福島県小児に高率で甲状腺異常が見つかる 

英文ブログ、こちら、の方で書いたことなので、こちらでは要点のみを記す。このブログポストは、甲状腺の異常所見が、放射能被曝によるもので、癌化していると直接主張するものではない。が、早急な対応が必要なことは確かだろう。

福島県の当局は、福島の小児に甲状腺の超音波検査を施行し、36%に、結節性病変や嚢腫を見出したと報告した。二次検査では、「おおむね良性」であるとのみ公表されている。正常コントロールの調査は、これから行うとしている。

文献的には、小児正常群での甲状腺の嚢腫は2%以下、結節は1%以下。一つは、現福島県立医大の副学長でこの問題を担当していると思われる山下教授のデータ。正常と異常の境界をどこに置くか、検査機器の精度はどうか、正常群同士統計的に同一と考えてよいかといった問題は残るが、上記の36%は以上に高い数値であることはほぼ確実。

オーストラリアの小児甲状腺専門医Caldett医師は、異常所見の出現が極めて早期であることを指摘し、彼らには全例生検を行い、悪性化の有無を調べるべきだと述べている。一方、米国の甲状腺学会の会長Haugen医師は、情報が十分得られていないが、5mm以上の結節性病変では、生検を行う必要があると述べている。後者だとしても数十名のオーダーで検査が必要になるはずだ。

両者ともに異口同音に述べているのは、情報開示が少なすぎることだ。二次検査の「おおむね良性」というのは、いかなる検査所見をもとに福島県立医大のグループは判断したのだろうか。親にさえ、詳細な情報は知らされていないらしい。ネットの情報では、血液検査等をスクリーニングに導入するのは、「医療経済上」できないと、検査を担当する医師(確か放医研の医師)が述べたらしい。東京電力にあれだけの公的資金を投入しておいて、小児の甲状腺がんという一番の焦点になる健康問題には、公的な資金を投入できないのか。また、私の知る範囲では、小児科学会等関連学会が、この問題に対して見解を出していない。関連学会は、大至急見解を出し、情報公開を求めるべきだ。

暗記受信中にパニックになること、その対応 

先日、JBAの会合で、何人かの方が、電信の暗記受信で躓くことを訴えておられた。電文を受信中に、分からぬ単語が出てくるところで、受信が止まってしまい、そこから先に進まなくなるというのである。そこでパニクってしまうというのだ。これは、私も経験してきたことで、最近でも時には経験する。が、ずうずうしくなってきたためか、パニックにはならないことが多い。

私自身がどのように対応しているか、あれからしばらく考えてきた。その酒の席で申し上げたこととほぼ同じなのだが、対応の仕方は、三つに分けられよう。

一つは、忘れることだ。文脈から、さほど重要ではないと思えると、それについては意識の外に追いやる。但し、つっかえた単語をメモしておき、後で調べる。のんびりした交信であれば、交信中に辞書に当たることもできる。

電文の内容は、大きく分けて、二通りになる。一つは、情報の羅列である。例えば、リグ・天気・仕事の紹介等が続く場合だ。その場合、一つの情報が抜け落ちても、話を進めることに支障はないことが多い。この場合に、場合によっては、この忘却の術を使うことになる。

もう一つ、何かの論理が展開される場合もある。『民主党(これ、米国の場合)政権では、社会福祉に予算を多く使ってきた、「それで」一部の国民に仕事をしなくても良いというモラルハザードが生じている、「そのために」自分は民主党政権を支持しない。』といった内容の場合、途中の文章・単語で躓くと先に理解が進まないことがある。こうした論理的な内容の場合は、この忘却の術を安易に適用すると、話が全く通じなくなる可能性が高い。

電信での意思疎通という面からして、この忘却の術は、最後にくるべきものだ。こればかり使っていると、交信内容が貧弱になり、また自分のトレーニングにならない・・・ただし、混信や雑音のなかでの交信では、この策を取らざるを得ないこともある。

二番目の対応方法は、相手の言わんとするところを、自分なりに消化し、その文脈を展開する形で話しを続けることだ。いわば、置き換えである。ここでは、意味の取れない単語を、語彙力と文章の理解力とを総動員して、推測する作業が必須になる。これは大変なことと思われるかもしれないが、知的な作業であり、面白みを感じるところでもある。

三番目は、分からぬ文章・単語をそのまま尋ねることだ。直接疑問をぶつけることだ。取れたところまでを、そのまま送り、分からなくなったところで、WHAT?と打って尋ねても良いし、分からぬ単語を直接尋ねても良い。こうすると、大体より簡易な単語で置き換えてくれたり、説明をしてくれたりするものだ。これが初心者には良い方法だと思うが、交信が少しまどろっこしくなるのは否めない。

実際の交信でどの方法を取るかは、交信内容・交信状態・相手の技量等々によって変わってくるわけだが、文脈の大まかな流れを常に把握しておくことが大切なことになる。全体的な文脈を、たとえ内容全体がつかめていなくても、把握できていれば、パニックになることはまずないはずだ。パニックに陥るのは、やはり逐語訳を交信中に余裕のないまま進めているからではないだろうか。キーワードをログに適宜記載しておき、どのような文脈・電文の構成になっているか、常に意識することで、パニックは避けられるはず。

それと、最初はこの現実の把握は無理かもしれないが、初対面の相手では、相手の電信能力、さらには英語の表現力さえも、nativeとしては完璧ではないこともあるということが、現実問題としてはあることを承知しておいた方が良い。特に、米国の試験制度で電信の技能が要求されなくなってから、残念なことに、明らかに電信の能力が不足している方に時々お目にかかるようになった。また、英語を母国語としない国からの移住者が相手になることもある。この点から行けば、同じ相手と交信を続けていると、相手の能力、それに特徴的な言い方まで予め理解し、予測することができるので、楽になる。

と偉そうに書いてみたが、私もまだまだ勉強の途上。というより、乏しい英語の知識を如何に漏れ落とさないか、と格闘しているというのが現実だ。でも、交信をしながら、様々な考え、知見に接し、さらに英語の優れた表現に接することができるのは、この上ない楽しみでもある。

N2DAN CWを通しての交友 

今日は、これから秋葉原に出かけて、CWの愛好家連中との飲み会である。JBAというあまり活動をしていないクラブの総会と名うっての会合だ。もともとこうした集まりに出かけることはあまりなかったのだが、やはりリタイアして時間ができたのと、少し歳をとったためか、旧知の方、それに初めてお目にかかる方と実際にお目にかかっておきたいと思うようになった。あと1時間程で出発だ。

午前中にN6TTと久しぶりに交信。この集まりに出て、先日の米国旅行の写真を皆に見せる積りだと言ったら、「彼がバケツのような皿一杯のロブスターを目の前にして食べようとしている写真」だけは見せるなと言って笑っていた。勿論、その写真も皆に見せる積りだ。



CWでのつながりというと奇矯な趣味人の集まりのように聞こえるかもしれないが、決してそんなことはない。少し凝り性だが、いたって円満な性格の常識人の集まりだ・・・例外もあるのかもしれないが、私のような・・・。

CWでの人のつながりとしては、JBAと、それに関係する方々と、やはりFOCの面々との関係が、私にとって大きな意味を持っている。FOCに入りたての頃、1990年前後だったか、FOCのメンバーの一人、Steve N2DANと度々交信したことがあった。彼の作るMercuryというパドルは、スプリングの代わりに磁石を用いたもので、使い心地が良いとほかの方から何度となく聞いていたので、Stveに会うと、彼の作るそのパドルを何時か注文したいと思っている、と申し上げたのだった。いつでも注文に応じると、彼から言って頂いていたのだが、送金方法が現在ほど簡単ではなかったので、ついつい先延ばしになってしまった。ついに、注文する前に、彼が亡くなってしまった。彼はこの手製のパドルを商売にしようなどとは毛頭考えていなかったのだと思う。欲しいと言う方にだけ、せっせと作っていたのだろう。パドルのこと以外に、どのようなことを話題にしていたのか、記憶がよみがえらないのだが、いつも気さくに交信に応じてくださっていたことだけは覚えている。

で、Steveの生涯が、第二次世界大戦によって苦難に満ちたもので、戦後ドラマチックなご両親・ご家族との再会を果たしたことを、あるサイトの記事から最近知った。こちら。N2DANのコールを受け継いだ方のサイト。Steveが、このような人生を歩んだ方だったとは、想像だにできなかった。本当に驚きと感動でこころが一杯になる。是非ご一読をお勧めしたい。

CWを通しての付き合いで、こうしたことまでは理解できなかったが、あの飄々とした交信振りの背後に、こうした経験をしていらっしゃったことを知り、人生の奥深さを改めて感じた。CWを通した交友があればこそ、こうした経験をさせて頂けるのだ。CWを通した交友を大切にして行きたいものだ。

というわけで、久しぶりに宇都宮線上りの乗客となる・・・。

医師が燃え尽きる 

過日、友人のBob W6CYXが、Reuterの記事をメールで紹介してくれた。こちら。米国の医師の半数近くが、「燃え尽き」ているというのである。仕事、特にペーパーワークの多さが、彼らを疲弊させているらしい。Bobによると、近くのファミリードクターの多くが早くリタイアをし始めているらしい。あちらのファミリードクターは、インド・中国からやってきた医師が多くなってきているらしい。

facebookにこの記事を紹介したら、北米東部の大学でついこの前まで外科系のマイナー科の教授をなさっていた友人 Don W4ZYTからメールがあり、この記事を追認する内容を書き送ってきた。経済的にも、患者からの要求水準という点からも、医師が疲弊している、というのだ。彼自身も燃え尽きて、リタイアする決心をした、と。臨床現場から離れるのはさびしかったが、あの仕事に戻るつもりはない、とのことだった。現在は、近くの診療所でボランティアをし、雑誌の査読者している、とのことだった。

日本では、医療費はさらに抑制され(ということは、アクセス制限が実現しない限り、時間当たりにすると低い賃金・労働単価での過酷労働がこれからますますひどくなる)、医師の仕事は専門医という形で行政に支配され、医療事故についても行政主導の医療事故調が実現し、さらにそれに対して、保険金を支払うことが要求されるようになる。少なくとも、行政サイドは、そのように画策している。また、混合診療は不可避のようだが、それは医師が医療保険資本といつも対峙することを要求する。すなわち、これまで以上に書類に追われることになる。

Donは、これまで問題に対処する立場だったが、これからは問題の標的そのものになる立場になる、と皮肉交じりに記していた。日本でも、半数が60歳を越えた開業医のリタイアが進む。彼らは、医療提供者から医療を受ける立場に変わる。医療の第一線で医療を提供するマンパワーが、大きく削がれることになる。行政は、それさえも、医療福祉への国家予算削減に寄与することとして内心歓迎しているのかもしれない。

このようなことは、政治家もマスコミも誰も語らない。

社会保障費は抑制へ 

社会保障費の抑制が必須だそうだ。

北陸・九州新幹線は着工が決まった。公務員給与引き下げは2年間だけ。議員定数削減も進まない。

しかし、社会保障費削減は必ず行うらしい。結論先送り・反発を招くとしているのは、世論の反応を見るためのアドバルンであることを意味する。反発が少なければ、実行するという行政サイドの様子見。


以下、引用~~~


社会保障費の抑制が鍵 要求基準は緊縮型維持
12/08/20
記事:共同通信社
提供:共同通信社

 政府が17日に閣議決定した概算要求基準は、国債費を除く「歳出の大枠」を71兆円以下に抑えるとし、緊縮型の予算を維持した。目玉となる日本再生戦略の施策だけで要求総額が2兆~4兆円に上るほか、社会保障費の自然増分は約8400億円を見込み、「大枠」を守るには政府全体で厳しい歳出抑制が必要だ。中でも歳出の3割を占める社会保障費への切り込みが鍵を握る。

 概算要求基準は「社会保障分野も聖域視せず、最大限の効率化を図る」とし、生活保護費の削減方針を明記した。基準段階から施策名を挙げて見直すよう求めるのは珍しく、2013年度予算編成の焦点となる。

 生活保護では不正受給が社会問題化し、支給額が最低賃金で働いた場合の収入を上回る逆転現象も指摘される。政府は支給額の見直しや医療扶助などの抑制に取り組む考え。自民党も支給額の10%削減などで生活保護費を総額約8千億円減らせると試算する。しかし、生活保護は「最後のセーフティーネット」とも呼ばれ、安易な減額は許されない。

 現在は特例的に1割に抑えている70~74歳の医療費窓口負担を本来の2割に戻すことも課題だが、高齢者の反発を招く恐れがある。

 社会保障と税の一体改革では、医療・介護の自己負担の引き上げを検討したが、民主党内の反発により結論を先送りにした。新設の社会保障制度改革国民会議で議論するが、政局が混迷すれば改革実現は遠のく一方だ。

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で、野田首相は、ついこの前までこんな風に言っていた。


旅行のまとめ 

早くやらなくてはと思っていた、米国西海岸への旅で得た書類や、パンフレット・飛行機のチケット・領収書の類諸々を、ようやく一つのファイルにまとめあげた。もう見返すこともないだろうとは思うが、ひとまとめにすることでようやくすべてが終了したという気持ちになった。

旅行記に書かなかった印象を幾つか追加しておこう。

一つは、米国の豊かさを改めて実感した。Bob W6CYXに連れて行かれたシリコンバレーの住宅街、スタンフォード大学ともに、ゆったりとした空間に趣のある建物、住居が並んでいた。土地が豊富にあることもあるだろうが、高層建築はダウンタウン以外あまりなかった。街には、木々が多く、多くの場所で電線が地中化されていた。W7GKFの豪華な家は例外なのかもしれないが、Bobの古い家も、そしてSteve N6TTの家も、日本の標準的な住居に比べると段違いだ。地下室は大体常設だし、家の作りが大分違う。がっしりとした作りになっており、それこそ100年単位で住めそうな家だった。旅行記にも記したが、住宅街では、売りに出された住居が並んでいるところを想像していたのだが、そうした光景には、見た限りでは遭遇しなかった。一方、円ドルのレートが円高であることも当然あるが、物価はかなり安い。翻って、我が家をはじめ、日本の家屋は、いかにも貧弱である。最近の家は良くなっているのかもしれないが、10年20年前に建てられた家の多くは、築後30、40年も経つとかなり痛み、資産価値もなくなってしまうものが多いのではないだろうか。自分の家を建てることを、人生の一つの目標にして建てたら、人生の最後には資産価値が殆どなくなっているということはおかしいのではないだろうか。感情の問題だけでなく、経済的にも、そうしたことで良いのだろうか。

言葉の問題。家内等英語は得意な方で、それに趣味として英会話のラジオ講座を聞いたり、TOEICを受けて、それなりの成績を出しているのだが、実際の会話になると、かなり苦戦していた。私も似たようなものである。一応、lingua francaとしての言語としての英語は何とかなったかと思えたが、こちらの言うことが理解してもらえない(発音が不適切なためである)のはフラストレーションだった。特に、若い方のリエゾンしまくりのような早い英語には苦戦させられた。nativeと同様に話せる、聴くことができる必要はないかもしれないが、やはりある程度の会話について行けるようになりたいものだ。それに、いつも感じることだが、自分の考えを持っているかどうかも重要なことだろう。never too lateと思って、頑張ってみよう。英語を第二外国語、外国語として話す人々は、nativeの数をはるかに超えているらしい。これからの時代を生きる方には、英語は必須の知的技術になる。若い方には、英会話に慣れておくことをお勧めしたい。

無線をやっている人々は、凝り性というか、「バカ」が多い 笑。Kemp K7UQHがHiltonに現れて、昔話を写真を交えながらしていると、すぐに何人もの方が周りを取り囲んだ。見ず知らずの人間たちである。そして、楽しそうに昔話に花を咲かせていた。NW FOC DINNERでお会いした面々、それにサンノゼと、ロスでお目にかかった旧友達すべてがそうした方々だった。この古めかしい通信手段でつながった面々、どこか普通の人々とは違うように思える。

後は、撮った画像をCDに焼いて、この記録とともに保存して、すべての行程を終えることになる。

老化を意識した話 

二日ほど前の話。7メガでWA6HJNが聞こえた。聞き覚えがあり、あぁ、あの方だと思ってお呼びした。確か、仕事でオクラホマに出張していたはずだが、帰宅したのか、といったことを話題にして交信を進めた・・・つもりになっていた・・・ところが、彼が繰り返し「私はShellだ、Shell」と言うのである。

そう、人間違いをして、交信をしばらく続けていたのだ。私が交信をしている積りになっていたのは、Jack WA7HJV。似ているコールといえばそうだが、でも違う。こんな失態は今まで殆どしたことがなかった。間違ったとしても、交信をし始めたらすぐに気付いたのだ。Shellにはお詫びした。だれにもあることだと慰められた。でも、誰もがこんなことはやらない・・・。

どうも、夜、意識レベルが若干低下していた(眠気とはまた違った意味で)ような気がする。老化を意識するのは、この意識レベルの低下と、睡眠深度の低下を自覚するときだ。ま、年齢相応の変化なのだろうが、残念ながら、こうした現象を時々経験するようになってきた。この現実を受け入れ、対応することが必要だ。

とりあえず、PCロギングを手始めに始めないといかんな・・・交信中に同じ話題を繰り返すようになっているかもしれないし、相手の情報がすっぽり記憶から抜け落ちていることも多い。できるだけ簡便なソフトを見つけ出そう。アワード管理や、クラスターとの連動など不要。交信期日と、交信内容を入れられれば十分。唯一心配なのは、私の備忘録ノートみたいに、10年単位で使い続けられるかどうか、だ。10年後には、かなりactivityが落ちているだろうから、それも心配ないか 苦笑。

それと、頭を何時も使い続けることが大切だろう。いわば、使い続けることによって、老化の速度を遅くすることだ。

その上で、大胆に老化現象を受け入れることだ。

という、詰まらぬ老化現象の話。

寺澤盾著「英語の歴史」過去から未来への物語 

中公新書の上記の本を読んだ。

英語の歴史を、1500年余り前の起源から、現在、そして未来という流れで記した著作である。古英語が、5世紀のブリテン島へのゲルマン民族の移動、さらにキリスト教の伝来によって、ゲルマン語他の言語・キリスト教を通したラテン語から大きな影響を受け、中英語の時代に入る。さらに11世紀の所謂ノルマンコンクェストによりフランス語が公用語となり、英語の復活は13世紀まで待たなければならなくなる。近代英語にはフランス語から影響が色濃く見られるという。

様々な民族と言語がダイナミックに影響しあい、現在の英語が形作られる過程を、文法や、語彙の面から明らかにしている。現代の英語は、英国・オーストラリア・米国の英語で差がある面もあるが、米国の英語がその他の英語に強い影響を及ぼしているが記されている。さらに、現在の英語は、世界的にみて第二外国語・外国語として話されることが多い。英語帝国主義への反発等があるが、今後ともにlingua francaとして英語は存在し続けるだろう、というのが著者の見解である。

面白いと思ったのは、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」の場面の紹介。ロミオとジュリエットが初対面で出会うところは、ジュリエットが敬語としての二人称でロミオに語りかけるのに、あの有名なバルコニーのシーンでは、ジュリエットは親しい関係の二人称でロミオに語りかける。中英語では、ドイツ語と同じような文法構造があったのだ。さらに、今回の米国旅行でもしばしば耳にしたが、you guysという二人称複数の用法。単に、guy達よ、という呼びかけかと思っていたが、二人称は単数と複数が同じ形なので複数を単数形とは別な形にして文法的に落ち着こうとする「モーメント」が働いている、そのためにyou guysという言葉が用いられるようになってきている、とのことで、なるほどと納得したことだった。文法的に落ち着く方向に、文法が変化してゆくことはほかでも見られるらしい。

こうした英語の歴史を学んでいたら、学生時代にもっと奥行きのある学習が可能だったかもしれない。先にあげた、単に規則の列挙である「死んだ」文法ではなく、言葉や文法の「ニュアンス」を大切にする「生きた」文法の学習と併せて、こうした学習内容は、英語をもっと生き生きと、立体的に学ぶ契機を与えてくれることだろう。受験生達にも機会があれば、是非勧めたい内容の書物だ。英語に関心のある方にもご一読をお勧めしたい。

日本語の歴史も勉強しなければ・・・。

Duane KK4AM 

夕刻迫り、陽が傾くころ、7メガの北米が良く入感するようになってきた。先日、Duane KK4AMとお会いした。縦ぶれでのんびりと打鍵してくる。こちらも、ほぼ半世紀前のHK3Sを持ち出して、応戦した。

彼は、キャンパーであちこち旅をしている様子。QRZ.COMに画像と自己紹介が載っている。こちら。リグは昔懐かしいFT102.アンプはそれよりも古いSB200だ。アンテナはスクリュードライバー。

FT102は1980年代初めころだったか、6146を3パラにできるリグとして華々しく登場したリグだった。ドライバーは何だったのだろう。TS830のように12BY7A一本じゃ、押せなかっただろう・・・。SB200もかってはドレークのL4B等とともに、多く見られたアンプだ。ヒースキットのあの美しい外観にあこがれたものだった。これは、確か572Bのパラだったような気がする。この上のクラスにSB220があって、WA6IVNは、それでブンブンいわせていた。

アンテナが三脚に建てたスクリュードライバーというところがユニーク。普通は、キャンパーの車体にくくりつけて、車体をラジアルにするところだろう。ラジアルが金属製のスケールなのだろうか、バンドごとに長さを合わせられるようにしているとのことだった。ラジアルはSteppirと同じだね、とギャグを言ったが、特に反応なし。車体をラジアルにするよりも、きっちりとした長さのラジアルを数本浮かせてセッティングした方が、効率が良いのかもしれない。何しろ、信号は強力である。

彼もbio.のなかで語っているが、こうしたリグ・アンテナこそがかっての旧き良き時代を代表するものであり、それらをしっかりメンテして使うと、そうした時代がいかなるものであったか、分かろうというものなのかもしれない。

私のへたな縦ぶれに、音楽のように聞こえるというお褒めの言葉を頂戴し、気分よく(単純)お別れした。

1960年代から80年代が、アマチュア無線が花開いた時代だったのかもしれない。

相馬野馬追の武者たち、それを観る精神科医の眼差し 

精神医学は、人を全体として扱う魅力的な医学領域だと昔から憧れをもってみてきた。現実社会のなかの患者さんと対峙し、ともに歩むことは難しいことでもある。そのような理想的な医師患者関係が成立しない場合も多いのかもしれない。

福島で放射能汚染に遭いつつも、たくましく生きておられる方々を、見守る、この医師に、人を全体として扱う精神科医の眼差しがあるように感じる。福島の方々、彼らを見守る精神科医の双方にこころからの支持の気持ちを表したい。


以下、MRICより引用~~~

小高郷・標葉(しねは)郷の武者は美しかった-相馬野馬追のこと-

雲雀ヶ丘病院 
堀 有伸

2012年8月16日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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今年の7月28日から30日にかけて行われた相馬野馬追には、例年よりは少ないものの400騎以上の武者が出陣したそうです。祭りを見た翌日、私はある方に「先生、今年は立派なきれいな馬が多かったでしょう」と話しかけられました。その方の説明によると、去年までは地元の方が自分たちで飼育している馬がたくさん出場していたそうです。しかし、その馬たちも今回の震災でたくさん亡くなりました。そのため、今年は馬を他所から借りて出場した方々が多かったそうです。そういった馬は普段は立派な厩舎で管理され育てられています。そこから、最初の「今年は立派なきれいな馬が多い」という状況が生じました。

祭りの当日、騎馬の行列を見ながら私は、「小高郷・標葉郷」といった土地からきた武者たちが多数いたことに仰天しました。どちらの土地も放射能被害の影響で復旧・復興が進まず、現在でも居住できる状況とはなっておりません。つまりその武者たちは、私たちが仮設住宅などでお会いしている避難中の方々なのです。馬や武具甲冑を所有し、神事に相応しく調えるのが容易でないのは、素人にも想像ができます。それを、あの方々が成し遂げて勇壮な武者姿を披露してくれていたのです。
いろどり豊かな馬具を身にまとった美々しい馬には、その由来を示す紋章を記した旗が誇らしげにはためき、意気盛んな武者が秀麗な甲冑をまとってそれに跨ります。それが馬群をなして土煙をあげて疾走する姿に、私は惹きつけられずにはおられませんでした。

ここで少し精神医学の話をさせてください。ひとの心の働きを知・情・意と分けて考えた時に、最後の「意」に関して精神医学が持っている語彙は決して豊かとは言えません。意欲・意志・気概・誇り・自負心といったものについて、現在の精神医学の取り組みは弱い印象があります。「ストレス」で脳が弱ってうつ病などの病気になるというのは、必ずしも間違ってはおりません。しかし実際の人の心のことを考えた時に、それだけでは単純過ぎる場合があります。脳という生物学的な実態を持つ臓器のコンディションだけで「意欲」は規定されているのではなく、文化や伝統・社会との関わりの中で「誇り」が形成されて「意欲」が湧き出てくるのではないでしょうか
「うつ病」治療のあり方について、日本の精神医療は厳しい批判的な問いかけを社会からなされていると私は考えています。例えば「うつ病」の症状を持つ患者さんに、「脳の病気だから休むことで脳を守るように」と指示したとします。しかしこれが過度に単純化されて受け止められた場合、働くことについての意欲や誇りを損なってしまう可能性があります。このような疑問に答えていくことも、日本の精神医療には求められているでしょう。

南相馬市で精神科医として何か活動をしたいと考えた場合に、例えば「うつ病」についての講演を地域で積極的に行い、チェックリストなどを用いて潜在的な患者を見つけ、その人々を抗うつ薬等による治療に導入していくことを目指す選択肢があります。しかし、私はそのような活動だけでは不十分ではないかという躊躇を感じているのです。
今回の震災、そして原子力発電所の事故により、地域の誇りは著しく傷つけられました。丹精込めて大事に育んできた田んぼや畑、馬たち、漁場が失われました。当たり前のように食べていた近所の山に生えてくる山菜類は、放射性セシウムで汚染された人体への有害物にかわってしまいました。物が失われただけでなく、そこに共にあった労働の誇りと喜びも奪われています。現在の南相馬市では仕事を探す人に十分な求人があるとは言えません。誇りと喜びを持って関わることのできる産業と街の未来、これが見失われたままです。
そういった問題に蓋をしたまま、「うつ病」や「PTSD」の患者を見つけて向不安薬や抗うつ薬を投与するだけでは、「こころ」と向き合うためには不十分に思われるのです。いわゆる「中立性」を超えて、地域の精神医学化されていない現実に注目したいのです。

野馬追を見て、医者という職業にある身としてはドキッとしたことを白状しておきます。その生活の状況を考えると「体力・気力を温存させたい。消耗させたくない」という思いがどうしても湧いてきました。せこい都会人の私は、「こんなに勇壮な姿など見せず、弱っている振りでもしていればよいのに」などと考えたりもします。
しかしそこで歯を食いしばって、地域の誇りを守るために出陣する武者たちの思いを私たちは重く受け止めるべきです。野馬追の伝統をこの土地が守ってきた背景には、他国からの侵入がありうることを忘れずに領内の士気を維持するという目的もあったそうです。これなどは、経済合理性ばかりを追求し安全管理への備えを怠った現代の日本社会が、野馬追の精神から学ぶべきところでしょう。

小高郷・標葉郷の武者たちはとても美しく、私はそれに圧倒されていました。

『東日本大震災復興特別会計』 

『東日本大震災復興特別会計』の今年度の予算は、こちら。復興庁が先頭に立って、大震災の被災者のために有意義な予算を有効に執行してくれるものと期待していたが、予算の中身を見ると、いやまてよ!という項目が並ぶ。これでは、一般予算とあまり変わらないのではないだろうか。どのような部門に支出するのか、国会できちんと議論されたのだろうか。

この予算のための増税は、所得税・住民税が充てられる。その期間は25年間と10年間。実質恒久的な増税である。

その一方、行政の身を切る努力と言えば、2年間だけの給与削減だ。

そして、この予算が、実際にどのように使われたかを報じる下記の文章が、その通りだとすると、怒りを通り越して、呆れてしまう。

シロアリに食い荒らされる国家を、我々は想定しておいた方が良いのかもしれない。それを改革するとした、現政権は、シロアリに蜜をどしどし与えている。






以下、日刊ゲンダイウェブ版より引用~~~




ふざけるな!!復興予算1兆円 天下り法人がピンハネ


【政治・経済】



2012年8月11日 掲載


仕分け対象がノウノウと

 野田政権はやはりインチキだらけだ。10日、発足から半年経った「復興庁」。東日本大震災の復興支援を目的に約15兆円(11年度)を計上しながら、4割に当たる約6兆円が使われず、うち1兆円を特別会計に繰り入れていたことが問題になった。驚くのは、特会に流れた後のカネの配分先だ。ナント、天下り法人にバラまかれていたのである。

「今国会に提出された『東日本大震災復興特別会計』の明細書に、繰り入れられた1兆円の使い道が記されています。ざっと挙げると、『沖縄教育振興事業費』に31.5億円、『独法国際交流基金運営費』に約1.2億円、『独法酒類総合研究所運営費』に5700万円――となっています。何のことはない。復興予算をシロアリ天下り法人の運営に充てるのです」(経済ジャーナリスト)
「国際交流基金」や「酒類総合研究所」はかつて、政府の事業仕分けの対象となり、運営交付金について「見直し(削減)」が求められた独法だ。その独法にシレッと復興予算を使うのだから開いた口がふさがらない。こんな暴走を許せば、復興予算は新たなシロアリ利権になってしまう。

 だいたい、復興予算の財源は大半が増税分で賄われる。昨年11月に成立した復興財源確保法では所得税を来年1月から25年間、納税額に2.1%上乗せするほか、住民税を14年6月から10年間、一律年間1000円徴収することになっている。「復興」目的で国民から吸い上げたカネで役人を肥え太らせるなんて言語道断である。

 復興予算の問題を国会で追及した衆院議員の斎藤やすのり氏(新党きづな)がこう憤る。
「私は週末になると地元(宮城2区)に戻り、被災地を回っているのですが、小さな自治体では復興はまだまだ進んでいないのが現状です。中小企業からは(施設・設備の復旧費用を支援する)『グループ化補助金』を要望する声が強いのですが、その予算は行き渡っていません。それなのに1兆円余った――といって特会に繰り入れるなんてバカな話です。『シロアリ退治する』と言っていた野田首相が、シロアリにエサを与えているのだから許せませんよ」

 増税で役人を太らせる野田に、消費税増税を強行する資格なんてみじんもないのである。 .

一つの交信から改めて考える 

英文のブログにはすでに記したのだけれど、今朝早く14メガでVictor RN3ZBと会った。どちらかというと、西ヨーロッパを探すので、東ヨーロッパには応答しないことが多いのだが、なぜか彼には応答した。少し間違いのある符号だが、何か熱意みたいなものが伝わってくる電信。

一通りの交信のあと、彼は、PCで私のメッセージが読めると言ってきた。あぁ、コードリーダーで受信解読するお方なのかとちょっと残念になって、そうなのか尋ねた。彼は、自分の耳で受信しているが、語彙が判らぬ時に、リーダーに写される言葉で助けてもらうのだと言っていた。

62歳のリタイアした警察官とのこと。年金は十分かと尋ねた。たくさんもらっていると、意外な返答。実は、チェルノブイリの原発事故後1年後に40日間ほど、現地に赴任させられて、そこで仕事をしたために、高額の年金を受給しているというのだ。でも、心臓や血圧の問題がある様子。その仕事は強制的に赴任させられたのか、さらにリスクは知らされていたのか尋ねたが、答えはなかった。質問が通じなかったのか、それとも答えられないのか分からなかった。

福島のことを尋ねられた、ないし尋ねる前だったか、ので、東電福島第一からの距離等をお教えした。関心を持ってくださっている様子だった。このやり取りで、ちょっとした連帯感ないし共感が、お互いに芽生えたような気が、少なくとも私はした。彼は、電信で話をするのが好きで、良く出ているのだが、日本人は話が通じないことが多いと嘆いていた。このように話し合うことができてうれしいと言ってくださった。

ここから先は、私の空想に近いことなのだが・・・国の間の争いは複雑な要因からなり、簡単に解決しないことが多いものだ。ただし、戦争に突き進む場合には、専制君主のような指導者であっても、国民の支持と相手国への憎悪が、最後の一押しになることが多いのではあるまいか。その憎悪の背後には、相手国国民への無理解と無関心があることが多い。他国国民への理解は、個々の付き合いを通して、確実になり、深まって行く。アマチュア無線に、そうした点で期待できるものがあるのではないか、というのが、空想的な私の希望なのだ。世界全体として物事を考えなければ解決しないことが多くなってきている。国民の相互理解という極めて抽象的な理想は、「具体的な」個々の「付き合い」「理解しあうこと」から始まるのではないだろうか。

折しも、某隣国との間で、諍いが深まろうとしている。ここでお互いに憎悪を向け合うのではなく、個々の知り合いを通して、理解を深めること、相手の理不尽とも思える考え・行動の背後にあるものに眼差しを向けることが必要なのではないだろうか、と改めて思う。

スイカ、悲喜こもごも 

ここニ、三年、スイカの苗を植えて、スイカ作りにチャレンジしているのだが、忙しさにかまけて、途中で世話をするのを放棄。その結果、ジャングルみたいになってしまうのを繰り返している。が、今年の作。新鮮な甘み。

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葉の大きな蔓状の植物が、スイカと思しき苗から威勢よく生えていたので、そのままにしておいたら、洋梨様の形をした実がなった。新種のスイカかと期待に胸を膨らませ、収穫し、切ろうとしたが・・・固い。ようやく切った断面がこれ・・・どうも、干瓢の模様。生命力の強い干瓢に、スイカを接ぎ木(苗)してあったものが、干瓢の部分から蔓が伸びて、実をつけたらしい。残念・・・。

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来年こそは・・・。

関電の脅しと詐欺 

関電による、この夏の電力需要と供給が、大幅に事前の予測と違っていたことが報じられている。

http://www.kyoto-minpo.net/archives/2012/08/11/post_8955.php


要するに、需要を大きく、供給を少なく見ていたわけだ。これだけの違いは、予測の誤差というよりも、意図的なものとみなすべきだろう。関電と、その背後の政府・行政は、大飯原発を再稼働に持ち込むために、意図的にこのような見通しを立てたのだ。さらには、「計画停電」の脅しも用いた。

業界が、原発の稼働によってそれだけ儲けられるからなのだろう。

大飯原発で深刻事故が起きた場合の対処方法、周辺住民の避難の具体的な方法が示されぬままに、再稼働を行った責任は重たい。現在の関電経営陣と、政府・行政の関係者は、将来深刻事故が起きても、東電福島原発の場合と同じように責任を取らされることはないと甘く見ているのではないだろうか。東電に対する株主訴訟も提起されてはいるが、これから結審するまでにどれだけの時間がかかるか分からない。恐らく、旧経営陣は、責任を取らされる可能性はないと踏んでいるのではないだろうか。

深刻事故が一旦起きたら、当該電力会社は一旦潰れ、その経営陣の責任が厳しく問われるような仕組みにしないとならないだろう。

そうでないから、関電が詐欺まがいの電力需給予測を出すのだ。

日本の技術力の低迷 

最近、夜がめっきり弱くなり、毎朝21メガ辺りに出没している。それもかなり長時間。メモリーキーヤーにCQを出させて、その間にネットサーフィン・・・無線家としては堕落しているようにも思えぬでもないが、まぁ時間の有効活用である。

21メガで、Bob W6CYXと1134回目の交信。最近また、往時のように毎日交信をするようになった。彼の流れるキーイングは、最初の一文字、二文字を聞くだけで彼と分かる。彼は、昼寝を終え、3時のおやつを食べ、シャックに入ってくるという、規則正しい生活をしている。そこで私を見つけるというわけだ。

彼は、日本の経済についての悲観的な記事をまた見つけたから送る、とのこと。悲観的になるのはいくらでもできるのだが、と思ったが、読ませて頂いて、また議論をしよう。彼の意見では、日本の政治家が、医療福祉・年金等に金をばらまきすぎて、その一方、教育・科学の領域に予算を回さないできたことが、日本の衰退の原因なのではないか、とのことだ。前段は置いておいて、後者は、その通りだと思う。

私が、母校の専攻生・大学院生として試験管を振っていた頃、研究室の掃除やら、他の単純作業に多く駆り出された。これはきっとどこでも同じなのだろう。国立大の予算は削られ続けているから、下っ端の研究者は労働力としてこのように扱われてきた、そして現在も恐らくそれほど変わりはないのではないだろうか。それなりの教育を受けた研究者(予備軍)が、このように扱われたら、生産的なものは何も出てこない。MDだから特別扱いせよという積りはないが、研究者としてもっと生産的なことに携わることが本人自身、その所属教室、そしてひいては日本の科学の発展のために大切なのではなかったか、という気持ちは今でもある。

私の頭脳が大したものではなかったことは置いておいて、同じように扱われて、大した成果を出せないでいる研究者、教室がたくさんあるのではないだろうか。大学時代、親しくしていて、基礎の病理に進み、そこでスタッフになっていたが、数年前に大学を去り、臨床に戻った友人がいる。彼が、どのような経緯で基礎的な研究を去ったのかは分からないが、日本の研究環境の悪さが関係していたのではないだろうか。

20、30年前は、世界をけん引する企業だった電気電子領域の企業が、業績の上で酷い低迷状態にある。教育、特に基礎科学の教育研究をおろそかにしていることが、この先かなり長期間にわたって、日本の産業にも悪影響を及ぼすのではないだろうか。

全原発停止でも、電力需給は賄える 

1)全原発停止でも電力需給は賄える

環境エネルギー研究所から、このポストのテーマの主旨の論文が出ている。下記。

http://www.npu.go.jp/policy/policy09/pdf/20120423/sanko_shiryo4.pdf

2)本当に節電が必要な分野はどこか?

実際、関西電力管内で予測された電力需要を7月中に超えたのは二日だけだったと報じられている。で、実際に電力を消費している分野別の問題を観てみる。

分野別電力消費は、家庭・業務・製造業で分けると、およそ3、3,4の割合だ。夏の需要が増えることが、資源エネルギー庁から公表されているが、家庭での需要は、夏場は冬に比べて減ることが分かっている(こちら)。夏場の電力消費全体が増えることが、資源エネルギー庁から公表されている(こちら)が、これがもし本当だとすると、その押上げは、家庭での冷房等による電力消費の増加よりも、その他のセクターでの増加が寄与している。

電力の大口消費者は、家庭用電力の約半分のコストしか支払っておらず、節電するよりも、消費時間帯をずらすことで、日中の節電を実行してきた(上記ISEP論文)。実際のトータルの節電量は、家庭・業務のそれを3、4割下回っている。すなわち、本当に節電するための投資を行うよりも、時間帯だけずらして電力を消費することを選択している。

家庭での節電も意味があるが、夏場の電力消費を押し上げている他のセクター、とくに製造業の大口消費者(特別高圧という範疇)に節電投資を促し、技術的な革新を生むことが必要だ。それが、電力需給のひっ迫を防ぐうえで一番の対策だ。

3)総エネルギー需要(こちら)、電力需要(こちら)は今後自然減少してゆく

さらに、電力消費の年ごとの変化をみると、2006から8年ごろにかけて、ピークがあり、その後減少に転じていることも分かる。これは人口減少社会に入ったことを反映しているのだろう。今後、エネルギーでの技術革新も加わり、電力消費は右肩下がりに下がって行くことが想像される。この点からも原発再稼働は不要であると言えるだろう。

「The Complete DXer」 

Bob Locher W9KNIから頂いた、上記の本について記すのを忘れてしまった。かの有名人であるBobから直々に署名入りで頂いた本、読まなくては申し訳ないと、帰りの飛行機のなかでざっと読ませて頂いた。

DXingのノウハウを、彼の体験を基に記した本である。ただ、客観的なデータを提示するデータブックというよりも、個人的に得る(一部は主観的な)技術を、時にはドラマのように、また時には直接に叙述する体裁で、記されている。聞き覚えのあるコールがたくさん登場する。初版が1983年で第三版が2003年だから、私がDXにくるっていた頃と同時代か、少し早い時期に記されたものだからだろう。DXの先輩から直接教えを乞うような気持ちで読むとためになるのかもしれない。

最近版である第三版の序文に、彼の本音が記されている。ネットやクラスターの発達で、DXに対する関心が薄れてしまった。しかし、QRP(彼の場合は12W)でのDXの面白さに気付き、再びDXに打ち込むことができた、と記されている。ネット、クラスターの発達、ましてやRBNの登場で、DXと遭遇する偶然性は大いに減じた。その偶然性が減ることは、便利になることを意味するが、同時にDXのスリル・楽しみが減ることでもある。Bobによればベアフットであっても、このような情報装置を使えば、5年もかからずにオーナーロールになれる、とのことだ。確かに、そうだと思う。そして、Bobは、QRPというジャンルに身を置くことによって、その偶然性を高める、DXを得るのにより大きな偶然に依拠するように自分を追いやったのだ。

問題が二つある。偶然性の大きさはあくまで相対的なものである。客観的には、パワーを減らしたところで、アンテナ等に投資すれば、偶然性は小さくなる。また、主観的にも、偶然性の感じ方は、相対的なものに過ぎない。さらに、当然のことながら、DXの対象は、有限である。どこかで壁にぶち当たるか、ハンティングする対象がなくなる。これをどうするのだろうか。DXを昔楽しんでいた者として、DXを現に楽しみ、BobのようにQRPという運用技術が要求されるジャンルに新たな楽しみを求める人々にケチをつける積りはないが、DXは一種のゲームであり、終わりがあるゲームなのだということを良くわきまえておいた方がよいのではないだろうか。

と、批評家みたいなコメントを、Bobに送るわけにもいかず、新たに改訂版を出す時には、新たにラグチューの楽しみについての章を加えてもらえないだろうかと、おずおずとお礼のメールに記した。

北米西海岸への旅 (7) 

Terranea Resort滞在二日目に買い物にでかけることにした。ホテルのConciergeにちょっと意地悪されて(と、当人は思っているのだが・・・笑)、LAのダウンタウンに出かけるために手配を頼んだタクシーが何時まで待っても来ず、少し気色ばんでどうなっているのか別なConciergeに尋ねると、買い物だったら、Palos Verdesのショッピングモールまでシャトルを出してくれるとのこと。で、腹を立てていたのはどこへやら、その話にのることにした。Palos Verdesは、地図を見てくださると分かるが、北西にせり出した小さな半島になっている。その頂き近くに、そのショッピングモールがあった。シャトルバスの乗客は我々だけ。どれくらいで着くのかと運転手に尋ねたことから、彼にいろいろと話を伺うことになった。彼は、リタイアしてこの町に住む、英国出身の方だった。このホテルの由来は、前に書いた通りである。Palos Verdesは、リゾート地として評判が良く、地価は下がっていない(または、一時下がったが、すでに横ばいになっている)とのことだった。お子さん達も独立し、ご夫婦で生活なさっている様子だ。Conciergeとの一件を話すと、それは良くない、Conciergeは客のためにあるのだからね、と言ってくださった。


ショッピングモールは、地元の方が主に利用する商店街らしく、旅行客と思しき人々は見かけない。かんかん照りだったが、木陰に入ると、心地よいそよ風が吹き抜ける。お客は、そこそこの入りだったが、中庭ないし中通りはこんな状態。またしても、メキシコ料理とビールを頂き、幾つか店を見て回った。私は本屋に入ったが、エンターテインメント系や、伝記、さらには政治家の宣伝のためと思われる本しかなかった。帰りは、ホテルに電話すると、すぐに同じ運転手が車を走らせてきてくれた。

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前後するが、こちらに来た翌日、お昼近く、Steveが迎えに来てくださった。前夜の失態を説明し、お詫びした。車で30分ほどのところにある彼の家に向かう。ちょうど、Jim W6YAが到着したところだった。Jimとは、1980年代から数え切れぬほど交信させて頂いている。Steveの家は、土地こそ広くないが、大きく豪華な家だった。まだ建てて数年か10年程度しか経っていないのではないだろうか。写真を撮り忘れたが、庭の一画に30m近くまで伸びるクランクアップタワーがあり、そこに、7メガのリニアーローディングタイプの3エレ、それに3エレだったと思うがSteppirが載っていた。この市街地でよくぞ許可が下りたものだ。申請から2年かかったとSteveは言っていた。

Steveと奥様のLinda。奥様はもう少しふっくらなさっている方を想像していたが、ご覧のとおりのスレンダーな美人。Steveの自慢の奥様なのだろう。ここではアップしないが、次女のHannahと飼い犬のSadeeも出迎えてくださった。あっ、Sadeeは後ろ半身だけ写っている。この犬を観た途端、ダイエットが必要ではないかと失礼なことを口にしてしまったが、そんなことはないというような返事であった。人懐っこい犬である。バナナでも何でも人の食べるものは食べるらしいので、やはりカロリー過剰じゃないの・・・・?。

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DXとラグチュー界の輝ける星、Jim W6YA。Steveも40数年来の無線での付き合いらしかったが、直接会うのはこれが最初とのことだった。Jimは、もう70歳を過ぎているが、歯科医の仕事を週に三日まだ続けておられる。あと4年間は続けると仰っていた。専ら仕事が楽しいので続けるのだとか・・・。最近、お嬢様が日系三世の方と結婚したことを、ことのほか喜んでいた。

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Steveのシャック。IC7800が愛用機。オペレート席に座らせて頂き、ちょうどZL2IFBと交信を終えたJohn K1JDをコールした。Johnは、最近東海岸のRhode IslからNew Mexに越してきたばかり。彼が引っ越してから、私が自宅にいるときに何度か呼んでもらったのだが、彼の信号が弱くてラグチューにならなかった。NW FOC EVENTに参加した帰りにSteve宅に寄らせて頂いていることなどを話をした。彼は、近いうちにタワーを上げる予定だそうで、そうすればJAでも強い信号を期待できることだろう。知人宅に来て無線ばかりしていてもなんなので、早々に切り上げて、地下のシャックから上に上がった。

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Steveは、知る人ぞ知る電鍵の収集家。シャックの壁に何段もの収納庫があり、そこにありとあらゆる電鍵が飾られていた。古いバグキーなども多い。これは運用テーブルに乗っていた四種。左から、Chevron、Begali single lever, WBL(?) そしてMercury。彼は最近Begaliを愛用しているとのこと。

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上でお茶とLindaお手製のチョコクッキーを頂いた。美味しいクッキー。お土産に袋にいれたものを頂く。しばらくして隣町の桟橋近くにある海鮮料理の店に移動、そこで夕食を頂いた。ここでも、Steve、Jimの健啖家ぶりに驚かされた。馬鹿でかい皿一杯の蟹やロブスターをペロリと平らげる。Lindaは、結婚と子育てのために学業を途中でやめてしまったのだった。Steveの援助のもと、彼女は最近大学に通い始め、あと一年でカウンセリングの修士号をとれるらしい。子供たちを、ホームスクールで自分で教育し育て上げた上でのことだから、立派なものだ。Steveは、飛行機に乗るのが嫌いらしいが、Lindaは旅行をするのも好きな様子。いつかどこかでまたお目にかかる機会があるに違いない。Jimは、James 9V1YCと定期的に交信している様子で、その話などを伺った。若いころにギターを習ったことがあり、最近教えてくれる友人がいて、習いだしたのだが、指が太くてだめだと諦めたとのこと。チェロには、その指のサイズが丁度良いよというと、まんざらでもない様子だった。また二年ごとにVisaliaのDXConventionに参加しているので、今度一緒に行こうと勧められた。DXかぁ・・・苦笑。窓から見える、太平洋の景色を眺めつつ、のんびりおしゃべりした時間もやがて過ぎ、Jimとはそこでお別れ。ホテルまでSteveご夫妻に送っていただいた。

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最終日、8月3日、夢のように過ぎた一週間だったと話し合いながら、帰り支度。あのシートに揺られるのかと思って気が重たかったが、自宅に帰ることができるのはうれしかった。

カートで本館に荷物を運んでもらい、さてフロントでチェックアウトを、と思ったら、一人の黒人の運転手(Frank)がにこやかに近づいてきた。昨日、買い物に行くためにタクシーを拾おうとして、本館前に停車していた彼に声をかけたのだった。結局、彼は予約の客待ちですぐには乗せてもらえなかったために、利用はしなかったわけだが、この日、彼が私たちを乗せるのだと彼が思いこんだらしい。ところが、身だしなみの良い別な黒人のタクシー運転手(後で名刺をもらいJoeという名であることが判明)が、満面の笑みをたたえて私の名前を呼ぶ。「コンニチハ」と日本語の挨拶も沿えて。一瞬どうなったのかと困惑した。二人の運転手は、これは私の客だと言い張る様子。でもすぐに、Joeがホテルから予約を受けた運転手であることが判明。さらに、Frankは、Joeの経営するタクシー会社の社員であった。Frankには悪かったと言い、Joeの車に乗り込んだ。

空港までの3、40分、Joeからいろいろと伺った。彼はエリトリア出身の方で、10歳ごろに米国にやってきたそうである。二人のお子さんがおり、米国での生活が一番だと言っていた。シアトルで乗ったタクシーの運転手が言うとおり、エリトリアは大統領の専制国家になってしまっている、とのこと。一時は、25台ほどの車両を保有していたが、現在は10数台に減らしたとか。車をたくさん保有していると、事故やら、故障やら、運転手の管理やらで大変で、その割に収入が増えないからだ、とのことだ。彼は、Bobと同じく、確固たる共和党支持者であり、現在の民主党政権が社会保障を手厚くしたためにモラルハザードが起きている、その一方、しっかり仕事をする彼のような国民は重い税金に苦しむことになる、というのだ。Terranea Resortの由来についても教えてくださり、このホテルができて、地域の経済が潤っていると言っていた。途中、顧客のお一人から彼の携帯に電話が入り、何時も利用していたその顧客の親族が急に亡くなったと知らせてきたようだった。顧客ととても親しくしているのだろう。大変朗らかで弁の立つJoeとのしばしの楽しい会話も空港に到着したことで終了。また来た時に利用するようにと名刺をくれた。

チェックイン窓口を探すのに少し手間取ったが、何とかチェックイン、ボーディング手続きを終え、帰国便の自席に落ち着いた。最初に記したとおり、この新しい機体Boeing777のビジネスのシートはなかなか良くて来ていて、少し狭いものの、ほぼ横になることができた。音楽や、映画を見るための装置も完璧だ。たっぷり眠れたとは言い難かったが、それでもこのシート設備であれば、長距離飛行もあまり苦にはならない。普段、私が西海岸と交信するときに、私の電波が飛ぶ道筋を丁度逆に飛んでいるのだな等とたわいもないことを考えた。音楽の曲目に、アンアキコマイヤーズの演奏するバッハのバイオリン協奏曲1、2番があった。旅行中にあまりに多くの刺激を受けた。心地よい刺激もあり、そうでないものもあったが、刺激があまりに強かったために、こころが少し乾いたというか変形を起こしたようなところがあったのだが、それらのバッハの作品にじっと耳を傾けていると、じわっとこころに染み入るようであった。音楽が、このようにこころに染み入り、慰撫するかのようなことを明確に経験したのは初めてのことだった。

成田に降り立つと、言うまいと思えどの蒸し暑さ。故郷向けのバスに乗り込み、約3時間。周囲の田畑が深い緑をたたえ美しかった。娘の出迎えを受けて、ようやく我が家にたどり着いた。寝る前に少しだけと思って7メガに出ると、待ち構えていたように、Bob W6CYXが呼んできてくれた。1128回目の交信。北米西海岸から無事帰着したことを彼に伝えた。

以上、思いつつままの長い旅行記、お読みくださった方にお礼申し上げたい。

北米西海岸への旅 (6) 

7月29日、午前中にSan Joseを飛び立ち、LAへ向かう。

どうでも良い話だが、空港でのセキュリティチェック等の係員が、日本の同じ職種の方に比べるとぶっきら棒。愛想笑いもなければ、言葉は必要最小限。多国籍国家なので、あまり米国の言葉・習慣に慣れていない東洋人でも、自国の人間と全く同等に扱うということなのだろうか。また、セキュリティチェックの内容が厳しくなっていることも痛感した。日本での経験だが、成田で登場するときには、衣服での爆発物のチェックをされたりもした。何かテープのようなもので衣服表面の物質をはがし取り、それを微量分析装置で読むといった手順らしい。勿論、ネガティブだったが・・・。セキュリティチェックには最後まで緊張させられた。度々外国に旅行される方にとっては、当たり前の手続きなのだろうが、旅行中我々は慣れることはなかった。

LA空港には、Steve N6TTが出迎えてくれていた。初対面だったが、以前から彼の姿は写真で拝見しており、すぐに分かった。膝くらいまでのショートパンツにTシャツというのが、彼のいつものスタイルである。彼の住むManhattan Beachを過ぎ、徐々にリゾート地らしくなってくる。明るい黄土色の壁、タイルの屋根。太平洋が見え隠れする。40分程度で滞在するホテル、Terranea Resortに到着した。ゴルフ場のある大きなリゾート施設で、一部がホテルになっている。受付けreceptionistが早口でよく聞き取れなかったが、クレヂットカードを見せて署名した。後で分かったことだが、この時点で、ホテルのワンルームの部屋ではなく、会員制リゾートの施設であるバンガローにアップグレードされていたのだ。受付の職員は、説明しても分からないだろうと思ったのか、二コッとカードキーを渡してくれて、それで受付完了。

我々の滞在したバンガローから、他のバンガローを眺める。

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バンガローの内部。何しろ広々。2LDKの構造だが、洗濯機・乾燥機・冷蔵庫それに食洗機までついている。後で、シャトルバスのドライバーに聞いたところでは、会員は年に1万5千ドル支払い、年間8週間この建物を利用する権利を得るというシステムのようだ。日本でもバブルの頃に見聞きしたシステムである。多くの場合、会社単位で借り受けているようだ、とドライバー氏は述べていた。

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風呂。シャワーとバスタブが別になっている・・・どうでも良いのだけれど。トイレも二か所。洗面所もだだっ広く、シンクが二つ。件のドライバー氏によると、日本の電気・車の会社のお偉いさん達も良く利用するらしい。ふ~~ん、こういう生活をしているのか、と元貧乏医者は感心しきり。

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夕暮れ間近の風景。滞在中、大体晴れていた。いつも乾燥して涼しい風が吹いている。夜は長袖が必要。

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我々の滞在したバンガローの入口。夜になって、どうも予約した部屋とこの建物は違う、豪華すぎると気付き、小心者の私は受付に確認の電話を入れたが、こちらの心配が伝わらず。考えあぐねて、Steveに電話して、彼にホテル受付に尋ねてもらったが、privacyを理由に答えてくれぬ由。翌日、conciergeに尋ねて、ようやくアップグレードされていたこと、支払いは予約金額と同じに済むことを理解した・・・貧乏人の小心者はこれだから困ると思われたかもしれないが、説明をもう少し分かるようにしてもらいたかった、というのが私の感想。

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ホテル敷地から、LA側、即ち東側を望む。この一帯は、以前Marine Parkとかいうテーマパークがあったらしい。この近辺で生まれ育ったSteveは、その施設に子供のころ何度も遊びにきたと言っていた。ところが、1980年代に、その施設は移転。その後、一帯を高級住宅地として保存する意図が当局にあり、なかなか開発の許可が下りなかった、1990年代後半にこのリゾートの開発が許可され、3年前にようやく竣工したと、帰り空港に向かうタクシーの運転手から聞いた。環境保護にも力を入れていると、ホテルの説明文にあり、実際、亜熱帯を思わせる植物が多数規則正しく生育していた。雑草が見当たらないところが何とも人工的なのだが・・・。

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で、これだけ高級なリゾートに滞在したからには、高級な食事にありつけたかというと、専ら、海岸に向かって100mほど歩いたところにあるメキシコ料理の店でこんなものを頂いていた。この受付にも、最初、アウトド、インド?と尋ねられて分からず。「室内にするか、室外か?」と訊かれたことにしばらくしてから気付いた。でも、ウェイター・ウェイトレスは感じが良かった。アメリカの食べ物は、以前から感じていたことだが、サイズがデカい。これにビールを毎回飲んでいたら、カロリー過剰は必須。でも、二三回楽しむだけだったら、それなりに美味しく楽しい。日が暮れるころ、タコスをほおばった思い出は、きっと忘れない。

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次回が最終回の予定。

北米西海岸への旅 (5) 

サンノゼ空港は、新しく建て替えられていた。といっても、20数年前の記憶は殆どのこっていないのだが・・・。荷物を受け取り、ロビーに出ると、昔と殆ど変らぬBob W6CYXが待っていてくれた。21年ぶりにお目にかかる。会う早々、カメラのことは聞いたか、と尋ねられた。私がカメラをHilton Bellevueに置き忘れたというのだ。慌てて、ウェストポーチのなかを探したが、確かにカメラが見当たらない。あちらでは、写っている中身から、私のカメラだと判断し、その後、Rick N6XIが、Bobの家に届けてくれることになったのだった。Rickの家は近いとはいえ、車で1時間程度はかかるのではないだろうか。カメラ自体の価値はないにしても、せっかく撮り貯めた写真は貴重なものだった。大したことでもないかのように、カメラを届けてくださったRickには感謝あるのみだ。

Bobに連れられ宿舎となるホテルへ。ビジネスホテルの豪華版というところだが、とても感じの良いホテルだった。近くに日本レストランや日本の商品を扱うスーパーもあった。スタッフも感じが良く、各階にPCが備えられて便利。朝食のバイキング料理もとても美味しい。Bobが推薦してくれたホテルだったが、彼自身は利用したことがないのでちょっと心配していた様子だった。とても気に入ったことを伝えると、Bobも喜んでいた。ホテル名はMoorpark Hotel。

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昼食・チェックインを済ませ、Bobのお宅へ。シリコンバレーの東側にそびえるMt. Hamiltonの中腹にある。より太平洋に近い、半島側の山並みに比べると、降雨量が圧倒的に少ないらしく、冬の数か月を除いて、周囲の草原は枯れた状態が続く。最後に訪ねた21年前に比べて、彼の家の敷地にうっそうと木々が茂り、様々な果樹の木に実がたわわになっていることに驚いた。毎日、奥様とその姉にあたる方が、水やり等の世話を続けている成果らしい。高い常緑樹は、redowoodである。

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Bobご夫妻。奥様のMarikoさんはブラジル出身の日系人である。お二人とも少し白髪が増えた様子だが、若々しくお元気そうだった。

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Bobのアンテナ。上が昔懐かしいKT34A、下がWARCバンドのビーム。マストごと回している。何しろ、南東から北東にかけて全面眼下にシリコンバレーからサンフランシスコの方面まで広がるような場所なので、”飛び”は抜群である。その昔、ベイエリアの他の町に住む友人から、Bobの信号はなぜあれほど良く飛ぶのかと怪訝そうに尋ねられたことがあったほどである。これに写っていないが、確かバターナットが別にある。それより下のバンドのアンテナは、前の写真に写っているredwoodを利用してワイアーアンテナを上げているようだ。

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彼の庭からシリコンバレー南部を望む。

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夜は、彼のお手製の(?)ロブスターの豪快な料理をご馳走になった。ダイニングルームから望むシリコンバレーの夜景。最初に彼の家を訪ねたときに、この夜景を観て、度肝を抜かれた記憶がある。30年近く前
の思い出が蘇った。食事を頂きながら、彼の話しをいろいろと伺った。彼は、Rickも認める保守主義の論客であり、また官僚批判が鋭い。社会保障は自らが自らを助けるべきだというのが彼の論。政府に期待するのは、国防・教育等限られる、とのことだ。「社会主義」のオバマ政権により、社会保障が十分あるために、人々は働く意欲を失っている、そのために見かけ上の失業率が高止まりしている、というのが彼の主張である。

官僚批判については、私も同じように感じることがあった。高速道路上に歩行者の横断歩道をかけているが、だれもそれを利用していない、またサンノゼ市内を南北に走る電車が作られたが、それも利用する人々は限られている、すべて官僚による無駄遣いであり、その背後には業界との癒着がある、とのことだ。仕事をしていたころ、数百人の被雇用者の記録に「人種」を記録してはいけないと言われたのだが、別な官僚には、人種別の雇用者の統計を出せと言われたことがある。トンデもないと抗議したら、それっきりなにも言ってこなくなった等々。彼の大きな政府批判は留まるところをしらない。

彼のこの考えは、アメリカの中流から上流階級の人々にかなり普遍的にみられるもののように思える。オバマに大きな期待をかけ、それが外れたことも、こうした考えが広く行き渡る要因になっているのだろう。

一方では、満足に医療を受けられぬ数千万人単位の人々がいる。また、フェアであることを倫理学的に追求したRawlsの思想を生み出した文化的な背景も、アメリカにはある。小さな政府の論は、これまで多くの問題を現実に産んできたことも事実だろう。バブルと、その崩壊を繰り返し、世界経済は、現在の停滞に陥り、持てる者はより多く持ち、持たざる者はより多く失う世界が出現している。国際的な金融制度に何らかの秩序が必要になっていることも事実だろう。小さい政府と自力で生き抜くことへの飽くなき信条をBobが述べるのを聞きながら、これから米国がどのような方向に向かうのかと思いを巡らしていた。

話しが前後するが、サンノゼ空港に到着してすぐに、Los AltosやPalo Alto等の町、それにスタンフォード大学のキャンパスを見せて頂いた。想像していた、売りに出された家屋はほとんど見当たらず、美しい街並みが続いていた。Bobは、マスコミの伝える経済状況は一面的すぎると言っていた。米国の経済が落ち込み、どうしようもなくなっているかのような報道は間違いである、と。不動産の経済状況の良い、シリコンバレーのごく一部を観たにすぎないが、確かに米国の経済がどうしようもなくなっている、ということはなさそうに思えた。スタンフォード大学は、30年近く前短期間研修に訪れた時からガラッと変わっているように思えた。多くの新しい建物が立ち並び、旧い病院も間もなく使用されなくなるらしい。

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翌日は、Santa Cruzのredwood tree parkに連れて行って頂いた。樹齢2000年以上という巨大な針葉樹がたくさんある。この木は、シロアリ等に食われないので、家屋の材料に大量に使われてしまったのだが、この一体に残ったものだけが州立公園として保存された由。redwood treeの表面が赤い理由は、タンニンを含むためであり、その成分が害虫からの被害を防いでいると、訪問者のための建物内にある説明文にあった。Bobは、これらの樹の寿命が長いことに盛んに感心していた。

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昼食を, Santa Cruzの海岸桟橋突端のレストランで頂く。カラマリ・・・小型のイカ・・・のフライである。桟橋では釣りをしている人々がいた。Bobが釣れているかと気軽に尋ねていた。帰路は、これまた懐かしい17号線を東に向けて走る。7月下旬に行われた、Carmelでのバッハフェスティバルの様子を伺っtた。ロ短調ミサがテーマだったらしい。ホザナ(だったかしら)の三連符が三位一体を表現しているので、しっかりそれを演奏した方が良いとか、終局の最後の音をティンパニは単一音で奏しているが、ロールインした方がよいのではないかとか・・・。後者については、リハの時に、Bobは果敢にステージに上がり、指揮者に言ったのだが、ていねいに断られたとか・・・。リハの間の休み時間に、外でティンパニ奏者を捕まえて、同じことを進言してみた、だが、同奏者は、だまってそうすることはできるが、演奏が終わった後で、指揮者から微笑みながら「次にそのようなことをするときは、許可を得てからにしてくれたまえ」と言われることだろうと、Bobは聞かされたとか、いろいろと面白い話があった。

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何か記録し忘れたことがあるようにも思えたが、一応このポストはこれまでにしておこう。翌、7月29日に、最後の目的地、LAに向かうことになる。

北米西海岸への旅 (4) 

7月28日午後6時から、Hilton Innで晩餐会。といっても、フルコースの出る本格的なものではなく、バイキングの食事にアルコールという簡素なもの。こういう場で挨拶せよと言われるのが一番困るとSteve W7QCに言ってあったためだろうか、私も含めて、そのような挨拶などは一切なし。テーブル毎に飲み食いしつつ、談笑をするだけだ。

沢山写真を撮ったのだが、これまで紹介しなかった方の写っているものだけをアップする。このテーブル、左端に正装をして座るのが、Bruce K6ZB。彼とは、1980年頃に交信し、その後長い間彼のQRT期間があり、2000年頃カムバックされた方だ。我が家にも一度遊びに来られたことがある。その際に、保守的な彼と若干議論したことがあった。今回も、ウォールストリートジャーナルを読めと笑いながら語りかけてきた。最近、カリフォルニアからテキサスに移り住んだので、7メガの信号が弱くなり残念なところだ。近いうちに、マシなアンテナを上げる由。新しい住処を気に入っており、仕事も順調なようで何よりである。時計回りに、次が、Bruceの奥様のCathy。気管支炎を起こすこともなくなり、元気そうだった。次が、Pat N9RV。奥様のRita。その次のお二人、分からない。手前の二人は、Cliff K6KIIと、その奥様Janice。

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この方(男性)が今回のミーティングで最もお目にかかりたかった方のお一人、Fred K1NVY。各バンドで大変activeな69歳。どうも主催者から少し強引に連れてこられたらしく、こうした集まりや、クラブにはまず参加しないのだ、と言っていた。バイクに乗り、無線に明け暮れ、専ら我が道をゆくというタイプの方だ。手前は、AK4Zの奥様だったと思うが、よく分からない。

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会の最後に、プレゼントの交換会があり、盛り上がっていた。会を終えた後、皆、メイン会場に移動し、またもや酒やソフトドリンク片手に話をし続けたようだった。私は、翌日のサンノゼへの移動を控えており、10、15分程度顔を出しただけで自室に戻った。ロビーに備えられていたPCで翌日のフライトの予約の確認をしようとして、ちょっとトラぶっていると、Al N6ZIが寄ってきて、助けてくれた。Alとも30年以上前からの知り合いであるが、彼の設備が小さいこともあり、長く無線で話し込んだことはあまりなかった。この先の旅行でも何か手助けが必要なことがあったら、いつでも電話するようにと、彼の自宅の電話番号を記したメモを手渡してくれた。ありがたいことだった。

翌、7月29日午前7時、ロビーの喫茶店にいたDave K6XG達に別れを告げ、タクシーでシアトル空港に向かった。実はこの時点で、メイン会場にカメラを置き忘れるという失態をしていたことに後で気付くことになる。

タクシーの運転手は、痩せた黒人の方。どれくらいで空港に着くかといった話から、彼の故郷の話しになる。彼は、エチオピア出身だそうだ。エチオピアには、中国からの援助がたくさん入って、現在景気も大分良くなっているとのことだった。これまで他の国は、ただ簒奪するだけだったが、中国はエチオピアに富を残してくれる、と中国を礼賛していた。ただ、近年独立したエリトリアが、独裁政治で悲惨な状況にある、と教えてくれた・・・このことは後で再び確認することになる。彼は、子供を連れて、来月にも故国に戻るつもりだ、と言っていた。彼に少し多めのチップを渡し、Bob W6CYXの待っていてくれるサンノゼ行きの飛行機の旅客となった。

まだ、続く。

北米西海岸への旅 (3) 

7月28日、早朝に起き出す。ロビーと同じ階にあるレストランで朝食。バイキング形式。Tommyと一緒になり、同席。彼の家を訪れたのが、1984年だったろうか。彼の母上は、足に不自由があるらしいが、90歳を越えて、知的にはしっかりしているとのことだった。兄上家族と、私たちが訪れた、サンアンドレアスで平和に過ごしておられるらしい。彼の日常のこと・ご家族のことなどを伺う。彼は以前ほどは無線にactiveではないように思えたが、DXとWARCバンドという私のあまりかかわらない領域で楽しんでいる様子だ。以前、複数エレメントの多バンドクワッドが、風で落ちてしまい、一瞬のうちに、目の前で6000ドルがパーになったとのこと。そのショックは忘れられない、PTSDだと言っていた。

その後、ホテル周辺を散歩。以前に記したとおり、きれいに手入れされている。針葉樹と広葉樹の街路樹が、道の両側に植えられ、歩道の一部には西洋芝が植えられている。ブロックの一部が意図的にかどうか、自然のブッシュになっており、自生のラズベリーがたくさん生えていた。途中で、John W7FUと一緒になる。彼は精神科医。現在は、行政的な仕事に携わっている(携わっていた?)らしいが、臨床についても詳しい。現在のアメリカ人のなかでは珍しくリベラルな考えの持ち主のようだった。米国の精神科医療についても、持たざる者への配慮が足りないという趣旨のことを仰っていた。ワシントン大学で疫学の研究をし、大学病院と自分の働く医療機関療法で診療していたらしい。とても気さくで、日本に来て、自転車旅行をしてみたいと仰っていた。

メイン会場に入ると朝食を終えた人々が集い、あちこちで談笑の輪ができている。Dave K6XGに、リコーダーを持参したことを確認し、主催者に彼の演奏を皆に聞かせたらと話した。最初、もっと小さい場所の方が良い等と少し躊躇する様子だったが、アナウンスされて、皆が彼を注目。彼は、最近入手したという木製の美しいソプラノリコーダーと、ipadと思しき電子機器を取り出し、目の前に据えた。ipadにはフットスイッチが付けられており、譜めくりを足でやるのだそうだ。バッハ等の作品をいくつか演奏。ブロックフレーテ特有のぬくもりのある音。高音域が音ができらなくて、その半分の周波数の音が混じってしまうこともあったが、それは上がっていたためだと後で伺った。演奏終了すると、やんやの喝采。次は私にチェロを持ってくるようにと二三人の方から言われた。持ってくるのは無理だから、どこかでレンタルしてもらえば・・・。Daveには、ヘンデルの作品一のソナタはどうだろうと、言っておいた。

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昼食会は、Bill W7GKF邸。Alan AC2Kに再び同乗させて頂いた。Bellevueから北に20分程度車を走らせた、木々に囲まれた静かな場所に彼の家があった。美しい芝が前庭になっており、瀟洒な家が目の前に現れた。豊かな米国の一端を観る思いだ。

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家のなかも、我々の感覚からすると生活感を欠くように思えるほどに、美しく整えられている。入口の脇の小部屋には、明るい茶色に輝くピアノが置かれていた。ダイニングルームには様々な食べ物が並べられ、庭には、二三の丸いテーブルを囲むように椅子がたくさん置かれていた。すでに多くの方が集い、話に華を咲かせている。庭は、家側に芝生が配置され、その奥には、30mはあろうかと思われる木がたくさんあった。redwood treeだったかもしれないが、訊きそびれた。彼は、ワイアーアンテナを、これらの木々に括り付けて無線をしているらしい。所々に、それらのワイアーの端が見えるが、アンテナファームになっているようには見えない。木々のなかを、小川が流れていた。小川で土地が湿り、それが良いグラウンド効果を生んでいるのかも・・・いずれにしろ、彼の信号はJAにとびきり強く入ってくる。彼は、ラグチュワーであると同時にコンテスターでもあり、JIDXC等では良い成績を残しているらしい。彼の奥様のAnnによると、今でもコンテストのために徹夜するとのこと・・・。

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後ろ向きの黒い衣装の女性は、Red K5ALUの奥様のLinda、時計回りにRed自身、Tommy W6IJ、Bruce K6ZB、最後の白髪の方は失念>Marv N5AWだった、ご本人からの指摘で判明。 

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左が、AC2K、右がJim KF7E・・・どうも同じメンバーばかり撮ってきてしまった。ここで話をした方で印象に残ったのは、Cliff K6KIIと、Rick N6XI。Cliffは、1960年代からしばしばDXシーンでコールを聞いてきた人物である。この数年来、彼がFOCに入ってから「普通の交信」を多くするようになってきた。様々なセンサーを設計し製造する会社を、他の方と共同で経営し、さらにエンジニアとして仕事をしてきた様子だ。70歳を超え、仕事好きを自称している彼も、年内にはリタイアする心づもりをしたらしい。無線以外では釣りと、ハイキングをなさる様子。キャンプ道具を担いで、山道を歩くらしいので本格的なハイカーだ。御子息は、コロラドで血液内科の医師をなさっているとのこと。しばしば、家族で一緒に行事をなさる様子だ。

Rickは、これまであまり交信をしたことがない部類に入る方だが、ここシアトルにやって来る直前に、彼の自家用機でベイエリア観光はどうかと言ってくださった方(と言う話はすでに記した)。まだ50歳前後に思える。40歳台前半で余裕のリタイアをしたらしい。MITのご出身で、高名な言語学者チョムスキーのことも知っている、とのことだった。米国の医療制度についてはオバマの改革をある程度評価するという立場のようだった(少なくとも、裕福な方でこうした考えの持ち主は珍しい)。Bob W6CYXを初めとするサンノゼ周辺のハムと火曜日に昼食会を毎週開いており、そこでBobの強烈な保守主義の「講義」を聞くこともある、と笑顔で語っていた。彼には、あとで大いにお世話になることになる・・・。

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手前のテーブルに座る黒いジャンパーを羽織る男性は、Vic W9RGB。文学畑から、コンピューターサイエンスに専門を替え、長い間、イリノイのPurdue大学で大学内のシステムを動かすソフトウエアを開発・運用なさってきた方である。オバマが大統領候補だったころ、オバマを支持するという点で、互いに意見が一致して、それ以来、親しくさせて頂くようになった方だ。とてもactiveで、FOC内で一年間で部員同士の交信局数を争う「コンテスト」では、ダントツのトップを走っている。Dave K6XGは、Vicの弟さん。Vicと共通する友人が私にはたくさんおり、来年のOrlandoでのFOCミーティングに改めて誘われた。少し人見知りされるようなところもあるが、いかにも人柄の良さそうな人物だ。

奥のテーブル、小さくしか写っていないが、一番奥の人物が、Chris、同じく親しくさせて頂いているDick K4XUの奥様。Dickが、日頃、自分のボスと呼ぶ人物である。近くの博物館で学芸員の仕事をなさっているとか。いつも無線で噂を伺っているChrisのような方に初めてお目にかかるのも楽しい。

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同日午後は、多くの参加者が、Boeingの工場見学に出かけたのだが、私はキャンセルした。1967年来の親しい友人、Kemp K7UQHが、Bellinghamというワシントン州北端の町から、2時間以上かけてはるばる訪ねてくださるからである。何度か彼については記してきたが、1960年代からの数少ない友人のお一人である。Kempは、奥様のJunkoさんと愛犬Luckyとともに、颯爽とメイン会場に現れた。30年以上前に頂いた写真と比べると、さすがに白髪は増え、痩せていたが、それでも元気そのもの、何時も笑顔を絶やさず、初めてお目にかかることを喜んでくださった。彼の若かりし頃、無線を始めたころのこと、radio operatorとして、LNG運搬船に乗り仕事をしていたころのこと等々、持参してくださった写真を眺めながらお話を伺った。母上も無線をなさっていたそうだ。コリンズのSライン等、当時としては高価な無線機をお持ちだったようだ。我々のElmerのお一人、Ed K6NBの貴重な写真のコピーも持ってきてくださった。その内、そうした古い写真類に興味を抱いた他の参加者が話に加わってきた。無線仲間は仲良くなるのに時間がかからない。奥様のJunkoさんとは、無線で知り合った仲とのこと。Junkoさんは、北海道出身である。とてもしとやかそうな方だった。私が料理を多少すると聞くと、それをKempに何度となく言っていたが、Kempは聞く耳を持たず 笑。一頃、無線への情熱がうせてしまったのではないかと思えた彼だったが、このところ、ビッグバンドでトロンボーンを吹くことに熱中している様子だ。車から7メガのCWに出ており、定期的に交信する仲間もいる由。またの再会を約束してお別れした。

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で、次はメインイベントの晩餐会になるのだが、いつ最後までたどり着くのか・・・個人的な思い出話ばかりでつまらないかも・・・それでも続く。

北米西海岸への旅 (2) 

27日夕方、Red、K5ALUが、一緒に夕食に行こうと誘ってくださった。彼の奥様Lindaと、私たち二人四名で彼のピックアップトラックに乗り込む。彼は、この車で北米全体を仕事をしつつ旅をしている。今でも十分強力な信号を、このモービルの設備で日本まで送り込んでくるが、以前はアンプを積んでいたらしい。ところが、あるとき、キャリアーを出した途端に回り込みと思われる現象に見舞われ、アンプ・リグともにおしゃかにしてしまった様子。現在は、TS480に、リモートで同調が取れるホイップを使っている。

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夕食会の会場、シアトルの湖畔の桟橋にあるIvar's Salmon Houseに向かう途中、K5TFと14メガでかろやかに交信して見せてくださった。右手の助手席との間にあるスペースに、板に固定したパドルを載せて、運用するのである。彼は1960年代からモービルで専ら運用してきたらしい。旅行と仕事と両方奥様同伴で楽しんでおられる様子。誰に聞いても、Redは「良い奴だ」という評判だった。この集まりを終えると、北米北部を抜けて、東部に向かう予定とのことだった。OrlandoでのFOCミーティングの常連でもあるらしく、そこでお目にかかろうと言ってくださった。

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緯度が高く、夜になっても、外がなかなか暗くならない。少し、黄昏が始まったかと言う頃、聞き覚えのあるコールの面々が続々と集まり始めた。左から主催者の二人、W7QC、AC2K、その右側のカップルが、N9RV Patと奥様のRita、その奥がベンチャー社主のBob W9KNI。Patは、コンテスト好きな方だ。私が、少しふざけて、今度はplain QSOでお願いしたですねと言うと、コンテストとplain QSO半々でどうだと言って、笑っていた。奥様は、元来北ドイツ出身。ドイツにも行ってみたい、特にブラームスの故郷のある北ドイツには関心があると申し上げると、モーツァルトの音楽祭もあるし、是非行くようにとのこと。お子様二人はもう一人立ちしている様子だ。Bob W9KNIとは、長い間の付き合いだったが、アルコールが入るまでは、何か憮然とした表情。N9KAU(JF3NRI)と、9V1YCがXU0AAを運用しに、カンボジアに出かけた折には、logikey等を寄付してくださったこと等を告げると、ようやく彼の表情がほぐれた。翌日開かれた晩餐会後、彼の著作「The Complete DXer」を、帰りの飛行機の中で読むようにと下さった。表紙裏に彼のサインと長年の交信を私たちがしてきたことを述べた文章が記されていた。この本については、後でまた記そう。

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この堂々たる体躯の主は、FOCメンバーではないが、7メガで交信する常連のVic WA6MCL。イタリア系の方らしく、とても陽気。60歳前後だったと思うが、まだ数年仕事を続ける由。医療用のケーブル類、カテーテル類を作る会社の営業エンジニアで忙しく働いておられるらしい。オンエアーでは、実直で静かなイメージだったので、ちょっとしたギャップに驚いた。一人置いて、立ってサービスしてくださっているウェイター、実は日本に留学したことがあり、かなり日本語が上手。驚かされた。その奥は、Jim KF7E、Bob Locherの奥様Judy。Jimとは、1980年代彼が5X1XXとしてウガンダから出た前後から、良く交信させて頂いていた。Jimは、以前、夜間勤務をなさっていたことがあり、その当時、早朝帰宅する車のなかから、7メガでしばしば交信したものだった。衛星通信の保守管理を仕事にしておられる。今回の集まりにも、私が出るからには行かなくてはなるまい、と泣かせる一言を言ってくださった方だ。今回私と会うに際して、アリゾナ特産(?)の香辛料をお土産に持ってきてくださった。

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手前に座り、カメラ視線でない方は、Mark W6DVO。Dave K6XGの友人、長い間教育畑で仕事をなさってきた方だ。その奥のご夫婦は、Dave W7AQKと奥様(名前失念)。DaveはFOCメンバーではないが、もう30年来の交信仲間である。オレゴンにモーターホームを置き、夏の間はそこで過ごしておられる。秋になるとアリゾナの自宅に戻る。御嬢さんが、最近弁護士としてオレゴンで仕事を始めたらしい。とても気さくな方だ。その奥は、昔我が家に滞在したことのある、Tommy W6IJ。最近67歳になったらしい。1960年代WA6NFC、その後WJ6O、そして現在のコール。三つのコールで交信したことのある珍しい友人。スマートになり、お元気そうだった。その奥の窓際のお二人はよく分からない・・・。

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左端は、Dave K6XG。リコーダーを演奏し、最近、昔練習していたバイオリンも始めた由。バッハより後に音楽はない、というのが彼のモットーである。リタイアして、音楽家の奥様と過ごしておられる。その右側のご夫妻は、ドイツから参加のTof DJ6ZMと奥様。Tofは、自営業をなさっておられるが、彼らが旅行中はお嬢様が店を切り盛りしてくださっている由。ドイツからのビッグガンである。その奥の女性は、W6IJの奥様Deana。Registered Nurseとして仕事を続けてこられたが、最近リタイアしたそうだ。循環器の外来で仕事をなさっていた様子。聞いたところ、静脈路の確保はおろか、気管内挿管まで行っていたようだ。

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大分だらだら長くなってしまったが、このポストの最後に、当日私が注文した、King Salmon。もう箸をつけてしまっているが、大きなサーモンである。新鮮で美味だった。

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というわけで、まだ暗くなりきらない道を、Alan AC2Kに車に乗せて頂き、Hiltonに舞い戻った。

北米西海岸への旅 (1) 

昨年、秋だったろうか、良く無線でお目にかかる三人組、W7QC、AC2K、W7GKFのいずれか、または三名相前後して、この7月から8月にかけて、シアトルでFOCのミーティング「NW FOC EVENT」を開くから参加しないかと話があった。私が来れば、FOCメンバーの呼び水になる、と喜んでいいのやら、ダシにされたのやら、という正直な説明もあった。私は、この春にリタイアを決めていたので、行ってみようかという気持ちに傾いた。FOCは、ご存じのとおり、英国に本部を置く、CW愛好家のクラブで、全世界で約500人という限られた人数しか入れぬ、「英国風」のクラブだ。他のクラブとは異なり、長く加入しているメンバーが多く、またコンテスト・DX「だけ」ということはなく、ラグチューを楽しむ方が多いのも特徴のクラブだ。私も1980年代後半に入会させていただき、多くの知り合い・友人が同クラブにいる。

行くことにした理由は、いくつかあるが、私の知り合い達がそれなりの年代に差し掛かってきていることが大きな理由だった。私も、彼らも何時健康問題を抱えるか分からぬ世代になりつつある。これまで何度も直接お目にかかった方もいれば、無線で半世紀近く交信を続けてきたのにお目にかかったことがない方もいる(先のポストに記した通りである)。FOCメンバー外の方もいる。彼らに直接お目にかかるとしたら、今の機会しかなのではないか、という思いがあったのだ。今になって思うと、少し力んでいたかなと思うが、これが一番の理由だった。

さらに、リタイア(というかセミリタイア)して、自由に動けるようになったことを確認する、自分で実感したいという思いもあった。パートの仕事を、元の職場での仕事を、一つ辞めて、もう一つの職場だけにしぼった。いよいよ、生活が大きく変わるという思いを現実のものとする、ということだ。

と書き始めたが、起承転結までたどり着くかどうか・・・。

まずはNW EVENTへの参加表明を出した。リタイアしてから、おもむろに、ホテル・飛行機の切符の手配を始めた。20数年ぶりの海外旅行である。情報を現地の友人からもらい、ネットで済ませた・・・といっても、別なところで書いたが、カードが途中から認識されなくなって慌てた。ビジネスクラスを取ったために、その費用がかさみ、カードの決済上限額を超えたためと後で判明したが、大分慌てさせられた。往復の飛行機は、ユナイテッドエアライン、シアトル・サンノゼ・ロスアンジェルスでの滞在は、別に記したホテルに決めた。ESTAを獲得したのは、出発の数日前だった。

7月27日、出発。近くの町から成田への高速バスがあり、それを利用することにした。荷物の移動等の手間が省ける。時間に余裕を持たせて、バス乗り場に向かった。北関東自動車道・常磐道等を使って成田へ。チェックインを済ませても1時間以上搭乗まで時間があり、興味津々だった、ビジネスクラス用のラウンジへ。少し広めの喫茶店といった趣。軽食や飲み物がサービスされる。16時過ぎの出発便だったが、ちょっと古い機体だったらしく、ビジネスといえども、足を十分伸ばせなかった。少し膝を痛めた。また、音楽等を聴取するヘッドフォーンもジャックのところで接触不良を起こしており、また音量調整もあまり効かず。これ等の点は、帰路のボーイング777では大違いで、大変快適であった。シアトルという言っては悪いが、田舎町への直行便なので、旧い機体ということだったのだろうか。今後、旅行する際には、機体をチェックする必要がある。

シアトルに着くと、申し出てくださっていた通り、Bill W7GKFと奥様のAnnが迎えに来てくださっていた。私のコールのサフィックスを大きく記した紙を持っていたので、苦笑。前日までは良い天気だったのだそうだが、当日は曇り。とても涼しく乾燥している。長袖が必要だ。BellevueのHilton Innまで20分前後だったろうか。お二人とはもちろん初めてお目にかかったが、何度も無線でお話ししていたので、初対面のような感じがなかった。Billは、大学でNMRの研究をしていたが、教授職を辞して、Varianという会社に移り、同じテーマの基礎研究を続けたとのことだった。いつ退職なさったのか、聞き忘れたが、もう10年前後は経っているだろう。奥様とは再婚らしかった。奥様は40歳の頃から、プロの絵描きとして活動なさっている由。このブログで、ウェブに公開された彼女の作品を紹介したことがある。

Hilton Innは、Bellevueのダウンタウンにほど近い、美しく整えられた街角の一画にある。10階建ての建物。受付・ラウンジのあるスペースは、天井が傾斜して高い吹き抜けになっている。私のチェックイン時刻にまだ達していなかったので、hospitality suite(以下メイン会場と略す)に連れて行かれた。10階のメイン会場は、20畳程度の部屋が二部屋続いており、一方は飲み物を飲みながら談笑するために、もう一方は、無線(笑)のために準備されていた。巨大なチップスの袋や、馬鹿でかいアルコール類のボトル、冷蔵庫一杯の飲み物等がずらっと並べられていた。無線用の部屋は、元来、ベッドルームであり、たまたま昨夜オバマ大統領が泊まったそうだ。彼が去るまで、準備ができず、やきもきしたことだろう。オバマが居なくなって良かったと、皮肉交じりにBillが言っていた。

当日、Steve W7QC宅でランチがあり、その後も何かの観光ツアーが組まれていた様子だったが、飛行機の中で十分眠れなかったこともあり、両方ともにキャンセルさせて頂き、その後準備された自室で午後の間休ませてもらった。Steve宅で自家製のビールを味わう機会を失ったことに後で気づいた。

あれれ、こんなペースで書いていたら、何時終わりになるやら・・・でも、また続く。

Hilton InnからBellevueのダウンタウンを望む。Microsoftの本社も確かここにあると説明されたような気がする。手前は、Hiltonの駐車場。街路樹が美しく並び、その間を芝が覆う。

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この集まりの発起人・幹事一同。左から、W7GKF、Bill、奥様のAnn、AC2K、Alan、それにSteve、W7QC。AlanとSteveは離婚経験者で独身。彼らからどうやったら結婚生活を続けられるのか教えてくれと言われると、Billが、笑いながら語っていた。Billは、人当たりが良く、公的な夕食会では司会をなさっていた。Alanは一番の若手。エネルギッシュで、てきぱきと物事を進めていた。Steveは物静か。プログラミングをMSで長い間していたようだ。

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