「土建国家」へ戻る道 

昨日、パートの仕事を終えて、日が大きく傾き始めた帰り道を自宅に向かって車を走らせた。ホッとするひと時。ラジオのニュースが、各省庁の概算要求を報じていた。どんどん予算の要求をするようにということらしい。要求予算額の伸びは、国土交通省が17%、厚労省は4%だ。ここから、財務省による査定があるとしても、ダントツの公共事業枠の伸びが見込まれるようだ。国債発行もさらに増加するのだろう。

過去数年間公共事業は、大きく削られてきたので、それが元に戻るだけということかもしれないが、元来日本の財政は、「土建国家」を想定しているものだ。現在読み進めている、井手英策著「日本財政 転換の指針」によれば、日本の財政は、他の先進国に比べて、受益と負担は共に低かった。即ち、元来小さな政府だった。企業による福祉と、女性の家庭内労働が、受益の低さをカバーしていた、という。その社会的な基盤が、「土建国家」なのだ。1980年代、世界各国は、公共事業を減らし、その分の予算を社会福祉等の国民のニーズに回してきた。一方、わが国は1990年代までむしろ公共事業を増やし続けてきた。国民の直接税による負担は、増やされていない。むしろ減税が繰り返されてきた。その財源は、公債の発行と、財投によって賄われてきた、ということだ。その結果、現在の膨大な国の赤字が積みあがっている。

井手氏の見解で、特に注目したのは、現在中間層の受益の実感が、もともと低かったものが、社会福祉の削減に伴い、ますます低下している、そのために、痛税感は増し、社会的弱者を守ろうとする連帯感が失われてしまった、社会の連帯が崩れてしまった、という指摘である。そして、1990年代以降繰り返された、政治家・官僚のスキャンダルもあり、彼らへの信頼が失われたのだ。

現在の財政状況は、増税を行わなければ、解決の方向に向かわないことは確実で、そのための消費税増税だったはずだが、政府はここにきてその施行を躊躇しているかのように見える。国家財政が傾き始めてから、増税を実施することが殆どできなかったのは、政治家がポピュリストだったからだと思っていたが、国民の側の問題でもあったのだ。国民が、受益を実感できず、政治家・官僚に信頼を寄せることができない、また社会保障の充実も社会的な連帯の失われた今、中間層には受け入れがたくなっている。生活保護バッシングを思い返せばよい。この国民の側の問題も突き詰めれば、政治の問題に戻るのだが、政治家をしてポピュリストたらしめたのは、国民が政治をそのように扱ってきたからなのかもしれない。

政治は、また土建国家への道に舞い戻ろうとしている。現在の社会制度、官僚制度では立ち行かず、「土建国家」のスキームはとうの昔に崩壊しているのに、戦後「土建国家」としての国家運営で一応の成功を収めた体験の残像が、政治家の頭の中にあるのだろうか。井手氏によれば、社会福祉の充実によって、中間層に受益を実感してもらい、社会的連帯を取り戻す(そうすることによって、さらなる税負担を国民が受け入れることができるようになる)ことが、行くべき道ということだが、確実に、それとは逆の道を歩んでいる。

この概算要求のニュースを聞いて、まだ落ちるところまで落ちないと分からないのか、とこころのなかで呟いた。

「実践 日本人の英語」 

マーク ピーターセン著「実践 日本人の英語」を読んだ。日本人が犯し易い英文法上の間違いを、具体例を挙げて説明している。以前紹介した「英文法をこわす」のような、日本の英文法教育への根本的なアンチテーゼではなく、従来の英文法の隙間を、分かりやすく具体例を挙げながら、説明している、というべきか。

冠詞、接続詞、仮定法、誤用されることの多い動詞、副詞等々について、いかにあやふやな知識であったか、またはそれらの使用方法について誤っていたか、改めて教えてくれる書物である。著者が英語教師として長年経験したことに裏付けられていることがよく分かる。この本を読むことで、日本語と英語の間にある、文法上のギャップを意識することになる。我々は往々にして、日本語の論理で英語表現をしがちである。だが、英語には、日本語と根本的に異なる論理構造がある。この書物の内容のように具体的に提示されることで、初めてそのギャップを意識しないでいたのかが分かる、ということだ。

この本で得られる個々の知識は、いつの間にか意識の外に抜け落ちてゆくのかもしれない。この英文法の論理を、いわば無意識化するほどに自分のものにすることで、具体的な作文、会話を行う状況で使えるようになるのだろう。

著者は、最近の学生は、会話は上達したが、読み書きの力が落ちていると述べている。会話も大切なのだが、お互いの思想や、主張をnative相手にしっかり表明するためには、読み書きが必須だ。会話力を偏重することのないようにしたいものだ。そうした英語表現を正確に分かりやすく洗練したものにする上で、この本の内容は大きな助けになる。

あとがきの前で、著者は、「良い英語」に多く接することにより、語彙を増やせ、そこで出会った英文の形を次第に自分のもととすることができると、述べている。いわば、英語の文法の血肉化ということだろうか。この点も、もう一度肝に銘じて、学んでゆきたいものだ。これまでの私の英語がかなり片言の英語になっていただろうことを反省し、さらに優れた英文に接して、英語の表現の背後にある論理を自分のものにしてゆきたいものだと感じた。、

「一定の病気」の診断書は、選択肢 

今春の道交法改正によって、「一定の病気にかかわる運転者対策」が、施行された。内容は、こちらでも過去に取り上げた。ここ

「一定の病気」の患者が、免許を取得する、ないし更新する場合に、地域の公安委員会に、「診断書」を提出することが求められる。

その診断書の書式は、氏名・生年月日・住所のほかに、病名と総合所見を記すようになっている。総合所見は、現病歴、現症、重症度、治療経過、治療状況を、数行で記す。

ついで、現時点の病状についての意見現時点での病状を踏まえた今後の見通しについての意見を記すようになっている。・・・が、両者ともに、既定の「選択肢」から選ぶようになっており、意見を記すことはできない

現時点の病状に関しては、残遺症状がないか、軽微である、または存在するが、運転に差支えないという選択肢であれば、運転は許可される。病状を踏まえると、安全運転に必要な能力を欠いているという選択肢の場合は、免許の発行、更新は、不可となるか、保留となるようだ。

安全運転が可能と判断されても、今後の見通しについての選択肢がある。安全な運転に必要な能力を欠くことになると思われる症状が、再発する恐れがない、またはある年数(これは医師が記載する)の間は、症状が再発する恐れはないと認められる場合は、免許が発行、更新されるようだ。

だが、一年以内に再発するおそれが否定できない、またはおそれが認められる場合は、免許の発行、更新は不可となるか、保留されるようだ。


現時点の症状についての判断も、個々の例では難しいだろう。特に、安全運転ができる、できないと、断言するのは難しい。

さらに問題なのが、今後の見通しについての判断だ。再発するおそれがない、などとは、全知全能の存在以外言えない。ましてや、ある一定期間再発するおそれがないと、一体誰が判断できるのだろうか

医学的な判断は、すべからく、確率的なものになる。「決して・・・ではない」、とか「絶対・・・である」とは言い切れぬのが、医学的な判断の特徴だ。このように断言する(既定の選択肢から選ぶこと)ことを、医師が強制されるとしたら、「症状再発のおそれがない、とは言えぬ」という選択肢を選ぶことしかできないのではあるまいか。

この「診断書」もどきの書式を作った役人は、物事がなにも分かっていない。これでは、医療現場に混乱を生じさせ、さらに患者には不利な「診断書」を医師は出さざるを得なくなる。その場合、医師患者関係が悪化する可能性が大きい。運転免許は生活上必須のことも多い。そうした患者は、病名をかくす、ないし治療自体を放棄してしまう可能性がある。後者の場合、交通安全対策とは逆の方向に働くのではないか。

さらに、診断書に病名も記すことになっているが、患者のプライバシーはしっかり守られるのだろうか。犯罪を犯したわけではないのに、病名を公安委員会に届け出るのは、人権侵害に当たらないのだろうか。

以前にも記したが、この「一定の病気」にかかる国民の人口は、数百万のオーダーになるはずだ。この制度によって、巻き起こされる混乱は、大きくなることだろう。このように硬直的な制度を作った役人の責任は、問われるべきだ。

亜急性期が新たに加えられる 

急性期の入院病床を急性期、亜急性期に「明確に」分けるという行政の方針が示された。結局、急性期病床の定義を厳しくして、そこに支払われる相対的に高額の診療報酬総額を引き下げようということのようだ。その変更内容は、次のようなことだ。

病床の機能分化を進めるため、7対1入院基本料の算定病院の役割を「複雑な病態を持つ急性期の患者に対し、高度な医療を提供すること」と定義、算定要件を厳しくする

亜急性期入院医療管理料の機能として、(1)急性期病床からの患者の受け入れ、(2)在宅等にいる患者の緊急時の受け入れ、(3)在宅への復帰支援――の3つを明示した。


急性期、亜急性期、回復期または在宅といった流れを、官僚は机の上で考えているようだ。しかし、このような一方向の流れに患者はのるものなのだろうか。もっと複雑な動きをするのではあるまいか。または、この単純な流れにのらない患者が大多数なのではないだろうか。

医療制度を観念的にとらえて、診療報酬上複雑にすればするほど、現場は混乱する。この数日報道されている、在宅医療等に係る不正についても、それにかかわる業者、医療機関に責任があるが、制度設計に問題があるのではないだろうか。上記の急性期・亜急性期の区分ができたら、そこでまた大きな混乱が生じる。

診療報酬制度はそうでなくても、複雑になり過ぎている。そこで、厚生局等の医療機関を「指導する」立場の官僚に、恣意的な判断が入りやすくなる。上記の亜急性期の定義も漠然としすぎており、その解釈でまた数十ページの解説書が必要になることだろう。

医療の「無駄」を省くということかもしれないが、医療は人々の暮らしに直結している。在宅医療への誘導ははたしてうまくいっているのだろうか。国際比較で入院病床が多すぎるからと言って、すぐさま病床削減に動くと、国民の生活が立ち行かなくなるのではないだろうか。この点も、官僚にあっては、観念先行で実験を行うことのないように願いたいものだ。

それに、医療から無駄を省くという無駄がどれほど残っているのか、疑問だ。

2013 ハムフェア 

上京するのに、えんやこらと腰を上げなくてはならなくなったのだが、リタイアして社会性を保たねばという思いもあり、ハムフェアに出かけた。モノレールは、浜松町という思い込みがあり、浜松町まで山手線を乗ってしまった。ゆりかもめは、新橋発であった・・・。

少し遅れたが、まずはJA1KIH、ついでJJ1RZG両氏と対面。お二人ともにお元気そう。ついで、JA7WTH、JA1IKA両氏も登場。そこに、JA3EGZ氏も昼食に参加されるとのこと。40分後に再び集まることにして、いったん解散。ざっと会場を見て回った。何人か知った顔を見かけたが、挨拶したのは、JK7UST、さらにK6RB、JE1TRVの諸氏。

ビッグサイトのレストラン、さらには、喫茶店に移動して、上記五名の方々と、実に5時間にわたって、昼食、コーヒーを頂きながら、歓談。JA1KIH氏の活動ぶりには圧倒された。JA1IKA氏とは初対面だったが、しっかりした見識をお持ちで、無線と音楽に造詣が深い。欧米での駐在経験もおありになる様子。JA7WTH氏も同業の先輩にあたる方だが、昨年カムバックして、CWへの熱意を持っておられる様子が若々しい。JJ1RZG氏も、30年前と比べるとやはり年相応になられたが、若々しい。古いリグを使い込んでおられる様子。

SDRについて話題に上った。私は殆ど知らないシステムなのだが、デジタル信号をPCに入れて、ソフトによって無線機を構成するものらしい。これまでの無線機と同等以上の性能が安価に得られるとのお話しだった。CW受信の歪が少ないのではないかとのことだったが、帰宅後WB6BEEに聞いたところでは、彼がダウンロードして試みたSDRでは、受信音はあまり良くなかった、とのこと。いずれにせよ、今後発展するシステムなのだろう。

最後まで残った、JA1IKA、JA1KIH両氏とゆりかもめの駅でお別れし、帰宅。参加された皆様にはお礼申し上げたい。

昼食時、左から、私、JA1IKA、JA7WTH、JA1KIH、JA3EGZ、JJ1RZG。

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ブログ主への連絡先アドレス 

は、以下の通りです。

nuttycellist2006アット(アットマークに変換)yahoo.co.jp

以前アップしたアドレスは誤りでした。失礼いたしました。昼食会関連でメールを下さった方で、まだ私と連絡が取れていない方がいらっしゃいましたら、上記アドレスまでご連絡ください。

院外処方の評価に関する研究 

日医総研の研究者が、上記のタイトルの論文記している。こちら

院外処方を誘導するために、院外処方の診療報酬が、いかに優遇されてきたかが、一目瞭然である。院外処方優遇が、固定されてしまっている。

社会的公平性、効率性の観点から、この院外処方優遇は止める時期に来ているのではないだろうか。院外処方の診療報酬が医師の診察料を越えていることは、以前から公正さを欠くと思ってきた。患者にとっても、院内処方の方が、便利かつ安価である。

幸せな開業医人生だった 

自分の仕事を辞めて、少しセンチメンタルになっているのかもしれないが、開業していた時、患児とそのご家族は、まるで自分の家族のようだったと改めて思う。パートの仕事では、一見さんが多くて、何か知識と経験を切り売りしているような気分に襲われる。パートの仕事帰り、少し横道に入って、昔の仕事場の近くのスーパーに行くことがある。昔の仕事の帰り道、そのスーパーで買い物をして良く帰ったものだった。何かほっと落ち着くのである。

昨日も夕方、少し遠回りをして、そのスーパーに足を運んだ。出入り口のすぐ近くに、お母さんと娘さんの親子連れがいて、お母さんは、コピー機で何かをコピーしている風情だった。ほっそりとしたお母さんで、髪をひっつめにし、いつも忙しそうにしておられる方だった。エンジニアとして働いておられ、はきはきと受け答えされる方だった。娘さんは、まだ2,3歳で、来院するようになってしばらくは、診察室に入るとたんに、大きな目に涙を浮かべ、診察をしようとすると大泣きし始めるのだった。しばらくすると、鳴れて、とてもかわいらしい、こぼれるような笑顔を見せてくれるようになった。もう小学生低学年になる姉もいたはずだが、家で留守番をしているのだろうか、そこにはいなかった。ふっと挨拶をしてみようかという気持ちになったが、いやいや、もう医師患者関係はなくなっているのだし、ご迷惑だろうと考え、数メートルの距離を置いてちょっと立ち止まって、お二人の姿を目に焼き付けてから、そこを立ち去った。

あのような患児とご家族を相手とする仕事を17年間続けることができたのは、本当に恵まれていたことだと改めて思った。しかし、その生活は過去のものになった。新たな生活に踏み出すことだ。夕食にする、冷やし中華と、黒ビールを買って、夕やみに覆われ始めた、昔懐かしい畑道を自宅に急いだ。

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自宅の庭のコスモス。

ハムフェアでの昼食会について 

以前ご案内した通り、25日ハムフェアでJJ1RZG関谷さんとともに昼食を頂こうかと考えています。その案内に記したメールアドレスでは、こちらと連絡が取れなかったとのコメントを頂きました。このブログ発言へのコメントをブログ主だけに読めるようにして、メルアドをお教えください。そこに連絡をさせて頂きます。無線関係以外の方も歓迎します。

訂正

先にアップした連絡先アドレスに誤りがありました。正しくは

nuttycellist2006アット(アットマークに変換)yahoo.co.jp

でした。

ホワイトカラーエグゼンプション再び 

藻谷浩介著「デフレの正体」によれば、労働生産性とは、企業の生み出す付加価値額を、労働者数で割ったものだそうだ。

付加価値とは、企業の利益に、事業で用いたコストの一部(人件費・貸借料のように地元に落とすコスト)を加えたもの。企業がGDPの増大に寄与する度合いと考えてよいらしい。

これまで20年間、企業は、労働者数を減らし、非正規雇用を増やし、その一方、人件費を減らし続けてきた。それによって、企業利益を最大化し、ステークホルダーへ還元し、場合によっては、企業買収に明け暮れてきた。それが企業サイドで長期的にみてデフレに傾けさせる要因になっていた。最大の要因は、藻谷氏によると、ベビーブーマー世代が現役労働人口から引退し、需要を生み出さないようになることなのだが、この企業の近視眼的な利益最大化策が、現実には労働生産性を上げず、さらに賃金の引き下げによって、需要を低下させてきた。

ここで、ホワイトカラーエグゼンプションの再来である。労働者の裁量によって、労働時間を自由に変えられるという触れ込みは、麗しいが、現実は、時間外労働への対価を支払わないこと、そのコストを企業利益に付け替えることがこの制度の目的なのは明らかである。企業競争力を改善する一環として打ちだされている施策であることからも、そうとしか読めない。

とすると、この施策は、賃金の実質的な引き下げ策であり、企業の生み出す付加価値を下げることによって、労働生産性を引き下げ、デフレを進行させる方向に働く。

法人税減税やら、輸出企業優遇策等々、これでもかというほどに、大企業・輸出企業に手厚くし、その上にホワイトカラーエグゼンプションの導入である。恐らく、この制度も試験的導入となっているが、いずれホワイトカラー全体に広げられるのだろう。医師の労働についても、適用されることだろう。

需要が減少したためのデフレ状況下で、適切な施策なのだろうか。さらに、これまで保護されてきた労働者の権利をこのように剥奪することが許されるのか。


以下、引用~~~

労働時間規制に特例 一部企業で実験導入 年収800万円超

記事:共同通信社
13/08/14

 政府が、一定水準以上の年収がある人には週40時間が上限といった労働時間の規制を適用しない「ホワイトカラー・エグゼンプション(労働時間の規制除外制度)」の実験的な導入を、一部の企業に特例的に認める方向で検討していることが14日、分かった。

 年収で800万円を超えるような大企業の課長級以上の社員を想定しており、時間外労働に対する残業代は支払わない上、休日、深夜勤務での割り増しなどはない。仕事の繁閑に応じて自分の判断で働き方を柔軟に調整できるようにし、成果を上げやすくする狙いがある。

 経済産業省によると、トヨタ自動車や三菱重工業など数社が導入を検討しているという。ただ、労働界からは長時間労働を助長するとの反発も予想される。

 経産省は、今秋の臨時国会に提出予定の「産業競争力強化法案」に、先進的な技術開発などに取り組む企業に対し、規制緩和を特例的に認める「企業実証特例制度」の創設を盛り込む方針だ。特例制度の一環で、労働時間規制の適用除外の実験的な導入も認める。

 法案の成立後、年内にも導入を希望する企業からの申請を正式に受け付け、早ければ2014年度にも実施する。実際に適用する場合は、本人の同意や労使合意も必要となる。

 労働基準法では労働時間の上限を1日8時間、週40時間と定めており、これを超えると残業代の支払いが義務付けられている。休日や深夜の勤務に対しては賃金の割り増しもある。

 現行制度でもデザイナーなどの専門職や企画職を対象に、実際の労働時間とは関係なく、一定時間働いたとみなして固定給を支払う「裁量労働制」がある。ただこの制度も、休日、深夜の割り増しは発生する。

 これに対し、特例の制度では労働時間ではなく、成果に応じて給与を定める。経産省は成果を上げればまとめて休むこともでき、生産性向上につながるとしている。

雑感 

最近感じたこと

非常勤の仕事先で、5歳位の子に点滴が入れられなかった。常勤の先生(40歳台)に入れて頂いた。判断力はまだまだあると思っているが、現役を退くことを考えなくてはいけないかと考えた。

第三のビールというものを初めて呑んでみた。悪くはないが、コクがない。やはり、いつものビールかな・・・。

カリフォルニアの友人が、プラムとスイカをカラスに食べられてしまったと嘆いていた。何処も同じだと、同情しつつ、少しほっとした。網を張らないと、ね。

Jim N3BBの書いた小説「Reunion」半分くらいまでようやく読み進めた。informalな言葉を使った表現が多く、現用の英英辞典にも載っていない語彙が結構出てくる。何か深い主題を突き詰めるというよりも、10代の彼自身の経験を書きつらねている様子。それだけにvividで面白い。Jimと東京ハムフェアで落ち合ってお目にかかったのが、もう十年くらい前か。あの後退職し、その後この小説を書き続けていたわけだ・・・。

あぁ、チェロに触っていないな・・・多少投げてしまったところもある。やはり楽器をやるのは若い時期か・・・。

というわけで、アサヒのドライブラックを呑みつつ・・・。

集団的自衛権で求められるもの 

小野寺防衛大臣が、集団的自衛権を行使したとしても、海外派兵に「つながらない」と述べた。それを報じる記事が下記の文章だが、これだけからすると、集団的自衛権を行使すべき事件が起きた時に、適宜判断するということであり、海外派兵をすることも当然ありうるわけだ。

集団的自衛権を行使すれば、その敵対勢力からは敵と見なされ、直接日本、自衛隊が攻撃されることになる。米国と軍事同盟を結んでいた韓国は、ベトナム戦争に派兵し、2万人の死者をだしたこと(従って、それに準じるような犠牲者を、日本も出す可能性があること)、さらに当面の「敵対勢力」になると思われるイスラム原理主義者達から、日本自体がテロの明確な対象になりうることを、よく知っておくべきだ。防衛省、政府が、しばしば述べる、北朝鮮から米国本土へのミサイルを日本が迎撃するために、集団的自衛権を必要とするという議論は、集団的自衛権の範囲を矮小化している。

以下、引用開始~~

海外派兵につながらずと防衛相

2013年8月17日(土)10時35分配信 共同通信

 小野寺防衛相は17日、集団的自衛権の憲法解釈見直しをめぐり、行使を容認した場合でも武力行使を目的にした自衛隊の海外派兵にはつながらないとの認識を示した。TBS番組で「決して他国に武力行使に行くことはない」と言明。他国から要請があっても「自発的に(集団的自衛権を行使)できる、できないと判断する」と述べた。憲法解釈見直しに向けては「日本の代わりに対応してくれる米艦船を守るという議論は大切だ」と語った。

以上、引用終わり~~~

集団的自衛権の及ぶ範囲が、対テロの戦いで全世界に及ぶことは、下記のオバマ大統領、それに担当閣僚の談話・声明からも明らかだろう。要するに、米国は「安全保障条約」の対価として、対テロ戦争で、金だけでなく、血を流すことを要求しているのだ。

以下、引用開始~~~

日米安保改定50周年のオバマ大統領談話

本日、我々はこの重要な同盟の半世紀をたたえる。この同盟は、共有する価値観と、平和と安全保障を追求する共通の国益のうえに築かれた。それは両国民と社会の間の不変の絆きずなを反映している。日本の安全保障に対する米国の関与は揺るがない。共通課題に取り組む我々の協力は、両国の世界とのかかわりの重要部分である。両国をつなぐ絆を築いてきた無数の米国人と日本人に敬意を表するとともに、我々は彼らが築いた発展の基盤の上にさらに積み上げる決意で未来に向かっていく。

同じ時の日米外務防衛閣僚 共同声明

日本及び米国は、国際テロに対する戦いにおいて緊密に協力することも決意している。

Frank PA4N 

早朝、暑さで目が覚めてしまった。この二、三日、夜間大分涼しくなって、もう初秋間近かと期待していたのだが、そうは問屋が卸さないらしい。

起き出して、シャックへ。14メガが澄み切ったように静かで、ヨーロッパの局がフラッターを伴いながら安定して入感している。信号強度はあまりない。Frank PA4Nが呼んできてくれた。アムステルダムの近傍に住む45歳のプログラマー。DX、コンテストそれにラグチューと、何でもこなす、有力な若手のオペレーターだ。

つい先日、5週間のトレッキングから帰宅したばかりとのことだった。ドイツのConstanceから、イタリーのVeronaまで600kmを歩きとおしたらしい。途中、3000m級のアルプスの峠を越えたようだ。Marielleという恋人、それにKX1を携えての、旅行だ。途中で、KX1を用いて、たくさん交信もしたが、日本とはつながらなかったと言っていた。

彼らの歩いた道、E-5というルートの地図をファイルにして送ってくれた。一日25から30km歩いたとこともなげに仰るが、やはり体力が相当なければできないことだ。でも、きっとアルプスの山々を望み、涼しい道を歩いたのだろう。さすがに、これほどの長距離のトレッキングをする人々は少ないらしい。

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北イタリア、そしてアルプスと聞いて、Primo Leviのことを思い出した。それを言うと、聞いたことがある名前だが、よく分からない、と・・・。

来夏、もしかしたらドイツを訪れることを考えていると言うと、是非Friedrichschafenで開かれるハムフェアに時期を合わせて来るようにと勧められた。彼も、その集まりに参加する積りらしい。ConstanceからみてBoden湖を挟む対岸に、同地はある。ドイツへの旅行、少し具体的に検討してみようか・・・。

68回目の終戦記念日に 

今朝、何時もより少し早く自宅を出て、仕事場に車を走らせた。いつも込み合う幹線道路に車が少ない。あぁ、お盆休みで、仕事に向かう人が少ないのだ、とほどなく気が付いた。だが、ラジオのアナウンサーが「終戦記念日」であることを言うまで、「終戦記念日」であることを失念していた。普段、あの戦争のことを考えることが決して少ないとは言えない私でも、この記念日を忘れてしまっている。いかに、仕事に急ぐ日であったとはいえ、苦笑してしまった。私は、戦後生まれであるし、戦争の惨禍を直接知るものではない。戦争の記憶にリアリティがあるわけではない。だが、大切なこととして考え、記憶しなければならないと思い続けてきた。その私が、この有り様だ。現在社会の中核で働いている方々にしてみると、戦争の記憶ではなく、この20年来続くデフレと、自然災害、そして隣国との摩擦に意識が向くのも仕方ないことなのかもしれない。

数日前、米国の友人が、メールをくれた。彼の父親が、ボーイング社の爆撃機であった「エノラゲイ」を原爆装着できるように改造することに携わったこと、その計画がどのような惨禍を広島市の市民に及ぼすか知らされていなかったとはいえ、戦後、原爆投下計画に参画したことで悩んでおられた様子だったことを、淡々と綴ってこられた。そして、このことをどう思うか、との質問が記されていた。私が、英語のブログで、次のような記事をアップしたことに関係して、彼は、この重たい記憶を私に書いてよこしたようだった。

私の記事の要旨は、日本国民は、戦争末期に徴用され、手ひどい被害をこうむったために、自らを戦争の犠牲者の立場にだけ置き、戦争責任をしっかり議論してこなかった、そのために、日本が侵略を周囲の国々に起こしたことの議論はされず、ただ戦争によって受けた被害のみが思い出されるのではないか、ということだ。これは、前のポストでも触れた、加藤洋子・佐高信「戦争と日本人」から教えられたことである。終戦(ではなく本来は敗戦であるが)記念日の前後で、マスコミ等が報じるのは、日本国民が、あの戦争によってどれだけ傷つけられたか、ということだけだ。以前から、私は、それは片手落ちの議論ではないか、と思い続けてきた。日本国民は被害者であると同時に、侵略の担い手でもあったのであり、それを正視せずにいるから、戦争責任の総括ができないのではないか、と思い続けてきた。

メールをくれた米国の友人には、あの原爆投下は倫理的には非難されるべきことだと思うが、その意味については歴史家が明らかにすることだろう、父上は、戦後亡くなるまでの間、こころのなかに重いものを抱き続けていたのであり、もうそのことはそれで良いのではないだろうか、あの広島の悲劇を繰り返さぬためにも、我々は被害者であると同時に加害者でもあった過去を総括すべきなのではないかと考える、と返信した。

こう記すと自虐史観ではないかというレッテルが張られそうだが、日本国民も戦争を促し、率先して関与していった歴史がある。戦争の被害者としてだけ自己認識するのは間違いではないか、と感じている。

8月25日ハムフェア会場でJJ1RZGさんを囲み昼食を 

無線の面で、それに小児科医として先輩にあたる、JJ1RZG Shunさんを囲み、ハムフェア会場またはその近傍で昼食をとりたいと考えています。無線関係以外の方でも歓迎します。このブログに訪れてくださっている方で、ブログ主を見てみたいという方も歓迎。おそらく少人数の集まりになります。お気軽にどうぞ。

日時 

8月25日日曜日 午前10時(実際には、10、15分遅れます・・・
変な時間設定ですが、恐らく10時半頃まで、下記の参集場所
に留まっていると思います)

場所 

晴海 ハムフェア開場 JARLブース
集合後、どこかに移動

連絡先 

nuttycellist2006あっと(アットマークに変換してください)yahoo.ne.jp
連絡方法をお教えします。

  
 

海洋汚染を米国の友人に尋ねられた 

昨日、4月以来の交信をした Bob W7BVが、話の途中で突然福島からの放射性物質の汚染で影響を受けていないかと尋ねてきた。海への汚染が続いていることが念頭にあるらしい。太平洋を越えて、北米沿岸にも汚染が広がるのではないか、という心配もあるようだ。最近明らかにされた、この海洋汚染については、他の米国の友人からも質問され、彼は、それについての新聞記事を送ってもくれた。

地下水が毎日400トン冷却水に混じってくみ上げられていたことは以前からわかっていたことだから、当然、同じように海に汚染された地下水が流れ出していることは、当局と東電は分かっていたはずだ。ところが、当初、汚染水は流れ出していない、その後、分からないという説明を彼らは繰り返してきた。ここに意図的な隠ぺいのにおいをかぎ、彼ら米国の友人たちは敏感に反応しているのだろう。

現在、土を凍らせて、地下水流入、排出を止めることを考えているらしいが、月の単位で時間がかかる。また、その冷凍を続けるために、莫大な電力が必要になるらしい。これほど大規模に、その工法が用いられたことはなく、上手くいくかどうかは分からないようだ。

海への汚染が続けば、漁獲類への汚染も続く。汚染が最大になって、1,2年のタイムラグを置いて、漁獲類への汚染が最大になるとのことだ。また、海側ではなく、陸地側への汚染の進行はどうなのだろうか。メルトダウンした核燃料が、何らかの形で地下水脈と接している可能性はあるのではないか。核燃料が取り出せなければ、まさにチャイナシンドロームの現出になる。

この事故は、我々だけでなく、いやそれよりもさらに深刻に次の世代への重荷になることが明らかになりつつある。安全な原発再稼働等あり得ない。

この海洋汚染の問題が、重大な問題なのに、マスコミにあまり取り上げられていないこと、またその問題が初めて公にされたのが参議院選挙直後であったこと等を考えると、どうもマスコミが報道規制をしているように思える。情報が隠ぺいされているとすると、これまでも地に落ちていた政府当局・東電への信頼はみじんもなくなることだろう。米国の友人たちの方が、本当に心配しているように思えたのは、考えてみると、かなり深刻なことだ。

Hartmut DK2SC 再び  

過日、14メガで、Hartmut DK2SCに久しぶりにお目にかかった。お元気そうで、私と会えたことで興奮していると、喜びようを表現してくださった。私も、昔変わらぬ彼のキーイングを耳にして、懐かしさで一杯であった。

彼は、家族のなかで大きな変化があった様子。だが、今の環境でとても幸せだと言っていた。私がヨーロッパ、とりわけドイツを訪れたいと言っていたことを覚えていてくれて、もうドイツには来てしまったのか、と尋ねられた。いや、まだで、でも来夏あたりに訪ねてみたいと答えたら、是非に彼の家に来るように、とのお誘いを頂いた。ベッドルームが二つ空いているから、と。家人が、知り合いのところにお邪魔することにあまり気乗りしないので、恐らくホテルに泊まることになると思うと言うと、hotel is somethingだが、我が家に来て泊まれと繰り返し親切に言ってくださった。計画を立てるときには、彼の住む地域も外せない・・・。

彼は、二度脳出血を起こしたのだが、現在杖をついて4km程度は歩けるほどに回復しているそうだ。良い医師に巡り合い、脳出血の原因(誘因)が、睡眠時無呼吸症候群にあるのではないかと言われ、現在CPAPを用いて休んでいるらしい。おかげでよく眠れ、体調も良いとのことだ。この話題の際に、以前palsyがあったと思うが、と話しを向けると、その意味がよく分からない、と彼は言う。彼は、以前から、話が通じないと、からなる分からないからもっと説明してくれと、率直に言うのである。以前半身が動きにくかったのではないか、それを言っていると説明し、理解して頂けた。電信の速度も速いと、それは私には早すぎると率直に仰る。これはなかなか真似のできぬことだ。理解できぬこと、早すぎてとれぬことは、彼の責任ではない。こちらが対応すべきことだ。だから、そうしたことをCONDXの所為にしたりしないで、素直に語ることは、とても好感が持てるし、会話を続ける意欲がさらに増すことになる。よくビギナーの方で、取れぬことを恥ずかしく思うのか、無理な口実を仰る方がいるが、そうすると会話はぷつっと切れてしまう。その取れないストレスをものともせず、会話を進めようと努力することが大切なのだと感じる。私も含めて、良く肝に銘じておきたいことだ。

DXに明け暮れていた1990年代、彼が9X/DK2SCで電波を出しているのを早朝の7メガで耳にした時は、とても感激したものだった。その後、9X5HGとして何度も交信させて頂いた。あれからもう20年近くなる。あの当時から、ラグチューの好きなところは変わらないHartmut。是非、近いうちにお目にかかりに行きたいものだ。

K先生 

大学卒業後、こちら北関東の大学の附属病院で研修をさせて頂いた。学生時代、本の上で勉強していたことと、医師になって実際に患児に接する臨床とは大きな違いがある。患児一人一人が、それなりの人生と、病気の経過とを負って、入院してくるのだ。新しい発見と、出会いの連続だった。

その初期研修で先輩の方々によく教えて頂いた。脳波所見の取り方を、一対一で丁寧に教えてくださったのが、K先生だった。当時40歳前後でいらっしたか、小柄でいつも笑顔を絶やさぬ優しい方であった。外来が終わり、静かになった外来の一室に、予め提示され、自分なりに所見をとった脳波を持って行き、K先生に所見の添削を受けるのだ。週に一度程度、半年ほど続いただろうか、今考えると、お忙しい中、よく教えてくださったと思う。その後、神経を専門にすることはなかったが、脳波を一応読めるようになったのは先生のおかげだった。

K先生は、私が大学を去るのと前後して、そう遠くない公的な施設に移られたことは知っていた。そちらでご活躍なさっているのだろうと思いつつ、ご無沙汰を続けてしまっていた。先日、ネットで彼女の名前を検索し、重度身体障碍者の施設の施設長を、さほど遠くない施設でなさっていることを知った。理事長もなさっておられるので、自ら設立なさったのだろう。昭和の終わりに設立された施設とあるので、公的な施設に移ってから、それほど時間の経たないうちに、ご自身で開設なさったのだろうか。施設名、それに施設の運営方針などから、カソリックの信仰によって立つ施設のようだ。もう80歳前後になっておられるのではないだろうか。

私の医師人生を思い返すと、彼女のように親切にご指導くださった先生方のことが何人となく思い起こされる。人としての繋がりの上に、技術や考え方が伝えられるという消息なのだろうと改めて思った。

ここで余計なことを一言記すが、現在、官僚が進めている、医師を統括し、人事を掌握しようとする試みは、失敗に帰することだろう。官僚が作ったそうした制度には、魂が入らないというべきか、先輩医師との人格的な繋がりが期待できないからだ。旧態依然とした医局制度を持ち上げる積りはないが、臨床医学の伝承には、人から人へ手渡すように伝えられるものがあるのだと思う。官僚には、それを制度化することはできまい。

K先生がお元気なうちに一度お目にかかりに行きたいものだ。

一時的なユーフォリア 

内閣府は、今後10年間、3%の経済成長を続けても、国の借金は減らないと述べた。それ以下の経済成長になることが予測されるが、その場合は、国の借金は増え続ける。

アベノミクスと、それらしく呼ばれている、金を刷りまくる政策は、もう先が見えている。一時的なユーフォリアの後に、それまで以上に厳しい状況が待ち受けている。この麻薬による酩酊のような状況に、一時的に国民は酔わされているだけだ。

以下、引用~~~

国の借金、初の1千兆円

2013年8月9日(金)15時4分配信 共同通信

 財務省は9日、国債と借入金、政府短期証券を合計した国(政府)の借金が、ことし6月末時点で1008兆6281億円となり、初めて1千兆円の大台を突破したと発表した。3月末時点と比べ、17兆270億円増えた。安倍政権発足後に決定した大型の緊急経済対策に加え、東日本大震災の被災地復興支援などで、国債の増発を続けたため借金の残高が大きく膨らんだ。

やられた・・・ 

今朝、小さな畑の見回りをしたら、丁度熟れたスイカが一つ、未成熟なものが二つ、ポッカリとわれており、一部が食われているのを見つけた。恐らく、カラスの仕業だろう。

そろそろ網をかけなければと思っていたのだが、先にやられてしまった。でも、未熟なものまで割って行かなくても良いだろうに。以前の君たちの祖先は、熟れたものだけを見分けて食べて行ったものだが・・・。

カラスにしてみたら、旨そうな餌が地面にころがっていると思ったのだろう。

種から発芽させ、ようやく実が大きくなるまで成長させてきたのに、ガックリである。発芽したときの驚きにも似た喜び。そして、受粉が上手くいった時の嬉しさ・・・蔦が絡まぬように、そして下草を猛暑のなか刈り、実が大きくなったら、その下に藁を敷き、念入りに手入れしてきたスイカたち。

カラスの立場も分からぬでもないが、今後は、カラスに付けいれられぬように万全の態勢で臨まなくてはならないな。世知辛い世の中ではある・・・。

医療事故の法的責任追及は、再発防止とは相いれない 

医療事故の再発防止、ないし不幸な転機をとった症例に関わる取り組みは、以前から医療現場では行われてきた。それは、起きた事象の原因を、すべての可能性にわたって検討し、将来に同じことを繰り返さぬためのものである。こうした方が良かったかもしれない、という徹底した議論になる。

一方、裁判の場で問題になるのは、過去の責任の所在だ。責任を明らかにし、それに対し処罰を加えるのだ。責任が存在することを言うためには、何事かを決める際に、当事者に選択の自由があることが前提になる。医療現場では、様々な判断を下す際に、患者情報がすべてわかっているわけではなく、また確率的に流動的に変化する生体に対応する。ある事象が起きてから、それに対する責任を追及することはできない、構造になっている。それを、徹底した後ろ向きの視点からの責任追及を裁判の場で行うことはなじまない。

故意に犯罪的医療を行ったケースを除き、医療における再発防止策の検討は、裁判の溯上に載せられるべきではない。下記の記事で、WHOのガイドラインが述べているのは、そうしたことなのだろう。

ところが、相変わらず、行政は、医療事故再発防止調査の資料を裁判に用いることに積極的である。これは、一部の患者・医療訴訟専門の弁護士への気兼ねがあるのかもしれないが、行政が、今後目指すと言われる、産科医療補償制度を範とした、医療事故補償制度のために、医療事故再発調査制度に法的な権威づけが必要なためではないのだろうか。官僚が、世界的な医療の趨勢を知らないはずがない。WHOのガイドラインを無視してまで、法的責任追及に結びつく医療事故再発防止調査制度を作ろうとしているのは、そうとしか思えない。

法的責任追及に直結する再発防止とは、それ自体が矛盾であり、一旦そんな制度が持ち込まれたら、医療全体が崩壊する。官僚が、自らの利権のためにそれを画策しているとしたら、決して許されることではない。


以下、MRICより引用~~~

医療安全に関する訴訟使用制限の院内規則

この原稿は月刊集中7月末日発売号より転載です。

井上法律事務所 弁護士
井上 清成

2013年8月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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1. 医療安全推進に対する訴訟の脅威
医療の現場では、医療安全を推進する試みが定着した。医療安全管理委員会での議論、インシデントリポートの提出、院内の事故調査委員会の開催などで、医療事故の再発防止策が積み重ねられている。
ところが、これら医療安全の内部資料が訴訟で使われかねない。医療に対する不信を強く持つ人々が、情報開示や証拠保全や文書提出命令などのありとあらゆる手続を使って、責任追及に利用しようと試みている。
残念ながら、厚生労働省は医療安全を推進すると言いながら、「医療安全活動の内部資料が訴訟に使用されてはならない」という原則に対しては前向きでない。現に、医療事故調査報告書に関して、厚労省医政局の吉岡総務課長(2013年5月29日当時)は5月29日の医療事故調「検討部会終了後、記者団に対し『(訴訟では)あらゆるものを証拠にすることができ、最終的に裁判所の判断になるので、(報告書の訴訟使用制限は)できない』との見解を示した。」(日本医事新報4650号〈2013年6月8日号〉6頁「調査報告書の訴訟使用制限なし」より引用)
このままでは、医療安全を推進しようとすればするほど、訴訟で使用されて責任追及され、医療者は自らで自らの首を絞めかねない。医療安全推進に対する訴訟の脅威が高まっているのが現状であろう。

2. 訴訟使用制限の院内規則
民事訴訟における事実の確定方法に関する当事者間の合意を、法律用語では証拠契約と呼ぶ。その1つとして、一定の証拠方法を提出しないと約束する契約がある。法律用語では、「証拠方法契約」とか「証拠制限契約」という。
この証拠制限契約(証拠方法契約)の有効性は、一般に承認されている。たとえば、証拠制限契約に反して、患者遺族側から訴訟で院内事故調査報告書が申し出られたとしたならば、裁判所はその報告書の証拠申出を却下することになろう。
つまり、院内規則で証拠制限条項を定めて院内掲示をしていたとしたら、原則として、その証拠制限規則は証拠制限「契約」として有効性が認められる。たとえば、院内事故調査報告書やインシデントリポートの証拠保全が申し立てられても、証拠申出がなされても、いずれも訴訟には使用できないとして却下されることになろう。
院内規則さえ制定すれば、訴訟使用制限をできるのである。つまり、厚労省の「訴訟使用制限はできない」との見解は、法的には正しくない

3. 院内規則のモデル文例
一般に法律家は、「医療安全活動の内部資料に訴訟使用禁止のための証拠制限契約を結びたいのだが?」と問われると、一様に言葉を濁す。その理由は、本音では訴訟使用制限を導入したくないからか、または、先例を見たことがないのでなじまないからである。
確かに、患者被害者側の弁護士や学者は訴訟使用制限を導入したくないから、否定的であろう。また、我が国では先例に乏しいのも事実であるので、なじまずに消極的となる医療系の弁護士や学者も多い。しかし、先例の有無に関わらず、医療安全活動の活発化のため、その内部資料に訴訟使用制限が必要なことは異論が無かろう。
そこで、たとえば、四病協の1つである日本医療法人協会は、院内医療事故調査委員会に関連して、院内規則のモデル文例を公表した。その該当箇所を抜粋すると、
「この委員会の調査・議論等の一切は、いずれも本院内部のためだけのものであり、患者とその家族を含め本院の外部に開示するものではない。ただし、調査及び科学的原因分析の結論のみは、患者とその家族に開示する。本院の関係者個人に対して民事・刑事・懲戒いずれの外部的責任の追及のためにも、使われてはならない。」
「この委員会の目的・免責はいずれも本院来院の患者及びその家族の承諾を得ているものであり、その一切は本院も患者とその家族も民事訴訟法第2編第4章に定める証拠とすることができない。」
といったものである。1つの先例モデルとしてよいと思う。

4. 正当化根拠はWHOガイドライン
証拠制限契約の導入に否定的な意見もある。1つは、医療者への責任追及に障害となることを本音とするものであるが、それはさすがに何をか言わんや、といったところであろう。もう1つは、透明性向上の動きに逆行するというものであるが、この点は、証拠制限イコール改ざん・隠ぺいといった誤解に基づくもののように思われる。
そもそも医療安全に関する証拠制限契約の積極的な正当化根拠は、WHOガイドラインに由来すると言ってよい。特に、ここに明示されている「非懲罰性」と「秘匿性」が重要であろう。
WHOガイドライン(「患者安全のための世界同盟 有害事象の報告・学習システムのためのWHOドラフトガイドライン 情報分析から実のある行動へ」監訳・一般社団法人日本救急医学会と中島和江 へるす出版)の「第6章 成功する報告システムの特性」(同書45頁以下)に明示されている。「非懲罰性」では、「報告書とその事例にかかわった他の人々のいずれについても、報告したために罰せられることがあってはなりません」と明示され、「秘匿性」では、「医療機関のレベルにおいては、訴訟で使われ得るような公開される情報は作成しないことで秘匿性を保ちます」と明示された。
これらWHOガイドラインのドラフト(草案)を院内規則化することによって、ルール(規範)に高めることができるのである。証拠制限契約というルールの正当化根拠は、WHOガイドラインというドラフトに存すると言ってもよいであろう。
実際、たとえば医療事故調については、厚労省とりまとめ(5月29日)だけを除き、四病協(1月)も日病協(2月)も全国医学部長病院長会議(5月)も日本医師会(6月)もいずれも、その取りまとめでこのWHOガイドラインの順守を提言しているのである。

ナチスに倣う 

麻生財務大臣の「ナチスに倣え」発言、全文書き起こした文章をよく読んでみたが、良く意味が分からない。最後の、ナチスの改憲の手口に倣え、という言葉は、ジョークであるのかもしれない。が、改憲の議論にからませて言って良いジョークとそうでないものがある。それ以上に、あのような意味不明の発言をする人物を、主要閣僚の椅子に座らせておいて良いのか、それが問題だ。

この舌禍に対する政府の反応は早く、麻生氏に発言を撤回させた。また、マスコミによる批判にも何らかの事前の手配をしたのだろうか。マスコミの多くが、この問題を正面立って取り上げていないように見える。静かに憲法議論をしようという呼びかけだ、と麻生氏に異様に好意的な対応をしているテレビ番組もあった。私には、このマスコミの対応の方が、大きな問題のような気がする。

そして、安倍首相は、「政府がナチスを肯定することは絶対ない」と述べたと伝えられている。ナチスに倣う等と政府・首相が述べるとすると、全世界から総スカンである。そんなことはありえないし、さすがの安倍首相も、そこまでは考えていないのかもしれない。でも、ナチスのやり方、議会での可決の方法をまず変えて、その後全権委任法という政府の権力を絶対化する法律を通したやり方に、安倍首相はすでに学んでいるのではないか、という節もある。

例の憲法96条をまず変えて、改憲条件を緩める、というやり方がそれであり、また集団的自衛権を閣議決定するために内閣法制局長官を挿げ替えるというやり方もそうだ。憲法なり、法律解釈なりを自らに都合よく運ぶための条件を変えるのは、まさにナチス的な手法ではないか。

自民党の憲法草案をじっくり読むと、天皇制を国体と仰ぐ全体主義国家像が見えてくる。その点では、麻生財務大臣は、意味不明な表現だったが、真っ正直に本音を漏らしたのかもしれない。

今も続く危機 

東電福島第一原発に、地下水が侵入し、毎日400トンの汚染水を生じている。それをタンクに詰めてしのいできた。そのタンクを作るスペースも残り少ない。さらに、地下水脈を通して、海に汚染水が流れ出している。それを食い止めるために、海との境の土を固化した。すると、地下水の水位が上昇し始めたと、今朝の新聞に報じられていた。あと3週間ほどで、地下水が地表に溢れだす予測らしい。

すると、原発地表全面が今まで以上に汚染され、さらに汚染水にまみれて廃炉作業を進めなくてはならなくなる。また、地表を伝わるより多くの汚染水が海に流れ出すことになるのではないだろうか。原発の廃炉は遅れても仕方ないかもしれないが、汚染が進むと、炉の冷却が十分できなくなる恐れがある。冷却ができなくなると、核燃料が露出、高温となり、核燃料とコンクリートとの相互反応から莫大な放射性物質放出を生じる可能性がある。保管されている4000本以上の使用済み核燃料が、そのような状態になると、半径250kmの地域で避難が必要になる。そうした予測が、事故直後、原子力委員会委員長によってなされている。東北、関東のほぼ全域が、避難の対象になる。一旦、そのような事態になれば、住んでいた地域に数十年以上戻ることはできない。そうなると、実際上、日本という国家の存亡がかかってくる。そのリスクは、まだ隣り合わせにあるのだ。危機を煽るつもりは毛頭ないが、これが実相なのではあるまいか。

以前、廃炉への工程表が公表され、それにそって順調に廃炉が進んでいるかのように政府は公表していたが、それは大きな間違いである。地下水が汚染を拡大し、それによって海がさらに汚染されるという汚染の拡大の構図が明らかになって来た。メルトダウンが起きた時点で、これは予測されたことでもある。2011年暮れに、この事故の終結を宣言した、時の野田首相には責任がある。

自民党が野党であったときに、事故当時の菅政権、菅首相をあたかも事故を起こした、または拡大させた張本人であるかのように非難していた。いわく、事故直後菅首相が現場に飛んだことにより、混乱を助長した、また海水の注入を官邸が遅らせた云々である。それらは、故意に流されたデマか、少なくとも、現場と官邸・対策本部との意思疎通がうまく機能していなかったことによる。重大事故が起きることが想定されておらず、起きた際の連絡・対処の方法・システムが準備されておらず、それに必要な専門家がいなかったことが根本的な問題だ。原発安全神話に乗って、毎年一基から二基の原発を作り続けてきた、そして重大事故を見据えた備えをしてこなかったのは、自民党政権だったのではないのか。

現政権は、「安全第一に」他の原発の再稼働を進める意向のようだ。まるで、福島で今進行しつつある危機は、他の原発の稼働とは別な物事であるかのようだ。安全を第一に、というスローガンが空しい。彼らは、これまでの原発政策の責任を全く感じていないようだ。東電福島第一原発の事故の延長に、第二、第三の事故は起きうる。上に述べたように、廃炉への道筋は全くついていない。むしろ汚染の拡大はこれから進みそうな気配だ。すでに、東電には3兆円程の公的資金が投入されている。原発周囲の方々への補償は、これからで、また廃炉作業は全く先が見えないのに、である。汚染の拡大と、廃炉費用負担は、これからも国民に重くのしかかる。この事故を政争の具として扱い、自らの取ってきた原発政策への反省が全く見られぬ自民党に、これからの廃炉に向けた作業が担えるか、大きな疑問だ。

今行うべきことは二つ

汚染拡大作業・廃炉作業に国を挙げて注力すること

他の原子炉の再稼働は止める、廃炉にすること

国の進むべき方向を誤らせた、このような施策がなぜ是正されることがなかったのかも、是非国民が考えるべきことなのだろう。

仕事を辞めること 

昨夜、7メガでSteve W7QCとお会いした。すでに何度も記しているが、彼はマイクロソフトのプログラマーを長い間して、その後契約の仕事に切り替え、最近完全にリタイアした方だ。仕事の話になり、私は、収入をある程度確保するために、それに、より重要なことなのだが、現場を離れると医師としての技術が失われるのではないかという思いで、パートの仕事を辞められぬと言った。

Steveも同様に考えていたとのことだった。エンジニアの方は、結構抵抗がなく、リタイア時に仕事をスパッと辞められるように感じていたので、意外な反応だった。彼も、プログラミングの技術がさび付くのが怖かったが、いざ辞めてみると、自分の楽しみでいろいろと弄れるので、そうした寂しさはないとのことだった。

エンジニアは、モノを対象にする仕事で、こういうと語弊があるかもしれないが、モノと相対する関係は、容易に他の人に変わりうる。医師は、生身の人間を相手とする。その関係は、患者さんにとっても医師にとっても、容易に変更が効かない側面がある。医師が医療現場を離れると、それと同じような経験をさせてくれるところはない。また、患者さんが苦しみ悩むのを、科学的な目で見つめ寄り添う、そしえ良くなったら、ともに喜ぶのが医師の仕事であり、醍醐味だ。それを実現するために、どれだけの努力を払ってきたか、自慢に聞こえてしまうかもしれないが、私の人生の大半をそれに費やしてきた。それから離れるというのは、さびしいことではある。

エンジニアとしての立場からだが、Steveにはこうした気持ちを理解してもらえたような気がした。彼も、仕事を辞めるときには葛藤があったのだろう。お互いのこころのなかで共感が生まれたことを、彼の言葉から感じることができた。私も、何か同行者を見出した思いだった。

彼は、兄弟の住むアイダホに向けて、交信後、車で出かける、ということだった。愛猫のマークも一緒に。アイダホで生まれ、育ち、大学まで出たと言っていた。彼がよくアイダホにでかけるのは、そのためだったのか・・・。

パートの仕事は、忙しくはなく、スタッフも友好的で、仕事がしやすい。だが、あれでは、まず赤字である。それに、患者さんの大半は一見さんで、開業当時のようにお互いによく知りあうことはまずない。その内に、切り上げることも考えねばなるまい。

Steveは、CONDXが良くないので、最近は無線にあまり出ていなかったとのことだった。CQを出しても応答がない、と。CONDXもあるのかもしれないが、昔通りの交信を楽しむ連中が減ってきているのが、実相ではないだろうか。私が、たまたま彼の出てきた周波数で受信し続けていたので、彼のCQに気が付いたと言うと、呼んでくれて嬉しかった、私は7メガのmainstayだ、との言葉。これは面はゆい感じもしたが、ワッチを続けて、彼のような方が出てきたら、呼ぶことを続けることが大切だと改めて感じた。

今頃、マークをキャリーに載せた彼のピックアップは、ワシントンからアイダホに向けての山の中を走っていることだろう・・・。