Bob W7BV 再び 

7メガが、夕方めっきり静かになってきた。雷のノイズが減っているためだ。先日、日が沈むころ、その7メガでCQを出した。普段は応答がないのが普通なのだが、その時は、Bob W7BVが呼んでくれた。あちらの時刻は午前1時半。目が覚めてしまい、眠れないので、無線機のスイッチを入れたということだ。

彼は、本来この時期大阪で行われる学会に招待されて、日本に来ることになっていたそうだ。私にも連絡しようとしていた矢先、家族の問題が生じて、キャンセルをせざるをえなくなったとのことだ。彼は、リタイアしてもう2年位経つのではなかったか。また、ライフワークにしていた、肝臓の構造を調べる研究に実際に携わらなくなって、それ以上経つのではないだろうか。それなのに、まだこうして学会にお呼びがかかるのは素晴らしいことだ、と申し上げた。

実際に実験に手を染めなくなってから時間が経つが、今でも、日本、オーストラリア、ノールウェイそれに国内の施設から研究の助言を求められることが度々あるのだ、と彼は言っていた。学問的な業績、それに彼の教室で研究をした研究者から慕われてのことなのだろう。素晴らしいことだ、とp改めて申し上げた。

以前にも彼に同じことを愚痴ったことがあったのだが、私も免疫の分野で研究を続けたかった、研究者の端くれに連なりたかったとまた彼に言った。すると、彼は臨床の仕事をして患者さんに相対したかったと、思いがけぬことを言ってきた。考えてみるに、これは、彼の本心だったのだろうが、一方、人生の終わりに差し掛かって、夢を達成できなかったという思いは、だれにでもあるものだ、と私に諭したかったのかもしれない。彼は、そうとはあからさまに言わなかったが、人生を終えようとするときに、自らの人生を送れたことに感謝すべきなのではないかと言いたかったのかもしれない。

最近、私がかってお世話になった慶応大学の須田教授の研究業績をざっと読ませて頂いたことがあった。血液幹細胞の分化を決定づける因子としてのニッチ(昔、微小環境といっていたものか)にかかわる研究を進められたようだ。また、幹細胞は、嫌気的な解糖系をエネルギー源としていることも明らかにされたらしい。それを思い出して、肝臓では幹細胞はどうなっているのかをBobに尋ねた。肝臓でも幹細胞はあり、ニッチが重要な役割をしていること、また免疫系も関与することを教えてくれた。この話題になると、俄然目がさえた様子だったことに接し、彼はやはり研究者だったのだなと改めて感じた。この幹細胞の話題は、当然悪性腫瘍の根本的な特徴にもかかわることで、自らを複製し続け、さらに機能的に分化するという二面的な性格を持つ幹細胞の重要性が注目されていることを改めて知った。

Bobには、また日本に来る機会も近いうちにあるだろうから、また我が家を訪れてもらいたいと申し上げた。彼はぜひそうしたいと言って、ベッドに戻って行った。交信を終えたときには、こちらもとっぷりと日が暮れていた。

通行人さん 

自分の考えに一致するvideo clipをペタッと貼って、それを見ろと言うのは、コメントではなく、それこそプロパガンダだ。

私の発言に対して、どの部分がどうして違うと思うのかを、根拠を示して明確に述べるのが、コメンテーターの義務ではないか。

ご自身の考えの開陳は、自分でブログを開いてやりたまえ。人のふんどしで相撲を取らないように。

ネットで何がしかの言論活動をするならば、その程度のことはわきまえて頂きたい。

ま、この発言は不要だとは思ったが、念のため。

どうしたら、この結論になるのか?運転免許の病気申告の制度 

一体どうして、行政の検査を受ければ安心して運転ができるだの、ましてや、この制度で事故が減ったと断言できるのか、大きな疑問だ。

この制度導入で、本当に事故が減るのかどうか、しっかり検証してもらいたい。

新聞記者も、行政の言うことをただ載せるのではなく、批判的に検証しないと、ね。

そこはかとなく、精神疾患への偏見の臭いのする行政の施策だ。


以下、引用~~~


病気で免停・取り消し激増…茨城

記事:読売新聞

 てんかんや認知症など運転に支障をきたす病気が理由の運転免許の停止・取り消し処分が昨年だけで77件に上り、3年前の1件から激増している。

 てんかん患者らによる死傷事故の続発や持病を隠した免許の取得・更新に対する懲役刑の新設を受け、茨城県警の「運転適性相談」を訪れるドライバーが倍増したことや県警がドライバーの病状把握に積極的に乗り出したためとみられる。

 県警運転管理課によると、てんかんや認知症、統合失調症、睡眠障害などの病気を原因とする昨年の免許取り消し処分は33件(前年比29件増)で、停止処分は44件(同27件増)だった。今年も8月末現在で、既に取り消し39件、停止38件と前年を上回るハイペースだ。2010年は取り消し1件のみ、08年には停止と合わせてもゼロだった。

 処分が急増した背景には、栃木県鹿沼市で、てんかん発作を起こしたクレーン車の運転手による児童6人死亡事故(11年4月)や、水戸市で、低血糖で意識障害に陥った男の車が車列に突っ込んだ3人死亡、4人軽傷の事故(同8月)、京都市でてんかんの持病がある男の車が暴走し、死者7人、重軽傷者12人を出した事故(12年4月)がある。

 県警は02年、持病や身体に障害がある人に免許取得や運転技能に関する助言を行う無料の「運転適性相談」を免許センター内に開設。相談件数は年間400-600件で推移してきたが、11年に783件、12年は1564件と急増。特にてんかん関連の相談は11年が89件、12年は280件と増えている。

 相談で異状があった場合、身体機能や精神状態などを調べる「臨時適性検査」に移され、免許保有の可否を判断される。また、県警は交通違反者や事故当事者などへの聞き取りも強化。言動に違和感があった場合は適性相談や専門医への受診を強く勧め、検査対象者の早期発見につながっている。

 同課は「他県の事故を聞いて、『怖くなった』『自分の能力を確認したい』と相談に来る人が多く、事故防止に効果が出ている」としている。

 今年6月には意識障害の有無や発作歴などを偽った免許の取得・更新に「1年以下の懲役または30万円以下の罰金」を科す改正道路交通法が成立。だが、持病があっても医師の診断次第で運転は可能だ。同課は「検査で『問題なし』と判断されれば安心して運転できる。少しでも病状や体調に不安を感じたらすぐに相談してほしい」としている。

法人税減税と引き換えに、社会福祉は後退 

特別養護老人ホーム入所待機者は、40万人を超えるという。最近、厚労省は、「すぐに入所が必要なのは、その1割だ」というアンケート調査の結果を公表した。だが、その調査を読むと、アンケート返答率が3割程度であり、回答した集団に偏りがある可能性がある。また設問の仕方・・・たとえば、「将来入所を希望するか」といった設問では、「将来」という時期の捉え方があいまいになる。結果先にありきの調査と言われても仕方あるまい。

1年後には入所を希望する人々が12万人程度おり、上記アンケートが実施されてから1年経った現在は、厚労省のアンケート調査が正しいとしても、現在、16万人の入所待機者がいることになる。

地域によっても、高齢化率に大きな差があり、大都市圏で高齢化の進展が著しい。今夜のNHK「クローズアップ現代」で、東京での入所待機者は、入所可能人数よりも一桁多いことを報じていた。大都市圏から、介護医療の崩壊に突き進む可能性が高い。

下記の記事に示される通り、要介護支援1、2度は、保険給付の対象から外される。この措置によって、介護サービスを受けられなくなる高齢者も多く出ることだろう。

厚労省は、かって在宅介護を唱えていたが、最近は、地域で支える介護というスローガンに変更している。その一方で、入院病床は減らす積りだ。結局、患者を自宅に戻し、地域で何とかしてもらいたいというのが、彼らの本音である。

安倍首相は、法人税減税をどうしても実施する積りらしい。小泉構造改革により、企業は、大きな恩恵を受け、給与水準を引き下げ、内部留保を増やし続けてきた。一方、社会保険の事業主負担と法人税を合わせた、企業の公的負担はOECD平均を下回っている。

この状況で、何故に法人税減税なのだろうか。

政府は社会福祉医療への国の予算は、今後大幅に抑制する方針を出している。この高齢者対策が待ったなしなのにである。国民は、そのための増税であれば、受け入れるはずだ。しかし、社会福祉への財政処置は、二の次になっている。

結局、現政権にとって、法人税減税の方が、社会保障の充実よりも大切なのだ。その痛みを国民はすぐに知ることになるのだろう。


以下、引用~~~


生きづらい社会でいいのか


 社会保障制度改革国民会議の最終報告を受けて、安倍政権は介護、医療、年金、保育の諸制度を改変する手順を、8月21日に閣議決定した。秋の臨時国会に「プログラム法案」として提出される。詳細は右表に示した通りであるが、社会保障の全面的な改悪であり、人が人らしく生きられる社会が、また遠くなる


 介護保険では要支援1・2に該当する150万人を保険給付から外して地域自治体とボランティア活動に委ね、要介護1・2の人は施設から締め出すという方針が示された。利用料の引き上げも実施される。介護予防、介護の社会化を進めてきた努力が強力に押し戻されることになった。家族を介護するために離職する人が増加すれば、経済的困窮が表面化する恐れもある。しかし生活保護の認定は、門前払いする体制が固められつつある。


 医療では病床数の削減を意図する「病床の機能分化」が進められ、70~74歳の医療費窓口負担を2割に引き上げるという。失業と低賃金のために国民所得が減少するなかで、必要な医療を受けられない人が増加する恐れがある。消費増税が行われれば、受診抑制はさらに進むだろう。


 国民健康保険(国保)の運営を都道府県に移管することにも大きな問題がある。国保の加入者は中小企業の社員、高齢者、非正規労働者、失業者、疾病による退職者を含む無職者などであるが有病率が高く、年収に対する国保料の負担率が無慈悲なほどに高い


 国保加入世帯の平均所得はおよそ147万円、課税標準額が約114万円であるが、東京都の場合でも国保料は15万円を超えている。年収300万円で4人家族のモデル世帯なら、国保料は東京都で約35万円(世帯所得比約18%)、最高額の函館市なら47万円(世帯所得比24.8%)にもなる。


 団塊の世代が後期高齢者に移行する2025年に向けて医療需要の増加が想定されている。国保の運営を地方任せにすれば、財政的な破綻を免れないだろう。国の責任を減らし続けてきた方針を改め、国庫補助率を引き上げることが先決だ。  年金については、支給額の機械的な削減が盛り込まれた。過去の世代を支えてきた高齢者への年金を減らすばかりでなく、やがて高齢者になる現役世代の年金も減ることになる。社会不安は増大するばかりだ。「持続可能な社会保障」はどこにも存在しなくなる。


 保育の分野では、保育士資格の軽視、保育所の施設要件の大幅な緩和、株式会社の参入などが盛り込まれた。小児の事故死は2歳以下に多く、精神面では「三つ子の魂百まで」とも言われ、幼少時の環境は大切である。この時期を無資格者、不適切な環境、営利企業などに委ねることには不安を禁じ得ない。未来を担う小児は国の宝である。


 国際競争力を強化するためと称して企業減税が繰り返され、税収は消費税に転嫁されてきた。しかしリストラと非正規労働化により国民総所得が減少し、国税収入は最近の20年間に20兆円も減少した。企業が繁栄すれば国が栄えるという話(トリクルダウンセオリー)は誤りであった。企業には応分の社会的費用の負担と、正当な給与の支払いを求めるべきだ。そして社会的弱者に負担の大きい消費税は廃止し、まともな福祉政策を実現しなければならない。


(『東京保険医新聞』2013年9月15日号掲載)

レセプトデータの民間利用を強力に推進するらしい 

レセプトとは、医療機関が医療保険の保険者に対して出す医療費の請求書のことだ。各患者一人に一つのレセプトが作成される。一旦支払基金が、それを受け取り、事務的な誤り等がないかを確認して、その後保険者に回す。保険者が、その内容を了承すれば、医療費が医療機関に支払われる仕組みになっている。レセプトは、個人情報満載である。どのような病気にかかり、治療はかくかく云々を受け、その結果どのような経過を辿ったが、が一応分かるようになっている。

レセプトの電算化が行われ、それが義務化されたのはつい2年程前のことではなかったか。この電算化に要するコストは医療機関持ちであった。その時に、行政は、レセプトデータは、診療報酬支払以外には使わないと言っていたはずである。

すでに、レセプトデータが、院外薬局の薬剤レセプトと照合され、病名が行政の決めた適応症に合わない、といったことで、医療機関の請求はバッサリ切られ、薬局へ支払われた診療報酬も医療機関の持ち出しとなるようになっている。医療機関にとって、極めて不利なシステムが、いつの間にか動き出しているのだ。

さらに、レセプトデータを、「民間組織」に利用してもらおうという動きがある。厚労省保険局総務課が、レセプトデータを民間組織に開放するための説明会を開いたらしい。その説明会に参加した「民間組織」のうち、実際にデータの利用をしたのが、1/3に過ぎないとして、同課は、積極的活用に向けた方策を提案し、最新の海外の動向調査や、実際の利用者や辞退者、現状では応募できない民間組織へのヒアリングまで行うということだ。

行政が、レセプトデータの民間利用にこれほど熱心なのは、これまでのいきさつを知る立場からすると、異様である。その理由は何なのか?

政府の「規制緩和推進」の方針に沿った動きと言えるのかもしれないが、利用しない民間組織へのしつこいまでの対応は、それだけではなさそうだ。

恐らく、レセプトデータは無償提供ではなく、有償になるのだろう。その収入が大したことはないとしても、この重要なデータを管理、分配する新たな組織が必要になり、そこで利権が生じるのではあるまいか。レセプトデータは、自動的に集まるデータであり、安定した利権が生まれることになる。

レセプトデータが経済活性化に用いられるならばよいではないか、という意見も聞こえてきそうだ。それほど単純なことではない。最初に述べた通り、このデータには極めて貴重な個人データが含まれる。例えば、保険会社は、各個人の既往歴、現病等の生のデータが喉から手が出るほど欲しいはずだ。保険会社は、リスクの大きい個人とは保険契約を結ばないで済めば、利益は増大する。そうした個人情報の漏えいが起きないと言えるのだろうか。電子媒体ベースのデータが漏えいしたら、それを元に戻すことはできない。そうしたあからさまな個人情報の漏えいまで行かずとも、データの利用が、国民にとって不利益をもたらす可能性は大きい。そうした問題に対応する法律の整備もなされていないらしい。

社会保険庁で個人情報が如何にいい加減に扱われたかを思い返す必要がある。

レセプトは診療報酬請求以外には用いないという、行政の甘言を素直に信じる医師達もナイーブ過ぎた・・・医師会上層部は、行政の言いなりになっているのかもしれない。

四国遍路 

2007年に、遍路についてアップした。こちら。遍路をする人々の白装束の意味も知らなかった私だが、年々遍路旅をする人々の気持ちが、より理解できるようになってきたような気がする。

辰濃和男著「四国遍路」(岩波新書)を読んだ。ジャーナリスト出身の著者が、実際に遍路旅をした経験と、それにまつわる思索とを記した本である。遍路旅は、昔は、修業、故郷を追われた身の上、ないしは病をえたことで出ることが多かったようだ。白装束は、行き倒れになっても良いようにとの配慮だったわけだ。近年は、自分を探すために、そして生きる力を得るために、遍路旅にでる人々が増えている、という。

この書物で紹介される、遍路旅で出会った人々のエピソード、それに、遍路の人々を接待する土地の人々との出会いのエピソード、いずれをとっても、こころにぐっとくる。とくに、180ページからの「1哭く」と題する、ヤクザ上がりの男との出会いは涙なしには読めない。あのヤクザ上がりの男とは、まさに自分の姿ではないか、と思えてくる。遍路道が悉く破壊され、コンクリートの道路に置き換えられているさまには心が痛むが、ところどころで著者は昔ながらの遍路道を歩く。そして、雄大な自然に抱かれる。遍路の札所になっている寺院、そこの僧侶の人々は、仏教が生きていることを教えてくれるかのようだ。70歳を過ぎての遍路は、肉体的には厳しいものだろうが、そうした遍路で得られるものは大きなものがあるのだろう。

我々の先祖が残してくれた精神的な遺産の一つ、といえるのかもしれない。

いつか、そう遠くない将来に、遍路の旅に出たいものだと改めて感じた。

画像は、86番札所補陀落山志度寺近くの瀬戸内海。今年の冬撮ったもの。

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消費税増税分が法人税の財源にされる 

来春から消費税増税が行われることはほぼ確実になったようだ。それに伴い、経済界は、法人税を引き下げを主張している。政府は復興財源のための企業の税負担を前倒しでなくし、さらに設備投資減税を実施するつもりらしい。安倍首相は、法人税本体の減税にも強い意欲を持っていると報じられている。

消費税増税分のかなりの部分が、企業への減税の財源に回されそうな気配だ。これでは、何のための消費税増税になるのだろうか。

企業は、小泉構造改革により、内部留保を280兆円ため込んでいる。その内部留保を使って設備投資をしてもらおうという、政府の目論見だそうだ。が、需要が減少しつつある日本経済にあって積極的な設備投資をする意味があるのだろうか。問題は供給側ではなく、需要の減少にある。法人税減税に伴い、企業が何に資金を用いるか、政府税調専門家委員会資料では、内部留保の積み増しと借入金の返済に当てると答えた企業が、それぞれ25.6%、16.8%だったそうだ(井手英策著「日本財政 転換の指針」)。給与増額を上げたのは15.5%だった。企業は、国内での需要減を見込んで、内部留保を増やすことに専念するのだろう。設備投資には回らない。小泉構造改革の時代に、内部留保の積み増しと並行して行われたのが、従業員給与の引き下げと、非正規雇用の増加という労働形態の不安定化だった。

企業減税が行われても、企業はこれまで通り、内部留保の積み増しを行うことは明らかである。内部留保は、株主配当闘によって、一部の富裕層へ還流されるのみだ。企業減税が、経済刺激策になるというのは、大きな誤りだ。

そもそも、企業の公的負担(法人税と社会保障量事業主負担を合わせたもの)について国際比較すると、日本はOECD参加国の平均を下回っている(出所は上記の著作)。法人税は確かにやや高めであるが、社会保障料事業主負担が、主な先進国に格段に少ないのだ。法人税だけを取り上げて、国際的にみて高すぎるというのは、企業側の論理でしかない。

高齢化、人口減少社会にあって、これまでの土建国家のスキームでは、国が成り立ち行かない。税制度の変革は、国の形を変えるための方策だったはずだが、現政権の行おうとしていることは、これまでの延長でしかない。現政府は、法人税減税に消費税を回し、公共事業のために国債を刷りまくり、その一方、社会保障のための費用は、自然増を抑制する意向だ。国民の負担を増やし、受益も確実に実現することによって、社会の信頼を増すこと、安心をもたらすことこそが、政府の行うべきことなのではないのか。

国民は政府に否というべきなのだが、その声はあまり聞こえない。

週末の夕食 その34 

このジャンルのポストを、しばらくしていなかったが、引き続き食事(夕食)の大部分は、私が作り続けている。少しマンネリ気味ではあるのだが、外食したり、出来合いのものを食べるよりはマシというところか。

今年の夏野菜、トマトがどういうわけか不作だった。ミニトマトは、結構生ったのだが、普通のトマトが、早い時期に割れてしまうのだ。何か病気だったのか、それとも異常な暑さの所為だったのかは分からない。あまり採れなかったトマトの苗木を抜き取る作業をしていて、米国の友人が、青いトマトをフライにして食べろ、と言っていたことを思い出した。

未成熟の青いトマトを幾つか確保。今夜は天ぷらだ、と買い物に出かけた。新しいサラダオイルを手に入れ、新鮮そうなサンマも買い込んだ。

買い置きの天ぷら粉で衣を準備、しばらくぶりの天ぷらである。

少し緑がかった丸いのがトマト。後は、さつまいもと少量のオクラ。トマトは、甘みとわずかな酸っぱさがあり、旨みも出ている。トマトの天ぷらと聞いた時には、かなり疑心暗鬼であったが、二人の友人が勧めるだけのことはある。

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サンマの天ぷらもなかなか。甘みが出て旨い。ほくほくした食べ心地。

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たまには天ぷらも良いものだ。

地震による破壊が先だったのではないか? 

東電福島第一原発事故の原因は、想定外の津波による全電源喪失だということに何となくされてしまっているようだ。だが、石橋克彦編「原発を終わらせる」(岩波神輿)によれば、地震によって配管に損傷が起きたことが、最初の出来事だった可能性がある、という。少なくとも、まだ結論を出すべきではない。原子炉の状態が十分調査できて、初めて原因に迫ることができる。また、事故当時現場におられた方々の証言も大切なのではないだろうか。下記の神戸新聞の記事は、事故当時作業員をなさっていた方の証言であり、当時の様子を生々しく伝えている。こうした方々の証言をきちんと記録し、事故原因究明に生かすべきだろう。

原子力規制委員会の安全審査では、原子炉直下に活断層が走っているかどうかだけが注目されているが、それもおかしな話だ。活断層の有無を確実に知る方法はないだろうし、それが直下になくても激烈な地震による揺れに襲われる可能性は極めて大きい。地震多発地帯のわが国が、現在地殻活動期に入ったとされている。そこで、この証言者の言う通り老朽化した原発を動かすことには、大きな危険が伴う。

なし崩し的に、原発再稼働に踏み切ることは許されない。

以下、Leoさん経由、神戸新聞の記事より引用~~~

福島第一原発事故が起きたとき、1号機内部にいて、今年8月にがんで亡くなった元作業員の木下聡さん(65)の証言は次の通り。

 ‐事故当時の様子は

 あの日は午後から、1号機で定期検査のための足場を組む作業をしていた。1階には私と同僚の2人。4階に元請けと協力会社の4、5人がいた。

 最初の揺れはそれほどでもなかった。だが2回目はすごかった。床にはいつくばった。

 配管は昔のアンカーボルトを使っているから、揺すられると隙間ができる。ああ、危ないと思ったら案の定、無数の配管やケーブルのトレーが天井からばさばさ落ちてきた。落ちてくるなんてもんじゃない。当たらなかったのが不思議。

 4階にいた人たちは水が大量にゴーと襲ってきたと言っていた。それが使用済み燃料プールからなのか、非常用復水器が壊れたからなのか、そのときは分からなかった。

 皆で集合して、1号機から脱出した。地震が起きてどれぐらいだったかな。必死だったからはっきりしないけど、10分ぐらいじゃないかな。

 途中の様子も恐ろしかった。タンクはぼこぼこ倒れてるし、潮が引いていて、これは津波が来ると思った。沖のテトラポットがむきだしになっていた。敷地内にある元請けの事務所に戻り、装備品を返して、まとまった班から解散になった。

 正門を出た。いつもなら浜側の道を通るが、陥没していたから、山側の道を行った。あのまま浜の道を通っていたら、津波にやられとった。

 東電は「全電源喪失と地震の揺れは無関係」と言っているが、そんなのあり得ない。謙虚に検証する姿勢がないと、安全神話が復活する

 そもそも、運転開始から40年になる1号機の老朽化はすごかった。重要器具は定期検査で交換するが、周辺の装置はそのままだ。追加、追加でどんどん配管を増やし、耐火構造にするために防火剤を塗りつけるから、重量は半端じゃなかった。設計基準を大幅に超えていたはずだ

 建屋のコンクリートも相当劣化していた。インパクトドライバーを当てると分かる。ずぶずぶと刺さって、粉は真っ白。鉄筋をモルタルで塗り固めるときもクレーンで流し込むだけ。本来はバイブレーターを使うが、竹の棒で突っつくだけ。施工はひどいものだった。だから水素爆発で粉々に吹き飛んだ。

 ‐東電への思いは

 ずっと世話になったが、今は言っていることの半分も信用できない。事故後の対応については新聞をずっと切り抜いている。「4号機の建屋、問題なし」という記事があるが、そんなのうそっぱちだ。あれだけ揺れて「問題なし」だなんて。

 事故後の対応は全てメーカー任せだった。正常に作動していればメルトダウンを防げた可能性がある非常用復水器(緊急時に原子炉の蒸気で冷却)も、当直の社員は使い方を知らなかったって言うんだから。当直の人は、中央制御室の操作はできても、せっかくの冷却装置を使えない。訓練もしていなかったって言うんだから、恐ろしい話だ。現場にいた私らに明確な指示があれば、対応できたはずなのに。

 3月には仮設の配電盤にネズミが入って停電する事故があった。侵入を防ぐ初歩的な施工ができていない。熟練した作業員が線量オーバーで入れなくなっているから。今後も事故は起きるだろう

 人生のほとんどを原発に捧げてきたのに、情けない。のんびり暮らそうとした途端、病気が分かった。体力は元気なときの10分の1になって、ペンも持てなくなった。

 だけど、簡単には死ねない。納得できない。俺は俺で、じたばたして生きてみせる。

(聞き手・木村信行)

『知覚から喜びへ』 

PNASの最近号で面白い総説を見つけた。

Robert J. Zatorre et al:
From perception to pleasure
PNAS Jun 18 2013 vol110 Suppl 2 10430-10437

という論文。音楽を聴く際、音楽を知覚し、それが喜びを生むまでのプロセスを、神経科学的に論じた内容だ。

抄訳の抄訳程度になるが、ざっと紹介しよう。そして、その内容に対する感想などを記したい。

『音楽は、人間社会にあって、先史時代から存在し続けてきた。著者らは、4万年前に用いられていたと思われる、ハゲタカの骨でできた横笛を、その例証として紹介している。音楽がそうして存在した理由は、音楽が、感情の表出と調節に関わり、喜びをもたらしてきたからだろう、と言う。音のパターンの認識から、喜びと言う反応がどのように生じるのかについて、認識神経科学的知見を提示しよう。

まず、著者等は、音のパターンを変換し、その記憶を保持する、大脳皮質聴覚領野の回路が存在することをを見出した。側頭葉聴覚領野と、前頭葉の間の皮質間回路は、作業記憶における音楽情報の記憶を維持するし、さらに音楽での構造的な規則性を認識することうで、重要な働きをしている。それらの機能は、音楽を聴く際の予測を生み出す。

大脳辺縁系が、音楽を聴く際の、報償の感情、動機付け、そして喜びに関わるという知見がある。このドーパミン作動系が、音楽における喜びを生じさせている。音楽を聴く際に生まれる報償の感情は、nucleus accumbens(側座核)の活動性により知ることができる。nucleus accumbensが、機能的に側頭葉聴覚領野と、前頭葉の回路と強く接続することによって、報償の感情が強く生じる。著者等は、音楽を聴く喜びは、二つの系の相互作用によって生まれるのではないかと考えている。その系とは、一つは、音のパターンから予測と期待を生じさせる大脳皮質の回路であり、もう一つは、報償の感情と、価値の付与に関わる皮質下の系である。』

音楽は、聴覚領野と前頭葉両者が関連して分析され、記憶され、その結果、記憶に基づいて、予測する作業が行われる。一方、大脳辺縁系という皮質下の領域で、その予測に基づき報償の感情が生まれる。それが音楽を聴く喜びだ、ということなのだろうか。

予測と言う作業が、音楽を聴く際に常に行われる、そこには過去に積み重ねられた音楽の記憶が生かされているということだろう。

著者等は、この論文中でも言及しているのだが、音楽のこうした特性は、言語のそれと似ている、とも語っている。聴覚野と前頭葉を結ぶ腹側路が、言語でも同じ予測の機能を持っているというのだ。ここで、私はCW受信における予測という機能を思い起こした。これは、私が何の科学的、心理学的根拠もなく、自分の意識のなかで進行する現象を記載したに過ぎないが、見事にこの総説著者の見解と一致する。というか、認識神経科学的な論拠を与えられたといって良いかもしれない。その予測が、喜びを生み出す、という図式も、考えていた通りである。CWの先人が、CWを音楽にしばしば例えてきた。それは、単なる思い付きの比喩ではなく、こうしたCW受信の背景があって、音楽と内的な連関があってのことだったのだろう。

「幸せな国」 

下記のニュースのソースは、コロンビア大学から公表された研究成果だ。英文ブログの方に、その原典をリンクさせてある。原典は、長大な報告なので全部読み切っていないのだが、経済的な豊かさだけで幸せになれないこと、だが、富の偏在も問題であることが、研究の基調としてあるように思える。

この報告で「幸せな国」の上位に挙げられている国々は、国民負担が大きいことで知られている。しかし、それなのに、国民の感じる幸せ度が高いのはなぜなのか?

以前にも引用紹介した、井手英策著「日本財政 転換の指針」(岩波新書)に、その理由が明快に示されている。この本は、日本社会の置かれた状況、それがどうして生じたのか、さらに政治はどうしてそれに対処できないのか、という点を、明示してくれる。人がよりよく生きるための財政はどのようにあるべきか、という観点から、国家財政の在り方を示してくれている。理路整然として内容の背後に、著者が自分の専門を通して、社会を改革したいという熱い思いが伝わってくる。

その要点を、かなり端折って記すと・・・

幸せな国民は、租税などの負担も大きいが、公的な受益も大きいのだ。それによって、高負担による、政府・行政への反発が強く起きることがない。さらに、経済的弱者への再配分についても、受益をきちんと受けている中間層は否定することがない。いわば、社会的な信頼が国民の間に維持されている社会なのだ。

日本では、高度経済成長期までは、公共事業・公共投資によって、国民の福祉も充足されてきたが、その土建国家のスキームは、1980年代以降成立しがたくなっている。しかし、社会的信頼を欠く社会にあって、増税を行えず、国債発行・財政投融資によって、経済を刺激し続けてきた。その結果が、現在の財政破たん寸前の状況だ。土建国家体制は、国民の雇用を確保し、さらに政治的な安定をもたらしたが、すでに破綻している。驚くべきことに、1981年以降、減税は繰り返されたが、増税は一度も行われていない。消費税導入時も、所得税・法人税の減税を同時に行われたので、増税にならなかった。

社会的な信頼を国民が持てるような税体系を施行すべきだ。中間層を受益者としつつ、低所得層への再配分にも目を配ることだ。恥ずべき暴露を伴うターゲッティズムを最小化しつつ、全体が負担をするユニバーサリズムに置き換えてゆくべきだ。生存を保障する制度は、保険ではなく、租税に基づいた制度にすべきだ。

といったことか・・・。ご一読を強くお勧めしたい。

来春からの消費税増税時、法人税増税を同時に行うことも経済界が主張しているようだが、それでは、これまでの路線と同じになってしまう。法人税に加えて、(大)企業の負担する社会保障の企業負担を考慮すれば、日本の企業の公的負担はOECD平均を下回る。現政権の立ち位置、方向性が、税金のこの扱いではっきりすることだろう。

面白いことに、新自由主義経済の牙城である、米国も「幸せの国」ランキングでは下の方に位置する。この報告について、英語ブログに記したら、新自由主義を奉じる米国の友人が、反論として、一位のデンマークでは有為な人々が国外に出て行ってしまっているではないか、とコメントしてきた。日頃、そうした反論に対して、私はあまり強く言わないのだが、今回ばかりは、すこしびしっと反反論した。

さて、日本という国が、「幸せな国」に変わるように、次の世代が幸せな人生を送れるように、我々は何をすべきだろうか。


以下、引用~~~


「幸せな国」番付、トップ5は欧州が独占 日本は43位

CNN.co.jp 9月10日(火)11時52分配信

(CNN) 世界各国の国民が日々の暮らしに満足し、幸せを感じているかどうかを調査した新たな報告書が発表され、ランキング首位のデンマークをはじめ、欧州北部の5カ国が上位を独占した。

報告書は米コロンビア大学地球研究所が9日、昨年に続く第2弾として発表した。世界156カ国で2010~12年に調査を実施し、国民の幸福度を10段階で示した。

それによると、上位5カ国はデンマークに続いてノルウェー、スイス、オランダ、スウェーデン。これにカナダ(6位)、オーストラリア(10位)、イスラエル(11位)、アラブ首長国連邦(14位)、メキシコ(16位)などが続き、米国は17位だった。

そのほかの主要国では英国が22位、ドイツ26位、日本43位。ロシアは68位、中国は93位だった。

幸福度が最も低い5カ国はルワンダ、ブルンジ、中央アフリカ、ベナン、トーゴと、アフリカのサハラ砂漠以南に集中している。

幸福度の世界平均は過去5年間でわずかに上昇したものの、経済的、政治的問題を抱える国で下落が目立った。

下落幅が最も大きかったのはエジプトで、07年の5.4から12年には4.3まで下がった。また、ユーロ圏債務危機の影響でギリシャやイタリア、ポルトガル、スペインが順位を下げた。
反対に中南米やアフリカ諸国では上昇が目立った。上昇幅が大きいのはアンゴラ、ジンバブエ、アルバニアの各国だった。

報告書は国民が不幸を感じる要因として貧困や失業、家庭崩壊、身体疾患などを挙げたうえで、特に大きな影響を及ぼしているのは慢性的な精神疾患だと指摘。各国政府による取り組みを促している。



上位10カ国は以下の通り。

1.デンマーク
2.ノルウェー
3.スイス
4.オランダ
5.スウェーデン
6.カナダ
7.フィンランド
8.オーストリア
9.アイスランド
10.オーストラリア

免許更新時に要求される診断書書式 

車の免許更新に際して、地域の公安委員会が、特定の疾患の患者に提出を求める診断書の書式が、ネット上で手に入った。ことらとほぼ同じ書式らしいので、全国共通のようだ・・・ということは、国の公安委員会がこの書式を作ったのだろう。

各々の欄についてのコメントを下記に記すが、全体としての感想:

1)診断書を、可能性の問題を扱うのではなく、オールオアナッシングの結論を記すものとしている。勿論、そのような態度は、医療の現実にはそぐわない。これは診断書ではなく、行政が事務処理するのを容易にする行政のためのメモ程度の意味しかない。

2)分かり難い日本語である。行政の書く文章は、二重否定などは日常茶飯事、分かり難く書くことを旨としているようだ。国民、行政以外の人間に分かりやすく書くことにより、行政の立場が低く見做されると思い込んでいるかのようだ。

3)病気は、個人情報のなかでも特に重要な情報に属する。行政が個人情報をいい加減に扱った事件が思い浮かぶ。はたして、公安委員会は大丈夫なのか。多くの行政担当者が目にすることになるようだが、個人情報保護はしっかりしているのだろうか。仮定の話だが、こうした病気の情報は、保険会社が首から手を出すほどに欲しがる情報だろう。仮定の話だが、そうした保険会社には大体官僚が天下りしている。これも仮定の話だが、そうした官僚と公安委員会やほかの関連行政官とが通じ合って、情報をやり取りする等と言うことは、無いことがないのではないと見込まれはしないのだろうか


以下、診断書書式の一部を引用~~~


3 現時点での症状(運動能力及び改善の見込み)についての意見
 ア 発作のおそれの観点から、運転を控えるべきとはいえない。

このように言い切ることは、難しいということが、行政には分からないのだろうか。このお墨付きが、行政側には欲しいことはよく分かるが、医療現場にこの「断定」を望むのは無理ということだ。その行政がこのようなことを医療に求めるのは、自らが批判されぬための予防線であるとしか思えない。

 イ 「発作のおそれの観点から、運転を控えるべきとはいえない。」とはいえないが、
  6月以内に「運転を控えるべきとはいえない。」と診断できることが見込まれる。


分かり難い日本語。行政って、どうしてこんな文章を書くのだろう。現在は運転を控えるべきだが、半年以内に運転もしても良いと診断できることが見込まれる・・・という意味か。現時点で運転しても良いかどうかの判断が難しいのに、将来においては尚更難しい。
 
ウ 上記以外
(「発作のおそれの観点から、運転を控えるべきとはいえない。」とはいえない。)

上記に同じく。

4 現時点での病状を踏まえた今後の見通しについての意見(3でイに該当する場合の
 み)
 ア 「発作のおそれの観点から、運転を控えるべきとはいえない。」とはいえないが、
  6月( 月)以内に「発作のおそれの観点から、運転を控えるべきとはいえない。」
  と診断できることが見込まれる。


3のイとほぼ同じ内容。6か月を、医師の判断で任意の数値にすることができるだけ。6か月と12カ月で違いがあるのか・・・診断書を書くうえでは相違はない。訊いていることは、本質的に3と同じ。見事な(勿論皮肉・・・分かるよね、行政の方)形式主義。

 専門医・主治医として以上のとおり診断します。     平成  年  月  日
 病院又は診療所の名称・所在地
 担当診療科名
  
 担当医師氏名         

5兆円の医療介護費削減策 

長期の医療費の予測をするのはそれほどに難しいことなのか?1990年代に厚労省が行った、2025年の医療費推計は、140兆円を超えていたそうだ。現在の推計は、その半分近くまで減っている。殆ど推計の体をなしていない。

そして、当局は、増加が見込まれる、医療介護費から5兆円圧縮することを決めたようだ。

生活習慣病の予防、IT技術の活用等により、抑制を実現するということらしいが、このキャッチフレーズは以前にも聞いた記憶がある。

彼らの医療介護費の予測は全く当てにならないことは明白である。増加基調になるであろうことは、当然のことだろう。この記事のポイントは、当局は、何としても医療介護費を圧縮する積りである、ということだ。

その手段として挙げられている事項では、5兆円という巨額の圧縮は無理だろう。生活習慣病の予防をしても、人は何時かは老いて、医療介護の世話になる。終末期の医療費はあまり変わらないと鳴れば、むしろ年金にかかるコストが増える程度のことだ。劇的な医療介護費の削減は無理。IT技術で、労働集約的な医療介護のコストを劇的に減らすことも無理だろう。IT技術で便利になることも多いが、医療介護のコストを下げるどころか、上げる方向に働くことは、この10年以上のIT導入で医療現場は痛感しているところだ。後発薬品の導入で、一体どれだけ医療費が削減されたというのだろうか。院外処方をする薬局に、そのパイが回っただけではないか。

当局の目指す医療介護費の削減は、給付の削減以外にありえない。そのための手段は、医療介護給付全体を引き下げるが、特に在宅医療の推進だと、彼らは考えているのだろう。医療介護を、患者家族によって担ってもらおう、ということだ。在宅医療が可能であれば、それが患者にとっては最良なのだが、現在の平均的な家族構成からいってそれが可能なのだろうか。また、人口減少社会に突入しており、労働人口が減り続けている。在宅医療は、労働人口を家族を無償の在宅医療に縛る。どう考えても、当局の医療介護費削減策が上手くいくとは思えない。

そもそも、数日前に取り上げた井手英策氏の著作にある通り、国民中間層の受益の少なさが、租税忌避感を生み、さらに社会的弱者への連帯感を失わせている、という。財政再建は必要なことだが、大幅な増税以外
、その方策はないのではないか。財政、とくに社会保障・医療介護費を削減し続けると、社会の連帯感の崩壊をきたすのだ。国民中間層の受益はさらに削られる。そこでは、増税は困難になり、さらなる社会保障の削減を行わなければならない悪循環に陥る。

この悪循環に陥っていることが、行政・政治の世界の方々はわからないのだろうか。


以下、引用~~~

医療・介護費5兆円圧縮へ…予防や後発薬推進で

読売新聞 2013年8月30日(金)

 厚生労働省は29日、2025年度までに約30兆円の伸びが見込まれる国民全体の医療・介護費を、5兆円程度圧縮して70兆円未満とする新目標を掲げることを決めた。

 生活習慣病の予防や、情報通信技術(ICT)活用の効果などにより、抑制を図りたい考えだ。

 医療・介護の給付費は、12年度現在約44兆円。団塊世代がすべて75歳以上になる25年度には、1・7倍の74兆円まで膨らむと推計されている。

 特定健診(メタボ健診)の受診率を向上させるとともに、健診結果と、治療内容が記録されたレセプト(診療報酬明細書)を分析し、生活習慣病の早期発見、治療につなげる。禁煙も推進して計2・4兆円を抑制する。価格の安い後発医薬品の使用促進で、1・1兆円の削減も見込む。