バッハの思い出 

また、仕様もない思い出話。

浪人をしてようやく大学に入った。医学部というからには、最初から医学の勉強があるのかと思いきや、当時は教養部という、専門の学部とは完全に切り離されたところで、教養科目を学ぶことになっていた。2年間の放牧生活と言われていた。最初、軟式テニスのクラブに入り、下手なりに頑張っていたのだが、1年生の冬に、以前から関心のあったオケに友人と入ることになった。その経緯は以前記した記憶がある。

クラシックは、多少聴いていたが、知っている曲目は限られていた。教養部の寮で当時生活していたのだが、二人一部屋の寮の部屋に、オーディオセットを一通り友人と揃えた。学生の身分としてはかなりの金をかけて、山水のスリーウェイのスピーカーを買い、長方形の寮の奥の隅に据え付けた。FM番組からカセットに録音して、それを楽しんでいた。

バッハのこのソナタ、誰の演奏だったろう・・・スークだったか・・・演奏者を思い出せないのだが、当時良く聞いた記憶がある。たまたま、Youtubeでグールドとメニューインの演奏を見つけた。ここに貼っておく。一楽章の旋律が、ことに記憶にはっきりと残っている。マタイ受難曲の有名なアルトのアリアEr barme dichに似ているとも称される旋律だ。バッハの他の作品にもみられる、明と暗の両義性を同時に表現している、言い換えれば、沈鬱な気分でありながら、なにごとかを恋い焦がれる心情でもある、相反する気持ちを一つの旋律が表現しているように思える。メニューインは、堂々としたバッハを演奏し、一方のグールドは軽く美しいタッチでメニューインに寄り添い、時に自己主張している。

この曲を聴くと、当時のことが本当にくっきりと思い出される。何も飾り気のない、ベッドと机が二つずつあるだけの寮のその部屋。なみなみと紅茶のそそがれたマグカップ。ひんやりとした空気。そして、その頃、考え、思っていたことども・・・。記憶をこのように鮮やかに浮かび上がらせる力が音楽にあることに改めて驚かされる。音楽は、我々の精神・こころのもっとも奥深いところに働きかけるためなのだろうか。


鼻腔を診ること 

私は、小児科医として咽頭所見と同等、またはそれ以上に鼻腔の所見を重視すべきではないかと常々思ってきた。小児疾患で多いのが、気道(特に上気道)の感染だが、それに劣らず多いのが、上気道、鼻腔のアレルギーだと思うからだ。

鼻腔の重要な機能には、吸気中の異物・病原体をトラップし、下気道に至らせぬこと、それに吸気を温めることがある。空気の流れる構造は、鼻甲介で三つに分けられ、吸い込まれる空気が、そうした広い鼻粘膜と接触することで、その機能が実現することになる。吸気が最初に接触する場所であり、かつその接触が広い面積で行われる鼻腔粘膜が、感染・アレルギーの成立する場になる可能性が高いわけだ。このようなことは、医師であれば、よく分かっていることなのだが、小児科医は往々にして、口腔・咽頭所見しかみない。確かに、こちらに特徴的な所見が出る疾患はあるし、扁桃の変化も大切だ。だが、それ以上に、鼻粘膜・鼻腔の所見は大切だろうと思う。

以前にも何度か記したが、鼻腔所見を必ず診るようになって、そこでの異常所見が如何に多いかに驚かされる。特に、アレルギーによると思われる鼻粘膜の腫脹、鼻閉塞が驚くほど多い。咽頭痛で来院する患者の大半が鼻閉即を伴う。これは、同じ病変が咽頭粘膜にもあるということもあるかもしれないが、たいてい咽頭粘膜に異常所見はみられない。後鼻漏が、その痛みに関与していると思われることもある。鼻腔の異常は表面上さほど深刻ではなく、本人・家族もその症状に慣れてしまうことが多いようだが、確実に生活の質を落とし、感染の機会も増やす。また、中耳炎や副鼻腔炎といった合併症も頻発する。口呼吸することで、口腔内が乾燥し、虫歯になりがちになる。

昨夜、何気なく、耳鼻咽喉科の実践的なテキストに目を通していて、鼻鏡にも多くの種類があり、細い経の優れた内視鏡が使えること、後鼻腔所見も内視鏡で比較的容易に見えることを改めて知った。私が、若ければ、こうした機械を十分に活用して、鼻腔の所見をより精細に取っただろうと夢想した。

若い小児科医諸君は、エコーを自在に使いこなす方が多くなっていると聞く。それと同様に、是非鼻腔所見も重視してもらいたいものだ。こんなことは、小児科医にとって常識になっていることかと思っていたが、非常勤の病院で、他の数名の小児科医の診療ぶりをカルテで見せて頂き、鼻腔を診ることはまだまだだと感じた次第だ。自慢話と受け取られてしまうかもしれないが、診療のスタイルが旧態依然であることは自分でも意識しているし、そうした意識から抜け出して、新たなことにチャレンジし、有用と判明したことを実際の診察のやり方に取り入れてゆくことがいつも大切なのではないかと思っている。特に、小児科では圧倒的に患者数の多い上気道疾患については、まだまだ検討の余地がありそうな気がする。「風邪」の一言で済ませてはいけないケースが多々あるものだ。

付言すると、鼻腔は耳鼻科に、という意識が小児科医にあるのは事実で、実際耳鼻科医でなければ対応できぬことも多い。それはよく分かっている。が、全身を診るべき小児科医という立場からは、鼻腔所見を取ることも大切なことなのではないだろうか。

医療訴訟は提起段階で報道すべきではない 

関節リュウマチの患者さんが、肺炎を生じて亡くなられたことに対し、遺族から損害賠償請求訴訟が起こされた。亡くなられた方のご冥福をお祈りしたい。

以下、毎日新聞の記事。


記事引用~~~

「適切な治療怠り死亡」と遺族が市を提訴、埼玉・春日部市立病院
12/12/25
記事:毎日新聞社
提供:毎日新聞社

損賠提訴:春日部市立病院「適切な治療怠り死亡」 遺族が市を /埼玉

 春日部市立病院で昨年9月、関節リウマチの男性入院患者(当時75歳)が肺炎で死亡したのは副作用のある薬剤を使った後に適切な治療を怠ったためだなどとして、男性の妻(75)=同市在住=ら遺族3人が21日、春日部市に計約6250万円の損害賠償を求める訴えをさいたま地裁に起こした。

 訴状によると、病院は昨年3月24日から、男性にリウマチ治療薬を投与。約2カ月後に副作用の間質性肺炎を発症したのに投与を中止せず、同5月12日の入院から12日後に中止した。さらに男性が別の肺炎に感染したのに予防・治療薬投与など適切な措置をせず、死亡させたとしている。

 遺族は男性が入院中、治療について書面で2度質問したが、病院側は一方的に越谷簡易裁判所に調停を申し立てたという。原告側は「病院側が適切な説明義務を怠り、精神的苦痛を受けた」と主張している。

 病院側は提訴に「請求に理由がないことを主張、立証していく所存です」とのコメントを出した。【狩野智彦】

引用終わり~~~


亡くなられた方は75歳男性で、元来関節リューマチを患っておられたものと思われる。記事に基づき経過を箇条書きにすると・・・


2011年3月24日 抗リュウマチ薬投与開始

     5月12日 入院 入院中二度患者側から文書で質問をしたが、病院側はそれに応えずに、簡易           裁判所に調停を申し立て

     5月24日 間質性肺炎発症・抗リュウマチ薬中止 

           別な肺炎(感染生?)発症 予防・治療なし

     9月    死去  


私は、関節リュウマチは専門外なのだが、それにしても、不可思議な記事である。

入院中に患者側から、文書で質問が医療機関に寄せられたが、それに病院が答えず、裁判所に調停を申し立てた、ということがまず不可解。入院中に、医師は全く説明をしなかったとは考えにくい。患者側から病院に書面で質問が寄せられるとは、普段あまりないことだが、その内容はどのようなものだったのだろうか。病院側が、裁判所に調停を申し立てているということからすると、裁判に持ち込むという患者側の意思表示だったのではないだろうか。

間質性肺炎は、膠原病の合併症としてもしばしば経験されるが、抗リュウマチ薬の副作用でも生じうる。どうだったのか、この経過では分からない。少なくとも、間接性肺炎が判明した時点ですぐに、抗リュウマチ薬投与を止めている。

最終的に死因になったのは、「別な」肺炎のようだが、その詳細が分からない。だが、関節リュウマチで自体、さらに治療薬によって免疫抑制状態になるから、感染性の肺炎が起き、不幸な経過をとることも十分あり得る。残念ながら、膠原病の自然経過としてありうることだ。

この記事からは、頭が混乱させられるばかりだ。

以前から、しばしば言っていることだが、裁判が提起された時点で、原告側の主張だけをこのように報道するのは、控えるべきではないだろうか。この記事には、医学的な意味はない。むしろ、医療機関が何やら「へま」をしたという先走った印象を、国民に与えるだけになる。医療機関はさらに防衛医療に徹することになってしまう。患者側にも、医療側にとっても不幸なことだ。

この記事は、毎日新聞から引用した。

ノロウイルスの医療施設内での流行 

宮城県の中小病院で、入院患者6名がノロウイルス感染により死亡する事例があった。不幸にして亡くなられた方のご冥福をお祈りしたい。

ノロウイルスは、最近名を知られるようになってきたが、手元にある2004年版のNelsonの教科書索引には載っていない(仕事場に備え付けの最新版には載っていた)。半日から2日間の潜伏期で、激烈な胃腸炎を起こすウイルスだ。

2009年から10年にかけて、米国のCDCが行った急性胃腸炎に関する全国規模の調査によると、ノロウイルス感染は冬に多く、病因の判明した流行事例1419の内、89%はノロウイルス単独感染であることが確認された、または疑われた、と報告されている。流行の施設が報告されているのは、1187の事例であり、その内、養老院等長期間入所する施設での事例が80%を占めていた。年間死者数は800名、流行時には、この50%増しになるらしい。

従って、ノロウイルス感染は流行する急性胃腸炎の最大の病因であり、特に、長期間入所する施設で最も頻繁に生じる問題であると言えるだろう。こうした施設での感染予防は、喫緊の課題であるが、その流行経路を把握できぬ場合が多いことも、別な総説が指摘されている。こうした施設におけるノロウイルス感染を予防できたケース自体が、報告されるほどに、感染拡大を止めることが難しいのが現状のようだ

この宮崎の医療機関で起きたノロウイルス感染の流行は、こうした情報を念頭に置いて見ると、残念ながらそれほど稀なケースではないと言えるのではないだろうか。勿論、感染拡大を防ぐあらゆる手段を講じる必要があるが、潜伏期が短いことと、感染経路が不明なことが多いことから、実際は困難であることが想像される。

エプロンを使い回しした、ないし一度に交換しなかった事実が報道されている。これは、感染コントロールの観点からすると、好ましくない対応であったのは事実だ。だが、エプロンを使わかなかったことが、流行の原因であるかは不明だ。

さらに、この医療機関理事長が正直に告白しているように、こうした規模の医療機関(療養病床と介護病床併せて64床の様子)が得られる診療報酬は、すべて込みで、患者一人当たり一日5千円から8千円程度だったのではないだろうか。厚生省のサイトに医療療養病床診療報酬が載っている。こちら。一方、袖までの医療用エプロンは、一着200円程度するようだ。エプロン以外に、キャップ・ディスポのグローブ等も必要になる。また、マンパワーも普段の何倍も必要になるだろう。これらの出費もすべて、包括性の固定された診療報酬から出さなくてはならない。患者一人の診療報酬等すぐに吹っ飛んでしまう可能性が高い。

ノロウイルスが出たところで、患者を他の医療機関に転院させるわけにもいかないだろう。こうした高度の感染性を持つ疾患は、他の患者さんにとって命取りになるからだ。

行政は、この医療機関の対応を不適切だとし、警察までが動き始めると報道されている。これでは、医療機関はやって行けないのではないだろうか。こうしたケースをただセンセーショナルにマスコミが取り上げ、さらには警察が刑事罰を念頭に置いて医療現場に入り込んだところで、問題は解決しない、むしろ解決から遠のく。ノロウイルスが極めてありふれた感染性胃腸炎の原因で、このような医療施設で流行を起こしやすいことを念頭におき、医療安全・院内感染防止を十分実現できるだけのマンパワーと診療報酬を、医療現場に与えることを考えるべきなのではないか。

毎日新聞は、医療崩壊を各地で引き起こしながら、いつも開き直っている。医療機関を開き直っていると非難する資格はない。


以下、引用~~~

<ノロウイルス>ずさん衛生管理が原因…宮崎県が病院を批判
2012年12月23日 22時39分 毎日新聞

宮崎県日南市の「医療法人春光会 東病院」で6人が死亡したノロウイルスによる院内集団感染。県は「病院の衛生管理が感染拡大の一因」と指摘した。一方、病院側は23日、「申し訳ない」と陳謝しながらも「 一医療機関では財政的に不可能」と開き直った

春光会の宮路重和理事長と県は県庁で記者会見。同理事長は「当初はノロウイルスを疑わなかった。対応で手いっぱいだった」と強調した。宮路理事長によると、病院は患者や職 員のノロウイルスへの感染を受け、日南保健所に報告。18日に立ち入り調査を受けたが、14~17日に3人が死亡したことは「ノロと関係ない」と判断し、その場で報告しな かった。しかしその後も死者が相次ぎ、22日に同保健所が2度目の調査を実施した際、事実を伝えたという。

さらに県や病院によると、看護師らが使う感染予防対策用の医療用エプロンについて、保健所は1回使う度に廃棄するよう指導したが、病院は「品薄で入手が困難だった」として 、汚れがひどいもの以外は一日中使っていた。また、看護師らが手袋を取った後にエプロンを触ることもあり、県は「汚物処理に不手際があったのが一つの原因」と指摘した。【 百武信幸、門田陽介、中村清雅】

2012年を終えるにあたって 

この一年、私にとってもっとも大きな変化は、仕事を辞め、セミリタイアの身分になったことだ。健康上の理由、それに行政とのやり取りで鬱積したストレスそれにちょうど具合よく仕事を引き継いでくださる方が現れたことなどによって、今年3月一杯で17年弱続けた診療所に終止符を打った。



仕事を辞めた当初は、自分の所属がなくなってしまった不安定な気分と、患者に会えなくなる寂しさが、繰り返し襲ってきた。実を言うといまでも、そのような気持ちになることはある。週一度お世話になっている病院では、患者さんは殆ど一見さんであり、本人・家族のことを良く理解し、経過を診てゆく、臨床第一線の楽しみは殆どなくなってしまった。



一方、セミリタイアしてから、家事や、家のことに時間を費やせるようになった。庭の手入れ、草むしり、そして毎日のように夕食を作る。そのようなことをしながら、静かに流れる時間を感じると、これで良かったのだと思えることもある。家族をあまりに顧みないでここまで来てしまったと思う。それを取り返すのだ。そして、それは充実感をもたらしてくれる。



無線の友人たちに、リタイアした感想をしばしば尋ねられる。きまってここに記したことを話し、ambivalentな気持ちであると答えることにしている。恐らく、仕事を辞めたことの喪失感は徐々に薄らぎ、家事や家族、そして自分のために過ごす時間をありがたく感じることが多くなるのだろう。



7から8月にかけて、無線の友人たちに会いに、米国西海岸を駆け足で旅行したことも忘れられない思い出になった。米国旅行は、実に20年以上ぶりであり、家内とのこうした遠くに出かける旅行は、初めてのことだった。この旅行の詳細は、8月上旬にこちらで記したので、省くが、無線で半世紀近く知り合いであった、Kemp K7UQHに会えたこと、昔からの友人Bob W6CYXに再会したこと、そしてSteve N6TT、Jim W6YAを始め無線で頻繁に話しをする仲間にお目にかかれたことは特筆すべきことだった。シアトルでお目にかかってから、これまで以上にお目にかかるようになった方もいる。実際お会いすることで、無線での交信がより興味深く、親しく思えるようになった。SteveとJimは、再来年のVisaliaに行こうと言ってくれているが、果たして海外に行くのは何時、何処になるやら・・・。



これを記している現在(下書きのまましばらく放置していた)、衆議院選挙の開票結果が報道されている。予想通り、自民党の圧勝のようだ。ただ、投票率はかなり低かったようでもある。第三極と言われた政党が大躍進をするということもなさそうだ。国の形を決めること、さらに市場原理を経済国家体制に大幅に取り入れるのか決めること、の両者についてほぼ国民の回答がでたようだ。ただし、かなりの国民が、政治への期待を失い、または積極的に持てず、「投げてしまっている」という状況のようにも見える。改憲まで突き進むのか、さらにTPP批准まで持ってゆくのか、静観してゆくほかはない。また、エネルギー政策、具体的には原発をどうするのかについても、国民の意思は、このままで行くという選択肢だったのだろう。福島第一原発事故から得た教訓よりも、一時的な経済的利益を選んだということだろか。



先のポストにも記したが、わが国ではこれから人口減少・超高齢化が進み、対外的にも様々な問題をかかえ、そのなかで、これまでの膨大な借金の対処を求められることになる。この借金に対する対処方法は、二つ、踏み倒す(債務不履行を行う)か、通貨の価値を下げて借金を実質目減りさせること。取りうる道は、後者しかないように思える。また、世界経済も、成熟した資本主義の宿命である不確定さに翻弄されているように思える。昨年もそうであったように、金融制度にある信用不安は解決しないままだ。こうした問題にも常に注意し、また勉強し、備えるようにしてゆきたいものだ。




この問題に関連して最近読んだ書物・・・先のポストで挙げた藤巻健史の「日本大沈没」は、市場原理主義の立場で、為替トレーディング現場にいた著者の現状認識が興味深かった。佐伯啓思著「経済学の犯罪」は、フリードマンによる新自由主義経済学が一つの価値判断に基づく思想であり、科学ではないこと、そしてそれが現実にそぐわなくなっていることを教えてくれた。市場原理主義に内在する問題をえぐり、根本的な方向転換を迫る内容だった。宇沢弘文著「社会的共通資本」、格調高い内容で、社会的なインフラを、社会的共通資本として大切にし育ててゆかねばならぬことを教えてくれた。やはり、宇沢が常に念頭に置いていたのは、市場原理主義の問題で、その理論の成立する前提になる条件が、現実には成立しがたいことを示している。ザルのようになった私の頭だが、これからも勉強を続けてゆきたい。今、どのような時代を自分が生きているのかを知るために。



チェロ・・・可哀そうに、私の部屋でケースに収まり、長期休養を取っている。今年も、引き続き、Tさん、Nさんにお相手頂き、メンデルスゾーンのピアノトリオ1番を練習していたのだが、旅行が入ったり、他の用事で定期的に練習するまでいかなかった。そもそも、私の腕は、もう上達は望めないし、お二人にご迷惑をおかけしているだけなのではないか、という疑念が自分のなかに湧いてくるのも事実。でも、また来年合わせようと仰ってくださっているので、また少しずつ練習を始めるか、というところだ。基礎的な練習も含めて、練習すること自体を楽しみながら続けてゆきたいものだ。




家族は、皆それなりに多少の問題を抱えつつも、健康に恵まれて歩んでいる。義理の両親も終の住処が見つかり、ようやく老老介護の状態を脱せた様子。すぐに自分の問題になるのだと思いつつ、できるだけのことをさせて頂きたいと思っている。



ダラダラと思いつくままに記したが、リタイア生活に向かって離陸し、徐々に安定した飛行に向かっているかのように思える。あちこちで、嵐や雷鳴が見聞きするが、とりあえずは、今の安定した飛行を続けられるようにと念じている。このブログも開始以来6年間を過ぎた。本当に大したことのない中身なのに訪れてくださっている方にはお礼申し上げたい。まうしばらくここで自由気ままに発言をさせて頂きたいと念じている。ご感想等、コメントで頂けると幸いだ。

Harv N3MD 

この数日の間に、Harv N3MDと二度交信した。以前にもお会いしているかもしれないが、記録にはなし。交信しつつ、このサフィックスだったら、医師だったら面白いのにな、と考えていた・・・ら、自己紹介をしあったところ、彼はリタイアした外科医であることが分かった。

ピッツバーグで生まれ育ち、ジェファーソン大学の医学部に進み、外科医になった由。現在、72歳とのこと。数年前、娘さんを頼って、サンノゼに来るまでは、ピッツバーグで生活を続けてきたらしい。開業は、火傷を専門に診ていた様子。開業を2006年に辞め、1年間保険会社で仕事をしていたが、書類仕事が肌に合わず、辞めて、カリフォルニアに越してきたらしい。

仕事上一番大変だったのが、競合開業医との患者の取り合いだったらしい。競合相手は、保険にしっかり入った軽い患者を取り、Harvは、重たい患者、それに無保険の患者を診ることが多かったのだそうだ。無保険患者に対して、どのように対応したのか尋ねたら、診療するときには、患者が保険に入っているか、否か、知らずに診療するようにしていた、ことことだけで私は天国から呼ばれると思うよ、と言って笑っていた。

米国では、無保険の国民がかって4000万人いて、彼らが医療を受ける際には、長い間またされた挙句に一時的な対応だけをされるERに行くか、高額の自費診療を受けるかの選択しかないのだ。オバマによる皆保険制度が機能するようになると多少は改善するかもしれないが、米国では、医療を受けるには、高額な保険に入るか、無保険で行くかの選択肢しかない。

日本でもそのようになるかと思っていたが、その前に、ハイパーインフレ、というか、程度は軽くてもインフレが進行することによって、政府機能が途絶する可能性が高くなった。長期金利が1%上がるだけで、政府が支払う国債の利息は、10兆円増えるのだ。数%のインフレで確実にアウトだろう。その際には、公的保険が機能しなくなる。結果としては、医療が米国化するのと同じことかもしれない。それを想像すると、胸が締め付けられるような気持ちになる・・・。

Harvは、生まれ育った場所を離れて、友人たちが恋しくなることもあるが、友人たちもリタイアとともに、様々な場所に去って行った。中には亡くなった友人もいる、とのことだった。今は、愛犬と無線が友達だ、と。一時間ののんびりした交信を終え、再会を約してお別れした。

日本経済の行く末 

これほどまでに、日本政府の財政状況が悪化しているのに、なぜに円高が続くのか、さらに長期金利が上がらないのか、ずっと不思議に思ってきた。良く言われるのが、日本国債の9割以上が、日本国内で買われているので安定しており、さらに日本の安定と力量を見込まれて、円が買われているのだと言った説明だった。しかし、対GDP比でギリシャをはるかに超す借金を抱え、超高齢化社会に突入しつつあるわが国が、そのように国際的に評価されているとは、にわかに信じられなかった。

経済に詳しい方ならとっくのとうに理解なさってきたことかもしれないが、藤巻健史氏の「日本大沈没」という本を読んで、やはり日本が危機的状況にあることが改めて分かった。藤巻氏は、為替トレーディングで生きてこられた方であり、その考えは、市場主義の最たるものだ。なので、現状分析を今後の対応に結びつける彼の考えには納得しかねることも多いが、現状分析そのものは、変な希望的観測などが入らず、極めて的確なもののように思える。

彼によれば、国債が暴落せずに済んでいるのは、長年政府・日銀が、国債価格を維持するようにコントロールしてきたからだ、という。本来、市場にまかせるべきところを、一つは、郵貯や民間金融機関に低利で大量の国債を買わせるような制度を築いてきたこと、もう一つには、市場の国債への評価である長期金利を低く保つために、長期国債から短期国債にシフトさせてきたことが、そのコントロールの内容のようだ。外国からの投資対象にならないのは、日本国債に魅力がないだけのことだそうである。外国から見ると、日本は計画経済の国であるように見えるらしい。

彼によれば、消費税増税で日本の現在の財政赤字、それにこれまで積み上げてきた財政赤字を改善しようとしたら、消費税増税は30%以上にしないといけないということだ。確かに、消費税1%で、2兆円の税の増収になるからそのようになるかもしれない。が、金利が上がると、国債の利息も増える。金利が1%上がると、毎年10兆円利子負担が増えることになる。さらに、増税により、景気の悪化、それに伴うもともとの税収の減少も不可避となる。

藤巻氏の結論は、日本の財政破たんは避けられない。その際には、政府は機能しなくなり、社会保障その他の行政は麻痺するだろう、ということだ。この財政破たんは、例えば、ヘッジファンドが、日本国債先物を大量に売ることによって生じうるということだ。または、民間金融機関が国債を買わなくなる、買えなくなることによっても生じるだろう。それがいつ来るかは分からない。財政破たんに伴い、日銀は、円を大量に発行せざるを得なくなる。すなわち、ハイパーインフレが生じるのだ。すると、これまでの貯蓄は紙切れになる。円は、暴落する。・・・という筋書きである。藤巻氏の描く筋書きでは、円安になって、日本企業に競争力が生じ、数年後には再び日本経済は成長し始めるだろう、ということだ。

こうした「悲観論」は、これまでも耳にしたことがあったが、日本国債の現状を理解すると、それが「悲観論」ではなく、現実そのものであることが理解できる。

で、その来たるべき、破たんの時期に備えて、我々にできることは少ない。藤巻氏は、蓄えがあれば、外貨での預貯金、外国への投資を進めているが、日本が「沈没」するとすると、先進国の経済にも深刻な影響が及ぶことだろう。もしなしうることがあるとすれば、自分の生活の基礎を持つこと、食料を自給するか、それに近い形で手に入れられるようにしておくことだろうか。数年間は、年金も含めて公的なサービスが受けられぬ状況で生きる覚悟が必要になるのだろう。その時になってあたふたしない心づもりが必要なのだ。

安倍次期首相と、日銀は、さらなる金融緩和を行うと決めた。長期金利も僅かだが、上昇傾向を示している。インフレターゲットを2%とし、それに向けて、じゃぶじゃぶ円を市場に供給するつもりらしい。しかし、一旦インフレが始まったら、それをコントロールする術はないはずだ。現在の不況は、需要の落ち込みから生じているのであり、金融緩和で解決しない。そして、この金融緩和は、ハイパーインフレの引き金にもなりうる。現在の日本の財政赤字の大半を、公共事業の垂れ流しで積み上げてきた自民党政権、それが政権復帰を果たし、また公共事業を推し進めてハイパーインフレを引き起こす。ハイパーインフレは、政府が国民から、富を収奪することに他ならない。何とも悲喜劇ではないか・・・。

今朝の7メガ 

CW FreaksというMLに先ほど流した、私の発言・・・

~~~

今朝、6時前に起き出して、7メガから聞き始めました。東ヨーロッパまでしか入感していませんでした。ビームを南西に向けて、北米のロングパスを狙い何度かCQを出します。VE3が、ひどいエコーを伴いながらコールしてきました。ショートパスも開いているのか確認する時間はなし。他にWが二局。とても弱い。必死にコールをコピーしようとしましたが、かなり手間取りました。今日は、CONDXが今一だったようです。後二日で冬至なのですが、ロングパスのシーズンはそろそろ下り坂でしょうか。

ノイズに覆われたような信号をコピーしようとしながら、聴機能を担う神経が、総動員して、コピーしようとしているのを自分で感じました(大分草臥れてきてはおりますが)。で、ノイズの隙間からすこしずつ聞こえる情報をつなぎ合わせて、何とかコールを取ります。情報がまず短期間の記憶に、そのまま記憶され、それらを統合し、一つの意味のある情報(この場合、コールを構成する文字)を得る、という作業は、二段階で進むような気配。無意識に近いところで、「生の情報」を聴こうとする自分がいることに驚かされます。これは、普通の会話などでも行われる作業のようが気がします。

だからどうだってことはないのですが・・・

微弱な信号をコピーする側として、呼ぶ側にお願いしたいことは、QSBのスパンが長い場合ないし雷ノイズのような短時間のパルス性のノイズであれば、むしろQRQが良いし、持続的なホワイトノイズが多い場合は、ゆっくりの方が良いし、経験がやはり必要になりますね。何度も繰り返しても、取ってもらえない場合は、スピードを変える、またほんのわずか周波数を動かすことも必要でしょう。、

というわけで、私の個人日記になりつつあるML 笑。あとしばらく14メガをワッチして仕事にでかけます。

ja1nut@恐らく外気温はマイナス10度の世界・・

~~~

で、これを送った直後に、コロラドのGeo W0UAからメールが入った。彼が私の信号を先ほど7メガで聴いたというのだ。彼のアンテナは、10数m高のロータリーダイポール。どうも、ロングパスではなく、ショートパスが開けていたのかもしれない。この時期、北極経由の少しskewしたパスが、北米に向けて開けることがある。CONDXによっては、西海岸まで開けることがある。

無線をやっていない方にとっては、あるいは無線をやっている方にとっても、どうでも良い情報ではあるが、こんなところにも不思議さを感じ、また魅入られてしまうわけだ、

さて、本当に出稼ぎに出発だ。

机の自作 

我が無線シャック、書斎も兼ねているので、机が手狭だった。もう少し大きい机に代えようかとも思ったが、このダイニングテーブルを転用した机もまだ1年半しか使っていない。そこで、小型の机を追加し、現在のテーブル机とL字型にして使うことを考えた。

出来合いの丁度良い机を探したが、ない。そこで、自作することにした。自作と言っても、天板、脚ともに既製品があり、こうした部材を売っている店で、脚取付用の金具の穴を開け、金具を取り付けるところまでやってくれる。90x45cmの大きさ、3cmの厚さのパインの集成材の天板が、同じパイン集成材製の脚四本の上にのる。・・・このように記すと、簡単に決めたかのように思われるかもしれないが、店に三度ほど足を運び、ためつすがめつして決めたものだ。

自宅に持って帰り、組み立て。数分で組みあがり。脚の長さが厳密に合わせられないのはご愛嬌か。何しろ、これだけの部材で1万円かからずに作れてしまうのだから、安いものだ。集成材で作られたしっかりした既製品の机は、数万、下手をすると十数万はする。で、自室に持ち込み、ウレタン系ニスを塗布しているところ。有機溶剤で気管支が刺激されてしまった。あわてて換気する。ニスは、三回重ね塗りをしたが、最後にもう一度塗ろう。塗るたびに、濃淡ができてしまうが、まあこれも愛嬌だ。

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これで床に本を並べたりしないでも済みそうだ。無線機のラック、オーディオのラックも20年ほど前に作った自作品。父親が、こうして自分で作っていたことを思い出した。さて、最後の塗装をして仕上げだ。

選挙結果を受けて 

今回の衆議院選挙結果については、マスコミ等でいろいろと取りざたされているし、素人の私が付け加えることはあまりない。大方の見方では、自民圧勝というよりも、消去法で自民支持が残ったというところなのだろう。記録的な低投票率が、組織選挙政党に有利に働いたのだと言われている。

こうなった背景は、一つは、良く言われることだが、政治への不信が、かなりの国民の間に広まっていることがあるのだろう。無効票が、過去最大であったこともそれを反映しているのかもしれない。また、マスコミが事前に「自民圧勝」を何度となく報道していたことも、投票してもしなくても良いという意識を国民に植え付けたのではあるまいか。

自民党がとりあえず行おうとしている政策は、

1)金融緩和によるデフレ脱却 
2)改憲 
3)米国との関係強化 

のようだ。

1)については、早速、円安と株高が進行している。この変化は実体経済の改善を伴わない、金融緩和を先取りする、表面的な動きだ。現在のデフレは、需要が落ち込んでいることに原因があるのに、そこで金融緩和をすれば、「悪しき」インフレが起きる可能性が高い。インフレになり、円安に振れれば、輸出企業の業績が良くなるという見方もあるが、国内内需は、むしろ低下することだろう。輸出大企業には、すでに実に200兆円超の内部留保がある。

輸出への依存を減らし、国民の需要がいくばくかでも改善する政策を打つべきなのだが、それとは逆行する施策が行われることだろう。また、インフレになるとまず打撃を受けるのが、リタイアした人々である。年金、資産の実質的な目減りになるのだ。ここまで国家財政が悪化すると、インフレ誘導し、国民資産を簒奪することしか、それを脱する道はないのかもしれないが、広い意味での国力は低下するだろう。

2)は自民党の党是であり、以前のポストに記した内容で、改憲支持の他党を巻き込んで進めてくることだろう。基本的人権の軽視、憲法順守の強制という国家秩序への強制的な隷属、天皇を中心とした国家体制、現憲法の平和主義の廃棄、集団的自衛権の確立、戒厳令に等しい政府による緊急事態対応ということが、改憲の内容だ。

集団的自衛権とは、米国の戦争に、兵士を送り込むと言う形で加担することだ。米国との集団的自衛権の関係にある韓国が、ベトナム戦争で2万人の死者をだしたことを忘れるべきではない。米国の世界支配は、必ずしも善と見なされることばかりではなく、むしろ米国の利権を確保するためのことが多かった。そうしたことを踏まえたうえで、集団的自衛権を支持するかどうか決めるべきではないか。この政策は、我々自身、そしてその子供たち、孫たちに銃を取ることを強制する

これまで人権等を制限する因子は、「公共の福祉」であるとされてきたが、改憲案では、「国の秩序、国益」が、それにとって代わる。国家秩序、国家体制が、人権よりも優先するのだ。実際に、自民党のウェブや、自民党議員は、これまで西欧流の個人主義が国民の悪しき個人主義を助長してきた、それに代えて日本の伝統的な秩序を優先するのだと明言している。これは、国家による基本的人権の蹂躙を行わせぬために、国家に遵守させるためにある、という近代憲法の基本理念に逆行することだ

3)米国との関係強化の実際は、TPP批准に進むことになるだろう。現在は、TPP批准をする条件として、聖域なき関税撤廃に反対すると言っているが、米国の目的は、関税よりも非関税障壁の撤廃である。要するに、日本社会の米国化である。医療介護でいえば、資産の有無によって、医療介護を受けられるかどうかが決まる社会の実現である。米国の保険資本が津波のように押し寄せ、公的保険は非関税障壁として最小化される。日本の農業も、壊滅状態になることだろう。医療介護・農業といった、社会生活の基盤となる制度・資本を、利潤追求だけが目的の巨大資本に与えることになるわけだ。米国の目的は、日本国民がこれまでにため込んだ資産の簒奪である。

まぁ、ここまで進んでしまえば、後には戻れないのだろう。じっと見守るしかない。改憲だけは、後の世代のために防ぎたいものだが、難しいのかもしれない。

昨夜お目にかかったBob W6CYXは、日本も米国もEUも経済的にはダメだろう、唯一大丈夫そうなのが、中国だ。なぜ大丈夫なのか、それは国民の声を吸い上げるシステムになっていないからだ、と皮肉たっぷりに言っていた。日本は、今のところ自由に声を挙げることができるが、政治に無関心になり絶望してしまって、日本をあらぬ方向に向かわせてしまいそうな気配がある。Bobの言葉は、彼の信奉する新自由主義経済が破綻していることを端的に示し、その克服こそがこれからの世界的な課題であることを意味する。それなのに、日本の向かおうとするのは、この危機から「後ろに向かって」歩き出すことのように思われてならない。

人々と将来への信頼を回復するために 

Jim W6YAから、素敵な年末の贈り物が届いた。

公私ともに、こころが折れるような出来事の多い一年だった。このクリップ、有名なベートーベン第九第四楽章を編曲したものだが、生きることを肯定する力を与えてくれるような気がする。

Jimからのメールとともにご紹介したい。

If you could use a little boost during this holiday season, here is your
chance. This should put a smile on your face and restore your faith in
mankind!

Jim McCook

http://www.youtube.com/watch_popup?v=GBaHPND2QJg&feature=youtu.be

人生の最後に 

ある日、2か月ほど前のことだったろうか、Simmonという名の人物から、face bookで友達の申請を頂いた。無線の友達でもないし、はて何方だろうかと考えた。ほどなく、Steve KB6VSEの友人で、Steveと同じ公園森林管理の仕事をかってなさっていた方だと知った。言葉を交わしたことのない方だったが、友達にさせて頂いた。

彼のf/bでの発言は殆どなかった。が、2週間ほどまえだったろうか、突然彼のお子さんが、Simmonが逝去したことを知らせる発言をされた。驚いて、Steveに尋ねると、数年前から癌を患い、一度は克服したかにみえたが、再発し亡くなられた由。f/bでは、彼を追悼する言葉が、多くの方から発せられた。その大多数が、通り一遍の追悼の言葉ではなく、彼を本当に悼む気持ちのこもった発言であった。つい最近f/bにアップされた、彼がお嬢様とその結婚式で撮った写真、お互いに見詰め合い、ほのかに微笑んでいる画像、を思い出した。彼の最晩年に、f/bを通して、私の発言を読み関心を持ってくださったことに、感謝の気持ちと、不思議な縁を感じた。

その後、Steveが、自宅の庭の木が、美しく赤と黄色に燃え上がるように紅葉している画像を、f/bにアップされた。そこに、私は、葉がその生を終える最後にこうした輝くことの不思議と、もし神が存在するなら、そこに神の意思が働いていることを感じるとコメントした。すると、Steveは、同感だ、そうした端的な例が、Simmonであったと返答をくれた。別なSteveの友人、恐らくSimmonを知る方も、その通りだと思うとコメントをしていた。

生涯の最後を、周囲の方にそのように評され、惜しまれているSimmonという方はどのような人物だったのだろう。はたして、自分が最後を迎えるときに、そのように評価してもらえるのか。いや、他人の評価は求めまい。事実として、光り輝くことができるのだろうか・・・。

衆議院選挙に向けて 

16日投票の衆院選、政党が多く、候補者も乱立、何を根拠に選べば良いのか、しばらく考えていた。

考えるに、一つの争点は、「国の形」の選択なのではないだろうか。憲法を改変し、現憲法の平和主義を捨て、集団的自衛権を確立する動きを是とするか、否かである。国の権力が、国民の基本的人権よりも優先するということ、それに国家体制の要として天皇制を据えることが、戦争をする国への変化と、車の両輪のように併存し、一つの国家体制を作り出す。自民党が基本的人権の条文を、憲法から外し、替わって、明治憲法に戻る新たな憲法に忠誠を誓うことを、国民に要求することが、その経緯を端的に表している。この新体制の維持を確保するために、戒厳令体制に等しい、緊急事態の条項を、憲法改変案に新たに加えている。

集団的自衛権は、結局、国際社会における米国のヘゲモニーに積極的に加担し、第二次世界大戦後もっとも頻繁に戦争を行ってきた米国の戦争に軍隊を派遣することに他ならない。米国との集団的自衛権を有する韓国は、ベトナム戦争で2万人の戦死者を出した。集団的自衛権は、そうした状況になることを意味する。米国は、イラン・中東等戦火を新たに交えそうな地域を有する。その戦争に日本が積極的に加担することにあるのだ。それを良く理解し受け入れた上で、集団的自衛権を憲法上行使する決断をすべきなのだ。中国等、近隣諸国との領土問題での緊張を、集団的自衛権を確立するための根拠に考える方がいるかもしれない。現状でも、少なくとも尖閣諸島は、日米安保が及ぶ範囲と米国は認めている(それが、米国のヘゲモニーを維持するためであったとしても)。また、米中、日中の関係は、経済的に簡単に解消できぬほど深まっている。全面的な戦争状態が起きることは考えにくい。むしろ、東アジアの経済・国際関係の安定のために努力することに集中すべきなのではないだろうか。

もう一つ、「市場原理主義」を、国の制度に積極的に取り入れるかどうか、が問われている。TPPは、元来東南アジア諸国等の経済連携のために発足したが、経済的に苦境に陥った米国が、米国主導のブロック経済体制としてTPPを利用しようとしている。TPPの問題は、関税の多寡のみではなく、加盟国から、非関税障壁を取り除き、米国化させることを目的としていることだ。すべて市場原理を適用し、社会的共通資本としての医療介護・教育・金融制度・農業等を、米国の巨大資本に従属させることを、米国は目的としている。米国資本の目的は、市場開拓であるとともに、日本国民の1500兆円にもなる投資・貯蓄財産を簒奪することにある。市場原理が、社会を歪めたことは、過去20年間我々はまざまざと見せつけられてきた。市場原理主義は、すでに2008年のリーマンショックで露わになった、同主義を政治経済の原理としてきた米国の経済財政破綻で、歴史的に敗北している。

どのような政治経済体制をこれから求めてゆくべきなのか、なかなか見えてこない。官僚制度の硬直を取り除くことは前提に、経済的な拡大発展は、「そこそこで良い」と覚悟を決めること、そのなかで皆が生活しやすい環境・体制を整えられることが必要なのではないだろうか。そこそこで良いというのは、現在の体制をそのまま認めることでは決してない。が、1960から70年代にわが国が経験したような右肩上がりの経済成長は望むべくもない、ということだ。成熟した資本主義国では、大きな経済成長が期待できなくなることは、多くの思想家・経済学者が述べている。また、際限のない経済成長が、この地球を破壊することも現実問題として起きている。社会的共通資本としての農業・医療介護・教育を、市場原理に任せぬこと、各々の現場実務家および専門家にその運営を任せることが大切なのではないだろうか。

まだ、自分の考えを十分深められたわけではないが、威勢よく、効率化・小さな政府を唱える政党・政治家や、戦前の体制に戻し、戦争をする国家を目指す政党・政治家に投票することだけは止めておこうと思っている。

体調とCW 

CWのキーイングの状態で、話などをせずとも、その方の精神または身体の状態まである程度想像することができる(ような気がする)。今夜、いつもの交信相手であるSteve N6TTが颯爽と現れたときに、それを改めて感じた。彼は、不眠の傾向があり、よく4時間しか眠れなかったなどと言うことがある。その場合は、こういうのは何だが、よれよれのCWのことが多い。そうした場合は、CWを叩くのが大変で、しばらくぼーっと聞いていることが多いらしい。今夜は、月光仮面(古い?)が颯爽と現れたかのようなキーイングであった。スピードは30WPMは優に超え、35WPM程度だったろうか。単語間のスペースも、かくありなん、またはかくあるべきという壺にぴったりと収まっている。今日は、90%覚醒だね、と言って交信を始めたのだった。想像通り、彼は十分睡眠を取ることができたらしい。画像は、息子さんと共同経営している仕事の看板を、自宅のガレージで自慢げに紹介するSteve。

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今夜の彼と対照的なキーイングで思い出すのは、Steve WA6IVNの晩年のキーイングだ。それまで、股の切れ上がったと表現すべきキーイングでいつも現れた彼が、スピードは上がらず、単語間隔は十分取れず、さらにミスキーイングが多い状態で呼んできたことがあった。1991年、私が三度目に米国に旅立つ直前だったろうか。以前にも記したが、ある種のリンパ腫に若い時期から侵されていた彼が、二次がんとして、メラノーマを発症し、脳への転移も起こした時期だったか・・・とても辛そうだった。だが、無線をすることが、生きる証でもあったのかもしれない。その後、数か月して、彼の訃報を受け取ったのだった。

不眠程度というとSteve N6TTには怒られるかもしれないが、お互いに、多少の波はあっても、健康で、もうしばらくCWを楽しんでゆきたいものだ。

体調が悪い時には無線などせず休むべきだが、もし相手のキーイングに普段と違う様子があったら、それは精神身体的な不調を意味しているかもしれない。

閉院後8カ月以上経ってからの、保険者からの返戻 

先ほど、診療報酬支払基金の方から電話がかかってきた。この手の電話はあまり楽しくない話が多い。

担当の方が言うには、私が診ていた患者さんのケースで、「アクアチム軟膏」という抗生剤外用薬に対する診断名が抜けているという指摘が、ある保険者からあった、ということだ。要するに、その薬のコスト、および院外調剤関連のコストを私に払えと言うのである。軟膏のコストは、100円、200円だろうが、調剤コストは数千円になる・・・。その両者を私が負わなくてはならないという、支払基金の主張である。

カルテを見直し、診断名についてこちらの言い分があれば、再審査請求という不服申し立てができる。だが、病名が落ちていたら、決して再審査で認められることはない。このケースでは、恐らく病名落ちなのだろう。また、実際上、カルテを調べて、再審査請求を、一人でやるのは困難である。

この返戻に関して、幾つも感じるところがある。

一つは、閉院して8か月してから、保険者が返戻してくるのはあまりに遅い。こちらは、診療をした月の翌月、月初め1週間程度で、診療報酬請求書類をまとめて出している。支払基金は、2か月で、その書類を保険者に回しているらしい。今回の場合は、閉院後8か月以上たっている。我々が要求される迅速さに比べると、あまりに遅い。いつまでも、こうした返戻を保険者にさせるとすると、返戻の時期内容がルーズになりうる。保険者のやりたい放題ということだ。

病名を記入し忘れているとしたら、慣例上、一発でその請求が認められぬことになっている。記入漏れといったことは最小限にしていた積りだが、人間のやることだから、ミスは必発だ。この薬剤を出すことによって(アクアチムだけの処方はまずあり得ない)、院外調剤の場合は当然のこと、院内調剤であっても利益が医療機関側に入ることはない。それなのに、経済的な負担を医療機関にかぶせてくるのは納得しかねる。はたして、行政や保険者は、事務的なミスがゼロなのか。こうしたミスが、挽回できぬ仕組みは、社会的な公序良俗に反する。

この返戻に対して、こちらの「非」を認め、返金に応じるとしても、調剤薬局の受け取った技術料(前に記したとおり、これがまた結構な額なのだ)までこちらが負担しなければならないのも納得しかねる。調剤薬局とは、医療機関とは別な組織なのであり、返戻が「診療しなかったことにする処置」であるとするならば、調剤薬局が、その懐に入れた調剤にかかわる診療報酬を返還すべきなのだ。医療機関の「ミス」のために収入を減らすのが納得できないということであれば、その院外調剤薬局は、そこから撤退すべきだ。

考えてみるに、こうした些細な行政(支払基金は、半行政程度だが、官僚の天下り先と言う点では、医療機関にとって好ましくない組織だ)とのやり取りを続けなければならないことのストレスが鬱積して、私は閉院を考えるようになったのだった。こんな「事務的」なやり取りは、やり過ごしていればよいと達観しつつあったが、それでもこうした無意味なやり取りに心理的なエネルギーを費やすのは御免こうむりたいと思い続けてきたのだ。閉院したこれからも、ダラダラとこうして保険者・支払基金とやり取りを続けるのは是非ご免こうむりたい。


陽だまりのなかで 

昨日、良い天気になったので、同じ敷地にある、両親がかって住んでいた「離れ」の窓を開け放ち、空気の入れ替えをした。天井の低い昔風の作りの粗末な家屋なので、湿気がこもりがちになる。ダイニングキッチンと、各々のための部屋の窓を開けると、ひんやりとした風がふぅっと通り抜け、部屋がリフレッシュされる。

日当たりの良い廊下に、年老いた親がふっと現れるような幻想に襲われた。半纏を羽織って、にこにこしながら母親と父親が現れるような幻だ。部屋が、両親の住んでいたままに置かれていることもあるのかもしれない。彼らが逝ってから、またここを去ってからの月日を思った。まだ数年しか経っていない。この数年の長さは、振り返ると、あっと言う間のことだ。しかし、これから来るであろう時間の流れを考えると、永遠の相にかかわることだ。瞬間のことでもあり、また永遠のことでもある。

この地で生活する我々もあっという間に、永遠の相に組み入れられてゆくことになるのだろう。その時に、両親と合い見えることができるのかどうか、分からない。この耐えがたいほどに懐かしい気持ちを抱いて、残りの時間を歩むことだろう。それで良いのだし、それしかありえない。時間がまるでとまったかのような両親の部屋に立ち尽くして、ぼんやりとそんなことに思いめぐらしていた。

この画像は一か月ほど前に、彼らが使っていた布団を日干しにしたときのもの。親が、よくこうやって布団を干していたものだ。

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昨夜の地震で考えたこと 

昨夜の地震は、自宅で自分の部屋にいるときに起きた。地鳴りを伴い、徐々に大きくなる揺れは、3.11を思い起こさせた。急いで台所に行き、ガスの元栓を閉めようとしたが、分からない(コンロの下のスペースにあることが後に判明)。食器棚から食器が落ちないか見ながら、台所に立ちすくんでいた。幸いなことに、そうした落下物はなし。後で、寝室に入り、ベッドの脇に積み上げていたCDが、見事に崩れ落ちていた。

この地震の揺れ自体は怖くはなかった(あの3.11の時も、某医療機関の廊下で立ちすくんでいたことを思い出した)。が、福島第一の四号炉のことが頭に浮かんでいた。あのぼろぼろになった四号炉建物の上部にある、使用済み核燃料冷却プールが壊れて、核燃料が飛散したら、その時点で、同原発はアウトになる。千数百本の核燃料は、水中から出ると、人を寄せ付けぬ放射線量を放ち始め、温度もどんどん上がる。それにより、福島第一から作業員は全員撤退することになり、他の原子炉の維持管理ができなくなる。で、爆発なり再臨界が起き、それによる放射能の汚染は、関東地方にも及ぶことだろう。米国当局が、四号炉が危ないと当初考え、80km圏内から米国人は退去するように指示をだした。結局、それは杞憂に終わったわけだが、そうなる危機は今も続いている。

考えてみるに、神戸の大震災以降、日本は明らかに地殻変動の活動期に入った。大地震が起きる確実な予測も立てられている。地震が、原発に対して、直接の破壊をもたらす、または津波などによる二次的な破壊を生じる可能性がある。現在、大飯原発等で、直下に通る断層が活断層かどうかで議論が行われている。それはあまり意味がないのではないだろうか。直下の断層でなくても、すぐ近傍の断層が原因で地震が起き、それが原発に対して、破壊的な影響を及ぼす可能性がある。大体、分かっている断層が、すべてとは限らない。3.11の地震が起きた海底断層の状況は、地震が起きるまで知られていなかった。

日本が地震多発地帯に位置し、さらに地震活動の活発な時期に入っている、ことことだけが確実な事実だ。そこに50基以上の原子炉をかかえ、大量の使用済み核燃料を保持している。これは、どう考えても、国民の安寧を害する状態と考えるべきだろう。このような国土で原発を今後も維持することは不可能である。やってはいけないことだ。そのことから、ものごとを出発させないといけないと改めて思う。

産科医療補償制度にみる、日本社会の泥船化 

産科の無過失補償制度では、過大な余剰金が生じると見込まれていた。ここでもその議論を繰り返し行ってきた。この制度が、無過失による脳性まひ児への十分な援助に使われることなく、この制度の事務手続きを担当するだけのはずだった特殊法人と、保険会社の懐に大枚が毎年転がりこむ状況が生まれている。生まれているという言い方は正しくない。そうした風に制度設計し、巨額のうまい汁を吸っている連中がいるのだ。この制度の目的は、脳性まひ児への援助以外に、そうしたお産に関わる医療問題で医療訴訟が起きるのを未然に防ぐことがあったはずだが、それもなおざりにされているようだ。

こうしたモラルハザードは、日本の医療行政に関係していろいろなところで発生しているように思える。私が注目しているのは、予防接種である。予防接種製品のコストが、高いのだ。どうも、その背後には、検定のコストが上乗せされ、それが特殊法人に還流していることをうかがわせる情報がある。これ以外にも、医療機械についても同じようなことが行われている可能性がある。

行政官僚組織は、天下り先の関連法人に利権をもたらすことを、第一義的に考えているように思えてならない。そのコストの多くは、税金(ないし保険料)から出る。すると、皆の懐がすぐには痛まず、関連業界も一応おこぼれに与るために、批判の声を上げない。これだけで日本の財政がここまで悪化したとは言えないだろうが、このモラルハザードの精神が、日本の財政をここまで酷くしたことは想像に難くない。見えないところでの、ギリシャ化だ。

社会が泥船化してゆく。


以下、MRICより引用~~~


産科補償こそ「第三者機関」で検証すべき

この原稿は月刊『集中』2012年12月号より転載です。

井上法律事務所 
弁護士 井上 清成

2012年12月7日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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1. 無過失補償制度一般への悪イメージ
日本医療機能評価機構の運営する産科医療補償制度の見直し議論が芳しくない。
初めての本格的な無過失補償制度のスタートであったので、当初より5年後の見直しが予定されていた。実際に、5年間で約1000億円もの巨額の余剰が発生することが確実となっている。当然、厳しく見直しをして、一旦は何らかの方法でその巨額余剰を清算することが、今どきの常識であろう。
産科医療補償制度は公的な性格のものにほかならない。税金といった公費も含む公金たる出産育児一時金を、重度脳性まひ児3000万円補償の源資とした。一人当りで見れば出産育児一時金のうち3万円が源資となり、年間約100万人の出産で年間合計約300億円が補償源資となる。ところが、せいぜい200人分程度しか補償対象が生じないので、年間補償総額は上限でもせいぜい60億円にすぎない。つまり、一人当り出産育児一時金3万円のうち、現実に補償に拠出されるのは6000円程度にすぎず、経費と称するもので4000円以上が費消され、何と2万円が余剰として日本医療機能評価機構と民間損害保険会社とに分配されてしまう
これではいずこも財政難の昨今、結果としては明らかなモラルハザードである。こんなモラルハザードを放置していては、産科医療補償制度へのいかがわしい悪い印象が生じるだけでなく、今後発展させていくべき無過失補償制度一般への悪イメージとなってしまう。
何としても産科医療補償制度の5年間分を清算して、無過失補償制度一般への悪イメージを払しょくする必要がある。

2. 「はっきり言って、あきれ返っている」
11月8日、厚生労働省の社会保障審議会医療保険部会(社会保険診療報酬の総枠を議論したりする場)の会議の席上、「はっきり言って、あきれ返っている。」という過激な発言が飛び出したらしい。発言者は、健康保険組合連合会の白川修二専務理事である。それまでにも社保審医療保険部会では、出産育児一時金を審議する場でもある関係上、産科医療補償制度の余剰金・経費問題について議論されてきた。ところが、余剰金や経費の詳細について、日本医療機能評価機構の事務局に対して何度質問しても、明瞭な情報が開示されない。機構の事務局と産科補償の運営委員会とで情報を囲ってしまっている印象であった。
そこで、責任者である機構の事務局が「はっきり言って、あきれ返っている。」とまで、面と向かって言われてしまったのである。
情報の隠ぺいが疑われているのであろう。公金を使った公的な性格の産科医療補償制度であるにもかかわらず、厚労省の社保審でここまで言われるのでは、どうしようもない。モラルハザードと評しえよう。

3. モラルハザードには「第三者機関」を
一般論として言うと、ある組織内に問題が生じた場合は、その組織自身が自律的に内部調査をし、時には内部調査委員会を創って、問題の全貌を明らかにして、その上で対外的に説明する。しかし、組織の根幹にモラルハザードが生じ、自律性が失われた場合には、その組織を正すには内部調査委員会では機能しない。そのような場合に初めて、外部委員で組織された外部調査委員会が設置される。これが世の常識であろう。
外部調査委員会と呼んでも、中立的第三者機関と呼んでもよい。モラルハザードが疑われた時に初めて設置するものである。医療以外の分野を見渡すと、日本相撲協会しかり、JR西日本しかり、九州電力しかり、そして、東京電力しかり、であったろう。
今、日本医療機能評価機構の産科医療補償制度の運営組織の事務局も、その域に達しつつある。したがって、産科医療補償制度にこそ、外部委員で組織される「第三者機関」を創って、1000億円余剰問題を検証すべきであると思う。

4. 訴訟抑制の議論の封印の恐れ
1000億円余剰金の清算の議論は、訴訟抑制の議論につながってしかるべきである
1000億円の清算方法には、大きく分けて3つの方向があろう。1つ目は、源資たる出産育児一時金の拠出者である保険者(健康保険組合など)に返還する方向である。2つ目は、出産育児一時金の受領者である妊産婦に、その3万円のうち余剰分相当の2万円ずつを約500万人に返還する方向であろう。そして、3つ目は、5年間の重度脳性まひ補償対象者の合計約1000人に、今までの3000万円補償に1億円ずつ上乗せし、補償額を3000万円から1億3000万円に引き上げる方向である。もちろん、どの方向を選択するにしても、公金の取扱いの問題であるから、日本医療機能評価機構が決めることではない。社保審医療保険部会などでの公の議論で決めるべきことである。
さて、産科に関わる医療提供者の気持ちとしては、3つ目の方向が好ましいかもしれない。もちろん、脳性まひ児の家族も同様と思う。つまり、補償額の3000万円から1億3000万円への引き上げである。
ところで、もしも脳性まひ発症が産科の医療過誤だとして訴訟が起こされれば、その損害賠償額は1億5000万円から2億円にものぼるであろう。ここで1億3000万円が過失無過失を問わずに補償されていれば、訴訟で得られる満額の65%から87%にもなる。
まず自然の成り行きとして、あえて訴訟を起こしてまで満額請求しようという動機付けは減少しよう。さらには、65%から87%の補償が条件になるのならば、訴訟抑制の特約を結んでも直ちに公序良俗違反にはならないと思われる。一例を挙げれば、故意もしくは故意に比肩しうべき重過失を除いて、1億3000万円で済ませるという訴訟抑制の特約を、産科医療補償の約款に挿入することが考えられよう
この程度のことならば、法律家なら誰でも容易に思い付く。つまり、十分に詰めの議論をするに値する法的論点である。
ところが、産科医療補償制度の運営委員会では、あえて「訴権の制限」などという抽象的な論点提示の形をとって、訴訟抑制の議論自体が封印されてしまう恐れが生じているように思う。もしも議論すらも封印されるとしたら、それもモラルハザードの一つと言ってよい。その場合には、この点もやはり「第三者機関」による検証の対象となろう。当然、その時には、運営委員会に関与した法律家は、その第三者機関からはすべて排斥されるべきである。

週末の夕食 その32 

約1年前に記した「週末の夕食 その29」で取り上げたのと同じメニュー、ぶり大根。

酒を潤沢に使う。旬のぶりの味が引き立つ。何度作っても、何度食べても飽きない。

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自民党改憲案 

自民党の改憲案をお読みになった方はいらっしゃるだろうか。ネットで検索すれば、容易に見つかるので、是非目を通し、現在の憲法との違いを検討なさってみて頂きたい。

ざっと読んだところでは、改変事項、それに対する私のコメントは

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〇前文の憲法平和主義の記載が削除された。現憲法の大きなバックボーンであり、基本的人権に基礎を与える記載がすべて削除されている。

〇天皇は、国家の象徴と規定されていたものが、元首と規定されている。天皇の機能についての記載は変更がないが、元首とされた場合、天皇が国体に関わる存在とする戦前の思想が復活する可能性がある。

〇国民の権利と義務の内、義務が強調される内容になっている。特に、思想結社表現の自由や、財産権等様々な国民の権利は、公益と公の秩序に反しない限り認めるとされている。この部分は、現憲法では、公共の福祉に反しない限り、とされている。国家秩序を優先するように改変する意図が明らかである。

〇集団的自衛権を認め、かつ自衛隊を国防軍と改名している。軍事同盟を結ぶ他国(要するに米国)の軍事的な衝突に対して、わが国が積極的に軍事的な関与をする、ともに戦争に突き進む内容になっている。第二次世界大戦後、パックスアメリカーナという自国の政治経済の覇権を維持するために、最も頻繁に戦争を行ってきたのは米国であることを忘れてはなるまい。

〇現憲法の国民の基本的人権を保障する97条が全部削除され、一方、国民が憲法を順守する義務を負うと言う、条項が新たに加えられている。これは、国家の暴走を防ぎ、その暴走から国民を守る役割という近代憲法の理念を踏みにじる改変になっている。

〇宗教教育、宗教の政治への関与も、認められる内容になっている。これは、天皇制を国家に適用した国体思想という疑似宗教を念頭に置いたものではないかと思われる。

〇緊急事態という条項が新たに加えられ、自然災害・内乱等の緊急事態では、内閣に法律と同等の効力を持たせた政令を出す権利が与えられている。これは戒厳令に近い内容になるものと思われる。

~~~

これらの改変は、日本の「伝統」に立ち返り、「古き良き時代」に戻ろうという運動そのものであるように思える。そこでは、国の秩序と国益が優先事項であり、国民は、それに従う存在となる。国の秩序と国益が侵害される場合は、国民の人権は制限され、さらに国外に対しては「防衛のための戦争」を行うことになる。国家の思想的な柱は天皇制となる。この改憲案に明言はされていないが、国体という、宗教と国家体制が同一化された疑似宗教が、国家の原理となる。

さて、この一種の「復古運動」を我々は支持すべきなのだろうか。

薬の副作用による交通事故 

睡眠薬は、眠気を催させることを薬効とするから当然なのだが、向精神薬、特にある種の抗鬱剤は、眠気が副作用の大きなものとして存在する。薬の相互作用で副作用の危険が増す場合もある。実際、こうした薬剤を服用して、交通事故を起こすケースが、まれに生じる。一方、てんかんなのに抗てんかん薬を服用していなかったために、車を運転中にてんかん発作を生じ、悲惨な死傷事故を起こしたケースも最近あった。

薬剤の副作用による事故を起こさないようにするために、向精神薬の能書には運転不可と記されており、睡眠薬では服用翌日は運転不可と記されているらしい。服用したのに交通事故を起こしたら、本人さらには処方した医師の責任を問うためらしい。能書のこの記載は、小さな文字で副作用禁忌の記載の一部に印刷されている。

現代社会は、車社会になっており、特に地方では、公共交通機関が整っていないために、車を運転しなければ生活ができない。抗精神薬、睡眠薬を服用している患者は、かなりの数に上るはずだ。恐らく、この禁忌項目を無視して、服用しながら運転せざるをえない患者はかなりの数に上るのではないだろうか。

服用している患者で、運転をしなくても生活できる場合は、その生活を続けて頂けば良いのだが、上記のように生活の必要からハンドルを握る方に、薬の服用を一律機械的に制限することに問題はないだろうか。または、病気について知られるのを怖れて、薬の服用をやめてしまうことはないだろうか。てんかんの患者が、抗てんかん薬を止めるのは特に危険だ。製薬企業・行政は、薬のリスクを医療現場に丸投げするだけで、きめ細やかな対策を取ろうとしない。どのような場合がリスクが高まるのか、それをどのように判断すべきか、医療現場は戸惑うばかりだ。

製薬企業が、こうした薬剤のリスクに本腰て対処しようとするなら、能書のトップに赤の大文字で記すべきなのだが、そうはしない。薬がそこそこ売れなくては、彼らは困るのである。能書に記せば、彼らの責任は免れるという発想だ。行政も、社会生活に大きな混乱を生じうる、この問題に、積極的に取り組もうとしていない。聞くところによると、医療現場からの問い合わせには、行政はなしのつぶてらしい。

日本のように狭い国で、道路だけをどんどん作り続け、車がないと生活できぬように街づくりをしてきた、ツケの一つのように思われる。薬の副作用と、交通事故の関連の問題は、ただ医療現場に丸投げするのではなく、社会全体の問題として取り扱うべきだろう。

経済的効率性・成長の呪縛 

この旅行の行き帰りの列車のなかで、宇沢弘文著「社会的共通資本」(岩波新書)を読んだ。「社会的共通資本」とは、社会が守り育てなければならない、仕組み・存在であり、自然環境・社会的インフラストラクチャー・制度資本からなるという。新古典派経済学の市場主義に対抗する、経済学的立場である。19世紀末から20世紀にかけて活躍したヴェブレンを源流に持つ、制度学派の考え方だ。特に1980年代以降、大きなひずみを生じ、2008年のりーマンショックでシステムが崩壊した、グローバル経済がなぜ立ち行かなくなったのかを説き、それに代わる「社会的共通資本」の重要性を説く。人間が尊厳をもって生きることのできる社会は、市場原理主義からは生まれないことは、すでに明らかになった。だが、近々行われる選挙では、グローバル経済を良しとする立場の政党が躍進するのではないかと言われている。経済的効率性を、競争と、規制緩和にもとめ、あくまで経済的な成長を維持しようとする発想・政策は、すでに行き詰まっているのではないだろうか。

注記:この著作は、2000年に上梓されているので、著者はリーマンショックまでを観察したうえで記したわけではない。この前に読了した佐伯啓思著「経済学の犯罪」の感想と多少ダブらせてしまった。が、私の小論の主旨は変わらない。

わが国で、1997年から2011年までの間に、2万5000人以上が、「餓死」をしたと報告されている。一日5名以上の方が、餓死をしているのだ。その数は、増え続けており、最近のデータは、1997年のそれに比べて、1.6倍になっているという。非正規雇用は、1997年から2011年にかけて、23.1%から35.4%に増えている。貯蓄無しの世帯も、10.2から28.6%に増加している。一方、大企業の内部留保は、同じ年を比べると、143兆円から267兆円と大幅に増えている。市場原理主義に基づく、日本の「構造改革」は、専ら輸出頼みであり、さらに雇用条件を劣悪化させることによって企業利潤を積み上げてきた。その結果が、現在のデフレである。それを、さらなる金融緩和で乗り切ろうと主張している政党が政権を握る気配だ。金融緩和をしても、実体経済はよくならないのに、である。金融緩和をして、公共事業を積み増しするつもりのようだが、その方策が、現在の破綻寸前の財政をもたらしたのだ。

この20年間は、まさに市場原理主義グローバル経済の克服が、課題だったはずだが、その処方は、現実の政治の世界では見えない。我々は「社会的共通資本」の考えに立ち返ること、そして「経済的効率性と経済的成長」を何が何でもこれまで通り達成しなければならぬという呪縛から自由になることが必要なのではないだろうか。

日本は、どこまで墜ちたら、その誤りに気付くのだろうか。

義理の両親を訪ねて 

一昨日から昨日にかけて、四国に住む義理の両親を訪ねた。月に一度、両親を訪ねてきた家内にお供をする旅行だった。義理の両親は、80歳代後半になり、いよいよ独立して生きてゆくことが難しくなり、最近、ある施設にお二人で入所した。県庁所在地の都市の近郊にある、その施設は、最近できたばかりで、豪勢な建物だった。ロビーは吹き抜けになっており、白い壁と、多くのシャンデリアで、何か生活臭の感じられぬ空間だった。個室は、8畳程度の広さで、外の雑音もあまり聞こえず、一人で生活するには、まぁまぁの広さである。ベッドと必要最小限の生活用品が備えられている。東西に並ぶ個室群の間に、数十畳はあるかという広さの広間があり、そこが日常生活空間になっている。

義理の母が、認知症で、手厚い介護を必要としている。施設のスタッフの方は、皆明るく、良く世話をしてくださっている様子だった。感謝に耐えぬことだ。

母は、地方自治体の職員として、40年以上勤めあげ、その後実母の介護で10年以上を過ごした。その後数年間自分の時間を持てた様子だった。とてもシャープな方で、かっては様々な行事をてきぱきと準備しこなしておられた。最晩年の実母の介護では、夜昼逆転した実母の生活を支え続けておられたようだった。3、4年前から、義理の母自身に認知症が出現し、徐々に悪化する経過をとっている。

町役場に勤めていた頃は、仕事と家事、それに週末は、農業も行っていたらしい。子供も二人育て上げた。まさに、彼女の人生は、家族と、仕事に費やされたと言えるのではないだろうか。会話も十分できない状態だったが、家内が語りかけ、手をとると、頷き、うっすら涙を浮かべていたらしい。他人のために生きてきた人生、その最後の時も、周囲の人間が彼女に別れを告げるために生き続けておられるのではないか、と思った。彼女と苦労を共にしてきた義理の父も、母の面倒を何くれとなく見てくれており、母も精神的にそれによって慰められている様子だった。義理の父から、生活のこと、健康のことなどを伺い、昨日は義理の姉と一緒に、皆で昼食を取り、帰路についた。

この老いの問題は、すでに自らの問題でもある。義理の両親がこころやすらかに過ごせるようにと祈らずにはおれない。

この時期になぜ電気料金値上げを、足並みそろえて発表する? 

電力会社が相次いで電気料金の値上げを申請している。なぜこの時期なのか?

近々行われる衆議院選挙で、原発依存を止めるという主張の政党には逆風を、原発依存を続ける政党には、順風を吹かせようという、電力業界、そして恐らくその背後にいる原子力利権共同体の方々の意向が働いているのではないだろうか。もし、値上げの必要性があったとしても、この時期にほぼ同時に足並みそろえて公表するのは不自然極まる。

さらに、是非、電気料金値上げ分に、原発の廃止コストが入っているのか、事故をおこした場合のコストを考慮しているのかを聴きたいものだ。

地震活動の活発な時期に入ったわが国で、原発を作動させ続けることは危険極まる。また、放射性廃棄物の処理の目途がたたないまま、原発から放射性廃棄物を垂れ流しのように出し続けることは許されない。

再生可能エネルギーの開発を大至急進めるべきだろう。そこで、技術革新が起これば、エネルギー事情の好転・安定化とともに日本経済の再生にも結び付くはずだ。原子力利権共同体の策動に乗ってはならないと強く思う。