マイナス金利導入のもつ意味 

日銀が、当座預金の一部にマイナス金利を導入することを決めた。これは、量的金融緩和の効果が表れず、「デフレ」から脱却できないということを、日銀自身が表明したことに他ならない。インフレターゲットの達成は、さらに2年引き伸ばされた。日銀は、いよいよ手詰まりになっている。こちら参照。

マイナス金利の導入は、市場にさらに資金を流し込み、それによって需要を喚起しようということなのだろう。だが、すでに資金は市場にじゃぶじゃぶに出回っている。さらに、高齢化、人口減少、さらに実質賃金の低下によって国内需要は、先細りだ。金利面から金融緩和を行っても、問題は解決しない。それどころか、この金融緩和策は何らかのバブルを引き起こす可能性があり、バブルが破裂する際には、リストラ等によって、一般市民がさらに被害をこうむる。また、未曾有の金融緩和策は、日銀の信任を失墜させ、円が暴落するという事態を招く可能性がある。

水野和夫氏が「資本主義の終焉と歴史の危機」で述べている通り、金利の低下は、資本主義というシステム自体の破たんを意味しているのかもしれない。いくら投資をしても、それに見合うだけの収益が得られなくなっているためだ。彼によると、資本主義は、常に「フロンティア」を求め続け、それによって「成長」を続けてきた。「フロンティア」は、1970年代までは地理的な市場の拡大であり、そこで資源労働力を安価に得ることであった。しかし、1990年代のIT導入による国際金融市場の出現により、市場は「地理的・物理的空間」から「電子・金融空間」に移行した。それはグローバル経済を生み出し、新たなフロンティアを国境で定義される空間ではなく、経済的な中間層に見出した。かくて、グローバル経済のもとに、富の偏在が世界的な規模で起きるようになった、ということだ。

グローバル経済が、成長を錦の御旗にして、世界を席巻している。それが、このとめどない金融緩和をもたらしている。実体経済に必要な資金を大幅に超える資金が、「電子・金融空間」にじゃぶじゃぶに流し込まれている。それが金融市場をきわめて不安定にしている。それによって、犠牲になるのは、各国の中間層である。それを国民は知らされていない。

いつものことながら・・・ 

CWopsのMLの配信を一旦停止とした。例のCWTの結果だけのメールが余りに多い。で、いっそのこと配信停止にしてしまったということだ。MLも関心のない内容であると、目障りなだけだ。

それはさておき、やはりコンテストは、それ自体ラグチュワーだけでなく、ごく普通の交信を楽しむハムを追いやってしまう。コンテストの前後で、普通の交信が聞こえなくなる。コンテストが行われるとなると、その前からオンエアーをしなくなるだろうし、またコンテスト後にはしばらく出なくなる。そうではなくても、普通の交信を楽しむ人々が少なくなってきているのだから、このコンテストによる抑圧効果は結構効いてくる。

先日もJack WA7HJVと話したことだが、近い将来、普通の交信をする相手を見つけるのが、きわめて困難になることだろう。おそらく、クラブのロールコールや、スケジュール交信しか存在しなくなるのではあるまいか。このところ、CQは出しても、2,3回までに制限している・・・続けても相手のいない現実は変わらないから・・・のだが、一昨日、7メガの夕方とても静かなバンドだったので、30、40分CQを出し続けた。だが、コールは一つもなし。

この現象は、以前から記している通り、この数年間に目立つようになってきた。定量的なデータを取っているわけではないし、私個人の感想に過ぎないのだが、普通の交信をする局がめっきり減ったというよりも、居なくなった、というのが率直な感想である。おそらく、JAでは普通の交信をする局のかなりが和文専門になったのだろう。Wでは高齢化か。夜早い時間帯に、夕方7メガに時々出てくる、Tom W6XFも、CQへの応答がないといつもぼやく。そこに、コンテストのインフレーションである。毎週末は、何らかのコンテストが複数!開催され、毎水曜日にはこのCWTが細切れとはいえバンドを席巻する。コンテストによって、普通の交信をする局のactivityが落ちた可能性も十分ある。理由は何であれ、このactivityの低下は、さらにactivity低下をもたらす。悪循環である。

この悪循環を断ち切るとまでは言わないまでも、それを促進するようなイベントを開催するのは、CWクラブには止めてもらいたいものだ。

原子力損害賠償・廃炉等支援機構 

東電は、原子力損害賠償・廃炉等支援機構から莫大な財政支援を受けている。すでに5兆円を越えているこちら

この「支援金」どこまで積み上げられるのか。電力会社・原発関連企業のモラルハザードになっているのではないだろうか。いざというときには、こうした支援を受けられるのだから、原発再稼働をどんどん進めようという経営判断につながっているのではなかろうか。

このお金は結局税金、または電気料金で我々が支払うことになる。

近況 

昨日、眼科を受診した帰り道、少し遠回りをして、以前仕事をしていたころ、帰途毎日のように通ったスーパーマーケットに寄ってみた。ところが、その駐車場は囲いがなされ、建物は真っ暗、看板も取り払われている。廃業したのだろう。今年になって一度買い物に寄っているので、この2,3週間の出来事だったのだろう。

あの大震災の際には、内部はだいぶ壊れたらしく数週間閉店していたが、その後復活した店だった。確かに客の入りはイマイチだったが、コンスタントに客はいたような気がする。患者やその親御さんとも良く行きかった場所だった。このスーパーマーケットで働いていた人たち、特に臨時雇いの方々はどうなったのだろう。昔患者だった子供たちが高校生になり何人もここでバイトをしていた。レジでてきぱきと仕事をする彼らを見るのはうれしかった。近くの別の店は、震災後閉店してしまった。ここで普段買い物をしていた高齢の方々はこれからどうなるのだろうか。数kmの範囲にはスーパーマーケットはない。それほど過疎の地域では決してないのだが、小売業がこの調子で廃業してしまうと、高齢者には生活しにくくなる。

この店の廃業は、世の中ではありふれた出来事の一つかもしれないが、私がかって毎夕のように通った店がなくなる、ということは、多少のショックだった。ここ以外にも、過去20年間にはいくつもひいきにしていた店が閉じている。少し大げさになるが、人生で物事の移ろいやすさを改めて感じる思いだった。だが、考えてみると、自分もその「移ろう存在」であり、ここからいつ失せることになるかも分からないわけだ。そう考えると、移ろいやすさは、まず自分自身にあるということかと、苦笑いせざるを得なかった。

帰り道のわきに、以前にもここに画像をアップした弁天塚古墳がある。きれいに下草がかられ、落葉した樹が数本小型の円形古墳を覆っていた。日差しはまるで春のようだった。ブラームスの弦楽五重奏曲1番や、バッハの管弦楽組曲2番等々を大音量でかけながら、この畑道を突っ走ったものだった。移ろうことと、その思い出と、どうも過去のことばかりだが、年齢のなせることなのだろう。仕方あるまい。

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明日は、ほぼ一年ぶりにピアノトリオの練習だ。

アベノミクスの果実は酸っぱい 

アベノミクスの成果を届ける?

社会保障は削減し、介護内容も乏しくし、年金をマクロスライドで引き下げをする。逆進性の高い消費税を増税する。そうしておいて、アベノミクスの成果を一度っきりの現ナマの給付で分け与える?

これだけ薄く広く一度だけ現ナマをばら撒くのは、やはり巷間で言われている通り、選挙対策だろう。

この現ナマをつかまされて、政府与党を支持する国民だったとしたら、それはそれまでということか。

選挙が終わり次第、改憲に突き進み、国民の人権を蔑にすることだろう。さらなる増税も行われる。

アベノミクスなる政策は、すでにフィナンシャルタイムズ、ニューヨークタイムズ他が否定的な評価を下し、クルーグマンも失敗であったことを示唆している。国際的にみても、アベノミクスは、失敗だったと結論が出ている。

これ以上、政府が金融緩和を続けると、後で国民に壮大なツケが回される。


以下、引用~~~

給付金3万円、参院選前に配布…1130万人に

2016年1月21日(木)11時11分配信 読売新聞

 65歳以上の低所得年金受給者に支給する1人あたり3万円の臨時給付金について、政府は参院選前の6月中に配り終える方針だ。

 対象は住民税が課税されない人で、生活保護受給者や、住民税が課税されている人の被扶養者には支給されない。在留資格がある外国人も同じ条件で、約1130万人に支給される。

 政府は、「1億総活躍社会」の実現のため、賃上げの恩恵が及ばない低所得の高齢者にアベノミクスの成果を届けることが目的だと説明。支給事務を担う市区町村によって申請の受付期間は異なるが、政府は申請期間について原則3か月とするよう求めている。

 3万円を受け取るためには、申請書に必要事項を記入した上で市区町村に提出する必要がある。自治体側が内容を確認し、口座への振り込みなどで支給する。

 65歳未満で障害基礎年金、遺族基礎年金を受給する約150万人にも3万円を配るが、支給時期は10月以降になる見通しだ。

マスコミが増すゴミと呼ばれる理由 

先のポストに関する、読売新聞の記事。

これは政府の説明そのもの。「約5200億円と推計される」という根拠を示さなければ、意味がない。それと、家計調査との大きな乖離は、どう説明するのか。

マスコミも、芸能人の不倫だ、某グループの解散騒動を面白おかしく報道するばかりが能ではないだろうに。なぜ政府の主張をそのまま載せるのか。自ら検証する能力が全くないのか。政府の御用新聞か。ありがたくも消費税軽減税率適用対象にして頂いたために、批判ができないのか。


こんな政府は信頼できないし、こんなマスコミは必要がないと言われても仕方あるまい。

この不足分をどこからねん出するのか、政府は何も言っていない・・・何も言わないのが戦術なのだ。国民は、この1兆円の穴埋めをするとして、夏の選挙後に増税の嵐が吹き荒れることを知らされていない。選挙のためのバラマキなのだ。

以下、引用~~~

軽減税率「国民負担1兆円減」…政府が統一見解
2016年1月19日(火)21時7分配信 読売新聞

 麻生財務相は19日の参院予算委員会で、消費税の軽減税率の導入に伴う国民負担の軽減額を「年間で総額1兆円程度」とする政府の統一見解を示した。

 国民1人あたりの軽減額は、1兆円を人口で割れば8000円程度になるが、政府は総務省の家計調査に基づいて4800円程度と説明し、野党が「試算がいい加減だ」と追及したためだ。

 安倍首相は18日の国会答弁で、1人あたりの軽減額を「4800円程度」と説明した。この額に人口をかけた総額は6000億円程度で、政府が示してきた1兆円程度より少ない。大きな開きがあるのは推計方法の違いが原因だ。

 軽減総額の1兆円は、家計が負担する年間の消費税額から推計された。

 家計全体で税率1%あたり年間2兆1400億円の消費税を払っている。このうち軽減対象となる「酒類と外食を除く食品全般」と「週2回以上発行し、定期購読されている新聞」に対する支払いは約5200億円と推計される。消費税率が10%になる2017年4月、軽減税率は8%で導入されるため、税率の差は2%になり、軽減総額は約1兆400億円となる。

軽減税率による不足予算予測の出鱈目さ 

昨日、参院予算委員会で、共産党小池議員が安倍首相等と、軽減税率という名の据え置き税率、もっと言えば、バラマキについて議論していた。

軽減税率によって国民の「痛税感」を緩和する、と安倍首相は強調する。痛税感とは、主観的な言葉だ。税金が適正に使われていないと納税者が感じるときに、税金の多寡にかかわりなく、税金をできれば忌避したいという感情が納税者に湧く。それが痛税感ということだろう。安倍首相が、痛税感緩和と繰り返すたびに、自ら税制が不適正、不公正であることを吐露しているわけで、何と間抜けなことよ、と可笑しくなる。実際、社会保障に全額用いるという消費税増税が、ふたを開けてみると、法人税減税、防衛費増額、公務員給与引き上げ等にほぼ全額消えてしまっているわけで、国民が痛税感を感じるのは無理はない。その点では、安倍首相は正直なわけだ。

軽減税率は、消費税の逆進性を緩和しない。裕福な人々ほど、対象品目を多く購入するからだ。裕福な人々が、軽減税率の恩恵をより多く受ける。そのために、この軽減税率の意味を、「痛税感緩和」としか安倍首相は言えないわけだ。一方、国民の大多数は、消費税が少額になるなら歓迎する、ということなのだろう。この夏の参議院選挙目当ての、政権のバラマキの一種であることを知ってか知らずか・・・。国家予算に穴が空くので、結局は別の増税でこの穴埋めがされることになる。

小池議員と、安倍首相、麻生財務大臣のやり取りで、この軽減税率がいかにいい加減なものかが暴露された。小池議員が、この軽減税制で国民一人当たり年間いくら消費税が軽減されるのかを尋ねた。安倍首相は、4800円だと答えた・・・すると、国民全体への軽減額は、6000億円ほどになる。一方、政府は軽減税率で穴のあく予算は、1兆円であると以前から述べてきた。話が合わない。麻生財務大臣等は、データの基礎資料が家計調査なので、その調査がすべてを把握しているわけではない、と苦しい弁明。だが、そうした不完全なデータに基づき、軽減税率導入で穴埋めすべき予算規模を予測し、結果としてこれほどの違いのある数値を出している。

何故これほどずさんな数値を出しているのだろうか。まず考えられるのが、単純に、官僚のずさんさだが、財務官僚といえば、官僚中の官僚であり、これほどずさんなことをやるはずがない・・・と思いたい。

二番目には、予算に空く穴を大きく見せることで、国会、世論をこの複雑な税制を持ち込ませないように誘導しようと官僚が考えた、ということもありうる。が、既に、自公政権は、軽減税率導入を決定していたわけで、考えにくい。

三番目には、不足分を実際の必要額よりも大きく提示しておき、その差額を官僚が良いように振り向ける、という可能性。自然災害が起きたときに、復興対処のための予算をつけるが、それが過大で、結局関係ない官庁のプロジェクトに回されることを我々は過去に何度も見てきた。政治がそうした出鱈目をチェックすべきなのだが、何もチェックできていない。

どのような理由にせよ、国のかじ取りをする、政府と官僚がこの体たらくでは、あまりに哀しい話である。

どうしてこのような数値になったのか、検討して後で報告すると言う麻生大臣の最終的な答弁だった。何らかの在り様もない言い訳をするのかもしれない。だが、このずさんさは、消しようがない。

小池議員の質疑を報道するNHKのニュースでは、軽減税率導入によって生じる税収不足分は、いつの間にか6000億円に訂正されていた。ニュースは、このずさんな見通しについては一言も触れていない。

こうして、国民はいい加減な根拠で、必要以上の税金を危うく取られることになったわけだ・・・これこそ、我々に痛税感を与えることになるわけだ。

梅の開花 

今日の夕方庭で、梅の花が咲き始めたのを偶然見つけた。両親がかって住んでいた離れの前の梅の木。驚きとともに、こころ華やぐ気持ちになる。この寒々しい季節もやがて終わり、春が近づいていることを感じるからだろうか。

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両親も離れから、この梅の花を同じようにこの時期に観ていたはずだ。生命の流れに自らがあることを感じていたのだろうか。それとは意識しないまでも。

行政による、医療介護の支配 

厚労省は医療介護を自らの統制下におき、そこを利権の温床にしたいと考えている。

新臨床研修制度によって、大学医局から人事権を奪い、それで地域医療が崩壊した。

すると、今度は医師の大量増員、新専門医制度の創設によって、地域医療要員を確保しようとしている。医師の強制配置を奨学金と専門医資格という面から実現し、地域医療を確保しようとしている。新専門医制度は、これまでの学会主導の専門医制度とほとんど変わらない内容だが、現場の医師に様々な学会参加を強制させ、またネットを通じた学習を強いる。これまで以上の、経済的、時間的な負担を、現場の医師に強いる。行政が医師の人事権をあくまで手中に置こうという試みだ。

医療機関における消費税の損税化は放置し続けている。消費税分として上乗せされた(不十分な額なのだが)診療報酬をピンハネし、地域医療介護総合確保基金という新たな利権のもとを作った。本来医療機関が得られる正当な診療報酬をピンハネし、自らの天下り先を確保し、医療機関に配分することによる利権を手に入れたわけだ。

産科補償制度、医療機関の認定制度によって巨額の内部留保を得ている、日本医療機能評価機構は、そのまま温存されている。ここも行政の天下り組織になっている。

医療事故調も、やがて行政のあからさまな利権の温床になるはずだ。

小松秀樹氏が、下記の論考で述べている通り、この手法は、計画経済そのものだ。行政が、強制力を持った統制を、医療介護の隅々まで及ぼすことになる。それによって、医療介護がどうなるかは、小松氏の指摘する通りだ。これは、将来の予測というよりも、確定的な見通しと考えた方が良い。

行政によるこの手法は、結局、医療介護の受益者である国民に被害をもたらす。

以下、MRICより引用~~~

計画経済医療による首都圏の医療・介護危機

(戦略検討フォーラムhttp://j-strategy.com/forum/1726より転載)

小松秀樹

2016年1月16日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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首都圏で、75歳以上の高齢者人口が急増しつつある。筆者は、10年先、医療・介護サービスの深刻な提供不足が生じるのではないかと危惧している。場合によっては社会不安になりかねない。具体的には、要介護者の退院先が見つからなくなる、急性期医療を必要としている患者が入院できなくなる、高齢者の孤独死が激増する。

政府は、「介護離職ゼロ」を掲げて入所介護施設を増やそうとしている。しかし、若年労働者の不足、介護労働者の低賃金、特に首都圏では他職種との格差が大きいため、介護労働者の確保が困難だ。

従来、首都圏の病院は、診療報酬が全国統一であるにもかかわらず経費が高くつくため、経営が苦しかった。これに2014年4月の消費税率引き上げが重なって大病院の経営が危うくなった。医療には消費税は課されていないが、病院の仕入れには課されているので、消費税率引き上げは病院に経済的損失をもたらす。『選択』15年9月号によると日本医大、北里大学、聖マリアンナ医大は赤字経営であり、とりわけ日本医大は危機的状況にあるという。私立大学病院は、医師の人件費を抑制して対応してきたが、医師に見放されかねない。  

筆者が最も危惧しているのは、厚労省が切望してきた「強制力」を伴う計画経済の弊害だ。14年の医療介護総合確保推進法によって、病床機能ごとに必要量を行政が決め、その整備に強制力を行使できることになった。地域医療構想の策定とそれに基づく整備は、都道府県医師会、保険者、市町村などが参加する会議体が担当する。実質的には行政が主導する。私立の医療機関に対しても、「正当な理由がなく、要請に従わない場合には勧告を、許可に付された条件に係る勧告に従わない場合には命令をそれぞれすることができ、当該勧告等にも従わない場合には医療機関名の公表、地域医療支援病院の不承認又は承認取消し、管理者の変更命令等の措置を講ずることができる」(地域医療構想策定ガイドライン)とされている。さらに消費税増収分を活用した基金(地域医療介護総合確保基金)からの補助金を、都道府県の裁量で配分する。消費税率引き上げ分が診療報酬に十分に反映されていないことを考え合わせると、この基金は病院の収益の一部を取り上げ、それを、支配の道具に使う制度だと理解される。

個別病院や施設の経営が、行政や地域の競合相手の参加した会議体に大きく影響される。投資を行政の恣意的補助金配分に依存することになる。病院組織の内と外の境界が不明瞭になり、独立した判断主体としての体をなさなくなる。経営に対する責任感覚が弱まり、病院や介護施設の活力がそがれる。

計画経済は、行政が強大な権限を持つことになるため、専制を招く。腐敗と非効率は避けられない。旧共産圏では、現場の活力を奪い、製品やサービスの質と量の極端な低下を招いた。計画経済は人間の能力を超えている。日本における医療・介護でも、その欠陥が、首都圏でサービスの深刻な供給不足として顕在化する可能性がある。

緊急事態条項で国民の基本的人権が制限される 

自民党は、すり寄ってくる公明党、おおさか維新の会などと共同して、憲法改正を目指すとしている。憲法改正で最初に目指すのは、緊急事態条項の新設だそうだ。これは、甚大な自然災害時に、国会議員の任期を延長することを可能にする等の条項以外に、国民の基本的人権を制限し、さらに首相に超法規的な権限を付与する条項も含まれるらしい。

後二者は、ドイツのナチスがワイマール憲法を骨抜きにした全権委任法と同じではないか。同法の骨子は、国会の立法権を行政府に委ねる、というものだ。緊急事態を宣言することにより、首相、政府は、全権を掌握することになる。ナチスが政権を奪取した時期は、ドイツが経済的に困窮していた時期で、理想的な憲法と言われたワイマール憲法の精神が政治に反映されていなかった。そこを突いて、ナチスは権力を得たのだ。同じ構図が現代の日本でそのまま繰り返されるとは思えないが、ただ円の増刷でやり過ごしてきた安倍内閣による経済財政政策の脆弱性が、何らかの要因で表面化する可能性はきわめて高い。政府は、日銀の際限のない金融緩和を日銀に放り出した感がある。いつかは金融緩和を止めなければならない。現在の資産バブルの状況から、未曾有の不況、さらにハイパーインフレに陥る可能性がある。その時に、国家社会主義的な政権が出現する可能性がある。

自民党の憲法草案を読むと、国民の基本的人権を制限する条項が目立つ。緊急事態条項が加われば、基本的人権、国民主権という原則に基づく、民主主義は崩壊する。

そうした方向に進むのかどうかが、今年の参議院議員選挙、さらに同日選になれば衆議院議員選挙で決まる。

民主党は、自らが政権奪取時に犯した過ちを真摯に反省すべきである。国家社会主義的な政党が政権を取るかどうかの瀬戸際にあることを考え、そうした政治体制へ否を言う野党共闘を第一に進めるべきではないだろうか。民主党が存在意義があるとしたら、そこだけだ。

追伸:「志村建世のブログ」で、来たる参議院議員選挙の話題があった。志村氏のおっしゃる通りだ。こちら。改憲により、全権委任法と同様の内容に改憲されたら、我が国が再び戦火にさらされる、または若い人々を戦場に送り出すことになる。それを良く考えて、投票に臨んでもらいたいものだ。・・・しかし、もう一度、こっぴどく痛みを味あわせられないと国民は分からないのだろうか・・・。

以下、引用~~~

「国民連合政府」現時点では困難…共産・志位氏

2016年1月11日(月)9時18分配信 読売新聞

 共産党の志位委員長は10日、安全保障関連法の廃止を目的とする連立政権「国民連合政府」について、「民主党とはまだ一致が得られていない。難しい面もあるかもしれない」と述べ、現時点での実現は困難との認識を示した。

 東京都内で記者団に語った。

 共産党は国民連合政府への参加を条件に夏の参院選で選挙協力に応じる考えを表明しているが、民主党は「(反安保関連法の)一点だけで一致しているからといって政府を作るのは違う」(岡田代表)と参加を否定する一方、共産党に候補予定者の取り下げを求めている。志位氏は「(参院選の)選挙共闘には、政党と政党で真剣な話し合いをして、しっかりとした合意を作ることが必要だ」と語った。

原発利権組織による『殺人』 

人々は、それぞれの地域に属し、そこで生活をする。それが広い意味での故郷だ。

原発事故は、人々から故郷を奪った。コミュニティを破壊し、家族が離散し、人間関係が失われた。故郷があって初めて人は生きてゆくことができる。したがって、故郷を奪うことは殺人に等しい。

福島第一原発事故の原因究明がなされず、さらに復旧のめども立たないまま、原発再稼働が行われつつある。ふたたび故郷を失う避難民が出るような事故が起きる可能性は少なくない。政府・行政と原発利権組織による殺人が行われることになる。

以下、引用~~~

福島、避難区域4町の人口ゼロに
2015年12月25日(金)10時0分配信 共同通信

 福島県は25日、総務省が今年10月に実施した国勢調査の速報値を発表した。東京電力福島第1原発事故後初の調査で、全域が避難区域となっている浪江、双葉、大熊、富岡の4町で人口がゼロになった。

 ほかに全域が避難区域の飯舘村は特別養護老人ホームに入所している41人、葛尾村は避難解除に向け村内で長期宿泊している18人だった。9月5日に避難指示が解除された楢葉町は976人で、前回2010年の調査に比べ6724人(87・3%)減少した。

 県全体では、前回に比べ11万5458人(5・7%)減の191万3606人で、減少幅は過去最大。

親父のメガネ 

いつのころからか、親父のメガネが我が家の食卓の同じ場所にずっと置いてあった。親父がなくなって13年だったか、あたかも食卓の同じ場所、いつも奥の左側に座っていた、に親父がふっと現れて、座るかのように、このメガネがあった。

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晩年の親父は、夕食は我が家で摂ることが多かった。夕方早い時間にこのテーブルに座り、当時夕食を作るのをお願いしていた方・・・とても良い方だった・・・と話し込んだり、本を読んだりして、食事の支度ができるのを待っていた。週末は家内が作った。そうした情景を思い起こさせるメガネなのだ。

最近、私が白内障の手術を受け、近視気味だったのが、老眼に変わった。一番の問題は、本が読みづらくなったことだ。それで、試しにこのメガネを着用してみた。度数がほとんどピッタリ。辞書を引いたり、本を読むことができるようになった。おそらく、この1,2か月間で老眼の程度が変わるので、あとでメガネを作らないといけないのだとは思うが、こうして親父が掛けていたメガネを使うことに感慨ひとしおだ。

あの当時、何気ない日常だと思っていたことが、思い返すと、なんと恵まれた時間であったことか、と改めて思う。そして、これから親父が歩んできたのと同じように、私が晩年という人生の時期に入りつつあるということだ。人生の幕が下りる前に、このメガネを使って、もう一勉強だ。楽譜が自由に読めるようになったこともうれしいことだ。親父からの贈り物というところか。

「モーツァルト 最後の四年」 

磯山雅氏が、「モーツァルト 最後の四年」という本(翻訳)を出版された。原著者は、Christoph Wolff。その中に引用される、未完の室内楽の自筆譜とその演奏の録音を、こちらで聞くことができる。

名を遺した作曲家の晩年の作品には、自由さ、それによる透明性が感じられることが多い。ベートーベンや、フォーレの作品群を聴くと、その消息が良く分かる。悪しき意味での伝統や、外面的な効果を狙った派手な技巧等とは無縁の、自身の芸術を表現することだけに関心を向けた自由さを聴くのだ。ベートーベンの後期の弦楽四重奏を聴いてみればよい。まるで天国で遊ぶがごとき自由さ、それによる透明感を聴くことができる。この著作に引用されているという、モーツァルトの遺作であるこれらの室内楽も同様だ。未完の作品群だが、素晴らしい。

人間は晩年になると、世の中の価値や、常識から自由になり、透徹した生き方ができるようになるはずだ。こうした天才作曲家には足元にも及ばないが、願わくば、私の晩年も自由で透徹したものになってほしいものだ。

この本を早速注文した。

ぶざまなマスコミ 

安倍首相の年頭記者会見を聴いた。例の第二のアベノミクス(この言葉はさすがに使わなくなった)の自画自賛と、将軍吉宗を持ち出して、桜の木を植えようという話である。享保の改革を行った吉宗を自らになぞらえたかったのだろうか。首相ともなれば、自らの政策をアピールすることが、こうした記者会見の目的だろうから、この繰り返し聞かされた内容の会見も分からぬでもない。

だが、問題は、記者たちの質問だ。我々に関心のある、過去3年間の政策の結果についての質問はただ一つだけ。それも外国の記者が行った質問だった。デフレ脱却をしたというニュアンスの発言が首相からあったが、実際に脱却できているのか(すなわち、アベノミクスは失敗だったのではないか)という質問である。論点を一つに絞った明確な質問であった。首相は、デフレから脱却する目途がたったというあいまいな言葉で答えていた。お得意のはぐらかし、ゴマカシである。

首相、政権がすぐにでも対応すべき問題は多数存在する。桜を植えるなんて言っている暇はないはずなのだ。沖縄の辺野古への基地移転・建設の問題、日本国中から提起されている安保法制の違憲訴訟、少子高齢化への具体的な対処、貧困層の拡大の問題等々である。我が国のマスメディアの記者たちは、こうしたことについて尋ねない。むしろ、首相の言いたいことを誘導するような質問ばかりだ。政治家に対するそれなりの敬意は、結構なのだが、政策・政策の結果に関する真剣勝負を首相・政権と行うのが、記者会見という場なのではないか。政権と対峙し、問題を浮き彫りにしようという態度が全く見られない。お先棒担ぎのマスメディアにはうんざりさせられる。

我が国の報道の自由は、「国境なき記者団」の評価で2015年は61位と大きく後退した。2010年には11位だったことを考えると、ダントツの後退だ。政権与党の締め付けもあるだろうし、秘密保護法成立という要因もあるのかもしれない。が、マスメディアが、政権に批判的なスタンスを自ら放棄し、政権の翼賛体制になっていることが問題ではないだろうか。

我が国の財政破たん・近い将来確実視されている東京での直下型地震そして原発の深刻事故の再現などによって、我が国が財政的に立ち行かなくなったときに、こうした翼賛体制のマスメディアは、我が国の全体主義国家化に大きな役割を果たすことになる。

「ヒトラーに抵抗した人々」 

昨年末、近くの大きなショッピングモールに出かけた。大した買い物の予定があったわけではなかったが、以前頻繁に通っていた書店を覗いてみようと思っていた。この書店では、社会科学、人文科学系の文庫本・新書のコーナーがあり、岩波、中公新書等がずらっと並べられていた・・・が、今回、それがあった場所は、大衆小説の文庫本におきかえらていた。文庫本・新書のコーナーは、片隅に追いやられていた。

ハンナ アーレントの「全体主義の起源」の第二、第三分冊があったので、それを購入。そして、ふと「ヒトラーに抵抗した人々」という中公新書に目が留まった。全体主義がどのようにして出現し、人々はそれにどう対処したのか、ということに関心があったこともあり、手に入れ、昨夜読了。

ナチスの時代に、迫害されていたユダヤ人を助け、さらにナチスに積極的な抵抗を試みたドイツ人たちがいたわけだが、戦時中、そして戦後一時期を通して彼らは、国家に反逆するものとして無視され、貶められたということに驚かされる。戦後の占領軍とっても、ドイツのなかにそうした人々がいたこと、第二のドイツがあったことは好ましいことではなかったために、失敗に終わったヒトラー暗殺計画、7月20日事件の生き残り、犠牲者の家族は、厳しい時代を生きたということだ。生存者たちの懸命の活動のおかげで、第二のドイツを生きた人々の名誉は回復され、それが第二次世界大戦の国民的な反省につながっていった。

この本のなかに、ナチスへの抵抗の一つの拠点だった告白教会の牧師、神学者ディートリッヒ ボンフェッファーのことが何度も出てくる。故高橋三郎先生の主宰された、彼の著作の読書会に出たことを思い出す。私が、浪人をしていたころだったか。そこで、以前にもここで何度か記させて頂いた、当時医学部に進学なさったばかりの若井先生とも親しくさせて頂くようになった。以前の記事にも記したとおり、彼は、海外医療協力などで脳外科医として活躍なさり、母校東大医学部教授に10数年前に就任なさった。だが、50歳代の働き盛りで若年性アルツハイマーに冒され、それを数年前に彼は公にした。同病の啓もう活動のために、講演活動などを奥様と行ってきた彼だったが、現在は、社会生活は難しくなりベッド上での生活になっている由。どのような思いでいらっしゃるかと思い起こしつつ、この本を読んだ。

私も60歳代後半に入り、これからの人生でできることはもう限られている。だが、後世に残す社会を少しでも良くするために、できる限りのことをして行きたいと念願している。私にできることは、ほんの僅かかもしれない。だが、それでも現在進行している不条理の出来事がさらに人々に苦難をもたらすことのないように、我々は考え活動してゆかねばならないのではないだろうか、とドイツの戦後の礎を築いたナチスへの抵抗者のこの歴史を読みつつ考えた。

オオカミの住むところに羊を放すようなもの・・・ 

様々な個人情報を、ネット上に載せるのは、オオカミの住む野原に羊を放すようなもの。ましてや、年金機構のような行政組織がそれをするのは危険極まる。

マイナンバー制度が、個人情報の大量流出を起こすのは陽を見るよりも明らか。

年金機構による個人情報流出で、すでに犯罪が起きているかもしれない。その責任を、同機構は取らないだろう。

マイナンバー制度でも、同じことになる。個人情報を盗まれたら、盗まれた方が悪いということになるか、または悪くすると、個人情報が盗まれた事実をも行政は隠すかもしれない。マイナンバー制度のマイとは、利権を得る行政とその周囲に群がる関連業者のことを指す。決してマイは国民の所有という意味ではない。戦争法制を、安保法制と呼ぶがごとき、騙しである。

以下、引用~~~

昨年、個人情報流出が207万件
2016年1月3日(日)17時24分配信 共同通信

 サイバー攻撃を受けたことを2015年に明らかにした国内の企業・団体など140組織から流出、または流出した恐れのある個人情報は少なくとも207万件に上ることが3日、共同通信の取材で分かった。75組織は警察など外部からの指摘で初めて攻撃に気付いたことも判明。情報セキュリティーの専門家は「公表されているのは氷山の一角で、攻撃に気付いてすらいない組織もあるはずだ」と指摘し、業界の枠を超えた情報共有と連携を求めている。

 公式サイトの公表情報などを基に取材。流出件数が最も多かったのは日本年金機構の125万件で、基礎年金番号と名前のほか、住所や生年月日も含まれていた。