メモ 

診療所と、院外調剤薬局の技術料総額の比較。

診断を下し治療方針を立てる医師・医療機関の技術料総額が、薬を分けて与え、それについての説明を与える薬局の技術料総額とほぼ同じ、下手をすると近いうちに逆転する可能性がある。こうした医療行為の責任は、医療機関に負わせられる。データはm3から引用。



平成21年

医療費 26.8兆円

内、診療所関連 30%



調剤医療費  6.0兆円

上記の割合を援用すると  6.0兆円x0.3=1.8兆円;診療所調剤医療費(診療所の薬剤医療費)  



診療所医療費 8.1兆円ー1.8兆円=6.3兆円;診療所技術料

薬局調剤医療費  5.7兆円;薬局技術料 



過去10年間、薬局調剤医療費は、数十%の伸びを示している。

旧内務省のエートス 

下記の井上弁護士の考えは、至極もっともなことだ。これが理解できない、ないし理解しても実際の行政施策に反映させない行政には、新型インフルエンザ対策以外の何らかの意図があるとしか思えない。その意図とは、医療を支配し、そこに権益を求めようとする行政の強烈な意志である。H5N1流行時に見せた行政の大きな誤まりを、行政は何ら反省していない。

内務省の末裔にあたる、厚生労働省は、内務省当時、特別高等警察という権力暴力組織と近い組織であった。終戦後、内務省はGHQにより解体されるが、省庁改変等に伴う、昔の内務省の姿が少しずつ見えるようになってきている。人も現実の組織系統も戦前とは違うかもしれない。が、そこにあるエートスは、内務省自体のものに似通ったものだ。先日も、同じ内務省の流れをくむ総務省から南相馬市に派遣された若い官僚が、市立病院の医師の活動を阻害する理不尽な言動を行い問題になった。国の官僚が、地方の高級官僚として出向する制度は、強固な中央集権制が象徴だ。中央官庁は、医療についても完全に把握し、統制し、場合によっては、医療従事者を罰則で縛ることを意図している。

井上弁護士の語るように、その意図は、根本的に錯誤であるばかりでなく、官僚の無能力と無知により現場を混乱させるだけだ。


以下、MRICより引用~~~


「新型インフルエンザ対策のための法制のたたき台」に対する意見 ―医師への従事命令や違反への
罰則は不要―

井上法律事務所 弁護士
井上 清成

2012年1月30日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
---------------------------------------------------------------------
1.医師の基本的人権に対する侵害
1月17日、内閣官房新型インフルエンザ等対策室より「新型インフルエンザ対策のための法制のたたき台」が公表された。ところが、その緊急事態の措置の中に、とんでもない事柄が紛れている。
「医療関係者への医療従事の要請・指示及びこれらに伴う措置」と「命令に従わなかった者への罰則」は何を意図するものであるのか。もしも「たたき台」のそれらの規定が「医師への強制的な従事命令」と「命令違反に対する罰則」を定めるものだとしたら、日本国憲法で保障された医師の基本的人権を侵害する定めだと言わざるをえない。

2.医業遂行の自由
憲法はその第22条第1項で、「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。」と定めた。「職業選択の自由」は、文字どおり職業を選択する自由はもちろんのこととして、その選択した職業を遂行する自由も含む。職業遂行の自由は事業活動の自由と言い換えてもよい。医師に即して言えば、医業遂行の自由ということになろう。
医業遂行の自由は、経済的自由権の側面もあるが、この中核は精神的自由権である。精神的自由権の代表例は、思想・良心の自由、信教の自由、表現の自由とされているが、医業遂行の自由もそれらと同等の性質を有すると言えよう。
したがって、十分に医学的根拠があって、十分に政策的合理性があるのでなければ、みだりに制約してはならない

3.医師への従事命令
新型インフルエンザ緊急事態における行政による医師への従事命令は、医学的根拠に乏しく、政策的合理性に欠ける。
行政の素養・能力に関する一例であるが、東日本大震災に関連して発生した福島第一原子力発電所の事故に際し、国が原発5キロ圏に置いたオフサイトセンター(現地対策本部)は住民避難・救助に関して無力であった。地方公共団体である福島県の災害対策本部救援班は、医学的素養に乏しく、そして、法令の杓子定規な遵守に囚われ、結果として寝たきり患者に過酷な長時間・長距離のバス移動を強いてしまう。また、うまく仕切りもできないにもかかわらず、福島県警察と自衛隊の連携を仕切ろうとし、結果として情報を寸断させてしまって、多くの寝たきり患者を抱えて5キロ圏内にいた双葉病院や医師・警察官を取り残してしまった。そのような結果を招いた原因は、政策的合理性に欠けた強大な権限を行政が自ら無理に行使しようとしたからである。にもかかわらず、それら自らの不始末の責任を双葉病院長や警察官のせいだとばかりに世論誘導してしまい、結局は双葉病院長がマスコミからのバッシングに遭ってしまった。そのような国や福島県に比べると、DMATやボランティアを自ら組織して災害対策にあたった医師集団は、素養・能力に格段の違いを示したと言えよう。
震災対策という、そのものは医療と異なる分野においてさえ、こうだった。ましてや、新型インフルエンザ対策となれば、医師にとってはそのもの専門中の専門である。医師と行政では、素養も能力も一層に格段の差が出よう。過去の豚由来新型インフルエンザ騒動の際も、神戸市医師会をはじめとする郡市区医師会や現場の医師達の活躍ばかりが光った。
やはり、行政による医師への従事命令は、医学的根拠に乏しく政策的合理性に欠けるので、不当・違法と言うにとどまらず、憲法にも違反するように思う。

4. 応招義務の刑罰化
もしも医師への従事命令と共に、命令に従わなかった医師への罰則を設けたとするならば、さらに大問題へと発展する。
医師法第19条第1項は「診療に従事する医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」と規定した。応招義務を定めた規定だが、そこには罰則がない。
患者の緊急重大性、医師・医療機関の実情、地域医療環境の現状などの総合考慮に基づく専門技術的な評価が必要とされるので、一律の罰則になじまないからである。
医師への従事命令にも同様の性質があるので、やはり罰則になじまない。しかし、それにとどまらず、さらに一層重大なポイントもある。それは、医師法の応招義務では診察治療の求めをするのが「患者」自身であるのに対し、医師への従事命令ではいわば診察治療の求めをするのが「患者」ならぬ「行政」であるという、重大な差異にほかならない。
「患者」は純粋に疾病・負傷に対する診察治療を求めて来るので、医師は応じるのがその本分と言えよう。しかし、「行政」は純粋に「患者」のことしか考慮していないとは言い切れない。「行政」である以上、諸々の政策的考慮を込めているのが当り前であるし、むしろそれこそが正当な行政であろう。したがって、患者のことだけを純粋に考えるべき医師としては、逆に、行政に盲目的に従ってはならないのである
やはり、医師への従事命令に罰則を設けることは、応招義務の刑罰化をさらに上回る問題をはらんでいると思う。当然、罰則を設けてはならない。

5.規制的権力行政ではない
新型インフルエンザ対策で大切なことは、新型インフルエンザ患者やその他の全国民に対する医療提供の体制を充実させることに尽きる。国・地方公共団体の役割は、医療現場に必要十分な医療資器材や医薬品を医師・医療機関の要望に応じて迅速・柔軟に供給することであり、新型インフルエンザの発生状況をはじめとする十分な情報を無制限・全面的に提供し続けることであり、緊急の正当業務行為たる医師の診療に対する規制を解いて自由に診療活動をできるようにすることであろう。決して、規制的な権力行政であってはならない。国・地方公共団体は医師に対しては、助成的・調整的な行政活動に徹すべきであると思う。

診療報酬改定狂想曲 

中医協で、今春の診療報酬改定の作業が進められているが、大変興味深い(皮肉)議論がいろいろと行なわれている。

施設内を禁煙にしていない医療機関には、診療報酬上、減額する。医療機関で禁煙にしていない施設があるとは信じ難いが、禁煙という社会的なエチケットと、診療報酬を絡めて、罰則規定を診療報酬上与えるのは如何なものか。行政のこのような手法を認めると、行政に、際限なく診療報酬を減額する手段を与えることになる。大体、タバコの大幅値上げをせず、禁煙(すべき)場所で喫煙する不届き者を放置しておいて、医療機関に経済的なペナルティを与えるのは納得行かない。

もう一つ、m3の記事から・・・

「現在は「がん治療連携の拠点となる病院もしくはそれに準じる病院であること、また は財団法人日本医療機能評価機構等が行う医療機能評価を受けていること」という要件があるが、これを削除し、医師の人員基準をはじめ、他の施設基準を満たす病棟であれば、 「緩和ケア病棟入院料」や「緩和ケア診療加算」が算定できる案を示した。緩和ケアの推進が目的だ。」

とのことで、ここでも何回か取り上げた、日本医療機能評価機構のインチキ認定を、緩和ケア医療を行なう診療報酬上の要件にするという、理不尽な規則がようやく取り払われる。めでたいことだ。

日本医療機能評価機構には、産科補償制度という新たな金づるが出来たので、この収入源は必要なくなったということだろう。

そこで、この記事が報じる本音が面白い。この規則撤廃によって、緩和ケアを推進すること目的だ、というのである。これまで、日本医療機能評価機構が、緩和ケアの推進を阻害していた、と述べていることになる。この記事は正鵠を得ている。この記事の記者は、以前から、行政の医療搾取を分かっていたのだろう。でもね・・・なんでもっと早く問題にしないのかね、行政による医療の搾取を。

在宅医療推進策の内実 

厚生労働省は、在宅医療を推進している。この春の診療報酬改定でも、在宅医療を行う医療機関に手厚く診療報酬を配分するようだ。

その在宅医療医療機関の条件とは、下記の三点。

(1)所属する常勤医師が3人以上

(2)過去1年間の緊急の往診実績5件以上

(3)過去1年間の看取り実績2件以上

複数(10以下)の医療機関(診療所ないし、200床以下の病院)が、チームを組んで行っても良いらしい。

私は在宅医療に携わっていないので、これがどれほどの障壁かは分からないが、ネットでの議論をみると、かなり実現困難な条件のようだ。特に、常勤医師が3人以上は、普通の診療所ではまず無理だろうし、もしこの人数の医師がいると、薬剤師を雇う必要が医療法上出てくるらしいので、診療報酬がかなり上がらないと経営が成立しない。

で、もしこの体制の在宅医療が成立した場合を考えてみる。これまでは、診療所の診療では、いわば主治医性であり、診療所の医師(圧倒的に常勤は院長一人であることが多い)が、急変時などにも対応してきた。中には、夜間は病院に丸投げという診療所もあるかもしれないが、少なくとも重症化した場合や、急変時には、主治医として診療所医師が対応するのが通常のことだった。

この在宅医療体制が、実現すると、いわば時間帯による担当医制に代わることになる。さらに、急性期医療の敷居を高くすることも行政により企図されているから、この在宅医療体制で終末期まで診ることになる。

患者にとっては、この制度変更がどのような変化をもたらすのか。急変時には、自宅でそれまでよく知らなかった医師が対応することになり、生半可なことでは入院は認められぬことになる。多くなることが予想される高齢者の終末期医療を、家族が担うことになる。

一方、医師にとっては、時間帯別の担当医制になるので、生活の質を上げるように見えるが、三名で担うと、三日に一日は夜間オンコールになる。平均年齢60歳の開業医にとっては、厳しい労働条件のようにも思える。また、在宅医療以外の医療は、さらなる医療費削減の波をもろにかぶることになり、元々患者単価の少ない小児科などは、ますます経営が難しくなることだろう。

医療経済・社会の側面から観ると、在宅医療は、効率の悪い制度のようだ。当初この制度への誘導を図って、高い診療報酬が設定されても、制度が動き出すと、医療費増大が生じ、診療報酬の更なる減額が行われるはずだ。この在宅医療制度が医療費を消費するために、他の部門・制度への医療費は削減されることになる。また、この制度は、ある程度の人口密度がないと成立しがたいのではないだろうか。高齢者が多い僻地では、この制度は成立しがたく、医療費削減が医療機関を蝕み、医療そのものが成立しがたくなるだろう。

厚生労働省は、制度を動かす場合に、様々なシミュレーションを行っていないのだろうか。それに、制度変更を「徐々に」進めることはしないのか。彼等の思いつきに近い行政施策で、医療現場は右往左往させられ、それまで何とか機能してきた医療がさらに厳しい状況に追いやられる。

この1,2年間に医療現場がどのような変化に見舞われるのだろう。高齢者の増加と相まって、このような行政の施策が、どのような変化をもたらすのか。私は医療現場真っただ中から足を洗う。申し訳ないが、傍から観察してゆくことにしよう。

党派性 

以前にも記したことだが、何らかの党派、広くはグループを作るとき、必要なものが二つある。

一つは、その党派メンバーであることを自他が確認するものだ。党派形成という作業は、人間の集団に線を引くことだ。その線の外にいるのか、中にいるのかの確認をするものが必須になる。その線の中にいるものが、何らかの利益を得る場合もあるだろうし、名誉と言われる世間的な価値を与えるものであれば、なおさら良い。その線を越えて、外から中に加わることに困難が伴えば、なおさらメンバーになることに価値が高まる。

もう一つは、その党派が、向かうべき方向、党派が存在する理由といっても良い、党派の存在理由が必要となる。それは、メンバーを結び付け、さらに同じ方向に向かせるための動機付けを生む。それによって、党派が統合され続ける。この動機付けは、結構くだらないことでも可だ。メンバーの間に競争意識を植え付けるものであれば、なおさら良い。

外から区別する線を引き、そのうえで中にいる面々を同じ方向に走らせる。そうすることによって、中の面々は、「充実感」を味わい、その党派から抜けようなどと思わなくなる。

私は、そのような党派性が性に合わない。勿論、内面で結びつく(おぉ、なんという抽象的表現)仲間は大切にしてゆきたいものだが、外部の人間と内部の人間を隔てる人為的な境界等御免こうむりたい。そして、なぜかその党派内で同じように動き、競い合い、意味ないことで喧々諤々やるなど真っ平だ。

激烈な寒さの朝を過ぎ、昼過ぎになっても寒さがこころを悴ませるようだが、それでもこの陽光には、早春の息吹が感じられる・・・あぁ、どうもこころがささくれ立っている。

春になったら、あてもなく車でふらっと旅に出たいものである。

Brian ZL3XDJ 

いよいよ、リタイアの準備作業が佳境に入ってきて、次から次にやるべきことが出てくること。でもそうした時に、音楽聴いたり、昔弾いた曲を弾き散らかしたり、無線であてどなくCQを叩きたくなるものだ。昔、学生時代に試験前勉強になかなか手がつかなかったことを思い出す。人生のなかの初めての「撤退」だからという事情もあるのだろうか・・・でも、Jim KF7Eが先日そうした私の心境を思って、リタイアは、終わりではない、始まりだよと言ってくれたことが心に響いた。それを常に自分に言い聞かせながら先に進みたい。

最近、CQに対して空振りの多い無線だが、二日前の夜中7メガで、Brian ZL3XDJ呼ばれ、しばらく話したことが印象に残っている・・・こうしたごく普通の交信が如何に少なくなってきていることだろう。Brianとは初めての交信だったと思う。

ゆっくりなスピードのCW。イレギュラーにわずかなドリフトを生じる。無線機の電源を入れたばかりだからと彼は言うが、電源のレギュレーションや安定の問題ではなさそうだ。IC740という昔懐かしいリグをお使いで、やはり何らかの発信系か、RFの回り込みの問題が起きているような感じだ。アンテナは、7m高のループ。小さな設備だが、海に近い場所が幸いして、強力な電波を送り込んでくる。そんなことから話が弾んだ・・・。

彼は、元来英国で生活をなさっていた様子。元G4XDJである。59歳。6年前にリタイアし、NZに引っ越してきたらしい。海岸に近い小さな家で、車いす生活の奥様の世話をする毎日だとのことだった。奥様は、Multiple sclerosisで一進一退の状態の様子。交信を始めた時刻は、あちらでは朝の3時半で、日が昇るまでの時間が、彼にとって趣味の時間であり、無線を楽しんでいるとのことだった。これから、デンマークの友人との定時交信があると言っていた。

コンテストと、パイルとの喧騒から離れて、ひっそりとこうした交信を楽しむ、私の楽しみはこれに尽きる。これがなくなったら、パドルを封じることにしよう。

週末の夕食 その29 

ぶり大根 レシピはこちら。前に作って、ここにもアップしたことがあったか・・・。

かなりのヒット。美味しくて、先週に引き続き、昨夜遅くまでかかってリピート 笑。このレシピだと、お酒等の調味料を存分に使うので、その旨みなのか、それとも素材が旬であるためなのか、何しろ旨い。お勧めの料理。

003-1_20120124173916.jpg

あぁ、いろいろとやらねばならない事務手続きがあるのだが・・・。

医療現場の軛 

厚生労働省官僚が、医療支配を目論んでいる。

医療経済・・・支配層が腐敗した独裁社会主義体制。医療供給側の発言権は、どんどん減らされている。それに伴い、医師の基本的な技術料等もっとも重視されるべき医療費が削られている。10円、20円上げる下げるというレベルの議論に呆れる。その一方、この10年間飛躍的に増大した医療費分配に与っている、院外薬局事業、さらに診療報酬に問題があるとされる柔整の問題等には、全く切り込まない。また、医療材料・医療機器が高額であり、診療報酬では賄えぬことも有名な事実。これは、政管への利権提供があるからと疑うに十分。最近の驚くべきほど高額の予防接種、公的扶助という税金が投入されてているので、あまり問題にされないが、その価格のかなりの部分が、検定料という名目で、官僚組織、官僚天下り組織に還流している様子。官僚は、やりたい放題である。

医療法制・・・医療事故調の動き、それに産科補償制度を全科に拡大し、医療全般の無過失補償制度を考えているらしい。これは日本医療機能評価機構の更なる利権となる。この制度下では、不要な訴訟は減らぬばかりか、増える可能性が高い。新型インフルエンザ対策での刑事罰の導入等刑事罰を医療に導入することに積極的。医療現場を、非現実的な研修等で縛る方策もどんどん取り入れられている。医療費削減だけが目的の個別指導・監査も、従わねば、保険医(医療機関)抹消という扱いを受ける。それを担当するのは、医療の現場を知らぬ、厚生局の役人達。彼らの多くは、不祥事を起こし廃止された社会保険庁から配属された官僚だという。

医療人事・・・医学生の地域枠出身者を官制医局に入らせ、地域医療で24時間365日の在宅医療を行わせる積りのようだ。これで医療費削減できると思っている?在宅医療を担う、核家族の家族の悲鳴と、うなぎのぼりの医療費が目に見えるようだ。官制医局は、うまく機能するとはとても思えないが、これも官僚の利権になるのだろう。

医療現場は、このように二重、三重の軛の下にある。医療現場の声を吸い上げ、良い意味での圧力団体になるべき日医が、あの体たらくでは、医療現場は、官僚の横暴によって荒らされるばかりだ。この行き着く先は、どのような医療制度なのだろうか。

村重女史の下記の意見は、もっともなことだと思う。だが、このパブコメを受け付ける当局の姿勢は、形式だけなのだ。私も何度か出したことがあるが、官僚のいい加減な扱いに反吐が出る思いをして、出すのを止めてしまった。医療現場の声を真摯に、彼らが聴くようにさせるのは政治の役目だと思うが、その動きはない。


以下、MRICより引用~~~

刑事罰で医療を縛ると国民の犠牲が増える~新型インフルエンザのパブリックコメント~

東京大学医科学研究所
村重 直子

2012年1月23日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
---------------------------------------------------------------------
新型インフルエンザなど、未知の新感染症に関するパブリックコメントを、国が募集しています。締め切りは1月31日です。
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=060011701&Mode=0

下記は、私が提出した意見です。皆様にもご一考いただけますと幸いです。
=====
・国は、パブリックコメントを実施する際、国民が当該案件の全容を理解するに足る十分な情報、すなわち、すべての条文案を公開すべきである。

・国が医療をコントロールする手法は、災害救助法や武力攻撃事態対処法等を参考にしていると思われるが、新型インフルエンザ等新感染症の対策においては、そのような手法は不適当である。

・新型インフルエンザ等新感染症の対策における国の責務は、国民(ヒト)を規制することよりも、むしろ必要な物資(モノ)及び情報を確保し、それを国民へ迅速に供給することにある。

・ワクチン確保を迅速かつ確実なものとするため、国内マーケットのみにおいて開発している脆弱なメーカーのみに頼るのではなく、グローバルマーケットにおいて開発しているメーカーからも入手する体制を整えてリスク分散する必要がある。

・ワクチンを迅速かつ確実に国民へ供給する方策を、新型インフルエンザ等新感染症の発生前から国民に周知しておくべきである。

・「V 2.(3) 医療関係者への医療従事の要請・指示及びこれらに伴う措置、臨時の医療施設の開設及び特例」及び「VI 1. 物資の保管命令に従わなかった者等への罰則。」を削除すべきである。国の責務は、医療関係者の臨機応変な判断を阻害し行動を規制することではなく、国が発表する新型インフルエンザ等新感染症に関する情報に基づき、医療関係者がその専門性を生かした判断及び行動が可能となるよう、十分な情報開示を迅速に行うことである。罰則(刑事罰)を担保にして医療や物資をコントロールする手法や、補償と引き換えに医療従事させる手法をとるべきではない。新型インフルエンザ等新感染症による被害を受けたすべての医療関係者に対し補償すべきである。

SPEEDIは予測に使わぬ、予測システム? 

原子力安全委員会が、SPEEDIの予測結果を公表しなかった理由は、実測値を得られなかったために、予測ができなかったため、というのが同委員会の公式見解である。風向きが、海向きから陸向きになって実測データが得られたから、「予測」データを公表する、と昨年3月23日にプレス発表している。原発事故後11日経ってからの公表である。こちら

実測しなければ「予測」できないとは、自家撞着そのもの。住民が被曝して初めて「予測」するというのは、ブラックユーモアでさえある。少なくとも、放出放射線量をある範囲で想定し、緊急に汚染状況を予測することはできたはず。それも難しいのであれば、定性的な予測ができるのではないだろうか。この予測システムのために100数十億円の公費が投入されてきたのは、「予測」できない「予測システム」を作るためだったのか。

これに加えて、今後、避難判断にSPEEDIの予測データを用いないと、同委員会が見直しするらしい。これで、ますます「予測」する意味が不明になった。同委員会の本音は、予測の公表を遅らせたつじつま合わせ、責任逃れなのではないか。今回の事故に際して、米軍やIAEAには、事故後早々にデータを与えていたことをどのように言い逃れるのだろうか。

原子力安全員会の面々、事故前後で変わっていないようだ。確か、一人1000数百万円の給与の出る、責任ある仕事。東電福島第一原発事故の責任は、彼らには何にもないということなのだろう・・・か。


以下、引用~~~

避難判断にSPEEDI使わず…安全委が改定案
読売新聞 1月18日(水)11時37分配信

 原子力防災指針の改定を検討している内閣府原子力安全委員会の作業部会は18日、原発事故で住民の避難判断をする際、放射性物質拡散予測システム「SPEEDI(スピーディ)」は信頼性が低いため使わず、実測した放射線量などをもとに判断するという見直し案をまとめた。

 「スピーディの予測は不確実性が大きく、緊急時の活用は困難」というのが見解。「予測情報が提供されていれば、より適切な避難経路などを選ぶことができた」とする政府の東京電力福島第一原子力発電所事故調査・検証委員会の中間報告書(昨年12月)の指摘と対立するもので、議論を呼びそうだ。

 現行の原子力防災指針では、「スピーディの情報や事故状況などを基に、50ミリ・シーベルト以上の被曝(ひばく)が予測される場合に、避難指示を出す」となっているが、実際の住民の避難指示には活用されず、批判されていた。 最終更新:1月18日(水)11時37分

看護師教育について 

昨日午後、開院当初数年間一緒に仕事をして下さった看護師さんから電話があり、相談したいことがあるとのことだった。お出でいただき、お話を伺った。一人娘のEさんが大学の看護学部4年生なのだが、卒論で煮詰まってしまっている、というか指導教授が厳しく、かつEさんにはよく理解できぬ指導をされるようで、精神的に参ってしまっているとのこと。これまで授業や実習の単位を落としたことはなかったそうだ。

事情が分からないので、Eさんが帰郷したら一度お目にかかって、どのような問題なのかお話を伺うことにした。国試も間近で、親御さんとしても心配なところだろう。最終的には、本人が教授と話し合って解決すべきことだが、母親のその看護師さんに伺うと、実習も大変苦労した様子。睡眠時間が殆ど取れないような課題を出されるらしい。

看護大学・看護学部が、このところ、多数作られたが、教育のレベルはどうなっているのだろうか。私は、某看護短大、二か所の看護専門学校でこれまで非常勤講師として勤めさせて頂いた。短期間に知識を詰め込まなければならないのが、大変そうだなと感じた。それ以上に、Eさんの件だけでなく、看護学校・看護大学に行っている方の話を伺うと、実習が半端なく厳しいところが多いようだ。

看護師の世界を傍から見ただけだが、どうもそこにあるのは軍隊の規律・上下関係のような気がする。看護という業務の生まれてきた歴史的な背景もあるのかもしれない。看護師教育もそのようなやり方で行われている傾向があるように思える。それは、実習教育という名の、苛めに近い、悪い意味での精神教育だ。恐らく、現在看護師教育に携わっている方のかなりの方も看護師として同じように教育を受けてきたのだろう。一晩で十数枚から数十枚のレポートを毎晩書かせるような課題が、教育効果の上がる方法なのか、教育現場で考えないのだろうか。看護・医療は、一つ間違えると、患者さんの生命にかかわる。だからといって、根性を叩き上げれば良いと言うものではない。科学的な知見に基づき総合的な状況判断の仕方が身につくような実習になるようにすべきではないだろうか。

科学としての看護学というものが未成熟なこともあるのかもしれないが、看護教育に携わる方々の教育観に問題がありそうな気がする。

勿論、先取の看護教育の取り組んでおられるスタッフの方もいらっしゃるのだろうが、全体としてみると、看護教育が時代遅れである印象を抱く。

乳児の頃から、私の患者でもあったEさんには無事卒業し、立派な看護師になってもらいたいものだ。

医療現場に罰則を科す? 

以前にも記したが、例のSARS騒ぎの時に、私の仕事場のある県は、「SARSの疑いがある場合は、まず診療所で診てもらうように」と県民に指示を出していた。

SARSという強毒性・高度感染性の病原体疾患に、医療現場は対応する手段がなかった。私は、それは可笑しなことだと、県主催の講演会で食い下がった。満足の行く説明は、得られなかった。県としては、SARS疑いの患者が、高次医療機関に集中されては困る、とりあえず診療所で対応してもらいたいという発想だったのだろうが、医療現場としては、SARSに対応する方策がないのに、対応せよと言われることが無理だと思った。

SARSの犠牲になった方のかなりの部分が医療従事者であったことが分かっている。闘う手段がなければ、医療従事者もすぐに被害者になるのだ。

新型インフルエンザ対策の法案を策定しているらしい。その中で、行政が医療現場を指揮し、それに従わなければ罰則を科すということも検討されていると、下記の記事が報じている。新型インフルエンザに対応するだけの医療資源を、医療現場に与えてくれれば、対応も出来よう。が、適切な医療資源が与えられずに、行政の命令だけが医療現場に下され、それに応じなければ罰則が科せられるとしたら、医療現場は大いに混乱し、機能不全に陥る。

新型インフルエンザに対しても、検疫で対処する等と主張しているようなので、この法案がどのような内容になるのか心配なところ。

県の官僚に噛み付いたら、その直後、医療監視という保健所の査察が私の小さな仕事場に入った・・・定期的に入る時期を前倒ししての査察であり、官僚というものはこうして現場に圧力を与えるものなのだと理解した。私にとっては、圧力でも何でもなかったが・・・。厚生労働省の源流は、戦前の内務省になるらしい。

こうした権力志向の強い行政とも、もうすぐオサラバだ。


以下、引用~~~

緊急事態宣言で対応 集会の制限や休校も 新型インフル法案の概要
12/01/18
記事:共同通信社
提供:共同通信社

 政府は17日、関係省庁対策会議で新型インフルエンザ対策に関する新法案の概要をまとめた。病原性が高く、社会が混乱する恐れがある場合、国が区域や期間を定めて緊急事態を宣言。集会の制限や学校に休校を要請し、正当な理由なく応じない場合は、指示できるようにする。

 政府は最悪で死者が64万人と推計される新型インフルエンザの流行を国家の危機ととらえ、危機管理の観点から法制化が必要と判断した。概要を基に関係団体と意見交換をして法案をまとめ、24日に召集される通常国会に提出する。

 法案の概要によると、新法は、新型インフルエンザの脅威から国民の生命と健康を保護し、国民生活と経済の安定を確保するために制定するとの趣旨を明示。国や都道府県が行動計画を作成して公表することも盛り込む。

 国が緊急事態を宣言した場合、都道府県知事が不要不急の外出を自粛するよう住民らに要請したり、医療関係者らに従事するよう要請、指示したりするほか、ワクチンや治療薬などの輸送を要請できるようにする。罰則が必要か検討する 

 内閣官房新型インフルエンザ等対策室によると、緊急事態を宣言する区域は都道府県単位で、期間は季節性インフルエンザに移行するまでの1~2年を想定。この間に必要な措置を取れるようにする。2009年に流行した当時の新型インフルエンザ(A09年型)は病原性が低く、新法の緊急事態には該当しないとしている。

※新型インフルエンザの対策

 毎年流行を繰り返す季節性インフルエンザと異なる新型インフルエンザが発生した場合、人々に免疫がなく世界的に大流行する可能性がある。病原性が高いと大きな健康被害や社会の混乱が生じる恐れがあり、政府は2005年、水際対策や患者の隔離など対応の手順をまとめた新型インフルエンザ対策行動計画を策定。08年には関連する感染症法と検疫法を改正した。行動計画は直近では昨年9月に改定されたが、法的な位置付けがなく、実効性を高めるには法制化が必要との声が上がっていた。

官僚による情報操作 

新聞の報道(朝日新聞)によると、SPEEDIのデータは、外務省を通して米軍に、気象庁を通してIAEAに、事故後の早い時期から渡されていたという。一方、官邸には伝えられなかった。

また、事故後早い時期から文科省により、原発周辺の放射能測定が行われたが、浪江町のような高線量地域に避難した人々に、そこが危険であることが文科省から伝えられることはなかったそうだ。NHKの報道では、毎時300μSvという高線量地域の避難所では、インタビューするNHKのスタッフにそのことを聴くまで、避難していた人々は何も知らされなかったという。

何度か、このブログでも取り上げたが、このSPEEDIのデータは、住民の避難に役立てられることはなかった。放射能測定のデータも住民にすぐ役立てられなかった。

データを握る官僚は、根拠の乏しいデータであること、データ公表によるパニックが起きることに配慮したのだと言う。だが、SPEEDIによる放射能汚染の予測は、あくまでシミュレーションであり、根拠が限られているのは当然のことだ(後で、その予測が極めて正確であったことが分かっている)。米軍や、IAEAには、データをリアルタイムで手渡していたことも、予測データとして意味があると、官僚自身が判断していたことを意味する。

原発事故当時、パニックはすでに起きていた。それは、事故の重大性から住民の当然の反応だった。しかし、事実を覆い隠したこと、根拠のない同心円状の避難勧告を行ったことが、むしろ余分なパニックの誘因だったのではないのだろうか。

米軍・IAEAに、予測データを渡していたという事実に、改めて愕然とする。「知らしむべからず、依らしむべし」という官僚の基本的なスタンスが、ここでも露呈したのではないだろうか。

官僚による、情報操作は目に余る。医療経済の統計等でも財務省はやりたい放題だ。こうした官僚の態度が、国を誤った方向に向かわせる。

今回のSPEEDI情報隠ぺい、放射能実測データ隠ぺいをだれが、どのような目的で指示したのか、徹底的に洗い出す必要がある。官僚による、こうした情報操作をこれからは決して許すべきではない。

原発と官僚 

先に引用した「新版原子力の社会史」から得た、原発と官僚の関わりについての知識、備忘録的に記録しておく。

『1950年代、原発の開発導入が始まった頃から、科学技術庁と、通産省・電力会社連合という二元構造のもとに原発開発導入が進められてきた。科学技術庁が、技術開発を担当し、通産省・電力会社連合が、その商業化を進めるという棲み分けがなされてきた。

科学技術庁系のナショナルプロジェクトは、軒並み不振を極めた。核燃料再処理・ウラン濃縮・高レベル放射能廃棄物処分等のプロジェクトは、進展が遅れた(外国では、このような事業から撤退したところが多い)が、科学技術庁から、通産省・電力会社連合に引き継がれることになり、前者の事業はじり貧となっていった。

最終的に、1995年の高速増殖炉もんじゅ事故、1997年の東海再処理工場火災爆発事故と、それに対する動燃・科学技術庁の対応によって、彼らに対する国民の信頼は失墜し、2001年、科学技術庁は、時の内閣の行った省庁再編に伴い、文部省に吸収合併された。

科学技術庁は、総理府原子力委員会・原子力安全委員会の事務局を担当してきたが、両委員会は、内閣府直属となり、文部科学省にその機能は引き継がれることはなかった。さらに、両委員会の決定を、内閣総理大臣は十分の尊重しなければならないと法的に定められていたが、その条文が削除され、両者の法的権限は弱められた。

原子力行政の二元体制が機能していた間は、科学技術庁と、通産省・電力会社連合の間でチェックバランスがある程度機能していたが、2001年、この体制が消え、経済産業省が原子力行政を一手に引き受ける体制になると、そのチェックバランスが機能しなくなった。

2003年、経済産業省所轄の独立行政法人として、原子力安全基盤機構が設置され、原子力発電技術・検査等を担当する三つの財団法人の業務を一元的に担うことになった。この独法の理事の多くは、経済産業省出身者からなり、毎年200億円以上の交付金を国から受け取っている。

通産大臣の諮問機関であった、総合エネルギー調査会は、省庁再編にともない、経済産業大臣の諮問機関、総合資源エネルギー調査会となった。この組織は、商業原子力発電を含むエネルギー行政全般を所轄している。同調査会の策定するエネルギー基本計画には、それまで行われてきた原子力委員会への配慮義務がなくなり、その権限が強化された。同調査会の原子力政策のおける役割は重大である。法律の制定・改正の具体的方針が日々審議され、実施されている。実質的に同調査会を動かすのは、経済産業省の官僚である。

科学技術庁の解体は、原子力行政における変化を生まなかった。経済産業省の外局である、資源エネルギー庁が原子力利権勢力の代弁者として、その任に当たっているからだ。』

官僚の官僚による官僚のための原子力行政が、行われたきた、また行われ続けている状況が良くわかるではないか。

この官僚の在り方、構造は、原子力行政だけにとどまらない。医療についても、同じような状況がある。

戦前からの官僚機構が、終戦後、米軍統治のために温存された。日本経済が右肩上がりに上昇していた時期は、この機構がうまく作動していたのかもしれない。でも、現在、国の経済が沈滞し、さらに55年体制というリジッドな政治体制が崩壊した現在、この官僚機構では、国はうまく動かなくなっている。原発のように、国の存亡にかかわる事業については、これまでの官僚機構に担わせるのはあまりに危険だ。

原子力行政を端緒として、こうした官僚機構による日本社会の支配構造を改革しないと、この国に未来はないように思える。

官僚主導の原発複合体 

吉岡斉著「新版原子力の社会史」(朝日新聞出版2011年第一刷)は、主に1954年原子力開発予算が国会で上程される前後から、東電福島原発事故までの、わが国の原子力・原発開発の歴史を概観する好著だ。著者は、原発推進の立場に「非共感的に立つ」科学技術史の専門家である。詳細に概説してみなければならない内容だが、それはまたの機会にするとして、この本を読んで、わが国の原子力・原発開発推進の歴史を通じて感じるを記す。

第一に、常に核武装を狙う政治家・官僚の意図が、底流にあるように思えることだ。敗戦後間もない時期に、絶好の機会をとらえて、原子力研究開発を始めたのは自民党の中曽根氏等だったという。そして、国策として、自己完結する核エネルギー開発を目指してきた。プルトニウムによる原発、高速増殖炉については、1970から80年代にかけて、欧米各国では、技術的に困難であり、危険を伴うと考えられ、研究を取りやめたのだったが、わが国では、国策の一つとして継続され、莫大な予算がつぎ込まれてきた。これは、プルトニウムとい原爆の材料を確保しようと言う意図があったからなのではないだろうか。

第二に、科学技術庁対電力会社・通産省連合という勢力争いないし対立の構図で、開発が続けられてきたが、結局全体を推し進めてきたのは、官僚達であったようだ。上記の高速増殖炉についても、電力会社は採算に合わないとして、積極的ではなかったが、官僚の意向でつい最近まで続けられてきた。高速増殖炉もんじゅの事故に際し、開発に携わってきた当時の動燃が事故の事実を隠ぺいし、国民の信頼が失墜したことがあった。その際に、原子力委員会の責任者の提案で、高速増殖炉懇談会が科学技術庁を事務局として設置された。その懇談かの人選・審議の進め方が、「高速増殖炉開発を継続する」という結論ありきで進められ、懇談会の議論が殆ど反映されなかったことが、委員の一人であった著者の生々しい体験として語られている。こうした審議会を用いて官僚の意向を実現する手法は、医療界でも日常茶飯事に観察されている。吉岡氏の悲憤慷慨を押し殺した経過説明の文章を読むと、官僚によってすべておぜん立てされて進められていることが大きな問題であることがひしひしと伝わってくる。また、原発は、1980年代に先進国では建設が様々な問題、特にチェルノブイリ事故の教訓から余り行われなくなってきたのに、わが国では、まるで社会主義国家の計画経済下のように、着々と建設され続けてきたことも特異な現象である。このことの背後に、官僚が原発複合体の中心にあって、建設を促進してきた事実があるのだろう。

第三に、核エネルギーの開発が国策として開始されたときから、学会・研究者達は、体面を保つことと、自己保身さらに研究費にありつくことだけを考えて行動してきたことが分かる。核エネルギー開発の危険性と非採算性を、一番世論にアピールすべきは、そうした研究者達だったのではないか。研究者達のこうした態度が、現在のわが国の原発の状況をもたらした一つの要因なのかもしれない。原発安全神話を歌い上げた研究者達は、ほっかむりしたままである。

官・政・業の原発複合体の中心にあって、一番甘い汁を吸い続けてきたのは、やはり官なのではないだろうか。これまであまり表に出てこなかった、この複合体内部での腐敗構造がこれから明らかになることだろう。

この報道は、そうした観点からすると、興味深いものだ。



以下、引用~~~

原子力機構、会費で1億円超支出

2012年1月10日(火)2時2分配信 共同通信



 高速増殖炉原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)を運営する文部科学省所管の独立行政法人(独法)「日本原子力研究開発機構」が2009年4~9月に、関係する公益法人などに「会費」名目で計1億900万円を支出していたことが9日、民主党行政改革調査会の調べで分かった。一部法人には文科省や原子力機構のOBが「天下り」している。原子力機構には09年度に国から約1850億円が交付されており「お手盛り」との批判が出そうだ。


医師としての半生を終える 

泣いても笑っても、退職まであと2か月半。医師として仕事をしなくなるわけではないが、一つの区切りになるわけで、様々な思いが去来する。医師・医学への思いは、生きてゆく中で少しづつ変わってきた。

医師を目指した頃・・・以前にも記したが、医療の環境で育ち、両親・姉も医療従事者であり、エンジニアへの道から医療に関心が移っていった。高専を卒業するころ、学校の教師になるか、医師になるかと考えた。生身の人間を相手にする仕事についてみたいと思った。当時読んだ、フランクルや、ヤスパース、ミンコフスキー、神谷美恵子といった思想家・精神医学者の著作に影響されたこともあり、精神病理学が面白そうだと思っていた。当時、成績が多少良いと医学部を目指すような風潮があったのもあり、医学部を考えるようになった。精神科医になりたいと考えていた。

大学に入り、授業や実習をすると、精神科があまりに非力な(失礼)専門であるような気がしてきたのと、治療効果の上がる小児科と、知見が陽の昇る勢いで増え、新たな地平が開け始めていた免疫学に関心が移った。それほど真面目に勉強していたわけではなかったが、他人には精神科を勧め、自分は小児科を専攻することに決めた。

大学を卒業し、こちら北関東の大学で研修を始め、血液免疫を志向していたのだが、実現できそうもなかったので、母校の免疫遺伝学教室に専攻生その後大学院生として在籍させて頂いた。1980年代後半、HLAについて、怒涛のように新たな知見が得られてきていた頃のことだ。HLAによる拘束の問題や、疾患感受性との関連性さらに免疫学的多様性の問題等々、下働きが多く、大変な毎日だったが、知的に強烈な刺激を受けた日々だった。朝早くから終電になるまで研究室にこもった日々だった。でも、家庭を持ちながら、単身赴任を続けることに限界を感じ、自宅に近い別な大学にスタッフとして入れて頂いた。そこでは、教授選がらみで様々な軋轢に巻き込まれ、また人間関係では苦労した。研究の面でも、先が見えてきて、さらに少人数の医局での過重労働がしんどくなり始め、大学医局の外に出て臨床だけで生きることにした。意図したと言うよりも、ところてん式に外に出ることになったというべきか。

市中病院、そして自分の診療所での20年超の臨床医としての日々。何か、流されてきたという感じがしないでもない。研究生活のように、明確な意思と目的があるメリハリのきいた生活ではない。外来で患者に対応し、行政との砂をかむようなやり取りに「いらっ」ときて、後は収入と支出のバランスを考える日々。大学にいたころ、田舎の開業医には決してなるまいと思ったこともあったが、見事にその線で生きることになった。

私と一緒に仕事をしたがっていた父と、数年間だったが、同じ職場で仕事をできたこともありがたいことだった。昼過ぎ、父が昼休みの受付の代理の仕事を終えて、ゆっくりとした足取りで駐車場に向かって歩く姿を、二階の自室から眺めていたことが良くあった。私が、彼の年齢にもうすぐ近づこうとしている。

開業医になって痛感したのが、自分で事業を進める者の孤独感であった。これは、個人事業主の自由さと裏腹の関係なのだろうが、ちょうど男の更年期に差し掛かったこともあり、かなりしんどいことでもあった。特に、健康を害して、倒れたらどうするかという思いがいつも付きまとっていた。お隣で開業した、別な専門の医師は、開業後数年で不慮の事故で亡くなられた。その後を継いだ医師も、最近悪性腫瘍にり患し、しばらく休診することになったようだ。これはどのような職種でも個人事業主である限り同じだろうが、開業医が楽して儲けているといった、財務省主導のプロパガンダには辟易させられたものだ。同じ孤独感のなかで開業医として仕事を続けておられる諸兄姉に、こころからの支援の意を表したい。

思い返すと、思い通りにはならなかった医師としての半生だったが、安易な自己肯定ではなく、これで良かったのではないかという思いも強い。外来で相手をする患児達が大きくなり、その子たちが結婚し、子供を連れてやってきてくれる、それだけでも臨床医として生きてきた甲斐はあったと言うべきだろう。人生において、成し遂げられる事業は、たかが知れている。少なくとも、世間からみたらそうだ。ある程度、作り上げたものも、やがて時間の流れの中で消えてゆく。でも、生命の大きな流れのなかで、その流れに与り、流れが途切れることなく進むように、寄り添い、時にそっと手を差し出せたこと、それだけで十分ではないか。

さて、これからどのような人生のページが開かれることだろうか。残された時間をどのように生きるか。やがて、人生そのものを終えるときに、反省ばかりをするようでありたくはない。自他ともに充実させることができるように生きてゆきたいものだ。

若き日の日記 

手元に、茶色の表紙のノートがある。20歳台前半に記していた日記だ。仕事場の整理を始めようと、蔵書に触れたら、どこからかぽとっと現れた。10年に一回程度目の前に現れて、若い時期に記した文章にさっと目を通して、こそばゆいような、恥ずかしくなるような気分に陥る。今回も、ざっと目を通して、同じような感慨に耽ったのだが、今回は、若い生硬な文章に辟易するのと同時に、あれ以来、あまり変わり映えしていない、即ち変化が私の中で見られない面があることに気付かされた。日記に、その日その日に聴いた音楽の曲名を記しているのだが、その内容が、今と変わり映えしないのだ。確かに、当時は、フランス近代や、マーラー・ブルックナーの類を聴いてはいないので、多少の変化はあったのかもしれないが、聴くレパートリーが、当時と驚くほど変わっていない。

これは、当時と嗜好が変わっていないというよりも、私の嗜好、それに思考体系が当時出来上がって、そのままという面があることを意味しているのだろう。人間関係等についても驚くほど同じように感じ、行動しているのが分かる。意外だったのが、政治的な関心を殆ど持っていなかったか、二の次になっていた様子であることだ。当時、吹き荒れた新左翼の学生運動が落ち着き、身の回りでも、政治的な関心を持つ人間が殆どいなかった(教養部の元自治会関係者に残党みたいな連中がいたのだったが)。

当時の私からすると、私の現在の世代の人間は、一種別世界の人間であり、あの彷徨う精神状態とは無縁な存在のように見えていた。が、現在、その世代に達しても、自分の内実はあまり変わらない。むしろ、先に残された時間が少なくなったことを日々感じることにより精神の底における逡巡はより深まっているというべきなのかもしれない。でも、毎日の表面的な繰り返しと、一応の生活上の安定が、日常を何事もないかのように送ることを可能にしているのかもしれない。多少の変化があるとすると、残された日々が少なくなったことから、現実への様々な執着が、少しずつ軽くなってきたことか(そうであって欲しいものだ)。

この茶色のノート、もういい加減廃棄して、若い日を思い出すなどという悍ましい出来事からおさらばすべきなのかもしれないが、また10年後にひょこっと現れるように何処か奥深いところに仕舞い込むことにしよう。

それにしても、発達していないようだ、私・・・やはり落ち込む。

すさまじい米国医療の世界 

Bob W6CYXと、しばらく医療制度についてやり取りをした。彼にはブラジル出身の義理の妹さんがいるのだが、彼女がある悪性腫瘍にり患し、手術しなければならないことになったそうだ。彼の一家は、医療保険に入っていない、とのことだ。結構裕福そうなので、驚かされたが、後で保険料の一件を聞いてなるほどと納得した。

で、病院側は、手術の費用を23000$(ドル100円として230万円)と見積もり請求してきたらしい。そこで、Bobは、現金ですぐにしはらうとしたら、いくらになるのかと病院に質した。すると、4700$(同じレートで47万円)との返事があったそうだ。このコストであれば、それほど高いとは思えないが、最初に提示された額は、かなり高く、病院側が「吹っかけて」いたのかもしれない。でも、病院としても、保険による医療では、収益が上がらず、このように保険外診療分で「吹っかける」必要が出てくるのかもしれない。病院と値引き交渉といえば聞こえも良いが、すさまじい世界である。

この義妹の方が相応の保険に入るとなると、年17000$(同じレートで170万円)の掛け金が必要になるらしい。また、そうした保険に入っても、給付されるのは、医師・患者双方に50%程度にしかならないとのことだ。保険会社には、交渉担当者がたくさんおり、給付を削られるらしい。ばかばかしくて、医療保険には入らないとのこと。

米国の医療は、このようなものであると聞いていたが、すさまじい世界である。深刻な病気になったら、それで自己破産になってしまう人々がたくさんいるというのも大いに頷ける。

で、日本でも、混合診療になり、保険資本が病院経営に首を突っ込むようになると、このような世界が出現することになるわけだ。国民には、その情報が与えられていない。市場原理による「効率化」、医療の資本主義化とは、こうした世界を出現させることを意味する。

名前を変えて生き残ります 

独立行政法人すべてが不要というわけではないが、どう考えても要らないだろうというところもかなりありそうだ。ところが、独立行政法人は、名前だけ変えて、大半が生き残るらしい。例の「事業仕分け」といった行事は一体何だったのだろうか。民主党の政権公約であった、特別会計への切り込みはどれだけ行われたのだろうか。

昨年の国家公務員ボーナスは、この苦しい国家財政なのに、4%増という大盤振る舞いであった。

行政改革という言葉が、何とも虚しく響く。

公務員の方々も、「ギリシャへの道」まっしぐらとは考えないのだろうか。自分たちの世代さえ良ければという発想なのか。現在の世代でさえも、これでは持ちそうにない。


以下、引用~~~

独法、大半は新設2法人に移行…事実上存続へ

2012年1月5日(木)7時57分配信 読売新聞

 独立行政法人(独法)の抜本改革に関する政府の基本方針の原案が明らかになった。

 独法は2013年度末に廃止し、新たに「成果目標達成法人」(仮称)と「行政執行法人」(同)を創設して業務の性質により即した運営や事業評価に努める方針だ。

 102の独法のうち、現時点で廃止が固まったのは財務省所管の日本万国博覧会記念機構、総務省所管の平和祈念事業特別基金、文部科学省所管の国立大学財務・経営センターの3法人。国土交通省所管の空港周辺整備機構と海上災害防止センターの2法人は民間に移管する予定だ。政府は、廃止・民営化の法人数をさらに増やす方向で調整を進めているが、大半は新設の2法人に移行し、事実上存続する見通しだ。政府は基本方針を今月下旬にも閣議決定し、通常国会に関連法案を提出する。


良い未来は描けない 

友人のBob W6CYXが送ってきてくれた情報。こちら。米国の開業医が経済的に苦境にあるようだ。Medicareと、保険会社との対応が厳しく、収入を抑えられ、破産に瀕する施設もかなりある由。

日本でも混合診療になると同じようになることだろう。

10%にまで上げることが決まった消費税、医療機関では、患者へ負担をお願いできない状態が続くらしい。診療報酬で手当てするとのこと。でも、とても診療報酬を上げる環境にないと政府自身がついこの前まで言っていたことだし、結局、末端の医療機関に負担を負わせることになるのだろう。狙い撃ちにされているのが、「楽して儲ける」開業医たちである。

さらに想像をたくましくすれば、これで膨大な消費税負担を強いられる院内処方の医療機関は、院外処方にせざるを得なくなるのではないだろうか。過去10年間の医療費でダントツに伸びているのが、院外薬局の収入である。その傾向をさらに強めたいと言う当局の意向が、消費税の損税据え置きの判断にはあるのかもしれない。院外薬局、その団体等への官僚の天下りの様子なぞを是非知りたいものだ

混合診療解禁にせよ、損税としての消費税据え置きを医療機関に課すことと言い、開業医にとって、あまり良い未来が開けるとは言い難い・・・そして、それは、地域医療の大きな変化、おそらく国民にとっても良いとは言えぬ未来に結びついているように思える。

バグキーの調整 

バグキーの調整は、面倒だが、ぴしっと調整できると、使い心地が良い。以前、レバーのストッパー、重し、接点間隔等の変数をどのような順序で決めてゆくかを記したことがある。自己流だが、これ以外の方法はなさそうな気がする。

大きなポイントは、短点が長時間安定して出るように設定できるかどうか、だ。あの振動系が安定して生み出す短点の在り様(短点のウェイト)は一つしかない。その設定をしっかりと把握することだ。ウェイトを重めにしたくなり、接点間隔を狭くすると、短点は安定せず、さらにチャッタリングのような不要雑音が増える。ウェイトを重たくするには、キーイング回路に小さなコンデンサーを並列にかませることしかできないのかもしれない(Tom K7GMF談)。最初は、短点を安定させるために、レバーの可動範囲は大きめに取った方が良い。上記のベストな設定が得られれば、レバーの可動範囲を、短点の安定性が損なわれない範囲で狭めることもできる。

私の場合、設定をしても、1,2日または、それ以前に設定が狂うことが問題だった。過日、その原因を突き止めた・・・というほどのこともないのだが、短点の接点を固定するポストというか柱のベースとの固定が緩んでいたのだ。このポストは。ベース下部で、配線の板を二枚噛ませて、固定されているが、その固定が緩んでいた。がたがたになるほどではなかったが、容易にポストを回転できる程に緩んでいた。それをしっかり固定すると、最善の設定がしっかり保たれるようになった。

短点の安定性については、短点を送出し続ける持続時間で判断できる。私の最近の設定では、30秒間以上短点を出し続けられる。短くとも、10秒間、出来れば20秒間以上は確保したい。

頌春 

家族は、家内の実家に里帰り、猫一匹と残った自宅で一足早い雑煮を食べ、無線をし、N響の第九を聞いてから休んだ。新年元旦といえども、特に普段と変わったことはなし。朝から無線で北米の友人たちと挨拶を交わす。救急の患者を二名だけ診て、仕事場で撮り貯めた映画を観たり、チェロを弾いたり。コンビニで患者の親と遭遇、仕事が忙しいのだろうと労わられるが、そうでもないとも言えず。そろそろ自宅に戻ろう。

新年の想いと取り立てて書くほどのこともないが、それでも、この一年は大きな変化の年になりそうだ。

まず、医院の継承、退職。準備を怠りなく進めて、スムースにことを運ぶことだ。県の医師会報によると、小児科医開業医の大半は、60歳以上であるとのこと。80歳以上が5%程度いるというので驚きだ。ただし、県庁所在地では、この3年間新規開業がないそうだ。小児科は、小児数の減少、さらに診療報酬上厳しさが増すことから、かなり厳しくなることだろう。逃げ出すようで気が引けるし、患者たちと関わりがなくなる(少なくなる)ことも寂しいことだが、手を引く良いタイミングだろう。後を継いでくださる先生にご迷惑のかからぬように、そして彼の仕事が軌道に乗るようにお手伝いしよう。アカデミズムの外でしか分からないプライマリーケアの問題がある。以前から思っていたことだが、小児科医は、気道感染とアレルギーの起きる重要な部位「鼻腔」を観察することをあまりしないような気がする。差し出がましくない範囲で、そうしたこともお伝えしたいものだ。

内外の政治経済情勢についても引き続き注目する必要がある。民主党政権には、多少なりとも期待を持っていたのだが、やはり現在の民主党ではダメそうだ。一番期待していた、官僚主導の政治からの脱却が、腰砕けになったばかりか、官僚主導に積極的に乗っている。官僚が、報道も利用して、世論誘導をし、自らの権益確保に動くことに全くチェックが入らない。世界的には、ヨーロッパと米国の経済が収縮し、信用不安が渦巻いているようだ。ギリシャの特異な問題もあるようだが、基本的には、市場原理主義の破綻の長いプロセスの一環なのではないだろうか。世界大恐慌が繰り返されることはないのかもしれないが、この信用収縮のプロセスから抜け出すこと、同じようなバブルと破綻を繰り返さないシステムを作ることが一体可能なのだろうか。紙一重で奈落の底に落ちるような状況を我々は歩んでいるのではないだろうか。

チェロ・・・愛すべき我がチェロ、でももう伸びることはないかな・・・。毎日、少しずつ練習を続けよう。室内楽やオケは、少し荷が重たくなり始めている。

無線には少し入り浸りすぎ。あの時間とエネルギーの何分の一かを別なことに割こう。でも、7月には、シアトルの美しい夏の気候のもと、旧友たちに会う。無線で友人たちと人生の時間を共有すること。これはやはり大切なこと、自分の人生を豊かにしてくれることだ。Gary W5ZLは、引き続き、進行性大腸がんと格闘し、つい最近、Gary W0CGRは、同じ大腸がんの遠隔転移が明らかになり、化学療法に入ると知らせてきた。時間は、確実に有限だ。生命の連綿と続く流れのなかで、自分の人生などほんの一瞬の出来事に過ぎない。その時間の一瞬一瞬を愛おしむように生きてゆきたいものだ。それを自覚すること、だ。