40年を超えて、原発を稼働させるそうだ 

原発は、当初16年間使用することになっていた。だが、経済的理由から、それが徐々に延ばされ、今回40年を越えて稼働させることを、原子力規制委員会は認めた。これから、新しい安全基準での審査が行われるわけだが、政府の方針にそって、なし崩し的に再稼働を認める可能性が高くなってきた。

40年前に作られた原発には、問題点が二つある。

一つは、冬至の設計基準が現在の安全基準を満たさないこと。原子炉の設計も進化しており、40年前に稼働を始めた原子炉は後の安全基準を満たしていない。この点について、田中三彦著 岩波新書{原発はなぜ危険か」に詳しく記されている。

さらに、40年間の稼働によって、劣化が進行している可能性が高いことがある。特に問題なのは、中性子照射脆化という劣化だ。中性子が圧力容器璧に照射され続けることにより、圧力壁画徐々に脆くなる。原子炉は、確実に爆発するリスクが高まるのだ。原発には、多くの配管がある。それが経年変化で劣化している可能性も十分考えられる。福島第一原発事故でも、まず第一に起きたのは配管の断裂だったのではないかと疑う根拠がある。稼働中に爆発すると、汚染被害は、福島第一原発で経験した汚染を大きく超えて、進行する。福島第一原発事故の規模で収まると予測するのは、科学的ではない。これらの事柄については、石橋克彦編 岩波新書「原発を終わらせる」に詳しい。

日本という国の政治・官僚・経済界は、本当に、歴史に学ばない。もう一度原発事故が起きたら、日本という国が再起できぬほどに破壊されるということを学んでいないようだ。


以下、引用~~~

島根1号機の40年超え認可

2014年2月26日(水)12時15分配信 共同通信



 原子力規制委員会は26日、3月に運転開始から40年を経過する中国電力島根原発1号機(松江市)について、原子炉停止を前提とした機器の劣化状況の評価や、今後の管理方針に問題ないと判断し、中国電の申請を認可した。

 規制委として運転40年超の原発に関する判断は初めてだが、再稼働する場合は、運転状態を前提とした確認に加え、新規制基準への適合性を確かめる審査が必要になる。

 中国電は「1号機の今後の運転方針は未定」としている。

 規制委は、停止中は原子炉の劣化や配管の割れは進展せず、停止中でも進展するコンクリートや電気系統の劣化も、現状の管理で問題ないと判断した。

紛争当事国へ武器輸出解禁 

武器輸出三原則が公に反故にされるようだ。すでに武器輸出は行われていたが、それでも紛争当事国等への輸出は行われてこなかったはずだ。だが、安倍政権は、紛争当事国への輸出も解禁するらしい。死の商人の一角に食い込み、軍需産業へ利益を誘導するためなのだろう。この変更によって、国際社会上、どれほどの信用と信頼の失墜を招くことだろう。

こうした国の形を根本的に変える政策変更が、議論を十分されずに進められている。自民党は、選挙公約にしていないことを押し進め、原発政策のように選挙公約とは逆の方向に進めようとしている。前回選挙で、自民党が得た得票は、20数%に過ぎない。だが、国会で絶対多数を確保した。それによって、選挙で争点としていなかった国の形の根本的な変化を生じさせようとしている

これで良いのだろうか。


以下、引用~~~

政府、紛争国へ武器輸出排除せず

2014年2月23日(日)16時54分配信 共同通信

 安倍政権が武器禁輸政策の見直しに向け、従来の武器輸出三原則に代えて導入を目指す新たな指針案が23日、分かった。三原則が禁輸先に明示していた「国際紛争の当事国」の項目を削除し、紛争国への輸出を事実上排除しない内容となっている。日本の武器・技術が国際紛争に用いられる道を開き、平和主義の理念を揺るがす大きな政策転換となる可能性がある。

 政府関係者が明らかにした。新たな指針は、武器輸出管理のための原則と位置付け、3月中の閣議決定に向けて与党との調整を急ぐ。共同通信の世論調査では禁輸緩和への慎重論が多数に上っており議論を呼ぶのは確実だ。

1218回目の交信 

今朝、21メガが北米に良く開けていた。バイブロのバグキーでCQを出した。すると、最近あまりお目にかかっていなかった、Bob W6CYXが呼んできてくれた。バグキーや、ストレートキーというエサを見せられるとつい呼びたくなってしまうんだよね、と彼が言っていたのを思いだし、思わず笑みがこぼれた。

彼の義理の姉にあたる方が乳がんで手術を受け、その後化学療法を通院で受けている。今のところ、無事乗り切っておられるとのこと。愛犬Joeyが高齢による腎不全になったが、食事療法でそれなりに持ち直したこと。そして、彼は懸案だった白内障の手術を三日後に受けることなどを伺った。

彼のことは以前にも記したことがあるが、1960年代に交信をするようになった。当時はコンテスト等での交信が多かったのだろう。コールに聞き覚えはあったが、いろいろと話しをさせていただくようになったのは、1980年代に入ってからだった。彼の家には都合三回お邪魔している。最初にお邪魔したのは、無線仲間のM氏と訪れたのだった。ベイエリアを見渡す、立派な家に感心したものだった。二度目にお邪魔した時には、当時持病が悪化し、すでに危険な状態にあった旧友のSteve WA6IVNが、Bobの家で開いていくれたパーティにキャンパーで来てくれた。最後は、一昨年の夏、家内と訪れた。いつも暖かく家族のように遇してくださる方である。

今回受ける白内障の手術、実は数年前に眼内出血で片方の視力を失っているため、慎重に内容を決めたらしい。単焦点のレンズを入れる最もリスクの少ない術式を選んだとか・・・。2年前に訪れた時に、そうした視力障害でありながら、サンノゼ空港まで出迎えてくださり、翌日はレッドウッドの森に案内してくださったのだった、と改めて気づいた。いつも日常の報告と、くだらない冗談をやり取りし、そして時には保守的な彼の政治・経済の考えに、私が食いつきといった、ありふれた交流だったが、彼にいかにお世話になってきたか・・・視力のことを考えると遠出は躊躇したはずだろうに、よくも親切にもてなしてくださったということに改めて気づいたのだ。

ちょっとグッとくるものがあったが、それを直接言うわけにもいかず、手術が終わったら、遠くが見えるようになるわけで、遠くを歩く美女たちを眺めて楽しめるのは良いではないか、と彼好み?の冗談を言った。いやいや、見るだけだ、それ以上のことになると奥様と大問題になるから、と言って彼は笑っていた。

お互いに歳をとり、病気を抱えるようになってきたが、お互い、もう少し交信を続けてゆきたいものだ。

1218回目の交信をこうして終えた。

久しぶりのお上りさん 

某SNS主催のアンサンブルの会が、東京都内、丸の内線沿線であったので、出かけてきた。楽器を携えて最後に上京してから、2年は経とうか・・・今回は、車での上京ではない。現在の視力で首都高やら、都内の道を走る自信はない。

遅れ気味になってしまったが、宇都宮線で赤羽まで、池袋まで埼京線、池袋で丸の内線に乗り換えだ。かっては、丸の内線が通学路でもあったので、勝手知ったる・・・のはずだったが、いやいや様変わりしていた。正確に言うと、様変わりしてからも何度か通ったことはあるのだが、もう記憶から抜け落ちている。でも、丸の内線の中央改札、懐かしかった。丸の内線の各駅も、各々いろいろな思い出のある駅だ。新大塚、茗荷谷・・・。大学オケの練習では、茗荷谷まで楽器を担いで行った。毎晩のように終電近くまで、オケの部室にたむろし、同じ方向に帰る先輩後輩とこの地下鉄に乗っていたわけだ。40年程が経った。

久しぶりに上京しての感想。駅構内がきれいに掃除されていること。これは以前にも記したが、たばこの吸い殻一つ見当たらない。徐々に高齢者が目立つようになってきている。私も、その直前の年齢のわけだが、東京は高齢化の進み具合が、とりわけ早いと聞く。駅構内でカレーを食べたのだが、不味い。え~、こんなものを食べているのかと驚かされた。そして、高い。埼京線、山手線から見る街並みが混み入っていること。田舎から出てゆくと、いつも驚嘆させられる。家の間があれほど近接していたら、地震に伴う火事等で延焼するのは止められまい。それに、地震などから逃げ出すことができるのだろうか。某区役所の建物の異様さ。20階以上はあるだろう。その最上階には、展望台と思しき構造物が乗っている。バブルの時期に建てられたのかもしれないが、行政の建物の豪勢さに改めて驚く。

重たい楽器を抱えて、右往左往し、さらにアンサンブルではチェロ一人で大変な目に会い。終わるや否やホウホウの体で帰路に着いた。上京するのは、もうめったなことではなくなるのだろう。こうやって歳を重ねてゆくわけだ。

というお粗末な近況報告。

原発事故関連死 

東電福島第一原発事故で亡くなった方はいない、という声が、原発再稼働を目指そうとする人々から聞こえてくる。

だが、この事故に関連して亡くなった方は1月19日現在、1656人となった。まだ故郷を離れて避難生活する方々は15万人を超える。住む家と、仕事と、近くの知り合いと、そして故郷を失うことは、社会的に生命を奪われることだ。

福島県の人々は、原発立地で補助金をたくさんもらっていたのではないかという主張もある。そうした補助金の多くは、箱ものを作るためのひも付きの金でしかなかった。さらに、補助金を受けたのは一部の市町村でしかない。多くの人々は、ただ原発の立地のリスクだけを負わされてきた。

何度か通った浜通りの平和な田舎町の様子を思い起こすにつけ、そこを追われた人々の痛みを、どれだけ理解しているのか、理解しようとしているのか、と問いかけられるような気がする。



日本経済新聞より引用~~~

福島の震災関連死、直接死超す 避難長期化で1656人
2014/2/20 1:43

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故による住民避難が続く福島県で、体調悪化などが原因で亡くなる「震災関連死」の死者が19日現在で1656人となったことが県などのまとめで分かった。津波など震災を直接の原因とする死者1607人(10日の警察庁集計)を上回った。

 福島県は現在も約13万6千人が県内外に避難しており、県の担当者は「それまでの生活が一変した上、帰還など将来の見通しが立たずにストレスが増していることが要因」とみている。岩手県の関連死は434人、宮城県は879人で、福島県の多さが目立つ。

 復興庁によると、昨年9月現在で震災関連死とされた人の約9割が66歳以上。県は市町村と連携しながら、仮設住宅やアパートなどの「みなし仮設」を保健師らが巡回し、避難者を見守る活動を強化する。

 19日現在で関連死と認定された人を福島県の市町村別で見ると、南相馬市が最多の447人。次いで浪江町が317人、富岡町が225人と続く。南相馬市は一部が、浪江、富岡町は全域が原発事故の避難区域に指定されている。

 震災関連死に該当するかどうかは、遺族の申請を受けて市町村の審査会などが災害と死亡の因果関係を判断する。

 東日本大震災を受け、厚生労働省は認定する際の参考として、2004年の新潟県中越地震で長岡市が作成した基準を例に「震災から1カ月以上たつと関連死の可能性が低い」などを目安として示した。しかし、原発事故から3年近く経過した今も関連死は増え続けている。関係者からは「原発事故に合わせた新たな基準づくりが必要」との声も出ている。

 浪江町仮設診療所の関根俊二医師は「自力で歩けなくなるなど、長引く避難生活で高齢者は急激に弱っている。農作業など生きがいを持って生活できる環境を早く整備することが必要」と指摘している。〔共同〕

レセプトデータの開示、一体誰のため? 

診療報酬の請求書をレセプトという。医療機関が患者ごとに作り、支払基金に送付され、そこで審査されたうえ、各保険者に送られ再び審査され、それを基に保険者から支払基金を通して医療費が医療機関に支払われる。

数年前に、この請求が電子化された。その際の、行政の言い分は、紙を用いた請求でなくなるため、手間がかからなくなり、かつ資源の節約になる、その上支払がスムースになるので医療機関のメリットになるということだった。たしか、電子化されたデータは、医療費の支払い以外の目的では利用しない、ということだったような気がする。そのために、電子化のコストは、医療機関持ちだった。

だが、実態は違った。支払基金・保険者は投薬内容と診断名の事務的な突合せをPC上で行い、少しでも祖語があれば、バッサリその医療費を削ることを徹底して行うようになった。薬の行政上の適応症が、医学的な適応から遅れており、どうしても適応外使用をしなければならないケースもある。また、勿論、医療機関側で事務的に診断名を付け忘れることもある。そうした投薬に対する診療報酬が、薬代、薬局に支払われたコストまで含めて、問答無用に削られ、医療機関の負担にされるのである。訂正する機会を与えられない。また、患者にとって利益になることが認められない、そして薬局と患者が得た利益を医療機関が負わされる、ということだ。この理不尽さにも、医療機関側は、じっと耐えるしかない。

行政は、電子化で集められた患者データを、民間企業に公開する積りのようだ。このニュースでは、その利用は見かけ上抑制されているかのようだ。だが、「成長の矢」と称して、民間企業の利潤を生みだす道具、材料として、このデータが利用される可能性があるのではないだろうか。このデータを持つ厚労省は、製薬企業その他医療関連企業の許認可権を握り、監督する行政権を持つ。ということは、それらの企業に、天下りが行われていることと同義である。それらの民間企業に、この貴重なデータを与える行政の動機は十分あるのだ。

民間企業のなかで、こうした患者の情報を最も欲しているのが、保険業界である。保険業界としては、疾患にかかっている、またはそのリスクの大きな人々に保険を売りたくない。病気にかかっていない、かかりそうにない人々に保険商品を売れれば、利潤が上がるわけだ。彼らにとって喉から手が出るほど欲しいデータが、国民各々の診療データなのである。個々の患者のレセプトデータを直接保険会社に渡すのはさすがに表だっては行わないだろう。だが、年金事務が如何に杜撰であったかを思い起こすと、レセプトデータがいつの間にか保険業界に渡っている、という事態も十分想定される。一旦、そうしたデータが業界に渡ってしまうと、それを元に戻すことはできない。

民間企業に、レセプトデータを公開するという動きは、かなり危うい。基本的に禁止すべきことであるように思える。大体、あのレセプトに記された診断名は、保険を通すためのものであって、学術的な意味は殆どない。だが、企業の金儲けの種にはなりうる。

国民の財産が、こうしてまた簒奪されようとしている。



以下、引用~~~

レセプト情報の民間利用 - 試行期間で条件を検討へ

記事:薬事日報
14/02/17


 厚生労働省の有識者会議は13日、レセプト情報等データベースを民間企業等に幅広く活用するため、提供データの種類や申出者の要件、公表内容等を決定。その上で試行期間を導入し、利活用の成果を報告してもらう方針を合意した。民間企業等がデータを利活用した成果を有識者会議に報告する方向で検討を進める予定。

 この日の会議では、厚労省からレセプト情報等の民間利用の検討に関する論点が示され、民間企業等がレセプト情報データの提供を受けるに当たっての利用目的、提供データの種類、申出者の要件、分析主体の利用形態、公表内容について検討された。

 利用目的をめぐっては、製薬業界から、副作用を生じやすい要因の評価、リスク最小化策の評価等が要望に上がっていたが、石川広己委員(日本医師会常任理事)は「ナショナルデータベースでこういうことができるのか疑問」と述べた。

 また、民間組織の利益に資する研究を認めることについては、近藤剛弘委員(日本薬剤師会常務理事)が「いかがなものか。慎重にすべき」との考えを示し、これらを踏まえ、これまでの第三者提供と同様とすることにした。

 提供データの種類については、個人の特定可能性を考慮し、サンプリングデータセットまで範囲に含めた場合、リスクはゼロとは言えないと判断。定型表と申出者の依頼によって作成され、安全に利活用できる半定型集計表までとした。

 さらに、申出者の要件としては、データ提供に当た って公益性の確保が前提とされていることから、公益性のある申請可能な団体とした。

 公表内容については、これまでの第三者提供では成果を公表することを必須としているが、「公表を求めないことは公益性から問題がある」との指摘があり、試行期間を設置した上で、民間企業等がレセプト情報データの提供を受け、利活用した成果を有識者会議に報告してもらうこととした。

 今後、レセプト情報データについて、民間企業等による幅広い利活用を行う目的で、これら利用者に求める条件の検討を進めるために、試行期間を設定して、レセプト情報データの提供を行っていくこととした。

自然エネルギー白書 2013 

上記の本を手に入れた。B5版、300ページを超える。環境エネルギー政策研究所編。2000円。七つ森書館発行。下記サイトで注文できる

http://www.isep.or.jp/jsr2013

現政権は、原発を基幹エネルギーと位置づけ、今後原発の再稼働を進める気配だ。これは、国民の意思に反するだけでなく、世界の潮流に反する誤った政策であることが、この本から分かる。

東電や官僚は、原発再稼働を進めるために、現時点の福島第一の事故の実相も明らかにしない。または、故意に誤った情報を流している。原子力村の人々は必死なのだ。世界のエネルギー政策は、一斉に自然エネルギー利用に向かっている。自然エネルギーへの政策傾注、さらに投資はすさまじい勢いだ。自然エネルギーが原発問題、地球温暖化問題の解決になりうること、そして経済的にも成立しうることを本書は指示している。原子力村の世論誘導に惑わされることなく、エネルギー政策が如何にあるべきか、自らの考えを持つうえで、本書は必携の一冊だ。

ARRL CW 2014 

先週末行われた上記コンテスト、コンディションが良かったようで、たくさんの局が聞こえていた。ハイバンドは良く開け、21メガでは、午後遅くまで西海岸が聞こえていた。7メガも、午後3時頃には北米とヨーロッパが聞こえていた。私は、他のことに時間を割きながら、ときどき7と21でちょこちょこ呼びに回った。知り合い、それに応答の少なそうな局にポイントをあげるためだった。

月曜日の朝、7時半過ぎ、21メガの調子が良さそうなので、ちょっと冷やかしに、上の方でCQを叩いてみた。すると、うわーんとうなるようなパイルが出現。参ったな、と呟きつつ、ハムログ、それにメモリーを入れていないキーヤーで対応。後で気づいたのだが、受信機のフィルターが500Hzと広めになっていた。呼んでくる局が一塊になって聞こえる。一回呼ばれただけでコールを取り切れない。受信設定の誤りもあったが、受信能力が確実に落ちていることを思い知らされた。まあ、あのパイルアップ対応能力なぞもう必要ないものではあるのだが、往年、切っては投げ切っては投げ(?)パイルをばさばさと捌いていた当時が懐かしく(美化しすぎかもしれないが)、現状が少し残念に思えた。

今後は、ちょっと呼びに回る側に居続けようと、改めて思ったことだ。face bookで、この有り様を報告したら、私より数歳年長のJohn W8FJが、N1MMのソフトを使ったらと真面目に勧めてくれた。その直後、Harry K7HKが、N1MMのマニュアルをダウンロードしたら300ページもあったぞと交ぜっ返していた。本格的なコンテスターに戻ることは、私はなかろう。

コンテストが終わると、さーっと潮が引くように、何も聞こえなくなった。何度かCQを叩いていると、旧友のKF7E Jimが出現。結婚なさったお嬢様Amberのことなどを伺った。今年の夏、シアトルでまた会えれば良いねと語り合いつつお別れした。

この春が、サンスポットサイクルのピークの一つなのかもしれない。

雪の日の思い出 

どこのブログ、SNSもこの話題で持ちきりだが、昨夜から吹雪、そして大量の降雪。我が家は、まだ雪が少ない方だったのかもしれない。だが、朝、玄関のドアが雪で抑え込まれ、なかなか開けられなかった。車を出すのも、当初雪面が車の底面をこすってしまい、動かず。しばらくすると、雪が解け始め、動かすことができた。

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この雪景色を眺めていて、弟が誕生した時のことを思い出した。今日と同じように雪の降ったある日、街中の産院で弟が生まれた。母子を家に連れて帰るのに、車などはなく、リアカーに載せて、父がそれを引いて歩いた。数キロの距離はある。空は明るい灰色一色、辺り一面が雪で覆われていた。どこが道か分からぬところを、父の引くリアカーに手をかけて、私も一生懸命歩いた。まだ四歳程度だったから、きっと途中でリアカーに乗せてもらったのだろう。でも、何か誇らしげな、晴れ晴れとした気分だったような気がする。

伯母の経営する結核患者のためのサナトリウムで雑用係と看護婦として生活していた父と母、とても貧しかった。だが、家庭は決して暗くはなかった。両親ともに、我々三人兄弟を育てること、そして生きてゆくことに精いっぱいだったのだろう。だが、それは伸びしろのない無理した背伸びではなく、何か柔軟な、どこまでも伸びうるような一生懸命さだったのではなかろうか。その一、二年後に、サナトリウムが閉鎖されることになり、我が家は東京へ旅立つことになる。

人生の終盤に差し掛かって初めて理解できる、人生の実相がある。父が家族を載せたリアカーを引っ張って、雪原のなか家への道を急いだように、私も家族に対して接してきただろうか・・・懐かしさと、ある痛みを伴って、あの冬の日、家に向かって雪原を歩いた記憶がよみがえってきた。

インフルエンザへの対処 

現在非常勤で勤めている病院でも、インフルエンザが目立ってきた。特にB型が多い印象。今年流行しているB型Victoria株が予防接種に含まれていなかったことと関係しているのか。小児科学会からは、H1N1pdmも流行っており、重症化する傾向があるとのアナウンスがあった。

で、診療中困るのが、何でも良いからインフルエンザの検査をしてくれ、という親の訴え。検査には行うべき時期がある(これは親御さんも最近は分かっていることが多い)。また、全例に行うことは医療経済上も好ましくない。兄弟が3,4日以内に同様の症状を発症し、確定診断がついているといったケース等、明らかにインフルエンザと分かるケースには行う必要がない。だが、学校、幼稚園から検査をして来いと言われたと、親御さんは主張する。

抗インフルエンザ薬も、ほとんどの親御さんが希望する。CDCのサイトにも、同薬が重症化を防ぐという記載がある。小児科学会もH1N1pdmに対しては、重症化を防ぐ意味があると強調している。だが、他の論文では(ここでも取り上げたが)、同薬は有熱期間を短縮する効果しかないと主張するものもある。同薬が、ウイルスが増殖し、細胞外に出るのをブロックする作用機序であることを考えると、サイトカインストームなどによる重症化機序にどこまで有効なのか、疑問も残る。また、重症なインフルエンザの切り札として残しておきたいという気持ちもある。そのようなことを、仕事先の非常勤・常勤医の記すノートに書いておいたら、常勤医がやってきて、やんわりとしかしはっきり、しかるべき症例には原則「全例」検査をし、同薬を投与してくれと言ってきた。「はいはい」と答えたが、疑問は残る。小児科学会のワーキンググループの見解でも、同薬の投与は、ハイリスクな患者には全例勧められる、そうでない患者は、医師の判断で行う、と述べられている。私は、このやり方で通す積りでいる。面従腹背だ。

幼稚園・学校の先生方は、ここを読んではおられないだろうが、発熱の子どもたちに時期を問わず、全例検査するようにとの要望は、科学的ではないことを是非理解していただきたいものだ。

消費税について 

最近号の「世界」で学んだこと・・・メモ・・・

〇消費税は、消費者が納税するものではない。事業者が納税する。だから、製品、サービスに消費税が決められた額だけ上乗せされ、それを正確に納税しているわけではない。当然といえば当然だ。その結果、大企業には優しく、価格への転嫁の難しい中小企業には厳しい税制。

〇税金の滞納の半分が、消費税の滞納。売り上げに対して機械的に課税される消費税が、特に中小企業の経営を圧迫し、赤字にさせてしまうためらしい。

〇輸出大企業は、仕入れの消費税分を戻してもらっている。実際には、下請け等に強力なコストダウンを要求し、消費税分を支払っていないのに、名目上消費税を負担しているとして、この税金の還付を受けている。トヨタが3000億円超。大企業20社で総額1兆1千億円。これらの企業は、景気対策として、他の減税の恩恵にも浴している。交際費50%非課税等々・・・。

都知事選を振り返って 

また更新するのに時間が空いてしまった。英文ブログの方にも何か書かなければという強迫観念もあり、なかなか書き出せない。

まずは、都知事選の結果。私の関心を引いたこととそれへの私のコメントは

〇天気が悪かったとはいえ、投票率が低かったこと。この選挙が意味するところは、パラダイム変換が必要な時期の選挙であり、なおかつ国政選挙まで時間が空いてしまっているので、国の中枢部である東京都都民の見解を示す機会として重要な選挙だったのに、かなり残念。

〇原発問題が主要な問題にならなかったこと。都民の主要な関心は、結局「景気」だったのだろう。現政権に近い舛添さんに投票しておけばよいかという発想か。だが、現在の景気浮揚は、結局バラマキ政策と、円安による一部企業の業績改善によるもので、根本的な改善ではない。現在、成熟国家となったわが国で、高度成長時のような経済状況は望むべくもない。現状で、再配分を適正に行うことと、高度高齢化社会に対応することが求められているわけだが、そちらは忘れ去られている。消費税増税の行われる4月以降、現政権の政策が破たんに向かうことだろう。

〇低投票率であり、現政権に近い舛添さんが組織票で圧倒的に有利なはずだが、反原発派二人が、舛添さんの得票数に届くほど票を得た意味はそれなりにある。現在、議会での議論等を無視する現政権の自民党は、先の選挙でたった26、7%の得票率であったことと同じ流れだ。現政権の政権基盤は決して盤石ではない。

〇超保守主義の候補が、60万票を獲得したのは意外だった。他の先進国でも、超保守主義、全体主義的傾向のある党派、候補がある程度の支持を集めているが、それと共通した現象なのだろう。超保守主義は、明確な価値観を提示する。市民が、自ら判断することなく済むように、物事の白黒をはっきりと提示する。ネットには弱者への偏見と、人種差別的な発言が満ちている。閉塞状況にある市民に、あの分かりやすさ、考えることを放棄できる気安さが受け入れられるのだろうか。

〇原発問題は、地方選挙のテーマにふさわしくないというのが、現政権の当初の見解だった。が、現政権寄りの舛添さんが当選するやいなや、現政権の原発政策は支持された、だから再稼働を進めると言っている。このいい加減な言動には空いた口がふさがらない。彼らは原発再稼働を遮二無二進めることだろう。総選挙時に公約でもなんでもなかった、秘密保護法を強硬に推し進めたのと同じメンタリティだ。政治家としてのモラルに欠ける。東電福島第一原発事故の被害が「あの程度」で収まったかに見えるので、国民も甘く見ているのかもしれない。原発稼働時に深刻事故が起きたら、日本という国が立ち行かなくなる、ということを分っていないのではないだろうか。



現政権の支持率は、徐々に低下しているとはいえ、50%を超えている。「アベノミクス」という幻に酔わされているのだろう。だが、一部輸出企業・公共事業関連企業の好業績が自分のところには及んでいないと感じる国民も増えている。この実感が、現政権への否定的な見方に変わるのにはそう時間はかかるまい。その後に、どのような政党が政権に関わるのか、どのような指導者のもとに参集するのか、が問題だ。

憲法改正論議の危うさ 

先日、参議院予算委員会でのやり取りを聴いた。憲法改正問題を取り上げていた。政府の見解では、憲法は外から与えられたものであり、改めるべきあろう、改正手続きを定めた96条をまず改め、改正を容易にすべきだ、そうすることによって憲法を国民の手に取り戻すことができる、ということだ。

確かに、現憲法は、敗戦に伴い米国がその思想をわが国に与えたものかもしれない。が、問題は中身だろう。中身がよければ何も問題ではない。

現憲法は、改正手続きが容易ではない、硬性憲法に分類されるという。だが、改正手続きが容易でないというのは、時の権力が自らの欲しいままに憲法を書き改めることのないようにするための方策なのだ。さらに、国民自体も、一時の社会的な風潮で誤った方向に進む可能性もある。そのためにも改正が容易にできぬようになっているのだろう。何をどのように改正するのかを、ちゃんと世に問わず、まずは改正手続きを容易にする、というのは明らかに誤りだ。

「憲法を国民の手に取り戻す」というスローガンに危ういものを強く感じる。

CWの受信について ノート2 

CW受信における心理過程について、先のポストで少し記した。こちら

振り返ってみると、これは言語を用いてコミュニケーション、この場合は聞いて理解することだが、に対応する。いや、聞いて理解することそのものと言えるのかもしれない。

CW受信能力が、ある程度十分となると、その記号体系と文字、文章との互換関係が、無意識に成立する、即ち、CWの符号を聞いた時に、文字が殆ど努力せずに意識に現れるようになる。そこで展開されるのは、言葉そのものを用いたコミュニケーションのプロセスになるわけだ。

ある時点で、

I WOULD GO TO THE RESTAURANT THIS

まで受信したとする。そこまでの意味を把握する。あのレストランに行きたい・・・ということか・・・レストランは以前に話題に上った、特定のレストランであることが分かる。

で、次に来る言葉は、恐らく時刻(時期)を示す言葉であろうと推測がつく。

AFTERNOON

と続き、その推測が正しかったことが判明する。というわけだ。AFTERまで来たところで、NOONが続くことも予測される。

受信している途中で、それまでに送られた(語られた)内容について反省し、それまでの理解が正しいかどうかを常に検証する作業も行うのだ。

こうしたダイナミックなプロセスは、言葉によるコミュニケーションでも常に進行しているということだ。それを、二つ前のポストに上げた本で改めて学んだ。インプットを多くし、理解をすることを繰り返すことが言語習得の重要な条件である。なぜ重要かというと、このプロセス・・・予測文法と表現されていた・・・が確実に行われるようになるためだ、という。

CW受信でも、CWという記号体系が間に介在するが、進行する出来事は、これとまったく同じといって良い。CWの送受信が読み書きと相同である、というよりも、読み書きと同じ脳の機能によって担われる、ということなのだろう。CW受信とは、耳で読む作業なのだ。

アベノミクスバブル 

今日、株式市場では400円超の株安になっている。我々にはあまり関係しないことではあるが、この変化の持つ意味は小さくない。株価のピークから短期間の間に1割超下げている。

これは全世界の株安の一側面にしか過ぎない。ということは、「アベノミクス」ともてはやされてきた、金融緩和策も実体経済には殆ど意味がなかったということだ。設備投資が増えているということも聞かないし、景気が良くなっているというのも、一部大企業、メガバンクのことだけなのではないだろうか。それは、昨年来の円安という為替の影響と、株高によるところが大きい。

日本の株は、この一年間、外国人が14兆円の買い越し、一方13兆円を国内の投資家が売りぬいているらしい(世界2月号寺島実郎)。米国他の大規模な金融緩和が続き、市場には、実体経済の必要とする額の数十倍の規模の金がじゃぶじゃぶと垂れ流されて来た。金融緩和は、リーマンショック時の信用不安を乗り切るための一時的な政策であるべきだったが、だらだらと続けられてきた。そして、ここにきて米国はようやく金融緩和の縮小に取り掛かった。その結果、投資資金が回収され始めたということらしい。「アベノミクス」と囃しつつ、わが国の投資家は、それを信用せず、株を売り抜けて利益を確保した。外国人投資家は短期に利ザヤを稼ぐだけで、資金を引き揚げるとなると、その足は速い。日本の株安は、金融緩和どいうバブル招来策が消えるのと同時に、激しくなる可能性が高い。

4月の消費税増税とともに、これまでの一時的なユーフォリックなバブルが弾け、景気はさらに減速するに違いない。消費税増税に伴い、大企業には景気対策として多くの補助、援助が政府から与えられたが、一般国民は痛みだけが押し付けられる。

4月を挟んで、どのような経済状態になってゆくのだろうか。


白井恭弘著「外国語学習の科学」 

第二外国語習得論とは何か、というサブタイトルのついた、上記を読んだ。平易な内容で、読みやすい。暇な仕事に持参した日も含めて、二日間で読了した。

第二外国語習得論という学問領域もできているようで、様々な観点から、外国語を習得するとはどのようなことなのかが論じられている。外国語を学ぶといっても、学ぶ、ないし習得する個人の素質、背景に大きなバリエーションがあり、習得法の差異を検討すること自体が難しそうだ。

結論から言うと、読む・聞くというインプットをできるだけ多くすることと、アウトプットとして、書く・話すことを心がけることが大切なようだ。受験英語のように詳読だけや、近年強調されている話せる英語のように会話にだけ重点をおく習得方法はあまり効果がない、ということのようだ。基本的には、メッセージを理解することによって、言語能力が獲得される、ということである。子供の言語能力の獲得は、無意識的になされる。しかし、第二外国語の習得では、意識的な学習が主体となる。それは、発話の正しさをチェックする、繰り返し練習することで自動化される、普通に聴いているだけでは気づかないことを気づかせることで有用である。

インプットを増やすことがなぜ第二外国語習得につながるのか、著者は、「予測文法」の能力が身につくためであると説明している。予測文法とは、ある文章を聞くときに、途中まで来ると次に何が来るのかを予測する能力ということらしい。これは殆ど無意識のうちに行われることのようだ。

アウトプットだけでは第二外国語習得は進まない。だが、学んだ知識を基に、話す機会を増やすことも大切。そうした場合に、頭の中でリハーサルが行われ、それが言語の習得するのを助ける、ということのようだ。ただし、無理にアウトプットを行うと、間違った文法が記憶されてしまうことになることもある。

ここまで、この読後感をお読みになった方は、私が何を考えながらこの本を読み進めたのか推測なさっているかもしれない。そう、CWによる会話が念頭にあった。CWは、それ自体言語ではない。英語の読み書きと、会話をする人との間に入る記号体系なのだ。結局、CWによる会話の大部分は、英語の読み書きそのものになる。予測しつつ受信することが大切だと以前から記してきたが、それは、ここで登場する「予測文法」そのものだ。また、送信よりも、受信が大切であり、またnativeと交信することによって外国語・会話の能力が確実に身につくことも感じてきた。それも、この本で間接的に正しいことが証明されたようなものだ。

著者が、外国語を学ぶ動機付けも大切なことを強調しているが、無線ではその点しっかりした動機がある。受験に通ることといった一過性の偏った動機ではない。世界各地に無線で知り合いを作り、彼らと様々な意見を交換し、理解しあい、さらに彼らと人生を共有する、という動機である。

私の場合、自動化による外国語学習もかなり怪しくなりつつあるが、この本によって、今進めている英語との付き合いもそれほど間違ってはいなかったことを確信することができた。また、鈍い歩みだが、一歩一歩学んでゆこうと思った。