生き延びていた後期高齢者医療制度 

後期高齢者医療制度は、生き延びていた。この制度は、市町村からより広域な地域を単位として財政負担を均一化することを試み、一方高齢者への医療費を削減しすることを目指したものだった。高齢者の増加と、対象人口の細分化とから、この制度が立ち行かなくなることは明白なことだ。

国が高齢者の医療を支える仕組みにしないと、すぐに破綻する。高齢者の終末期医療のあるべき姿を議論する、即ち、不要な延命治療にコストをかけぬようにすることと合わせて、この制度の廃止をすぐにも行うべきだろう。

民主党は、マニフェストを反故にしてはならない。


以下、引用~~~

廃止への道筋見えず 現場「国は明確な方針を」
12/03/30
記事:共同通信社
提供:共同通信社


 民主党は2009年の衆院選マニフェスト(政権公約)で「後期高齢者医療制度の廃止」を掲げ、社会保障と税の一体改革大綱では関連法案の今国会への提出方針を明記した。だが全国知事会など関係者との調整は容易でなく、廃止への道筋は見えていない。

 後期医療の全広域連合への調査では、現場から「制度の継続、廃止のいずれの方向にせよ、明確な方針を早急に示してほしい」(東日本の広域連合)と、はっきりしない国の姿勢に厳しい意見が多数寄せられた。

 政権交代後、厚生労働省は高齢者医療制度改革会議を設置し、10年12月に改革案を取りまとめた。(1)現行制度は廃止(2)75歳以上も現役世代と同様に国民健康保険(国保)か被用者保険(健康保険組合など)に加入(3)国保の財政運営を現在の市町村単位から都道府県単位に変更(4)公費の増額-などの内容だ。

 しかし、国保の赤字を押し付けられるのを恐れた知事会が反発。具体化への動きはストップしたままだ。改革が進まず公費の投入増が実現していないことが、12年度からの保険料の大幅上昇につながった面もある。

 現場には「制度の存廃にかかわらず、高齢者医療費は今後も増加する。国は保険料への財政支援制度の創設を」(西日本の広域連合)など、公費の増額を求める声が根強い。別の広域連合は「現行制度は4年経過し安定。性急な制度改正は控えるべきだ」と指摘した。

※後期高齢者医療制度

 75歳以上を対象に2008年4月開始。加入者は11年3月末時点で約1400万人。患者負担を除く医療給付費の約5割を公費(税)、約4割を現役世代からの支援金、約1割を75歳以上の保険料で賄う。実際の保険料額は1人当たりの定額部分(均等割)と所得に応じた部分(所得割)の合計で、加入者や世帯主の所得によって軽減額を定めている。均等割では、年金収入が年80万円以下でほかの所得がない人は9割軽減。所得割は、年金収入が年153万円超で211万円以下の人を5割軽減している。

いよいよ・・・ 

いよいよ明日が、当院最後の診療日。患児・患児のご家族も様々、名残を惜しんでくれる方、さっさと挨拶をしてからっと別れる方。10年近く前まで頻繁にかかっていた兄弟、その母上が、大きな花束を持ってあいさつに来てくれた。兄は、大学生になったとのことだ。患者さんお一人お一人に、医師として生かして頂いたのは、私の方だ、私こそお礼申し上げたいという気持ちになっている。

引き継いで下さる医師の方も、スタンバイ完了。今日、昼食を私の部屋で彼と摂っていて、なぜ今辞めるつもりになったのかと改めて彼に尋ねられた。一言ではなかなか難しい。自由な時間を得て、これまでできなかったことを、十分するためということか。まとまった休みが全くとれない開業医生活だった。これで、朝、ふらっと山の温泉場に向かうこともできる(あまりそんなことはしないだろうが・・・)。海外旅行もできるようになる。音楽のためにも時間を十分割ける。信州にチェロを担いで行かねば。医療経済・世界政治経済についても、頭が使えるうちにもっと勉強しておきたい・・・。福島にも何かの貢献をしたいと思っているが、現実的な道筋が見えてこない。何ができるだろうか。家庭の主夫業をすることも悪いことではあるまい。子供たちが独立するまでを見届けることにも、もうちょっと時間を費やせるだろう。年老いた義理の両親にも何かの孝行ができるだろう、か。

と、ポジティブなことを挙げてみたが、本音は、行政と医師会に翻弄される、または翻弄されそうになる不安に耐え切れなくなって、逃げ出すということなのかもしれない。開業医は、自由が利き、思い通りに仕事をすることができると思われるかもしれないが、他の職種同様規制が張り巡らされている。その規制が、社会的公正さに則ったものであり、納得できれば良いのだが、そうでもないのだ。この官僚主義に侵食されるかのような思い・・・私が、少し過敏に反応しているのかとも思う・・・が、開業医の孤独のなかで増幅される。その不安に耐え切れぬ、または不安のなかに居続けることができなくなったということだ。

のらりくらりと開業医を続ければ、経済的には安定した状態でいられるのかもしれないが、これで良かったと思えるようになった。仕事を辞めるには、実際体力が必要なことが分かった。自分の体力・知力が残っているうちに、仕事場をきれいにしてほかの方に受け渡すことは、今でなくては難しかったかもしれない。後ろ髪の引かれる思いで様々な手続きを行い、たまりにたまった書類を分類し、遺すべきものを残す作業に要するエネルギーは、並大抵のことではない。以前にも記したが、人生の最初の大きな退却には、大きなエネルギーが必要となる。重い病を得てから引退するといったら、その引退作業自体が拷問のようになったことだろう。

以前にもアップした通り、明日は、近くのイタリア料理店で閉院記念昼食会。ごくこじんまりと行う。ピアノのNさんにお出で頂き、伴奏をお願いし、「夢のあとに」他を演奏する(皆に強制的に聴かせる)。その足で、チェロと、段ボール箱とを載せた車で、自宅に凱旋する。

引退がらみのポストはひとまずこれで終了。これにて、院長室のネット環境を撤去する。Nifty Serve時代から、頑張ってくれたネット環境だった。お疲れ様。

医師の技術料があくまで低く抑えられる理由 

二つ前の板野氏の発言に関連して、今回の診療報酬改訂についての報道。

病院で、複数の科を受診したときに、二番目の受診科で再診料を半額だけ支払うことになる、と変更された。再診料の半額とは340円、その自己負担は100円である。これまでは、二番目以降の受診科は「無料」だったのだ。ようやく、二番目だけは再診料の半分を出そう、という決定だ。医師の技術料の評価がこれほど低いことに唖然とする。全く違う科にかかったら、そこでの医師の技術に対して対価を支払うのは当然のことではないか。これまで、「タダ」で対応していたのが大間違いだったのだ

医師の技術料をこれだけ低く抑え、その一方では、患者さんを「患者様」と呼べという官僚達。何たる馬鹿げた行政であることか。

こうした行政の背後に何があるか・・・一つには、医師の技術に対する侮蔑とも言うべき無理解、ないし嫌悪が、官僚の中にあるのではないだろうか。こうした意見には、当初そんなバカなという思いが強かったが、行政官たる官僚にしてみると、医師は単なる技術屋に過ぎないのだろう。ローマの時代、医師や、音楽家という専門職は、奴隷の身分にあったらしい。最高の地位についていたのは、行政官達だった。二千年前の社会と、根本的なところで変わりはないのかもしれない。

過去の日本医師会が、豊富な資金力で政治力を発揮していたことへの反感が、官僚達にあるのかもしれない。でも、日本医師会も力を失い、医師が経済的に恵まれている、という時代ではなくなった。武見太郎の時代を、武見と共に生きた官僚達もとっくに現役を退いている。でも、厚生労働省の中での権力闘争という面からは、医師への反感は根強いのだろう。

上記二点は、さほど重要ではない理由だ。もっと現実性のある理由としては、現在の官僚にとって、医療費のパイを医師・医療機関に渡してもメリットがない。医師・医療機関からパイを奪えるだけ奪い、それを他に回すことにメリットがあるのだろう。医師達からは利権を得られないが、この「他」の分野では、天下りという彼らの利権が生まれる。

医療財政の面からいくと、公的医療費をできるだけ削減することによって、混合診療に持ち込める可能性が膨らみ、その一方では、医療という金食い虫に国庫を与えなくて済むことになる。米国の忠実な僕であり、かつ公的医療費削減によって、官僚にとり旨みのある分野に予算を回すことができるようになる。また、混合診療が導入されれば、官僚にとって大きな利権が生まれるのだ。

一杯のコーヒー代以下の再診料がさらに引き下げられて、さて、医療はどのようになって行くのだろうか。再診料が低くてラッキーと言っている国民は、自分の生命の値段が低く値踏みされていることを知らないのだろうか。そして、突如、巨大保険資本の画策する混合診療が出現したら、金がなければ、まともな医療にかかれぬもう一方の対極に突き落とされることになるのを知らないのだろうか。


以下、引用~~~

再診料、重ねて支払い 紹介状ない受診は不利も 「4月からの診療・介護報酬」
12/03/26
記事:共同通信社
提供:共同通信社

 治療費支払いが4月から変わる。同じ日に同じ病院で複数の診療科を受診した場合、患者は「再診料」を重ねて支払うことになる。現在の仕組みでは例えば、高血圧で内科の診察を受けた後、同じ日に花粉症で耳鼻科を受診しても、再診料は内科の分だけ690円(一般の自己負担210円)を支払えば済む。

 これに対し、病院団体などから「二つ目以降の診療科で医師の技術が正当に評価されていない」と不満が出ていたため、二つ目の耳鼻科でも半額の再診料340円(同100円)を支払うことになった。計1030円(同310円)だ。ただ三つ目に別の診療科を受診しても請求されない。「初診料」も現在、二つ目の診療科で半額払いとなっている。

 また、高度な医療を行う大病院を「紹介状」なしで受診する際の自己負担が増える。保険から病院に支払われる初診料が引き下げられるためで、病院が現在並みの収入を得ようとして引き下げ分を患者の負担に回せば、初診料での一般の自己負担は810円から1300円になる計算だ。

 医療機関のたばこ対策も強化。小児科や生活習慣病、呼吸器疾患などの治療を担う病院は、屋内を全面禁煙にしないと収入が減る仕組みとなる。

市場原理主義の罪過 

過日、とあるテレビ番組で、竹中平蔵氏がコメンテーターというか、討論者として登場していた。ハーバード大学の教授が、司会を務め、社会問題を議論する番組だ。テーマは、「所得税増税」・「消費税増税」いずれが好ましいか、正しいかという問題。その問題は置いておいて、竹中(以下敬称略)が、どのような発言をするかに耳をそばだてた。

発言を求められ、「社会保障を税金で賄うとすれば、やはり所得税でしょうね・・。」と彼は述べた。本音は、社会保障は、各人の自己責任で得るべきであり、税金、特に所得税を累進課税するなどもってのほか、ということだったのではあるまいか。でも、議論の流れの中とはいえ、このように所得税増税を首肯する発言をするとは驚きだった。良く言うものだ、というのが正直な感想である。

小泉構造改革で、日本の社会・経済がどのような痛手を負ったかは、これからさらに明らかになって行くことだろう。竹中のような人物は、その責任を負うべきだと思う。少なくとも、小泉構造改革で実行したことが、理論的にも、実務上でも誤りであったと認めるべきなのだ。

今朝、21メガが昼近くなってから北米西海岸に良く開け、連続して知り合いの何人かにあった。どうもクラスターに私のコールがアップされたためだったようだが・・・。1980年来の友人が、シアトルでのこの夏の集まりにこれないかもしれないと浮かぬ顔で(見えるわけではないが)言ってきた。奥様の健康問題が生じ、手術を受けねばならないとのこと。彼女が入っている保険が、その手術をカバーしていないので、躊躇している由。Mayoクリニックで診察を受け、内視鏡的手術で済ませられないか検討してもらっているところだとのことだ。内視鏡手術であれば、外来通院だけで済むのだが、と。10日、2週間の入院を要する手術になると、膨大な医療費が彼らに負わされるのだろう。個人破産の主要な理由は、病気という社会なのだ。

米国の国民の4千万人が、医療保険に入っておらず、さらに2千万人の保険が不十分で、重病にかかると保険が効かなくなってしまう、ということらしい。この友人の奥様もその一人なのだろう。TPPでは、米国は、日本に混合診療導入を求めぬと言っているらしいが、TPPを進める米国内の主要勢力は、保険会社である。TPPが成立したあとにも、医療保険を解禁すること、そして公的保険が、その参入の非関税障壁になっていると主張することは明白なことだ。農業分野でも、日本型の小規模農業は壊滅する可能性が高い。NAFTAでメキシコ等が被った国内農業の壊滅的打撃について我々は良く知る必要がある。医療も同じだ。

金の切れ目が命の切れ目という社会が、すぐそこまでやって来ている。

調剤薬局と医療機関 

これからは、零細医療機関経営者の立場ではなくなるので、診療報酬等医療の経済的な基盤についても考えるところを、どしどしここで記して行きたい。

医療費が年々増加し、それを抑制するため、小泉政権時代には抑制額を決めて、診療報酬も引き下げられた。民主党政権に替わってから、あからさまな医療費抑制はなくなったが、少なくとも末端の零細な医療機関にとっては厳しい状況が続いている。

その一方で、医療費に占める割合を大幅に伸ばしているセクションがある。調剤薬局(保険薬局)に支払われる医療費の部分である。これには、調剤薬局数自体の増加等の因子も含まれるが、診療報酬の決定に際して報酬が優遇されていることは事実のように思える。

m3から拾ってきた数字を挙げる。

まず医療費全体に占める調剤医療費の割合の経時的な変化だ。

      国民医療費    調剤医療費

H12     30兆1400億    2兆7千億

H22     36兆6000億    6兆800億

過去10年間で、国民医療費が、6兆4600億円(21%)増えた。その一部である、調剤医療費は、4兆1000億円(152%)増加している。医療費の伸びの64%は、調剤医療費の伸びであることが分かる。

調剤医療費に占める薬剤師の技術料を見てみる。手元にあるのは、平成17年と22年の比較だ。

      調剤技術料(調剤医療費に占める割合%)処方箋1枚当たりの調剤技術料の平均  

H17年   1兆2400億円(27%)          1900円

H22年   1兆5600億円(26%)          2100円

調剤技術料は、調剤医療費全体の猛烈な伸びに並行して伸びており、調剤技術料の絶対値でも増加傾向にあることが分かる。

このような事実が、マスコミに取り上げられることは殆どない。診療報酬改定時にマスコミを通じて喧伝されるのは、「開業医が楽して儲けている」というプロパガンダだ。これは、財務省・厚労省といった行政が、歪曲したデータと、企図した誤った結論をマスコミに流すことによって行われている。

繰り返すが、末端の医療機関としては、小泉政権以降、診療報酬は実質切り下げが続いている。開業医の受け取る技術料を10円、20円下げるという議論が繰り返し行われている。しかし、上記の調剤薬局・製薬企業の受け取る診療報酬について突っ込んだ議論はされない。

医療のなかでの医療機関と薬局・製薬企業の担う責任の重さ、重要性から考えると、医療機関の経済基盤を侵食する一方、後者により大きなパイを回そうとする、こうした行政は、問題があるように思える。少なくとも、社会的な公平性を欠くと言わざるを得ない。患者として医療機関にかかられる方は、調剤薬局での支払いと、医療機関での支払いを現実に見比べてみて頂きたい。その差の大きさに改めて驚かれることだろう。

調剤薬局は、チェーン化し、大規模化している。その団体である日本保険薬局協会には、賛助会員として、製薬会社・薬品流通会社が名前を連ねている。こうした団体には、行政OBが様々な形で天下りしているのが通例となっている。製薬大企業には、厚労省の官僚が多数天下っていることが良く知られている。天下りの実態、政治家との関係等、調べればかなりキナ臭い煙が立つはずだが、マスコミは、上記の医療費分配の不公正さと同様に全く切り込みを入れようとしない。

MRICにしばらく前にアップされた坂根氏の医師・薬剤師の基本的技術料についての議論は、こうした文脈で読むと、説得力がある。再診料だけが医師の技術料ではないが、彼女のこの文章は、医療現場にいるものの実感を適切に反映している。


以下、MRICより引用~~~

再診料と薬局調剤技術料

つくば市 坂根Mクリニック    
坂根 みち子

2012年3月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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同一病院の同日多科受診は、2科目からの受診料は取ることが出来ない。この制度が問題となった時、時の厚生官僚は、病院の外来を安くすれば病院側が外来部門を縮小する方向にいくだろうと思った、と答えた。実際には、経営者は他の赤字を少しでも吸収すべく外来部門を縮小することはなかった。今回、大病院での同日多科受診について、2科目でも半額算定できるようになった。わずかに前進した。
しかしながら紹介率が低い大病院については「紹介なし」患者の初診料を引き下げ、また治療が終わり他の医療機関に紹介しても患者がまた受診した場合、外来診療料は70点から52点に下がるというルールを作った。官僚の考えは上記とおなじであろうが、同じ轍を踏むだろう。患者がいろんな理由をつけて戻ってきてしまった場合、病院側は結局診察を拒否することはできない上に収入が減り、ごねた患者は安く診てもらえる。しわ寄せは現場に丸投げである。

そもそも病院に通院している患者に、かかりつけ医を作ってそちらに通ってほしいということを話すのはかなりの労力が要る。その時間と手間を考えると、Drは皆毎回黙って診察してしまうのである。
患者側からも考えてみる。筆者は勤務医だった頃から、患者さんにはかかりつけ医として近所の開業医受診を勧めてきた。心筋梗塞や心不全等重篤な病態から治療した人は、医師に対する信頼感から担当医が変わることに抵抗する。これは心理的には理解できる。病院の方が専門医がいて、いざというときに入院できて検査も出来るから開業医には行きたがらない、これもある程度真実だろう。だが戻ってきた人たちや開業医に行くことを拒否した人から、今まで何度病院の方が安いからこっちに来ているんだ、と言われたことか。安価な医療は安易な受診を生む、これもまた真実である。

昨年末、支払い側の代表である健康保険組合連合会専務理事は、「診療科は、病院の都合で分けているにすぎない。我々は複数科にかかっても『病院を受診した』と思っているだけ」と発言した。現場感覚で言うと暴言に近い。更に氏はこうも言っている「確かに大学病院の外来の伸び率は高く勤務医の負担は大きい。しかし、患者が大病院を受診するのは、複数の診療科があり、優秀な医師がいるなどの理由から安心感を抱くからだろう。」 それぞれの専門医の診察料をタダにしておいてこれはない。それならきちんと支払わなくてはいけない。病院の医師がいくら勧めたところで、今の制度では決定権は患者にあり医師は診療を断れない。状態の安定した人が開業医に流れる仕組みになっていないから、皆大病院に行くのである。前回の改定時、再診料については2年間で議論を深めるはずだったが、まったく前に進んでいない。支払い側の代表と診療側の代表が今更このレベルに戻って議論をしているとはなんということだろうか。

もっと驚くべきことがある。院外の調剤薬局における調剤技術料は、昨年の資料によると1枚平均200点(2000円)である。
大学病院の再診料が70点(700円)で、同日多科受診すれば、1科あたりの診察料は、2科受診で35点、3科受診で23点相当となるのに対して、薬剤技術料は、調剤の種類と日数により、ガスター81点、ラックB81点(いずれも28日処方で)とすべて加算されていく。診察しているDr.より、そのDr.が出した処方箋で処方する薬剤師の技術料の方がはるか上なのだ。
これを知った時あまりのことに愕然とした。自分の診察技術料が薬剤師の技術料の足元にも及ばない評価しかされていないことに、怒りよりモチベーションが落ちてしまった。なぜこんなひどいことがまかり通っているのか。
県の行政のトップで働かれているDrは、「結局のところ官僚が医師を嫌いなんだね」とおっしゃった。逆に腑に落ちた。そうでもないと理解できない。

さらに問題だと思うのは、今までほとんどの医師はこのことを知らなかったということである。筆者自身、開業してもこの事実はわからなかった。巧妙に医師の目には触れないシステムになっている。
自分の子供が大学病院を受診して初めて気づいた。医師になって20年以上経っている。他の人たちはどうだろうか。
試しに昨年、自分が所属していた医局でこの事を話してみた。会場にどよめきは走った。発表後地域の拠点病院で働いているDr.が、ここにいるDrの90%は知らなかったと思いますと言っていた。そうだろうと思う。昨年来、折に触れてこの話をしているが、ほとんどのDr.は それは本当か?と聞いてく
る。
全国の国立大学の教授に聞いてみるがいい。その日ご自分でやられた外来に対して支払われた再診料と調剤技術料を知っているかどうか。

そもそも医薬分業を推進したのはなぜか。院内調剤の薬剤差益で稼ぐ構造を解消し、薬剤関連費を下げるために院外処方を強引に推進したのではなかったのか。現状では、どこのクリニックにも門前薬局が開設されている。つまり、折角医薬分業を推し進めながら厚労省は薬局に対して、自前の薬局を建て薬剤師数人雇ってもペイする値段に設定したということだ。やはり裏に何かあると勘繰りたくなるほどの薬剤関連費の優遇である。
そして、世間知らずのお人よしの医師たちは、自分たちの技術料がこんなに不当に低く抑えられている一方、薬剤師の技術料にはずっと高い点数がつけられていることさえ知らず、中医協では1点2点の再診料の攻防に明け暮れているのである。

大学の教育に、医療経済学を入れなくてはいけない。また医師は日常業務の保険点数を知る必要がある。特に勤務医は、医療費の実態をほとんど知る機会がないので、何が起こっているのかわからず低医療費政策の嵐に巻き込まれている。
20年前は検査用紙に、点数が入っていたため、どの検査が何点かオーダーする時に知ることができた。今は制度が複雑になりすぎて知ることが出来ない。患者に聞かれても答えられない。
日本は諸外国に比べて、新薬の処方率がとても高い。あれだけ熱心にMRが回ってきて営業すれば、新しい物のほうが効き目がよさそうに思えるのでつい処方してしまう。
またジェネリックも、国から強制されると医師の裁量権を奪われたようで反発していたが、なんのことはない、製薬会社にうまく乗せられていただけのことかもしれない。個人的には事実を知ってからはすべてジェネリック可とする処方が増えた。薬剤費が増えれば事実上医療に回る費用は減ってしまう。

支払い側は、医療費の底上げになると、再診料を上げることにも多科受診にきちんと支払うことも強く反対されているが、今の再診料と調剤技術料をみておかしいと思わないのか。支払う金額が少なければ歪んだ料金体系でも構わないのか。
再診料は原点に戻ってきちんと評価してほしい。大病院の診察料は当然各科毎とれるようにして欲しい。そうすれば安定した患者は黙っていても開業医に流れるようになる。それが勤務医の負担軽減である。開業医に患者が流れるようになれば、開業医の外来数が増えて無駄な医療で経営を成り立たせる必要がなくなる。開業医は今の料金体系では数をこなさないと経営を維持できない。再診料が安いと回数と検査で稼ぎ、しかも一人一人にじっくり話す時間は無くなる。悪循環である。
節約すべきは再診料ではない、他にある。

マーラー「さすらう若人の歌」 

マーラーの作品「さすらう若人の歌」を演奏したことが二度ある。最初は、大学オケで。まだチェロを弾き始めて間もないころ、殆ど弾けず、難しいなという思い出しかない。二度目は、10年近く前、地域オケの定期演奏会でだった。多少弾けるようになり、マーラーの世界を垣間見ることができた。バリトンの歌う歌詞に興味がわき、抄訳を試み、それをそのオケのMLに流したことがあった。誰かの訳を参考にさせていただいたのだったかもしれないが、自分なりの訳になるように努力してみた積りだった。その訳が、とあるところからひょこっと現れたので、備忘録の積りで、ここにアップしておく。

マーラーの私的な、リートに通じる世界をみることができるようだ。


以下、感想と抄訳~~~


この曲の歌詞が、マーラー自身によって作られたものであることは、スコアを手にして初めて知ったことでした。衒いのない、率直な歌詞は、文学的評価はどうあれ、好感がもてるもののように思います。練習中にも少し話題になった、歌詞の意味のあらましを、僭越ながらここに記させていただきます(抄訳のつもりが、ほぼ全訳になってしまいました)。


第一曲 私の恋人の結婚式の日に

恋人の結婚式の日、喜ばしい結婚式の日に、私は悲しみだけを知る。私は、自分の小さな部屋に入ることだろう。陰気な小部屋に。そして私の恋人を思って泣くのだ。私の最も愛する恋人を思って。嗚呼、可憐な青い花よ。枯れてしまうな。愛くるしい小鳥よ。お前は、緑の衣を着けたヒースの枝にとまって歌うのだ。嗚呼、世界は何と美しいのだろう。もう歌わないで。花を咲かさないで。春は、もう過ぎ去ってしまったのだ。すべての歌は、終わったのだ。夜毎、眠りに落ちるたびに、私は自分の悲しみを思う。私の悲しみを。

第二曲 今朝、私は野原を歩いた

今朝、私は野原を歩いた。夜露が、まだ野草にかかっていた。陽気なフィンチ(小鳥)が私に語りかけた。こんにちは?。お早う。こんにちは?。美しい世界ではないか?美しい世界!歌え!歌え!美しく命にあふれて!この世界は、私を何と喜ばせてくれることだろう。

野原のブルーベル(ゆり科の多年草)までもが私に喜びを与えてくれる。その指輪のような花びらを、チリンチリンと鳴らす。鈴の音を鳴らすように、朝の挨拶をする。美しい世界ではないか?。美しい世界?チロンチリンと鳴らせ。美しいものを。この世界は、私を何と喜ばせてくれることだろう。

そして、この世界はすぐさま輝きだす。陽光のなかで、すべてに音と色彩が満ち溢れる。花や鳥、大きいものもかわいいものも。愛すべき日だ!。美しい世界ではないか?こんにちは?こんにちは?美しい世界!これで私の幸福は戻ってくるだろうか?否!否!私は、知っているのだ、幸福の花は決して決して私には花開かぬことを。

第三曲 光り輝くナイフがある

光り輝くナイフがある。私の胸に刺さったナイフ。嗚呼、痛みよ。嗚呼、悲しみよ!。ナイフは、とても深く切り裂く。すべての楽しみと喜びを。とても深く!ひどい苦痛を与え、深く切り裂くのだ!嗚呼、これは何という邪悪な客人なのだ?彼は、決して沈黙することなく、決して休もうとしない。私が眠ろうとする夜も昼も、休もうとはしない。嗚呼、苦痛よ!悲しみよ!私が天を見上げるとき、そこに二つの青い眼が見える。嗚呼、苦痛よ、悲しみよ!彼女のブロンドの髪が、かぜにゆれるのを私は遠くから眺める。嗚呼、苦痛よ、悲しみよ!私が夢から目覚めると、彼女の銀色の鈴のような笑い声が聞こえる。嗚呼、苦痛よ、悲しみよ!黒い棺の中に横たわれたらよいものを。そして、決して決して私の眼が開かねば良いのに。

第四曲 私の恋人の二つの青い目

私の恋人の二つの青い目が、私を広い世界に送り出す。私は最愛の土地に別れを告げねばならない。嗚呼、青い眼よ、かって何故私に眼差しを投げかけたのか?。今、私には、永遠の苦痛と悲しみがある。

私は、静かな夜の中に歩みだした。静かな夜、暗いヒースの茂みの向こうから私に別れを告げるものはいなかった。ごきげんよう。ごきげんよう。ごきげんよう。愛(恋人と訳すべきか)と苦悩が私の同行者だった。

道の傍に、菩提樹が立っている。そこで、私は始めて眠ることが出来た。菩提樹の下で!。その花びらが散って、私の上に降り注いだ。そこで私は生きることが苦痛ではないことを知った。すべてが再び良いことに
なった。嗚呼、すべてが再びよきことになった。愛と苦悩、そして世界と夢のすべてが!

  ~~~ ~~~ ~~~ ~~~ ~~~ ~~~

歌が終わり、最後の寂しげなフルートソロの前の、あくまで暗いクラとバスクラの和音が印象に残ります。人生と和解したはずのマーラーには、やはり苦悩が待ち受けていることを暗示しているのでしょうか。

近況 

いよいよ、私の診療所も終わりに近づきつつある。今日、医師会、保険医協会への退会届けを提出した。月末に、閉院届けを提出する。立ち上げるのにあれだけエネルギーを要した診療所の閉鎖が、紙切れ一枚でいとも簡単であることに改めて感慨を覚える。継承される医師の方も適宜顔を出して、引継ぎ、私の診療の見学等を行っている。

上記の退会届けを出すことで、気分はさらにさっぱりした。今後とも非常勤の小児科医として仕事を続ける積りだが、気分はとても楽だ。人生の秋休み、小春日和が待っていてくれることを期待しよう。

何やかやと言いつつ、無線には、朝夜出ている。主に米国の方にリタイアの話をすると、バラ色のリタイア生活を語る方と、仕事への思いが立ちきれなかったという方と二分される。職種の問題ではなく、その個人の感受性・人柄の問題なのだろう。私も、どちらかと言うと、後者だが、後ろを振り向くだけでなく、前を向いて歩み始めること、だ。

二、三日前、昨年の今頃のことを思い返していた。地震津波による犠牲者・被災者のことを思いつつ、原発事故による放射能汚染が存在の根底を揺るがしかねないという締め付けられるような気持ちでいた。ようやく、外に出て、草むしりをする気になり、必死になって草をむしっていたような気がする。相馬市から昨年秋に送られてきた、被災と復興の過程を記した「中間報告」を改めて読み返した。地震当日から、初期・中間期・長期の目標を立谷市長以下がしっかり立て、市民のことを良く考えて、ともに困難に立ち向かっている様子が記されている。特に、最初の、2,3週間の記載は手に汗を握るようだ。立谷市長は、「米と梅干があれば籠城できる」と会議で皆に檄を飛ばしている。これは、SPEEDIによる予測が出されなかったために、相馬市一帯の放射能汚染がさほどひどくないことが世の中に知られず、風評で、物流が止まってしまったことに対応する、現実を見据えた発言だった。より困難な状況にある、南相馬市に対して、援助の手を差し伸べていもいる。こうした事実があったことを、我々は忘れるべきではない。

低線量放射能被曝問題は、今後も続く。山野に降り注いだ放射能と、「除染」という名の汚染物移動作業で生活空間から除かれ別なところに移された放射能は、やがて海に流れ込み、そこで生物による濃縮が行われる可能性を今後とも考える必要があるだろう。放射能汚染により故郷を追われた方々は約8万人。そのかなりの割合の人々が、終生故郷に戻れぬことを忘れてはなるまい。

さて、また引っ越し準備を始める。少し重たい物を持ち上げて、太ももの筋肉を傷めてしまった。昔は、こんなことはなかったのだが・・・という、年寄りじみた、というか年寄りの繰り言がついて出る。来週後半には、仕事場のネット環境を自宅に移す。

「インフルエンザ特措法」 

新型インフルエンザ対策を行政が講じる根拠となる、新型インフルエンザ等対策特別措置法案が検討されている。2009年の新型インフルエンザ流行時に厚労省が取った対策をそのまま法制化し、さらにそれに強制力を与えるものだ。それに伴い、国民の権利は制限されることになる。医療従事者には、インフルエンザに対する診療を行うように、都道府県知事が指示することができるとされているようだ。下記の論考で、小松秀樹氏が述べている通り、これは憲法を停止するに等しく、戒厳令と類比される状況をもたらす。

問題点は二つ。

厚労省官僚が、インフルエンザ対策に直接かかわることが、現場の混乱を助長すること。2009年の経験から、彼らの対策は全く無効であったことが判明している。

国民の基本的人権が一時的にせよ行政によって、強制的に停止される事態を、許してよいのかどうか。有事立法で、国民の基本的人権が制限されうることが、法的に規定された。それも大いに問題だが、この厚労省の行うと言う有害無益な対策に伴って、基本的人権が犯されて良いはずがない。こうした例を作ると、行政は、国民の基本的人権を侵すことを平然と行うようになる。日本国民は、「お上」を信頼する傾向が強い。が、それは大きな誤りであることが歴史の説くところだ。

新型インフルエンザ対策を、国が直接指揮し、現場の手足を縛ることには反対だ。


以下、MRICより引用~~~


インフルエンザ特措法は社会を破壊する

亀田総合病院 
小松 秀樹

2012年3月16日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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新型インフルエンザ等対策特別措置法案(以下、特措法案)は、「新型インフルエンザ等緊急事態措置その他新型インフルエンザ等に関する事項について特別の措置を定めることにより」「国民の生命及び健康を保護し、並びに国民生活及び国民経済に及ぼす影響が最小となるようにすることを目的とする」(第1条)。特措法案は、この目的を達成するために、行政に大きな権限を与えるものである。

特措法案では、検疫、停留措置を行うことが前提とされている。停留措置のための施設が足りない場合、所有者の同意が得られない場合でも、特定検疫所長は空港などの周辺の施設を使用することができる(第29条)。さらに、政府対策本部長が日本への船舶や飛行機の来航を制限することを要請する権限(第30条)、厚生労働大臣及び都道府県知事が医療関係者にインフルエンザに関する医療を行うよう指示する権限(第31条)、都道府県知事が、集会可能な施設の管理者に対し、施設の使用や集会の停止を指示する権限(第45条)、土地使用の必要があれば、所有者の同意が得られない場合でも、都道府県知事が土地を使用する権限(第49条)、緊急物資の運送又は医薬品等の配送を行うべきことを行政機関の長が業者に対し指示する権限(第54条)、都道府県知事が特定物資を収用する権限(第55条)など、憲法に抵触するような強大な権限を行政に与えるものである。権限を与えるだけでなく、重要な物資やサービスの価格が高騰したり、供給不足が生じたりするおそれがあるときは、買占め、売り惜しみに対する緊急措置に関する法律、物価統制令などによる適切な措置を講じなければならない(第59条)として、権限の行使を命じている。これでは、戒厳令に近い

この法律は、幻想の上に成立している。国に強大な権限を与えると、インフルエンザから国民を守ることができるという幻想である。国家にはそのような能力がないことは、2009年の新型インフルエンザ騒動が十分に示している。権限が大きくなればなるほど、混乱が大きくなる
一目で分かる特異な症状がなく、無症状の潜伏期間がある疾患の侵入を、検疫によって阻止したり遅らせたりすることなど到底できることではない
2009年の新型インフルエンザ騒動では、成田空港において、2009年4月28日から、6月18日までの52日間で、346万人を検疫して、10名の患者を発見した。大型コンピューターを使ったシミュレーションでは、 空港で8名の患者が発見される間に、感染者100名が通過していると推定された(文献1)。

問題の本質は、行政が科学を扱えないことにある(文献2)。行政は、法に基づいた組織であり、事実の認識ではなく、規範が優先される。
日本の2009年の新型インフルエンザへの対応は、規範優先で現実に基づいていなかった。危機を煽って、世界の専門家の間で無意味だとされていた“水際作戦”を強行した。“水際作戦”の遂行を規範化して、冷静な議論を抑制した。意味のない停留措置で人権侵害を引き起こし、日本の国際的評価を下げ、国益を損ねた。
医療現場のガウンテクニックの原則を無視して、防護服を着たまま複数の飛行機の機内を一日中歩きまわった。これによって、インフルエンザを伝播させた可能性さえある。知人の看護師は“徴集”されて、病院業務の代わりこの無意味な業務に従事させられた。ガウンや手袋の使い方を見て、唖然としたという。検疫の指揮を執った厚労省の担当官に、非常時だから、医療現場の常識と異なっても黙っているように言われたという。彼らも、水際作戦が役に立たないことを知っていたのではないか。
インフルエンザの防止ではなく、義務を果たしたというアリバイ作りが目的だったのではないか。言い換えれば、現実より規範が医系技官を動かしたように見える。

関西圏での新型インフルエンザの発生で「舞い上がった」担当者たちは、実質的に強制力を持った現実無視の事務連絡を連発し、医療現場を疲弊させた。行政発の風評被害で、関西圏に大きな経済的被害をもたらした。感染拡大後の対応についての議論まで抑制し、対策を遅らせた
厚労省の医系技官の思考と行動は、大戦時の日本軍を思わせる。レイテ、インパール等々、現実と乖離した目標を規範化することで、膨大な兵士を徒に死に追いやった。行政が、規範によって、インフルエンザを抑え込もうとすれば、壊れた巨大なロボットのような乱暴な動きで、人権を蹂躙し、国際交通、物流、医療制度を機能不全にしてしまう
特措法案は、危機を煽って国民の権利を制限することにおいて、治安維持法に似ている。日本の厚生労働省は旧内務省に由来する。警察も内務省の管轄下にあった。特措法案には、厚労省の法令事務官ではなく、警察官僚が関与したと政府筋から伝わってきた。

日本弁護士連合会は、2012年3月2日、新型インフルエンザ対策のための法制に関する会長声明を発表し、「科学的な根拠が不十分なまま、各種人権に対する過剰な制約を伴うものとならないよう政府に求めるとともに、上記問題点を十分に検討することなく性急な立法を目指すことには反対する」と懸念を表明した。
日本国憲法は、国家権力を制限して、個人の尊厳を守るという基本構造を持っている。これは、立憲主義とよばれ、近代憲法の基本的な考え方である。憲法は公務員に憲法擁護義務を負わせているが、一般国民には負わせていない。人権を侵すのは公権力であり、憲法は国民に戦えと命じている。すなわち、憲法12条前段は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」としている。
近代憲法は、アメリカ独立戦争、フランス革命を通じて形成された。アメリカ独立宣言の起草者であるトマス・ジェファーソンの下記認識は、厚労省の医系技官の行動を見る限り、現代でも現実的な意味を持つ。

「われわれの選良を信頼して、われわれの権利の安全に対する懸念を忘れるようなことがあれば、それは危険な考え違いである。信頼はいつも専制の親である。自由な政府は、信頼ではなく、猜疑にもとづいて建設せられる。われわれが権力を信託するを要する人々を、制限政体によって拘束するのは、信頼ではなく猜疑に由来するのである。われわれ連邦憲法は、したがって、われわれの信頼の限界を確定したものにすぎない。権力に関する場合は、それゆえ、人に対する信頼に耳をかさず、憲法の鎖によって、非行を行わぬように拘束する必要がある。」(法律学全集『憲法』pp.90, 1776年. ウィキペディアからの孫引き)

私は、かつて、新型インフルエンザについて、二つの文章を書いた(文献3、4)。2009年の新型インフルエンザ騒動のさなかに書いた文章を、特措法案についての議論のために再掲する。

<参考文献>
1.H. Sato, H. Nakada, R. Yamaguchi, S. Imoto, S. Miyano and M. Kami.: When should we intervene to control the 2009 influenza A(H1N1) pandemic?. Euro Surveillance, 15(1):pii=19455. 2010.)
2.小松秀樹:行政から科学を守る. MRIC by 医療ガバナンス学会Vol. 408, 2012年2月20日.
http://medg.jp/mt/2012/02/vol408.html#more
3.小松秀樹:新型インフルエンザに厚労省がうまく対応できない理由.MRIC by 医療ガバナンス学会Vol. 129, 2009年6月5日. http://medg.jp/mt/2009/06/-vol-129.html#more
4.小松秀樹:「岡っ引」日本医師会.MRIC by 医療ガバナンス学会Vol. 33, 2010年2月2日.
http://medg.jp/mt/2010/02/-vol-33-1.html#more

「実効性の高い情報を収集、提供」 

タブレット端末を使って、救急患者受け入れ可能な医療機関の検索を行うことに、栃木県ではしたらしい。

これまでとの変更点は

○全医療機関に対して一斉に入院要請を行える

○空きベッド情報を、問い合わせた救急隊員自身が打ち込める

ことらしい。

前者は、同じ説明を異なる医療機関に繰り返す手間が省けるということなのだろう。

後者は、空きベッド情報の病院側の更新が少ないので、救急隊の方で得た情報をアップし、他の救急隊に利用してもらおうということなのか。

疑問点は、空きベッドが、救急受入れができるかどうかの唯一、または重要なポイントとされている点だ。現場の感覚からすると、それはずれている。空きベッドは、しょっちゅう変化するし、また空きベッドがあったところで、救急担当医師の手がふさがっていることが多いのだ。救急で入院させた患者、または入院中の重症患者に手が離せないことは日常茶飯事。テレビドラマ「ER」で、急変した患者の容体が良い方向であれ、悪い方向であれ、すぐに決着がつくのを見慣れた方は、救急担当医師が手が離せず、次の救急患者に対応できぬことを理解しがたいのかもしれない。マンパワーが極端に減った夜間救急時間帯での、救急対応のレートリミッティングファクターは、救急対応する医師、スタッフの数・能力だ。この基本的なところを抑えないで、タブレット端末を救急隊員が弄ったところで状況は改善しない。

空きベッド情報の更新を救急隊員にやらせるという発想は、このシステム自体が自己目的化していることを意味するように思える。

栃木県の某医科大学で救急担当をしばらくやっていたころを思い起こしながら、こんなことを考えていた。あれから、マンパワー問題が劇的に改善したのだろうか・・・そんなことはなさそうだ。

以下、引用~~~

救急搬送先一斉に要請…栃木
12/03/13
記事:読売新聞
提供:読売新聞

タブレット端末救急隊員に 4月から照会さらに迅速化

 救急搬送時に医療機関の受け入れ態勢を救急隊員がインターネットで照会する「栃木県救急医療情報システム」に「タブレット型端末」を導入した新システムが4月から運用されるのを前に12日、県庁で消防隊員向けの訓練が行われた。

 複数の医療機関へ同時に受け入れ要請をする機能などを追加し、受け入れ可能な病院検索のスピードアップを狙う。

 タブレット型端末では、救急隊員が患者の性別や意識レベルなどを画面に表示された選択肢から選んで入力。この情報を医療機関がインターネット上で確認でき、隊員が複数の医療機関に問い合わせる際、患者の状況を説明する時間と手間を省くことができる。

 現場滞在時間が30分を超えた場合などに、複数の医療機関に一斉に患者の受け入れを要請する機能も追加。医療機関のパソコンなどに通知が届くと、気づくまでアラーム音が鳴り続ける仕組みになっている。

 12日の訓練には県内の全13消防本部から105人が参加。男子中学生が心肺停止になったという想定で患者情報を入力、医療機関に受け入れが可能かどうかを実際に問い合わせる訓練を行った。参加した救急隊員らは、「初めてのことで、入力や病院とのやりとりに時間がかかったが、操作やシステムを理解できれば今までよりも迅速に対応できると思う」と話していた。

 受け入れ側の医療機関は県内で72か所。県は、昼と夜の2回、受け入れ可能な診療科ごとにベッドの空き状況を入力するように求めてきたが、当直で医師が減る夜間の情報が更新されないことなどが多かった。2010年度から情報の入力頻度を上げるため、医療機関の受け入れ態勢について問い合わせを行った救急隊員も入力出来るように変更。一日の平均入力回数が0・83回(09年度)から1・22回(10年度)に増加した。土日祝日は依然、0・90回と低かった。

 タブレット型端末の導入に先立ち、3月から病床数の入力を省くなど医療機関の入力項目の整理が行われた。入力者のクリック数は最大で78回から15回まで減少し、時間短縮が可能となった。医師の勤務体制についても事前登録が出来るようになり、昼夜の受け入れ態勢は自動更新できる。県は、「実効性の高い情報を収集、提供していきたい」と力を込める。

An inefficient drinker 

我が家で大うけだった画像。

http://www.wimp.com/inefficientdrinker/

我が家の老描、すずめ、に同じことをさせようとしたら、大迷惑そうな顔をしていた。すずめは、水の入った飲み物容器に手を突っ込んで、それをなめて水分補給する特技があるので、いつかそれを撮り、どこかにアップしたら、彼も有名猫になれるか。それとも、それは猫として当然の嗜み?

引越し・フォーレそれにアメリカ旅行 

引越し作業が、佳境に入りつつある。一人ですべて運び出したいと思っていたのだが、やはり業者に依頼しないと駄目かも。始めるときも一人、終わるときも一人という「美学」の積りだったのだが・・・。17年間に積み上げた、ガラクタ、どうでも良い論文、雑誌類が多いこと。前に務めていた病院での退院記録もあった。当時、一ヶ月に20名前後の退院が記録されており、一人医長として頑張っていたじゃないかと自分を褒める。まぁ、入院患者としては軽い症例が多かったのだろうが。開業後数年間、気管支喘息の公的扶助を受けるために記していた、書類の記録も出てきた。この17年間で、医療制度がめまぐるしく変わった。学生時代のノート・日記の類まで出てきた。すべてひっくるめて、整理整頓。スタッフと写真も撮っておこう。人生の実り豊かで、かつつばぜり合いのような時期を共に歩んでくださった同行者だ。

昨日午後、バイオリンのTさん宅で、フォーレのピアノトリオ2楽章合わせ。4月下旬に某所で演奏するため。半年近く振りだった。フォーレのこの曲、甘い夢、渋さ、そして焦燥感、最後には、平安に終わる。その平安には何ともいえぬ一種の虚無感が漂っているように思えるのは、読みすぎか。弾くたびに、聴くたびに、新しい発見がある。音楽そのものの不協和音なのか、それとも音をはずしているだけなのか(笑)という部分が幾つもある。フォーレ独特の色彩感のある和声のなかに身を置ける幸せを感じつつ、昨年のことに思いを馳せた。お茶の時間には、Tさんの母上も混じって、昨年の昨日のこと等々。

米国行きの準備を、4月に入ったらすぐに始めないといけない。シアトル、サンフランシスコ、ロスアンジェルスという行程。アリゾナにもと思っていたが、今回はパスしないとだめかもしれない。全部、レンタカーで走りぬこうとも思ったが、シアトル・サンフランシスコ間は、16時間程度かかるらしいので、今回はその間は飛行機で飛ぶ予定。サンフランシスコでは、最初の米国旅行で泊まった、マウンテンヴューのヒルトンインに泊まってみたいものだ。サンフランシスコでは、旧友のW6CYX、それにまだ連絡していないが、K6KXに会いたい。ロスでは、N6TT、それにサンデイエゴ近郊から来てくれるというW6YA、ニューメキシコのW5UXHも、KO6U一家を連れて、来てくれるかもしれないとのこと。皆、結構な歳になっているので、この際多くの方と会っておきたい。

さて、今日も患者さんとしっかり向き合い、荷物の箱詰めをしっかりやる。

旧社会保険庁の役人達の行状 

旧社会保険庁は、年金のずさんな扱いが元で、廃止された。そこで働いていた役人650名が、厚生年金基金に天下ったと報道されている。で、そこで厚生年金基金、一部は厚生年金本体の運用を行っているらしい。大多数は、そうした基金・年金の運用の経験がないまま、単独で運用していた様子。滅茶苦茶だ。

ずさんだった年金運用の責任もとらずに、再び年金関係の組織に天下りし、そこで厚生年金基金・厚生年金の運用をする。これでは、何も変わっていないではないか。今回明らかになったAIJの件では、こうした杜撰な運用によって、大きな損金が生じたという。年金受給者の受給額が減らされるのは避けられまい。さらに、うさん臭い投資会社のコンサルタントとなり、コンサルタント料を取っていた者がいた、という。年金を私物化したも同然だ。こうした天下りによる弊害の全容を明らかにすべきだ。

旧社会保険庁の役人が移動した先として、地方厚生局が知られている。この役所の仕事の一つが、医療機関を指導することだ。指導といっても、医療・医学面で医療機関を指導するのではない。彼らが通達等で作り上げた複雑怪奇な医療保険制度規則を、医療機関に杓子定規に押し付けるのが、彼らの行う指導だ。その目的は、ずばり経済査定である。医療機関のなかには、医療内容が標準的な医療から外れていたり、極めてまれには、犯罪的な行為をしている者がいる。そうした医療機関・医師を取り締まることは結構なことなのだが、実際のところ、指導という名の経済査定で行われているのは、重箱の隅を突くような言いがかりで、医療機関に診療報酬の返還を求めることでしかない。最終的に、保険医療機関の取り消しという、医療機関・医師にとって、職業生命を絶たれる手段を彼らは持っているので、医療機関・医師が行政に対して否ということはできない。彼らのやりたい放題である。

旧社会保険庁の役人が、厚生局に移動してから、この「指導」が厳しくなったと聞く。以前から、指導を受けて、自殺した医師・歯科医師が存在した。職業倫理に悖る行政を行ってきた省庁から移動してきた役人が行う、こうした「指導」が、何もチェックされなくて良いものだろうか。厚生局の現在のやり方に強い疑問を抱く。



以下、引用~~~


旧社保庁OBがAIJ紹介


2012年3月3日(土)6時18分配信 共同通信


 企業年金運用会社のAIJ投資顧問(東京)が顧客の預かり資産約2千億円の大半を消失させた問題で、旧社会保険庁(現・日本年金機構)OBが複数の年金基金の幹部に、AIJに資金の運用を委託するよう勧めていたことが2日、このOBへの取材で分かった。また、同庁の幹部23人が、1999年8月~2010年9月までの約11年間で、全国の厚生年金基金の常務理事などに天下りしていたことも判明。


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複数の企業年金 旧厚生OBがAIJ斡旋 経営会社に役員受け入れ
産経新聞 3月3日(土)7時55分配信

 投資顧問会社「AIJ投資顧問」(東京都中央区、浅川和彦社長)が年金資産約2千億円を消失させた問題で、旧厚生省(現厚生労働省)OBがAIJとコンサルタント契約を結び、企業年金側に「AIJは年金資産の運用委託先として有望」と仲介していたことが2日、分かった。これを機に複数の企業年金がAIJと契約していた。このOBが経営する年金コンサル会社の役員をAIJ役員が兼務していたこともあり、OBがAIJと一体となり顧客獲得の一翼を担っていた実態が浮上した。

 このOBは産経新聞の取材に、複数の企業年金側にAIJを紹介したことを認めたが、「運用実態がこんな状態になっているとは知らなかった。AIJを勧めるときには『最終的に決めるのはそちらです』と念を押していた」と話した。

 OBは旧社会保険庁(現・日本年金機構)の年金担当や旧厚生省保険局医療課で課長補佐などを務めた70代の男性。退職後、都内の年金基金常務理事などを歴任した。

 関係者やOBによると、OBは平成16年に都内にコンサル会社を設立。AIJとコンサル契約を結び、20年ごろに契約を解除するまで、多くの企業年金担当者に「AIJは運用に安定感があり、大きな損はしない」と紹介。企業年金側からAIJの評判などを尋ねられた際にも「優良委託先」と勧めていた。

 このうち、少なくとも関西や中部地方にある4~5の企業年金が、AIJから「高利回りで運用できる」と虚偽の説明を受け、AIJと年金資産の投資一任契約を結んだ。この中にはOBが顧問を務める企業年金もあった。このうち関西の企業年金は現在もAIJと契約を結んだままという。

 コンサル会社はAIJから年間500万円前後の報酬を受け取っていた。また、AIJ前社長や現役役員が一時期、コンサル会社の役員を務めていた。

朝令暮改・複雑怪奇 

下記の文章は、4月に行われる診療報酬改定の一部分。

要するに、精神保健指定医は、勤務医の場合、行政の仕事をしなければ、精神科外来初診時の診療報酬を下げる、ということ。

もう一点は、開業医では、24時間患者に電話対応しないと、同じく診療報酬を切り下げる、ということ。

この診療報酬改定の問題は、

1)精神保健指定医という公的な資格を、行政のための仕事に絡めたということ。民間の医師に、行政の仕事を強制しようという意図が明白である。民間人に公的な責務を強制するやり方は、職業選択の自由を犯す。官の論理を、民間に強制している。

2)開業医には、24時間365日対応をしなければ、診療報酬を減らすという、ネガティブな動機付けを行っていること。この手法が認められたら、診療報酬を如何様にも減らし続けることができるようになり、ひいては、医療システムを破壊することになる。これは、実質的に対応不可能であり、診療報酬の切り下げそのものだ。小児科が対応となる、時間外対応加算(行政は、地域医療貢献加算という呼称がまずいと思ったのか、中身はほとんどそのままに、呼称だけ変更した)も同じ。時間外救急の50%は小児科であり、24時間365日対応など不可能に決まっている。どんな職種であれ、24時間365日拘束することが、非人間的なことであるのを、行政は自覚していないのか。同じ連中が、勤務医の労働条件改善のためにと称して、診療報酬改定を行っている。笑える。

3)この笑っちゃうほど複雑な体系・・・継ぎはぎに継ぎはぎを重ね、2年おきに、思いつきの施策にむけて、診療報酬改定で医療機関を誘導しようとするから、こうなるのだ。もっとシンプルに、そして基幹部分は、少なくとも10年単位では変更しないこと、さらに、方針変更をするなら、その変更が医療現場にどのような影響をもたらしたか、検証することが必要だ。「効果が出たら、その規則は取りやめる・・・梯子を外すと我々現場では言う」という、朝令暮改は止めるべきだ。そのために医療現場がどれだけ右往左往させられることか。この複雑な体系の一例として、この文章をアップしておく。

あぁ、このような行政のやりたい放題からあと3週間ちょっとで解放される・・・。


以下、引用~~~


通院・在宅精神療法の「1」は地域の精神科救急医療体制の確保に協力等を行っている精神保健指定医又はこれに準ずる者(精神保健指定医であった医師及び旧精神衛生法に規定 する精神衛生鑑定医であった医師をいう。以下同じ。)がア、イ、ウのいずれか2つの要件を満たし、により初診時に通院・在宅精神療法が行われた場合に限り初診時にのみ算定 できる。なお、この場合においても他の初診時と同様に診療時間が30分を超えた場合に限り算定できる。


ア 精神保健福祉法上の精神保健指定医の公務員としての業務(措置診察等)に ついて、都道府県(政令市の区域を含むものとする。以下本区分番号において同じ。)に積極的に協力し、診察業務等を年1回以上行うこと。 具体的には、都道府県に連絡先等を登録し、都道府県の依頼による公務員としての業務等に参画し、(イ)から(ホ)までのいずれかの診察あるいは業務を年1回以上行うこと。
(イ) 措置入院及び緊急措置入院時の診察
(ロ) 医療保護入院および応急入院のための移送時の診察
(ハ) 精神医療審査会における業務
(ニ) 精神科病院への立ち入り検査での診察
(ホ) その他都道府県の依頼による公務員としての業務


イ 都道府県や医療機関等の要請に応じて、地域の精神科救急医療体制の確保への協力等を行っていること。具体的には、(イ)から(ハ)の要件を合計して年6回以上行うこと。
(イ) 時間外、休日又は深夜における救急患者への対応に関し、精神科救急情報センター等の相談員からの問合せに対応すること。具体的には、精神科救急情報センター等の対応体制( オンコール体制を含む。)に協力していること。
(ロ) 時間外、休日又は深夜における外来対応施設(自治体等の夜間・休日急患センター等や精神科救急医療体制整備事業の常時対応型又は輪番型の外来対応施設等)での外来診療や、 救急医療機関への診療協力(外来、当直又は対診)を行うこと。(いずれも精神科医療を必要とする患者の診療を行うこと。)
(ハ) 所属する医療機関が精神科救急医療体制整備事業に参加し、当該精神保健指定医が当直又はオンコール等に参加していること。


ウ 標榜時間外において、所属する保険医療機関を継続的に受診している患者に関する電精神- 4 -話等の問合せに応じる体制を整備するとともに、必要に応じてあらかじめ連携している保険医療機関に紹介できる体制を有していること。具体的には、(イ)又は(ロ)のいづ れかの要件を満たすこと。
(イ) 時間外対応加算1の届出を行っていること。
(ロ) 精神科救急情報センター、都道府県、市町村、保健所、警察、消防(救急車)、救命救急センター、一般医療機関等からの患者に関する問合せ等に対し、原則として当該保険医療 機関において、常時対応できる体制がとられていること。また、やむを得ない事由により、電話等による問合せに応じることができなかった場合であっても、速やかにコールバッ クすることができる体制がとられていること。

神話がなぜ生まれ、維持され続けたか? 

東電福島原発事故の原因究明を行う、民間の委員会が報告書を出したようだ。内容を詳細に検討していないが、結局のところ、政官業学のスクラムによる「原発安全神話」が、この事故を引き起こし、さらに被害を拡大させたように思える。

この神話は、当初、原発建設を地元に受け入れさせるために作り上げられたもので、日本には神風が吹くというプロパガンダと同程度の根拠のないものだった。一旦この神話が出来上がると、神話が独り歩きを始め、安全性の見直しをさせぬ強制力となった。神話から外れることを行うと、神話が神話でなくなるのだ。

内橋克人氏によれば、この神話を国民に受け入れさせ、それに沿って国民を教化するために、三つの方策がとられたという。一つは、業界団体である電気事業連合会のマスメディアへの恫喝である。反原発ないし、原発の問題点を指摘する発言に対して、同会は「関連報道に関する当会の見解」を連発した。これは、スポンサーとしての業界による、商業マスメディアへの恫喝そのものだ。

第二に、小中高の教育である。「エネルギー・環境教育」として、原発礼賛・是認の教育が繰り返されてきた。原発が、安全かつクリーン、さらに持続可能なエネルギー源であると、繰り返し教育されてきた。

第三に、文化人を使ったキャンペーンである。彼らは、原発の安全性・必要性を、マスメディアに乗って、繰り返し発言し続けてきた。彼らは、東電福島原発事故後、発言をしていない。

教育とマスコミを利用した、こうした神話の教化は、かなりの効果を上げてきた。私自身も、原発の事故が、これまでも繰り返し起きており、原発の稼働率が低迷していることを初めて知った。時の、経済・行政・政治権力を握った、利権集団は、国民に本当のことを知らせず、おめでたいほどのプロパガンダを国民に繰り返し流し続け、自らの利権を維持しようとする。

この神話を作り上げ、喧伝するシステムを徹底的に検証し、同じようなことが起こらない安全弁を社会に構築する必要がある。我々は、権力・利権を握るものが、常にこうしたプロパガンダで我々を欺こうとする、ついには彼ら自身が、プロパガンダに囚われる事態になることを知っておく必要がある。

残り4週間 

今日、午後の診療で、幼稚園児のKちゃん(妹)、Y君(兄)兄弟が、祖母に連れられて受診した。仲の良い兄弟で、同じ幼稚園に通っている。腕白盛りのY君は、前回、診察中に、私に股蹴りを一発くらわしてくれた元気いっぱいの子だ。今日はいつになく大人しかった。そして、Kちゃん、診察が終わると、「先生、辞めちゃうの?」という質問。

参ったなと思いつつ、「別な先生にこの診療所を引き継ぐんだよ」と説明した。お祖母ちゃんが、父上の知り合いから、私が引退することを聞いたのだと口を挟んだ。今後のことを説明し、心配しないように申し上げた。

こうして説明すると、多くの患者さん・その親御さん・ご家族は納得して、世話になったと言って、去って行かれる。これまで数年間、場合によっては、十数年間、診せて頂き、成長を見守っていた関係も、この1,2分の挨拶で終わりになる。仕事を辞めるとは、このようなものなのだろう。

患者さんにとっては、主治医は、多くの医師達のなかの一人。でも、主治医にとっては、お一人お一人がかけがえのない家族のような存在、というと、自らの立場を美化しすぎか・・・。Kちゃん、Y君兄弟は、父親だけの家庭で、まだ若いお祖母ちゃんが一生懸命育てている。あと、10年、20年したら、どのように成長なさっていることだろう。主治医としてでなくても、どこかで出会って、その成長ぶりに接したいものだと念願している。

後、残すは4週間。走り切ろう。