CWのactivityが低調だ 

今朝、21メガが北米に良く開けていて、KZ5D Artに呼ばれた。彼のことは以前にも記したかもしれないが、70歳になるが、今も自分の事業を切り盛りしており、さらにFOCやCWopsのコンテストの集計も担当している。彼もリタイアを考え始めたようで(もっともこのことは以前から聞いていたが)、事業の継承者を探している由。14名のスタッフの将来を任せられる人物を見つけたいということだった。長年経営してきた事業を畳もうかというときに、経営者はスタッフの将来を考えるものなのだ・・・それがなかなかスタッフには伝わらないのだが・・・。

で、activityの低さを話題にすると、彼もよくCQを出すのだが、呼ばれることが少ない、特にFOC、CWopsのメンバーから呼ばれないと言っていた。このことに関して、ドイツのGreg DF2ICも同様のことを以前語っていた。RBNで確認するとバンドは、ワールドワイドに良く開けているのだが、呼んでくれる局が皆無、という状況が、延々と続く。例外的に、7メガの夜間、西海岸の常連が数局相手をしてくれるが、一頃よく出ていた局も聞こえなくなってきた。

この議論も繰り返ししているのだが、こうなった背景にはいくつかの要因がある。

一つは、ハム人口、特にCW愛好者の人口が絶対的に減少していること。さらに、高齢化。CWを運用するハムは、高齢化が進んでおり、それが典型的にFOCのメンバーのactivityに反映しているように思える。

第二に、CWを運用するハムが、コンテストやパイル遊びに時間と精力を費やして、そのために「普通の」交信に割くエネルギーが無くなっているのではないか。コンテスト(スタイル)の交信をする局と、普通の会話をする局に二分され、前者が数の上で後者を圧倒している。コンテストを敵視する積りはないが、コンテストがバンドを一定時間独占し、さらに二次的に他のactivityを抑えていることは注目しても良いのではなかろうか。もっと突っ込んで言うと、コンテストを楽しむ方々は、CWでの会話ができない、だからこそのコンテストなのかもしれない。CWopsのCWTは、この点からも、罪作りな催しになっている。過日、CWopsのMLで、Alex AI2Qが「CWTはまるで冷戦時のソビエトのハムの交信ではないか」とかみついていた。私は、吹きだしたが、確かにその通りだと頷いたことだった。

第三には、CW等というまどろっこしい通信手段によらず、ネット、特にSNSを使えば、楽しくおしゃべりできる、と考える人々が増えているのも事実だろう。これは時代の流れで致し方がない・・・そう考えるハムには、CWで電離層反射を使っておしゃべりする美意識のようなものを理解していないと、私はそっと呟くことにしているのだが・・・。

さて、この後、10年後CWは一対どうなっているのだろうか。decoderを使ってコールだけを取る、アナクロニズムそのものになっているのか、心配だが、そうなったらそれで仕方あるまい。

単語を単位として 

過日、ラジオでとある大学耳鼻科の教授が、感音性難聴について話しをしていた。感音性難聴とは、内耳、神経系の障害による聴力の障害である。典型は、加齢に伴う老人性難聴だ。老人性難聴の場合、高音域から聴力が落ちてゆくこと(これは感音性難聴全般の特徴)と、聴いた内容を理解することにも障害が生じていることが多い。

そこで、対処法の一つは、補聴器になる。だが、補聴器は、特定の周波数帯域の低周波を増幅するだけなので、老人性難聴を根本的に補正するものではない(それでも、他に対処方法がないので、多く使われる)。もう一つ、老人性難聴の場合、高次脳機能での聴き理解する機能が落ちることが多くの場合伴う、という。残念ながら、加齢現象としては致し方ないところだろう。

補聴器以外の、会話時の対応方法としては、ただゆっくり話すのではなく、単語を区切って話すことが、感音性難聴のある高齢者には理解しやすいということだ。考えてみれば当たり前のことだが、聴き理解する機能が落ちている場合、単語そして文章の意味を理解するのに時間がかかる、それを補正するために単語の感覚を開けて話すというわけだ。なぜならば、我々は単語の意味を理解することを絶え間なく行っているからだ。それが理解できないと、文章の全体像が把握できない。

彼の話を聴いていて、CWの受信も同じだ、と思った。以前から何度も記しているように、送られてくる単語の意味を順次把握することが、筆記によらずに、送信される文章を理解するうえで、必須なのだ。文章全体を受信してから、その意味を取るということは不可能である。それは筆記受信によらざるを得なくなる。筆記受信では、スムースな会話が成立しない。単語単位で意味を把握することを意識することである。そして、もし取り切れない場合は、相手に「単語の間」を空けてくれるように頼むことだ。送信する側としても、文字間ではなく、単語間を空けることを意識すべきだろう。

CWに関しては、我々は生来感音性難聴と同じ障害がある状態にある。ありがたいことに、同病態との違いは、訓練することによって、その生来の機能障害を克服することができる。否、感音性難聴もきっと同じように機能訓練をすれば、理解する機能は改善するのかもしれない。単語単位で理解することを心がけてCWの世界への旅に出かけたいものだ。それは、感音性難聴の苦しい病との戦いではなく、大きな世界を広げてくれる冒険の旅なのだ。

集団的自衛権の限定的運用は可能なのか? 

集団的自衛権が適用されるケースを具体的に政府は例示して、国民に理解を求めている。

が、戦争状態にそうした具体例を当てはめることは可能なのだろうか。国際情勢、相手国、同盟国との関係など複雑な要因が関係する。集団的自衛権は、米国の世界戦略に自衛隊を積極的に関わらせることを、本当の目的としているから、現実の戦争状態は、上記の具体的な適用ケースにいかようにも無理やり当てはめられることだろう。

集団的自衛権による海外での軍事行動は、むしろ、この記事で中村氏が述べている諸外国での非軍事国際協力を危険にさらすことになる。また、当然、わが国がテロの対象になる。人口過密都市をかかえ、さらに全国に原発がある日本は、テロ攻撃の格好の標的になる。

集団的自衛権の適用範囲を具体的に規定し、限られた状況にだけ適用するというのは、土台無理なことだ。政府は、その現実を、しっかり国民に問いかけるべきだ。

以下、引用~~~

毎日新聞 2014年05月26日 07時15分
 アフガニスタンで医療や農業の支援活動をしている福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の中村哲現地代表が一時帰国し、25日、同市内で毎日新聞のインタビューに応じた。安倍晋三首相が海外のNGOのために自衛隊の任務拡大の必要性を唱えたことに「NGOを道具にしている」と批判。首相が集団的自衛権の行使容認に踏み切れば、現地での危険は増すとして撤退を検討せざるをえないとの考えも示し、非軍事による国際貢献の重要性を訴えた

 ペシャワール会は1984年からアフガンやパキスタンで医療活動を開始。米軍のアフガン攻撃開始後も活動を継続し、同地の干ばつ対策として農業用の用水路建設にも取り組んでいる。

 中村氏によると、欧米諸国がアフガンに軍隊を出したことから現地住民の憎しみや怒りが増幅。欧米のNGO関係者は現在、テロの標的となる危険が高まったことから活動拠点のジャララバードから撤退した。それでも同地に残るペシャワール会について、中村氏は「憲法9条を持つ日本は『戦闘に参加しない国』という信頼感があり、それが私たちの活動を守っている」と強調。「欧米のように軍事力を使い、日本人というだけでターゲットになれば当然私は逃げる」と述べた。

 首相が15日の記者会見で「限定的な集団的自衛権の行使」と説明したことについては「戦場に行ったことのない人間の発言。武器を持って衝突すれば、互いに恐怖心や防衛心が強くなり歯止めはなくなる」として、ひとたび行使を認めれば際限がなくなると警告した。

 一方、首相は海外で活動するNGOを救出するためとして、自衛隊の駆け付け警護を認めることの正当性を唱えた。だが、これは集団的自衛権と関係ない武器使用の問題で、中村氏は「自らの主張を通すためにNGOを道具としている。集団的自衛権行使に賛成させるためにこじつけている印象は拭えない」と不快感を示し、「国民の危機感をあおるのでなく、外交努力で不必要な敵はつくらないことこそ内閣の責任だ」と訴えた。【井本義親】

10メガのアンテナを整備 

無線から卒業かなどと書いた、その翌日、10メガのアンテナを整備した。コンテストの週末に退避するバンドどして良い、という話しを、数人の友人から聞いていたのと、3.5メガにあまり出ないためである。

やったことは、3.5メガのスローパーにエレメントを付け足し、10メガに共振点を持ってくることだ。3.5メガのエレメントのままでは、共振が高すぎる。エレメントを固定するロープも、すでによれよれ。エレメントは被覆のワイアーを使っていたが、外被は劣化してぼろぼろだ。でも、エレメントの交換を自分でできるわけでもなく、そのまま使うことにした。しばらくぶりに、半田ごてを外に持ち出し、緩めたエレメントの先端になんとか80cm程度のアンテナ線をつなぐ。当初60Wのこてではなかなか温まらず、これではだめかと思ったが、地面に近いところで、ハンダを乗せると、なんとか接続できた。10メガの半ばでSWRが1.7程度。ローエンドでは2近くまで行ってしまうが、めんどくさいとそのままで固定。3.5メガでは、CWバンドに共振点が来ていた。両方のバンドで使えるという、予期せぬ結果であった。

国内の局を二三局呼びリポートをもらった。一応動作をしているみたいだ。海外は夕方ジョージアの局に呼ばれたが、ノイズすれすれでラグチューどころではない。スローパーは、耳が悪いということに改めて思い知った。でも、コンテストの週末も、これで10メガに避難できる。昔、バーチカルやワイアーアンテナでやっていた頃を思い出し、時々出てみることにするか・・・。

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そろそろ卒業か・・・ 

今朝、21メガが北米とヨーロッパに開いていた。特に、西ヨーロッパがよく聞こえていた。6時前からしばらくヨーロッパ、それに時々北米と交信を続けた。21036KHz前後だ。途切れたところで、同じ周波数でCQを出した。すると、私のコールを名指して、QSY、QSYと打つ局があった。そちらのコールは?と尋ねても、同じことを繰り返す。そこで、私は同じ周波数を30分以上前から使っている、そちらのコールを明らかにしなさいと、再び打った。だが、同じメッセージの繰り返しである。きっと、近くでDXが出始めたので、邪魔だからドケ、ということなのだろう。

こうしたエチケットも、意思疎通能力も欠く局は、相手にしないことにしているが、またか、というところだ。一つは、QSYを依頼するのであれば、自らのコールと、その理由をはっきりさせるべきだろう。DXが出てきたからと言って、それを優先するというのは、DXをやる連中の価値判断である。DXに興味がない者にとっては、意味がない。エチケットを守って、意思を表明してくれるのであれば、その言うところに従わぬでもないが、そうでなければ、無視する。

もう一つ、21メガのこんな周波数でも、パイルに潰されることがしょっちゅうある。普通の交信をする場所がだんだん狭まって行く。昨夜10時から、7メガでまた例のCWTが繰り広げられていた。彼らの間に挟まって、一度CQを出したのだが、当然のことながら応答はなし。CWTは、毎週水曜日に行うことにしたらしい。週末は、多くの場合、二つ三つのコンテストが開催される。一週間のうち、3日間(の大部分)は、バンドが使い物にならなくなるわけだ。こうした通信ゲームによって、バンドが占拠されて行く。

怒りとか、気分を害するとか言うのではない。もう、そろそろ無線も卒業かな、という気持ちがふっと湧いてくる。

安倍首相のマスコミ利用 

安倍政権のマスコミ利用が目立つ。政治家として、マスコミを自分に都合よく利用することはこれまでの政権でも行われてきたのだろうが、その度合いがこれまでの政権よりも目立つのだ。

「世界」の近刊号に掲載されていた話だが、女性雑誌「VERY」が、集団的自衛権を特集することにしたことがあった。すると、編集会議で決められた直後、何ら対外的にその特集を公表する前に、内閣の広報から連絡があり、内閣の主張も載せろと言ってきたらしい。その対応の素早さと、女性誌に依頼もされぬうちに、内閣の主張を載せるように要求してくるのは異例なことではなかろうか。

また、最近、安倍首相の動向がマスコミに必ず取り上げられる。国の首長として、それは良いことなのかもしれないが、先日彼が福島県の農家を訪れ、田植えをした様子がNHKで放映されたことがあった。驚いたことに、安倍首相の口元にワイアレスマイクがあり、農家の人とのやり取りがそのまま録音されて画像とともに放映されていた。予め周到な取材の手順が組まれており、NHKもそれに積極的に参画していることが伺われる。福島訪問についての安倍首相のコメントは、常に、福島の復興が順調に進んでいる、というアピールである。安倍首相が福島の現場を訪れることは結構なことだが、それは福島県民の思いと、問題意識とを共有する訪問であってほしい。政権が復興に尽力しているという宣伝は不要だ。復興は決して順調ではない。

マスコミを利用して、自らの政権の維持と、軍国化を進めた首長の典型が、東条英機だ。彼は、マスコミへの露出をことのほか意識していたらしい。ヒットラーとナチスの一派もマスコミを最大限利用した。安倍首相を彼らと並べる積りはないが、安倍首相のマスコミ利用は、いささか度を過ぎている。

庭仕事 

庭仕事に精を出していたら、いつの間にか、一週間のご無沙汰になってしまった。庭の小さな畑には、トマト、カボチャ、ジャガイモ、茄子、大根、サニーレタスそれにピーマンが並んでいる。以前からほっぽっておいたイチゴに沢山の実がなり、それを毎朝収穫するのも日課。

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梅雨になり、気温が高くなると、雑草との戦いが尋常ではなくなる。はたして、その戦いを続けられるかどうか。

庭に腰を下ろし、無心に土をいじり、雑草を引き抜いていると、ふっと心地よい風が頬に優しく触れてゆく。庭仕事の醍醐味を感じることのできる時期だ。

死亡消費税 

ネタ元が、イマイチなのだが、死亡消費税導入を政府が検討しているという話。なるほどと思った。死亡消費税というと少し聞こえが悪いが、相続税を広く浅く取ろうということなのだろう。

私は、まだ税金等の国民負担率は、国の財政状況を考えると高くないと思っているが、こうやって増税した国が得た歳入の使い道が問題だ。

膨大な医療費が今後必要になる。そのために備えはあるのか。法人税減税、「積極的平和主義」のための軍事費、公共事業等にだけ支出することで良いのか。

我々は、政府の行状をよく見る必要がある。政府の予算が納得いかなければ、金の使い方に否を言うべきだ。


以下引用~~~

生きて税金、死んでも税金!? 政府が「死亡消費税導入」を検討

2014年5月11日(日)7時0分配信 日刊大衆

いったいどこまで国民から搾り取るつもりなのか? この4月に8%へアップされた消費税は、来年10月にはさらに10%になる予定。そして今年の6月からは復興特別住民税の徴収も始まる。さらに来年には所得税や相続税も控除額が引き下げられ、実質的な増税となり、さらには国民年金保険料も上がり続け、国民健康保険料も一部自治体では大幅な値上げとなっている。怒涛のように続く増税ラッシュ。しかし政府はまだまだ増税の手をゆるめようとはしない。政府内では社会保障精算税、いわゆる「死亡消費税」の導入が検討されているのだ。

これは死亡時に残した財産から一定の税率で税金を徴収するというもので、膨らみ続ける高齢者医療費の対策として提案された。要するに生きている間に医療費を負担させては不満がつのる。でも死んでからなら不満もないでしょ、という理屈だ。「ゆりかごから墓場まで」とは、かつてのイギリスの手厚すぎる社会保障を揶揄した言葉だが、日本では厳しすぎる税制度を揶揄する言葉に置き換えられるだろう。

5月9日には国の借金が過去最大の1024兆円にまで膨らんでいることが発表された。今のところは検討段階の死亡消費税だが、実際に導入される日も近いかもしれない。

「戦後レジームからの脱却」は、もう一度敗戦を招く 

世界五月号に、若手の政治思想研究家である白井聡氏の「おもしろうてやがて悲しきアベノクラシー」という論文が掲載されている。安倍首相の「戦後レジームからの脱却」政策への強烈な批判である。

私なりに理解した、その内容を概説すると・・・

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戦後日本の保守政治勢力は、本来戦争責任を負わねばならぬ立場であったが、冷戦構造の勃発により、米国により免責され、承認支持を受けて、わが国の支配層であり続けた。一方、国内の対して、(そして恐らくアジア近隣諸国に対しても)、第二次世界大戦は敗戦ではなく、終戦であったというイメージ操作を絶えず続けざるを得なかった。それは、対米従属を無制限に受け入れることとバーターの関係にあった。

安倍首相は、その「戦後レジーム」からの脱却ではなく、むしろ純化を行おうとしている。歴史修正主義的な言動によって、敗戦の否認を徹底し、それによってアジアで孤立化する。その一方で、「積極的平和主義」という名の対米軍事隷属をさらに進めている。日米軍事同盟の緊密化とは、実質的に自衛隊の米軍指揮かへの編入だ。この二つの政策は、表裏一体である。

歴史修正主義は、対米隷属の強化によって、米国にも理解され受け入れられるに違いないという、「甘え」がある。米国にとっては、歴史的、イデオロギー上の言動には否といい、その一方積極的平和主義という米軍への隷属を歓迎することは両立可能なのだ。米軍と共に戦い、やがて「敗戦」をもう一度経験することによって、本当に戦後レジームから脱却することになるのだろう。

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この議論には、アベノミクスを国民が受け入れることで、この政策を支持している、その背後には、これだけ隷属するのだから、米国は分かってくれるはずだという自己愛がある、という論議もあるのだが、全体としては、現在の保守政権に対する根本的な批判である。

現状のいわく言われぬ停滞は、恐らく、戦争責任をうやむやにしてきたことに由来するのだろう。それを明確にせぬままに、対米従属を続けることで、日本、否わが国の支配層は、自らが存続しえると判断しているのだろう。

集団的画自衛権についても、触れておきたい。

集団的自衛権の容認、自衛隊の海外への派兵は、結局、財政的に世界での軍事的プレゼンスを通したへゲモニーを維持できなくなりつつある、米国の肩代わりをすることである。

北朝鮮から米穀にミサイルが撃ち込まれるときに、日本がミサイルを撃ち落とすべきだといった、集団的自衛権を支持するための議論があるが、ミサイルの弾道からいて、日本上空を飛ばないし、もし北朝鮮のミサイルを撃ち落とす軍事行動に出たら、またはそれ以前に、北朝鮮は日本を攻撃することだろう。原発にミサイルを撃ち込めば、日本という国家は成立しがたくなる。

また、米軍のイージス艦が第三国から攻撃されたときに、日本の自衛隊の艦船から援護射撃をすべきである、という議論もある。イージス艦は自らへのミサイルに対する防衛で手いっぱいになり、相手への攻撃ができなくなるのではないか、という判断だ。だが、イージス艦は、ミサイル・敵艦船への攻撃を同時に行える能力もあると米軍関係者が明言している。

集団的自衛権が必要になる(と政府関係者が取り上げる)軍事的な具体的なケースも、実は成立しない、または意味がない。結局、米軍が世界展開する紛争現場、戦場に自衛隊を派遣するための、見かけ上の口実に過ぎない。自衛隊の派遣の範囲に制限を加えないという政府の決定も、自衛隊が米軍に隷属することを強く示唆する。

戦争責任をないがしろにし、その一方で無制限に軍事的に米国に隷属する。はたしてこれでよいのだろうか。

天下り組織による医療支配の構図 

国の形が変わろうとしている。それを先取りして、自らの利権を確保しようとする動きが、官僚達に盛んに見られる。これらの特殊法人は、そうした天下り官僚のための存在としか、私には思えない。

地域医療医療機関統合・・・医療機関経営

厚生年金関連の施設を売却し処分する仕事をしていた特殊法人が、こう変貌を遂げた。

「この4月、全国に57の病院、57の健康管理センター、26の介護老人保健施設などを全国で展開する、一大医療・介護グループが誕生した。運営主体は、独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO;Japan Community Health care Organization)だ。社会保険病院、厚生年金病院、船員保険病院をそれぞれ運営する、全国社会保険協会連合会、厚生年金事業振興団、船員保険会という3つの団体が運営してきた病院を統合して誕生した組織だ。」

理事長は、元厚労省官僚である。元々の特殊法人が、どうしてこんなに大転換できるのか、不思議だ。あるとすれば、官僚の天下り先の確保、それにこれだけの病院群をまとめることによる規模のメリットの享受だろう。地方の結構な基幹病院が多く含まれている。こうした病院は、民間が担えない医療分野を担当してきた面が強かったのではないだろうか。それが、こうやって天下り団体の傘下に入ってどのように変化するのだろう。地域の零細医療機関を潰すことにならなければ良いのだが。


医師の資格・人事管理・・・国規模の医局

専門医を一括して管理する特殊法人も立ち上げられたと昨日報道されていた。そちらは、理事長は大学人らしい(だが、医師ではない)。総合専門医という新しい専門医の要件として、へき地医療が義務付けられるらしい。この組織も内実は、官僚の天下り先になるのだろう。組織の目的は、専門医のレベル向上、それに分かりやすい専門医制度の確立にあるらしい。分かりやすい専門医制度とは分かりにくい。行政主導の専門医付与組織が、専門医のレベル向上にどうやってつながるのだろうか。二階建ての医師国試を作り、医師に生涯専門医更新の費用を支払わせ続けるつもりなのだろうか。


医療機関の格付け、医療事故・産科補償制度・・・医療のフレーム作りと管理

日本医療機能評価機構も、相変わらず、産科補償制度で大きな内部留保を蓄え続けている。病院機能評価という意味のない事業から、医療事故調にまで事業を拡大するつもりらしい。

弟 

先日、母の墓参りに、弟夫婦が仙台からやってきた。年に一度程度しか会わないのだが、頭髪が少しさびしくなっていたものの、引き締まった体格で元気そうだった。昔通りのハスキーな声で早口で話す。四歳違いだが、子供の頃の知り合いは共通な人たちが多い。なかには現在も交流を続けている友人が彼にはいるらしく、そうした人々のことを彼から懐かしく聞いた。

私と同学年で、某有名大学工学部を卒業し、その後所謂特殊法人に就職した友人がいる。彼は、すでにリタイアして悠々自適の生活をしていると、弟から聞いた。その友人が今はシルバー人材センターで仕事をしている、とのことで驚いてしまった。関連企業にでも天下っているのかと思いきや、のんびりとしているらしい。どうも彼は年金が多いらしく、そうした生活ができるらしい・・・他人の懐を覗きこむのは良い趣味ではないが・・・二人して思わずため息。

それに引き替え、我々(弟も同業)はどうだ、という話になった。年金受給額の見込み額が分かって、あまりの少なさに驚いたと、彼は言う。たしかに、卒業が人よりも多少遅く、大学生活は非常勤扱い、大学での最後の2年間ほどは助手となったが、その後も様々な施設を転々とする生活。年金が少ないのは予測できる。医師というと高給取りの代名詞みたいになっているが、実際は違う。当初の訓練期間の数年間から10数年間は、薄給。医師として一人前に仕事をはじめたら、多少恵まれるが、退職金はまずないに等しい。さらに年金もこの有り様だ。弟は、恐らく年金受給年齢を過ぎても仕事を続けなければならない。彼の場合、開業に適当な年齢を過ぎており、またたとえ開業しても大きなリスクを伴う。彼には開業の選択肢はあり得ない。私も自分の年金額を知った時は、これは生活保護とそれほど変わらないではないかと思ったくらいだった。彼の場合は落ち着く場所もまだないので、これからは大変なことだろう。

私が彼の年金を心配していたら、彼は私に運動をしているかと尋ねてきた。庭仕事は運動量としては少なすぎる、というのである。エアロバイクが良いぞと勧められた。「1万2千円」のエアロバイクを通信販売で手に入れ、毎日こいでいるらしい。自慢気であった。私は彼の年金を心配し、彼は私の運動不足を心配する。互いに歳をとったものだ。彼の場合、まだまだ病気せず仕事を続けなければならないという思いも強く、そのための運動でもあるのだろう。

人生を経済的にだけみると、特殊法人上がりが勝ちなのかもしれない 笑。もっとも、それもこれからは無くなるのだろうが・・・。

弟は基督教信仰に立ち、読書をこよなく愛する男だ。今回、ここに立ち寄った理由の一つは、彼の書庫で本を探すためだった。少し変り者だが、我が一族のもっともよいものを受け継いだ存在だ。

関西地方近傍原子炉13基のうち9基は建設後30年以上 

タイトルに示す通りなのだが、建設40年以上が2基、30年以上が7基である。

旧い原子炉の問題点は、おおまかに言って二つ。

一つは、経時変化で劣化が進むこと。どれだけ念入りに作られた工業製品でも、30年も経てば、劣化は逃れようがない。以前から繰り返し述べていることだが、中性子照射による脆化がとりわけ心配だ。原子炉の稼働により、中性子が生じ、それが原子炉圧力容器の璧をなす金属を劣化させることが知られている。徐々に低い温度で金属璧の弾性が失われる、即ち圧力により破壊され易くなる。この劣化による原子炉の破壊は、稼働中の爆発となるので、極めて危険である。福島第一原発事故では、原子炉の停止が一応できたので、被害があの程度で収まった、爆発による事故では、放射能汚染は想像を超えて深刻になる。さらに、原子炉には極めて多くの配管がある。それらも経時的に劣化することが当然想定される。福島第一原発事故では、地震の第一撃により配管の一部が破損した可能性が指摘されている。

もう一つ、設計が過去にさかのぼるほど、安全基準、安全への対策が、それ以降の設備に比べて貧弱であることだ。これは原子炉の設計に携わった方がはっきりと述べておられる(田中三彦著 原発はなぜ危険か 岩波新書)。古い原子炉を稼働させるのは、たとえ原子炉の劣化を考えなくても、より大きなリスクが伴うのだ。

西日本の方々は、是非関西近傍の原発の位置をもう一度確認なさり、各々の原発が建設された時期も確認なさっていただきたい。原発再稼働には、大きなリスクがあることを理解されることだろう。

直下型地震では道路が寸断される 

新潟県知事が新聞のインタビューで、原発の再稼働について述べた内容を引用されたものを読んだ。彼が言うには、東日本大震災のようなプレート型の地震に比べて、直下型の地震の場合、道路が破損する可能性が高い。その場合、原発周囲の住民の避難が極めて困難になる、という。

原子力規制委員会が、原発の「安全性」を確認し、それに基づいて、政府は原発の再稼働を行う、と言っている。が、原子力規制委員会は、決められた基準に合致するかどうかを判断するだけであり、「安全性」を保証するものではない、という。さらに、その基準には、周辺住民の避難・退避についての規定はない。直下型の地震に見舞われた場合、周辺住民は置き去りにされる、ことになっている。

関西北陸地方の原発は、若狭湾を中心として、密集している。こちらの図、記述をご覧いただきたい。直線距離で50km以内のところに、敦賀、もんじゅ、美浜、大飯、高浜各原発があり、計13基に上る。主要幹線道路は、一つだけだ。この海岸沿いの道路が、地震・津波で破壊されたら、周辺住民の避難の方法はなくなる。さらに、半径100km圏に京都大阪地域がある。上記の原発は、同時に被災する可能性が高い。すると、放射能汚染は、福島第一原発を大きく超える可能性がある。福島第一原発事故による放射能汚染の大半は太平洋側に飛んだことを忘れてはならない。関西地方の水源になっている琵琶湖も汚染され、その水を利用できなくなることだろう。関西地方で直下型地震が起き、原発のドミノ倒しのような事故が起きると、恐らくは、関西地方は居住不可能になる。

関西北陸地方に大規模な直下型地震が起きる、それも想定外のこととして済ますのだろうか。

SNS、ネット 

Alan KF3B が、フェースブックから退会するとメールで言って寄こした。そうしたSNSのアプリケーションが、彼が望ましいと思うものではないと判断した、とあった。Googleなどが、個人データを集め、それをビッグデータとして、またはもしかしたら、個人データそのものとして、我々の知らないところで利用していることを指しているのだろうか。この点については、すこし不気味なものを感じるが、あのようなネット空間を利用させてもらっている以上仕方のないことなのかと思わないでもない。だが、Alanが考えたであろうことは理解できる。

もう一方、ファースブックで言えば(そして恐らくその他のSNSでも)、主に画像を用いて、自分の感想やら思いを短い文章で発信することが、大多数の利用の仕方だろう。それに対する感想も寄せられるが、あまり突っ込んだやり取りにはならない。勿論、気の合った仲間と、気軽に日常のやり取りを楽しむためのメディアなのだろうが、ちょっと物足りないといえば物足りない。

もっと大きく考えて、ネットでの交流、意思疎通の可能性全体にも、一頃の熱気のようなものが感じられなくなってきた。私の感じ方の問題なのか、それともネットが変化しているのかは分からない。8年前だったか、福島県立大野病院事件が起きたときに、医療界は熱気に包まれ、ネットでの交流・運動が盛んに行われていた。私を含めて、それまで自らの意見を世には発信する術がなかった医師が、ブログ等ネットを通じて発信し始めた。その後、問題はより深く広範になったし、日本という国の形が問われる出来事が目白押しに起きているのに、だんだんネットでの見解表明や議論が行われなくなってきたように感じている。

ネットの表面的な匿名性による限界なのか、それとも、目新しいことを論じるには激しているが、一つのことを深く掘り下げるこのがどちらかというと不得手な特性によるものなのか。ネットが、多くの方と同時に、そしてリアルタイムでやり取りができるメリットは、いささかも変わらない。また規制メディアに載らないような問題も議論することができる。私なぞ、思いついたことをダラダラと書き連ねているだけだが、ネットの限界と利点を意識しつつ、まだこれからも発信してゆこう。SNSは、ほどほどに・・・かな。