CWのトレーニング方法の評価について 

CWの技術については、雑誌・ネット等で様々な方が、様々な意見を述べている。

昔、今は亡きJA3MKP氏が、CQ誌で繰り返し、「QSOの数をこなすとうまくなる、筆記しての受信を繰り返すことだ」という内容の記事を書いていた。私の経験からすると、それは間違いであり、むしろ上達を阻害するように思えた。そこで、当時活発だったニフティサーブのフォーラムにアクセスできるようになると、その見解に反対する論陣を張った。12、13年前のことだろうか。

当時、フォーラムの常連の方々は、変なのが闖入して、偏った意見を主張していると受け取られたのかもしれない。議論をしても互いの優劣が判明せず、結局のところは、お互いのやり方で、どこまで到達できたかで、各々の主張の正しさを判定するほかないのではないか、という結論に落ち着いた(と私は思っている)。

今から考えると、正確に電文を受信することを優先する立場と、コミュニケーションをするにはどうしたらよいかと考える立場の違いだったのだろう。後者のためには、所謂暗記受信が有用だという見解が、皆に徐々に認められた。

で、その後も、その暗記受信の分析・方法について様々な意見がある。また、電鍵の操作方法についてもしかりだ。電信の受信送信という行為が、生理学的にどのような機序で行われているのか、認識論としてはどうかといった科学的な知見がないのであるから、各々の方法論の優越を判断するには、二つの方法しかない。

一つは、各々の方法を取る群と、そうではない群に分けて、その結果を見るという方法だ。これは疫学的な方法だが、クリアーな結果にならない可能性と、実施するのに多人数の参加が必要になるというデメリットがあり、実際上実行不可能だ。

もう一つは、暗記受信か筆記受信かという選択にあったように、各々の方法を徹底した者の到達した技術の高さで判断する方法だ。これには客観性が欠けるように思えるかもしれないが、獲得した技術という極めて確定した事実で判断するので、大いに参考になるはずだし、現在のところここに行き着くことにならざるを得ない。

で、CWを学ぼうとする方には、「誰が言っている方法か」という視点ではなく、「どれだけの技術を実際獲得している方が言っていることか」という観点で、採用する訓練方法を見極めた方が良いと申し上げたい。そうした観点からすると、珍妙な意見が巷には横行しているのが分かる。初心者には、その「技術」を鑑定するだけの力がないことがネックになるが、それは大方の評価で大体分かるはずだ。

原発劣化を行政が明言するはずがない 

原発は稼働中に、核分裂を続けさせるために中性子線を大量に発生する。中性子線は、圧力容器璧を劣化させる。中性子線が、圧力容器璧の金属の金属原子の一部を飛ばしてしまう、飛ばされてできた空孔、飛ばされた原子(格子間原子)、また元々含まれる不純物が、金属壁の劣化をもたらす。この劣化の進展は、中性子線の総照射量と、照射速度に比例するという。劣化の進展に伴い、ある温度以下になると、金属が元来の柔軟性を失い、脆くなってしまうのだ。その限界温度を脆性遷移温度という。原子炉は使用を続けると、この脆性遷移温度が徐々に上昇し続ける。

原子炉内部は、稼働中に60から70気圧という高圧になっている。上記の劣化の進んだ原子炉で、緊急に炉心を冷やさなければならない場合、または通常運転であっても、脆性遷移温度以下で圧が加わっている場合、原子炉が爆発するリスクを生じる。これは、東電福島原発事故のように、一応停止した状態での事故よりも格段に広範な地域に、放射能汚染をもたらす。

九電玄海原発1号機では、上記脆性遷移温度が、98度に達しているという。日本で最も危険な原発である。この他にも、現時点で、稼働開始後30年を経過した原発が、日本全国に19基あるという。それらも、この劣化による、過酷事故の危険にさらされていると考えるべきである。

もし九電玄海原発で過酷事故が起きたら、西日本全体に酷い放射能汚染が起きることだろう。それは、日本という国家が破滅することを意味する。

行政もこの危機にようやく対応し始めているようだが、同じ行政機関の原子力安全保安院が対応していることには賛成しかねる。玄海原発の中性子線脆化についても、観測データを歪曲して安全だと主張した九電と歩調を合わせてきたのが、保安院だからだ。これまで原発安全神話を作り上げてきた保安院が、原発が安全でないという結論を出すはずがない

行政の硬直化、劣化が、日本を危機に陥れている。

このポストを書くに際して、以前にも取り上げた、岩波新書、石橋克彦編「原発を終わらせる」を参考にした。

以下、引用~~~

老朽化原発、安全性評価で初会合…保安院
読売新聞 11月29日(火)12時3分配信

 経済産業省原子力安全・保安院は29日、運転開始から30年を超す原子力発電所の安全性を評価する、専門家の意見聴取会の初会合を開いた。

 年明けをメドに東京電力福島第一原発の事故に設備の老朽化が影響していないかどうか検証する。

 長期間運転した原発に国民や立地自治体が不安感を抱いており、初会合で保安院は、現時点での知見に基づき検証する方針を示した。検証は福島第一原発から始める。保安院側から「劣化が原因と疑われるような要素は見つかっていない」との報告があった。

 検証は、九州電力玄海原発1号機で判明した放射線による金属劣化についても行う。また、来春に運転開始から30年を迎える四国電力伊方2号機と東電福島第二1号機、来夏に40年を迎える関西電力美浜2号機の安全性をそれぞれ評価する方針も示された。

ブラームス 二重協奏曲 

ブラームスの二重協奏曲。

これほどにこころを熱くさせる音楽はあろうか。同心円的に二つの独奏楽器とオケが集中し、燃焼する。

昔は、ロストロポーヴィッチとオイストラッフの独奏、セルがクリーブランド響を指揮した演奏がピカ一だと思っていたが、この演奏も劣らずすばらしい。モルクのチェロ、一分の隙も見せず、歌い上げている。バイオリン奏者は良く知らないが、熱演だ。ラトル指揮のベルリンフィル。

その昔、学生時代に、バイオリンのT君とこの曲について盛り上がり、最初のカデンツァ風の走句だけでも合わせてみようと、本郷のアカデミアで譜面を手に入れたのだったが、とてもそこまでたどり着けず・・・。

バイオリンとチェロが早いフレーズで歌い交わし、その走句の最後にユニゾンで決める・・・何度聞いても惚れ惚れする。

幕臣達が日本の自立を守ったという歴史的事実 

岩波新書「日本の近現代史をどう見るか」(岩波新書編集部編)に、面白い視点で、幕末期の欧米への対応について書かれた論考があった。

米国外交官ハリスと、幕府が締結した、日米修好通商条約は、一方的に米国に有利な不平等条約であるとの評価が一般的だが、実際のところはそうではなかった、というのだ。圧倒的な軍事力を背景に強硬に、自由交易を迫る米国に対して、交渉に当たった時の幕臣達はほかの国々の状況を調べ、粘り強く、譲歩できぬところ、例えば、外国人商人が国内を自由に移動すること等をはねつけた、ということだ。その結果、日本の自立は守られた。我々は、ともすると、欧米の歴史観に流され、時の幕府とわが国を半未開の存在と捉え、時の幕臣達の努力に目を向けることをしない。欧米中心の歴史観から、周辺部に追いやられてきたアジアの視点からの歴史観に我々はよって立つべきなのではないかと、著者の井上勝生北大名誉教授は述べている。

これを読んで思い起こしたのが、TPP交渉における我が国政府・官僚の対応だ。わが国の自立を守ることをどこまで彼らは考えているのだろうか。幕末の幕臣達の知恵と根気と、それに何よりもわが国を愛する気概があるのだろうか・・・。野田首相は、国会答弁で、TPPのISD条項を知らないと、しゃあしゃあと述べた。これが事実なら、首相を務める資格はないし、嘘を平気でつくとしたら、なぜ国民を欺いてまでTPPに突き進むのか、明らかにする責任がある。食糧と医療は、国民の安全そのものにかかわる。それが脅かされようとしている事態なのだ。国民への愛情と責任が、彼らには問われている。

Henry OZ3FD 

最近、夜の早い時間帯から、7メガが北欧に開ける。一日おきくらいにデンマークから声を掛けてくれるのが、Henry OZ3FD。熱心に呼んでくださるのだが、話し込もうとすると、これからコーヒーを飲むから、などと仰って、引っ込んでしまう。

私と同年。アイルランド出身とのことだ。2エレのバーチカルアレイを使っており、バンドが開けていれば、まず聞こえる。昔、教師をなさっていたが、今は「音楽家」とのこと。驚いて、どんな音楽を演奏するのかと尋ねた。すると、説明するのが面倒くさいと思ったのか、CDを送ってくれる、とのこと。

そのCDが今日届いた。ワクワクしながら、かけてみた。懐かしいフォークソング。最初の曲が、ダニーボーイのデンマーク語版。その後も、ゆっくり目のしっとりとした曲が続く。発声は、クラシックと違うし、ロック等とも違う。カントリーウエスタンに近いような歌い方だ。暖かくほっとするような響きだ。

ググってみると、ヒットした。こちら。無線での出会いは、なかなか面白い。Henry O'Cconorというのは、確かにアイルランド風の名前ではある。7メガでまたあったときには、いろいろと身上調査を・・・。

単語を「塊」として受信するということ 

CWの暗記受信が、アマチュア無線の通信手段としてのCWを考えた時に重要だということが広く認められてきたことは良いことだ。

でも、暗記受信について最近気になることがある。文字とコードの対応を記憶して、実際の交信に臨むようになるためには、単語を「塊」として受信することが必要だという主張だ。例えば、「THE」を「一塊」として受信するというのである。

では、ANAPHYLAXISとか、COSMOPOLITANとか、長い単語になったらどうか、また当然星の数ほどもある単語の各々を「塊」として受信するのか。当たり前のことだが、それはあり得ない。

コードから文字へ対応させることが、CW受信の最初のプロセスで、受信が上達することは、このプロセスが、意識せずに行えるようになることに他ならない。意識せずに行えるようになるから、あたかも単語一つ一つを一塊として受信するかのような気になるのだ。短い単語も例外ではない。

単語を「塊」として受信する、即ち、長点と短点の長大・複雑な組み合わせを覚えるということを、初心者の方に勧めるのは、初心者を惑わすことに他ならない。

吉田秀和著「これを楽しむ者に如かず」 

吉田秀和著「これを楽しむ者に如かず」(新潮社)を大分前に読了した。2000年から2009年にかけて、「レコード芸術」に連載した評論をまとめたもので、全体で500ページを超える大作になっている。吉田秀和氏は1913年生まれとあるから、87歳から96歳前後にかけての評論ということだ。

吉田秀和氏の音楽評論は、豊かな音楽への造詣と経験に裏打ちされた内容と、自由闊達な文章に満ち、それに魅了される。居心地の良い居間で、お気に入りの茶器に注がれた紅茶を楽しみながら、彼が自分の音楽経験と思索について語るのに耳を傾けるような気持ちになる。一番大切なことは、彼が単なるディレッタントとして音楽に接するのではなく、文字通り音楽を生きてきたという点にある。そこに彼の文章に強く惹かれる理由がある。

上記のとおり、雑誌に連載した評論集なので、音楽理論を精緻に展開したり、音楽史について時代を追って記述した内容ではない。彼は、思いの向くまま、手に取った音源について、思い出したことについて記している。でも、全体を通して一筋の姿勢が貫かれていることも確かだ。論語を引用したタイトルからわかる通り、音楽を知識として知ることよりも、好きになること、否、好き嫌いを振り回すよりも、心底楽しむことが最も大切なことだと、著者は述べている。では、楽しむこととは何か、という疑問が湧く。

楽しむこと自体を彼は説明していないが、新しいものを演奏に見出すかどうか、が大切なことだと述べている。楽譜に記されたことの真性さ、さらに楽譜から音楽を作り出すうえで、演奏者には音楽を文字通り創造することが要求される。同じ演奏者が同じ曲目を弾いたとして、同じ演奏になることはありえない、と彼は述べる。モーツァルトのピアノソナタの演奏で付け加えられる装飾等を例に挙げて、創造的な演奏をこそ尊ぶべきと述べている。新たなものを創造する演奏に接することの喜びを彼は繰り返し述べている。

新たな創造的演奏とは、ただ新奇なことだけを求めることかという疑問には直接答えていないが、彼の記した評論の中身を読めば、それは的外れなことであることが分かる。最初に述べた通り、彼は、音楽を生きているのだ。新たな生命の息吹を演奏に感じることを喜ぶ。新たな音楽の創造を評論という立場で共有し、それを生きる糧にしているように見える。

とりわけ心に残ったエピソードを二つ記しておこう。

著者は、グレングールドの革新的な演奏を高く評価しているのだが、グールド自身が、ピアニストのリヒテルに敬意を払っていたという。ケヴィン パザーナ著「グレングールド 演奏術」という著作からグールドの言葉を引用している。演奏家は、二種類に分けられる。超人的なテクニックを聞かせる演奏家と、聴き手が演奏のことよりも、音楽そのものに没頭できるように手助けする演奏家だ。後者の最も良い例は、リヒテルだ、というのだ。リヒテルのような演奏家は、楽器と完璧な関係を持ち、演奏者と聴き手は、演奏の妙味その他の表面的な問題はすべて無視し、音楽に内在する形而上学的な特質に注意を向けることができるのだ、とグールドは述べている。吉田秀和氏も、リヒテル、特に最晩年の彼は、できることなら自分自身は全く姿を消し、聴衆にはただ音楽に没頭してほしいと言わんばかりの姿でピアノを弾いていた、と記している。この態度は、グールドも目指したものだったのではなかったか、と。私はリヒテルの演奏で良く聞くのは、バッハの平均律だが、この演奏者の姿が背景に消え、音楽そのものが聴く者に迫ってくるという印象は、彼の平均律を聴くたびに私自身が思っていたことだった。

もう一つ、ウィスペルウェイの弾く、ブリテンの無伴奏チェロソナタに関する文章の最後で、ブリテンのこの音楽そのものに内在する重く暗い印象について、吉田秀和氏は記している。音楽は、単に音の遊びではなく、いろいろなことを語る力のある営みだ。二十世紀が、様々な破壊と苦悩に満たされた世紀であったことの証言する音楽が、この世紀の音楽の中にはあるのではないか、と吉田秀和氏は語っている。ロマン派の行き着く先としての現代音楽の性格にとどまらず、二十世紀という固有の時代に深く関係する性格が二十世紀の音楽にはあるのではないか、というのだ。これも、現代音楽の出口の見えぬような状況を知るにつけ、なるほどと思ったことだった。時代の苦悩を表す音楽として、現代音楽に接するというのは新しい視点だった。

二十世紀後半からの音楽の潮流の証言者であり、音楽体験を生きてきた吉田秀和氏ももう98歳になられたのだろう。「永遠の故郷」四部作が、白鳥の歌とも聞くが、できたらまだまだ音楽体験を言葉にして自由闊達に語り続けてもらいたいものだ。私にとって、夜、休む前に寝床でこの本を開くときが本当に癒される時間だった。本を読み進め、ページの残りが少なくなって行くことが残念に思えた(このように感じる本はさほど多くない 笑)。吉田秀和氏の音楽体験と思索のあとを追体験してみたいと思われる方にはお勧めの一冊だ。

パドル遍歴 

以前パドルについては、ここでもアップした記憶があるが、1980年再開局以来使用してきたパドル遍歴は以下の通り。1960年代は、カツミのエレキー(これもすごい代物だった)。

1)カツミEK160
パドル内臓のエレキー。パドル部分、回転軸の軸受けがただの三角錐構造になっているだけで、ここで接触不良が良く起きた。エレキーの符号自体はきれいなのだが・・・カツミって、もう商売していないんだっけ・・・。

2)ベンチャーJA2
W6IJ(当時WJ6O)が遊びに来た時に、お土産で持ってきてくれたパドル。繊細な感じで、接触不良も起きにくかった・・・が、如何せん、タッチがあまりに軽い。また、繊細過ぎて、構造がバラバラになりやすい。

3)バイブロのパドル モデル名分からず。古典的なスプリングを用いたタイプ。
がっちりしていてよいのだが、接点不良が時々あり。モービルでの運用に使っていた。落としてもびくともせず。その後、近くの高校生ハムにあげてしまった。

4)Schurr Profi
DL4CFが送ってくれたもの。如何にもドイツ製らしく、しっかりした作り。やはりスプリングを使用したタイプ。接触不良もあまりなく、打ち心地も悪くないが、マグネットタイプのものを手に入れてからは、運用テーブルに載っているだけになってしまった。

5)Bencher Mercury 
W9KNIに押し売りみたいにして(笑)買わされたもの。元々の製作者 Dan N2DANが存命中に何度か交信して、その内、今となってはオリジナルといわれる彼のパドルを手に入れたいと思っていたが、彼がSKとなり果たせなかった。スプリングの代わりに、マグネットを用いたもの。接点不良も皆無、カチッとした打ち心地なのだが・・・レバーを打鍵した直後にリバウンドのわずかな振動があり、不快だった。それで、次のChevronを注文することになった。だが、ここからが今日のポストの肝なのだが・・・マグネット相互を近づけ、テンションを高めると、この振動を限りなく小さくすることができることに気付いた。その振動は、マグネットのテンションが低かったために、レバーの重さ等で決まる、レバー等の固有振動での振動が生じたのだろう。マグネットを近づけると、ちょっとテンションが高すぎとも思えるが、高速打鍵にも支障なし。しばらく、これでゆく積りだ。オリジナルのMercuryはどのような打ち心地だったのだろうか。

6)Chevron
かなり高価なパドルで、円高の今でも7万円前後したのだったと思う。作りは豪華、重みも十分。タッチも固すぎず、柔らかすぎず。だが、致命的な欠陥があった。長短点接点を支持するバーを固定するネジと、それを支持するコラムの間に接触不良が時に起きることだ。同部位に導電グリースを付けて、数か月間は接触不良が起きないでいたが、最近再発するようになり、使用を諦めた。製作者には伝えたのだが、不満であれば取り換えるとの返答。面倒なのでそのまま。接点不良を起こす部位ははっきりしているので、ネジワッシャーをかませるか、何らかの対策を取るつもりでいる。当面は、Mercuryに回帰する。

拝借したMercuryの画像。

Mercury Paddle

 

電信の脳科学(というとオーバーかな) 

酒井邦嘉著「言語の脳科学」を読んだ。チョムスキーの影響を受けた著者が、言語の機能的な単位であるモジュールという仮説を用いて、統語論たる文法が、モジュールであり、かつ先験的な機能であること、即ち生まれながらにヒトに備わった独立した機能であることを述べようとしているようだ。fMRIやPETを用いた実験系が、機能の差分に基くもので、その結果から、これほど明確に言い切れるのかなと思わないこともなかったが、言語という中枢神経系の高次の機能に、脳科学の方法論で果敢に切り込んでいることに興味を引かれた。この著作が書かれたのが9年前だから、日進月歩のこの領域であることを考えると、この領域の知見はまた大いに進展しているのだろう。

実は、この著作を手にしたきっかけは、電信と言語との関係について何か得るところがあるかと考えてのことだった。結論から言って、電信は言語ではない。考えれば当然のことだが、電信は、アルファベットを符号に置き換えたものに過ぎないのだ。電信そのものに意味はなく、独自の文法もない。音韻に相当するものは、短点と長点を組み合わせることだけだが、それも記号の成立因子としての意味しかない。

著者が、情熱を持って記した章がある。手話について、だ。手話は、言語と同じく多様性を持ち、独特の文法を持つという。自然言語の一種である、と著者は述べる。手話と、電信を比較すると、電信が、ただ単にアルファベットを聴覚で聞き分ける記号に置き換えたものであることが分かる。手話では、微妙なニュアンスがそれ自体の表現で可能になるが、電信はいわばアルファベットで記された文章を記号化して、それを聴覚で文章に戻す作業をするに過ぎないのだ。電信としてのユニークなプロセスは、文字と記号の対応だけである。

実も蓋もない結論だが、少しすっきりしたような気がする。

で、興味深かったこと。手話に関わる中枢は、音声言語の中枢であるという知見だ。勿論、手話は視覚が最初に絡むが、その情報処理が、音声言語の中枢によって担われているということ。以前、このブログでも紹介したが、電信という聴覚の関与する言語伝達は、読み書きを担う中枢が関与することが、やはり脳科学的な知見として得られている。手話と電信は、同じレベルの情報伝達機能ではないが、両者の関与する中枢がこのように対比されること、各々の知覚と別な機能の中枢が関わることがとても興味深い。

引き続き、言語の脳科学そのもの、それに電信の関わりも文献的に調べて行きたいものだ。

週末の夕食 その26 

生鮭と、根菜の煮物。煮込んで具材に味を染み込ませる。鮭がとろっとなる。なかなかおいしい。

レシピは、こちら

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原点 

仕事場の机、透明なビニールシートの下に、一枚の絵葉書が挟んである。

医師としての初期研修を始めた場所。

10年以上の沈黙を経て、無線を再開した場所。

家庭を築き始めた場所。

この施設周辺が様変わりしたこと。30年以上経った。

記録のために、スキャンしてみた。


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セシウム137による汚染地図 

名古屋大学等の研究チームが、土壌中セシウム137沈着量を計算して求め、公表した。

私の理解するところでは、土壌5cmの深さまで検討したとして、1Bq/kg=100MBq/km2(平方km)のようなので、チェルノブイリで高度汚染とされた1Ci(=37000MBq)/km2の範囲は、この地図上370Bq/kgの範囲となる。

高度汚染地域は、岩手県南部から、茨城県・栃木県にまでわたるという結果になる。上記の換算が正しいかどうか、ご存じの方からコメントを頂きたい。

報道でも記されているが、この計算は、3月20日以降の放射能汚染を問題としており、3月15日前後に生じた、原発の爆発による放射能の拡散は考慮していない、即ち、この結果は、最低限のもので、実際はもっと汚染されている可能性が高い。

さらに、海への汚染が、これと同程度以上にあることと、地下水も汚染されている可能性がある。

繰り返し述べている通り、チェルノブイリでの経験から、汚染は10m単位で大きく変わるので、この研究で汚染が少ないと言われている場所でも斑状に高度に汚染されている場所がある可能性はある。


以下、Zakzakより引用~~~

Cs Pollution
初の“セシウム汚染”全国マップ!北海道~中国地方まで広く拡散2011.11.15
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土壌へのセシウム沈着量を計算した地図。単位は土壌1キログラム当たりのベクレル(米科学アカデミー紀要提供)【拡大】(上記の地図)

 東京電力福島第1原発事故で放出された放射能が、日本列島各地に拡散している状況が明らかになった。名古屋大などの研究チームは福島第1原発から放出された放射性セシウムの全国分布を推定した地図を作成した。15日の米国科学アカデミー紀要(電子版)に発表する。各自治体などが公表したデータに基づく推定とはいえ、実態に近い全国版の汚染マップが示されるのは事故後初めてだ。

 地図は名古屋大の安成哲三教授、ノルウェー大気研究所などのチームが作った。3月20日から1カ月間に福島第1原発から放出されたセシウム137について、各地の自治体が計測した連日の降下量データをもとに大気中の拡散をシミュレーション。土壌への沈着量を推定した。

 セシウムは北海道から中国地方にかけた広い範囲に沈着するが、西日本の汚染は少ない結果だ。研究チームは「中部地方の山岳地帯が西日本への汚染大気の拡散を防いだ」と分析している。

 地図上の分布状況は、文部科学省が岩手県から岐阜県まで18都県で行った航空機モニタリングの実測値とほぼ合致している。そのため、専門家らは「汚染は、この地図通りに広がっている」とみている。

 ただ、今回の解析には建屋の水素爆発などで大量の放射性物質が放出された3月中旬のデータは含まれていない。同チームでは、地図に示された状況は「実際の汚染の下限に近い」としている。現実はさらに深刻ということか。

TPP議論における政府の不誠実さ 

野田首相が、APECの会議でTPP交渉に参加する意向を表明する前、国会審議で、自民党議員の質問に答えて「ISD条項を知らない」と発言していた。まさか、首相が、大きな問題点である、この条項を知らないわけがない。恐らく、国会で議論すれば、TPP交渉参加への逆風が吹くと分かって、「知らない振り」をしたのだろう。国会と、国民を軽視する態度ではないか。

TPPの大きな問題であるISD条項は、例えばオーストラリア等でも問題にされていた。以前のポストにもアップしたが、投資家・企業が、他の国の市場に出る場合、そこで経済的な不利益を被ったと判断したら、当該国の政府を相手に訴訟を起こせるということを規定したのが、この条項だ。訴える裁定組織は、WTOの下部機関であり、そこでは非公開で審議が行われ、当該企業が経済的な不利益を被ったかどうかという点に絞って判断されるという。当該国の公共の利益や、環境への影響といったことは勘案されぬということだ。上告制度はない。NAFTAでは、この条項に基づき、カナダ等が米国企業から訴えられて、巨額の損害賠償をさせられている。国内に一種の治外法権ができるのだ。

また、昨夕、同じ国会審議では、TPP交渉の対象から外すネガティブリストについては現段階で明らかにしない(交渉の中で明らかにしてゆく)と、外務大臣と首相が、社会民主党の質問者に答えていた。TPPは、まな板に載せる項目を検討するのではなく、載せない項目を検討する、ネガティブリスト方式を取っている。参加するとして、何をネガティブリストに載せるかということは、国民にとって極めて重要な検討事項のはずだ。それを国会で議論しないで良いのだろうか。ここにも、国民を軽視する姿勢がある。

すでに、TPPの枠組みは決まっているように思える。関税が問題になるのは、農産物の分野だ。工業製品はすでに、ほとんど無視できるほどに関税が低くなっている。米国が明言しているのは、農業分野に加えて、医療福祉の分野、即ち医療保険分野での市場開放、を要求するとしている。現政権は、皆保険制度は死守すると言いつつ、米国が、それを撤廃せよと要求する交渉の場に出てゆこうとしている。米国が重点を置くと言う、この要求にどう対処するのか、保険をネガティブリストに入れるのかどうか、政府は明言しない。

このTPPの中身について議論を避けようとする態度と、上記の「知らない振り」から見えてくるのは、既に決められたTPPの枠組みに、どうしても入らなければならないという政府の強い意思だ。本音を語ることは外交交渉ではできないのかもしれないが、国民生活に密接にかかわることについては明らかにし、議論すべきだ。

TPP参加を表明するかどうかの議論を直前までほとんどしてこなかった、マスコミも、その方向での世論誘導に参加しているのだろう。

TPPは、沈みかけた米国が、起死回生の策として、日本の国民の資産に狙いをつけ、医療分野でその資産を簒奪しようとするものだ。国民は、それを知らされていない。日本がこれから大切にし、経済的な連携を深めるべき相手は、経済発展を続けるアジア諸国、特に、中国とインド、だろう。そうした国には目を向けようとしないのは、大きな判断の誤りだろう。

混合診療になると、国民は、医療に多大の支出を強いられる・・・医療界の中には、現在の低医療費から脱却できるとして、この制度が実現することを待ち望んでいる向きもある。でも、国民も医療界も結局米国の巨大保険資本の餌食になるだけだ。

この予測が当たらないことを祈るが、TPPへ参加をした時には、国民はこれが実現するのを目の当たりにすることになるだろう。TPPに参加したら、逆戻りはできないようになっていることも知らないのだろう。

生きた英語を学ぶこと 

榊原英資氏の「日本をもういちどやり直しませんか」という本を読み始めた。それまで読んでいた、金子勝氏のグローバリズムに関する本と違い、大変読みやすい。榊原氏は、もと財務省官僚だけあって、官僚を高く評価する傾向があり、その点がいつも引っかかっていた(いる)のだが、広やかな視点で現在の日本の財政経済状況を分かりやすく解説している。内容の紹介はまた読了してから・・・。

とても印象に残ったことがある。日本が、これまでの米国に追随する外交政策で行きづまり、アジア諸国、特に中国とインドだが、の勃興(歴史的に見ると、19世紀以前の状況に回帰したといえるとのこと)と、米国の経済的な低落の狭間で困惑し、内向きの思考に陥っているということだ。それとともに、英語での意思疎通能力が落ちているということも書かれていた。英語の力に関して言えば、国民の内向きの精神状況と合わせて、外国語習得の問題があるという。

日本の外国語習得は、専ら翻訳文化によって支えられ、翻訳文化そのものが大きな位置を占めているという。明治以降に用いられるようになった頻用される言葉、例えば、社会・経済・正義・市民といった語句、が、翻訳によって作られた抽象的な言葉であると言う。本来、こうした言葉は、具体的な言葉が歴史を経て、生まれれてくるはずのものだが、その過程が欠けているといのだ。英語を生きた形で学ぶことに欠けている、と榊原氏は指摘する。

英語が、外国との意思疎通の道具になっているのは紛れもない事実だが、日本の教育では、生きた英語教育がおざなりにされ、さらに内向きの志向により、海外に留学する若い人々が減っているということだ。私は、医学論文の検索をネットを使って行うことがあるが、英語による論文の抄録に載る中国人と思しき名前の研究者が急増している印象がある。それに反して、日本の研究者の名前を見出すことが少なくなっている。榊原氏によると、日本人のTOEFLによる英語能力は、アジアの中でカンボジアについで下から二番目だそうだ。中国や、韓国では、英語圏を中心とした外国に若い人々が留学することが一般的で、そうした留学組が、社会の主導的な役割を果たすようになってきている、というのだ。

さて、自分を振り返ると、英語を学ぶことは好きなのだが、生きた形でどれだけ学んできたかを考えると忸怩たるものがある。別に、英会話でペラペラになりたいとは思わないし、英会話であっても話す中身が大切だといつも考えている。だが、外国語を学ぶ上で、翻訳という日本語への置き換えに重点を置いていなかったか、改めて反省させられた。外国語の単語は、日本語の翻訳語に一対一対応していない。また、文法内容を箇条書きにし、さらに例外までも暗記しても、文法概念を包括的に理解することにならない。外国語で思考することは、もうとっくに無理な年齢になっているので、英語それ自体を理解すること、英語の生き生きとした姿に接することが大切なのだろう。

ここからは手前味噌になるが、CWでの交信は、テキストベースによる、リアルタイムの会話であり、生きた英語に接する良い機会になる。単語の用法、表現の仕方に分からないこと、印象に残るものがあれば、ログに記録し、できるだけ調べることにしている。会話のなかで、関心を持ったことについての事項だと、海馬が活性化されるのだろうか、記憶に多少残りやすい。早速、無線机の上にLONGMANの辞書、仕事場には、OXFORD PEDを備え付けた。交信中に英英辞書を引くのは少し手ごわいが、交信終了後の反省には使えるだろう。

また、英語でのブログも、仕様もない内容を書き連ねているが、できる範囲で続けるつもりだ。ほとんど校正せずにぶっつけで書いているので、幼稚な内容になっているかもしれないが、自己研修の積りだ。時に、交信中に思わぬ方から読んでいるとコメントされることがあり、それはそれで嬉しいことだ。そうした出会いが増えるように、研鑽を続けてゆきたいものだ。

でも、ザルのようになった記憶力との戦いというのが実相なのかもしれない・・・。

若い人々には、生きた英語の能力をつけて、世界に雄飛しようと訴えたい(自分のできなかったことを勧める、初老期老人の繰り言と取られてしまうかもしれないが)。

立ち上がれ、ラグチュワー達よ 笑。 

昨夜、遅くなって7メガでしばらく過ごした。北米とヨーロッパが同時に開ける、秋から冬にかけての典型的なCONDXだ。

Dan OK1DIGに呼ばれた。ビームを北米に向けていても、サイドから強力に入感。CWopsのメンバーらしい。最後に、CWTで・・・そして、今週末のOK DXコンテストで会おうとのこと。正直、うんざりした。毎週末にコンテストに次ぐコンテスト。酷い時には、二つ三つのコンテストが同時に行われている。「普通の」交信ができない。Dan、君に悪気はないが、正直げっそりしたのだ・・・。

コンテストは、アマチュア無線の楽しみの一つ、他の楽しみと同列に(平等に)扱われるべきだ、という主張が、コンテスターから成されることが多い。でも、これは欺瞞だ。コンテストの場合、バンドが使えないのである。コンテスト時にも、通常の交信が可能であれば、楽しみ方の各々が平等であると言えるが、一番ゆっくりできる週末にバンドがコンテストで使い物にならなくなるとすると、コンテストが普通の交信の楽しみを侵食していると考えざるを得なくなる。

WARCバンドに逃げたら、という声も聞こえてきそうだが、私が出られるWARCバンドは10メガだけ。それもSWRの高い3.5のスローパーを用いて、無理やり出ることになる。過日、10メガを聴いていたら、そこで展開する交信は、コンテスト真っ青なリポート交換だけの交信だった。

コンテストは、PCゲームと親和性があるような気がする。確か、実際の受信状態に模して、ノイズや混信のある状態でコールを受信するソフトがあったはず。あれを充実させて、コンテストソフトができるような気がする。キーボードに向かうのは同じなのだから、コンテスターの方々は、大きなアンプとビームを振り回してバンドを占拠せず、PCゲームで技量を競ったらいかがなものだろうか。

でも、当面は変わらんのだろうな・・・コンテスト。・・・でも、あれだけ大規模の設備がなければ優勝争いに加われぬ海外コンテストは、参加者が少しずつ減って行くことだろう。近い将来、コンテストのリストラも起きることだろう。普通の交信を楽しむ方々は、バンドの端っこで普通の交信をしよう。先週末も、28メガのローエンドでCQを出していたら、Paul VP9KFに呼ばれ、バンド中Sweep Stakesでぐちゃぐちゃになっている中、しばし「普通の交信」を楽しんだ。

さ、立ち上がれ、Ragchewer達よ!

オリンパスの破綻 

オリンパスは、光学機器分野、特に内視鏡領域では、圧倒的な強さを誇り、日本では75%のシェアを持つと言われている。専門技術を持つ優良企業とされてきたが、ここで企業自体が消え去る可能性が高くなってきた。

ご存じのとおり、経営陣が、投資の失敗で作った負債を「飛ばし」によって隠してきた、粉飾決算のためだ。外国人社長がこの事実に気付き、それを調査し公表しようとして、粉飾決算を行い続けてきた社内の財務関係の幹部に追いやられ、それが発端でことが明らかになった。

投資は、1980年代に行われたもので、千数百億円の負債を残したらしい。こうした投資の失敗をした責任を取らなかった当時の幹部、その後綿々と負債を隠す財務操作をしてきた幹部の責任は重たい。刑事責任を追及されることになるのだろう。

この1980年代という時代、高度成長の果実を享受したとも言えるが、やはりバブルに皆が翻弄されていた時代でもあるのだろう。私は、初期研修を終え、大学のスタッフの若手として仕事をしていた時期だ。私の周囲でも、後輩や、製薬会社の営業マンが、株の話や、どれだけ資産を得たかといった話を得意げにしていたのを覚えている。企業としても、土地や株に投資するのが、当時の雰囲気としては当然のことだったのだろう。私は投資には興味がなく、というか投資すべきお金がなかったというのが正解かもしれないが、株式市況の熱狂ぶりを、そんなものかと眺めていた。

バブルの繰り返し・・・土地、IT等々によるバブル・・・が世界経済を混乱に落とし、格差を助長してきたのは明白なことだ。富む者はますます富み、大多数の持てぬ者は、さらなる貧困に陥る。バブルがなぜ起きるのか、私は素人なので良くわからないところもあるが、世界的にみて莫大な余剰資金があること、さらにグローバリズムによって金融財政の国家の垣根が取り払われ、短期投機資金が瞬時のうちに世界を駆け巡るようになったことが大きな誘因なのではないだろうか。そして、その根本には、経済活動の社会的な意義や、公正さの確保といったことは棚上げにされ、金融工学の手法等を用いて利益を最大化する投資活動にのみ価値を見出す思想がある。

米国では、住宅土地バブルの崩壊に伴い、経済不況と、最も深刻な信用不安による金融収縮が進行している。新自由主義経済体制は、立ち行かなくなっている。繰り返すバブルを止め、安定した経済成長を世界的に可能にする、新たな思想による枠組みが必要なのではないだろうか。

オリンパスは、内視鏡分野でかなり強引な殿様商売をしていたと聞く。医師の間では、同社をかばったり、生き残ることを望む声は出てこない。オリンパスの社員は、そうした仕事をせざるをえなかったのかもしれない。オリンパス幹部には責任を取ってもらい、膨大な金の流れを明らかにしてもらわねばならないが、オリンパスの犯した過ちのよって来るところにも、我々は思いを向ける必要があるのではないだろうか。

噴飯ものの外来定額負担制度 

今夕のニュースで、外来定額負担額を、反対が強いから、二段階に分けると厚労省が提案していると報じていた。

外来受診するたびに、一定額の自己負担を患者に課そうという制度だ。その集めたお金は、高額医療に回すという話だ。これまでは、一律一回100円ということだった。

新たな提案では、年収210万円以下の患者さんは、一回50円にするということだ。

夕食の準備をしながら、噴き出してしまった。

何としても導入したいと、厚労省のお役人がもみ手をしながら、何とかこれで納得していただけませんか、と猫なで声を出している図が目の前に浮かんだのである。

年収を区別して、外来で二段階の徴収にあたるのは、医療機関の窓口である。そこでの事務的な煩雑さを考えているのだろうか。お役人は、どうも医療機関は、自分の配下、部下、否奴隷と思い込んでいる。新型インフルエンザ騒ぎの時に厚労省が直接ワクチン配布を指揮して、我々は悲惨な目にあった。診療報酬自体も複雑を極め、間違いを起したら、すべて医療機関の責任になり、正当に医療機関が受けるべき診療報酬を取り上げられる。

もうこれ以上、複雑な制度にするのは止めてもらいたい。

患者になりうる皆さん、この金額は少ないし大した負担ではないと思うと、トンだ罠に引っかかる。どんな罠なのかというと・・・

この負担金は、本来保険料で賄われるべきもので、保険制度を破壊する第一歩になるのだ。TPPとの関連で取り上げられている、混合診療そのものなのだ。今後、この金額は、際限なく高額になる可能性が極めて高い。

高額医療に回すというのは、詭弁だろう。集められたお金を、名目上そちらに回すとしても、それで浮いた予算を他の項目を減らすことに使う可能性は十分ある。もしかしたら、官僚の天下り先の「支払い基金」の人件費に回されるかもしれない・・・。

この定額負担で生まれた会計がどのように処理されるのか分からないが、総務省が集めている電波利用料のように、省単位で取り扱うとすると、厚労省の新たな利権に結びつく。この可能性は、十分考えられる。

外来窓口で、患者さんの年収を確認して、50円か、100円いずれを徴収するのか判断し、それをお一人お一人に説明し・・・止めてくれ~~~

TPPの一つの目的は、混合診療解禁 

TPPを推進する米国の目的は、日本市場への農業産品の輸出と、わが国の医療福祉分野への進出の二つのようだ。農業産品の輸出を期するのは当然のことだろうし、これから団塊世代が特に必要とする医療分野への進出も予測されていた。後者について、外務省が民主党に文書で明らかにした。

TPPが批准され、混合診療体制になる可能性が高くなった。

小泉構造改革で、格差と貧困が進み、セーフティネットはずたずたにされた。公的保険による医療も、立ち行かなくなりつつある。そこに、米国の保険資本が目をつけ、さらに広範に進出をし、大きな蓄えを持つ団塊世代とそれよりも年上の世代の財産を持ち去ろうとしている。Sickoの世界が、日本にも出現する。金の切れ目が、命の切れ目というドライな資本主義医療制度だ。国民の半数が、TPP参加に賛成しているらしいが、このことを良くわかっているのだろうか。

医療提供側にとっても、先の香川大学医学部に対するAIUの民事訴訟のようなことが頻発するであろうし、また通常診療にあっても、自費部分の医療費支払いでこうしたタフな保険会社との交渉にエネルギーを費やさなければならなくなる。また、医療機関が大規模資本によって買収され、フランチャイズ化もされるだろう。診療所のような小規模医療機関は、経済的に追いやられる可能性が高い。一部の高度医療を提供する医療機関・医師にとっては混合診療は朗報なのかもしれない。でも、大多数の医師にとっては、さらなる悪条件化での労働を強要されることになるのではないか。

外務省は、既にTPPに中身を把握しているのだろうに、政府は、TPP交渉を有利に進めるためにも早く交渉参加しなければならないとか、不利であることが分かれば途中で離脱すればよい(これは米国が明確にくぎを刺している)とか、国民を騙す言説を吐いている。どうしてここまで急いで決めようとしているのだろうか。

追記;

引用のニュースの下線部は、事実と相容れない。米国は、公的保険制度が、保険資本の進出の障壁となると主張することは確実であり、公的保険を混合診療によって縮小させ、国の負担を減らすことは財務省の望むところでもある。TPPを批准する場合、例外規定は認められない。また、交渉過程で抜けることもあってはならないと米国が言明していることはすでに記した通り。「4000万人の無保険者がおり、満足な医療が受けられず、また私的保険に入っていたとしても重篤な疾患にかかると、破産する」ような医療保険制度を、わが国は目指すことになるのだ。

10日には、交渉に入ることを首相が述べる積りらしい。この拙速さはどうしてなのだろうか。何としても、TPPに参加したいという勢力があるのだろう。



以下、引用~~~

混合診療、解禁議論も TPPで政府見解 国民皆保険制度は堅持
11/11/08
記事:共同通信社
提供:共同通信社


 政府は7日、環太平洋連携協定(TPP)の交渉参加問題に絡み、保険適用の診療と適用外の自由診療を併用する「混合診療」の全面解禁について「(今後)議論される可能性は排除されない」との見解を明らかにした。民主党のプロジェクトチームに対し、外務省が文書を提示した。

 政府がこれまで、同チームに示した文書で、混合診療をめぐってこうした見解を明記したのは初めて。日本医師会は、混合診療が全面解禁されれば公的医療保険制度が崩れるとして反対している。最高裁は10月に「混合診療は原則禁止」との判断を示しており、今回の見解はTPP交渉参加問題の論議に波紋を広げそうだ。

 文書では同時に、TPP交渉参加9カ国による協議で公的医療保険制度の在り方そのものについては「議論の対象にはなっていない」として、実際に議論される可能性は低いと強調。さらに、公的医療保険制度や混合診療の全面解禁について「仮に議論されることになった場合でも、政府としては国民皆保険制度を維持し、必要な医療を確保していく姿勢に変わりはない」とし、交渉参加慎重派に配慮した。

 また、公共事業などの発注をめぐり、海外企業と契約する可能性が小さい小規模自治体でも英文資料の作成など事務負担が重くなるとの懸念に対し、「英語での入札公告の概要の作成を求められる可能性はある」との見解も文書で示した。

 また経済産業省は、TPP交渉に参加した場合、日本が早期に主張すべき7項目について文書を提示。中国のレアアース(希土類)輸出規制を念頭に、資源やエネルギーの輸出制限を抑止するための手続きの規定や、模倣品対策の強化などを挙げた。

※混合診療

 公的医療保険が適用される保険診療と、保険がきかない自費診療を併用することで、原則禁止されている。保険適用外の治療を併用すると通常は保険の対象となる入院料なども含め全額自己負担となる。保険外の治療法も使いたいがん患者らから解禁を強く求める声が出ている一方、日本医師会などは金持ち優遇になるなどとして反対。10月に最高裁は原則禁止は適法との初判断を示した。国は例外的に混合診療を認める「保険外併用療養費」制度を設けており、先進医療や差額ベッド代などでは、保険診療との併用が認められている。

新自由主義経済が医療に入り込むと・・・ 

AIGという巨大な保険資本がある。リーマンショック以前は、優良企業とされていた米国の大企業だ。かって、この保険会社は、決算報告に載せる必要のない影の銀行と呼ばれる関連会社を用いるなどの手法を用いて、derivativeの技術で莫大な投資を行い、利潤を得ていた。その投資額は、天文学的な額に上った。が、リーマンショックによって、金融バブルが崩壊し、信用収縮が始まり、この保険会社は、実質経営破たんした。ところが、米政府・FRBは、too big to failとして、AIGを初めとする大企業を救済した。AIGの株の8割弱を国が保有し、巨大な額の公的資金を投入し続けている。資本主義社会では、経営破たんした企業は、市場から退場をしてもらうことが原則ではなかったか。

AIGは、公的資金の注入を受けながら、一方では、400名の役員に160億円のボーナスを支給したとして、米国内でも批判を受けている。AIGの経営は、新自由主義経済に則ったもので、利益を上げることを至上命題にしていた。グローバルスタンダードとして、米国が他国に強要した経営規則を、米国はAIG等には実質免除していた。いわば、ダブルスタンダードである。日本や、他の国々の金融行政を、crony capitalismとして、批判した米国が、ウォールナット街の金融機関と実は現在同じ金融行政を行っているのだ。新自由主義経済が敗北したことを示す出来事だ。

AIGの傘下の保険資本がAIUである。AIUの日本支社が、理解しがたい「医療」訴訟を起こした。ある交通事故を起こした方がAIUの損害保険に加入していた。車に同乗していた方が、不幸なことに、おそらく頸椎損傷を起こしたのだろうか、四肢麻痺の後遺症を残した。この四肢麻痺を患った方が、運転者に民事訴訟を起こし、巨額の損害賠償を得た。それを支払うことになったAIUが、頸部固定が遅れたとして救急医療を行った香川大学医学部に対して、保険金の半額に相当する額の支払いを求めて訴訟を起こした、ということのようだ。

医療過程に問題があったのかどうかは、分からないが、頸部固定が行われなかったことを問題にするなら、救急隊員の対応に問題があったのではなかったか。入院当初は、四肢麻痺の症状はなかったようなので、四肢麻痺という「結果」を救急医療の責任にするのは如何なものだろうか。専門外なので、これ以上は言及しがたいが、このように表面的な結果責任を問われるなら、救急医療を行うことが難しくなるのではないだろうか。

それ以上に、損害保険会社が、医療機関を訴えるという構図に驚きを禁じ得ない。損害保険会社は、運転者との間で契約を結び、運転者が事故を起こした時に、それに対して保険金を支払うという関係だけなのではないか。保険をヘッジする保険にAIUが入っており、こうした保険金支払いをカバーするのではないだろうか。利益の確保を至上命題とし、こうした訴訟が医療制度へ及ぼす影響等は微塵も考慮しないやり方には
強い不快感を感じる。

TPPが批准されると、こうした資本がどっと日本に押し寄せる。医療機関は、医療保険巨大資本の傘下に入り、自由の利かない医療を強制されるか、または彼らと医療費の支払いで消耗するやり取りを強要されるようになるのだろう。そして、結局は、国民に痛みは回されることになる。

以下、引用~~~

香川・損保が病院を提訴 「医療ミス、保険金負担を」
11/11/07
記事:毎日新聞社
提供:毎日新聞社


提訴:損保が病院を 「医療ミス、保険金負担を」--香川



 香川大医学部付属病院(香川県三木町)に救急搬送された女性患者を巡り、損害保険大手のAIU保険日本支社(東京都千代田区)が「適切な措置を取らなかったため、重度の四肢まひの後遺症が残り、多額の保険金を支払わされた」などとして同大を相手取り、1億7438万円の支払いを求める訴訟を高松地裁に起こした。医療ミスを主張して損保が病院に保険金の負担を求める訴訟は珍しいという。

 訴状によると、女性は03年9月、同県坂出市の高速道路で、知人の運転する車に乗っていて事故に遭い、同病院に運ばれた。入院した日の夜、搬送時にはなかった重度の四肢まひが確認された。病院が首を固定したのは、翌日の午前8時だった。女性は運転していた知人女性に損害賠償を求める訴訟を起こし、10年1月に高松高裁で2億2575万円の損害賠償を認める判決が確定。事故を起こした車にAIU保険の保険が掛けられていたため、同保険は、治療費など計3億4876万円を支払った。

 同保険は「病院が速やかに首を固定しなかったため、脊髄(せきずい)損傷が広がった」として過失を指摘したうえで、病院に5割の負担を求めている。

 香川大医学部総務課は「係争中のことで具体的なことは答えられない」とし、AIU保険日本支社は「法廷のみで事実を明らかにしたいのでコメントできない」と話している。

 医療過誤訴訟に詳しい久留米大法科大学院、朝見行弘教授は「損保はこれまで煩雑な訴訟を避けるケースが多かったが、保険金が膨大で病院側に過失があると判断すれば、今後も訴訟を起こすことが考えられる」と話している。【広沢まゆみ、鈴木理之】

『モールス通信』 

上記のタイトルの本、初版から10版までになったようだ。最新刊の版を一冊、CQ出版が送ってきてくれた。私は、「平文での交信」の章を担当したのだけれど、初版以降全く内容を変えていない。でも、FOCの紹介文等は、内容が古くなっている。この次に改訂しなければ・・・。

ざっと中身を、とばしとばし読んでみた。かってのニフティサーブ時代のFHAMというフォーラムで激論(?)を交わしたJA3MKP氏の文章が懐かしい。ほかのOTの方々の文章にも目を通してみた。CWを効率よく自分のものにするための決まった方法は、少なくともこの著作のなかではない。個人的な熱意は良く伝わってくるのだが、普遍的な方法論には欠ける。具体的ないし抽象的な方法論がいくつも提示されているが、大体は個人の経験を述べているに過ぎない。そうした個人的方法論は二つに分かれる。暗記受信を進めるか、筆記受信を進めるかの違いだ。私はもちろん前者で、この本のなかでは少数派だ。

拾い読みしての感想・・・1960年代以前には、CWが主要な通信手段だったので、軍隊等でその学習効率を上げるための研究がなされていたはずだ(論文自体には当たっていないが、そうした研究があったことは文献的に知っている)。個人の経験だけではなく、そうした集団を対象にした学術的な研究をもとに、学習方法を提案すべきなのだろう。この著作には、それが欠けている。もう一点、プロの通信士の方は、一字一句正確に「筆記」することを重視する。アマチュア無線での交信では、通信内容を理解することが最終目的となる。両者の立場で重なるところもあるが、方向性が根本的に違ってくる。

この書物がこれだけ版を重ねているのは、需要があるということだろうが、現状の内容では、歴史的な意味しかなくなっているのではないだろうか。

1998年に発刊されてもう13年か・・・。

An old trick 

中医協発のデータとして、「開業医」の年収が2755万円で、「国立病院勤務医」の2.3賠にあたるというニュースが飛び交っている。

来春の診療報酬改定を前にしての恒例の行事だ。英文ブログでは、ちょっと触れたのだが、こちらでは無視しておこうかと思っていた。が、やはり、官僚の情報操作について一言書いておこう。

この報道におけるデータの取り扱いの酷さは、Yosyan氏のブログの昨日・今日のポストで詳述されている。こちら。医療関係者以外の方にも是非目を通していただきたい内容である。

要するに、この報道にある「開業医」とは、医療法人診療所の院長のことだ。医療法人は、大体において大規模であり、そのために開業当初にかなりの初期投資をしている(それを収入から返済している)。また、医療法人の院長は、大概かなり年齢の高い、経験豊かな医師のことが多い。開業医には、退職金はない。また個人事業主であるため、病気で倒れたりしたら、それっきりである。

これを、若手が多く、勤務医という被雇用者である「国立病院勤務医」とを比較することがナンセンスである。おまけに、この「国立病院勤務医」のデータには、ボーナスを除いてあるという。

この全く異質な二群を比較したこと、さらに経済的に恵まれているはずの「医療法人診療所院長」を開業医全般であるかのように扱ったことは、「開業医」が不当に儲けているという印象を植え付けるための意図的な情報操作である。

診療報酬は、医師の収入にだけなるわけではない。それを直結して議論するのは馬鹿げている。企業経営者の収入の多寡によって、法人税を決める議論のようなものだ。

収入自体を議論するのであれば、是非生涯年収で議論してもらいたいものだ。官僚や政治家、それにマスコミ人の生涯年収には、医師のそれは遠く及ばない可能性が高い。

データの選択にも恣意が入っているが、データの基礎となる調査の対象選択が、無作為に行われたのかも大いに疑問だ。このデータの元になった調査は、通常の小規模診療所では答えられぬほど詳細なデータを要求するものだ。小生の診療所でも調査票が来たことがあったが、とても手間がかかり答えられぬ内容だったので、無視したことがある。収入の少なくなった近年は、一向に調査票が送られてこない。要するに、この調査の対象の選択が、本当に無作為に行われているのか大いに疑わしい。

こうして、データの「対象選択」、そして得られた「データ」の「分析」ともに、官僚の都合の良いように捻じ曲げられている。

この報道は、マスコミと官僚の合作だろう。マスコミが、元のデータをこのように読んで報道しているとしたら、マスコミの知性が問われる。むしろ、各マスコミが横並びで報道していることからすると、官僚の意図を組んで報道している可能性が高い。

こうしたデータの捻じ曲げによって、世論を誘導するのが、彼らの常套手段のtrickである。でも、このtrickがいつまで使えると思っているのだろうか。

最近、財務省の「公式twitter」なるものがあることを知った。こんな文章を財務省官僚が流しているらしい。

〈公債残高は年々増加し、税収約16年分に相当!〉(十月五日)

〈日本の債務残高は主要先進国中、断トツの高水準!〉(十月六日)
(週刊文春 2011年11月10日号より引用)

ネットを使って、日本の財務状況が悪いことを述べている・・・内容は正しい・・・おそらく、増税路線を国民に呑ませるためのtrickを仕掛けたと、財務省官僚は考えているのだろう・・・だが、財務省官僚よ、貴方がたに、こうなった責任はないのか。時の政権とタッグを組んで、国家財政を浪費し続けてきたことはないのか、と問われるべきなのだ。まるで他人事のように、財務状況の悪化を呟いている暇はないはずだ。twitterを利用して、新たなtrickを仕掛けたと思い込んでいる官僚は、相当に痛い。

官僚は、ネットを使って、世論誘導を行っているつもりなのだが、このまるで他人事のような呟きに、官僚のモラルハザードが見え隠れする。

マスコミを用いた世論誘導は、いい加減なデータを恣意的に扱って、官僚にとって都合の良い方向に向けようというもので、それからすると、このtwitterは少しは「進歩」をしたのかもしれないが、でも基本的に無責任極まる物言い、自らのモラルを捨て去った発言という点では、根が同じだ。

私ももうすぐリタイアするので、こうした官僚のtrickにカリカリすることもなくなるが、世論を恣意的に誘導するやり方が、結局は国民に跳ね返ることを我々は良く知っておく必要がある。

KO6U ご夫妻に長男誕生 

かって、頻繁に交信させて頂いていた、Nathan KO6Uご夫妻に、長男が誕生した。過日、Chuck W5UXHから知らせて頂いた。ChuckへのNathanからの便りによると、児骨盤不適合だったらしく、カイザーになった様子。出血も多く、輸血を必要としたらしい。Nathanからの直接の知らせでは、今は母子ともに元気になっているとのこと。

今は、奥様とお子さんの世話で忙しくしているが、また無線にもカムバックしたいとのこと。若きCW界のプリンスの復帰を期待したい。

Jonah Ren Edson;

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「ローマの休日」 

昨夜、映画「ローマの休日」について4人の論者が話し合う番組をNHKが放映していた。

この映画、有名なもので、私も、2,3回観たことがある。とある国の王女が、市中へお忍びででかけ、そこでアメリカ人記者と恋に落ちる。が、自らの責任に目覚め(だったよな・・・)、王女は記者と別れ、大使館に戻るというストーリーだったような気がする。

デジタルリマスター版が復刻され公開されるらしい。こちら。それに合わせての番組だったのかもしれない。

この番組で明かされたことで一番印象に残ったのは、この映画の脚本家は、これまで公表されてきた人物ではなく、ダルトン トランボという脚本家だったということ。1950年代初頭、マッカーシズムによるレッドパージが盛んで、共産党入党歴のあった、脚本家として絶頂の時期にあったトランボは、失脚し、投獄されてしまう。そうした時期に、影のライターとして、この映画の脚本を書いた、ということらしい。

この映画で、いつも最も感銘を受けた(受ける)のは、オードリーの美しさは置いておいて・・・、王女が大使館に戻って、記者達を相手に行う記者会見のシーン。国際情勢での平和を望むというメッセージの比喩として、友人との信頼関係(王女は、記者との恋愛を想定している)が永続することを信じると王女は述べる。それに対して、グレゴリーペック扮する記者が、信頼関係は続くだろうと答える場面だ。ゴシップの特ダネを棒に振って、王女との出来事を自分の記憶の中だけに仕舞っておく、記者の誠実さに打たれるのだ。いささか単純かもしれないが、何度見ても、感動させられる。

トランボの御嬢さんが、この同じ場面を観て、涙を流していた。おそらく、トランボ家はレッドパージで悲惨な目にあったことだろう。密告や、裏切りも映画界に渦巻いたらしい。その中で、人を信頼することを、このように謳った父トランボの脚本に、御嬢さんは、感情を抑えられぬ思いになったのではないだろうか。

この米国映画に、古き良き時代の、人間を肯定する思想を観ることができる。

Jim K9JWV 

Jim K9JWVは、もっぱら25ワットにバーチカルで運用しており、以前から7メガで何度も呼んで頂いていたのだが、満足な交信がなかなかできなかった。でも、GAPバーチカルというアンテナから、ラジアルを40本張ったアンテナに、彼が変更してから7メガでもまずまずの強度で入感するようになった。ところが、二日前に入感したときは、以前にもまして弱くなっていた。CONDXの違いのためかと、少しいぶかしく思いながらも、仕方のないことだと諦めていた。

今朝、仕事に出かける前に、21メガのDX window近くで、彼が手短にCQを繰り返し出しているのを見つけた。Sを振るかどうか程度の信号強度だが、読める。呼ぶと、こちらの信号は、599とのことだ。彼が常に用いているTentecのリグの、メモリーボードが壊れてしまい、周波数とモードの記憶ができなくなってしまったので、同社に修理を依頼している。現在は、ATS4というリグで、出力5W、アンテナは、終端給電の半波長ワイアーアンテナとのことだった。5Wのエネルギーを、7.5mのワイアーに乗せることで、太平洋を越えて、電波が飛んでくるのを耳にするのは、ちょっとした感動だ。二日前の7メガも、同じ5Wでの運用だったのだろう。

私の『メモリーボード』を交換してもらいたいといった私のダジャレには、あまり反応せず、彼の送信は、スペースをしっかり取り、誤りのない、そして送るべき情報を的確に簡明に送出するものだった。彼の信号が、こちらにどのように届いているのかきちんと理解して、私に読解する苦労をさせまいとするように思えた。25Wの『QRO』時には、いろいろな言葉の遊びや、ジョークも連発する方なのだ。QRPの運用の本髄を知る彼に、もう一度感動した。

磐梯山麓を訪れた 

先週末、仕事を終えて慌ただしく福島に家内と向かった。東北自動車道に矢板で乗り北上、郡山で磐越道に乗り換え、西へ。安達太良の山々は、雲で見えなかった。幾つかトンネルを抜けると、猪苗代湖が見えてくる。猪苗代磐梯インターで降りた。陽の落ちる直前、猪苗代湖湖畔で車を停めた。旅行客は、まばら。車もあまり通っていない。シーズンオフのためなのか・・・木々が色づき始めている時期なのだが。

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湖水は、凪いでいた。日本で4番目の大きさの湖だそうだ。地平線近くの空が夕焼けで青から赤に変化し、それを湖面が反映している。

磐梯山の山麓に宿があった。ペンション集合体の一帯だ。部屋が三つしかないが、一つの部屋が結構大きい。磐梯山の頂と、そこから徐々になだらかになる裾野が、窓から見える。磐梯山は、東北のこの地域の山にしては、急峻だと思っていたが、明治時代中ごろに噴火が起き、今の裏磐梯を呼ばれる山の半分が吹き飛んだことを知った。その噴火で川がせき止められ、五色沼等ができたらしい。

ペンションの経営者ご夫婦にもてなされ、ゆっくりと過ごすことができた。この辺りは、震災も原発事故もほとんど影響がなかったのだが、3月以来客足が2,3割減っていること、他のペンションの多くが、震災からの避難者を迎え入れていることを教えてくださった。

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翌日は曇り。朝食を終え、早々にチェックアウト。猪苗代湖湖畔を散策、ドライブした。湖のこの時期に来る方は皆無のよう。湖の反対側に磐梯山を見る。

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湖畔の一部が、きれいに整備されていた。

湖畔のレストランで息子と落ち会い、昼食。午後、陽の落ちる前に自宅に向かった。

東北の山々を紹介する番組を、田部井淳子さんという登山家をゲストにした番組だったが、土曜日の夜にNHKが流していた。彼女は、福島の出身らしく、磐梯山を初めとする福島の峰々にことのほか愛着を抱いている様子だった。今度は、トレッキングか、低い山の登山をしに、ここにまたやってこようと思いつつ、福島を後にした。