとりあえず謝罪することが合理的な態度です。翻って、この非を認める「真摯な公表態度」を利用し、社会から「情報公開に積極的な進歩的な委員長」との評価を得ることもできます。

 私が起訴され刑事公判が開始された2002年9月の後、東京女子医科大学はNHKの番組制作スタッフを医療現場に駐在させ、2003年6月7日「東京女子医科大学病院~医療現場で何が起きているか~」という番組を放送させました。内部調査委員長を務めた東間医師は副院長から院長に昇格しています。内部報告書の誤りを認識しながら、これを否定する私や医局員にパワーハラスメントをかけてきた黒澤医師と東間医師が番組の主役で、伴に「医療事故に対する院内意識改革の旗手」としてスポットを当て、権力欲が全くない門間和夫元循環器小児科主任教授を吊るし上げるような番組でした。

(参考文献)
[1] 小松秀樹, 井上清成:「院内事故調査委員会」についての論点と考え方. 医学のあゆみ, 230,
313-320, 2009.

「診療研究」2011年3月号掲載

Buffy W6PSC 

どこぞで、無線への情熱がやや枯渇しかけた等と記したのだが、このところ7メガが鏡面のように静かで、居心地が良い。夜10時前後、北米の東海岸へのパスはさすがに望めないが、中部から西海岸へは良好なパスがある。

最近、Chuck W5UXHや、Steve N6TTと充実した交信をして床に就くことができた。昨日は、Buffy W6PSCと交信。Buffyは、ストレートキーを使っている。短点がやや長めの、丸っこいキーイングだ。年齢は95歳と半年とのこと。高齢者専用住宅に住んでおられるらしい。1931年に無線を始めたというから、スパーク無線が終わり真空管による無線機の時代が幕あけた時代に無線を始められたのだろうか。出身は、ミシガン州。

もしかしたら、共通の友人・知り合いがいるかと思って、カリフォルニアに落ち着く前に何処に住んでおられたのか尋ねた。すると・・・なが~~~い話が始まった。アラスカからカナダ、メキシコから南米、ついでヨーロッパ全域をくまなく歩き、80歳の誕生日は、モスクワで祝ってもらった、とのこと。三段の誕生祝のケーキを作ってもらったのだが、当時のモスクワでは、砂糖が入手し難く、砂糖の代わりに、黒ラズベリーを用いていた・・・10数分間、彼の話は続いた。最後に、「話がちょっと長くなったが、退屈したかな?」と言われたので、苦笑してしまった。

90歳過ぎにもなると、やはり自分の経験を話すことがメインになるのは仕方あるまい。それでも、キーイングを少しも崩すことなく、この10数分間の連続送信を続けた体力、というか技能というべきか、は素晴らしい。

春のノイズが賑やかになるまで、まだ少し時間は残されているようだ。寝る前のしばらくの時間、また7メガに耳を傾けてみよう。旧い友人や、まだ見ぬラグチュワーが待っていてくれるのかもしれない。

真面目に議論してもらいたい 

このような記述をネット内で拾った。時間がなくて、その出所、真実性を確認していないが、まぁ、当たらずとも遠からずではないだろうか。今後の人口の減少の程度、経済発展(減速)の状態等によって、試算はある程度変わるが、厳しい方向に向かっていることは確実。年金財政だけでなく、国家財政そのものもこの数年で破綻する可能性がある。

『年金財政
収入:毎月みんなが払う保険料(約22兆円)+国庫負担(=税金、約5兆円)=27兆円
支出:報酬比例年金支払い(約22兆円)+基礎年金支払い(約13兆円)=35兆円

19年度時点で、既に基本部分が5兆円も赤字になっています。

127兆円の積立金を毎年5兆円ずつ取り崩すと、25年で枯渇します。』

で、今日の国会衆議院予算委員会の議論の模様を、テレビで、仕事の合間にちらちらと見ていた・・・民主党も民主党だが、自民党は、閣僚や、例の小沢一郎氏の揚げ足取りの議論ばっかり。堅実な野党の存在が今ほど必要なときはない。

深刻な国の将来を根本的に議論しなくてはならないのではないか。

このままでは、国民は救われない。

朝日新聞の狼狽振り 

本当に強い論者、発言主体というものは、法的手段に訴えるといった脅しを掛けたりしないものだ。がんワクチン報道の顛末における朝日新聞は、自らの弱さを曝け出しているようだ。「医療報道を考える会」からの抗議要望署名の提出に際しての朝日新聞の狼狽振りが、下記記事で分かる。自らの報道に自信を持ち、矜持があるのであれば、このような対応をするはずがない。

朝日新聞は、法的手段をチラつかせて、この会の小松氏にも発言を取り下げるように脅している。朝日新聞が、事実の真正さにおいて、弱い存在であることを自ら暴露しているのだ。


以下、MRICより引用~~~

朝日新聞記事に抗議、55,773名が署名、要望書を提出

医療報道を考える臨床医の会 発起人代表 小松恒彦
2011年2月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
---------------------------------------------------------------------

私たち「医療報道を考える臨床医の会」は、全国の病院・診療所に勤務し、日々患者さんの診療を行っている医師の集団です。

去る2010 年10 月15 日、朝日新聞朝刊1面に『「患者が出血」伝えず 臨床試験中のがん治療ワクチン 東大医科研、提供先に』と題する記事が掲載されました。記事は、医学的誤り・事実誤認が多数含まれたうえ、患者視点に欠け、医療不信を意図的に煽るよう読み取れる内容でした。

私たちは、このがんワクチン報道に対し抗議し、当該記事の訂正・謝罪、朝日新聞社のガバナンス(組織統治)体制の再構築を求め、署名募集を行って参りましたが、これまでに、55,773名の賛同署名が得られました。

当会の趣旨にご賛同され、ご署名くださった皆様、誠にありがとうございます。

2011年1月28日、朝日新聞社の秋山耿太郎社長及び報道と人権委員会(社内第三者機関)宛に要望書を提出し、記者会見を厚生労働記者会にて開催致しました。
ここに報告させて頂きます。

●プロローグ:朝日新聞社に署名・要望書提出について事前連絡(1/25-)

2011年1月25日、当会事務局から朝日新聞に電話し、1/28に要望書と署名の提出を行いたいと伝えました。

朝日新聞社秋山耿太郎社長宛の文書は広報部が、報道と人権委員会宛の文書は事務局長が、窓口として対応されました。
提出前の、朝日新聞社側の返答を要約いたします。

・広報部
「署名を受け取るだけは受け取ります」
・報道と人権委員会事務局長
「受け取りますが、受理したとか、何らかのアクションにうつるとか勘違いしないでほしい」

●朝日新聞社に要望書提出、署名持参(1/28 15:00)

1月28日午後3時、私と発起人1名が、事前に指定された東京都中央区築地の朝日新聞社2階の受付に伺いました。朝日新聞社からは、広報部2名(A氏、B氏)と人権委員会事務局長(C氏)の3名が対応されました。
場所は受付の隅の、パーティションで囲われた机と椅子6つが置かれた狭い空間でした。
われわれは氏名(小松、濱木)を名乗り、先方からは名刺をいただきました。
その場で要望書を提出しました。55,773名分の署名も持参しましたが、提出はしませんでした。その際、以下のようなやりとりがありました。

事務局長:これって・・・申し上げた通りなのですが、とりあえず署名はお受けしますが、えっとまあちょっとこちらから何かどうというものでもないので・・・。
私:私たちの方もですね、「朝日新聞に適切な医療報道を求めます」という趣意書をお渡し致しまして、署名はこちらにある通りなのですけれども、電話でもお話ししました通り、(署名を)受け取って特になんのリアクションも出せないという(朝日新聞の)お返事で、このあとプレスリリースに記載したような記者会見もございますので、これ(署名)を(記者会見の方に)持って行き、その後(署名)現物の方がやっぱり必要だということであれば、署名した方々の住所と名前、55773名ございますので、何らかの形で処理したものを必要であればまたお送りするように致します。

朝日側から署名を確認したいとの要望があったので、実物をめくってお見せしました。また、その日は署名提出をしていないことを記者会見で言及してほしいとの要請がありましたので、その旨は承りました、とお答えしました。
当方から写真撮影を希望しましたが、「ここでの撮影は禁止されています」とのお返事でした。

●朝日新聞社から厚生労働記者会へ移動

朝日新聞社から厚生労働省の厚生労働記者会に移動中に、朝日新聞社から私の個人携帯に2度電話がありました。

最初は広報部A氏から、「やはり署名を提出してほしい」との要請でした。私は「それでは記者会見で供覧したのち、個人情報を特定できないよう処理したうえで郵送します」と答えました。

次に広報部B氏から、「あなた(小松)のTwitterを読んだ。受け取るだけで何もしないとはいっていない。何かの誤解があるのではないか」との内容。私は「昨日広報のA氏から "受け取るだけですよ" との電話があり、その後人権委員会のC氏から "受け取るだけで、受理したとか、何らかのアクションにうつるとか勘違いしないでほしい" と電話があったので、それをtweetしました」と返答。するとB氏が「そんなことはないはずだ。何か誤解がある」とおっしゃられたので、「少なくとも私にはそう聞こえました。口頭ではこのような齟齬が生じるので、今後は書面でのやり取りをお願いいたします」と話しました。

問題とされたTweetは、以下のものです。(1/28 09:59:52)
http://twitter.com/komatune/status/30792139835187200

> 「医療報道を考える臨床医の会」本日午後、朝日新聞に趣意書と署名の
>提出、その後厚生労働記者クラブで会見を行います。朝日から「署名は
>けとるが、受け取るだけで何もしません」と事前に通告されました。何も
>しない抗議対象に、署名を渡すのは無意味なので見せるだけにします。
>それにしても・・。

●厚生労働記者会にて記者会見

1月28日16時から、厚生労働省9階の厚生労働記者会にて、記者会見を行いました。会見者は発起人代表の私(小松恒彦帝京ちば総合医療センター教授)、鈴木ゆめ横浜市立大学附属病院神経内科教授、濱木珠恵都立墨東病院内科医長、の3名です。そして私がプレスリリースを読み上げました。

署名については、朝日新聞社側から、事前に受け取るけれども何もしない、という通告があったため、われわれに賛同する方々の個人情報をお渡しするのは意味が無い上に万が一の危険性を考え、まず記者会の皆さんにお見せしようということで記者会に持参したこと、さらに先ほど朝日新聞社から電話があり、何もしないとは言っていない、受け取る、とのことだったので、今後個人情報を再利用されないよう加工をした上で、提出する予定であると述べました。

記者の方たちからは、現場への影響、署名の内訳、署名に協力した病院数、実際の臨床研究の中止例、報道と人権委員会は裁判開始された案件については開催されないことが内規になっているが知らなかったのか、などの質問がありました。
それに対して、55,773名の署名のうち96%を医療従事者が占め、20-30の医療機関から署名が送られてきたこと、報道後1例の臨床試験が影響を受けたことをお答え致しました。
(注:記者会見後再度事実を確認したところ、関東圏で1例の臨床試験審査が中断し、現在に至っても開始されていないそうです)

公式会見終了後も、多数の記者の方から質問を頂きました。記者会見翌日以降、MEDIFAX, MTProで、記者会見の模様を報道していただきました。御礼申し上げます。

MEDIFAX WEB (2011/1/31)
記事への抗議で5万人以上の署名  がんワクチン報道
http://medifax.jp/MemberPages/Article.aspx?id=6047&number=1&page=7#2

MTPro (2011/1/31)
朝日新聞,5万5,000人超の抗議署名に「対応しないとは言っていない」
http://mtpromedical-tribune.co.jp/mtpronews/1101/1101066.html

●エピローグ:記者会見後に朝日新聞社から

なお、記者会見終了後、朝日新聞広報部から電話が再度ありました。
「医療ガバナンス学会のメールマガジンで、プレスリリースが送られてきた。署名を朝日新聞社に提出したことになっているが、実際は提出していない。訂正記事を配信してくれ」との依頼で、これを承りました。
ここに、署名を1月28日15時には提出していないことを訂正申し上げます。

私の感想では、朝日新聞社としては予想以上に署名数が多く、また「何もしない」ことを広く流布されることがかえってよろしくないと考えられたような印象を受けました(あくまで想像ですが)。また、少なくとも直前まで、当会が記者会見することをご存じなかったようです。あれだけ「受け取るだけですよ」「受理したと勘違いしないでほしい」と仰っていたのが、「記者会見するんですか」と軽い(?)驚きを表明された後に、「何もしないとは言っていない」「署名はやはり提出してほしい」にかわっています

ここに朝日新聞社の綱領を引用致します。
http://www.asahi.com/shimbun/platform.html

一、不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す。
一、正義人道に基いて国民の幸福に献身し、一切の不法と暴力を排して腐敗と闘う。
一、真実を公正敏速に報道し、評論は進歩的精神を持してその中正を期す。
一、常に寛容の心を忘れず、品位と責任を重んじ、清新にして重厚の風をたっとぶ。

1952年制定

今回の朝日新聞社の対応は上記綱領に沿った対応といえるでしょうか?
私たちのような市井の医療者が発した事実誤認・医学的誤りの指摘、抗議に対し、真摯に返答することなく、逆に一個人の私に、名誉毀損行為に対する訂正と謝罪を法的措置をちらつかせ要求し、さらに署名や要望書に対しては「何かアクションがあるとは思わないでほしい」と答える。
これが日本を代表する大新聞社のひとつであられる朝日新聞のやり方なのでしょうか。
また、当会は第三者で今回の裁判には関与しておらず、報道と人権委員会の内規に抵触する対象ではありません。

今回の朝日新聞がんワクチン報道、それによる報道被害、そして中村教授らが提起された訴訟がどうなるかは私にもわかりません。私は本来、事を荒立てることを好まず、また、細かいことにはこだわらない質であり、何もすべての医療報道をチェックしたいなどとは毛頭考えていません。(むしろそんな大変なことはしたくないのです)

しかし、坐視できないことがおきたときには、きちんと「それは違う」ということは必要と思います。今回の騒動を契機に、医療者とメディアの互いの理解が深まり、多くの人に知ってほしいことに関してはメディアを通じて医療者と国民に広く双方向の関係が成り立つことを望んでおります。

ただただ、「災い転じて福となす」ことを祈念している次第です。

開業医エレジー 

昨夜、0時を過ぎてから、寝る気になり、二階の寝室に向かった。階段を途中まで昇ったところで、下にフォーレのピアノトリオのスコアを忘れたことを思い出した。寝る前に、演奏を聴きつつ、スコアを眺めるのだ。取って返そうと思った瞬間、左足を階段の滑り止めに引っ掛けてしまった。左足を残したまま、危うく転落しかかった。手すりに捕まって、転落は免れたが、左ひざを外側に過伸展してしまった。何か鈍い音がして、激痛が走った。左ひざ周囲のじん帯を損傷したのだろう。

大した怪我でもないが、その痛みの中で最初に考えたのが、今日の仕事のこと。仕事に行けるか、休まなくてはならなくなったらどうしようか、ということだった。家人に手助けしてもらって、何とかやすむことができたが、目が覚めたときにまず行ったのは、左ひざを動かせるかという確認。曲げたり、外側に少しでも曲がったりするときに、激痛が走るが、左下肢を伸ばしていれば、何とか移動できる。何とか仕事に行けるか、と判断した。

「開業医が楽して儲けている」とはトンでもない言いがかりだと何時も思ってきた。大きな借金をかかえ、こうした健康上のトラブルを抱え込んだら、即刻アウトだ。出身医局とも疎遠になり、大学の人事事情を考えれば、一介の診療所に、手助けの医師を続けて出してくれることなど期待できない。保険にも入っているが、数ヶ月で、経営は行き詰る。その間、仕事をしてくださる方々に給与は出し続けなければならない。借金の返済は続く。開業当初は、健康上の少しの変調でも、ノイローゼになる一歩手前の状態になった。でも、自分の病気のために休診にしたことは一度もなかった。開業とは、ハードな事業だ。40歳代、50歳代になってから、新規に開業することは、医師に大きなストレスをもたらす。

現在、開業当初のようにあくせくしなくても良くはなってきたのだが、休診にするには大きな勇気が要る。患者さんに迷惑をかけることと合わせて、こちらの経営からすると、患者さんが少なくなる心配がある。診療所では、競争が激化しており、さらに診療報酬の切り下げで、経営的にはぎりぎりのところまで来ている。しかし、今回の捻挫を経験して改めて感じたことだが・・・年齢から来る病のために、休診や、廃院にせざるを得なくなることが何時来てもおかしくない。その準備を進めておく必要がある。

開業当初からこちらでパートで働いてくれていた、30歳代の看護師さんが、先日辞めたいと言ってきた。明るく責任感があり、しっかり仕事をこなす看護師さんだったので、引き続き働いて欲しかったのだが、引き止めることはしなかった。彼女は、経済的な理由でフルタイムの仕事を希望しており、さらに上記の私の心準備としても引き止めることはできなかった。今後も、スタッフが減って行ったとしても、求人はしない積りだ。

どのような仕事であれ、様々な苦労があり、大変なことは良く分かるが、開業医エレジーは、これまでもあったし、今後はさらに辛いことになって行くだろう。そろりそろりと軟着陸を考えてゆかなくてはならない。

生前、膝を痛めていた父が用いていた杖を使って、ゆっくりゆっくりと仕事場に歩いてきた。

TPP加盟によって混合診療は確実に実現する 

TPPは、加入するか、否かの二者択一であり、加入するとなると、例外規定を作るというわけにはいかない。TPPに加入した段階で、わが国の医療体制が、発言力の強い米国保険資本の要求する、混合診療体制になる公算が強い。海江田経済産業相が、医療制度「だけは」米国のような民間保険主体の医療体制にはならないと言っているようだが、これは何の根拠もない嘘であることは明白だ。

海江田氏を始めとする政府閣僚は、こうした事実を知っているはずだが、嘘をついてまで、TPPを実現することを目指す背後には、一体どのような力が働いているのだろうか。後期高齢者医療制度の時と同じで、TPP加盟により混合診療が実現したときになって初めて国民が事情を理解し、反対しても遅いのだが・・・。


以下、引用~~~

TPP参加でも医療保険制度は維持…経産相
11/02/16
記事:読売新聞
提供:読売新聞


 海江田経済産業相は15日の閣議後の記者会見で、環太平洋経済連携協定(TPP)に参加した場合の日本の医療保険制度への影響について、「日本の制度は世界に誇るべきもの。米国のように民間保険主体の制度になることはない」と述べ、参加後も現制度が維持されるとの見通しを示した。

 TPP交渉に参加を目指す9か国はチリで14日から第5回会合を始めており、関税の原則撤廃に加え、保険や金融など幅広い分野の自由化を協議している。このため日本医師会などから、日本の公的医療保険制度の縮小につながるとの懸念が出ていた。

メキシコ風辛子は、リスを退治するかどうか・・・ 

今朝も14メガは北米が良かった。Dick K4XUと交信。いつもの朗らかさ。

2年前に会ったときには、彼は、3年ほどしたらリタイアしたいと言っていた。が、今は、毎日仕事に行くのが楽しくて仕方ない、とのことで、リタイアは当分なしのようだ。というのも、仕事場のボスが彼よりも20歳ほど若い人物になり、専門的なことが分からぬ様子で、彼は、人事や経理のマネージメントには携わらなくて良くなり、専門的なこと・・・パワーデバイスの技術的なこと・・・だけに専念すれば良くなったから、ということだった。現在、特許を三つとり、新しいプロジェクトを五つ立ち上げている、とのこと。アイコムやヤエスに、彼の会社の製品を使ってもらい、より良いリグを作ってもらいたいものだと言っていた。毎朝仕事場に向かうのが楽しくて仕方ないとは、何とも羨ましいことだ。趣味と仕事の一致。いや、それ以上かもしれない。

以前お目にかかった折、彼の家の庭に出没する野生のリスが色々と悪戯をすると聞いていたので、リスは元気かと尋ねてみた。最近、彼の7メガのワイアービームを支持する紐を、件のリスが噛み切ってしまったとのこと。メキシコ風の辛子を縄に摺りこんでおいた・・・効果が長続きすると良いのだがね・・・と笑っていた。あの人懐っこい笑顔でウインクしている様子が目に浮かぶ。

来るように誘われていた近くのオケに、午後、しばらく振りに顔をだした。チェロは私一人。コンバスが二人に増えていた。和気藹々としたオケだが、パートを一人で弾くのはシンドイ。ブラームスの大学祝典序曲・・・これがまた、結構難しいのだ。皆さんが何くれとなく気を使ってくださるようで、恐縮。また、Tさんを誘って時々行ってみよう。

その後、急患を一人診て、一日が終了。

昔を懐かしむこと 

昨日、午前中、急患を診るために、いつもの通勤路を車で急いだ。夜中から降り積もった雪で、周囲の畑は一面真っ白。空は、やや明るさを取り戻しつつある鉛色。真っ直ぐに続く道で、行き交う車も殆どない。こうした風景に身を置くたびに思い出すのは、大学受験の頃。約40年前のことだ。当時は、まだ国立大学が一期、二期に分かれていた頃で、3月の受験日に合わせて、雪が降った。

どのような思いだったか・・・浪人してそれなりに勉強をしたが、試験に通る気があまりしなかった。雪の降りしきる中、試験会場に向かい、また受験を終えて、宿舎に戻った。きりっと引き締まった大気。空は、同じように鉛色だったが、昨日見た明るさはなかった。どうにも越えられない壁に打ちあたった切羽詰った気持だったろうか。その壁を越えることは難しく、一方、それ以外の選択肢も考えにくかった。実際には、教師になることも考えていたのだが、医学部目指して勉強してきたことを無にはしたくなかった。袋小路に迷い込んだような気持ちだったような気がする。

あの状況にまた戻ってみたいとは決して思わないが、振り返ってみると、人生のなかで、もっとも生命を燃焼させた時期の一つだったのかもしれない。試験に通ることだけを目指して、それに集中する生活だった。

過去のことを、このように懐かしく思い出すことが、この年齢になると多くなる。先日、CWopsに寄稿した拙文に、いち早くレスポンスをしてくれたのが、Bob W6CYXだった。「旧きよき時代のことを思い出すことができた。サンタバーバラのMerle K6DC以外に、John W6GTI、Rad W6THN、さらには、ベイエリアのEric W6DUと Bob N6EA、それにRay WA6IVM・Steve WA6IVN親子もいた・・・皆故人になってしまった。彼らのことを改めて思い出した。とても良かった」と言ってくれた。それはそれで嬉しい反応だったが、彼も、恐らく私も歳をとったものだと感じた。過ぎ去った時代を思い起こし懐かしむ、それは年老いた証なのではないか。

過去を懐かしむ、ノスタルジアに浸ることが特に悪いこととは思わない。歳をとってくると、身体・精神ともに能力の衰えが顕著になる。先のことが見えなくなってくる。我々は、若かりし時代を思い起こす。その時代に、我々は、生命を燃やしていた。人間は、何時になっても、生命を充足させることを欲する。それが、将来に対して求められなくなったときに、過去を振り返り、かって生命を充足させた記憶を思い起こすのではないだろうか。過去を懐かしく思い起こすということは、その時に生命を燃やし、充足させた記憶によって、現在の生命を再び満ちたらしめたいという精神の働きなのではないだろうか。

雪に覆われた畑の真ん中の真っ直ぐな道を車で走りながら、そんなことをぼんやりと考えていた。

小松秀樹氏 朝日新聞批判 (4/4) 

朝日新聞がんワクチン報道事件 第四の権力“悪意”の暴走(その4/4)

小松秀樹
2011年2月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
---------------------------------------------------------------------

■どう解決するのか

 朝日新聞はこれまで非を認めていない。事件化してしまった後、議論の方向を逸らそうとすれば、逆の立場からは、卑劣に見える。結果として紛争が拡大した。加えて、朝日新聞社は、逆に、抗議した側を提訴する構えを見せた。言論による解決がさらに困難になった。

 先に書いたが、事件とは、司法が最終的に解決できる具体的な紛争である。事態を打開する第一の方法は、民事訴訟である。民事訴訟は私人間の争いを固定化し、国家が強制的に解決を図る制度である。名誉を傷付けられた中村教授、株価が一時ストップ安になったオンコセラピー社が、事態の解決のために朝日新聞を訴えたのは当然である。個人の関与が大きいと判断するのなら、記事を書いた出河、野呂両記者の個人的責任について、裁判所に判断を求めたのも当然である。
 第二の方法は刑事告訴である。刑法230条の名誉毀損罪によって犯罪かどうか法的に扱うことができる。報道が日本社会全体の脅威になっているとの判断に立てば、刑事告訴も考慮に値する。
 加えて、今回の報道は、中村教授の失脚を狙った意図的なものだった可能性が否定できない。上昌広氏は、10月15日という日付に意味があったのではないかと指摘している(「朝日新聞 東大医科研がんワクチン事件報道を考える」 JMM, 2010年10月20日配信)。

「 実は、翌週に控える政府の政策コンテストで、がん治療ワクチン研究への予算要求が審査されます。今回の報道は、この審査に大きく影響することは確実です。」

 隠れた意図について調査する能力があるのは、警察・検察だけである。警察・検察がこの問題をどう認識し、どう扱うのか、極めて興味深い。刑事告訴はこの事件の別の側面を明らかにするかもしれない。

■報道被害調査委員会

 今回の事件の解決にはつながらないが、将来の同様の事件を解決する方法として、医療事故調査委員会厚労省案方式で、行政が報道を監視するのも一案である。多くのマスメディアがこの厚労省案に賛同してきた。マスメディアに過去の言動の記憶と内省があるとすれば、反対するのは難しい。
 2007年、医療事故調査委員会厚労省第二次試案が発表された半月後、日本医師会が現場の医師の意見を聴くことなくこれに賛同した。私は「日本医師会の大罪」(MRIC by 医療ガバナンス学会, 臨時Vol. 54, 2007年11月17日)で、第二次試案がいかに無茶なものであるかを示すために、医療を報道に置き換えた。

1)報道被害調査委員会を総務省に八条委員会として設置する。事務は総務省が所管する。
2)委員会は「報道関係者、法律関係者、被害者の立場を代表する者」により構成される。
3)「報道関連被害」の届出を「加害者側」の報道機関に対して義務化し、怠った場合にはペナルティ
を科す。
4)行政処分、民事紛争及び刑事手続における判断が適切に行われるよう、調査報告書を活用できることとする。
5)ジャーナリストの行政処分のための報道懲罰委員会を八条委員会として総務省に設置する。報道被害調査委員会の調査報告書を活用して、ジャーナリストとして不適切な行動があった者を処分する。

 報道被害調査委員会が作られれば、確実に報道を破壊し、結果として、社会の適切な営みを阻害する。当時、私は、第二次試案に反対する理由を以下のように書いた。

 このような異様な制度は、全体主義国家以外には存在しない。全体主義国家ではジャーナリズムが圧殺されたばかりでなく、医療の進歩も止まった。私は、自由とか人間性というような主義主張のために、過剰な統制に反対しているのではない。この制度が結果として適切な医療の提供を阻害する方向に働くからである。
 システムの自律性が保たれなければそのシステムが破壊され、機能しなくなる。「システムの作動の閉鎖性」(ルーマン)は、社会システム理論の事実認識であり、価値判断とは無関係である。機能分化した個々のシステムの中枢に、外部が入り込んで支配するようになると、もはやシステムとして成立しない。例えば、自民党の総務会で市民団体、社民党、共産党の関係者が多数を占めると、自民党は成立しない。内部の統制は内部で行うべきであり、外部からの統制は、裁判のように、システムの外で実施されるべきである。

■日経BP社の自律

 日経メディカルの2009年10月号に、院内事故調査委員会についての私の文章(「院内医療事故調査委員会の論点と考え方」医学のあゆみ, 230:313-20, 2009.)が紹介された。事実誤認があり、誤った印象が誘導されていたので抗議のために「日経BP社の自律」(MRIC by 医療ガバナンス学会 vol. 316、2009年11月1日)を書いた。最終部分で以下のように述べた。

 この件では日経メディカルに謝罪も記事の訂正も求めない。日経BP社の自律の問題とする方が、結果が望ましいものになる。外部からの圧力に対応しようとすると、記事に何らかのゆがみが生じる。問題のある記事すべてに対し、社内調査委員会に外部委員を入れて調査して報告書を作成するとすれば、大きな副作用を伴う。
 これを機に想像していただきたい。医療では、有害事象が入院患者の10%に発生する。不可抗力であったとしても、一旦行き違いが生じると、紛争に発展する。犯罪者とされる可能性さえある。医療はぎりぎりの状況にあり、事故調査はやり方によってはシステムを壊しかねない。
 記事を読んだ後、記者に「悲しく思います」と伝え、論文について詳しく説明した。ありがたいことに、日経メディカル11月号にこの件に関して記事を投稿するよう提案を受けた。ただし、字数が、800から1000字と制限されており、この複雑な問題を扱うのには足りない。このために、この文章を発表することにした。この件に関する私の対応はこれで終了とする。

 掲載後、日経メディカルから、ネット上の日経メディカルオンラインに『日経BP社の自律』を転載したいという提案があった。最も望ましい形の解決だった。しかし、このような解決を常に期待すべきではない。あらゆる問題に対して、誰もが満足できる解決策があるはずだとすること、ましてや、医療事故調査委員会厚労省案のように、国家の統制を強めることで解決が実現できるとすることは、幻想であって、論理的帰結でも、現実の観察からの帰結でもない。

■覚悟

 2005年、医療事故の扱いをめぐって、警察・検察の行動を批判したことがきっかけで、議論のため検察によばれた。検察首脳には若干の危機感が感じられたが、その後も、検察の行動は改善しなかった。当時、直接議論相手になった検察官は、大阪地検特捜部の証拠改竄事件でも、危機管理を担当していた。検察の証拠改竄事件の処理について、様々な意見はあるものの、少なくとも、朝日新聞社の危機管理体制は検察の足元にも及ばない
 検察と朝日新聞は、善悪の予断を強引に押しとおすことにおいて、酷似している。朝日新聞がんワクチン報道事件の構造も、検察の不祥事と似たところがある。記者が、権力と甘い正義をまぶした“悪意”のために、自分と周囲をありのままに認識できなくなり、暴走した。

 かつて朝日新聞社に在職していた知人から、朝日新聞社には、編集権と経営権がぶつかったとき、編集権が優先されるという不文律があると聞いた。本当ならば、現場が編集権を盾に暴走すると、旧日本軍が統帥権の独立を盾に暴走したのと同じで歯止めがかからない。誰が暴走を制御し、誰が責任を負うのか。文章は、ときに、個人に対して本物の物理的暴力よりはるかに暴力的だったり、権威や制度を破壊したり、人の心までも変えたりする。本稿を含めてある種の文章を書くには覚悟を必要とする。合法、非合法を問わず、作用の強さに応じた反作用がしばしば書き手に向かうからである。日本ではつい150年ほど前まで、文章の破壊力の大きさに、死罪をもって対処することがあった。
 市民革命が残した最大の成果は、憲法による国家権力の制限である。憲法が表現の自由を保障したことによって、日本では、言論に対する死罪はなくなった。それでも、あらゆる言論が許されるわけではない。自由主義者ハイエクは、法の下の自由について、「それが意味した自由は、孤立した個人の『自然的自由』としてしばしば述べられたものではなく、他人の自由を保護するために不可欠の規則によって制限された、社会の中で可能な自由であった」(『市場・知識・自由』ミネルヴァ書房)と説明している。かくして言論による私人の権利侵害は、民法、刑法で制御される。
 しかし、現実の社会は、法律だけで運営されているわけではない。法律は社会活動の外縁を規定するにすぎない。通常の社会活動ではめったに生じないぎりぎりの状況を扱う。このため、価値判断を別にして、実際には、文化を背景にした良識と自律が、場合によっては「個別社会の掟」とでも呼ぶべきものが、社会の営みの多くを制御する。社会の営みの重要局面では、個人の覚悟が、良識と自律に陰影を与え、掟を対象化し、自己の甘えを削ぎ落す。 
 朝日新聞で編集権が優先されていたとすれば、記者に加えて、大牟田透科学医療エディターの個人的責任が大きい。問題になった一連の記事が、私人の権利を侵害する可能性があったことを、彼らも自覚していたと想像する。それでも敢えて掲載する価値があると判断したのだろう。彼らの能力と人格を認めるとすれば、それなりの覚悟があったはずである。

 本音を述べる。私は、彼らに覚悟がなかったのではないかと想像している。なぜなら、文章を書くことの責任の自覚が、一連の記事に見られないからである。明瞭な主張で文章の責任を引き受けようとしていない。慎重さは、主張内容の選択ではなく、言い逃れのための、あいまいさやほのめかし表現の工夫にしか見られない
 10月16日の社説では、ナチス・ドイツに言及した。安易に東大医科研とナチス・ドイツを並べた。第二次大戦中、ナチス・ドイツの強制収容所では、医師が収容者に対し残虐な人体実験を強制的に実施した。骨、筋肉、神経の再生実験、寒冷実験、マスタードガス実験などである。多くの被験者は死亡し、生存者には障害が残った。ナチス・ドイツのホロコーストでは、ユダヤ人600万人をはじめ、ロマ人、セルビア人やロシア人などスラブ系民族、さらに、身体障害者、精神障害者、同性愛者が殺害された。犠牲者は900万人から、1100万人とされる。人類史上最悪の所業とみなされ、いくつかの国では、ホロコーストがなかったと主張するだけで、犯罪として扱われる。ナチス・ドイツの人体実験を悪とするための論理が、現代の世界共通の医療倫理を生んだ。社説の記述からは、書き手が、臨床試験において、ナチス・ドイツを引き合いに出すことの重さを理解していると思えなかった。この
社説については、医師たちによって世界の専門誌に発信されており、今後、世界で議論される可能性
がある。

 秋山社長は、問題になった記事をじっくり読んで、社会で普通に通用する文章かどうか、さらに、記事を朝日新聞の1面に掲載したいのか、したくないのか素直に考えるべきである。処分は、覚悟を決めて記事を書く記者の人格を尊重するための、必要不可欠な儀式である。今回のような記事が制御されることなく氾濫すると、良識ある記者を腐らせる。激情を誘発し、社会を危うくする。
 自律とは、何が正しいのか自分で考えて行動することである。かつての戦争を煽った朝日新聞と、現在の朝日新聞は、煽る対象が違っただけで、本質的に変化していない。善悪のフィルターを通した予断で認識を歪め、感情を刺激することで判断を過たせる。 現在進行中のコミュニケーションについての技術と考え方の変化は、マスメディアにとって第二次大戦に伴う変化の比ではない。歴史的視点で自己を評価した上で、未来に向かわないと、空しく漂うのみである。

■結論

 インターネットによるコミュニケーションの発達は、マスメディアに、自ら学習することなく相手に変われと命ずるだけの傲慢な態度を許さなくなった。徹底した学習で自らを変えなければ、朝日新聞は、早晩、終焉を迎える。朝日新聞の対応の如何に関わらず、がんワクチン報道事件は、メディアの歴史を一歩進めることになろう。

小松秀樹氏 朝日新聞批判 (3/4) 

朝日新聞がんワクチン報道事件 第四の権力“悪意”の暴走(その3/4)

小松秀樹
2011年2月9日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
---------------------------------------------------------------------

■規範的予期類型と認知的予期類型

 新聞社が自らの制御を不得意とするのは、制度の問題ではなく、認識の前提にあるように思える。 ニクラス・ルーマンによると、人間に関するすべての事象の関連を整理して理解するのに、ホッブズの登場まで、規範を基準に概念が整理され、世界が理解されてきた。これは、論理的帰結ではなく、社会を運営するのに、機能的に不可欠だったからである(ニクラス・ルーマン:「世界社会」Soziologische Aufklarung 2, Opladen, 1975. 村上淳一訳・桐蔭横浜大学法科大学院平成16年度教材)。

 家族と部族がいてそこで生産がほとんど成り立つような分節分化の時代、封建社会や資本家と被搾取階級という分類が可能だった階層分化の時代を経て、現代社会は、社会システムの機能分化の時代になった。
 現代社会では、医療を含めて、経済、学術、テクノロジーなどの専門分野は、社会システムとして、それぞれ世界的に発展して部分社会を形成し、その内部で独自の正しさを体系として提示し、それを日々更新している。例えば、医療の共通言語は統計学と英語である。頻繁に国際会議が開かれているが、これらは、医療における正しさや合理性を形成するためのものである。今日の世界社会は、このようなさまざまな部分社会の集合として成り立っている。

 それぞれの部分社会はコミュニケーションで作動する。ルーマンはコミュニケーションを支える予期に注目し、社会システムを、規範的予期類型(法、政治、行政、メディアなど)と認知的予期類型(経済、学術、テクノロジー、医療など)に大別した。規範的予期類型は、「道徳を掲げて徳目を定め、内的確信・制裁手段・合意によって支えられる」(ルーマン)。違背に対し、あらかじめ持っている規範にあわせて相手を変えようとする。違背にあって自ら学習しない。これに対し、認知的予期類型では知識・技術が増大し続ける。ものごとがうまく運ばないときに、知識を増やし、自らを変えようとする。「学習するかしないか―これが違いなのだ」(ルーマン)。
 ヨーロッパにおける科学の進歩は、宗教による規範化を脱して、「学問がその理論の仮説的性格と真理の暫定的な非誤謬性によって、安んじて研究に携われるように」(ルーマン)なったことによる。

 それぞれの部分社会は独自に進化発展する。学問における業績、高速鉄道の正確な運営の獲得や喪失、医療における患者の治癒は、それぞれのシステムの作動の中で決められていく。こうした部分社会間に矛盾が生じ、その衝突が社会に大きな影響を与えるようになってきた。短期的には合意の得やすい規範的予期が優位であるが、長期的には、規範的予期が後退するのに対して、適応的で学習の用意がある認知的予期が優位を占める
 ルーマンは「規範的なことを普遍的に要求する可能性が大きく、その可能性が徹底的に利用されるときは、現実と乖離した社会構造がもたらされる」と警告する。例えば、耐震偽装問題に対する過熱報道をうけて、建築基準法が改正された。07年6月20日に施行されたが、あまりに厳格すぎたため、建築確認申請が滞ったままの異常な状態が続き、建築着工が激減した。多くの会社が倒産に追い込まれた。日本のGDPが1%近く押し下げられたとする推定もある。耐震偽装そのものによる実被害は知られていないが、過熱報道は日本経済と建築業界、そして日本国民に大被害をもたらした。

■ジャーナリストの認識

 朝日新聞は『事件の取材と報道』(朝日新聞社, 2005)で、朝日新聞が考える「正しい報道像」を提示している。手元にある本は2005年版だが、ネットで検索した限り、その後改定はなされていない。『医療崩壊 立ち去り型サボタージュとは何か』(朝日新聞社, 2006年)の執筆中に、編集者からこの本を提供された。当時、この本を読んで、認識に対する用心のなさに驚いたことを記憶している。

 この本によれば、調査報道とは「公権力の疑惑を報道機関の責任において追及することである」。例として挙げられているのは、ベトナム戦争のソンミ村事件、ウォーターゲイト事件、田中角栄研究、リクルート事件などである。調査報道の目的として、「疑惑のどこに問題があり、それが構造的不正などとどうつながっているかなど、報道する目的をはっきりしておく必要がある」とする。
 この本の記述から、調査報道が善悪のフィルターを通した予断に基づく認識で成り立っているということがよく理解できた。朝日新聞の花形記者だった本田勝一氏の『戦場の村』と開高健氏の『ベトナム戦記』は、共に、ベトナム戦争のルポルタージュとして有名である。私はこの両者に圧倒的なレベル差があると感じた。この差は、善悪のフィルターを通した予断の有無に由来するように思う。

 朝日新聞が、自らを、公権力を追及する立場だとすることには、違和感を覚える。日本の新聞社は、政府から様々な特権と優遇措置を得ている。記者クラブを通して、政府から提供された情報を社会に発信する。政府にとって都合の悪い情報が記者クラブで提供されるとは思えない。記者なら、それを自覚しているはずである。政府とマスメディアは、互いに利用しあっているように見える。インターネットの発達で、個人が社会に向かって意見を発信しやすくなったとはいえ、社会に流布する言説の大半は、マスメディアが発信している。結果として、マスメディアは大きな影響力を持つ。このため、立法、行政、司法に続く、第四の権力と呼ばれる。影響力の大きさから、第一の権力と呼ばれることさえある。
 個人的な経験から判断して、朝日新聞社に冷静な認識能力を持つ優秀な記者が存在することは間違いない。しかし、社内の大勢は、規範のフィルターで認識が歪んでいるように思える。得意であるはずの規範について、自他で使い分けているように見えるのも、厳密な認識の欠如に由来するのではないか。
 新聞の言説を注意深く観察すると、人間の認識は、自らを正義の立場において甘やかすと、どこまでも幼稚になり、歪むことがよく理解できる。新聞は、巨大な権力ゆえに、悪いのはあいつだと安易に決め付けても、めったに問題にならなかった。

 医学論文の校閲は、その研究領域を熟知していなくてもある程度可能である。分野を問わず、チェックすべきことが決まっているからである。仮説が妥当なものとして記載されているか、方法が信頼できることが証明されているか、対象は適切に選択されているか、結果の解釈は妥当か。科学者の訓練に共通するのは、方法を通して得られた結果から何が言えて、何が言えないのかを厳密に考えることである。記者と科学者の本質的な違いは情報の多寡ではなく、認識の厳密さにある。記者の認識の甘さは、メディアが規範に拠って立つものであり、知識や物を生産したり、原子力発電や航空運輸のような高度なシステムを運用したりする、認識が決定的な重要性を持つ専門領域とは思考様式が根本的に異なることに由来する。
 現代の科学、医療、運輸、経済などは、規範とは無関係に、あらゆる方法を駆使して状況を認識する。医学で発達してきた認識方法には、生体内の物質を突き詰める生化学的方法、分子レベルまで可視化するにいたった形態学的方法、生体の動的活動を観察する生理学的方法、社会の中での疾病の状況を観察するための疫学的方法などがある。さらに臨床医学では、CTやMRIなどの画像診断が加わる。いずれも、薬剤の有効性を証明するための無作為割り付け前向き試験と同じく、一切の予断を許さない。予断は目を曇らせるというのが医師の常識である。医師から見ると、『事件の取材と報道』の著者には、規範的言明と認知的言明を区別する能力がないとしか思えない。

 法律家も、規範に重点をおくため、しばしば予断で認識が歪む。例えば、東京女子医大事件では、院内事故調査委員会の報告書のために、佐藤一樹医師が逮捕・拘留され、7年間の長きにわたり、刑事被告人としての立場に置かれた。この事件をめぐるいくつかの裁判で明らかになった事実を総合すると、児玉安司弁護士は、東京女子医大院内事故調査委員会が佐藤医師の意見を聴取することなく非科学的な報告書を作成・公表したこと、すなわち、権利の侵害があったことを知りつつ、その活動にコミットした、あるいは、放置したと推定される(小松秀樹:「東京女子医大院内事故調査委員会医師と弁護士の責任を考える」m3.com, 2010年4月26日から2010年4月30)。前述の朝日新聞10月15日社会面の「光石忠敬弁護士の話」にも正当な根拠のない非難が含まれている。まずは、光石弁護士が本当に発言したことかどうか確認した上で、人権を最優先価値として掲げる弁護士会がこの記事をどう判断するのか、懲戒請求で確認するのも一つの方法だろう。

 朝日新聞は、言説の基準を「正義」に置くとしているように見える。しかし、「正義」を、ひとつの言葉でひとくくりにすることは、機能分化の進んだ現代社会では、非現実的といってよいのではないか。「正義」をめぐるせめぎあいの当事者それぞれの「正義」、外部の観察者から見た「正義」、上から見下ろす者の「正義」、最下層から見上げる者の「正義」等々、これらはひとくくりにできるようなものではない。しかも、「正義」は怒りと攻撃性を秘めている。このため「正義」を実現しようとする努力が、しばしば、社会にとって有害な結果をもたらす。
 異端審問官たち、クロムウェル、ロベスピエール、ヒトラー、スターリンなどはいずれも正義のために大きな災いをもたらした。小悪人が社会制度を損ねることはめったにないが、正義はしばしば多くの人々を不幸にし、社会の営みを阻害する。

■博物館におくべき補助人工心臓

 世界における日本の医療機器のシェアは下がり続けている。とりわけ、人体に与える影響が大きい治療機器は、壊滅状態である。経済産業省の肝入りで、国産ペースメーカーの開発が試みられてきたと最近聞いた。くしが抜けるように、参加会社が減少し、2010年、最後の一社が開発を断念して計画は頓挫した。

 開発が進まないことには、いくつか理由がある。日吉和彦氏は、財団法人化学技術戦略推進機構でこの理由を調査してきた。日吉氏によれば、無過失補償がないこと、PL法による訴訟リスクなどは主たる原因ではない。
 第一の理由は報道にある。医療機器の市場は、大手の化学・電機電子産業にとって、相対的に小さい。「微々たる事業のために、万一のとき会社全体をPL風評被害にさらすリスクをおかす気はない。まっぴらごめんだ。PL法またはPL訴訟が怖いのではなく、報道されて社名に傷が付くのが、嫌なのだ」というのが、アンケートに応じた東証一部上場大手の化学・電機電子企業40社の偽らざる本心だとのことである。
 第二の理由は、行政にある。日本では、製造承認に至る過程がいじめのようになっている。ルールが明確でなく、極めて不透明だという。しかも、治験用の機器にも関わらず、本生産設備で作られたものでないといけない。経済合理性を無視している。ある会合で、厚労省の課長補佐が「私どもは、国民の安全のために審査するところでして産業振興・育成は経産省の仕事と思っています」と述べたという。これでは開発するなというに等しい。このような行政の動きが、報道に影響されたものであることも認識しておかなければならない。

 日本企業の機器開発が停滞しているだけでない。外国の優れた機器もしばしば使用できない。
 2010年9月13日、九州大学病院で補助人工心臓のチューブが外れる事故があり、患者が死亡した。
この人工心臓は20年前に製造承認された「国立循環器病センター型」である。
 2010年3月22日の朝日新聞グローブ記事で、ドイツのアルソグル医師は「今はまず第一に米国ハートウエア社のHVAD、続いてソラテック社のハートメート2です。日本のテルモ社のデュラハートはその次ですね。」と語る。「日本では、デュラハートの製造承認が待たれています」という問いに対し、「08年あたりまでは優先的に使っていました。その時点でベストな製品だと思っていたからです。でも今は主役ではありません」と答えた。さらに「日本の臨床現場では、国立循環器病センター型と呼ばれる体外型の古いタイプの人工心臓しか事実上使えません」という問いに、「世界でも最も質の悪いポンプです。正直言えば、博物館行きです」と衝撃的な発言をした。

■マスメディアの黄昏

 日本のマスメディアは、「被害者」が、悲嘆にくれたり、強い怨念を語ったりするのをそのまま伝えることをためらわない。恨みつらみの感情露出は、論理的な根拠を示すことなく、悪いのはあいつだというメッセージを人々の意識に刻印する。突き詰めると情動しか残らない大衆メディア道徳とでも呼ぶべきものが、立派に規範として機能してしまうことがある。
 新聞やテレビの記者は、自分の判断を書かないよう訓練され、評価部分については、常に引用で記事を書こうとする。このため、刺激の強い情動を揺り動かす記事は、個人の良識による制御が及ばず、引用が引用を生むことで、機械的反復現象を惹き起こす。恐るべきことは、記者がこの反復される言説を自分でも信じてしまうらしいことである。私は、『医療崩壊 立ち去り型サボタージュとは何か』(朝日新聞社, 2007)で、これを「暴走」とした。「この過程に個人の責任と理性の関与、すなわち、自立した個人による制御が及んでいないからである」。

 内田樹氏はロハスメディカル誌上の私との対談で、日本のメディアは庶民社会を前提にしているのであって、市民社会を前提にしていないと語った。庶民は、堅牢な指導システムを想定し、社会システムの不備に対し不平不満をいうことが善であり、社会をよくすることにつながると思っている。いくら文句をいっても壊れるとは思っていないし、自分が負うべき責任を想定していない。日本のマスメディアは、庶民の立場に立ち、責任を自覚する市民からなる社会を前提に記事を書いてこなかった

 従来、報道被害があっても、被害者は発言の方法がなかった。マスメディアの一方的な報道の中では、訴訟に持ち込むことすら難しかった。インターネットの発達で状況が変化した。個人が、社会に対して意見を発信することが容易になった。

 インターネット上に発信される個人の意見には、感情的で一方的なものもあるが、そもそも、意見に権威が伴っていない。必ず反対意見が登場する。あらゆる方向の意見が行き交い、最終的にそれなりに妥当な方向が共有される。新聞には到底期待できないような、専門性の高い意見も次々に登場する。量のみならず、質の上でも新聞やテレビを圧倒している。
 インターネットを利用できれば、専門情報に簡単にアクセスできる。2009年のインフルエンザ騒動では、WHOが新しいインフルエンザについての知識を増やし、対応していく過程が、個人のパソコンでつぶさに観察できた。WHOの考え方と行動様式が、日本の厚生労働省の対応と異質であることも、容易に理解できた。いずれも、日本のマスメディアは伝えなかった。

 日本のマスメディアを通すと、世界が歪んで見える。マスメディア無視が、若い世代から年長世代に広がりつつある。マスメディア不信はもはや過去の状況である。若者はテレビを見なくなり、新聞を読まなくなった。マスメディアの広告料収入が減少した。
 マスメディアは、インターネットを利用した多様なコミュニケーション・ツールを駆使する知的専門家を、その意見を無視した形では、抑え込めなくなりつつある。

小松秀樹氏 朝日新聞批判 (2/4) 

朝日新聞がんワクチン報道事件 第四の権力“悪意”の暴走(その2/4)

小松秀樹
2011年2月8日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
---------------------------------------------------------------------

■捏造

 2010年10月15日の社会面2段目から3段目の記事を示す。

「 記者が今年7月、複数のがんを対象にペプチドの臨床試験を行っているある大学病院の関係者に、有害事象の情報が詳細に記された医科研病院の計画書を示した。さらに医科研病院でも消化管出血があったことを伝えると、医科研側に情報提供を求めたこともあっただけに、この関係者は戸惑いを隠せなかった。
「私たちが知りたかった情報であり、患者にも知らされるべき情報だ。なぜ提供してくれなかったのだろうか」 」

 この記事に対しては、10月29日、がんワクチンの臨床試験を進めているCaptivation Network臨床共同研究施設と関係者79名連名の抗議文が、朝日新聞社の秋山耿太郎社長と朝日新聞社内の『報道と人権委員会』あてに提出された。

「 我々の臨床研究ネットワーク施設の中で、出河編集委員、野呂論説委員から直接の対面取材に唯一、応じた施設は7月9日に取材を受けた大阪大学のみでした。しかし、この大阪大学の関係者と、出河編集委員、野呂論説委員との取材の中では、記事に書かれている発言が全くのべられていないことを確認いたしました。したがって、われわれの中に、「関係者」とされる人物は存在しえず、我々の調査からは、10月15日朝刊社会面記事は極めて「捏造」の可能性が高いと判断せざるを得ません。」

 11月12日のCaptivation Networkからの2度目の抗議文は、170名の連名になっており、ほぼすべての関係者が網羅されたという。
 これに対し、朝日新聞は11月30日の記事で、事実だと繰り返しただけで新たな証拠は提示していない。抗議文に署名した人数から考えて、「関係者」が存在しなかったか、存在したとしてもよほど偏った意見の持ち主だったのではないか。科学者の世界に、妬みや恨みに起因する陰口がないわけではない。

 調査対象を恣意的に選択して結果を一般化すれば、科学の世界では捏造とされる。報道だからといって、特殊な意見を、あたかも一般的なものとして、誰かを非難する根拠にしたとするならば、捏造としてよいのではないか
 卑劣な誹謗中傷なら、隠れていればよい。正当な意見なら、堂々と名乗りを上げて、主張すべきである。この主張の発信を朝日新聞が保障すれば、東京女子医大事件で刑事被告人の立場に追い込まれた佐藤医師のようなメディアスクラム被害者と違って、言論の圧殺は生じない。捏造疑惑も簡単に雲散霧消する。医科研や中村教授は、ナチス・ドイツではない。正当な意見を抑圧したり、迫害したりする権限・権力はない。無理に抑圧しようとすれば、自滅する。

 そもそも、現代の医師は、国家や法であっても、状況によっては服従してはならないとされている。第二次大戦中、医師が、戦争犯罪に国家の命令で加担した。これに対する反省から、戦後、医療における正しさを国家が決めるべきでないという合意が世界に広まった。国家に脅迫されても患者を害するなというのが、ニュルンベルグ綱領やジュネーブ宣言の命ずるところである。医師の行動は、国家や権力による命令ではなく、自身の知識と良心に基づく。行動の責任は、自分で負う。朝日新聞の権力の陰に隠れることは、医師にふさわしい行動ではない。

■歪曲

 10月20日、朝日新聞の記事に抗議するがん患者41団体の声明が発表された。当初、厚労省の記者クラブで会見をしたいと申し込んだが断られた。記者クラブ当番幹事の共同通信社から「協議の末、お受けできない」との回答があった。その後、ネット上で騒ぎが広がり、当番幹事の共同通信社は団体に対し謝罪した。
 がん患者41団体の声明は、経緯からも、朝日新聞の報道に対する抗議であることは間違いない。声明文を引用する。

「 治験や臨床試験では、一定のリスクがあることも忘れてはなりません。がん患者さんが参画する治験や臨床試験において、被験者の保護には十分すぎるほどの配慮が不可欠です。一方で、治験や臨床試験のリスクについては、正しい理解と適切な検証が必要であり、不確かな情報や不十分な検証に基づいて、治験や臨床試験のリスクが評価されるべきではありません。特に、東京大学医科学研究所の臨床研究に関する報道を受けて、当該臨床研究のみならず、他のがん臨床研究の停止という事態が生じました。がん臨床研究の停滞が生じることを強く憂慮します。(中略)
臨床試験による有害事象などの報道に関しては、がん患者も含む一般国民の視点を考え、誤解を与えるような不適切な報道ではなく、事実をわかりやすく伝えるよう、冷静な報道を求めます。」

 患者団体の声明の論旨は、不適切な報道で、臨床研究を止めないでほしいというものである。朝日新聞は翌10月21日この声明について報道した。以下が全文である。

「がんワクチン臨床試験問題 患者団体「研究の適性化を」
東京大医科学研究所が、附属病院でのがんペプチドワクチンの臨床試験で膵臓がん患者の被験者に起きた消化管出血を、ペプチドを提供した他施設に知らせていなかった問題で、各地で活動するがん患者会の代表者らが20日、東京都内で記者会見し、新たな治療法や新薬の臨床研究を適切に進めるよう求める声明文を発表した。
 膵臓がん患者や家族らでつくる患者会「パンキャンジャパン」、卵巣がん体験者の会「スマイリー」など41団体が名を連ねた。
 声明文では、(1)根拠とオープンな議論に基づく国のがん研究予算の拡充(2)被験者の十分な保護とともに、情報の広い開示、専門家によるオープンな議論と検証(3)有害事象などの報道では、がん患者を含む一般国民の視点を考え、事実を分かりやすく伝えること―を求めている。」

 消化管出血について、従来の呪文のような設定を繰り返し、声明文の最終部分から「誤解を与えるような不適切な報道ではなく」という文言を削除して引用した。論旨を180度捻じ曲げたと言ってよい。この記事はわかりやすい。声明文と比較すれば、普通の読者は、「朝日新聞は、自分の都合で、記事を捻じ曲げるんだ。ここまであからさまにやるんだ」と感心してしまうだろう。抗議があっても、無視していれば、忘れられると判断したか、朝日新聞の権力で抑え込めると判断したか、あるいは、習慣だっただけで判断が加わっていないのかもしれない。

 捏造記事を、「本来ゼロのはずのところを10の偽情報を発信するもの」とすれば、発信情報の偽の絶対値は10である。歪曲記事を、「本来マイナス10の情報をプラス10として発信するもの」とすれば、発信情報の偽の絶対値は20になる。この仮説によれば、捏造より、歪曲の方が悪質である

■イトカワの記憶

 中村祐輔教授は日本を代表するゲノム学者であり、ネイチャー関連雑誌などに年間10本程度の論文を掲載し続けている。医学者としての業績は日本のトップといってよい。オバマ政権によってNIH(国立衛生研究所)の長官に指名されたフランシス・コリンズ博士とも、長年にわたり個人的関係を作ってきた。最近は、個人としての研究より、マネジメントで日本の研究を前進させることに活動の軸を移してきた。中村祐輔教授を失えば、個人としての研究者を失う以上の大きな影響が生じる。

 小惑星イトカワから40年前の記憶をたどる。元気のない日本で、2010年の最も希望にあふれたニュースは、小惑星探査機はやぶさが、イトカワからその微細なかけらを地球に持ち帰ったことであろう。イトカワは日本の宇宙開発の父、天才糸川英夫氏にちなむ。はやぶさは糸川氏が戦時中、設計に関与した戦闘機の名称である。日本の探査チームが、この小惑星の発見者であり命名権を持つアメリカのチームに依頼して、イトカワと命名された。糸川氏はロケット学者だったが、システム工学の専門家でもあり、中村教授と同じく、マネジメントに長けた傑出したリーダーだった。
 糸川氏はおもちゃのような小さなペンシル型ロケットから始めて、最終的には1970年の人工衛星おおすみの打ち上げにまでつなげた。しかし、人工衛星打ち上げは4回失敗した。この失敗に対し、朝日新聞は反糸川キャンペーンを繰り返した。失敗は1面で大々的に取り上げたが、成功については、社会面で1行だったらしい。糸川氏はおおすみ打ち上げ成功の3年前、東大教授辞任に追い込まれ、以後、ロケット開発に携わることはなかった。東大宇宙航空研究所を所管する文部省と宇宙開発推進本部(後の宇宙開発事業団)を所管する科学技術庁の対立や、ロケット技術を輸出しようとしていたアメリカに、日本の技術の芽を守ろうと糸川氏が猛反対したことが関係しているともされる。しかし、糸川失脚の主たる原因について、糸川氏本人は、記者の個人的妬みにあったと考えていたらしい。

 浜田マキ子氏のブログ(浜田マキ子ジャーナル05年10月13日)に、1990年に糸川英夫氏がパリで行った連続講義の内容が掲載されている。浜田氏は講義の助手を務めた。講義の題は「ジェラシー(嫉妬)と、グラッジ(恨み・つらみ)」だった。
 糸川氏と当時の朝日新聞の科学部長は若いころから因縁があったらしい。

「ジェラシーやグラッジは人間だれもが持っている向上心と裏腹なのである。ところが若いうちは、または若い君たちが仕事に夢中になっていると、まわりの人が君たちのその“純粋に夢中になれること”そのものも羨ましく思っているということにすら気づかないことが多い。
(中略)
僕の方は勉強をしているという意識などなくて、興味に駆られて文字通りしらみつぶしに問題をといていただけなのだけれど、結果として大変な量の勉強をしていたようだ。いわば僕は変人。彼は気の毒だけども、単なる秀才。
彼は勉強を勉強だと思ってやるから、興味にかられて虫のように問題に食らいついている僕の勉強量に追いつくのはたいへんだったのだ、ということを自分もあとで気がつくようにはなった。だけどこの人にとってはどうも僕という存在そのものが悪、ずっと恨みを持ち続けていたようなのだ。本当は僕のことを一番知っていたのかもしれない。(モーツアルトとサリエリの逸話のよう)これが後年、私にとって大変に迷惑なことになったのだ。
(中略)
さて自分が人にたいして何の悪意もないからといって、自分の存在そのものが他人にとっては悪だということにもなるのが人間の悲しさです。」

 個人的妬みや恨みは正義の思い込みと容易に結びつく。当時の、朝日新聞社に陰謀があったかどうか分からない。私には、単に、科学部長の暴走を制御できなかっただけのように思える。社会への影響力の大きさと制御の弱さは、新聞の宿命かもしれない。

小松秀樹氏 朝日新聞批判 (1/4) 

小松秀樹氏が、朝日新聞がんワクチン報道についてMRIC上で論じている。朝日新聞に、報道機関としてのシステム上の問題があり、それによって同社の記者・論説委員が、「暴走した」というのが、彼の論旨だ。報道機関の人間の認識のあり方にも大きな欠陥があるとしている。

新聞は、責任の主体である市民ではなく、烏合の衆としての大衆に迎合し、時の権力の意図を、形を変えながら実現する論陣を張る。大衆へ迎合し、権力の意図を代弁する際に、彼等は、それを「正義」の衣をまとう。報道機関が、正義を振りかざすときは、我々は批判的にその報道をみる必要がある。

朝日新聞のこの報道の背後に、同社の人間のなかに、中村教授への個人的なルサンチマンのある可能性を、小松氏は、糸川博士の例を引いて言及している。私は、大きな利権の絡む臨床試験を取りまとめ主導し、権益を得たいと考えた勢力が、この報道の背後にあるのではないかと疑っている。

言論の自由を最も大切にすべき報道機関が、現場からの抗議・訂正要求に応えず、むしろ名誉毀損で訴えるという脅しを、医師・団体にかけたことが、私にとっては衝撃だった。これは、言論機関として自殺行為だ。小松氏の言う「覚悟」をもって、この報道を行った記者・論説委員、さらには経営陣は、問題の解決のために行動すべきだ。


以下、四つのポスト、すべてMRICより引用~~~

朝日新聞がんワクチン報道事件 第四の権力“悪意”の暴走(その1/4)

小松秀樹
2011年2月7日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
---------------------------------------------------------------------

■事件

 朝日新聞は、2010年10月15日以後の一連のがんワクチン報道で、東大医科研病院と中村祐輔教授個人を非難した。12月8日、中村教授は、朝日新聞社、および同社の出河雅彦編集委員、野呂雅之論説委員を、名誉毀損を理由に損害賠償を求めて提訴した。報道そのものが事件になった。事件とは、法律を適用することにより、終局的に解決しうる当事者間の権利義務についての個別具体的な紛争である。

 朝日新聞社は、12月6日、記事に対して抗議を表明していた団体や個人のうち、4か所に対し、捏造と非難したことが名誉毀損に当たるとする「申し入れ書」を送付して、対決姿勢を明確にした。大朝日が、自らの記事を批判した個人や医師のグループを、確たる論理や証拠で反論することなく、法的措置を検討すると威嚇した。
 朝日新聞は、事件後の一連の記事で、議論を、日本の臨床試験の在り方の問題に誘導しようとしている。事件は、権利義務に関する個別具体的な紛争であって、臨床試験のルールの在り方とは一切無関係である。厳密に切り離して議論しなければならない。
 一方、医科研側とその支援者も、世界で繰り広げられているがんワクチン開発競争や、中村教授が奨学資金に多額の寄付をしたことなどに言及した。これらも事件と切り離して議論すべきである。

 朝日新聞の報道の問題点については、関係者から詳細な指摘がなされている。事件の核心は、報道が医科研病院と中村教授の名誉を貶めたかどうか、オンコセラピー社の信用を傷つけたかどうかにある。本稿では、今回の報道事件の核心部分について議論する。さらに、事件の背景にある社会システム間の思考様式の違いと、報道の現状について概観し、報道の適切な制御について考えたい

■報道

発端は2010年10月15日付け朝日新聞東京朝刊の1面、社会面の記事、ならびに、翌16日東京朝刊の社説である。見出しをすべて並べてみる。

15日の1面:「臨床試験中のがん治療ワクチン 『患者が出血』伝えず 東大医科研、提供先に」「医科研『報告義務ない』」「法規制なし対応限界」
同日の社会面:「協力病院『なぜ知らせぬ』 患者出血 医科研は情報収集」「薬の開発優先 批判免れない」
翌16日の社説:「東大医科研 研究者の良心が問われる」

15日1面本文冒頭のまとめ部分を示す。

「 東京大学医科学研究所(東京都港区)が開発したがんペプチドワクチンの臨床試験をめぐり、医科研付属病院で2008年、被験者に起きた消化管出血が「重篤な有害事象」と院内で報告されたのに、医科研が同種のペプチドを提供する他の病院に知らせていなかったことがわかった。医科研病院は消化管出血の恐れのある患者を被験者から外したが、他施設の被験者は知らされていなかった。」

 一連の記事で、同じ設定の非難が、呪文のように何度も繰り返された。10月15日社会面の「臨床試験の課題に詳しい光石忠敬弁護士の意見」は、「薬の開発優先 批判免れない」という見出しで、中村教授に利益相反があったのではないかと間接的にほのめかす記事に続く部分に配置された。

 被験者の選択基準まで変更が必要と判断した「重篤な有害事象」に関する情報を、同じ物質を使う研究者に伝えないのは不当だ。

 一連の記事は、「医科研病院は、ワクチンの臨床試験で重篤な副作用が発生したにも関わらず、同様の臨床試験を実施している他の施設に伝えなかった。倫理的には報告すべきだったにも関わらず、報告しなかったのは、中村教授が開発を優先させたためではないか。法規制のない臨床試験だからといって許されることではない。協力病院の医師は知らせてくれなかったことに対し怒っている」という誤解を読者に与える。
 井上清成弁護士は『集中』11月号で、これらの報道が一般人に誤認をもたらすものだとして、「朝日新聞社においては早急に社内での内部監査を行い、記事を速やかに撤回し、通常一般人の誤認混同を解くことが望まれよう」と注文をつけた。

■重篤な有害事象

 臨床試験の経験のある医師ならば誰でも、一連の記事に対し、違和感を覚える。臨床試験の用語の定義は厳密である。一般的な日本語ではなく、符牒として理解すべきものである。副作用と有害事象は意味の異なる符牒である。臨床試験中に発生した医学上好ましくない事象は、因果関係の有無に関係なく、すべて有害事象として記載される。使用された薬剤に起因する有害事象が副作用である。被験者の数が少ないと、稀な副作用は偶発症と区別できない。将来、「副作用とする方がよいのでは」という修正の可能性を担保するために、あらゆる有害事象がもれなく記載される。科学的判断に基づき、多くの場合「因果関係を否定できない」群に分類される。
 臨床試験の記載とは別に、問題となった出血については、医科研病院での症例検討で、膵臓がんの進行による併発症と判断された。膵臓がんで消化管出血はまれなことではない。ちなみに「重篤な」という文言は入院期間が延長されたためである。実際には、血圧が低下することもなく出血はおさまった。

 被験者の選択基準を変更して、消化管出血の恐れがある患者を除いたことについて、医科研側の文章には説明がない。消化管出血ががんの進行によるもので、副作用でないとの判断に立っているので、被験者の保護が目的ではない。常識的には、臨床試験の評価能を保つためである。進行がん患者ではさまざまな併発症が発生し、しばしば死に至る。しかも、有害事象の記載は厳格にしなければならない。原疾患による重篤な症状や死亡が多いと、評価そのものが不可能になる。被験者の選択基準は、被験者の権利を守ることに加えて、適切な評価を可能にするよう設定される。進行がんが対象の臨床試験で、死が差し迫った末期患者が被験者から除外されるのはこのためである。

 進行がんを治療するための抗がん剤や分子標的薬は、大きな副作用が発生しやすい。臨床試験でも、有害事象や副作用は珍しいものではない。「重篤な有害事象」や「重篤な副作用」があったからといって、安易に臨床試験を中止すれば、有用な薬剤が患者に届かなくなる。臨床試験の中止は、メリットとデメリットを比較検討して慎重に決められる。 ちなみに、医科研病院で臨床試験を中止した理由は、医科研の説明を端的に表現すると、「重篤な有害事象」があったからではなく、それまでの結果から、十分な効果が期待できないと判断されたからである。

 記者が「重篤な有害事象」の正確な意味を理解して記事を書いたとすれば、悪意があったとしか思えない。意味を理解していなかったとすれば、記者の資格がない。元NHKの和田努氏の文章(「『患者出血』伝えずの新聞記事 記者の“悪意”は不在だったのか?」『新医療』平成22年12月号)が、同業者の驚きのニュアンスを良く伝えている。

「 出血の原因がワクチンであるように意図的に記事を書くことは、明らかに“悪意”である。若い記者が功名心にはやり、勇み足をしたというのではなく、論説委員、編集委員という“大記者”の所業とはにわかに信じがたい。取材を受けた東大医科研の中村祐輔教授は、もっと直截に悪意について語っている。「週刊現代」の談話を引かしていただく。「取材の過程から、朝日の記者は私に悪意を持っているとしか思えませんでした。---まるでストーカーのようでした」。」

■正当な非難か誹謗中傷か

 朝日新聞は、医科研病院と中村教授を非難する以上、倫理的には、根拠を示す責任がある。大井玄によると、倫理は、ある集団あるいは個人の生存確率を最大化するための行動戦略が長年薫習されることによって形成される(「環境問題をどう考えるか」, サングラハ, 78, 2008.)。非難の根拠を示しておかなければ、朝日新聞の生存確率を低くする。
 医科研病院への非難が正当化されるのは、突き詰めると、臨床試験での有害事象を、別の臨床試験を実施している研究組織に報告する義務があった場合だけである。
 臨床試験は試験ごとに研究組織が組まれ、責任医師が決められる。情報は共同研究施設で共有される。日本中で膨大な数の臨床試験が実施されている。結果は、論文化され、社会で共有される。問題となった臨床試験は、医科研病院単独のもので、治療のプロトコールも独自のものだった。がんの進行による出血は、倫理的にも、ルール上も、実務上も、他の研究組織に報告すべき筋合いのものではない
 臨床試験は、担当医師に恣意的な判断と行動をさせないようにするため、厳格なルールを課している。このため、ルールにない行動をとりにくい。他の研究組織に有害事象の情報を伝えても、伝えられた側は、ルールがないため取り扱いに困る。

 小噺を一つ。佐藤家の家族が鮨屋で食事をした。翌日、風邪をひいた長男だけが下痢をした。隣の鈴木家はその数日後、別の鮨屋で食事をした。ここにシュールな老人が登場。「佐藤家が、長男が下痢をしたことを鈴木家に伝えなかったのは人倫にもとる」とし、血相を変えて町内に触れ回った。老人の異様な倫理意識はどこから来るのか。老人の認知能力に問題はなかったのか。老人は佐藤家を嫌っていたのか。老人の家族はなぜ老人の行動を止められなかったのか。不可思議な行動を説明できる隠れた合理的理由があるのか。

 中村教授への非難を正当化するのはさらに難しい。中村教授は臨床に携わっておらず、有害事象情報の扱いを議論できる立場にないからである。それにも拘わらず、一連の記事で、研究者として実名が登場したのは、中村教授だけだった。社説の見出しは「東大医科研 研究者の良心が問われる」だった。この問題で中村教授を非難できるとすれば、有害事象情報の扱いに不当に介入して、扱いを変えさせた場合だけではないか。ところが、朝日新聞の記事によれば、医科研病院は「ペプチドと出血の因果関係を否定できない」とし、「被験者の同意を得るための説明文書にも消化管出血が起きたことを追加した」。朝日新聞の記述が正しければ、有害事象情報が正しく記載され、隠蔽されることなく、その後の被験者に伝えられたことを示している。
 朝日新聞は、非難を正当化する根拠を提示していない。根拠がなければ、誹謗中傷とされても仕方がない。

The Founder of FORCE12 

今朝、雪の降っているのを知り、早めに起きだした。ポテトサラダを作り、少し時間が余ったので、無線機のスイッチを入れた。14メガで北米が開いていた。応答してくれたのは、Tom N6BT。私の記録では、1981年に初めて交信している。現在66歳とのこと。無線を始めて・・・と言って、少し時間が空いた。無線開始からの年月に思いを馳せていたのだろうか、「WOW 52YRS」と自分でも驚いている様子。

でも、歳をとったという意識は全くない、とのことだった。昨年、リタイアをしたのだが、リタイア生活に飽きてしまって、また仕事を始めたとのことだ。FORCE12というアンテナ製造会社を持っていたのだが、売ってしまったので、新たにn6bt.comという会社を立ち上げた由。ググルと・・・

http://www.n6bt.com/

のようだ。

コールに何か記憶があったのは、FORCE12社の設立者として記憶していたからなのだろう。Tom曰く、「現在用いている2エレは、小さくてもとても良く動作をするのだ・・・」ここまで話しを聞いたところで、スノーノイズが酷くなり、ノイズの海に彼の信号は沈んでいった。

仕事と趣味が一致というか、趣味が仕事になっているのだろう。羨ましいこと・・・。残念なことに交信を途中でノイズにかき消されてたが、潔くスイッチを切り、雪道を仕事場に急いだ。

Marathon 2011 

今日、午前6時から、月曜日の午前6時まで、FOCの部内コンテスト、Marathonが開催されている。私は、コンテスト全般に関心を失ってしまっているのだが、このコンテストだけは特別。FOCに加入した1980年代後半からほとんど毎年参加している。競うことが目的ではなく、普段声を聴かない知り合いと声を交わすことが一番の楽しみなのだ。

昨日、夜更かしをしてしまったもので、午前7時頃から参戦。14メガが北米から、カリブ海まで開けていた。南米アルゼンチンのRaul LU6EFなど最近聞かなかった信号も聞くことができた。CONDXがピークを迎えたと思われる頃、21メガを聴くと、北米東海岸からカリブまでが、強くはないが入感。Andy K2LEが、P4OLEとして出ていた。14メガでちょっとしたランニング状態になったために、仕事場に出かけるのが遅れてしまった。10数分の遅刻。昔は、遅れてはまずいと焦ったものだが、最近は、仕事場がそれほど混まないのと、自営業だからと自分を納得させている・・・が、患者さんには申し訳ないこと・・・。

午後3時頃まで、仕事場にいて、帰宅。外の空気が温んでいることに驚く。帰宅後、家事を行ないつつ、バンドをワッチ。7メガの北米、14メガのヨーロッパが開けていた。7メガで、Bob W6CYXに会い、「G」の連中に会ったかと尋ねたが、「W」の連中と誤解したらしく、皆もう寝てしまったのではないかとの返事だった。14メガでも、ヨーロッパの奥の方がなかなか聞こえない。日が暮れたころ、7メガでエコーを伴った信号を発見。この季節では珍しい、英国のAndy G3ABがロングパスで入感していた。彼は、元G4ZVJで、1990年の辺り、確かKH8に長いこと滞在していた。当時、しばしば交信し、いろいろと話を伺った記憶がある。G4BUE、G3SJJ等の英国勢が数局、さらに蚊の鳴くような信号でアイルランドのColum EI3CPも呼んできてくれた。14メガも、日が暮れると同時にCONDXが良くなり、ヨーロッパ勢から、次から次へと呼ばれた。Geo SV1AOW、Leif OZ1LO、Paul OZ4UN等二三年ぶりに聴く連中もいた。14メガの幕が降り、その後、急患対応で仕事場に出かけた。戻って、7メガや3.5メガを聴くが、ほとんど聞こえず。Bob W7AYNとしばらく話をして、今夜は閉店となった。

FOCも、英国の運営委員会の委員が次々に辞任したりして、ガタガタしている様子だが、Marathonを聴く限り、メンバーはまだまだ活発に出ている。北米と西ヨーロッパにメンバーが偏っていることは、英語を母国語、ないし準母国語としているハムの分布と一致することだから仕方あるまい。FOCとは何かを知らぬ頃、英国の局が、CQ FOCと叩いているのをじっとワッチしていたこともあった。とても上手なCWの局、G3PDLだったか、で印象に残っている。その後、縁があってFOCに加入させていただき既に四半世紀近く経つ。FOC内部での様々な問題を見聞きするにつけ、FOCを辞めても良いかな、と思うことがある。が、FOCメンバーということで知り合うことになった友人達と、このMarathonで改めて交信して、やはり、もう少しFOCメンバーでい続けても良いかと思ったことだった。

それにしても、アジア勢は余り聞こえない。JAの私以外のメンバーのお二人も全く聞こえなかった。その点では寂しい。JAからももっとメンバーが出て欲しいし、BYやHLからもきっとメンバーが生まれることだろう。東ヨーロッパでは、それなりのメンバーがいるが、ロシアはメンバーがたった一人。FOCが世界的なクラブであり続けるために、非英語圏のメンバーが増えて欲しいものだ。

医療の「正義論」 

細田女史の「ボストン便り」最新号だ。健康であること、医療の必要性は、所与のことではないと、ロールズの「正義論」を援用した研究をもとに説いている。市場原理主義は、格差を積極的に認め、むしろ格差を拡大させようとする考え方だ。医療も、その方向に沿って動いている。ロールズ流の正義が、そうしたところで成立するのか、このエッセーだけでは十分に分からない。我々自身が、健康であること、医療が必要なことを自明のことではないという立場に立ち戻って、もう一度考えてゆくべきなのかもしれない。


以下、MRICより引用~~~

『ボストン便り』(第21回)
人々の健康(パブリック・ヘルス)のための「言葉」

細田 満和子(ほそだ みわこ)
2011年1月31日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
---------------------------------------------------------------------

紹介:ボストンはアメリカ東北部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関する話題をお届けします。(ブログはこちら→http://blog.goo.ne.jp/miwakohosoda/)

略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー。博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程を経て、02年から05年まで日本学術振興会特別研究員。05年から08年までコロンビア大学メイルマン公衆衛生校アソシエイト。08年9月より現職。主著に『「チーム医療」の理念と現実』(日本看護協会出版会、オンデマンド版)、『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海社)。


アリゾナの民主党議員銃撃事件

 ボストンの年明けは比較的穏やかな気候で、12時にボストン湾に上る花火を眺めつつ、新年を迎えました。ところがその後、何度か大雪が続き、最近では我が家のあたりで30時間に及ぶ停電もありました。
 そんな中、2011年1月8日、アリゾナ州のトゥーソンで民主党下院議員が銃撃され、9人の死者、16人の負傷者がでたというニュースが入ってきました。銃撃されたガブリエル・ギフォーズ氏は、ヘルスケア改革を推進し、銃の規制を強化することを主張する若手の女性議員でした。
 ギフォーズ氏は、この銃撃事件が起きる前も、脅迫状を送られたり、事務所のガラス製のドアを破壊されたりなどの嫌がらせを受けていました。それは、彼女がヘルスケア改革を支持したり、銃の規制を強化することを求めたり、排斥問題が起きている不法移民に対して寛容な態度をとったりしてきたからと考えられています。
 ヘルスケア改革反対、銃の規制反対、移民排斥というのは、共和党と近いティー・パーティが激しく主張してきた事です。ギフォーズ氏の父親は、「娘はいつもティー・パーティに脅迫されていた」と、ニューヨーク・ポスト誌のインタビューに答えていたそうです。銃撃の後、ティー・パーティはすぐさま自分たちの会員名簿に容疑者の名前がないか確認して、なかったとアナウンスしました。

攻撃の言葉

 ティー・パーティと近い関係にある前共和党副大統領候補サラ・ペイリン氏は、かねてよりギフォーズ氏を「銃撃」の対象にしていました。ちょうどヘルスケア改革法が2010年の春に通過した直後、ペイリン氏はツイッターで、ギフォーズ氏を含む20人の民主党議員の選出州に、銃のターゲットとなるマークを付けた地図を紹介して、「ひるむな、再装填せよ!Don't retreat, instead- RELOAD!」とつぶやきました。
 ペイリン氏がこうつぶやいたとき、本当の銃撃ではなくて、レトリックとして「銃撃」のイメージを使ったと考えられます(もしかしたら、本当に銃撃を扇動していたのかもしれませんし、よく分かりません)。しかし、この攻撃的な言葉はレトリックというだけではすみませんでした。このペイリン氏のつぶやきの数日後に、実際にギフォーズ氏の事務所に、何者かによって銃が撃ち込まれたのです。そして、今年に入って、ギフォーズ氏本人に銃口が向けられたのです。
 容疑者は、社会非難をネットに書いていた若年男性でした。ティー・パーティとの関係は不明で、彼はかつてギフォーズ氏に面会しに行ったこともあるそうです。ネットの中の仮想世界と現実との区別がつかなくなっていたのでしょうか。現在、精神鑑定がされているとのことでした。
 
価値の衝突

「ボストン便り17回 声と民主主義」で書きましたが、ジョン・ダワーは、911の起こった後に、「Day of Infamy(汚名の日)」や「We will never forget(われわれは決して忘れない)」という言葉が、マスコミで踊っていたといいます。そして、ワールド・トレード・センターに追突していったテロリストたちは、真珠湾攻撃や「カミカゼ特攻隊」と表現され、自爆のイメージが強調されたといいます。ダワーは、その結果、イラクを攻撃すべきという好戦的な雰囲気がアメリカ社会において醸し出されてきたと指摘し、このような「戦争の文化」を止めなくてはならない、と訴えました。
 言葉は独り歩きします。今回のギフォーズ氏の銃撃事件は、ダワーが心配したような事態が再び起こってしまった悲劇です。このような方向に行かないよう、言葉は慎重に、理性を持って使うべきだということを、ペイリン氏に教える人はいなかったのでしょうか。

医療が大切だということは所与ではない

 ところで、このアリゾナの事件を聞いたのは、フロリダにおいてでした。アメリカ社会科学会議と国際交流基金がホストを務める会議で、社会学に限らず、政治学や経済学や法学を専門とする日米の研究者やジャーナリストが、それぞれの問題意識と研究成果を持ち寄って、互いに建設的批判をしながら前進してゆこうという趣旨の集まりでした。
 私は、直近の研究テーマである患者団体の意味と役割、患者アドボカシー、患者団体が対抗公共圏となる可能性などについて発表しました。日米の患者団体が、医療的・社会的サービスの向上のために、どのような方法で、どのように活動をしてきたか、それがどのような肯定的変化をもたらしたか、課題は何かということを示しつつ発表を終えると、とりあえずは好意的な感想を参加者から受けました。ただし、すぐに根源的な質問を投げかけられました。
 つまり日本が直面する問題はいろいろあり、すでに医療には巨額の財政が投入されているのに、なぜさらに費用のかかる医療サービスの向上が大事なのかという質問でした。異分野の人と話すとはこういうことなのだと思いました。たしかに、フロリダの会議に集まった研究者のテーマは、アジアの安全保障(security)、人間の安全保障(human security)、日銀の経済介入の評価、インターネットのインフラ整備など、どれも大切な課題で相応の財源を必要とする課題でした。私自身は、発表の中で公共圏(public sphere)、市民社会と国家(Civil Society and State)、熟議する民主主義(Deliberative Democracy)、社会関係資本(Social Capital)、人間開発(Human Development)という概念を使って、少なくとも患者参加の社会的重要性を説明したつもりでしたが、さらにどうして医療や健康が大事なのかというところから説明し、テーマ設定自体を正当化すべきだと改めて考える機会となりました。

健康の正義論

 たとえばハーバード公衆衛生の哲学の教授ノーマン・ダニエルズ氏の著書『Just Health』は、健康がどうして大事なのかを考える上で示唆に富んでいます。この本の中でダニエルズ氏は、ジョン・ロールズを時には支持的に、時には批判的に援用しながら、健康への権利は平等に与えられていて、不平等な配分は是正されるべきことを示しました。
 ダニエルズ氏は、健康に関する正義論を展開するために、3つの問いを立てました。それは、第1に健康において特別に重要な道徳は何か、第2にいつから健康格差は不正義となるのか、第3に一部の人の健康が充足されない状況で、いかに人々の健康へのニーズを公正に満たしてゆけるか、です。
 第1の問いについては、人々は確かに健康に関するニーズが満たされることを重要と考えており、そうした福祉への機会(opportunity for welfare)はそもそも守られる義務があるという回答を導きました。第2の問いに関しては、健康における不平等はヘルスケアの分配が不公正になされていた結果であるので、不平等な分配(unjust distribution)を導いた社会的要因があるときに、健康格差は不正義になることを示しました。そして第3の問いへの回答としては、人々の健康の状況とヘルスケアの提供のされ方に関する正確なデータを示し、分配が正当になされているかどうか合理的に説明できること(accountability for reasonableness)が大切であることを示しました。
 このように、健康に「正義」、「平等」、「説明責任」といった言葉が付与され、長生きや病気がないこと以上のものであることが論じられることは、医療や健康を再考する機会となります。

改めて考えるアメリカのヘルスケア改革の困難さ

 第19回のボストン便りでは、オバマ大統領の率いる民主党が中間選挙で大敗したことを受けて、なぜヘルスケア改革がうまくいかないのかという理由を、新聞記事やテレビやラジオ、シンポジウムや個人的面会で知った学者の意見などをまとめて、自由の侵害、法律上の問題、医療費高騰への懸念という3つに整理しました。(保険会社の反対というのは、あまりにも自明なので敢えて入れませんでしたが、もちろん最大の理由のひとつです。)
 しかし、過激さを増すティー・パーティのヘルスケア改革法への反対運動、共和党のヘルスケア改革法撤廃への動き、そしてギフォーズ氏など民主党議員への脅迫的態度という現状を見てみると、問題はヘルスケア改革そのものなのではない、と思うようになりました。つまり問題は、反民主党、反オバマという政治の力争いで、ヘルスケア改革は完全に政争の具にされているのではないかと思うのです。
 すべての政策が政治的というのは、一部の人にとっては当たり前のことなのかもしれません。しかし、健康が「正義」、「平等」、「説明責任」という言葉で語られるなら、人々の健康に関してもなりふり構わずに政治的であることは、批判されるべきと言わざるを得ないでしょう。
 
政治的に、政治を超えて

 日本においても、人々の健康へのニーズが政治に利用されたことがありました。2009年夏の自民党から民主党に政権交代が起こった選挙においてです。民主党は、リハビリ診療報酬180日制限撤廃を約束して一定の支持者を集めました。実際、リハビリ制限撤廃運動を起こしてきた人々は、民主党のこの約束を喜びを持って迎え、この政策が実現されるために民主党を応援したといいます。しかし、現在に至るまで政策は変わっておらず、リハビリ制限撤廃の運動をしてきた人からは、政治に利用されたという義憤の声が上がっています。
 人々の健康や医療に関わることは、公的なもので政治的です。しかし逆説的なのですが、それと同時に、健康や医療は、人それぞれの生命であり人生であり、政治的思惑とは関係なく、とにかく守っていかなくてはならない「ただの健康 just health」なのではないかと思います。今の日本で、健康がどのような言葉で語られているのか。どのような言葉で語られうるのか。現状を注視しながら、導き出していきたいと思います。

<参考資料>
・Daniels N, 2008, Just Health, Cambridge University Press
・Dower, John, 2010, Culture of War: Pearl Harbor/ Hiroshima/ 9-11/ Iraq, W.W. Norton: NY.
・細田満和子, 2009, アメリカにおけるバイオエシックスの変容:個人の生命に関する問題からパ
ブリック・ヘルスへ、生命倫理, Vol. 19, No.1, pp.120-126
・ニューヨーク・タイムズの記事、New York Times, January 9, 2011, page 1 and 18
・グローバル・ポスト、モート・ローゼンバウム氏の署名記事Special to GlobalPost Published:
January 10, 2011 06:01 ET in Worldview
http://www.globalpost.com/dispatch/worldview/110109/gabrielle-giffords-analysis-rosenblum
・襲撃の言葉を使ったサラ・ペイリンのFacebookに関する記事
http://gawker.com/5728545/shot-congresswoman-was-in-sarah-palins-crosshairs