警察庁『一定の病気に関わる運転者対策』 

警察庁は、道路交通法改正試案についてパブコメを募集している。取り上げるのがいささか遅くなってしまったのだが、明日までの募集だ。試案の内容は、こちら

この試案で注目したのは、「一定の病気等に係る運転者対策」という項目。

試案の内容のあらまし・・・

1)運転者の病気によって、運転者が意識を喪失したり、場合によっては突然死し、それが重大な交通事故に結びつく、ということから、運転者の「一定の」病気に関して、免許取得時・更新時に公安委員会が、申請者に質問をする制度を作ろう、というものだ。

質問に虚偽の回答をした場合は、罰則(1年以下の懲役または30万円以下の罰金)が科せられる。

2)「一定の」病気とは

〇統合失調症  〇てんかん  〇再発性の失神  〇無自覚性の低血糖症  〇躁うつ病  〇重度の眠気の症状を呈する睡眠障害  〇認知症  〇アルコール・麻薬等の中毒 等

3)医師による任意の届け出制度も創設される。「一定の」病気等に該当する者を診断した医師は、その者が運転免許を受けていることを知った時は、公安委員会にその診断の結果を届け出ることができる、とされるようだ。


最近、てんかんの患者が抗てんかん薬を服用しないで発作を生じ、それが重大な人身事故につながったケースがあったことが、このような道交法改正を行おうとする動機なのだろう。それはそれで、理解できないではない。が、この改正には問題点が多い。

一つには、この改正を検討する会議の人選の問題。交通事故被害者、法律家等が含まれているが、医療側は、神経内科の医師と、医師会代表の二人だけである。該当対象疾患患者の多くを扱うであろう、精神科医師が抜けている。また、患者会の代表にも入ってもらうべきではなかっただろうか。行政の意向を反映した結論に導くための人選と言われても仕方あるまい。

次に、該当対象疾患の多さ、またその対象人数が莫大な数になることが想定される。統合失調症・てんかん・躁うつ病だけでも数百万の患者が対象になる。彼らが運転をできないと判断された場合の影響は甚大だ。そうした点から、この改正は慎重に検討する必要がある。

病気が原因の事故はどの程度あるのか。独協医大の一杉准教授によると、フィンランドではすべての交通事故死のうち約10%が運転中の病気発症が原因といわれている、とのことだ。交通事故全体では、病気の絡むケースは相対的に少なくなる可能性があるが、かなりの数に上ることが想定される。一方、運転者の突然死の原因として、循環器・脳血管疾患によるものがほぼ半数を占める、といわれている。てんかん・精神科的疾患は、それに比べると、少ないようだ(1/4程度であったと記憶している)。運転者の精神科的疾患およびそれに対する投薬が原因で、交通事故を起こすことはあるだろうが、それはほかの疾患群と比べて、圧倒的に多いと言うことはない、むしろマイナーな部類に入ると考えられる。それを考慮して、重い罰則付きの自己申告義務を、これら精神科的疾患を中心とする疾患群の患者にだけ課すことが適切なことなのかは、疑問が残る。少なくとも、報道に載った少数の事例だけで、一部の疾患患者を差別的に扱っていないか、事故全体に占める原因のなかでどのように位置づけられるのか、詳細かつ慎重な検討が必要だろう。

3)の医師による任意の届け出義務も、行政が責任を医療現場に丸投げする、無責任であると考える。現場の医師は、こうした事例に遭遇した場合、患者のプライバシーと生活を優先すべきか、それとも交通行政の命じるところに従うべきか、大きく迷うことになる。この改正案では、個人情報漏えいが問題になるだろうことを先取りして、「刑法の秘密漏示罪の規定その他の守秘義務に関する法律の規定は、当該届出をすることを妨げるものと解釈してはならない」と述べられている。これが解釈の問題であるなら、医師が訴えられた場合、やはり個人情報漏えいに当たるとされる可能性は残るのではないだろうか。例えば、患者が、免許をはく奪されることによって生活ができなくなり、自殺に追い込まれたといった場合である。また、届け出を行った医師は、当該患者と治療関係を結ぶことは極めて難しくなることだろう。なぜ、「任意の」届け出義務なのか、大いに疑問が残る。

3)の届け出を医師が行った場合、警察当局は、治療内容が自動車運転を妨げないか、当該医師に尋ねてくることが当然予想される。すると、精神科領域の治療薬の殆どは能書に「運転注意」と記されているから、医師はその通り答える必要が出てくる。それで、警察当局は免許の取り消しに動くことになるだろう。ここでも、免許取り消しの責任は、医師・医療現場に丸投げされることになる。



運転者の持つ病気によっては、重大な事故に結びつきうることを否定するつもりはないし、そうした不幸な事故を避けるためにできることをしてゆくべきだろう。だが、多くの国民が関わり、その生活基盤自体に関わるこうした決定は、慎重になされるべきだ。また、医療現場に実際上判断不可能な判断を求めることは止めてもらいたい。

Amazon課税問題とTPP 

Amazonが、日本で法人税を支払っていないことは知っていたが、その会社としての粗利益が楽天を大きく超えていたことは知らなかった。さらに、東京国税局は、Amazonの会社機能の一部が日本にあるとして、追徴課税を課そうとしたが、日米間の問題になりかかり、結局東京国税局は、課税を取りやめたという。こちら

これは如何にもまずいのではないか。国税当局は、公正さを欠く。

オバマ大統領は、TPPによって米国の雇用を拡大する、ということはTPP参加国の雇用の機会を奪うということに等しいわけだが、そのように主張している。自由貿易を拡大し、参加国相互の利益に資するため、といったことを彼は言っていない。米国の国益だけを追求する方策としてTPPを批准しようとしている。

マレーシアは、昨年夏、TPP参加交渉に加わることを止めたようだ。その理由は、医薬品についての条項が米国にとって有利になる すなわち米国発の新薬がマレーシアで認可される場合は、特許の期間はマレーシアでの承認時から数えることになり、後発品メーカーにとっては不利になる、という条項がTPPに加えられたためである。さらに、自国政府が米国の特定資本に損害を与えたとその資本側が判断したら、その米国資本は自国政府を訴える権利を保障される可能性が極めて高い。が訴えられる可能性が生じるためである。自由貿易のための公平な制度構築などではない。米国資本への利益誘導策なのだ。

米国が主宰する形になるTPPに、マレーシアのような小国がこれだけしっかりとした態度を取るのに、日本政府・行政は一体どうしているのだろうか。

Amazonへの課税を放棄するような政府・行政では、TPP交渉で自国の利益を主張できないのではなかろうか。

TPP参加交渉は、何だったのか? 

安倍首相が訪米し、オバマ大統領と会談、「聖域なき関税撤廃が(交渉参加の)前提でない」ことが確認できた、だからTPP交渉に参加する、とのことだ。

だが、オバマ大統領は、一方的にすべての関税撤廃を強制されることはないという前提となる原則論を述べたに過ぎない。すべての物品・サービスが交渉の俎板に載せられることが、下記の共同声明でも強調されている。

マスコミによる安倍首相の持ち上げようは、すさまじいバイアスがかかっている。それに、農業分野への言及はあるが、もう一つの社会的公共資本である、医療介護分野については殆ど取り上げられない。医療への混合診療導入は、政府・行政の意図するところでもあるからだろう。

あたかも愛国を最大の主張とする安倍首相によって、こうして国の資産と社会的共通資本が失うに任せられることになる。

以下、日米共同声明を引用~~~

両政府は、日本がTPP交渉に参加する場合には、全ての物品が交渉の対象とされること、および、日本が他の交渉参加国とともに、2011年11月12日にTPP首脳によっ て表明された「TPPの輪郭(アウトライン)」において示された包括的で高い水準の協定を達成していくことになることを確認する。
日本には一定の農産品、米国には一定の工業製品というように、両国ともに2国間貿易上のセンシティビティーが存在することを認識しつつ、両政府は、最終的な結果は交渉の中 で決まっていくものであることから、TPP交渉参加に際し、一方的に全ての関税を撤廃することをあらかじめ約束することを求められるものではないことを確認する。

早まるな、友よ! 

John 9V1VVが仕事を終え、6週間の休暇を過ごすために、自宅に帰ってきた。この週末、バンドをワッチしたが、コンテスターばかり、コンテストが終わったら、いくらCQを出しても応答はなし、何も聞こえない。こんな風に時間を浪費するくらいならば、リグを売り払ってしまおうかと考えている、と私の別ブログにコメントしてきた。

まぁまぁ、そんなに焦らずに、珠玉のような交信をするのが珍しければ珍しいだけ、そうした交信の価値が高まるのだから、と彼にはコメントした。彼も、そのことはよく分かっているのだと思う。が、彼が望むような、少し大げさに言えば人生を共有するような交信にお目にかかることは、本当に少なくなったと思う。最後に、無線以上に価値のある趣味が見つかれば、その時には無線を去るのを引き止めない、とも記した。それも私の実感だ。

彼は、その性格もあるが、旧き良き時代から現代にタイムスリップしてきたようなハムだ。スキマーのようなデジタル機器を駆使し、ゲーム張りの機械的な交信で、数を競い合うこと等、彼にとっては時間つぶし以外の何物でもないのだろう。

アマチュア無線、CWによる会話の今後がどうなるのか、予測は立てにくい。CWは効率の対極にあるような通信手段であるから、デジタル機器を駆使して効率化すること自体に意味がない。昔ながらのCWでの会話を楽しむ人々も存在し続けることだろう。でも、圧倒的な少数になるのだろうと思う。我々、またはそのすぐ下の世代でお仕舞になるのであれば、それはそれで仕方のないことだ。

興味深いのは、CWをadvocateするためと称するクラブが行っていることが、実質通信手段としてのCWの意味を貶める行事であることだ。コンテストの熱狂にハムを酔わせるものがあるのはよく分かるのだが、それはほんの瞬間的なこと、全体としてみると、CWの可能性を貶めていると思える。この逆説的な経緯は、世の中でしばしば観察される逆説の一つだとつくづく思う。人間とは、意図することに熱心になればなるほど、逆の方向に向かってしまうことがあるものだ。

笑えて、やがて悲しく・・・ 

このニューズウィークの記事は笑える・・・やがて悲しくなる。日本の医療制度が、このようになりつつあるからだ。それを政治家達はTPPにより開国である、という。が、実質は国の制度の米国化なのだ。

http://www.newsweekjapan.jp/stories/us/2009/08/post-409.php?page=1

個人的には、医療の包括支払は少し問題があるとは思うのだが、この逆説的に指摘されていることは概ね真逆の方に賛成だ。

対日年次改革要望書からTPPへ 

「TPPと日本の論点」農文協ブックレットに、に菊池英博氏が「TPPは日本国民の金融資産の簒奪をねらうアメリカ仕立てのトロイの木馬だ」という、なかなか刺激的なタイトルの論考を記している。菊池氏のエコノミストとしての考えは、さておいて、彼がTPPが歴史的にどのような性格のものであるのかを述べている点が参考になる。

日米貿易摩擦が激しくなった1980年代を経て、1994年以降、日本への要望を米国が毎年送ってくるようになった。「対日年次改革要望書」である。その内容は、あまり報道されることがなかったが、新自由主義経済体制に日本を組み込もうという内容であり、経済社会体制のみならず、医療・農業・司法制度にまで詳細な指示を与えるものであった。2007年の同要望書では、通信・情報技術・医療機器・医薬品・金融サービス・流通等の分野にわたり、それらに関する法律・規制・制度等の改変を要望している。その結果、独占禁止法改正による競争の促進、会社買収の簡略化、裁判員制度、検察審査会による強制起訴、郵政公社民営化等国の根幹にかかわる制度が改変されることになった、と菊池氏は述べている。

同要望書の要求は、日本の三権(立法・行政・司法)にかかわり、日本の国家としての独立性にかかわる問題であった。医療制度についていえば、私自身もこのブログで何度も挙げた問題だが、公的保険の縮小・混合診療の導入が繰り返し要望されている。2006年には、医療法改正により、その方向への舵が切られた。

同要望書は、2008年を最後に日本に送られることはなくなったが、実質的に2010年から「日米経済調和対話」と名を変えて、同様の要望が続けられている、と菊池氏は述べている。この延長上にTPPが位置づけられる。各産業分野での関税撤廃だけでなく、金融・サービス・医療等の規制撤廃・自由化を、米国は求めてくるだろう。それは日本の国の形を変えることになるというのだ。菊池氏は、特に金融自由化により、米国が日本の資産を簒奪するだろうことに注意を喚起している。

まとめると、米国の新自由主義的な日本への要求は、対日年次改革要望書から日米経済調和対話に続き、それに続くのがTPPだろうということだ。

1990年台から続くデフレと不況は、この路線にそった市場原理主義的「改革」、さらには小泉政権時代の構造「改革」に由来するところが大なのではないか。それをきちんと反省、整理しないで、また米国の要求に乗って良いのか。政府の規制改革会議等に、小泉構造改革を担った人物や、利益追求だけを旨とする商事会社等の人間が入っているのを見ると、暗澹たる思いになる。気が付いたら、日本国民の資産が海外に流出し、社会共通資本である農業・医療・介護・教育等のシステムが、グローバル営利企業に乗っ取られてしまった、ということにならねば良いのだが・・・。

チェロの練習 

過日、ブロックフレーテに加えて、バイオリンを最近始めたDick K6XGに、愚痴ったことがある。Dickは私よりも少し若いだけ。

この歳では楽器を練習しても、上達は望めないからねと・・・。勿論、私のチェロのことだ。

彼は、いやそんなことはない、練習すればするだけのことはあると、確信をもって仰る。

このところ、家の中の片付けが一段落して、時間ができたので、再び楽器を取り出して弾き始めた(のは2月8日の記事に記した通りだ)。

一つは、バッハの無伴奏。2,3番のPreludeをさらいなおしている。一つ一つの音符に意味があることを改めて確認しながら、繰り返し弾く。それによって、音楽の構造が、実感として理解できるようになる。3番では中間部にローポジションで親指を使わねばならぬ厳しい箇所がある。少しずつ改めて練習を続けよう。

もう一つ、ブラームスの1番のソナタ。学生時代に一応全楽章を弾いたことになっているが、改めて、ていねいにさらい直す。1楽章117小節から続くアルペジオをどう弾くか?最初のfの音の四分音符をアップで弾き、その後2オクターブ下の同音をダウン、それ続けて装飾音を二つダウンで弾ききる、というように弾いていたが、ダウンで三つ弾くのはなかなか難しい(これは以前から、そのように思っていた)。Youtubeでプロの演奏家の演奏を見ると、最初の二つをダウン、その後の二つをアップで弾いている演奏家も結構いる。さて、どうしたものか・・・。

このソナタについて以前にも何度も記したが、ブラームスの比較的若い時期の作品。ピアノの音域と同じか下の部分でチェロが演奏するので、何か鬱々とした気分を醸し出している。が、憧れる思いも底に流れている。このStephane Tetreaultというチェリスト、この演奏当時まだ17歳だそうだが、ブラームスらしい暗い情念と憧れとを良く表現した演奏だ。彼も、例のアルペジオを音符を二つにわけて、二つの重音で演奏している・・・これで行くか・・・。





と、素人ながら、楽しみつつ練習を続けている。ピアノも何時かはどなたかにお願いして、と考えているが、いつになるやら・・・。

高野悦子女史逝去 

岩波ホール総支配人高野悦子さんが、お亡くなりになった。岩波ホールには、学生時代に何度か足を運んだことがあった。御茶ノ水から明大の前を通り駿河台下の交差点に出る。そこを右折し、本屋街をしばらく歩くと、左手に岩波書店の建物があり、そのなかに同ホールがあった。

キャンパスの小さな大学だったので、散歩をしに、同ホールの方に時々でかけた。岩波書店から、九段坂下を通り、北の丸公園に向かうのが、定番のコースだった。友人と行ったことをはっきりと覚えている。用事はないのだ。本を漁るでもなく、広々とした道、そして公園に行き、そこでしばらく時間を過ごす。それだけの散歩だ。岩波ホールで映画を見たのも、何か例外的なことだった。何を見たのか思い出せない。でも、あの街並みと静かなホールの雰囲気は記憶に残っている。

大学入学当初、我ながら何を考えたのか、当時活発だった英語サークルに一旦入部した。某女子大との合同サークル。その入部歓迎会が開かれ、お茶に水から、北の丸公園まで歩いた。某女子大の学生たちと一緒である。高専・予備校とほぼ男子だけの環境にいたので、別人種のような女子学生と何を話してよいのか分からず、どういうわけか、議論になってしまい、たまたま気の強い方だったのか、ちょっとした論争になってしまった。とてもかわいい女性だったのだが・・・それで、気まずくなり、さっさと同クラブを辞めてしまった。で、体育会系の軟式テニスにのめりこむこととなったわけだ・・・。

帰りは、明大の西側を通ることもあった。錦華(だったか)公園という小さな公園があり、そこのベンチに座って、また一休みしたこともあった。かなり年数のたった大木が何本もあり、ブランコ等の遊具が公園を囲むように配置されていた。その近くに、学生相手の定食屋さんがあって、夕食時にはそこで大盛りの食事を食べることもあった。この公園は、すでに数年前には取り壊されていた。そこに立ち寄ったのが、いつも夕方だったためか、人影はあまりなく、静かな場所だった。

お茶の水・神田近辺は、都内でも比較的街並みが昔と変わらない場所のようにも思うが、それでも、あの大きな明大の建物や、我が母校にも大きなビルが乱立している。あまり様子の変わらぬうちに、一度訪れて、写真に収めておこう。

高野悦子女史は、あの長い髪の肖像写真しか知らないのだが、私にとっては、やはり良き時代を思い起こさせる人物の一人だった。ご冥福をお祈りしたい。

内向きのエートス 

先日、知り合いの御嬢さんが、Tufts大学に入学したと聞いて、この聞き覚えのある大学について調べたことがあった。リベラルアーツ、それに国際関係論等で有名な大学らしかった。その際に、たまたま留学生の数と、その母国についても情報が載っていた。驚いたことに、韓国からの留学生の数が非常に多い。また、中国の留学生も目立つ。ほかの米国の有名大学の留学生の様子も調べると、同じような傾向にあった。日本からの留学生は、上記二か国に比べると、かなり少なくなっている。以前、このことは記したかもしれないが、これと車輪のような関係で、医学分野(私が目にするのは、アレルギー・感染分野が多いのだが)の論文著者として、上記両国、特に中国人と思われる研究者が目につく。論文の多寡で、学問の質は測れないが、日本発の論文は、中国等に圧倒され始めているようだ。

どうしてこのようなことになっているのか・・・留学することが、その後日本で仕事をしてゆくうえで、必ずしもプラスに働かないということが、若い人があまり留学をしたがらない理由の一つのようだ。特に、企業の採用では、そうした「ブランク」をネガティブに評価することもあると聞く。また、日本にいて、欧米と並ぶ業績を上げられるようになってきたこともあるのかもしれない(が、私にはこれはまだないのかとも思う)。さらに、留学して業績を上げ、上を目指すという上昇志向が減ってきていることも関係しているかもしれない。日本の一応安定した社会で、それなりに生活して行ければ良いという安定志向だ。日本人は、この内輪に留まるという傾向が強そうだ。

話しかわって、無線の分野でも、最近、内向きというか、海外との交信を特に求めない傾向が目立つような気がする。設備の問題や、運用に割ける時間の問題などがあるが、何とかして海外と交信し、友人を作りたいものだ、という志向が減ってきているのだ。もし海外と交信しても、599QSLで済ますことになる。で、国内でも特定のグループでまとまり、そこで交信を楽しむということだ。いざとなれば、ネットで文字ベースのやり取りが何時でもできる。こうした内向きの姿勢は、海外に出てゆこうとしない若者の存在と根っこが同じような気がしてならない。

趣味の世界は、あくまで趣味であるから、楽しめれば良いのだが、学問の世界ではそうはいかない。国の将来がかかってくる。若い人々には、もっと世界に向かっていってもらいたいものだ。現在、坂本義和著「人間と国家 ある政治学徒の回想」を読み終わろうとしているところだ。戦時中から終戦後にかけて、政治学を学び、その後東大で教べんをとりながら、全世界に足を運び、世界の優れた政治学者・社会活動家と交友を深め、業績を上げてこられた坂本氏の生き方に感銘を受ける。彼ほどの能力と機会に誰もが恵まれるわけではないが、これからの若者にも、世界に出てゆき、研鑽をつみ、世界に友人たちを作ってもらいたいものだ、と強く感じる。現在の日本を覆う、この内向きのエートスは、時代によって生み出されたものかもしれないが、このままでは、日本は沈みだすような気がしてならない。

ダニール シャフランの手 

彼の手が大きい。Youtubeでいろいろな演奏家の演奏画像を見ることができるが、彼の手は、ことのほか大きい。1と4の指で、オクターブを取る等当たり前のようである。ハイポジで4の指を用い、他の指同様に大きなビブラートをかけている。すごいの一言。

そして、この酔わせるような演奏。一時代前の演奏というべきか。以前アップしたカミーユ トーマスの几帳面な演奏などとは好対照である。

オンエアーミーティングへのアドバイス 

毎週末の朝、7メガであるクラブの主催するオンエアーミーティングが開かれている。日本全国から三々五々メンバーが7メガに集まり、集まりを統率する局(コントローラー)のもと、のんびりと交信を繰り広げている。これは、メンバー同士の親睦の場として、さらにこうしたラグチューを経験する機会として意味があることだと思っている。

だが、問題点がないわけではない。私自身、参加もろくにしないでおいて、問題点の指摘もないだろうが、時々ワッチをさせて頂いていて、やはり指摘しておいた方が良いだろうと考えた。

まず、コントローラー対各参加局という構図になるので、参加局の待ち時間がやたら長くなる。日曜日の朝の貴重な時間だ。ハイバンドでは北米やその他の地域に良く開けている時間帯である。時々、チェックインだけはたして、その後いなくなってしまう局もいる様子だ。こうしてのんびり過ごすことが合っているという方もいるのかもしれないが、時間の使い方として一考の余地はある。

また、チェックイン後、参加局とコントローラーの間で、やりとりが行われるが、多くの場合、「言いっぱなし、聞きっぱなし」である。あれでは、対話・会話になっていない。対話になって初めて、内容とそれを表現する英語表現という、我々にとってもっとも大切な事柄が意識に上ってくる。そうならないと、ステレオタイプな表現の一方向な送信だけになってしまう。コントローラーにとっては、多少の訓練になるのかもしれないが、参加局にとってはラグチューの訓練としての意味がほとんどなさそうに思える。

一方、この催しに積極的な意味があるとすれば、CWにデビューしたての方が、晴れ舞台を経験するには良い機会になるのかもしれない。ある程度気心のしれた仲間内で、CW交信の経験を積むというメリットはあることだろう。しかし、それも一年一日のごとく続けていたのでは意味がない。

ある程度経験を積んだら、是非、世界を相手の大海原に船出してもらいたいものだ。現在、朝方、14から28メガがほぼ毎日のように北米に開けている。このCONDXは、この2,3年しか続かない。その後は、ハイバンドは死んでしまうことだろう。北米の局すべてがラグチュー志向ではないし、また時として、満足にCWをコピーできぬ局にも遭遇するのだが、それでも北米の局の人懐っこさ、CWで会話することを楽しむ様子は、ハムの一つの原点ではないかと常々思っている。彼らと一対一の関係で、ラグチューを愉しみ、そこでいろいろと経験し学ぶことが、大切なのではないだろうか。太陽活動の面から言っても、そうした経験を小さな設備で積むことのできる希少な時期なのだ。

もう一つ、付け加えると、わがJAのCWマンの多くは、40から50歳台だ。英語をブラッシュアップするとしたら、もう後はない(笑。勿論、その後も学習は続けるべきだが、その能率は徐々に(というか、ガタッと)その後の年齢では落ちるような気がする。自分の経験を押し付けてはいけないかもしれないが、男の更年期を過ぎると、体力も能力もかなり落ちる。それまでに、能力・経験を積み上げておき、その後の人生を実り豊かなものにしてもらいたいものだ・・・余計なお世話か?

と、言いたい放題を書いたが、オンエアーミーティングをコントロールしている方、ならびに参加しておられる方を貶める積りは毛頭ない。少しやり方や、時間の使い方を考えると、もっと成果を上げ、楽しくなるのではないかという傍観者の一つのアドバイスである。

行政の無責任さ 

医師法21条の不正な解釈を行っていた厚労省が、それを訂正した。実質訂正であるが、過去に不正な解釈を明言したことはない、といういい加減な訂正である。

厚労省に訂正を迫ったのは、実質的に、東女医大の医療事故で冤罪を被せられ、その後無罪を勝ち取った佐藤一樹医師である。この点が、限りなく重い。

厚労省は、この医師法の恣意的で不正な解釈をもとに、医師を刑法のしばりで支配しようとしていた。その一歩は、こうして佐藤一樹医師の奮闘で挫くことができた。だが、医師法21条解釈の問題から生じた医療事故調の計画は、まだ生きている。医療事故調の制度を、行政・警察の主導で作らせてはならない。

医療現場では、事務的なミスであっても、理不尽な経済的ペナルティが課せられる。例えば、診療報酬請求書に病名を書き忘れるという、どうしても避けられぬミスを犯すと、問答無用に、その診療報酬は削られる。それだけでなく、院外薬局の場合は、調剤コスト、薬剤のコストも医療機関の負担にさせられる。これは医療機関が後から訂正しようとしても一切認められない。行政は、医療現場にミスへの厳しいペナルティを課しながら、自らのミスには、「明言していない」といった弁解だけで済ますのは納得が行かないことだ。

行政が、医療現場に干渉し、医療を支配しようとすることは、医療を破壊する。その対価を行政はどのように払う積りなのか。現在のやり方は無責任である。


以下、MRICより引用~~~

医療事故調をめぐる議論の現状と行方 ~ついに正常化した医師法21条の解釈~

諫早医師会副会長 
満岡 渉

2013年2月11日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
---------------------------------------------------------------------
2007年から08年にかけて、医療事故の調査のあり方について大きな論争が繰り広げられた。論争は厚労省の提示した医療事故調査委員会(医療事故調)の第2次試案~大綱案と民主党案を軸にして行われたが、2009年夏の政権交代を機に、表舞台では目立った動きがなくなっていた。

2011年6月、いわば仕切り直しのような形で、日医の医療事故調査に関する検討委員会は、「医療事故調査制度の創設に向けた基本的提言について」を発表した。日医は、全国の都道府県医師会と郡市医師会へのアンケート調査を行った後、2012年(昨年)9月、「診療に関連した予期しない死亡の調査機関設立の骨子(日医案)」を提示した(1)(2)。これと時を同じくして厚労省では、2012年2月、「医療事故に係る調査の仕組み等のあり方に関する検討部会」で医療事故調査制度についての議論が再開された(3)。

日医案や厚労省「あり方検討部会」での議論については資料を紹介するにとどめるが、この「あり方検討部会」の第8回(2012年10月26日)において、瓢箪から駒ともいうべき画期的な出来事があった。厚労省医政局医事課長の田原克志氏の医師法21条についての発言だ(4)。田原氏は、21条で警察への届け出が義務づけられた異状死体の定義について、「医師が死体の外表を見て検案し、異状を認めた場合に警察署に届け出る。これは診療関連死であるか否かにかかわらない」と述べ、事実上これまでの厚労省の21条解釈を撤回したのである。この発言の重要性を理解するためには、医師法21条と医療事故調をめぐるこれまでの議論を振り返る必要がある。

医師法21条の条文は「医師は、死体又は妊娠四月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、二十四時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」というものだ。その趣旨は「司法警察上の便宜」とされ、殺人など犯罪の発見を容易にするための規定だった。したがって「診療関連死」は、本来医師法21条の届出対象ではないはずだが、どういう訳か(諸説あるが)、1994年に法医学会が、「異状死」に「診療関連死」を含める「異状死ガイドライン」を発表する(5)

翌1995年、厚生省が「死亡診断書記入マニュアル」に、「異状とは、病理学的異状でなく、法医学的異状を指します。法医学的異状については、日本法医学会が定めている『異状死ガイドライン』等も参考にして下さい。」と記載し、一学会のガイドラインに過ぎなかったものを、事実上厚生省の指導としてしまう。これが「診療関連死」に警察介入の道を開く端緒だったが、この時点ではまだ、医療事故が刑事事件として立件されることはほとんどなく、その危険性を認識していた医療関係者は多くはなかったと思われる。

事態が動き出すのは1999年である。横浜市大事件(患者取り違え)、広尾病院事件(消毒薬誤注射)といった重大な医療事故・事件が相次ぎ、医療界は世論の厳しい批判に晒される。これを背景に、2000年、厚生省は国立病院の「リスクマネージメントマニュアル作成指針」の「警察への届出」の項に、?医療過誤によって死亡又は傷害が発生した場合又はその疑いがある場合には、施設長は、速やかに所轄警察署に届出を行う」と記載し、同項への注釈として医師法21条の条文を併記した(6)。当然ながら医療者は、医師法21条の解釈変更と受け止めた。

これで医療現場は混乱する。「診療関連死」を届けるのか、「医療過誤」だったら届けるのか。何が医療過誤なのか、誰が判断するのか。結果として医療現場からの警察への届け出は激増し、これに引きずられて、年に数件だった医療事故の立件送致も90件超に膨れ上がることになる。グラフを見ていただきたい。立件送致数が増加した主な原因は医療者からの届出の激増であり、被害者からの届け出はそれほど増えているわけではない。医療現場への警察介入を増やしたのは、厚労省の指針に従ったわれわれ自身である。

グラフ → http://expres.umin.jp/mric/MRIC.Vol38.pptx

当然ながら警察の介入によって医療現場は困窮・疲弊した。診療関連死が起こるたびに医療過誤を疑われ、犯罪として捜査されては医療をやっていけない。2002年には日本外科学会等10学会が、2004年には日本医学会加盟19学会が、診療関連死の届出先として、警察の代わりとなる新たな中立的専門機関の創設を求める声明を発表する。2006年には福島県立大野病院の産科医が、業務上過失致死と医師法21条違反の疑いで逮捕されるという事件もあった(2008年無罪確定)。

これらの動きを受けて、2007年厚労省は、「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会(死因究明検討会)」を立ち上げ(7)、「医療事故調」の設立を期して、同年10月に第2次試案、2008年には第3次試案、大綱案を発表する。

これが、21条問題が医療事故調問題に発展した経緯である。医療事故調プロジェクトは、日医、主だった学会、自民党が支持しており、すんなり法制化されるかと思われたが、その危険性に気付いた医療関係者の間に、燎原の火のごとく反対運動が広がり、冒頭の大論争と政権交代を経て、膠着したまま現在に至っている。

以上述べたように、医療界が医療事故調の創設を求めた最大の理由は、医療現場への警察介入をなくしたかったからである。医療者で医療事故調を推進する立場の論説は、必ず、「医療現場への警察介入をなくすために」という文言から始まる。一方、医療事故調反対論者もこの点は同じで、「医療現場への警察介入はなくしたい、しかし医療事故調はむしろ害の方が大きい」という。では何故医療への警察介入が増えたのかといえば、繰り返しになるが、医療者が自ら警察へ届け出たからであり、何故そうしたのかといえば、厚労省が医師法21条に基づいて、診療関連死・医療過誤を警察に届け出るよう指導したからである。だが前述のように、立法の趣旨として、医師法21条は診療関連死を想定していない。医師法21条を正しく解釈し、本来の形で運用できないのだろうか。

拍子抜けしてしまうが、実はこの問題は、広尾病院事件(消毒薬誤注射)の最高裁判決(2004年4月)でとうの昔に解決済なのである(8)(9)。21条を再掲する。「医師は、死体又は妊娠四月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、二十四時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」。ここでいう「検案」が、広尾病院事件の最高裁判決で「医師法21条にいう死体の『検案』とは、医師が死因等を判定するために死体の外表を検査すること(下線筆者)」と明確に判示されたのである。医師法21条で問題となるのは死体の外表の異状であり、死に至る過程の異状ではない。同法は「異状死体等の届出義務」を定めており、定義されているのは「異状死体」であって、「異状死」ではない

もう少し詳しく見てみよう。ポイントは、主治医に21条の届出義務が生じたのは何時かという点である。2002年1月の地裁判決では、届出義務が生じたのは患者が死亡した時であるとしたが、2003年5月の高裁判決はこれを破棄し、届出義務が生じたのは患者が死亡した時ではなく、病理解剖の時点であるとした。最高裁判決はこの高裁判決を支持したのだ。主治医が、患者の死亡時には経過の異状性(看護師がヒビテンを誤注射した可能性)を認識していたにもかかわらず、である。何故患者死亡時に届出義務が生じないかというと、主治医はこの時点では外表の異状(右腕にヒビテン注射による変色があること)に気付いていなかったからである。主治医が外表の異状を明確に認識したのは、病理解剖時に右腕の皮膚変色を観察した時なので、この時点で異状死体の届出義務が発生したのだ。この判決は、死亡の原因が医療過誤であると認識していたとしても、外表を検査して異状がなければ警察への届出義務は生じないことを示している。詳細は判決文(10)をお読みいただきたい。

要するに医師法21条で言う異状死体に、診療関連死であるとか、医療過誤の有無とかは、関係ないと最高裁判決が言っているのである。医師であり弁護士である田邊昇氏らは早くからこれを指摘し、東京女子医大事件の被告だった佐藤一樹医師もこの「外表異状説」を周知すべく運動していたが、現場医師の意識に「診療関連死=警察届出」という刷り込みが強く、残念ながら十分に認知されていなかった。それを厚労省自らが、「医療事故に係る調査の仕組み等のあり方に関する検討部会」という公の場で明言したのが、先の田原発言なのである。

m3の記事(4)によれば、田原発言は大略以下のようなものである。詳細を知りたい方には厚労省のサイトに議事録がある(11)。
〇医師法21条について、「厚労省が診療関連死について、明示的に届け出るべきだと言ったことはない」
〇医師法21条に定める異状死とは、「(広尾病院事件の最高裁判決を引用し)、医師が死体の外表を見て検案し、異状を認めた場合に警察署に届け出る。これは診療関連死であるか否かにかかわらない。検案の結果、異状があると判断できない場合には届出の必要はない」
〇厚労省が医療過誤による死亡又は傷害を警察に届出るよう指導した『リスクマネージメントマニュアル作成指針』の解釈について、「1)指針は、国立病院・療養所および国立高度専門医療センターに対して示したもので、他の医療機関を拘束するものではない、2)医師法21条の解釈を示したわけではない」

「明示的に言ったことはない」とは呆れる。医療界が勝手に診療関連死を警察に届けただけで、厚労省は関係ないとでもいうのだろうか。どう取り繕おうが、厚労省の医師法21条の無理な解釈に基づく「明示的でない」指導が医療への警察介入を激増させたのであり、厚労省は今回これを、まだ十分とは言えないが修正したのである。もちろん誤りを正すのに遅すぎることはない。

この田原発言は大いに歓迎するが、同時に虚しさと脱力を感じるのは筆者だけではないだろう。いったいこの数年の事故調をめぐる論争は何だったのか。医療事故調論争が盛んだった5年前、厚労省の担当官だった佐原康之氏に行われたインタビュー記事を読んでいただきたい(12)。このとき佐原氏が今回の田原氏と同じことを言っていたら、今日まで続く混乱は起こらなかったであろう。これが厚労省である。

グラフに戻ろう。もともと年に数件だった医療事故の立件送致数が90件超に増加した最大の要因は、医療者が警察に届け出たからである。われわれは診療関連死が、医師法21条で定めた異状死にあたると厚労省から「暗示」されていたわけだが、それは最高裁判決で否定された。これからは検案して死体の外表に異状がある場合のみ警察に届ければよい。医師法21条に基づいて、診療関連死を警察に届け出る代わりに「医療事故調」を創設するべきであるという論理は、根拠がなくなったのである。

最後に、昨年10月27日の「あり方検討部会」で田原医事課長の貴重な発言を引き出すのに、東京保険医協会が検討部会に送付した文書「医師法第21条の誤った法解釈を正す件」が大きな役割を果たしたのではないかといわれている。この文書を作成した中心人物は佐藤一樹医師である。今回の発言を引き出した東京保険医協会と佐藤一樹氏、ならびに以前から21条の解釈正常化に取り組まれていた田邊昇氏に敬意を表したい。

参考資料
(1) 日医案 http://www.jsrm.or.jp/announce/030.pdf
(2) 満岡渉:「診療に関連した予期しない死亡の調査機関設立の骨子(日医案)」に対する意見
MRIC by 医療ガバナンス学会 vol647, 2012年11月9日. 
http://medg.jp/mt/2012/11/vol647.html
(3) 厚生労働省 医療事故に係る調査の仕組み等のあり方に関する検討部会
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000008zaj.html#shingi119
(4) 橋本佳子:「診療関連死イコール警察への届出」は誤り.m3.com 医療維新, 2012年10月29日.
http://www.m3.com/iryoIshin/article/160917/?
(5) 法医学会異状死ガイドライン
http://www.jslm.jp/public/guidelines.html#guidelines
(6) リスクマネージメントマニュアル作成指針
http://www1.mhlw.go.jp/topics/sisin/tp1102-1_12.html
(7) 厚生労働省 死因究明検討会 
http://expres.umin.jp/genba/kentokai.html
(8) 佐藤一樹:医師法第21条の法解釈の現状 日本医事新報 No.4615 2012年10月6日.
(9) 佐藤一樹:「医師法21条」再論考―無用な警察届出回避のために―
MRIC by 医療ガバナンス学会 Vol.306, 2011年10月31日. 
http://medg.jp/mt/2011/10/vol306-21.html
(10) http://akm.jp/ad/scrapbook/010 
(11) 第8回医療事故に係る調査の仕組み等のあり方に関する検討部会 議事録
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002pfog.html
(12) 野村和博:「医師法21条、現状維持でいいんですか?」
厚労省医療安全推進室長の佐原康之氏に聞く 2008年1月23日.
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/200801/505352.html

読むことと書くこと 

「英文法の魅力」という本に、英語のヒアリングを上達するためには、音読をすることだと記されていた。どうもこれは常識の範疇のことらしかったが、私には新しい知見だった。正確な発音での音読を遅まきながらしてみようと思った。

それと同時に、ヒアリングと音読の関連を、CWの受信に当てはめるとどうなるか、を考えた。以前にも記したように、CWの受信は、読解と密接に関連している。とすると、書くこと、作文が、対になるべき事項なのではないか、と考えた。ともに文字ベースの作業であり、読むことは受動的な作業、一方作文は能動的な作業である。ヒアリングの受動性と、音読の能動性と同じ関係になるのではないか、ということだ。音読も、ネーティブの発音を真似て声に出すだけで、受動的とも言えるが、ただ受け取るのではなく、意識にのぼる言葉を声に出すという能動性は確かにある。作文は、書く内容を考え、それを表現する適切な文章を作り、そのスペリングを想起するという作業で、音読よりも、能動性という点でははるかに高度の作業だ。しかし、両者は能動的であるという点で共通するものを持っている。

で、読むことと記すことの、脳科学的な関連を示す文献を少し漁ってみた。下記の文献がヒットした。同一人物で読み・書きの作業をするときに、脳のどの部分が活性化するかを機能的MRIで検討した研究である。左側頭葉の紡錘回という領野が活性化するという結論であった。顔認識のことも触れられているが、そちらは直接関係しないので省略。紡錘回という領野が担当すると思われる機能は、

1.色情報の処理
2.顔と身体の認知 (紡錘状顔領域 (FFA : fusiform face area))
3.単語認知
4.数字認知
5.抽象化

等があるらしい。単語認知・抽象化という点で、読み・書きの機能がオーバーラップするのだろうか。読み・書きをするときに、同じ領野が活性化するということを示しただけに過ぎないが、機能面でも両者が密接に関連していることを示唆するのだろう。

とすると、読む=CWの受信をするという作業が上達するためには、書くことの訓練も必要になる、と言えるのかもしれない。CWに関してだけでなく、英文を読むうえでも、英語を用いて作文する能力がお互いに高めあう関係にあると言えるのかもしれない。英作文は、例文をたくさん覚えて、それを直接応用するだけという単純な学習になることが、少なくとも受験レベルでは多いが、読解能力を高めるためにも、英作文という能動的な作業をもっと行うべきなのだろう。

私も、そのつもりで英文ブログを書くようにしたい・・・でも少し遅きに失したか 笑。遅すぎることはないと信じて頑張ろう。


以下、Pub Medよりの抄録を引用~~~

Cogn Neurosci. 2011 May;23(5):1180-97. doi: 10.1162/jocn.2010.21507. Epub 2010 Apr 30.

The literate brain: the relationship between spelling and reading.

Rapp B, Lipka K.


Source

Department of Cognitive Science, Johns Hopkins University, Baltimore, MD 21218, USA. e-mail: rapp@cogsci.jhu.edu


Abstract


We report the results of an fMRI investigation of the neural bases of written language comprehension (reading) and production (spelling). Both tasks were examined in the same individuals, allowing greater precision in establishing the relationship between the neural underpinnings of these two cognitive functions. Also examined was the relationship between written language substrates and those involved in face and object (house) processing. The results reveal that reading and spelling share specific left hemisphere substrates in the mid-fusiform gyrus and in the inferior frontal gyrus/junction. Furthermore, the results indicate that the left mid-fusiform substrates are specifically involved in lexical orthographic processing. We also find that written language and face processing exhibit largely complementary activation patterns in both the fusiform and the inferior frontal/junction areas, with left and right lateralization, respectively. In sum, these results provide perhaps the strongest evidence to date of components that are shared by written language comprehension (reading) and production (spelling), and they further our understanding of the role of literacy within the larger repertoire of cognitive operations and their neural substrates.

助産師立会いの自宅分娩で医療事故を起こしたケース 

2010年、神奈川で起きた自宅分娩による医療事故のケースで、担当した助産師と、その後診療にあたった医師二人が書類送検された。

結論からいって、医師を書類送検という刑事処分にすることには強い違和感を感じる。正直なところ、この記事を読んで、医師として仕事を続けることへの意欲が削がれた、またはリスクのあるケースを受け持つことに躊躇を感じる医師は少なくないのではないだろうか。

この医療事故の経過は、マスコミからの情報しかないが、当初の報道はこちらこちらの報道の方がまだましかもしれない。

経過をまとめておくと・・・

40歳の高齢出産の女性が、助産所での出産を希望していたが、陣痛が来て間に合わなかった(助産師が大丈夫と言い続けたらしい)。

結局助産師立会いの下自宅で出産。報道では「安産」とあるが、新生児仮死があり、呼吸障害と低体温を生じたらしい。が、助産師は大丈夫だと言い続け、自宅で1時間半様子をみていた。

その後、助産師の車で、自宅から小児科医院、その後三つの医療機関に転院を繰り返した。二つ目の秦野赤十字病院で、低体温の治療のために「ドライアー」を使ったと報道にあり、そこで重い火傷を赤ちゃんが負い、足の指を三本切断せざるを得なくなった、と報道されている。NICUに収容時、34度C台の重症の低体温だったらしい。

当時、この事故について、医療系のブログで、検証が行われ、医師としての見解が記されている。Yosyanさんのブログうろうろドクターさんのブログ。これらのブログ筆者、それにコメントを寄せられた方の見解に付け加えることはないのだが、私が感じるのは以下のようなことだ。

助産所での出産、特に高齢出産などのハイリスクの助産所での出産には、リスクがさらに大きくなるということを、もっとマスコミはしっかり伝えるべきだ。根本問題はここにある。助産師のみによる自宅での出産、さらに母体が高齢となれば、リスクは極めて大きい。そのリスクを冒しても自宅ないし助産所で出産するというのであれば、それはそれでご両親の選択の問題だが、その選択には大きなリスクが伴うことを、マスコミは第一に報道すべきである。

どのような出産で、どの程度の新生児仮死があったのか。重度の低体温症になるほどに自宅で診つづけたのはなぜだったのか、助産師の責任が大きく問われるべきだろう

火傷がどうして生じたのかは分からない。ドライアーの熱風を赤ちゃんに直接かけるなどということは通常行わないことで、低体温に対する処置ではありえない。低体温による循環障害こそが、この火傷の原因だったのではないか。この経過を医学的に検討することは是非必要なことだろう。だが、こうした搬送を受けた医療機関での対応は、あくまで児の救命のために行ったことだ。意図的に、児を傷害しようとしたことではない。重度の低体温であったのに、実際救命は成功している。医療機関・医師の努力によって、救命できたことをなぜ評価しないのだろうか。少なくとも、刑事告訴の対象にすべきではない。こうした救命行為の結果次第で、刑事告発されるとしたら、救急救命医療は成立しがたくなる。医療事故の刑事裁判化は、意図的な悪意に基づく犯罪行為に限定すべきだ。

県警も、医師二人の責任は問えないかもしれないといったニュアンスの発言をしているらしいが、だったら、何故刑事告発するのだろうか。納得が行かない。



如何にも不十分な報道を引用する~~~

医師や助産師3人書類送検 新生児にやけどさせた疑い
共同通信社 2月7日(木) 配信

 神奈川県警は7日、生まれたばかりの男児に足の指3本を失う大やけどを負わせたなどとして、業務上過失傷害の疑いで、秦野赤十字病院(同県秦野市)に勤めていた医師2人と、助産師1人を書類送検した。

 書類送検されたのは、小児科に勤めていた女性医師(37)=相模原市=と研修医だった男性医師(30)=横浜市戸塚区、同県二宮町にある助産院の女性助産師(66)。

 助産師の送検容疑は2010年5月28日、二宮町の自宅で生まれたばかりの男児に呼吸障害があったのに、医療機関にすぐに搬送しないなど適切な対応を怠り、低体温症にさせた疑い。

 医師2人の送検容疑は男児の体を温めようとしてドライヤーの熱風をかけ、やけどを負わせた疑い。

帰り道で聴いた国会中継 

今夕、パートの仕事を終えての帰路、ラジオで国会中継に耳を傾けた。民主党の議員が質問に立っていた。が、その内容は、あたかも与党議員であるかのようだった。安倍首相の政策を持ち上げ、TPPに積極的に参加すべしという趣旨を述べていた。安倍首相の財政出動で、日本のデフレは何も変わっていない。ただ、円安に為替相場が振れて、それに伴い、輸出企業を中心として、株価が上昇しているだけに過ぎないのにである。

米国がTPPで目論むのは、輸出拡大により、自国の雇用を確保することだ。互恵関係などということはない。TPP参加予定国のGDPからすると、米国が照準を合わせているのは、日本ということのようだ。米国では、農産物等で多額の政府補助金があり、農業等が保護されている。それは撤廃せずに、日本の市場の完全自由化を米国は求めてくることだろう。医療では、繰り返し述べている通り、公的保険をなし崩しに形骸化させ、米国の保険資本がわが国に入ってくる。国民が支払う保険料は、一桁上がることだろう。さらに、医療機関も保険会社との折衝に疲弊し、やがて巨大医療資本に吸収されてゆくことが見えている。グローバリズムとは、小さなものは搾取されさらに小さくなり、大きなものはさらに大きくなるプロセスだ。民主党にはそれが分からないのだろうか。自民党は対米従属であり、TPP参加しかありえないのだろう。

民主党の議員は、官僚上がりの議員らしかったが、安倍首相や行政改革担当大臣を盛んに持ち上げていた。安倍首相は、改革者であるとまで言っていた。これが野党議員の言うことなのか。こんな民主党では、自民党の暴走を食い止める役割は担えないと暗い気分になった。

一方、麻生財務大臣は、日銀が国債の買いオペをどの程度しているか、知らない様子だった・・・。毎年22兆円の国債を日銀が買い込み、金を市場にばらまいているわけだ・・・それだけ、日銀のバランスシートが悪化していることになる。この政府で、一体大丈夫なのだろうか。

追求して止まぬ 

過日、Tom K7UOTと交信した折、彼のお嬢様Jenniferのことを伺った。ユタのブリガムヤング大学でチェロを専攻し、大学院まで行った。イリノイに近々移り、ショービジネスの世界で仕事をするようになるらしい。舞台マネージメント関連の仕事のようだ。私がチェロを弾くか確認したうえで、彼女のリサイタルのCDを送ると申し出てくださった。恐縮しつつも、ありがたく頂戴し、お聴きしたいと申し上げた。

数日後、そのCDが送られてきた。自分で録音したものを焼いたCDらしい。CDに手書きで、演奏者の名とリサイタの記録が記されていた。早速、プレーヤーにかけた。ラフマニノフのソナタ等の演奏である。かなり楽器近くで録音したようだ。生々しい音でチェロが迫ってくる。当然のことながら、基礎的な訓練を受けた演奏者らしく安定感がある。早いパッセージ等では多少の瑕疵があるのだが、自分を楽器で表現したいという意欲がひしひしと伝わってくる。若々しい熱い意欲が聴く者を引きこむ演奏である。

Tomには、楽しませて聴かせて頂いたことと、Jenniferには、仕事では演奏活動から離れても、演奏自体は是非続けてくださるようにと書き送った。演奏者としてのキャリアーを離れ、マネージメントの世界に進むことを決心する上できっと葛藤もあったに違いない。だが、あのまっすぐに何事かを追い求める姿勢で生きて行けば、きっと新しい世界が彼女の前に開けるに違いない。若いことは、何事かを追い求めて止まぬ時代であることを改めて思った。

で、彼女に少し刺激された老骨たる私も、しばらくぶりにチェロの練習を始めた。あぁ、目がもっとよく見えて、そして譜面の記憶力と、弓をコントロールする力と、それに表現する能力があれば、もっと楽しいのかもしれない、と思いながらも、ぎこぎこ続けている。

当面練習する曲は・・・これ・・・。シュタルケルが、ややロマンチックなバッハを聴かせる。

何時かは私もYoutubeにアップできるように・・・。

地域医療支援センターは、鵜飼になれるか? 

厚労省は、地域医療支援センターをこれまでの20か所から30か所に拡充するため、9億6千万円の予算を組んだ。このセンターについての説明は、こちら

要するに、この数年間で各地の医学部の導入された地域医療枠という制度での卒業生を受け入れ、それによって促成教育された医師を僻地に派遣する組織だ。一応、それ以外に、地域医療を志す一般の医師を募集しているようだが、うまく集まっているという話は寡聞にして聞いたことが無い。

さて、この10億円近い予算が何に使われるのかに興味が湧く。この組織は、厚労省により人事枠まで決められており、「専任医師2名、専任事務官3名」のようだ。設置場所は、行政機関・大学・公的病院であるとされている。医師は、専任とは言っても、どこかの医療機関ないし公的機関で仕事をし、そこで給与を得るはずだ。この予算は、事務官の給与として大部分が使われる可能性が高い。すると、事務官一人当たり、1000万円前後の年収となる。この待遇の公務員、ないし公務員を退職なさった方のポストが、今のところ「90」できたということになる。これが、他の都道府県にも及ぶので、センターは90前後に増えるはずだ。すると、近い将来、そのポストは「270」前後にまで増える。

この組織の目的は、地域医療に従事する医師を、各医療機関に派遣することだ。ありていに言えば、医学部を地域医療枠で卒業し、「金で縛られた」医師を、あちこちの僻地医療機関に派遣する派遣業だ。そこで、派遣する際に医療機関からコストをとるのかどうかは分からない。だが、何らかの利権のやり取りが発生する可能性は十分にある。昔、大学の医局が担っていた医師派遣機能を、医局を弱体化させた上で、行政が取り上げた、というところだ。鵜をたくさん飼う鵜匠の地位を、行政が得たという積りなのだろう。

これで上手くいくなら、官僚の多少の利権の種になったとしても目をつぶっても良いのかもしれない。が、どうしてもうまくいくようには思えない。以前にも何度か記したが、大学医局には負の側面もあったが、知識・技術の優れた先輩医師と子弟関係を結び、さらに技術や業績を徐々に自分のものにできる、医師同士の狭い意味での利害関係を超えたものがあった。厚労省が若い医師を金で縛り自由に使うことで、医局と同じことをできると思ったら、かなりピントはずれだろう。まず、このセンター制度は失敗する。

若い医師諸君は、鵜ではないのである。