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老化と、CW運用能力 

老化現象は、身体・精神の様々な領域で、そっと忍び寄るように始まる。CWの運用能力も例外ではない。

自験例および様々な方と数十年の長さで付き合いをさせて頂いて、加齢による能力減退を、程度の差こそあれ実感する。幸いなことに、受信については、大きな劣化は起きないことが多いようだ。受信能力は運動能力と勿論関係せず、語学、特に読む能力と相関するからだろう。読む能力が落ちると、受信能力も低下する。読む能力が低下した時点で、無線をするだけの知的活動性が残っていないためだろうか、受信能力が送信に比べて著名に低下した方にお目にかかったことはない。

我々、英語を常用しない者にとっては、受信能力を下げる現実的な要因は、やはり外国語を読む力だろう。積極的に、外国のハムとCWでやり取りをすることを目指す方は、英語の読解力を維持することを考え実行されるのではないだろうか・・・私の場合、専門の論文を・・・しょっちゅうではないが、読むこと、それに実際の交信の際に、面倒がらずに辞書を引くようにしていることが、劣化を多少なりとも防ぐ要因になっていそうな気がする。もう少し、若い時代から、英英辞書に親しんでおくべきだったと反省することもある。でも、実際の交信で、感動を伴いながら出会った表現や単語は、この年齢でも結構忘れないものだ。

ヒアリングは、日本語でも劣化していることを自覚しており、元々あまりなかったヒアリング能力の低下は、普段用いないこともあり、今後みるみる進む可能性が大きい。読解こそが自分には必要な能力だから、それを落さぬように、毎日努力することだろう。

問題は、送信の能力低下だ。どんな名手であっても、70歳前後を境にして、低下するようだ。10年前は、流暢に高速のCWを聞かせてくれた友人が、たどたどしい送信しかできなくなるのを耳にすると、時間の経つことの無慈悲さを感じる。名手ではないが、私も、最近、高速の送信でミスを犯すことが多くなったのを少し意識するようになってきた。

手の微細な運動能力が、衰えるのは、仕方のないことだ。それに対処するにはどうするか。バグキーを使っていた方は、エレキー、さらにはキーボードを用いるようになることもある。Del W8KJPは、本態性震顫のために、長い間使っていた、美しい符号を送出するバグキーを使うことを数年前に止めてしまった。また、専らミスを犯さないで済む速度に留まることも当然するだろう。この運動能力の衰えは、リハビリをしても止められない。普段運用しているのがリハビリそのものだから、リハビリは既に実施しているわけだ。

最近、某BBSにも記したが、手の微細な運動能力の衰えをカバーするのに、パドルの方の調整で対処することもある程度可能という感触を、私自身得た。微細な運動ができないのであれば、可能な運動でパドルを操作できるようにすることだ。当たり前といえば当たり前だが、パドルの接点間隔を空け、運動の微細さの程度が、それまでよりも小さくて済むようにするのだ。打鍵をして接点が当たる時の感触が、キーイングの起点になる。その打鍵の感触をよりはっきりさせることだ。そうすると、衰えた運動能力でも、キーイングを正確にすることができる。

接点間隔が広いと、手の運動量が増えるので、特に高速送信では疲労が溜まる可能性もある。それと、実際に送信したい速度との兼ね合いで、接点間隔を決めることになるのだろう。

私のChevronのパドルも、僅かに接点間隔を広げた。まるで主観的な印象に過ぎないが、ミスをする頻度が多少減っているように思える。

いざとなったら、QRSで送信するようにすれば良いだろう。相手には高速のままで良いよ、と言って。

JP1BJR 大河内さんが、二昔以上前に、我が家(大学病院の寮だった)にお出でになった時に、『昔は私も高速で打っていたものですがね・・・』と仰っていた、その気持ちが、ようやく多少分かるようになってきた。いざ、老いを迎えよう、恐れることなく、という気持ちで、楽しんでゆこう。

Hilary Hahn 

最近、寝る前に、吉田秀和氏の『之を楽しむ者に如かず』という評論集を読んでいる。以前にも彼の評論を、シュトラウスの『最後の四つの歌』との関連で紹介した記憶がある。この新作は、レコード芸術に連載した文章を纏めたもののようだ。90歳を過ぎて、ますます自由闊達に、思うところを述べておられる。博識であること、自らの感じるところを何ものにとらわれることなく自由に述べていること、そして何よりも新たな発見を楽しむことにおいて、彼の右に出る音楽評論家はいないのではないだろうか。彼の『永遠の故郷』四部作も完成したらしい。最後の作品のサブタイトル、『夕映え』だったか、も早速注文した。最後に彼が取り上げた作品は、シューベルトの『冬の旅』のなかの『菩提樹』らしい。吉田秀和氏のこうした評論についてはまたの機会に感想を記したい。

で、『之を・・・』のなかで、吉田秀和氏は、演奏とは、演奏者が創造的に関わって成し遂げるものであって、楽譜通りに弾けばよい、オーソリティの言うとおりに表現していれば良いということではないということが一つのテーマになっている。そうした創造的演奏にめぐり合うときに、彼は驚き、そして楽しむ。グレン グールド等様々な具体例が挙げられているが、ヒラリー ハーンの演奏するシベリウスの協奏曲を、一つの例として挙げ、彼女の旺盛な表現意欲と、音楽的な思索が、この作品に新たな生命を与えている、特に4楽章の始まりの部分、と記している。

ハーンの演奏は、バッハの協奏曲しか聴いたことがなかったのだが、芯のある音で、バッハの構成感を十分に表現する演奏者として記憶していた。シベリウスでは、どのような新境地を開いたのか、是非聞いて見たいと思っている。

で、ここからが本題なのだが、彼女の公式サイトがこちら。彼女は、毎日、練習を始める際に、まずバッハを弾くらしい。音程や、リズム、それに重音を弾いてイントネーションが確かか確認するのだと言う。バッハは彼女にとって特別の作曲家らしい。バッハの無伴奏の演奏をYoutubeで聴くことができるが、彼女が、芯のある音で、切れ味よく、推進するように、巨大建築のようなバッハの音楽を組み上げてゆく。無伴奏Partita2番のシャコンヌ(前半)の演奏画像、こちら

同サイトの『By Hilary』という日記も面白い。演奏会の最中、オケのtuttiの部分で、舞台に立つ彼女の目の前
を何かが飛んでいった。その先を見ると、ぐっすりお休みの聴衆のお一人の膝の上に、指揮棒が載っていた・・・等といった話が沢山記されている。演奏の最中に、そこまで周りを見る余裕があるのかと感心した。でも、とても忙しそう・・・。

初々しい若手バイオリニストと思っていた彼女も既に32歳前後。これから注目し続けるべき演奏家の一人。

耐用年数超過・・・ 

最近、仕事場で耐用年数を越えたものが幾つか出てきた。

一つは、X線撮影装置。一応使えたのだが、再リースのコストも回収できない程度しか使わなかったし、何となく大きなトラブルが発生しそうな気がしてきたので、先日のポストで記した通りリースを終了した。先日、業者があっという間に、搬出してくれた。某大手リース会社の慇懃無礼な担当者とのやり取りもこれでしなくて済む・・・ただし、搬出した際に、びっくりすることがあった。配電盤から調整盤に引かれた電源ケーブルがかなり熱を持っていた(もしかしたら、焼け焦げていたかも)らしく、ケーブルの走行に沿って、壁と床が焦げていたのだ。危うく、火事になるところだった・・・。

駐車場の一部が徐々に陥没し、雨が降ると、大きな水溜りが出来て、とても不便になった。この土地は、水田を埋め立てて作った場所なので、恐らく埋め立て後の養生が不十分だったためなのか・・・これもウン十万円出して、舗装をし直しだ・・・。

自室で用いているWindowsXPのマシンが、いよいよ立ち上がらなくなってきた。セーフモードで一応立ち上がるので、データを移すべく、750GBの外付けHDDを購入してきた。新たなPCも買わなくては・・・。良く働いてくれた・・・もう購入してから、7、8年になる。

もっとも草臥れているのは、院長だったりして・・・。

自民党よ、頭を冷やせ 

菅首相は、やはり退陣することになりそうだ。この時期に、こんな政争をしていて、政治家達は良心に恥じないのだろうか。

菅首相を降ろす狙いは、最大野党の自民党にとっては政権という利権にありつくためで、明白だ。大震災復興の公共事業の利権を狙っているのだろうか。

民主党内では、次の選挙は菅首相では闘えないということが、退陣要求が激しくなる理由なのだろう。

利権と書いたが、自民党だけの話ではないのではないかという議論もあるかもしれない。でも、政官業が密着して、利権を貪ってきた時代の政権与党は、自民党だった。

東電福島第一原発事故が一向に収まろうとしないなか、自民党内には原発推進の集まりが出来た(下記記事)。自民党が政権をとれば、こうした面々が再び利権にありつこうとするのだろう。事故発生直後から、自民党は、菅首相が原発に飛んだことによってヴェント作業が遅れ、事故を拡大させたと、菅首相を追及して来た。が、今夜NHKで放映された事故後の検証番組で、自民党の主張は間違っていることが、確認された。ヴェントの遅れは、当初の東電幹部の初動の遅れと、より根本的には、原発が安全であるという誤った考えに、東電・行政が胡坐をかいてきたことによる。

これまで原発が安全だと推進してきた自民党の連中が、さらに原発を擁護し推進しようとしている。菅首相に不手際があったことは事実かもしれないが、それ以上に、頭を冷やし、反省すべきは、自民党の面々であるはずだ。

原発事故で避難している方は、8万人に上るという。その内、どれだけの方が、自宅に、故郷に戻れるのだろうか・・・。彼らの痛みを忘れてはいけない。


以下、引用~~~

2011年5月5日 朝日新聞 朝刊4面

 東京電力福島第一原発の事故に収束のメドが立たない中、国策として原発を推進してきた自民党内で早くも「原発維持」に向けた動きが始まった。原発推進派の議員が集まり、新しい政策会議を発足。「反原発」の世論に対抗する狙いだ。

 この会議は「エネルギー政策合同会議」。自民党内の経済産業部会、電源立地及び原子力等調査会、石油等資源・エネルギー調査会の三つを合体させた。電力需要対策とエネルギー戦略の再構築の検討を目的に掲げるが、党幹部は「原発を守るためにつくった」と明かす。

 幹部には原発推進派が名を連ねる。委員長は元経済産業相の甘利明氏。旧通産省(現経産省)出身の細田博之元官房長官が委員長代理、西村康稔衆院議員が副委員長に就いた。先月12日の会合では、幹部陣の隣に東電の元副社長で現在は東電顧問の加納時男・元参院議員が「参与」として座った。

 甘利氏は「安易に東電国有化に言及する閣僚がいる」と指摘する資料を配布。会議後に河野太郎衆院議員が「原発推進派が並ぶ人事はおかしい」と抗議したが、認められなかった。

 自民党は中曽根康弘元首相らを中心に「国策・原子力」の旗を振ってきた。1955年、研究と開発を進める原子力基本法を制定。74年に「電源三法」を制定し、立地自治体に手厚く補助金を出してきた。電力業界は資金と選挙で自民党を支援。電力各社でつくる電気事業連合会(電事連)は80年代前半から11年間で約65億円を党機関紙の広告費として自民党に支払った。

 谷垣禎一総裁は震災後の3月17日の記者会見で「現状では、原発を推進していくことは難しい状況」と述べたが、1週間後には「安定的な電力供給ができないと製造業など維持できるのかという問題もある」と軌道修正した。党内では「推進派から反発されたため」と受け止められた。

 会議は大型連休後、中長期のエネルギー戦略の議論を始める。甘利氏は「我々は市民活動家ではない。膨大なコストや不安定を覆い隠し『自然エネルギーで何とかなる』と言うのは無責任だ。現実問題として原子力を無くすわけにはいかない」と言っている。(渡辺哲哉、土佐茂生)

雪崩のように押し寄せる変化を前にして 

東日本大震災によって、「負担増止む無し」という意識を国民が持ち始めた。それを利用して、政府・その背後にいる財務官僚は、これまでの彼らにとっての懸案事項を一気呵成に実現しようとしているように思える。社会保障の縮小、医療費削減、地域医療の窮乏化、様々な増税、国民総背番号化等々が、雪崩のように押し寄せてきつつある。

高齢少子化と、国家財政の逼迫があるので、こうした変革は必要な面もあるが、大震災対策に紛れ込ませることは、納得できない。大震災からの復興は、莫大な費用と時間がかかるといえ、有限な事象だ。そのための負担は、永続するものではない。一方、社会保障・医療の変化、増税は、一旦決まったら、まずは変化しない(負担の軽減の方向への変化は期待できない)。社会のあり方を変える制度の変更に伴う財政負担と、自然災害への一時的な財政負担をごちゃ混ぜにすべきではない。

例えば、年金受給年齢を上げることが提案されているようだが、もしそうするなら、年金の不公平を一緒に是正すべきだ。共済年金という優遇された年金を他の年金と一体化すべきだ。また、政治のスリム化も必要だ。菅降ろしで右往左往する多数の国会議員達、あの人数の議員は不要だ。主体性のない、保身のみを考える政治家達は不要だ。議員の人数を減らし、政党助成金も減額すべきだ。また、国会議員、財務省の幹部官僚が受給する社会保障は、国民の平均的なものと同一にすべきだ。国家公務員給与の減額だけでは不十分であり、天下りを止めさせること、出世競争に遅れをとった上級公務員を退職させ、それまで監督支配してきた企業へ天下りさせることを止めさせること。導入される負担増に伴い、官僚の利権が増えることにならないか、監視を続ける必要がある。マスコミも、そうした利権に与る面があり、マスコミの報道だけでは判断できない。

菅首相は結局辞めることになるようだが、彼は、周囲に味方を作れず、選挙になったら負けることの見えている民主党議員達に見限られた。菅首相には官僚支配から脱することを期待したが、結局それは出来なかった。むしろ、菅首相には、情報が官僚からしか入らず、官僚にコントロールされたように思える。この政治の不安定化した状況では、二つの心配がある。一つは、政党政治への国民の絶望から、民主主義の鎧をまとった独裁政治家の登場だ。もう一つは、それと表裏一体で、官僚による支配構造のさらなる強化・固定化だ。

この2、3年後に、日本はどのような社会になっていることだろうか。

個別指導・監査という行政の権力行使 

保険診療では、行政には保険診療を行なう医師に対して、ほぼ無制限の権力が与えられている。保険診療上違法な診療を行なう、ないし患者一人当たりの平均医療費が高額になる場合、行政は、保険医療機関、同医師に対して、個別指導を行なう。個別指導は、多くの場合、経済的理由から実施され、医学的見地とは離れたところで、診療報酬の返還が命じられることが多い。問題が解決しないと行政が判断すれば、監査が行なわれ、最終的に、保険診療をする権利を、医師・医療機関から奪う。個別指導・監査では、医師の主張は認められないことが圧倒的に多い。

そうした処分を受けても仕方のない医療機関・医師が、少数ながら、存在することも事実だ。しかし、一方、絶対権力を背景に、納得しかねる処分が下される事例も多い。厳しい個別指導を受けて、悩みぬき、自殺した医師もいる。

山梨県の小児科医溝部医師は、個別指導・監査を受け、保険医療機関・保健医登録を抹消された。表向きの理由は、インフルエンザの症例の家族に無診察で投薬し、医療保険を用いて診療報酬請求をしたことだ。確かに、無診察投薬は、保険診療の規則で禁じられており、その点から溝辺医師は何らかのペナルティを受けるのは仕方がない。彼女は、保険医療機関登録・保険医登録抹消という、開業医にとって仕事が全く出来なくなるという、最も重い処分を受けた。

上記処分を不服として溝部医師が訴えた裁判で、溝辺医師は高裁で判決を得、上記処分の取り消し、溝部医師の勝訴が確定した。

で、この事件の背後にある事情が、ネット上で公開されている。これは原告側の主張であり、被告側の行政の言い分もあるかもしれないが、このネット上の記述に一貫した流れを読み取ることができる。社会保険医療協議会公益委員だった弁護士が、この事実を知り、その職を辞して、溝部医師側の弁護人となったという事実からも、この記述が誤りではないことを示唆する。ここで記されている通り、この事件の内実は、行政と、行政サイドにいる医師が、特定の末端の医療機関・医師を潰そうとして、画策した個別指導・監査だったということではないだろうか。

この処分の根拠になった法律は、戦前に制定されたものらしい。医師・医療機関の処分は、重大な行政処分だ。行政処分を行う根拠と、その決定過程に、もっと透明性を確保し、皆が納得できる形にしてもらいたい。溝部医師が受けたような、虐めに近い処分はもっての外であり、医学的な内容を尊重すること、重箱の隅を突くような行政の作った規則は廃止することを強く望みたい。この記述に対して、行政・当該医師会の責任者・担当者は、きちんと弁明するべきだ。医師会がこのように動いたとすると、現場の医師は孤立無援になってしまう。

レセプトという紙の上で、診療内容の正当性を論じること自体に無理がある・・・それを審査する行政官は、医療現場を知らない医師のことが多い・・・。



以下、指導・監査・処分取消訴訟支援ネットより引用

2004年(平成16年)4月、山梨社会保険診療報酬請求書審査委員会小児科委員が「インフルエンザ感染症の確定病名が多い」との理由で、山梨社会保険事務局に原告に対す る個別指導を実施するよう要請。甲府市医師会副会長からも「疑義を感じる」等の情報提供が行われた。

これを受け、同年9月28日に初めての個別指導が実施されたが、指導は中断され130名を超える患者調査が行われた。

2005年(平成17年)1月、第2回目の個別指導が行われ中断、同年2月には第3回目の個別指導が行われたが指導は中止された。

3回の個別指導は、「点滴の件数が多い」「検査が多い」「輸液の量が多い」などの「診療内容に対する非難・追及」と「捜査=2年間のカルテ・資料のコピー」に終始した。

しかし個別指導で問題にされた診療が、患者調査の結果正当に行われていることが判明し、その後の追及は「無診察処方」に変わっていった。(多くの患者の親は、社会保険事務 局から非難されるそのような診療こそが心底ありがたかった診療であって、診療所を閉鎖して欲しくない理由だと「社会保険庁あての手紙」に書いていた。)

「個別指導」は、「指導」ではなく「証拠集め」と「心理的圧迫の下での取り調べ・捜査」であった。ひとかけらの「指導」も「是正勧告」もないまま、3月には監査が行われる こととなった。

個別指導・監査を通じて、保険指導医や事務指導官は、「患者のことを話すな!」「患者のことは聞いていない」「患者の言うことを聞くな!」「先生の言うことは違いますね」 「ウソを言ってますね」と弁明を許さない姿勢に終始した

山梨県医師会理事の立会人も、「駄々をこねてもダメですよ。無診察処方は訴訟を起こしても医療者側が負けています」と、ダメ押しの末に精神的に追い詰め、監査調書への署名 捺印を迫られた。

第1回目の個別指導直後、甲府市医師会幹部は相談した原告に対して地元の医学部小児科教授を介して「取消処分は決まっている」と述べ、監査の直前には社会保険医療協議会の 委員である山梨県医師会理事が、「保険医登録と保険医療機関の指定両方の取消が決まっている。早ければ来月の地方医療協議会で決定する」と述べている事実が示すように、こ の個別指導・監査は最初から取消処分を前提に進められた疑いがある。

原告は、取消処分は決まってしまったものだと思い込まされて署名捺印させられた。

同年4月、診療所の存続を求める患者の親たちが患者会(500~600人)を結成し、取消処分撤回を求める署名活動を行い、28,000名余りの署名が寄せられた。

さらに、山梨社会保険医療協議会の公益委員に任命されていた弁護士が一連の事実を知り、職を辞して原告の代理人となった

2005年(平成17年)6月から11月にかけて4回の聴聞会が開かれた。聴聞会では、原告から数々の質問や反論を申し立てたが、回答が得られないまま11月9日に行われ た4回目の聴聞会の翌日、山梨社会保険医療協議会が招集され「保険医登録取消」「保険医療機関指定取消」が決定された

東大工学部システム創生学科の研究者達 

今回の原発事故発生に、直接、間接に関わっている研究者達がいる。彼等の多くが、事故後口をつぐんだままだ。

原発事故発生当初、NHKに登場して、楽観論を繰り返していた識者のお一人が、東大の関村教授だ。また、以前こちらでアップした、佐賀県でのプルサーマルについての公開討論会で、原子炉冷却装置がすべてダウンするのは、1億年に一回、プルサーマルの毒性は高くないと述べ、小出京大助教に食ってかかっていたのが、東大の大橋教授。さらに、緊急時には全く機能しなかった原子力安全委員会の委員長は、斑目東大教授だ。

原子力安全委員会について少し記そう。同委員会は、原発事故の起きたときに、何も有用な仕事が出来なかっただけでなく、これまで、原発の安全性を蔑ろにする決定を繰り返してきた。小出氏の著書によれば(これは孫引きの情報なのだが)、JCO事故の責任が、同委員会にあるという。JCO事故は、作業員の方が、高濃度ウラン溶液を、140Kgという大きな貯留槽で扱っていて、再臨界を起こし、激烈な被曝を受けたという事故だった。結果として、二人の作業員は、悲惨な放射能の急性障害で亡くなられた。皮膚の再生ができなくなり、全身皮下組織が露出する状態で亡くなるという、悲惨な死だったようだ。

再臨界は、ウラン溶液が20Kg以下であれば、起きない。ところが、140Kgの貯留槽の設計を、原子力安全委員会は、認めてしまったのだ。この危険性を、現場の作業員は知らされていなかったという。この事故後、原子力安全委員会の責任は問われなかった。あたかも、作業員の杜撰な作業が原因だったかのように幕引きされた。

原子力安全委員会は、不作為だけでなく、こうして積極的に原子力・原発の安全を脅かす決定を行ってきた。



関村・大橋・斑目教授等の所属は、東大工学部のシステム創生学科という聞き慣れぬ専攻だ。東大の工学部には、かっての原子力工学科はもう存在しない。原子力工学科が、他の学科と合併して、この新たな専攻が生まれたのだろう。大学院には、原子力の名のつく専攻があるが、社会人を対象にした、茨城県東海村の施設だけだ。アカデミズムのなかでも、原子力工学は、退潮しつつあるように思える。

で、関村・大橋教授の専門分野を見ると、自然・社会現象のコンピューターを用いたシミュレーションが大部分であることがわかる。斑目教授は、研究業績から20、30年前に外国の原子炉の情報を扱ったものがあるようだが、最近は、法律や社会と原子炉との関わりについての研究がメインのようだ。簡単な紹介文と、業績集の一部だけからの判断で、間違いもあるかもしれないが、大きく外れてもいないだろう。原発の安全性を現場で扱う領域には殆ど関わっていない。

こうした「研究者達」が、原発問題を原発推進の立場で解説し、また行政の立場から、原発推進に向けて仕事をしてきたシステムが適切だったのかどうか、どうしてそうしたシステムが成立していたのかを厳しく問うべきだろう。原発事故を発生させ、さらに拡大させることに加担してきた、こうした「研究者達」と、彼等の所属する東大システム創生学科から、反省の弁が全く聞こえてこない。システム創生学科は、廃止ないし根本的な改組が必要ではないだろうか。原発を客観的に学問的にきちんと捉え、現場を知る研究者こそが必要なのではないだろうか。

追伸;毎夕、関東地区のNHKテレビは、関東各地の空間放射線量が、平常と殆ど変わらないと放映している。原発の爆発から時間が経っているので、それは当然のこと。あれは、原発事故がまるで落ち着いたかのように視聴者をミスリードする。これから問題になるのは、食べ物・水等を通しての内部被曝のはずだ。関東地方で採れた野菜は、行政単位で何件かのサンプリングをして、放射能を測っているに過ぎず、不十分きわまる。放射能汚染は、斑状に出現する。関東地域でも、土壌の汚染地図をしっかり作ろうとする動きがない。NHKは、そうしたところを突くべきなのだが・・・。