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一日の苦労は、一日で足れり 

マタイ6:34

一日の苦労は、一日で足れり

今朝、例の弁天塚古墳は、周囲を絨毯のように茂った稲に囲まれて、鬱蒼とした姿を見せていた。そこを通り過ぎながら、この聖書の言葉が頭に浮かんできた。

様々な気苦労や心配事を持ち続けても仕方がない。大いなる存在にすべてを任せて、その日一日を最善に生きよ、という意味だろう。

若いころ、父親と同じ聖書集会(無教会主義の集まり、無教会主義は固定した教会を持たない、信者同士が指導者の集まりエクレシアという原初キリスト教の集団を形成する、それが聖書集会だ)に通っていた。集会が終わると、三々五々昼食を知り合いととる。その中に、私より数歳年上の小学校の教師をなさっていた方がいた。Nさんである。父上は他界され、母上と弟さんが精神疾患を患っておられた。きっと生きてゆかれるうえで、家族を支える役目、人生の重荷を一身に背負っておられたのではないだろうか。しかし、彼女は、いつも笑顔を絶やさず、時々は小さな声だったが、明るい笑い声を上げて、昼食を共にする皆さんと話しておられた。その彼女が良く口にしておられたのが、この聖書の言葉だったのだ。

この歳になって、ようやくこの言葉の重みと、彼女が口にした時の本当の意味の重さが、僅かばかり理解できるようになってきたような気がする。

キリスト教からは離れ、私は暗闇の中を手探りで歩んでいる。遅く、彷徨うような歩みだ・・・しかし、「一日の苦労は、一日で足れり」というこの言葉が、大きな慰めに満ちた言葉であることをようやく身をもって理解することができるようになったような気がする。

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