シャッター通り化 

一昨日、用事があって、栃木県の県庁所在地宇都宮市にでかけた。街中の駐車場に車を置き、中心街である、オリオン通りを数年ぶりに歩いた。いや、10数年ぶりだったか・・・。それはアーケード街で、両側に専門店等が並んでいる・・・はずの通りである。だが、半数以上は、シャッターが降り、閉店してしまっていた。20、30年前は、この地域では一番の人出のある街並みだったのに、殆どショックに近いものを感じた。

宇都宮には、かっては百貨店が四つあり、その内三つは潰れた。残る一つの東武百貨店に入ってみた。駐車場を待つ車が列をなし、店内も平日だったが、結構な人出である。少しほっとさせられたが、百貨店周囲は、閑散としており、この百貨店内の混雑は、この百貨店の建物の狭さからくる相対的なものではないか。あのオリオン通り、それに駅前通りの人の少なさが、この町の中心街の実態なのではないか、と感じる。

人口が減っているのか?この町の人口構成等を少し調べてみたが、人口が劇的に減っていることはない。60歳、30歳前後に山のある人口構成で、当面は人口減少に見舞われることはないだろう。あと30年もすると、劇的な人口減少に襲われるのだろうが、それは日本全国同じなのではないか。宇都宮市は、財政状況も比較的良い街だ。

やはり、郊外型の大規模店舗が、こうした中心街の小規模店から客を奪ったということだろうか。車で出かけて、買い物をする社会なのだ。高齢化が進み、車を住民が利用できなくなったら、一体どうなるのか。それに営々と築き上げられてきた地域社会は一体どうなってゆくのだろうか。宇都宮といういわば恵まれた町でこのような具合なのだから、少し田舎にいったら、一体どうなっているのだろうか。社会の変化が、思うよりもよほど早く進行していることを改めて感じる。

近況 

今日は、午前中畑仕事と草むしり。午後に、金融機関めぐり。スイカの苗を追加するために、それと、夕食の食材を買い物し、いましがた戻ったところ。

外の空気がからっとして、そよ風が気持ち良い。先日めでたく64回目の誕生日を迎えた。いつぞやも記したが、このような季節に生を受けさせてくれた両親に改めて感謝する。f/bで海外の友人六名からお祝いのメッセージ、それに旧友のBill K1YTからメールでお祝いの言葉を頂いた。家内がケーキを買ってきてくれたか・・・笑。もうこの年齢になるとめでたさよりも、人生の厳粛さに思いを致す誕生日だ。

で、良く頑張ったというところで、黒ビールと冷奴で、早めの晩酌。いつもの焼きかまめんたいも欠かせない。ショーソンのコンセールをかけている。改めて聴くと、このオーディオも悪くない。音がふわっと拡がり、音楽に包まれているかのようだ。

最近、酒井邦嘉著「言語の脳科学」を読み直している。この本については以前にこちらで紹介した記憶があるが、しばらく時間が経つと、内容を忘れていること・・・。チョムスキーの生成文法の理論を、大脳生理学的な見地から確認し、敷衍している内容だ。大変面白い。チョムスキーは、1950年代から70年代にかけて、この理論の骨格を作り上げた人物であり、この言語理論以外にも、哲学そして政治への発言を続けている。現代有数の知性の持ち主だろう。遅まきながら、彼の著作を取り寄せて少し勉強してみようと思った。そういえば、チョムスキーの在職している(いた、か?)MITの卒業である、Billが、自身の在学中にチョムスキーの講義があったと言っていたっけ・・・。

というような毎日を過ごしている。これはこれで幸せな日々なのだろう・・・。

さて、もうしばらくしたら、夕食の準備。野菜炒めは出来上がっており、あとは刺身、ほうれんそう、エビとベーコンの卵とじ、それに味噌汁の予定だ。

コンテストの未来 

先週末のWPX CWコンテスト、途中、小さな磁気嵐に見舞われたためか、それともnatural courseなのか、activityがイマイチだったようだ。終了時に21メガでお会いした、Marv N5AWも、交信数が昨年は2200、今年は1800超だったと言っていた。

コンテストの未来については考えてみたい。

コンテストは、参加者がいてこそ成立する。参加者は、下記の二群に大まかに分類できよう。

1)ビッグガン コンテスト用の大きな設備を所有する、コンテスト専門局

2)その他大勢 100Wに簡単なアンテナ ひやかし、ニューワン探しその他の目的で出てくる 浮動票軍団

1)は、極めて少数で、日本では恐らく10から20局程度ではあるまいか。一頃は、大学クラブ局がこの群の中枢を占めていたが、その凋落は激しい。この群は、大きな設備投資をし、もともとコンテスト命みたいなところがあり、CONDXに左右されず一定したactivityを示す。が、10年前後でそのactivityも自然経過で落ちてゆくのを常とする。2)が参加するかどうかは、主にCONDXによって左右される。今回のWPX、私が聴いていた印象では、少しこの群の絶対数が少なかった印象がある。ログ提出局数で経年変化は比較できるだろう・・・そこまでやらない。

問題は、この後徐々にCONDX下降期に入ること、さらにコンテスト参加者の平均年齢が高いこと・・・恐らく60歳前後ではあるまいか。この両者の因子によって、2)群の参加者は漸減してゆくものと思われる。1)だけではコンテストは成立しない。

現在、一頃よりも、コンテストが世界的に見てむしろ増えているが、それは2)の減少を見て、何とか新たな参加者を発掘したいという企画者の思いによるのではないだろうか。2)がいなければ、1)は楽しめないからである。残念ながら、むしろ各コンテストの価値は、相対的に減ってしまい、各コンテストの参加者は減っているように思える。

現在、コンテスト参加者の内2)群がまだある程度確保され、CONDXも太陽活動の最も活発な時期にあるから、コンテストが曲がりなりにも成立している、といえるだろう。だが、将来は、参加者が上記のとおり減少の一途をたどる可能性が高い。

その結果、コンテストが少数に集約される、さらに各コンテストの開催時間が短縮化される、という現象が起きるのではないだろうか。

アマチュア無線の発祥とともに始まったコンテストも、その性格を大きく変えながら、ここまで続いてきた。現在は、ハイテク機器を駆使し、オペレーターはまるで機械の一部のように戦うゲームになっている。が、これもそう長くは続かないのかもしれない。いわば、コンテストの最後の輝きを我々は見ている、ということなのかもしれない。

Marvは、これでしばらくは無線はなしだ、と言い残して、去って行った。

マイナンバー法の危うさ 

国民全員に背番号をつける制度が始まるようだ。基本的に、納税・年金制度に限って言えば、この制度を取り入れる意味はあるのかもしれない。ただし、その前提は、個人情報保護をしっかりすること、それにこのデータを目的外に用いることを厳に禁じることだ。

社会保険庁時代に、個人情報が粗末に扱われ、さらに「消えた年金」の一部は業務上横領であった可能性も取りざたされていた。社会保険庁が組織上消滅するのと同時に、それらの問題もうやむやにされてしまった。現在の日本年金機構になってから、スタッフの応対は表面上大分改善されたが、その実態はこれまで通り国民に不親切であることを、私も経験したし、同じような経験をした方の話を幾つか耳にしている。特殊法人化されて表面は変わったが、中身は変化していない印象がある。ハローワーク等では非正規雇用のスタッフが多いようだが、日本年金機構でも同じなのではないだろうか。旧態依然の体質と、非正規雇用のスタッフでは、個人情報がいい加減に扱われるのではないかと心配になる。

実際、下記の記事にもある通り、個人情報の漏えいによって、成りすまし犯罪が米国では多発しているらしい。これだけ大規模のデータベースが、多くのスタッフによって扱われるのだから、個人情報漏えいの危険は大きい。ましてや、米国のように民間で様々な用途に用いられるとすると、リスクは極めて大きくなる。

また、自民党改憲案にもある通り、近い将来、国家が国民を管理する姿勢が強まり、この背番号が管理の手段として、用いられる可能性もあるのではないだろうか。わが国は、行政が無謬であり、国民は知らしめず、依らしむべし、という行政が国民の上に立つ社会だ。この個人情報を、国民に知らせずに国民の管理に用いる、またはほかの用途に用いる犯罪的行為を、どうやって予防するのだろうか。思想的管理、健康情報の管理等々のために、公安や、民間会社に個人情報が流されることを想像すると、ぞっとする。

現在のままの行政組織では、この法律の運用は心もとない。



以下、引用~~~

マイナンバー法 成立 なりすまし被害懸念 第三者委で監視


2013年5月25日 朝刊


 国民一人一人に番号を割り振り、年金や納税に関する情報を一元的に管理するマイナンバー法が二十四日の参院本会議で可決、成立した。仕組みや問題点を整理した。


 Q マイナンバーとは。


 A 赤ちゃんからお年寄りまで全ての国民に割り振られる個人番号だ。二〇一五年秋ごろから番号を通知する書類が郵送で配られ、一六年一月から利用が始まる。


 Q 受け取った人はどう使うのか。


 A 自治体に申請すると氏名や住所、生年月日、顔写真、個人番号が記載されたICカードが交付される。カードは社会保障給付の申請や税金申告の際に、年金事務所や税務署などの窓口で提示して利用できる。


 Q 現在の手続きから変わる点は。


 A 例えば年金の加算を受けようとする場合、窓口で個人番号を示すとシステム上で必要な情報を照会して受給条件を満たしているかを確認できるようになる。申請する人が住民票や所得証明書の添付書類を持っていく必要がなくなり、手続きが簡単になる。


 Q 所得の把握が進むとの指摘もあるが。


 A 扶養控除の二重申請を防ぐなど一定の効果はある。だが自営業者が申告する売上高や経費が適正かをチェックすることはできず、会社員と比べ、農家や自営業者は所得が捕捉されにくいという徴税の不公平感の是正は期待できない。


 Q 管理される個人情報を自分で見ることはできるか。


 A できる。政府は一七年から、自分の年金や医療の保険料の納付状況や、税金の申告に関する情報を自宅のパソコンで確認できる個人用ホームページ「マイ・ポータル」を開設する予定だ。


 Q 個人情報の流出や悪用が心配だ。


 A 社会保障や納税の情報は他人に知られたくない秘匿性の高いものが多く、いったん外部に漏れれば被害者は深刻なプライバシー侵害にさらされる恐れがある。他人の個人番号を盗んで政府から給付金をだまし取ったり、銀行口座を不正に開設する「なりすまし」犯罪が増える懸念も指摘されている。


 Q 対策は。


 A 政府は情報を取り出せる立場にいる行政職員らに対し、独立性の高い第三者委員会で監視し、違反者には罰則を科すことで漏えいを防ぎたい考えだ。

◆不正利用、番号大量流出も


 一人一人の税務情報などを管理する番号制度は、欧米などで既に導入されているが、米国では他人の共通番号を入手して偽のクレジットカードをつくる不正利用の被害が続発、韓国では番号の大量流出が起きている。

▼米国


 米国では労働許可を持つ在留外国人を含む全国民を対象に、広く共通番号が使われている。本来は年金など社会保障制度や徴税で個人を特定するのが目的だったが、国民に行き渡った結果、身分証明の用途で広く民間利用されるようになった。番号を持たないと、銀行口座の開設やクレジットカードの発行、就労や不動産契約が難しくなる。ただ、不正利用が後を絶たないため、オンライン上での送信の制限など、現在は身分証明としての番号使用の規制を強化する方向に進んでいる。

▼韓国


 韓国では国内に居住する全国民を対象に、生年月日や性別などを示す「住民登録番号」を割り当て、税務や年金、医療などほぼ全ての行政サービスで使用している。


 住民登録番号は一九六八年に導入された。民間でも本人確認などの目的で本人の同意を得て番号を利用していたが、インターネットでの利用拡大に伴い番号の流出が問題化。二〇一一年には韓国最大手の会員制交流サイト(SNS)がハッキングされ、約三千五百万人分の番号が流出する事件が起きた。政府はオンラインでの番号利用を法的根拠がない限り禁止している。

▼ドイツ


 ドイツは税分野に限定した制度を導入。外国人を含め全ての居住者が対象。年金など他の行政分野と共通の番号制度は採用されておらず、民間利用は認められていない。


 利用範囲拡大の議論は進んでいない。ナチスがユダヤ人に番号を割り当てていた歴史的な経緯から、国家による個人の管理強化につながる政策に国民が慎重なためだともいわれる。


  (共同)

フォーレ ピアノ五重奏曲第二番ハ短調作品115 

先日、日曜日の朝、ラジオからこの曲が流れてきた。1楽章アレグロモデラート。曲の美しさに、はっとさせられた。と同時に、懐かしい。

フォーレ晩年の作品で、無駄を省き、旋律を重ね合わせるようにして、抒情的な世界を紡いでいる。学生時代に、ジャンユボーのピアノ、ヴィアノヴァ弦楽四重奏団の演奏の音源で繰り返し聴いた。実家の狭い自室で、カセットに納めたこの曲を何度となく聴いた情景をまざまざと思い起こす。

フォーレは、その晩年、高い音は低く、低い音は高く聞こえる聴力障害に悩まされていたと聞いていたが、この番組の解説によると、最晩年は聴力自体を失っていたという。そうした状況で、この流れるような美しい音楽をどのように作曲したのだろうか。彼の息子による自伝には、フォーレは晩年自分の作品はやがて忘れ去られるだろうと述べていたとあった。その痛切な思いを思い返しつつ、再びこの曲に耳を傾ける。でも、この四楽章の昂揚感を伴う生命の漲りは、どうして生まれたのだろうか。フォーレが、おそらく自らの生命を削りつつ作曲したのではあるまいか。

一頃は、こうした室内楽を何とか自分でものにしたいとあくせくしていたが、楽器から少し距離を置いて、再び音楽そのものに沈潜できるような気がしてきた。若い日に繰り返し聴いた、こうした音楽に再び耳を傾けよう。

この国の将来 

長期金利が上昇している。それは、国債価格の下落を意味する。時に、売買停止が必要になることもあるらしい。マスコミでは、株に投資する資金を得るために、金融機関が国債を売却している、との専らの説明である。

だが、ここにきて株価も乱高下をするようになってきた。金融機関から株投資資金が出て行っているという説明だけでは、この長期金利の上昇傾向は説明しがたい。現在同金利は、0.8から0.9%程度で、絶対値としてはまだそれほど高くはないが、上昇の速度が如何にも早い。

こちらの地方銀行の行員の方から数か月前に伺ったところでは、銀行が国債をできるだけ売却する方向であるらしい。国債の多くは、国内の金融機関を通して、国民が保有するのであるから、外国のヘッジファンド等が売り浴びせることは考えにくいというのも、ある程度は事実だろうが、国債が「売られ始めている」ことは事実なのだ。長期金利は、「市場」が決めるものであり、日銀がそれに決定的な役割を果たすことはできない。日銀もせっせと国債を市場から買い上げ、莫大な資金を市場に投入しているが、それを行えば行うほど、日銀と、日銀の発行する円に対する市場の信任・評価は下げる。

で。結局何が起ころうとしているのか。

現政権の言う、成長戦略によって、日本の景気が回復する、これまでの膨大な借金が減って行くということは考えられない。

まず、国債価格が下落して金利が上昇する。これはすでに始まりかけている。円安とともにインフレも進行しつつある。財政悪化と、これまでの国債利払い・国債償還のために国家債務の膨張が止まらなくなる。これも徐々に進行してきたが、ある時点で、加速度的に悪化し始める可能性が高い。最終的に起きるのは、日本政府が国債債務の不履行を宣言し、国家破産をすることだ。これがいつどのような形で起きるのかは分からない。国家債務が、国民の資産総額を超えるであろう、この2,3年が一つの山場だろうと言われている。

国が破産すると、国家機能が最低限にまで縮小される。大幅な増税も必至だろう。インフレが、コントロールされるには、デノミが行われることも必要になるだろう。これまでの資産は、紙切れ同然となる。

こうした予測は、悲観的に過ぎると思われるだろうか。残念ながら、私がこれまで調べてきたところでは、これ以外の選択肢・可能性はないように思える。

国家機能の途絶、ないし極端な低下の時期は、恐らく数年間は続く。その間を生き延びるために何をすべきか。食と住を確保すること。仕事はできる限り続けていること。この条件さえ何とかなれば、生き延びることはできよう。それを経験して、日本という国の在り方を国民が改めて考えるようになるのだろう。

安倍バブルで浮かれている、または踊らされている人々の姿が哀しい。

医療事故調原案の問題点 

医療事故調の原案が、近々決定されるらしい。

この組織をどのようなものにするかは、医療のこれからを大きく左右する。厚労省の主導する原案がそのまま通ると、医療人は、リスクをとって治療を行うことをしなくなる、第三者組織が原因究明」を行い、その知見が「訴訟」に繋がることから、医療事故の真の原因究明は遠のき、担当者の自己保身というモラルハザードが生じる。急性期医療のみならず、生命予後に直接関係する専門を専攻する医師は激減することだろう。結局、すべての不利益は、これから患者になる国民に降りかかることになる。

医療は、リスクをとらないと成立しない。また、生命現象は、確率的な現象であり、因果関係を断言することは原則的に困難であることが多い。こうした、医療にかかわる原理を無視すると、医療が成立しがたくなる。

第三者期間として医療事故調を発足させようという意向の背後には、法曹界の医療事故へのコミットを増やしたいという意向、それに行政がこの組織を通して医療界を支配し、利権を得ようと言う意思があるように思える。かの日本医療機能評価機構が、この医療事故調と何らかの関係をもつことになるという観測もあり、これはあながち根拠のない憶測だとは言い切れない。公的保険が、混合診療導入によって規模を縮小し、それにかかわる利権が今後期待できなくなる行政としては、こうした組織に食らいつくことで新たな利権を確保しようとしているのだろう。

もう一度繰り返しておく。こうした動きの犠牲は、結局国民が負うことになる。


以下、MRICより引用~~~

医療事故調取りまとめ案の問題点

秋田労災病院
中澤 堅次

2013年5月23日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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医療事故調検討部会は最終段階に入り、厚労省のたたき台案が出た。構成員として参加した立場で大きな問題と思うものを3つ指摘する。この問題は次回検討部会までに厚労省が成文化して提出され、多数の意見としてほぼこのまま原案になると思われる。最初から病人権利を基本に制度設計を考えてきた少数派の自分としては、次回がもっとも緊張する場面になると考えている。
三つの問題とは、1)医療事故調への届け出に、故意による殺人を含めていること、2)院内調査に定数を決めて第三者を参加させ、調査チームの責任者も第三者とすること。3)再発防止のための真相究明で得た結果は、訴訟などの証拠となり得るとしていることである。これらの論点は第三次試案の時から問題視された部分であり、今回の厚労省の取りまとめ案はこの方針を変えていないと感じる。以下にそのわけを記し問題の所在を明らかにしたい。

■故意の殺人が第三者機関への届け出に含まれることについて
第三者機関は、現場から報告がなければ動けないため、事故が関係する死亡例全例の届け出を要求している。殺人罪を含む理由について厚労省は、犯罪かどうか報告を全例上げて調査をしてみないと分からないとしている。医療技術を使った殺人は、歴史的には戦争時に起きており、平時では皆無といっていいくらい稀である。今後の統計では故意の犯罪と並べて事故が報告されるだろうから、メディアや国民の意識に事故と犯罪を同一視する混同が生じる。医師法21条も犯罪死と事故死を混同し、報告を義務付けたことで医療界に混乱をもたらした。信頼関係の元にしか成り立たない医療はこの混同により大きなダメージを受ける。院内で殺人が行われたとの疑いがあれば、院内調査の段階で警察に通報するのが普通で、再発防止を目的とする第三者機関に届け出る意味はない。

■院内調査に第三者を参加させ責任者は第三者とすることについて
これは弁護士の構成員から出され医師以外の構成員の支持もある。院内調査は、情報の非対称性を利用すれば、自らの利益のために事実を曲げて虚偽の説明もできる。透明性を確保するために第三者の参加は必要だとしている。事故はインフォームドコンセントで予測できなかった結果が生じ被害が出たことであり、医療側にはプロとして行った医療を再度検証し、その理由を被害者や家族に詳しく説明する責任が生じる。また医療側は行った医療行為に疑いを持たれ、説明が理解されなければ告発を受ける立場になる。説明に隠蔽改ざんがあればそれだけで信頼を失うが、プロとしての矜持をもって行う調査は情報量の多さが説得力を増す。事実に基づいた詳しい説明は、自分たちの正当性を理解してもらうのに役立つ。あえて隠蔽改ざんの罪を犯すことはおろかなことである。事故被害者と医療者との関係は、一対一の関係ではなく、医療側には責任が課せられている。医療側にとって文字通り生死がかかる調査を、不正を隠ぺいする犯人との位置付けで監視が義務化されることは、公平な制度とは思えない

第三者が調査に参加する意味は透明性を高めることだという。第三者による透明性は公開の効果による。病人権利では、病人個人の秘密が守られる権利を明記している。医療者は診療上知り得た秘密を第三者に公開してはならないという重い倫理を背負っており、事故が起きたからと言って無制限に病人のプライバシーを公開することは出来ない。第三者が参加する調査が受療者のプライバシーを公開する局面に及べば、医療者には病人権利を擁護する立場に立つことが求められ、調査に協力しないことが倫理上正しいこともある。第三者が調査に参加し権限を発揮することは、医療者には二律背反にあたり、調査の結果はゆがめられる。これは第三者の参加を前提とするシステムの欠点である。反対に、施設が事故被害者のために行う施設内調査では、例え受療者のプライバシーに踏み込むことがあっても、説明は受療者だけに限られるので二律背反は生じない。

検討部会では調査の責任者も第三者が行うことが求められた。医療施設の長を調査の責任者から外す理由は、長には施設を統括する権限があり、その権限を利用すれば、自分の利益のために調査を誘導できる。調査の責任者となることは利益相反にあたるというのである。
事故が起きた場合、施設の長は起きたことに責任を持たなければならない。プロとして原因を解明し、問題があれば謝罪も補償も行い再発防止にも責任を負う。施設内調査はその為に行われる。たしかに長の権限から言えば、罷免権をちらつかして職員に証拠隠滅を命じ、虚偽の説明を行うことで責任を回避することができるかもしれない。昔のようにそれで済んでいれば問題ないが、今それをやったら犯罪者として自らの首を絞めることになり、施設にとってそのほうがはるかに大きなダメージとなる。隠蔽改ざんで利益を得ようとする長がいれば、施設に対する背信の罪を負わねばならない。

■院内調査を主体とするシステムにおける第三者の位置づけ
現場の調査もいい加減なものもあり、院の内外を問わず、プロが行う調査も問題を起こす。上級責任者や第三者が担当者の意見を聞かずに報告書を作り、冤罪事件を起こしたことは、女子医大事件や大野病院事件で経験済である。院内調査に関する双方の思いを受け付け、院内調査を監視する仕組みはあってもよいと思う。しかし、第三者機関を専門的な判定機関と認め、第二審的なものとして位置付けると、様々な問題が起きる。第三者機関は、事故が起きる前のことは分からず、死後の調査では生前と条件が異なり、公平性に疑問がある。また、個別の事故の良し悪しを判定する基準がなく、科学的な常識は常に変化するので基準にはなりえない。判定を行うマンパワーと質の問題、法的資格や司法体系との関係、死が関係する倫理的な問題から、死生観に至る問題、私的な死を公的に扱うことで生じる問題など、様々な問題を民間の一機関が抱え、調査を間違えば責任を問われる可能性もある。

第三者機関が、裁判所の真似事をする危ない橋を渡らないためには、要請があってから初めて調査を開始し、提示された院内調査の不備を指摘し、調査の精緻化に協力し、自ら良し悪しの判断は下さず、紛争の舞台を再び医療に戻して再調査を指導することを役割とするべきである。それでも両者間に納得が得られなければ、国民の権利擁護の立場に立つ司法の判断を仰ぐべきである。院内調査が調整に失敗した段階で診療は終結し、紛争の解決にステージは移る。この段階で初めて、事故被害者と関係した医療側は一対一の対立関係となる。

■再発防止のための真相究明で得た結果を訴訟などの証拠とすることについて
この項目がおそらく今回の事故調査の仕組みに関する重大なポイントだと思う。検討部会の初期の段階で、座長から事故調の最も重要な目的は何かという問いが出され、一人を除くすべての構成員は再発防止だと言って決定した形になった。議論が始まると、いつの間にか原因究明が再発防止の前に入り、これが厚労省の取りまとめ案にも反映されている。原因究明が目的に加わると、他の目的との間に関連が広がる。例えば、善意ある多くの医師は業務改善を目的とする調査に協力し、時にはミスがなくても誤りがあったと仮定し議論の効果を高めようとするが、これが責任追及に使われる公算が高くなる原因究明の効果が責任追及に利用されれば、医療が行ってきた改善活動そのものに大きな影響をもたらすことはWHOの見解でも示されている。
医療事故では病死との関係で、担当者の責任を明らかにすることは難しい。明らかに因果関係が証明できるケースと、明らかに病気の影響が強い死亡は、院内調査で問題が解決する。しかし、事故の大部分は、因果関係がはっきりしないグレーゾーンにあり、神ならぬ身が担当者の責任を判定することは難しい。

できない相談に、再発防止のための原因究明調査の結果が注目され、基準が異なる責任追及への流用が発生する。
流用を避けるためには院内調査が力になる。詳しい説明のもとで当事者同士が意見を出し合い、その時点での妥協点を見つけるための調査となる。医療が行われる背景には必ず病気があり、適切な調査と説明が行われれば因果関係がはっきりしなくても、お互いが納得する線を見出すことが出来る。

■おわりに
事故調議論の背景には、医療事故の正しい対応をしてこなかった医療界がその責任を迫られていることがある。専門家としての責任の取り方は、専門外の関係者よりも優れたものでなければならない。ここで上げた問題点をそのまま残すと、医療界は第三者が主導する再発防止に従い、技術の改善で信頼を克ちとるという、最も困難な道を選ぶことになる。医療は生命現象と密接に関係し、技術よりも天命が優先する。完全に事故を無くすことは出来ないという事実を、国民に分かってもらうことが大きな問題解決なのだが、技術の改善が規範になると、勝負の結果は最初から明らかであり、訴える側もその結果に満足しない。信頼関係は永遠に回復せず、現場はこの困難を抱えたまま進まなければならない。

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混合診療拡大の動きを前にして 

安倍政権は、医療介護と農業を成長分野と定め、そこで規制緩和を進めるつもりらしい。

医療での規制緩和といえば、即ち混合診療の拡大である。混合診療が拡大されると、患者の自己負担が増える。治療の選択肢が増えるという甘言が、混合診療拡大にはついてくるが、その恩恵を受けるのは、持てる者だけ、ということになる。さらに、この規制緩和で医療がさらに市場化されることで「儲け」を得るのは、保険資本等巨大グローバル資本だけである。

そのことを踏まえた上でも、現在の医療制度は経済的に成り立ち難くなっている。先日、とある眼科に初診患者としてかかった。七項目の検査が行われ、初診料を合わせても、自己負担は3千円台だった。私が医療関係者であることは伏せておいた。眼科医は、多くの患者をかかえ、一人の患者に十分な時間をかけられず、さらに少しイラついているように見受けられた。私の病状に対してこれだけの検査が必要だったのか、また私の疑問に十分答えて頂けない、その余裕が医師になさそうなのは何故だったか、しばらく考えていた。結局、現在の診療報酬制度では、全体的に診療報酬が低すぎて、患者数を多くして収入を確保せざるを得ない、ところからすべての問題が来ているように感じた。かっての医療従事者・経営者であることから、医療機関・医師側の立場に立ちすぎかもしれないが、現実問題として、眼科のように初期投資が必要な科では、現在の診療報酬では厳しかろう。医師の説明が不十分という声が患者側から聞かれることも多いが、初診料2000数百円で20、30分以上医師を一人の患者が占有することは医療経済的に無理なのだ。

混合診療が拡大されると、市場原理が導入され、利潤の上がる医療の領域、対象だけが拡大し、そうでない領域、対象は置き去りにされる。そうなりつつある、ということがどれだけ国民に理解されているのだろうか。少なくとも、これまでの医療制度を続けるわけにはいかなくなっている。政府・行政の思惑を超えて、すでに制度疲労がたまってきている。

混合診療は、止む無しなのではないか、と最近思うようになってきた。ただし、混合診療が無法図に拡大されると、医療を支配する市場原理は、自己増殖的に医療の隅々まで覆い尽くす。その利潤追求の歯止めがかからなくなる。その利潤追求の動きは、主に米国のグローバル企業が主導することになるだろう。そうなると、わが国政府・行政は対処できなくなる。

社会的共通資本としての医療制度の根幹を残しつつ、改革はできないものか。ハゲタカのようなグローバル金融・保険資本から、日本の医療を守る手立てはないのだろうか。現状の医療制度では立ち行かないとしても、このまま規制緩和に流されると、日本の医療制度は、グローバリゼーションの波に飲み込まれてしまう。それをひしひしと感じつつ、焦りのような気持ちだけが残る。


以下、MRICより引用~~~

医療への「幻想」を捨て去るときが来た 何が変わるのか?安倍政権が打ち出す医療の規制緩和

※このコラムはグローバルメディア日本ビジネスプレス(JBpress)に掲載されたものを転載したものです。
http://jbpress.ismedia.jp/

武蔵浦和メディカルセンター
ただともひろ胃腸科肛門科
多田 智裕

2013年5月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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安倍政権の産業競争力会議(成長戦略を議論する会議)において、医療では以下のようなことが検討されています。
「疾病の種類に応じて自己負担を変える、例えば風邪の場合は自己負担7割」
「自己負担の“最低”限度額を設定し、少額な治療費は全額患者の自己負担」
「軽度のデイサービスは全額自己負担、デイケアは3割負担」
「(医療)市場の拡大が財政負担とならないように保険制度のあり方を見直す」
「介護予防や軽症者へのサービス、中重度の上乗せサービス(例えば配食サービス)は民間保険(自己負担)でカバーする」
「規制撤廃により保険外併用療養費のさらなる範囲拡大」
他にもあるのですが、これら検討されていることは全て “医療の公的負担を減らし、民間に任せる”(=自己負担で受けてもらう)以外のなにものでもありません。
私たちは、「求める医療を、いつでも好きなところで、お金の心配をせずに自由に受けられる」ことがもはや幻想だと気づいて、現実としっかり向き合う心構えをするべき時期なのではないでしょうか。

●低所得者は良質な医療が受けられなくなる
検討項目中の「風邪の診療の7割負担」や「軽症の病状の場合の診療費全額自己負担」は分かりやすいかと思いますが、「規制撤廃により保険外併用療養費のさらなる範囲拡大」の部分は多くの人にとって分かりにくいかと思われます。
そこで、保険外併用療養が拡大された後で、大腸がんが見つかり手術を受ける場合を考えてみましょう(あくまで架空の例です)。病院の説明はこうなります。
「今回の大腸がん手術ですが、通常の開腹手術であれば保険範囲内で50万円、実際の負担額は高額療養費制度により20万円になります」
「オリンパスとソニーが共同開発した最新鋭の手術機材を使用して手術する場合は、腹腔鏡手術のもと、がん転移の可能性のあるリンパ節をより正確に 切除できます。しかし、こちらは保険外併用療養となり、手術代金は自己負担分150万円が加わって合計で170万円になります」
「保険外併用療養費の拡大」とは、このように保険でカバーされない医療が数多く発生するということなのです。10倍近くに医療費が跳ね上がれば、低所得者層は良質な医療が受けられなくなるのは必然でしょう。
日本医師会が頑なに「必要な医療は全てを速やかに保険診療の対象とするべきである」という主張を一歩も譲らないのはこのためなのです。
しかし国側の対応は、シンプルかつ反論の余地のない一言「財政が持ちません」で片付けられてしまっています。
保険外併用療法(実質的には混合診療)に関する議論は、10年間以上このような状況で平行線をたどり続けていたのです。

●保険範囲内だけで良質な医療を維持するには現場の犠牲が必要
話を大腸がん手術の例に戻して続けます。このような場合に「じゃあ、170万円の方で」と返事をする方は(当たり前ですが)限られます。
多くの場合は、「私はとてもそれだけの金額を支払えませんので、従来の方式でけっこうです。ただし、手術の上手い先生にお願いします。時間を倍くらいかけて丁寧に、最新機材を用いた手術と同じ結果になるように行って下さい」ということになります。
これは、“保険範囲内でも、でき得る限り最高の医療を提供するべきである“という正当な要求であるのは間違いありません。
しかしながら、保険範囲内では「ドクターフィー」(医師の指名料金)は認められていませんし、医師の側からすると時間を倍かけても手術料は全く変わらないのです。
保険外併用療養拡大が正式決定された曉には、「拡大しても保険診療の質は保たれる」と説明されることでしょう。しかし、それは現場がボランティアの犠牲を払うことが前提でもあるのです。
それほど時間が経たないうちに「医師の指名が可能なのは、170万円の方の手術を受ける方だけです。保険範囲内の方は、保険範囲内で十分に配慮を払った手術しかできません」となることでしょう。

●理想は大事だが、そろそろ現実を直視すべき
私の専門分野で言うと、胃や大腸の内視鏡検査を行う際に「眠っているうちに終わらせる」静脈麻酔の使用は、保険では認められていません。
うとうとする程度の鎮静剤使用であれば、(私を含めて)持ち出しでやる施設もありますが、私の経営する診療所について言えば、保険診療分は赤字で、治験収入(保険外収入)で決算をなんとかプラスにしているというのが実情です。
保険範囲内で最善の医療を提供するのは当然だとは思いますが、「保険範囲内で鎮静剤を多く使用して(その際の合併症の対応も含めて)、眠ったうちに全く何も感じない状態で検査をしてくれ」という要望に対しては、「できません」と断らざるを得ません。
もちろん、保険外併用療法が認められればこの問題は解決します。でも、胃や大腸の内視鏡検査代金を現在の1万円程度から5~8万円程度にまで高騰させて良いのでしょうか?
日本医師会は、保険外療養費を認めると「低所得層が良質な医療を受けられなくなる」と主張しています。それに対して、「国家の保険負担が減り、その分みんなが経済的に恩恵を受けられる」と反論する人たちがいます。
しかし、浮いた財源をもってしても、増え続ける医療費を無制限にカバーすることはできません。そうである以上、どう言いつくろうとも「医療を公費で負担する限りは、抑制する範囲を決めなくてはならない」ということです。
今まで日本の医療は、「求める医療を、いつでも好きなところで、お金の心配をせずに自由に受けられる」ことを前提条件としてきたかと思います。
理想としては非常に大事だとは思うのですが、現実に議論されていることは、「抑制する範囲を決めてどこまで我慢してもらうか」でしかありません。そこまで日本の財政は追いつめられているということなのでしょう。
安倍内閣が打ち出す医療の規制緩和は、10年間の閉塞を打破する大胆なものになる可能性が十分にありますし、変化が必要なのは間違いないでしょう。しかしそれは、日本国民に、いつまでも幻想にとらわれていないで現実を直視するように心構えを変えることを強いる改革でもあるのです。

日本医療機能評価機構のラジオ宣伝 

日本医療機能評価機構が、産科医療補償制度についてラジオ放送で宣伝を流している。

曰く、「お産のときに、脳性まひになったお子さんとご家族を救済する」制度が、上記補償制度であり、それを担当するのが、上記機構である、と。

この「お産の時に」、という表現が引っかかる。

脳性まひは、乳児期後半に入っても筋緊張が弱いままか、かえって筋緊張が高まるという経過で判明することが多い。勿論、周産期に問題があると、その後慎重に経過を観察されるので、早期に発見されることもある。が、前者の経過が多いことは事実だろう。

とすると、この「お産の時に」という句は、時間的な関連を意味するのではなく、因果関係を意味することになる。不幸にして、お子さんが脳性まひになってしまった親御さんは、そう受け取るはずだ。

この後、宣伝は「脳性まひの成因を究明する」と続く。その「究明」の一端が、過日マスコミが大々的に報道した「陣痛促進剤」の「不適切な使用」と脳性まひとの関連ということなのだろう。

同機構には、脳性まひが専ら周産期の低酸素状態によって引き起こされる、という誤った先入観がないか?脳性まひの8割程度が、遺伝的な問題で生じる、即ち胎生期の問題で生じることを理解しているのだろうか?同機構は、陣痛促進剤が脳性まひの原因であるとは断言していないが、原因であるかのように大いにミスリードする情報を垂れ流している。そうした情報操作は、自らの社会的存在意義をアピールするためなのだろう。

同機構は、繰り返し言及している通り、産科医療補償制度により、毎年100億円規模の内部留保を蓄え続けている。そして、多くの独立行政法人と同様に、官僚の天下り先になっている。そうした組織が、自らの存続のために、このような不正確な情報を垂れ流すことは決して許されない。

第三者医療事故調のアドバルーン 

この記事にある通り、先日、第三者による医療事故調を設置して、予期せぬ以上事故による死亡例の原因究明を行うという新聞記事がでかでかと載っていた。こともあろうに、その第三者医療事故調の候補が、かの「日本医療機能評価機構」であるらしい。

医療事故調は、調査結果を捜査機関に渡すことはないとしているが、ご遺族には手渡されるはずで、それによって医療訴訟が提起される可能性は十分ある。

それにしても、かの「日本医療機能評価機構」が出てくるとは・・・。この天下り団体は、昨日もラジオで広告を流していた。「お産の時に」脳性まひになったお子さんとご家族を救う、らしい。脳性まひの原因の大多数は胎内での問題、遺伝的な問題であることが分かってきているのに、である。

予期せぬ死亡事故とは一体何なのか?ちょっと頭に上がったのが、精神科における患者の自殺である。それがすべて予期せぬ死亡事故と扱われるとなると、精神科医療は成立しがたくなる。また、救急医療での重篤な外傷、高齢者の急性疾患等々、ハイリスクな症例では、「予期せぬ」死亡は頻繁に生じうる。医療には絶対はない。確率的な事象で、患者の死は予期せぬ形で起こりうる。

個々のケースで、死亡に至った経過に徹底した医学的な検討を加えることは重要だろう。が、それは「日本医療機能評価機構」のような天下り団体が行うべきことではない。彼らには行えない。

あの新聞記事は、厚労省が出したものではないとのこの室長の話だが、彼女が担当したものではないとしても、やはり厚労省しか出所はあり得ない。よくある、アドバルーンを上げて、世論の反応を見るというやり方だ。行政は、この手法で世論を誘導し、自らの政策を実現してきた歴史がある。さて、このアドバルーンをそのまま認めると、急性期医療が成立しがたくなるわけだが・・・。



以下、MRICより引用~~~


厚労省・大坪室長「予期せぬ死亡届け出義務 全病院・診療所に拡大」は今は「厚労省方針」ではない

井上法律事務所
弁護士 井上 清成

2013年5月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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1. 5月13日(月)新聞各紙に「厚労省方針」「厚労省決定」と載ったけれども
5月15日(水)、日本医療法人協会は、日野会長・小田原医療安全調査部会長、協会事務局員と筆者(協会医療安全調査部会委員)で、厚生労働省医政局を訪問した。対応したのは、この4月に医療安全推進室長に就任したばかりの大坪寛子氏と同室員である。当初は約束してくれてはいたのだが、残念ながら吉岡総務課長は不在であり、急用が生じてしまったらしい。
もともと、訪問の目的は、4月18日に厚労省が提示した医療事故調の取りまとめ案に対して、この1月と2月に成立した四病協合意と日病協合意といった病院団体の諸合意をもっと尊重して欲しいと申し述べ、同協会としては、医療事故調に関して「医療法改正」をするのは現状では反対であると表明することにあった。当然、所期の目的は達したものの、話題の中心は、丁度その2日前の5月13日(月)に新聞各紙が全国的に派手に報じた「予期せぬ死亡届出義務 全病院・診療所に拡大 厚労省方針」(2013年5月13日・東京新聞朝刊より)などといった記事の内容に移って行く。
そうしたところ、結局、大坪室長は、それらの記事(特に、厚労省方針とか厚労省決定といったところ)を明確に否定したのである。現に、大坪室長自身が新聞数紙に対し、記事に関して既に異議を述べてあるとのことであった。

2. 厚労省は今は検討部会の議論をまとめてみただけ
たとえば、前出の東京新聞は、冒頭で「厚生労働省は医療事故の実態把握のため、国内すべての病院・診療所約十七万施設を対象に、診療行為に絡んで起きた予期せぬ患者死亡事例の第三者機関への届け出と、院内調査を義務付ける方針を決めた。関係者が十二日、明らかにした。」としている。他の各紙もほとんど同じ内容の記事であったし、全国各地の地方紙にも派手に掲載された。
ところが、大坪室長によると、厚労省は自ら立案を決めたことはなく、ただ検討部会の議論をまとめてみていただけとのことである。現時点においては、検討部会(正式名称は、「医療事故に係る調査の仕組み等のあり方に関する検討部会」)の結論待ちという立場であった。
つまり、5月29日(水)午後1時に開催される次回の検討部会が、医療界としての正念場ということであろう。ここ数年にわたって議論されて来た医療事故調問題も、いよいよクライマックスを迎えるらしい。医師の検討部会構成員のみならず、医療界全体がいよいよ大きな決断を迫られる。

3. 医療法改正は不要、医療法施行規則の改正だけで必要十分
末尾に、医療法改正が必要な法律所管事項と、医療法施行規則改正で足りる省令所管事項との対比一覧表を示す( http://expres.umin.jp/mric/mric.vol116.doc )。これは、日本医療法人協会で法的観点から検討し、5月15日の厚労省訪問時に提出した資料の一つである。
四病協や日病協の病院団体合意の範囲ならば、医療法の改正は要らない。ところが、厚労省取りまとめ案のように、第三者機関を創設したり、予期せぬ死亡届出義務化をしたりするならば、確かに医療法改正は必要である。
大坪室長は、医療の見識のみならず、法的見識も十分に有しており、この点を的確に理解していた。大坪室長の意図するところは、「これまでも病院の先生方が十分にご努力されていることは理解しているが、患者や社会に対しては見えにくいところもある」「医療者の努力が見える形へ」(5月10日金曜日メディファクスより)といったところにあるらしい。これも一つの識見だと評価しえよう。
しかしながら、もしも、刑法の業務上過失致死罪の見直しや、民法の責任制限(軽過失免責)への道筋に何ら言及せずに、ただ医療法改正をしてしまったとしたら、少なくとも近い将来には二度と再び、そのような議論は「決着済み」として蒸し返せなくなってしまうかも知れない。日本医療法人協会の提言は、今はまず医療のプロセスの内のことだけを、再発防止・医療安全のために、自律的に医療者だけできちんと事故調査をしてしまおうというものである。だからこそ、医療法施行規則の改正で足りてしまう。そして、その後5年くらいで見直して、医療法改正をして、刑法の業務上過失致死罪等を排除しようという構想である。すべての医療者と医療界には、これらの点を十分に考慮して、重大な政策決断を行って欲しいと思う。

シュタルケル逝く 

ヤーノシュ シュタルケルが亡くなったことを新聞記事で今日知った。


シュタルケルは、学生時代に「ブラームスのチェロソナタ1番」の演奏で知った。鬱屈した気分の満ちたこの曲を、若々しい情熱で弾く演奏だと思った。カミソリのような切れ味のボーイング。正確無比の演奏技術。何時かは彼に近づけるようにと大それたことを考えていた・・・大学時代、寮で良く聞いたものだった。

ハンガリー系のアメリカ人。ユダヤ系で兄二人はナチズムの犠牲になったらしい。才能には恵まれていたのだろうが、苦労なさってあの名声を築き上げられたのだろう。堤剛の師匠でもある。日本のコンクールで佑諸氏勇んで米国に留学した堤が、暮ども暮せども音階練習ばかりシュタルケルに命じられた話が記憶に残っている。難曲をそれと感じさせずにすらすらと弾くシュタルケルの技術は、そうした努力の積み重ねから生れたのだろう。でも、あの自由で軽やかなボーイングによるフレージングはやはり天才的なものだったと思う。


また、一つの時代が私にとって終わった。

ご冥福をお祈りしたい。


ヨーロッパの友人たち 

昨日は、コンテストさえなければ(笑)、絶好のCONDXだったのだが、ロシアのコンテストでヨーロッパ方面はごった返していた。これだけ良いCONDXなのに、呼ばれ続けることがないコンテスター達は、もうすぐコンテストがインフレ状態であることを理解することになるのだろう・・・。それはさておき、コンテストの混信を避けて、ヨーロッパの友人たちとしばらくぶりに交信をした。14メガの夜。

Villi TF3DX/Mは、モービルとはいえ、結構な強さで、終始了解度は5であった。当初、Oskar TF3DCと勘違いしてしまった。それを言うと、良く間違えられる、Oskarは良い友人だけれど、との話であった。Villiは、レイキャビクから75kmほど離れた、別荘にやって来ているところだった。100wにホイップなのだが、ホイップは全長4.8mだそうで、14メガではほぼ1/4波長のフルサイズである。自慢のアンテナらしく、ローバンドではコイルを入れて運用する、160mでJAとも交信した、とのことだった。

Villiとの交信を手短に切り上げ、その後呼んでくれたのが、Anders SM6CNN。気温が15度まで上がり、湖の氷も解け、ようやく春がやってきたと喜んでいた。これから野菜作りをしたい、とのこと。だが、まだ霜の振る可能性があり、温室が必要かもしれない、とのことだった。目指すはトマト作りらしい。雑草の心配はないらしい。先日、IARU RegIの仕事で、アイスランドを訪れたのだが、あちらでは、温泉のお湯を使って大規模な温室栽培をしている。三日間で3トンのトマトを収穫するような規模だそうだ。家の暖房、発電等にも温泉・地熱が利用されており、エネルギーがとてもクリーンであった、とのこと。アイスランドのハムが30名ほど集まってくれて、楽しい会合だったらしい。アイスランドは、先年の金融危機では大分酷いダメージを受けたようだけれど、と言うと、経済は大幅に回復してきているようだ、とのことだった。

経済問題から、ユーロ圏の問題に話題が移った。ユーロの制度を作る際に、新たに加盟した国々の審査をしっかりすべきだったのだ・・・ギリシャを始め、所謂PIIGS諸国のことを指しているのだろう・・・と、Andersは述べていた。恐らく、ドイツを始め「北」の国々の人々の正直な感想なのだと思う。だが、ユーロによって、「北」の国々も大きな恩恵を受けているはずなので、今後リスクマネージメントの制度を整えて対処するようにすべきなのではないか、と申し上げた。それには、彼も同意してくれた。ユーロが崩壊するという悲観論もあるが、あれだけ時間をかけて生み出したこの制度だ、そう簡単に壊れるはずはない。

これからは、時々ビームを北西に向けよう・・・。

「国会版社会保障制度改革国民会議」の中間とりまとめ 

河野太郎氏が、「国会版社会保障制度改革国民会議」の中間とりまとめを公表している。こちら

「持続可能な」医療介護制度を確保するために、医療では、まず総合診療医がすべての患者を診る、さらに総合診療医が必要に応じて、「正しい」専門医へ紹介するという制度を考えているようだ。持続可能性を言い換えると、医療費は削減するということだ。この提言の肝は、医療費削減政策である。総合診療医には、住民の一定数を割り当て、その報酬は定額制にする、という。これは、医療崩壊をきたした英国の制度にそっくりである。患者が医療機関を選べるフリーアクセスを維持すると述べているが、本音は違うだろう。現状であっても、国民は専門医志向が強く、様々な情報を得て、大病院・専門医にかかる傾向がある。この現状を、総合診療医をゲートキーパーとする制度に改めるためには、フリーアクセスは取りやめにせざるを得ないからだ。

この二昔、三昔前の英国風の制度にすると、確かに、医療費の削減は容易になることだろう。だが、そこで何が始まるかと言うと、現状を上回る医療の崩壊だ。総合診療医の診療予約をとるのに時間がかかり、専門医に容易に紹介してもらえない、紹介されたとしても数カ月、下手をすると一年以上待ちという状況になる。大多数の医師にとっては、やりがいが失われ、かなりの数が外国に仕事を求めて出てゆくことになるだろう。英国では、この医療崩壊から脱するために、ブレアー政権になって、結局大幅な医療費の増加を余儀なくされた。それを、河野氏らは繰り返そうとしているのだ。

また、この報告には詳述されていないが、介護の面でも、要介護度の低いケースは介護保険が使えぬことにするらしい。医療介護の地域包括ケアである。介護保険対象から外れる方々をどうするのか。介護保険が担ってきた介護を、地域のボランティアに担わせる積りらしい。地域でケアすると言えば聞こえが良いが、軽症要介護者のケアから行政・政府は撤退するということだ。

「正しい」医療や、「地域全体で」ケアする介護、そして医療介護を国民の手に、というスローガンは虚しい。診療報酬の出来高制によって、医療機関に設備投資のインセンティブを与えているという現状認識の乏しさ。そしてあたかも国民の立場にたったかのようでいて、結局、行政の描く医療介護体制に変えようというやり方が、どれほど欺瞞的なことか、政治家として恥を知るべきだ。政府は、これまでの失政によって、これまで通りの医療介護を提供できなくなった、故に今後は、これだけの医療介護しか提供できないと、謝罪の上、説明すべきだ。この中間とりまとめでも提言されている、70から74歳までの医療費自己負担が特例で1割負担になっていたものを、元来の2割負担に戻す決定を、「選挙後」まで先延ばしすることに、政府与党は決めたらしい。この有り様では、腰の据わった医療介護政策の改革などできるはずがない。

「脳性まひ児は、出産時陣痛促進剤を用いられている」という日本医療機能評価機構の報告 

今朝の朝日新聞朝刊に、日本医療機能評価機構による報告について報道されていた。脳性まひ児188名出産時の陣痛促進剤の使用に関する報告である。

調査した脳性まひ児のうち、3割の例で、陣痛促進剤が用いられ、その内77%が産婦人科学会のガイドラインを守っていなかった、という内容である。最後に、愛育病院の岡田崇院長によるコメントがある。それによると、脳性まひ児の出産にはリスクがあり、出産を促進させなければならないこともある、とのこと。これが正しい認識だと思うのだが、この記事は、陣痛促進剤が脳性まひの成因であると誤った方向に誘導する。

脳性まひ症例の大部分は、胎内で生じる問題であり(従って、出産方法の問題でないことが圧倒的に多く)、その出産にはリスクが伴い、場合によっては陣痛促進剤を用いざるを得ない。陣痛促進剤投与がまるで脳性まひの原因・誘因であるかのように報告する日本医療機能評価機構、または/かつそれを誤解されやすいように報道するマスコミは、間違っている。ガイドラインはあくまでガイドラインである。その指示を超すかどうかは、医療現場の裁量の範囲であることが多い。マスコミは、センセーショナルな内容でないと、記事にできないのだろう・・・それにしても、困ったことだ。

ところで、日本医療機能評価機構は、産科医療補償制度によって、巨大な内部留保を毎年貯めこんでいる。詳細はこちら。その詳細を公表しないばかりか、集める補償金の金額を下げようとしない。こうした組織に、産科医療現場の状況を把握できるはずがない。同機構は、最近、ラジオでこの補償制度のことを宣伝している。その宣伝曰く、脳性まひの成因を究明する由。このような報告を出しているところをみると、成因究明など彼らの手に余ることに違いない。こちらの一件も、マスコミには是非突っ込んで報道してもらいたい。が、金の有り余る天下り法人、それもマスコミに宣伝を流す法人であると、批判的には取り上げにくいのだろう。持ちつ持たれつ、という関係である。

FOC 75周年 

FOCが発足して75周年だそうで、今月中、その記念行事が行われている。詳細は良く知らないのだが、FOCメンバー、FOC特別局(サフィックスにFOCとつく局)と一定数交信すると、アワードが授与されるというもの。今月上旬から、それらの特別局、それにメンバーも活発に運用し始めている。

当初、この記念行事では、昔の思い出を共有する連中が出てきて、昔話をすることを、私は期待していた。が、今までのところ、特別局へのパイルごっこ、という言い方が悪ければ、パイル合戦を、皆で楽しんでいる様子だ。WまたはK*FOCという局が特にたくさん出ていて、何日かでそのコールを持ち回りで皆で運用しているらしい。日本だったら、さしずめ宅配便でリグと免許証を、次の運用者に送るところだろうが、米国では、そのような馬鹿げたことはなく、何日の午前0時から、誰それの順番ということで、途切れることなく運用されているようだ。

特別局へのパイルに参加しても、はじかれてしまうことも度々あり、それが理由と言うことではないが、あまり関心もなくなってしまった。毎週末開催される種々のコンテストが、異様な数に増えていることと、このFOCのパイルごっこも根は同じなのかもしれない。コミュニケートする道具としてのアマチュア無線は、過去のものとなり、一種のゲームとしての存在でしかなくなってしまったのかもしれない・・・という、私がいつも繰り返している結論にたどり着く。ま、楽しみ方は様々、他人の楽しみに異を唱えても仕方あるまい。

昨夜、CONDXがとても良く、14メガで北米が強力に入感していた。Rod K5BGBが、昔懐かしい美しいキーイングで呼んできてくれた。彼のことは以前にも何度か記しているが、1980年代に7メガの夕方に出没していた常連であり、さらに1988年私がFOCに入るときに、推薦者の一人になってくださった方でもある。私を推薦してくださった方は7、8名いたはずなのだが、覚えている範囲では、Rod以外に存命の方は、Chris G4BUEだけになってしまった。いずれにせよ、大切な友人・先輩のお一人である。

彼は、昔は、バーチカルを2エレのフェーズドアレーにして出ておられたが、数年前に引っ越してからは、屋根すれすれのOCF DPしか張れず、さらに通常5WのQRPでの運用になってしまったので、7メガでお目にかかることは殆どなくなってしまった。昨夜は、QRO 40Wで出ているとのことだった。奥様ともども元気にしておられること、仕事も継続している、テニスも現役で、シングルの試合でも3セット程度はできることなどを伺った。やはりダブルスの方が楽だけれどね、と言って、笑っておられた。現在71歳。近いうちに、トップローディングのバーチカルを7、10メガ用に作って試してみたいとのことだった。昔の交信仲間である、Tim VK3IMがモービルで使っていた、大きなトップハットにすると良いですねと話すと、「そうそう!」と受けていた。

Rodは、CWopsが発足した時に(またはその前だったか・・・)、FOCを去り、CWopsも彼の望むクラブではなかったと言って、1,2年で辞めてしまった。その経緯の詳細を尋ねたことはないが、今回のパイルごっこのFOCイベントを見てみると、同じようなことを彼も考えていたのではあるまいか、と考えてしまう。彼の音楽的ともいえるキーイングを聴きながら、何時までもお元気で無線や仕事、テニスに活躍なさってもらいたいものだと強く思った。きっとまたお目にかかれることがあるだろう・・・。私にとっては、パイルごっこよりは、こうした交信の方が比較にならぬほど重要なのだ。

庭仕事が続く 

相変わらず、雑草をとり、庭の一部を耕し、そこに植物・野菜を植える仕事を続けている。野菜では、ジャガイモ、トマト、スイカ、大根、うり等を植えた。農作業について、何も知らないので、ネットや書物で調べて、仕事を進めている。日差しが強く、1,2時間根を詰めて仕事をしていると、うっすらと汗をかき、皮膚が日焼けして痛くなる。すると、しばらく室内に戻り、休憩し、人心地つくとまた外に出るという生活だ。

昼は、うどん等簡単なもので済ます。午後3、4時になると、そろそろ夕食の支度・・・いやぁ、これは父親が20、30年ほど前にやっていたのと同じことをしていると、時々苦笑している。

世の中の喧騒や、自分の身分や出世、様々なしがらみから離れた静かで平和な時間が流れる。

椿の花。八重咲なので、西洋椿なのか・・・。

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家の東側にある、名称不詳の木。庭師さんの一人が、「神の木」と言っていたような・・・二階のベランダから。この季節に、ご覧のような見事な花が一面に咲く。

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